01A_愛しき古里

Feed

2013年10月17日 (木)

田舎老人徒然草;愛しき古里:母校中学校のモニュメント

2013年10月17日(木)
昨日は雨後晴れ。最高気温(℃) 23.9 11:18。最低気温(℃) 13.6 22:52。平均最大風速=12.2m/s。最大瞬間風速(m/s)(風向(16方位)) 24.0(北西) 12:00。ざっそう句:赤トンボ 風をとらえて 飛び回る。夜から朝にかけて台風26号が接近して雨。宅内閑居。午後台風が去ったので畑の様子を見る。目だった被害は無い。テントシートが飛んでいた。台風一過の晴天となる。風音がゴウゴウとしている。ニンジン区の草むしり。鶏糞液を散布して土寄せ。雑菜を収穫。葉柄が太いので漬物にした。台風26号は、経路図を見ると関東地方沿岸まで接近したが上陸はしなかった様子。被害の詳細はまだ不明だが、かなり死者が出ているようだ。畑の柿を丸かじり。甘くなっている。「カキ PVP 錦繍(きんしゅう)」がヤブガラシの下で実を付けていた。紅葉が綺麗な柿という事で苗を買ったがヤブガラシが這い上がっている。

2013年10月16日の天気(AMEDAS)

TAVE=

17.9

NO DATA

TMAX=

23.5

最高気温(℃) 23.9 11:18

TMIN=

13.9

最低気温(℃) 13.6 22:52

DIFF=

9.6

 

WMAX=

12.2

最大瞬間風速(m/s)(風向(16方位)) 24.0(北西) 12:00

SUNS=

3.6

NO DATA

RAIN=

75

NO DATA

Iob_taifuu26_keiro_131017_132600_2

Q
Q

田舎老人徒然草;愛しき古里:母校中学校のモニュメント

卒業後50年以上過ぎて、老人モードの外出時に母校を見た。モニュメントがあったが、周囲の植木等で、なかなか良いアングルが無かった。植える時は、小さくとも、植え木は少しずつ大きくなる。その植木が大きくなっても、思い切った対応ができないのではないかと思う。

Iob_monumentt_uehasu_jh

モニュメントを庭石程度に考えれば、どうでも良い事かも知れないが、設置される場所は、一等地か特等地だと思う。そのモニュメントから触発を受けて、人間がより良く育つならば、モニュメント設置者も設置した甲斐があろうと言う物だろう。

設置者は設置者の思いがあるだろう。見る人は適当に見ているだろうと考えると何となくさびしくなる。ともかく、この世の中、見方を変えれば、物事はかなり柔軟な解釈ができる。自分なりに、解釈し、自分なりに楽しむだけでも良いのではないか。タイトルは「躍動」。その下の小さな文字はデジカメ解像度不足で読めない。

ページ先頭へ飛ぶ

2013年10月 6日 (日)

ハトよ 鳴いておくれ;愛しき古里:その時対面する巨大画像

2013年10月6日(日)
昨日は雨時々曇り。最高気温(℃) 20.5 16:11。最低気温(℃) 16.4 03:17。ざっそう句:蚊も執念 俺も執念 ブロッコリー。宅内閑居。行事配布物準備。夕方畑を見る。極微の霧雨。移植には良い天気。ブロッコリーの移植を始めた。大きくなった雑草を除去。雨で重たい。葉の裏から蚊が飛び出して襲ってくる。蚊もあと一月ほどで消える運命だ。蚊の執念を感じる。ブロッコリーは何回か挑戦したがダメ。今回はうまく行きそうだ。白菜と同様、植え穴注水方式。植え終わってからジョーロで灌水。灌水は根を土に密着させる効果があるようだ。薄暗くなってようやく終了。種は畑の隅に種をバラ蒔き。肥料は鶏糞ジュースのみ。苗半作と言うが苗作りも手抜き。苗が貧弱だがブクブク太ったものより良かろうと勝手に解釈。無農薬・無肥料が目標。雑草並みで結構だ。終わった時は上着がじっとりと濡れ下着まで濡れかけた。仕事中、柿の実を一つ取って試食。渋はぬけているがまだ甘味は十分乗っていない。今年は柿の裏年か数が少ない。木犀の香りで深呼吸して仕事が終わる。AMEDAS天気図を見ると台風23号が中国方面に向かっているようだ。台風24号がその後に続いている。

2013年10月5日の天気(AMEDAS)

TAVE=

18.5

NO DATA

TMAX=

20.3

最高気温(℃) 20.5 16:11

TMIN=

16.5

最低気温(℃) 16.4 03:17

DIFF=

3.8

 

WMAX=

2

最大瞬間風速(m/s)(風向(16方位)) 4.0(西) 09:16

SUNS=

0

NO DATA

RAIN=

9

NO DATA

Q
Q

ハトよ 鳴いておくれ;愛しき古里:その時対面する巨大画像

人生、楽しい時もあれば、心配事に悩む時もある。行く場所、目的によっても明暗が分かれる。その一例として、伊勢崎市民なら大抵お世話になる市の施設としては、伊勢崎市文化会館と伊勢崎市民病院が挙げられるだろう。

ショーやイベントの時はワクワク、病気や怪我の時はウツウツ。

この二つの施設に入り、しばし対面する巨大画像がある。緞帳、壁画の類である。普段余り関心がある対象で無いので、すぐに思い出せないが、空白の時間を満たしてくれるのではないか。

最近、文化会館でショーを見た。開演前の様子をデジカメに収めて、ようやく二つの画像が揃った。

Iob_isesaki_kaikan_byouin_2pix_s

ページ先頭へ飛ぶ

2013年9月30日 (月)

ハトよ 鳴いておくれ;愛しき古里:国道462号沿いに復元された江戸末期の石橋(吉右衛門橋)

2013年9月30日(月)
昨日は晴れ。最高気温(℃) 26.3 15:08 。最低気温(℃) 16.4 02:43。ざっそう句:ひこばえの ザクロ夕陽に 赤く照る。早朝町内行事。各戸総出。高齢で大変だという声もある。ただ、理由をつけて抜ける人が出ると俺も俺もと楽な方に流れてしまうのも現実。1時間ほどで無事終了。移植した白菜に灌水。何とか活着しそうだ。その後は資料作成。ザクロの赤い実が目立つようになった。ザクロの古木が枯れた根元からひこばえが数本出てきたのを植えた。二代目ザクロだ。別の二代目ザクロは強剪定で枯れた。その株からもひこばえが生えているようだ。ザクロは種が多いので子宝の象徴でもある。二代目ザクロの種を蒔いた実生の三代目もあるが、最近手入れをしていないので様子が分からない。WIKIPEDIA「ザクロ。(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B6%E3%82%AF%E3%83%AD)」。「桝井農場の果樹苗(http://af06.kazelog.jp/itoshikimono/2008/09/post-355e.html)(2008/9/3)」がランキング上位になっている。かつて、そのカタログにアークデニーズという種無しザクロが掲載されていたのを思い出した。MSIMEで「桝井」が変換できない。コピペでここへもって来た。その、カタログに授粉について記述があったように思う。完全に種なしではなく、しいな状の軟らかい種ができるのではないかと記憶している。価格が高かったので購入しようか迷っていた直後に廃業となってしまった。アークデニーズというザクロは自分にとって幻のザクロだ。

