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2019年2月26日 (火)

老人の寝言:老人の妄想:身辺雑記:田舎老人徒然草:読みかじりの記:史記 中国古代の人びと 貝塚茂樹 著 中公新書 1963年5月25日初版 BOOK-OFF@108。定価720円。;イベントに オレ様誘う 黒電話。20190226。


2019年2月26日(火)
昨日は晴れ。ざっそう句;イベントに オレ様誘う 黒電話。鼻がムズムズしている。はなこさんの昨日の杉花粉飛散数は数十個/㎥程度だったらしい。穏やかな晴天だったが、杉花粉の飛散にどう影響しているのか。花粉症シーズンが幕開けしたが、今年の調子が読めない。宅内閑居。パソコン音声をBGM代わりにして資料整理。新聞の集金が来た。来月から値上げになると話があった。折り込み広告で見たヨ~。ダイエットして(ページ数を減らして)値上げしないで欲しいとぽろりと言ってしまった。朝日新聞について聞くと、当面値上げせずに頑張るらしい。新聞で真剣に見るのはお悔やみ欄程度になってしまった。最近は、新聞・書籍の読者が減っているらしい。その宿敵として、スマホ・パソコン等のIT機器の影響が大きいようだ。スマホ・パソコン等のIT機器は高価で金食い虫だが1台あれば間に合う。紙の媒体は、コンテントを変える毎に金がかかる。古本・古新聞は保管するのも大変だ。最近は、小学生にスマホを持たせる動きもあるようだ。教科書が電子化されれば小学生がランドセルを背負って通学する姿も無くなりそうだ。

Iob_2019_np_busuu_
原ファイル名=「IOB_2019_NP_BUSUU_一般紙部数.png」
IOB=IMAGES ON Beloved Ones
出典:https://www.pressnet.or.jp/data/circulation/circulation01.php(表をグラフに加工)

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老人の寝言:老人の妄想:身辺雑記:田舎老人徒然草:読みかじりの記:史記 中国古代の人びと 貝塚茂樹 著 中公新書 1963年5月25日初版 BOOK-OFF@108。定価720円。

黒電話が鳴り、一回で切れた。間違い電話かと思ったが、珍しくかみさんが受けて、電話だよと伝えに来た。ダイアルを上げる時、読みかけの新書を邪魔だと引っ張り出した。その時出てきたのが、この本であった。ついでに、読みかけの部分を再読した。この本は、奥付に1993年8月15日67版とあり、相当読まれていた本のようだ。

この本の圧巻は、第一章 ある死刑囚にあたえる手紙 ~宦官司馬遷の真情と第二章 ある死刑囚にあたえる手紙(続) ~宦官司馬遷の真情である。

もっとも、再読したのはこの二章だけだ。書き込みから、前回読んだのは2014年だった。読んだ日の印象は以下の記事に短く書いていた。

半端道楽:写真で俳句る(写真+凡句):これは雑草か?(こんな草 調べてみたら ミズヒキだ。)(http://af06.kazelog.jp/itoshikimono/2014/10/post-b10f.html)。(2014年10月25日 (土))」

司馬遷が2000年以上前に書いた事が現代でも読まれている。現代人が今書いている物に2000年後も読まれる物があるのだろうかとふと思う。著者貝塚茂樹が迫ったのは、まさに「宦官司馬遷の真情」であろう。当時の中国の世情を十分理解して、司馬遷に乗り移らないと、「宦官司馬遷の真情」は、著者貝塚茂樹の筆でも描けないだろう。

老人の寝言:日々迷想:世界の指導者よ、もう一度史記を読んだらいかがか;建国日 道理で店は 人だかり。(http://af06.kazelog.jp/itoshikimono/2015/02/2015-a08f-1.html)。(2015年2月12日(木) )」

司馬遷は史記を書いて歴史に名を残したが、宦官司馬遷の真情としては、歴史に名を残すのが彼の人生目標では無かった筈だ。世に生き恥をさらしても自分や祖先の名誉を晴らしたのだ。オレが李陵を庇った事実を後世の人々は必ず理解してくれるだろうという男の意地に生きたと言えるのでは無いか。

最近はノーベル賞の権威も低下気味だが、ノーベル賞を貰えば歴史に名前を残せる。今月27日~28日に第二回米朝首脳会談がハノイで開かれるとの事だ。24日には、初めての沖縄県県民投票が行われ、沖縄の米軍基地反対の県民の意志が示された。

日本や世界も刻々と動いている。オレこそ、歴史に名を残すと自認する政治家は多数いるだろう。政治で歴史に名を残すという発想は既に古くなってしまったのだろうか。「宦官司馬遷の真情」は、本書で感じ取ることは可能だ。だが、欲得に目がかすみやすい凡人にとっては、自分が生き恥をさらしてまで生き抜く意欲をつかみ取るのは相当な困難が伴いやすいのが現代のようだ。

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DATA 237.5 309 56 110.3 9.9 17.9 2.3 15.6 5.3 7.9 0 2.1 18.2 10.2(北西)
時刻等℃   D m/s H mm 04:52 15:12 20:18
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社説 沖縄県民投票 辺野古反対の民意 十分伝わった (地方・地域) 08:00 愛媛新聞
沖縄2紙編集局長 県民投票で寄稿 (社会) 07:31 東京新聞
沖縄県民投票 民意聞かぬ政府疑問 首都圏の声 (社会) 07:31 東京新聞
辺野古は普天間全面返還の為の基地 総理 (政治) 06:44 EconomicNews
「あの日本人は敵だ」同じ県民に非難され… ... (地方・地域) 06:00 沖縄タイムス
沖縄県民投票の結果めぐり真っ向対立 (政治) 05:10 日本テレビ
沖縄知事「工事中止求める」 辺野古反対72% ... (地方・地域) 05:05 中日新聞
(憲法を考える)住民投票、直接民主主義とは 辺... (その他) 05:00 朝日新聞
「日米政府は結果の尊重を」 沖縄県民投票で... (地方・地域) 05:00 沖縄タイムス
安倍首相、沖縄県民投票で辺野古『反... (エンターテイメント) 05:00 サンケイスポーツ
沖縄県民投票 着実な負担軽減へ混乱回避を (その他) 05:00 読売新聞
首相「投票結果を真摯に」言ったその日、工事進む辺野古 (政治) 05:00 朝日新聞
在日米軍再編:辺野古移設 沖縄県民投票 玉城知事、... (政治) 03:27 毎日新聞
在日米軍再編:辺野古移設 沖縄県民投票翌日、繰り... (政治) 02:42 毎日新聞
在日米軍再編:辺野古移設 沖縄県民投票 自民支持層... (政治) 02:30 毎日新聞
札幌でも辺野古移設に反対 県民投票受け有志が街宣 (地方・地域) 00:32 北海道新聞
本土メディアの沖縄県民投票無視がヒドい! 読売... (その他) 00:05 LITERA
【報ステ】沖縄県民投票 賛成・反対の若者は… (政治) 25日 23:30 テレビ朝日
[深層NEWS]沖縄県民投票、中谷氏「知事から移設代案を」 (政治) 25日 23:29 読売新聞
沖縄県民投票の民意尊重を 岩国 (地方・地域) 25日 22:50 中国新聞
“投票率52%”辺野古県民投票の効果・影響は? (社会) 25日 21:00 テレビ朝日
県民投票、沖縄2紙は「民意示された」 全国紙は評価... (社会) 25日 20:23 毎日新聞
「投票率5割で民意が測れたのか」沖縄県民投... (地方・地域) 25日 20:05 沖縄タイムス
沖縄県民投票、辺野古の移設「反対」7割超。今後... (その他) 25日 19:32 ハフィントンポスト
県民投票で経団連会長、辺野古移設は「反対がはっきり」 (社会) 25日 19:02 朝日新聞
沖縄県民投票、辺野古「反対」7割超 安倍首相は「先... (国際) 25日 18:23 AFP通信
2019年2月25日のヘッドラインニュース (その他) 25日 18:12 GIGAZINE
アングル:沖縄県民投票は反対7割、補選・参... (中国・朝鮮) 25日 17:57 大紀元
沖縄県民投票、辺野古反対“37.6%の民意”はなぜ説... (社会) 25日 17:05 デイリー新潮
アングル:沖縄県民投票は反対7割、補選・参院選へ... (経済) 25日 17:00 ロイター
沖縄投票は圧倒的な辺野古NO この日を境に世界は変わる 上 (その他) 25日 17:00 日刊ゲンダイ
沖縄県民投票 自民支持層も「反対」多数 共同通信出口調査 (政治) 25日 16:57 毎日新聞
沖縄県民投票 安倍首相、「結果を真摯に受け止める... (国際) 25日 16:48 Sputnik
沖縄県民投票 きょうの動き (政治) 25日 15:43 NHK
選択肢が間違い 沖縄県民投票で評論家 (社会) 25日 15:40 ZAKZAK
沖縄県民投票:名護市・渡具知市長「今後の参考に」 (地方・地域) 25日 15:09 沖縄タイムス
在日米軍再編:辺野古移設 沖縄県民投票 市民ら「民... (政治) 25日 15:02 毎日新聞
在日米軍再編:辺野古移設 沖縄県民投票 埋め立て、... (政治) 25日 15:02 毎日新聞
〔アングル〕沖縄県民投票は反対7割、注目される補... (経済) 25日 15:00 ロイター
新基地反対72% 沖縄県民投票43万4273票、有... (地方・地域) 25日 14:34 女性自身
市民ら「民意を守れ」 トラック搬入次々、混乱 沖縄... (社会) 25日 14:32 東京新聞
知事選の得票超え 投票率52・48% 沖縄県民投票 (政治) 25日 14:27 東京新聞
沖縄県民投票の結果受け、菅長官「要請あればしっかり対応」 (政治) 25日 13:38 TBSテレビ
官房長官「普天間の危険置き去り避けないといけない... (政治) 25日 13:20 産経新聞
社説:沖縄県民投票 「新基地ノー」が民意だ (地方・地域) 25日 13:10 京都新聞
沖縄県民投票 忘れてはいけない「一人の少女」、... (その他) 25日 12:59 ハフィントンポスト
沖縄県民投票、社説がなかったのは読売だけ。各紙... (その他) 25日 12:38 BuzzFeed Japan
沖縄県民投票は「反対は43万人超、反対以外が計71万... (社会) 25日 12:34 J-CAST
「辺野古移設断念」求める声高まる 沖縄県民投票 反対7割超 (社会) 25日 12:10 フジテレビ
首相「普天間移設先送りできず」 沖縄県知事、工事中止要求 (政治) 25日 12:00 共同通信
沖縄県民投票の結果 3月1日にも日米政府へ通知 (社会) 25日 11:55 テレビ東京
市民抗議の中…辺野古では埋め立て作業続く (社会) 25日 11:51 日本テレビ
岩屋防衛相“辺野古埋め立て”方針変わらず (政治) 25日 11:46 日本テレビ
玉城知事 沖縄県民投票「結果」を日米政府に報告へ (社会) 25日 11:46 テレビ朝日
沖縄知事が希望すれば首相が会談すると菅氏 (政治) 25日 11:42 共同通信
安倍首相「先送りできない」 辺野古移設進める考え示す (政治) 25日 11:40 朝日新聞
辺野古「真摯に対応」安倍首相の発言... (エンターテイメント) 25日 11:01 東京スポーツ新聞
再びの「辺野古ノー」にも思い様々 県民投票... (地方・地域) 25日 10:50 日本経済新聞
鳩山元首相、辺野古移設「反対」7割超に「安堵」... (その他) 25日 10:30 デイリースポーツ
沖縄県民投票、岩屋防衛相は工事進める考え (政治) 25日 10:27 TBSテレビ
安倍首相「基地負担の軽減に全力を尽くす」 (政治) 25日 10:26 日本テレビ
首相「移設先送りできず」 沖縄県民投票 知事は中止要請 (政治) 25日 10:11 日本経済新聞
沖縄「民意を無視するな」 反対7割超、投票から一夜明け (社会) 25日 10:05 共同通信
【沖縄県民投票】岩屋防衛相「準備が整い次第、一歩... (政治) 25日 09:50 産経新聞
トヨタのジレンマ、合意なきEU離脱で英工場の影響... (その他) 25日 09:48 レスポンス
安倍首相、沖縄県民投票の結果「真摯に受け止... (地方・地域) 25日 09:45 沖縄タイムス
沖縄県民投票 辺野古沖埋め立て「反対」多数で反応は (政治) 25日 09:40 NHK
沖縄県民投票:岩屋防衛相、工事進める考え示... (地方・地域) 25日 09:38 沖縄タイムス
沖縄県民投票 安倍首相発言詳細「普天間返還、先送... (政治) 25日 09:31 産経新聞
沖縄県民投票結果、3月1日通知で調整 (政治) 25日 09:21 共同通信
米国務省“辺野古に建設の計画”引き続き… (国際) 25日 09:16 日本テレビ
安倍首相、辺野古移設「これ以上先送りできない」 ... (政治) 25日 09:12 産経新聞
鳩山元首相 辺野古移設反対多数で勝... (エンターテイメント) 25日 08:35 東京スポーツ新聞
辺野古反対7割超 普天間移設で沖縄県民投票 (経済) 25日 08:35 テレビ東京
総理「普天間固定化避ける」 沖縄県民投票結果受け (政治) 25日 07:46 テレビ朝日
県民投票の結果を真摯に受け止めると首相 (政治) 25日 07:45 共同通信
安倍首相、沖縄県民投票の結果を受けて会見【全録】 (政治) 25日 07:43 TBSテレビ
沖縄県民投票 新基地断念こそ唯一の道 (政治) 25日 07:43 東京新聞
辺野古反対 沖縄の思い受け止めよ (その他) 25日 07:43 東京新聞
辺野古反対7割超 沖縄県民投票 (政治) 25日 07:43 東京新聞
今日の株価材料(新聞など・23~25日)米中、閣僚協... (経済) 25日 07:37 日本経済新聞
国への異議申し立て 沖縄県民投票結果、どう受け止... (政治) 25日 07:00 毎日新聞
辺野古「反対」 有権者の4分の1超 沖縄県民投票 (社会) 25日 06:30 フジテレビ
沖縄・県民投票「まとめサイト」が大手メディア超... (その他) 25日 06:01 BuzzFeed Japan
「意思を示しても変わらない」県民投票行かな... (地方・地域) 25日 06:00 沖縄タイムス
安倍政権、民意「NO」でも工事強行へ 辺野古埋め立て (政治) 25日 06:00 朝日新聞
ANN世論調査 6割強が「県民投票結果を尊重すべき」 (政治) 25日 05:53 テレビ朝日
辺野古移設反対が過半数…三択の沖縄... (エンターテイメント) 25日 05:50 デイリースポーツ
辺野古埋め立て反対72% 賛成は19% 県民投票 投票... (社会) 25日 05:30 スポニチ
沖縄県民投票で反対過半数 (地方・地域) 25日 05:15 佐賀新聞
沖縄県民投票「反対」多数 政府と沖縄県 対立深刻化不可避 (政治) 25日 05:13 NHK
沖縄県民投票は反対7割、注目される補選・参院選への影響 (経済) 25日 05:01 ダイヤモンド・オンライン
辺野古埋め立て、沖縄県民投票で「反... (エンターテイメント) 25日 05:01 サンケイスポーツ
[スキャナー]投票率52% 広がり欠く…沖縄県民投票 (政治) 25日 05:00 読売新聞
【主張】沖縄県民投票 国は移設を粘り強く説け (その他) 25日 05:00 産経新聞
沖縄県民投票、辺野古埋め立て「反対」71% (地方・地域) 25日 05:00 読売新聞
辺野古どうなる? 沖縄県民投票、知事「不許... (地方・地域) 25日 04:20 沖縄タイムス
在日米軍再編:辺野古移設 沖縄県民投票 反対7割超... (政治) 25日 03:23 毎日新聞
在日米軍再編:辺野古移設 沖縄県民投票 政府、黙殺... (政治) 25日 02:58 毎日新聞
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2018年12月19日 (水)

