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2009年2月

2009年2月18日 (水)

初期のテレビゲーム

2006/2/18

初期のテレビゲーム

日本のテレビゲームは任天堂のファミリーコンピュータの登場で大きく発展した。それ以前に

はアーケードゲームというものがあった。人気のあるアーケードゲームソフトが家庭用ゲーム

器向けに作られた。初期のゲームでは1972年にPONGという卓球ゲームがアタリ社から発

売された。テレビゲームも生産者側から見ればソフトとハードの固まりである。ゲーム器の運

命を決めるのは最終的には消費者であるプレーヤーとなる。ゲームを途中で止めたとき、止

めたときの状態から再開したいというニーズがある。かって、アタリのゲーム器向けに、電源

のバックアップに使えるレギュレータを開発した事があった。これもゲーム関連の集積回路で

あったが、ゲームの世界は余りにも変化が早い。集積回路が完成した時には、既に状況は

変わっていた。開発の企画は当たったどころか完全に外れであった。アタリがハズレであっ

た。しかし、当時ほとんど汎用のレギュレータしか無い時代に専用のレギュレータを開発した

という経験は、後の専用品の開発に非常に役立った。汎用品は物量で価格競争に巻き込ま

れるのはどこの世界でも同じである。最初に授業料を払ってしまったが、この授業料は無駄

ではなかったと思っている。

2009年2月17日 (火)

鳥の寝床

2009/2/17

鳥の寝床

最近ディスクの空き容量が少なくなったと警告がよく出る。調べると141Mしかない。ともかく

ぽんこつ寸前のマイコンであってもその中身のデータは捨てがたい。何とかしたい。

かっては竹の用途は非常に広かった。養蚕には竹を編んだ飼育床が使われた。これを棚に

組んで数段積み上げて、蚕室を立体的に使った。桑を入れるのも竹かごであった。野菜の支

柱も竹。そんなわけか、農家には竹藪があり、農業資材の竹を自給自足していた。今日、資

材としての竹は金属製品、プラスティック製品にほとんど置き換わってしまった。経済的合理

性から当然の結果であろう。これに伴い、竹藪も消えていった。縦横に根を張った竹藪を更

地にするのは大変な作業である。我が家でも竹藪の始末の議論が長々と続いている。結

局、何かがブレーキになり現在も残っている。その一つは、代替えのきかない季節の食材で

ある筍の供給源である。竹藪も傘をさして通れるくらいに手入れをすると良いらしいがほとん

ど手入れができていない。昔切った竹の切れ端が残っているが真竹であるがかなり太かっ

た。最近の竹は細っている。密生して風通しも悪い。しかし、これが小鳥には格好のねぐらに

なっているようだ。夕方になると数十羽の鳥が集まり、がやがやと鳴きやがて静かになる。手

入れの行き届かない木犀や泰山木もキジ鳩のねぐらになっている。功罪相半ばであるが、所

詮これも人間のエゴに過ぎないのかもしれない。

2009年2月16日 (月)

父が播いた青桐の種

2009/2/16

父が播いた青桐の種

父が中国旅行をしたとき青桐の種を持ってきた。それをまいたら芽が出て大きく育った。葉

が大きく落葉樹なので冬になると片づけるのに手間がかかる。あるとき、父が植木の支柱

に、その青桐の枝を地面に打ち付けて使った。ところがその枝から芽が出て木として育ち始

めた。原木は場所が悪いので何回か切りつめて、最後に1.5m位に切りつめたところで枯れ

てしまった。結局、現在は父が本命とした植木の傍らこの2代目の青桐がぐんぐん育ってい

る。この青桐をどうしたものかと気に掛けている。この青桐は枝をさせばすぐ根が生える位生

命力が強いようだ。何本か挿し木をして列植したがそれが大きくなり切り倒した記憶もある。

一体、何をやってきたのかと悔やまれる。もう一度挿し木をして3代目を作り、2代目を切り倒

そうとも考えているが、これがベストの選択か気になる。この青桐は樹皮が緑色でつるつるし

ていてきれいである。育つのも早い。夏の日陰作りには適するであろう。落ち葉の処理に問

題を残すが、積極的な利用法はないものか。昔は桐の木を屋敷に植えて、子供が結婚する

ときにその桐の木を切り、箪笥を作り子供に与えてやったらしい。樹木も箪笥も要らない時代

になってしまった。

2009年2月15日 (日)

