04A_寝言老人が幼少の頃

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2015年2月14日 (土)

老人の寝言:昔の欠食児童の寝言?チョコがコワイのは贅沢?;粒チョコを 拾い集める 欠食児。

2015年2月14日(土)
昨日は晴れ。最高気温(℃) 8.6 11:11。最低気温(℃) -1.1 04:36。ざっそう句;粒チョコを 拾い集める 欠食児。用事外出。帰宅してドッコイショ。お茶が出る。次に袋入りの粒チョコが出た。袋の封を切った途端、粒が床に飛び出した。これじゃあ計画も台無しとかみさんも処置無し。心配無用。床に這いつくばって拾ったモノはそのまま口の中へ放り込む。オトウサン、うがいも、手洗いもしない方が良いよ!

2015年2月13日の天気(AMEDAS)

TAVE= 3.0 NO DATA
TMAX= 7.7 最高気温(℃) 8.6 11:11
TMIN= -0.5 最低気温(℃) -1.1 04:36
DIFF= 8.2
WMAX= 8.6 最大瞬間風速(m/s)(風向(16方位)) 17.0(北西) 12:00
SUNS= 4 NO DATA
RAIN= 0

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老人の寝言:昔の欠食児童の寝言?チョコがコワイのは贅沢?

幼少の頃、学級の憧れの女の子が作文を読んだ。うどんの食べ方とかいう落語のような本の読書感想文だったような気がする。当時は、百姓の子供が家庭で単行本を読むことはほとんどなかった。初めてうどんを食べようとした人が食べ方を聞いて、滑稽な事をしてしまって笑いモノになる話だ。うどんをズルズル食べるのが恥ずかしくなった。もっとも、今では子供がそれをいやらしいと指摘するが。

食べ物には大抵、一般的な食べ方がある。それを知らないと、馬鹿にサレ、本人も恥をかくと恐怖する。レストランや結婚式場では、食べ方が分からず困る事がある。見方によれば、その情報格差が業者の狙い所かも知れない。

馬鹿だナ~。オレはチョコより柿の種の方が良いのだ。チョコの食品成分欄の最初に糖分が記されているじゃネエカ。どうせ、腹一杯チョコを食べるわけでもないので心配無用。今日食ったモノは明日は忘れているぞ。終戦直後の子供達は進駐軍の兵士にチョコを頂戴と手をさしだしたとか。チョコは憎まずだ。

オレはついつい、XXはだれ々の回し者だと言ってしまう。この言葉はこの世界を理解するのに実に便利なのだ。かみさん曰く、あの人達はあれで生きているのヨ~。

WEBの花粉症情報を見ていると、最近は幼児の花粉症も多いそうだ。どうも清潔志向で免疫力低下を招いているのが原因という指摘もあるようだ。子供が床にチョコを落としても、現代の親は不潔だから捨てなさいというのだろうか。

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2013年10月23日 (水)

寝言老人が幼少の頃;技術 回顧と展望:現代文明が後世に残す遺物は何か。20131023。

2013年10月23日(水)
昨日は曇り。最高気温(℃) 19.1 13:34 。最低気温(℃) 15.5 03:03:ざっそう句:廃屋を 撮らんとすれど 既に無し。気温が上がらず寒い一日だった。宅内閑居。単調な宿題もどきの仕事。ガンガンと家の取り壊しの音が聞こえて来る。気分転換にデジカメを持って現場に出かけたらもう跡形も無く取り壊されていた。蚕屋、主屋の順に撮り壊された。終戦直後に立てられて、地業は昔ながらに、ヨイトマケで土をつき固めて行われた。当時の事はほとんど覚えていないが母の話では、母は手伝いで、大祖母が自分のを連れてその工事の様子を見ていたという場面があったようだ。「寝言老人が幼少の頃:物心が付く前後(http://af06.kazelog.jp/itoshikimono/2013/01/post-b1eb.html)。(2013年1月1日火曜日)」。

2013年10月22日の天気(AMEDAS)

TAVE= 16.7 NO DATA
TMAX= 18.7 最高気温(℃) 19.1 13:34
TMIN= 15.6 最低気温(℃) 15.5 03:03
DIFF= 3.1  
WMAX= 3.5 最大瞬間風速(m/s)(風向(16方位)) 7.0(東北東) 16:01
SUNS= 0 NO DATA
RAIN= 1 NO DATA

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寝言老人が幼少の頃;技術 回顧と展望:現代文明が後世に残す遺物は何か

「父ちゃんのためなら エンヤコラ母ちゃんのためなら エンヤコラもひとつおまけに エンヤコラ」は丸山(美輪)明宏の「ヨイトマケの歌」の冒頭の句。WIKIPEDIA「ヨイトマケの唄。(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A8%E3%82%A4%E3%83%88%E3%83%9E%E3%82%B1%E3%81%AE%E5%94%84)」。「「ヨイトマケの唄」(ヨイトマケのうた)は、美輪明宏が自ら作詞作曲した1966年のヒット曲。」との事だが、「父ちゃんのためなら エンヤコラ母ちゃんのためなら エンヤコラ」という言葉自体は、自分が幼少の頃も使っていた記憶がある。当時は、「ヨイトマケ」をあちこちで見かけたが「ヨイトマケ」という言葉は当時知らなかった。この作業は、数名で行うので、一種の集団作業である。力(を出す位相)を合わせるかけ言葉だったと思う。

この「ヨイトマケ」の工事で、土を固めるのだが、土と共に基礎になる石もつき固めたと思う。現在の基礎はほとんどコンクリートである。石基礎の場合、「ヨイトマケ」作業が必要になるのだろう。コンクリート基礎が普及すると共に石基礎が廃れ、それと歩調を合わせて、ヨイトマケという集団作業も廃れてしまった。

小規模のコンクリート打ちの場合、地固めにタコという道具を使った。「蛸:短杭の打込みや地盤、基礎栗石の突固めなどに用いる木製の道具。」この道具は一人か二人で使った。ヨイトマケはロープと滑車で数人で引っ張った。この道具には小さな力を出し合い、大きな力にするという人間の知恵があるように感じる。WIKIPEDIA「建設機械。(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BB%BA%E8%A8%AD%E6%A9%9F%E6%A2%B0)」

地固めには、古来「版築」という技術が使われてきた。WIKIPEDIA「版築。(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%89%88%E7%AF%89)」振り返ると、土木事業は長い歴史がある。「よいとまけ:建築現場などで、地ならしのために大勢が一斉に鎚(つち)を滑車で上げ下げすること。また、それをする人。」と解説されているが、「よいとまけ」の語源が滑車を「よいしょ」と「巻け」というような掛け声にもとれる。一種の現場の俗語ではないか。それでは、正式な名称は何か。