2013年9月29日の天気(AMEDAS)

TAVE=

21.1

NO DATA

TMAX=

25.6

最高気温(℃) 26.3 15:08

TMIN=

16.6

最低気温(℃) 16.4 02:43

DIFF=

9

 

WMAX=

2.8

最大瞬間風速(m/s)(風向(16方位)) 7.0(東南東) 20:36

SUNS=

8.7

NO DATA

RAIN=

0

NO DATA


Q
Q

ハトよ 鳴いておくれ;愛しき古里:国道462号沿いに復元された江戸末期の石橋(吉右衛門橋)

国道462号(WIKIPEDIA「国道462号。(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%BD%E9%81%93462%E5%8F%B7)」)は昔大間々県道と呼ばれていたと思うが、いつからか国道に格上げになったようだ。昭和30年代は舗装もされておらず、そこを路線バスが走っていたという記憶がある。

時代は変わり、現在は路線バスは廃止され、自動車全盛の時代になっている。WIKIPEDIAによると、国道462号は、「起点:長野県佐久市(=国道141号、142号、254号、跡部交差点)」、「終点:群馬県伊勢崎市(=国道17号上武道路交点)」との事だ。現在、この国道462号の終点近くで、4車線化の拡幅工事が行われている。国道462号の制定年が1993年との事で丁度20年前の事になる。

WIKIPEDIA「群馬県道73号伊勢崎大間々線。(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%BE%A4%E9%A6%AC%E7%9C%8C%E9%81%9373%E5%8F%B7%E4%BC%8A%E5%8B%A2%E5%B4%8E%E5%A4%A7%E9%96%93%E3%80%85%E7%B7%9A)」によると、「概要[編集]:起点:群馬県伊勢崎市平和町交差点;終点:群馬県みどり市大間々町大間々;総距離:約15km(下記の重複区間を含む)。 1993年(平成5年)の国道462号新設の際、起点から伊勢崎市本関町・三和町の赤城見大橋陸橋交差点までが国道462号との重複区間となった。その後、同国道の路線変更により、伊勢崎市鹿島町の交差点から赤城見大橋陸橋交差点までが重複区間となっている。なお、国道17号上武道路と連結する北関東自動車道伊勢崎インターチェンジのすぐ近くを通る。」

ややこしいが、現在、4車線化の拡幅工事が行われている区間が、国道462号と県道73号伊勢崎大間々線の重複区間になっているようだ。この国道462号の終点近くは、北関東道、国道17号上武道路も集中しているので改めて、この地域が交通の要衝である事を認識させてくれる。この、4車線化の拡幅工事が行われる前に、埋蔵文化財の調査も行われている。周辺は古墳や遺跡の宝庫でもある。

今年、5月末頃だったろうか、その国道462号の拡幅工事が本格的に進み始めた頃、吉右衛門橋と橋の名前が彫られた石橋が工事現場から出土した。殖蓮史談会によると、その橋について記した古文書もあるとの事で、文化財としても貴重な物であった。奇しくも、矢島保治郎の墓の近くであった。今年、矢島保治郎の生誕130年だった。吉右衛門橋は、大間々県道や関堀の整備と共に忘れ去られたものと思われる。関堀の正式名称は知らないが、その水路を通して、岡田田圃の稲作が行われる。三軒家遺跡もその流域に入るのである。振り返ると、矢島保治郎この吉右衛門橋を渡ったかも知れない。

「ツルよ 飛んでおくれ(愛しき古里):チベットへ羽ばたいた国際人矢島保治郎生誕130年(http://af06.kazelog.jp/itoshikimono/2012/11/130-7275.html)。(2012年11月7日水曜日)」

「文化と文明雑感(ハトよ 鳴いておくれ):明治時代の国際人矢島保治郎の果たせぬ夢とは何か(http://af06.kazelog.jp/itoshikimono/2013/03/2013-a2f4.html)。(2013年3月3日日曜日)」

殖蓮史談会もこの橋の重要性を認識し、保存運動をする事に決定した。最初、橋を作っていた石柱は工事現場に積み上げられていたが、その後、矢島保治郎の墓の前に積んで仮置きされていた。当世、重機があるので、盗難に会う事も心配された。その後の運動・調整等で、橋組みの形で保存されていると聞いたので、現場に出かけて確認した。既に橋の形になって矢島保治郎の墓の前に設置されていた。橋の本体となる石柱は6本あり、その2本が基台として使われいたが、橋の幅と合わないので、元は6本分の幅を有する広い橋だったと推測できる。

ともかく、国道462号沿線のこの小さな一角に、矢島保治郎の墓と旧吉右衛門橋が並んで当地区の歴史を後世に伝える事になったのは何よりも喜ぶべき事ではある。地権者をはじめ、保存推進者、町内役員、関係当局の理解と協力の賜物であろう。

Iob_kichiemonbasi_hozon_6pix

ページ先頭へ飛ぶ

2013年8月19日 (月)

文化と文明雑感(愛しき古里):パチンコ屋さんがやってきた!

2013年8月19日(月)
昨日は晴れ。最高気温(℃) 36.5 14:59。最低気温(℃) 24.8 04:18。ざっそう句:猛暑日は パチンコしたし 金もなし。猛暑日は大抵最低気温が25℃以上の熱帯夜かそれに近い暑さでもある。生活のパターンがどうしても乱れてくる。朝パソコンに向かい、新聞を読み畑で一仕事しようとするともう気温は30℃程度になっている。成長が早いオクラだけは収穫。数本獲れた。ついでに不要な葉や側枝を切る。お玉杓子にメダカの餌をやる。インスタントビオトープの水質も悪化しているが何とか生きている。これだけで退散。一昨日と同様にノートPCを連れてお勝手避暑。今度はヒネオクラの白キャビアを納豆に入れて食べてみた。プチプチの歯ごたえは頭脳を刺激してくれる。味は納豆とタレの味で白キャビアの味はほとんど感じない。ともかく、食欲減退の夏には食べる工夫の一つにはなるだろう。エクセルの単純作業は何とか終了。パチンコ店へ避暑に行きたいところだ。チンジャラと大当たりするのが夢だ。長い人生、パチンコの大当たりはたったの一回。その夢が砕かれないよう我慢しよう。

2013年8月18日の天気(AMEDAS)

TAVE= 30.1 NO DATA
TMAX= 35.8 最高気温(℃) 36.5 14:59
TMIN= 25.1 最低気温(℃) 24.8 04:18
DIFF= 10.7  
WMAX= 3.9 最大瞬間風速(m/s)(風向(16方位)) 7.6(東南東) 13:30
SUNS= 10.9 NO DATA
RAIN= 0 NO DATA

