01A_愛しき古里

Feed

2013年6月24日 (月)

ツルよ 飛んでおくれ(愛しき古里):ああ、あの吾妻渓谷もダム底に消えてしまうのか?

2013年6月24日(月)
昨日は晴れ時々曇り。最高気温(℃) 30.1 14:13。ざっそう句:鄙の畑 人目盗んで 咲く紫陽花。ゴボウ区画をねじり鎌で除草。雑菜と雑草に埋もれている。未だ双葉。自働蒔きダイコンと下仁田ネギ区画の除草と土寄せ。ネギに鶏糞をまく。イチジクの下から生えているヤブガラシの根を手で引き抜く。アカザとヒユを収穫。かみさんが茹でてくれた。雑草らしいクセのある素朴な味がする。アカザは1m位。放置すると手に負えなくなる。

昨日のGoogleDoodleIoigoogledoodle20130623mt_fuji_be_2 はユネスコ世界遺産に登録決定した富士山だった。このGoogleDoodleは決定記念に相応しく「クール」だ。

2013年6月23日の天気(AMEDAS)

TAVE= 23.1 NO DATA
TMAX= 29.8 最高気温(℃) 30.1 14:13
TMIN= 17.6 最低気温(℃) 17.4 05:08
DIFF= 12.2  
WMAX= 5.4 最大瞬間風速(m/s)(風向(16方位)) 9.8(東南東) 17:28
SUNS= 8 NO DATA
RAIN= 0 NO DATA


首相官邸は、「「富士山」世界遺産登録にあたっての総理メッセージ。http://www.kantei.go.jp/jp/96_abe/discource/20130622fuji.html(平成25年6月22日)」」というタイトルで、「きれいな稜線、端正なたたずまい。時に荒々しく、時に幻想的。富士山の多彩な美しさに、古来、私たち日本人は、感動し、元気づけられてきました。
 その「私たちの富士山」が、今日、「世界の富士山」になりました。心から嬉しく思います。 ゴッホの絵にも描かれた富士山は、まさに「クールジャパン」の元祖。世界遺産登録を機に、政府も海外への発信を強化し、多くの外国の方々にも、日本に足を運んでもらい、富士山を見てほしいと願います。」と報じた。

手放しで慶びたいが、富士山が更に遠くなったような複雑な心境でもある。

Q
Q

ツルよ 飛んでおくれ(愛しき古里):ああ、あの吾妻渓谷もダム底に消えてしまうのか?

2010年地区生涯学習の行事でやんば館と吾妻渓谷(あがつまけいこく)を見学した。八ッ場ダムができると、湖底に沈み見られなくなる風景を一度は見ておこうという企画であった。民主党の「コンクリートから人へ」というスローガンで一時本体工事が停止したが、自民党に政権が代わり再度その工事が動き出した。

WIKIPEDIA「八ッ場ダム。(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%AB%E3%83%83%E5%A0%B4%E3%83%80%E3%83%A0)」

時代の流れと政治の流れは必ずしも一致しない。ともかく、大型土木事業は時代と共に性格は変わるが、古墳時代からあったのだ。現代文明の機械力を動員すれば相当大きな土木事業が出来る。問題は、長い歴史の中で、その事業がどれほど有効で後世の評価に耐えうるかという事だろう。今、政治に求められているのは大きな夢なのである。

単純に考えると、ダムという構造は垂直に立てた板で川の水をせき止めるのと何ら変わりがない。多量の水を蓄える装置は巨大ダムが最適解だという保証は皆無だ。今日、ある目的を達成するために、幾つかの手段・方法が可能であるというのが常識であろう。水を溜めるのはダムだけではない。バケツもあるのだ。

東日本大震災の教訓を受け、高台移転が叫ばれたが現実は、実現性の点で問題も多いようだ。津波被害を想定した対策としては、高層建築という代案もあるようだ。ハードで実現できない部分はソフトで補うという割り切り方もあるようだ。ともかく、最適解はハードとソフトの融合になるのは明らかだ。ハードだけだといずれ、バブルの塔になってしまう懸念がある。

「バベルの塔。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%83%99%E3%83%AB%E3%81%AE%E5%A1%94。(最終更新 2013年6月16日 (日) 08:44)」『ウィキペディア日本語版』(http://ja.wikipedia.org/)。の記事に、「バベルの塔(バベルのとう、ヘブライ語:???? ????、英語:Tower of Babel)は、旧約聖書の「創世記」中に登場する巨大な塔。 神話とする説が支配的だが、一部の研究者は紀元前6世紀のバビロンのマルドゥク神殿に築かれたエ・テメン・アン・キのジッグラト(聖塔)の遺跡と関連づけた説を提唱する[1]。 実現不可能な天に届く塔を建設しようとして、崩れてしまったといわれることにちなんで、空想的で実現不可能な計画を比喩的に「バベルの塔」という[2]。」とある。

「バブルの塔」は「バベルの塔」のパロディ版。先々の事を考えずに、目先の事だけで、長期的には必ず劣化し、崩壊の危機が迫ってくる巨大構造物を作る愚かしさを皮肉った。

土木事業の面でも、巨大なダムを幾つか造るより、小さなダムを沢山造った方がシステム的には安全なような感じがする。軍備の面ではすでに大艦巨砲主義は過去のものだろう。空母も原水爆も然り。現実の世界では、見えにくいがテロやサイバー攻撃が真実味を帯びている。コンピュータ一つ一つは、ゴミのような小さな存在だが、現代はそれが世界を動かす小さな細胞でもある。しかし、想像力が乏しい平凡な政治家には、何も見えないのが真実なのだ。デカイ物が目の前に無いと自分を信じられないのだ。そういうお守りを持たないと安心できないのが政治家の宿命かのようだ。

これでは、永久にバブルの塔のような巨大建設が必要になってしまう。数世紀後の市民が最も迷惑するのがこのようなバブルの塔の後始末ではないか。WIKIPEDIAによると八ッ場ダムの有効貯水量は「9,000,000 m3」との事だ。1立米の浴槽ならたったの900万杯分だ。平成24年10月1日現在の群馬県の世帯数は、766,766世帯。群馬県1世帯当たりに換算すると11.7杯分だ。感覚的には、群馬県全世帯が二週間ほど連続して風呂を使うと八ッ場ダムの貯水量は尽きてしまう程度だ。

ともかく、巨大なダムを数個造って、そのダムの貯水・放水を制御するだけで、万全な洪水対策が可能かは疑問に思う。むしろ、流域全体の河川を貯水機能と流水制御機能を持った巨大なネットワークとみなし、入力となる気象状況等と各種要因により刻々と変わる水需要に基づき、政府は、水量と流す方向をダイナミックにコントロールするような雄大なシステム構築を計画すべき段階にあるのではないか。

