222_ツルよ 飛んでおくれ

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2013年10月10日 (木)

ツルよ 飛んでおくれ;半端道楽;写真俳句LING:最高の遊び(子供等よ 遊び疲れて 夢を見よ)

2013年10月10日(木)
昨日は晴れたり曇ったり。最高気温(℃) 29.5 12:58。最低気温(℃) 21.4 05:54。ざっそう句:頑張って まだ咲き終えぬ ムクゲかな。白菜とブロッコリー苗に灌水。下仁田ネギの除草と鶏糞液散布。ネギの葉が1~2枚枯れている。病気か。宅内閑居。朝方新聞記事を読んでメール送信。WINDOWS LIVE MAILしか使えないので苦しい。OUTLOOKは受信しかできない。ダウンしているXP2号機からメールデータを救出したいが手付かず。昨日は真夏日に近い暑さ。また体調が乱れそうだ。ムクゲの花はまだ頑張って咲いている。キンモクセイの花は散り始めている。木の下がだいだい色になっている。TPPは各国の足並みが乱れているようだ。関税は、国家間のアンバランスを調整する調整弁のような物。その調整弁を取っ払うという発想自体が国家概念と矛盾するのではないか。要するにTPPは、指導力のないリーダーがさも指導力がありそうに装うための隠れ蓑という表現がぴったりするように感じる。TPP交渉内容が秘密という事は各国は自国に都合の良い宣伝ができるのだからこれほど便利な外交ゲームはなさそうだ。その行く末はなんとなく予想がつくのではないか。米国大統領の尻に火がついたような状況で、それが他国にも飛び火しそうな雰囲気だ。不毛な外交交渉にうつつをぬかすより国内問題を優先すべき時ではないか。

2013年10月9日の天気(AMEDAS)

TAVE=

24.8

NO DATA

TMAX=

29.2

最高気温(℃) 29.5 12:58

TMIN=

21.6

最低気温(℃) 21.4 05:54

DIFF=

7.6

 

WMAX=

3.1

最大瞬間風速(m/s)(風向(16方位)) 5.5(北西) 22:12

SUNS=

5.7

NO DATA

RAIN=

0

NO DATA

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ツルよ 飛んでおくれ;半端道楽;写真俳句LING:最高の遊び(子供等よ 遊び疲れて 夢を見よ)

前橋の二子山古墳は道路の脇にあるので気軽に訪れる事ができる。何度か訪問したが、一番目に付くのがケヤキの大木である。古墳のふもとに説明板があり、じっくり読めば大いに勉強になる。二子山古墳は、一般名称として使われるようで、特定の古墳を現すためにはその頭に地名等を冠する場合が多いようだ。前橋の二子山古墳は、天川二子山古墳と呼ばれているようだ。WIKIPEDIA「二子山古墳。(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%8C%E5%AD%90%E5%B1%B1%E5%8F%A4%E5%A2%B3)」

今年の初夏に訪問した時、7~8名の子供達が古墳の中で遊んでいた。自転車を置いて、数人で集まったり、かくれんぼしたりと自由気ままに遊んでいるようであった。やはり、ケヤキの大木と古墳による地面の起伏がその遊びに変化を与えているようであった。天川二子山古墳は国の史跡に指定されているので、今後とも保存されてゆくだろう。子供達にとてっは数十年後の記憶再生の原点になるのではないか。

Iob_photo_hikuling_futagoyama_kofun

同古墳には、二等三角点も設置されている(標高107.54m)が、方向音痴にとって前方後円墳の向きと形状がはっきり分からなかった。説明板のデジカメ画像を見ると頭がクラクラ。WEB地図を見たが、古墳の形状がはっきり表示されていないようだ。そこで、『県統合型地理情報システム「マッピングぐんま」…群馬県のGIS情報』の文化財情報を見ると、形状と方角が良く把握できた(下図参照)。

この地図と、当日の画像を重ねると、大体の向きは、前方部が北西、後円部が南東のようだ。北西の方角に県庁が見え、その奥は榛名山のように見えた。平削された古墳の向きを含めると、古墳の向きには一定の法則性は無いようだ。とは言え、大きな古墳を作る作る場合は物理的な制約が生じるので、天川二子山古墳の方角が決まった理由は必ずあるに違いない。

Iob_futagoyamakofun_map_img_2013100

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CEEK.JPでKW「安倍首相   オバマ大統領 TPP」のニュース検索ケンサク結果ケッカ 検索ケンサク 2013/101/10
37 件の記事の 1 件目 ~ 37 件目   (重複5件は非表示です) 空白クウハク 空白クウハク
「年内妥結」諦めぬ米国   TPP首脳会合 (その他) 09 13:30 日本農業新聞
TPP首脳会合、当初目標の交渉「大筋合意」の表現見送りへ (政治) 08 13:30 フジテレビ
「岩盤規制を打ち破る」―安倍首相、APECで改革を前面に (経済) 08 10:22 WSJ
APEC首脳会議 自由貿易促進に向けた首脳宣言を採択し閉幕へ (政治) 08 06:23 フジテレビ
APEC首脳会議が開幕…存在感示す習主席   (経済) 07 23:03 読売新聞
安倍首相、APEC首脳会議に出席 TPP年内妥結へ積極姿勢を強調 (政治) 07 20:23 フジテレビ
APEC首脳会議 安倍首相、自由貿易促進による経済の... (政治) 07 18:42 フジテレビ
安倍首相、経済発展への貢献を表明へ   (政治) 07 13:22 日本テレビ
安倍首相、APEC首脳会議で自由貿易促進による経済再生訴えへ (政治) 07 11:52 フジテレビ
オバマ氏不在、どう響く…さあAPEC首脳会議   (経済) 07 11:13 読売新聞
安倍首相、APECで自由貿易促進による経済再生など訴える予定 (政治) 07 06:25 フジテレビ
【櫻井よしこ   美しき勁き国へ】信念に基づき行動を (政治) 07 03:38 産経新聞
TPP首脳会合で「年内の交渉妥結」確認へ   (経済) 07 03:30 日本テレビ
安倍首相、APECやTPPの会合出席のためインドネシア... (政治) 07 00:55 フジテレビ
【今週の展望】東京五輪決定はなかったものとして出直し   (経済) 06 20:11 EconomicNews
安倍首相   TPP首脳会合へ、年内妥結に向け意欲 (政治) 06 18:16 TBSテレビ
安倍首相、APECやTPPに関する一連の会議出席のため出発 (政治) 06 18:16 フジテレビ
TPP閣僚会合 首脳会合に向け最終調整   (国際) 06 12:32 日本テレビ
TPP交渉 オバマ大統領欠席も予定通り首脳会合開催の... (経済) 05 18:59 フジテレビ
TPP交渉左右せず…米大統領欠席、日本は冷静   (経済) 05 11:43 読売新聞
TPP閣僚会合2日目 年内妥結へ引き続き協力で一致 (経済) 04 21:35 フジテレビ
安倍首相は予定通り出席=TPP首脳会合-菅官房長官   (経済) 04 18:23 時事通信
中韓が首脳会談拒否、安倍首相の寂しいAPEC=... (中国・朝鮮) 02 01:20 レコードチャイナ
オバマ大統領が安倍首相の訪日要請を受け入れ...   (中国・朝鮮) 07 14:32 毎日中国経済
尖閣諸島について強硬な現状変更に米国は反対... (中国・朝鮮) 07 11:10 レコードチャイナ
日米首脳がG20で会談 米は釣魚島問題の協議に... (中国・朝鮮) 06 12:15 中国網
<G20>日米首脳が会談、釣魚島問題でオバマ... (中国・朝鮮) 06 12:01 毎日中国経済
ロシアで日米首脳会談   シリア情勢で連携、TPP... (中国・朝鮮) 06 11:32 毎日中国経済
日米首脳、対シリア緊密連携で一致   (政治) 06 01:28 読売新聞
TPPの年内妥結で一致、シリア情勢では連携=日米首脳会談 (経済) 06 00:30 ロイター
【中央時評】日本は韓国が最もよく知っている(1)   (中国・朝鮮) 04 09:41 中央日報
日米首脳が電話会談、シリア情勢で意見交換   (経済) 03 12:42 ロイター
37 件の記事の 1 件目 ~ 37 件目   (重複5件は非表示です) 空白クウハク 空白クウハク


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2013年9月20日 (金)