「どう‐づき【胴突き】(http://dictionary.goo.ne.jp/leaf/jn2/156428/m0u/)」:「1 地盤を突き固め、また、くいを打つこと。また、その用具。俗に「よいとまけ」とよばれる真棒胴突きと、蛸(たこ)胴突きがある。土突き。」

「しんぼう ―ばう 1 【真棒】(http://www.weblio.jp/content/%E7%9C%9F%E6%A3%92)」:「建築などで地面を固めるために使う太い丸太。多数の引き縄をつけ、やぐらを立てた中央に引き上げてから落として、地面を突き固める。真棒胴突き。」

広辞苑の「真棒」によると、重さ100~600Kgほどの太い丸太をやぐらを使い滑車で引き上げてから、ドスンと地面に落とすようだ。この重量物の落下エネルギーは実に巨大で、滑車で重量物を引き上げるのは、運動エネルギーを位置エネルギーに転換しているわけだ。まさに、「よいとまけ」は現代の重機ではないが、かつて土木現場で大活躍した重力機械だ。

ヨーロッパの建築には石材が多用されるようだ。日本は木材が多用される。今年は、20年に一度の「式年遷宮」が行われた。常に変わらない石の建築・構造物を見て生活する民族と、全て使い捨てにしてしまう民族で、差が生じるとすればそれはどこに現れるか。作っては壊し、作っては壊す作業を、営々と続けては、まさに賽の河原に石を積むような、寒々した風景を思い出してしまう。これでは、精神の連続性も維持出来ない。親の代の事すら直ぐに忘れてしまう。今がよけりゃ結構だ。刹那主義が背後に潜んでいる。ヨーロッパは、石の建築で、長期的な建築コスト・エネルギーを節約・貯蓄して、その余力を精神エネルギーに転化したのではないか。親や祖先の歴史や怨念すら石の構造物が記憶していてくれる。これじゃあ、日本の前途は...。

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追記(2019/05/23):アクセスランキング6位に入っているので、タイトルに投稿期日を追加。文字サイズ等変更、過去BLOG再読、印象・コメント等。

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2013年8月26日 (月)

寝言老人が幼少の頃;ハトよ 鳴いておくれ:もんじゃコロッケ売り出し中!

2013年8月26日(月)
昨日は曇り一時晴れ。最高気温(℃) 27.8 15:52。ざっそう句:夏バテか 気候変化で 鼻風邪に。オクラと勝手に生えたナス三個を収穫。勝手ナスは秋ナスが採れると期待しているが花が少ないように感じる。気温が上がっていないので、ついでに草掻きを始めたら雨が降り出す。宅内閑居。WINXPの起動が極端に遅くなる。パソコンも夏バテか。ディスククリ-ンアップをして再起動したら正常になった。午後、老人モードで用事外出。ついでにタウンウォッチング。暗くなったので百均の夜光タスキをかけて自転車運転。それを車で通りかかったかみさんが見ていたのか。かみさん曰く若そうな人がタスキをかけて云々。夜目遠目笠の内(http://kotowaza-allguide.com/yo/yometoomekasanouchi.html)は爺さんにも通用するのか。人違いだとがっかりだ。詮索は止そう。ともかく百均効果はあった。

2013年8月25日の天気(AMEDAS)

TAVE= 23.9 NO DATA
TMAX= 27 最高気温(℃) 27.8 15:52
TMIN= 21.8 最低気温(℃) 21.6 08:14
DIFF= 5.2  
WMAX= 3.7 最大瞬間風速(m/s)(風向(16方位)) 6.4(西北西) 23:47
SUNS= 2.2 NO DATA
RAIN= 0.5 NO DATA

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寝言老人が幼少の頃;ハトよ 鳴いておくれ:もんじゃコロッケ売り出し中!

先日のお祭りでの一風景。夜から朝にかけて虫の鳴き声が盛んになっている。秋の気配がただよい始めた。幼少の頃は、出店が出るお祭りに出かけるのは大人と一緒だった。近場に大きな祭りも少なかったと思う。子供がてら、出店の前で、遊んだり、買い物をしたたくなるのは当然だ。ところが、親たちはなかなか財布の紐をゆるめてくれない。店の前で地団駄を踏んで泣いた記憶も残っている。

もう、記憶も定かではないが、親たちから聞いた昔話がある。お祭りで、何か物事をあてる賭けのような遊びがあったとの事だ。その賭で勝てば何かもらえるが、負けると掛け金は胴元にとられてしまう。ある人が、その賭に熱中して、財布の中身を全部すってしまったとの事。そこで、胴元は気の毒になり、その賭の種明かしをしてくれたとの事。見物客の中に、仲間のサクラがいて、サクラと胴元がそれとなく、示し合わせた暗語で会話をして、俺も勝てるという雰囲気を作るのだそうだ。おまけに、胴元は、素人が金を全部するほど熱中しない方がよいと説教までしてくれたそうだ。

そんな、昔話を思い出しながら出店を回った。そこで出合ったのが「もんじゃコロッケ」であった。なんじゃコレ。本家に「じんじゃコロッケ」があるのは聞いていた。JAカラカーゼには「じんじゃ風コロッケ」が並んでいた。店員に「もんじゃコロッケ」とはどんなコロッケか聞いた。

うろ覚えなのだが、ソースが「じんじゃ風」で、中身が「もんじゃ風」だったと思う。要するに、伊勢崎名物のもんじゃ焼きと神社コロッケの良いとこ取りと考えて良いかと聞くと、そうだと言う風な返事だった。Iob_monjyakorokke_demise_4 世の中、一匹目のドジョウだけで盛り上がろうとしても、長続きしない場合が多い。そこに、二匹目、三匹目が出てくると状況が面白くなる。どこかで応援するヨと話すとポーズを取ってくれた。夏バテ気味で、この画像の事は忘れかけていた。がんばれ もんじゃコロッケ!


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2013年7月20日 (土)

老人の寝言;寝言老人が幼少の頃(田舎老人徒然草):殖蓮小学校の二宮金次郎像の謎

2013年7月20日(土)
昨日は晴れ。最高気温(℃) 32.6 14:57。ざっそう句:青空に 飛行機雲と 赤トンボ。セキチクの種子採取。「日々農天気(愛しきもの 花と実):意外に長生きをする多年草の西洋セキチク(http://af06.kazelog.jp/itoshikimono/2012/06/post-eb16.html)。(2012年6月13日水曜日)」。来客。資料の最終確認。2回目の小豆の播種。畝は前回は南北で今回は東西。飛行機雲が見えたが途中でぷつんと切れた。なぜか。赤トンボがかなり多く飛んでいる。暑くなって宅内閑居。ネット選挙が話題になっているので、情報を探してみた。株と同じで期待感先行・囃しすぎ・はしゃぎすぎのように感じる。

