222_ツルよ 飛んでおくれ

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2015年4月 8日 (水)

ツルよ 飛んでおくれ:旧三洋電機周辺用地のリストラ進行中。ざっそう句;貧乏性 余白をケチる 電子文。

2015年4月8日(水)
昨日は雨後曇り。最高気温(℃) 14.3 00:02。最低気温(℃) 7.9 23:59。ざっそう句;貧乏性 余白をケチる 電子文。冬の寒さに逆戻り。宅内閑居。漠然とBLOGの見直し。そもそも論に戻るとBLOGも無駄な時間つぶしに過ぎないのかと思うことがある。まあ、呆け防止程度の効用は期待できそうだ。BLOGのスタイルも徐々に出来上がってくるようで、それを打ち壊すのが難しくなる。いろいろな機能もあるようだが、それを使うのも面倒。最近調べると、まだBLOGで使える容量の20%以下しか使っていない。それなのに、シコシコキーボードを叩いて入力する文書は余白を少なくしようと紙を使う習慣から抜けきっていない。フォントの大きさや色を変えても電子ファイルの大きさの差は微々たるものだ。呆けるまでに残りの80%を使いきれるか。一層のこと急いで90%位まで使ってしまい、古い記事は消してしまった方が合理的なのか。余白を塗りつぶす余裕が無いのが実態か。漢字源によると、「余」には空間的な広がりがありゆったりしている様子や食物が余るほどゆったりある様子というような意味があるようだ。何事にもユトリは必要なようだ。最初に余分で落ちこぼれ等々をイメージしてしまうが、「余」はまだゆったりしたユトリがあるのだと発想を転換しよう。ところで、オレの余生はもう何年と考えて気前よく金を使ってしまったが、想定以上長生きをして、老後に苦労した人がいたという話を聞いた。オイ、そんな話はヨセ~という声が聞こえそうだ。

2015年4月7日の天気(AMEDAS)

TAVE= 10.5 NO DATA
TMAX= 12.9 最高気温(℃) 14.3 00:02 
TMIN= 8 最低気温(℃) 7.9 23:59 
DIFF= 4.9  
WMAX= 3.8 最大瞬間風速(m/s)(風向(16方位)) 6.5(西)   22:18 
SUNS= 0 NO DATA
RAIN= 12  

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ツルよ 飛んでおくれ:旧三洋電機周辺用地のリストラ進行中

たまたま、気候も気分も良くなり、太田方面にドライブ。昨年見た、三洋電機周辺の様子が気になり、その周辺の様子を見た。

Iob_sanyopanaohizumi 
「ツルよ 飛んでおくれ:三洋電機㈱東京製作所周辺施設の更地化(http://af06.kazelog.jp/itoshikimono/2014/09/post-3dbb.html)。(2014年9月 6日 (土))」

ぶらりと歩くと、三洋電機大利根寮の看板がすばる大利根寮に変わっており、従業員を乗せた通勤バスが出入りしており、時の流れを感じた。

更地化された、広大な土地に、工場らしい建物が建ちつつあった。その工事用表示板を見ると、関東いすゞ自動車株式会社という文字が見えた。 同社のHPの会社概要(http://www.kanto-isuzu.co.jp/outline.html)によると、自動車の生産は行っていないようだ。新しい建物で、どのような事業が始まるか、今後はっきりしてくるだろう。かつて、その周辺に、ゴルフ練習場や三洋電機の関連施設があった事等もやがて忘れ去られて行くのだろう。

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2015年4月 3日 (金)

ツルよ 飛んでおくれ:前橋散策:初代市長下村善太郎の銅像に遭遇!ざっそう句;畑土の 天地返して ごぼう蒔く。

2015年4月3日(金)
昨日は晴れ。最高気温(℃) 18.2 15:44。最低気温(℃) 6.8 06:11。ざっそう句;畑土の 天地返して ごぼう蒔く。天気が良く桜は見頃のようだ。だが、畑土は乾燥してサラサラだ。種蒔きした野菜区画に灌水。次はゴボウの種蒔き。昨年は収穫せずに終わったがゴボウの花を見た。その残骸から芽が伸びていた。旧新田町の上武国道沿いの田圃だったか、ゴボウの生産をしていた。冬にトンネルを作り春になるとそのトンネルを撤去していたように思う。20~30年前、当地の数軒の農家もゴボウ生産にチャレンジした。ゴボウを掘るトレンチャーという機械を協同購入した。時代が変わり、数年でゴボウ生産から撤退した。生産したゴボウを売るにはゴボウ掘り等々相当の労力がかかる。昔から農家でも、ニンジン、ゴボウは買っていた。ゴボウを蒔いて収穫まで順調に進むか自信がない。百均の種一袋を、二列条播きにした。どうせならと、シャベルで畑土の天地返しをした。結構良い運動になる。ヤブガラシの根っ子も出てくる。播き終わってから軽く覆土。その上から灌水。ジャガイモ区の除草。ちらほら芽らしい物が出てきた。少しずつ伸びてそれがジャガイモの芽だと分かるだろう。芽だと思ったが、ツクシの頭も伸び出した。その後、台木用の苗を掘り上げて調整。こちらも新芽が出そうになっている。

2015年4月2日の天気(AMEDAS)

TAVE= 12.3 NO DATA
TMAX= 17.6 最高気温(℃) 18.2 15:44 
TMIN= 6.9 最低気温(℃) 6.8 06:11 
DIFF= 10.7  
WMAX= 5.5 最大瞬間風速(m/s)(風向(16方位)) 9.2(東南東)   16:51 
SUNS= 9.6 NO DATA
RAIN= 0  

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ツルよ 飛んでおくれ:前橋散策:初代市長下村善太郎の銅像に遭遇!

先日、ある用件の帰り、県庁周辺を散策した。人間、どうも慣れた道を通る習性があるようだ。県庁に用事があっても、その隣の前橋市役所には寄らない。たまたま、前橋市役所通りを歩いていたら、初代市長下村善太郎の銅像に遭遇した。

Iob_sicyoujinbutuzou
伊勢崎市役所の前には、石川泰三のコンクリート像があるが、石川泰三は最後の伊勢崎町長で初代市長ではなかった。調べてみると、初代伊勢崎市長は板垣源四郎であった。写真:左から石川泰三、下村善太郎、矢島八郎(WIKIPEDIAより引用)。

それでは、高崎市役所に初代高崎市長の像が建っているのかと調べたが、どうも別の場所に建っているようだ。初代銅像は供出され、現在は二代目になっているらしい。

ついでに、群馬県の主要な市の初代市長を各市のホームページで調べてみた。伊勢崎市と太田市は歴代市長をまとめたページが見当たらなかった。それは、IKIPEDIAで調べた結果を記載する。期間は就任年月日~退任年月日である。

前橋市 :下村 善太郎=明治25年5月19日~明治26年6月2日(文政10年4月28日(1827年5月19日) - 明治26年(1893年)6月4日)) 
高崎市 :矢島 八郎 =明治33年7月18日~明治39年7月16日(嘉永3年(1850年)11月27日 - 大正10年(1921年)9月7日))
桐生市 :前原 良太郎:大正10年7月2日~大正14年7月1日
伊勢崎市:板垣 源四郎=1940年(昭和15年)11月9日~1946年(昭和21年)11月16日
太田市 :成田 作兵衛=1948年5月3日~1948年12月24日

