2013年7月 9日 (火)

ハトよ 鳴いておくれ(愛しき古里;環境雑録):整備が進む伊勢崎駅駅前;レールを活用した旧駅舎

2013年7月9日(火)
昨日は晴れ夕方軽く雷鳴・雷雨。最高気温(℃) 37.3 13:45。ざっそう句:重いシャツ 軽い畑土 汗仕事。朝飯前仕事でオクラに灌水。ゴボウの除草。本葉3~4枚。間違って一本引き抜いたが、まだ根が1~2㎝しか伸びていない。これでは、乾燥に耐えられない。追加でゴボウにも灌水。1時間ほどでシャツが重くなるほど汗をかいた。朝から30℃近い猛暑日になった。朝飯後、ハウス下で、久留米鶏頭と苗箱の除草。セルリ苗ポット上げ。その後退散して宅内閑居。雷雨があり、落雷対策で通信線と電源線を切断。古本の拾い読み。

2013年7月8日の天気(AMEDAS)

TAVE= 29.1 NO DATA
TMAX= 36.3 最高気温(℃) 37.3 13:45
TMIN= 25.5 最低気温(℃) 25.5 05:10
DIFF= 10.8  
WMAX= 4.5 最大瞬間風速(m/s)(風向(16方位)) 13.5(北北東) 15:32
SUNS= 9.1 NO DATA
RAIN= 1 NO DATA

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ハトよ 鳴いておくれ(愛しき古里;環境雑録):整備が進む伊勢崎駅駅前;レールを活用した旧駅舎

五月初めに町歩きをして伊勢崎駅に立ち寄った。駅前の整備も進み、新しく区画整理された場所に交番、店舗等が立ち始めていた。道路も仮設らしく、しばらく駅前の変貌が続き、その後新しい伊勢崎駅前が現れてくるのだろう。

旧駅舎を見学した時、駅舎に鉄道のレールが使われているという説明を聞いた。何年も旧伊勢崎駅を使った経験があるが、明確に気付いていなかった。多分、何となくレトロだと思いつつ漠然と駅舎の外観を見ていたのだろうが。

とりあえず、消えてしまう駅舎の記憶として駅前の目立つ位置にあったレールの柱をデジカメに収めた。同じ時、玄関のひさしの部分にあったツバメの巣や、巣を保護する板が取り付けられていたのも撮影。旧駅舎の玄関口にはツバメの巣がいくつかあり、駅員は客に糞までサービスしないように細かな配慮をしたようだ。

ツバメとしても、適度に人が往来する場所に巣を作るのが安全と知っているのだろう。新駅舎の玄関口がどうなるかは、はっきりしないが多分ツバメは入れ込めないような構造になるのではないかと思う。ツバメだけでなく、鉄道乗客以外の一般人も気軽に駅を利用できる仕掛けも大切なようだ。一日、数千から一万人程度の利用では、拡張された駅前広場は現在より閑散としてくるだろう。ゴーストステーションにならないよう願うばかりだ。

駅が、余りにも近代的・機能的になりすぎるとそれにつれて人間の方もそのペースに合わせられてしまいそうだ。もう少し、ユトリ、アソビがあっても良いのではないか。それにしても、駅の価値を決めるのは第一に駅の利用客だろう。利用者数の増大・減少が今後の駅利用の大勢を決定するだろう。WIKIPEDIAで伊勢崎駅の利用者数を調べると2000年から2011年まで、目立った増減はない。微増の傾向が出始めているようにも見えるが。その要因を分析して、早めに利用者数増大対策を実施する必要がありそうだ。おそらく、今後とも市内の利用者の増大は限定的だろう。市外からの来客を増やすには伊勢崎自体の魅力度を向上させる必要があるだろう。
Ioi_isesakiekimae_ekisya_rail_etc_6
DSC(左から):周辺新築家屋、新駅舎、旧駅舎、新交番、駅前イメージ、WIKIPEDIA客数推移。
駅前イメージ図は伊勢崎市ホームページからの引用。

IOI_ISESAKIEKIMAE_EKISYA_RAIL_ETC_6PIX.jpgをダウンロード

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2013年7月 8日 (月)

残照雑記:「国定忠治終世の地大戸見学日程」の思い出(9)=沼田の「?林寺」

2013年7月8日(月)
昨日は曇り時々晴れ。最高気温(℃) 33.9 14:26。ざっそう句:噴く汗が 鼻梁を伝い ポタリンコ。オクラ苗に灌水。マリゴ区画除草。除草で出来た隙間にジニアを移植。雑草にとって空白地帯は楽園。雑草の後釜を植えればやり甲斐もある。ともかく作物も雑草も夏が勝負時だ。逆転の発想だが、雑草並に作物が勝手に生えてくれれば良いのだが。それには大量の種子を生産すれば良い筈だ。雑草と作物のバトルでは雑草の方が強いという難題が付きまとう。

201377日の天気(AMEDAS

TAVE= 28.5 NO DATA
TMAX= 33.1 最高気温(℃) 33.9 14:26
TMIN= 24.5 最低気温(℃) 24.1 04:44
DIFF= 8.6  
WMAX= 2.7 最大瞬間風速(m/s)(風向(16方位)) 6.9(南東) 20:11
SUNS= 3.7 NO DATA
RAIN= 0 NO DATA

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残照雑記:「国定忠治終世の地大戸見学日程」の思い出(9)=沼田の「?林寺」

日程の第10番目は沼田の「?林寺」であり、大久保一家の碑大型と書かれていた。途中まで向かったが、日暮れになり訪問を断念した。資料は手書きで、寺の名前の一字が読みとれない。WEB検索すると、「じよりんじ舒林寺」があったが、舒林寺には、いろいろな碑があるらしく、それらしいのはヒットしなかった。

ここまで、デジカメ画像で追ってきて、貰った資料は見なかったが、資料の二ページには、「日本侠客の祖草分は上州の大久保一家也」と毛筆で表題が書かれて、初代から九代まで表にまとめられている。この資料によると九代目であとはないと記されている。また、大記念碑は沼田の「じよりんじ舒林寺」にあると補足されていた。

ともかく、貰った資料も、デジカメ画像も放置したらやがて散逸して消えてしまうだろう。振り返ると、おもとさんの墓については、Aさんの塔婆に書かれた内容を読んで始めてイメージが湧いてきた。墓巡りは余り好きではないが、おもとさんの墓巡りは印象に残った。色々興味も湧くが、深入りすると迷宮にさまようことになりそうだ。

以上の記事は、Aさん、Bさん、Cさんとの巡り合わせという不思議な縁があって実現したが、Aさん、Cさんは既に故人となられた。このような機会を与えて頂いた事に感謝すると共に、ご冥福をお祈りしたい。
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2013年7月 7日 (日)

残照雑記:「国定忠治終世の地大戸見学日程」の思い出(8)=おもとさんの墓

2013年7月7日(日)
昨日は曇り時々晴れ。最高気温(℃) 35.6 14:25。今年の夏初の猛暑日。ざっそう句:梅雨明けだ 猛暑なれども オクラ植え。ポットに4粒位播いたオクラの双葉から本葉が出始めている。根はポットに巻き始めている。根鉢を崩し細根を切らないように株を分離して植えた。畑土は乾燥しているので鶏糞液を植え穴に撒いてから定植。気温はどんどん上がり軒下で38℃。植え終わって退散。本日は七夕。小暑。暑い日が続きそうだ。tenki.jpは、「関東甲信梅雨明け、過去4番目に早い。http://tenki.jp/forecaster/diary/detail-6128.html(2013年7月6日 11時10分)」」と報じた。

2013年7月6日の天気(AMEDAS)

TAVE= 28.2 NO DATA
TMAX= 35.2 最高気温(℃) 35.6 14:25 
TMIN= 22.7 最低気温(℃) 22.5 02:19 
DIFF= 12.5  
WMAX= 1.7 最大瞬間風速(m/s)(風向(16方位)) 4.9(西北西) 04:35 
SUNS= 2.8 NO DATA
RAIN= 0 NO DATA

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残照雑記:「国定忠治終世の地大戸見学日程」の思い出(8)=おもとさんの墓

日程の第9番目には、高山村の忠治最後の妾おもとさんの墓とある。地図もカーナビも無く、Aさんの指示に従って運転し、ようやくおもとさんの墓に到着した。Aさんが示した塔婆には、「寺尾根堂守尼僧藤澤もと明治二十三年四月二十三日信州の生家の寺で没(平成十九年建)」と記されている画像が残っていた。これが塔婆の裏面らしい。

