2009年11月17日 (火)

柱時計

2009/11/17

柱時計

チクタク、チクタク、ボーン、ボーン。柱時計の記憶は年輩者の誰にもあるであろう。自分も我

が家の柱時計のゼンマイ巻きの当番をした事がある。所が、そのゼンマイの固定部分のビ

スが緩んで、ゼンマイが巻けないようになりその時計が引退した。捨てるのは忍びないので

どこかに保管してあると思う。ゼンマイの代わりに電磁石でエネルギーを供給する電気時計

への改造記事を何かの雑誌で見た記憶もある。柱時計の身代わりに何がなったかはっきり

覚えていない。多分、ゼンマイ式の目覚まし時計であったろう。これは分解して壊した記憶が

ある。その次の時計は電気時計であったと思う。家庭に来ている交流の周波数を計測して時

刻表示をさせた物である。モーター式と電子式があったようだ。電子式は専用集積回路があ

り、ロングセラーICでもあった。時計の精度は電力会社の提供する交流の周波数精度で制

限される。水晶の圧電効果を使用したクォーツ時計の出現で時計の精度は大幅に向上し

た。1958年にセイコーがクォーツを使った放送局用時計の商品化に成功し、これを小型化し

たクォーツ時計が1964年の東京オリンピックのマラソンの走行タイムの計測に使われたとの

事である。クォーツ時計の普及が進んだのは東京オリンピック以降となろう。今日ではそのク

ォーツ時計が1000円程度で買える日用品になってしまった。更に実用上ほとんど誤差のな

い電波時計もクォーツクロック並になりつつある。電波時計用の集積回路は一種のラジオ受

信機である。その動作が極微量の電流で可能になっているのも驚異である。自分がテレビ以

外の集積回路の分野に転進したのが腕時計にラジオを詰め込むようなアプリケーションの仕

事であった。そうして、現役を離れて退職前に電波時計用の集積回路の販売のサポートの

仕事に従事した。今日でもパソコンにはリアルタイムクロックという時計用の集積回路が搭載

されている。ところが、この時計の精度は余り良くない。インターネット経由で標準時刻に合

わせる事は可能であるが、パソコンのリアルタイムクロックの代わりに電波時計用ICは使え

ないかと置きみやげをしてきた。余り正確すぎるとファイルのタイムスタンプ等が気になり出

す心配も生じるかもしれない。

2009年11月15日 (日)

