2009年8月 7日 (金)

どじょっこだの

2009/8/7

どじょっこだの

はるになれば しがこもとけてとなつかしい響きの歌である。これは音楽の授業とは別に小学

校の担任の先生が教えてくれた歌であったと思う。外にも、かあさんのうた等も教わったよう

だ。うたごえ運動が始められたのが終戦直後、最盛期が1960年代であったという。今思うと

我々も間接的に社会の流れの中にあって色々な歌を歌ってきたのであろう。多分、音楽の教

科書にはのっていない歌であったと思う。どじょっこだの ふなっこだの歌が作られたのが昭

和十年代、親達の青年時代であったようだ。うたごえ運動とはどちらかというと生活の歌が中

心であったように思われる。如何にして食うかという問題が支配していた時代にふさわしかっ

たのかもしれない。働かざる者食うべからずという言葉も授業の中ではなく実体験として覚え

た。新興国の子供達が働いて生活の糧を稼ぐ姿が報道されることがあるがそれと同じ事を

終戦直後の子供達はやってきたのであろう。日々の生活のために子供達も駆り出されてい

たのである。

2009年8月 6日 (木)

スーパーマリオ

2009/8/6

スーパーマリオ

任天堂のファミコンのソフト。このソフトで遊ぶためにファミコンを買った場合も多かったので

はないか。ファミコンとは名前からもコンピュータなのであるが、ほとんどの人がゲーム器とし

て見ていたと思う。自分も熱中している子供からファミコンを借りて試しに遊んだことを覚えて

いる。このソフトの発売が1985年との事で実際に買ったのはもう少し遅かったかもしれない。

ともかく、キャラクターが動くだけではなく、ストりー性やサウンドも子供達を魅了したようだ。

サウンドは今も耳の片隅に残っている。ファミコンにはゲーム性はあるが教育に使える外の

ソフトもあった。また、ファミリーベーシックと言ってキーボードとROM-BASICでプログラムが

できた。これを子供に買い与えたが余り使わずにお蔵入りした。コモドールからVIC-1001と

いう廉価のパソコンが1981年に発売されて自分用に買った。ディスプレーはテレビ画面であ

った。このコンピュータもゲームで少し使って、簡単なプログラムを走らせただけでお蔵入りし

ていたのだが。子供達は自分の持っていないソフトを友達から借りて遊んだりしていた。自分

の持っているソフトを持って遊びに行き来する。一種の社交の道具になっていた。ある時、子

供達がカセットを差し込んだが、画面が出ないのでそれを引き抜いてカセットの接点部分を

舐めている姿を見た。接触不良を経験的に対策していたのである。カセットを調べてみるとゴ

ミがへばりついて接触不良を起こしていた。小学校の授業にコンピュータが登場するのは相

当後の事であろう。スーパーマリオは日本でも世界でも有数の売り上げを記録している。そ

れだけ多く同じゲームの経験が共有された。ゲーム世代の人がパソコンにも抵抗無く入れた

のも事実であろう。これは遊びの効用か。

2009年8月 5日 (水)

つくば科学万博

2009/8/5

つくば科学万博

1985年に開催された。見学者は2000万人を超えた。会期が終わる頃、こういう機会は余り

ないから行っておこうということになり、家族と出かけた。トマトのハイポニカ栽培が話題にな

ったが、今となるとはて見たかなと思う。SONYのジャンボトロンは見た。発光素子はRGB三

原色の一種の電球のような物。今調べてみると平均消費電力は約800KWとあった。最近で

はRGBの発光ダイオードの性能も向上して同じ性能の巨大ディスプレーを作っても消費電力

はかなり低減すると思われる。しかし、それがどの程度必要かは別問題であろう。2000末~

2001末までインターネット博覧会が開催された。1アクセス当たり約20円のコスト。こちらの

博覧会は余り興味を引くこともなく終息したようだ。しかし、大きいのが良いという時代は終わ

っているようだ。地球も市場も相対的には小さくなった。直ぐにその限界に向き合い、そこに

問題が生じる。インターネット博覧会は新しい企画であった事は間違いない。

2009年8月 4日 (火)