読みかじり予定の記:身辺雑記:田舎老人徒然草:;題名:「カルロス・ゴーン経営を語る」;著者:カルロス・ゴーン、フィリップ・リエス;発行日:2003年9月8日 一版一刷;発行所:日本経済新聞社;留置所で 満月恨む 独裁者。20181219。

2018年12月19日(水)
昨日は晴れ。ざっそう句;留置所で 満月恨む 独裁者。まだ予定の用事外出まで時間があるとゆったり構えていたが、ヒゲそりを忘れていた。大急ぎで髭を剃ったが、髭が虎刈り状態で家を出た。何とかセーフになったが、予約は前日であった。トホホ。耄碌したなとショック。ともかく、最後列に並んで用事を済ませた。次に知人宅を訪問。年忘れ放言会のようになって、大笑いをして一時を過ごした。その笑いのテクニックだが、綾小路きみまろスタイルを真似をして有名人を真似る事。真似が下手な程盛り上がる。あれから四十年母ちゃんに天下を取られて尻の下~。だが、これを有名人でやるにはバレないよう密室でやる必要がある。ばれたら、秘密保護法で逮捕されるから、ひそひそ話でするのが良い。でも、ひそひそ話では、絶対盛り上がらないゾ~。その笑いの熱が冷めた頃に、正月の買い物でスーパーへ。とりあえず日持ちがする物を買い込んだ。電気行火プラグの抜き差しが面倒なのでスイッチ付きコンセントをダイソーで購入。一口の物は100円だが200円の三口の物を買った。給油は135円/Lだった。石油価格が下がっているようだ。世界的に景気が下向きなのか。

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読みかじり予定の記:身辺雑記:田舎老人徒然草:;題名:「カルロス・ゴーン経営を語る」;著者:カルロス・ゴーン、フィリップ・リエス;発行日:2003年9月8日 一版一刷;発行所:日本経済新聞社

実は、この本はつい最近古書店で見つけたもので、オレ的には購入する古本価格の目安が一冊100円なので、税込み200円の本を買うか買うまいか財布と相談した。話題になった人物や会社関係の本も、新本で読む程の価値がある物は少なく、古本で読む時は、評価が下がった時にその理由を知るために読むだけの価値があるかが、採点の基準になる。

従って、本書もカルロス・ゴーンという経営者という株価が上り坂の時に書かれた、一種の宣伝書物ともとれる。そうして、現在のカルロス・ゴーンという経営者の株価は底を突いている状況だ。その株価の頂上と谷底を見れば、大体の人物像が描けるだろうと思う。

まだ、本書はページをめくり始めたところで、本格的に読んでいない。従って読みかじり予定の本として手元にあるだけだ。

本書のふんどしの表には、「作家 村上龍氏 絶賛」とあり、裏には「経営者がやるべきことの中で最も重要なことは従業員のやる気を起こさせることだ。彼らのやる気こそが価値創造の原泉となる。------カルロス・ゴーン」とある。

ざっそう句;留置所で 満月恨む 独裁者。と書いたが、この独裁者という言葉には天が与えた素質という意味が希薄なように感じる。カリスマという言葉を使おうと考えたが、うまくはまらない。

ところで、カリスマの意味もはっきり知らない。そこで広辞苑にあたると、神の賜物としての超人的資質を意味するようだ。そうして、神の賜物としての超人的資質を持つ人物に、庶民や従業員が追従した時に、カリスマ支配やカリスマ経営が成り立つのだろう。従って、カリスマ像も、事後的に形成されて来るのだろう。

カルロス・ゴーンという人物はまだ、留置所の窓から、満月を見ている程度の身分であり、法治国家の罪人では無い。満月とは言うまでも無く成功した人生の最盛期だ。その月が欠けて行くのだろうか。多分、西洋的カリスマは日本的情緒に打ち勝って復活する可能性もある。従って、本当の評価が定まるのは、裁判の結果が出てからだ。日本の裁判が、公平かも、世界的に見れば断言できない。

まだ、カルロス・ゴーンの前途には挑戦する課題が多数あるだろう。逮捕容疑を否認する事は、次の挑戦の布石である。その布石は復活への布石でもある。

カリスマという名声を勝ち取ったカルロス・ゴーンの人間としての余生は未だ長い。「カルロス・ゴーン経営を語る PART2」が出版される可能性もゼロでは無い。その時、カルロス・ゴーンのカリスマという仮面を剥いだ紙ペラはゴミ箱行きになっているかも知れない。

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項目 日積温 残日 通日 通積温 TA TX TN TD WX SN RN 瞬低T 瞬高T 瞬風
DATA 200.8 12 353 142504.1 8.4 13.2 5.4 7.8 5.1 9.2 0 4.9 13.4 11.4(北北西)
時刻等℃   D m/s H mm 23:45 15:10 06:06
2018年12月18日 伊勢崎(イセサキ) AMEDASへのリンク


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2018年12月10日 (月)

読みかじりの記:老人の寝言:身辺雑記:田舎老人徒然草:夏目漱石の「正岡子規」を青空文庫で読む;身が凍え 赤城の峰は 初雪だ。20181210。

2018年12月10日(月)
昨日は晴れ。ざっそう句;身が凍え 赤城の峰は 初雪だ。回覧板を回した足で用事外出の積もりであった。外に出るとかなり寒い。赤城山の地蔵岳頂上付近は初冠雪したらしく白く見えた。微風が更に寒さを増幅した。こりゃヤバイと家に戻ってジャンパーを着て出直した。今回の用事は、車に同乗させて貰って行くので、気分的に楽であった。用事は無事終わり、収穫もあった。昨日は漱石忌、今日は世界人権デーとの事だ。夏目漱石と言えば、高校時代に「それから」という小説を手にしたが、こんな小説は性に合わないと感じたのか、それ以来漱石とは無縁に近い。その代わり、果樹のナツメを植えた。これなら、食えるだろと思ったが、いざ実がなって、食ってみたが、続けて食う気にはなれなかった。このナツメという木には棘があり、扱いにくいのだ。樹勢は結構強い。結局、ナツメもオレの性に合わないで、庭の一角を占有している。困った物だ。

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原ファイル名=「IOB_2018_CAT_&_MAN_猫と人形のおもちゃ.jpg」
IOB=IMAGES ON Beloved Ones
「読みかじりの記:「幼稚園真諦」 倉橋 惣三 著 (1976年 株式会社フレーベル館)。111124。」へのリンク:上の画像をクリック

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読みかじりの記:老人の寝言:身辺雑記:田舎老人徒然草:夏目漱石の「正岡子規」を青空文庫で読む

著作権が切れた夏目漱石の作品が青空文庫に収録されている。昨日が漱石忌という事で、青空文庫で、夏目漱石の「正岡子規」を読んで見る事にした。

青空文庫の作家別作品リスト:No.148(夏目漱石)へのリンク

WIKIPEDIA「夏目漱石。(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%8F%E7%9B%AE%E6%BC%B1%E7%9F%B3)」によると、「夏目 漱石(なつめ そうせき、1867年2月9日(慶応3年1月5日) - 1916年(大正5年)12月9日)は、日本の小説家、評論家、英文学者。本名、夏目 金之助(なつめ きんのすけ)。江戸の牛込馬場下横町(現在の東京都新宿区喜久井町)出身。俳号は愚陀仏。 大学時代に正岡子規と出会い、俳句を学ぶ。帝国大学(後の東京帝国大学、現在の東京大学)英文科卒業後、松山で愛媛県尋常中学校教師、熊本で第五高等学校教授などを務めた後、イギリスへ留学。帰国後、東京帝国大学講師として英文学を講じながら、「吾輩は猫である」を雑誌『ホトトギス』に発表。これが評判になり「坊っちゃん」「倫敦塔」などを書く。 」(このサイトへのリンク)とある。

マア、文学作品は、作者の表現・創作であり、商品でもある。この作品で夏目漱石と「正岡子規」が学友関係であった事を知った。一般人にとってはどうでも良い事なのかも知れないが、歴史上の人物として交遊があった事、日本の俳句と小説に影響があった事も面白い。

だが、オレ的には漱石の小説にも、子規の俳句にも余り親しめない。その理由は、初対面のミスマッチにあったのか。それとも、チクチクと人を刺すような棘のような何物かを感じてしまうのか。よくよく突き詰めると、東大嫌いに通じるのかも知れない。

これは、オレ的な仮説に過ぎないが、あの東大というキーワードは、あのナツメの棘のようにチクチク人を刺すように感じるのだ。逆説的には、あのチクチクが、偉大な作品や業績に通じるのかも知れない。

夏目漱石の「正岡子規」の初出:「ホトトギス」1908(明治41)年9月1日号である。正岡子規の没後6年、7回忌の頃に発表された事になるだろう。オレ的には初読であったが、ちょっと軽すぎるような印象を受けた。1916-1867=49。1908-1867=41。この作品発表時、漱石は41歳。良い紳士だったと思うが...。それにしても、昔は短命だったと感じる。

WIKIPEDIA「正岡子規。(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%A3%E5%B2%A1%E5%AD%90%E8%A6%8F)」によると、「正岡 子規(まさおか しき、1867年10月14日〈慶応3年9月17日〉 - 1902年〈明治35年〉9月19日)は、日本の俳人、歌人、国語学研究家。名は常規(つねのり)。幼名は処之助(ところのすけ)で、のちに升(のぼる)と改めた。 俳句、短歌、新体詩、小説、評論、随筆など多方面に亘り創作活動を行い、日本の近代文学に多大な影響を及ぼした、明治時代を代表する文学者の一人であった。死を迎えるまでの約7年間は結核を患っていた。 」(このサイトへのリンク)とある。

そろそろ、米国抜きのTPPが発効する時期が迫ってきた。このTPPは青空文庫の活動に影響を与え、さらに、ジワジワと出版文化の衰退を促進するかも知れない。言語文化は、著作物だけで無く、全て人類共通の資産である。その資産を特定の個人や企業等が長期的に独占する正当な理由は一切無い筈だ。その作品自体が、過去の作品群から生み出されるのだ。これこそ人類普遍的な原則であり、そのような独占を許す法律や条約が間違っているのだ。

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項目 日積温 残日 通日 通積温 TA TX TN TD WX SN RN 瞬低T 瞬高T 瞬風
DATA 137.2 21 344 141388.9 5.7 8.8 3.6 5.2 4.8 1.9 0 3.4 9.2 9.7(北北西)
時刻等℃   D m/s H mm 23:44 14:14 15:45
2018年12月09日 伊勢崎(イセサキ) AMEDASへのリンク


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2018年7月16日 (月)

荘子と混沌(改題):読みかじりの記:老人の寝言:宇宙・物事・人間の究極的理解は可能なのか:そんなのは要らない!;また猛暑 食い倒れるか 欠食爺。180716。

2018年7月16日(月)
昨日は晴れ。ざっそう句;また猛暑 食い倒れるか 欠食爺。朝方は畑に出るがヒユとスベリヒユを一掴み収穫して撤退。今回はスベリヒユも追加。庭先水田も干上がりそうでバケツで給水。古本拾い読み。昼前一風呂浴びて地区恒例行事で用事外出。養蚕農家の先代達のお蔭で出来る食事会だ。腹一杯飲み食い。名酒らしき物を頂いたがその旨さが分からない。帰宅してもしばらくアルコールが抜けない。古本拾い読みを続行。猛暑の中の飲み食いも体力が必要だ。早めに横になったが夜が長い。

Iob_2018_amedas_i_2018_07_12_to_15_
原ファイル名=「IOB_2018_AMEDAS_I_2018_07_12_TO_15_MOUSYO_猛暑日の24H気温変化M.jpg」
IOB=IMAGES ON Beloved Ones
7/12の天気は連続猛暑日の前日で曇り一時晴れであった。猛暑日が続くと、夜も気温が下がらず熱帯夜になりやすく、翌朝も高温から始まる傾向が強い。

Iob_2018_wcspix_18071512
原ファイル名=「IOB_2018_WC&SPIX_アメダス天気図&衛星画像=18071512.jpg」
IOB=IMAGES ON Beloved Ones

Googleでキーワード「安倍晋三 安倍昭恵 ニュース」を検索
CEEK.JPでキーワード「森友学園」を検索
CEEK.JPでキーワード「加計学園」を検索
CEEK.JPでキーワード「安倍晋三」を検索
CEEK.JPでキーワード「トランプ大統領」を検索
Googleでキーワード「加計学園」をニュース検索
duckduckgoでキーワード「安倍晋三」を検索
Googleでキーワード「セクハラORヨガ」を検索
CEEK.JPでキーワード「金正恩」を検索
Googleでキーワード「米朝首脳会談」をニュース検索
Googleでキーワード「日大」を検索
Googleでキーワード「G7サミット」を検索
bingでキーワード「自民党総裁選挙」を検索
Googleでキーワード「加計孝太郎」を検索
CEEK.JPでキーワード「プーチン大統領」を検索
CEEK.JPでキーワード「麻生太郎」を検索
Googleでキーワード「党首討論」を検索
duckduckgoでキーワード「安倍晋三 加計孝太郎」を検索
Googleでキーワード「点滴殺人」を検索
Googleでキーワード「自民党総裁選挙」を検索
bingでキーワード「西日本豪雨被害」を検索



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2008/10/19

荘子と混沌(改題):読みかじりの記:老人の寝言:宇宙・物事・人間の究極的理解は可能なのか:そんなのは要らない!

