333_ハトよ 鳴いておくれ

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2012年11月 7日 (水)

ツルよ 飛んでおくれ(愛しき古里):チベットへ羽ばたいた国際人矢島保治郎生誕130年

2012年11月7日水曜日
昨日は断続的に小雨が降る寒い一日。最高気温(℃) 14.6 21:14 。ざっそう句:秋雨に 野暮用済んで 長電話。雨間に裏庭の整理。日陰でツツジが半枯れ。枯れ枝を切る。2012年米国大統領選挙の投票が始まった。大接戦が続いているようだ。この予想支持率に影響を与えているのが各種のメディアによる調査ではないか。接戦で選挙も盛り上がり経済も上向くなら結構だろう。アメリカは選挙で沸いているが、その行方を冷静に分析している所もあるだろう。アメリカ国民の本音も誰が経済を立て直してくれるかにあるようだ。BBCは下記のような専門家の予測を出していた。岡目八目というのは意外に当たる事もあるようだ。結果はもうすぐ出る。

BBCは、「US election: Predict the president。http://www.bbc.co.uk/news/world-us-canada-19794259。( 2 October 2012 Last updated at 15:39 GMT ))」というタイトルで、「Who will win the race to be president? In the presidential election each state is worth a number of votes, based on its population, and if the race is close it could come down to a single state. The winner is the candidate who secures 270 votes or more. The bar below shows the votes that are considered safe for each candidate and, in the middle, the battleground states that could be won by either side. Explore what might happen in the election and compare your prediction with those of the experts.  274 BARACK OBAMA :0 electoral votes needed for Democrat win ; 264 MITT ROMNEY:6 electoral votes needed for Republican win」と報じた。

2012年11月6日の天気(AMEDAS)

TAVE= 13.2
TMAX= 14.6 最高気温(℃) 14.6 21:14
TMIN= 11.7 最低気温(℃) 11.6 04:47
DIFF= 2.9
WMAX= 1.6 最大瞬間風速(m/s)(風向(16方位)) 3.6(北西) 10:35
SUNS= 0
RAIN= 3

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ツルよ 飛んでおくれ(愛しき古里):チベットへ羽ばたいた国際人矢島保治郎生誕130年

同郷の先覚者矢島 保治郎について、「東北の海よ:ダライ・ラマさんありがとう。http://af06.kazelog.jp/itoshikimono/2011/11/post-7853.html。(2011年11月 8日 (火))」という記事の中で少し記憶に残っていた事を書いた。

矢島 保治郎の生没年は、「1882年(明治15年)8月23日 - 1963年(昭和38年)2月13日)」なので、今年の8月23日が丁度生誕130年だった。今年の8月14日は楫取素彦の没後100年にあたり、色々な顕彰行事があった。それに対して、矢島保治郎生誕130年顕彰の動きはほとんどない。写真家 小松健一氏が、孤軍奮闘して矢島保治郎生誕130年記念イベントを実施中であり、そのホームページを拝見し、企画は順調に進んでいるようだった。また、今年は富岡製糸場操業開始以来140年の節目の年という事で、江戸末期から明治中期までが、激動の時代であると共に近代化が進んだ時代である事を改めて感じている。

Googleで「矢島保治郎」を検索すると、「『世界無銭旅行者 矢島保治郎』(浅田晃彦著、筑摩書房)」がヒットする。更に著者の「浅田晃彦」をWIKIPEDIAで調べる。「浅田晃彦。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B5%85%E7%94%B0%E6%99%83%E5%BD%A6。(最終更新 2009年4月18日 (土) 14:52 )」『フリー百科事典ウィキペディア日本語版』(http://ja.wikipedia.org/)。の記事に「浅田 晃彦(あさだ てるひこ、1915年(大正4年)8月11日 - 1996年(平成8年)7月31日)は、日本の小説家、医学者。~経歴 [編集]:前橋中学校(現・群馬県立前橋高等学校)から慶應義塾大学医学部に進む」とある。

矢島保治郎と浅田晃彦の関係は定かでないが、両者は母校前橋中学校の同窓であり、丁度一世代ほどの年齢差がある。『世界無銭旅行者 矢島保治郎』1986年6月の出版。世界旅行記・探検記では、「何でも見てやろう 小田実 1961年」、「太平洋ひとりぼっち 堀江謙一 1962年」が話題になった。浅田晃彦に『世界無銭旅行者 矢島保治郎』を書かせた動機・背景を知りたくなった。

当地区では今から150年前の文久2年に八幡沼の開鑿が始まっている。その10年後が富岡製糸場操業開始。その10年後に矢島保治郎が生まれている。水利の改良等による農業が安定し、それが基盤になって養蚕業が栄え、地域の経済が豊になったことにより、矢島保治郎のような人物が生まれたのではないかと思っている。矢島保治郎は単に旅行者や探検家としてはとらえがたい人物のように感じる。今年初めて、矢島保治郎の墓に巡り会った。その場所は、何度も通っているのだがそれまで気付かなかった。その画像を携帯デジカメに収めた。墓の形が矢島保治郎らしくユニークである。
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2012年10月27日 (土)

愛しき古里(古代の地域:上野国佐位郡):三軒屋遺跡周辺の風景

2012年10月27日土曜日
昨日は晴れ。最低気温(℃) 9.3 01:55 。ざっそう句:温水器 原発思い 品定め。朝晩の寒さが気になる季節になった。電気か石油か検討中。早急に発注しなければと思うが、拙速で後悔しもしたくない。昔の事を思い出すと不便ながら、生活の中で色々工夫して過ごしてきたのだが。朝方は定例の仕事。玄関の15Wの蛍光灯が点滅しているので交換。ついでにカバーを清掃した。高所にあるので脚立で作業。適価な直管型LED灯があれば蛍光灯と交換したいと思っているが、まだ店頭で見た事がない。WEB上では数千円のものがあった。いつ頃、値段がこなれてくるだろうか。

2012年10月26日の天気(AMEDAS)