2013719日の天気(AMEDAS

TAVE= 27.2 NO DATA
TMAX= 32.3 最高気温(℃) 32.6 14:57
TMIN= 21.9 最低気温(℃) 21.6 23:39
DIFF= 10.4  
WMAX= 5.7 最大瞬間風速(m/s)(風向(16方位)) 10.9(西北西) 11:46
SUNS= 13.1 NO DATA
RAIN= 0 NO DATA

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老人の寝言;寝言老人が幼少の頃(田舎老人徒然草):殖蓮小学校の二宮金次郎像の謎

殖蓮小学校の二宮金次郎像は当BLOGの「寝言老人が幼少の頃」のタイトル画像である。先日、外出のついでに再度その像を眺めてデジカメに収めた。

「読みかじりの記:二宮尊徳の仕法と仕分(http://af06.kazelog.jp/itoshikimono/2010/11/post-37c9.html)。(2010/11/5)」という記事を書いた。丁度、民主党政権の頃で、「仕分」がブームになっていた。「仕分」のシステム的な考え方が、そもそも計画された事業をその工程の最後の方で見直すという手法で、制御系というシステム理論から言えば、負帰還システムに類似している。負帰還システムの欠点は出力を観測してその一部を入力にフィードバックするので系の応答に遅れが生じ、システムが不安定になることである。当時は、仕分けは政治手法だけでなく、一種の万能な政治的パフォーマンスとして行われており、現在は仕分けの是非を再評価するべき段階にあると思われる。

要するに、政治とは過去の統治事業の歴史的な評価・教訓と政治家の理念・理想を元にフィードフォワード的に現在の課題と共に将来の課題も含めリアルタイムで統治事業をおこなわなければ失敗する運命にあるのだろう。上記の記事では、仕法という手法がかなり革新的内容を持っており構造改革に通じる点に注目した。制度設計という言葉が安直に使われていたが根本的な構造改革は進んでいないようだ。

上記、殖蓮小学校の二宮金次郎像を見たが、文字が刻まれている石材が白と黒が混じった御影石のようなもので読みとれなかった。デジカメ画像を処理して文字を判読した所、「昭和12年4月」に「講堂落成記念」として建てられようだ。そして、肝心のタイトル文字が「勤倹譲」とあるようだ。

国会図書館ホームページ記事によると、「小学校によく置かれていた二宮金次郎の像は、いつ頃から広まったのか。」という質問に対して、「最初に像が設置されたのは  『ノスタルジック・アイドル二宮金次郎 モダン・イコノロジー』(井上章一/文 新宿書房 1989)によると、日本で最初に小学校に置かれたのは、1924年(大正13)愛 知県豊橋市の前芝小学校であるとのことです。銅像ではなくセメント造りで、右手に本 を持ち、左肩にビクをさげた姿でした。」とある。

二宮金次郎が修身で採り上げられ、「勤倹」を表しているのがまさに、薪を背負い・本を読みながら歩いている少年の姿であろう。殖蓮小学校の二宮金次郎像のタイトルに「勤倹譲」とあるのは新しい発見であった。年表を見ると、昭和12年には日中戦争が始まり、戦争で物資も不足して、そのような状況を受けての「譲」なのだろうか。現実には自己主張の抑制を狙っているのか。ともかく、戦争が本格化するような時代情勢のなかで、講堂が落成した事も注目に値するだろう。戦後、我々はその講堂で幼稚園教育を受けられたのだ。当時は、まだ講堂を作るというユトリがあったように見える。

二宮金次郎像の願貌を見ると顔がふっくらとして現代的な雰囲気が感じられた。更に、眼を見てびっくりした。白眼と黒眼がかなり精巧に作られているように見えたのである。ガラスの眼を填め込んだのかと思ってしまった。更によく見ると、腰から下が無いのである。この像は新しく造られたのか。WEB上の二宮金次郎像を見ると、立っているのと腰を下ろしている姿はあるが、腰から下が無い例は少ないようだ。

更に、上半身が乗った二宮金次郎像の台座を見ると、建立時の御影石と材質が違うように見える。そうすると、この台座は二宮金次郎像の下半身の高さを補正するように設置されたようにも見える。二宮金次郎像が建立時のまま現在まであるのか定かでない。

自分が幼少の頃、幼稚園は昭和12年に建てられた講堂の中にあったと記憶している。その講堂も取り壊され、その跡に体育館が建てられ、その体育館も取り壊され、現在は駐車場になっている。現在の体育館は当初の建設予定地から八角倉庫が発見され、計画変更になっている。二宮金次郎像も殖蓮小学校の歴史を見てきた証人だが、二宮金次郎像が一度撤去され、新たに設置されたのか自分の前に謎が現れてしまった。

殖蓮小学校から分離創設された殖蓮第二小学校ホームページ資料によれば、「平成17年9月 二宮金次郎像設置」とある。こちらの現物はまだ見た事がない。自分の記憶では、二宮金次郎像があったのは、かすかに覚えているが、修身として二宮金次郎に関して教えられた記憶はない。ただ、二宮金次郎像の額縁内に刻まれた「勤倹譲」という漢字は意味深長に感じた。

「漫画の歩き読み(http://af06.kazelog.jp/itoshikimono/2008/12/post-d231.html)。(2008/12/24)」。この記事によると「幼少時にあったあの二宮金次郎の像は今は無い。」とある。もう、この頃から老人力が付いて来たのか。二宮金次郎少年が歩きながら読んでいる書物は「大学」と国会図書館HPの記事にあった。

現在の小学生はマンガの歩き読みさえ禁止されているのだろうか。ともかく、後輩諸君、あの二宮金次郎像になぜ足がないのか先生に質問して、おおいに先生を悩ませて欲しい。ひょっとすると、先生も生徒も見て見ぬ振りをしているかもしれない。無関心で見えていてもその先は何も考えないのかもしれない。そう思うと自分の老人力は益々増強しているのかもしれない。
Iob_ninomiya_kinjirou_zou_uehasu_6p
IOB_NINOMIYA_KINJIROU_ZOU_UEHASU_6PIX.jpgをダウンロード

IOB=IMAGES ON Beloved Ones

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2013年7月 1日 (月)

寝言老人が幼少の頃:七夕祭り

2013年7月1日(月)
昨日は曇り一時晴れ。最高気温(℃) 27.9 14:21。ざっそう句:七夕や 青田に揺れて 夢ほのか。ゴボウ、サツマ区画の除草。ゴボウは手作業。サツマはネジリ鎌。一株根本から切ってしまった。ジニア、マリゴ区画草むしり。両方こぼれ種も発芽している。ヤブガラシ根掘り。いよいよ7月に入った。今年の関東甲信の梅雨入りは 5月29日ごろで平年差で 10日早く、 昨年差で11日早く、平年は 6月 8日ごろ、昨年は6月 9日ごろだった。梅雨明けは平年で7月21日ごろで、昨年は 7月25日ごろだった。<向こう1か月の気温の各階級の確率=20/低い、30/平年、50/高い(%)>で、平年より高い予想(気象庁)。しっかり体調管理をしたい。

