2009年9月28日 (月)

生命の起源

2009/9/28

生命の起源

これは永遠の謎かもしれない。しかし、人間の頭脳がそういう回答が得られないかもしれない

問題を発見してしまったのだ。自分の親、祖父母、曾祖父母と一つ一つ歴史を遡ると家系が

見えてくる。その先に氏族、民族、人類、原人云々。種の起源も生命の起源の一里塚であっ

た。その先に、動物や植物の起源。細胞やウイルスの起源。最終段階になると生命と物質

の境界が曖昧になる。さらにつきつめると、物質自体にも歴史がある。単純な構造から複雑

な構造に時間的に不可逆的な変化が起こった。結局、生命とは不可逆な物質の変化の集積

としてとらえられることになる。生命の起源で思い出すのがオパーリン。オパーリンが生命の

起源に関して著作を始めたのが1920年代。1957年に『地球上の生命の起源』、1966年に

『生命の起源-生命の生成と初期の発展』を出版。コアセルベートという細胞に似た物質に

興味を覚えた。オパーリンは弁証法的唯物論の信奉者であったとのことであるが、オパーリ

ンの生命の起源も壮大な仮説であったようだ。論理学も究極的には頭脳の正しい使い方を

研究する学問に過ぎない。日本人は生命を論じると理より情に傾きやすいようだ。能動、受

動と二分したとき理は能動、情は受動の要素が多いだろう。残念だが、思考の武器を研かな

かったのが日本人の欠点であり、教育の欠点でもあったのかもしれない。ミラーが原始大気

の中で放電を行い生命の構成要素となる有機物の合成実験を初めて行ったのが1953年の

ことであったとか。人工的に生命を作ろうとする努力の始まりでもあった。生命現象は地球上

だけにあるのではないらしい。逆に宇宙には色々な生命現象の可能性が有りそうだ。仮説を

世に問うのは勇気が要るかもしれない。しかし、仮説は実験の足場を与える。足場が崩れた

らやりなおせば良い。ともかく、自分が生きた時代に生命の理解が大きく進んだ。細かいこと

が分かると更に謎も深まる。その謎解きが人間の興味を引きつける原点だ。

2009年9月27日 (日)

バルクハウゼン

20009/9/27

バルクハウゼン

自分が電気工学を学んだ時代が丁度、強電から弱電の分野が発展する時であった。電子工

学が新しい分野として大学でも教えられるようになった。しかし、真空管を中心にした技術は

最盛期から衰退期に向かっていた。そんな中で思い出したのがバルクハウゼンという人名。

真空管の授業か真空管の本で出合った名前だったと思う。いかにもドイツ人らしい名前なの

で記憶に残っていたのかもしれない。関連図書は探せばどこかにあるかもしれない。Google

で二つのキーワードで検索してみた。バルクハウゼン 真空管 に一致する日本語のページ

95 件中 1 - 95 件目 (0.25 秒) 。BARKHAUSEN VACUUM TUBU の検索結果 約 5,300

件中 1 - 20 件目 (0.08 秒) 。日本語では、たったの95件がヒットしたのみである。もう、完全

に過去の歴史になっているようである。しかし、超高周波電波の発振、レーダー技術(電波兵

器)という関連で日本の電波技術とも関連があった事を新たに知った。近代戦の主力が大艦

巨砲の軍備より機動性の良い航空機に移った。そこで敵機を早期に発見するにはレーダー

技術が不可欠である。これは今日でも全く同じ状況であろう。飛行機が飛翔体といわれるミ

サイルや衛星にまで拡大されているのが実状だろう。日本の軍事研究は敗戦が明らかにな

った時点で破棄されたり、それに従事した研究者も詳細を公表していないと思われる。大き

な時代の流れの中でぽっかりと歴史の空白が出来ているのかもしれない。これは、今日の企

業研究でも同じような事がいえるのかもしれない。何かの機会にぽつりぽつりと化石のように

現れてくるかもしれない。科学も事件も研究、そうして極論すれば何事も、その現場や当事者

の体験、証言等は知る機会は極一部に限られる。過去に向かってアンテナを広げるようだ

が、それを探して拾い上げる以外の方法がない。

2009年9月26日 (土)