WIKIPEDIA「下村善太郎。(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%8B%E6%9D%91%E5%96%84%E5%A4%AA%E9%83%8E)」 WIKIPEDIA「矢島八郎。(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9F%A2%E5%B3%B6%E5%85%AB%E9%83%8E)」

初代前橋市長は下村善太郎だった程度の事は承知していたが、それ以外の上記初代市長についてはほとんど知らなかった。群馬県県庁の所在地を決めるについて、前橋と高崎で誘致合戦があったと伝えられているが、当時の真相はどうだったのか。

ともかく、各市が市になる時期にかなりのバラツキがある。それは、各地方の経済的な実力の差の表れだったのかも知れない。しかし、人物像に関しては、どう考えるべきなのか。建立された時は盛大に祝われても、時の流れで、今はひっそしと訪れる人もわずかしかいないと言うのが、ほとんどの実態ではないか。

そんな事を考えながら、撮影した人物像とWIKIPEDIAの写真を並べてみた。多分、名前を言い当てる人は極少ないのではないか。

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2015年3月16日 (月)

ツル(群馬)よ 飛んでおくれ:前橋探訪:群馬大橋と利根川の水音;春うらら 暴走族も 唸り出す。

2015年3月16日(月)
昨日は晴れ。最高気温(℃) 12.4 16:11。最低気温(℃) 0.8 04:10。ざっそう句;春うらら 暴走族も 唸り出す。老人モードで用事外出。その後、落果したり、たたき落としたナツミカンを収穫。砂糖まぶしに皮を使うので気楽だ。例年なら年末前後に収穫しているのが遅れている。期末・期初で仕事の方もギア交換の時期だ。会社・役所等の人事異動で一喜一憂の季節でもあろう。景気がよい自動車メーカーの一時金は満額回答が多いようで、従業員にとってはまさに春うららの気分だろう。現役時代は、すまじき事は宮仕えと思うことが良くあった。政府が企業に賃上げを要請するのも、今までの流れから見るとどこか調子が狂っているように見える。資本主義が私本主義に暴走したのか。暴走族も気力・体力も若い時だけで、やがて暴走行為の馬鹿らしさを悟り、いつか卒業するのだろう。思うに、暴走族にも新人とベテランの新旧交代があるのだろう。まあ、青年期にかかるハシカのようなモノか。騒音を振りまく暴走族はある種の可愛さがあるかも知れないが麗しい人倫・秩序を崩壊させる老獪な暴走族には金輪際御免をこうむりたいものだ。

「方丈記通読:いとしきもの(http://af06.kazelog.jp/itoshikimono/2010/03/post-6601-1.html)。(2010年3月20日 (土))」

暴走が何か分からない無常観により起こるとするとその影響は見通せなくなる。

2015年3月15日の天気(AMEDAS)

TAVE= 6.4 NO DATA
TMAX= 11.5 最高気温(℃) 12.4 16:11
TMIN= 0.9 最低気温(℃) 0.8 04:10
DIFF= 10.6
WMAX= 2.2 最大瞬間風速(m/s)(風向(16方位)) 5.9(南東) 16:26
SUNS= 6 NO DATA
RAIN= 0

Q
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ツル(群馬)よ 飛んでおくれ:前橋探訪:群馬大橋と利根川の水音

先日、春の天気に誘われたのか、前橋を散策しちゃえ!という気分になった。当日は苦も無く歩けたが、翌日から数日間そのツケがまわってきた。

前回、県庁展望台から眺めて、あの橋が群馬大橋と分かったので、今回は、群馬大橋から県庁をみてやろうという気分になった。視線の向きにより、見る側と見られる側が生まれる。

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群馬大橋周辺で散策している人もちらほらいた。同時に、展望台から群馬大橋を見ている人もいただろう。群馬大橋から見ると、展望台は小さすぎ、どこにあるのかという程度にしか見えない。

群馬大橋を西から東へ渡った。利根川の川瀬の音が春らしく感じた。橋の大半を渡り、その川瀬の音が聞こえなくなってから、そうだこのデジカメにはボイスレコーダー機能が付いていたはずだと思い出し、川瀬の上部近くまでUターンして、川瀬の音を収録した。

収録するのにシャッターを押すのだが、初めてでも録音されていた。WAVファイルに記録されていたが、ADPCM方式らしくフリーの音声編集ソフトは対応していなかった。とりあえず、WAVファイルをMP3に変換した。

橋を渡り終えると、その橋のシンボルである親柱の説明板が掲示されていた。親柱と東岸から見た群馬大橋をデジカメに納めた。今まで、単三二本のデジカメを使っていたが、今回はLiイオン電池対応で小型で軽いメリットがある。だが電池のスペアがないので、いつ電池切れになるかひやひやしていた。なんとか、電池切れによる無念さを味わう事も無く済んだ。

SOB_TONEGAWANO-OTO-2015.mp3をダウンロード
(ファイルサイズ=736 KB (753,664 バイト))
群馬大橋から収録した利根川の水音。
2015/03に収録。


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2015年3月12日 (木)

ツルよ 飛んでおくれ:ローカルは元気か/鉄道広告が変わったか?;復興の 裏には見えぬ 立ち遅れ。

2015年3月12日(木)
昨日は晴れ。最高気温(℃) 10.7 12:46。最低気温(℃) -1.7 05:42。ざっそう句;復興の 裏には見えぬ 立ち遅れ。用事外出。3.11から4年目。時刻に追われあたふたと家を出る。忘れ物防止のため持ち物チェックをしたのだが、筆記用具を忘れた。メモを書いても読み返す事は少ない。だが、記憶の底に入力する効果はある。あの地震発生時刻にはどこにいたのか。多分買い物中だったようだ。帰宅して黙祷の話が出た。黙祷をすっかり忘れていた。当時の事を振り返り記憶を更新し黙祷に代えよう。当時はガソリン不足が生活に大きな影響を与えた。トラクターから軽油を抜いて使った人もいたようだ。生活物資にも買い占めが続出した。マスクも売り切れで入荷時期不明であった。この時、ガソリンのセルフ店に初めて入った。店員に給油の仕方を教えてもらった。最近はほとんどセルフ店になっている。スーパーにもセルフレジが出現している。絆・キヅナの大切さが叫ばれたが、人間関係は希薄化が進む一方のようだ。大都市で大地震が起こると、すべてのレジが停止するかも知れない。商品があっても買えないとなるとそれだけでもパニックになるのではないか。スーパーの壁を見たらトイレットペーパーは一月分のストックをというような張り紙があった。

「かみつけ女流歌人 雅:百歳の姑逝けり(http://af06.kazelog.jp/itoshikimono/2011/03/post-9085.html)。(2011年3月29日 (火))」

2015年3月11日の天気(AMEDAS)

TAVE= 4.5 NO DATA
TMAX= 10.1 最高気温(℃) 10.7 12:46
TMIN= -0.8 最低気温(℃) -1.7 05:42
DIFF= 10.9
WMAX= 7.9 最大瞬間風速(m/s)(風向(16方位)) 13.5(西) 16:56
SUNS= 6 NO DATA
RAIN= 0

Q
Q

ツルよ 飛んでおくれ:ローカルは元気か/鉄道広告が変わったか?

