2009年9月 7日 (月)

白熱電球

2009/9/7

白熱電球

白熱電球は歴史も古く、外形も単純、原理も単純であるが製品としては長寿の部類に入るら

しい。電気製品の名門PHILLPSは同社のHPによると1894に炭素フィラメント電球を74000

個生産とある。確か会社名も電球にちなんだ名前であったと思う。電気製品と一緒に歴史を

歩んできた。日本でも主要な電機メーカーが生産している。いわば名門・老舗の証拠のような

製品にみえる。日本ではこの主要電球メーカーが白熱電球の生産から撤退を表明している。

その理由は電力消費が大きく環境の時代に合わない、メーカーのイメージを悪くする等があ

るようだ。PHILLPSのような海外メーカーがどのような対応をとるのか興味がある。製品は思

わぬ使い方をされていることがある。昔、養鶏をしていたときこの電球をひよこを育てる時の

暖房に使っていた事を思い出す。簡単で安全だからそうしていたのであろう。白熱電灯は白

熱電灯の良さがある。しかし、蛍光灯を使い慣れた世代はもはや白熱電灯に未練は無いの

であろうか。当分市場から消えることはないと思うが、買った製品に外国ブランドしか無いと

なるとなんとなくわびしく感じるかも知れない。

2009年9月 6日 (日)

ヒューズ

2009/9/6

ヒューズ

以前は落雷、漏電等でブレーカーのヒューズが飛んでよく交換した事を思い出す。ところが最

近は漏電ブレーカーとなったのでヒューズ交換をした記憶がない。落雷で故障したCRTモニタ

のケースを開けてヒューズをチェックしたら予想通りヒューズが溶断していた。機器側に入っ

ているのはガラス管入りのヒューズである。二軒の家電量販店に足を運んでヒューズを置い

てあるか確認したが両店とも置いてなかった。確かにヒューズ一本は百円以下の商品であ

る。ヒューズの百倍か千倍の商品を売った方が遙かに効率が良いのは確かである。しかし、

ヒューズの入っていない家電機器は少ないのではないかと思う。最近の事情は定かでない

が、何となく腑に落ちない時代になったものだ。量販店のエコ、エコがエゴ、エゴに聞こえてく

る。

2009年9月 5日 (土)

落雷

2009/9/5

落雷

群馬県の名物といえば雷と空っ風。空っ風も真冬の深夜にその音を一人で聞くとそのすごさ

が身にしみてくる。雷となると家に閉じこもることになる。昔は雨戸も閉めた。幼児の頃はか

やの中に潜り込みクワバラクワバラと呪文を唱えた事を覚えている。大学で送配電工学とい

う講義があり先生が、最近は群馬県内もあちこち送電用の鉄塔が立ち送電線が張り巡らさ

れているので、かってより雷が少ないと話された。脱線授業であるが、脱線の方を良く覚えて

いる。鉄塔が避雷針の役割をするらしい。1~2年前、自宅に落雷があり、パソコンや周辺機

がかなりの被害を受けた。火災保険で保険金がおりるか問い合わせてみたが、残念ながら

家具の特約に入っていなかった。最近は配電線、電話線に接続されている機器に半導体が

多用されているが、これらの部品は雷サージに耐える耐圧が低い弱点がある。サージアブソ

ーバーを入れれば少しは対策になると思い入れてみたがインターネット接続が不調になって

しまった。原因が分からなかったのでNTTの調べてもらったらサージアブソーバーが原因であ

った。ちょっとした事だが予想以上のサービス料を請求された。ともかく、古い代替え品でな

んとか間に合わせている。古い物でも手許に置いておくと万一の場合予備で使えるので有り

難い。意外に頑張っているのがSEGAのIBM互換機用のCRTモニターだ。VGAのみだが、こ

れがあるとパソコンの最低限の確認が出来る。落雷対策は、原始的だが雷が近づくとパソコ

ン系のコンセントを外すことにした。

2009年9月 4日 (金)