当然、このシステムでは、収集されたあらゆるパラメータを評価して刻々とリアルタイムで制御される。この方式で、毛細血管の末端のような水路まで使用すれば、バカみたいな巨大ダムも必要なく、一時的には膨大な貯水量が確保でき、洪水防止も可能になるのではないか。まさに、水利のクラウド版だ。当然、これは電力の相互融通とも類似した事業になる。米国では巨大な電力網が機能している。この水利版の一例が関東利根川流域水利クラウド制御システムということになろう。こんな制御は、生物の血液循環を考えれば、すでに自然が実行しているシステムと大差がない。

このようなアイデアが実現すると膨大な新技術が生まれ、その技術は外国にも輸出できるのである。トランジスターラジオのセールスマンを自認した元首相もいた。結果としては電子立国を大きく支援したのではないか。美しい国日本。WIKIPEDIA「美しい国。(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%BE%8E%E3%81%97%E3%81%84%E5%9B%BD)」美しい国は水を魔術のように自在に使いこなして初めて可能になるのではないか。そもそも、人口減少社会に向かって水需要が増大を続ける見込みはないだろう。工事を断行するために、洪水に対する安心・安全という呪文をかけたが、まさにバブルの呪縛にとらわれているだけのように見える。

日本は水を魔術のように自在に使いこななす技術は古来からの水田・水利事業や河川改修等により実現してきた。無数のため池を作ってきた。余りに馬鹿でかいダムを造りすぎるとその維持管理だけで、相当の経費増大が永続する事になってしまう。

上毛カルタに「耶馬渓しのぐ吾妻峡」という一札がある。初めて見た吾妻峡の秋も印象深いものであった。その名勝地が風前の灯火なのを実感して、荒涼たる思いになった。
Ioiyanbakan_komenkyou_keikokunoaki_


ページ先頭へ飛ぶ

2013年6月 7日 (金)

ハトよ 鳴いておくれ(愛しき古里):小さな発見大きな感動:伊勢崎市の旧時報鐘楼の足下にある物は何?

2013年6月7日(金)
昨日はくもり。最高気温(℃) 26.5 15:25。ざっそう句:空梅雨や 週間予報も 雨がない。道路沿いの刈りゴミを撤去。枝切りで残した黒松の新枝を下方に誘引。枝垂れ松らしいので実験。種を播いたホウセンカが数本育ったので移植。夕方M区画草むしり。サクランボの枯れ木を圃場より撤去。数本植えたが全滅。

2013年6月6日の天気(AMEDAS)。

TAVE= 21.9 NO DATA
TMAX= 25.5 最高気温(℃) 26.5 15:25
TMIN= 18.6 最低気温(℃) 18.2 04:38
DIFF= 6.9 NO DATA
WMAX= 2.8 最大瞬間風速(m/s)(風向(16方位)) 6.5(東北東) 16:28
SUNS= 0 NO DATA
RAIN= 0 NO DATA

Q
Q

ハトよ 鳴いておくれ(愛しき古里):小さな発見大きな感動:伊勢崎市の旧時報鐘楼の足下にある物は何?

伊勢崎市指定文化財となっている旧時報鐘楼は赤石楽舎の敷地内にある。また、赤石楽舎は伊勢崎市立北小学校に隣接している。北小学校は明治初期に学制が始まった時、赤石学校として発足した。北小学校西側で広瀬川東岸に伊勢崎市立図書館があり、この地域全体が歴史のある文教地区と言えるだろう。

赤石楽舎は地域交流センターという位置づけらしい。たまたま、先日行ったときは既に閉門時刻を過ぎていたようで、人影はまばらであった。おかげで、旧時報鐘楼をじっくり見ることができた。

この、旧時報鐘楼は戦争の爪痕も残しているとの事で、それを念頭に煉瓦の色を見ると戦火で焼けて煤で黒ずんだ煉瓦があるのが分かった。もう一つ、時報鐘楼なのに、なぜ鐘が無いのかという謎がある。

殖蓮史談会会長の話によれば、その鐘は戦争用の金属資源として供出させられ、鋳潰されてしまったとの事だ。そこで、同会長氏は、鐘(英語でBELL)が無いという史実をもっと積極的に活用しよう。例えば、旧時報鐘楼がある通りを、ノーベル(英語でNO BELL STREETか)通りと命名して云々と夢を描いている。この飛躍のある発想がユニークだ。

鐘がないなら、今日のシミュレーション技術で、鐘の音を合成してみるのも面白そうだと調査した事があった。既に日本の梵鐘を有限要素法で研究している研究者がいるのが分かった。ともかく、文化財も、その歴史や背景を追求すると多様な活用方法がある事に気付く。

ところで、旧時報鐘楼をぐるりと回って色々な角度から見て、ふと足元を見ると絵入りのタイルがはめ込まれていた。その絵に相当する英語も入っている。小学生から英語教育が行われるという時勢を先取りしている快挙に見えた。更に、円周率の数字を並べたブロックもあった。

田舎老人が小さな発見大きな感動と言っても余り面白みはないだろうが、子供にそれとなく発見の喜びを与える仕掛けというのはあちこちにあっても邪魔にはならないと思う。殖蓮史談会会長は、あのノーベル通りで思索した子供達の中からノーベル賞受賞者がでる可能性もあるのだからともう一つ大きな夢を語った。

ところで、不完全なデジカメ画像が数枚あった。古いデジカメで不調なのかもしれない。一枚だけ真っ黒な画像があった。その画像は何だったか。それを見付けるのは次回の楽しみにしたい。
Bopix_akisigakusya_tairugazou_22pix


ページ先頭へ飛ぶ

2013年6月 4日 (火)

ツルよ 飛んでおくれ(愛しき古里):「鶴舞う 形の 群馬県」をイメージした童謡の父石原和三郎が見た桑の葉

2013年6月4日(火)
昨日は晴れ。最高気温(℃) 29.4 14:25。ざっそう句:無手勝で たわわに実る モモを切る。桃の木枝切り。ヤブガラシを堀上げる。落葉果樹の整姿剪定は冬の仕事だが。冬では葉が無いのでイメージが浮かばない。夕方、視界確保のため、畑の三角部のベニカシワを堀上げる。広辞苑によると無手勝流とは、塚原卜伝の故事から生まれた「戦わずに勝つ」極意戦法のようだ。 ヤブガラシを掘る極意は、茎が地上に出た所を探し、そこから10㎝ほど指で掘り下げて、横方向に走る根を掴んで引き抜く。地下横方向に這う根は意外に無防備のようだ。ふかふかの土の場合有効。ヤブガラシはビンボウカズラの異名があるが、ヤブガラシに負けてしまうと、悲惨な気持ちになり、ビンボウカズラを思い出す。

