04B_学生時代追想

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2009年4月 7日 (火)

卒研とインスタントラーメン

2009/4/7

卒研とインスタントラーメン

ぎしぎしと鳴る板張りの一階の研究室から新築成った鉄筋の高層ビルに移動した。そこで数

名の卒研生が卒研に励んだ。相部屋なので風通しは良くて同僚の研究の様子も分かった。

ワイヤーメモリー、バラクターによる分周、エサキダイオードによるインバータの研究等が行

われていた。今、振り返るとこれらのテーマには非線形デバイスという共通する要素があった

ようだ。そういえば、非線形方程式を数値解析をするために数学の洋書で輪講をしたような

記憶もある。昼食は余り気にならなかったので学食で済ませたのであろう。研究が追い込み

に入ると夜食が恋しくなる。当時はコンビニ等はなく、密かに持ち込んだインスタントラーメン

で空腹をしのいだ。熱湯だけは準備室で使えた。当時は学生運動が盛んな時期であった

が、卒研生はいわゆるノンポリで卒研に集中した。そういう不安定な社会状況にあったが卒

研を通して実社会における研究開発の基礎は修得できた。残念な事ではあるが卒業式らし

い卒業式ができなかった。多分、そんな卒業式を強行すれば大きな混乱を招くと懸念したた

めの決定であったと思う。

2009年3月12日 (木)

長持ちしている自転車

2009/3/12

長持ちしている自転車

高校の通学用に本格的な自転車を買ってもらった。その自転車を通勤にも使用した。その

後、自動車通勤になったが、小用にその自転車を使ってきた。あるとき、盗難に遭ったが運

が良く交番から電話があり、自分の所に戻ってきた。タイヤやチューブは自分で交換して今

日に至っている。この間、自動車は数回乗り換えている。改めて自転車が長寿命である事に

感心する。その一因としてタイヤやチューブが規格化されており、補修部品も供給されている

ためであろう。物品の長寿を保つには常時大切に使いメンテナンスを怠らないことが大切

で、これは人間の寿命にも通じるようだ。

2009年2月22日 (日)

初期のステレオ放送

2009/2/22

初期のステレオ放送

かってはステレオレコードの鑑賞が趣味である人が多かった。金も結構かかった。手軽にス

テレオを楽しむためか、1950年代から1960年代にかけてNHK第一と第二の電波を使ってス

テレオ放送が行われていた。ラジオ受信機が2台必要になる。一度聞いてみようと試してみ

たようなかすかな記憶がある。その後AM電波を多重化するAMステレオが話題になった事

があった。結局、現在まで十分普及・定着しないままであるようだ。電波を多重化して送れる

情報を増やしてもそれに対して支払うコストが高すぎるのが主因であろう。音が来る方向を特

定することは野生の動物にとっては死活問題である。捕食者が来る方向から必死に遠ざか

らなければ食べられてしまう。もはや、人間が聞き耳を立てるというような言葉は死語になっ

てしまったのであろうか。ステレオ音声も立体画像も臨場感を味わう為には不可欠な技術で

あるが、コストの壁をうち破るのは大変だ。むしろ、実際の目の前の世界で自分の感覚を意

識して鍛え直す方が先なのかもしれない。

2009年2月13日 (金)