ものぐさのつけ

ものぐさのつけ

何事も便利になった。金を出せば大抵の物は手に入る。便利さを金でかっている訳である。

しかし、ちょっと考えてみると、自分でやるという基本的な事も他人に任せてしまっている。自

分が食べる食物を自分で作るとなると大変な仕事である。これを、個人のレベルで野菜の一

品種でも作ってみると体も使う頭も使うという事で食べることだけでも相当な仕事を要するこ

とが理解できる。基本的な事を他人に任せるという事は相互依存の関係を築くという事で社

会が成立する条件でもあろう。しかし、自分の子供の教育を学校という他人に任せる事ほど

怠惰な事はないという風な言葉を聞いてはっとしたことがあった。学校教育というのも基本的

には効率主義が支配する。為政者から見れば手段に過ぎない。というより学校教育は近代

化が産んだ制度に過ぎない。昔の読み書き算盤は家庭教育か寺子屋教育だった。そんな事

で、ルソーのエミールを読んだ事を思い出した。自分は親の扶養の本にいた身分であったの

で育てる父親側を見上げていたのであった。ルソーの教育論は家庭教育に比重があるよう

だ。エミールはルソーの教育論を物語に仕立てたようなのだが、あのような父親が理想に思

えた。しかし、ルソーとその父親も矛盾を含んだ人でもあったようだ。ともかく、その矛盾を発

展の契機として大きな仕事を為したのであろう。矛盾も目の前の壁も自分のものと認識しな

い限りそれを乗り切れない。

2009年9月 3日 (木)

果物

2009/9/3

果物

幼少時は果物にありつける機会はあまりなかった。病気になると、バナナやリンゴ、ミカン等

を食べられることもまれにはあった。果物はきれいに包装されお遣い物されることが多かっ

た。日常的にたべられるほど庶民にはゆとりが無かった訳である。どうも腹一杯食べた記憶

がないのである。柿だけは自宅に木があったのでよく食べた。しかし、当たり前になるとそれ

を採って食べる楽しみが余り無くなるし、腹一杯食べる事も少なくなる。人間とは贅沢な存在

でもある。庭先果樹のつくり方という本(前田 知著)を読んで自分で果物を育てて見ようとす

る気になった。庭先果樹とは庭の周辺に植えられた果樹で普段の生活に彩りを添えてくれる

果樹のようだ。当然、その果樹を育てている人にも興味がある。前田氏は庭先で果樹を作る

楽しみとともにそのような果樹のある故郷のイメージを語ってくれたと思う。果樹は永年作物

と言われ手入れ次第で長く色々な楽しみを与えてくれる。花も実もある生活が楽しめるので

ある。我が家では庭に色々な樹木が植えられているが食べられる実が生る樹木がほとんど

ない。ハナユとカリンがあるが余り実用的ではない。キウイフルーツは収量も多く実用的では

ある。しかし、とりたてをがぶりと食べる楽しみがない。熟させる手間がかかる。振り返ってみ

ると、キウイフルーツは母の歌材に度々登場していた。やはり、日々庭先で見るとはなく見て

いることになにかしら安らぎを感じるのではないか。その点、果樹は庭木と異なりそれなりの

関心を呼ぶのであろう。

2009年9月 2日 (水)