シリコンサイクル

2009/11/15

シリコンサイクル

景気に山と谷があるがそれを人為的に適正にコントロールする事にはまだ人類は成功して

いないようだ。朝鮮特需は、神武景気、岩戸景気、オリンピック景気、いざなぎ景気、列島改

造景気などと次々に起こった好景気の序章となったと言われるが、そのころ自分は小学生の

頃で好景気の有り難さを余り実感できなかった。特需のあった1950~1955年を振り返ると

確かにこの前半の生活では継ぎの当たった衣類を着た写真が残っているので生活が豊かで

ないことがはっきりしている。後半の生活では豊という実感は無かったがそこそこの生活がで

きていたのではないかと思う。オリンピック景気は、日本における1963年から1964年にかけ

ての好景気をいうらしいが、社会のムードは確かに明るい雰囲気があったように思う。オリン

ピックの招致が国力を反映していると考えれば、日本も国際的な一流国家になったという自

信が持てたのかも知れない。しかし、これも一過性のものであった。一方、半導体業界には

シリコンサイクルという好況が、オリンピックの開催年の四年毎に巡ってくると言われていた。

確かにそのような傾向が何年も続いた。従って、半導体の生産計画を立てるときはシリコン

サイクルの動向を見通して建てていた。当然、オリンピックは毎回開催国が変わるのである

から、半導体の需給がオリンピックに同期して世界的規模で変動した事を示していたと思わ

れる。即ち、当時の日本は世界の半導体需要をまかなう実力のある国であったと思われる。

しかし、半導体の生産能力を有する国が海外にも増加し、供給量が増大するとシリコンサイ

クルの重要性も余り言われなくなってしまったようだ。今日、21世紀の情報化社会を支えてい

るコンピュータ業界にほとんどのCPUを供給しているのがインテル一社になっているのも特

異な事実である。インテルの市場占有率が約80%、ライバルのAMDが約20%。結局アメリカ

勢がほぼ100%のシェアを押さえている。今日では半導体業界はシリコンサイクルとは無縁

になってしまったようだ。これは、一面では半導体の用途が非常に広くなり国際的な大型のイ

ベントに伴う需要さえも全体の需要の極一部に過ぎなくなったという事であろう。これは更に

経済の好況・不況の波の直撃を受けやすくなったという事でもあろう。

2009年11月13日 (金)

フロッピーディスク

2009/11/13

フロッピーディスク

最近では3.5インチ用のフロッピーディスクも影が薄くなった。店頭で探すのも大変になってい

る。他の記録メディアに駆逐されてしまった。コンピュータの記録メディアとして最初の頃に使

われたのがパンチカードであった。このパンチカードは入社直後に使った記憶がある。その

後は8インチのフロッピードライブが、1970年IBMにより開発された。容量は128キロバイトで

あった。最初はパンチカードの代わりに大型コンピュータへのデータ入力用メディアとして利

用され、その後は初期の8ビットや16ビットパソコン用としても1980年代後半まで使われてい

たようだ。会社でも製造や管理のデータ保管用に使っていた。一般の人がフロッピーディスク

を使うようになったのはPC9800やその互換機でFDが使えるようになってからであろう。5.25

インチサイズで雑誌の付録でソフトの配布が行われるようになった。DOS/Vの3.5インチの

FD/FDDの標準化に関してはソニーの貢献が大きかった。ソニーにとって3.5インチの

FD/FDDの標準化の推進は事業としても成功であったと思う。βの教訓が生かされたのであ

ろうか。記録密度はDVDで更に向上し、次世代DVDの規格戦争ではブルーレイ(BD)陣営

対HD-DVD陣営が戦った。結果はソニーと松下が担ぐブルーレイ陣営が勝利し、東芝が同

分野から撤退を発表した。東芝はHD DVD事業の終息についてという2008年2月19日付け

のニュースリリースで、当社は、これまでHD DVD規格に基づいたプレーヤー及びレコーダ

ーのグローバルな事業を展開してまいりましたが、本年初頭の大幅な事業環境の変化に際

し、今後の事業戦略を総合的に検討した結果、同事業を終息することを決定いたしましたと

発表した。戦争の傷跡が余りに深く広汎に及ばない時期における撤退という判断にはそれな

りの意義はあるだろう。デファクトであろうとなかろうと規格は争って決めるべきなのか協調し

て決めるべきなのか。競争が無くなれば技術の進歩も無くなるのか。まだまだ、考えさせられ

る事が多い。

2009年11月12日 (木)