2013年6月3日の天気(AMEDAS)。

TAVE= 21.2 NO DATA
TMAX= 29.2 最高気温(℃) 29.4 14:25 
TMIN= 13.6 最低気温(℃) 13.1 04:46 
DIFF= 15.6 NO DATA
WMAX= 4.6 最大瞬間風速(m/s)(風向(16方位)) 10.1(東南東) 17:33 
SUNS= 13.1 NO DATA
RAIN= 0 NO DATA

Q
Q

ツルよ 飛んでおくれ(愛しき古里):「鶴舞う 形の 群馬県」をイメージした童謡の父石原和三郎が見た桑の葉

群馬県人にとって、上毛カルタの「鶴舞う 形の 群馬県」という一札は、自分を古里群馬と結びつけてくれるキーワードになっていると思われる。

昨年、「ツルよ 飛んでおくれ(愛しき古里):「鶴舞う 形の 群馬県」のルーツを探る(http://af06.kazelog.jp/itoshikimono/2012/10/07/)。(2012年10月7日日曜日)」という記事を書いた。そのルーツを探ると、石原和三郎の「上野唱歌」の挿し絵まではたどれそうだ。

その「上野唱歌」の表紙に描かれたのは「桑の葉」と蚕が蛹からかえった「蛾」の姿であり、とまどってしまった。しかし、その絵は、養蚕の繭という成果がでる過程で欠かせない段階を示している教育的見地からは意味深いメッセージを込めているのではないかと思った。

自分も少年期には家の手伝いとしてクワツミをさせられた。両手の人差し指にクワツミ

Kuwatumi_1

の刃を挿して、桑の木から葉を一枚ずつ摘む単調な作業であった。摘んだ桑は、竹で編んだカゴにぎゅうぎゅうに詰めて家に持ち帰り、計りで測った。その重量から、カゴの重さを引いた正味の作業量に応じて小遣いをくれた。頑張れば、頑張っただけ多くもらえたので、兄弟で競争するように頑張った。

「上野唱歌」の表紙の桑の葉の形状を見ると、葉の切れ込みがかなり深いのが気になっていた。切れ込みが深すぎるのではないかと思った。最近、境界木として残ってる桑の木に、桑の実がなったので、それをつまんで食べてみた。それほど甘くはないが、ほのかに桑の香りがした。

ついでに、改めて、その桑の木の葉を調べてみた。同じ木だが、切れ込みの深い葉と、切れ込みのない葉があった。その理由ははっきりしないが、「上野唱歌」の表紙の桑の葉も忠実に描かれているように感じた。その桑の葉を並べてみた。蛾の姿も正確に描かれているように感じる。
Bopix_kuwanoha_isiharawasaburou_4pi


ページ先頭へ飛ぶ

2013年5月31日 (金)

ハトよ 鳴いておくれ(愛しき古里):絣の里・円形校舎と円形交流館と四ツ葉学園

2013531()

昨日は曇り後雨。最高気温() 21.7 13:42。ざっそう句:二度聞いて 昔に還る 三光鳥。ゴミ出しのついでと、近所のおばさんが来て長話。その後宅内閑居。ワード作業。コピー代節約のためA3袋とじを試す。今朝、トイレの小窓から三光鳥の声が聞こえた。幻聴かと耳を疑った。念のため、洗面所の窓を開けたところ、二度目の声を聞いた。数十年ぶりではないかと思う。サンコウチョウ - Wikipediaへのリンク。WORD編集:BE下書き+WORD文書⇒保存でフォーマット不正となりHTML編集しかできない。下書きまでWORDに取り込みBEへ貼り付け:画像がコピーされない。)

2013
530日の天気(AMEDAS

TAVE=

20.0

NO DATA

TMAX=

21.6

最高気温(℃) 21.7 13:42

TMIN=

18.6

最低気温(℃) 18.2 23:32

DIFF=

3

NO DATA

WMAX=

4.2

最大瞬間風速(m/s)(風向(16方位)) 9.1(北西) 23:39

SUNS=

0

NO DATA

RAIN=

17.5

NO DATA

Q
Q

ハトよ 鳴いておくれ(愛しき古里):絣の里・円形校舎と円形交流館と四ツ葉学園

絣の里の円形校舎は、統廃合により不要になった旧伊勢崎市立女子校の校舎が市民活動の拠点として再利用されてきたものであった。ユニークな円形をした高校校舎のデザインは市民の記憶の中に残っており、取り壊すのは余りにも勿体ないというのが大方の市民の気持ちだったと思う。

その円形校舎は東北地方太平洋沖地震の影響で被害を受け、診断の結果、利用の継続は断念されたようだ。その時、どのような評価結果でその判断がなされたのか知りたいところだ。とくに、保存対策と補強による対策で継続使用するという選択枝もあったと思う。保存と新築に関してどのような議論があったのだろうか。ともかく、取り壊しになると聞いて、その姿を残しておこうとしたが、いつの間にか取り壊されていた。現代の機械力によれば、取り壊しは作業をはじめれば短期で容易に終わってしまう。コンクリートビルが林立する都会の未来を想像すると、解体撤去が唯一の選択枝ではないと思うのだが。

昔は、ビルと言えば直方体で、味気ない形が多かったが、建築技術の進歩によるのか、最近のビルは個性的な姿になってきた。それを見ながら都会で生活する人もその個性的姿が記憶の底に焼き付けられて行くのだろう。自分のデジカメ画像の中に残っている円形校舎は極少なかった。写真の背景として残っていた。思い出すのは、絣の里で行われた下記の講演会。

「三軒屋遺跡の講演会(http://af06.kazelog.jp/itoshikimono/2008/11/post-3f1a.html)。(2008/11/23)」

年々歳々、スクラップ&ビルドを繰り返しているだけではその地域の歴史の重厚さは残らない。神社・仏閣だけではライバルが多すぎて勝負にならない。これがユニークだと思う物はそれを何らかの形で残すべきではないかと思った。

先日町歩きした途中で、開館直後の新しい円形交流館に入り施設の一部の会議室等を見学した。休日で、周知不足なのか、いたのは職員のみ。振り返ると、旧円形校舎は、当時の伊勢崎市が市民の女子教育にかける意気込みを象徴的に現していたように感じる。今日、伊勢崎市は伊勢崎市立四ツ葉学園中等教育学校に力を注いでいるようだ。

伊勢崎市立四ツ葉学園中等教育学校 - Wikipedia
WIKIPEDIAへのリンク。
四ツ葉学園へようこそ!
:四ツ葉学園HPへのリンク。

制度としての教育の成果が出るのは、一代では短すぎる。少なくても、世代交代が起きてからその成果がじわじわ出てくるのである。その頃、伊勢崎市立四ツ葉学園中等教育学校はどのように変化しているのか。思うに、伊勢崎市民は伊勢崎市の高等学校以上の教育に自信も誇りもないように見える。高等学校以上の教育は市外へ出て間に合わせてしまう。円形交流館へ出かけた時は、旧円形校舎や四ツ葉学園も思い出したいものだ。
Bopix_kasurinosato_enkeikousya_6pix