広告の媒体には色々あるが、最近はインターネット広告の地位が高まっているようだ。そういう観点から見れば、新聞、雑誌、放送というような巨大メディアも安心できる状況ではなさそうだ。

最近、あるサイトで商品を探したら、その後訪問したサイト先に、同じ商品の広告が追いかけて来るようになった。ストーカー広告だ。従来の広告はこのようなえげつない手法は不可能だったろう。IT技術を使えば、かなり過激な広告も可能になってしまうのが現代かもしれない。

一時は、電車内の広告も、結構あり、その広告を見ていると、暇つぶしができた。さらに、目のやり場としても広告があれば、乗客同士じろじろと視線を合わせずに済む。

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最近、電車の車内を見ていると、スマホを覗いている人が多い。そういう人は何もしないでいる事に不安を感じるのではないかと思ったりする。やはり、目のやり場に困っているのかも知れない。

昔は、電車内の週刊誌の広告を見て、少しは得した気分になったが、最近は週刊誌が出る頃は、話題が消えそうになっていたりで、週刊誌もスピードの点ではインターネットに遅れをとる時代になってしまった。

先日、電車に乗り、車内の広告がかなり減っているのに気づいた。車内広告の端境期かもしれないが、目のやり場が無いのも困る。電車に乗るのはまれな位だから、外の景色を見て十分時間つぶしは出来る。また、乗客の観察も面白い。高校生はスマホで何をしているか、横目で見たらゲームのようだった。

帰宅時にホームに並んだら、向かい側の壁に出された広告も意外に少なかった。広告を取れる設備は出来ているのだが、その部分の広告が埋まっていないのだ。今なら、良い場所が取れると思うが、そういう客がいないのだろう。広告が景気のバロメーターになっているだけでなく、もっと深い所で変化が起きているのかもしれない。地方は色々な広告からも見放されていると考えると一抹の侘しさを感じる。

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2015年3月11日 (水)

ツルよ 飛んでおくれ:前橋駅と市街地の往来の障害となっていた横断歩道橋が廃墟になりそう?!;刮目し みヨひとひとヨ この国土。

2015年3月11日(水)
昨日は曇り一時晴れ。最高気温(℃) 10.5 09:43。最低気温(℃) 0.5 24:00。ざっそう句;刮目し みヨひとひとヨ この国土。寒波到来。宅内閑居。あの3.11から4年目になった。当時の天気も寒く、被災地の事が思いやられた。当局が政権維持のため復興・復興と叫ぶようでは復興は遅らせた方が良いという低意を疑いたくなる。夕方首相の記者会見があった。美辞麗句と美談を並べた立て板に水の如き発言が流れたがまさに少なし仁と写った。オレのヒガミか。思うに、オレの記憶力から類推すると、プロンプター画面に流れる文字を名優気取りで読んだだけに見えた。質問も、質問者が間違わぬかと心配しているようなぎこちなさだったように感じた。質問も申し合わせた文言を読んだだけではないかと勘ぐりたくなった。真相は不明だが。当時はあちこちでやらせが横行した。そのやらせも次第に巧妙になるのだろうか。最後には阿吽の域に達するだろう。広辞苑によると刮目とは目をこすって注意深く見る事とある。

2015年3月10日の天気(AMEDAS)

TAVE= 6.1 NO DATA
TMAX= 10 最高気温(℃) 10.5 09:43
TMIN= 0.5 最低気温(℃) 0.5 24:00
DIFF= 9.5
WMAX= 8.7 最大瞬間風速(m/s)(風向(16方位)) 16.4(北北西) 11:58
SUNS= 3.6 NO DATA
RAIN= 1.5

Q
Q

ツルよ 飛んでおくれ:前橋駅と市街地の往来の障害となっていた横断歩道橋が廃墟になりそう?!

先日、国道50号始点と看板が立っていたあたりから歩いて駅に向かった。50号北側から50号南側へ横断歩道を渡った。両手に荷物を提げていたので、あの本町二丁目五差路の歩道橋を渡るのが大変だと考えながら歩いた。その歩道橋が最大の鬼門で老人・子供をだまって虐めているのである。前橋市街地と前橋駅をつなぐケヤキ通り周辺は前橋の代表的景観地域ともいえるだろう。歩行者にとって巨大な要塞兼障害物である。車はスイスイ歩道橋の下を走り、老人・子供は階段を休み休み上り下りする。五差路の上に架かっている歩道橋は巨大であるが、利用者は多いとは言えない。歩行者が少ないのだから当然か。

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お出かけの帰路、駅前ケヤキ通りへ向かう歩道橋を渡ろうとしたら、その脇に横断歩道と信号機があった。丁度信号が青になり急いで渡った。前回来た時は、横断歩道は無く、横断歩道橋を渡ったのだ。とすると、最近できたのだろうか。いろいろWEB情報を調べたが、いつからそうなったのかはっきりしなかった。

もう、暗くなっていたが、荷物を下に置いて、その信号と歩道橋をデジカメ撮影した。写りが良くなかったのでソフトで画像が分かるよう加工した。GoogleMapを見ると、横断歩道の塗装と横断歩道橋が写っていたので、夢を見ていた分けではなさそうだ。前橋市の市街地活性化や都市計画で、歩道橋問題が色々議論された成果が、この風景だったようだ。

WIKIPEDIA「横断歩道橋。(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A8%AA%E6%96%AD%E6%AD%A9%E9%81%93%E6%A9%8B)」

横断歩道橋を設置すれば、車道と歩道は立体交差するので、原理的には車と歩行者の間で生じる交通事故は起こらないか激減できるという考えがあったと思う。しかし、横断歩道橋を使う歩行者は、歩道橋への登りと下りだけ常に余分な時間・労力を課せられ、車が動力源を持つという点からも、公民としての負担と利用の公平性は乏しいと言わざるを得ないだろう。見方によれば、弱い者いじめともとれる。老人や子供、学生は生産や経済に直接寄与しない。それなら車を優先して、歩行者・自転車は後回しという高度成長時代の発想があったのかもしれない。ともかく歩道橋はあっという間に全国に広まり、あっという間に見捨てられてしまったというのが歴史の皮肉なのではないか。歩道の平坦性を確保し、車道を跨道橋・立体車道橋にする事も可能だが、工事コストは歩道橋よりずっと多くかかるだろう。歩道橋が、それを利用する歩行者の不便になるようでは、もともと歩道橋建築のコンセプトに十分な妥当性がなかったと言いうるのかもしれない。

「ツルよ 飛んでおくれ;前橋ウォッチング:本町2丁目の大歩道橋(http://af06.kazelog.jp/itoshikimono/2013/11/2-9b8e.html)。(2013年11月 9日 (土))」