ツルよ 飛んでおくれ;会社生活断面記:太田記念病院

2013年9月20日(金) 昨日は晴れ。最高気温(℃) 28.7 14:59;最低気温(℃) 16.0 05:33。ざっそう句:夢現 本を読めども 暇潰し。宅内閑居。静養。町内行事は欠席。MS-IMMEにATOK風の設定があったのでそれに変更。ATOKになれた癖がいくらか役にたちそうだ。新聞のニュース記事等に変換ミスと思われる用語を見つける時がある。お愛嬌といえばそれまでだが、パソコンに頼りすぎるとじわじわと文章能力が低下しそうだ。その点、馬鹿な日本語変換ソフトを使っていると注意力が欠かせないので、馬鹿なほど結構とこじつけられない事もあるまい。現役時代、ワープロ専用機からパソコンに代わる頃、会社のオフィスソフトがマイクロソフトに統一された。ワードの表記ゆれチェック等のツールは役立った。HDDがクラシュして一番困ったのが学習させたATOK辞書を失った事。一時期は、日本語変換ソフトも数多くあったが生き残った物は少ない。気長に辞書登録を続けるのが日本語入力の極意かもしれない。ごろごろしながら本を読んだがさっぱり。この3日間の気温をグラフにしてみたが、綺麗な正弦波に似た曲線になった。気になったのが「夏風邪は馬鹿が引く」ということわざ。調べてみると、「夏風邪は馬鹿が引く(なつかぜはばかがひく) 1.愚鈍な者は、冬に引いた風邪を、夏になってから罹(かか)ったのだと気が付く。馬鹿はそれほど愚鈍であるということ。 類:●馬鹿は風邪を引かない ★「馬鹿は冬に引いた風邪を夏になって気が付く」から。 2.誤解から、一般に、夏風邪を引く者は愚か者であるということ。」と解説があった。

2013年9月19日の天気(AMEDAS)

TAVE= 22.2 NO DATA
TMAX= 28.3 最高気温(℃) 28.7 14:59 
TMIN= 16.5 最低気温(℃) 16.0 05:33 
DIFF= 11.8  
WMAX= 3.5 最大瞬間風速(m/s)(風向(16方位)) 7.3(南東)   15:01 
SUNS= 11.5 NO DATA
RAIN= 0 NO DATA

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ツルよ 飛んでおくれ;会社生活断面記:太田記念病院

先日、太田方面に出かけた。最近は太田も遠くなっていた。現役時代は、何かの機会に太田へ出かけた。今まで見かけない建物が目に入ったので近くに駐車して眺めた。屋上の看板から太田記念病院と分かった。

通称は、太田病院だったと思う。念のためWIKIPEDIAで調べると「富士重工業健康保険組合太田記念病院」が正式名称のようだ。「2012年 - 6月1日に群馬県太田市大島町455番1に移転して太田記念病院に名称変更する」とある。それ以前が、「富士重工業健康保険組合総合太田病院」が正式名称であり、略して「太田病院」と呼ばれていた分けだ。

「富士重工業健康保険組合太田記念病院。(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AF%8C%E5%A3%AB%E9%87%8D%E5%B7%A5%E6%A5%AD%E5%81%A5%E5%BA%B7%E4%BF%9D%E9%99%BA%E7%B5%84%E5%90%88%E5%A4%AA%E7%94%B0%E8%A8%98%E5%BF%B5%E7%97%85%E9%99%A2)」

お世話になったのが、太田病院併設の人間ドック施設であった。人間ドックの日は大手を振って有休が取得できたのがなによりの楽しみだった。人間ドックは半日で終わり、食事券が出るので、それで軽食を食べる。断食をしているので格別にうまく感じたものだ。その後は、書店や買い物などを楽しんで、早めに帰宅する。人間ドックも会社の制度なので、大体のルールがある。受ける時期が誕生日を基準にしているので、年齢を考える機会にもなった。

その人間ドックからも縁が切れたが、太田病院はどの辺に移転したのか気になっていた。近くに群馬県の太田合同庁舎があり、広大な田園地帯も開けている。また、合同庁舎東という交差点があり、交通も便利なようだ。太田市の産業を支えているのが富士重工。その富士重工と共に歩んできた太田記念病院には太田の中核病院としての風格を感じた。

「太田合同庁舎のご案内(http://www.pref.gunma.jp/07/n00110009.html)。」

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2013年8月24日 (土)

ツルよ 飛んでおくれ;老人の寝言:何度あっても良い事件と二度とあって欲しくない事件と

2013年8月24日(土)
昨日は曇り後雨。最高気温(℃) 27.6 00:09 。ざっそう句:朝冷えに しみじみ思う 夏の宴。朝方は定例の仕事。その後パラパラと雨が降り始めた。時々雷鳴もした不安定な天気。宅内閑居。パソコンデータの引っ越しがしやすいように主要ファイルを一個のUSBメモリーに集め始めた。古本拾い読み。昨日の上毛新聞新聞の一面は「育英全国制覇」と紙幅一杯の大きな見出し。記事にも想定外の大ニュースという雰囲気が漂う。記者連は頑張ったようだ。3ページにはイチローの4000本安打の大見出し。意外にも論説はイチロー関連だった。こちらが予定稿だったらしいが、何か中途半端な印象を受けた。やはり、論説も一面のトップ記事に連動して貰いたかった。ニュースと論説は新聞の両輪。報道機関として千載一遇のチャンスだったのではないか。実は密かに期待していたのは伊勢崎インターに隣接した上毛新聞印刷センターが記事の締め切り時間に滑り込みセーフで「発送する」特ダネ記事というホームランだった。

2013年8月23日の天気(AMEDAS)

TAVE= 25.1 NO DATA
TMAX= 27.3 最高気温(℃) 32.7 15:32
TMIN= 23.4 最低気温(℃) 24.9 02:19
DIFF= 3.9  
WMAX= 4 最大瞬間風速(m/s)(風向(16方位)) 7.8(東南東) 12:28
SUNS= 0 NO DATA
RAIN= 35 NO DATA

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ツルよ 飛んでおくれ;老人の寝言:何度あっても良い事件と二度とあって欲しくない事件と

「事件」という言葉には何かマイナスのイメージも感じるが、ことば本来の意味ではプラスとマイナスが中和して中性の出来事を表すのではないか。

自分にとって二度とあって欲しくない事件は福島第一原子力発電所の事故のような事だ。ただ、大きな事故と言え、人災の要因が皆無ならあきらめがつき、前向きな志向が生まれやすいのではないか。

NHKは、「福島第一原発 吉田昌郎元所長のお別れの会。http://www3.nhk.or.jp/news/html/20130823/k10013983141000.html。(8月23日 16時45分))」というタイトルで、「東京電力福島第一原子力発電所の事故で最前線で指揮を執り、先月亡くなった吉田昌郎元所長のお別れの会が東京都内で開かれました。 吉田元所長は3年前の6月に福島第一原発の所長に就任し、おととし3月11日の事故発生から現場のトップとして事故対応の指揮を執りましたが、先月9日、食道がんのため、58歳で亡くなりました。 23日、東京・港区で開かれたお別れの会には、東京電力の廣瀬直己社長など幹部のほか、安倍総理大臣や事故対応に当たった当時の政府関係者など1000人余りが出席しました。」と報じた。

福島原発事故に関しては、当時は箝口令が敷かれていたように感じ、ポロリポロリと少しずつ真実が明るみに出てきたと記憶している。そうして、吉田昌郎元所長は資産として膨大な価値を有する原子炉が二度と使えなくなる事と原子炉事故の影響を最小限に留める事を天秤にかけ、現場の総指揮官として後者を選び原子炉への海水注入を独断専行したと報じられた。

このような行動は、リアルタイムで命を懸けて行われて初めて意味を持つ。それこそ命がけの決断と行動であったと思う。

「読みかじりの記:帝王学 「貞観政要」の読み方 山本七平 著 (1983年 日本経済新聞社)(http://af06.kazelog.jp/itoshikimono/2011/07/1983-5736.html)。(2011/7/21)」