オートレース

2009/8/4

オートレース

ゲームにも色々な見方がある。努力が結果に反映するものはスポーツ系のゲームに多いよ

うだ。ギャンブルとは何かのゲームの結果に獲物を対応させるゲームなのか。ともかく、獲物

のないギャンブルは何の刺激もなくつまらないものになる。対象となる何かが確率や技量、

能力によって不確定である時その結果を予想するものと自分が直接参加するものがある。

その獲物を多くするにはそれなりの努力が必要なようだ。子供の頃、ビー玉やメンコで勝ち

すぎて、相手に勝った物を貸して更に勝って何か罪悪感を感じた事があった。入社数年後に

年長の同僚と首都圏に出張したことがあった。用事は早めに終わったので、ちょっと面白い

所によって見ないかと誘われてオートレース場に向かった。出張時の暇つぶしのパチンコな

ら余り抵抗は無いが、オートレースとなると金を掛けなくとも抵抗感があった。ビクビクしなが

ら同行した。同僚はオートレースが好きで情報が豊富であった。やはり、ギャンブルと言えど

も調査・研究が大切なのは普通の仕事と何ら変わるところが無い。むしろ、新製品の開発等

は不確定の部分が多い。見方によればギャンブル性を持っている。失敗した時の責任を誰

がとるかである。結局自己責任という事で済まされているのであるが。ともかく、初めて見る

オートレースでストレスは解放されたが、やみつきになる程でもなかった。ギャンブルもゲー

ムも究めれば得ることが多いのではないか。しかし、成功する人は極少ないのかもしれな

い。程々というところか。

2009年8月 3日 (月)

パチンコ屋

2009/8/3

パチンコ屋

群馬県は色々な公営ギャンブルが揃っているので有名である。パチンコがギャンブルに当た

るかよく分からないが、射幸心を刺激するゲームではあると思う。かって電車通勤していた

頃、駅前や周辺にパチンコ屋があって、電車の時間調整にお世話になった事がある。当時

は駅前等がパチンコ店の立地に適していた様だが、モータリゼーションが進んで適地が移っ

てしまったようだ。ある時、間違って少し勝ってしまった。ほとんど勝った事が無かったので景

品の換え方が分からなかった。玉を勘定台に持って行くと、何か価値のない様な物が入って

いるケースの様な物が出てきた。これを、人影の目立たない小さな店風の換金場所に持って

行くと換金してくれるらしいのだが、ちょっと怖くなりそのまま帰ってしまった。店員は景品その

ものに代えるとは思わないので換金用品を出したのだろうが。パチンコ台のチューリップに玉

が入ると色々なランプが点灯してチンジャラと玉が出てきてわくわくする。このアタリ玉を検出

するセンサー用の集積回路を開発する仕事に関与した事があった。技術の世界なので特異

な事は無かったが、パチンコ台の裏側を覗いた感じがした。アタリ玉を検出した結果を使え

ば色々な事ができる。最近ではパチンコ台もコンピュータシステムの端末の様になって完全

にコンピュータに管理されているようだ。パチンコ屋に入ると遊ぶ台を選ばねばならない。と

もかく、この台は出そうだと信じた台の前に座る。当時は一台一台が独立した個性のある存

在であったようだ。皆気前の良い機械になると店が成り立たない。その逆だと客が来ない。

確率はどこの世界にも共通する制約かもしれない。

2009年8月 2日 (日)

レゴ

2009/8/2

レゴ

子供のおもちゃであるがユニークな特長がある。基本ブロックを組み立てるという簡単明瞭

なルールしかない。組立は基本ブロックに付随する凹凸を介して行う。これは複雑な物といえ

どもそれ以上分割できない原子からできていることを連想させる。ところが、つるつるのパチ

ンコ玉のようだと連結ができない。そこで連結する仕掛けがブロックに形成された凹凸であ

る。物事を突き詰めて考えるという習性ではどうも日本人や東洋人は西洋人に遅れをとって

いるように感じてしまう。従ってレゴのようなおもちゃを作るという発想も乏しく、それを思いつ

いたとしても長続がしないのではないか。凹凸を陰陽に対応させると陰陽の思想は相当な古

代まで遡る。しかし、余り科学や芸術の分野でそれが生かされていない。もはやそれ以上分

割できない粒子がどうして結合できるのかという単純な質問もやはり幼少時から育てる必要

がある。自分も幼少時に母親に、「太陽は火かい、月は水かい」と聞いたことがあると、母が

話したのを覚えている。そのとき、どういう答えがあったのか今ではわからない。多分、忙し

いのでまともな回答もなかったと思う。レゴはこどものおもちゃとして適しているとの評から子

供達に買い与えたがしばらく遊んでからいつとはなく離れていった。関心が別の遊びの方に

移っていった。子供の成長とはそんなものかもしれない。レゴで遊んだ子供達が老後にレゴ

を振り返ったときどのような評価になるのであろうか。

2009年8月 1日 (土)