前橋駅と市街地の往来の障害となっていた従来の横断歩道橋と並列接続になる横断歩道ができたので、前橋駅と中心街を徒歩や自転車で往来する人にとっては、楽になったと思う。という事は、従来の歩道橋の役割は更に低下して益々廃墟化が進みそうに感じる。願わくば、自動車を運転するだけで余り歩かない人たちが、ここへ来て、廃墟のような歩道橋に登って、都市や車の流れを観察して貰いたいものだ。まだまだ、都市見物塔としては役立つはずだ。

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2015年3月 6日 (金)

ツルよ 飛んでおくれ:県庁探訪記:展望台から見える直線水路は何か?;啓蟄や 枯葉まとった 雨蛙。

2015年3月6日(金)
昨日は晴れ。最高気温(℃) 12.2 13:40。最低気温(℃) 4.8 06:26。ざっそう句;啓蟄や 枯葉まとった 雨蛙。満天雲一つ無い晴天。風も無く穏やかだ。いざ、農作業。麦が青々と育っている。やるべき事は無数にある。ダイダイが豊作だ。ぽつりぽつりと実が落ちている。今年の実と昨年の実が同居する目出度い果樹だ。出番は正月のお飾り程度。ダイダイを救うため使わぬ実を採る。次はジャガイモ植えだ。昨年繁茂した雑草を片付ける。昨年の怠慢のツケだ。へとへとになって枯れ草を刈る。やっと綺麗になってからいざ耕起。テンガを振っている所に褐色の雨蛙が飛び出す。ほっとする瞬間だ。ポケットからポンコツデジカメを出して雨蛙を追いかける。やっと撮れたぞ。今度は雨蛙を捕らえて枯れ草の山に放つ。あの無人機のように、ステルス機のようにモズが獲物を狙っている。モズも宮本武蔵も群れたがらないようだ。夕方、シタケ(東風)が吹く。そろそろ切り上げようか。畝作りで終わりにした。お土産は、白菜と大根だ。洗う水も心なしか温かい。今朝、カレンダーを見たら啓蟄だった。

キーワード「オタマジャクシ」でGoogleサイト内検索(https://www.google.co.jp/webhp?tab=ww#q=%E3%82%AA%E3%82%BF%E3%83%9E%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%82%AF%E3%82%B7%E3%80%80site:http:%2F%2Faf06.kazelog.jp%2F)。

キーワード「宮本武蔵」でGoogleサイト内検索(https://www.google.co.jp/webhp?tab=ww#q=%E5%AE%AE%E6%9C%AC%E6%AD%A6%E8%94%B5%E3%80%80site:http:%2F%2Faf06.kazelog.jp%2F)。

キーワード「啓蟄」でGoogleサイト内検索(https://www.google.co.jp/webhp?tab=ww#q=%E5%95%93%E8%9F%84%E3%80%80site:http:%2F%2Faf06.kazelog.jp%2F)。

2015年3月5日の天気(AMEDAS)

TAVE= 7.4 NO DATA
TMAX= 11.3 最高気温(℃) 12.2 13:40
TMIN= 5 最低気温(℃) 4.8 06:26
DIFF= 6.3
WMAX= 8.5 最大瞬間風速(m/s)(風向(16方位)) 14.5(北北西) 15:11
SUNS= 10.8 NO DATA
RAIN= 0

Q
Q

ツルよ 飛んでおくれ:県庁探訪記:展望台から見える直線水路は何か?

先日、やんごとなき用事で県庁を訪問した。某○燃~ドラマ館が見たい言うのが一つの理由。県庁が観光スポットになっているようで、ぐぐっと群馬の観光PRに絶好の企画か。こう言う機会はできるだけ利用した方がよさそうだ。

先ず、昼休みが終わる頃を狙って、地下食堂で腹ごしらえ。今日は、豪華に行こうと特別セットメニュウを注文。普通のランチセットのようだが、場所が場所だ。客も減ってゆったりと食べる。これだけで、豪華さ満点。次に、壁面を飾っている絵画を見る。竹下夢二等の絵も展示され、これも無料で見られる。何とそれには値札が付いていた。大きな油絵もあった。これは高額な値札が付いていた。

さあ、次は展望台だ。その前にトイレだ。省エネのため、トイレは消灯。トイレに飛び込んだが、電源スイッチが見つからない。手探りで探したが見つからず、頭をゴツンと壁にぶつけた。そこへ、職員らしい人がSWを押し電灯を付けて、歯ブラシをくわえて入って来た。助かった~。偉く親切な人がいるもんだ。普通、省エネはセンサーライト程度までだろう。センサーライトを付ける工事をすれば金が掛かる。手があるんだから手を使えという発想だろうか。すばらしい、さすがにグンマけんらしいサービスだ。トイレが済んで、スイッチの位置を確認したら、トイレの入り口とは思えない廊下寄りに付いていた。

さあ、次は展望台だ。エレベータホールでぶらぶら考えて、高階まで直通のエレベータに乗ったが、展望台に行けそうがないので、下まで降りてもう一度展望台行きに乗り直した。この展望台は、さすがに無料。展望レストランは一生何回使えるやら。そん事は、考えずに先ず見物。案内係の人が居たので、ここからスカイツリーは見えるか聞いたら、条件が良ければ見えると、見える場所を示しつつ説明してくれた。光の反射と地平線の関係で、地上の見通しが良く、西から日が当たる晴れた日の午後が最適との事だ。

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当日、撮影したデジカメ画像を見直した。利根川や幸の池、グリンドームが写っている。今回はその中間にある直線水路に目が向いた。この水路を国土地理院の地図で遡ると、水力発電所の記号があり、その先が広瀬川本流につながっていた。

Googleでキーワード「群馬県 広瀬川 発電所」を画像検索(https://www.google.co.jp/search?hl=ja&site=imghp&tbm=isch&source=hp&biw=846&bih=445&q=%E7%BE%A4%E9%A6%AC%E7%9C%8C%E3%80%80%E5%BA%83%E7%80%AC%E5%B7%9D%E3%80%80%E7%99%BA%E9%9B%BB%E6%89%80&oq=%E7%BE%A4%E9%A6%AC%E7%9C%8C%E3%80%80%E5%BA%83%E7%80%AC%E5%B7%9D%E3%80%80%E7%99%BA%E9%9B%BB%E6%89%80)。

前橋市ホームページ内でGoogleでキーワード「広瀬川」を検索(https://www.google.co.jp/search?q=%E5%BA%83%E7%80%AC%E5%B7%9D&ie=utf8&oe=utf8&hl=ja&domains=www.city.maebashi.gunma.jp&sitesearch=www.city.maebashi.gunma.jp&x=33&y=22&gws_rd=ssl)。

「ハトよ 鳴いておくれ:愛しき古里:目に留まった風景:広瀬川のせせらぎに新生伊勢崎市10周年の産声を聞く(http://af06.kazelog.jp/itoshikimono/2014/01/10-3b49.html)。(2014年1月29日 (水))」

