ハトよ 鳴いておくれ:宮子公園(いせさきオートレース場近く)に立つ「題名の無い」記念碑は何を語る?;花粉症 ミニ変身の マスク顔。
2015年3月3日(火)
昨日は晴れ。最高気温(℃) 11.1 13:32。最低気温(℃) 4.1 23:59。ざっそう句;花粉症 ミニ変身の マスク顔。老人モードで配りモノ。すれ違う車にマスク顔が多くなった感じ。杉花粉に悩む同病者か。ハッサクの木と赤松の間が1m足らずしかない。ハッサクの苗をを植えた時は、問題無しと思った。ここ数年、樹高も高くなり、赤松と競合するようになった。今まで、ハッサクの実を余り食べなかったが、食べ始めると結構行ける。赤松は、手入れをする手間がかかるだけで実用性がない。最近ハッサクの株が急上昇した。そこで、今がチャンスと赤松を切ることにした。樹高2m程度で枝のない部分にノコを入れ、最後はロープで引き倒した。残った幹は根が腐るまで松。はっサックも芯抜きのため太枝を二本切った。実を収穫してから作業。次にナツミカンの収穫。例年では年末前後。皮を砂糖まぶしに使うので水分は気にしない。すでに、ポツリポツリと落果している。最後に白菜を収穫。麦の青さが目立ってきた。そろそろ菜園シーズンか。あちこち堆肥の山が見える。前作の堆肥は数年間は効いているとの事だ。夕焼けが綺麗だった。3.11の時は、一時マスクも売り切れて店頭から姿を消した。
2015年3月2日の天気(AMEDAS)
TAVE= | 7.5 | NO DATA |
TMAX= | 10.6 | 最高気温(℃) 11.1 13:32 |
TMIN= | 4.3 | 最低気温(℃) 4.1 23:59 |
DIFF= | 6.3 | |
WMAX= | 8.7 | 最大瞬間風速(m/s)(風向(16方位)) 15.1(西北西) 07:35 |
SUNS= | 11 | NO DATA |
RAIN= | 0 |
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ハトよ 鳴いておくれ:宮子公園(いせさきオートレース場近く)に立つ「題名の無い」記念碑は何を語る?
正月頃、メガソーラを捜しに、オートレース場近くを巡った。その時は、広瀬川の堤防が障害になって見つからなかった。近くに公園があったので、そこを散策した。立派な公園だったが、寒いためか人影はなかった。
公園入り口には、宮子公園と表示した門石が立っていた。その奥に大きな石碑が立っていた。その上部には、単に記念碑とだけ大きく彫られていた。後で読もうとデジカメに納めて帰った。
それを、読むとオートレース場の誘致が決まって、それに伴い周辺の土地区画整理事業を行った記念碑のようだ。一言で表現するなら、農地をオートレース場に転換する事業が主要事業だったのだろう。
先祖代々、大切に守ってきた農地をギャンブル用地として提供することに、どれだけの大義名分があるのかという、うしろめたさから、具体的な碑題を書けなかったのかと、この碑が語ろうとする事に考えを巡らせてみた。ギャンブルが市民の福祉向上とは、さすがレトリックに過ぎないものかも知れないが、いつまで歴史に耐えられるか。
GoogleMapのオートレース場周辺の航空写真を見ると、確かにその周辺は整然としており、区画整理が済んでいるようだ。その西方は、人家が密集して、道路も複雑に屈折している。その周辺は、土地区画整理事業の対象外だったのか。
WIKIPEDIA「伊勢崎オートレース場。(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BC%8A%E5%8B%A2%E5%B4%8E%E3%82%AA%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%AC%E3%83%BC%E3%82%B9%E5%A0%B4)」
上記の碑文によると、市当局の助成金は12億円余の巨額に達したとの事だ。また、上記WIKIPEDIAの記事によれば、「概要[編集]:1973年3月に廃止された大井オートレース場(1954年開設。大井競馬場の敷地北側に隣接)の代替地として設置され、1976年(昭和51年)10月8日に初開催された。このため、土地と施設は東京都競馬株式会社が所有しており、伊勢崎市が施設を賃借して開催を行っている。」との事だ。
画像処理後の碑文
目の前に立っている、「題名の無い」記念碑を見ると、どんな謎が潜んでいるのか興味をそそられるのだ。同時に、このような碑しか建てられない農民の苦渋にも、痛烈な哀切さを感じざるを得ない。