食料不足

2009/9/2

食料不足

大正9年:55,963千人、昭和10年:69,254千人。日本の総人口である。敗戦に到る昭和の

20年間の様子を知る事が少ない。忌まわしい過去は思い出したくなくなるのが人情かもしれ

ない。しかし、歴史はその連続性の中で理解してこそ意味があるようだ。かって、産めよ増や

せよという人口増大運動があった。人口が多ければ国力も強い。現在でも人口減少が国力

低下と見られている部分があると思う。人口が増えれば増えた分の食料を追加確保する必

要がある。食料増産が叫ばれた。これは戦前も戦後も同じであった。満州や南米に新天地

を求めた人もいる。ともかく食料が大切なことはそれが逼迫して初めて気付く。自分が育った

時期は食うことが何とかできるようになり、第一次産業から第二次、三次産業へ労働力が移

行する時期でもあった。今後の農業は商業経済に巻き込まれ、大規模化が避けられないと

いう話をラジオ等で聞いて、そうなると農業の将来も危ないと思った。結局自分も農業を捨て

て工業に向かった。今日、生産も流通も消費も全て分断されてすべてあなた任せの世界にな

ってしまった。最近、大正用水史という本を読んだ。長い間、課題であり、農民が期待してき

た灌漑用水の工事が戦前の食料危機を目の前にして突貫工事で始められた。しゃべるとも

っこの人海戦術で、働けるものが大勢駆り出された。なんとか完工したが戦力にはならなか

った。しかし、戦後の復興には大きく役だった。これにより、広大な水田が恩恵をうけて戦後

の食糧難の解消に大きく寄与したのだが、いまこの水田さえ将来が不安定になっている。手

を打てるとき手を打たなかったのは人災としか言いようがない。トイレットペーパー騒動どころ

の騒動でない騒動が起きたことは歴史が語っている。

2009年9月 1日 (火)

麦踏み

2009/9/1

麦踏み

わら一本の革命という本がある。自然農法を実践した福岡正信氏の著書である。農産物が

自然の論理の上に成り立っていることには疑いがない。しかし、人間が自然に介入しないと

作物が育たない。作物自身が人間により独り立ちできないように飼い慣らされてしまってい

る。自然農法も深い自然の理解と実践の上に成り立っているので、そのまねごとではうまく行

かないとさとった。昔は農業資材も自給自足した物が多い。一度、敷きわらとして使うために

麦を播いた事があった。結局、実った麦の穂は使う事がなかった。鶏でも飼っていればその

餌に使えただろう。今年は麦作農家から麦わらを貰えたのでマルチ材料等に使っている。と

もかく、現在は動物農家と植物農家に分かれて排出される物資を循環する事も困難になって

いる。ふと、思い出したのが幼少時の麦踏みの事だ。稲の刈り取りが終わった後に麦を播

く。農地を有効に使うために二毛作の後作に麦が作られていた。麦がしっかりと生育するの

を助けるため麦踏みをした。数㎝に育った麦の列を少しずつ丹念に足で踏んで行く。対象が

一本一本の麦であるから踏むすき間を開けてはならない。逆に麦を余り傷めても生育の障

害になる。適当にやる必要があった。最初は足踏みであったが、その後はコンクリートのロ

ーラーを使った。丁度北風が吹く真冬が麦踏みの季節であった。風に向かって進むときに寒

さがこたえた。このような単純だが少しでも収量を上げるため多くの努力をした。その麦も採

算が合わないと作付けが減っている。

2009年8月31日 (月)

ルービックキューブ

2009/8/31

ルービックキューブ

1980~1981年に大流行した立方体パズル。大きな立方体が、小さな立方体により構成され

ており、小さな立方体を含む平面で回転できる構造になっている。大きな立方体の各面を同

じ色にできればパズルが完成する。これは現在も販売されている。@1980で価格据置。初

年度8ヶ月で400万個を売ったとある。2007年に1000万個達成。これを見ると初年度の数量

がだんとつだとわかるが、ロングセラーでもあるようだ。自分も一度は遊んでみたいと思い買

った記憶がある。しかし、多分オリジナル品ではなく類似品であったようだ。回転がぎこちな

かった。本物より値段の安い方を買うのも人間の心理である。ともかく、二匹目のどじょうとい

う例えもある。類似品が出ることは本物の存在感が抜群であるということも言えるであろう。

基本的には一人で楽しむパズルのようだ。パズルを解く時間を競うゲームもあるようだ

が...。多分完全に解くこともなく終わったようである。

2009年8月30日 (日)