改めて、当時の写真を整理してみると、現代の墓の裏側にぽつりと一つだけ墓があり、その左手に、石像が二体立っている。その石像も素朴で苔むしており、刻まれた文字も判読できないほどである。その墓の脇に「国定忠治之愛妾 藤澤素貞尼百十七回忌」と書かれた塔婆が立っている。その塔婆にもAさんの名前があった。墓の地際を見れば、誰か花を供えたようだ。現代の墓にも花が供えられているので、その関係者が供えたのだろうか。

忠治の処刑が嘉永3年(1850年)。素貞尼の没年明治23(1890)年。忠治の死後40年尼僧として生きたという事なのだろうか。素貞尼の墓が高山村にあるのも何か理由があったのだろう。二体の石像については何も聞かなかったが墓碑建立以後なのか。石像にも刻字があるが写真からは判読できない。図章的には千手観音のように見える。向かって右の合掌している方は、手の数が多く裳裾がスネまでしかなく顔も男性らしく見える。別の方は合掌せず、手の数が少なく数珠を持っており、裳裾は足の甲まで降りており顔はふっくらとして女性らしく見える。

そうすると、この二体の石像は男女を現しているように見えてくる。そうであれば、その石像を建てた人は、そこに忠治と素貞尼の姿を見たのだろうかと想像したくなる。菊池徳が忠治の墓を建てたのも史実だろう。素貞尼の墓と二体の石像を誰かが建てたのも史実だろう。菊池徳が死亡したのは、明治22(1889)年。菊池徳と素貞尼の生きた時代と没年があまりにも近いのでびっくりした。

酔雲庵―侠客国定忠次一代記 創作ノート(http://www.suwiun.net/newpage136.html)によれば、忠治をとりまく女性として、「6.お鶴・お町・お徳・お篠・お貞の略歴」を紹介している。忠治研究一筋に60年のAさんは「高山村の忠治最後の妾おもとさん」と資料に書いているが、もっと詳しいことを知っていたのだろう。あらためて、Aさんまでも虜にしてしまった国定忠治の魅力は何だったのかと思う。
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2013年7月 6日 (土)

残照雑記:「国定忠治終世の地大戸見学日程」の思い出(7)=大戸の忠治地蔵と一場商店

2013年7月6日(土)
昨日は曇り一時微雨。最高気温(℃) 27.8 16:06。ざっそう句:旧型の パソコンいじり 迷宮へ。不安定な天気で宅内閑居。XP機に16GのUSBメモリー追加。そこへ満杯に近いUSBメモリーからデータをコピー。意外にも90分もかかった。その間、本の拾い読み。MTSファイルのデータ入手。動画らしいのでフリーソフトで再生。画面が安定せずフリーズしてしまう。来年WIN-XPのサポートが切れるので、練習の積もりでマウス無しで、WIN7ノートPCで再生。MEDIAPLAYERの初期化で手間取った。マウスを付けたらあっさり再生できた。WIN7ではMTSに対応しているようだ。10年前のパソコンの非力さを感じる。MTSは高画質動画ファイルのようだ。いくら綺麗でも人工画像は仮想現実でウソ・偽りが付きまとう。その点、目先に起こる現象こそ真実・現実なのだ。WIKIPEDIA「4K解像度。(http://ja.wikipedia.org/wiki/4K%E8%A7%A3%E5%83%8F%E5%BA%A6)」。高画質になればなるほど、画像は現実に近づくが、ウソがばれやすく、コストは増大するというパラドックスがある。中身の乏しいコンテンツを高画質で見るほど寒々しい思いがする。

2013年7月5日の天気(AMEDAS)

TAVE= 25.1 NO DATA
TMAX= 27.6 最高気温(℃) 27.8 16:06
TMIN= 23.2 最低気温(℃) 23.0 07:39
DIFF= 4.4  
WMAX= 1.5 最大瞬間風速(m/s)(風向(16方位)) 4.1(西南西) 13:20
SUNS= 0.2 NO DATA
RAIN= 1 NO DATA

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残照雑記:「国定忠治終世の地大戸見学日程」の思い出(7)=大戸の忠治地蔵と一場商店

日程の第8番目には、大戸の忠治地蔵と一場商店とある。Aさんの案内で忠治地蔵まで来るとその周辺には幾つかの記念碑が建立されていた。また、小さな売店があり、そこで休憩した。この売店の関係者が何代かに渡って忠治地蔵の管理をしているとの事であった。

また、この忠治地蔵の後方に建てられた塔婆を見ると、Aさんの名で講演出張60回記念と書かれていたのでAさんが奉納したものと分かった。あの立派な石の記念碑には比べようはないが、Aさんの資料に書かれたAさんの気持ちが伝わってくるような感じがした。

忠治地蔵の周辺が処刑の場だったか、埋葬の場であったか聞くゆとりはなかった。Cさんも忠治地蔵の関係者とのつき合いがあり、忠治の遺骸埋葬の様子に関して何かしら聞いた事があったらしい。又聞きで、今となってははっきり思い出せないが、処刑後の遺骸は手厚く葬られていたらしいとのことであり、忠治地蔵を見てほっとした。それにしても、初めてみた忠治地蔵の、三度笠に合羽、草鞋を首にかけた姿は、余りにも哀れな姿に感じた。デジカメ画像を再度見てもその印象に変わりはない。

忠治との関わりは人それぞれ。虚像を見ているのか実像を見ているのか判然としない時もあるだろう。極論すると凡人はほとんど虚像しか見ることができないのかも知れない。それは理性の世界のこと。四人は忠治地蔵に線香を手向けて次の目標に向かった。
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2013年7月 5日 (金)

残照雑記:「国定忠治終世の地大戸見学日程」の思い出(6)=女石と関所の抜け道

2013年7月5日(金)
昨日は曇り。最高気温(℃) 28.5 16:41。ざっそう句:牡丹杏 幼き頃の 拾い食い。圃場整理。ヤブガラシの根掘り。果樹に這い上がった蔓を辿り根本を掘れば必ず掘れるのだがそれを怠ると年々根茎が太って行く。その根茎が地下を這い回っているが、直接見えない。見ようとすれば、心眼で見る以外にない。スモモが落果していたので、拾い食いした。完熟なのでうまい。子供の頃余所の家のスモモを拾って食べたのを思い出した。当時牡丹杏と呼んでいたと思う。広辞苑によると「スモモの一品種」とある。なんじゃこりゃ。

201374日の天気(AMEDAS

TAVE= 24.5 NO DATA
TMAX= 28.1 最高気温(℃) 28.5 16:41
TMIN= 20.7 最低気温(℃) 20.5 04:58
DIFF= 7.4  
WMAX= 2.8 最大瞬間風速(m/s)(風向(16方位)) 4.7(東南東) 19:06
SUNS= 1.5 NO DATA
RAIN= 0.5 NO DATA

デジタル大辞泉の解説=「ハタンキョウの別名。」。
大辞林 第三版の解説=「植物の,スモモの栽培品種。 [季] 夏。」。
goo辞書=「はたん‐きょう〔‐キヤウ〕【×巴旦×杏】
:1 スモモの一品種。実は大形で先がとがる。とがりすもも。牡丹杏(ぼたんきょう)。《季 花=春 実=夏》「ひと籃(かご)の暑さ照りけり―/竜之介」
2 アーモンドの別名。」

調べるほど分からなくなった。漢字源で「杏」=「あんず」。すももの漢字は「李」。昔のスモモはアンズより小さかった?品種改良で大きな実が生るスモモを実が大きいアンズに例え、更に牡丹(花が大きい)という美称を付けて呼びなおしたものか。「牡丹李」では呼びにくい。バーバンクがスモモの品種改良をしたのを思い出した。

WIKIPEDIA「ルーサー・バーバンク。(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%82%B5%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%83%90%E3%83%BC%E3%83%90%E3%83%B3%E3%82%AF)」
日本語版WIKIPEDIAにはスモモの記述無し。

WIKIPEDIA「Luther Burbank。(http://en.wikipedia.org/wiki/Luther_Burbank)」
果樹の品種改良では「113 plums and prunes」の新品種を育成して筆頭。「Burbank's most successful strains and varieties include the Shasta daisy, the Fire poppy, the July Elberta peach, the Santa Rosa plum, the Flaming Gold nectarine, the Wickson plum, the Freestone peach, and the white blackberry. 」スモモのサンタ・ローザもバーバンクの育成品種。