Q
Q

最近、青年時代の夢が再燃?して、何十年ぶりかにパチンコ店やオートレース場に足を踏み入れた。

「半端道楽;残照雑記:たまたまパチンコ店に潜入(http://af06.kazelog.jp/itoshikimono/2013/08/post-d776.html)。(2013年8月6日(火))」

「ハトよ 鳴いておくれ;環境雑録;老人の寝言:イセサキオートレース場へ潜入(メガソーラー用地はどこだ?)(http://af06.kazelog.jp/itoshikimono/2013/08/post-38e4.html)。(2013年8月17日(土))」

以下の記事は、文化会館近くに新しいパチンコ店が開店した時に、下書きを書いていたもの。まだ、二ヶ月程度しか経っていないが、昔からあるように思えてしまう。今年のお盆の前に、パチンコ店の新聞折り込み広告が数件入っていた。パチンコ店にとってお盆はかきいれ時のように感じた。

かみさん連中に、何もしないで家でウロウロされるとウザッタイと、ヒマを持て余すおじさん連中が家から押し出されてパチンコやオートに出かけてくるのか。偏見を持っちゃダメらしい。最近はこの分野にも女性の進出が目立つとか。

Q
Q

文化と文明雑感(愛しき古里):パチンコ屋さんがやってきた!

先日、閉店した地元のスーパーの跡に新たにパチンコ屋さんが開店したようだ。新聞折り込み広告が入っていてそれと気付いた。スーパーのあった一角には、百均店やラーメン店もあった。百均店にはかなり足を運んだ。それらの店が閉店してしばらくはそのまま残っているので、閉店したのはなぜだろうと思う。その後、それらの店が取り壊されて更地になると何かできるのかと期待感も湧く。

そこに、パチンコ屋さんが来ると聞いて少なからずショックを受けた。何じゃこれ。文化会館も目と鼻の先の立地。文化への挑戦(大げさ)。物欲文明の勝利(皮肉)。パチンコ屋も時代と共に大きく変わったようだ。パチンコで遊んだのは、電車の時間待ち程度。車通勤になってパチンコとも遠ざかった。

「パチンコ屋(http://af06.kazelog.jp/itoshikimono/2009/08/post-b7ba.html)。(2009/8/3)」

「オートレース(http://af06.kazelog.jp/itoshikimono/2009/08/2009.html)。(2009/8/4)」

昔は、クギ師という仕事があって、パチンコ台の出玉の調整をしていたのを見たこともある。WIKIPEDIA「釘調整。(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%98%E8%AA%BF%E6%95%B4)」

上記、WIKIPEDIA記事によると、「釘調整を専門に行う人間は俗に「釘師(くぎし)」と呼ばれ、『釘師サブやん』(ビッグ錠)といった漫画の題材となったこともあるほか、近年では釘師養成のための学校も存在する。」とかで、パチンコが益々隆盛になっているかの印象をうけた。

自分が、パチンコで遊んだ頃は、玉を打つのがマニュアルと自動と両方式が併存していた。時間つぶしなので、当然マニュアルの台を使った。新聞折り込み広告によると、1円パチンコと4円パチンコがあるらしい。久しぶりに入ってみようかと思うこともあるが、もうその年でもあるまいという気持ちの方が強いようだ。

玉玉、仕事でパチンコ玉が穴に入ったのを検出する集積回路の開発に関わった。直接回路設計に関与はしなかったが、聞いた話では原理・原則は全く電気工学や機械工学の世界であった。その集積回路がパチンコ台に組み込まれて、色々電灯をぴかぴか光らせたり、チューリプを開いたり閉じたりする大本のセンサーの役割をする。

光電SWを同僚と開発したが、パチンコ玉検出器と同じ様な働きをする。光電SWは光の有無を検出するが、パチンコ玉検出器は鉄球の通過(有無)を検出する。昔は、パチンコ台に関するニュースもいろいろあったが最近は余り目立ったニュースがない。今日では、パチンコ台も半導体を筆頭に各種パーツの集合体で、そういうパチンコやゲーム器のメーカーに売り込みをしたいと営業マンから誘いもあった。

今日では、ビジネスの世界ではゲーム関係の業種もかなり存在感のある位置を占めているようだ。そのゲームを支えるハードも集積回路等半導体の塊ではある。古いデジカメ画像を整理していると、パチンコ屋さんよりずっと前に、忍者の如くパチンコ台メーカーさんが近くの工業団地に進出していた。

パチンコ玉検出器はセンサーライトとも類似なセンサーに過ぎない。それが、色々修飾されて、欲望の刺激装置に変貌し、無防備にその前に立つと、金も心も時間も吸い取られてしまう。広告で興味があったのは同じ日に別のパチンコ屋さんが広告を打った。玉だし競争多いに結構(それ違反?)。パチンコ屋さんは太っ腹で、片面広告が多く、裏側がメモ用紙に使えるのだ。貴重な広告二枚はメモ用紙に変身した。利用者がパチンコ屋さんを食っちゃう位になって初めて成人式を迎えられる事になるとすると、それは何時の日か。
Ioipachinko_koukoku_3pix_c

2013年8月18日 (日)

田舎老人徒然草;愛しき古里;半端道楽:お祭りの一日

2013年8月18日(日)
昨日は晴れ。最高気温(℃) 35.3 15:04。ざっそう句:ひねオクラ 種を食べれば 白キャビア。朝オクラの様子を見たら、オクラが固くなる程大きくなっていた。初取りオクラの半分以上がヒネオクラ。そのまま捨てるのは勿体ないので、莢を開いて種子を取りだして油炒めにして試食。食感はプチプチそのもの。味はやや渋みと苦味がある。これは種子を守る食害対策なのか。コショウと納豆のタレで味付け。これを白キャビアと思えばマアマアの味ではないか。心頭滅却すれば火もまた涼しとは一種の強がり。連日の猛暑は強がりだけでは対策できない。またも台所で避暑。ノートPCに向かうが頭は空転ばかり。WINXPでは使えていたATOKやワードが暴走する。仕方なくMSIMEを使うが、使い勝手がイマイチ。

2013年8月17日の天気(AMEDAS)

TAVE= 29.5 NO DATA
TMAX= 35 最高気温(℃) 35.3 15:04
TMIN= 25.1 最低気温(℃) 24.9 05:53
DIFF= 9.9  
WMAX= 3.7 最大瞬間風速(m/s)(風向(16方位)) 7.8(東南東) 18:33
SUNS= 10.3 NO DATA
RAIN= 0 NO DATA

Q
Q

田舎老人徒然草;愛しき古里;半端道楽:お祭りの一日

先日のお祭り二日目は子供屋台の活躍が楽しみであった。心配なのが天気。出かける前に立派な積乱雲が出ていた。お祭りのプログラムは順調に進んでいるかのようであった。鳶職人のハシゴのりの頃雷鳴が響き始めた。百人御輿は何とか無事終了。いよいよ屋台巡行の番になった頃雷雨となった。我が町内の屋台は祭典本部の判断を待って待機していたようだ。その間、避難のアナウンスが繰り返し流された。結局屋台巡行は中止になった。一方、すでに巡行準備のまま演奏をしている屋台もあった。