ハードルの高さ

2009/9/26

ハードルの高さ

大学時代から、科学史や技術史に関心を持った。科学や技術の領域でもある出来事、発

明・発見等が為される場合、その時代の必然性があるように感じる。電子技術も、真空管や

トランジスタの発明も、それに先行する真空中の現象、固体中の現象を解明する科学や技

術が基礎となっている。当然、そのような現象を合理的に説明するには仮説を立てることが

有効な手段となる。大学では余り人気があったようではなかったが、一般教養で科学史の講

義を受けたように思う。その中で仮説という概念に触れたのではないかと思う。ある人から、

その人の友人が、ある作物を誰もが予想しない冬に栽培して、営業的にも成功したという話

を聞いた事があった。しかし、テレビに出演してその種を明かしてしまった。そうしたら、直ぐ

にライバルが多数出現して、翌年には過当競争に陥ってしまった。頭がイイのと商売は別だ

よという落ちが付いていた。確かに、だれもやらなかった事をやるためには仮説をたて、実験

をして、実用化の筋道を立てたのだろうと思う。本当に新規で実用性が大きな発明は特許や

実用新案で発明者の権利を守る事ができる。種苗についても特許と同じ様な制度がある。そ

のような制度に該当しないノウハウもある。ともかく、自分の努力を無駄にしないためにはそ

れを自分で守らなければならない。低いハードルでも、それを何段にも重ねる事により、簡単

に乗り越えられない高いハードルにする事が出来る。老舗が生き残っているのは、ハードとソ

フトの技術の積み重ねという財産に守られているからであろう。技術としては本質的ではな

く、本にすると抜け落ちるような小さなノウハウがいたる所にある。従って、本を読んだだけで

うまく行く場合は少ない。何事も本当に成功するためには試行錯誤して身につけたノウハウ

が必要なようだ。

2009年9月25日 (金)

作業仮説

2009/9/25

作業仮説

何か根拠がはっきりしない状態で仕事をせざるを得ない場合がある。漫然としていると同じ

失敗を何度も繰り返す事になる。科学の領域でもある不確かな現象や問題を解明、解決す

るために仮説をたてる。実験によりそれが仮説通りであると検証されれば正しい知識・真理

となる。ともかく仮説というのも一種の知的な道具である。科学の領域で有効な道具なので、

それ以外の分野でも有効であろう。なにかにチャレンジする場合、色々な方法が考えられ

る。しかし、どのような方法があるのか分からない。その方法を探すのに手当たり次第、虱潰

しという方法もある。しかし、それでは効率が悪い。そのような場合、何かの仮説を立てる。も

し、その仮説が実験で誤っている分かれば、別の仮説を作る。そのような多くの仮説と実験

を詳細に検討すると獲物がどの辺にいるかが掴めてくる。ともかく、そこに到る方法がはっき

りしない場合は誰でもなんらかの仮説を立てて行動しているだろう。かくれんぼで誰が何処に

隠れているかを探すのも同じ様な場合だろう。重要なのは自分が仮説を立てて行動している

と十分意識して行動することである。そうすることにより、より効率的な仮説を立てる能力が

向上するのではないか。当然ながら、○○を実現する方法は無いという怠惰な仮説は弁明

にすぎない。○○を実現する方法は必ずあるという仮説はチャレンジするに値するだろう。最

近、「悪魔の証明」という言葉に遭遇した。○○があると証明するのは○○の内容によるが

一般に難しい問題であるらしい。難しければ難しいほど人間の挑戦を誘うのも事実だ。○○

はかならず有る筈だと○○を探し続けている人が多くいるだろう。ともかく、小さな事でも自分

が予想した通りになると大変うれしい。

2009年9月24日 (木)