2013年6月30日の天気(AMEDAS)

TAVE= 23.1 NO DATA
TMAX= 27 最高気温(℃) 27.9 14:21
TMIN= 19.9 最低気温(℃) 19.6 05:18
DIFF= 7.1  
WMAX= 3.7 最大瞬間風速(m/s)(風向(16方位)) 7.1(南東) 18:38
SUNS= 1.8 NO DATA
RAIN= 0 NO DATA

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寝言老人が幼少の頃:七夕祭り

幼少の頃は、色々な年中行事があり、その行事と共に生活が回転していたようだ。農業が中心であったので、当然農業と季節と行事が組み合わせになっていたのだろう。自宅で七夕祭りをしたのも、自分が幼少の頃と自分の子供達が小学生頃だったように思う。子供中心に祭りが回っても、昔はこのような行事を通して大人からから子供へと風習が伝わったのだろう。

「三和町の民俗」という当地区の調査資料には、年中行事として当時の風習が記録されている。各地区でも同じようだが、少しずつ異なった風習があるようだ。田植えが終わって、オサナブリという一種の慰労祭のような祝い事があり、その次ぎに七夕祭りとなる。丁度タケノコが新しい竹に育つ頃で、その竹に短冊をつるす。短冊には「天の川」とか願い事を書いたようだ。当地区ではおはぎを作って七夕さまにあげ、墓の掃除も行う風習だったようだ。七夕が終わると、それを田圃に持ってゆき、畦に立てた。これも豊作を願う一種のおまじないのような意味があったようだ。

伊勢崎市の七夕祭りは、商店街の活性化も大きな目的らしく、今年は、第59回が平成25年7月13日(土曜日)・14日(日曜日);(注)両日とも荒天の場合は7月15日(月曜日・祝日)に順延(http://www.city.isesaki.lg.jp/www/contents/1358387948598/index.html)との事だ。伊勢崎市の七夕祭りも来年還暦を迎えるようだ。

振り返ると、伊勢崎市の七夕祭りは自分が幼少の頃に始まっていたようだ。当時は、中心街まで七夕祭りを見物に行くのは夢のようであった。大抵は自宅で七夕祭りを祝う程度であった。一昨年たまたま、用事で出掛けたときが伊勢崎市の七夕祭りだったので、一人で見物した事がある。その時のデジカメ画像が残っている。老若男女が見物を楽しんでいた。最近、高齢者の町内行事で、七夕飾りを作った。参加者は雑談も止めて熱心に作っていた。やはり、幼い頃にした遊びをする事により、純粋な童心に帰るのではないかと思う。
Ioi_tanabatamaturi_isesaki2011_2pix

IOI=IMAGES ON ITOSHIKIMONO


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2013年3月22日 (金)

寝言老人が幼少の頃(ハトよ 鳴いておくれ;愛しき古里):高山古墳群の思い出

2013年3月21日木曜日
昨日は晴れ。最高気温(℃) 14.1 00:01。ざっそう句:空耳か 鶯の声 一度だけ。町内行事。DSCデータを整理しプリント用に編集。 用事外出。訪問先で打合せと雑談。貰い物。その足でもう一件。寒暖の差が大きく要注意。一般の人が裁判に関わる件数は一生の内どのくらいあるのだろうか。刑事事件で裁判員制度が実施されているが、なぜ民事事件で裁判員制度がないのか疑問に思っていた。毎日新聞がその動きを伝えていた。

毎日新聞は、「憂楽帳:民事への国民参加。http://mainichi.jp/opinion/news/20130321k0000e070177000c.html。(2013年03月21日 12時26分))」というタイトルで、「刑事裁判に市民感覚を反映させようと始まった裁判員制度は、5月でスタートから4年。極端に長い時間がかかるケースへの対応など課題もあるが、ともかく定着しつつある。そこで「民事は裁判官任せのままでいいのだろうか」と思っていたら、民事への国民参加を考える動きがあった。 1月に経済団体や消費者団体などの代表者、学者らがスタートさせた「民事司法を利用しやすくする懇談会」だ。事務局長の小林元治(もとじ)弁護士は「民事訴訟制度を利用しやすいと感じている人は国民の2割程度。この10年間の制度改革で刑事は身近になったのに、民事は立ち遅れています」と話す。懇談会の設立趣意には、さまざまな改革案とともに「国民の司法参加も重要な検討課題」とある。」と報じた。

もっと疑問なのは、裁判で人を裁くより、被告を弁護する事になぜ一般人が参加出来ないのかという事ではないだろうか。件数比較なら民事事件の方が圧倒的に多いと思う。一般人の常識的判断力は弁護活動にも有効ではないか。

2013年3月21日の天気(AMEDAS)

TAVE= 7.9
TMAX= 12.9 最高気温(℃) 14.1 00:01
TMIN= 4.6 最低気温(℃) 4.2 22:39
DIFF= 8.3
WMAX= 12.2 最大瞬間風速(m/s)(風向(16方位)) 21.3(北西) 01:44
SUNS= 11.5
RAIN= 0

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寝言老人が幼少の頃(ハトよ 鳴いておくれ;愛しき古里):高山古墳群の思い出

先日、赤堀歴史民族資料館で、企画展「探検家・矢島保治郎展 中国 チベットに足跡をたどる」を見学したついでに、常設展示場も見学した。そこに、「高山1号古墳出土埴輪鞆」が展示されている。かつて、当町内には、高山、行者山、丸塚山という三つの山があり、子供らの遊び場であった。その山が、古墳らしいと気付いたのは小学生中学年の頃だったと思う。

「炭焼きじいさん(http://af06.kazelog.jp/itoshikimono/2009/12/31/)。(2009/12/31)」

「古墳と人骨(http://af06.kazelog.jp/itoshikimono/2008/09/post-2d0b.html)。(2008/9/8)」。

高山、行者山は、開発により平削等が進み、ほとんど見る影がない。ただ、自然の丘陵部に作られたらしく、その自然地形は辛うじて残っている。丸塚山は伊勢崎市の史跡(http://www.city.isesaki.lg.jp/www/genre/0000000000000/1000000000126/index.html)に指定され、辛うじて破壊から免れた。

赤堀歴史民族資料館に展示されている「埴輪鞆(とも)」の説明板に「高山1号古墳」とあり、周辺には幾つかの古墳の集群があったようだ。伊勢崎市史民族調査報告書第一集「三和町の民俗(昭和56年8月31日 伊勢崎市 編集・発行)」を調べたが、古墳に関する記述は無かった。この地域民俗史も今では、当時を知る貴重な資料である。