「体育の授業(http://af06.kazelog.jp/itoshikimono/2010/01/post-32a5.html)。(20010/1/7)」

最近歳をとったのか、かつて父が話した、佐藤幸徳中将の言葉の意味を考えた。当時、父のノモンハン従軍中の上官が佐藤幸徳少将だったとの事。父は、佐藤幸徳少将の使い走りのような任務だったらしい。戦場にも、緊張が一瞬ほどける時があったようだ。俺が、お前の希望する言葉を書いてやるから言ってみよと言われたので、父は「努力」と言ったとの事。それでは志が足らんと言われたか定かではないが、少将が揮毫してくれた言葉は、「日月照明」と「明大義正名分」という言葉であった。今思うと、この言葉の中に、佐藤幸徳少将が中将になっても守った志が秘められているように感じる。更に、この言葉は、軍人いつ死ぬかも分からぬ中で父に託した遺書のように感じる昨今である。

「老人の寝言/出番無きマニュアル:東京電力福島原発事故時に、事故時運転操作手順書は有効に機能したか(http://af06.kazelog.jp/itoshikimono/2011/11/post-47e3.html)。(2011/11/1
)」

組織の指揮官たるものは、先ず陣地を守り、緊急時の司令塔となるべき任務があるだろう。福島原発事故の時、東電の指揮官不在で初動体制が機能しなかっり、一国の指揮官が現場に駆けつけるという事態も起きた。今回、高校野球の優勝旗が群馬県にもたらされて、千載一遇の慶事だろうが、このプラスとマイナスを入れ替えた凶事も起こりうるのがこの世の常だ。上毛新聞によると、はやばやと県民栄誉賞云々が話題に上がっているようだ。かみさん曰く、未だ若いのにそんなプレッシャーを背負って生きるのは可哀想。
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左4の画像は群馬県ホームページから引用。

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2013年8月20日 (火)

ツルよ 飛んでおくれ;歴史の転換;田舎老人徒然草:藤岡の七興山古墳で見た光景

2013年8月20日(火)
昨日は晴れ。最高気温(℃) 36.9 13:55 。ざっそう句:パソコンの 調子が狂い 汗二倍。朝飯前仕事で、ゴボウ区画除草。オクラは二日連続で収穫したので収穫出来ず。オタマジャクシは容器にあぶくが見える状態なので、ベビーバスに移した。オタマジャクシが昨年のメダカの生まれ変わりのように感じてしまう。昨年のメダカと同じ容器で同じ餌を与えている。今まで主に使ってきたデジカメが故障したので、その予備機が現役に復帰した。試し撮りした画像をパソコンに取り込む途中でパソコンに異常が生じた。起動が極端に遅くなりついに強制終了を何回かしているうちに起動しなくなった。幸い予備のWIN7ノートPCがあるが、使い勝手が悪いし、常用ソフトも入っていない。最悪の事態。何とかマニュアルをダウンロードして、セーフモードをF8を押して起動。次ぎに正規モードで起動。不完全だが動作する。この状態で1日前のシステムに復元を行う。何とか復元した。原因を検討したが正確にはわからない。管理ツールのイベントビューワのシステム関係の内容をみるとディスク関係のエラーが多発している。どうも、画像データを取り込む途中でディスクが分からなくなったような感じだ。昨年の夏もトラブルが生じたが、まさか暑さが原因ではないと思うが。WIN7機で現用機の代用が出来るように環境を整えねばならないという課題がはっきりした。

2013年8月19日の天気(AMEDAS)

TAVE= 30.8 NO DATA
TMAX= 36.2 最高気温(℃) 36.9 13:55 
TMIN= 25.9 最低気温(℃) 25.8 05:08 
DIFF= 10.3  
WMAX= 4.4 最大瞬間風速(m/s)(風向(16方位)) 8.5(南南東) 17:37 
SUNS= 11.7 NO DATA
RAIN= 0 NO DATA

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ツルよ 飛んでおくれ;歴史の転換;田舎老人徒然草:藤岡の七興山古墳で見た光景

先月だったか、かみさんの発議で藤岡へブルーベリー狩りに出かけた。現地に着いたが、客はいなかった。係りの女性に聞くと、直前に多数の摘み取り客がきて取りすぎ、更に天気がすぐれず期待通り熟さず、熟果が少ないので閉園寸前だったとの事。そんな訳で、本日の摘み取りは無料でして下さいと言った。ご本人も、万一客が来たときの対応として出ているようだった。ヒマだろうから本でも読もうと本を持ってきたとの事。

そんな訳で、しばらくつみ取った物を食べてから、休憩場で雑談して帰った。飲み物まで頂いて恐縮した。聞くところによると、このブルーベリー園は元々は桑畑で、耕作放棄地のような荒れた状態だったらしい。そこを開墾して今日のブルーベリー園まで育てたので、よく頑張ったものだと思う。

一応、かみさんの義理は果たしたので、残り時間をどうしようかと思ったが、古墳巡りをすることにした。古墳をいくつか巡って、ララン藤岡で買い物をして帰る事にした。

「ツルよ 飛んでおくれ(愛しきもの 花と実):この木何の木古墳の木(http://af06.kazelog.jp/itoshikimono/2012/10/post-c6d8.html)。(2012年10月6日土曜日)」

七興山古墳は桜が綺麗との事だったが、夏だったので草木が茂る青山という雰囲気だった。青山とは「人間至る所青山有り」と骨を埋める墓地の譬えでもある。

七興山古墳を見るのは二回目。打ち壊された五百羅漢像が古墳の中腹にある。その一部はコンクリートで復元されているのもあった。かみさんは登るだけで疲れかけているようすで何も話さない。ぐるりと一回りして、次ぎに古墳の埋納施設である石棺が展示してある宗永寺の境内を歩いた。

調べてみるとその寺は、曹洞宗の七興山宗永寺という寺であった。直心保育園という門標がデジカメに残っていた。かみさんはその庭に栴檀の木が植えてあるのに興味を示した。境内を歩くと、おやと破壊された跡が残る六地蔵の姿が目に入った。

首が無く、首の代わりに石を乗せているもある。これを見てようやく、七興山古墳の破壊された五百羅漢像との関係が見えてきたように感じた。あの五百羅漢像とこの六地蔵にも同じ破壊力が加わったのではないかと想像した。

七興山古墳の羅漢像や仏像、宗永寺の六地蔵に何の説明板も無いのだが、無言の内に何かを語っているかのように感じた。WEB上にも断片的な情報はあるが、明治時代初期の廃仏毀釈の熾烈さを伝えているようだ。

WIKIPEDIA「廃仏毀釈。(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BB%83%E4%BB%8F%E6%AF%80%E9%87%88)」

直心保育園のホームページ(http://jikisin.jimdo.com/)によると、農繁期に子供を預ける無認可保育所として発足したとの事だ。同保育園のページに岡本太郎が七興山の五百羅漢像を訪問した時の写真が掲載されている(直心保育園:園の特徴(こどものためのステンドグラス)へのリンク)。

宗永寺の六地蔵は何も語らないが、七興山と関係付けると歴史が姿を現してくるように感じる。子供達もいつかその六地蔵から何かを学ぶことになるのではないか。

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左:1~4宗永寺DSC;5~7七興山DSC。

IOB=IMAGES ON Beloved Ones

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2013年8月10日 (土)

ツルよ 飛んでおくれ;老人の寝言:前橋市役所はどこにある?

2013年8月10日(土)
昨日は晴れ。最高気温(℃) 37.9 14:20。ざっそう句:噴く汗や 安吾の肩に 濡れタオル。朝方は定例の仕事。その後圃場観察。しばらく見ていない間にオクラが大きくなっていた。ヤブガラシの茎にイモムシがいた。軒下の気温は40℃近く。お玉杓子にメダカの餌を与えて退散。宅内閑居。室温もグングン上がりデスクトップXP機から撤退。WIN7ノートPCを連れて涼しそうな場所を探す。昨年以来ほとんど使っていないので操作に慣れていない。UP-DATEとか危険にさらされているとかお節介のメッセージが続出。暑さ+イライラで処置無し。来年XPのサポートが終了するのでその対応も必要だが。夕方浄化槽ブロワを新品に交換。高さが合わず踏み石ブロックで調整。雨除けは前の物を加工して流用。何とか稼働を開始。夕食後子供屋台応援。予定時刻を延長して最後の仕上げ。天気予報は今日も猛暑日の予想。

2013年8月9日の天気(AMEDAS)

TAVE= 31.7 NO DATA
TMAX= 37.6 最高気温(℃) 37.9 14:20
TMIN= 26.2 最低気温(℃) 26.1 05:59
DIFF= 11.4  
WMAX= 3.3 最大瞬間風速(m/s)(風向(16方位)) 7.7(東南東) 16:39
SUNS= 10.6 NO DATA
RAIN= 0 NO DATA

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ツルよ 飛んでおくれ;老人の寝言:前橋市役所はどこにある?