BOPIX_KASURINOSATO_ENKEIKOUSYA_6PIX_M.jpgをダウンロード


ページ先頭へ飛ぶ

2013年5月28日 (火)

愛しき古里(目に留まった風景):波志江沼のさざ波

2013528()

昨日は曇り一時晴れ。最高気温() 28.2 14:30。ざっそう句:二羽のキジ ケンケンカッカと 鳴き交わす。ミニトマトとナスの苗を圃場に定植。苗箱のマリーゴールド(マリーゴールド - Wikipediaへリンク)(マリゴと略)の苗を移植。マリゴ種子の価格は比較的安い。手間も余りかからない。ジニア同様雑草対策に期待。午後用事外出。給油。群馬 - 全国・都道府県別ガソリン・灯油価格最新情報へのリンク。円安なのに低下傾向の理由が分からない。売れない・景気が良くないというのが実感だが。

2013527日の天気(AMEDAS

TAVE=

22.2

TMAX=

27

最高気温(℃) 28.2 14:30

TMIN=

18.7

最低気温(℃) 18.7 02:23

DIFF=

8.3

WMAX=

3.5

最大瞬間風速(m/s)(風向(16方位)) 7.0(南東) 17:31

SUNS=

1.8

RAIN=

0

Q
Q

愛しき古里(目に留まった風景):波志江沼のさざ波

先日、身近な者と波志江沼を散策した。東屋でコンビニのおむすびをほおばり、ペットボトルのお茶を飲み、キュウリの漬け物をつまんで、どっこいしょと立とうとした時、たまたま波志江沼の水面に目が移った。

5月のそよ風が沼面を渡り、葉桜の下で心地よい風を吸う。さざ波が立ち乱反射する。今、ここで、この時だけ見える、自然の宝石の輝きだ。あの波、綺麗だぞと言ってカメラを向けた。みんなでその景色を見た。後からその画像を見た。あの時の輝きが出ていない。でも一瞬でも皆であの景色を見たのだ。

綺麗、綺麗にと飾り立てても、絶頂の時は短い。自然の営みの中は人間が演出できない一瞬の美しさがある。波志江沼のさざ波をみてそんな事を思った。
Bopix_hasienuma_sazanami_130517


ページ先頭へ飛ぶ

2013年5月22日 (水)

ハトよ 鳴いておくれ(愛しき古里):あれは波志江沼の人気コンビかも(鴨)

2013年5月22日水曜日
昨日は晴れ。最高気温(℃) 30.2 12:52。真夏日になった。ざっそう句:小満や 枯れ梅掘って 汗流す。移植したジニアに灌水。圃場の整理をしながら移植スペース作成。ジニアの残り苗は直に移植。枯らさないよう管理が必要。枯れた梅をツルハシで堀上げた。汗をかく。真夏日なので水分補給に注意。暦には
小満 - WikipediaWIKIPEDIAへリンク):陽気盛ん、万物ほぼ満足云々と書かれていた。夏型の生活パターンに改造する必要がある。

2013年5月21日の天気(AMEDAS)

TAVE= 23.6
TMAX= 29 最高気温(℃) 30.2 12:52
TMIN= 18.7 最低気温(℃) 18.4 03:49
DIFF= 10.3
WMAX= 5.5 最大瞬間風速(m/s)(風向(16方位)) 9.6(東南東) 16:25
SUNS= 9.1
RAIN= 0

Q
Q

ハトよ 鳴いておくれ(愛しき古里):あれは波志江沼の人気コンビかも(鴨)

先日、かみさん等三人で波志江沼周辺を散歩した。大きな犬を散歩させているおじさんと立ち話になった。大きいが利口な犬で人に吠えたりしないと自慢していた。それでも、万一の場合もあるので、ヒモは短くしているとのこと。ふと目を小川と沼の間の堤に移すと二羽の鴨らしい鳥が羽を梳っていた。おじさん曰く、「夫婦なのかいつも一緒だよ」との事。

コンビ鴨は、逃げる様子もなく悠然としていた。こんどは、そこへおばさんらしい女性がやってきて、ビニール袋に入っているペットフードらしい物を小川に投げ込んだ。それを感知した、コンビ鴨はやおら、小川に一匹ずつ飛び込んだ。どちらが先に飛び降りたか、そこまで観察していなかった。流れる餌を、よちよち泳いで追いかけて食べた。そうして、ついに沼まで泳いでいった。

他愛もない事かも知れないが、気楽な気持ちで見ているには面白い風景だ。ところで、コンビ鴨はどんな気持ちで人間を見ているのか気になった。餌付けされているようで、もう人間に慣れきっているかと言えば、そうでもなさそうだ。なぜなら、前方に小川、後方に沼があり、その中間の堤で休憩しているのだが、そこは安全地帯になっている。当然、それを知って、道路側には来ないと思う。我が家の周辺には数匹の野良猫が棲息しているが、やはり安全上人間との必要距離を確保して生活している。

「ガチョウ。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AC%E3%83%81%E3%83%A7%E3%82%A6)。(最終更新 2013年3月26日 (火) 11:19 )」『ウィキペディア日本語版』(http://ja.wikipedia.org/)。の記事に、「概要 [編集]野生の雁(ガン・かり)を飼いならして家禽化したもので、家禽としてはニワトリに並ぶ歴史を有しており、古代エジプトにおいてすでに家禽化されていた記録がある。
」とある。

「アヒル。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%92%E3%83%AB。(最終更新 2013年3月25日 (月) 11:23 )」『ウィキペディア日本語版』(http://ja.wikipedia.org/)。の記事に、「アヒル(鶩、または家鴨)は、水鳥のカモ科のマガモを原種とする家禽で、生物学的にはマガモと同種である。ヨーロッパや中国などで飼育が始まり、飼育が容易なこともあり、世界中で幅広く飼育されている。~」とある。

波志江沼は色々な水鳥が飛来しているようだ。水面近くに頭部を出している水門らしい所に大きな黒い鳥が二羽とまって羽を広げていた。ウとかサギのような大型の鳥だと思う。デジカメで写してみたが、絵にならなかった。小形の水鳥ではカイツブリがいた。こちらは鳴き声に特長があるにで聞き分けができる。かみさんも、目の前であの鳥を見て印象に残ったらしく、あの鳥は「鴨かも」とかオバンギャグを発した。
Bopix_kamox2_hasienuma_5pix_s

ページ先頭へ飛ぶ

2013年5月21日 (火)