高原学校

2009/11/12

高原学校

小学生か中学生の頃か定かでない記憶である。学校行事で榛名高原学校での合宿訓練が

あり、榛名湖でカッターボートを漕いだことを覚えている。何人乗りボートか覚えていないがか

なりの人数が乗れたと思う。広い海や湖に出た経験はほとんど無かったのでこの訓練の記

憶は今でも残っているのだと思う。広さは開放感を与えるが、なんとなく不安も与える。やは

り、船の転覆等で水中に投げ出された時の事をそれとなく心配することも一因である。当時、

湖に漕ぎだしたとき救命胴衣を付けていたのか全く思い出せない。飛行機に乗る時も同じよ

うな不安を味わう。飛行機の場合は乗務員が救命胴衣の使用法等を説明するので尚更危

機感を覚える。自動車のシートベルトの着用も全く同じ目的で着用するのであるがこちらはま

ったく習慣ボケをしているようだ。危険の確率は海や空より陸の方がはるかに高い。級友と

の宿泊も初めての経験であった。皆が寝付く前に枕投げ遊びをして先生にお目玉をくらっ

た。榛名高原学校は集団行動の良き訓練であったのであろう。榛名高原学校を検索してみ

たら「こちら榛名山の榛名湖畔西側には群馬県内の小中学生は必ず一度は学校で「高原学

校」として合宿訓練に連れてこられる「榛名高原学校」こと財団法人榛名高原体育センターが

あります。群馬県教育委員会が指導する教育施設で、児童生徒の合宿・宿泊訓練・研修活

動に使われています。」と紹介されていた。現在も小中学生の課外訓練に使われているよう

だ。そうすると、県民のほとんどがこの訓練を体験しているのではないかと思われる。数十年

の見えざる輝かしい実績を持つ教育企画ではあると思う。どのような契機でこのような企画

が生まれたのか興味が湧いた。

2009年11月11日 (水)

竹スキー

2009/11/11

竹スキー

運動の好き嫌いに個人差がある。この個人差の原因も色々ある。結局、突き詰めれば有限

な人生の時間の配分の問題になってしまうのかも知れない。好きなことにはそこに金や時間

もより多くを投入する。嫌いな事はその逆である。子供の頃は降雪量も結構多かった。竹藪

の竹が雪で曲がり、ついにその竹が雪の重さに絶えられなくなり音を立てて割れた事もあっ

たように思う。従って雪遊びもいろいろやった。その一つが竹スキー。青だけを二つに割り、

スキーもどきの遊具を作ってそれで滑った。そのスキー作りは父親がしてくれたのか、手伝っ

てくれるかしたように思う。場所が平坦地なのでスポーツスキーのような滑り方はできない。

単なる雪遊びに近かったと思う。本当のスキーをはいたのは、高校生になってからである。ス

キー用具を買った記憶は無いので、スキーに行くときはレンタルで間に合わせた。このよう

な、自分のスキー体験を思い出すと、成り行き任せでどちらかと言うとスキー嫌いに属するの

か。子供達にそんな思いをさせたくないと家族でスキー場に行った事もあった。リフトに乗る

までもなく傾斜がゆるい場所ですべっただけだったが何とか一日を楽しめたと思う。ある人に

子供をスキー好きにさせる方法を聞いたことがある。天気の良い日に連れて行き楽しい体験

をさせる事が大事だそうだ。そうすれば、スキーは楽しい物だと思いもう一度行きたくなる。そ

れが重なれば自然にスキーが好きになり、技術も上達するようになるとのことだ。天気が悪

いとそれだけでうんざりで嫌いになってしまう。習い事を始める時の初期条件の重要性を教

えてくれた。これは、スキー以外の事にも通用すると思う。高齢になってからスキーを始めた

人もいるようだ。スキーにこだわることも無いだろうが、60の手習いで新しい事にチャレンジ

する事にも意義があると思う。

2009年11月10日 (火)

算数の教科書

2009/11/10

算数の教科書

小学校時代の算数の教科書について思い出そうとしたが、残念ながらほとんど思い出せな

かった。表紙は極単調で藍色であったように思う。その隅に出版社や著者名が記載されてい

た筈である。数学教育に関しては小倉金之助の著作をかじったことがある。同氏が終戦後の

教科書に関係していたか自分としてはまだ分かっていない。ともかく数学教育の在り方に関し

ては大きな影響を与えているのではないか。次ぎに思い出したのが矢野 健太郎であった。

一般の数学書でもお世話になった。自分が小学生時代の前半にあった期間で算数の教科

書検索をして、数学者として名前を識別できた方々は、辻 正次、 戸田 清、吉田 洋一、弥永

昌吉、矢野 健太郎、清水 辰次郎、末綱 恕一、丸山 儀四郎、森戸 辰男、秋月 康夫等であ

った。森戸 辰男は政治家、教育者としての活動で思い出されたようだ。奨学金制度の日本

育英会の会長であったと知った。この奨学金制度があったので何とか大学を卒業できたので

あった。社会人になってから10年かけて貸与された奨学金の返還が終わってようやく社会へ

のお返しができたと肩の荷を降ろした思いがした。 『零の発見―数学の生い立ち』吉田洋一

著岩波書店は高校時代の必読書の100冊の本の一冊であったと思う。ともかく、戦後の算数

教科書に錚々たる数学者が多数参画されていた事実は、これらの数学者が日本の教育に

大きな夢と期待をかけた事実をも示しているのではないかと思う。理工系の学問には数学の

知識は重要ではあるが、それが絶対に必要であるとも言えないであろう。ようするに何事も

論理的な思考ができるようになればよいのであろう。一般人にとっては、数学も論理的な思

考の訓練になればかなりの役割を果たした事になると思う。

2009年11月 9日 (月)