「前橋市役所はどこにある?」つったて、県庁の前ダンベーよ。ともかく、前橋市役所は、知る人ぞ知る、又は用事のある人のみ行く場所のようだ。こちらは、イナカッペーなので、県庁に行くと先ず展望台に登り、足下を見下ろして溜飲を下げるのだ。

出かけたついでに、前橋市役所に寄ろうとするが、展望台から降りるとそんな事は忘れて寄らずに帰ってしまう。先日、用事が済んでもまだ、前橋市役所が頭の隅に残っていた。運が良かったのだろう。初めて前橋市役所を訪問した。近くのコンビニで飲料を確保して前橋市役所の構内に足を踏み入れた。

道路沿いに高い樹木があるので、それが目隠しになり、歩行者や自動車運転手には前橋市役所の全貌が見えにくいのだ。地理的には県庁に隣接しているが、存在感をほとんど感じない不思議な役所だ。群馬会館や裁判所の方がよっぽど存在感を感じさせる。

前橋市役所も本庁と市議会議事堂という構成は県庁と同じなのだが、なんとその間をつなぐ回廊も同じ様なのには苦笑してしてしまった。どっちがどっちなのか。新発見は市議会議事堂の玄関脇にある異形なオブジェだった。何か説明を探したが手がかりはなかった。勝手に想像せよと言うことか。空っ風に耐える現代忍者像としておこう。庁舎前には、三人きょうだいのブロンズ像があた。この像を見ると少し心が安らいだ。県庁という巨人の前に何となくかすんで見える市役所であるが、お役人や市民の意識はどうなのだろう。門外漢だが、もっと存在感をアピールした方が市民や県民のためになるのではないか。
Iob_maebasisiyakusyo_kairou_6pix_s
右1のみ県庁DSC。

IOB=IMAGES ON Beloved Ones

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2013年8月 8日 (木)

ツルよ 飛んでおくれ;日々農天気;環境雑録:休耕田活用の蓮園 前橋西大室町

2013年8月78日(木)
昨日は晴れ。最高気温(℃) 35.6 14:46。ざっそう句:立秋が 猛暑日となる アホらしさ。朝方は定例の仕事。その後P区画除草。天気予報通り気温はグングン上がり猛暑日となる。宅内閑居。夕食後子供屋台応援。祭りまであと2日。気合いが入ってきた。

201387日の天気(AMEDAS

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ツルよ 飛んでおくれ;日々農天気;環境雑録:休耕田活用の蓮園 前橋西大室町

先日、大正用水草刈りの帰路、蓮の花が咲いている田圃に寄った。以前から気になっていたが、通り過ぎていた。立てられていた看板を見て、休耕田を活用した景観形成、水質保全のための蓮園だと分かった。

当日見ると、蓮園の周辺は綺麗に草が刈ってあった。立ち止まって見ていたのは自分一人。とりあえず、デジカメに収めた。SDカードを別の物に交換したので破損した画像はなかった。

蓮は、汚れた水に育っても、清浄な花を咲かせるのでその特性が讃えられている。既に花が咲いて実を付けている物もあった。蕾もあり、開花途中の物もある。蓮の花を接写して改めて、お盆の蓮の造花を思い出した。こちらは、キンキラキンで余り有り難さを感じないが、昔はこのような造花でも仏壇に飾って、祖先を供養する気持ちを表したのではないかと思う。その裏に、蓮の性状が秘められている。

開花中の花托上の実を付ける部分の数は受精後の数より多いようだ。受粉しない部分は新しく出来た実にそのスペースを譲るのか。勝手な想像だが、人は花のどこを見るのだろうか。どうしても、綺麗な花弁を最初に見てしまうのだが、それは植物の深遠なる作戦ではないか。この、蓮園を管理している人々の顔や気持ちは見えないが、多分蓮になった気分ではないか。この一服の安らぎにに感謝。
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TAVE= 29.0 NO DATA
TMAX= 35.2 最高気温(℃) 35.6 14:46 
TMIN= 23.6 最低気温(℃) 23.5 05:45 
DIFF= 11.6  
WMAX= 4.6 最大瞬間風速(m/s)(風向(16方位)) 8.9(東) 19:10 
SUNS= 12.1 NO DATA
RAIN= 0.5 NO DATA

2013年8月 7日 (水)

ツルよ 飛んでおくれ;日々農天気;老人の寝言:大正用水の草刈り

2013年8月7日(水)
昨日は曇り時々晴れ。最高気温(℃) 30.9 16:25。ざっそう句:笛太鼓 鉦も響かす ビール缶。宅内閑居。夕食後子供屋台応援。手に持った飲みかけのビール缶が共鳴してビンビン響く。練習が終わって帰宅して程なく降雨。昨日は、広島の原爆の日だったが、日本政府の腰の引けた姿勢が気にかかる。核兵器と原発は科学的には同じ原理で機能するのだ。日本は常に原点を見直し原点に立ち返り、核兵器のみならず脱原発も国是とすべきではないか。昨日は広島で平和記念式典が行われ、安倍首相の式辞がTVで流れたが、何となく空虚に響いた。

2013年8月6日の天気(AMEDAS)

TAVE= 26.8 NO DATA
TMAX= 29.9 最高気温(℃) 30.0 16:53
TMIN= 24.5 最低気温(℃) 24.4 23:31
DIFF= 5.4  
WMAX= 6.7 最大瞬間風速(m/s)(風向(16方位)) 15.6(北) 20:53
SUNS= 0.9 NO DATA
RAIN= 26.5 NO DATA

Q
Q

山陽新聞社説は、「[社説]原爆の日 核廃絶へ重い日本の責務。http://www.sanyo.oni.co.jp/news_s/news/d/2013080608500740/。(2013/8/6 8:50)」」というタイトルで、「広島はきょう「原爆の日」を迎えた。たった一発の核兵器が罪のない命と街を焼き尽くしたあの日から68年がたつ。人類史上初めて使われた「悪魔の兵器」により、いまなお多くの人々が放射能被害に苦しみ続けている。 核兵器の廃絶は、世界が協力して実現を目指すべき極めて重要な課題である。だが、核廃絶に向けた世界の歩みは遅々としている。唯一の被爆国である日本も、政府の後ろ向きの姿勢が国際社会から失望を買っている。 ジュネーブで4月に開かれた核拡散防止条約(NPT)再検討会議の準備委員会で、日本政府は「核兵器の人道的影響に関する共同声明」に賛同しなかった。~中略~日本は広島、長崎そして福島と、核兵器や原子力による深刻な被害にさらされてきた。原爆から66年後に体験した「フクシマ」の教訓も踏まえ、核兵器廃絶の先頭に立つのは当然の責務である。しかし、その機運は高まっているだろうか。 核に真正面から向き合い、体験を風化させずに「核兵器のない世界」の実現を目指す。わが国はそのことを肝に銘じ、国際社会をリードしていくべきである。」と報じた。

日本は核兵器による唯一の被爆国だけではなく、原発事故による世界有数の放射能被曝国でもあるのだ。戦争による被爆は国家間の関係に起因するが、原発事故による放射能被曝・放射性物質の拡散は国内同胞間の問題であり、加害者・被害者間の紛争、同胞間のいがみあいを生み、その深刻さは核兵器による被爆と紙一重否、それ以上の深刻さをもたらすのではないか。核兵器を持たない日本はそれによる加害者に物理的になり得ないが、原発事故が起こる要因は無数にあると言っても過言ではなかろう。

Q
Q

ツルよ 飛んでおくれ;日々農天気;老人の寝言:大正用水の草刈り

先日は大正用水の草刈り。農事役員が現地6時集合と連絡して回った。近所のおばさんから話がなかったので今回は一人で出かけた。途中で方向を間違い行き止まりの道に入り込む。こんなことを繰り返して現地到着は集合時間直前。既に作業は始まっていた。

刈払機の音がけたたましい。この機械を振り回していると確かに仕事は進むし、やった気になる。損料・技術料もスズメの涙程度に出る。自分は、鎌、鋸、センテイバサミ等々が入った袋をぶら下げて参戦。刈払機を使わない仕事は、女性や老人向きと見られてしまう。