TAVE= 17.1
TMAX= 23.2 最高気温(℃) 23.9 13:28 
TMIN= 9.6 最低気温(℃) 9.3 01:55 
DIFF= 13.6
WMAX= 3.7 最大瞬間風速(m/s)(風向(16方位)) 7.8(東) 15:07 
SUNS= 9.3
RAIN= 0

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愛しき古里(古代の地域:上野国佐位郡):三軒屋遺跡周辺の風景

先日、出かけたついでに、三軒屋遺跡周辺の田園風景を眺めた。三軒屋遺跡の西側にかなり広く水田が開けている。稲の取り入れも終盤を迎えていて、何台かのコンバインが稼働していた。水路の土手にススキが生えていて、ススキの穂が夕陽に白く輝いていたので、それをデジカメに収めた。夕方の逆光を通して見る風景だが、イメージの通り写すのは難しいようだ。三軒屋遺跡は埋め戻されており、そこに遺跡があるとは見えない。あぜ道に入ると、邪魔な電柱等が写らない、赤城山撮影に最適な場所もあった。
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2012年10月 5日 (金)

ツルよ 飛んでおくれ(愛しき古里):田島弥平旧宅近くに立つ田島弥平顕彰碑

 

2012年10月5日金曜日
昨日は曇りのち晴れ。最高気温(℃) 29.3 12:48 。夏日。ざっそう句:早熟の 柿は虫食い 食える味。汗ばむ程度の暑さが復活。利根川の貯水量が回復して取水制限は解除されたようだ。二年子大根とキャベツの播種。前者は直播き、後者はセルトレーに蒔いた。時期が遅いと思うが、試しに蒔いた。モロヘイアの株は種子採取用を残して堀上げ。ジニアの花殻を採取。乾燥させて種子をとる予定。マリーゴールドは特有のニオイがある。これが防虫効果を発揮するのか。

WIKIPEDIA:マリーゴールド(最終更新 2012年8月7日 (火) 19:42 )(。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%82%B4%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%89。)によると、「性状 [編集]:~観賞目的の栽培が普通であるが、根に線虫の防除効果があるので作物の間などに植えられることもある。線虫の防除効果は、植物自身の合成するα-terthienylをはじめとした化合物によるものとの説が有力だが、共生する線虫捕食菌の働きのためだという説も浮上している。異臭が激しく、有毒植物と誤解されていた時期もある。」とある。

更に驚いたのは、上記記事に「成分 [編集]:この花の花びらから抽出されたキサントフィル脂肪酸エステル混合物に含まれるヘレニエンという色素は暗順応改善薬の原料として用いられている。第二次世界大戦中にイギリス軍が「ブルーベリーのおかげで目が良くなった」という嘘の宣伝を流し、これを信じたドイツのバイエル社がブルーベリーを上回る効果を持つものを探したところ、マリーゴールドの花びらから抽出した脂肪酸エステル混合物に高い効果があることを発見し、ヘレニエンを有効成分とする暗順応改善薬「アダプチノール」が作られた。この薬は現在でも目の薬として使用されている。」とある事。「ブルーベリーは目に良い」というのはウソ?暗順応とは、明る状況から暗い状況になった時に目が慣れる事。この反応が遅いと時には軍事行動の障害になるのだろう。この宣伝が、イギリス軍に有利に働くためには、ブルーベリーはイギリスにあり、ドイツにはない事だろうが、本当か?

2012年10月4日の天気(AMEDAS)

TAVE= 22.9
TMAX= 28.8 最高気温(℃) 29.3 12:48
TMIN= 18.2 最低気温(℃) 18.0 01:22
DIFF= 10.6
WMAX= 6.4 最大瞬間風速(m/s)(風向(16方位)) 11.7(北北西) 13:07
SUNS= 5.9
RAIN= 3.5

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ツルよ 飛んでおくれ(愛しき古里):田島弥平旧宅近くに立つ田島弥平顕彰碑

たまたま縁あって、富岡製糸場と絹産業遺産群の一つに指定された田島弥平旧宅を二度見学させていただいた。見学も時間が限られると、つい駆け足にならざるをえない。じっくり予習をしてから見学するのがベストかもしれないが、見学を学習の契機とするのも良いと思う。

初回の見学では、田島弥平旧宅へ向かう途中にある、田島弥平顕彰碑と「養蚕新論版木」とある標識をデジカメに収めた。何となく、連想では結びつくが、この二つから何が学べるか、空想してみた。明治初期の出版は、活字ではなく版木で行った。相当しっかりした目的と覚悟がなければ、出版事業は出来なかっただろう。「養蚕新論」はまさに、「最新養蚕技術論」という意味と思われる。幼少の頃、養蚕の手伝いをしたが、相手が蚕という昆虫の幼虫なのだから、それを品質の高い繭を作るまで育てる技術に尽きるだろう。途中で蚕が死んだり弱まってしまえば、大きな損害を生じることになる。「清涼育」とは、養蚕の品質と生産高を高める技術・ノウハウだったろう。出版により、技術の内容や思想が間違いなく正確に広範に行き渡るのだ。WIKIPEDIA(特許法。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%89%B9%E8%A8%B1%E6%B3%95。)によれば、「現在まで続く、日本の特許制度の基となったのは、1885年(明治18年)4月18日公布の「専売特許条例」である。」との事だ。苦労して開発した養蚕技術を独占せずに公開したという事も産業の近代化の促進と言う点で見逃せないと思われる。
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二回目の見学では、顕彰碑の篆額部分(碑名)もデジカメに収めた。顕彰碑を理解するとき、誰が立てたか、誰が書と文を受け持ったか等の碑の関係者も関心の対象になるからだ。なんと、そこには島村の文化人・書家として著名な金井之恭の名が刻まれていた。群馬県庁近くの長浜公園にある「前群馬県令楫取君功徳之碑」の書を担当していたのも金井之恭であった。金井之恭は群馬県令楫取素彦と同様に田島弥平の業績に深甚なる敬意をいだいて書を成したと想像されるのだ。楫取素彦と田島弥平の両顕彰碑は生前中に建立されている。