「高山1号古墳出土埴輪鞆」は市指定重要文化財であり、そのホームページに、「鞆(とも)は革製で巴(ともえ)形をしており、矢を射るときに左手首につけ、弓の弦(つる)が腕にあたるのを防ぐために用いる。この埴輪は、昭和52年、高山1号古墳(三和町)の発掘調査で出土し、鞆と台部からなる。完形に近い状態で発見され、県内でも希少な資料である。製作年代は6世紀前半と考えられる。(http://www.city.isesaki.lg.jp/www/contents/1354780969798/index.html)」と説明されている。昭和52年と言えば、サラリーマンになって数年後の事。家の近くでの発掘調査だったが、全く記憶にない。

この「巴(ともえ)形」は市章の勾玉の形にも類似している。WIKIPEDIA「巴。(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B7%B4)」。ところで、この「鞆(とも)」を装着したのは誰だったのか。次々に矢を放つ状況は、狩猟とは思えない。獲物が大型動物であっても昔の狩り人の腕なら数本の矢で仕留めたろう。そうなると、武人の姿が浮かんでくる。近隣の村落との戦闘で勝利した一族がその記憶として古墳に収めたのだろうか。
Bopix_tomohaniwa_akabori_h_m_4pix_s
BOPIX_TOMO-HANIWA_AKABORI_H_M_4PIX.jpgをダウンロード (拡大画像)


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2013年3月 8日 (金)

老人の寝言(寝言老人が幼少の頃):「国際女性デー」など無用だという声が聞こえてきそうな日本の実状

2013年3月8日金曜日
昨日は晴れ。最高気温(℃) 16.4 14:46。ざっそう句:マンサクが 小梅と共に 花競う。暖かい日だった。用事外出。野菜種子購入。ふと見ると小梅が咲いていた。その近くのマンサクも咲いている。マンサクは「先ずさく」が語源で、他の花に先行して咲くが、我が家の花暦では梅の花の方が早いようだ。2007年のデータでは3/11~15日の間に開花確認。梅の開花は遅れたが、マンサクは平年並みの開花か。開花が遅れていた花は、これから一斉に咲くのだろう。畑で仕事をする人、人だかりでマスクをする人が目立った。自分もマスク着用したが、目が心持ちかゆくなった。本日のGoogleDoodleは「国際女性デー」であった。女性という花も十分に開花させたいものだ。

2013年3月7日の天気(AMEDAS)

TAVE= 9.9
TMAX= 15.9 最高気温(℃) 16.4 14:46
TMIN= 3.1 最低気温(℃) 2.3 04:44
DIFF= 12.8
WMAX= 2.7 最大瞬間風速(m/s)(風向(16方位)) 5.3(東南東) 14:14
SUNS= 8.9
RAIN= 0

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老人の寝言(寝言老人が幼少の頃):「国際女性デー」など無用だという声が聞こえてきそうな日本の実状

20世紀に入り世界は大きく変化した。思い出すのが、アインシュタインが「1905年に特殊相対性理論」を発表。WIKIPEDIA「アルベルト・アインシュタイン(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%AB%E3%83%99%E3%83%AB%E3%83%88%E3%83%BB%E3%82%A2%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%82%BF%E3%82%A4%E3%83%B3)」。これにより、物理学の世界観が大きく変わった、

この世は所詮、男と女。されど、男と女の見方、考え方は定まっていない。安倍政権も女性重視の姿勢を示しているが、日本の女性はその下心をすでに見抜いているのかも知れない。

「国際女性デー。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%BD%E9%9A%9B%E5%A5%B3%E6%80%A7%E3%83%87%E3%83%BC。(最終更新 2013年1月10日 (木) 04:52 )」『ウィキペディア日本語版』(http://ja.wikipedia.org/)。の記事に、「起源 [編集]:1904年3月8日にアメリカ合衆国のニューヨークで、女性労働者が婦人参政権を要求してデモを起こした。これを受けドイツの社会主義者・クララ・ツェトキンが、1910年にコペンハーゲンで行なわれた国際社会主義者会議で「女性の政治的自由と平等のためにたたかう」記念の日とするよう提唱したことから始まった。 国際女性デーにちなむ最大の事件は、1917年にロシアで起こった二月革命であろう。国際女性デー(当時ロシアで使われていたユリウス暦では2月23日にあたる)に首都ペトログラードで行われた女性労働者を中心としたデモは、男性労働者、更には兵士を巻き込んだ大規模な蜂起となり、最終的には帝政を崩壊に追い込んだ。 日本では1923年3月8日、社会主義フェミニスト団体赤瀾会が初の集会を開催。国連は1975年(国際婦人年)の3月8日以来この日を「国際婦人デー」と定め、現在は国連事務総長が女性の十全かつ平等な社会参加の環境を整備するよう、加盟国に対し呼びかける日となっている。
」とある。

幼少の頃を振り返ると、自分の子守担当が、腰が曲がってよちよち歩きだった大祖母。祖母と母は現役で農家の仕事をしていた。同時に他の子供達の子育てもしていた。幼稚園と小学校1年の時の先生も女性。自分の幼少期が無事に過ごせたのも女性のたまものなのだ。女性の社会進出としては、育児・教育という分野への進出が目立っているのだろう。

Googleによる「群馬県 教職員 男女比」の検索で、最初に出てきたのが「都道府県の数値目標一覧 - 内閣府男女共同参画局(http://www.gender.go.jp/research/sakutei/2-to1-2.xls)」。これを見て、最終目標が50%等という数字がそつなく入っている。すでに、経済の分野では、女性の労働力を無視したら日本は立ち行かない。現在では子供屋台の主役は女性だ。

上記資料によると、「教育機関における取組:女性管理職:公立小・中・高等学校、盲聾養護学校における管理職に占める女性教員の割合(%):2001.4;小16.4、中6.1、高6.3、盲聾養10.2":最終目標;2010/20%。」とある。

かつて、ポーランド国営企業(と思うが正確な事は忘れている)との技術打合せで、びっくりした事があった。もう数十年前の事だが、管理職が女性で、部下の技術者が男性であった。これじゃあ、やりにくいなと件の男性技術者に同情したのだが、それがあたりまえの国なら、そんなことは笑いぐさにもならないだろう。調べると、マリ・キュリーもポーランドの女性。

WIKIPEDIA「ポーランド。(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9D%E3%83%BC%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%89%E5%85%B1%E5%92%8C%E5%9B%BD)」

「マリ・キュリー。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%AA%E3%83%BB%E3%82%AD%E3%83%A5%E3%83%AA%E3%83%BC。(最終更新 2013年2月27日 (水) 10:51 )」『ウィキペディア日本語版』(http://ja.wikipedia.org/)。の記事に、「マリア・スクウォドフスカ=キュリー(Maria Sk?odowska-Curie, 1867年11月7日 - 1934年7月4日)は、現在のポーランド(ポーランド立憲王国)出身の物理学者・化学者。フランス語名はマリ(マリー)・キュリー(Marie Curie)。ワルシャワ生まれ。キュリー夫人(Madame Curie)として有名である。放射線の研究で、1903年のノーベル物理学賞、1911年のノーベル化学賞を受賞し[1]、パリ大学初の女性教授職に就任した。放射能 (radioactivity) という用語は彼女の発案による[2]。」とある。