今年は、演奏をICレコーダーで録音しようとした。2~3年前に購入したがほとんど使っていなかった。初日の録音は電池切れか操作ミスで記録されていなかった。二日目はなんとかしようと期待していた。試しどりした、昔の街頭録音のような音声はちゃんと記録されていた。USB接続MP3録音。MP3プレーヤとしても使えそうだ。

数日前、今まで使っていたデジカメが故障し、レンズが引っ込まなくなってしまった。WEB情報を集めてその不具合対策を探った。エラー表示がでる。ある操作をするとファームウェアのバージョンが表示される。バージョンアップをしたがレンズが固まる症状は改善しなかった。ただ、SET UPと画像ビューワーの機能は復活した。十年以上古い機種だが初めてマイコンを使っていると気付いた。

マイコンは一種の順序機械なので、レンズを動かすメカ系統の動作を確認して次の作業に移るようだ。SET UPと画像ビューワーの機能はレンズ駆動を必要としないので、マイコンはその機能に関する動作をするが、動画と静止画の撮影ではレンズが動かない事を検知するので、エラー表示を出して停止しているようだ。

実は、現役時代の同僚がレンズ駆動用の集積回路を開発していた。レンズが動かない原因としては、集積回路の故障かアクチュエータの故障か埃等による可動鏡胴の摩擦等々が考えられる。結局修理には分解が必要になる。お祭りの本番で壊れなかったのが幸いだ。農作業の記録等にもデジカメを使っているので埃が入るのか、可動鏡胴が動かなくなる故障が多いように感じる。その点、ズムーム機構無しの昔のデジカメの方が信頼性が良いように感じる。
Iob_omaturino_ichinichi_5pix_2

IOB=IMAGES ON Beloved Ones

ページ先頭へ飛ぶ

2013年8月 2日 (金)

ハトよ 鳴いておくれ;愛しき古里:交通の要衝 北関東自動車道と上武道の交差点付近の変貌

2013年8月2日(木)
昨日は曇り時々晴れ。最高気温(℃) 31.9 15:37。ざっそう句:携帯の アンテナ立てる マル秘ワザ。オクラ、下仁田ネギ、ゴボウ区画の除草。オクラ、下仁田ネギは成長中なので鶏糞散布。湿度が高い:AMEDAS前橋の正午までの最小値が79%。葉裏から蚊が多数飛びだして攻撃してくる。今年初めてトウモロコシ数本収穫。無農薬・無肥料だがマアマアの出来。かみさんと賞味。午後携帯ショップへ。月数回しか使わない携帯をどうするか悩みの種。とりあえずショップで情報収集。今回は家電量販店で男性の係りが対応。公開されていないキーを操作すると何とまたアンテナが立った。聞くところによると最新の機種でも同じ様な症状がでる場合があるとの事。とりあえず持ち帰り様子をみる事にした。夕食後、子供屋台の練習応援。だんだん盛り上がってきているように感じる。

2013年8月1日の天気(AMEDAS)

TAVE= 26.5 NO DATA
TMAX= 30.7 最高気温(℃) 31.9 15:37
TMIN= 23.6 最低気温(℃) 23.4 06:35
DIFF= 7.1  
WMAX= 3.3 最大瞬間風速(m/s)(風向(16方位)) 7.2(東南東) 20:46
SUNS= 2.7 NO DATA
RAIN= 1 NO DATA

Q
Q

ハトよ 鳴いておくれ;愛しき古里:交通の要衝 北関東自動車道と上武道の交差点付近の変貌

先日の参議院選挙の日、出かけたついでに、旧五目牛町の町名の由来と言われる牛石まで足を伸ばした。粕川には北関東自動車道と上武道の両方の橋がかかっており、両道路は粕川右岸で交差する。北関東自動車道と上武道の工事に伴い、その周辺の発掘調査が行われ報告書が発行されている。

発掘調査によれば、石器時代から今日まで文明が連続している事が分かっている。出かけたついでに、どのような地形なのか見てみようとしていたが、古代史の手がかりになるものは見つからなかった。発掘調査報告書等から辿る以外にはなさそうだ。

「残照雑記:「国定忠治終世の地大戸見学日程」の思い出(2)=一倉家の墓地(http://af06.kazelog.jp/itoshikimono/2013/06/2-511d.html)。(2013年6月27日(木))」

その代わりに、北関東自動車道と上武道の橋の部分を裏側から見ることができた。地形の高低差を吸収するため、橋の構造は河川の上だけでなく、その両側が地面に接するまで続いているのだ。

WIKIPEDIA「上武道路。(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%8A%E6%AD%A6%E9%81%93%E8%B7%AF)」によれば、「沿革[編集]:1970年度から国道50号以南22.4kmが事業化。工事開始は1975年度からである。1981年から、群馬県太田市安養寺町(当時は新田郡尾島町安養寺)の国道354号から前橋市今井町の国道50号にかけての区間が順次開通した。」

WIKIPEDIA「北関東自動車道。(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8C%97%E9%96%A2%E6%9D%B1%E8%87%AA%E5%8B%95%E8%BB%8A%E9%81%93)」

何世紀か後に、これらの巨大構築物が廃墟とならないとも限らない。その時は、昔の里山のような風景が出現するのだろうか。折しも、国道462号線も本関町区間で4車線拡幅工事中で、交通の要衝 北関東自動車道と上武道の交差点付近は、まだまだ変貌の途上にあるようだ。国道462号拡幅工事では、樹木も相当数伐採され、空が開けたような印象も受けた。 この周辺は古代史の宝庫でもあるが、現代人にとっては、古代史から何が学べるのか。
Iob_kitakan_jyoubu_hasi_ura_6pix__2

IOB_KITAKAN_JYOUBU_HASI_URA_6PIX_M.jpgをダウンロード

地図はマッピング群馬から引用。

IOB=IMAGES ON Beloved Ones

ページ先頭へ飛ぶ

2013年7月30日 (火)