追記(2018/07/14):この過去記事は、ほぼ10年前に書いたが、読みにくさがあるので、読み易く整形、再読して、印象・コメント等を追記して再利用。

この宇宙も、宇宙を構成する物質も、それらの起源や運動を解明しようとする人間も、すべて有限の命しかなく、それ自体が時空の中に囚われている。最近、人間を取り巻くあらゆる現象や実体を理解する、そんな人間の努力はそもそも不遜で、それらの関係を統一的に理解することは、本来不可能なことのように感じるようになった。

日本で初めてのノーベル賞を受賞された湯川秀樹博士が中国思想である荘子に親しんでいた事は広く知られている。荘子の思想が自由な発想を触発させる内容に富んでいたからであろう。

湯川秀樹博士が戦後の日本の平和運動に大きく関わってきたことに感銘を受けてきたが、戦時中は日本の核兵器開発の動きに加わっていたという事実を知り、更に大きな衝撃を受けた。

「田舎のアインシュタインとノーベル賞(改題):技術 回顧と展望:老人の寝言:日本は中流国の下で十分だ 追;春宵の 空に三日月 チャリを漕ぐ。180420。(http://af06.kazelog.jp/itoshikimono/2018/04/post-d6f6-3.html)。(2018年4月20日 (金))」(この記事へのリンク)

Googleでキーワード「湯川秀樹 核兵器開発」を検索(https://www.google.co.jp/search?hl=ja&ie=UTF-8&oe=UTF-8&num=20&q=%E6%B9%AF%E5%B7%9D%E7%A7%80%E6%A8%B9%E3%80%80%E6%A0%B8%E5%85%B5%E5%99%A8%E9%96%8B%E7%99%BA)。(このKWで検索)

湯川秀樹著作集の読書に関する一冊を読んでみた。博士は荘子の混沌の話を素粒子論の発想と対比して語っていた。物理の基礎理論の混沌と荘子の中の混沌を対応させつつ混沌の中から中間子理論を導いた事を語っているのではないかと思った。

宇宙やそれを構成する物質・エネルギーの関係は、現在でも統一的に解明されていないようだ。

WIKIPEDIA「ブラックホール。(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%96%E3%83%A9%E3%83%83%E3%82%AF%E3%83%9B%E3%83%BC%E3%83%AB)」(このサイトへのリンク)

Googleでキーワード「ダークマター」を検索(https://www.google.co.jp/search?hl=ja&ie=UTF-8&oe=UTF-8&num=20&q=%E3%83%80%E3%83%BC%E3%82%AF%E3%83%9E%E3%82%BF%E3%83%BC)。(このサイトへのリンク)

そうして博士の究極の目的とした素領域の理論も視野に入れて荘子の混沌を語ったようでもある。時間と空間という入れ物は決まっていても、それを舞台にして演じる役者は本当に大勢いる。偉大な音楽や偉大な彫刻などもその例だろう。天才がそれをつむぎだす。

それなら、その役者の正体は何か。湯川博士は素粒子の種類が多く成りすぎて、それをうまく整理できない状態を混沌という状態に見立てたようだ。多くの素粒子を生み出す更に基本的で究極的な粒子の存在を想定した。それが「クォーク」という基本粒子であり、陽子や中性子、中間子などの粒子はすべて、クォークの組み合わせでできていると考えられるようになった。

本年のノーベル物理学賞の小林・益川理論は湯川博士の研究の流れの中にあったといえるようだ。物理の世界にも実際の世界にも常に混沌がつきまとっている。その混沌の根本をつかむことは永遠の課題かも知れない。しかし、混沌に真正面から向かわない限り混沌の本当の姿さえ見えないのも事実であろう。

混沌とは物事が生まれ育ち始める原点のようなものかも知れない。湯川博士にとって荘子とは自由なアイデアを見つけ、育む場であったようだ。

物質が生まれる様式と崩壊する様式が完全に解明されれば、宇宙の歴史も解明できるのだろうか。物質は質量、電荷、エネルギーを持つが、これらを固定的な粒子像として捉えることは本来不可能なのでは無いか。

核兵器は既に、終戦前後の科学レベルで開発できた。その科学兵器が人類存続の障害物になっている。現代の科学には膨大な資金が投入されている。投入した資金の額に相当する、成果・効果があるのか、最近疑わしく感じるようになった。

歴史的には、世界の著名な科学者が、核兵器の開発に直接・間接的に関与した可能性があるのではないか。人間の頭脳は100年前からそれ程進歩していないだろう。今でも、群盲像を撫でるような段階にあるのかも知れない。

いかなる科学も学問も、一般の常識人の批判作用が働かなければ、暴走する必然性を持っていると思う。オーム真理教殺人事件がその証明の一つと言えよう。

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追記(2014/6/7):「荘子と混沌(2008年10月19日 (日))。」の記事がいきなりランキング7位に入った。アクセスログは無いので何人この記事にアクセスしたのか不明だ。ともかく最低数人の読者がいるのだろう。物事、数字で知ってしまうと興ざめする事が色々ある。数年前の、自分でも忘れかけた記事を読んでくれる読者がいるだけでもありがたい。思うに、終戦直後に湯川秀樹博士がノーベル賞を受賞した事は、自信を失っていた多くの国民に元気を与えてくれたと思う。特に、当時の青少年が受けた感化も多大だったと思う。残念だが、当今の理化学研究所とそれを取り巻くSTAP細胞論文問題は、まさに混沌状態にある。それも、自然観に関わる深遠な混沌で無く、下世話・世俗的な混沌だ。現代の青少年達が科学に対してどんな夢が持てるのか。

サイト内でキーワード「科学ニュースに独り言」を検索(https://www.google.com/?hl=ja#hl=ja&q=%E7%A7%91%E5%AD%A6%E3%83%8B%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%82%B9%E3%81%AB%E7%8B%AC%E3%82%8A%E8%A8%80%E3%80%80site:http:%2F%2Faf06.kazelog.jp%2Fitoshikimono%2F)。(このKWで検索)

追記(2014/6/9):
上記記事がランキング2位に入った。なぜ急上昇したのか不明。Googleで以下のキーワードを検索して当BLOGのヒット状況を調べた。「湯川秀樹博士と混沌」というイメージはまだ健在なのかもしれない。

混沌 湯川:24/約 29,500
混沌 湯川 理化学研究所:69/約 12,200(当BLOG記事)
混沌 理化学研究所:100位以下/約 22,000
湯川 理化学研究所:100位以下/約 36,400
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2008/10/19

荘子と混沌

日本で初めてのノーベル賞を受賞された湯川秀樹博士が中国思想である荘子に親しんでい

た事は広く知られている。荘子の思想が自由な発想を触発させる内容に富んでいたからであ

ろう。湯川秀樹著作集の読書に関する一冊を読んでみた。博士は荘子の混沌の話を素粒子

論の発想と対比して語っていた。物理の基礎理論の混沌と荘子の中の混沌を対応させつつ

混沌の中から中間子理論を導いた事を語っているのではないかと思った。そうして博士の究

極の目的とした素領域の理論も視野に入れて荘子の混沌を語ったようでもある。

時間と空間という入れ物は決まっていても、それを舞台にして演じる役者は本当に大勢い

る。偉大な音楽や偉大な彫刻などもその例だろう。天才がそれをつむぎだす。

それなら、その役者の正体は何か。湯川博士は素粒子の種類が多く成りすぎて、それをうま

く整理できない状態を混沌という状態に見立てたようだ。多くの素粒子を生み出す更に基本

的で究極的な粒子の存在を想定した。それが「クォーク」という基本粒子であり、陽子や中性

子、中間子などの粒子はすべて、クォークの組み合わせでできていると考えられるようになっ

た。本年のノーベル物理学賞の小林・益川理論は湯川博士の研究の流れの中にあったとい

えるようだ。物理の世界にも実際の世界にも常に混沌がつきまとっている。その混沌の根本

をつかむことは永遠の課題かも知れない。しかし、混沌に真正面から向かわない限り混沌の

本当の姿さえ見えないのも事実であろう。混沌とは物事が生まれ育ち始める原点のようなも

のかも知れない。湯川博士にとって荘子とは自由なアイデアを見つけ、育む場であったよう

だ。

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追記(2014/6/7):「荘子と混沌(2008年10月19日 (日))。」の記事がいきなりランキング7位に入った。アクセスログは無いので何人この記事にアクセスしたのか不明だ。ともかく最低数人の読者がいるのだろう。物事、数字で知ってしまうと興ざめする事が色々ある。数年前の、自分でも忘れかけた記事を読んでくれる読者がいるだけでもありがたい。思うに、終戦直後に湯川秀樹博士がノーベル賞を受賞した事は、自信を失っていた多くの国民に元気を与えてくれたと思う。特に、当時の青少年が受けた感化も多大だったと思う。残念だが、当今の理化学研究所とそれを取り巻くSTAP細胞論文問題は、まさに混沌状態にある。それも、自然観に関わる深遠な混沌で無く、下世話・世俗的な混沌だ。現代の青少年達が科学に対してどんな夢が持てるのか。

サイト内でキーワード「科学ニュースに独り言」を検索(https://www.google.com/?hl=ja#hl=ja&q=%E7%A7%91%E5%AD%A6%E3%83%8B%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%82%B9%E3%81%AB%E7%8B%AC%E3%82%8A%E8%A8%80%E3%80%80site:http:%2F%2Faf06.kazelog.jp%2Fitoshikimono%2F)。

追記(2014/6/9):
上記記事がランキング2位に入った。なぜ急上昇したのか不明。Googleで以下のキーワードを検索して当BLOGのヒット状況を調べた。「湯川秀樹博士と混沌」というイメージはまだ健在なのかもしれない。

混沌 湯川:24/約 29,500
混沌 湯川 理化学研究所:69/約 12,200(当BLOG記事)
混沌 理化学研究所:100位以下/約 22,000
湯川 理化学研究所:100位以下/約 36,400
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項目 日積温 残日 通日 通積温 TA TX TN TD WX SN RN 瞬低T 瞬高T 瞬風
DATA 750.3 168 197 66770.2 31.3 36.7 26.3 10.4 3.9 12 0 26.3 37.2 7.6(南東)
時刻等℃   D m/s H mm 04:55 15:49 17:46
2018年07月15日 伊勢崎(イセサキ) AMEDASへのリンク


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2018年1月28日 (日)

読みかじりの記:斎藤喜博 全集 12 斎藤喜博著 (1971年 株式会社 国土社);うっかりと タダにはまって 生き地獄。180128。

2018年1月28日(日)
昨日は晴れ。ざっそう句;うっかりと タダにはまって 生き地獄。まだ寒気は居座ったままだ。29日以降は少し暖かくなりそうだ。宅内閑居。食べて動かないので、メタボに要注意だ。水に浸して再度茹でた勝ち栗を飯に載せて食べて見た。渋皮も混じるので、食感はそれほど良くないが、栗ご飯の気分は出る。昔は、いろいろな保存食が、冬の食卓を賑わせたようだ。現代は、食料の保存に工夫が要らなくなった。冷蔵庫と電子レンジがあれば、何とか食事に不自由しないで済みそうだ。かみさんのガラケーの受信メール一覧が表示されなくなった。WEBでその機種の取扱説明書を探して調べたが、対策のヒントは掴めなかった。要するに、受信メールに割り当てられたメモリー容量を超えたメールが来たので、暴走したような感じである。メールを外部メモリーに転送して、内部メモリーを確保すれば、復帰しそうだが、暗証番号を要求されて、先に進まない。後の祭りだが、古いメールを自動消去する設定に変更した。最近の、携帯ならメール容量にゆとりがあると思うが、10年程前の機種では、メモリー不足が起こるのは当然だったらしい。修理は、携帯会社に依頼する以外になさそうだ。我が、ガラケーもメモリーの整理を一度もしていない。半分以上が、携帯会社からの事務連絡だ。そういうメールから消しておいた方が良さそうだ。

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読みかじりの記:斎藤喜博 全集 12 斎藤喜博著 (1971年 株式会社 国土社)

昨年、地域の教育力という視点から、明治時代、当地域の小学校校長になった矢島昇という人物について書いた。たまたま、矢島昇の墓碑に遭遇したので、調べて見たが、有力な情報は得られなかった。矢島昇は、群馬師範を卒業し、教師になり、自分の住む地域の校長となり、在任中に殉職した。その死を惜しんで、明治時代の書家、松村琴荘が墓碑銘と詩を残している。

06BA_明治中期の地域小学校校長だった矢島昇を知る:記事目次(リンク)

当BLOGでは、「06C1_蚕種で栄えた島村。」(06C1_蚕種で栄えた島村=リンク)という記事がある。島村に関しては、絹遺産としての田島弥平旧宅やそれに関係した歴史は、注目を集め、知る人が多いが、島村小学校の校長をした、斎藤喜博については、知名度は極低いと思われる。

自分も、斎藤喜博という人物の名前は、断片的に聞いていたが、特に調べて見ようという気も起きなかった。たまたま、古書店に、斎藤喜博全集が並んでいた。定価1000だが、@200円という捨て値であった。矢島昇に関しては、墓碑以外めぼしい資料や記録がなかった。その点、全集が出ている教育者・教育家は、そう多くはいないだろうと思って、読んで面白そうな数巻を購入した。全集第12巻は斎藤喜博の自伝の巻だ。読んだのは、その巻頭部の幼少時の記憶に関する部分だけである。

矢島昇と斎藤喜博は群馬師範出身という点が共通しているが、時代背景は異なる。矢島昇が在職時に教育勅語が発布された。斎藤喜博が本格的に活躍したのは、その教育勅語が、否定され、墨で塗りつぶした教科書を使った時代である。そうして、自分が学んだ時代は、学園紛争が華やかであった。群馬師範から発展した群大教育学部も学園紛争で混乱していた。そこで学び、教育の道に進んだ友人もいる。

ざっと、目を通し、自分の幼少時と類似している物事が多々ある。だが、斎藤喜博の幼少時代は、大正時代の初めなのである。父より年配なので、父と似た青年時代を過ごしたと想像するが、どのような経過を辿って、斎藤喜博という人物が育ってきたのかは分からない。と言うより、あえて、そこまで踏み込むゆとりも、気力も無い。

敗戦の時、斎藤喜博は既に30歳台であり、伝記的には一番興味のある部分だ。終戦前後を、いかに生きてきたのか。何を考えたのか。実は、自分も、万一飯が食えなくなったら、教員でもしようと、教員免許を取った。当時、デモシカ先生とか揶揄されたが、教員になる人材も多種多様なのだと思う。現在でも、その考えは変わらない。オレ的には、一人の秀才より多数の凡才が理想だ。秀才に習えと言えば、最早競争社会だ。自分の胸の中には、まったく無名だが尊敬する先生がいる。それで良いのだと思う。

斎藤喜博にかんしては、WIKIPEDIAを始め、WEB情報もかなり多い。

斎藤喜博 - Wikipedia

https://ja.wikipedia.org/wiki/斎藤喜博

斎藤 喜博(さいとう きはく、1911年3月20日 - 1981年7月24日)は群馬県出身の日本の教育者。元宮城教育大学教授。群馬師範(現群馬大学教育学部)卒。また、早くからアララギ派の歌人としても活躍し、ケノクニ選者をながく務めた。歌集『職場』などの短歌はすべて彼の師である土屋文明の選を経ている。著書の多くは国土社から刊行されている。斎藤喜博全集は、第25回毎日出版文化賞(全18巻、国土社)を受賞した。

「老人の寝言:日々農天気:レタス苗の成長の差は何が原因か?レタス論が教育論に変貌!;種蒔けど 発芽育ちは 運鈍根。1510。http://af06.kazelog.jp/itoshikimono/2015/10/qq-4df1.html。(2015年10月16日 (金))」(この記事へのリンク

既に、日本の養蚕は壊滅状態なのだが、斎藤喜博が、教育実践を通して、顕著な業績を残した、島小学校が、生徒不足で閉校するというニュースに接して、愕然とした。上記の記事には、世界の初等教育の資料を紹介している。一体、教育改革等と大声で叫ぶ割には、日本という国は教育貧乏国ではないかと思ってしまう。

Googleでキーワード「安倍晋三 教育改革」を検索(https://www.google.co.jp/search?hl=ja&ie=UTF-8&oe=UTF-8&num=20&lr=lang_ja&q=%E5%AE%89%E5%80%8D%E6%99%8B%E4%B8%89%E3%80%80%E6%95%99%E8%82%B2%E6%94%B9%E9%9D%A9)。(このKWで検索

斎藤喜博は「授業」を教育の重点としていたようだ。WIKIPEDIA:「50年を越える教師生活・研究者生活で一貫して追求したのは「授業」であった。」と述べられている。授業を英訳すれば、TEACHINGだろうか。焦点を授業に絞れば絞るほど、そのビームは鋭くなるだろうが、やはり、技術や方法論で終わっては、教育の究極的な目的は達成できないのではないか。