〔群馬のシルクロード ~人物編~。http://www.manabi.pref.gunma.jp/kinu/jinbutu/gunma/sansyu-yosan/sansyu-yosan.htm。〕の記事によると、「明治27年、田島弥平の娘たみが父の功績をたたえ、養蚕興業碑を田島家の入口に建てました。」とある。尚、この碑が立てられたのは、田島弥平生存中であり、死後に評価が定まってから碑がたてられたものでないと知ると、田島弥平の娘も立派だったと思わざるをえない。まさに娘が父の業績を理解し顕彰するという事は、並の女性には不可能で、田島弥平にとってもそれが最大の精神的な支援になったのではないか。

その碑の篆額部には、「南畬田島翁養蚕興業碑」と記されている。最初は、「南畬」が「難よ!」だった。コトバンク「田島弥平 とは - 」によれば、「田島弥平。http://kotobank.jp/word/%E7%94%B0%E5%B3%B6%E5%BC%A5%E5%B9%B3/%E7%94%B0%E5%B3%B6%E5%BC%A5%E5%B9%B3。」の記事に、「1822-1898 江戸後期-明治時代の養蚕家。 文政5年生まれ。上野(こうずけ)(群馬県)佐波郡島村の人。家業をついで養蚕と蚕種を研究,清涼育とよばれる新技術を開発しその普及につとめた。明治5年島村勧業会社を設立し,渋沢栄一らの協力で蚕種の輸出を成功させた。明治31年2月死去。77歳。名は邦寧。字(あざな)は子寧。号は南畬(なんよ)。著作に「養蚕新論」」とある。

南畬(なんよ)とは田島弥平の号との事だ。「養蚕新論版木」という標識だけでは、なかなか碑が発信しようとしているメッセージが読みとれない。それでは、「南畬田島翁養蚕興業碑」を読み解くとどうだろうか。この碑が建てられてからもうじき120年になる。建碑後120年になっても色あせず、むしろ輝きを増す碑名ではないか。今日の、「富岡製糸場と絹産業遺産群」を予想したかのような碑名ではないか。

「南畬」を直訳すると南の畑。漢字の「畬」が難解でかつ扱いにくい。「南?」では先に進まない。漢字源によれば「畬」は新たに開拓した畑の意味がある。「畑」には更に焼き畑の意味があるそうだ。当世でも、自分が打ち込んだ専門の仕事の対象を畑とも言う。「南畬」にも、気合いを入れ苦心の末開拓した事業分野という深い意味がありそうだ。自分の号なので謙遜の意味も込めているかもしれない。俺の事は「南畬(なんよ)」と呼んでくれれば良いのだというのが号の意味だろう。「翁」は親称・尊称。現代風に超訳すれば、総合養蚕事業のパイオニア田島弥平じいさんの意味にとれる。最大のキーワードが「養蚕興業」だ。

尚、コトバンクによれば田島弥平は「明治5年島村勧業会社を設立」とある。この設立時期は、以下のWIKIPEDIAの記事と比較しても、日本の経営史上からもかなり早い時期ではないかと思う。

「丸善。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%B8%E5%96%84。(最終更新 2012年8月8日 (水) 04:49 )」『フリー百科事典ウィキペディア日本語版』(http://ja.wikipedia.org/)。の記事に「社史概要創業創業は、明治2年1月1日(1869年2月11日)。創業時の社名は「丸屋商社」その登記簿に、代表者として「丸屋善八」という架空の人物を記載したことから丸善の名が生まれることになった。創業者は福澤諭吉の門人・早矢仕有的(はやしゆうてき)である。設立当初から、世襲が基本だった当時の商習慣を廃し、所有と経営を分離するなど、事実上日本初の近代的会社として知られる。」とある。

新しい事業を開拓するための近代的会社組織の設立も「養蚕興業」の要であったと思われる。若い頃は、田舎住まいで余り東京に出なかったが、東京に出たときは、丸善書店に寄り、洋書を見るのが楽しみだった。もっとも、買えるのは、安いペーパーバック程度だったが。そんなわけで、丸善が日本の最初の近代的会社だったというのをどこかで知ったようだ。田島弥平が明治5年に島村勧業会社を設立したのも、東京の丸善の創業時期にさほど遅れていなかったのだから、群馬が会社組織という点でも先進地だったと自信が持てるのではないか。

まさに、この碑のタイトルには、「富岡製糸場と絹産業遺産群」に連なる産業を興したという気概が溢れているのではないか。結局、この碑のタイトルから「近代養蚕のパイオニア田島弥平じいさんの養蚕(絹)産業興業を顕彰する碑」という意味にとれそうだ。でも、娘が父の存命中に建てた碑なので、碑名には色々気を使ったと思われる。碑は後生に残る。威厳と共に親しみも込めたい。「父ちゃん、碑の名前はこれでいいかい(娘)。」「はは、おまえに任せるよ(父)。」こんな、会話が聞こえてきそうだ。是非、この「南畬田島翁養蚕興業碑」という碑名が普及するように願いたいものだ。
Tajimayahei_kennsyouhi_and_tengaku_

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追記(2014/6/2):
「ツルよ 飛んでおくれ(愛しき古里):田島弥平旧宅近くに立つ田島弥平顕彰碑(2012年10月 5日 (金))」の記事がいきなりランキング8位に入った。富岡製糸場と絹産業遺産群のユネスコ世界遺産登録の期待が実現しようとしている時で率直にうれしい出来事だ。昨日の暑さで、室内で気ままに手に取った冊子がある。「温故知新 伊勢崎市郷土文化研究会連絡協議会 20周年記念誌(平成18(2006)年3月15日発行)」である。この協議会は伊勢崎市市内の歴史研究会の横の連携をする為に発足したようだ。本誌のなかで、境史談会会長の田島健一氏が境史談会発足の経緯と事業を紹介している。郷土史家の篠木弘明氏が中心になって境町地方研究会が発足し、郷土史の調査研究を行い、篠木氏が亡くなられてから、境史談会がその事業を受け継いでいるとの事である。本誌の中で境史談会の事務局長斎藤進一氏が「境の漢文碑を訪ねて」の②で、「田島南畬碑」を紹介している。是非、本文を直接参照して頂きたい。