スポイト式万年筆

2009/8/1

スポイト式万年筆

義務教育で使われた筆記用具は大体鉛筆であったと思う。インクを使うペンも少し使った記

憶がある。万年筆は中学から高校にかけて使い始めた。最初の頃はインクをスポイトでビン

から吸い上げて蓄える方式であった。その後はカートリッジ式が多くなった。しかし、カートリッ

ジが万年筆メーカー毎に違っているのでスペアを確保するのが面倒になり遂に使わなくなっ

てしまった。原始的であるが鉛筆が最も汎用性があると思う。最も多く使っているのはボール

ペンである。これもメーカーにより少し使い勝手違う。筆記用具は単純であるが決定的で万

能のものが無い。文字が下手なので社会人になってからペン習字をやった事もある。書くの

も目的を持って書けば良いのであろう。かって、小学校の担任がある生徒を字は上手でない

が書くのが早いと誉めていたのを思い出した。ともかく、早く書くという事も見方によれば才能

の一つに違いない。意外な誉め方をされると自分の才能に気付き自信を持つ場合もあるだ

ろう。

2009年7月30日 (木)

ガリ版印刷

2009/7/30

ガリ版印刷

活字を使う印刷は仕上がりが良いが時間と金がかかる。その点、ガリ版印刷は手軽で安価

であったので、昭和20~30年代にはかなり普及していたようだ。学校の連絡やテスト等はガ

リ版が多かった。ガリ版の印刷物には大変お世話になった筈である。しかし、その負担はガ

リ版を書いたり、印刷したりする人にかかっていた。ワープロとプリンターの出現で印刷作業

はかなり楽になったと思う。入社当時は連絡等の簡易配布文書は青焼きが多かった。これ

は青焼き用の原稿を作り、薬剤を塗布した感光紙に露光して薬液の中で現像する方式だっ

たと思う。技術の現場で使う配線図等も青焼きであった。青焼きも電子露光式のPPCの普

及でいつしか無くなった。30年以上前の青焼きコピーがが変色しつつも、かすかな臭いと共

に残っている。作成目的から見れば完全にご用済みなのだが、残っているとつい見たくなる。

しかし、いずれゴミとなり捨てられる時が来るだろう。

2009年7月29日 (水)

同窓会

2009/7/29

同窓会

ある会合で中学校の同窓生の誰それですと名乗られて、そーでしたかと恐縮した事がある。

すでに十数年前になるが中学校の同窓会が行われた。なかなか名前と顔が対応しない。し

かし、しばらく一緒に昔話に興じてくるとようやく過去の記憶と現在の関係がリフレシュされて

話が通じるようになる。同窓会も幹事が熱心であると共に同窓会をやろうという機運が盛り上

がって開催にいたるのであろう。不思議な事に数百人の同学年の生徒がいても、小学校と中

学校を通して一度も同じクラスになった事がない人もいる。しかし、50名位のクラスの中には

馴染みのない人もいる。逆にクラスを越えてつき合っている人もいる。同窓会の時の一枚の

集合写真を見ていると色々な事が思い出される。冒頭の一件で同窓会の名簿を調べた。ど

うも同じクラスになった事はなさそうだ。しかし、中学卒業後何十年もたって、新しいつき合い

が始まるのも不思議な思いがする。

2009年7月28日 (火)