GoogleDoodleからあらためて、日本の女性を振り返った。その能力は発展途上で、十分能力開発が進めば、日本は更に一皮むけた先進国になる。

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CEEK.JPのニュース検索で「福島県双葉町」を検索(20013/3/7)。

10 件の記事の 1 件目 ~ 10 件目
双葉町に慰霊碑 式に避難先から60人出席 (地方・地域) 03日 06:10 河北新報
原発近くに慰霊碑建立 防護服姿で黙とう 福島・双葉町 (社会) 02日 21:05 朝日新聞
福島・双葉町で町主催の慰霊式 防護服姿で家族悼む (地方・地域) 02日 18:25 北海道新聞
震災から2年・・・福島・双葉町に慰霊碑建立 (社会) 02日 18:14 TBSテレビ
福島・双葉町で町主催の慰霊式 防護服姿で家族悼む (その他) 02日 17:39 共同通信
福島第一80キロ圏、1年間で線量が平均4割減 (サイエンス) 01日 21:43 読売新聞
【双葉町長選】井戸川氏、出馬めぐり二転三転... (地方・地域) 01日 13:33 産経新聞
双葉町長選告示 町民、前町長不出馬には驚き (地方・地域) 01日 07:45 東京新聞
前町長迷走、ドタキャン 福島・双葉町長選告... (地方・地域) 01日 06:10 河北新報
双葉町民、不信と失望 前町長不出馬 「当然」... (地方・地域) 01日 02:10 産経新聞

10 件の記事の 1 件目 ~ 10 件目

TVSテレビの記事はNOT FOUND(削除されたか)。

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2013年2月28日 (木)

ハトよ 鳴いておくれ(寝言老人が幼少の頃):ハトちゃんの記憶

2013年2月28日木曜日
昨日は曇り後晴れ。最低気温(℃) 2.0 00:24。最高気温(℃) 11.9 15:52 。ざっそう句:ハトよ鳴け 垣の辛夷の 花近く。昨日は全体的に暖かで、今朝の気温も高い。宅内閑居。パソコン作業。春になるとキジ鳩の鳴き声で朝を迎える。26日が満月(望)だった。三月三日が雛祭り。我が家の花暦では花桃が咲くのが4月始め。今年はまだ蝋梅も開花していない。関東甲信地方の1か月予報(気象庁平成25年2月22日)では、前半は寒く、中頃は平年並みのようだ。

2013年2月27日の天気(AMEDAS)

TAVE= 6.5
TMAX= 11.1 最高気温(℃) 11.9 15:52 
TMIN= 2.3 最低気温(℃) 2.0 00:24 
DIFF= 8.8
WMAX= 4.1 最大瞬間風速(m/s)(風向(16方位)) 7.8(西北西) 21:32 
SUNS= 5.7
RAIN= 0

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ハトよ 鳴いておくれ(寝言老人が幼少の頃):ハトちゃんの記憶

小学校低学年の頃、「ハトちゃん」というあだながあった同窓生がいた。やや面白で、目がくりくりしていた。通学コースが同じなので、通学時や学校で遊んだのだと思う。いつしか、そのハトちゃんの消息を聞くことがなくなった。病気になり、休学してその後若くして亡くたったとのことだ。

当時は、まだ医学も薬も医療も不十分だった。現在ならきっと助かっていたのではないかと思う。今では、小学校低学年の頃、誰とどんな遊びをしたかも忘れかけているが、ハトちゃんの事はふと思い出す。姓名と名前の前半は思い出せるが、名前の後半が出てこない。

小学校低学年の頃は、友人達がウサギを飼っていたので、みんなで畑や田圃でウサギの餌取りをした。繁殖もして、大きくなったウサギは、ウサギ屋という業者が回ってきて買い取ってくれた。小遣いも、親に貰うだけでなく、自分たちで稼いでいた。趣味では、ジュウシマツとかの小鳥も飼った。当時は、伝書鳩が現役で働いていた。伝書鳩のレースもあった。自分も伝書鳩を飼いたいと思ったが、これは実現しなかった。ハト小屋を作ったり、餌を用意したりで子供だけでは出来なかった。ウサギ小屋はリンゴ箱に金網を張る程度で子供にも作れた。

昔は、家の近くにスズメが棲息していたが、最近めっきり少なくなったようだ。そのかわり、キジ鳩が近くで棲息している。畑仕事をしていて2~3mほどに接近しても逃げない。ハトのデジカメ映像を探したら、数件見つかった。神社の境内、駅前広場、我が家の畑で撮影したものだった。
Bopix_hato_3pix

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2013年1月 1日 (火)

寝言老人が幼少の頃:物心が付く前後(改題):「ヨイトマケの唄」から思い出した幼少時の記憶など。130101。

2013年1月1日火曜日
昨日は晴れ。最高気温(℃) 11.8 13:22。ざっそう句:紅白で ヨイトマケの唄 流れ聞く。老人モードで年賀状作成の続き。残りも何とか年内に投函できた。手書きの文面作成も単調なので消しゴムで漢字一文字のスタンプを作った。宛名の一人一人に思い出があり、関係も異なる。まさに一期一会。今年はもう一歩老人力を開拓しよう。小さな発見・大きな感動。

2012年12月31日の天気(AMEDAS)

TAVE= 6.8  
TMAX= 11.4 最高気温(℃) 11.8 13:22 
TMIN= 0.3 最低気温(℃) 0.2 23:58 
DIFF= 11.1  
WMAX= 8.2 最大瞬間風速(m/s)(風向(16方位)) 14.3(西北西) 01:08 
SUNS= 8.4  
RAIN= 0  

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*************************

寝言老人が幼少の頃:物心が付く前後(改題):「ヨイトマケの唄」から思い出した幼少時の記憶など

自分の幼少の頃の様子を見てきたように話す人がいるが、どこまで正確なのか。自我・自己認識が出来るようになってある程度、自己を客観視できるようになるのではないか。それ以前の自分の姿は、他人から話を聞く位しか手がかりがない。

母から聞いた話では、自分が幼少の時、新宅が新築中で、地業工事で「ヨイトマケ」のかけ声の「エンジャ~ラヤー」とかいう声をマネていたとの事だ。当時の家庭環境から、想像すると、母は工事現場でお茶出しや「ヨイトマケ」の綱引きをしていたのではないかと思う。曾祖母が子守役で、工事現場まで自分を連れてきて工事の見物をしていたような構図が頭に浮かぶ。