萩原朔太郎作品中のキーワード「廣瀬川」をGoogleで青空文庫サイト内検索(https://www.google.com/webhp?hl=ja&gws_rd=ssl#safe=off&hl=ja&q=%E5%BB%A3%E7%80%AC%E5%B7%9D%E3%80%80site:http:%2F%2Fwww.aozora.gr.jp%2Fcards%2F000067%2F)。

「宿命(http://www.aozora.gr.jp/cards/000067/files/1790.html)」の中の一節、「久しぶりで故郷へ歸り、廣瀬川の河畔を逍遙しながら、私はさびしくこの詩を誦した。 物みなは歳日(としひ)と共に亡び行く――郷土望景詩に歌つたすべての古蹟が、殆んど皆跡方もなく廢滅して、再度(ふたたび)また若かつた日の記憶を、郷土に見ることができないので、心寂寞の情にさしぐんだのである。   全く何もかも變つてしまつた。昔ながらに變らぬものは、廣瀬川の白い流れと、利根川の速い川瀬と、昔、國定忠治が立て籠つた、赤城山とがあるばかりだ。」   萩原朔太郎作品中にも旧字を使った「廣瀬川」は出てくるが、青空文庫では「広瀬川」はヒットしなかった。萩原朔太郎にとっても、広瀬川は記憶の底に残る古里の風景だったようだ。当然、昭和初期は今の高層建築の群馬県庁もなく、前橋の風景も都市と農村が共存していたのであろう。萩原朔太郎が現在の展望台に登ったと仮定するとどんな印象を持ったろうか。また、広瀬川が農業と密接に関係していると知っていたらどんな詩を作ったかと興味を持つ。   群馬県庁展望台からは、「 鶴舞う形の群馬県」を表す幸の池、「理想の電化に 電源群馬」と関係が深い広瀬川分流、「利根は坂東一の川」の利根川等々上毛かるたの読み札の関係句を幾つも見る事ができる。写真中央のに見える直線水路は、広瀬川の水を分流し、低落差発電をした後の水を西側の利根川に流す水路のようだ。

群馬県ホームページ=「坂東発電事務所管内(1)(http://www.pref.gunma.jp/06/q1310006.html)。」の「柳原発電所(【最大出力】7,500kW)」がその水路の先にあるのだろう。

最近、農業用水の事が気になってきた。水田がある所には必ず水路がある。瑞穂の国日本で水田や稲作については、その重要性は誰でも認識しているだろう。だが、農業用水は忘れられやすい。

WIKIPEDIA「広瀬川 (群馬県)。(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BA%83%E7%80%AC%E5%B7%9D_(%E7%BE%A4%E9%A6%AC%E7%9C%8C))」

はっきりした年代は不明のようだが、江戸時代以前の利根川は、現在の広瀬川と桃木川の流域を流れていたと言われ、利根川が流路を変えてから、広瀬川と桃木川は農業用水としても活用されるようになってきたと言われている。江戸時代に入り、大規模な土木工事、水田開発、が行われるようになったようだ。広瀬川を見ると、普通の自然河川のようにみえるが、古来農業用水としての重要な役割を持っていたようだ。

「ハトよ 鳴いておくれ:宮子公園(いせさきオートレース場近く)に立つ「題名の無い」記念碑は何を語る?;花粉症 ミニ変身の マスク顔。(http://af06.kazelog.jp/itoshikimono/2015/03/post-0c34.html)。(2015年3月 3日 (火))」

農業用水は、都市が開発されれば生活用水に転用され、工場ができれば工業用水にもなる。最近は、過度の都市化により、その水路が三面コンクリート化されるだけでなく、さらにその上がコンクリートで蓋をされ、そこに水路があると 実感できないと思われる例が多くなっているようだ。見慣れた広瀬川だが、色々な事を教えてくれる。

その点、前橋市の「緑の基本計画」で「水と緑の前橋らしさの継承と創造(http://www.city.maebashi.gunma.jp/kurashi/143/177/186/p002823_d/fil/gaiyouban.pdf)。」というキャッチフレーズを県庁展望台からも色々感じる事ができる。その『「水のまち」を育んできた豊かな水環境』という項目の中で、「前橋の代表的な河川である利根川・広瀬川、赤城山麓の田畑を潤しながら流れる桃ノ木川・赤城白川・粕川・荒砥川、歴史的な農業用水である天狗岩用水・五千石用水・大正用水等、前橋市には豊かな水環境があります。」と述べられている。河川の水に関しては伊勢崎市も上流の前橋市のお世話になっているのを改めて感じた。

最後が、当日の主たるお目当ての展示会。入館料500円。えっ、タダジャナカッタ?当日は、平日で入館者が少なかったようで、説明員を独り占めできそうな状態で、充実した見学ができて満足だった。だが、館内の写真撮影は禁止のようす。一つだけ、楫取素彦の執務室は館内撮影ができた。何と、シルクハット?をかぶり、椅子に座わった姿を自分のデジカメに納めてくれるサービスのようだ。これじゃ、XXに自信と度胸が無い人は遠慮してしまいそうだ。館外でも良いから、あれを見たよ言えるような、自由に記念撮影ができるスポットが欲しいと思った人もいるのではないか。

明治時代の前橋の絵地図の拡大展示は圧巻だった。その絵地図の複製を入館者に安価に頒布すれば、お土産にもなるし、前橋の宣伝にもなるのではないかと思った。周辺がざわざわしてきたと思ったら、もう閉館間近だった。

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追記(2015/3/9):広瀬川の分流を発電に使った後、再度利根川に合流する部分の画像を撮影したので追加する。利根川と比較しても合流地点での広瀬川の水量はかなり多いように見える。

Iob_hirosegawabunryuu2

追記2(2015/7/11):蛙と言えば、草野心平を思い出す。WIKIPEDIA(上毛新聞)によれば、草野心平は上毛新聞のOBとの事だ。福島県出身。本日で東北三大災害より4年と四ヶ月目となる。Googleで「がんばれ! ふくしま」を検索すると、最近はヒット件数が減少しているように感じる。暇なとき、読む本で、お薦めはあるかと聞かれて、草野心平の詩集はどうかねと話した。ケロケロ、コロコロ、グェコグェコ、下戸下戸。まだ蛙語には馴染めていないようだ。

WIKIPEDIA「草野心平。(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8D%89%E9%87%8E%E5%BF%83%E5%B9%B3)」(この記事へのリンク)

01BC_愛しきもの 雨蛙 コレクション(http://af06.kazelog.jp/itoshikimono/01BC_AMAHAERU_CLCTN.html)(この記事へのリンク)
 

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2015年1月 3日 (土)