以下、便宜のためその項を引用させて頂く。

「② 田島南畬碑   境島村の県道中瀬・牧西線沿いに所在。題額、大日本農会頭陸軍大将彰仁親王。撰文、勅撰議員川田剛。書、勅撰議員金井之恭。川田は号甕江(おうこう)、国学・文章に通じ明治漢文学会泰斗。建立は明治二十七年(1894)。碑の最後に、「夫れ生我より先んずる之を長者と謂ひ、徳厚く行修まる之を長者と謂ひ、而して多財多福を俚俗之を長者と謂ふ。今翁は此の三者を兼ぬれば、是も亦(ま)た云ふ可(べ)きなり」と刻む。翁とは郷人に養蚕長者と称せられた島村新地の田島弥平(1822~98)である。養蚕の清涼法、『養蚕新論』の著作、吹上御所に招かれて蚕婦を率いて皇后の養蚕に従事、島村勧業会社を設立し社長になる。渡海して蚕種の海外販売等を行う。南畬号で、利根川の南の新しく開墾した土地という意味である。」

尚、上毛新聞は、「世界遺産候補 弥平旧宅所有 田島健一さん死去。;http://www.jomo-news.co.jp/ns/7213914754599085/news.html。(更新日時:2014年2月4日(火) AM 09:00)」」というタイトルで、「江戸末期から明治にかけ日本の蚕種業の発展に貢献した田島弥平(1822~98年)の子孫で、島村蚕種株式会社専務を務めた田島健一(たじま・けんいち)氏=写真=が3日午前11時52分、大腸がんのため群馬県太田市内の病院で死去した。84歳。伊勢崎市境島村の自宅は、世界文化遺産候補「富岡製糸場と絹産業遺産群」の構成資産で、国史跡の「田島弥平旧宅」。世界遺産登録を前にしての訃報に悲しみの声が上がった。」と報じた。

改めて、田島健一氏が、境史談会会長として、郷土の歴史理解と継承に尽力されていた事を知った次第である。同氏のご冥福をお祈りすると共に「富岡製糸場と絹産業遺産群」の末永い保存活用を期待したい。

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追記(2014/6/4): 本記事のランキングが5位に上昇した。多分、「富岡製糸場と絹産業遺産群」のユネスコ遺産登録確定が間近に迫って、関心を持っている人々が検索をかけているのではないかと思う。アクセス数の絶対値は不明だが、ともかくランキングの行方に、間接的に世の中の動向が反映されているのかもしれない。最近、「富岡製糸場と絹産業遺産群」と関連して、以下の論文に遭遇して読ませて頂いた。改めて、事業は人なりという感慨を覚えた。

「明治期の群馬県藤岡地区におけるキリストと養蚕業の関係-緑野教会と高山社蚕業学校を中心に-(https://gair.media.gunma-u.ac.jp/dspace/bitstream/10087/7000/1/%e7%b4%80%e8%a6%81Vol1No1_%e8%aa%bf%e6%9f%bb%e5%a0%b1%e5%91%8a%ef%bc%88%e8%8d%bb%e9%87%8e%ef%bc%89.pdf)」(著者:荻野基行;東京福祉大学 社会福祉学部(伊勢崎キャンパス)。

この論文は、「富岡製糸場と絹産業遺産群」をより深く理解するために大変参考になると感じた。是非本文にあたって頂きたい。以下にその抄録部分を引用させて頂く。

「抄録:明治期、群馬県にキリスト教が拡大した背景には欧米諸国との蚕糸を中心とする取引による影響が大きい。また新島襄の影響により県西部を中心に組合教会が多く設立されたが、この地域は組合製糸が盛んな土地でもあった。その中で藤岡地区には組合教会に属した緑野教会があり、養蚕関係では組合方式による高山社蚕業学校が存在した。両者は少なからぬ人的交流があり、高山社分教場当主の中には有力蚕種家や地域の政治家とともに信徒もいた。緑野教会創設期はこのような上昇的生産者によって支えられた。しかし多数の信徒が小生産者層であった農村教会にとって農繁期におけるキリスト教活動の減退や社会的にもキリスト教への理解が浅い時代であり、創設期は苦難の時期であった。研究対象は緑野教会の創設期を中心にそれを支えた人々と、高山社蚕業学校、特に分教場を対象に、文献をもとに研究した。」

自分なりに、明治初期の社会組織として、組合方式が盛んになったものと理解した。教会も蚕種・蚕糸の生産も組合方式。このような新しい方式を受け入れるのも社会や人心の変化がなければ実現しない。田島弥平の活躍した島村にも島村教会があり、本論文にも田島弥平はキリスト教徒であったと述べている。信仰と事業が個人の頭脳の中では融合しており、同志が同じ精神をもって、共同してお互いのための事業を行うという姿が見えてきた。

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2012年10月 4日 (木)

ツルよ 飛んでおくれ(目に留まった風景):富士重工業伊勢崎工場の謎の煙突

2012年10月4日木曜日
昨日は曇り。最高気温(℃) 24.0 13:59 。夏日を脱して涼しい位。ざっそう句:食卓や 猫が丸まる 亭主の座。朝方は子供会も参加して定例の仕事。その後、遅い朝食。今まで、床にふんぞり返って寝ていた猫が、最近では亭主の座を占拠して丸くなっている。猫も気温に合わせて行動している。それも、悠々自適でうらやましい。最近、民家の空屋が目立つが、地域の工場などの稼働状況はどうなのだろう。農業(一次産業)、工業(二次産業)は縮小の時代に入ったのか。残念だが一般人が、工場の中を覗く機会はほとんどない。自分も、現役時代は家族に職場を見せた事は一度もない。もっとも、見学コース等はあったと思うが。産業の発展も現物を見ることから始まるのではないか。群馬の工場が、第二、第三の富岡製糸場になるだけでは勿体ない。

2012年10月3日の天気(AMEDAS)

TAVE= 21.2
TMAX= 23.8 最高気温(℃) 24.0 13:59
TMIN= 19.1 最低気温(℃) 19.1 24:00
DIFF= 4.7
WMAX= 2.1 最大瞬間風速(m/s)(風向(16方位)) 6.5(南東) 16:19
SUNS= 0.1
RAIN= 2.5