酸性・アルカリ性食品

2009/9/24

酸性・アルカリ性食品

一時期、酸性・アルカリ性食品という分類が流行っていた事があった。最近、このような分類

がもてはやされていないので気になっていた。調べてみるとこういう二分法は医学的なデータ

が乏しく一種の仮説に過ぎなかったようだ。世の中にはこういう例は非常に多いように思う。

なかなか人体で、確証できるまで実験をする事が難しい。従って疫学的な研究法等の統計的

な方法に頼らざるを得ない。しかし、統計現象は一つの現れた結果の傾向を表すがその原

因を表していない。同じ原因であっても結果が違えば、かならず反例がある事になる。喫煙

が健康に良いか悪いか等も突き詰めるともやもやしたものを感じる。医者だけれど喫煙して

いるが元気だという反例が必ず出てくる。自然は、完全に白黒と言い切れない現象が多いの

ではないか。同じ現象でも白く見える場合もあり、黒く見える場合もある。当然灰色に見える

場合もある。どれを取るかを価値観とすると価値観の幅がかなり大きいのが何を食べるかと

いう問題だろう。完全に白、完全に黒だけを選べれば勝ち負けで差が出るのだろうか。白と

いわれる物だけを選んでいても、それが科学的に黒だと分かると非常なリスクをおかしてい

たという事になりかねない。結局、凡人は両極端の中間を選ぶのが無難という事になるよう

だ。何をたべたら良いか悩むのは贅沢な悩みかも知れない。特に健康、ダイエット等のテー

マとなると諸説紛々で声が大きい方が勝つという実状ではある。俺はその手には乗らないと

いう覚悟で地道に実践する以外にない。一番確実な食べ物は人類が長い歴史の中で食べ

続けてきた自然の中でとれた食物であるに違いない。食べ方は、自分の食べ方の信念を一

生の間実践して、成功した人に学ぶ以外にない。長い期間には、価値観自体が変わってしま

うのだから目先だけの説には信頼が置けないと言うべきであろう。

2009年9月23日 (水)

プリンター

2009/9/23

プリンター

パソコンの周辺機と言えばそのNO1はプリンターかもしれない。パソコンに取り込むことも可

能かも知れないが余り合理的ではない。パソコンと付かず離れずの関係を保っている。プリ

ンターのメーカーも一時はパソコンを手がけたが、ほとんど撤退しているのが実状だろう。パ

ソコンすら、そのパーツは得意な専業メーカーがある。結局、パソコン産業も車と同じで分業

体制で成り立っている。しかも、技術の進歩の早い業界である。個人的にプリンターを使えな

い場合はフロッピーでデータを持ち出して、他人のプリンターを借用した事もある。個人がプ

リンターを手軽に買うことが出来るようになったのも技術と競争のおかげであったろう。プリン

ターは平面である紙の上に文字等を書き出す装置なので、必ず縦横に印字部を動かす機構

部分がある。人間はこれを手でやってしまうからただである。プリンター技術の主要な進歩は

筆記具の筆先の部分にあった。ここに企業の独創性が現れ、特許で固められてしまう。従っ

て、プリンターのインクは特許料を払っているような値段になる。本体は損しても安く、消耗品

のインクで稼ぐという方式が定着した。インクも古いタイプの入手が少しずつ困難になり、本

体の買い換えを無言で促す。いわば、使い捨ての典型的なビジネスモデルでもある。これ

が、個人ならば節約精神が少しは働くが、会社や官庁はどうであろうか。かつて、会社の環

境運動でプリンター用紙の何パーセント削減とかを目標にした事を思い出した。トイレットペ

ーパーの削減と同じ感覚しかなかった。イチイチ使用現場をチェックできない。また、人間に

はどうも紙に印字してみないと安心できない習性がついてしまっているようだ。一番確実なの

はプリンターと紙を入り口で削減することだ。プリンターは部長席だけに置く。用紙の購入は

半減するetc。不便にして、不足させる事だ。

2009年9月22日 (火)

