04B_学生時代追想

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2008年12月31日 (水)

「大地」を読む

2008/12/31

「大地」を読む

昨日は恒例の餅つきを行い、何とか正月を迎える準備が一歩進んだ。ぽっかり空いた自由

時間に読書ができるのは、最高の贅沢かもしれない。「高山彦九郎の実像」を拾い読み。

中学校を卒業し、高校に入学するまでの短い期間は、何のとらわれもない自由な時間があっ

たように思える。そんな時に、叔父さんに勧められた小説が「大地」であった。女流作家、パ

ール・バックが中国を舞台に書いた小説であった。今では、その主人公がワンルンといった

位しか覚えていない。当時の年齢でこの小説を十分に理解できたか何とも言えない。ともか

く、分厚い本を読み通しただけで何となく充実感があった。それで、叔父さんが高校生になる

自分に勧めた理由を今となって考えている。叔父さんも「大地」を読んで感動したのだろう

か。おじさんも若い時があったのだからと。ともかく、同じ小説を読んだという体験を共有する

ことにも何らかの意味があると思う。

2008年12月22日 (月)

スーパーカブに乗る

2008/12/22

スーパーカブに乗る

スーパーカブに乗った記憶があるのは、自分の手の甲に古傷の痕が残っているおかげであ

る。誰に借りたのか覚えていないが、乗っても良いと言われたのを幸いに乗り出した直後に

板塀に手をこすりつけて傷を作ってしまった。どうも、ハンドルの形が自転車と違うのも事故

の一因であったかもしれない。

WIKIPEDIAによると、

「1958年(昭和33年)発売のスーパーカブがその低価格と高性能により3年あまりで生産台数100万台を突破した時代であり、両社ともに続く製品をスクーター市場に投入することはなかった。」

ともかく、ちょっと乗ってみたが自爆で終わった。大した怪我でなかっただけ幸いであった。自

転車にエンジンを付けただけのBSより洗練された原付二輪車であった。小中学生の頃なの

で多分無免許運転であった筈だ。自動車の免許をとったのは大学卒業前で、しばらくペーパ

ードライバーのままであった。就職後の通勤は電車であった。まだ一般庶民が自動車を買え

る時代ではなかった。

2008年12月19日 (金)

リンゴ箱の机

2008/12/19

リンゴ箱の机

勉強の基本道具といえば机と椅子である。いまでも、家具屋やホームセンターに行くと机や

椅子を見たくなる。中学生頃になりようやく既製品の木製の机と椅子を買ってもらった。その

前は手作りの机と腰掛けを椅子に代用していた。更にその前はちゃぶ台の片隅程度であっ

た。あの、藁葺きの家を改築する時は別棟の蚕屋に仮住まいした。終戦直後は蚕屋に疎開

してきた人がしばらく住んだとの事だ。当時はまだ蚕屋は機能しており、戸や障子があったの

で、仮住まいの生活は何とかなった。この頃は、リンゴ箱に新聞紙をしいたものを机としてい

た。昔の事でリンゴ箱を机として使うのは極一般的であったかもしれない。しかし、自分が勉

強するためのスペースを確保することを始めたと言う点でリンゴ箱の机というものは意味が

あるのであろ。当然、子供達には椅子や机を買い与えたが、結局自分の勉強の為に新品の

椅子や机を買う機会を失った。立派な机や椅子を店頭でみると足が止まるのも理由がない

わけではないようだ。

2008年12月12日 (金)

ブラジルの友との再会

2008/12/12

ブラジルの友との再会

小学校4年生の時に友達の一家はブラジルに移住した。もう二度と会えないだろう。担任の

先生は学級全員の生徒に作文を書かせて文集にして友達に託した。当時の事でガリ版刷り

であった。団塊の世代で一学級の人数も50名程度いたろう。鉄筆を握りろう紙に全員の作

文を刻み、インクを塗布したローラーで一枚一枚印刷をする。今思うと、教え子の為に大変な

努力をして頂いたことに頭が下がる。自分はいつかこの文集を開いたとき手紙をくれと住所

を書いておいた。それから十数年後、文集のことも忘れかけていた時に友達から結婚したと

の手紙を受け取った。本当にびっくりした。その後、ポツポツと文通したがまた途絶えた。

そんなある日、その友達から電話をもらった。日本で働いているとの事で、エエッと絶句し

た。親戚の家にお客に来るというので、その機会を捉えて再会を果たした。文通開始から更

に十数年経っていた。青年期の息子さんも一緒だった。今後、何をしたいかと聞いたら技術

の勉強をしたいと答えた。それならと、嶋正利著「マイクロコンピュータの誕生 我が青春の

4004」という本を書棚から取りだして息子さんに渡した。自分が感銘して書棚の一等席に並

べていた本である。息子さんはブラジルでは日系三世となる。もうその息子さんにも子供が産

まれている頃かも知れない。ともかく半世紀も前に担任の先生が作ってくれた文集がきっか

けで得難い体験をさせていただいた。これも縁というものか。改めて先生に感謝したい。

2008年12月10日 (水)