ハトよ 鳴いておくれ(愛しき古里):あの木何の木「イセサキの木」

2013年5月21日火曜日
昨日は晴れ時々曇り。最高気温(℃) 25.3 14:15。ざっそう句:スイカズラ 香りの中に 極楽浄土。圃場整理。花が終わった雑菜を抜いて、そこにジニアの苗を植えた。スモモの枝切り。剪定は冬行うべきだが葉を見て作業。昨年ジニアを植えた場所の除草。こぼれ種が発芽していた。
シークヮーサーWIKIPEDIAへのリンク)も満開。ミツバチもクマバチも集まっていた。スイカズラはついにキンモクセイの木を乗っ取った。キンモクセイも生かしておきたいが。

2013年5月20日の天気(AMEDAS)

TAVE= 20.1
TMAX= 24.1 最高気温(℃) 25.3 14:15
TMIN= 15.7 最低気温(℃) 15.6 04:50
DIFF= 8.4
WMAX= 3.9 最大瞬間風速(m/s)(風向(16方位)) 7.0(南東) 14:40
SUNS= 4.4
RAIN= 0

Q
Q

ハトよ 鳴いておくれ(愛しき古里):あの木何の木「イセサキの木」

樹木で樹種名は分からないが印象に残る木がある。それは記念樹であったり、シンボルツリーであったり様々だが、やはり、その木がある場所や歴史や出来事等と関係していることから記憶に残るのであろう。

「ツルよ 飛んでおくれ(愛しきもの 花と実):この木何の木古墳の木(http://af06.kazelog.jp/itoshikimono/2012/10/post-c6d8.html)。」この記事に書いた古墳の頂上に一本だけ植えられている木は印象深い。樹木に詳しくないので樹種も分からない。当然、知っている人はいるのだろうが、それ相当の価値があるのに広く知られないというのも勿体ないと思う。

先日、花見で波志江沼環境ふれあい公園へ行った。かみさんが幼少の頃、実家へお客に行く時、波志江沼の脇の道を通ったとの事だ。当時の波志江沼は現在ほど整備されていなかったので沼はじっくり見たことはなかったようだ。先日、沼の辺のアズマヤで、コンビニのおむすびをたべながら、沼のさざ波を見たら、日光を反射してキラキラと輝き、実に優雅な風景を楽しめた。

沼にかかる園路橋を西岸から東岸に渡るとき、正面に見える大木がある。その大木の周辺が広場になっており、「みんなの広場」と呼ばれているようだ。もう一つ「けやき広場」というのがあって、こちらはシンボルツリーとしてケヤキが植えられている。それでは、「みんなの広場」のシンボルツリーは何か。その樹種は?今まで、ケヤキだと思い込んでいたが、近づいてみてその樹皮を見るとケヤキとは違っているようだ。葉は高すぎてよく分からない。結局、自分にとって謎となった。

当然、波志江沼環境ふれあい公園の管理部署はご存じの筈なのだろうが。公園を散策すると、現物と違うと思われる品種が書かれたプレートが設置されている例があるようだ。これは、教育的配慮から見ると首を傾げる現象だが、逆に、この「みんなの広場」のシンボルツリーに何の説明プレートも設置されていないのもまた別の謎なのだ。

伊勢崎市のホームページは、「波志江沼環境ふれあい公園。http://www.city.isesaki.lg.jp/www/contents/1000000693000/index.html。(2013年2月15日更新))」というタイトルで、「波志江沼環境ふれあい公園は、市内最大のため池である波志江沼の良好な景観に親しんでもらうため沼の周辺を公園として整備し、約150本の桜が咲く桜の名所として人気がある公園です。沼を周回できる園路はウォーキングを楽しむ人たちでにぎわっています。」と紹介している。それにしても、そっけなさすぎる。「波志江沼環境ふれあい公園」の情報を求めてアクセスするのだから、それなりの情報を提供する義務があるのではないだろうか。

波志江沼環境ふれあい公園は、かつては「合併記念の公園」という名目で整備され、そこに大観覧車を建てる計画が進んだが、市民の反対等で挫折した。その時の、大観覧車の配置位置が丁度園路橋を渡った正面の広場の中央であったように思う。そうすると、あの広場の大木は、大観覧車の身代わりに立っているのだと自分ながら勝手に考えてしまうのだ。結果論としてはそれでよかったと思う。樹木は適した環境では、数百年から千年以上の寿命がある。大観覧車なら長くても100年以上後には寿命が来るだろう。その点、樹木は毎年少しずつだが成長を続ける。その木を見ながら人も成長し、世代交代をしてゆく。

「市の木・花(http://www.city.isesaki.lg.jp/www/contents/1000000561000/files/treeandflower.pdf)」によると、伊勢崎市の「市の木」は『アカマツ・クロマツを含む総称としての「マツ」』が選ばれている。並ではあるが松竹梅は冬の寒さに耐える縁起の良い植物。波志江沼環境ふれあい公園のシンボルツリーを見て、あの木何の木「イセサキの木」と呼んだが、自分にはまだ本当の樹種名が分からない。松でないのはハッキリしている。ケヤキでもなさそうだ。もう少し足繁く通って、どんな花が咲くのか等々観察すれば少しずつ謎が解けてくるのかもしれない。それまで、「イセサキの木」で我慢しよう。
Bopix_enjyu_ka_q_8pix_m2_s
BOPIX_ENJYU_KA_Q_8PIX_M2.jpgをダウンロード

ページ先頭へ飛ぶ

2013年5月16日 (木)

ツルよ 飛んでおくれ(愛しき古里):最近の男井戸川調整(調節)池工事の進捗状況

2013年5月16日木曜日
昨日は晴れ時々曇り。最高気温(℃) 26.2 15:17。ざっそう句:ふと見れば ミカンの枝に 白い花。竹でホースローラーを作る。灌水。移植スペースを耕起。午後葬儀。トウモロコシとサルビアの種子購入。採取して播いた自働蒔きダイコンの種子が発芽していた。順調に育てば良いが。接ぎ木したハチヤガキが発芽して枝が伸びてきた。発芽状態にバラツキがある。

2013年5月15日の天気(AMEDAS)

TAVE= 20.7
TMAX= 25.3 最高気温(℃) 26.2 15:17
TMIN= 17.3 最低気温(℃) 17.2 02:59
DIFF= 8
WMAX= 4.1 最大瞬間風速(m/s)(風向(16方位)) 7.9(東南東) 17:14
SUNS= 6.3
RAIN= 0

Q
Q

ツルよ 飛んでおくれ(愛しき古里):最近の男井戸川調整(調節)池工事の進捗状況

男井戸川調整(調節)池の事業主体は県との事だ。その理由は、男井戸川が一級河川で県の管轄下にあるためらしい。男井戸川調整(調節)池より更に上流に関するある用件で、お願い事があった。とりあえず市が担当する業務なので市に相談した。係りはその扱い範囲を確認するのでと電話をしばらく待たされた事があった。結論は市の扱いだった。一級河川でも上流の中小河川扱いになると、河川の扱いも県と市の境界がどこかにあると初めて知った。