AXパソコン

2009/9/22

AXパソコン

業界初AX仕様パソコン「MBC-17Jシリーズ」の出荷開始が1988年2月。SEGAのIBMパ

ソコン(テラドライブ)の発売が1991年5月発売。AX仕様はIBM-PC互換機の仕様にに日本

語表示機能を搭載した業界団体の仕様。IBM-PC互換機の仕様はオープン(無償)で解放さ

れていたので、その上に日本語環境を構築したようだ。開発コストを抑える効果は大きかっ

たであろう。当時、すでにNECのPC-9800が業界の首位を占め、その他組がPC業界参入

に結束したのがAXパソコンであったようだ。漢字表示は1990年に日本IBMが開発した「IBM

DOSバージョンJ4.0/V」(DOS/Vの元祖)でサポートされた。AXパソコンの理想は素晴らしか

ったが、現実の方が厳しく、急激に変わってしまった。AX協議会(1987/10発足)の副会長に

就任した中原紀博士の謦咳に接し、今その理想を追想している。今日の日本のパソコン標

準はDOS/Vの系統である。結局、AXパソコンは主流になれず、消えていった。ともかく、パソ

コンの標準入力であるキーボードの漢字入力の段階でFEPにお世話になり面倒な操作が要

求される。もっとも、FEPの発明は実用的には偉大な発明であったと思う。パソコンの文字入

力で、かつての漢字タイプライターの操作を要求されたならばパソコン人口は激減して、知的

生産力で欧米等の表音文字系原語に対抗できなかった事であろう。仮名漢字変換は日本語

ワープロの基本技術でパソコンの漢字入力より一歩先行していたようだ。見方を変えれば、

日本語ワープロは日本語処理の専用パソコンであった。その機能が汎用パソコンで可能に

なれば、二重投資は不要になる。そのような技術の胎動は既に20年も前に始まっていた訳

だ。ちなみに、業界最後のワープロとなったシャープの書院シリーズの第一号機は1981年

(昭和56年)に発売され、2003年9月末に生産中止となったらしい。22年の製品寿命であっ

た。

2009年9月21日 (月)

SEGAのIBMパソコン

2009/9/21

SEGAのIBMパソコン

パソコンは情報化時代の申し子であった。それが既に斜陽化が始まっているような雰囲気を

感じる。価格を見るとどん底まで落ちているようだ。昔のMSXパソコンがたどったような風景

が見られる。ハードは家電店に沢山並んだ。パソコン関係の書籍はどこの書店にも溢れてい

た。ところが、最近パソコン関係の売場面積が縮小しているような感じを受けている。商売の

基本は利幅が大きい物、数が多いものが優先するのが原則だ。パソコンは外の何かにその

地位が奪われかけているいるようだ。ともかくIBM-PCが主流になろうとしたとき、ゲーム器メ

ーカーのSEGAがIBM-PC互換機を売り出した。IBMのOEMらしかったので、本当のIBMパソ

コンでもあった。SEGAはこのIBM-PCというプラットホームの上でゲーム関連の商売を計画

したのであろう。それがどの程度成功したか定かではない。しかし、ゲームの世界では後手

にまわたっら致命的である。そこで他社の力を借りてでもともかく自社ブランドの商品を出し

たのであろう。どういう経緯かSEGAのIBM-PCの相棒のCRTモニターが我が家に残ってい

る。多分本体と別に我が家に紛れ込んできたのだろう。IBM-PCの市場からは本家のIBMも

すでに去ってしまっている。情報機器から家電商品になった商品は多い。パソコンもその典

型であったようだ。IBMはパソコンから撤退した時すでにそれを見抜いてパソコン事業を高値

のときに売り払ってしまった。さすがにこれはビジネスの天才の思い切りの良さを示した好事

例であろう。

2009年9月20日 (日)

マクルーハン

2009/9/20

マクルーハン

メディア理論で世間の脚光を浴びた。メディアをクールなメディアとホットなメディアに分類した

ようだ。技術的にメディアの可能性が拡大したが、それを裏付ける理論が無いので世間がそ

れに飛び付いたというのが実態であったのかも知れない。情報化社会の到来を予言するよう

な時期に出現した理論であったように見える。自分もマクルーハンのメディア論にかじりつい

たが所詮流行に乗り損ねただけで終わった。しかし、時代の雰囲気は色々な流行の中に現

れているようでもある。技術の世界ではCATV、マルチメディア、ニューメディア等次々に新し

い流行が生まれた。新しいビジネスモデルが生まれて消えていった。そうして、生き残ったも

のだけでも、もう沢山というほどの当たり前の世界が目前にある。技術的な課題が大きい分

野はチャレンジ精神を喚起してリターンも大きい。そこに集中する人々や企業も多い。しか

し、最後まで生き残るものは少ない。生存競争の厳しさと哀れさを感じる。しかし、変転きわ

まりない歴史の中で少しでも生き続けたものは歴史のリレー走者として何らかの貢献をして

いるのではないか。

2009年9月19日 (土)

