雑草句録:夕焼
2010/11/2
雑草句録:夕焼
■夕焼けてアマランサスの種子を吹く
アマランサスもいよいよ精製段階に入った時の句。大方、荒っぽいごみを除いた後で細かな軽いごみを息をかけて吹き飛ばしている光景で、超原始的である。これを人生夕焼け頃のおじさんが一所懸命にやっていると我ながら滑稽に思ってしまう。
2010/11/2
雑草句録:夕焼
■夕焼けてアマランサスの種子を吹く
アマランサスもいよいよ精製段階に入った時の句。大方、荒っぽいごみを除いた後で細かな軽いごみを息をかけて吹き飛ばしている光景で、超原始的である。これを人生夕焼け頃のおじさんが一所懸命にやっていると我ながら滑稽に思ってしまう。
2010/11/1
雑草句録:風
■立冬やバケツコロコロ風が吹く
季節風が強く吹着始める頃の句。日常の光景かも知れない。しかし、その日常の一こまを句に切り取ることは意外に難しい。どうでも良いこととして頭脳は記憶しようとしないのではないか。
追記:WIKIPEDIAによれば、「立冬(りっとう)は、二十四節気の1つ。または、この日から小雪までの期間。一般的な定気法では、太陽黄経が225度のときで11月7日ごろ。恒気法では、冬至から319日目で11月6日ごろ。」とある。年月がめぐり、もうじき今年の立冬がやってくる。自分としては、初霜がいつ降りるかが関心の的。十一月の初旬から中旬にかけて初霜があり、これで青葉が枯れる物が多く、秋から冬の景色に変わって行く。作物も越冬の準備が必要になる。
2010/10/31
雑草句録:ヒエ
■休耕や菜種まきたりヒエの後
小さな田圃には、大きな農業機械が入らないので休耕にしている。そこにヒエがはえる。そのヒエも秋には枯れる。景観植物として秋にナタネを播いた。種子は春に咲いた畑の菜の花から採取しておく。来年はこの田圃をどうしようかとふと思った。里芋でも作って見ようか。
2010/10/30
雑草句録:月明かり
■月明かりアマランサスを刈りにけり
アマランサスを栽培して収穫したときの一句。実が付いている穂の部分だけを収穫して、それから乾燥、脱粒等の作業に進む。月明かりでアマランサスを収穫した事も忘れていた。アマランサス栽培も結局失敗に終わったが、BLOG掲載まで一つの体験で幾つもの作業が出来てぼけ防止には有効だったかもしれない。記憶の固定に役立つだろう。前向きに考えよう。
2010/10/29
雑草句録:雑草の山
■雑草の山を集めて堆肥とす
昔は雑草も何らかの役にたっていたようだが、今日では何のプラス要因もないように見える。しかし、見方を変えれば雑草が生えている事はそこに自然の循環が成立している事でもある。雑草を山積みすれば、やがてそれが腐り植物の栄養源になる。苗を植えるとき、植穴に灌水するのがベストであるが、水の手配が困難な時もある。そんな時、付近の雑草を根本に敷いてやると雑草マルチになり、根本の乾燥を防止してくれる。その後は、腐敗して肥料になるのだから考えようによると、雑草様々だ。
2010/10/28
雑草句録:外来種
■手抜きして領地とられる外来種
畑の雑草とどのようにつき合うかは常に頭を悩ます課題である。野菜は大変そうだから果樹を植えようと決めたが、果樹も最初は苗から育てる。その果樹苗作りはほとんどが専門業者が受け持っている。ともかく苗木を植えなければ始まらない。やむを得ず雑草対策の手抜きをすると、植栽のないスペースには外来種の雑草がはびこる。果樹も苗の頃は野菜と同じようにデリケートであった。何本苗を枯らせたことか。しかし、多少雑草の被害が出てもスタートが肝心と割り切る。
2010/1027
雑草句録:温暖化
■温暖化ミカン産地は北上す
地球温暖化が人間が新たに排出したCO2による温室効果が原因か今ひとつはっきりしない。自然の要因で短期的な温暖化が発生した事も完全に否定されていない。ともかく、ミクロ的には温暖化の傾向があるのは事実である。
そこで、温暖化はピンチなのかチャンスなのか。温暖化をチャンスに捉えて呼び込みを始めている面もある。ミカンの産地が北上するというのも、現在の傾向が続くと仮定しているという条件付きだろう。