「06BD_男井戸川調整(調節)池と利活用(http://af06.kazelog.jp/itoshikimono/06bd_OIDO_RIV_AND_RIKATU.html)。」

先日、外出途上工事の様子を見た。池周辺に提体を巡らせ、その提体は散歩道にもなる。また、その提体を介して、池の内部へ上り下り出来る階段を設置するという構造が見えてきた。男井戸川調整(調節)池の設計前から住民の意見を盛り込んで、多目的利用を図るという新しい方式を採用したとの事。これから、更に、当初の計画に沿って細部が現れてくるだろうと注目している。

見た当日が丁度、学校の登校時間であった。池の西方には提体に沿って通学路が走っている。学童達が、三々五々学校に向かっていた。帰りは、子供達も一人で帰り、池内部で遊ぶこともありうる。万一ではあるが、そんな時急激な増水となる場合も考えられる。是非、水位計に連動した警報システムを導入して欲しいという意見もあった。

あの広大な男井戸川調整(調節)池は、自然との共生を学習する貴重な場所でもある。また、運動もできる場所にもなる筈だ。内部にはビオトープも作られており、その観察会にも参加した事があった。遠方から見学に来た人もいた。その人に聞くと魚に興味があるとの事だ。このような多目的な実験的施設であるが、万一事故が起きて、池周辺が柵で覆われてしまうと、巨大な威圧的施設に一変してしまう。すべて、今後の利活に関係するのだろう。丁度、両毛線に伊勢崎駅方向に向かう電車が通過した。
Bopix_oidogawa_cyousetuike_130509_3

ページ先頭へ飛ぶ

2013年5月11日 (土)

ハトよ 鳴いておくれ(愛しき古里):八坂用水と粕川サイフォン

2013年5月11日土曜日
昨日は昼晴れ。朝晩曇り。最高気温(℃) 29.4 13:41。ざっそう句:よれよれの 麦わら帽子 出番来る。朝方は定例の仕事。昼間暑くなったので古い麦わら帽子を今年初めて着用。圃場整理。ミカン苗に這い上がった枯れた蔓草等を除去。もう新しい蔓草が育ちはじめている。一年の手抜きが三年以上の生育遅れになる。ジニア苗の除草。メヒシバや雑菜も同時に育っている。本葉2~3葉になった。スイカ等の種を播いたが全滅が多い。スモモに高接ぎしたハリウッドが実を付けていた。同居させて貰っているスモモの方に実を付けさせて欲しいのだが。コンビニプリント用にDSCデータを加工。

2013年5月10日の天気(AMEDAS)

TAVE= 20.8
TMAX= 28.5 最高気温(℃) 29.4 13:41
TMIN= 13 最低気温(℃) 12.2 03:29
DIFF= 15.5
WMAX= 4.7 最大瞬間風速(m/s)(風向(16方位)) 10.6(東南東) 15:41
SUNS= 6.3
RAIN= 0

Q
Q

ハトよ 鳴いておくれ(愛しき古里):八坂用水と粕川サイフォン

偶然、華蔵寺公園で小畠武堯の頌徳碑に遭遇し、八坂用水の事が頭の隅に残っていた。神澤川を横切って樋(とい)で水路を延長した史実には感動する。その八坂用水は東流して粕川に突き当たるのである。その部分はどうなっているのか。

「読みかじりの記(ハトよ 鳴いておくれ;愛しき古里):華蔵寺公園にあった小畠武堯(おばたけ たけたか)頌徳碑(http://af06.kazelog.jp/itoshikimono/2013/04/post-7415.html)。(2013年4月19日金曜日)」

先日、外出したついでに、改めて八坂用水の粕川サイフォンを見た。外見は単なる堰にしか見えない。堰とは水流を分けたり方向を変えたり水量を調整したりする水利施設だ。この粕川サイフォンでは、八坂用水が粕川の下をトンネルのようにくぐっているのだが、想像力を働かせないとそれが見えてこないのだ。

WIKIPEDIA「サイフォン。(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%82%A4%E3%83%95%E3%82%A9%E3%83%B3%E3%81%AE%E5%8E%9F%E7%90%86)」。この記事にあるサイフォンの始動に関する部分は参考になった。

粕川サイフォンの入り口、出口は安全対策の金網等があり、直接見ることが困難であった。改めて「八坂樋と伊勢崎の掘と川(長谷川 龍雄 著)」(昭和63年7月21発行)を開くと、写真集として出版当時の上流から下流までの八坂用水の写真が多数掲載されていた。参考にその中の、粕川サイフォンを引用しておく。粕川の河床下を横切って、東岸の出口の部分が佐波・新田用水の起点になっているようだ。

同書の「(五)八坂用水の開発と小畠武堯の功績」という段にある、小畠武堯の逸話も水利事業を遂行する指導者の責任を語るものであろう。当地区の八幡沼開鑿の指導者川端宇兵衛翁は江戸末期にだが、旱魃対策のため池開鑿に成功した。八幡沼は2014年に竣工150年を迎える。振り返ると、川端宇兵衛翁は小畠武堯の事業も研究していたように感じる。川端宇兵衛翁はいわば民間の人物だが、その水利事業を成功させた。伊勢崎藩に請願書を出して工事の許可を得ている。国定忠次と沼浚いをした西野目宇右衛門は切腹の刑。国定忠次は磔の刑に処せられた。お上の領分であった水利事業を無断で断行?したお咎めという見方もできるかもしれない。それでは、失敗に終わった女堀の開鑿指導者は~と色々想像してしまう。

同書で、著者は、「新水路に水を揚げる当日には、武堯は麻衿の白装束を着用して、菩提寺の善応寺本堂に端座し、刻々と報じられる通水状況に、耳をそばだてていたのであった。漸くにして領界の神沢川に架した八坂樋を、無事通水したとの報に接し、武尭は思わずニッコリと笑って立ち上り、古謡一曲を舞い歓びの言葉をかわしたと伝えられている。白装束で通水状況を待っていたのは、万一通水に失敗した時は、全責任をとって即座に切腹し、工事の不備を上下にお詫びする覚悟であったと、言われている。この八坂通水の大功労者小畠武堯小島武尭は、享保十八年(一七三六)病没し、善応寺の墓地に眠っておられるが、大正七年、生前の功績によって、従五位を追贈されている。生前苦労の多かった武尭も、地下に於いて此のはからざる聖恩に感泣したことであろう。」と記している。

小畠武堯は、いわばお上(官)の側の人物だが、その責任に対する覚悟は同書で余すところ無く語られているだろう。
Bopix_yasakyousui_kasukawa_saifon_6
左3枚:粕川東岸、その右2枚:粕川西岸、最右端(昭和の頃:本文参照)