だが、教育者が自主的に授業の改善・質の向上を目指して活動したという事なら、日本の教育史にも記念すべき事かも知れない。

WIKIPEDIA「ワイルダー・ペンフィールド。(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AF%E3%82%A4%E3%83%AB%E3%83%80%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%83%9A%E3%83%B3%E3%83%95%E3%82%A3%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%89)」(このサイトへのリンク

今日:平成30年1月26日(金)のGoogleDoodleは「ワイルダー ペンフィールド 生誕 127 周年」であった。斎藤喜博とワイルダー ペンフィールドはほぼ同時代を生きた。斎藤喜博は今年生誕107年になるようだ。脳を電極で刺激するという実験が、今日の科学の発展に大きく寄与し、その輝きは永続しているように感じる。日本の教育とは、世界に対して、何を発信できるのか。

斎藤喜博は、戦前の20歳台から、アララギ派の歌人としても活躍したとの事だ。斎藤喜博の没年は1981年で、既に一般の人からは遠い存在になっていると思う。あの、学園紛争が華やかだった頃ろから少し後に定年退職し、1971年に本書が出版されている。その十年後に70歳で死亡。

実は、あの斎藤喜博が教育史上注目すべき実績を残した島小学校が、児童数の減少で廃校になるというニュースを聞いて、改めて斎藤喜博とはどんな人物だったかが気になってきた。ともかく、教師から校長になれる人数は極少ないだろう。まさに、校長は教育現場のスーパーエリートだ。ほとんどの教師は、生徒の中にわずかな記憶を残す程度の業績を残すのが精一杯だろう。逆に、生徒にとって斎藤喜博という人物はどのように評価されていたのだろうか。

島小学校は、形だけは、粛々とした手続きにより閉校になったようだ。以前、島小学校が閉校になれば、そのホームページも消えてしまうだろうと心配しつつ見ていた。今回、そのホームページを検索すると、「今年度(2016.3.31)をもって閉校となりました。」と記載された旧ホームページが、未更新のまま存続していた。

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Googleでキーワード「伊勢崎市 島小学校 」を検索

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以下は検索結果のTOP

伊勢崎市立境島小学校

www.isesaki-school.ed.jp/sakaishimasyo/

今年度(2016.3.31)をもって閉校となりました。 今までご覧いただきありがとうございました。 閉校に関する記事へ 本日(3/26)の閉校式をもって,HPの更新を終了します。 ☆本HPは,一年後にはすべての閲覧ができなくなる予定です。 最終更新日 2016.3.26 平成27年度 境島小学校 全校児童10名・学級数3(完全複式学級) 教職員16名で スタートしました. 〒370-0134 群馬県伊勢崎市境島村1968-40. Tel. 0270-74-

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実は、あの絹遺産をイメージさせる『桑 繭 蛾』をあしらった校章を持ち、長い文化・伝統の原点にあった島小学校が、あっけなく廃校になった事が最大のショックなのだ。斎藤喜博も島小学校という舞台で活躍した役者の一人に過ぎなかったのだろうか。

もはや、地域の教育力等は不要な時代なのか。良い学校を建て、良い先生を連れてきて、初めて良い生徒が生まれ育つ素地ができるのではないか。斎藤喜博が島小学校に赴任したのは、単に空っ風の吹き回しの結果だったのか。斎藤喜博を引き寄せた何かがあったのか。

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項目 日積温 残日 通日 通積温 TA TX TN TD WX SN RN 瞬低T 瞬高T 瞬風
DATA 33.1 338 27 2598.0 1.4 6 -2.7 8.7 10.8 9.9 0 -3.2 6.2 19.0(北西)
時刻等℃   D m/s H mm 04:35 13:55 12:52
2018年01月27日 伊勢崎(イセサキ) AMEDASへのリンク


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2015年5月10日 (日)

読みかじりの記:ES細胞 万能細胞への夢と禁忌   大朏博善 著 (2000年 株式会社 文藝春秋);メダカ飼い 夏を楽しも ベビーバス。

2015年5月109日(日
昨日は曇り。最高気温(℃) 21.5 13:55。最低気温(℃) 16.1 22:35。ざっそう句;メダカ飼い 夏を楽しも ベビーバス。パラパラと期待の雨と思ったが雨量にならない程度。P区画のタマリュウ等に灌水。本葉一枚程度の這キュウリの苗を定植。百均のミニトマトとナスの種子をポットと苗箱に蒔いた。用土は腐葉土に微量の鶏糞を混合した物。直播きだと雑草対策と苗の管理が大変なので集中管理にする。ミカンの接ぎ木苗は発芽を始めている。ミカンの若葉にはエカキ虫/ミカンハモグリガが入り被害を受ける。様子を見ながら対策を考えたい。台芽も同時に出る。台芽除去をしないと間借りの穂木の方へ養分が回らなくなるので台芽除去も不可欠。メダカを飼うベビーバスにはスイレンも入れた。以前、もらったメダカを手入れ不足で全滅させてしまった。

2015年5月9日の天気(AMEDAS)

TAVE= 18.4 NO DATA
TMAX= 21.2 最高気温(℃) 21.5 13:55 
TMIN= 16.3 最低気温(℃) 16.1 22:35 
DIFF= 4.9  
WMAX= 3.2 最大瞬間風速(m/s)(風向(16方位)) 6.2(南)   14:21 
SUNS= 0 NO DATA
RAIN= 0  


Q
Q

読みかじりの記:ES細胞 万能細胞への夢と禁忌   大朏博善 著 (2000年 株式会社 文藝春秋)

昨年の一月に、一躍脚光をあびてマスコミを賑わしたSTAP細胞が、予想もつかない方向へ暴走を始めた。先ず、STAP細胞のデビューが本書のタイトルに含まれる「夢」を庶民に与えたからでもあろう。更に、リケジョという言葉が夢・バブルのように膨らみ、ついにバブルのように崩壊してしまった。本書を手にした理由は、STAP細胞事件の背景にあるES細胞を理解して、再度STAP細胞事件を振り返えって見ようと思ったからである。

本書が書かれた時点では、まだiPS細胞も作られておらず、まさに、人間の不老長寿、四苦八苦からの解放等々の夢が、ES細胞で実現されるだろうという願望が高まった時だったかも知れない。STAP細胞事件の現場が、まさに新しくつくられた理化学研究所CDBであったのが、何か因縁のように感じられる。

本書でも、まえがきで、二十一世紀がライフサイエンスの時代、遺伝子革命の時代であると述べているが、庶民が最新の科学技術の実態を正確に知る事は非常に困難だ。理化学研究所としても、最近は、この分野が研究の主力に育っているのだろう。以下に、本書の各章のタイトルを記すと、本書の内容がイメージできるだろう。

第一章 ES細胞の前史---ひっぱりだこの胎児細胞
第二章 ES細胞の発見---あらゆる器官をつくる始原細胞
第三章 ES細胞の利用---トランスジェニック・マウス
第四章 ヒトES細胞の発見---競争・規制・促進
第五章 事業化への発想---クローン動物とES細胞技術
第六章 人工臓器---器官のオーダーメイド承ります 
第七章 ヒトゲノム計画の展開ES細胞---悪夢か福音か
終章 危機感と倫理観と---あとがきにかえて

「理研精神八十八年(2005年3月20日発行)」のPDF版が理化学研究所のホームページに掲載されている。

理化学研究所は、WIKIPEDIA「理化学研究所。(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%90%86%E5%8C%96%E5%AD%A6%E7%A0%94%E7%A9%B6%E6%89%80)」によれば、「財団法人 理化学研究所[編集]:大正期の理化学研究所1917年(大正6年)に渋沢栄一を設立者総代として皇室・政府からの補助金、民間からの寄付金を基に「財団法人理化学研究所」を東京都文京区駒込に設立。伏見宮貞愛親王が総裁、菊池大麓が所長に就任。」とあり、二年後に理研創設から100年になるが、その輝かしい伝統をSTAP細胞事件が真っ黒に塗りつぶしてしまったように感じる。

上記、「理研精神八十八年」には、「理研に白羽の矢(P352):国の政策遂行の研究機関として、理研に白羽の矢が立てられ、2000年4月、理研は「横浜研究所」を開設し、1998年10月に設置していたゲノム科学総合研究センター(GSC)に加え、新たに植物科学研究センター(PSC)と遺伝子多型研究センター(SRC)を設置する。2000年4月に設置した発生・再生科学総合研究センター(CDB)は、その2年後(2002年4月)に開設した「神戸研究所」の所属となる。また2000年4月には、それまでのライフサイエンス筑波研究センターを「筑波研究所」と改称し、そこに2001年1月、バイオリソースセンター(BRC)を設置した。その後、横浜研究所には、2001年7月に免疫・アレルギー科学総合研究センター(RCAI)が加わり、4研究センター体制となった。」と誇らしげに記述されている。

STAP細胞事件を正確に理解するためには、ES細胞の理解が不可欠だ。理化学研究所が大々的に打ち上げたSTAP細胞が実はES細胞だったと確定した現在、STAP細胞事件はまさに世紀の大捏造事件になったのではないか。本書を読んで、ES細胞も倫理的観点から、種々の問題を抱えていた事が良く分かった。当然、そのような背景があってこそ、iPS細胞の作成が科学上の業績として一層輝くのだ。

昨年(2014年1月)、そのES細胞以上に画期的なSTAP細胞が作られたと発表され、早くもノーベル賞候補と持て囃された。だが、時代は高度に情報通信技術が発達して、誰でもが、その原論文にアクセスできるようになっていた。当然、価値ある情報ほど厳格に評価されるべきなのだ。それを、組織的に行ってきたのが、官報や特許公報ではないか。発表されたSTAP細胞論文の不具合点が続々指摘され、ついに理化学研究所がその問題に介入を始めた。これを言い換えれば、STAP細胞論文は理化学研究所の利害を反映していたのではないかと思われるのだ。

科学雑誌ネイチャーに掲載されたSTAP細胞論文の著者の内、理化学研究所関係者は論文筆頭著者を含めて4名であった。論文筆頭著者を除いた3名の科学者が、理化学研究所でES細胞の研究に従事していたという点が、事件解明の途中ほとんど注目を集めなかったのは、今となっても怪訝に思われるのだ。

理化学研究所の理事長の辞任、論文不正の調査、再発防止と形式的な手順を踏んで、当局は、本事件の終息を宣言し、マスコミ、ジャーナリズムの動きも見えなくなっている。だが、このSTAP細胞事件は、一時的に動きが収まったように見えているだけで、いつマグマが吹き出るか誰も予想できない状況にあるように見える。

この事件で、一番怖いと思ったのは、科学者の倫理意識のありかたであった。素人見には、共著者全員が、一堂に集まって共同記者会見をすれば、矛盾点もはっきりすると思った。だが、STAP細胞が事件の様相を示し始めると、共著者はお互い敵の如く振る舞い、科学という崇高な目的を忘れているかのように振る舞った姿を見るにつけ、科学者の危なさを意識させられたのである。極論すれば、自分の利益の為に科学の精神も売ってしまわないかという疑問だ。

本書でも、多くの需要があり、供給が極めて限られるので、病気の治療の為の臓器売買は必要悪として、行われてきた例が述べられている。タテマエでは人の命は平等だと言われるが、平等になるまでの道のりは遠いのが実状だろう。ES細胞の研究者が、iPS細胞の出現で、研究の傍流に立たされたという見方も、本書によれば、ある程度納得できる仮説かも知れない。

キーワード「STAP細胞」でGoogleサイト内検索(https://www.google.co.jp/webhp?tab=ww#q=STAP%E7%B4%B0%E8%83%9E%E3%80%80site:http:%2F%2Faf06.kazelog.jp%2F)。

日本経済新聞は、「STAP、謎残し幕引き 理研は特許取り下げへ 。;http://www.nikkei.com/article/DGXLASGG26H4D_W4A221C1EA1000/。(2014/12/27 1:33 ))」というタイトルで、「 理化学研究所の調査委員会は26日、STAP細胞の存在を否定する報告書をまとめた。別の万能細胞である胚性幹細胞(ES細胞)が混入した可能性が高いと結論づけた。小保方晴子氏ら関係者への聞き取りはしたものの、なぜ混入を見抜けないまま論文が発表されたのか真相は解明できなかった。1年近く続いたSTAP騒動は、多くの謎が残されたまま幕引きとなった。」と報じた。

本書には、バイオテクノロジーに関する特許等の知的所有権は膨大な利益を生む事を述べている。従って、バイオテクノロジーの特許は国家戦略と言えるだろう。TPP交渉で知的所有権の問題がどのように扱われているのか詳細が報じられていない。iPS細胞細胞に関する特許では、日本は優位性を保っているようだ。尚、特許電子図書館はサービスが終了し、新しい「特許情報プラットフォームサービス」が開始されている。そのサービスにより、「ES細胞」を検索すると「ヒット件数 529件」と表示された。尚、ES細胞AND理化学研究所では「ヒット件数 36件」と表示された。(ヒット件数はデータベース遡及制限があるので少なくても、ヒット件数以上のデータがある場合もあり得るだろう。)

キーワード「iPS細胞 特許」でGoogleサイト内検索(https://www.google.co.jp/webhp?tab=ww#q=iPS%E7%B4%B0%E8%83%9E%E3%80%80%E7%89%B9%E8%A8%B1%E3%80%80site:http://af06.kazelog.jp/&start=0)。

STAP細胞に関しては、国際特許が出願されているが、ネイチャー誌のSTAP細胞論文が取り下げられ、STAP細胞が存在しないと確定した現在、その価値は無いに等しいだろう。ただ、いかなる目的で、国際特許が出願されたかの解明は今後の課題であろう。たった一度だけ、STAP細胞から作られたキメラマウスが生まれたとという事が真実という前提で出願されたのか。

ただ、現在はSTAP細胞から作られたキメラマウスが実は、ES細胞から作られていたとするのが真実であると理化学研究所が公表している以上、最早STAP細胞問題は、捏造事件として扱うべき段階だろう。複雑な科学的操作をしなければ、キメラマウスを作る事は不可能なのだから、それを作った人も必ずいる筈だ。ただ、作った人が、意識して作ったのか、故意で作ったのか、知らずに出来てしまったのか、それとも、誰かES細胞を混入させて実験責任者が気付かぬように操作して、実験責任者はそれを知らずに、キメラマウスが出来てしまったのか、手元を見ない限り神すら分からないのが人間の世界だ。

本来、なぜES細胞の混入が起きたのか、誰がその混入をさせたのかを特定しない限り、真相は明らかにならないのだ。だが、実験室へ入室できる人が制限されていなかったとい後付けの理由で、理化学研究所はその解明責任を放棄してしまった。この禍根は永久に残るだろう。ただ、理化学研究所のような施設に、よそ者が入る事は不可能に近いのではないか。実験室にアクセスできる可能性がある人物は星の数ほどいる筈は無い。要するに、それを解明すると理化学研究所に不都合になるだけで取りやめたと考える人が多いのではないか。

STAP細胞事件が理化学研究所の研究者にどのような影響を与えたかに関しては、具体的な報道が少なくはっきりしない。ただ、CDBは改組され、「発生・再生科学総合研究センター(2000~2014年)は2014年11月の改組に伴い、センター名を「多細胞システム形成研究センター」に変更すると共に、研究組織を再編しました。(http://www.cdb.riken.jp/aboutthis.html)」とある。