「ヨイトマケの唄。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A8%E3%82%A4%E3%83%88%E3%83%9E%E3%82%B1%E3%81%AE%E5%94%84。(最終更新 2012年12月31日 (月) 13:48 )」『フリー百科事典ウィキペディア日本語版』(http://ja.wikipedia.org/)。の記事に「ヨイトマケの唄(ヨイトマケのうた)は、美輪明宏(当時・丸山明宏)が自ら作詞作曲した1966年のヒット曲。」とある。

追記(2013/1/1):WIKIPEDIAの最新記事(最終更新 2012年12月31日 (月) 17:56 )に以下の記事=

「なお、NHKでは発表当時から一貫して放送自粛の措置はとられておらず、美輪本人による歌唱はもとより、様々な歌手によるカヴァーも放送されており、2012年12月31日には美輪はこの歌で第63回NHK紅白歌合戦に初出場した。77歳での初出場は史上最年長、デビュー60年での初出場も史上最長記録である。

歴代出場者全体の年齢から見ても、第40回(1989年)に満78歳で出場した藤山一郎に次ぐ歴代2位[4]であるなど、様々な話題を呼ぶものであるが、美輪本人は「この歌がヒットした50年前にも紅白出演のオファーがあったが、歌唱時間の問題で辞退した」と回想している(当時の紅白では歌手1人につき3分以内という時間制限が設けられており、この歌も大幅に歌詞を省略して歌うことをNHKから求められたが、美輪本人はあくまでも歌詞の省略はできないと主張し、当時のオファーを辞退せざるを得なかったという)[5]。」がある。

家の基礎の地固めをする装置を、子供の頃「ヨイトマケ」と言ったか覚えていないが、遊びの中で「かあちゃんのためなら、えんや~こら」とか言った記憶はある。「ヨイトマケ」に関しては、以下の記事に書いた。

「ヨイトマケの記憶(http://af06.kazelog.jp/itoshikimono/2008/11/post-4fdb.html)(2008/11/9)」。「読みかじりの記:「ああ 正負の法則」 美輪明宏 著 (2002年 株式会社パルコ エンタテイメント事業局 出版担当)(http://af06.kazelog.jp/itoshikimono/2011/12/2002-9f3b.html)(2011/12/25)」

「読みかじりの記:「胎児の世界 人類の生命記憶」 三木成夫 著 (1983年 中央公論新社)(http://af06.kazelog.jp/itoshikimono/2011/12/1983-52fc.html)(2011/12/14)」個人の記憶、人類の記憶、生命の記憶底には失われた連鎖がある。

報道やメディア、更には行政までも、人権や差別に関する言葉の使い方に注意が払われている。2012年NHKの紅白歌合戦に「ヨイトマケの唄」が流れたのは、新しい時代の夜明けをを告げているのか。YOUTUBE「ヨイトマケの唄(http://www.youtube.com/watch?v=sxHf7xW12xg&hl=ja&gl=JP)」

Iob_2017_mov_deleted20171204

原ファイル名=「IOB_2017_MOV_DELETED動画削除20171204.jpg」
IOB=IMAGES ON Beloved Ones

追記(2017/12/04):以下の動画を追記


YouTube: ヨイトマケの唄



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寝言老人が幼少の頃:物心が付く前後

自分の幼少の頃の様子を見てきたように話す人がいるが、どこまで正確なのか。自我・自己認識が出来るようになってある程度、自己を客観視できるようになるのではないか。それ以前の自分の姿は、他人から話を聞く位しか手がかりがない。

母から聞いた話では、自分が幼少の時、新宅が新築中で、地業工事で「ヨイトマケ」のかけ声の「エンジャ~ラヤー」とかいう声をマネていたとの事だ。当時の家庭環境から、想像すると、母は工事現場でお茶出しや「ヨイトマケ」の綱引きをしていたのではないかと思う。曾祖母が子守役で、工事現場まで自分を連れてきて工事の見物をしていたような構図が頭に浮かぶ。

「ヨイトマケの唄。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A8%E3%82%A4%E3%83%88%E3%83%9E%E3%82%B1%E3%81%AE%E5%94%84。(最終更新 2012年12月31日 (月) 13:48 )」『フリー百科事典ウィキペディア日本語版』(http://ja.wikipedia.org/)。の記事に「ヨイトマケの唄(ヨイトマケのうた)は、美輪明宏(当時・丸山明宏)が自ら作詞作曲した1966年のヒット曲。」とある。追記(2013/1/1):WIKIPEDIAの最新記事(最終更新 2012年12月31日 (月) 17:56 )に以下の記事=「なお、NHKでは発表当時から一貫して放送自粛の措置はとられておらず、美輪本人による歌唱はもとより、様々な歌手によるカヴァーも放送されており、2012年12月31日には美輪はこの歌で第63回NHK紅白歌合戦に初出場した。77歳での初出場は史上最年長、デビュー60年での初出場も史上最長記録である。歴代出場者全体の年齢から見ても、第40回(1989年)に満78歳で出場した藤山一郎に次ぐ歴代2位[4]であるなど、様々な話題を呼ぶものであるが、美輪本人は「この歌がヒットした50年前にも紅白出演のオファーがあったが、歌唱時間の問題で辞退した」と回想している(当時の紅白では歌手1人につき3分以内という時間制限が設けられており、この歌も大幅に歌詞を省略して歌うことをNHKから求められたが、美輪本人はあくまでも歌詞の省略はできないと主張し、当時のオファーを辞退せざるを得なかったという)[5]。」がある。

家の基礎の地固めをする装置を、子供の頃「ヨイトマケ」と言ったか覚えていないが、遊びの中で「かあちゃんのためなら、えんや~こら」とか言った記憶はある。「ヨイトマケ」に関しては、以下の記事に書いた。

「ヨイトマケの記憶(http://af06.kazelog.jp/itoshikimono/2008/11/post-4fdb.html)(2008/11/9)」。「読みかじりの記:「ああ 正負の法則」 美輪明宏 著 (2002年 株式会社パルコ エンタテイメント事業局 出版担当)(http://af06.kazelog.jp/itoshikimono/2011/12/2002-9f3b.html)(2011/12/25)」

「読みかじりの記:「胎児の世界 人類の生命記憶」 三木成夫 著 (1983年 中央公論新社)(http://af06.kazelog.jp/itoshikimono/2011/12/1983-52fc.html)(2011/12/14)」個人の記憶、人類の記憶、生命の記憶底には失われた連鎖がある。

報道やメディア、更には行政までも、人権や差別に関する言葉の使い方に注意が払われている。2012年NHKの紅白歌合戦に「ヨイトマケの唄」が流れたのは、新しい時代の夜明けをを告げているのか。YOUTUBE「ヨイトマケの唄(http://www.youtube.com/watch?v=sxHf7xW12xg&hl=ja&gl=JP)」