挫折した運動クラブ

2009/2/13

挫折した運動クラブ

中学生になるとクラブ活動があった。運動クラブの中で、自分もできそうだと思い卓球部に入

部した。同時に入部しても、卓球台で練習できる者もいれば、スウィングと兎跳びしかさせて

もらえない者もいた。自分は後者であった。これが差別であったのか、いじめであったのか、

本人を見た配慮であったのか今となっては定かでない。しかし、スポーツとしてのフェアさを感

じる事はなかった。そうして、程なく部活を止めてしまった。スポーツ種目にはその種目独自

のルールがある。しかし、クラブとかいう人間の集団になると種目ルール以外に集団のルー

ルが発生する。そうして、集団のルールがフェアかどうかとか集団が有効に機能するかとか

色々な側面が生まれる。やる気の無い者は早々に脱落してもらった方が良いのかもしれな

い。結局、自分は集団から落ちこぼれたのかもしれないし、その集団を見限ったのかもしれ

ない。ともかく、無駄で苦痛な時を過ごすことが無かったと考えればそれでよかったのかもし

れない。今、考えるとドッチボールは何とか人並みにできた。野球、ソフトボール、サッカー、

ゴルフ等は苦手であった。陸上では短距離はだめで長距離は人並み。要するに、瞬発と集

中、小さなボール、早い動き、チームプレー、人付き合い等が自分の性分に合わなかったよ

うだ。どうも人に煩わされずにぼちぼちやるのが自分の性に合っているようだ。

2009年2月11日 (水)

人工衛星に乗ったライカ犬

2009/2/11

人工衛星に乗ったライカ犬

ライカ犬を乗せたスプートニク2号が打ち上げられたのは、スプートニク1号の打上げの1ヶ月

後である1957年11月3日であった。この犬の写真を学校の掲示板に貼られた科学ニュース

新聞で見た記憶がある。1号と2号がこれほど接近していたとは思わなかった。ともかく、誰も

実現できないことを初めて行えば世界初である。人間が宇宙に出るまで、他の生物で色々実

験が行われていた訳である。犬を使った実験で有名なのはパブロフの行った条件反射の実

験であろう。ライカ犬を人工衛星に乗せるに際して特別な訓練をしたのであろうか。ライカ犬

は最初に宇宙に出た生物であったが、片道切符しか与えられていなかったようだ。スプート

ニク自体は弾道ミサイルという宇宙兵器という背景があったようだ。1949年08月29日、ソ連

はカザフスタンのセミパラチンスクで初の原爆実験を行った。人工衛星に原爆を積んで飛ば

すことができるという事の証明は軍事力の誇示にも通じる。少年であった頃は冷厳な国際政

治まで考えは及んでいなかった。原爆も人工衛星も科学と技術の基礎の上に成立する。特

定の国家がこれを独占できるという特権が無いのは明確な事実である。原爆もゆっくりと核

反応を制御してやれば原子力平和利用に通じる。科学技術は戦争と平和という諸刃の刃

であるようだ。今原爆を積んだ人工衛星が密かに地球を回っているのであろうか。

2009年1月26日 (月)

お忍びの京都行き

2009/1/26

お忍びの京都行き

高校時代の記憶はどういうわけか余りない。大学受験という目先の事で頭が一杯で、そのた

めに行動も束縛されていたのであろか。そんな中で、修学旅行は日常の束縛から解放され

る良い機会であった。会社に入って関西方面の同僚に聞いたら、旅行は東京方面であった。

関東の学生と逆方向でだが同じような体験をしていたかもしれない。二泊三日の旅程で大阪

に宿泊したとき、数名の友達と京阪に乗り京都までお忍びででかけた。予定の中の自由行動

とは異なり、無断外出には違いなかった。唯一の収穫は店のおばさんの柔らかな京都弁を

聞くことができたことであった。これが、お店のお嬢さんならば胸はワクワクして記憶は鮮明

に残っていたかもしれない。ところが、店のおじさんも同じような京都弁をしゃべったので愕然

としてしまった。ともかく予定外の行動で羽を伸ばし、小さな冒険のスリルを味わい、お咎めも

なかった事で少し大人らしい自信をつけたのも事実である。

2009年1月15日 (木)