「CDBは2014年11月の改組に伴い、研究室の編成と組織を再編しました。運営機能を強化すると共に、研究組織としては4つのプログラム、「細胞環境応答研究プログラム」、「器官創生研究プログラム」、「幹細胞臓器再生研究プログラム」、「発生・数理科学研究プログラム」と、これらのプログラムから得られる成果を臨床研究に展開し、新しい医療技術の創出に導く「網膜再生医療研究開発プロジェクト」を設置しています。(http://www.cdb.riken.jp/about/organization.html)」

組織の単純・軽量化、人材の流出・分散、予算の減少等々で、日本のバイオテクノロジーの総本山の地位は低下したのだろうか。この分野には、ピペット奴隷という言葉もあるようだ。研究所が軍隊のように整備されると、研究の自由も保障されず、研究者も自分が全体の中で何を受け持っているか分からなくなる恐れもあるだろう。

バイオテクノロジー研究機関も一歩間違えば、旧陸軍の731部隊になり下がる危険が皆無とは言えないだろう。ES細胞の研究は、まさに神の領域に人間が手を付ける事に通じる。

WIKIPEDIA「731部隊。(http://ja.wikipedia.org/wiki/731%E9%83%A8%E9%9A%8A)」

STAP細胞事件は、日本の科学界が、危機一髪の所で、壊滅する段階まで到達した、記録すべき事件のように見える。今となっては、理化学研究所100年を大々的に祝える状況にはないのかも知れない。ただ、今回のSTAP細胞事件が、理化学研究所が次の百年の歩みを始めるための試金石になるのは確実ではないか。是非、そうなって貰いたいものだ。

本書を読んで、ES細胞の持つ意味と、その研究の意味もおぼろげながら分かりかけてきた。iPS細胞が作られたのも、ES細胞の長期間の研究が背景にあった筈だ。

「巨人の肩に乗った小人(http://af06.kazelog.jp/itoshikimono/2008/12/post-69ad.html)。(2008年12月 9日 (火))」の事を思い出す。

本書を読みかじったのと、特許情報プラットフォームサービスが開始され、そのシステムを初めて使ってみようととして、ネイチャー誌STAP細胞論文の理化学研究所関係著者が関係する特許を調べて見た。故笹井芳樹前CDB副センター長を筆頭に理化学研究所でのES細胞の研究成果が特許という形で具体的に浮かび上がってきた。一方、STAP細胞論文筆頭著者のES細胞に関する特許はヒットしなかった。

STAP細胞を作るにも、一般の人には伝えにくいコツがあると言われてきた。STAP細胞事件の初期には、STAP細胞は明らかにできたとして、それを再現するプロトコルも作られた。今から振り返ると、このプロトコルも捏造だったのではないか。STAP細胞研究の専門家である論文筆頭著者が、何度も実験してもSTAP細胞が出来なかったのも謎めいている。それほど難しいなら、ES細胞をSTAP細胞と偽ってキメラマウスを作るのも相当難しいのではないか。従って、キメラマウスができたという事実の裏側には相当技術レベルの高い謎の人物がいなければならないと素人は予想することしかできないのではないか。

ES細胞とiPS細胞は、STAP細胞事件発生時点で、既に科学・技術的に確立されていたのであり、STAP細胞事件は、それらの基礎の上で演じられた訳である。ここで、思い出すのは、古代史の発掘(旧石器)捏造事件である。

WIKIPEDIA「旧石器捏造事件。(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A7%E7%9F%B3%E5%99%A8%E6%8D%8F%E9%80%A0%E4%BA%8B%E4%BB%B6)」

Googleでキーワード「旧石器捏造事件」を検索(https://www.google.co.jp/webhp?tab=ww#q=%E6%97%A7%E7%9F%B3%E5%99%A8%E6%8D%8F%E9%80%A0%E4%BA%8B%E4%BB%B6)。

STAP細胞事件も発掘(旧石器)捏造事件とどこか類似の構造を持つように感じるが、STAP細胞事件の方は、科学的事実で検証が可能であった事や情報化時代という動きの速さにより、急速にフィードバックがかかり、事態の深化・拡大が防止出来たのは不幸中のが幸いだったのかも知れない。

 参考年表(WIKIPEDIA等から引用)

ネン 記事キジ
1865年 メンデルが遺伝の法則を発見(オーストリア)
1953年 ワトソンとクリックがDNA二重らせん構造を解明(米国)
1973年 コーエンとボイヤーが大腸菌を使った初の遺伝子組み換えに成功(米国)
1956 (昭和31)ネン 日本初の腎臓移植
1964 (昭和39)年 日本初の肝臓移植
1962年 ジョン・ガードンは、1962年に分化した体細胞は胚性の状態にリプログラムすることができることを、オタマジャクシの腸上皮細胞を徐核したカエルの卵に移植することで実証した。この業績により、2012年にノーベル賞を受賞した。
1968 (昭和43)年 日本初の心臓移植(和田心臓移植)
1981年 マウスES細胞は1981年に樹立。
1989年 山中ヤマナカ伸弥シンヤ:1989年(平成元年)に大阪市立大学大学院に入学。山本研二郎が教授を務めていた薬理学教室で、三浦克之講師の指導の下、研究を開始。
1981年 1981年、胚性幹細胞(ES細胞)が、マウスの胚から2つの研究グループによって独立に樹立された。ケンブリッジ大学遺伝学部門のマーティン・エヴァンズおよびマシュー・カウフマンが7月に初めて報告し、子宮内のマウス胚を培養し、ES細胞を樹立する新たな技術を明らかにした[3]。カリフォルニア大学サンフランシスコ校解剖学部門のゲイル・R・マーティンは12月に論文を発表し、「胚性幹細胞」という用語を作った[4]。彼女は、胚がin   vitroで培養できること、これらの胚からES細胞を樹立できることを示した。
1990年 ヒトゲノム計画:このプロジェクトは1990年に米国のエネルギー省と厚生省によって30億ドルの予算が組まれて発足し、15年間での完了が計画されていた。
1997年 ドリー(Dolly、1996年7月5日   -   2003年2月14日)は、世界初の哺乳類の体細胞クローンである雌羊。スコットランドのロスリン研究所で生まれ育ち、6歳で亡くなる。ドリーの誕生は1997年2月22日に発表された。
1998年 1998年、ウィスコンシン大学マディソン校のジェームズ・トムソン(英語版)によって率いられた研究者らが、ヒト胚性幹細胞を単離・培養する技術を初めて開発した[5]。
2000年 発足後、プロジェクト(ヒトゲノム計画)は国際的協力の拡大と、ゲノム科学の進歩(特に配列解析技術)、及びコンピュータ関連技術の大幅な進歩により、ゲノムの下書き版(ドラフトとも呼ばれる)を2000年に完成した。
2001年 米国ブッシュ政権が2001年8月に公的研究費による新たなヒトES細胞の樹立を禁止
2002年 理化学研究所:神戸研究所に発生・再生科学総合研究センターが移設
  (2002年4月)
2003年 ヒトゲノム計画:完全・高品質なゲノムの完成に向けて作業が継続されて、2003年4月14日には完成版が公開された。
2006ネン 2006年(平成18年)、山中伸弥率いる京都大学の研究グループによってマウスの線維芽細胞(皮膚細胞)から初めて作られた。
2006ネン 2006年にAdvanced   Cell Technology社のRobert   Lanzaらのグループは、マウス[7]およびヒト[8][9]において、胚盤胞期以前の卵割期の胚の単一割球のみを用いて、胚の発生能を損なうことなく、ES細胞を樹立することに成功した。この技術開発により受精卵を破壊せずにES細胞の樹立を行うことが可能になった。   同年、ニューキャッスル大学のMiodrag   Stojkovicらのグループが、発生停止したヒトの胚からES細胞を樹立することに成功した[10]。これにより、不妊治療において廃棄されていた過剰な卵を用いることが可能になった。
2008ネン 国内で唯一3株のヒトES細胞株樹立に成功している京都大学再生医科学研究所において、これまで樹立を行ってきた末盛博文准教授が、今回新たに2株の樹立に成功した。これらの細胞株はKhES-4,   KhES-5と呼ぶことにする。樹立日は2008年12月とする。これによって、合計5株のヒトES細胞株が樹立されたことになり、新規2株も今後使用機関に分配される。(http://www.kyoto-u.ac.jp/static/ja/news_data/h/h1/news6/2008/081205_1.htm)
2012ネン 「成熟細胞が初期化され多能性をもつことの発見」により2012年のノーベル生理学・医学賞を受賞した[1][2]。
2013ネン STAP細胞国際特許出願日20131031(https://patentscope.wipo.int/search/docservicepdf_pct/id00000022883817.pdf)
2014年 2014年1月に小保方晴子(理化学研究所)らが、チャールズ・バカンティ(ハーバード・メディカルスクール)や若山照彦(山梨大学)と共同で発見したとして、論文2本をネイチャー(1月30日付)に発表した[9][10]。
2014ネン 2014年8月5日   ... 弊所 発生・再生科学総合研究センター(CDB)の笹井芳樹副センタ―長(52歳)は、5日 11時03分に死去いたしました。   謹んでお悔やみ申し上げます。 (http://www.riken.jp/pr/topics/2014/20140805_1/)
2014ネン 2014年9月12日、理化学研究所発生・再生科学総合研究センターと先端医療センター病院がiPS細胞から作った網膜の細胞を、「加齢黄斑変性」の患者に移植する臨床研究の手術を行ったと発表[45][46][47]。

以下は、特許情報プラットフォームサービスを使用した研究者別特許検索結果である。

特許情報プラットフォームサービスにより検索ケンサクしたネイチャーSTAP細胞論文ロンブン理研リケン関係カンケイ著者チョシャ特許トッキョ        
 
項番
文献番号 発明の名称 筆頭出願人 発行日 出願番号 出願日 筆頭IPC
  (登録公報・US和抄は権利者を表示)
笹井芳樹
1
特開2013-128477 網膜層特異的神経細胞を製造する方法 住友化学株式会社 他 2013年7月4日 特願2012-043083 2012年2月29日 C12N 5/0797
  2 特開2013-128476 眼杯様構造体の製造方法 住友化学株式会社 他 2013年7月4日 特願2012-043082 2012年2月29日 C12N   5/071
  3 特開2013-128475 網膜組織の製造方法 住友化学株式会社 他 2013年7月4日 特願2012-043081 2012年2月29日 C12N   5/071
  4 特開2013-128474 網膜色素上皮細胞の製造方法 住友化学株式会社 他 2013年7月4日 特願2012-043080 2012年2月29日 C12N   5/071
  5 特開2013-110988 多能性幹細胞由来の組織の凍結保存方法 住友化学株式会社 他 2013年6月10日 特願2011-258208 2011年11月25日 C12N   1/04
  6 特開2013-099345 幹細胞の培地及び培養方法 独立行政法人理化学研究所 2013年5月23日 特願2013-004088 2013年1月11日 C12N   5/0735
  7 特開2012-245007 無血清浮遊培養による胚性幹細胞の神経分化誘導法 独立行政法人理化学研究所 2012年12月13日 特願2012-183508 2012年8月22日 C12N   5/079
  8 特開2010-166901 卵膜由来細胞の細胞外マトリクスを用いた多能性幹細胞の培養方法 独立行政法人理化学研究所 他 2010年8月5日 特願2009-197239 2009年8月27日 C12N   5/07
  9 特開2008-099662 幹細胞の培養方法 独立行政法人理化学研究所 2008年5月1日 特願2007-118183 2007年4月27日 C12N   5/06
  10 特開2005-333904 羊膜由来因子による胚性幹細胞の培養方法 独立行政法人理化学研究所 他 2005年12月8日 特願2004-158421 2004年5月27日 C12N   5/06
  11 特開2004-298108 水晶体細胞の作製方法、およびこの方法によって得られる水晶体細胞 独立行政法人 科学技術振興機構 2004年10月28日 特願2003-096002 2003年3月31日 C12N   5/06
  12 特表2013-509859 幹細胞の分化誘導方法 独立行政法人理化学研究所 2013年3月21日 特願2012-521401   C12N   5/0735
  13 特表2010-504090 幹細胞の培地及び培養方法 独立行政法人理化学研究所 2010年2月12日 特願2009-528790   C12N   5/07
  14 再表2013/065763 幹細胞の培養方法 独立行政法人理化学研究所 2015年4月2日 特願2013-541830   C12N   5/0735
  15 再表2009/148170 幹細胞の培養方法 独立行政法人理化学研究所 2011年11月4日 特願2010-515950   C12N   5/0797
  16 再表2006/004149 神経細胞の製造方法 協和醗酵工業株式会社 他 2008年4月24日 特願2006-528933   C12N   5/06
  17 再表2005/123902 無血清浮遊培養による胚性幹細胞の神経分化誘導法 独立行政法人理化学研究所 2008年4月10日 特願2006-514858   C12N   5/06
  18 再表03/042384 胚性幹細胞から外胚葉系細胞への分化誘導剤、その取得方法及びその用途 協和醗酵工業株式会社 他 2005年3月10日 特願2003-544199   C12N   15/09
  19 再表01/088100 胚性幹細胞の外胚葉系細胞への新規な分化誘導法及びその用途 協和醗酵工業株式会社 他 2003年8月5日 特願2001-585308   C12N   5/06
                 
若山ワカヤマ照彦テルヒコ
1
特開2013-134491 顕微鏡および光透過ユニット 独立行政法人理化学研究所 他 2013年7月8日 特願2011-286996 2011年12月27日 G02B 21/06
  2 特開2009-268423 動物組織からクローン動物ならびにntES細胞を作成するための新規方法 独立行政法人理化学研究所 2009年11月19日 特願2008-123133 2008年5月9日 C12N   5/10
  3 特開2009-159878 非ヒトES動物の新規作成方法 独立行政法人理化学研究所 2009年7月23日 特願2008-000089 2008年1月4日 A01K   67/027
  4 特開2009-005651 精子細胞の保存方法 独立行政法人理化学研究所 2009年1月15日 特願2007-171788 2007年6月29日 C12N   5/06
  5 特開2008-263815 キレート剤を用いた卵子の活性化 独立行政法人理化学研究所 2008年11月6日 特願2007-109238 2007年4月18日 C12N   1/00
  6 特開2007-244271 ES細胞の分化能の改善方法 独立行政法人理化学研究所 2007年9月27日 特願2006-071193 2006年3月15日 C12N   5/10
  7 特開2007-117081 核移植卵子の作製方法 独立行政法人理化学研究所 2007年5月17日 特願2006-208565 2006年7月31日 C12N   5/10
  8 特開2006-223220 トランスジェニック非ヒト動物の作成方法 独立行政法人理化学研究所 2006年8月31日 特願2005-042661 2005年2月18日 A01K   67/027
                 
丹羽ニワ仁史ヒトシ 1 再表2004/039965 多能性幹細胞培養用の組成物とその使用 独立行政法人理化学研究所 他 2006年3月2日 特願2004-548105    
小保方晴子 0              

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2014年12月 7日 (日)

読みかじりの記:カラー版 妖怪画談(岩波新書(新赤版238)) 水木しげる 著 (1992年 株式会社 岩波書店)

2014年12月7日(日)
昨日は晴れ。最高気温(℃) 8.4 11:34。最低気温(℃) -1.3 05:23。ざっそう句:お歳暮の 下仁田ネギを 待つ我が家。丹波の黒豆を乾燥。畑から庭へ移した黒豆を処理。天地返しをしていないので乾燥状態が良くない。未熟で表皮が黒くなりかけの物もある。大型寒波が到来し日本海側地方には大雪が降ったようだ。影響が出始めているようだ。キウイフルーツの葉も全部落葉。降霜があったようだ。早めに収穫しなければ。当地も気温が低く、鼻水をすすりながら丹波の黒豆を優先作業。昼宅配。残念だがお歳暮ではなかった。夕方来客。他愛のない雑談。選挙の話は出ず。県のHPによれば期日前投票者数は前回を上回っているようだ。早めに投票するのが正解のようだ。