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残照雑記:「国定忠治終世の地大戸見学日程」の思い出(6)=女石と関所の抜け道

日程の第7番目には、女石→関所の抜け道の入り口とある。女石とは女性のシンボルの形をした石らしい。写真を探したが普通の石にしか見えないが石が写った画像があった。昔は、それが抜け道(近道)の目印だったのかもしれない。すでに、廃道になっているのか道の存在は想像できなかった。さらに水牢の跡と言う場所も説明して貰った記憶があるが。確か、水牢は罪人を自白させたりする目的で使われたとか。多分、WEB情報では、東吾妻町 指定文化財一覧(http://www1.town.higashiagatsuma.gunma.jp/www/contents/1346140548768/index.html)の中の「池の薬師水牢の跡」の事と思われる。

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2013年7月 4日 (木)

半端道楽(愛しきもの 植物):ワラビの中で頑張るスカシユリ

2013年7月4日(木)
昨日は曇り。最高気温(℃) 25.1 15:29。ざっそう句:ネジレこそ 耐震補強の つっかい棒。朝方は定例の仕事。走り雨があったが、無事終了。休憩後畑のツル退治・除草。ヤブガラシの根を堀上げる。桃が色付き始めている。色づきの良い実にはシンクイムシが入っていた。本日参議院議員選挙の告示日とか。ネジレが諸悪の根元のように言われているが、果たして本当か。国民一票・一票の投票の結果なのだ。政治はその現実を冷静に受け止めて行うべきではないか。政界が思惑と迎合で動き出したら、液状化を起こしてあらぬ方向へ突っ走る。既にその前触れも起こった。戦前のドイツ・イタリア・日本は熱狂の余り常軌を逸してしまった。その背後に社会不安がある。本日、7月4日はアメリカの独立記念日。1776年の独立以来237年目。中学時代、英語教科書:「Jack and Betty」でアメリカの独立記念日を学んだ記憶がある。日本ヨ、アメリカよどこへ向かうのか。

2013年7月2日の天気(AMEDAS)

TAVE= 22.8 NO DATA
TMAX= 24.6 最高気温(℃) 25.1 15:29 
TMIN= 21.3 最低気温(℃) 21.1 09:22 
DIFF= 3.3  
WMAX= 2.4 最大瞬間風速(m/s)(風向(16方位)) 5.8(東北東) 01:02 
SUNS= 0 NO DATA
RAIN= 0.5 NO DATA

WIKIPEDIA「アメリカ合衆国。(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%A1%E3%83%AA%E3%82%AB%E5%90%88%E8%A1%86%E5%9B%BD)」によれば、「アメリカ合衆国(アメリカがっしゅうこく、英語: United States of America)、通称アメリカ、米国(べいこく)は、北アメリカ大陸および北太平洋に位置する連邦共和国である。 イギリスの北米植民地が1776年7月4日に独立を宣言して成立した国家で[5]、独立宣言において全ての人民の権利と平等をうたい政府をその保障手段と明確に位置づけ、建国時から1964年までは奴隷制のような矛盾を抱えつつも、ロックらの人権思想を理念的基盤として歩んできた歴史を有する。少数のネイティブ・アメリカンと呼ばれる先住民以外の国民は、主にユーラシア大陸からの移民もしくはアフリカ大陸から奴隷貿易によって強制連行された者の子孫である。そのため、その母体になった国々や、その他多くの国家の特徴を経済的、政治的、軍事的、そして文化的にも合わせ持っている。政治的な統治形態としての民主主義、自由主義、共和制、議会の二院制、行政府の大統領制、立法・行政・司法の三権分立制、経済制度としての資本主義を採用している連邦国家の1つである。 国土は、北アメリカ大陸中央部の大西洋と太平洋に挟まれた本土(48州と連邦政府直轄地である首都ワシントンD.C.)、大陸北西部のアラスカとアリューシャン列島(アラスカ州)、太平洋のハワイ諸島(ハワイ州)。さらに本国の他に、プエルトリコやグアム島などの海外領土を領有する。アラスカとハワイを除く本土は、北はカナダ、南はメキシコと隣接。アラスカ州はベーリング海峡を挟んでロシアと接する。」。

人口総計(2012年) 3億1038万[3]人(3位) ;人口密度 33.7人/km2

WIKIPEDIA「ベニート・ムッソリーニ。(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%99%E3%83%8B%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%BB%E3%83%A0%E3%83%83%E3%82%BD%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%8B)」

WIKIPEDIA「アドルフ・ヒトラー。(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%89%E3%83%AB%E3%83%95%E3%83%BB%E3%83%92%E3%83%88%E3%83%A9%E3%83%BC)」

WIKIPEDIA「大政翼賛会。(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E6%94%BF%E7%BF%BC%E8%B3%9B%E4%BC%9A)」

開隆堂ホームページは、「会社案内。http://www.kairyudo.co.jp/contents/07_company/index.htm())」で、「開隆堂は大正15年(1926年)に創立し、昭和21年(1946年)に開隆堂出版株式会社として設立されました。以来、検定教科書(英語、図画工作、美術、家庭、情報)と学習教材、一般書等を創り続けています。     初の民間会社だからこそ、“教育”にかける情熱があります 昭和23年(1948年)、それまで国定だった教科書制度は検定制度へと移行しました。 開隆堂は民間教科書会社の第一号として、そのときから本格的に教科書出版に取り組み始めました。 まず最初に発行した教科書が、英語教科書「Jack & Betty」です。 みなさんの中にもご存知の方がいらっしゃるでしょう。この「Jack & Betty」は、その後20年以上にわたって親しまれ、おかげさまで発行部数4,000万部を超える教科書のベストセラーとなりました。「Jack and Betty」がこれほどまでに受け入れられたのには、理由がありました。」と報じた。


半端道楽(愛しきもの 植物):ワラビの中で頑張るスカシユリ

庭にワラビを植えたら予想外に増殖。草丈も1m位になり大失敗。WIKIPEDIAによるとワラビは酸性土を好むらしいので、庭はかなり酸性に傾いているのかもしれない。

WIKIPEDIA「ワラビ。(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AF%E3%83%A9%E3%83%93#.E9.A3.9F.E7.94.A8)」によれば、「ワラビ(蕨、学名:Pteridium aquilinum)はシダ植物の1種。コバノイシカグマ科であるが、かつてはイノモトソウ科に分類されていた。草原、谷地、原野などの日当たりのよいところに群生している。酸性土壌を好む。山菜のひとつに数えられている。 春から初夏にまだ葉の開いてない若芽(葉)を採取しスプラウトとして食用にするほか、根茎から取れるデンプンを「ワラビ粉」として利用する。ただし、毒性があるため生のままでは食用にできない。伝統的な調理方法、熱湯(特に木灰、重曹を含む熱湯)を使いあく抜きしたワラビや塩漬けでは無毒化される。」。

「日々農天気(愛しき雑草):ワラビの生えた庭はジュラシックパーク?(http://af06.kazelog.jp/itoshikimono/2013/04/post-7acf.html)。(2013年4月16日火曜日)」

最近、この強敵のワラビの中で以前植えたスカシユリが咲き出した。ユリは、背丈より低い雑草なら押しのけて咲くようだが、サスガに背丈以上の相手にはかなわない。少し日光を当ててやらないと先々衰弱しそうだ。いつか株の周辺のワラビを刈らなくては。ともかく日陰のような環境で咲いているだけ鮮やかに感じる。
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2013年7月 3日 (水)

残照雑記:「国定忠治終世の地大戸見学日程」の思い出(5)=加部安大尽の屋敷跡

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昨日は曇り時々晴れ。最高気温() 29.5 13:37。ざっそう句:ヒラリヒラ オハグロトンボ 飛んでった。二回目に播いたトウモロコシ区画除草。下仁田ネギ区画除草。トウモロコシ施肥。鉄砲ユリ、ニンジン区画除草。ジニア移植。雑草との格闘は終わることがない。その雑草の中に、トマトやナスが発芽している!夕方買い物。

201372日の天気(AMEDAS

TAVE= 24.3 NO DATA
TMAX= 28.8 最高気温(℃) 29.5 13:37 
TMIN= 21.2 最低気温(℃) 21.1 05:22 
DIFF= 7.6  
WMAX= 4.3 最大瞬間風速(m/s)(風向(16方位)) 8.3(東南東) 14:11 
SUNS= 3.3 NO DATA
RAIN= 0 NO DATA

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残照雑記:「国定忠治終世の地大戸見学日程」の思い出(5)=加部安大尽の屋敷跡