自己主張

2009/8/30

自己主張

自分が存在するという事に気付くことは非常に大事だ。天上天下唯我独尊、我思う故に我あ

り等自分を見つめさせる貴重な言葉もある。論語には吾れ日に吾が身を三省すという一節

がある。自分を認識できるのはその存在を抜きに考えられない。しかし、自分が存在してい

ることはそこに他者がいないこと他を疎外しているいる事も確かだ。異なる物が同一の空間

を占めることはあり得ない。これは古典物理学の世界である。しかし、量子力学の世界像で

はそうでもなさそうだ。物質は常に動いている。そこにあるのは確率的な現象である。同じ空

間に異なる物質があるように見える場合がある。ともかく、極微の世界でも何か現象が起こ

るには物質と物質が干渉しなければならない。一つ一つが認識できる個とそれが干渉し合う

集団の関係はこの世の尽きることのない本質なのかもしれない。朝永三十郎という哲学者の

著作に『近世に於ける「我」の自覚史-新理想主義とその背景-』というのがあることを知

り、いまそれを思い出した。ノーベル物理学賞を受賞した朝永振一郎博士の父である。朝永

博士の量子物理という本も学生時代に購入したが歯が立たなかった。ともかく、親、子、孫と

世代、家系を通して何が伝えられたかも興味がある。分野は異なるが物事の本質を突き詰

めるという気性には共通するところがあるようだ。数人の欧米人がレストランで注文すると

き、他人と異なる肉や卵の料理法を指定するのを見て、自己主張をするのも大変だと思った

事がある。日本人の場合、最初にこれが良さそうと言いつつ最後には皆同じになってしまう

場合が多い。確かに、個人が自己主張して、違う物を食べれば、集団として得る情報量は多

くなる。しかし、別々だとその情報を共有する為にはコミュニケーションが必要になる。皆が同

じ物を食べると情報の共有は容易である。しかし、安くておいしいお買い得なメニューを見逃

す確率も増える。自己主張をしなければ自己の存在も危ういというのがその本質かもしれな

い。その本質に彼我の差はないのかもしれない。日本人も自己主張という点では欧米の方

向に向かっているようだ。

2009年8月29日 (土)

トイレットペーパー騒動

2009/8/29

トイレットペーパー騒動

1973年(昭和48年)に起きた。生活物資が不足するとなると値上がりに通じる。原油、穀物

も世界戦略商品で価格は常に需給のバランスで落ち着く。そこに、先を見た思惑が働く。急

激な値上がりがはっきりしていれば、安い内に買いだめしておくのは生活防衛の基本的な知

恵である。買いだめに走ったのは家庭の主婦が多かったのだろう。やはり、そこには生活感

覚が反映されていると思う。1960年代の水洗便所化率はまだ10%程度であったようで、一般

家庭ではまだ汲み取り式がほとんどだったのではないかと思う。従って、トイレットペーパー

騒動も余り深刻には受け止めていなかったが、場合によってはこのようなパニックが起こるこ

とを知らせた。最近では新型インフルエンザの国内発生に伴いマスクの不足が一部話題に

なった。店により欠品や販売制限等が生じた。ともかく生活必要物資は適正価格での安定供

給が不可欠である。新型インフルエンザがこの冬に大流行した場合、ワクチンの不足が懸念

されている。ともかく、パニックを未然に防止するためには、まず安定供給を確保する事、次

ぎに正確な情報を提供する事、思惑行動をくいとめる事等があると思う。しかし、準備が不十

分だと分かる情報を流すとパニックは増大してしまう。経済活動は自由行動に基礎を置くが、

パニックを防止するためにはある程度の統制もやむを得ないであろう。

2009年8月28日 (金)