田舎老人徒然草;愛しき古里:子供屋台の牽引用トラクターの引退

2013年7月30日(火)
昨日は雨後曇り。最高気温(℃) 25.3 14:29。ざっそう句:電話鳴り 外出すれば 忘れ物。朝方電話があり、現地集合で出かけた。出かけたついでに別件も済まそうと考えていたが肝心な物を忘れた。いよいよ老人力が付いてきたようだ。例の携帯は電池を外し、しばらく放置したが、携帯のアンテナは立たず。昔の集積回路試作品の不具合発見のエピソードを思い出す。沢山の不良品の中に唯一動作するサンプルを見付けた。顕微鏡下にその原因を探すと配線パターンが異物でショートしていた。マニュピュレータでその部分をショートすると全て良品になり、配線ミスが原因だと特定できた。3G 携帯電波の周波数を調べると2GHz帯。波長は15㎝程度。この高周波の到来を常時監視してそのレベルをアンテナ本数で表示している筈だ。高周波増幅用の素子は相当微細化されている。従ってサージ電圧に一番弱い部分なのだろう。おまけにデジカメのSDカードが読めなくなった。色々なソフトで復元を試みたが断念。ファイルシステムが破損しているらしい。最近前の画像と最新の画像が混合するような症状が出ていた。ひょっとするとSDカードの方は大容量化で微細化されたメモリーセルに欠陥が出来ているのかと思った。処置無しで再フォーマット以外になさそうだ。用水路に子ガモが5羽泳いでいたのを撮影したのだがそれを失う事になる。高精度の子供御輿の画像も失う。幸いデジカメ内蔵メモリーに切り替えたVGAサイズのデータは救出出来た。一番弱いところに影響が出るのは物の世界でも人の世界でも同じなのだろう。

2013年7月29日の天気(AMEDAS)

TAVE= 24.2 NO DATA
TMAX= 24.8 最高気温(℃) 25.3 14:29 
TMIN= 23.4 最低気温(℃) 23.2 09:22 
DIFF= 1.4  
WMAX= 2.2 最大瞬間風速(m/s)(風向(16方位)) 4.0(東) 16:16 
SUNS= 0 NO DATA
RAIN= 6.5 NO DATA

Q
Q

田舎老人徒然草;愛しき古里:子供屋台の牽引用トラクターの引退

数年前のデジカメ画像を振り返ると年々同じ事の繰り返しと思っていたお祭りも少しずつ変化しているのに気付く。当地区には祭り用に本屋台と子供屋台の二つを持っている。本屋台の建造時期ははっきりしていないが、明治の初期頃と言われている。本屋台を繰り出すのは大事業でその回数は極少ないようだ。子供屋台の建造時期は戦後の経済の高度成長期と重なる頃のようだ。

子供屋台の車台はトラックの物を流用している。車台の上に屋台をのせる構造になっている。祭りの会場まで距離があるので、そこまで運ぶのに、トラックを使ったりトラクターを使ったりとその時々の事情に合わせているようだ。従来は、特例として演奏しながら移動するのも黙認されていたようだが、最近はそれができないらしい。

子供屋台の主役は子供達であるが、数年経つとその子供達も大きくなり主役が交代する。それを支える親たちも交代する。子供屋台の牽引をしていたトラクターも事情により引退したようだ。振り返ると当BLOGの看板画像も今となってはもう見られない風景になってしまったようだ。
Iob_isesakimaturi_yatai_2006_6pix_s

IOB=IMAGES ON Beloved Ones

ページ先頭へ飛ぶ

2013年7月27日 (土)

残照雑記;愛しき古里:かつて子供達が通園した「あづま保育園」はどうなった?

2013年7月27日(土)
昨日は曇り時々晴れ。最高気温(℃) 32.8 16:01。ざっそう句:ネット切れ 早寝楽しむ 夜の雷。朝方の定例の仕事は休み。宅内閑居。夕食後子供屋台の練習応援。無事終了。夜遅く遠方で雷鳴。落雷は心配ないだろうとNET接続を続行したが、やがて途切れた。その後コンセントを抜いて読書。雷はかなり接近したが停電はなし。今朝は正常に接続。一時的なNET接続不通は落雷の影響なのかはっきりしないがNETから解放された。

2013年7月26日の天気(AMEDAS)

TAVE= 27.1 NO DATA
TMAX= 32.7 最高気温(℃) 32.8 16:01
TMIN= 22.1 最低気温(℃) 21.9 23:52
DIFF= 10.6  
WMAX= 3.4 最大瞬間風速(m/s)(風向(16方位)) 7.6(北北西) 22:25
SUNS= 4.1 NO DATA
RAIN= 13 NO DATA

Iob_amedas_nowcast_20130726225500

Q
Q

残照雑記;愛しき古里:かつて子供達が通園した「あづま保育園」はどうなった?

昨年末、子供達が通園した「あづま保育園」の姿を見た。既に抜け殻のようになっていた。つい最近、もう一度見たら、今度は更地になって、その旧敷地の一部にポーチュラカが植えられていた。

何かの縁で、「あづま保育園」を紹介され、子供達は「あづま保育園」に通う事になった。自分が幼少の頃は、まだ保育園は整備されていなかったと思う。記憶として辿れるのが、幼稚園からだ。ともかく、当時の幼児教育は、幼稚園さえも不十分だったと思う。小学校のクラスが6クラスもあったのに、幼稚園のクラスは2~3クラス程度ではなかったかと思う。幼稚園に通えたのも児童全体の多くて50%程度だったろう。家庭の事情もあり、子供が多い農家は手間のかかる育児を幼稚園に任せられて助かったのでのではないかと思う。

子供達も既に成人し、自分たちの幼少時代をどのように振り返るのだろうか。保育園まで記憶が遡れるのか。ともかく、世代間の意志疎通や会話の材料として何らかの形で記憶を取り戻せるものがあると役立つのではないかと思う。そんな気持ちで、WEB上で「あづま保育園」を探していたが、具体的にどうなったか手がかりがほとんど掴めていない。

「あま保育園」でGoogle検索すると、「あま保育園(http://www.wakakusa-kai.jp/azuma)」がヒットする、「沿革:平成23年4月 あずま保育園開園(民営化)」とある。

伊勢崎市のホームページを調べると、市立保育園を民営化する動きもあるようだ。上記、「あずま保育園」は「社会福祉法人 若草会」が運営しているようだ。

伊勢崎市発行の子育て支援ノートブック(H20年9月1日改訂版)には、公立として:「あずま保育所 ☆ 130 田部井町1-1092-1」が掲載されている。同時に、「《認可外保育施設》市立保育所・私立保育園の他に、認可外保育施設(児童福祉法第59 条の2 による届出のあったもの)として、お子さんを保育する施設があります。詳しくは各施設にお問い合わせください。」として、「あづま保育園 三和町1431」が掲載されている。子育て支援ノートブック(平成25年4月改訂)には、《認可外保育施設》としての「あづま保育園 三和町1431」は掲載されていない。

「あずま保育所 」と「あづま保育園 」の関係は定かではないが、平成20年~平成25年の間に、我が子供達が通った「あづま保育園」に何らかの変化が起こったようだ。

WIKIPEDIA「東村 (群馬県佐波郡)。(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E6%9D%91_(%E7%BE%A4%E9%A6%AC%E7%9C%8C%E4%BD%90%E6%B3%A2%E9%83%A1)」によると「幼稚園:あずま幼稚園(東小保方)、田部井幼稚園(田部井)。保育園:若竹保育園(東小保方)、むつみ保育園(西小保方)、あずま保育園(国定)」があった事が分かる。