この毎年一回の草刈りでは、作業性改善のため、大正用水土地改良区は用水の通水を遮断する。今年は、水が少ないのか三面コンクリートの底にほとんど水がない。水路で一番大切なのは、この三面なのだ。ここでは、刈払機が役立たない。コンクリートの裂け目に生えた雑草・雑木を駆除することが水路の維持管理で一番重要である筈なのだが。

フェンス内のコンクリートの無い斜面には作業省力化のため、2~3年前にグランドカバー植物が植栽され、今年はプラスティックのマルチ材を覆う程度まで育っているので、かなり雑草の延びは抑圧されている。当局は、この部分の除草をしっかりやるべしと指令しているようだが、どこまで徹底しているのか。

ともかく、刈払機を使わない老人婦人部隊は、率先して堤防斜面の除草をしなければならない。今後は高齢化でフェンス外で作業せざるを得ない人が増える筈だ。フェンス内作業では、万一、高さ2~3mから滑って水のない水路のコンクリート底面まで転落すると大事故になる。保険は掛けてあるとの事だが、怖い作業だ。

この植栽斜面には、既にクワ、クサギ、ヤブガラシ等々放置すると、金をかけて施工したグランドカバーを傷める役者が出揃っている。これらの雑草・雑木は地際で切っただけでは枯れず、根は年々手強くなって行く。これを根から抜くのは大変だ。水路を背中にして作業をしていた女性には転落しないよう注意をした。手強い根っ子も抜けるときは一瞬である。何回も尻餅をついている。ところが、この斜面では尻餅をついたら転落。平らな地面での尻餅ではないのだ。

タオルを忘れ、シャツの袖で汗を拭う。休憩でペット茶一本。再開後は、水路底面に降りて流木を引き上げた。太くて長い物もある。約1.5Hで地区担当部分の作業が終了。スポーツドリンクペットボトル大一本を貰って解散。今年は、ハチ刺され事故も無く無事だったようだ。

年一回のノルマで行く地域なので勝手が分からない。道に迷ったので、駐車場所が例年と異なる。丁度、地区担当部分の南側に沼があるのだが、樹木と雑草でほとんど見えない。一度見たいと思っていた。今年は、グォー、グォーとウシガエルが鳴いていたので一層興味をそそる。これ幸いと、沼への道を探し沼の近くに駐車。看板があり、沼の管理は大正用水土地改良区のようだ。WEB地図で調べると乾谷沼と知る。

「折々の散歩道;西大室周辺の道(http://gunma-cgc.or.jp/column/201107.htm)」

ここに、昭和46年に建立されたらしい大きな「乾谷養魚創業貳拾周年記念」という碑があった。終戦の数年後に創業しようやくその20年後に事業が安定したのを記念して建立されたようだ。ここにも、食糧難の歴史が刻まれている。大正用水も戦前の食糧難が建設の大きな要因となっている。学徒動員として、大正用水の工事に動員された人の話を聞いたが、その人達も既に80才前後の年齢だろう。今後、大正用水を維持管理して行く世代の負担が気になる。

WEB情報では、「乾谷」に関して「乾谷=沼」の読み方には、「いぬいやつ=ぬま」、「 いぬや=ぬま」があった。また、沼との関係は不明だが「 いぬいだに」もあった。どれが正しいのか分からない。地形的には、もともと赤城山の流山の先端に出来た谷があり、その谷をため池に改造したたようだ。国土地理院の地図を見ると沼の北側で大正用水がクランク状に流れ、それと平行になるよう沼が位置しているように見える。

乾谷沼を見学して、例年より帰宅が遅れるので自宅に連絡しようとした。携帯は不調で持ってこなかったので、テレカが使える公衆電話を探しながら家に向かったが結局公衆電話がありそうな場所はなかった。
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2013年7月11日 (木)

ツルよ 飛んでおくれ(環境雑録;愛しきもの 生き物):これは瑞兆か?高山神社拝殿の石段に白ヘビ?が登っていた!

2013年7月11日(木)
昨日は晴れ夕方雷雨。最高気温(℃) 37.6 14:44。最低気温(℃) 25.8 03:11。ざっそう句:雷来去 万物万事 活き返る。朝飯前。コンビニコピー(CC)。P区画除草等。依頼物件処理。立ち話で、先日のWEB情報確認できたと聞く。小さな親切大きなお世話の類の話かもしれない。お互いお役所仕事を嘆く。用事外出。いくつか溜まっている用事と買い物。ついでにタウンウォッチング。ゴロゴロと雷鳴がするので帰宅。帰路やや激しい雷雨に合ってしまった。来客あり雑談。真夏日で熱帯夜(夜間の最低気温が25度以上)だった。かなり降ったと思ったがAMEDASのデータでは4㎜だ。

2013年7月10日の天気(AMEDAS)

TAVE= 29.9 NO DATA
TMAX= 36.4 最高気温(℃) 37.6 14:44 
TMIN= 25.9 最低気温(℃) 25.8 03:11 
DIFF= 10.5  
WMAX= 3.6 最大瞬間風速(m/s)(風向(16方位)) 8.6(北北西) 19:12 
SUNS= 9.3 NO DATA
RAIN= 4 NO DATA

Q
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ツルよ 飛んでおくれ(環境雑録;愛しきもの 生き物):これは瑞兆か?高山神社拝殿の石段に白ヘビ?が登っていた!

WIKIPEDIA「高山彦九郎。(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AB%98%E5%B1%B1%E5%BD%A6%E4%B9%9D%E9%83%8E)」によれば、「高山 彦九郎(たかやま ひこくろう、延享4年5月8日(1747年6月15日) - 寛政5年6月28日(1793年8月4日))は、江戸時代後期の尊皇思想家である。父は高山良左衛門正教、母はしげ。兄は高山正晴。妻はしも後にさき。子に高山義介ほか娘など。林子平・蒲生君平と共に、「寛政の三奇人」の1人。名は正之。」。

一口に高山彦九郎の事を記述するとWIKIPEDIAのように「尊皇思想家」と捉える事も可能かも知れないが、規定の仕方は人それぞれ、時代と共に変わっても、それでも良いのではと思う。人間、人に利用されもするが、利用もする。そういう関係をみると、どろどろしたものを感じる。自分も高山彦九郎の記事を幾つか書いた(0011_高山彦九郎 歌と生涯(目次):http://af06.kazelog.jp/itoshikimono/0011_TAKAYAMA_HIKOKUROU.html)が、地域の異才として、見捨てるには余りにも勿体ないのではないかと思う。

先日、上毛新聞に高山彦九郎の墓前祭が行われたという記事が出た。WEB上で関連記事を探すと、hik*ku*o200*氏のブログに、「高山彦九郎のささやかな墓前祭を行いました。(http://blogs.yahoo.co.jp/hikokuro2000/6144198.html))」というタイトルで、「平成24年6月28日(木)に、群馬県太田市細谷町の高山彦九郎遺髪塚に於いて、ささやかな墓前祭を執り行いました。高山彦九郎研究会の正田会長はじめ、親族代表や高山彦九郎研究会の方々で行いました。 高山彦九郎の没した日は、6月27日と伝えられているものが多いようですが、実際に没した日は、6月28日でした。それを反映するように、遺髪塚(国史跡)の左側の碑文を読みますと、6月28日となっています。」と報じられていた。

改めて、WIKIPEDIAの記事を見ると6月28日が高山彦九郎の命日であった。今では、高山彦九郎を偲ぶ人も少ないのだろうとやや寂しい思いがした。偶然であるが、当日外出の帰りに、太田の高山神社へ2回目の訪問をした。訪問者は自分一人だけ。小学生か幼稚園生位の子供が階段の中程まで登ってまた消えてしまった。

ここまで来たのだからと、デジカメで色々な角度から社殿の撮影をした。その後、気持ちだけの賽銭をあげて、ドラを鳴らし、神式で礼拝。それから、石段を降りてまた周囲を見回した。その時、石段の下部に1m以上もありそうなヘビがねそべっていて、人気を感じたのか石段を登りだした。しばらく、カメラをかかえてその様子を見続けた。今から考えると、マクロ撮影をしておけば良かったと思うがそのゆとりはなかった。