ツイギー

2009/8/28

ツイギー

1967年来日してミニスカートブームを起こしたモデル。小枝のようなという形容がふさわしい

細い脚を見せたミニスカート姿の写真を新聞で見た覚えがある。なにか痛ましい病的なもの

を感じなかったと言えないでもない。TWIGGYが来たからミニスカートブームが起こったのか

定かではないが、それがきっかけとなったのであろう。ブームとは空気を一杯入れた風船の

空気吹き込み口に起こる現象に似ているようだ。戦後二十年を経て、女性の地位も向上し

た。自分の自由に使える金も増えた。しかし、まだ自由な行動を押さえる旧習が残っていた

。色々な混合ガスが風船に蓄えられていた。そんな時に、風船の吹き込み口がゆるんでしま

い、混合ガスが吹き出してしまい、口を閉めることが出来なくなってしまった。しかし、ガスの

圧力が抜けるとブームは去ってしまった。女性達は、老いも若きもこの偉大な社会実験で自

分の資質を認識したのではないか。流行は作る物、大衆は操作する物。遡ればナチの宣伝

戦略に通じるところがあったようだ。マーケッティング戦略により振り子は大きく動かされた。

しかし、その振り子は自然に止まってしまったようだ。価値の多様化である。所詮作られた偶

像と自分は別物である。大根脚でもニンジン脚でも一度出して度胸をつけた。そんな中で、

みんなと同じではダサイという風潮も定着した。流行の逆を行くのが自分を主張するには適

う。流行の規模もダウンサイジングの時代を迎えているようである。

2009年8月27日 (木)

ビートルズ

2009/8/27

ビートルズ

来日公演があったのが1966年とある。振り返ると自分が受験戦争の最中にあった時、ビート

ルズが世界を席巻しつつあった。世界を席巻した現象の前に、日本の受験戦争等はマイナ

ーな現象に過ぎなかったのか。自分の音楽的な嗜好はほとんど言うに足りない。色々な要因

が重なり、ビートルズもロックも遠い存在であった。ビートルズというグループ名が甲冑類の

昆虫を現すBEETLESであることは何となく理解できる。敬愛するバンドのクリケット(こおろ

ぎ)という名前からの連想から生まれた名前らしい。耳には同じに聞こえるが表記は

BEATLESであるとは初めて知った。音の響きのBEATという意味も込めているらしい。

BEATには心臓がどきどきとうつ拍動、どどどんと言うような太鼓(ドラム)の音の意味もあ

る。メンバーの年齢は終戦時に4~5才くらいで自分より先輩である。という事は二十代の中

頃にはすでに世界の大スターにのし上がっていたことになる。日本ではややもすれば、小中

学生の頃から受験が目先に立ちはだかる。そうして、二十代の中頃にようやく受験戦争から

解放されてほっとしたところで、組織の歯車に組み込まれる。ビートルズの幼少年時代がど

のようなものであったか気になった。ともかく、ビートルズの歌が聞こえてくると若かりし頃が

思い出される。

2009年8月26日 (水)