造反有理

2009/11/9

造反有理

1968年8月、中国の文化大革命に際し、毛沢東が言ったという革命無罪、造反有理という言

葉があり、それが日本でも広がったようだ。造反有理の前に革命無罪という言葉があったの

は、今知ったばかりである。中国の偉大な指導者毛沢東がかく言うのであれば、それを行動

で現しても何ら正義に背く事はなかろうと一般大衆は信じた事であろう。文化大革命の実態

にはいくつもの側面があるので、文化大革命全体の歴史的な評価には相当な期間と相当な

労力がかかるであろう。造反有理も意味の広い言葉であろう。<反>はひっくり返す事、裏

返し、こっちに対してあっち、YESに対してNOという意味だろう。<造>は意識的に作る、や

らかすという意味にとれるだろう。<有理>とは理由がある。当時の大学紛争の本当の原因

が何であったのか、自分はいまだはっきり理解できないで居るが、造反有理という言葉に関

係するのも確かだろう。自分たちがNOと言うのには理由があるのだ。しかし、何がNOなの

か。終戦後20年余も経ると社会は安定に向かった。しかし、泥水をかき回したような戦争は

社会のしがらみを分解し、人間を裸のヒトにしてしまった側面もあったと思う。そこにはまた人

間らしい自由、開放感があったと思われる。その一粒毎の泥が沈殿して新しい社会が現れ

そうになった時に、これはおかしいという意識も同時に生じたのではないか。何かはっきり見

えないが許し難い何者かが現れそうになり、それにNOを投げつけたのが当時の世界的な若

者の運動であったのではないか。当時のあの勇ましい造反有理というかけ声が完全に過去

のものになってしまったのか。

2009年11月 8日 (日)

青田買い

2009/11/8

青田買い

経済の高度成長期に人材の確保が企業の重要課題であった。企業の人事担当者はいかに

優秀な人材を集めるかに苦労したのではないかと思う。青田買いとは卒業前の学生を就職

予約させる事で、今日では就職内定という事であろう。昭和35年の文部省次官通達による新

卒者の採用試験の解禁日は大卒で10月1日、高卒で11月1日以降と決められたが余り守ら

れなかったようだ。昭和44年3月に大卒理工系で6月1日、文科系系で7月1日、高卒で8月1

日以降と繰り上げたが、これも空文化したとの事である。求人活動がエスカレートしていたの

である。昭和45年の高卒就職希望者の70万7000人に対して求人倍率の推計は約6倍であ

ったとある。今日の高卒就職希望者にとって夢のような時代であった。今思うと、自分もこの

ような時代に社会に巣立っていった訳である。当時は就職活動と言っても今日ほど厳しくなく

おおらかなものであったと思う。求人が掲示板に張り出されたりして、就職担当の先生と相談

して決めたように思う。企業側も求人数を学校側に通知してその企業の人事政策に従って採

用を決めたのではないかと思う。当然、企業の求人数を就職希望者数が上回われば何らか

の調整が行われることになる。自分も都市部の企業に就職希望を出したが希望者が重複し

てしまった。就職担当の先生は、君の場合はこちらの方が良いのではないかとあっさり別の

企業への就職が決まってしまった。就職では会社はある程度自分で選べるが、その後の仕

事と上司は選べない。しかし、今振り返って見ると会社も仕事も上司も何となくマッチングして

いたようでもある。

2009年11月 7日 (土)