日程の第6番目には、加部安大尽の屋敷跡とある。その一部が資料館になっているようだ。屋敷の頑強さを示すのがその石垣。当時、武家以外の石垣は丸石積みしか許されなかったそうだ。ところが、加部安屋敷の石垣は切石がその要所に使われている。

加部安左衛門は代々襲名されたようで、Aさんの説明では、加部安左衛門は明治の頃横浜に事業の中心を移して、地元の家業は疎かになったとの事だ。WEB情報では生糸商を営んだようだ。最近、富岡製糸場と絹産業遺産群がユネスコの歴史的産業遺産登録で脚光を浴びているが、富岡製糸場は官業の二次産業の部分を受け持っている。残りの三遺産がいわば民営の一次産業の部分だろう。絹産業の第三次産業部門が通商関係だが、その部分にどんな遺産が残っているのか。ともかく、絹産業の通商分野も注目する必要があるだろう。

明治の国力を支えた絹の国際的通商という点で、加部安左衛門がどのような活動をしたのか興味があるところだ。更に俳句にも傾注したとの事(琴堂:きんどう・加部かべ、名主/俳人)。もう一人、自分が注目している群馬県出身の人物で通商で成功した人物に伏島近蔵がいる。横浜の発展に大きく貢献した事より、群馬県より横浜の恩人として横浜での知名度が高いのではないか。

大正用水史によると、伏島近蔵は大正用水の開鑿アイデアも持っていたとの事だ。

WIKIPEDIA「伏島近蔵。(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BC%8F%E5%B3%B6%E8%BF%91%E8%94%B5#.E9.A0.8C.E5.BE.B3.E7.A2.91.E3.81.A8.E9.8A.85.E5.83.8F)」

「加部琴堂 とは - コトバンク(http://kotobank.jp/word/%E5%8A%A0%E9%83%A8%E7%90%B4%E5%A0%82)」に、「加部琴堂 かべ-きんどう:1829-1894 幕末-明治時代の豪商,俳人。
文政12年生まれ。上野(こうずけ)(群馬県)大戸村の人。加部安左衛門12代目。俳諧(はいかい)を志倉西馬(さいば)に,国学を橘守部(たちばな-もりべ)に,儒学を亀田綾瀬(りょうらい)にまなぶ。安政5年(1858)横浜開港に際し,横浜に出店し生糸・麻などをあきなった。のち高崎に移住。明治27年5月9日死去。66歳。名は嘉重。別号に一籟居,屏山桜。句集に「穂長集」。」とある。

実業人から、さらに文化人への転身というのは、群馬では珍しいのではないか。それほど群馬県は文化のレベルが低いのだろうか。そういう点では、加部安左衛門も群馬文化のパイオニアとして注目に値するだろう。
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2013年7月 2日 (火)

残照雑記:「国定忠治終世の地大戸見学日程」の思い出(4)=道しるべ石と大戸の関所跡

201372()
昨日は曇り。最高気温() 28.9 15:22。ざっそう句:本命が ダメでその他が 盛り上がる。自由外出。案内のハガキを貰ったので出かけた。コースを間違えば、道を覚える。本命がだめなら、その穴埋めを考える。まさに自由外出。さて、昨日の暦(六輝)を見ると「先負」であった。その解は、午前凶、午後吉。何事も結果論は面白くない。実は、密かに練っていた次の一手が奏功した。

201371日の天気(AMEDAS

TAVE= 23.9 NO DATA
TMAX= 27.4 最高気温(℃) 28.9 15:22
TMIN= 21.5 最低気温(℃) 21.5 06:27
DIFF= 5.9  
WMAX= 3.7 最大瞬間風速(m/s)(風向(16方位)) 7.3(東) 19:22
SUNS= 0.9 NO DATA
RAIN= 0 NO DATA

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残照雑記:「国定忠治終世の地大戸見学日程」の思い出(4)=道しるべ石と大戸の関所跡

日程の第4番目には、文化八年の道しるべ石、抜け道の入り口北とある。東吾妻町 指定文化財一覧(http://www1.town.higashiagatsuma.gunma.jp/www/contents/1346140548768/index.html)によると、「矢竹・塩ノ平の道標(東吾妻町須賀尾・大戸)」に相当するものかもしれない。これも画像は残っていない。と思っていたが、日程とルートは一致していないのでややデータの並び場所が異なっていた。
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日程の第5番目には、大戸の関所跡とある。ここが、見学の目玉である。残念ながら、国定忠治の処刑された地点がどこなのか聞くのを忘れた。また、処刑された国定忠治の遺骸の行方も諸説あるようだ。

かつて、高橋敏著「国定忠治」(岩波新書)を読んでその処刑の場面を思い浮かべた記憶がある。大戸は国定忠治処刑の地であり、慰霊の地でもあるようだ。国定忠治処刑の罪名が関所破りであるので、大戸が処刑地に選ばれたという説もあるようだが、真相はどうなのだろうか。当時既に、関所を通らなくても済む近道もあったらしい。関所も通関すべき者はその理由を示して通らねばならないという掟を守らせる手段であったが、影響力の乏しい平民は、近道を使っても目をつむっていたのだろうか。
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2013年7月 1日 (月)

寝言老人が幼少の頃:七夕祭り

2013年7月1日(月)
昨日は曇り一時晴れ。最高気温(℃) 27.9 14:21。ざっそう句:七夕や 青田に揺れて 夢ほのか。ゴボウ、サツマ区画の除草。ゴボウは手作業。サツマはネジリ鎌。一株根本から切ってしまった。ジニア、マリゴ区画草むしり。両方こぼれ種も発芽している。ヤブガラシ根掘り。いよいよ7月に入った。今年の関東甲信の梅雨入りは 5月29日ごろで平年差で 10日早く、 昨年差で11日早く、平年は 6月 8日ごろ、昨年は6月 9日ごろだった。梅雨明けは平年で7月21日ごろで、昨年は 7月25日ごろだった。<向こう1か月の気温の各階級の確率=20/低い、30/平年、50/高い(%)>で、平年より高い予想(気象庁)。しっかり体調管理をしたい。

2013年6月30日の天気(AMEDAS)

TAVE= 23.1 NO DATA
TMAX= 27 最高気温(℃) 27.9 14:21
TMIN= 19.9 最低気温(℃) 19.6 05:18
DIFF= 7.1  
WMAX= 3.7 最大瞬間風速(m/s)(風向(16方位)) 7.1(南東) 18:38
SUNS= 1.8 NO DATA
RAIN= 0 NO DATA

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寝言老人が幼少の頃:七夕祭り

幼少の頃は、色々な年中行事があり、その行事と共に生活が回転していたようだ。農業が中心であったので、当然農業と季節と行事が組み合わせになっていたのだろう。自宅で七夕祭りをしたのも、自分が幼少の頃と自分の子供達が小学生頃だったように思う。子供中心に祭りが回っても、昔はこのような行事を通して大人からから子供へと風習が伝わったのだろう。

「三和町の民俗」という当地区の調査資料には、年中行事として当時の風習が記録されている。各地区でも同じようだが、少しずつ異なった風習があるようだ。田植えが終わって、オサナブリという一種の慰労祭のような祝い事があり、その次ぎに七夕祭りとなる。丁度タケノコが新しい竹に育つ頃で、その竹に短冊をつるす。短冊には「天の川」とか願い事を書いたようだ。当地区ではおはぎを作って七夕さまにあげ、墓の掃除も行う風習だったようだ。七夕が終わると、それを田圃に持ってゆき、畦に立てた。これも豊作を願う一種のおまじないのような意味があったようだ。

伊勢崎市の七夕祭りは、商店街の活性化も大きな目的らしく、今年は、第59回が平成25年7月13日(土曜日)・14日(日曜日);(注)両日とも荒天の場合は7月15日(月曜日・祝日)に順延(http://www.city.isesaki.lg.jp/www/contents/1358387948598/index.html)との事だ。伊勢崎市の七夕祭りも来年還暦を迎えるようだ。

振り返ると、伊勢崎市の七夕祭りは自分が幼少の頃に始まっていたようだ。当時は、中心街まで七夕祭りを見物に行くのは夢のようであった。大抵は自宅で七夕祭りを祝う程度であった。一昨年たまたま、用事で出掛けたときが伊勢崎市の七夕祭りだったので、一人で見物した事がある。その時のデジカメ画像が残っている。老若男女が見物を楽しんでいた。最近、高齢者の町内行事で、七夕飾りを作った。参加者は雑談も止めて熱心に作っていた。やはり、幼い頃にした遊びをする事により、純粋な童心に帰るのではないかと思う。
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2013年6月30日 (日)