気象人のホームページ(http://www.weathermap.co.jp/kishojin/diary_detail.php?date=2004-12-07)によると「初霜:(平年比+24日、昨年比+19日) 最晩記録」と初霜の遅さで新記録となったようだ。

2014年12月6日の天気(AMEDAS)

TAVE= 3.9 NO DATA
TMAX= 8.1 最高気温(℃) 8.4 11:34
TMIN= -1 最低気温(℃) -1.3 05:23
DIFF= 9.1
WMAX= 5 最大瞬間風速(m/s)(風向(16方位)) 9.7(北西) 11:33
SUNS= 6.6 NO DATA
RAIN= 0

Q
Q

読みかじりの記:カラー版 妖怪画談(岩波新書(新赤版238)) 水木しげる 著 (1992年 株式会社 岩波書店)

著者の漫画をどれほど読んだかはっきり記憶していない。「ゲゲゲの鬼太郎」はテレビで放映されたのか。WIKIPEDIAによると、アニメが放映された頃が、子供達の少年期と重なり、親子で楽しんだ作品だったようだ。

WIKIPEDIA「ゲゲゲの鬼太郎。(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B2%E3%82%B2%E3%82%B2%E3%81%AE%E9%AC%BC%E5%A4%AA%E9%83%8E)」

岩波書店のホームページ(https://www.iwanami.co.jp/cgi-bin/isearch?isbn=ISBN4-00-430238-2)によると現在品切れのようだ。

WIKIPEDIA「水木しげる。(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B0%B4%E6%9C%A8%E3%81%97%E3%81%92%E3%82%8B)」

岩波新書の赤版で読んだ記憶があるのは、「国定忠治 高橋敏 著((2000年8月18日 新赤版 (685))」で、新書のお堅いイメージと異なり、新鮮さを感じた。本書はそれよりもかなり前に出版されているが、その存在は知らなかった。たまたま、古書店で出会った。

本書でも、著者の妖怪との付き合いの長さが述べられている。子供の頃は、妖怪をどのように認識していたかは定かではない。多分、お化けで全てが済んでいたように感じる。「妖怪」とはその文字が理解できないとイメージがつかめないのではないかと思う。

そこで「妖怪」「妖」の意味を漢字源で調べると、なまめかしい、あやしい、不気味というような意味がある。会意兼形声で、女の特徴と絡んでいるので始末が悪い。「妖怪」の「怪」も、あやしい、不思議、化け物というような意味があり、同義反復で、益々怪しく感じる単語ではないかと感じる。

今日の科学的常識からは、妖怪を見たと言うと馬鹿にされたりする心配もある。本書の最後の章「奇想を楽しむ日々」が著者の言いたい事らしいが、そもそも妖怪は感じる対象であり、それを絵にしなければならない漫画家として辛い所かも知れない。あるいは、想像し・感じた妖怪という対象を絵として生み出す創造の楽しみがあるのかも知れない。

実は、「妖怪」という現象は、怖いが見たいという相反する心理的バランスの上に現れるのではないか。科学や理性・合理性を問わず、もう少し原始的な人間性の範疇の現象なのかも知れない。真偽・存否は一時おあずけにして、もう少し精神を癒やそうという狙いもあるのかもしれない。

「老人の寝言:老人の妄想:STAP細胞特許をどうする?:貧相な科学者は皆無と信じたいが(http://af06.kazelog.jp/itoshikimono/2014/04/stap-4bf7.html)。(2014年4月19日 (土))」

今年の社会現象としては、妖怪以上の怪異現象が幾つも発生したのではないか。人間社会に起こる現象も極論すれば、科学現象に過ぎない。だが、人間という存在において、余りにも大脳依存性が巨大化して、思考と行動と意識が分離してしまったようだ。確かに、ある個人が誰にも知られずに反社会的な行為によって自分を利する事も不可能ではないだろう。そのある個人をある集団やグループに置き換えても同じ事が言えるかもしれない。ところが、ある集団やグループメンバーの間で、利害が対立すると、妖怪以上の怪異現象が発生するように見える。妖怪を思いのままに操れれば、これまた楽しい事だろうと思うが、妖怪は庶民に対しては、そんなに親切ではなさそうだ。

妖怪と言葉で思い出すのが、共産党宣言の中の一節だった。PROJECT GUTENBERG:Manifest der Kommunistischen Partei(Karl Marx / Friedrich Engels);「Ein Gespenst geht um in Europa-das Gespenst des Kommunismus. Alle Maechte des alten Europa haben sich zu einer heiligen Hetzjagd gegen dies Gespenst verbundet, der Papst und der Zar, Metternich und Guizot, franzosische Radikale und deutsche Polizisten.(http://gutenberg.spiegel.de/buch/manifest-der-kommunistischen-partei-4975/1)」がそれに相当するようだ。

「Gespenst」は英語の「gohst」のようだ。 Googleでキーワード「Gespenst」を画像検索(https://www.google.co.jp/search?q=Gespenst&hl=en&source=lnms&tbm=isch&sa=X&ei)。何か可愛らしいお化けが表示される。

Googleでキーワード「ghost」を画像検索(https://www.google.co.jp/search?q=ghost&hl=en&source=lnms&tbm=isch&sa=X&ei)。

英語のghostは人間と関係した幽霊、亡霊のイメージが強いようだ。

Googleでキーワード「妖怪」を検索(https://www.google.co.jp/search?q=%E5%A6%96%E6%80%AA&biw=1093&bih=451&source=lnms&tbm=isch&sa=X&ei)。 日本語の妖怪の方が、バラエティに富んでいるようだ。

ところで、「国際日本文化研究センター (http://www.nichibun.ac.jp/ja/)」に「怪異・妖怪画像データベース(http://www.nichibun.ac.jp/YoukaiGazouMenu/)」というのがあった。データベース検索画面のキーワードをクリックすると画像が閲覧できる。日本人の想像力に驚嘆しないでもない。著者も、日本の伝統を受け継いだ戦後の怪異・妖怪画家と言えるのだろうか。

奇想・空想上の妖怪なら何か愛嬌があり、無害かも知れないが、普通の顔をした妖怪の本物と偽物を見分ける事は困難を極める。今後は、本格的な妖怪解剖学が必要になるかも知れない。

「魑魅魍魎」という言葉:これは凄い。全部「鬼」偏。旁の方が怪異・妖怪を表すようだ。漢字源によると山川草木という自然の驚異・脅威が背景にあるようだ。広辞苑によると、魑魅は史記にも現れるようだ。その自然が科学により暴かれて、魑魅魍魎が住む場所を失ったのが現代か。人間の方がますます、魑魅魍魎化しつつあるようだ。

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2014年4月 5日 (土)

読みかじりの記:失敗学のすすめ 畑村洋太郎 著 (2000年 株式会社講談社)

2014年4月5日(土)
昨日は曇り時々晴れ一時雨。最高気温(℃) 20.7 13:54。最低気温(℃) 8.2 24:00。ざっそう句:我が思い 適えて咲くや ハナダイコン。不安定な天気。宅内閑居。メール応募。勧誘電話。最近はそれと分かるとすぐに受話器を置いて切れるのを待つ。昔は撃退電話とか相手を退散させる音を発信する機能を持った電話機があったと思う。それに代わったのが番号通知機能か。多機能電話にしようと思うこともあるが、ほとんど昔風のスタイルで電話を使っている。最近はケイタイの比重が高くなり、有線の電話利用は激減している。それでも、黒電話撤去は社会への窓を閉じるような感じもする。公衆電話も同じ傾向だろう。無用の用みたいだが、インフラとしては欠かせない。最近選挙カーの音が聞こえるようになった。上毛新聞を見ていると、新聞の折り線の部分に記事がかからにように配置されていた。これは読み易くする対策か。

2014年4月4日の天気(AMEDAS)

TAVE= 14.0 NO DATA
TMAX= 20.3 最高気温(℃) 20.7 13:54
TMIN= 8.2 最低気温(℃) 8.2 24:00
DIFF= 12.1
WMAX= 8.7 最大瞬間風速(m/s)(風向(16方位)) 17.3(北西) 19:41
SUNS= 4.5 NO DATA
RAIN= 5 NO DATA

Q
Q

読みかじりの記:失敗学のすすめ 畑村洋太郎 著 (2000年 株式会社講談社)

「失敗」が特に気になるには、社会的な大きな事件や問題が起きた時である。それが、単に失敗で片付けられるべき事象か議論のある所だろうが、やはり、失敗は永久に悩ましい問題なのかもしれない。失敗の様相は多様であり、ある失敗は別のチャレンジの動機となり、成功の始まりにもなる。

本書が出版された当時の事故・社会問題(JCOの臨界事故等)も本書で取り上げられている。本書の出版から十数年経ているが、内容の古さは感じない。すでに類似の事件や問題が起きていても、現実には忘れた頃に再発している例が多いように感じる。本書では、「人間が関わって行うひとつの行為が、はじめに定めた目的を達成できないこと」を「失敗」と定義して、失敗の本質に迫り、それを体系化して、失敗を有用な技術・ノウハウに転換しようという試みのように見える。それを推し進めたのが、失敗に賭けるコストを利益に転じるという著者の「潜在失敗」という経済的視点ではないかと感じる。ただ、「失敗」対する評価やリスク評価が客観的に可能にならないとこのアイデアも絵に描いた餅に近いのかもしれない。

本書を手にした背景には、東京電力福島原発事故がある。投げ売り価格の古本を買っておいたが、かみさんからはぼろくそな事を言われていた。また読みもしない古本を買ってきて部屋が狭くなる一方だとクレームを受ける。捨てる神があれば、拾う神もあるのがこの世の慰みだ。最近、STAP細胞という日本の科学界を揺るがす大問題が生じている。もしや、これも失敗の範疇かもしれないと思い、がらくたの中から探し出したのが本書であった。

一読して、本書も玉石混淆という印象もないではなかった。しかし、大学の先生だって、失敗していると知ると大いに元気づけられる。自分も、現役時代、当時の最新鋭のカラーテレビ工場を一時ストップさせると言う失敗をした苦い経験を持っている。新しく開発したVIF集積回路が量産に入り、華々しく市場に出ようとする直前の出来事であった。チャンネルを回すと今まで綺麗に映っていた画像がぱっと消えて、ノイズだけの画面になってしまう現象が起きたのだ。確かに、こういう経験は言いにくいし伝えにくい。現象自体未経験なのだ。その時は、緊急的な対策で市場不良を出さずに済んで、何とか技術者の首はつながった。現在でも、真の原因は確定できないが、集積回路内部の製造パラメータのバラツキが原因だろうと推定している。当然製造現場にも責任はあるが、技術者としても設計責任を感じた。ともかく、量産初期は、工程の管理データも少なく、管理も安定しないのは当たり前なのだが。起こった問題は解決しない限り、生産計画は大きく狂い、多大な損害が生まれるところだった。

東京電力福島原発事故も発生以来すでに三年以上過ぎたが、問題が解決の方に進むかと期待しているが、現実はますます混迷を深めているように感じる。本書では失敗の階層性を三角形のモデルで表示している。三角形の底辺が個々に責任がある失敗、その上に、組織運営不良、企業経営不良、行政・政治の怠慢、社会システム不適合、最上部に未知への遭遇を配置している。失敗は、階層の各レベルで起こるが、社会性を帯びる上位の失敗が大きな影響を持つことを指摘している。

自分も、東京電力福島原発事故の時は、経営論、リーダー論等の本を読んだ記憶がある。改めて、東京電力歴代社長の略歴を調べてみた。東京電力は技術系の企業なのか。技術系の経営者が、トップに立っていれば東京電力福島原発事故は、未然に防げたのか。また、今回の理化学研究所を中心にしたSTAP細胞問題は、組織的な観点から防止出来たのか。現代の、組織・社会レベルの失敗の背景には、専門化、分業化、組織の業績管理と組織の人事管理等々が、現実に追いついていなかったのも一因のように見える。本書でも組織の問題を指摘しているが、現代文明の欠点である、専門化、分業化の弊害に関する指摘は少ないように感じる。一部、「全体を理解することの大切さ」の項で述べているが。また、組織が分業化の象徴でもあるのだが。このような、社会の基層・基盤部分に関係する失敗要因は、単なる失敗とは異なるだろう。そもそも、「人間が関わって行うひとつの行為が、はじめに定めた目的を達成できないこと」を「失敗」と定義する限り、失敗の記述は容易だが、組織等のバーチャルな存在は個人という仮面をかぶって動くのだ。

WIKIPEDIA「歴代の東京電力社長。(http://ja.wikipedia.org/wiki/Template:%E6%9D%B1%E4%BA%AC%E9%9B%BB%E5%8A%9B%E7%A4%BE%E9%95%B7)」

以下の各代東京電力社長の略歴は上記のリンク先から引用した。

初代 安蔵弥輔 :1912年東京帝国大学電気工学科を卒業、猪苗代水力電気に入社。同社は1923年東京電燈に合併される。戦後日本発送電副総裁を経て1951年に東京電力初代社長。1年で退任後は同社会長、顧問、日本電力調査委員会委員長などを歴任。1955年、電力事業功労者として藍綬褒章をうけた。

2代 高井亮太郎 :新潟県加茂市出身。1920年(大正9年)、東京帝国大学電気工学科を出て猪苗代水力電気入社。東京電燈、関東配電と技術畑で育ち、1946年に関東配電社長[1]。1952年に東京電力社長。1958年、社員が収賄罪で起訴され引責辞任。

3代 青木均一 :旧制京城中学校を経て、 1922年3月東京商科大学高等商業科(現一橋大学)卒業[6]。~1922年4月東京毛織入社、5月日本陶管入社[6]。1926年9月同社取締役[6]。~1951年5月東京電力株式会社取締役[6]。1952年3月国家公安委員会委員長に互選さる(1954年6月廃職)[6]。1954年7月国家公安委員会委員(任期1年)[6]。1957年6月雇用者議会委員(任期2年)[6]。1958年12月東京電力取締役社長[6]。1959年1月品川白煉瓦取締役会長[6]。5月日本電気協会会長[6]。

4代 木川田一隆 :福島県伊達郡梁川町(現伊達市梁川町)生まれ。旧制角田中学(現:宮城県角田高等学校)、旧制山形高校(現:山形大学)を経て、1926年東京帝国大学経済学部を卒業、東京電燈に入社する。東大時代は河合栄治郎の講義を最前列で聴き、河合の唱える理想主義的自由主義に傾倒した。社会に出てからは「電力の鬼」松永安左ヱ門に師事し、民間企業人としての闘魂を学ぶ。戦後の1951年、電力業界再編で誕生した東京電力で常務、1954年副社長となるが、部下の汚職事件の責任を取って1958年常務に降格する。ほどなくして1959年副社長に返り咲き、1961年青木均一の後を継いで社長に就任した。

5代 水野久男 :愛知県名古屋市出身。第八高等学校 (旧制)を経て、東京大学法学部を卒業。1928年(昭和3年)、東京電燈入社。木川田一隆は浅草営業所時代の上司であり以後親交を持つようになる。1971年に社長に就任、5年務めた。ちなみに社長退任時の退職金6億円は当時の経済界史上最高額[1]。