ところで、今年の猛暑はこの温暖化の流れの中の現象なのか。これも、定かでない。今年のコメの品質は猛暑の影響で二等、三等、又は等外が多かったと報じられている。
あまりの暑さで、夜間温度も高く、稲が作った澱粉等のエネルギー成分は、種子の充実に廻されずに、稲自体の生存維持に消耗された結果だと近所の稲作農家の話を最近聞いた。稲の品種も気候条件、栽培条件、収量、食味等に合わせて開発されているので、相対的には変化に弱くなっているのかもしれない。
2010/10/26
雑草句録:岩の原のぶどう
■岩の原ワイン新酒の試し飲み
もう、農事の団体旅行の事はすっかり忘れている。ワインの試しのみやワイナリーの見学もしたはずだ。それも忘れかけている。
岩の原葡萄園のホームページに「1890年(明治23年)、新潟のここ上越市で、日本のワインとぶどうの父「川上善兵衛」は、岩の原葡萄園をひらきました。国産ワインの歴史に多くの足跡を残し、幾多のワインコンクールで受賞の栄誉に輝いてきた「岩の原ワイン」の始まりでした。」ここで、おみやげを買ったかは覚えていないが、その農園を開拓した「川上善兵衛」の伝記本は買った記憶がある。
ざっと拾い読みしたと思うが、その本はどこかに埋もれてしまっている。明治初期の日本へのぶどう導入についても色々なドラマがあったと感じる。そのなかでキャンベル・アーリーという品種も出てきたので、検索してみたら久保郷土文化館というホームページhttp://www6.ocn.ne.jp/~kubo386/kannda.htmで「葡萄の先覚者神田善太郎(広島)」が紹介されていた。リンゴ、ブドウ等の本格的な日本への導入は明治に入ってからのようで、農芸部門にも西洋の影響が顕著になってきたようだ。
果樹等は永年作物というらしい。実が生るまでに数年かかる。それを一つの事業にまで育てるには気の長くなるほどの時間がかかる。その地域にあった作物を作るのがあらゆる面で最善だが、情報やノウハウが無ければ、全てゼロからの積み上げだけが結果を決める。果樹そのものもDNAが大きな要因を占めるが、栽培の歴史の中にそれに拘わってきた人々のDNAが刻み込まれている。果樹の魅力と言えるだろう。
2010/10/25
雑草句録:牧牛
■牧牛は家に帰りて草青し
これは、夏場だけ育牛農家から牛を預かり、放牧する牧場の風景。牧場の牛は、秋には飼い主の所に帰り青草が牧場の一面を覆っていた。牛もこのような広い牧場で過ごせばストレスを感じずに済むのかもしれない。
しかし、最近はトレーサビリティというやかましい問題もある。いつか見た牛の耳には、その牛の個体認識を示すカードが取り付けられていた。これには牛もやりきれないのではないか。不届きな業者の尻拭いを罪もない牛がさせられている。目には目、歯には歯。偽装業者に耳鑑がつけられれば、牛も納得するだろうが。
トレーサビリティには狂牛病対策等への対応もあるようだが、プリオンが畜牛に感染するのは飼料を通してであろう。飼料のトレーサビリティはどうなっているのであろうか。
2010/10/24
雑草句録:栗の実
■拾いたる栗の実はまだそこにあり
栗の実を食べるのは手間がかかる。栗拾いしても食べずに終わった事が多い。しかし、食べ始めると止められない。やはり、素朴なうまさがあるようだ。今年は猛暑続きで、栗の木の澱粉合成が盛んであったのか、相当大きな実がなった。その実を久しぶりに食べた。実が大きければ皮を剥く手間も相対的に小さくなる。来年の栗の実のなり具合をしっかり確かめたい。
2010/10/23
雑草句録:カラタチ
■カラタチのひそかに落ちし実を拾う
カラタチの歌にはなつかしい響きがある。昔の生活にはどこかでカラタチとの接点があったのではないかと思う。我が家のカラタチはミカン苗が枯れて、その第二の人生としてミカンの台木が育ったものだ。道路沿いの生垣の一部を形成するがこのカラタチに気付いている人がどのくらいいるのだろうか。最近、この丸い実は何と聞かれてちょっとうれしい気がした。