残照雑記:「国定忠治終世の地大戸見学日程」の思い出(3)=上州一の大尽加部安左衛門の墓地

2013年6月30日(日)
昨日は曇り後晴れ。最高気温(℃) 29.8 14:24。ざっそう句:一日が ばっさり二つ 昼寝して。ようやくタマリュウの改植が終了。最後にフルイで土をかけて灌水。一昨日購入したポータブルラジオを使い始めた。聞いたことがない外国メーカー製だが、AM/FM2バンドで安定している。最近は昔のラジカセのカセットがSDカードのMP3録音機に進歩しているようだ。が名前が分からない。録音機がICレコーダーと言うようなのでラジレコか。WEBで価格を調べると1万円前後。あれば便利。最近はめっきり深夜早朝ラジオを聞いていない。

2013年6月28日の天気(AMEDAS)

TAVE= 23.7 NO DATA
TMAX= 29.1 最高気温(℃) 29.8 14:24
TMIN= 19.8 最低気温(℃) 19.8 05:17
DIFF= 9.3  
WMAX= 4.2 最大瞬間風速(m/s)(風向(16方位)) 9.5(東南東) 17:38
SUNS= 4.2 NO DATA
RAIN= 0 NO DATA

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残照雑記:「国定忠治終世の地大戸見学日程」の思い出(3)=上州一の大尽加部安左衛門の墓地

日程の第2番目は五町田一家親分村上嘉四郎墓地であった。これに相当する画像は見つからない。訪問したか否かの記憶もはっきりしない。

日程の第3番目に大戸の大運寺、上州一の大尽加部安左衛門墓地と記されている。忠治と加部安を結びつけたのは何か。忠治が処刑の前に所望したのが加部安の酒だったとか。忠治にとってはまさに水杯となったのが加部安の酒。

改めて、墓碑の側面の戒名を拡大して見ると、「居士」と「大姉」が並んでいるのが何とか読みとれた。夫婦墓というのは今では珍しいようだが、加部安左衛門墓碑が夫婦墓ならまた、上州人の心意気を伝えているようにも感じる。加部安左衛門を地域一番の大尽まで盛り立てた裏にはおっかさんのように頼りになる女性がいたのかもしれない。Aさんは、加部安は俳句などに現を抜かしていたので身上が傾いてしまったと語っていたのが印象に残っている。

尚、上州の三大尽は一:加部 二:佐波 三:鈴木だそうだ。bingで「上州の三大尽」を検索=http://www.bing.com/search?q=%E4%B8%8A%E5%B7%9E%E3%81%AE%E4%B8%89%E5%A4%A7%E5%B0%BD 。
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追記(2015/9/9):「0031_国定忠治関連記事目次」:

(http://af06.kazelog.jp/itoshikimono/0031_KUNISADA-CYUUJI_KIJI.html)。(このページへのリンク

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2013年6月29日 (土)

ハトよ 鳴いておくれ(愛しき古里):お富士山古墳の石棺を見て広がるイメージ

2013年6月29日(土)
昨日は朝雨後晴れ。最高気温(℃) 25.4 16:29。ざっそう句:あの店の 看板いつか 外国語。朝飯前にタマリュウの改植続行。まだ終わらない。朝飯後に定例の仕事。ついでにP区画の除草。背が高くなるヒメジョオン等を抜く。それから用事外出。用事の前後に買い物やタウンウォッチング。昔馴染みの店に入ったらブラジル食品店に衣替えしていた。外国送金を手伝う窓口があった。BANKかと聞いたが言葉が通じない。ブラジルはポルトガル語。ペルーはスペイン語との事。ペルーと言えば日本人の大統領がいたっけと聞くと、フジモリさんネ、病気で刑務所らしいとの事。時代の流れを感じた一時。無料の外国語新聞や雑誌を貰う。おみやげに原産国ブラジルと記された乾パンのような物を買った。ワードが暴走。安定度が良くない。再入力。WZエディターは一度も暴走していない。
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Q:ダミースペース(画像に文字が回り込む)
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2013年6月28日の天気(AMEDAS)

TAVE= 21.7 NO DATA
TMAX= 25 最高気温(℃) 25.4 16:29 
TMIN= 18 最低気温(℃) 18.0 05:01 
DIFF= 7  
WMAX= 2.9 最大瞬間風速(m/s)(風向(16方位)) 6.5(東南東) 00:46 
SUNS= 0 NO DATA
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ハトよ 鳴いておくれ(愛しき古里):お富士山古墳の石棺を見て広がるイメージ

先日、富士山と美保の松原がユネスコの文化遺産に登録された。富士は日本一の山と親しまれ、昔の銭湯には決まって富士山が描かれていたようだ。まさに、銭湯に入って富士山を眺めいい気分になるのが庶民の楽しみだったのかもしれない。

古墳を見ると、色々なイメージが湧いてくる。WIKIPEDIA「古墳。(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E5%A2%B3)」によれば、「古墳(こふん)とは、一般に日本史上、3世紀後半から7世紀前半に築造された墳丘を持つ古い墓である。古代の東洋では位の高い者や権力者の墓として盛んに築造された。 日本史では、墳丘を持つ墓は墳丘墓と呼んでいるが、この内、3世紀後半から7世紀前半に築造されたものを特に「古墳」と呼んで区別している。」。

古墳が築造された時代が、丁度日本という国が形を持ち始めた時期に重なるため、日本、日本の歴史とも関係して多くの人の関心を集めるのではないかと思う。そういう点で、古墳の見方感じ方は時代と共に変わっているのだろう。

「ざっそう句:古代へのロマン 伊勢崎の古墳群(http://af06.kazelog.jp/itoshikimono/2012/02/post-930a.html)。(2012/2/12(日))」

古墳の謎の多くは、それを文字で記録した証拠が無いことによるのだろう。その記録も、色々な人が色々な観点から記録していれば、それだけ記録の精度は向上する。しかし、古墳築造の時代は、まだ漢字も十分普及していなかった時代のようで、古墳を読み解くには古墳に聞く以外に方法が無いのが現実のようだ。

今年の春、殖蓮史談会の史跡巡りで、「埼玉県立さきたま史跡の博物館 (http://www.sakitama-muse.spec.ed.jp/)」を見学した。お目当ては、「埼玉の国宝の1つ「金錯銘鉄剣(きんさくめいてっけん)」」であった。出土した鉄剣から古墳の被葬者が特定された極めて珍しい例がここに展示されている。早速、説明員にその古墳が出来た頃はまだ漢字が伝わっていなかったのではないかと聞くと、その刀剣を作った人の中に漢字が分かる渡来人がいたのだろうという回答をしてくれた。

パソコンに蓄積してあるデジカメ画像も徐々に記憶が薄れてどのような機会に撮影したのかはっきりしなくなる。残っていたお富士山古墳の写真はたった3枚。2009/11/9のタイムスタンプがあった。同じ日付の八坂用水の画像もあるので、八坂用水を見てから、偶然お富士山古墳へ回ったようだ。古墳の周辺は畑や水田であった。いわば低地にぽつんとある古墳である。水田開発は比較的新しく、昔は里山の風景があったのだろうかと想像した。そうすると、お富士山古墳の周辺には小さな古墳があったかもしれないと想像が膨らむ。

伊勢崎市ホームページには、「お富士山古墳。http://www.city.isesaki.lg.jp/www/contents/1355363671957/index.html(2013年1月4日更新))」というタイトルで、「お富士山古墳は全長125メートルの5世紀中頃の前方後円墳である。両毛線により前方部の一部が切断されているが、前方後円墳の形状をよくとどめている。昭和38年(1963年)群馬大学の学術調査で、墳丘は3段築造され、葺石が巡り、大型円筒埴輪の配列が確認された。後円部頂上の富士神社そばに砂岩製で縄掛突起をもつ県指定重要文化財の長持形石棺がある。」と紹介している。

更に同市は、「お富士山古墳所在長持形石棺http://www.city.isesaki.lg.jp/www/contents/1354006355686/index.html(2013年2月5日更新))」というタイトルで、「長持形石棺は古墳の後円部に置かれる。砂岩製で、全長285センチメートル、幅121センチメートル、重さ6.8トン。長持形石棺は5世紀に畿内の大型前方後円墳にみられ、県内ではお富士山古墳と太田市の天神山古墳で確認されているだけである。形態や制作技法が畿内の石棺と共通し、畿内の工人が東国へ派遣されて製作したと考えられている。」と紹介している。