考えることは自由だ

2008/12/10

考えることは自由だ

大学に入って本当に学んだことは何であったろうかと思うことがある。大学では学園闘争が

巻きあがっていた。立て看板、ビラ、デモ、シュプレヒコール、アジ演説等当時の光景が思い

出される。学生運動家が言っていることも一理ある。むしろ、勉強もせず、あれほど自由に活

動できることをうらやんだ程だ。百姓の親父が一所懸命働いて学資を出している。兄弟姉妹

も多い。奨学金も貸与を受けている。台風で被害を受けた時は授業料の免除も受けた。親

や世間に申し訳がないという負い目がいつもあった。また、百姓のせがれが大学で学べるの

は千載一遇の機会のように思えた。この勉学の機会は有効に使わなければならないと思

い、専門以外にも色々手を出した。そんな中で出会った言葉が"Die Gedanken sind

frei" ("Thoughts are free") という言葉であった。WIKIPEDIAによるとドイツの歌のようだ。

一つの事柄も上下左右360度の角度から見ることができる。

何事も自由に考えることができるということに気付く事が大切だ。

「考えることは自由だ」という言葉は大学に最もふさわしい言葉であったかもしれない。当然

行動の自由も大切である。しかし、考えることは行動の種である。行動の種がなければ、行

動自体もおぼつかなくなる。もう一つこの言葉に関する事柄に「反アパルトヘイトの闘士」であ

るネルソン・マンデラ氏の投獄がある。何十年の投獄に耐え自分の信念を貫く根源は何かと

いう問いである。ネルソン・マンデラ氏は自分が学生時代に既に投獄されていたのである。

まさに、ネルソン・マンデラ氏も狭い牢獄の中にあっても、「考えることは自由だ」という真理に

基づき、その狭い牢獄さえも超越したのではないかと思ったのである。

当時の学生運動家もノンポリの一般学生も人生の四住期の林住期を迎える。

過去のしがらみを超えてもう一度自由に考える機会を取り戻したい。

2008年12月 9日 (火)

巨人の肩に乗った小人

2008/12/9

巨人の肩に乗った小人

米国の超優良企業にマイクロソフトがある。この会社がなぜ超一流の会社になったのかはコ

ンピューターの歴史を辿ることによりはっきりすることであろう。社名のなかにあるマイクロと

は極微の意味を持つ。長さで言えば我々が日常扱う長さはせいぜいミリメートル程度であ

る。1マイクロメートルとは1ミクロロンの事で1ミリメートルの千分の一であり、もはや肉眼で

は識別できない大きさである。マイクロソフトが出来る前に、コンピュータの世界ではIBMとい

う巨人がいた。この巨人の前にはマイクロソフトは本当に取るに足りない小さなベンチャー企

業であった。我々がパソコンでDOSを使い始める前にはCP/MとかMSXとかのOSが使われ

ていた。ところが、いつしかこのマイクロソフトが巨人に変身していた。

学生時代、ニュートンが言ったという巨人のたとえ話を聞いたことを覚えている。ニュートンが

科学の大家と認められてから自分の業績を控えめに述べたことばのようだ。それが、「巨人

の肩に乗った小人」の例えであった。

“If I have seen a little further it is by standing on the shoulders of giants”

ニュートンがフックへ宛てた手紙の一節であったようだ (1676)。

「もし、私がちょっと遠くを見渡せたとすれば、それは巨人の肩にのっていたことによるの

だ。」

ニュートンは自分の足がどこに立っているかを示したわけである。言い換えれば決して一人

では為しえない大きな知識や科学上の基盤があってこその業績でり、その基盤の重要性を

語っている。我々は、足元の基盤が先人達が大変な苦労をして築きあげたことを忘れがちで

ある。しかし、その巨人の肩に乗り、背伸びをしても遠くを見ようとするのはやはり天才のワ

ザなのだろうか。マイクロソフトの ビル・ゲイツは高校生の時に、学校のミニコンピュータの

PDP-10 のタイムシェアリングサービスでコンピュータに初めて触れたのだそうだ。一体 ビ

ル・ゲイツに対してこのコンピュータはどんな役割を果たしたのだろうか。また、ビル・ゲイツ

はマイクロソフトを引退して自分の作った財団の運営にあたるという。巨人もしっかりした足

元がないと立てない。

2008年12月 5日 (金)