更に、国立国会図書館の旧群馬県佐波郡東村のホームページのアーカイブカーブ記事(http://warp.da.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/260130/www.vill.sawa-azuma.gunma.jp/hoiku/index.htm)に、「村内には公立の保育所(園)と私立の保育所(園)があり、仕事や病気などでお子さんの保育ができない人に代わって保育を行います。」として、「東保育園 (公立):住所:東村大字田部井1092-1」を記載している。

以上で、旧「東保育園(公立)」は合併で「あずま育園(伊勢崎市立)」になったようだ。それが更に、民営化されて「私立あずま育園:『子育て支援ノートブック(平成25年4月改訂)』」になったようだ。なお、この資料によると「第二保育所、第三保育所、第四保育所、境いよく保育所、境ひので保育所」は公立として残っているが、H20年版より数が減少している。

自分が求めているのは「あづま保育園」だが、《認可外保育施設》だったと知って複雑な思いがした。子供達は、保育園の事など何とも思っていないかもしれないが。ともかく、市町村合併が、企業の吸収合併のような側面があり、それが幼児教育の保育園まで及んでいるようで愕然とした。

制度的には、「あづま保育園」が《認可外保育施設》と言うことで、更に不安定な立場にあったようで、つい昨年までは敷地に門や看板が残っていたが、現在は更地となり、ポーチュラカが咲いているのを見るにつけ何となく侘びしさを感じる。結局、子供達が通園した「あづま保育園」の消息は謎として残った。最初は「あずま保育所 」と「あづま保育園 」で「ズ」と「ヅ」の違いは無頓着であったが、違いがあったようだ。残された看板では確かに「あづま保育園」だった。

少子高齢化で、保育園だけでなく、幼稚園、学校や公民館等地域の中核施設さえもが統廃合されて縮小し、消滅し、元の姿を変えてゆくのは残念だ。

「読みかじりの記:私のポーチュラカ 魅せられた十年(2004年 瀧島英策 著)(http://af06.kazelog.jp/itoshikimono/2011/01/2011.html)。(2011/1/27)」

ともかく、跡形無く消えた旧「あづま保育園」の跡地にポーチュラカが咲いていたのは救いでもあった。これからの盛夏も頑張って咲き通すのではないか。
Iob_kyuuadzumahoikuen_20122013_4pix

IOB=IMAGES ON Beloved Ones

ページ先頭へ飛ぶ

2013年7月 9日 (火)

ハトよ 鳴いておくれ(愛しき古里;環境雑録):整備が進む伊勢崎駅駅前;レールを活用した旧駅舎

2013年7月9日(火)
昨日は晴れ夕方軽く雷鳴・雷雨。最高気温(℃) 37.3 13:45。ざっそう句:重いシャツ 軽い畑土 汗仕事。朝飯前仕事でオクラに灌水。ゴボウの除草。本葉3~4枚。間違って一本引き抜いたが、まだ根が1~2㎝しか伸びていない。これでは、乾燥に耐えられない。追加でゴボウにも灌水。1時間ほどでシャツが重くなるほど汗をかいた。朝から30℃近い猛暑日になった。朝飯後、ハウス下で、久留米鶏頭と苗箱の除草。セルリ苗ポット上げ。その後退散して宅内閑居。雷雨があり、落雷対策で通信線と電源線を切断。古本の拾い読み。

2013年7月8日の天気(AMEDAS)

TAVE= 29.1 NO DATA
TMAX= 36.3 最高気温(℃) 37.3 13:45
TMIN= 25.5 最低気温(℃) 25.5 05:10
DIFF= 10.8  
WMAX= 4.5 最大瞬間風速(m/s)(風向(16方位)) 13.5(北北東) 15:32
SUNS= 9.1 NO DATA
RAIN= 1 NO DATA

Q
Q

ハトよ 鳴いておくれ(愛しき古里;環境雑録):整備が進む伊勢崎駅駅前;レールを活用した旧駅舎

五月初めに町歩きをして伊勢崎駅に立ち寄った。駅前の整備も進み、新しく区画整理された場所に交番、店舗等が立ち始めていた。道路も仮設らしく、しばらく駅前の変貌が続き、その後新しい伊勢崎駅前が現れてくるのだろう。

旧駅舎を見学した時、駅舎に鉄道のレールが使われているという説明を聞いた。何年も旧伊勢崎駅を使った経験があるが、明確に気付いていなかった。多分、何となくレトロだと思いつつ漠然と駅舎の外観を見ていたのだろうが。

とりあえず、消えてしまう駅舎の記憶として駅前の目立つ位置にあったレールの柱をデジカメに収めた。同じ時、玄関のひさしの部分にあったツバメの巣や、巣を保護する板が取り付けられていたのも撮影。旧駅舎の玄関口にはツバメの巣がいくつかあり、駅員は客に糞までサービスしないように細かな配慮をしたようだ。

ツバメとしても、適度に人が往来する場所に巣を作るのが安全と知っているのだろう。新駅舎の玄関口がどうなるかは、はっきりしないが多分ツバメは入れ込めないような構造になるのではないかと思う。ツバメだけでなく、鉄道乗客以外の一般人も気軽に駅を利用できる仕掛けも大切なようだ。一日、数千から一万人程度の利用では、拡張された駅前広場は現在より閑散としてくるだろう。ゴーストステーションにならないよう願うばかりだ。

駅が、余りにも近代的・機能的になりすぎるとそれにつれて人間の方もそのペースに合わせられてしまいそうだ。もう少し、ユトリ、アソビがあっても良いのではないか。それにしても、駅の価値を決めるのは第一に駅の利用客だろう。利用者数の増大・減少が今後の駅利用の大勢を決定するだろう。WIKIPEDIAで伊勢崎駅の利用者数を調べると2000年から2011年まで、目立った増減はない。微増の傾向が出始めているようにも見えるが。その要因を分析して、早めに利用者数増大対策を実施する必要がありそうだ。おそらく、今後とも市内の利用者の増大は限定的だろう。市外からの来客を増やすには伊勢崎自体の魅力度を向上させる必要があるだろう。
Ioi_isesakiekimae_ekisya_rail_etc_6
DSC(左から):周辺新築家屋、新駅舎、旧駅舎、新交番、駅前イメージ、WIKIPEDIA客数推移。
駅前イメージ図は伊勢崎市ホームページからの引用。

IOI_ISESAKIEKIMAE_EKISYA_RAIL_ETC_6PIX.jpgをダウンロード

IOI=IMAGES ON ITOSHIKIMONO

ページ先頭へ飛ぶ

2013年6月29日 (土)