β 対 VHS 戦争

2009/11/7

β 対 VHS 戦争

業界の方式戦争は幾つも印象に残っている。それだけ、市場での生き残りが大変な時代に

なってきた事の反映かも知れない。結局はパイの奪い合いである。生産力は市場のニーズ

を満足させるレベルに直ぐ追いついてしまう。それが世界的な規模で起こってしまうのが現在

の市場経済の冷酷さである。ビデオテープレコーダーのβ陣営 VS VHS陣営の市場戦争は

特に強い印象が残っている。ビデオテープレコーダーはテレビの録画で使われた部分が大き

かった。リアルタイムの放送のタイムシフト装置でもあった。従って、もう一台のテレビ機能が

VTRには不可欠であった。自分が開発に係わったVIF用集積回路はβにもVHSにも共通で使

えるのでTVとVTRの両方の市場で受け入れられた。ソニーのカセット型ビデオテープレコー

ダ(VTR)規格の1号機(SL-6300)は、1975年5月に発売されたとの事である。そうして、戦

争の結果ベータ方式の盟主のソニーも2002年に生産を終了し、ベータマックスは市場から

姿を消した。人間の一世代に相当する約30年の製品寿命であった。ちなみに、ソニー製ベー

タマックスVTRは日本国内で累計約400万台(全世界で累計約1,800万台)が生産されてい

るとの事である。VHS陣営の勝利が決定的になった1984年、「ベータマックスはなくなるの?」

という新聞広告を載せた。この広告だけは印象に残っていたが、TVコマーシャルか新聞広告

かはっきり思い出せなかった。自分にとっては撤退声明のようにも思われた。一方自信の表

れのようにも感じた。ともかく、盟主は機長や船長と同じように最後まで現場に留まった。

1988年、ついにソニー自身もVHSの発売に踏み切ったが、ビジネスとしてはまだVTRの市

場は捨て難かったのであろう。βに投入した人・物・金はVHSにも十分転用出来るし、そうす

べきであるという判断があったのだろう。一時代を画する魅力的な商品は簡単に生み出せな

い。市場に送り出すための助走が必要である。ともかくVTRは映像を自在に操作する手段を

与えてくれたのであり、TVという受動的なメディアを土台にして、能動的なユーザーを作った

意義は大きいであろう。

2009年11月 6日 (金)

学歴無用論

2009/11/6

学歴無用論

末は博士か大臣か。明治期の出世双六の上がりを言ったものだろうか。明治社会は武家政

治を否定したのだから、あながちこのスローガンガ的はずれでない事は確かだと思う。武力

より知力が優先したようだが、教育制度と庶民の学力の点では戦前と戦後は雲泥の差があ

ったと思う。高校、大学への進学率が戦後から上昇を辿ってきたという事実は学歴が実社会

の待遇上重要な位置を占めていた事を語っているであろう。従って、より良い待遇を求めて、

高校、大学への集中が起こる。それを乗り切るのが受験戦争であった。少子化で高校、大学

の定員割れが起こっている現在もまだ学歴社会は健在であるようだ。そんな、受験戦争が真

っ盛りの時代に、ソニーの盛田昭夫が学歴無用論を出版したので、一躍脚光を浴びた。調

べると、1966年(昭和四十一)年のことであった。しかし、今振り返ると話題性はあったが、実

際はどうであったのか気になる。確かに、学歴とは無関係に優秀な人材を見つけだし、使え

る人材に仕上げる能力があれば、企業は成長軌道に乗せられるだろう。そのためには、優

秀な人材を発掘する能力が必要な事は言うまでもない。中国の故事に「世に伯楽あり、然る

後に千里の馬あり」というのがあるが、ソニーにはその伯楽がいたと言うことなのかもしれな

い。確かに、大学の学問は四年間で終わる。その後何もしなければ四年間で元の木阿弥に

なってしまうだろう。結局、学歴無用論とはメッキより地金が重要だという人材論であったので

はないか。学歴というメッキだけを見ていては地金が見抜けない。地金にも色々ある。良い

地金を選んで叩き直せば良い仕事が出来る。実践面ではこの地金の叩き直し方にソニーの

ノウハウがあったのではないか。

2009年11月 5日 (木)