そこで、国土地理院のウォッチズでその周辺の地形を調べた。その一部をお富士山古墳の石棺写真と連結して引用しておく。ウォッチズは表示した画面にリンク情報(http://watchizu.gsi.go.jp/watchizu.html?longitude=139.17184963728&latitude=36.336920281549)が示されるので、そのリンクから閲覧した方が便利だろう。

その地図をみると、オートレース場の北側で広瀬川と神沢川が合流する地点の数百m北東にあるのが分かる。市の説明に「墳丘は3段築造され、葺石が巡り」とあり、広瀬川の川原石を使うのには最適な場所のようだ。地図の等高線からみるとかなりの平坦地である。平坦地に山が一つだけ見えるという構図はまさに富士山が醸し出す風景に重なるのである。説明板によると、お富士山には富士神社があると記されている。

尚、群馬県埋蔵文化財調査事業団ホームページには、「群馬の遺跡・出土品群馬の遺跡案内 中毛地区お富士山古墳。http://www.gunmaibun.org/remain/guide/tyumo/ohujiyama.html())」というタイトルで、「もっと知りたい!の項で、お富士山古墳のある周辺は、本古墳を中心に市内でも有数の古墳群を形成していました。しかし、現在では開墾されてしまい確認できません。 1981年に国立歴史民俗博物館で石棺のレプリカ制作に伴う型取り作業に際して調査を行い、古墳が作られた年代と、石棺の年代がほぼ一致することから、お富士山の石棺である可能性が極めて高いと報告されています。」と紹介している。

文化庁は「「富士山」の世界遺産一覧表への記載決定について(PDF形式(260KB))(http://www.bunka.go.jp/ima/press_release/)(2013年6月22日)」として、報道発表している。ユネスコに評価されたのは「富士山-信仰の対象と芸術の源泉」という側面もあると思うが、信教の自由という観点か、「信仰の対象」は余り脚光を浴びていないように感じる。

多分、お富士山古墳と日本一の富士山も何かの関係があるのかもしれないと思った。その接点に信仰があったのではないか。古墳自体、仏教という外来思想が広まる前後の日本人の精神世界を現しているのかも知れない。それにしても、石棺に埋葬された被葬者は、自分の墓が暴かれ、遺骸を収容した黄泉の国に通じる頑強な石棺が、展示物件になってされているのを見たらびくり仰天するのではないか。
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IOI_OFUJIYAMAKOFUN_SEKIKAN_MAP_3PIX.jpgをダウンロード

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2013年6月28日 (金)

日々農天気(花と実を楽しむ):高接ぎのハリウッドが実をつけた

2013年6月28日(金)
昨日は朝雨後晴れ。最高気温(℃) 28.3 16:08。ざっそう句:網かぶり 蚊取り線香 焚き仕事。ゴボウ区画の除草。双葉の間に本葉が見えてきたところ。タマリュウの間にヤブガラシ、ドクダミ、ニラ、スギナが生えている。どれも侮りがたい強敵。結局堀上げて株分けをして除去後改植。シランを移植。半袖シャツで作業したのでかなり蚊に刺された。蚊取り線香でお灸も食らった。

2013626日の天気(AMEDAS

TAVE= 22.0 NO DATA
TMAX= 27.9 最高気温(℃) 28.3 16:08
TMIN= 17.6 最低気温(℃) 17.5 07:16
DIFF= 10.3  
WMAX= 3.8 最大瞬間風速(m/s)(風向(16方位)) 9.6(東南東) 19:42
SUNS= 7.7 NO DATA
RAIN= 4 NO DATA

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日々農天気(花と実を楽しむ):高接ぎのハリウッドが実をつけた

今年は冬の寒さが厳しく、果樹の開花がかなり遅れた。暖かくなって一斉に咲いた感じがした。我が家のスモモもあまり期待された存在ではない。木は大きいが実はほとんど付けない。スモモは他品種受粉をさせると実付きが良くなるとの事だ。

父がかつてスモモを作っていた頃があり、その頃読んだらしい参考書が残っている。現在、スモモ品種だけの参考書は書店で見たことがない。父が作ったスモモの品種の中にソルダムがあったのを覚えている。それを食べた話を色々な人から聞くので、量はそこそことれたようだ。父が、スモモの木を堀上げて、数十年後に自分がスモモの木を植えたのも何かの因縁があるようだ。結果は惨憺で、諦めに近い。

数年前に、農林大学校で果樹、花卉、野菜の研修を受けた。そこの果樹園にはスモモも植えられていて、授粉にハリウッドという品種があると知った。たまたまその品種が園芸店に並んでいたので、ならないスモモの木の授粉用に購入した。わざわざ、花粉を採取して人工授粉をせず、昆虫任せ。ハリウッドの花は咲いたがその効果はほとんどなし。

仕方ないので、ならせたいスモモの木にハリウッドを高接ぎした。ハリウッドは葉も花も紅色なので、花が咲くと少し異様な風景になる。それでも実は生っていない様子。最近、高接ぎした枝に実がなりはじめた。原木は実は生らずどんどん大きくなっている。その高接ぎした枝を見たら、幾つか実がなっていた。幾つか収穫して試食した。まだ酸っぱいというと、酸っぱいのが好きという人がいて救われる思いがした。

それにしても、お婿さんが一人で頑張っているようで、スモモも何か最近の女性に似てきたのかななどと変な空想を楽しんでいる。やはり、相性というより、開花のタイミング会わせ等が不十分なのかもしれない。勉強不足や努力不足が生らない本当の原因なのだろう。Ioi_hariuddo_sumomo_1306243pix


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2013年6月27日 (木)

残照雑記:「国定忠治終世の地大戸見学日程」の思い出(2)=一倉家の墓地

2013年6月27日(木)
昨日は曇り後雨。最高気温(℃) 23.5 10:32。ざっそう句:菜園に オクラが無けりゃ 夏は来ぬ。畑仕事をしようと外に出たらすぐに雨が降り出した。運良く、台所から海苔の筒に入れた昨年採取した野菜の種が出てきた。昨年オクラは二回目を6月初めに播いたので、それより1月ほど遅れている。オクラがオクレテルではギャグにもならない。とりあえず、ポットに種を播いて屋内へ退散。それにしても、種子を海苔の筒に入れて台所で保管したのが失敗。ともかく、オクラ入りにはならなかったので運が良ければ夏の食卓に間に合うだろう。

2013年6月26日の天気(AMEDAS)

TAVE= 20.9 NO DATA
TMAX= 23 最高気温(℃) 23.5 10:32
TMIN= 18.8 最低気温(℃) 18.8 24:00
DIFF= 4.2  
WMAX= 3.4 大瞬間風速(m/s)(風向(16方位)) 8.2(東) 17:32
SUNS= 0 NO DATA
RAIN= 36.5 NO DATA

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残照雑記:「国定忠治終世の地大戸見学日程」の思い出(2)=一倉家の墓地

その第1番目の別行に「忠次の妾おとくの居候した一倉家の墓地」という書き込みがある。その日程に従って訪問した墓地のデジカメ画像も残っていた。WEB上には墓地訪問の記事が見られるが、自分にとって墓地訪問はなんとなく重苦しさを感じる。

「おとくさん」こと菊池徳に関しては、「国定忠治を男にした女侠 菊池徳の一生 高橋 敏著  朝日新聞社」に詳しい。「おとくさん」の事を知ったのもこの頃だったと思う。

「国定忠治生誕200年(http://af06.kazelog.jp/itoshikimono/2008/10/post-a263.html)。(2008/10/18)」

Cさんも自分の足で、菊池徳について調べていた。菊池徳は「国定忠治を男にした女侠」と勇ましい肩書きを貰い、キャッチコピーとしては人目を引くが実際はどうだったのか。Cさんは菊池家の現当主・元町議の方に講演を依頼したとのことだったがついに実現できずに終わってしまったようだ。前記書物の内容は、地元群馬の女性菊池徳を通して、当時の女性の生き様を教えてくれる希有の内容だけに、肩書きだけは残念だ。

たまたま、「五目牛南組遺跡(歴史時代遍) 編集・発行/(財)群馬県埋蔵文化財調査事業団 平成4年11月30日発行」を見ていると、「(3)特論 A 近世村五目牛と四農家の素描  高橋 敏」という記事が掲載されていた。同書から、高橋 敏の所属・肩書き等は不明だが、整理協力者の筆頭にリストアップされている。遺跡の調査報告書にこのような記事が掲載されるのは珍しい。しかし、二度と不可能な破壊調査において、このような記録が残された事に敬意を表したい。この報告書も、菊池徳を歴史的に・客観的に理解する良い参考書ではないか。