010/10/22
雑草句録:運動会
■高齢化運動会も衣替え
町内運動会もけが人が出たりして運動というよりレクレーション的なイベントに衣替えした。ともかく、町内イベントが完全に無くなると同じ町内の住人でも顔も知らないという事に生りかねないのが現代社会の一面だ。昔は、住民の問題は住民が相談して解決するという事が多かった。現代はその多くの部分を市や行政が受け持つ。住民はお客様になってしまった。
2010/10/21
雑草句録:アケビの実
■アケビの実口に含んで野良仕事
ザクロと同じように種子が多い。甘みも程々だ。あけびの皮に詰め物をした東北地方の料理を夢見て、使わなくなったパイプハウスの上に蔓を這わせている。その料理も夢に終わりそうだ。実の大半は落果して、まれに食べるのは自分だけだ。でも、仕事の合間に一口、口に含んで種を吹き出すのもちょっと楽しい気分転換になる。我が結婚式の時、来賓のお茶の師匠が、「山のアケビは何見て開く、下のマツタケ見て開く」と謡ったような記憶のある俗謡だが、ふと思い出した。本当に遠くなった過去の話であるがあの女師匠さんの人徳がしのばれる。
2010/1020
雑草句録:野ネズミ
■野ネズミの食い跡あらわサツマ掘り
野ネズミの被害もいざ作物を作ると実感する。それも、収穫時に新しい食い跡を発見するといまいましさがつのる。丁度、作物の食べ頃を狙って行動しているようにみえるのだ。野ネズミとしてはそれが最も合理的な行動なのだろうが。
2010/10/19
歴史の転換:女流プロ棋士コンピュータに負ける
コンピュータとチェスの名人での対局でコンピュータが勝利したニュースは過去のものとなっている。今回は清水市代女流王将とコンピュータの対局で話題になった。情報処理学会は1960年4月22日に創立され、2010年には創立50周年を迎え、これを記念してこの対局が企画されたようだ。情報処理学会のホームページはその対局の速報を以下のように伝えた。
『清水市代女流王将vs.あから2010速報 平成22年10月11日の対局では、あから2010は無事終局まで指し続け、86手で清水女流王将が投了、あからの勝ちとなりました。新聞社やTV局など多数のメディアの注目を集め、立ち見がでるほどの解説会場も大いに盛り上がりました。インターネットでも多くの方々がこの対局を観戦して下さり、対戦結果は日本国内のみならず世界中に報道され、情報処理学会による情報処理技術の進歩の一端を示すことができ、50周年記念イベントとしての対局を成功裏に終えることができました。
一回限りの勝負事ではどのような結果もあり得たところですが、今回の対局では情報処理学会の期待通りのあから2010の棋力を棋譜に残すことができたと自負しております。また、この対局を通じてプロ棋士の将棋に対する姿勢など、多くの新しい発見や感動を得られたことも大きな収穫でした。
今回の成功は、35有余年に及ぶコンピュータ将棋開発の積み重ねとともに、広くゲーム情報学、機械学習、並列分散処理技術といった情報処理学会が長年培ってきた技術力を基礎にして得られたものです。
コンピュータ将棋はプロ棋士の棋譜や思考といった先人の叡智に学び、ここまで進化を遂げることができました。これからも、単なる人間と冷徹な機械の戦いの場としてではなく、お互いの能力を尊重し高め合うための道標として、驕ることなくさらに研鑽を積んで参りたいと存じます。情報処理学会は、今後も様々な分野で研究開発を進め、人類に貢献していきたいと考えております。
最後になりますが、今回の挑戦を受けていただいた日本将棋連盟、素晴らしい熱戦で応じて下さった清水市代女流王将、そして会場と計算機を提供して下さった東京大学大学院情報理工学系研究科に改めて感謝いたします。』