INVISIBLE MAN

20009/1/15

INVISIBLE MAN

もうじきOBAMA大統領が誕生する。アメリカの歴史が大きく変わろうとしている。アメリカとい

う大きなるつぼの中で沸々と煮えたぎっているのは何か。大学の英語の講義の教科書が

INVISIBLE MANという小説であった。タイトルは辛うじて思い出したのだが、中身の詳細は

ほとんど覚えていない。何か、暗い、陰鬱なイメージのみが残っていた。辞書にも載っていな

いスラングが多く出てきた。どうして、こんな内容の小説を教材に使うのかとも思った。しか

し、本当の文学とはこういうものかとも思った。黒人が自分の存在を訴え叫んでいることは伝

わってきた。「INVISIBLE MAN」を素直に訳せば「見えない人間」ということであろう。正式な

題名は「Invisible Man 」のようだ。タイトルに著者の思いが込められている。末尾の文献で記

憶を新たにしつつ、当時の事を振り返えった。本は薄く小さなものだった。しかし、進むのは

遅かったように思う。難解であった。最後まで終わったのかも定かでない。本が出版されて1

0数年後のことなので当時から見れば新しい現代黒人文学であったろう。先生がこの作品を

工学部の英語の講義テキストに選んだのもそれなりの判断があったのだろうと今になって思

う。それこそ、人間はパンのみに生きるにあらずという箴言に通じるところもあったろう。君た

ちがこういう作品に二度と出会うことはないかもしれない。今になって先生の気持ちを推察す

る。先生自身はこの作品の意義をもっと深いところで理解していたことでろう。「Invisible

Man 」は白人から見れば自分たちは見えない人間に過ぎないが、そのような人種差別を見

えない人間である自分を通して表現して行く作品であったようだ。今日アメリカの歴史は意外

に早く回転し始めたように感じられる。あの大きなるつぼから発酵して生み出されてくるもの

は何か。受験英語で疲れ果てお義理で受講した英語の講義であった。気合いが入っていな

かったのがよかったのか。先生も生徒に余り期待することがなかったのがよかったのか。

「Invisible Man 」に遭遇し、その記憶がよみがえった。今まさに、「Invisible Man 」が

「Visible Man 」に変身しつつあるのであろうか。

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総合政策研究(Journal of Policy Studies)No.18 総合政策学部開設10周年記念号

マーク N. ベル Mark N. Bell
関西学院大学 総合政策学部 外国人常勤講師 (2004年11月1日現在)
Associate Lecturer of English, School of Policy Studies, Kwansei Gakuin University (as of November 1, 2004)

Title Racism and Redemption(解放): Wisdom from Invisible Man 
Abstract

Invisible Man (1952), by the African-American writer Ralph Ellison (1914-1994), is one of the most remarkable novels of the twentieth century. Ellison, by giving us an aesthetic (審美的な)vision of America’s misadventure (不運、災難)in race relations, opens us up to see it in a new way and perhaps to consider more deeply some of its more difficult realities, the wholesale (大規模)subjugation(征服) of an entire group who arrived with some of the first settlers to Jamestown, Virginia (early seventeenth century). Through Ellison’s aesthetic we can also see more clearly some of the sources of racism.

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2009年1月10日 (土)