墓地は特異な空間ではあるが、完全に閉ざされた空間ではない。善意でそこを訪れる人々を拒絶まではしていないと思う。訪れる者もそこから何かのメッセージを受け止めようとするのではないか。そんな事を思いながらの墓所巡りではあった。
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2013年6月26日 (水)

日々農天気(環境雑録;輪廻のトンネル):畑で子カマキリに会う

2013年6月26日(水)
昨日は曇り時々晴れ。最高気温(℃) 28.9 15:12。
ざっそう句:ビワ食えど 昔も今も 種でかい。ツルなしインゲンの種子をもらったのでまく。久留米鶏頭の播種。前回は失敗。二回目。百均店二袋で@105円。種子が非常に小さいので均一に蒔けない。乾いた砂に混ぜて増量して播いた。ミカン区画の手入れ。草むしりとツル退治。ジニア区画除草。ヤブガラシの根掘りも同時にする。根が地下にはい回っている。その根に栄養分を蓄えているのでツルが伸び出すと急成長する。もう蕾が付いている株もある。
先の日曜日東京都都会議員選挙が行われた。以下は東京都ホームページに掲載された投票結果である。前回より11%ほど投票率が低い。その理由は?都民が白けているのか。

投 票 結 果
20時 00分 現在 確定

選挙区名当日有権者数投票者数棄権者数投票率[%]前回
投票率[%]
東京都計 10,589,228 4,606,599 5,982,629 43.50 54.49
区部計 7,238,549 3,157,086 4,081,463 43.61 54.40
市部計 3,279,943 1,416,385 1,863,558 43.18 54.61
西多摩町村部計 48,079 19,273 28,806 40.09 52.85
島しょ町村部計 22,657 13,855 8,802 61.15 70.72

2013624日の天気(AMEDAS
TAVE= 24.6 NO DATA
TMAX= 29.4 最高気温(℃) 30.1 14:30
TMIN= 21 最低気温(℃) 20.9 05:10
DIFF= 8.4  
WMAX= 4 最大瞬間風速(m/s)(風向(16方位)) 9.0(南東) 16:02
SUNS= 5.3 NO DATA
RAIN= 1 NO DATA

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日々農天気(環境雑録;輪廻のトンネル):畑で子カマキリに会う

夏、栄養を摂って太ったカマキリが産卵して、樹木の枝の卵塊の形で冬を越し、春になるとそのカマキリが羽化して、出てくる。先日、出会った子カマキリはまだ3㎝程度。色は緑色。ミカンの葉の上にいた。緑色も保護色なのだろう。

子カマキリなので、怖さはない。人間で言えば、少年・少女かそれ以前の幼年期程度でではないか。カマキリが活動するのは一年の半分くらいしかない。餌となる小さな昆虫等が現れる前に現れては生存できない。そんな事を思うと子カマキリもそれなりに愛らしさがある。

ミカンの葉の上でポーズをとらせようと指を差し出したら指に飛び乗ってきた。ほとんど、そこに子カマキリがいるという感覚がない。右手に持ったデジカメでシャッターを押した。パソコンにデジカメデータをSDカードから取り込んでいるが、どうもそのデータがゴミデータとして残っているようで、撮影したデータを次回SDカードに書き込むとき、そのゴミデータがいたずらをしているようだ。指の上の子カマキリの色調がおかしい。デジカメ側でフォーマットして試したい。

デジカメで撮影するとき、比較の対象物を写し込むと大きさを理解しやすい。今回は自分の指がその役をつとめた。先日、小さな子バッタも見たが、そちらは見失った。昆虫も、一年一世代を繰り返すのもいるが、蚊は更に世代交代が多いようだ。WIKIPEDIA「カ。(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB#.E7.94.9F.E6.B4.BB.E7.92.B0)」によれば、「卵から蛹までの期間は種や温度によって変わる。イエカの一種 Culex tarsalis は、20℃の環境では14日で生活環を完成させるが、25℃の環境では10日である。」。との事。
「日々農天気(愛しきもの 生き物):ポリコップの中のボウフラ(http://af06.kazelog.jp/itoshikimono/2012/07/post-5c4a.html)。(2012年7月15日日曜日)」

夏は、昆虫の天国だ。それにしても、なぜ人間はカマキリをみるとゾットするのか。本能的な反応なのか、学習した結果なのか。
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2013年6月25日 (火)

読みかじりの記(ツルよ 飛んでおくれ):青空文庫で萩原朔太郎「氷島」を読む。20130625。

2013年6月25日(火)
昨日は曇り時々晴れ。最高気温(℃) 28.9 15:12。ざっそう句:青葉には 青い衣の 子カマキリ。ミカン苗区画除草。自働蒔きダイコン区画の除草。買い置きのポーチュラカを改植。昨年、自家採種したダイコンの莢から種子を抽出。夕方頃にわか雨がパラパラと降る。自家採種ダイコンの種を播いて終了。

2013624日の天気(AMEDAS

TAVE= 23.4 NO DATA
TMAX= 28.5 最高気温(℃) 28.9 15:12
TMIN= 20 最低気温(℃) 19.6 01:37
DIFF= 8.5  
WMAX= 3.4 最大瞬間風速(m/s)(風向(16方位)) 7.6(東南東) 14:47
SUNS= 4 NO DATA
RAIN= 0 NO DATA


読みかじりの記(ツルよ 飛んでおくれ):青空文庫で萩原朔太郎「氷島」を読む

萩原朔太郎は昭和九年二月と記された自序の末尾に、「因に、集中の「郷土望景詩」五篇は、中「監獄裏の林」の一篇を除く外、すべて既刊の集に發表した舊作である。此所にそれを再録したのは、詩のスタイルを同一にし、且つ内容に於ても、本書の詩篇と一脈の通ずる精神があるからである。換言すればこの詩集は、或る意味に於て「郷土望景詩」の續篇であるかも知れない。著者は東京に住んで居ながら、故郷上州の平野の空を、いつも心の上に感じ、烈しく詩情を敍べるのである。それ故にこそ、すべての詩篇は「朗吟」であり、朗吟の情感で歌はれて居る。讀者は聲に出して讀むべきであり、決して默讀すべきではない。これは「歌ふための詩(うた)」なのである。」と述べている。

そうして、自序の冒頭には、「近代の抒情詩、概ね皆感覺に偏重し、イマヂズムに走り、或は理智の意匠的構成に耽つて、詩的情熱の單一な原質的表現を忘れて居る。却つてこの種の詩は、今日の批判で素朴的なものに考へられ、詩の原始形態の部に範疇づけられて居る。しかしながら思ふに、多彩の極致は單色であり、複雜の極致は素朴であり、そしてあらゆる進化した技巧の極致は、無技巧の自然的單一に歸するのである。藝術としての詩が、すべての歴史的發展の最後に於て、究極するところのイデアは、所詮ポエヂイの最も單純なる原質的實體、即ち詩的情熱の素朴純粹なる詠嘆に存するのである。(この意味に於て、著者は日本の和歌や俳句を、近代詩のイデアする未來的形態だと考へて居る。)
 かうした理窟はとにかく、この詩集に收めた少數の詩は、すくなくとも著者にとつては、純粹にパッショネートな詠嘆詩であり、詩的情熱の最も純一の興奮だけを、素朴直截に表出した。換言すれば著者は、すべての藝術的意圖と藝術的野心を廢棄し、單に「心のまま」に、自然の感動に任せて書いたのである。したがつて著者は、決して自ら、この詩集の價値を世に問はうと思つて居ない。この詩集の正しい批判は、おそらく藝術品であるよりも、著者の實生活の記録であり、切實に書かれた心の日記であるのだらう。」と記している。

さらに、「讀者よろしく、卷尾の小解と參照して讀まれたい。」とも述べている。いわば、文学という技巧をかなぐり捨てて、自分の素直な心情記録・日記として「氷島」を出したのだと宣言している。そうして、読んでみたいと思って検索したキーワードは「忠治」だった。「國定忠治の墓」の墓がヒットした。Googleの検索式:<「忠治」 site:http://www.aozora.gr.jp/cards/000067/>で二件ヒットした。