コンパクトディスク

2009/11/5

コンパクトディスク

今では完全にCDで通り、コンパクトディスクと言うとそれは何となる。1982年10月1日に ソニ

ーが民生用の CD プレイヤー CDP101 を発売し、その価格は 168,000円だったらしい。そ

の前年にソニーとフィリップスが音楽CDフォーマットを開発した。ともかく、何かの記録の為

には記録する素材と記録する文字と文字を繋げる文法と筆記具が必要になる。音楽に関し

てはレコード盤、磁気テープ、光ディスクという歴史を辿り、記録密度も向上している。CDの

読みとりには赤色レーザ光が使用されているが、最近では青色レーザダイオードの実用化で

波長の短い青色光により更に記録密度が向上している。磁気テープを使用したビデオも完

全にDVDに駆逐された。しかし、音楽用ではまだCDが健在である。売る側、使う側のメリット

がバランスしているのであろう。CDの発売から既に27年を経過したがともかくまだ健在であ

る。蓄積されたソフトの量が膨大なので当分心配は無いだろう。CDの主要部分が共通であ

るCD-ROMはパソコンの標準デバイスとして使用されている。フロッピーディスクで10枚近く

になるOSをCD-ROM一枚でインストールできるようになったのもコンピュータの普及を加速さ

せたと思われる。CDで最大の恩恵を受けたのは某ソフトメーカーであったかも知れない。

CDの裏側ではディスクを回転させたり、光ピックアップを駆動させたりするメカトロニクスが

活躍している。現役時代はこのCDドライバー用の集積回路の開発に従事していた。振り返

ってみると丁度CD、CD-ROMの成長期から成熟期であった。しかし、買ったのは専用のCD

プレーヤーではなくはCDラジカセ程度であった。デジタル化で性能の差別化が難しくなった

のも技術の進歩ではある。オーディオ機器の生産も海外へ移ったのが多かったであろう。

2009年11月 4日 (水)

アメリカの悲劇

2009/11/4

アメリカの悲劇

アメリカの持つ自由と富は日本人の羨望の的であったと思う。萩原朔太郎はふらんすへ行き

たしと思へどもふらんすはあまりに遠しせめては新しき背廣をきてきままなる旅にいでてみん

と歌ったとの事であるが、戦後の青少年にとってはアメリカほど輝かしい物はなかったと思

う。しかし、良いところだけでは無いだろうと思って手にしたのか、ドライザーのアメリカの悲劇

という小説をかじってみた。もう、中身は完全に忘れた。タイトルと著者となぜ読んだのか位し

か覚えていない。ネット検索で要約すると、貧困の中で育ってきた青年が上流社会の女性と

結婚するために自分の愛人を殺害して捕われ結局は破滅するに至るというのが筋書きであ

った。しかし、小説はこのように要約して示してくれない。読んだがそれだけで終わっていた。

自由ということは富があれえば貧があるのが当然という事かもしれない。貧を克服するのも

自由、貧に窮するのも自由。高校、大学その後の20代の頃に社会関係に興味があり、その

ころの読書であった。日本の社会も揺れていた。多分、リースマンの孤独な群衆という訳本も

手にした記憶がある。アメリカは自由の社会ではあるが、れきっとしたsocial ladder社会的

階段があるとも知った。下流社会から上流社会にはい上がるのは先ずそのsocial ladderに

ぶら下がらなければならない。日本は学歴社会だから云々と騒がれたが、アメリカでは

social ladderにぶら下った人にだけ学歴社会があったようだ。下流階層にとっては学歴どこ

ろではなかったということだろう。

2009年11月 3日 (火)