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ツルよ 飛んでおくれ(目に留まった風景):富士重工業伊勢崎工場の謎の煙突

この道は、まだ自動車を持てない若いサラリーマンの頃、駅まで自転車で良く通った道だ。この工場の構内には一度も入った事がないと思う。最初に買った車が中古のスバル1000だったような記憶がある。雪が降って、駐車場で後輪にチェーンを装着しようとしていると、スバルは前輪に巻くんじゃネンと会社の見知らぬ従業員が一言注意してくれた。ああ、顔見知りでなくて良かったと胸をなで下ろした。当時、前輪駆動が富士重工業の誇るべき技術だとは知らなかった。

この煙突の写真は、サンデン本社の西側の道から、その西方で、朝陽を浴びて白く輝いている煙突をみて、自転車を止めて撮影した。懐かしい風景だが、ほとんど何の印象もなく今まで通り過ごしてきた風景だ。富士重工業株式会社伊勢崎工場。所在地は、群馬県伊勢崎市末広町100。富士重工業の創立は1953年(昭和28年)7月15日(創業:1917年(大正6年5月))。創業者は中島知久平。戦前軍用機を作った中島飛行機がその母体で、群馬の名門企業といえるだろう。

富士重工業ホームページによれば、現在の伊勢崎工場は従業員数(人)75 、主な生産品目は自動車用部品 となっている。かつてはこの工場で大型バスが作られていたと思う。サンデンの主力工場が、本社を残して粕川へ移転し、伊勢崎駅の北側にあった、東京アイシーの敷地も更地になり、栄枯盛衰という時代の変化をまざまざと感じる。多分、かつては、朝夕の通勤時間帯は伊勢崎駅からこの周辺までは活気に満ちていたのではないか。

「中島知久平。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E5%B3%B6%E7%9F%A5%E4%B9%85%E5%B9%B3。(最終更新 2012年9月22日 (土) 14:19 )」『フリー百科事典ウィキペディア日本語版』(http://ja.wikipedia.org/)。の記事に「生涯 [編集]:群馬県新田郡尾島村字押切(現在の群馬県太田市押切町)出身。「飛行機報国」の信念から、慣例をやぶって海軍を中途で退役し、兄弟で飛行機製作所(のちの中島飛行機株式会社)を創設した。 その後立憲政友会所属の代議士となり、1939年(昭和14年)には政友会革新同盟の総裁となっている。 アメリカの国力を知るところから、当初は日米戦争には消極的だったが、開戦後は「米軍の大型爆撃機が量産に入れば日本は焼け野原になる」と連戦連勝の日本軍部を批判し、ガダルカナルの争奪戦では日本の敗戦を予想して、敗勢挽回策としてZ飛行機(いわゆる「富嶽」)を提言するが44年まで無視され、時期に遅れて計画は放棄された。 近衛内閣の組閣3ヶ月後発足した「大政翼賛会」は幕府的、ファッショ的で立憲政治を侵すとして、強力な政党を作ろうとしたが、終戦まで果たせなかった。」とある。

ペンシルロケットの開発者であり、「日本の宇宙開発・ロケット開発の父」と呼ばれる糸川英夫が、中島飛行機の技術者だった事も思い出す。糸川英夫は、「中島飛行機に入社し、帝国陸軍の九七式戦闘機、一式戦闘機 隼、二式単座戦闘機 鍾馗などの設計に関わった。(WIKIPEDIA記事)」

一方サンデンは、創業者牛久保海平の織物関係の起業から始まり、部品、自転車用発電ランプ、ショーケース、カーエアコン等に業績を伸ばし、現在に至っている。確か、著書に「海平なり (海穏やかなりと読むらしい)参考:http://motozaemon.blogzine.jp/chek1/cat2806473/」があり、読みかじった記憶がある。自分の周辺にもサンデン関係者は多数おり、有力企業として地域に貢献してきた。サンデンのホームページの沿革記事によれば、「1940年代:1943年(昭和18年)7月、戦争中の日本。民間工場は、軍需産業に移行するか廃業するかの二者択一を迫られ、織物工場を営んでいた牛久保海平は通信機用部品やマイカコンデンサーの製造を開始。ここにサンデンの前身である三共電器株式会社は産声をあげました(資本金198千円)。終戦後、自転車で通勤してくる社員たちにヒントを得、自転車用発電ランプの開発に業種転換。闇を照らす“ふくろう”のマークや“夜の千里眼”“明るさ満月の1000倍”といったキャッチフレーズによる販売促進活動も展開、1953年(昭和28年)には月産3万台に達し、発電ランプ業界に不動の地位を築きました。」(http://www.sanden.co.jp/company/history.html)とあり、地域産業の発展に織物産業が寄与して来たことが理解でき大変参考になる。ところで、あの煙突は何に使われてていたのだろうか。事業が盛況であった往事を語る偉容には違いないだろうが。
Fujijyuukou_isesaki_entotu_120929
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追記(2014/2/19): 「ツルよ 飛んでおくれ(目に留まった風景):富士重工業伊勢崎工場の謎の煙突(2012年10月4日木曜日)」が当サイトのランキングに入ったのでメモしておく。

サイト内でキーワード「富士重工OR中島飛行機」を検索(https://www.google.com/?hl=ja#hl=ja&q=%E5%AF%8C%E5%A3%AB%E9%87%8D%E5%B7%A5OR%E4%B8%AD%E5%B3%B6%E9%A3%9B%E8%A1%8C%E6%A9%9F++site%3Ahttp%3A%2F%2Faf06.kazelog.jp%2Fitoshikimono%2F)。

追記(2014/5/17):
現在この記事のランキングは6位。先日、初めてこの煙突がよく見える付近にあるサンデンの構内に闖入。その時の記事「半端道楽:写真で俳句る:このタンポポって外来種?(タンポポよ 綿毛飛ばせよ 荒れ地にも。)(http://af06.kazelog.jp/itoshikimono/2014/05/post-b10f.html)。(2014年5月14日(水))」。入った近代的建物は道路の東側。展示室は西側の本館らし建物にあった。