群馬県にも、数種類のヘビが棲息しているようだが、消去法で名前を推定すると、シマヘビのように思えた。白ヘビとは牽強付会に違いないが。自分の幼少時代、酒にヘビを入れた一升ビンが台所の隅にあった。当時は、何かの薬用として使われたようだが、家族が使ったのは一度も見たことがない。家族も、気味悪く思っていたようだ。既に、そのころから、昔の民間薬は市販の薬に代わっていったようだ。その、一升瓶もいつしか見あたらなくなった。ともかくシマヘビは、昔はヘビの仲間では有用で、嫌われ者ではなかったようだ。

歌人の須永義夫氏の「高山彦九郎 歌と生涯」を読むと、高山彦九郎は緑亀を見付け、瑞兆として天皇に献上したような事を書いていたと思う。思うに、これは天皇に近づく一つの儀式のようなものに思えた。瑞兆が欲しいのは、現実が手詰まりしている事の反映とも推定できる。見方によれば、自分の売り込みにも通じる。

ヘビに出会った気持ちも収まりもう一度、拝殿の後方の本殿を見るとこちらも立派な鰹木が見えた。拝殿の鰹木の先端は十字のような印章が記されている。これも一つの謎なのだが、鰹木の先端に十字マークとは、何か意味があるのだろうか。一体、これは異教の十字架と関係があるのかと一瞬気になった。

高山彦九郎の命日に、高山神社拝殿の石段に、シロヘビならぬシマヘビが登るのも、見方によれば瑞兆かもしれない。幸いな事に、それを瑞兆と騒ぐ者もおらず、高山神社周辺は静謐さが溢れていた。

時は変わり、平成中期たる現在、円安、株価上昇という瑞兆が現れたと狂喜する人も多い。そのような瑞兆は勿論、手で捕まえて見せるわけには行かない。これは、瑞兆だと予言らしく宣われても平民は何もできない。そういう意味では、高山神社のシマヘビは、瑞兆に違いないのではないか。高山彦九郎の命日に、高山神社拝殿の石段を必死に登るシマヘビはまさに高山彦九郎のお使いのように見えるのだ。

Ioi_takayamajinjya_hebi_ema_katuogi
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追記(2013/7/11):
改めて上記「hik*ku*o200*氏のブログ」の日付を見ると昨年の記事であった。今年も昨年と同様に墓前祭が行われたのだろう。念のためKW「高山彦九郎 墓前祭」でGoogle検索すると久留米でも墓前祭が行われていたようだ。

読売新聞は、「高山彦九郎の遺徳しのぶ、久留米で墓前祭。http://kyushu.yomiuri.co.jp/local/fukuoka/20130628-OYS1T00319.htm(2013年6月28日))」というタイトルで、「江戸時代中期の尊皇思想家で、久留米市で生涯を閉じた高山彦九郎(1747~93年)の墓前祭「仲縄忌(ちゅうじょうき)」が命日の27日、墓がある同市寺町の遍照院で行われた。約50人が参列し、遺徳をしのんだ。 高山は、上野国新田郡細谷村(現・群馬県太田市)の農家に生まれ、少年期に「太平記」を読み、尊皇思想に傾倒。朝廷による文治政治を説いて全国を行脚し、幕末の志士にも大きな影響を与えた。 幕府からは反体制思想家として迫害を受けた。江戸で知り合い、身を寄せた東櫛原村(現・久留米市東櫛原町)の森嘉膳(かぜん)宅で、「朽ちはてて身は土となり墓なくも心は国を守らんものを」との辞世の句を詠み、47歳で自刃した。 墓前祭は、市などでつくる顕彰会が主催。献茶や詩吟の奉納があり、読経の中、参列者らが墓前で手を合わせた。」と報じた。

高山彦九郎が憤死した久留米でも墓前祭が行われているのを知って改めて高山彦九郎の志が関係者に引き継がれているように感じる。今年が高山彦九郎没後220年になるようだ。


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2013年6月25日 (火)

読みかじりの記(ツルよ 飛んでおくれ):青空文庫で萩原朔太郎「氷島」を読む。20130625。

2013年6月25日(火)
昨日は曇り時々晴れ。最高気温(℃) 28.9 15:12。ざっそう句:青葉には 青い衣の 子カマキリ。ミカン苗区画除草。自働蒔きダイコン区画の除草。買い置きのポーチュラカを改植。昨年、自家採種したダイコンの莢から種子を抽出。夕方頃にわか雨がパラパラと降る。自家採種ダイコンの種を播いて終了。

2013624日の天気(AMEDAS

TAVE= 23.4 NO DATA
TMAX= 28.5 最高気温(℃) 28.9 15:12
TMIN= 20 最低気温(℃) 19.6 01:37
DIFF= 8.5  
WMAX= 3.4 最大瞬間風速(m/s)(風向(16方位)) 7.6(東南東) 14:47
SUNS= 4 NO DATA
RAIN= 0 NO DATA


読みかじりの記(ツルよ 飛んでおくれ):青空文庫で萩原朔太郎「氷島」を読む

萩原朔太郎は昭和九年二月と記された自序の末尾に、「因に、集中の「郷土望景詩」五篇は、中「監獄裏の林」の一篇を除く外、すべて既刊の集に發表した舊作である。此所にそれを再録したのは、詩のスタイルを同一にし、且つ内容に於ても、本書の詩篇と一脈の通ずる精神があるからである。換言すればこの詩集は、或る意味に於て「郷土望景詩」の續篇であるかも知れない。著者は東京に住んで居ながら、故郷上州の平野の空を、いつも心の上に感じ、烈しく詩情を敍べるのである。それ故にこそ、すべての詩篇は「朗吟」であり、朗吟の情感で歌はれて居る。讀者は聲に出して讀むべきであり、決して默讀すべきではない。これは「歌ふための詩(うた)」なのである。」と述べている。

そうして、自序の冒頭には、「近代の抒情詩、概ね皆感覺に偏重し、イマヂズムに走り、或は理智の意匠的構成に耽つて、詩的情熱の單一な原質的表現を忘れて居る。却つてこの種の詩は、今日の批判で素朴的なものに考へられ、詩の原始形態の部に範疇づけられて居る。しかしながら思ふに、多彩の極致は單色であり、複雜の極致は素朴であり、そしてあらゆる進化した技巧の極致は、無技巧の自然的單一に歸するのである。藝術としての詩が、すべての歴史的發展の最後に於て、究極するところのイデアは、所詮ポエヂイの最も單純なる原質的實體、即ち詩的情熱の素朴純粹なる詠嘆に存するのである。(この意味に於て、著者は日本の和歌や俳句を、近代詩のイデアする未來的形態だと考へて居る。)
 かうした理窟はとにかく、この詩集に收めた少數の詩は、すくなくとも著者にとつては、純粹にパッショネートな詠嘆詩であり、詩的情熱の最も純一の興奮だけを、素朴直截に表出した。換言すれば著者は、すべての藝術的意圖と藝術的野心を廢棄し、單に「心のまま」に、自然の感動に任せて書いたのである。したがつて著者は、決して自ら、この詩集の價値を世に問はうと思つて居ない。この詩集の正しい批判は、おそらく藝術品であるよりも、著者の實生活の記録であり、切實に書かれた心の日記であるのだらう。」と記している。

さらに、「讀者よろしく、卷尾の小解と參照して讀まれたい。」とも述べている。いわば、文学という技巧をかなぐり捨てて、自分の素直な心情記録・日記として「氷島」を出したのだと宣言している。そうして、読んでみたいと思って検索したキーワードは「忠治」だった。「國定忠治の墓」の墓がヒットした。Googleの検索式:<「忠治」 site:http://www.aozora.gr.jp/cards/000067/>で二件ヒットした。

「國定忠治の墓」こそ、自分が探した目標だったので、やった!という感じだ。なぜ忠治なのか。先日書いた、「残照雑記:「国定忠治終世の地大戸見学日程」の思い出」(

残照雑記:「国定忠治終世の地大戸見学日程」の思い出(1)=大久保一家の墓地

)とも通じるが、「国定忠治」も、すでに、原像が放つ白色光は消失し、それを見たり・読んだり・感じたりした結果として、スペクトルに分解された光しか見ることができないのだ。

萩原朔太郎は本書で、「しかしながら思ふに、多彩の極致は單色であり、複雜の極致は素朴であり、そしてあらゆる進化した技巧の極致は、無技巧の自然的單一に歸するのである。」と述べている。この「國定忠治の墓」の背景には、萩原朔太郎の世界が見えるのではないか。

