巨人の肩に乗った小人(改題):学生時代追想:老人の寝言:恐竜に乗って破滅に向かうか、現代人の愚かしさ・儚さ?;うどん店 子供が目立つ 冬休み。171228。
2017年12月28日(木)
昨日は晴れ時々曇り。ざっそう句;うどん店 子供が目立つ 冬休み。寒い日であった。宅内閑居。アメダス最低気温(℃)=-0.5、7:06;最高気温(℃)=6.6、11:15。室内の整理。アメダスデータの整理。パソコンのあちこちに、分散しているデータを連続データにするのだが、結局見つからないデータは元サイトからダウンロード。エクセルデータで一万行以上となり、LibreOffice Calcではかなり動きが重い。さすがにMSエクセルの方がスクロールが早かった。旧式パソコンに入れたLINUXでアメダスデータを扱ったのが丁度一年程前。データ欠損が起きた時期に重なる。気がつくと老犬わんちゃん1号はいつしか、現役を引退していた。ひょっとすると、そのデータは老犬わんちゃん1号の中にあるのか。ダウンしたXP機のメールデータの救出を老犬わんちゃん1号に期待したのだが...。使い勝手まで含めて、システムの連続性を保つのは大変だ。年賀状のデータもパソコンのあちこちに分散。昨年の年賀状はデジカメ画像データで残したのだが、文面だけしか無く、住所所氏名が分からないデータもあった。出すか、出さないか、仕分けに悩む。結局、年賀はがきを追加購入する事になりそうだ。先日、某Hうどん店でかけうどん小を所望。ガソリン1リットルの価格程度だ。ヤケに子供が多いなと感じたが、冬休みに入っていたのだ。親の気持ちが良くわかる。連日、ステーキや寿司で料亭通いの殿上人がカケを忘れるなと教えている。日本はまだ子供がいる。あきらめるのは未だ早い。店内で書き留めたメモ:独り吟行:この国に 子供がいたか 冬休み。どうも、冒頭句は、お化粧して、傍観的でスケールが小さくなってしまっている。末尾の句は単純に、日本に子供がいたのかという感動がある。今年は、悲惨な状況に投げ出された子供の事件が多発した年のように感じる。その事件の数が多すぎて、大人も虚無的になりすぎている。殿上人はうどん屋に入れ。
「老犬わんちゃん1号:半端道楽:老犬わんちゃん1号と遊ぶ;質草に 枯れ損ないの 大根葉。170108。(http://af06.kazelog.jp/itoshikimono/2017/01/11-c735.html)。(2017年1月 8日 (日))」(この記事へのリンク)
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2008/12/9
2008年12月 9日 (火):元判
2017年12月28日(木):改版
巨人の肩に乗った小人(改題):学生時代追想:老人の寝言:恐竜に乗って破滅に向かうか、現代人の愚かしさ・儚さ?