ハトよ 鳴いておくれ(愛しき古里):お富士山古墳の石棺を見て広がるイメージ

2013年6月29日(土)
昨日は朝雨後晴れ。最高気温(℃) 25.4 16:29。ざっそう句:あの店の 看板いつか 外国語。朝飯前にタマリュウの改植続行。まだ終わらない。朝飯後に定例の仕事。ついでにP区画の除草。背が高くなるヒメジョオン等を抜く。それから用事外出。用事の前後に買い物やタウンウォッチング。昔馴染みの店に入ったらブラジル食品店に衣替えしていた。外国送金を手伝う窓口があった。BANKかと聞いたが言葉が通じない。ブラジルはポルトガル語。ペルーはスペイン語との事。ペルーと言えば日本人の大統領がいたっけと聞くと、フジモリさんネ、病気で刑務所らしいとの事。時代の流れを感じた一時。無料の外国語新聞や雑誌を貰う。おみやげに原産国ブラジルと記された乾パンのような物を買った。ワードが暴走。安定度が良くない。再入力。WZエディターは一度も暴走していない。
Ioi_viskonti_toast_brazil_s_2

Q
Q
Q
Q
Q:ダミースペース(画像に文字が回り込む)
Q
Q
Q
Q
Q
Q
Q
Q
Q
Q
Q:ダミースペース(画像に文字が回り込む)
Q

2013年6月28日の天気(AMEDAS)

TAVE= 21.7 NO DATA
TMAX= 25 最高気温(℃) 25.4 16:29 
TMIN= 18 最低気温(℃) 18.0 05:01 
DIFF= 7  
WMAX= 2.9 最大瞬間風速(m/s)(風向(16方位)) 6.5(東南東) 00:46 
SUNS= 0 NO DATA
RAIN= 0 NO DATA

Q
Q

ハトよ 鳴いておくれ(愛しき古里):お富士山古墳の石棺を見て広がるイメージ

先日、富士山と美保の松原がユネスコの文化遺産に登録された。富士は日本一の山と親しまれ、昔の銭湯には決まって富士山が描かれていたようだ。まさに、銭湯に入って富士山を眺めいい気分になるのが庶民の楽しみだったのかもしれない。

古墳を見ると、色々なイメージが湧いてくる。WIKIPEDIA「古墳。(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E5%A2%B3)」によれば、「古墳(こふん)とは、一般に日本史上、3世紀後半から7世紀前半に築造された墳丘を持つ古い墓である。古代の東洋では位の高い者や権力者の墓として盛んに築造された。 日本史では、墳丘を持つ墓は墳丘墓と呼んでいるが、この内、3世紀後半から7世紀前半に築造されたものを特に「古墳」と呼んで区別している。」。

古墳が築造された時代が、丁度日本という国が形を持ち始めた時期に重なるため、日本、日本の歴史とも関係して多くの人の関心を集めるのではないかと思う。そういう点で、古墳の見方感じ方は時代と共に変わっているのだろう。

「ざっそう句:古代へのロマン 伊勢崎の古墳群(http://af06.kazelog.jp/itoshikimono/2012/02/post-930a.html)。(2012/2/12(日))」

古墳の謎の多くは、それを文字で記録した証拠が無いことによるのだろう。その記録も、色々な人が色々な観点から記録していれば、それだけ記録の精度は向上する。しかし、古墳築造の時代は、まだ漢字も十分普及していなかった時代のようで、古墳を読み解くには古墳に聞く以外に方法が無いのが現実のようだ。

今年の春、殖蓮史談会の史跡巡りで、「埼玉県立さきたま史跡の博物館 (http://www.sakitama-muse.spec.ed.jp/)」を見学した。お目当ては、「埼玉の国宝の1つ「金錯銘鉄剣(きんさくめいてっけん)」」であった。出土した鉄剣から古墳の被葬者が特定された極めて珍しい例がここに展示されている。早速、説明員にその古墳が出来た頃はまだ漢字が伝わっていなかったのではないかと聞くと、その刀剣を作った人の中に漢字が分かる渡来人がいたのだろうという回答をしてくれた。

パソコンに蓄積してあるデジカメ画像も徐々に記憶が薄れてどのような機会に撮影したのかはっきりしなくなる。残っていたお富士山古墳の写真はたった3枚。2009/11/9のタイムスタンプがあった。同じ日付の八坂用水の画像もあるので、八坂用水を見てから、偶然お富士山古墳へ回ったようだ。古墳の周辺は畑や水田であった。いわば低地にぽつんとある古墳である。水田開発は比較的新しく、昔は里山の風景があったのだろうかと想像した。そうすると、お富士山古墳の周辺には小さな古墳があったかもしれないと想像が膨らむ。

伊勢崎市ホームページには、「お富士山古墳。http://www.city.isesaki.lg.jp/www/contents/1355363671957/index.html(2013年1月4日更新))」というタイトルで、「お富士山古墳は全長125メートルの5世紀中頃の前方後円墳である。両毛線により前方部の一部が切断されているが、前方後円墳の形状をよくとどめている。昭和38年(1963年)群馬大学の学術調査で、墳丘は3段築造され、葺石が巡り、大型円筒埴輪の配列が確認された。後円部頂上の富士神社そばに砂岩製で縄掛突起をもつ県指定重要文化財の長持形石棺がある。」と紹介している。

更に同市は、「お富士山古墳所在長持形石棺http://www.city.isesaki.lg.jp/www/contents/1354006355686/index.html(2013年2月5日更新))」というタイトルで、「長持形石棺は古墳の後円部に置かれる。砂岩製で、全長285センチメートル、幅121センチメートル、重さ6.8トン。長持形石棺は5世紀に畿内の大型前方後円墳にみられ、県内ではお富士山古墳と太田市の天神山古墳で確認されているだけである。形態や制作技法が畿内の石棺と共通し、畿内の工人が東国へ派遣されて製作したと考えられている。」と紹介している。

そこで、国土地理院のウォッチズでその周辺の地形を調べた。その一部をお富士山古墳の石棺写真と連結して引用しておく。ウォッチズは表示した画面にリンク情報(http://watchizu.gsi.go.jp/watchizu.html?longitude=139.17184963728&latitude=36.336920281549)が示されるので、そのリンクから閲覧した方が便利だろう。

その地図をみると、オートレース場の北側で広瀬川と神沢川が合流する地点の数百m北東にあるのが分かる。市の説明に「墳丘は3段築造され、葺石が巡り」とあり、広瀬川の川原石を使うのには最適な場所のようだ。地図の等高線からみるとかなりの平坦地である。平坦地に山が一つだけ見えるという構図はまさに富士山が醸し出す風景に重なるのである。説明板によると、お富士山には富士神社があると記されている。

尚、群馬県埋蔵文化財調査事業団ホームページには、「群馬の遺跡・出土品群馬の遺跡案内 中毛地区お富士山古墳。http://www.gunmaibun.org/remain/guide/tyumo/ohujiyama.html())」というタイトルで、「もっと知りたい!の項で、お富士山古墳のある周辺は、本古墳を中心に市内でも有数の古墳群を形成していました。しかし、現在では開墾されてしまい確認できません。 1981年に国立歴史民俗博物館で石棺のレプリカ制作に伴う型取り作業に際して調査を行い、古墳が作られた年代と、石棺の年代がほぼ一致することから、お富士山の石棺である可能性が極めて高いと報告されています。」と紹介している。