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追記(2014/6/22):本記事のランキングは現在10位。以前、富士重工に勤めていた同級生に聞いた時は輸出用のバスを生産してとの事であった。現在も、輸出用の乗用車は好調のようだ。日本における3Cブームの先駆けになったのが、スバル360。その発祥の地を記念するモニュメントが、三角屋根の旧工場の煉瓦側壁という形でひっそりと展示されている。場所はとりせん平和町店東側駐車場の向かい側である。道を隔てて南側に伊勢崎工業高校がある。

「伊勢崎工業高等学校ホームページ(学校概要)(http://www.iko-hs.gsn.ed.jp/)」によれば、「群馬県立伊勢崎工業高等学校は、地域の方々の大きな期待と熱意を受けて、県内で最初に誕生した工業高校です。その後、明治、大正、昭和、平成と時代の移り変わりとともに、幾多の変遷を経ながら発展し、現在は全日制が機械科(2クラス)・電子機械科・電気科・工業化学科の4学科5クラス、定時制には工業技術科1クラスを設置する工業技術を専門的に学ぶ高校です。」とある。

その沿革によれば、「伊勢崎織物業組合立染織講習所開講これが本校の前身となりました。」とあり、伊勢崎市の絹産業と深い係わりがある。染色技術に関しては定評があった。絹産業の衰退に伴い、電気、機械学科等が人気学科になったようだ。群馬県の自動車産業や電機産業も、絹産業という先行産業の上に成り立っているのだろう。

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追記(2014/7/22):
本記事が現在ランキング3位に入っている。どこからこのサイトへ来ているのか皆目分からない。アクセス解析をすれば分かるだろうが、そういう趣味はない。というより、それを行っても何のメリットも無いのが実情だ。ランキング情報を見るのも面白い。想像では、「富士重工」単独のGoogle検索では、ちょっと無理のようだ。Googleでキーワード「富士重工 伊勢崎」を検索(https://www.google.com/?hl=ja&gws_rd=ssl#hl=ja&q=%E5%AF%8C%E5%A3%AB%E9%87%8D%E5%B7%A5%E3%80%80%E4%BC%8A%E5%8B%A2%E5%B4%8E&start=10)。で検索すると本記事が16/約 74,700 件でヒットした。富士重工単独では約 2,230,000 件 (0.25 秒)と表示されるので、かなり富士重工に関して詳しい情報を求めているのか?あの煙突がある工場敷地の直ぐ東側の道路を通ったので、煙突の近景が撮影できた。やはり、近くで見ると迫力がある。時刻は15時頃で、丁度チャイムが鳴った。休憩時刻か。

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追記2(2015/11/30):いつも近くを通ると気になる富士重工の煙突。実は、何に使われたのか、現在も使われているのかわからないもどかしさがある。この工場も、時代の流れにそって色々変貌してきた。いつか聞けるチャンスがあるかもと考えているが、その時は煙突の話題も出てこない。日常の風景は、見てないようだが、無意識に見てもいる。何か意識していると見えてくる、そん存在のようだ。ある人に聞いたら、ボイラーじゃないかと言っていたが、ピント来なかった。今まで、塗装は剥げ掛かっていたが、今年の夏頃、再塗装されたようだ。大きな構造物は、それを作るのも壊すのも容易ではない。従って、ランドマークとして末永くそこにあってもらいたいと思う。再塗装は、まだまだ、地域の産業遺産としてこの煙突を守ってゆくというメッセージではないかと感じる。

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2012年9月24日 (月)

愛しき古里:養蚕の先進地だった島村生まれの文化人「金井烏洲」記念碑を華蔵寺公園に見る。20120924。

2012年9月24日月曜日
昨日は夕方まで強弱を繰り返しつつ雨が降った。ざっそう句:お萩食い くつろぎ語る 農の慈雨。最高気温(℃) 21.8 00:08。最低気温(℃) 17.7 24:00 。雨量94.5㎜。夏日も脱して、肌寒い一日だった。クシャミ連発。午後彼岸の来客。たっぷりの雨でゆったりと雑談。この雨で、今度は秋の雑草が元気付く。多めの降雨は、「前線を伴った低気圧」が北東に向け通過したお陰らしい。昨日はひまに任せて「ツルよ 飛んでおくれ」というカテゴリーを作った。生物の歴史の中で、空中を飛ぶ、虫類と鳥類は、最大の傑作のように見える。並の努力ではその機能を実現できない。何億年、何千万年という試行錯誤の連続の末に今の姿がある。群馬県へ、いつ頃まで、ツルの飛来があったのかWEB調査したが手がかりなし。

2012年9月23日の天気(AMEDAS)

TAVE= 18.9  
TMAX= 20.1 最高気温(℃) 21.8 00:08
TMIN= 17.8 最低気温(℃) 17.7 24:00
DIFF= 2.3  
WMAX= 2.8 最大瞬間風速(m/s)(風向(16方位)) 5.6(西北西) 13:16
SUNS= 0  
RAIN= 94.5  

Kouu_ryou_120923_2

Q
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愛しき古里:養蚕の先進地だった島村生まれの文化人「金井烏洲」記念碑を華蔵寺公園に見る

国が、富岡製糸場と絹産業遺産群をユネスコ世界遺産に推薦することが決まり、絹産業遺産群の一つである、田島弥平旧宅も脚光を浴びている(伊勢崎市ホームページhttp://www.city.isesaki.lg.jp/pcp_portal/PortalServlet?DISPLAY_ID=DIRECT&NEXT_DISPLAY_ID=U000004&CONTENTS_ID=12795)参照。

先日、たまたま用事外出のついでに華蔵寺公園に寄った。遊園地は開園前で、観覧車の試運転をしていた。散歩人がちらほら。華蔵寺丘陵部の中腹に、いくつかの碑や像が並ぶ、例えれば、記念碑ゾーンがある。碑を見るヒマ人はワレ一人。今まで、それらの碑の存在には気付いていたが、何の碑か余り興味がなかった。年のせいか、最近そういう古い物に興味がわいてきた。