灯火親しむ人の姿

2008/12/5

灯火親しむ人の姿

日が短くなると灯火が恋しくなる。ガス灯が明治初年頃、電灯が明治末から大正の初年頃に

使用され始めている。電灯が無い時の照明は、行灯やランプだったのだろう。行灯の燃料と

してはいわしから採った安価な魚油が広く使われていたようだ。煤の少ない菜種油は高価だ

たらしい。ともかく百年前はそういう時代であった。戦後の家電時代が到来する以前は電気と

言えば電灯の利用がほとんどであったろう。夕方になると各家庭に電灯の光がともってゆく。

そうして深夜になるに従って電灯の光が消えて行く。これが電気が大切であった時代の光景

であった。深夜になってもポツンと電灯が点いている窓辺を見ると、灯火親しむ人の姿が思

い浮かんでくる。きっと真剣に読書や勉強にいそしんでいるのではないかと思いを馳せ、他

山の石にしようと感じる。今日では灯火が余りにも軽いものになってしまっている。もう一度

灯火親しむ頃の感覚を取り戻したいものである。ある日のお茶時の雑談で伯母さん達が勉

強の時に使ったのはランプだったと聞いたよという話があった。ランプの火屋にたまった煤を

落とすと明るくなった。これも当時の子供の仕事であったらしい。

2008年12月 1日 (月)

ドイツ語学の権威 関口存男(せきぐち つぎお)の本。081201。

2008/12/1

ドイツ語学の権威 関口存男の本

大学では一般教養で外国語の単位を取る必要がある。英語は中学校、高校でうんざりして

いたので、それ以外の語学を学ぶ事にした。ドイツ語、フランス語、ロシア語に初めて手をつ

けた。もう、ほとんど忘れてしまった。ドイツ語だけは教科書以外にポケットマネーを叩いて

参考書を買った。その著者が関口存男であった。やや厚手の三刊巻本であったと思う。

唯一覚えている(うろ覚えかも知れない)のは、「Der Mann ist was er ißt.」という単文である。

ドイツ語と言うより「ひとはたべるところのもの」と「Mann ist was er ißt」という音のつながりが

記憶に残っているだけである。しかし、最近になって明らかになった習慣病の発症原因を考

えると「ひとはたべるところのもの」という単文が妙に真実に迫ってくる。「Der Mann ist was

er ißt.」という語句はいつしか自分の生活哲学になっていたようだ。

「関口存男のファウスト翻訳」(柴田 明子氏)という著作に「ドイツ語学の権威であり、外国語

教育者であり、新劇活動の実践者でもあった、関口存男(せきぐち つぎお 1894―1958〔明

治 27年-昭和 33年〕)というひとりの天才による翻訳である。」として関口存男の絶妙な翻

訳が紹介されていた。

「Der Mann ist was er ißt.」という文はドイツ語の単なる文法例文だけではなく、警句の意味

も含まれ、更に韻を踏んでいてなかなかしゃれた単文ではある。俳句や川柳にも通じる気も

する。著者名も「関口存男ありお」とか生半可に覚えていたにすぎない。関口存男がドイツ語

の巨人であったと知って、今更あの本は単なる参考書では無かったんだと思った次第であ

る。自分も普通の参考書からはみ出していた所を読んでいたようだ。これも本を通した出会

だったのかもしれない。

2008年11月16日 (日)

無線へのあこがれ

2008/11/16

無線へのあこがれ

小学生の時鉱石ラジオを作り電波の不思議にめぐりあった。中学生になって放送部か科学

部か何かに入って、ラジオを改造したような小型送信機を作り微弱な電波を出したりした。と

もかく、なにも無い空間を電波が伝わり通信ができることが分かり、もっと本格的に電波を出

したいと思うようになった。当時、地域にアマチュア無線局を開局していた人は何人かいたよ

うだが、中学生なので面識もない。アマチュア無線の知識もCQ誌という無線雑誌から得てい

たのだと思う。開局するには無線機が必要だが、その操作のためにアマチュア無線技師の

資格が無ければならない。国家試験なので受験地は東京である。東京など行ったことはな

い。ともかく無線への熱が高じてきて、友達と相談して一緒に受験しようという事になった。母

のおじさんが戦前東京で生活していたことがあったので、東京まで引率して頂いた。受験地

は東京中野の無線学校であった。初めて行った学校で勝手がわからない。ようやく受験の教

室が見つかり入室した。試験は午前の部と午後の部があった。自分たちは午後の部であっ

たが、午前の部の方に入室してしまった。試験の公正を保つため結局退室は許されず、そ

のまま午前の部を受験する事になった。電話級の試験なので学科だけであったと思う。とも

かく、受験は済んだが、さい先が悪く、良い予感がしなかった。結果もその通りになった。丁

度、高校進学を真剣に考えねばならない時期にさしかかり、父の青空大学とは別の分野へ

進もうと考えてきたので、アマチュア無線技師の国家試験の不合格を契機として受験勉強に

集中するようになった。今から思うと、大した準備もせずに国家試験を受けたのは無謀であ

ったかもしれない。しかし、オームの法則、電波法など自主的に色々な勉強をして、目的に向

かってチャレンジをするという良い経験が出来たと思う。友人も自分も結局、電気関係の道を

歩むことになった。

2008年11月 3日 (月)