コンピュータの進歩にはめざましいものがある。コンピュータが人間の能力にどこまで迫れるかがコンピュータを使って行く上でも大きな研究課題であるためであろう。あから2010は、一般社団法人情報処理学会の「トッププロ棋士に勝つ将棋プロジェクト」によって開発された特製システムで、そのネーミングは、10の224乗を表わす阿伽羅(あから)が、将棋の局面数に近いことにちなんで命名されたとの事である。膨大な規模の情報処理が人間の頭脳の中で行われている事を思い起こさせる。
将棋もルールがはっきりしているのでこのような勝ち負けを決める対局という企画が成立すると思うが、俳句、和歌等をつくらせたとき、コンピュータのアウトプット結果がどのようなものであり、どのように評価すべきか。ここには、ルールも評価基準も無いのですべて人間が与える事になるのか。コンピュータはまだファジーな問題を自ら作り自ら解を探してくれるというような用途には向かないようだ。一般の人がパソコンを使える頃になっても、コンピュータに問題を出せば解いてくれるのかいと質問を受けた事があった。ファジーな問題をファジーの入力でコンピュータに解かせるのは今でも難しそうだ。自分も、自分のパソコンに今お前のどこの調子が悪いか自己診断して回答せよという問題を出したい時が度々ある。
ともかく、今回のコンピュータ側は、多数のコンピュータ部隊を親分のコンピュータが指揮をして各コンピュータが選んだ手を多数決でコンピュータ連合の手として決めてプロ棋士と対戦したようだ。各コンピュータはそれぞれ将棋ソフトを実行している。こういうシステムにすることによりいくつかのコンピュータの欠点を補い総合的に利点を拡大できたようだ。かつて見たインターネットのどこかのサイトに俳句を自動作成するものがあって、面白い結果を出していた記憶がある。ともかく将棋の局面数が10の224乗に尽きるとすると、全ての勝負決着の筋道もその中にあると言うことで、各コンピュータが選んだ手を解析してみて、棋士の思考過程まで解析できるのか興味がある。コンピュータが選んだ手は完全にホワイトボックスで、棋士の思考過程はブラックボックスの中にある筈だ。
思うに、一般的な人間レベルの能力をコンピュータに獲得させるためには相当量のコンピュータのトレーニングが必要なようだ。そのトレーニング期間もトレーニングコストも人間以上にかかりそうだ。やはり、コンピュータは得意な分野で使うべきなのかもしれない。今回のコンピュータは並列分散処理という事で一面では、コンピュータのハードとソフトを作った人々、それらを統括する多数の人々の総力と一棋士の対戦という見方も出来る。多数の人々の知的産物と一人の個人の対決では個人の勝ち目は極少ないのではないか。そういう蓄積された多数の人間能力を短い時間に集中させるのがコンピュータシステムであるとすれば一人の棋士としては善戦しているのではないか。もはや、筋力と言う点では機械と人間を比較する時代は終わっている。コンピュータと人間を比較する時代も程なく終焉するかもしれない。
情報処理学会によれば、合計208台, 658 coresのコンピュータが連結して棋士と対局したとの事である。これを一台のコンピュータとしてみた場合、どの位の能力になるのだろうか。
大雑把な計算では全体で10の12乗(1兆)個程度のトランジスタが使われているようだ。ちょっと調べたら、人体は約60兆の細胞で形成されているようだ。
INTEL CPUの概要を調べた。
Die Size of the Quad-Core Models
Model Process Size Transistors
Core i7 45 nm 263 mm2 731 M

















































































| 「蚕の蛾の産卵イメージ」=ローテク実験ビデオ(DL=画像をクリック); ☆☆⇒「関連記事=「ハトよ 鳴いておくれ:愛しき古里:蚕種が見えない悩み:富岡製糸場と絹産業遺産群。
| ローテク実験ビデオ(DL=画像をクリック); ☆☆⇒「関連記事=「ツルよ 飛んでおくれ(技術 回顧と展望):富岡製糸場の煙突から煙が?(2013年4月2日火曜日)」の記事はここ。