栗の木

2009/9/19

栗の木

十数年前叔父さんが畑に栗を植えるので、植えるのなら苗を一緒に手配してやると話があっ

た。二、三品種、十数本の苗を頼んだ。叔母さんが、栗の収穫をして直売所に出荷してい

た。その栗の木も今は切り倒されている。我が家の栗の木は手入れも収穫もせずに畑の中

にある。今後手入れをして少しでも収穫して見たいと思っている。栗の実をまいた実生の栗

の木もある。最近、この栗の木の下に行ってみたら、栗の実が落ちていた。ところがそれを

拾う気がしないのだ。子供の頃の感激もない。子供の頃は渋皮を爪で剥いだり、歯でがりが

りかじり、渋を吐き出しながら生でたべたりした。爪や歯も立派な生存のための道具であっ

た。この渋皮が取りやすい栗があるとのことで検討をしている。白栗とぽろたんという品種で

ある。最近は食味以前に食べやすい事が求められている。手間がかかると言う点では栗は

他の果物に及ばない。しかし、何となく郷愁を感じる果物でもある。幼少の頃、どこかの山に

栗拾いに連れられていったことがある。野生の栗で実は小さい。しば栗という品種であったの

か。味は良かったらしい。乾燥させてかち栗にして食べたのではないかと思う。それほど記憶

は薄れている。昔は立派な保存食だったので見直すと面白いかもしれない。

2009年9月17日 (木)

パソ通からインターネットへ

2009/9/17

パソ通からインターネットへ

市販のパソコンでは富士通のDESK POWERを購入。OSはWINDOWS 3.1であったので

1993年前後であったろう。このパソコンとモニタは既に退役した。インターネットは

WINDOWS 95の発売で急激に普及した。この頃は自作パソコンも流行っていた。秋葉原に

パーツの買い出しに行って組み立てた。最近アウトルックのメールを振り返ってみると約10

年前のデータが残っていた。量で約250Mを使っている。ほとんど読んだりしないのだから不

要なメールを削除してしまえばパソコンの空きスペースは少し広がるかもしれない。10年以

上前のメールはパソコン通信でやっていたようである。多分NIFTYのパソコン通信のソフトを

起動してメールをしたように思う。このときのメールもどこかに残っている筈だ。メールデータ

の引っ越しをやっておけば当時のメールを読み返しできるのだが。パソコン通信からインター

ネットへ環境が代わって既に十年以上が経ているが、ここでお世話になった電話/FAX用の

MODEMカードもどのPCに着いているか不明で現在はほとんど使っていない。公的機関が

書類を受け付けるのにFAXを指定しているので困る事がある。仕事を減らす為にメール受

付をしないのだろうか。我が家の電話は単機能の電話だけ。確かにFAXは着信が目に見え

るがペーパーレスの方がはるかに合理的だ。最近のFAXはデータを蓄積して必要な物だけ

をプリントする機能を持つのもあるようだ。しかし、古い物を捨ててまでして同じ様なものを買

うのはもったいないという気がする。

2009年9月16日 (水)