記念碑ゾーンとは言え、余り手入れされておらず少なからず失望感が漂う。説明板も読む気がしないほどのものもある。自分のデジカメも10年前の代物。ともかく、金井烏洲の記念碑だと言うことは分かっていた。余りに碑の高さが高いので、篆額の部分が読めない。碑の上部をデジカメに納め、帰宅後画像処理すると「烏洲 金井先生碑」とあるらしい。「先生」とは尊称。現代の感覚では誤読になりかねな。この「烏洲 金井先生碑」こそ、島村に田島弥平が生まれ、蚕種産業が発達する先がけとしての金井烏洲の偉大さを伝えるものではないか。石碑も読まなきゃ只の石に過ぎない。

前橋の高浜公園にある、「前群馬県令楫取君功徳之碑」の書は金井烏洲の子息である金井 之恭(ゆきやす)が手がけている。あちこちに散在する碑をつないでみると意外な発見がある。その圧巻が、この碑の文と書を、日本の産業近代化に邁進した渋澤栄一が手がけていることである。

「渋沢栄一。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B8%8B%E6%B2%A2%E6%A0%84%E4%B8%80。(最終更新 2012年8月31日 (金) 04:26 )」『フリー百科事典ウィキペディア日本語版』(http://ja.wikipedia.org/)。の記事に「渋沢栄一(しぶさわ えいいち、天保11年2月13日(1840年3月16日) - 1931年(昭和6年)11月11日)は、幕末から大正初期に活躍した日本の武士(幕臣)、官僚、実業家。第一国立銀行や東京証券取引所などといった多種多様な企業の設立・経営に関わり、日本資本主義の父といわれる。正二位勲一等子爵。雅号に青淵(せいえん)。」とある。

「烏洲 金井先生碑」建碑後、渋沢栄一は91才の天寿を全うしているので、90才と記されているこの碑は、渋沢栄一最晩年に近い事業だったと思われる。その碑の裏面には、地域の発展にゆかりのある多数の協賛者の名前が記載されており、その人名を辿れば往事の地方の文化や産業のありさまが浮かんでくるだろう。

現役時代に、渋沢栄一の「論語と算盤」という本を古本で買って拾い読みした記憶がある。二松学舎から出ていた枕になるくらいの厚い本だった。本記事作成に際して、「二松学舎列伝 第3代舎長 渋沢 栄一 (http://www.nishogakusha-u.ac.jp/retuden.htm)」を読んで、なぜ二松学舎から出ていたのかその謎が解けた。

当時は、中国では毛沢東の衛兵を使った文化大革命(WIKIPEDIA。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%87%E5%8C%96%E5%A4%A7%E9%9D%A9%E5%91%BD)が起こり、「批孔批林」が叫ばれていた。林彪は政敵として論外だが、孔子や論語すら反革命の象徴になっていた。本書を読んだ印象は、「論語」とは人間としての行動規範、算盤とは経済規範(経済合理性)を象徴していると思った。当時は、北京週報等を購読して、文化革命もむべなるかなと思ったが、「論語と算盤」にも新鮮な印象をうけた。従来の日本の論語(儒学)には算盤が欠けていたのだから。この二つの規範を結ぶのが「と」であり、その重心に渋沢栄一が立ち、行動と経済を車の両輪の如くうまくバランスさせて、日本の近代化を推進したんだなと今になって思う。

バランス感覚が崩れ、どちらかに傾きすぎると、方向が狂ってしまう。いわば、この本は、天秤の重心に自分を置き、常にバランスをとれと教えているように思えるのだ。歴史の中で、中国も日本も天秤が揺れるが、その揺れ方は異なる。中国はいまだ文化大革命を集約しきっていない。文化大革命の影響は今も続いている。中国の歴史の揺れは、地震に例えれば、長周期成分のように、長くかつその振幅も大きいのだろう。

金井烏洲のような文化人が出るためには、それなりの生活や精神の豊かさとユトリ、地域の歴史・文化が必要になる。中でも経済的な基盤として養蚕があった事は疑いがない。渋沢栄一が金井烏洲の碑を華蔵寺公園に残した理由は、謎でもあるが、伊勢崎に養蚕が栄え、金井烏洲に関わる人脈が豊富にあった事を物語っているのではなかろうか。日本も近代化の歴史の中で、大きな揺れを体験しつつあるように感じる。近代化の成功と挫折。今、興味があるのは近代化の挫折からの回復だが、その切り札が見えない。石碑をかじって、先人達の苦労を偲ぶ中で少しでもその手がかりが掴めれば良いと思うのだが。
Kanai_ujyuu_sibusawa_eiichi_2pix
左:碑の上部を見上げる。右:文字強調(カラー反転:渋澤榮一撰并書と見える)。

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追記(2020/07/01):アクセスランキング2位に入っている。記事タイトルに投稿期日を追加。ついでに記事を再読した。気ままにアクセスランキングを記録しているが、アクセス数は数十回/日程度で、本日で累積アクセス数は34089となった。このカウンターは自分のアクセスも数えているので外部アクセス数はその半分程度と見ている。読者に感謝。多分、検索エンジン経由アクセスしていると思われる。この記事が読まれるのも渋沢栄一の万札効果なのだろうか。想像するに渋沢栄一も現在の日本の状況を見れば苦笑いする以外に無さそうだ。この碑の裏面には、当時の地方の有力者の名前が刻まれているがこれを書き出した資料はあるのか。

碑文やこの碑の解説はこちらを参照:Go!伊勢崎:

https://www.go-isesaki.com/hist/syosi/hibun/70geijut/72nihonga/72-1ujuu/72-ujuu.htm







2012年9月10日 (月)