6代 平岩外四 :6歳で父親を亡くし、母親に育てられる。愛知七中入学祝に母親から夏目漱石全集を贈られる。一族から大学進学を反対されるが、母親が反対を押し切り、旧制第八高等学校を経て、東京帝国大学法学部へと進学させた。1939年(昭和14年)に大学を卒業。東京電灯(現在の東京電力)に入社した。1941年(昭和16年)太平洋戦争で陸軍に召集される。配属されたニューギニア戦線でジャングルを敗走し、飢えと熱病のため、平岩のいた隊は107名中、最後には生存者7名という地獄の体験をする。この体験は、平岩に人生を達観させる契機となった。終戦後会社に戻り、そこで木川田一隆の目にとまり、平岩は木川田を「経営についても人生についても終生の師」と尊敬するようになる。1971年(昭和46年)常務、1974年(昭和49年)副社長を経て、1976年(昭和51年)10月東京電力社長に就任する。1984年(昭和59年)6月社長を退き、会長に就任した。1993年(平成5年)に相談役に就く。

7代 那須翔 :1924年(大正13年)、宮城県仙台市出身。旧制仙台第二中学校、旧制第二高等学校を経て1948年東京大学法学部政治学科卒業、関東配電(東京電力の前身)入社[1]。。1984年社長就任。「家庭用時間帯別料金制度」を試験導入するなどの実績を残した。その後は会長や相談役を歴任したが、2002年の原発データ改竄事件を受け、当時の南直哉社長らとともに引責辞任した。

8代 荒木浩:東京都出身。旧制成蹊高校を経て、1954年東京大学法学部卒業、東京電力入社。1993年に社長昇進。1999年から会長。2002年に原発データ改竄事件を受け引責辞任し同社顧問。

9代 南直哉 :三重県出身。三重県立上野高等学校を経て1958年、東京大学法学部を卒業し東京電力入社。取締役を経て1999年に東京電力社長。しかし原子力発電所の点検記録の改竄事件の責任をとって、2002年に辞任した。

10代勝俣恒久:東京府出身。のちに代々木ゼミナール創設者の一人となる勝俣久作の四男である。世田谷区立太子堂中学校[1]、東京都立新宿高等学校、東京大学経済学部卒業。1963年、東京電力入社[2]。企画部・営業部などを経て[1]、1996年6月に取締役企画部長、1998年6月に常務取締役、1999年6月に取締役副社長に就任する。2002年10月、原発データ改竄事件で引責辞任した南直哉の後任として東京電力社長に就任する[3]。

11代 清水正孝:大学は慶應義塾大学経済学部に進んだ。~1995年、資材部長に就任する[6]。取締役副社長就任後は企画・広報を担当した。 2001年、取締役に就任する[5]。

12代 西沢俊夫:長野県大町市出身。1975年京都大学経済学部卒業後、東京電力に入社する。企画部長、常務取締役などを歴任。

13代 廣瀬直己:東京都出身。東京都立新宿高等学校を経て、1976年に一橋大学社会学部を卒業し、東京電力に入社。~2012年5月、次期会長に内定した弁護士の下河辺和彦から東京電力入社の志望理由などを尋ねる面談を受け、勝俣恒久会長及び西沢俊夫社長から次期社長就任を打診され受諾。5月8日の臨時取締役会で第13代表執行役社長に内定し、6月27日の株主総会後の取締役会で代表執行役社長に選出された。

東京電力福島原発事故の時、東京電力が、「ISO9001」を福島原発まで横展開していたら、ひょっとして原発事故が防げていたのではないかと感じた。同様に、理化学研究所には、立派な研究管理規定があると思われる。それは、見方を変えれば危機管理マニュアルでもあるだろう。報道陣の前で、一斉に経営者が頭を下げるパフォーマンスは福島原発事故でいやというほど見させられた。その繰り返しが、今でも延々と行われようとしているのか。

「出番無きマニュアル(老人の寝言):福島原発事故から22ヶ月 大本営は抜け殻だったのか(http://af06.kazelog.jp/itoshikimono/2013/01/22-da9f.html)。(2013年1月11日金曜日)」

ともかく、大きな不祥事や失敗に遭遇した経営者が本書を読めば、大いに参考になるだろう。逆に、修羅場を切り抜けるための、隠しマニュアルとしても役立つかもしれない。しかし、インターネット時代になり、世界は狭くなった。今回のSTAP細胞問題も、当局の思うつぼののように進んでいるようにも見える。でも、失敗は失敗として前向きに評価すべきであるという見解も少数ながらある。科学において、仮説を提示して、それを実証するチャレンジ精神が失われたら科学は進まない。技術も同様であろう。ただ、技術の進歩が、偽装・捏造を身近にしているのも事実だ。技術者や科学者はそのような誘惑に勝てるのか。STAP細胞問題に関しては、動機解明が不十分という指摘が多い。動機解明が出来ていないのに、再発防止策が出来るのかという指摘もある。ともかく、現代はNET上の意見の品質レベルも向上しているようだ。理化学研究所が重い尻を動かしたのも、科学的に妥当な意見は無視できないからであろう。やはり、匿名で発言している専門家がいるのだろう。

自分も、かつて技術部門の管理職として、部下に10回近い試作をさせた経験がある。集積回路をマスク変更をして一回試作するだけでも相当大きな費用を要する。その試作を10回近く行ってようやく量産にこぎ着けた。フルカスタムICで、その集積回路の供給にはメーカーとしての責任がかかっていたのだ。試作に失敗すれば多大な損害賠償要求に直面するリスクがあった。上司の査定は赤点評価に近かったが、チャレンジ精神は認めてもらったようで、それでも何とかクビにならなかった。新しいプロセス開発もできて、おまけの効果もあった。時代と上司に恵まれたと思う。退職時、後からゼロスピン大賞とよばれた表彰システムの原型を置き土産にしてきた。ゴルフのホールインワン賞のように一発の試作で量産にこぎ着けた技術チームを表彰しようとするものであった。やはり、成功に対するインセンティブも必要だと認識されるようになったのだと思う。

今日、日本における技術環境も激変しているようだ。半導体や液晶のハイテク分野も活況を失っている。その次の期待がバイオテクノロジーや先進医療の分野だろう。この分野の失敗が、日本の前途を遮らない事を切に願いたいものだ。
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追記(2014/6/3): 「読みかじりの記:失敗学のすすめ 畑村洋太郎 著 (2000年 株式会社講談社)(2014年4月5日(土) )」の記事がランキング10位に入った(6/2)。これを機会に再読してみた。著者の失敗の定義が、「人間が関わって行うひとつの行為が、はじめに定めた目的を達成できないこと」とあるが、「はじめに定めた目的」がふと引っかかった。STAP細胞捏造事件(?:もうそろそろ事件の名前が付く頃か?)の「悪意ある」改竄とかが問題になった。犯罪には動機が問題となる。その前提として、犯罪という罪に対して、その対価としての罰の大きさを定めるという下心が働くためだろう。ともかく、犯罪は行ってはならないという前提が付く。改竄、捏造も同様な範疇にあるだろう。STAP細胞論文問題も、当初の目的が正当なものであれば、それが真実に反しても、捨て石としての価値はある。ところが、事実として無い事をあると主張する事は、特にその影響が広範に及ぶ事象に関してそういう事を行う事は、それこそあってはならない犯罪に近いのではないか。失敗学がいかに無力であるか、今回のSTAP細胞論文問題が明らかにしたのではないか。「悪意ある」という条件を付けると、それこそ論理と倫理が混交して示しが付かなくなる。悪意ある目的もあるし、悪意ある失敗もある。悪意ある目的が失敗することは、その関係者以外にとっては善であり成功だ。悪意ある失敗が成功すると失敗した本人を含むその関係者には者に有利に働くが、それ以外に対しては結果としては有害の作用を及ぼすのではないか。

NHKは、「STAP細胞の新たな疑義「理研は調査を」。;http://www3.nhk.or.jp/news/html/20140602/k10014919201000.html。(6月2日 19時32分))」というタイトルで、「STAP細胞の論文に見つかった新たな疑義について、理化学研究所は先週、調査しないことを決めましたが、これについて、外部の有識者でつくる改革委員会は2日、研究所に対し、調査を行うよう改めて求めることを決めました。 STAP細胞の論文について理化学研究所は、小保方晴子研究ユニットリーダーが不正行為を行ったと認定して調査を終了し、これを基に関係者の処分の検討を進めています。 こうしたなか、STAP細胞の論文には、画像やグラフに新たな疑義が指摘されていましたが、理化学研究所は先週、一部の著者から論文を取り下げる意向が示されていることを理由に、調査は行わないことを明らかにしました。 これについて、外部の有識者でつくる理化学研究所の改革委員会は2日、都内で開かれた会合で、「内容に区切りがついていない時は、調査は継続しなければならない」として、研究所に対し、調査を行うよう改めて求めることを決めました。」と報じた。

事実が藪の中で、問題の処理だけが独善的に行われれて冤罪につながった例は、過去に無数にあったのではないか。理化学研究所の改革委員会の忠言は、科学の信頼性を維持する最低限の良心だ。理化学研究所は本来率先してそれを行うべきではないか。
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2014年3月 6日 (木)

書き足しの記:「幼稚園真諦」 倉橋 惣三 著 (1976年 株式会社フレーベル館)

2014年3月6日(木)
昨日は雨後曇り。最高気温(℃) 8.3 21:04。最低気温(℃) 3.2 03:55。ざっそう句:啓蟄や 人もモゾモゾ 雨の中。朝方は定例の仕事。小雨がパラパラと降ったが身を切るような寒さは無くなった。夕方来客。話題のニュースをネタに雑談。ビットコインの問題もありゃ詐欺じゃないと話し合うが、ところでビットコインとは何かという基本的な所で立ち往生。多分、そのシステムの基本部分を十分理解している人は極少ないのではないか。ともかく、ビットコインを規制する法律もないようなので、利益も損害も自己責任で終わるのか。この種の事件では、大きな損害が出て初めて社会的問題となる。消えた金はどこへ行ったのか?

2014年3月5日の天気(AMEDAS)

TAVE= 5.3 NO DATA
TMAX= 8.2 最高気温(℃) 8.3 21:04
TMIN= 3.3 最低気温(℃) 3.2 03:55
DIFF= 4.9  
WMAX= 8.3 最大瞬間風速(m/s)(風向(16方位)) 17.1(西北西) 23:28
SUNS= 0 NO DATA
RAIN= 9 NO DATA

Q
Q

書き足しの記:「幼稚園真諦」 倉橋 惣三 著 (1976年 株式会社フレーベル館)

以前書いた記事に、「読みかじりの記:「幼稚園真諦」 倉橋 惣三 著 (1976年 株式会社フレーベル館)(http://af06.kazelog.jp/itoshikimono/2011/11/1976-c88c.html)。(2011/11/24)」がある。

すでにこの記事から、3年以上経過している。最近は生涯教育という考えが普及してきた。教育に需要という考えが妥当かは異論があるだろうが、教育はこういうものだと定義した瞬間に、その教育は精彩を失ってしまうのではないか。ただ、教育が発達段階に応じて、受動的で教育したりされたりという段階とお互いに刺激し会う段階と自分で学び自己を教育してゆく段階に区分して考えるのは有効な方法と思われる。

更に、教育が行われる場を考えると、固定した制度の中の教育と更に広い社会や世界という場での教育も性格が異なってくるだろう。自分が前記の記事を書いた理由には、後者の社会や歴史として考えてみようという意図があった。また教育と技術の関係にも興味を持った。実は、自分の子供達が幼少の頃、ファミコンやSPEAK&SPELLやファミリーベーシックを子供達に買い与えていた。

「子供の教育用おもちゃ(http://af06.kazelog.jp/itoshikimono/2008/11/post-7fe2.html)。(2008/11/20)」

保育園・幼稚園は受動的で教育したりされたりという段階に相当するだろう。「受動的で」とは外部から指導や情報を与えられると広義の解釈が可能だ。またファミコンは、上記記事で書いたように子供達の付き会いメディアという機能を果たしていたと思う。少年時代になれば、ファミコンを通して子供達はお互い情報交換して、新しい事を学習できるようになる。これが「お互いに刺激し会う段階」と解釈で切るだろう。更に、中学から、高校、大学では、自律的に学習して自分の能力を高める段階になる。これを「自己を教育してゆく段階」ととらえる事が可能だろう。

当ブログでアクセスランキングが利用できるようになったのが昨年の9~10月頃であった。;「00001_BLOGアクセスランキング;http://af06.kazelog.jp/itoshikimono/00001_BLOG_RANKING.html」。その当時、「読みかじりの記:「幼稚園真諦」 倉橋 惣三 著 (1976年 株式会社フレーベル館)。(2011/11/24)」の記事が、ランキングの最下位に入っていたのが分かる。つい1週間ほど前まで、同記事はランキングトップを続けてきた。ここへ来て、ランキングが下がり始めた。なぜか?

たまたま、Google検索で「幼稚園真諦」を検索窓に入れると、幾つかのキーワードが現れた。

Googleでキーワード「Google サジェッション機能」を検索(https://www.google.com/?hl=ja#hl=ja&q=Google%E3%80%80%E3%82%B5%E3%82%B8%E3%82%A7%E3%83%83%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%B3%E6%A9%9F%E8%83%BD)。

多分、「幼稚園真諦」を検索窓に入れると、Googleのサーバーがあなたのお探しはこれ?と示してくれる機能のようだ。

表示されたキーワードは、「幼稚園真諦 読み方;幼稚園真諦 まとめ;幼稚園真諦 感想;幼稚園真諦 あらすじ;幼稚園真諦  倉橋惣三(順不同)」であった。このキーワードで何かひらめいた。いままで、なぜ、上記記事が読まれていたのか全然心当たりがなかった。世の中には奇特な人がいるものだと感じていた。実は、何かの手掛かりとして、そのキーワードを検索する需要があるように思われた。

「コピペ(http://af06.kazelog.jp/itoshikimono/2010/01/post-4197.html)。(2010/1/23)」

ここからは推測だが、「幼稚園真諦」が試験やレポートの対象になっているのではないか。アクセスランキングが上がっていたのは丁度学期末等の試験シーズンだったからではないか。更に予想すると、新学期にかけてはアクセスランキングは下がり続けランキングから落ちるのではないか。

Googleでキーワード「井深大 教育者」を検索(https://www.google.com/?hl=ja#hl=ja&q=%E4%BA%95%E6%B7%B1%E5%A4%A7%E3%80%80%E6%95%99%E8%82%B2%E8%80%85%E3%80%80)。

Googleでキーワード「井深大 教育者」を画像検索(https://www.google.com/search?q=%E4%BA%95%E6%B7%B1%E5%A4%A7%E3%80%80%E6%95%99%E8%82%B2%E8%80%85%E3%80%80&hl=ja&source=lnms&tbm=isch&sa=X)。

多分、上記記事の読者は20代前後の年齢ではないか。「幼稚園真諦」は幼児教育の古典のようだ。「温故知新;古きを訪ねて新しきを知る」は昔から変わらない真理なのかもしれない。ふり返ると、「幼稚園真諦」を読みかじってもよく理解できなかった。一方、井深大氏の著書は、ソニーというイメージがあったのか、何となく理解できたような気がした。

WEB情報によると、井深大は『戒名は作らず、墓誌には「井深大」、その上に「自由闊達」と記されている。』そうだ。一方、倉橋 惣三の『墓所の句碑には「自ら育つものを育たせようとする心 それが育ての心である 世の中にこんな楽しい心があろうか」と刻まれている。』そうだ。