*************************
追記(2015/1/7):「ハトよ 鳴いておくれ(愛しき古里):八坂用水と粕川サイフォン。」の記事がランキング10位に入った。「ハトよ 鳴いておくれ(愛しき古里):八坂用水と粕川サイフォン(http://af06.kazelog.jp/itoshikimono/2013/04/post-7415.html)(現在ランキング2位)」と関係があるのかも知れない。以前、波志江町の郷土史研究家が八坂用水だったか、水利関係の古文書を研究して発表したと上毛新聞の記事にあったのを辛うじて思い出した。先日、鯉沼の南西隅にあったコンクリート堰に、堰建設時の記録らしい文字が記されていたのでデジカメ撮影した。工事中で危険だったので後日しっかり撮影しようとした。いくつかの文字が辛うじて読める程度だった。その後、行くとその旧堰はきれいに撤去され、新しい堰ができつつあった。残念!現代文明の機械力は歴史の破壊力に通じる事を身近に感じた事だった。
*************************

ページ先頭へ飛ぶ

BLOG TOPの 「アクセスランキング」へ飛ぶ

2013年5月10日 (金)

ハトよ 鳴いておくれ(愛しき古里):同聚院に関重嶷父子の墓を見る

2013年5月10日金曜日
昨日は晴れ。最高気温(℃) 29.4 15:41。ざっそう句:仕事投げ 遊ぶ極楽 極楽だ。真夏日に近い夏日。行事外出。一昨日の悪天候が一転して、最高の気候の中無事終了。帰宅後一服して用事外出。気分転換にUTUBE で三橋美智也を聞く。その後、気まぐれに色々なキーワードで検索していたら、『【完全版】ダライ・ラマ14世法王 特別講演[桜H24/11/23] (https://www.youtube.com/watch?v=WT1ZT-324rQ)』という動画に出合った(アクセス数12,464 )。以前、「東北の海よ:ダライ・ラマさんありがとう(http://af06.kazelog.jp/itoshikimono/2011/11/post-7853.html)。(2011/11/8)」という記事を書いた。昨年末、参議院議員会館の大講堂で国会議員の前で ダライ・ラマがこのような講演を行い、それがUTUBEで公開されていたのにはびっくりした。1時間以上の長い動画だが音声をBGMのように聞きながらこの記事を書いた。背景にはチベットの人権弾圧があるようだが、この講演開催に関しては、与野党の議員が人権という問題に関しては同一歩調をとり、チベット支援の立場をとっているようだ。人類70億人の一人という謙遜さと気さくさで語りかけて、そこから自然にダライ・ラマの人間性が伝わってくる。

2013年5月9日の天気(AMEDAS)

TAVE= 19.2
TMAX= 28.4 最高気温(℃) 29.4 15:41 
TMIN= 10.3 最低気温(℃) 8.4 03:32 
DIFF= 18.1
WMAX= 5.3 最大瞬間風速(m/s)(風向(16方位)) 8.8(西北西) 00:43 
SUNS= 12.7
RAIN= 0

Q
Q

ハトよ 鳴いておくれ(愛しき古里):同聚院に関重嶷父子の墓を見る

先日、同聚院の墓地で、初めて関重嶷父子の墓を見る事ができた。説明板をデジカメで写したが真っ黒で読めない。墓は東西に3基並んでいた。西から、
関譲齊平当義之墓、睡?(山+同:スイドウか)関重嶷之墓、関都守平重邑墓
とあった。

墓の基台は二段、墓碑銘に戒名や院号らしいものも含まれずに、実に簡素な印象を受けた。中央が「重嶷之墓」であり、その文字の上に二文字あるが、判読できない。コトバンクによると、、「関重嶷 【せき-しげたか】http://kotobank.jp/word/%E9%96%A2%E9%87%8D%E5%B6%B7。」という項目で、「字(あざな)は子岐。通称は助之丞。号は喚醒,睡?。名は「しげさと」ともよむ。」とあった。どうも、「睡?(山+同:スイドウか)」と書かれているように見えてきた。「山へんに同(仮に「Y洞」を充てる。)」という漢字はWIN XPで扱えないようで、その漢字は「?」に置き換わってしまう。漢和辞典では「山中のほらあな」という意味で「洞」に通じるらしい。当然、ほらあなは深ければ深いほど暗いのだ。

関重嶷之墓の西側の父の碑名には、「譲齊平」、東側の碑名には「都守平」が加えられている。この部分が死後に送られた贈り名に相当するのだろうか。そうすると、「平」とは「たいら」と読めそうだ。現代風に書いて、「関 譲齊平(じょうさい たいら)の当義(まさよし)の墓」と読めば、簡素でも何の不足もなさそうだ。そうすると、東側の「関都守平重邑」とはどんな人なのかと興味は募る。

碑名の書式から見ると、関重嶷の墓碑銘は、自分の号だけを先頭に乗せただけで、最も簡素である。後世は「関重嶷」だけでその存在と所行を評価してくれるだろうという自負心の現れのようにも感じてしまう。それでは、関重嶷の号「睡Y洞」からどんなメッセージが読みとれるのか。漢字源によると、「睡」はまぶたを垂れて眠る事に通じるとの事。「Y洞」も「山中のほらあな」。従って、
「睡」も「Y洞」も「暗い」に通じるのである。また、「睡」は動作・状態であり「Y洞」は場所でもある。

アイオー信金ホームページの「いせさきフロンティア あなたの知らない28 人の伊勢崎の偉人達(http://www.io-web.jp/info/local/PDF/frontier.pdf)(元伊勢崎市赤堀歴史民俗資料館長 板橋春夫著)」の関重嶷の項に、「寛政9年(1797)には伊勢崎藩の国家老となった。重嶷はぎょくすい)から朱子学を学び、領民の教育に配慮した庶民教育施設「郷学(ごうがく)」の発展に尽くした。」

WIKIPEDIA「朱子学。(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%B1%E5%AD%90%E5%AD%A6#.E6.97.A5.E6.9C.AC.E3.81.B8.E3.81.AE.E4.BC.9D.E6.9D.A5.E3.81.A8.E5.BD.B1.E9.9F.BF)」

関重嶷(コトバンクの記事):宝暦6年9月3日生まれ。上野(こうずけ)(群馬県)伊勢崎藩家老。儒学を村士玉水(すぐり-ぎょくすい)にまなび,史学にも精通。天明3年の浅間山噴火の記録「沙降記」,地誌「伊勢崎風土記」をあらわす。天保(てんぽう)7(1836)年12月17日死去。81歳。

時代は関重嶷没後32年で明治維新を迎える(1868年)。自ら名乗った、「睡Y洞」という号は、学問、為政、実践倫理等々関重嶷の思想と行動の中に一貫して流れる、自戒、謙遜という姿勢を問わず語りに語っているようにも感じられる。そうして、墓碑銘も「「睡Y洞」関重嶷之墓」と単純きわまりない。来るべき時代を見通しているようだ。