広葉杉

2009/2/15

広葉杉

この樹木の名前は何というのであろうかと常々思ってきた。自分が幼少の時に大木があっ

た。その大木は古い家を引いて移動させる頃に切り倒された。株元からひこばえが伸びてき

た。それが移植され何とかその木の系統が保存された。とげのある小さな葉が集まって細長

い大きなむかでのような葉をつくっている珍しい樹木である。トゲで手入れはやりにくい上に

何の役にもたたない。近隣で見たことが無い木であること、なぜ我が家だけにあるのか不思

議であること、生き残るスペースがあったこと。これがいままで残っている理由であろうか。植

物図鑑で探したが手がかりがつかめず空振りで終わっていたが、あるときようやく「広葉杉

(こうようざん)」だろうと分かった。杉の種類ではあるが、日本原産種ではないようだ。木材と

して使われるようだが、日本では神社仏閣に植えられていることもあるらしい。ともかく小さな

疑問は少し解けたが、どうして我が家にあるのか、絶やしてよいものかまだ引っかかるもの

が残っている。大木になる樹木は人の抵抗を受けている頃はそれに忍従している。しかし、

人や環境の抵抗を突破するとすくすくと大木に育ってしまう。兄弟もいい加減に樹木の整理を

したらいかがかと助言をする。迷いはする。しかし、切るは一日という思いもある。百年たって

成長した大木もチェーンソーとクレーンにより一日で切り倒せてしまう。何事も姿のある物が

姿を消すとそれにまつわる記憶も消えてしまう。

2009年2月14日 (土)

紙のピアノ

2009/2/14

紙のピアノ

小中学校の音楽で本当の楽器で演奏したという記憶がほとんどない。楽器といえば音楽室

にあるピアノとオルガンを先生が弾き、生徒はそれに合わせて歌をうたったという程度であっ

た。自分にとっては楽譜は単に記号にすぎなかったようだ。音楽の試験では歌をうたったりす

る実技はまったく駄目、楽譜の方はまあまあの成績がとれた。一人の人間のなかで記号と音

と感性が統合されていなかった。音楽の教科書の末尾に印刷されたピアノの鍵盤が付いて

いた。実はピアノの練習にはこの紙のピアノが使われていたのであった。歌と言えば両親は

音痴を自認して子供にも音楽に対してほとんど配慮してくれなかった。母は一時詩吟を歌

い、大正琴の練習をした。しかし、父が歌を歌ったり、楽器を弾くのを見たことはなかった。

大学に入学して音楽コンプレックスを解消すべく、簡易楽器クラブに入りハーモニカを練習し

た。ギターも買った。しかし、長続きしない。社会人になり、宴会でマイクの番が回ってくると

どこかに隠れたくなる気持ちになる。百姓には音楽などの遊びは無縁だという父の考えもあ

ったかもしれない。父にそういうゆとりもなかった。子供達はピアノ教室に通い少しは楽器に

親しんだ。エレクトーンと中古のピアノを買った。最近、叔父さんに、お前のじいさんは屋台の

笛の名手だったという話を聞いた。じいさんの笛の音は遠くまで良く届いたそうだ。音痴にも

環境遺伝的要素があり、これを克服すれば音痴を改善できる可能性はありそうだと思えるよ

うになった。何よりも音楽は自分が楽しめればそれでよいのかもしれない。

2009年2月13日 (金)

挫折した運動クラブ

2009/2/13

挫折した運動クラブ

中学生になるとクラブ活動があった。運動クラブの中で、自分もできそうだと思い卓球部に入

部した。同時に入部しても、卓球台で練習できる者もいれば、スウィングと兎跳びしかさせて

もらえない者もいた。自分は後者であった。これが差別であったのか、いじめであったのか、

本人を見た配慮であったのか今となっては定かでない。しかし、スポーツとしてのフェアさを感

じる事はなかった。そうして、程なく部活を止めてしまった。スポーツ種目にはその種目独自

のルールがある。しかし、クラブとかいう人間の集団になると種目ルール以外に集団のルー

ルが発生する。そうして、集団のルールがフェアかどうかとか集団が有効に機能するかとか

色々な側面が生まれる。やる気の無い者は早々に脱落してもらった方が良いのかもしれな

い。結局、自分は集団から落ちこぼれたのかもしれないし、その集団を見限ったのかもしれ

ない。ともかく、無駄で苦痛な時を過ごすことが無かったと考えればそれでよかったのかもし

れない。今、考えるとドッチボールは何とか人並みにできた。野球、ソフトボール、サッカー、

ゴルフ等は苦手であった。陸上では短距離はだめで長距離は人並み。要するに、瞬発と集

中、小さなボール、早い動き、チームプレー、人付き合い等が自分の性分に合わなかったよ

うだ。どうも人に煩わされずにぼちぼちやるのが自分の性に合っているようだ。

2009年2月12日 (木)