青空大学

2008/11/3

青空大学

敗戦という厳粛な事実から戦後の日本は歩みだした。小学四学年の時に友達の一家がブラ

ジルに移民して行った。農家に生まれて、農業の将来と自分の進路は幼いながら気になって

いた。日本の農業も大規模経営でないと成り立たなくなるという話をラジオで聞いたことも覚

えている。ブラジル移民も広大な農地という大きな夢があったのだろう。ともかく、小学校高学

年から中学校の前半頃は進路の悩みもあまりなかった。しかし、自分の進路を具体的に決

める段になると悩み事も多くなった。父はある時、冗談に「どうだ、青空大学に入ったら」と言

った。正面から言えないが農業を継ぐ気かという問いかけであった。青空大学に入ると決め

たなら、農業高校への進学ということになる。自分が青空大学に入る気がない事を察してか

らは、青空大学の話は二度と無かった。父も学問への志はあったが、戦争と家族の状況が

それを許さなかった。今となっては父の心中を聞くこともかなわない。

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嗚呼 伊勢崎 非情

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  • 橋本 英文: 刃物雑学事典 図解・刃物のすべて(1986年 株式会社 講談社 ブルーバックス B-659)
    刃物という視点で多くの事例が取り上げられている。刃のある道具の理解にも役立つ。類書が少なく貴重な一冊。「すべり変形が切断の原理」という考え方で説明している。
  • 沼田 真   : 植物たちの生( 1972年 岩波新書(青版 833))
    「ご要望にお応えしてアンコール復刊(1988年岩波新書50年記念復刊) 地球生態系の中で自然を見直す」(腰巻きのフレーズ)。植物の知恵と戦略に人類は勝てるのか。
  • 出町 誠: 14_NHK趣味の園芸:よく分かる栽培12ヶ月  カキ(NHK出版2007年)
    初心者向け柿栽培参考書(新版)。旧版と比較すると楽しい。
  • 中村三夫: 13_NHK趣味の園芸:作業12ヶ月  カキ(NHK出版1996年)
    初心者向け柿栽培参考書(旧版)。新版と比較すると楽しい。
  • 山科正平: 12_細胞を読む   電子顕微鏡で見る生命の姿
    細胞はどんな部品からできているのか。そんな疑問に答えてくれる一冊。何事も形を見るのが第一歩。μからÅオーダーの世界で、細胞をメスで解剖するように、電子顕微鏡というメスで解剖して見せてくれるので興味が尽きない。
  • 柳田充弘: 11_細胞から生命が見える
    著者の専門は分子生物学、細胞生物学。普段生物を考えても細胞レベルで止まってしまう。その細胞の中で色々な分子が働いている。細胞こそ生命の基礎だが、その細胞の中の動きを知るのに最適な一冊。疑問の発端はなぜ発根剤が効くのかということ。薬剤が細胞膜を通過して細胞内で分子と分子が作用するイメージができた。本書でできた細胞のイメージは小さな無数の穴が空いた水分が充満したヨーヨーのようなもの。そのヨーヨーの中に分子部品が詰まっている。細胞自体もタライの中のヨーヨーのように浮かんでいる。細胞図面の空白部は真空でなく水分だ。細胞の内外に水がないと細胞は生きられない。水が生命のゆりかごだ!
  • 野口悠紀雄: 10_ホームページにオフィスを作る(2001年 光文社)
    ITが輝いた時代の作品。HPの活用法は参考になる。参考:url=http://www.noguchi.co.jp/(野口悠紀雄 ONLINE)
  • 小池洋男 編著: 09_果樹の接ぎ木・さし木・とり木(農文協:2007/3/31第1刷)
    やや専門的であるが、実務専門化が分担執筆しており、その場で役に立つ一冊。
  • ノーバート・ウィーナー(鎮目恭夫訳): 08_サイバネティックスはいかにして生まれたか(みすず書房1956)
    情報と通信という現代社会に不可欠の基礎的な学問を作った著者の自伝とそれを通した科学史
  • 沼田 真(編): 07_雑草の科学(研成社1979)
    雑草を多面的に解説し防除の基礎も述べる

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    2010/8/4:MEMO等の表示に使える。 農作業で気になる自戒の言葉 ■畑の石ころはいつまで経ってもても石ころ(早く拾って片づけよという意味か)。 ■同じ石を二度拾うな(やってみると難しい)。 ■手ぶらで歩くな。 ■三つ先のことを読め。 ■適当な観察。 ■空を見よ(気分転換、休憩、天気を読む、腰曲がり防止)