カフカ

2009/8/26

カフカ

短編小説の変身で知られている。薄い本ならばポッケットマネーで買える。分厚い本は金と

時間の点で手を出すのが難しかった。文芸書など尚更だ。若かりし頃の読書。実存主義など

が話題になりその流れで読んだのだろう。人間が虫になるという虚構を使っている。日本の

私小説というねちねちした小説は余り読む気がしなかった。小説も生まれたときの世間の風

潮を背負っているのかもしれない。そういう意味で私小説ももう一度読み直してみるのも良い

かも知れない。ともかく、長い小説も、短い小説も作者の表現したい事があるのであろう。そ

れを一言で言うとどうなるのかと能率論で考えてしまう。国語の作品観賞も試験問題ではワ

ンパターンであった。見る角度、読む角度で現れる表情が変わる。そういう多面的な意味を

発信している作品もあるような気もする。そのためには、具体性、可能性を削る。削ずられた

部分は想像で補う以外にない。俳句の句作に似る。要するに作品の鑑賞にはアンテナの向

きと性能、拾い上げた信号の解読能力が必要だ。別に、人まねで観賞する義務もない。とこ

ろで、変身も虫も翻訳されて原語が何に対応しているのか分からない。おそらく、変身の意味

には昆虫等の変態との連想も含まれていたのではないかとおもう。何回も挑戦したアシタバ

の苗作りに成功してそれをマルチ床に植えた。どの程度育ったのかと行ってみると葉がな

い。大きな虫がじっと葉脈だけが残った葉にしがみついている。青虫よりはるかに大きい。黄

アゲハの幼虫より大きい。芋虫より小さい。その形がなんとなく怖い。原始時代から刷り込ま

れた恐怖心か。仕方なく手でつまんで取り払った。つかむとぷりぷりと弾力がある。鱈腹食っ

たアシタバの葉がこの虫に変身した。掴まれると黄色い角をだして、エステル調の香気を放

って威嚇する。ゴム手袋でようやく実感したあの虫のぷりぷり感。世界の未開地では芋虫も

人間の栄養源であるらしい。この一見いやらしい、あわれな虫は黒アゲハの幼虫ではない

か。変身して優雅に飛び舞うあの黒アゲハ。カフカはその虫を見たか触ったか。

2009年8月25日 (火)

第二芸術論

2009/8/25

第二芸術論

桑原武夫の第二芸術論は終戦直後に出版された(『世界』1946年)。その後、二十年後頃だ

ったと思う、戦後を作った作品として雑誌に再録されたのを読んだ記憶がある。どんな作品も

それが輝く時がある。その時が去るとかすかに記憶の片隅に宿り、ついに忘れられて行く。

その作品が発表された時は俳句界だけではなく、各界に衝撃を与えたらしい。確かに、語数

という作品とは直接的に関係のない制約と季語という制約を課す文学形式でどれ程独創性

を生み出せるか単純に考えると疑問が生じる。いつしか似通った作品が出来てしまう。芸術

は独創的ではければならないという命題を信じれば第二芸術論に共感してしまう。自分も若

かりし時は俳句や短歌はつまらぬ芸事だと思っていた。しかし、いざ作品を作ってみると世間

で秀作と見なされている作品に比べれば足元にも及ばない。ともかく厳しい条件を課して間

口を広げて、多くの人により作り出された多くの作品を評価・観賞するというルールは一種の

スポーツのようで明らかに存在価値はある。猿がキーボードを叩けば俳句らしい句が生まれ

る可能性がある。世界最高のユニークさのある作品とはある作家が人間の最長寿命まで連

綿と書き綴ったただ一つの超巨大作という事になるのは明らかだ。つまらぬ単語の羅列なら

ば猿の作品に劣る確率の方が大きいかも知れない。こういう作品も原理的には何億も存在

できる。第一芸術を隅に置いて、第二芸術を論じるのは片手落ちだったのかもしれない。坂

口安吾が第二芸術論に関して論考を書いているのをネットで読んだが、こちらがまっとうなよ

うに感じた。しかし、消沈、沈滞している状況をかき回し活を入れた功績は大きいのではない

か。虚を撃っても誰ものって来なければそこで終わりである。それを盛り上げた状況が当時

の日本にあったのだろう。ともかく、第一、一等、一級、となにやらそれを自認する人が、第

二云々を論じるのは何とも頂けない気もしないではない。真の偉大さはそのような枠や束縛

を取り払ったところにあるのだろう。

2009年8月24日 (月)