電子文書は何を運ぶか

2009/1/12

電子文書は何を運ぶか

今日、ワードやエクセルのファイルがウイルスの運び屋になる事が知られている。ファイルの

中に文書として記した以外の情報が紛れ込んでいる事になる。かって、会社間で行き来して

いるワードファイルから思い当たらない情報が出てきて不思議に思った事がある。ファイルの

中身を消去して空のファイルを作ってもかなり大きなファイルサイズであった事を覚えてい

る。結局、自分が作成しようとした文書内容以外に色々な情報を抱えているのが専用ソフト

のファイルであると変に納得した。書体や書式等の情報も当然含んでいる。しかし、それ以

外にどんな情報を含むのかソフトメーカーから情報公開されていない。不気味ではある。

つれづれに半角の「1」一文字だけの内容の文書を英数1文字のファイル名を付けて作成し

てみた。TEXT EDITOR=1Kb、MSワード=19Kb、OPEN OFFICE=6Kb、OPEN OFFICE

(ワード互換書式)=8Kb。今日、このファイルサイズはパソコンの能力が向上し、bitコストも

低下しているので実用上の問題は少ないであろう。電子ファイルから印字した内容は作成さ

れた内容を反映する。しかし、電子ファイルそのものには作成者が意図しないおまけが付い

ている。ついつい、環境、コストを考えて電子ファイルからの印字は極力避けたいと思うと専

用ファイルでやりとりしてしまう。一度、セキュリティの管理を設定してpdfファイルに書き直す

のが理想かもしれないが個人レベルでは手間とコストが気になる。ともかく、電子ファイルを

送る時はそのファイルが自分が気付いていない情報を気付かずに運んでいると気付く必要

がある。

2009年2月11日 (水)

人工衛星に乗ったライカ犬

2009/2/11

人工衛星に乗ったライカ犬

ライカ犬を乗せたスプートニク2号が打ち上げられたのは、スプートニク1号の打上げの1ヶ月

後である1957年11月3日であった。この犬の写真を学校の掲示板に貼られた科学ニュース

新聞で見た記憶がある。1号と2号がこれほど接近していたとは思わなかった。ともかく、誰も

実現できないことを初めて行えば世界初である。人間が宇宙に出るまで、他の生物で色々実

験が行われていた訳である。犬を使った実験で有名なのはパブロフの行った条件反射の実

験であろう。ライカ犬を人工衛星に乗せるに際して特別な訓練をしたのであろうか。ライカ犬

は最初に宇宙に出た生物であったが、片道切符しか与えられていなかったようだ。スプート

ニク自体は弾道ミサイルという宇宙兵器という背景があったようだ。1949年08月29日、ソ連

はカザフスタンのセミパラチンスクで初の原爆実験を行った。人工衛星に原爆を積んで飛ば

すことができるという事の証明は軍事力の誇示にも通じる。少年であった頃は冷厳な国際政

治まで考えは及んでいなかった。原爆も人工衛星も科学と技術の基礎の上に成立する。特

定の国家がこれを独占できるという特権が無いのは明確な事実である。原爆もゆっくりと核

反応を制御してやれば原子力平和利用に通じる。科学技術は戦争と平和という諸刃の刃

であるようだ。今原爆を積んだ人工衛星が密かに地球を回っているのであろうか。

2009年2月 9日 (月)

ペンシルロケット

2009/2/9

ペンシルロケット

糸川英夫博士が1955年3月に行った水平発射実験に使われたペンシルロケットは全長

230mmだったとの事である。博士はこの実験を逆転の発想と呼んだらしいが、確かに大型

が出来ないからやらないというより、小型でもやって見ようという積極的な発想が大切であろ

う。糸川博士は戦前は青年技術者として中島飛行機で戦闘機の設計に関与していた。戦後

にロケット開発に従事して日本の宇宙開発の父と呼ばれた。自分が博士を身近に感じるの

は、博士が公職を去り、組織工学研究所を設立してからの活動を通してであった。博士がヴ

ァイオリンを弾き、バレーを踊るだけでも我々の発想は追いつかなかった。組織工学は巨大

な目的を達成するための学問ではあるが、日本が最も不得意とする分野である。どうも、組

織が自分の論理で動き出して、真の目的をいつしか見失う。こういう現象が至る所に現れ

る。今日の人工衛星打ち上げ用の国産ロケットH2Aの全長は53m以上あり、ペンシルロケッ

トと比較すると250倍以上である。重量は山勘で数十万倍のオーダーを下らないのではなか

ろうか。ともかく、日本の宇宙開発は軍事と関係なく平和利用から始まっている。宇宙開発は

あらゆる面で個人をこえる国家プロジェクトであるが、平和利用の伝統は永久に守られてほ

い。

2009年2月 8日 (日)