ツル(群馬)よ 飛んでおくれ:塩原太助の銅像を見る;何事も 無い年明けの おめでたさ。

2015年1月3日(土)
昨日は晴れ一時曇り。最高気温(℃) 7.8 12:51。最低気温(℃) -1.5 01:28。ざっそう句:何事も 無い年明けの おめでたさ。朝方、年賀ハガキ投函。回覧板。赤城山が綺麗だ。もう散歩している人がいる。年末の庭掃除の続き。刈払機初出動。ようやく新年らしくなった。来客。家族全員で新年を祝った。今年こそはと色々したい事を考えているが思うように進まない。車のキーを紛失したと暗澹たる気分になっていた。それが、よそ行きズボンのしりポケットから出てきて安堵。高齢で車の事故が増え、家族から車の運転を止めさせられたという話を時々聞く。車に乗れなくなると途端に行動半径が縮小する。Googleは無人運転車の開発をしているようだ。Googleでキーワード「Google 無人運転車」を検索(https://www.google.co.jp/search?hi=ja&lr=lang_ja&ie=utf-8&tbo=1&q=Google%20%E7%84%A1%E4%BA%BA%E9%81%8B%E8%BB%A2%E8%BB%8A)。日本のメーカーも同様だろう。先に市場を制覇した者が勝ちというルール無き開発戦争が始まるのか。車は多数の部品の集合体だ。その部品の仕様を世界共通に出来れば画期的な事になると思う。一方無人運転車には批判的な人もいるようだ。無人運転車も金次第か。

2015年1月2日の天気(AMEDAS)

TAVE= 2.5 NO DATA
TMAX= 7.4 最高気温(℃) 7.8 12:51
TMIN= -1.2 最低気温(℃) -1.5 01:28
DIFF= 8.6
WMAX= 4.8 最大瞬間風速(m/s)(風向(16方位)) 9.8(北西) 23:26
SUNS= 6.2 NO DATA
RAIN= 0

Q
Q

ツル(群馬)よ 飛んでおくれ:塩原太助の銅像を見る

先頃、地域の歴史グループで史跡巡りをした。その時、見学したのが塩原太助の銅像等であった。関連の資料等は、近くの資料館に収蔵されているとの事だった。

説明板によると、銅像は江戸に出奔する前に愛馬のアオと別れる時の姿のようだ。幼少の頃も、塩原太助の立身出世物語を聞いた記憶はある。節約、勤勉、忠実、継続と当世から見ると誰もできそうに無い努力をすれば、立身出世ができるのだと教えているようだ。若者に、この銅像を見せたら、どんな反応を示すか興味がある。

Iobimages_on_beloved_onesstasukezou 
説明板によると、塩原太助は寛保3年生まれ、出奔したのが19才の時とある。出奔を親に悟られないよう、馬を連れて草刈りに行くふりをして家をでたようだ。馬は置き去りにしたのか不明。出奔の目的が、身を立て家を興すと書かれている。江戸時代から、こういう、立身出世・忠孝という美徳があったのだろう。

高山彦九郎も、家に置き手紙を残して京都に出奔した。「18歳になると置手紙を残し、京に上り学者を志しています。京では漢学者の岡白駒、河野恕斎父子に学んだと伝えられています。(http://www5.wind.ne.jp/hikokuro/2sho-siso.htm)」偶然かもしれないが、地域に埋もれないで、大きな世界を目指した若者の姿ともとれる。

銅像の近くに、大きな記念碑が立っており、日本の近代資本主義推進で多大な業績を残した、渋沢栄一がその碑の書を書いている。WIKIPEDIAによれば、渋沢栄一は「理化学研究所の創設者でもある。」との事だ。渋沢翁よ、現在の理化学研究所の為体をもっと叱咤して欲しいと言いたい所だ。

WIKIPEDIA「渋沢栄一。(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B8%8B%E6%B2%A2%E6%A0%84%E4%B8%80)」

尚、渋沢栄一年譜(渋沢栄一記念財団HP)によると、「1863= 文久3年 23才: 高崎城乗っ取り、横浜焼き討ちを企てるが、計画を中止し京都に出奔(http://www.shibusawa.or.jp/eiichi/chrono.html)。」との事だ。

更に、近くには「報徳太助神社」があった。高山彦九郎も塩原太助も神として祭られているようだ。渋沢(栄一)神社があるか分からないが、合理主義を追求すると、祭神になりにくにのかもしれない。

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2014年12月30日 (火)

ハトよ 泣いておくれ:ツルよ 跳んでおくれ:2014(平成26)年に鯉沼の古木二本が絶滅!気がつけば どこへ行っても ミニ八ッ場。

2014年12月30日(火)
昨日は曇り一時雨一時晴れ。最高気温(℃) 10.2 15:02。最低気温(℃) 2.0 07:42。ざっそう句:気がつけば どこへ行っても ミニ八ッ場。午前一時雨。干し芋が濡れてしまった。宅内閑居。実はXX作業。午後関連の用事で老人モードで外出。今まで、中古車販売店があった場所に太陽光発電所の工事が進んでいる。この場所は、最初は農地だったと思うが、その所有者が小さなあずまやを建てて造園・植木等の展示販売を始めたようだ。人生一度の勝負だったようだ。その事業も余り好調ではなかったようで、ご本人が亡くなってからはしばらくそのまま放置されていた。その後、中古自動車販売店等が開店したが、最近その後に太陽光発電所の工事が始まっている。ご本人は、あの世で大きな変化にびっくりしているかも知れない。聞く所によると、自然エネルギー固定価格買い取り制度も揺らぎ始めて、計画が宙ぶらりんになっている事例もあるようだ。狭い国土を有効利用するのに、太陽光発は原子力より何倍も有望と思われるが、当局は金を原子力に回したがっているように見える。送配電網に過大の太陽光発電を接続すると不安定になるとかもっともらしい理屈が言われているが、やる気が無い事をだます屁理屈に見える。今年は超伝導を使った、リニア中央新幹線の工事が始まった。ほとんどがトンネルで、スピードだけが売りのリニア中央新幹線ビジネスの有望性は、素人には分からない。それよりも超伝導を使った送電線一本で日本を縦断させた方がよっぽど有望だと思う。所詮リニア中央新幹線も電力を使うだけだ。外出の帰路、鯉沼に寄って見たら、一本残っていた古木がまさに切り倒されるところであった。

「原発数基分の送電ロスをなくす「超伝導直流送電」(http://www.tel.co.jp/museum/magazine/environment/120401_topics_04/03.html)。」

2014年12月29日の天気(AMEDAS)

TAVE= 5.1 NO DATA
TMAX= 9.9 最高気温(℃) 10.2 15:02
TMIN= 2.1 最低気温(℃) 2.0 07:42
DIFF= 7.8
WMAX= 5.4 最大瞬間風速(m/s)(風向(16方位)) 10.8(北西) 20:54
SUNS= 1.2 NO DATA
RAIN= 1.5

Q
Q

ハトよ 泣いておくれ:ツルよ 跳んでおくれ:2014(平成26)年に鯉沼の古木二本が絶滅!