ZD運動

ZD運動

社会人になった時、工場現場のZD運動というのを知って、何か新鮮さを感じた。社団法人

日本能率協会のホームページによると、1965年4月~1966年3月  ZD(欠陥ゼロ)運動の普

及・啓蒙開始 とある。昭和40年であり不良品をゼロにする(Zero Defect)事が生産性を高

め、経済の高度成長を支えた運動の一つであったと頷かせる。地方の中卒、高卒の人材が

金の卵と言われ、昭和39年の流行語となった。物を作れば直ぐに売れる時代で、極度の労

働力不足の時代には賃金の安い未成年労働力はまさに金の卵であったように見える。当時

の半導体生産はほとんど手作業に頼っていたので、精度の高い仕事には若い労働力が必

要とされていた。工場では若い白衣の工員が不良率を調べて、グラフに表示したりして運動

を盛り上げていた。たまたま、工場に出かけてZD運動の様子を見ると頑張っているなという

印象を受けた。各部署から優秀な成果を挙げたグループが選ばれ、他部署とその成果を競

い、上位のグループは表彰される栄誉もあった。自分は生産現場とは直接関係が無かった

ので、現場のZD運動の詳細は知らないが、長年この運動が続くといつしかマンネリの傾向

が出てきたようで、徐々に終息していったのではないかと思う。ともかく、このようなZD運動等

により生産現場の人材育成や生産技術、管理技術の向上・継承が行われ、日本の製造技

術の基礎が作られたのであろう。

2009年11月 2日 (月)

ゼネラリスト

2009/11/2

ゼネラリスト

今日はスペシャリスト・専門家全盛の時代となっている。これを裏返せば分業の時代で、餅は

餅屋に任せれば良いと言うことだろう。長いいくつもの工程が必要な仕事も分割すれば色々

な利点が生じる。自動車等の工業は分業のメリットが最大に発揮されている。しかし、これを

設計、試作、生産等の工程を単独でやるとなると大変である。単独事業の場合は、関連する

膨大な知識や技術が無いと一つのまとまった事ができない。従って何か事業をやろうとする

とスペシャリストをかき集めるのが手っ取り早いという事になる。ゼネラリストが必要だと叫ば

れた事もあるがゼネラリストが居座る場所がほとんど無いのが実状だろう。ところが、スペシ

ャリストの分野が余りにも狭くなるとその専門性が時代の流れから外れてしまう。結局、仕事

や能力はある程度の幅が必要になるようであもある。逆に、専門性を突き詰めてゆくとある

種の一般性に遭遇するのも事実だろう。所詮、人間のやる事は人間という存在を介してやる

以外にない。人体こそ究極の汎用を秘めた機械かも知れない。ゼネラリストとして人に仕え

る必要はない。しかし、スペシャリストは何らかの意味で人に仕える面がある。単なる他人に

使われるスペシャリストに留まる事無く、自分の意志に基づき分野の境界を越えて自分の仕

事や使命を追及する中にゼネラリストとしての要素があるのかもしれない。スペシャリストも

ゼネラリストも横文字だから迷ってしまう。仕事の分類からは一般職と専門職と言えば良い

のかもしれない。一般職は潰しが効くが専門職は潰しが効かない云々。結局、専門馬鹿は自

戒する必要があるが、仕事や職業の分類は便宜的なものでそれにこだわる必要はなかろ

う。

2009年11月 1日 (日)