スプートニク1号

2009/2/8

スプートニク1号

世界初の人工衛星スプートニク1号はソ連が1957年10月4日に打ち上げた。日本でもこの人

工衛星が発信した電波を受信した人がいて、自分もと思った。会社の先輩と立ち話をした時

自分も受信したよと言うのでびっくりした。当時アマチュア無線をしていたとのことであった。

電波や人工衛星等が技術や科学への道に歩むきっかけになった人が多いようだ。調べてみ

るとスプートニク1号が発信した電波の周波数が20MHzと40MHzであった。丁度、アマチュア

無線家が工夫すれば手が届く電波であった。スプートニク1号は人工衛星の父といわれるツ

ィオルコフスキーの生誕100年と国際地球観測年に合わせて打ち上げられた。

ツィオルコフスキーはロケットも無い時代に物体を地球から打ち上げる条件により、その物体

が地球を回る軌道にのる事を明らかにした。今から150年以上も前の江戸末期の事であ

る。ともかく科学に国境が無いことははっきりする。スプートニク1号の成功によりスプートニ

クショックとして米ソの宇宙開発競争が始まり、宇宙にも米ソの冷戦構造が拡大した。ともか

く世界初という記録はたった一回しか無い。しかし、それゆえ何回も述べられる。名誉ある世

界初なら結構。思うに人工衛星の歴史はまだ50年ちょっとしかない。しかし、人工衛星は火

星に着陸して、水があることを証明した。宇宙に生命の痕跡があることを証明するのも間近

なのかもしれない。

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みかん栽培関係情報

ISESAKI  有情2

ISESAKI  有情1

嗚呼 伊勢崎 非情

BOOKS

  • 橋本 英文: 刃物雑学事典 図解・刃物のすべて(1986年 株式会社 講談社 ブルーバックス B-659)
    刃物という視点で多くの事例が取り上げられている。刃のある道具の理解にも役立つ。類書が少なく貴重な一冊。「すべり変形が切断の原理」という考え方で説明している。
  • 沼田 真   : 植物たちの生( 1972年 岩波新書(青版 833))
    「ご要望にお応えしてアンコール復刊(1988年岩波新書50年記念復刊) 地球生態系の中で自然を見直す」(腰巻きのフレーズ)。植物の知恵と戦略に人類は勝てるのか。
  • 出町 誠: 14_NHK趣味の園芸:よく分かる栽培12ヶ月  カキ(NHK出版2007年)
    初心者向け柿栽培参考書(新版)。旧版と比較すると楽しい。
  • 中村三夫: 13_NHK趣味の園芸:作業12ヶ月  カキ(NHK出版1996年)
    初心者向け柿栽培参考書(旧版)。新版と比較すると楽しい。
  • 山科正平: 12_細胞を読む   電子顕微鏡で見る生命の姿
    細胞はどんな部品からできているのか。そんな疑問に答えてくれる一冊。何事も形を見るのが第一歩。μからÅオーダーの世界で、細胞をメスで解剖するように、電子顕微鏡というメスで解剖して見せてくれるので興味が尽きない。
  • 柳田充弘: 11_細胞から生命が見える
    著者の専門は分子生物学、細胞生物学。普段生物を考えても細胞レベルで止まってしまう。その細胞の中で色々な分子が働いている。細胞こそ生命の基礎だが、その細胞の中の動きを知るのに最適な一冊。疑問の発端はなぜ発根剤が効くのかということ。薬剤が細胞膜を通過して細胞内で分子と分子が作用するイメージができた。本書でできた細胞のイメージは小さな無数の穴が空いた水分が充満したヨーヨーのようなもの。そのヨーヨーの中に分子部品が詰まっている。細胞自体もタライの中のヨーヨーのように浮かんでいる。細胞図面の空白部は真空でなく水分だ。細胞の内外に水がないと細胞は生きられない。水が生命のゆりかごだ!
  • 野口悠紀雄: 10_ホームページにオフィスを作る(2001年 光文社)
    ITが輝いた時代の作品。HPの活用法は参考になる。参考:url=http://www.noguchi.co.jp/(野口悠紀雄 ONLINE)
  • 小池洋男 編著: 09_果樹の接ぎ木・さし木・とり木(農文協:2007/3/31第1刷)
    やや専門的であるが、実務専門化が分担執筆しており、その場で役に立つ一冊。
  • ノーバート・ウィーナー(鎮目恭夫訳): 08_サイバネティックスはいかにして生まれたか(みすず書房1956)
    情報と通信という現代社会に不可欠の基礎的な学問を作った著者の自伝とそれを通した科学史
  • 沼田 真(編): 07_雑草の科学(研成社1979)
    雑草を多面的に解説し防除の基礎も述べる

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    POST IT :ブログ画面への張り紙に使える。
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    2010/8/4:MEMO等の表示に使える。 農作業で気になる自戒の言葉 ■畑の石ころはいつまで経ってもても石ころ(早く拾って片づけよという意味か)。 ■同じ石を二度拾うな(やってみると難しい)。 ■手ぶらで歩くな。 ■三つ先のことを読め。 ■適当な観察。 ■空を見よ(気分転換、休憩、天気を読む、腰曲がり防止)