鯉沼の南側堰堤に、二本の古木がそびえている。この年まで、その姿を見ながら過ごしてきた。年を取る毎に、その古木を見る眼が変わってきた。自分の年齢に重ねて、生きとし生きる物の寿命と重ねてしまうようだ。

新しい物は、元気で数も多い。古い物はその逆だ。樹木は、樹齢が高くなると枯れる確率は高まるが、枯れるまでに種子を落とし、ヒコバエを伸ばし、次の世代の準備をする。

Iobimages_on_beloved_oneskoinumkobo 
鯉沼の二本の古木は、まだ相当の寿命があると思っていた。今年2月の大雪で西側の古木が倒伏し、道路を塞いだ。その残骸は、撤去され元の姿はまったく見えなくなった。

東側の古木は、生き延びるのではないかと淡い期待を抱いていた。農閑期で、沼の入水を阻止して堰堤強化の工事が行われている。たまたま用事で、近くを通りかかると、その古木の枝は全て切られ、幹だけが残っていた。その幹をチェーンソーとユンボで倒す所だった。道路側に木を倒すようユンボで引きながら、チェーンソーで切り進み、倒れそうになった所で、ユンボでさらにグイと力を入れて引き倒した。近くで撮影していたが、倒れる時は地響きがした。今後、この二本の古木の根をどのように処理するのか。

これで、鯉沼の古木二本が絶滅!と暗然としてしまった。ともかく、手持ちのデジカメで切り倒す様子を撮影した。動画も撮影できるので、動画も撮影。電池とメモリーの容量が気になった。動画は、細切れだが、編集して結合した。

今日の機械力なら、大抵の大木も、切り倒すのは一日程度で十分なようだ。まさか、この一年の間に、二本の古木が両方とも無くなるとは夢にも思っていなかった。切り倒された後は、メリハリの無い単調な風景になってしまいそうだ。

画像はAVIファイルであったが、MPGに変換してファイルサイズは約半分になったが、まだかなり大きなファイルサイズだ。

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鯉沼の古木を切り倒す時の様子
MOB_KOINUMA-KOBO-CUT-20141229.mpgをダウンロード
ファイル=36.4 MB (38,248,448 バイト)
時間約=2分37秒
DLに長時間を要す。
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2014年12月24日 (水)

ツル(群馬)よ 飛んでおくれ:人口減社会に一条の光を与えてくれるか福守神社?靴下と 無縁になりし イブの爺。

2014年12月24日(水)
昨日は晴れ。最高気温(℃) 9.0 13:27。最低気温(℃) 0.6 01:22。ざっそう句:靴下と 無縁になりし イブの爺。やや風が強い。宅内閑居。昼前老人モードで用事外出。お茶を貰い、長話をしてしまった。聞くところによると、隣りの町内では、昭和39年に稚蚕共同飼育所の開設を行い、翌40年~60年まで稼働したとの事だ。この頃は、養蚕が盛んで、仕事はきついが現金収入になった。今年は富岡製糸場がユネスコ世界遺産に登録され、国宝に指定された記念すべき年になった。稚蚕飼育は、果樹野菜で言えば、種苗の栽培に相当し、繭の収量や品質を決める重要な段階である。餌料は刻んだ桑の葉から人工飼料に代わったようだ。この時期は自分の会社員時代と重なり、飼育所の事はほとんど知らない。81才となる天皇誕生日。家族はそれぞれ急がしそうだ。自分はお天気次第。骨休めで祝日気分。風が強く乾燥して湿度も低いようだ。干し芋には良い天気が続きそうだ。天地返しが必要だ。幼少の頃、枕元に靴下を置き、プレゼントをもらった記憶はあるが、何を貰ったか覚えていない。当時の冬は綿入りはんてんを着て足袋をはいていたと思う。まだ化繊の靴下は贅沢品だった。「桑園:いとしきもの(http://af06.kazelog.jp/itoshikimono/2010/04/post-8c94.html)。(2010年4月 2日 (金))」の記事を思い出した。「桑園に資本の威力おもはせてレイヨン大工場またたくまに建つ」養蚕の急激な衰退の裏には生活様式を一変させた安価な化繊というライバルがいたのだろう。

2014年12月23日の天気(AMEDAS)

TAVE= 4.9 NO DATA
TMAX= 8.9 最高気温(℃) 9.0 13:27
TMIN= 0.8 最低気温(℃) 0.6 01:22
DIFF= 8.1
WMAX= 7.8 最大瞬間風速(m/s)(風向(16方位)) 14.2(北北西) 14:42
SUNS= 9.2 NO DATA
RAIN= 0

Q
Q

ツル(群馬)よ 飛んでおくれ:人口減社会に一条の光を与えてくれるか福守神社?

先日、地域の歴史グループで史跡巡りをした。人類の歴史が始まって以来、何らかの形で子孫の繁栄を願ってきたようだ。現代の日本人は高齢化と人口減少という二つのキーワードに翻弄されているかのように感じる。

Iob_fukumorijinjya 
そのフィーリングの中心は、自分達の老後はどうなるのだろうという期待と不安ではないか。ともかく、20世紀の後半までは腹一杯飯を食えるかが、世界でも日本でも大きな課題であったと思う。戦後は日本の人口も増大傾向を示し、人口抑制・産児制限も現実的な政策課題であった。

衣食住が足れば、それが人口増の圧力になる。現在では、ある意味で個人や家族で産児数をコントロールできる時代になっている。個々の、出生と死亡の差の集積が、人口の増減になる。20世紀は色々な意味で人口が大きな問題となった世紀には違いなかろう。

WIKIPEDIA「日本の人口統計。(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E4%BA%BA%E5%8F%A3%E7%B5%B1%E8%A8%88)」

国家や行政単位の人口も、最終的には個人の人数に帰着する。家族や共同体にとって、その総数を維持することは、人間が集団生活をするようになって以来重要な課題だったろう。

見学で、バスが雷電神社、福守神社に向かうと聞いて、話は、福守神社のご神体になった。その小さなご神体は地域の祠にも祭られていたようだ。昔は、家族が協力して生計を立てていたので、その構成員になる子孫を産み育てるのが、家の繁栄にもつながった。

デジカメデータを見ながら見学の事を思い出した。最初にくぐった鳥居には橘樹神社とあり、社殿も新しく、近代的な神社に見えた。その後背の丘陵部の山道を登ると、説明板が立っていた。その説明板によれば、こちらは三社神社と言い、祭神別に、水分神社、雷電神社、福守神社と、古来からの地域の守り神を祭った神社のようだ。

先ず目を引かれたのが福守神社のご神体と奉納品だ。奉納品はここに参拝して、御利益があった証拠だろう。そう思うと、一種の神々しさを覚えた。

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2014年12月12日 (金)

ツルよ 飛んでおくれ:「茂左衛門地蔵尊千日堂」を見学

2014年12月12日(金)
昨日は晴れ一時雨。最高気温(℃) 12.2 12:41。最低気温(℃) 1.2 06:36。ざっそう句:今渡る 三途の川の 亡者かな。丹波の黒豆乾燥。用事外出。外出中に降雨があったようで、乾燥中の黒豆が雨ざらしになりがっかり。雨も蒔いた空豆には有効だと前向きに考えたい。サヤエンドウの種子も購入したので、遅いがそれも蒔く予定。今年は白菜が出来たので、キムチを作ろうと考えているが進まない。昔は、白菜を塩漬けにして保存食として食べたが、漬け物を食べる機会が減っている。塩分か用摂取で高血圧が心配ではあるが、何か良い工夫はないものか。

2014年12月11日の天気(AMEDAS)