Googleでキーワード「自ら育つものを育たせようとする心」を検索(https://www.google.com/?hl=ja#hl=ja&q=%E8%87%AA%E3%82%89%E8%82%B2%E3%81%A4%E3%82%82%E3%81%AE%E3%82%92%E8%82%B2%E3%81%9F%E3%81%9B%E3%82%88%E3%81%86%E3%81%A8%E3%81%99%E3%82%8B%E5%BF%83)。

よくよく考えると、「自ら育つもの」とは、児童が本来持っている能力に従って自由に育ってゆく姿をイメージできそうだ。「育たせようとする心」は保育者・教育者の持つべき精神を現しているのかもしれない。この児童と教育者の関係を更に踏み込んで言えば、児童が伸びようとする能力・方向に合わせて教育者は児童を教育してゆく心構えが必要だということだろうか。そこには、児童の自由を最大限認めてその能力を引き出すという教育原理的な発想があるのかも知れない。そう考えると、井深大と倉橋惣三の教育理念には自由という共通項があるように感じる。

老人になると、墓誌や戒名が何となく気になるものだ。しかし、若い教育者の卵でも、自分の墓誌に記すべき言葉を考えつつ、自分の将来の姿を描くのに早すぎる事はないだろう。井深大や倉橋惣三をも乗り越えて進んでもらいたい。

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追記(2014/7/14):「書き足しの記:「幼稚園真諦」 倉橋 惣三 著 (1976年 株式会社フレーベル館)(2014年3月 6日 (木))。」の記事がランキング9位に入った。これは予想外であった。「読みかじりの記:「幼稚園真諦」 倉橋 惣三 著 (1976年 株式会社フレーベル館)」の記事は相変わらずランキング1位に入っている。自分の予想では、ランキングから消える時期があるだろうとその時期を予想してみたが完全に外れている。それなら、新学期にこれを読めと指示されているのかなと邪推したくなる。自分の青年時代、WIKIPEDIA「斎藤喜博。(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%8E%E8%97%A4%E5%96%9C%E5%8D%9A)」という教育者がいたのを思い出す。「富岡製糸場と絹産業遺産群」の田島弥平旧宅がある、旧島村の島小学校で教員をしていたとの事。Googleでキーワード「島小学校 校章」を検索(https://www.google.com/search?hl=ja&site=imghp&tbm=isch&source=hp&biw=1012&bih=387&q=%E5%B3%B6%E5%B0%8F%E5%AD%A6%E6%A0%A1%E3%80%80%E6%A0%A1%E7%AB%A0&oq=%E5%B3%B6%E5%B0%8F%E5%AD%A6%E6%A0%A1%E3%80%80%E6%A0%A1%E7%AB%A0)。田島弥平の蚕種を象徴する物はないかねと聞いたら、島小学校の校章があると教えられた。Googleでキーワード「小中一貫教育学校」をニュース検索(https://www.google.com/search?q=%E5%B3%B6%E5%B0%8F%E5%AD%A6%E6%A0%A1%E3%80%80%E6%A0%A1%E7%AB%A0&hl=ja&site=imghp&tbm=nws&source=lnms&sa#hl=ja&q=%E5%B0%8F%E4%B8%AD%E4%B8%80%E8%B2%AB%E6%95%99%E8%82%B2%E5%AD%A6%E6%A0%A1&tbm=nws)。このニュースを聞いて何か変な予感を感じた。思いつきで制度いじりをされたら、教育現場は大混乱になるのではないか。思うに、教育の専門家が必要なのか疑問になる昨今だ。

追記(2014/7/19):現在この記事はランキング4位に入ている。2014/7/18の上毛新聞社会欄(25P)に「島小学校存廃の岐路」という大見出しの記事が掲載された。足で書いたような取材で、本当に時宜を得た良い記事だが、その現実は余りにもさびしい。学校こそ地域の中心である。住民は学校が廃墟となるのを座視するのも忍びないだろう。いっそうの事、高齢者が小学生になって一年生からやり直すことは出来ないのか。田島弥平さんに聞いてみよう。

Iob_shimashougakkou 

追記(2017/09/28):Googleでキーワード「幼稚園真諦」検索入力時の表示画像を追記

Iob_googleskdg20170928
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2014年2月16日 (日)

読みかじりの記:新聞社 破綻したビジネスモデル   河内 孝 著 (2007年 株式会社新潮社)

2014年2月16日(日)
昨日も雪後曇り。最高気温(℃) 5.3 21:10。最低気温(℃) -0.5 01:20 。最大瞬間風速(m/s)(風向(16方位)) 18.0(北西) 16:02。換算雨量=103.5mm。ざっそう句:大雪が 五輪の年に 新記録。宅内閑居。BLOGのメンテをした。朝から雪が降り続く。家族が雪かきを始めたが休業した。パイプハウスの駐車場が危ないので車を外に出した。その後ハウスが潰れたが、何とか人も車も助かった。また、ネムノキの太枝が折れた。電線が地面に垂れ部分停電になった。我が家でも相当な被害が出た。前橋では観測史上最高の積雪54センチを記録したとの事。昼過ぎ通路の雪かき。長靴に雪が入らない程度に雪をかいたがまだ不十分。ともかく歩きやすいようにした。雪はさらさらした粉雪で、吹き溜まりになっている部分があった。この大雪で母の短歌を思い出した。「雪積もる 重さに耐へず 竹割るる 音の響けり 爆竹の如」。まだ、竹の様子はみていない。粉雪で葉に付着しにくかったかもしれない。

2014年2月15日の天気(AMEDAS)

TAVE= 2.4 NO DATA
TMAX= 5 最高気温(℃) 5.3 21:10
TMIN= -0.5 最低気温(℃) -0.5 01:20
DIFF= 5.5
WMAX= 8.9 最大瞬間風速(m/s)(風向(16方位)) 18.0(北西) 16:02
SUNS= 0 NO DATA
RAIN= 103.5 NO DATA

Q
Q

読みかじりの記:新聞社 破綻したビジネスモデル   河内 孝 著 (2007年 株式会社新潮社)

本書を手にしたのは最近の新聞がどうもおかしいのではないのかと感じるようになったからである。著者が本書で意図するビジネスモデルが良く理解できない。新聞の購読契約数至上主義がその一例のように見えたがはたしてそれだけが本書の言うビジネスモデルなのか。

WIKIPEDIA「朝日新聞社。(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%9D%E6%97%A5%E6%96%B0%E8%81%9E%E7%A4%BE)」非上場の株式会社。 朝日新聞社ホームページの会社概要によると、「会社名 =株式会社 朝日新聞社 ;社主 =村山 美知子 、上野 尚一;資本金=6億5,000万円 。  

WIKIPEDIA「読売新聞社。(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%AA%AD%E5%A3%B2%E6%96%B0%E8%81%9E%E7%A4%BE)」:株式会社読売新聞東京本社。WIKIPEDIA記事によると、「2002年7月1日付で読売新聞グループの再編が行われてからは、従来の読売新聞社改め持株会社である読売新聞グループ本社傘下となった以下の新聞現業3社の総称として用いられる。」との事。

読売新聞社ホームページによると、「組織体制(読売新聞基幹6社)」とあり、そのトップが「(株)読売新聞グループ本社」であり、「設立=2002年7月1日 ;資本金=6億1320万円 」である。

WIKIPEDIA「毎日新聞社。(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AF%8E%E6%97%A5%E6%96%B0%E8%81%9E%E7%A4%BE#.E6.B2.BF.E9.9D.A9)」。それによると、「株式会社毎日新聞社(まいにちしんぶんしゃ、英称:The Mainichi Newspapers Co.,Ltd.)は、日本の大手新聞社の一つである。現在は、持株会社毎日新聞グループホールディングスの子会社となっている。」との事だ。

毎日新聞社のホームページ(http://www.mainichi.co.jp/corporate/co-about.html)によると、「会社名=株式会社 毎日新聞社;資本金=41億5000万円  」

「読みかじりの記:迷いと決断 ソニーと格闘した10年の記録 出井伸之 著 (2006年 株式会社新潮社)(http://af06.kazelog.jp/itoshikimono/2013/12/102006-346c.html)。(2013年12月25日(水) )」

本書では、新聞の拡張に関しても述べている。現役時代、大阪に単身赴任したが、社宅に落ち着こうとした時、不審者と間違えたのが新聞の拡張員だった。社宅玄関には、暗証番号付きの自動ドアがあったが、彼らには効果がなかったようだ。どの社か聞くと球団を持っている方だった。かつて、幼少時代、あの球団のイニシアルを帽子に縫い付けて夢見心地だったが、お陰でプロ野球嫌いにさせてもらった。

本書を読んで、新聞社間の拡張戦争で印刷されただけで読まれずに葬られる膨大な量の新聞があることに気付かされた。これは本書の功績ではないか。新聞こそまさに情報というナマ物を扱う商品で、旧聞の山は、まさに産業廃棄物の山ように感じる。新聞は、豊作と過剰で廃棄されるキャベツ等に関しては報道してきたが、この押し込み紙を報じたのを読んだ事が無い。そもそも、力の弱い新聞販売店に、店が注文する以上の新聞を押し込むのは、独禁法の優越する地位の乱用に限りなく近い悪徳行為なのではないか。

本書は著者が会社役員を隠退した事を契機に業界の正常化と更なる発展を願って、書かれているようだ。その点、前記「迷いと決断~」の著者と異なるスタンスで書かれていると思う。それが出来たのも、潔く以前の職場から縁を切ったからではないか。なにかしら利害関係があると、言いたい事も言えなくなる。著者が気にしているのが、朝日と読売の二強体制。著者は毎日新聞社の役員だったので、多分自社の状況は知り尽くしているのだろう。

我が家も中央紙を購読していたが、ある縁で、一時毎日新聞を購読した事がある。記事の切れ目が新聞の折り目に重なるような編集をしていたのを評価した事もある。しかし、購読紙を頻繁に変える事はなかった。現在は地方紙だけ。地方紙も止めてWEBだけにしようかと考える事もある。著者が指摘するまでもなく、インターネットが新聞のあり方を大きく変えている。テレビも同様だ。新聞各社もインターネット版を有料紙に変えようとしているようだ。検索でヒットする記事も、ログインしないと見られないのがある。結局、新聞もテレビも広告というおいしいところはインターネットにさらわれて行くのではないか。

本書の後半に、中日と毎日と産経を統合して新聞界の第三極をつくるというアイデアが披露されている。これを読んで、政界の編成を思い出して苦笑してしまった。このままでは毎日も危ないという、母国思いの情が本書執筆の背後にあったのか。日本は小国で、何事も巨大な物を作る事がそもそも不必要な国ではないか。著者が本気でそう思ったのか定かではないが、巨大になれば小回りが利かなくなる。見えない所に金がかかる。情報の流れや判断も遅れる。責任も不明確になる。巨大化で良い所は一つも無いのが実相ではないか。

新聞が再販制度に守られているのは妥当適正か。著者は消費税8%になった場合の負担額を試算している。既に、消費税8%への増税は目前に迫ってきた。新聞に軽減税率を適用すべしという運動が起こる気配もある。それは10%になった時かも知れないが、政権の太鼓持ち役というだけの論功行賞で軽減税率が適用されるようでは、ますます日本は混迷を深めるだろう。

本書では新聞と放送の関係も論じている。新聞と放送というメディアも系列化して巨大に相互依存関係を強めている。そこへインターネットやITを駆使した第三勢力が成長して実力を付けて来たのが現代だろう。著者は最終章でIT時代の新聞像を描いている。やはり、デカイだけでは、今後の情報化時代は生き抜けないのだろう。業界が斜陽になれば真剣に考えるだろう。著者も本書の末尾で、小粒ながらサンショウのように存在感があるメディアの原点としてあった瓦版について述べている。新しい時代が迫っているのは感じるがその全体が見えない。見えた時には既に時遅しなのではないか。メディアの原点はコンテンツの質であり、その質を支えるのは人材である。新しい有能な人材も旧来メディアに近づかなくなると必然的に旧来メディアは没落してゆくのではないか。

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  • 橋本 英文: 刃物雑学事典 図解・刃物のすべて(1986年 株式会社 講談社 ブルーバックス B-659)
    刃物という視点で多くの事例が取り上げられている。刃のある道具の理解にも役立つ。類書が少なく貴重な一冊。「すべり変形が切断の原理」という考え方で説明している。
  • 沼田 真   : 植物たちの生( 1972年 岩波新書(青版 833))
    「ご要望にお応えしてアンコール復刊(1988年岩波新書50年記念復刊) 地球生態系の中で自然を見直す」(腰巻きのフレーズ)。植物の知恵と戦略に人類は勝てるのか。
  • 出町 誠: 14_NHK趣味の園芸:よく分かる栽培12ヶ月  カキ(NHK出版2007年)
    初心者向け柿栽培参考書(新版)。旧版と比較すると楽しい。
  • 中村三夫: 13_NHK趣味の園芸:作業12ヶ月  カキ(NHK出版1996年)
    初心者向け柿栽培参考書(旧版)。新版と比較すると楽しい。
  • 山科正平: 12_細胞を読む   電子顕微鏡で見る生命の姿
    細胞はどんな部品からできているのか。そんな疑問に答えてくれる一冊。何事も形を見るのが第一歩。μからÅオーダーの世界で、細胞をメスで解剖するように、電子顕微鏡というメスで解剖して見せてくれるので興味が尽きない。
  • 柳田充弘: 11_細胞から生命が見える
    著者の専門は分子生物学、細胞生物学。普段生物を考えても細胞レベルで止まってしまう。その細胞の中で色々な分子が働いている。細胞こそ生命の基礎だが、その細胞の中の動きを知るのに最適な一冊。疑問の発端はなぜ発根剤が効くのかということ。薬剤が細胞膜を通過して細胞内で分子と分子が作用するイメージができた。本書でできた細胞のイメージは小さな無数の穴が空いた水分が充満したヨーヨーのようなもの。そのヨーヨーの中に分子部品が詰まっている。細胞自体もタライの中のヨーヨーのように浮かんでいる。細胞図面の空白部は真空でなく水分だ。細胞の内外に水がないと細胞は生きられない。水が生命のゆりかごだ!
  • 野口悠紀雄: 10_ホームページにオフィスを作る(2001年 光文社)
    ITが輝いた時代の作品。HPの活用法は参考になる。参考:url=http://www.noguchi.co.jp/(野口悠紀雄 ONLINE)
  • 小池洋男 編著: 09_果樹の接ぎ木・さし木・とり木(農文協:2007/3/31第1刷)
    やや専門的であるが、実務専門化が分担執筆しており、その場で役に立つ一冊。
  • ノーバート・ウィーナー(鎮目恭夫訳): 08_サイバネティックスはいかにして生まれたか(みすず書房1956)
    情報と通信という現代社会に不可欠の基礎的な学問を作った著者の自伝とそれを通した科学史
  • 沼田 真(編): 07_雑草の科学(研成社1979)
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    2010/8/4:MEMO等の表示に使える。 農作業で気になる自戒の言葉 ■畑の石ころはいつまで経ってもても石ころ(早く拾って片づけよという意味か)。 ■同じ石を二度拾うな(やってみると難しい)。 ■手ぶらで歩くな。 ■三つ先のことを読め。 ■適当な観察。 ■空を見よ(気分転換、休憩、天気を読む、腰曲がり防止)