戦時中の国防訓練

2009/7/28

戦時中の国防訓練

戦争も終末に近づき敵軍が日本本土に上陸する事が現実問題になってきた頃の話である。

当時の軍隊に入る前の高校生達は、毎日海岸に上陸する戦車をめがけて爆弾を抱えて突

入する訓練をしたとの事である。こういう訓練をさせられた本人から聞いた話なので実感が

漂っていた。ともかく、何事もなく生きながらえたから話せた話に違いはない。特攻隊、人間

魚雷、肉弾兵士等々何か日本人の精神構造の中には玉砕という物事の解決法が潜んでい

るようだ。死者に口は無い。死んだ人を攻めるのは潔しとしない。このような人間の弱みを逆

用する輩もいるようだ。自殺を禁止するという宗教観、生命観も日本と西洋と日本の精神構

造の相違の一つかもしれない。インパール作戦で無駄死にするのが明白であった自分の部

下を軍命に背いて進軍させなかった佐藤幸徳中将の心中にはどのような考えが巡っていた

のかつい考えてしまう。佐藤中将がノモンハン事件に従軍していた少将の頃の揮毫に「日月

照明」というのがある。単純な自然の理を以て人倫の基本を述べているのではないかと思

う。軍隊という位階が絶対的な世界の上にも日月という天体(人倫の基本)が明るく照らし正

邪を見通している。別な揮毫に「明大義正名分」というのがある。こちらは同中将の行動原理

のように思える。この戦争の大義は何か、自分は皇軍の司令官として何を為すべきか為さざ

るべきか。もし、佐藤中将が抗命せずにインパール作戦に突入して多数の兵や戦場の市民

を無駄死にさせたならば戦後の日本の、天皇の地位はどうなっていたのか。

2009年7月27日 (月)

戦時中の病人

2009/7/27

戦時中の病人

戦時中は壮健な成人男子は軍隊にとられた。あとに残されたのはそれ以外の人々という事

になる。戦時中に病気になった人々は、今思うと大変つらい思いをしたのではないか。食料

不足だけではなく、医薬品も不足して十分な治療も受けられなかった。自分で通院できない

病人は誰かの世話になる必要があった。母も病人の看護をしたり、リヤカーに乗せて通院さ

せた時の話をした事があった。医者までの距離を考えると大変であった事が実感できた。最

近、国定忠次が発病したとき戸板に乗せられて隠れ家を移動した云々という話を本で読ん

だ。ともかく、自分で動けない病人はどれ程肩身の狭い思いをしたことであろう。しかし、江戸

時代であれ、戦時中であれ、大変な苦労や心配はあったろうが近縁者が病人に対しては可

能な限りの手当を行ったのも事実であろう。

2009年7月26日 (日)

里帰り

2009/7/26

里帰り

何となく思い出す風景は母が子供達を連れて実家に帰る時の事。数㎞の道を一時間前後か

けてとぼとぼ歩いた。人家も余り見えない用水路沿いの道であった。行き来の時間に何を話

したのかももはや思い出せない。多分もっと歩くのかと何回も何回も聞いてようやく実家にた

どり着いたのではないか。幼少の頃はよく実家に帰った記憶があるが大きくなると実家の距

離も遠くなった。母が大変な苦労ををしても実家に帰りたかったのはやはり父母や兄弟がい

て日常の生活から解放されるのがうれしかったからなのであろう。ともかく子供全員を連れて

移動するのは当時は大変な事であった。自分が妻子を連れて東京見物をしたときに同じ様

な気分になった。家族サービスで小さな子供達と一緒に出かけたのであるが一行の足並み

が乱れると不安になる。道中頼る人もいないのは本当に心細く、家出した家族のように見ら

れたのではないかと後から思った。

2009年7月25日 (土)

菱の実

2009/7/25

菱の実

夏の遊びと言えば先ず水泳が思い出される。幼児の水遊びは近くの小川の洗濯場であっ

た。ここを卒業すると一人前の少年として近くのため池で泳いだ。当時は水面に浮き草のよ

うな菱がかなりはびこっていた。これに白い花が咲き菱形の緑色をした実を付けた。外部の

殻が軟らかいときにその実をとって中身を食べた。これもちょっとした気分転換の遊びの一

つであったのかもしれない。遊びをしながら何かたべられるものがあるとそれを食べる。川辺

に生えていたマコモの若い茎も食べた記憶がある。これは魚取りのついでの遊びだった。水

中のマコモの根の周辺は魚の隠れ家になっていた。今日では菱もマコモも余り見かけない。

生態系が単調なものになってしまったようだ。

2009年7月24日 (金)