この詩の小解を先ず引用する。
「 國定忠治の墓  昭和五年の冬、父の病を看護して故郷にあり。人事みな落魄して、心烈しき飢餓に耐へず。ひそかに家を脱して自轉車に乘り、烈風の砂礫を突いて國定村に至る。忠治の墓は、荒寥たる寒村の路傍にあり。一塊の土塚、暗き竹藪の影にふるへて、冬の日の天日暗く、無頼の悲しき生涯を忍ぶに耐へたり。我れ此所を低徊して、始めて更らに上州の蕭殺たる自然を知れり。路傍に倨して詩を作る。」

この数行を読むと、「國定忠治の墓」ができた背景が真に迫ってくる。WIKIPEDIA「萩原朔太郎。(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%90%A9%E5%8E%9F%E6%9C%94%E5%A4%AA%E9%83%8E)」によれば、「萩原 朔太郎(はぎわら さくたろう、1886年(明治19年)11月1日 - 1942年(昭和17年)5月11日)は、日本の詩人。大正時代に近代詩の新しい地平を拓き「日本近代詩の父」と称される。1942年5月11日(満55歳没)」。この詩を作った時、41才になろうか。上記検索式でKW=「父」をGoogle検索すると「約 126 件」と出た。この件数は青空文庫の萩原朔太郎の項では上位に属する。父の存在が萩原朔太郎に与えている影響を反映していると考えられる。

ともかく、人間関係も、季節も、生活も厳しく絶望の淵にある時の作品だ。国定忠治の墓が、こんな萩原朔太郎を招いたのだろうか。ともかく、この作品を作ることにより、萩原朔太郎は危機を脱したかに感じたのである。

國定忠治の墓

わがこの村に來りし時
上州の蠶すでに終りて
農家みな冬の閾(しきみ)を閉したり。

「いき【×閾】:刺激の強さを連続的に変化させたときの、生体に反応をひき起こすか起こさないかの限界。生理学・心理学の用語。」「閾(しきみ)」:門戸の境界とする横木。
「蠶」:かいこ

太陽は埃(ほこり)に暗く
悽而(せいじ)たる竹藪の影
人生の貧しき慘苦を感ずるなり。

COM:
埃:ほこり
国定村は畑作地帯:空っ風で砂埃が飛び太陽がかすんだ?

見よ 此處に無用の石
路傍の笹の風に吹かれて
無頼(ぶらい)の眠りたる墓は立てり。

COM:
無用の石=無頼(ぶらい)の眠りたる墓?

ああ我れ故郷に低徊して
此所に思へることは寂しきかな。

久遠に輪廻*を斷絶するも
ああかの荒寥たる平野の中
日月我れを投げうつて去り
意志するものを亡び盡せり。

COM:
「久遠に輪廻*を斷絶するも」:意味難解。
「久遠に輪を斷絶するも」⇒「意志するものを亡び盡せり」と続く?
輪廻*≒本文では「廻」の旧字?使用。

?自分を含め、忠治も生きとし生けるモノだが、
永久にグルグルと転生極まりない運命を断ち切って
意志する人間と生まれてきても、日月(自然の摂理)は
自分を投げ捨てて去り、
自分(も忠治も生きとし生けるモノ)を
全て滅ぼしてしまう。?

いかんぞ殘生を新たにするも
冬の蕭條たる墓石の下に
汝はその認識をも無用とせむ。

「汝はその認識をも無用とせむ」:難解。
「殘生を新たにする」:輪廻転生で生まれ変わる?
「汝」=「国定忠治」?
「汝」と「我」という対比で、萩原朔太郎は国定忠治と
対話をしているようだ。
既に、国定忠治の墓は上州の荒寥たる自然の中に
投げ出されている路傍の石に過ぎないが。

――上州國定村にて――

上州國定村はその後、合併で佐波郡東村となり、佐波郡東村は平成の大合併で更に伊勢崎市となっている。青空文庫では「国」の旧字体「國」を使っている。萩原朔太郎は国定忠治の墓を訪問し、自分の人生と国定忠治の人生を重ねてみて、自分を相対化しているようだ。国定忠治の人生は、その生き様を通して、色々なメッセージを発信しているようだ。それを、うまく受信できない人もいるだろう。見方によれば、萩原朔太郎は国定忠治の墓を訪問し、生きる意欲を取り戻しているのではないか。

**********************************
萩原朔太郎に従って音読してみよう。

國定忠治の墓

わがこの村に來りし時
上州の蠶すでに終りて
農家みな冬の閾(しきみ)を閉したり。
太陽は埃に暗く
悽而(せいじ)たる竹藪の影
人生の貧しき慘苦を感ずるなり。
見よ 此處に無用の石
路傍の笹の風に吹かれて
無頼(ぶらい)の眠りたる墓は立てり。
ああ我れ故郷に低徊して
此所に思へることは寂しきかな。
久遠に輪廻*を斷絶するも
ああかの荒寥たる平野の中
日月我れを投げうつて去り
意志するものを亡び盡せり。
いかんぞ殘生を新たにするも
冬の蕭條たる墓石の下に
汝はその認識をも無用とせむ。

――上州國定村にて――

**********************************
以上、萩原朔太郎の作品は青空文庫から引用させていただきました。
ありがとうございます。

追記(2023/02/21):タイトルの末尾に投稿年月日を20130625を追記。ほぼ10年前の投稿である。青空文庫の推進者に富田倫生がいる。「富田倫生 - Wikipediahttps://ja.wikipedia.org/wiki/富田倫生: 富田 倫生(とみた みちお、1952年(昭和27年)4月20日 - 2013年(平成25年)8月16日)は、日本の著作家・編集者。 電子図書館 サイト 『 青空文庫 』の主宰者で、同サイトの「呼びかけ人」のひとり。」10年一昔と言うが古い記事を読んでくれる人がおり感謝。青空文庫は、まさに文化の金鉱だ。

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2013年6月24日 (月)

ツルよ 飛んでおくれ(愛しき古里):ああ、あの吾妻渓谷もダム底に消えてしまうのか?

2013年6月24日(月)
昨日は晴れ時々曇り。最高気温(℃) 30.1 14:13。ざっそう句:鄙の畑 人目盗んで 咲く紫陽花。ゴボウ区画をねじり鎌で除草。雑菜と雑草に埋もれている。未だ双葉。自働蒔きダイコンと下仁田ネギ区画の除草と土寄せ。ネギに鶏糞をまく。イチジクの下から生えているヤブガラシの根を手で引き抜く。アカザとヒユを収穫。かみさんが茹でてくれた。雑草らしいクセのある素朴な味がする。アカザは1m位。放置すると手に負えなくなる。

昨日のGoogleDoodleIoigoogledoodle20130623mt_fuji_be_2 はユネスコ世界遺産に登録決定した富士山だった。このGoogleDoodleは決定記念に相応しく「クール」だ。

2013年6月23日の天気(AMEDAS)

TAVE= 23.1 NO DATA
TMAX= 29.8 最高気温(℃) 30.1 14:13
TMIN= 17.6 最低気温(℃) 17.4 05:08
DIFF= 12.2  
WMAX= 5.4 最大瞬間風速(m/s)(風向(16方位)) 9.8(東南東) 17:28
SUNS= 8 NO DATA
RAIN= 0 NO DATA


首相官邸は、「「富士山」世界遺産登録にあたっての総理メッセージ。http://www.kantei.go.jp/jp/96_abe/discource/20130622fuji.html(平成25年6月22日)」」というタイトルで、「きれいな稜線、端正なたたずまい。時に荒々しく、時に幻想的。富士山の多彩な美しさに、古来、私たち日本人は、感動し、元気づけられてきました。
 その「私たちの富士山」が、今日、「世界の富士山」になりました。心から嬉しく思います。 ゴッホの絵にも描かれた富士山は、まさに「クールジャパン」の元祖。世界遺産登録を機に、政府も海外への発信を強化し、多くの外国の方々にも、日本に足を運んでもらい、富士山を見てほしいと願います。」と報じた。

手放しで慶びたいが、富士山が更に遠くなったような複雑な心境でもある。

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ツルよ 飛んでおくれ(愛しき古里):ああ、あの吾妻渓谷もダム底に消えてしまうのか?