赤点のトランジスタの講義

2009/1/10

赤点のトランジスタの講義

電気製品を作るとき色々な部品を使う。その中で、電気が通る部品を特に電気部品という。

ところが、電気現象が電子の動きによる事が分かって来たので究極的には電子の動きから

電気現象が説明されることになる。電子が動き回って色々な仕事をするわけだ。その動き回

る道路網が電子回路ということになる。電流、電圧、電界、磁界というような概念で構成され

るような学問の分野が電気工学であり、電子の動きをうまく使っていこうとする学問が電子工

学である。自分が工学の中で、電気工学科を選んだのは、電気に興味があったことに加え

て、これなら飯を食っていけるのではないかという期待もあった。ところが、戦後になって世の

中が大きく動いた。情報化時代の到来と言って良いであろう。これを支えたのが、電気部品

ならぬ、電子部品のトランジスタであったのである。この講義を担当されたのがA教授という

ユニークな先生であった。講義の本題以外にも色々な話をしてくれた。ついつい、自分も本題

以外の方に関心が移り、トランジスタの講義の成績が芳しくなく、追試を受けるはめになって

しまった。自分としては、就職した場合は、モーターや冷蔵庫の類の、即ち専攻の電気工学

が対象とする分野の仕事をすることになるだろうと漠然と考えていた。ところが、就職して配

属されたのがトランジスタ等の部品を製造する半導体部門であった。電気工学科を卒業した

が、卒業研究はエサキダイオードの応用に関するものであり、この研究室は後の電子工学

科の前身となった。エサキダイオードはトンネルダイオードとも言われ、量子物理学のトンネ

ル現象の存在を直接証明した電子デバイスであり、発明者の江崎玲於奈博士はノーベル物

理学賞を受けた。エサキダイオードは電子の動きがトンネル現象に従って起こるという当時

の常識では説明できない不思議な特性をもっていた。いわゆる、駱駝のコブという負性抵抗

をもつ特性曲線も卒研で自分で測定した。しかし、その特性は完全に理論的に説明された製

品の特性であった。問題は玉石混交の実験室の現場で本物を発見する事である。江崎博士

は試作したダイオードの特性を助手にさせたのだが、「もしや?!」というひらめきが無かっ

たらノーベル賞と無縁であったかもしれない。ともかく、当時の最先端の電子デバイスに関す

る研究ができたのは幸いであった。そうして、辛うじて単位をとったトランジスタで飯を食えた

というのも良き師、仕事、時代に巡り会えた縁であったかもしれない。

2009年1月 9日 (金)

都電最後の路面電車

2009/1/9

都電最後の路面電車

東京に行くようになったのは大学の専門課程に入ってからである。目的地は神田と秋葉原で

あった。神田は書店街、秋葉原は電気街を足早に巡った。ともかく、時間と金はほとんどなか

った。一日で両方の商店街を回るのでじっくり物色するゆとりもない。丁度、井戸の中の蛙が

、井戸を抜け出してあたりをキョロキョロ見回しているような姿であったようだ。しかし、このパ

ターンは結局現在も変わっていない。当時は秋葉原の中央通りには路面電車が走ってい

た。WIKIPEDIAによると1972年までには都電の路面電車はほとんど廃止されている。自分

が見ていた路面電車もまさに消え去ろうとしていたのであった。残念であったが都電の路面

電車には乗り損なった。世界不況で自動車産業も大きな打撃を受けている。車が売れないと

いう事は末端の利用者が車を買っていない事である。家を買っても金が払えない、その余波

が車にも及んでいる。環境とスローライフの哲学が21世紀のライフスタイルになった場合、

車の位置づけはどうなるのであろうか。路面電車の復活の時はあるのか。ともかく、ガソリン

自動車が走っている限り、化石燃料が発生するCO2は増加し続ける。

2009年1月 4日 (日)