愛しき古里(たまたま出会ったもの):東武線境駅前の繭のモニュメント

2012年9月10日月曜日
昨日は晴れたり曇ったり。ざっそう句:サツマ堀り きれいになるねと 散歩人。最高気温(℃) 32.5 14:34。朝方は雲が厚かった。灌水後、オクラ、モロヘイア、ミニトマト、ナス、サツマを収穫。小豆の莢を、完熟、半熟、未熟に選別。各区分とも同じ程度の量。完熟は種子用、半熟は豆食用、未熟はインゲンのようにして食べようかと思っているが...。莢が枯れても、実が小さい完熟の莢を開いてみてびっくり。中から虫が出てきた。莢が青い内に莢に小さな穴を作り、内部に入り込み、豆を食べて太るようで、中には糞が詰まっていた。そのため、豆も育たず、莢が早めに枯れたようだ。小豆の収量は1/3X1/2で全体の1/6程度?。この虫害は想定外だった。

2012年9月9日の天気(AMEDAS)

TAVE= 27.8
TMAX= 31.6 最高気温(℃) 32.5 14:34 
TMIN= 24.5 最低気温(℃) 24.2 05:37 
DIFF= 7.1
WMAX= 2.5 最大瞬間風速(m/s)(風向(16方位)) 8.9(東南東) 18:00 
SUNS= 5.1
RAIN= 0

Q
Q

愛しき古里(たまたま出会ったもの):東武線境駅前の繭のモニュメント

「伊勢崎市。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BC%8A%E5%8B%A2%E5%B4%8E%E5%B8%82。(最終更新 2012年9月1日 (土) 16:10 )」『フリー百科事典ウィキペディア日本語版』(http://ja.wikipedia.org/)。の記事に「伊勢崎市(いせさきし)は、群馬県南部の市である。2005年(平成17年)1月1日に行われた1市2町1村の合併によって人口が20万人を突破し、2007年(平成19年)4月1日に東に隣接する太田市とともに特例市に移行した。」

この、2町1村が、旧境町と旧赤堀町、旧東村。気候・風土はその地理的条件により若干異なるが、上州の空っ風が吹き抜ける関東平野の町村と言う点は共通している。伊勢崎市にはJR両毛線と東武伊勢崎線の二本の鉄道が走るが、そのインフラを生かし切っていないように見える。東京スカイツリー行き始発駅の伊勢崎で売り込んだらどうかという話も聞いた。

旧伊勢崎、旧境町、旧赤堀町、旧東村の共通点を探すと、国定忠治に縁が深い地域とも言える。昔は、地域の境界に田畑が広がり、地域一帯が一つのまとまりを作っていた。現在は、人家が広がり、その境界も定かではない。昔の、国定忠治の縄張りが、一つになったのだから時代の変化に驚く。平成の大合併も、その効果には、地域によりプラスとマイナスが依然残っているようだ。

旧境町も合併前は、地域興しに取り組んだようだ。ぶらりと駅前を散策した時、「佐波新田用水修景」という文字が入った看板があった。その周辺で見つけたのが、繭のモニュメント。その下の説明板の中には、島村の蚕種生産も述べられている。繭は養蚕の結果であるが、養蚕は蚕種のはきたてから始まる。その蚕種は蚕の成虫の蛾から生まれる。養蚕には、このような生の循環がある。その要所要所に、人々が従事する仕事があり、農業や産業という大きなまとまりができた。島村の蚕種生産に関しては、言葉だけで説明・理解させる事は大変だ。蚕種⇒蚕⇒繭⇒蛾というサイクルを示す大きなモニュメントにできないか。どうせ作るなら、島村地区の要所に、蚕種、蚕、繭、蛾のモニュメントを配置して、それを見学コースに組み込む。こういう仕掛けがあれば、スタンプラリー等もできる。遊びながら知識や歴史を体験できる。蚕種は極小さく見えにくい、蛾は一般人には無縁だから無用というような感覚だと、世界遺産も一時のブームで終わりそうな印象をうけてしまう。蚕種のモニュメント作りは難しいそうだ云々と夢が広がる。こういう夢は子供達に描いて貰いたい所だ。戦後の教育に大きな影響を与えた教育者斎藤喜博は島村で活躍した(WIKIPEDIA。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%8E%E8%97%A4%E5%96%9C%E5%8D%9A。参照)。ところで、蚕のモニュメントはどこかにあるのかな~。
Mayu_monu_sakai_s_101218
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    「ご要望にお応えしてアンコール復刊(1988年岩波新書50年記念復刊) 地球生態系の中で自然を見直す」(腰巻きのフレーズ)。植物の知恵と戦略に人類は勝てるのか。
  • 出町 誠: 14_NHK趣味の園芸:よく分かる栽培12ヶ月  カキ(NHK出版2007年)
    初心者向け柿栽培参考書(新版)。旧版と比較すると楽しい。
  • 中村三夫: 13_NHK趣味の園芸:作業12ヶ月  カキ(NHK出版1996年)
    初心者向け柿栽培参考書(旧版)。新版と比較すると楽しい。
  • 山科正平: 12_細胞を読む   電子顕微鏡で見る生命の姿
    細胞はどんな部品からできているのか。そんな疑問に答えてくれる一冊。何事も形を見るのが第一歩。μからÅオーダーの世界で、細胞をメスで解剖するように、電子顕微鏡というメスで解剖して見せてくれるので興味が尽きない。
  • 柳田充弘: 11_細胞から生命が見える
    著者の専門は分子生物学、細胞生物学。普段生物を考えても細胞レベルで止まってしまう。その細胞の中で色々な分子が働いている。細胞こそ生命の基礎だが、その細胞の中の動きを知るのに最適な一冊。疑問の発端はなぜ発根剤が効くのかということ。薬剤が細胞膜を通過して細胞内で分子と分子が作用するイメージができた。本書でできた細胞のイメージは小さな無数の穴が空いた水分が充満したヨーヨーのようなもの。そのヨーヨーの中に分子部品が詰まっている。細胞自体もタライの中のヨーヨーのように浮かんでいる。細胞図面の空白部は真空でなく水分だ。細胞の内外に水がないと細胞は生きられない。水が生命のゆりかごだ!
  • 野口悠紀雄: 10_ホームページにオフィスを作る(2001年 光文社)
    ITが輝いた時代の作品。HPの活用法は参考になる。参考:url=http://www.noguchi.co.jp/(野口悠紀雄 ONLINE)
  • 小池洋男 編著: 09_果樹の接ぎ木・さし木・とり木(農文協:2007/3/31第1刷)
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