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追記(2017/12/04):記事整形、過去BLOG再読、印象・コメント等
タイトルを変更して、再読。YOUTUBE動画へのリンクは
ZZZ2_YOUTUBEで懐メロ鑑賞
動画の中からからコピペ。BLOG ED進歩したのか記事内動画再生になった。

2012年12月31日 (月)

寝言老人が幼少の頃:正月の餅つき

2012年12月31日月曜日
昨日は曇り夜一時雨。最高気温(℃) 10.7 21:55。ざっそう句:餅つきの 音の彼方に 父の声。恒例の餅つき。天気予報では雨。今年は小雨決行で、臼は楠の下に置く。パラパラと降ったが支障無く終了。今年は総勢7名。餅つき中に縄飾り数本を作成。屋敷神と玄関先に飾って正月の準備は何とか出来た。

2012年12月30日の天気(AMEDAS)

TAVE= 7.0
TMAX= 10 最高気温(℃) 10.7 21:55 
TMIN= 5.4 最低気温(℃) 5.1 06:45 
DIFF= 4.6
WMAX= 7.4 最大瞬間風速(m/s)(風向(16方位)) 15.4(北西) 21:52 
SUNS= 0
RAIN= 6

Q
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寝言老人が幼少の頃:正月の餅つき

昔は、色々な機会に餅が使われた。餅は保存食でもあり貴重品でもあった。農家は自家用に餅米を作った。日本の農業も時代の流れで大きく変化したが、米、野菜、畜産という骨格部分の変化は少ないだろう。規模は小さいが、乳牛、養豚等も行った。昔は乳価も高く、規模は小さくても何とか生活設計ができる収入が確保できたと最近聞いた。

現在は、畜産と言っても、輸入飼料の比重が高く、小規模畜産は不可能な状態だろう。父は、機械化が進んだ頃、稲作を止めて、田圃でネギやタマネギ等を作っていた。時代の変化を少し先取りしていたようだ。今まで、頑張って稲作を続けた農家も、後継者が確保できず、田圃を農業法人に貸すことにしたという話も聞くようになった。

我が家では、父の代から、餅米は購入を始めたが、餅つきだけは何とか続けている。餅つきも年中行事として、その意味を考えると興味深い。餅つき要員も年々変わっている。今年は息子の友人が助っ人をしてくれた。餅つきも共同作業だ。「老人の寝言(出番無きマニュアル):防災対策に電池と行動の「蓄備」(2012年11月12日月曜日)(http://af06.kazelog.jp/itoshikimono/2012/11/post-cb7a.html)」記事に書いた電気工事等々を念頭に、餅つきの極意を伝授した。曰く、お互いに声を掛け合うべし。米粒が見えなくなるまで良くこねろ。若い連中は、会社もコネが8割だと笑っていた。若者同士が二人で餅をつくと、力業になり、交互につくというタイミングがずれて、相手の杵を打ったりすることもある。最悪は、餅の天地返しをするご婦人の頭を杵で叩く危険もある。コネ作業の実演をして後は任せた。見方によれば餅つきは世代間コミュニケーション手段でもあろう。

今年の縄飾りは、貰い物の新藁。最近の稲は倒伏防止のため茎が短い。鎌で葉をくしけずり、水に浸け木槌で叩いて柔らかくしてから縄に綯う。最近綯う向きは左と聞いたが、普通の縄と同じだ。飾り物としては、松の小枝とキンカンの実と半紙一切れ。身近にある物で良いと思う。息子に縄飾りを屋敷神供えさせた。玄関は作者直々。余った一本は助っ人に渡した。機嫌良く持ち帰ってくれた。以下は母が残した短歌:年の瀬の 稲荷祭りの 赤飯を 孫が上げにゆく 行事覚えよ。稲荷祭りはしなかたようだ。

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    刃物という視点で多くの事例が取り上げられている。刃のある道具の理解にも役立つ。類書が少なく貴重な一冊。「すべり変形が切断の原理」という考え方で説明している。
  • 沼田 真   : 植物たちの生( 1972年 岩波新書(青版 833))
    「ご要望にお応えしてアンコール復刊(1988年岩波新書50年記念復刊) 地球生態系の中で自然を見直す」(腰巻きのフレーズ)。植物の知恵と戦略に人類は勝てるのか。
  • 出町 誠: 14_NHK趣味の園芸:よく分かる栽培12ヶ月  カキ(NHK出版2007年)
    初心者向け柿栽培参考書(新版)。旧版と比較すると楽しい。
  • 中村三夫: 13_NHK趣味の園芸:作業12ヶ月  カキ(NHK出版1996年)
    初心者向け柿栽培参考書(旧版)。新版と比較すると楽しい。
  • 山科正平: 12_細胞を読む   電子顕微鏡で見る生命の姿
    細胞はどんな部品からできているのか。そんな疑問に答えてくれる一冊。何事も形を見るのが第一歩。μからÅオーダーの世界で、細胞をメスで解剖するように、電子顕微鏡というメスで解剖して見せてくれるので興味が尽きない。
  • 柳田充弘: 11_細胞から生命が見える
    著者の専門は分子生物学、細胞生物学。普段生物を考えても細胞レベルで止まってしまう。その細胞の中で色々な分子が働いている。細胞こそ生命の基礎だが、その細胞の中の動きを知るのに最適な一冊。疑問の発端はなぜ発根剤が効くのかということ。薬剤が細胞膜を通過して細胞内で分子と分子が作用するイメージができた。本書でできた細胞のイメージは小さな無数の穴が空いた水分が充満したヨーヨーのようなもの。そのヨーヨーの中に分子部品が詰まっている。細胞自体もタライの中のヨーヨーのように浮かんでいる。細胞図面の空白部は真空でなく水分だ。細胞の内外に水がないと細胞は生きられない。水が生命のゆりかごだ!
  • 野口悠紀雄: 10_ホームページにオフィスを作る(2001年 光文社)
    ITが輝いた時代の作品。HPの活用法は参考になる。参考:url=http://www.noguchi.co.jp/(野口悠紀雄 ONLINE)
  • 小池洋男 編著: 09_果樹の接ぎ木・さし木・とり木(農文協:2007/3/31第1刷)
    やや専門的であるが、実務専門化が分担執筆しており、その場で役に立つ一冊。
  • ノーバート・ウィーナー(鎮目恭夫訳): 08_サイバネティックスはいかにして生まれたか(みすず書房1956)
    情報と通信という現代社会に不可欠の基礎的な学問を作った著者の自伝とそれを通した科学史
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    2010/8/4:MEMO等の表示に使える。 農作業で気になる自戒の言葉 ■畑の石ころはいつまで経ってもても石ころ(早く拾って片づけよという意味か)。 ■同じ石を二度拾うな(やってみると難しい)。 ■手ぶらで歩くな。 ■三つ先のことを読め。 ■適当な観察。 ■空を見よ(気分転換、休憩、天気を読む、腰曲がり防止)