「國定忠治の墓」こそ、自分が探した目標だったので、やった!という感じだ。なぜ忠治なのか。先日書いた、「残照雑記:「国定忠治終世の地大戸見学日程」の思い出」(

残照雑記:「国定忠治終世の地大戸見学日程」の思い出(1)=大久保一家の墓地

)とも通じるが、「国定忠治」も、すでに、原像が放つ白色光は消失し、それを見たり・読んだり・感じたりした結果として、スペクトルに分解された光しか見ることができないのだ。

萩原朔太郎は本書で、「しかしながら思ふに、多彩の極致は單色であり、複雜の極致は素朴であり、そしてあらゆる進化した技巧の極致は、無技巧の自然的單一に歸するのである。」と述べている。この「國定忠治の墓」の背景には、萩原朔太郎の世界が見えるのではないか。

この詩の小解を先ず引用する。
「 國定忠治の墓  昭和五年の冬、父の病を看護して故郷にあり。人事みな落魄して、心烈しき飢餓に耐へず。ひそかに家を脱して自轉車に乘り、烈風の砂礫を突いて國定村に至る。忠治の墓は、荒寥たる寒村の路傍にあり。一塊の土塚、暗き竹藪の影にふるへて、冬の日の天日暗く、無頼の悲しき生涯を忍ぶに耐へたり。我れ此所を低徊して、始めて更らに上州の蕭殺たる自然を知れり。路傍に倨して詩を作る。」

この数行を読むと、「國定忠治の墓」ができた背景が真に迫ってくる。WIKIPEDIA「萩原朔太郎。(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%90%A9%E5%8E%9F%E6%9C%94%E5%A4%AA%E9%83%8E)」によれば、「萩原 朔太郎(はぎわら さくたろう、1886年(明治19年)11月1日 - 1942年(昭和17年)5月11日)は、日本の詩人。大正時代に近代詩の新しい地平を拓き「日本近代詩の父」と称される。1942年5月11日(満55歳没)」。この詩を作った時、41才になろうか。上記検索式でKW=「父」をGoogle検索すると「約 126 件」と出た。この件数は青空文庫の萩原朔太郎の項では上位に属する。父の存在が萩原朔太郎に与えている影響を反映していると考えられる。

ともかく、人間関係も、季節も、生活も厳しく絶望の淵にある時の作品だ。国定忠治の墓が、こんな萩原朔太郎を招いたのだろうか。ともかく、この作品を作ることにより、萩原朔太郎は危機を脱したかに感じたのである。

國定忠治の墓

わがこの村に來りし時
上州の蠶すでに終りて
農家みな冬の閾(しきみ)を閉したり。

「いき【×閾】:刺激の強さを連続的に変化させたときの、生体に反応をひき起こすか起こさないかの限界。生理学・心理学の用語。」「閾(しきみ)」:門戸の境界とする横木。
「蠶」:かいこ

太陽は埃(ほこり)に暗く
悽而(せいじ)たる竹藪の影
人生の貧しき慘苦を感ずるなり。

COM:
埃:ほこり
国定村は畑作地帯:空っ風で砂埃が飛び太陽がかすんだ?

見よ 此處に無用の石
路傍の笹の風に吹かれて
無頼(ぶらい)の眠りたる墓は立てり。

COM:
無用の石=無頼(ぶらい)の眠りたる墓?

ああ我れ故郷に低徊して
此所に思へることは寂しきかな。

久遠に輪廻*を斷絶するも
ああかの荒寥たる平野の中
日月我れを投げうつて去り
意志するものを亡び盡せり。

COM:
「久遠に輪廻*を斷絶するも」:意味難解。
「久遠に輪を斷絶するも」⇒「意志するものを亡び盡せり」と続く?
輪廻*≒本文では「廻」の旧字?使用。

?自分を含め、忠治も生きとし生けるモノだが、
永久にグルグルと転生極まりない運命を断ち切って
意志する人間と生まれてきても、日月(自然の摂理)は
自分を投げ捨てて去り、
自分(も忠治も生きとし生けるモノ)を
全て滅ぼしてしまう。?

いかんぞ殘生を新たにするも
冬の蕭條たる墓石の下に
汝はその認識をも無用とせむ。

「汝はその認識をも無用とせむ」:難解。
「殘生を新たにする」:輪廻転生で生まれ変わる?
「汝」=「国定忠治」?
「汝」と「我」という対比で、萩原朔太郎は国定忠治と
対話をしているようだ。
既に、国定忠治の墓は上州の荒寥たる自然の中に
投げ出されている路傍の石に過ぎないが。

――上州國定村にて――

上州國定村はその後、合併で佐波郡東村となり、佐波郡東村は平成の大合併で更に伊勢崎市となっている。青空文庫では「国」の旧字体「國」を使っている。萩原朔太郎は国定忠治の墓を訪問し、自分の人生と国定忠治の人生を重ねてみて、自分を相対化しているようだ。国定忠治の人生は、その生き様を通して、色々なメッセージを発信しているようだ。それを、うまく受信できない人もいるだろう。見方によれば、萩原朔太郎は国定忠治の墓を訪問し、生きる意欲を取り戻しているのではないか。

**********************************
萩原朔太郎に従って音読してみよう。

國定忠治の墓

わがこの村に來りし時
上州の蠶すでに終りて
農家みな冬の閾(しきみ)を閉したり。
太陽は埃に暗く
悽而(せいじ)たる竹藪の影
人生の貧しき慘苦を感ずるなり。
見よ 此處に無用の石
路傍の笹の風に吹かれて
無頼(ぶらい)の眠りたる墓は立てり。
ああ我れ故郷に低徊して
此所に思へることは寂しきかな。
久遠に輪廻*を斷絶するも
ああかの荒寥たる平野の中
日月我れを投げうつて去り
意志するものを亡び盡せり。
いかんぞ殘生を新たにするも
冬の蕭條たる墓石の下に
汝はその認識をも無用とせむ。

――上州國定村にて――

**********************************
以上、萩原朔太郎の作品は青空文庫から引用させていただきました。
ありがとうございます。

追記(2023/02/21):タイトルの末尾に投稿年月日を20130625を追記。ほぼ10年前の投稿である。青空文庫の推進者に富田倫生がいる。「富田倫生 - Wikipediahttps://ja.wikipedia.org/wiki/富田倫生: 富田 倫生(とみた みちお、1952年(昭和27年)4月20日 - 2013年(平成25年)8月16日)は、日本の著作家・編集者。 電子図書館 サイト 『 青空文庫 』の主宰者で、同サイトの「呼びかけ人」のひとり。」10年一昔と言うが古い記事を読んでくれる人がおり感謝。青空文庫は、まさに文化の金鉱だ。

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    初心者向け柿栽培参考書(新版)。旧版と比較すると楽しい。
  • 中村三夫: 13_NHK趣味の園芸:作業12ヶ月  カキ(NHK出版1996年)
    初心者向け柿栽培参考書(旧版)。新版と比較すると楽しい。
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    細胞はどんな部品からできているのか。そんな疑問に答えてくれる一冊。何事も形を見るのが第一歩。μからÅオーダーの世界で、細胞をメスで解剖するように、電子顕微鏡というメスで解剖して見せてくれるので興味が尽きない。
  • 柳田充弘: 11_細胞から生命が見える
    著者の専門は分子生物学、細胞生物学。普段生物を考えても細胞レベルで止まってしまう。その細胞の中で色々な分子が働いている。細胞こそ生命の基礎だが、その細胞の中の動きを知るのに最適な一冊。疑問の発端はなぜ発根剤が効くのかということ。薬剤が細胞膜を通過して細胞内で分子と分子が作用するイメージができた。本書でできた細胞のイメージは小さな無数の穴が空いた水分が充満したヨーヨーのようなもの。そのヨーヨーの中に分子部品が詰まっている。細胞自体もタライの中のヨーヨーのように浮かんでいる。細胞図面の空白部は真空でなく水分だ。細胞の内外に水がないと細胞は生きられない。水が生命のゆりかごだ!
  • 野口悠紀雄: 10_ホームページにオフィスを作る(2001年 光文社)
    ITが輝いた時代の作品。HPの活用法は参考になる。参考:url=http://www.noguchi.co.jp/(野口悠紀雄 ONLINE)
  • 小池洋男 編著: 09_果樹の接ぎ木・さし木・とり木(農文協:2007/3/31第1刷)
    やや専門的であるが、実務専門化が分担執筆しており、その場で役に立つ一冊。
  • ノーバート・ウィーナー(鎮目恭夫訳): 08_サイバネティックスはいかにして生まれたか(みすず書房1956)
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