この、「巨人の肩に乗った小人」と言う言葉には、卓越する個人の能力も、人類が長い年月を掛けて積み上げてきた知恵に比べれば遠く及ばない。自分の能力や功績に関しては、謙虚・誠実になり、先人達の偉大さを思い出すのが良いと言うような、心構えの必要性を示しているように感じる。
米国の超優良企業にマイクロソフトがある。この会社がなぜ超一流の会社になったのかはコンピューターの歴史を辿ることによりはっきりすることであろう。社名のなかにあるマイクロとは極微の意味を持つ。
長さで言えば我々が日常扱う長さはせいぜいミリメートル程度である。1マイクロメートルとは1ミクロロンの事で1ミリメートルの千分の一であり、もはや肉眼では識別できない大きさである。
マイクロソフトが出来る前に、コンピュータの世界ではIBMという巨人がいた。この巨人の前にはマイクロソフトは本当に取るに足りない小さなベンチャー企業であった。
我々がパソコンでDOSを使い始める前にはCP/MとかMSXとかのOSが使われていた。ところが、いつしかこのマイクロソフトが巨人に変身していた。
余談だが、NECのワープロ・文豪にはCP/Mが採用されており、OS単体を買えないので、文豪を買って遊んだ記憶がある。OSもアルファベットの基本文字で書かれている故、それが情報操作の基本文書になり得るのだろう。日本文字の、カタカナ、ヒラガナでOSが書かれない理由は何だろうか。やはり、そのローカル性で通用する範囲が狭すぎる故か。
学生時代、ニュートンが言ったという巨人のたとえ話を聞いたことを覚えている。多分教養課程の先生から聞いたような記憶がある。大学は、専門課程だけで良く、教養課程は不要だという議論があったが、現在はどうか。最先端の専門的な研究はすでに大学では対応できず、大学で要求されるのは幅広い一般教育・基礎教育なのかも知れない。
「巨人の肩に乗った小人」の例えは、ニュートンが科学の大家と認められてから自分の業績を控えめに述べたことばのようだ。
“If I have seen a little further it is by standing on the shoulders of giants”
「もし、私がちょっと遠くを見渡せたとすれば、それは巨人の肩にのっていたことによるのだ。」
たった今、読んで気付いた点:巨人「giants」は複数であり、巨人達が正しいのだろう。
ニュートンがフックへ宛てた手紙の一節であったようだ (1676)。ニュートンは自分の足がどこに立っているかを示したわけである。言い換えれば決して一人では為しえない大きな知識や科学上の基盤があってこその業績でり、その基盤の重要性を語っている。
我々は、足元の基盤が先人達が大変な苦労をして築きあげたことを忘れがちである。しかし、その巨人の肩に乗り、背伸びをしても遠くを見ようとするのはやはり天才のワザなのだろうか。
マイクロソフトの ビル・ゲイツは高校生の時に、学校のミニコンピュータのPDP-10 のタイムシェアリングサービスでコンピュータに初めて触れたのだそうだ。一体 ビル・ゲイツに対してこのコンピュータはどんな役割を果たしたのだろうか。
また、ビル・ゲイツはマイクロソフトを引退して自分の作った財団の運営にあたるという。巨人もしっかりした足元がないと立てない。
現代では、「巨人の肩に乗った小人」は、世界のあちこちに、大勢いるのだろう。「巨人の肩」は、大企業や大学、その他の組織と考える事も出来る。「巨人の肩に乗った小人」が、巨人を益々大きくしようとして、「巨人の肩に乗った小人」が、自分の立ち位置を忘れがちなのも、現代の顕著な現象のようだ。
まさに、破滅に向かいつつある恐竜に似ているのかも知れない。恐竜の頭脳・知性のレベルはどの程度なのか。「巨人の肩に乗った■■■小人」には、要注意だ。まして、そんな小人に凡人が肩を貸したら、墓場まで誘導されかねない。
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2017年12月27日 伊勢崎(イセサキ) | ||
TAVE= | 2.2 | 毎正時のアメダス観測値(気温)の平均値 |
TMAX= | 6.3 | 毎正時のアメダス観測値(気温)の最大値 |
TMIN= | 0 | 毎正時のアメダス観測値(気温)の最小値 |
DIFF= | 6.3 | 毎正時のアメダス観測値(気温)の最大値と最小値の差 |
WMAX= | 8.7 | 毎正時のアメダス観測値(風速)の最大値 |
SUNS= | 6.6 | 毎正時のアメダス観測値(日射)の合計値 |
RAIN= | 0 | 毎正時のアメダス観測値(雨量)の合計値 |
1日の極値 | データ | 時刻 |
最低気温(℃) | -0.5 | 7:06 |
最高気温(℃) | 6.6 | 11:15 |
出典=気象庁 | 参照⇒ | AMEDASへのリンク |
最大瞬間風速(m/s)(風向(16方位)) | 15.1(西北西) | 11:06 |
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