パスカル

2009/11/1

パスカル

WIKIPEDIAで調べてみたら圧力の単位として説明されていた。パスカルと言えば「人間は考

える葦である」という言葉を第一に思い出す。パンセの一節である。パンセは古典として少し

かじったがとうてい読み通せなかったようだ。今日ではパスカルで検索をかけるとコンピュー

タ言語とかが上位に現れてくる。物理ではパスカルの原理を習ったと思う。名前は何かと更

に検索してようやく、WIKIPEDIAのブレーズ・パスカル(Blaise Pascal、1623年6月19日 -

1662年8月19日)にたどりつく。フランスの数学者、物理学者、哲学者、思想家、宗教家とあ

る。今日の職種・職業名で示すとまさにマルチタレント。逆に今日では専門が余りにも分化し

すぎてしまっているとも見える。専門化は飯を食うために他人より秀でる手段に過ぎないのか

もしれない。パスカルは神と人間の関係も追求したようだ。パスカルの信仰の基礎にはキリ

スト教があるようだがキリスト教も一枚岩ではない。絶対的な摂理である神と相対的な存在に

過ぎない人間。神と真剣に真摯に対峙した結果色々な成果が生まれたのかもしれない。パス

カルは機械式計算機の構想・設計・製作もしたので技術者でもあった。パスカルは「パスカリ

ーヌ」と名付けた計算機を53台制作したが、信頼性が低く一台も売れなかったらしい。しか

し、これはパスカルが当時のベンチャー企業家の一面も持っていた事も示す。今日のコンピ

ュータにパスカルが現れても不思議はなかった。圧力の単位もパスカルの名前を永く留める

ために定められたのであろう。歴史にもしは禁句であろうが、今日パスカルが生きていれば

何をしたろうか。

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  • 橋本 英文: 刃物雑学事典 図解・刃物のすべて(1986年 株式会社 講談社 ブルーバックス B-659)
    刃物という視点で多くの事例が取り上げられている。刃のある道具の理解にも役立つ。類書が少なく貴重な一冊。「すべり変形が切断の原理」という考え方で説明している。
  • 沼田 真   : 植物たちの生( 1972年 岩波新書(青版 833))
    「ご要望にお応えしてアンコール復刊(1988年岩波新書50年記念復刊) 地球生態系の中で自然を見直す」(腰巻きのフレーズ)。植物の知恵と戦略に人類は勝てるのか。
  • 出町 誠: 14_NHK趣味の園芸:よく分かる栽培12ヶ月  カキ(NHK出版2007年)
    初心者向け柿栽培参考書(新版)。旧版と比較すると楽しい。
  • 中村三夫: 13_NHK趣味の園芸:作業12ヶ月  カキ(NHK出版1996年)
    初心者向け柿栽培参考書(旧版)。新版と比較すると楽しい。
  • 山科正平: 12_細胞を読む   電子顕微鏡で見る生命の姿
    細胞はどんな部品からできているのか。そんな疑問に答えてくれる一冊。何事も形を見るのが第一歩。μからÅオーダーの世界で、細胞をメスで解剖するように、電子顕微鏡というメスで解剖して見せてくれるので興味が尽きない。
  • 柳田充弘: 11_細胞から生命が見える
    著者の専門は分子生物学、細胞生物学。普段生物を考えても細胞レベルで止まってしまう。その細胞の中で色々な分子が働いている。細胞こそ生命の基礎だが、その細胞の中の動きを知るのに最適な一冊。疑問の発端はなぜ発根剤が効くのかということ。薬剤が細胞膜を通過して細胞内で分子と分子が作用するイメージができた。本書でできた細胞のイメージは小さな無数の穴が空いた水分が充満したヨーヨーのようなもの。そのヨーヨーの中に分子部品が詰まっている。細胞自体もタライの中のヨーヨーのように浮かんでいる。細胞図面の空白部は真空でなく水分だ。細胞の内外に水がないと細胞は生きられない。水が生命のゆりかごだ!
  • 野口悠紀雄: 10_ホームページにオフィスを作る(2001年 光文社)
    ITが輝いた時代の作品。HPの活用法は参考になる。参考:url=http://www.noguchi.co.jp/(野口悠紀雄 ONLINE)
  • 小池洋男 編著: 09_果樹の接ぎ木・さし木・とり木(農文協:2007/3/31第1刷)
    やや専門的であるが、実務専門化が分担執筆しており、その場で役に立つ一冊。
  • ノーバート・ウィーナー(鎮目恭夫訳): 08_サイバネティックスはいかにして生まれたか(みすず書房1956)
    情報と通信という現代社会に不可欠の基礎的な学問を作った著者の自伝とそれを通した科学史
  • 沼田 真(編): 07_雑草の科学(研成社1979)
    雑草を多面的に解説し防除の基礎も述べる

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MEMO 海外の博物館・美術館

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  • 項目のタイトル2
    POST IT :ブログ画面への張り紙に使える。
  • TYPE LIST事始め
    2010/8/4:MEMO等の表示に使える。 農作業で気になる自戒の言葉 ■畑の石ころはいつまで経ってもても石ころ(早く拾って片づけよという意味か)。 ■同じ石を二度拾うな(やってみると難しい)。 ■手ぶらで歩くな。 ■三つ先のことを読め。 ■適当な観察。 ■空を見よ(気分転換、休憩、天気を読む、腰曲がり防止)