2010年地区生涯学習の行事でやんば館と吾妻渓谷(あがつまけいこく)を見学した。八ッ場ダムができると、湖底に沈み見られなくなる風景を一度は見ておこうという企画であった。民主党の「コンクリートから人へ」というスローガンで一時本体工事が停止したが、自民党に政権が代わり再度その工事が動き出した。

WIKIPEDIA「八ッ場ダム。(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%AB%E3%83%83%E5%A0%B4%E3%83%80%E3%83%A0)」

時代の流れと政治の流れは必ずしも一致しない。ともかく、大型土木事業は時代と共に性格は変わるが、古墳時代からあったのだ。現代文明の機械力を動員すれば相当大きな土木事業が出来る。問題は、長い歴史の中で、その事業がどれほど有効で後世の評価に耐えうるかという事だろう。今、政治に求められているのは大きな夢なのである。

単純に考えると、ダムという構造は垂直に立てた板で川の水をせき止めるのと何ら変わりがない。多量の水を蓄える装置は巨大ダムが最適解だという保証は皆無だ。今日、ある目的を達成するために、幾つかの手段・方法が可能であるというのが常識であろう。水を溜めるのはダムだけではない。バケツもあるのだ。

東日本大震災の教訓を受け、高台移転が叫ばれたが現実は、実現性の点で問題も多いようだ。津波被害を想定した対策としては、高層建築という代案もあるようだ。ハードで実現できない部分はソフトで補うという割り切り方もあるようだ。ともかく、最適解はハードとソフトの融合になるのは明らかだ。ハードだけだといずれ、バブルの塔になってしまう懸念がある。

「バベルの塔。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%83%99%E3%83%AB%E3%81%AE%E5%A1%94。(最終更新 2013年6月16日 (日) 08:44)」『ウィキペディア日本語版』(http://ja.wikipedia.org/)。の記事に、「バベルの塔(バベルのとう、ヘブライ語:???? ????、英語:Tower of Babel)は、旧約聖書の「創世記」中に登場する巨大な塔。 神話とする説が支配的だが、一部の研究者は紀元前6世紀のバビロンのマルドゥク神殿に築かれたエ・テメン・アン・キのジッグラト(聖塔)の遺跡と関連づけた説を提唱する[1]。 実現不可能な天に届く塔を建設しようとして、崩れてしまったといわれることにちなんで、空想的で実現不可能な計画を比喩的に「バベルの塔」という[2]。」とある。

「バブルの塔」は「バベルの塔」のパロディ版。先々の事を考えずに、目先の事だけで、長期的には必ず劣化し、崩壊の危機が迫ってくる巨大構造物を作る愚かしさを皮肉った。

土木事業の面でも、巨大なダムを幾つか造るより、小さなダムを沢山造った方がシステム的には安全なような感じがする。軍備の面ではすでに大艦巨砲主義は過去のものだろう。空母も原水爆も然り。現実の世界では、見えにくいがテロやサイバー攻撃が真実味を帯びている。コンピュータ一つ一つは、ゴミのような小さな存在だが、現代はそれが世界を動かす小さな細胞でもある。しかし、想像力が乏しい平凡な政治家には、何も見えないのが真実なのだ。デカイ物が目の前に無いと自分を信じられないのだ。そういうお守りを持たないと安心できないのが政治家の宿命かのようだ。

これでは、永久にバブルの塔のような巨大建設が必要になってしまう。数世紀後の市民が最も迷惑するのがこのようなバブルの塔の後始末ではないか。WIKIPEDIAによると八ッ場ダムの有効貯水量は「9,000,000 m3」との事だ。1立米の浴槽ならたったの900万杯分だ。平成24年10月1日現在の群馬県の世帯数は、766,766世帯。群馬県1世帯当たりに換算すると11.7杯分だ。感覚的には、群馬県全世帯が二週間ほど連続して風呂を使うと八ッ場ダムの貯水量は尽きてしまう程度だ。

ともかく、巨大なダムを数個造って、そのダムの貯水・放水を制御するだけで、万全な洪水対策が可能かは疑問に思う。むしろ、流域全体の河川を貯水機能と流水制御機能を持った巨大なネットワークとみなし、入力となる気象状況等と各種要因により刻々と変わる水需要に基づき、政府は、水量と流す方向をダイナミックにコントロールするような雄大なシステム構築を計画すべき段階にあるのではないか。

当然、このシステムでは、収集されたあらゆるパラメータを評価して刻々とリアルタイムで制御される。この方式で、毛細血管の末端のような水路まで使用すれば、バカみたいな巨大ダムも必要なく、一時的には膨大な貯水量が確保でき、洪水防止も可能になるのではないか。まさに、水利のクラウド版だ。当然、これは電力の相互融通とも類似した事業になる。米国では巨大な電力網が機能している。この水利版の一例が関東利根川流域水利クラウド制御システムということになろう。こんな制御は、生物の血液循環を考えれば、すでに自然が実行しているシステムと大差がない。

このようなアイデアが実現すると膨大な新技術が生まれ、その技術は外国にも輸出できるのである。トランジスターラジオのセールスマンを自認した元首相もいた。結果としては電子立国を大きく支援したのではないか。美しい国日本。WIKIPEDIA「美しい国。(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%BE%8E%E3%81%97%E3%81%84%E5%9B%BD)」美しい国は水を魔術のように自在に使いこなして初めて可能になるのではないか。そもそも、人口減少社会に向かって水需要が増大を続ける見込みはないだろう。工事を断行するために、洪水に対する安心・安全という呪文をかけたが、まさにバブルの呪縛にとらわれているだけのように見える。

日本は水を魔術のように自在に使いこななす技術は古来からの水田・水利事業や河川改修等により実現してきた。無数のため池を作ってきた。余りに馬鹿でかいダムを造りすぎるとその維持管理だけで、相当の経費増大が永続する事になってしまう。

上毛カルタに「耶馬渓しのぐ吾妻峡」という一札がある。初めて見た吾妻峡の秋も印象深いものであった。その名勝地が風前の灯火なのを実感して、荒涼たる思いになった。
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    刃物という視点で多くの事例が取り上げられている。刃のある道具の理解にも役立つ。類書が少なく貴重な一冊。「すべり変形が切断の原理」という考え方で説明している。
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    「ご要望にお応えしてアンコール復刊(1988年岩波新書50年記念復刊) 地球生態系の中で自然を見直す」(腰巻きのフレーズ)。植物の知恵と戦略に人類は勝てるのか。
  • 出町 誠: 14_NHK趣味の園芸:よく分かる栽培12ヶ月  カキ(NHK出版2007年)
    初心者向け柿栽培参考書(新版)。旧版と比較すると楽しい。
  • 中村三夫: 13_NHK趣味の園芸:作業12ヶ月  カキ(NHK出版1996年)
    初心者向け柿栽培参考書(旧版)。新版と比較すると楽しい。
  • 山科正平: 12_細胞を読む   電子顕微鏡で見る生命の姿
    細胞はどんな部品からできているのか。そんな疑問に答えてくれる一冊。何事も形を見るのが第一歩。μからÅオーダーの世界で、細胞をメスで解剖するように、電子顕微鏡というメスで解剖して見せてくれるので興味が尽きない。
  • 柳田充弘: 11_細胞から生命が見える
    著者の専門は分子生物学、細胞生物学。普段生物を考えても細胞レベルで止まってしまう。その細胞の中で色々な分子が働いている。細胞こそ生命の基礎だが、その細胞の中の動きを知るのに最適な一冊。疑問の発端はなぜ発根剤が効くのかということ。薬剤が細胞膜を通過して細胞内で分子と分子が作用するイメージができた。本書でできた細胞のイメージは小さな無数の穴が空いた水分が充満したヨーヨーのようなもの。そのヨーヨーの中に分子部品が詰まっている。細胞自体もタライの中のヨーヨーのように浮かんでいる。細胞図面の空白部は真空でなく水分だ。細胞の内外に水がないと細胞は生きられない。水が生命のゆりかごだ!
  • 野口悠紀雄: 10_ホームページにオフィスを作る(2001年 光文社)
    ITが輝いた時代の作品。HPの活用法は参考になる。参考:url=http://www.noguchi.co.jp/(野口悠紀雄 ONLINE)
  • 小池洋男 編著: 09_果樹の接ぎ木・さし木・とり木(農文協:2007/3/31第1刷)
    やや専門的であるが、実務専門化が分担執筆しており、その場で役に立つ一冊。
  • ノーバート・ウィーナー(鎮目恭夫訳): 08_サイバネティックスはいかにして生まれたか(みすず書房1956)
    情報と通信という現代社会に不可欠の基礎的な学問を作った著者の自伝とそれを通した科学史
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