ハイビジョン

2009/9/16

ハイビジョン

安物テレビも遠くで見ればハイビジョン。最近のテレビは技術の進歩で画質の向上がめざま

しいようだ。現実よりテレビの中の方が綺麗である。画像を作るハードと共に作品を作るソフ

トの方も進歩しているのかもしれない。テレビは走査線方式という基本技術の上に成り立って

いる。被写体から取り込まれた信号は基本的には普通のテレビとハイビジョンテレビと同じ

性質を持つ。違うのは情報の密度である。人間の目は何処までも小さい物が見えるわけで

はない。実用的には目の分解能以下の細かい情報を送っても余り意味がない。確かに普通

のテレビは近くで見れば走査線がちかちかして見にくい。しかし、画面全体を見るくらい距離

が離れればそれも気にならなくなる。従来のNTSC方式は実現できる技術レベルと実用上の

満足度、コスト等がじつにうまくマッチングしていたと言えるだろう。情報の基本単位はbitであ

る。情報化社会になりこのbit単価が劇的に低下した。従って、細部を表す部分にも情報を割

り当てる事が可能になった。しかし、この余り表に現れない情報に気付く人は少ないのではな

いか。写真もテレビもプリンタも白黒の時代があった。白黒は明度だけの情報しかなく色の

情報を捨てている。夕方暗くなると色の情報は少しずつ減少し白黒の世界になる。アナログ

テレビ放送ももうじき終焉の時を迎える。しかし、イザ電波を切ろうとしたり、切れてしまったら

大騒ぎが生じる可能性もある。幸い我が家にはブラウン管テレビしかない。地デジになったら

液晶テレビが入るかなと期待されてもいる。とんでもない今のテレビはコンバータをつないで

最後まで頑張ってもらうぞと宣言している。何処にいても自然はハイビジョンの世界だ。似せ

物をみるよりこの目でじっくりと本物を見たい。

2009年9月15日 (火)

人間機械論

2009/9/15

人間機械論

米国の数学者N.ウィーナの著作だ。神童も大人になればだだの人と言われる例が多い中こ

の人は生涯天才であった。大学では学問の結果だけは教えるがそれがどのような背景で生

まれたかはあまり教えてくれない。たとえば、自動制御等の科目等では数式の羅列になって

いる場合が多い。マックスウェルの電磁界方程式は非常に完成度が高い。大学の先生曰く、

マックスウェルはこの式を導く時に色々な計算を繰り返したと思われるが、式を完成させる為

に使った梯子は全て取り外してしまった。丁度偉大な芸術作品が作られた現場が見られない

のと同じである。N.ウィーナは人間や機械の本質は何かも追求したのだが、それは哲学に

通じるものであったろう。N.ウィーナのもう一つの著書サイバネティクスも名著と言われるが

難解であった。サイバネティクスはミサイルを打ち落とす事や宇宙ステーションを打ち上げて

運用する事等の基本技術の基礎でもある。すなわち情報と制御の基礎的な学問をN.ウィー

ナが提起した。今日の情報化社会はN.ウィーナを忘れさせるまでに発展してしまったが、

N.ウィーナが人間には人間にふさわしい仕事が与えられるべきであるとした哲学的な課題

は未だ解決されていないと思われる。皮肉にも情報化を進める現場の科学者、技術者、知

的労働者等が非人間的な厳しい扱いを受けているようでもある。優秀なプログラマーといえ

ども自分の能力の何百倍何千倍の巨大のプログラムを作ることは出来ないし、膨大なプログ

ラムを維持管理することすらできない。その優秀なプログラマーもやがて退役してこの世を去

って行く。経営者は安定に走っているシステムからは人材を引き剥がしてゆくだろう。しかし、

社会の裏側で走っているコンピュータは一瞬といえども止める事ができない。万一大地震等

が起こったら情報化社会の頭脳・神経網はどうなるのだろうか。

2009年9月14日 (月)