TAVE= 7.1 NO DATA
TMAX= 11.7 最高気温(℃) 12.2 12:41
TMIN= 1.4 最低気温(℃) 1.2 06:36
DIFF= 10.3
WMAX= 6.6 最大瞬間風速(m/s)(風向(16方位)) 12.2(北西) 23:09
SUNS= 4.5
RAIN= 1.5

Q
Q

ツルよ 飛んでおくれ:「茂左衛門地蔵尊千日堂」を見学

先日、地域の歴史グループで史跡巡りとして、茂左衛門地蔵尊千日堂」を見学したが、すでにデジカメは異常動作をしていた。撮影したほとんどの画像が白飛びで、画像処理ソフトを使っても画像らしき物が見えない。その原因は、依然不明。一説には、メカシャッターが閉じないためらしい。いつか試して見たい。

Iob_mozaemonj_igamasu 
ただ、堂内で撮影した画像は、水平線が間引きされたようになっているが、画像が見えた。周囲がやや暗いためか。ところで、訪問した場所はどこだっけと、もう記憶喪失の状況。そこで、検索して、「茂左衛門地蔵尊千日堂」だったと記憶が回復した。以下は、bingでキーワード検索をする。

bingでキーワード「磔茂左衛門 お堂」を検索(http://www.bing.com/search?q=%E7%A3%94%E8%8C%82%E5%B7%A6%E8%A1%9B%E9%96%80%E3%80%80%E3%81%8A%E5%A0%82&qs=n&form=QBLH&pq=%E7%A3%94%E8%8C%82%E5%B7%A6%E8%A1%9B%E9%96%80+%E3%81%8A%E5%A0%82&sc=0-0&sp=-1&sk)。

どうも、検索エンジンで、検索すると、食べたくないクッキーも食べさせてもらい、別のサイトを検索すると、こんな物はいかがと広告を出してくる。個人情報が追跡されているのは、常識なのかも知れないが、何となくいやな気分だ。

「あなたを追跡しない検索エンジン DuckDuckGoが広まるよう手伝ってください! | Take a Tour  (https://duckduckgo.com/)。」という検索エンジンがあるようだ。

DuckDuckGoでキーワード「磔茂左衛門 お堂」を検索(https://duckduckgo.com/?q=%E7%A3%94%E8%8C%82%E5%B7%A6%E8%A1%9B%E9%96%80%E3%80%80%E3%81%8A%E5%A0%82)。これなら、検索キーワードにおまけまで付いていないのかも知れない。Googleもbingもおまけ付きで、情報をやりとりしているらしい。

訪問時に聞いた説明で、一番印象に残っている事は、このお堂は、地域の有志が区分けをして当番制で守っているという事だった。神社仏閣とは異なり、地域住民の熱意が、このお堂を支えているとの事で、それならば、寸志を出そうという気持ちになり、おみくじを引いた。堂内には、磔茂左衛門を供養する地蔵尊があり、悪政の象徴としての「伊賀枡」が展示されていた。お上が年貢を取ったり民に施しをする、計量原器である枡が、お上の都合で作られていたという、証拠物件として示されていたわけだ。

言わば、多く取って少なく施すは、今も昔も、日本も他国も変わらぬ原理のようで、まさに世界観を変えさせてくれる展示物ではないか。場所を変えて、茂左衛門展示資料館で一通り説明を受けた。短い時間ながら、要領を得た的確な説明であった。もう一つ、高橋お伝の展示もあった。

WIKIPEDIA「高橋お伝。(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AB%98%E6%A9%8B%E3%81%8A%E4%BC%9D)」

予定の時間を気にしつつ、駆け足でその説明を聞いて、髪を引かれる思いで帰路に付いた。

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ISESAKI  有情2

ISESAKI  有情1

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  • 橋本 英文: 刃物雑学事典 図解・刃物のすべて(1986年 株式会社 講談社 ブルーバックス B-659)
    刃物という視点で多くの事例が取り上げられている。刃のある道具の理解にも役立つ。類書が少なく貴重な一冊。「すべり変形が切断の原理」という考え方で説明している。
  • 沼田 真   : 植物たちの生( 1972年 岩波新書(青版 833))
    「ご要望にお応えしてアンコール復刊(1988年岩波新書50年記念復刊) 地球生態系の中で自然を見直す」(腰巻きのフレーズ)。植物の知恵と戦略に人類は勝てるのか。
  • 出町 誠: 14_NHK趣味の園芸:よく分かる栽培12ヶ月  カキ(NHK出版2007年)
    初心者向け柿栽培参考書(新版)。旧版と比較すると楽しい。
  • 中村三夫: 13_NHK趣味の園芸:作業12ヶ月  カキ(NHK出版1996年)
    初心者向け柿栽培参考書(旧版)。新版と比較すると楽しい。
  • 山科正平: 12_細胞を読む   電子顕微鏡で見る生命の姿
    細胞はどんな部品からできているのか。そんな疑問に答えてくれる一冊。何事も形を見るのが第一歩。μからÅオーダーの世界で、細胞をメスで解剖するように、電子顕微鏡というメスで解剖して見せてくれるので興味が尽きない。
  • 柳田充弘: 11_細胞から生命が見える
    著者の専門は分子生物学、細胞生物学。普段生物を考えても細胞レベルで止まってしまう。その細胞の中で色々な分子が働いている。細胞こそ生命の基礎だが、その細胞の中の動きを知るのに最適な一冊。疑問の発端はなぜ発根剤が効くのかということ。薬剤が細胞膜を通過して細胞内で分子と分子が作用するイメージができた。本書でできた細胞のイメージは小さな無数の穴が空いた水分が充満したヨーヨーのようなもの。そのヨーヨーの中に分子部品が詰まっている。細胞自体もタライの中のヨーヨーのように浮かんでいる。細胞図面の空白部は真空でなく水分だ。細胞の内外に水がないと細胞は生きられない。水が生命のゆりかごだ!
  • 野口悠紀雄: 10_ホームページにオフィスを作る(2001年 光文社)
    ITが輝いた時代の作品。HPの活用法は参考になる。参考:url=http://www.noguchi.co.jp/(野口悠紀雄 ONLINE)
  • 小池洋男 編著: 09_果樹の接ぎ木・さし木・とり木(農文協:2007/3/31第1刷)
    やや専門的であるが、実務専門化が分担執筆しており、その場で役に立つ一冊。
  • ノーバート・ウィーナー(鎮目恭夫訳): 08_サイバネティックスはいかにして生まれたか(みすず書房1956)
    情報と通信という現代社会に不可欠の基礎的な学問を作った著者の自伝とそれを通した科学史
  • 沼田 真(編): 07_雑草の科学(研成社1979)
    雑草を多面的に解説し防除の基礎も述べる

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    POST IT :ブログ画面への張り紙に使える。
  • TYPE LIST事始め
    2010/8/4:MEMO等の表示に使える。 農作業で気になる自戒の言葉 ■畑の石ころはいつまで経ってもても石ころ(早く拾って片づけよという意味か)。 ■同じ石を二度拾うな(やってみると難しい)。 ■手ぶらで歩くな。 ■三つ先のことを読め。 ■適当な観察。 ■空を見よ(気分転換、休憩、天気を読む、腰曲がり防止)