家庭教師の体験

2009/1/4

家庭教師の体験

学生になると、講義の選択等により少し時間的な余裕ができた。友達の紹介、地縁等でアル

バイトの家庭教師を行った。自分は学習塾にも通えず、家庭教師を付けて貰うことなどは全く

の夢であった。家庭教師という仕事が自分の境遇から見るとなんとなくしっくりしなかったが、

これも一つの縁と思い引き受けた。受験前の数人の生徒に教えたのは学習塾に近かったよ

うだ。学習塾に行っていなかった生徒も受験直前は対策が必要だ。そういう家庭から頼まれ

た。もう誰を教えたか等細かい事は覚えていない。教え子の親からその節はお世話になりま

したと言われて頭を掻いたこともある。ともかく人間にとって学ぶ事は一生の仕事である。

ある人の前には色々な人が通り過ぎて行くであろう。教育という場は丁度、ある人の人生

と他の人の人生が交わる交差点のようなものであるかもしれない。教育の場では必然的に

質問と回答が飛び交う。単なる暗記と受験技術では収まらない。教育とは何か。結論は唯一

ではなさそうだ。まともな判断力が身につけば良いとも思われる。そう思うと家庭教師の体

験も見えないところで自分の役に立っていると感じる。それにしても、松下村塾の事等を思う

と学ぶことの本当の意味がわかるような気がする。学ぶことも、教えることも外から押しつけ

れるものではない。そのような、自分が自分の意志で学ぶ、教えるという確固たる自覚があ

れば自ずから成果が出てくるのではないか。

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みかん栽培関係情報

ISESAKI  有情2

ISESAKI  有情1

嗚呼 伊勢崎 非情

BOOKS

  • 橋本 英文: 刃物雑学事典 図解・刃物のすべて(1986年 株式会社 講談社 ブルーバックス B-659)
    刃物という視点で多くの事例が取り上げられている。刃のある道具の理解にも役立つ。類書が少なく貴重な一冊。「すべり変形が切断の原理」という考え方で説明している。
  • 沼田 真   : 植物たちの生( 1972年 岩波新書(青版 833))
    「ご要望にお応えしてアンコール復刊(1988年岩波新書50年記念復刊) 地球生態系の中で自然を見直す」(腰巻きのフレーズ)。植物の知恵と戦略に人類は勝てるのか。
  • 出町 誠: 14_NHK趣味の園芸:よく分かる栽培12ヶ月  カキ(NHK出版2007年)
    初心者向け柿栽培参考書(新版)。旧版と比較すると楽しい。
  • 中村三夫: 13_NHK趣味の園芸:作業12ヶ月  カキ(NHK出版1996年)
    初心者向け柿栽培参考書(旧版)。新版と比較すると楽しい。
  • 山科正平: 12_細胞を読む   電子顕微鏡で見る生命の姿
    細胞はどんな部品からできているのか。そんな疑問に答えてくれる一冊。何事も形を見るのが第一歩。μからÅオーダーの世界で、細胞をメスで解剖するように、電子顕微鏡というメスで解剖して見せてくれるので興味が尽きない。
  • 柳田充弘: 11_細胞から生命が見える
    著者の専門は分子生物学、細胞生物学。普段生物を考えても細胞レベルで止まってしまう。その細胞の中で色々な分子が働いている。細胞こそ生命の基礎だが、その細胞の中の動きを知るのに最適な一冊。疑問の発端はなぜ発根剤が効くのかということ。薬剤が細胞膜を通過して細胞内で分子と分子が作用するイメージができた。本書でできた細胞のイメージは小さな無数の穴が空いた水分が充満したヨーヨーのようなもの。そのヨーヨーの中に分子部品が詰まっている。細胞自体もタライの中のヨーヨーのように浮かんでいる。細胞図面の空白部は真空でなく水分だ。細胞の内外に水がないと細胞は生きられない。水が生命のゆりかごだ!
  • 野口悠紀雄: 10_ホームページにオフィスを作る(2001年 光文社)
    ITが輝いた時代の作品。HPの活用法は参考になる。参考:url=http://www.noguchi.co.jp/(野口悠紀雄 ONLINE)
  • 小池洋男 編著: 09_果樹の接ぎ木・さし木・とり木(農文協:2007/3/31第1刷)
    やや専門的であるが、実務専門化が分担執筆しており、その場で役に立つ一冊。
  • ノーバート・ウィーナー(鎮目恭夫訳): 08_サイバネティックスはいかにして生まれたか(みすず書房1956)
    情報と通信という現代社会に不可欠の基礎的な学問を作った著者の自伝とそれを通した科学史
  • 沼田 真(編): 07_雑草の科学(研成社1979)
    雑草を多面的に解説し防除の基礎も述べる

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    POST IT :ブログ画面への張り紙に使える。
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    2010/8/4:MEMO等の表示に使える。 農作業で気になる自戒の言葉 ■畑の石ころはいつまで経ってもても石ころ(早く拾って片づけよという意味か)。 ■同じ石を二度拾うな(やってみると難しい)。 ■手ぶらで歩くな。 ■三つ先のことを読め。 ■適当な観察。 ■空を見よ(気分転換、休憩、天気を読む、腰曲がり防止)