脱工業化時代

2009/9/14

脱工業化時代

今から30~40年前、日本の工業が立ち直り発展をしていた時から、次は脱工業化時代が来

ると予言された。脱工業化時代は情報化社会とも言える。今、当時を振り返るとその予言が

当たっているように思われる。工業化社会ではメシを食って身体で働くという見える労働があ

った。要するに最低限の労働手段である身体を労働者自身が支配できた訳だ。従って、労

働者がストを打つことににもそれなりの効果があった。情報化社会になると身体は情報(命

令)を実行させる道具にされてしまった。自分も工業社会の一員として過ごしたが、自分の子

供に自分の仕事をしている姿を見せることが出来なかった。CADルームのCAD端末が日常

的な作業対象であった。そにはディスプレーとキーボードとプリンター程度しかなかった。コン

ピュータは別室に鎮座していた。このような場面が至る所に見られるのが今日の社会ではな

かろうか。ともかく、コンピュータはプログラムで動く。コンピュータが中心になるとビジネスが

コンピュータに乗るような方式に切り替わる。柔軟性がなくなる。人間が最も得意とする柔軟

性が束縛されるのである。怖いのはコンピュータだからと全てあきらめてしまうことである。今

回の選挙では出口調査も電話調査も断った。今度は、コンビニやスーパーに行ったら値引き

交渉でもしてみようか。私はパートよと言われても人間らしい会話が出来るではないか。

2009年9月13日 (日)

戒名と院号

2009/9/13

戒名と院号

葬儀の時に気になる事だ。しかし、その意味を生活の中で考える事は少ないのではないか。

それを授かるのは故人であるので戒名と院号も生存者は余り実感が伴わないのであろう。

会社で壁につき当たった時に実用書を読むとともかく相手や場所や時を変えろというアドバ

イスがあった。確かに、自分が束縛されていた条件から飛び出すと何にとらわれていたか客

観的に見える場合がある。駄目な上司が最早打つ手無しで相手に出来なくなった場合はそ

の上司の上司がいるではないか。名前を変えるのも同じ様な意味合いがあるようだ。新しく

名前を変え、または名前を貰って再出発すれば良いではないか。自分自身は唯一で変えら

れない。しかし、名前は幾つも持てる。意識を変えれば良いのだ。生前、自分の名前が気に

入らないので名前を変える人もいるようだ。そんなに勝手に変えさせてくれない。衆人から本

名が忘れられるくらいまで自分の希望する名前で通すのだ。そうすれば社会生活上、その人

の名前がその名前であると定着する。実名を本当に変えるのは公的な手続きが必要になる

ようだが、名前を変えるべく生前に努力すればそれがかなうのも事実だ。戒名と院号も自然

に付いてくるかもしれない。ともかく、芸事や修業事で名前を貰う事や自分がハンドルネーム

や筆名を名乗るのも実名以外の活動を想定するためであろう。即ち意識の仕切直ししている

様に思われる。実名で全ての事ができればそれ以上の名前は必要でないように思われる。

しかし、生死を分かつ時、ここでも価値の仕切直しが行われる。戒名と院号もそれをいかに

理解するのかいかに生かすかでその意味が変わるのであろう。

検索サイト

NANDA?⇒物臭検索

  • ラベル(タイトル):最初は何も分からない
    なんだこりゃ?作成当時の記憶

エネルギー関係

ウェブページ

更新ブログ

PHOTO2(写真集)

  • Iob_fujijyuukouentotu
    たまたま出会ったもの2

PHOTO4(写真集)

  • Iob_minitomatodaruma
    果樹・野菜・花等

PHOTO5(写真集)

  • Iob_senteihasami_funsitu_sabi
    現在使われなくなった機器、農具、ガラクタ等。

PHOTO6(樹木等)

  • Iob_sendan_kiru_2013
    樹木の縮伐カット&トライetc

PHOTO7(写真集)

  • Iob_kaiko_ga_gazou
    BLOG関連写真2
フォトアルバム

MIKAN KUN

  • 赤城連山MAP
  • Fight_Fukushima
  • ISESAKI_PIGEON
  • MIKANKUN

Copyrighit

  • © Copyright 2006-2025  af06.kazelog.jp  All rights reserved.

健康関係:リンク&検索等

Favorites2

Favorites

Favorites3

Favorites4

やさしい科学・SCIENCE

  • 日経サイエンスのウェブページ
    「日経サイエンス」とは:「日経サイエンス誌は,1845年に創刊された長い歴史と伝統を持つ米国の科学雑誌「SCIENTIFIC AMERICAN」の日本版で,世界の最先端の科学技術動向を日本の読者に届けています。」
  • SCIENCE IS FUN in the Lab of Shakhashiri
    University of Wisconsin-Madison Chemistry Professor Bassam Z. Shakhashiri のサイト