伊勢崎市のホームページは、市指定史跡として「関当義・重嶷父子の墓(せきまさよし・しげたかふしのはか)。http://www.city.isesaki.lg.jp/www/contents/1355381199653/index.html。(2013年2月13日更新))」というタイトルで、「関家は代々伊勢崎藩の年寄(家老)職を務めた家柄であった。当義は飢饉や浅間山大噴火による利根川洪水被害の領民救済に務め、重嶷は山崎闇斎派の朱子学を究めた人物で、藩校学習堂の設置や領内に八校の郷学を興した。ともに朱子学的経世観をもって藩政にあたり、治世に大きく貢献した。当義、重嶷の墓は、同聚院墓地のほぼ中央に並んでいる。」と紹介している。
Bopix_seki_masayosi_sigetaka_fusi_h
三枚の写真を連結。

ページ先頭へ飛ぶ

検索サイト

NANDA?⇒物臭検索

  • ラベル(タイトル):最初は何も分からない
    なんだこりゃ?作成当時の記憶

エネルギー関係

ウェブページ

更新ブログ

PHOTO2(写真集)

  • Iob_fujijyuukouentotu
    たまたま出会ったもの2

PHOTO4(写真集)

  • Iob_minitomatodaruma
    果樹・野菜・花等

PHOTO5(写真集)

  • Iob_senteihasami_funsitu_sabi
    現在使われなくなった機器、農具、ガラクタ等。

PHOTO6(樹木等)

  • Iob_sendan_kiru_2013
    樹木の縮伐カット&トライetc

PHOTO7(写真集)

  • Iob_kaiko_ga_gazou
    BLOG関連写真2
フォトアルバム

MIKAN KUN

  • 赤城連山MAP
  • Fight_Fukushima
  • ISESAKI_PIGEON
  • MIKANKUN

Copyrighit

  • © Copyright 2006-2024  af06.kazelog.jp  All rights reserved.

健康関係:リンク&検索等

Favorites2

Favorites

Favorites3

Favorites4

やさしい科学・SCIENCE

  • 日経サイエンスのウェブページ
    「日経サイエンス」とは:「日経サイエンス誌は,1845年に創刊された長い歴史と伝統を持つ米国の科学雑誌「SCIENTIFIC AMERICAN」の日本版で,世界の最先端の科学技術動向を日本の読者に届けています。」
  • SCIENCE IS FUN in the Lab of Shakhashiri
    University of Wisconsin-Madison Chemistry Professor Bassam Z. Shakhashiri のサイト

みかん栽培関係情報

ISESAKI  有情2

ISESAKI  有情1

嗚呼 伊勢崎 非情

BOOKS

  • 橋本 英文: 刃物雑学事典 図解・刃物のすべて(1986年 株式会社 講談社 ブルーバックス B-659)
    刃物という視点で多くの事例が取り上げられている。刃のある道具の理解にも役立つ。類書が少なく貴重な一冊。「すべり変形が切断の原理」という考え方で説明している。
  • 沼田 真   : 植物たちの生( 1972年 岩波新書(青版 833))
    「ご要望にお応えしてアンコール復刊(1988年岩波新書50年記念復刊) 地球生態系の中で自然を見直す」(腰巻きのフレーズ)。植物の知恵と戦略に人類は勝てるのか。
  • 出町 誠: 14_NHK趣味の園芸:よく分かる栽培12ヶ月  カキ(NHK出版2007年)
    初心者向け柿栽培参考書(新版)。旧版と比較すると楽しい。
  • 中村三夫: 13_NHK趣味の園芸:作業12ヶ月  カキ(NHK出版1996年)
    初心者向け柿栽培参考書(旧版)。新版と比較すると楽しい。
  • 山科正平: 12_細胞を読む   電子顕微鏡で見る生命の姿
    細胞はどんな部品からできているのか。そんな疑問に答えてくれる一冊。何事も形を見るのが第一歩。μからÅオーダーの世界で、細胞をメスで解剖するように、電子顕微鏡というメスで解剖して見せてくれるので興味が尽きない。
  • 柳田充弘: 11_細胞から生命が見える
    著者の専門は分子生物学、細胞生物学。普段生物を考えても細胞レベルで止まってしまう。その細胞の中で色々な分子が働いている。細胞こそ生命の基礎だが、その細胞の中の動きを知るのに最適な一冊。疑問の発端はなぜ発根剤が効くのかということ。薬剤が細胞膜を通過して細胞内で分子と分子が作用するイメージができた。本書でできた細胞のイメージは小さな無数の穴が空いた水分が充満したヨーヨーのようなもの。そのヨーヨーの中に分子部品が詰まっている。細胞自体もタライの中のヨーヨーのように浮かんでいる。細胞図面の空白部は真空でなく水分だ。細胞の内外に水がないと細胞は生きられない。水が生命のゆりかごだ!
  • 野口悠紀雄: 10_ホームページにオフィスを作る(2001年 光文社)
    ITが輝いた時代の作品。HPの活用法は参考になる。参考:url=http://www.noguchi.co.jp/(野口悠紀雄 ONLINE)
  • 小池洋男 編著: 09_果樹の接ぎ木・さし木・とり木(農文協:2007/3/31第1刷)
    やや専門的であるが、実務専門化が分担執筆しており、その場で役に立つ一冊。
  • ノーバート・ウィーナー(鎮目恭夫訳): 08_サイバネティックスはいかにして生まれたか(みすず書房1956)
    情報と通信という現代社会に不可欠の基礎的な学問を作った著者の自伝とそれを通した科学史
  • 沼田 真(編): 07_雑草の科学(研成社1979)
    雑草を多面的に解説し防除の基礎も述べる

外国の博物館・美術館 外国語・国際関係(リンク)

TOOLS

地域産業・機関

地域興し関連情報

MEMO_TL_TEST

  • TOP PAGEの 「アクセスランキング(2015/6/8より表示再開)」へ飛ぶためのラベル
  • TEST END
    TEST_H23/10

アクセスランキング

リンク:ページ先頭へ飛ぶ

写真集へのリンク

MEMO 海外の博物館・美術館

  • https://www.artic.edu/collection?place_ids=Japan&page=6
  • 項目のタイトル2
    POST IT :ブログ画面への張り紙に使える。
  • TYPE LIST事始め
    2010/8/4:MEMO等の表示に使える。 農作業で気になる自戒の言葉 ■畑の石ころはいつまで経ってもても石ころ(早く拾って片づけよという意味か)。 ■同じ石を二度拾うな(やってみると難しい)。 ■手ぶらで歩くな。 ■三つ先のことを読め。 ■適当な観察。 ■空を見よ(気分転換、休憩、天気を読む、腰曲がり防止)