文化庁は「「富士山」の世界遺産一覧表への記載決定について(PDF形式(260KB))(http://www.bunka.go.jp/ima/press_release/)(2013年6月22日)」として、報道発表している。ユネスコに評価されたのは「富士山-信仰の対象と芸術の源泉」という側面もあると思うが、信教の自由という観点か、「信仰の対象」は余り脚光を浴びていないように感じる。

多分、お富士山古墳と日本一の富士山も何かの関係があるのかもしれないと思った。その接点に信仰があったのではないか。古墳自体、仏教という外来思想が広まる前後の日本人の精神世界を現しているのかも知れない。それにしても、石棺に埋葬された被葬者は、自分の墓が暴かれ、遺骸を収容した黄泉の国に通じる頑強な石棺が、展示物件になってされているのを見たらびくり仰天するのではないか。
Ioi_ofujiyamakofun_sekikan_map_3p_2

IOI_OFUJIYAMAKOFUN_SEKIKAN_MAP_3PIX.jpgをダウンロード

IOI=IMAGES ON ITOSHIKIMONO


ページ先頭へ飛ぶ

検索サイト

NANDA?⇒物臭検索

  • ラベル(タイトル):最初は何も分からない
    なんだこりゃ?作成当時の記憶

エネルギー関係

ウェブページ

更新ブログ

PHOTO2(写真集)

  • Iob_fujijyuukouentotu
    たまたま出会ったもの2

PHOTO4(写真集)

  • Iob_minitomatodaruma
    果樹・野菜・花等

PHOTO5(写真集)

  • Iob_senteihasami_funsitu_sabi
    現在使われなくなった機器、農具、ガラクタ等。

PHOTO6(樹木等)

  • Iob_sendan_kiru_2013
    樹木の縮伐カット&トライetc

PHOTO7(写真集)

  • Iob_kaiko_ga_gazou
    BLOG関連写真2
フォトアルバム

MIKAN KUN

  • 赤城連山MAP
  • Fight_Fukushima
  • ISESAKI_PIGEON
  • MIKANKUN

Copyrighit

  • © Copyright 2006-2024  af06.kazelog.jp  All rights reserved.

健康関係:リンク&検索等

Favorites2

Favorites

Favorites3

Favorites4

やさしい科学・SCIENCE

  • 日経サイエンスのウェブページ
    「日経サイエンス」とは:「日経サイエンス誌は,1845年に創刊された長い歴史と伝統を持つ米国の科学雑誌「SCIENTIFIC AMERICAN」の日本版で,世界の最先端の科学技術動向を日本の読者に届けています。」
  • SCIENCE IS FUN in the Lab of Shakhashiri
    University of Wisconsin-Madison Chemistry Professor Bassam Z. Shakhashiri のサイト

みかん栽培関係情報

ISESAKI  有情2

ISESAKI  有情1

嗚呼 伊勢崎 非情

BOOKS

  • 橋本 英文: 刃物雑学事典 図解・刃物のすべて(1986年 株式会社 講談社 ブルーバックス B-659)
    刃物という視点で多くの事例が取り上げられている。刃のある道具の理解にも役立つ。類書が少なく貴重な一冊。「すべり変形が切断の原理」という考え方で説明している。
  • 沼田 真   : 植物たちの生( 1972年 岩波新書(青版 833))
    「ご要望にお応えしてアンコール復刊(1988年岩波新書50年記念復刊) 地球生態系の中で自然を見直す」(腰巻きのフレーズ)。植物の知恵と戦略に人類は勝てるのか。
  • 出町 誠: 14_NHK趣味の園芸:よく分かる栽培12ヶ月  カキ(NHK出版2007年)
    初心者向け柿栽培参考書(新版)。旧版と比較すると楽しい。
  • 中村三夫: 13_NHK趣味の園芸:作業12ヶ月  カキ(NHK出版1996年)
    初心者向け柿栽培参考書(旧版)。新版と比較すると楽しい。
  • 山科正平: 12_細胞を読む   電子顕微鏡で見る生命の姿
    細胞はどんな部品からできているのか。そんな疑問に答えてくれる一冊。何事も形を見るのが第一歩。μからÅオーダーの世界で、細胞をメスで解剖するように、電子顕微鏡というメスで解剖して見せてくれるので興味が尽きない。
  • 柳田充弘: 11_細胞から生命が見える
    著者の専門は分子生物学、細胞生物学。普段生物を考えても細胞レベルで止まってしまう。その細胞の中で色々な分子が働いている。細胞こそ生命の基礎だが、その細胞の中の動きを知るのに最適な一冊。疑問の発端はなぜ発根剤が効くのかということ。薬剤が細胞膜を通過して細胞内で分子と分子が作用するイメージができた。本書でできた細胞のイメージは小さな無数の穴が空いた水分が充満したヨーヨーのようなもの。そのヨーヨーの中に分子部品が詰まっている。細胞自体もタライの中のヨーヨーのように浮かんでいる。細胞図面の空白部は真空でなく水分だ。細胞の内外に水がないと細胞は生きられない。水が生命のゆりかごだ!
  • 野口悠紀雄: 10_ホームページにオフィスを作る(2001年 光文社)
    ITが輝いた時代の作品。HPの活用法は参考になる。参考:url=http://www.noguchi.co.jp/(野口悠紀雄 ONLINE)
  • 小池洋男 編著: 09_果樹の接ぎ木・さし木・とり木(農文協:2007/3/31第1刷)
    やや専門的であるが、実務専門化が分担執筆しており、その場で役に立つ一冊。
  • ノーバート・ウィーナー(鎮目恭夫訳): 08_サイバネティックスはいかにして生まれたか(みすず書房1956)
    情報と通信という現代社会に不可欠の基礎的な学問を作った著者の自伝とそれを通した科学史
  • 沼田 真(編): 07_雑草の科学(研成社1979)
    雑草を多面的に解説し防除の基礎も述べる

外国の博物館・美術館 外国語・国際関係(リンク)

TOOLS

地域産業・機関

地域興し関連情報

MEMO_TL_TEST

  • TOP PAGEの 「アクセスランキング(2015/6/8より表示再開)」へ飛ぶためのラベル
  • TEST END
    TEST_H23/10

アクセスランキング

リンク:ページ先頭へ飛ぶ

写真集へのリンク

MEMO 海外の博物館・美術館

  • https://www.artic.edu/collection?place_ids=Japan&page=6
  • 項目のタイトル2
    POST IT :ブログ画面への張り紙に使える。
  • TYPE LIST事始め
    2010/8/4:MEMO等の表示に使える。 農作業で気になる自戒の言葉 ■畑の石ころはいつまで経ってもても石ころ(早く拾って片づけよという意味か)。 ■同じ石を二度拾うな(やってみると難しい)。 ■手ぶらで歩くな。 ■三つ先のことを読め。 ■適当な観察。 ■空を見よ(気分転換、休憩、天気を読む、腰曲がり防止)