みかん栽培関係情報

公開資料

ISESAKI  有情1

嗚呼 伊勢崎 非情

BOOKS

  • 橋本 英文: 刃物雑学事典 図解・刃物のすべて(1986年 株式会社 講談社 ブルーバックス B-659)
    刃物という視点で多くの事例が取り上げられている。刃のある道具の理解にも役立つ。類書が少なく貴重な一冊。「すべり変形が切断の原理」という考え方で説明している。
  • 沼田 真   : 植物たちの生( 1972年 岩波新書(青版 833))
    「ご要望にお応えしてアンコール復刊(1988年岩波新書50年記念復刊) 地球生態系の中で自然を見直す」(腰巻きのフレーズ)。植物の知恵と戦略に人類は勝てるのか。
  • 出町 誠: 14_NHK趣味の園芸:よく分かる栽培12ヶ月  カキ(NHK出版2007年)
    初心者向け柿栽培参考書(新版)。旧版と比較すると楽しい。
  • 中村三夫: 13_NHK趣味の園芸:作業12ヶ月  カキ(NHK出版1996年)
    初心者向け柿栽培参考書(旧版)。新版と比較すると楽しい。
  • 山科正平: 12_細胞を読む   電子顕微鏡で見る生命の姿
    細胞はどんな部品からできているのか。そんな疑問に答えてくれる一冊。何事も形を見るのが第一歩。μからÅオーダーの世界で、細胞をメスで解剖するように、電子顕微鏡というメスで解剖して見せてくれるので興味が尽きない。
  • 柳田充弘: 11_細胞から生命が見える
    著者の専門は分子生物学、細胞生物学。普段生物を考えても細胞レベルで止まってしまう。その細胞の中で色々な分子が働いている。細胞こそ生命の基礎だが、その細胞の中の動きを知るのに最適な一冊。疑問の発端はなぜ発根剤が効くのかということ。薬剤が細胞膜を通過して細胞内で分子と分子が作用するイメージができた。本書でできた細胞のイメージは小さな無数の穴が空いた水分が充満したヨーヨーのようなもの。そのヨーヨーの中に分子部品が詰まっている。細胞自体もタライの中のヨーヨーのように浮かんでいる。細胞図面の空白部は真空でなく水分だ。細胞の内外に水がないと細胞は生きられない。水が生命のゆりかごだ!
  • 野口悠紀雄: 10_ホームページにオフィスを作る(2001年 光文社)
    ITが輝いた時代の作品。HPの活用法は参考になる。参考:url=http://www.noguchi.co.jp/(野口悠紀雄 ONLINE)
  • 小池洋男 編著: 09_果樹の接ぎ木・さし木・とり木(農文協:2007/3/31第1刷)
    やや専門的であるが、実務専門化が分担執筆しており、その場で役に立つ一冊。
  • ノーバート・ウィーナー(鎮目恭夫訳): 08_サイバネティックスはいかにして生まれたか(みすず書房1956)
    情報と通信という現代社会に不可欠の基礎的な学問を作った著者の自伝とそれを通した科学史
  • 沼田 真(編): 07_雑草の科学(研成社1979)
    雑草を多面的に解説し防除の基礎も述べる

外国の博物館・美術館 外国語・国際関係(リンク)

TOOLS

地域産業・機関

地域興し関連情報

MEMO_TL_TEST

  • TOP PAGEの 「アクセスランキング(2015/6/8より表示再開)」へ飛ぶためのラベル
  • TEST END
    TEST_H23/10

アクセスランキング

リンク:ページ先頭へ飛ぶ

写真集へのリンク

MEMO 海外の博物館・美術館

  • https://www.artic.edu/collection?place_ids=Japan&page=6
  • 項目のタイトル2
    POST IT :ブログ画面への張り紙に使える。
  • TYPE LIST事始め
    2010/8/4:MEMO等の表示に使える。 農作業で気になる自戒の言葉 ■畑の石ころはいつまで経ってもても石ころ(早く拾って片づけよという意味か)。 ■同じ石を二度拾うな(やってみると難しい)。 ■手ぶらで歩くな。 ■三つ先のことを読め。 ■適当な観察。 ■空を見よ(気分転換、休憩、天気を読む、腰曲がり防止)