サルスベリ

2009/8/24

サルスベリ

十年くらい前に邪魔になるサルスベリを移植した。樹齢は定かではないが成木の太さであっ

た。活着するか心配であったが、何とか活着した。それから更に十年以上の樹齢を重ねた訳

である。しかし、日当たりが悪いので花の咲きが良くない。日当たりを良くする必要がある。

だが、最早移植する気にもなれない。他の樹木を縮伐する以外にない。混植の庭をいつも満

足できるように維持する事は大変である。全体の計画が無く思いつくままに植え込まれてい

る。というより、庭を造ろうとした本人のコンセプトが残っていない、伝わっていない、聞かな

かったと言うべきか。手が回らないうちに大きくなる樹木はどんどん大きくなる。樹齢を重ね

た庭木には色々な記憶がまといついている。それを引き継いだ当主は自分も自分なりに植

えて見たいという思いもある。そんなわけで、雑然とした庭が出現する。最近母が残した短歌

を読み直したところ色々な植木が歌われていた。いまでは邪魔になるような庭木も歌の題材

になっていた。ともかく手入れさえしっかりすれば植木の寿命は永い。結局、現状と妥協しつ

つ改善する以外にない。これは庭だけでなく何事にも通じる難問だ。最近、車で外出したとき

にサルスベリらしい街路樹が列植されて華やかな雰囲気を味わった。サルスベリは百日紅と

も言われ花が咲く期間が長い。サルスベリを街路樹に選んだのは気の利いたアイデアだと思

った。

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みかん栽培関係情報

公開資料

ISESAKI  有情1

嗚呼 伊勢崎 非情

BOOKS

  • 橋本 英文: 刃物雑学事典 図解・刃物のすべて(1986年 株式会社 講談社 ブルーバックス B-659)
    刃物という視点で多くの事例が取り上げられている。刃のある道具の理解にも役立つ。類書が少なく貴重な一冊。「すべり変形が切断の原理」という考え方で説明している。
  • 沼田 真   : 植物たちの生( 1972年 岩波新書(青版 833))
    「ご要望にお応えしてアンコール復刊(1988年岩波新書50年記念復刊) 地球生態系の中で自然を見直す」(腰巻きのフレーズ)。植物の知恵と戦略に人類は勝てるのか。
  • 出町 誠: 14_NHK趣味の園芸:よく分かる栽培12ヶ月  カキ(NHK出版2007年)
    初心者向け柿栽培参考書(新版)。旧版と比較すると楽しい。
  • 中村三夫: 13_NHK趣味の園芸:作業12ヶ月  カキ(NHK出版1996年)
    初心者向け柿栽培参考書(旧版)。新版と比較すると楽しい。
  • 山科正平: 12_細胞を読む   電子顕微鏡で見る生命の姿
    細胞はどんな部品からできているのか。そんな疑問に答えてくれる一冊。何事も形を見るのが第一歩。μからÅオーダーの世界で、細胞をメスで解剖するように、電子顕微鏡というメスで解剖して見せてくれるので興味が尽きない。
  • 柳田充弘: 11_細胞から生命が見える
    著者の専門は分子生物学、細胞生物学。普段生物を考えても細胞レベルで止まってしまう。その細胞の中で色々な分子が働いている。細胞こそ生命の基礎だが、その細胞の中の動きを知るのに最適な一冊。疑問の発端はなぜ発根剤が効くのかということ。薬剤が細胞膜を通過して細胞内で分子と分子が作用するイメージができた。本書でできた細胞のイメージは小さな無数の穴が空いた水分が充満したヨーヨーのようなもの。そのヨーヨーの中に分子部品が詰まっている。細胞自体もタライの中のヨーヨーのように浮かんでいる。細胞図面の空白部は真空でなく水分だ。細胞の内外に水がないと細胞は生きられない。水が生命のゆりかごだ!
  • 野口悠紀雄: 10_ホームページにオフィスを作る(2001年 光文社)
    ITが輝いた時代の作品。HPの活用法は参考になる。参考:url=http://www.noguchi.co.jp/(野口悠紀雄 ONLINE)
  • 小池洋男 編著: 09_果樹の接ぎ木・さし木・とり木(農文協:2007/3/31第1刷)
    やや専門的であるが、実務専門化が分担執筆しており、その場で役に立つ一冊。
  • ノーバート・ウィーナー(鎮目恭夫訳): 08_サイバネティックスはいかにして生まれたか(みすず書房1956)
    情報と通信という現代社会に不可欠の基礎的な学問を作った著者の自伝とそれを通した科学史
  • 沼田 真(編): 07_雑草の科学(研成社1979)
    雑草を多面的に解説し防除の基礎も述べる

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    2010/8/4:MEMO等の表示に使える。 農作業で気になる自戒の言葉 ■畑の石ころはいつまで経ってもても石ころ(早く拾って片づけよという意味か)。 ■同じ石を二度拾うな(やってみると難しい)。 ■手ぶらで歩くな。 ■三つ先のことを読め。 ■適当な観察。 ■空を見よ(気分転換、休憩、天気を読む、腰曲がり防止)