小学校の教科書

2009/7/24

小学校の教科書

小学校時代の教科書を思い出そうとしているが余り手がかりがない。終戦直後の教科書は

墨塗りのものもあったと伝えられている。出版事情が安定してからは教科書もそれなりに安

定したようだ。教科書のデータベースで小学校算数の教科書の著者を調べてみた。自分が

使った算数の教科書の著者が誰か気になった。有名な数学者の名前が出てきた。自国の子

供の教育に一肌脱いでやろうという心意気があったのか。教科書の検定とかは裁判にもなっ

て長く尾を引いた。教科書代金は自己負担の時期がかなりの期間続いた。その後、国費負

担となった。自分の年代の義務教育の9年間の教科書代は父兄が負担したわけである。生

活が苦しい時期に義務教育の最も重要な教材の負担を父母にたよっていたのである。逆に

戦後の成長を支えた基礎教育は自分たちの力で達成したのだと誇りを持って良いのではな

いか。自分の子供達の使用した教科書は捨てずに残すようにしてきた。探せば物置の隅か

ら出てくる可能性がある。義務教育期間の各教科の教科書を全部集めると相当の量になる

と思う。成人してすっかり教科書の事など忘れてしまうが、教科書の有り難さに気づかないの

は幸せな事なのか。一人の人間の教育に必要な教育資材を物量で図るのは不届きな気も

するが、教科書以外に使う参考書や本の量を集めると更に膨大な量になる。それが一回使

われるか使われないかで処分されてしまう。貧困国はそのような贅沢はできない。本当にも

ったいないと思う。

2009年7月23日 (木)

チャンペラ

2009/7/3

チャンペラ

学習塾には行かなかった。というよりそういうユトリがなかった。そこでお世話になったのが、

教科書の学習ポイントを解説した「トラの巻」であった。当時チャンペラと言っていたと思う。と

もかく、重要な所は赤文字で印刷してあったりでにわか勉強には効率が良かった。勉強の成

績が気になり始めた頃からチャンペラを使い始めてのであろう。自宅から数キロある書店に

買いに行ったのであろう。志望校を決めるには自分の相対的な学力を知る必要があった。

当時は業者が模擬試験を開催して希望者がそれを受けた。模擬試験と言えどもその点数に

はやきもきした。暗記物は嫌いであまりその重要性を評価しなかったが、母が歴代の天皇名

を暗唱していてすらすら言えたのとは対照的であった。日本史は暗記が多いと思いこみ、何

となく日本史は食わず嫌いになってしまった。チャンペラも模擬試験もかっては目先の課題で

お世話になったのだが、今となってはなかなか記憶の表面に現れてきない。そういえば、旺

文社の豆単にもお世話になったことがあったかもしれない。

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ISESAKI  有情1

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  • 橋本 英文: 刃物雑学事典 図解・刃物のすべて(1986年 株式会社 講談社 ブルーバックス B-659)
    刃物という視点で多くの事例が取り上げられている。刃のある道具の理解にも役立つ。類書が少なく貴重な一冊。「すべり変形が切断の原理」という考え方で説明している。
  • 沼田 真   : 植物たちの生( 1972年 岩波新書(青版 833))
    「ご要望にお応えしてアンコール復刊(1988年岩波新書50年記念復刊) 地球生態系の中で自然を見直す」(腰巻きのフレーズ)。植物の知恵と戦略に人類は勝てるのか。
  • 出町 誠: 14_NHK趣味の園芸:よく分かる栽培12ヶ月  カキ(NHK出版2007年)
    初心者向け柿栽培参考書(新版)。旧版と比較すると楽しい。
  • 中村三夫: 13_NHK趣味の園芸:作業12ヶ月  カキ(NHK出版1996年)
    初心者向け柿栽培参考書(旧版)。新版と比較すると楽しい。
  • 山科正平: 12_細胞を読む   電子顕微鏡で見る生命の姿
    細胞はどんな部品からできているのか。そんな疑問に答えてくれる一冊。何事も形を見るのが第一歩。μからÅオーダーの世界で、細胞をメスで解剖するように、電子顕微鏡というメスで解剖して見せてくれるので興味が尽きない。
  • 柳田充弘: 11_細胞から生命が見える
    著者の専門は分子生物学、細胞生物学。普段生物を考えても細胞レベルで止まってしまう。その細胞の中で色々な分子が働いている。細胞こそ生命の基礎だが、その細胞の中の動きを知るのに最適な一冊。疑問の発端はなぜ発根剤が効くのかということ。薬剤が細胞膜を通過して細胞内で分子と分子が作用するイメージができた。本書でできた細胞のイメージは小さな無数の穴が空いた水分が充満したヨーヨーのようなもの。そのヨーヨーの中に分子部品が詰まっている。細胞自体もタライの中のヨーヨーのように浮かんでいる。細胞図面の空白部は真空でなく水分だ。細胞の内外に水がないと細胞は生きられない。水が生命のゆりかごだ!
  • 野口悠紀雄: 10_ホームページにオフィスを作る(2001年 光文社)
    ITが輝いた時代の作品。HPの活用法は参考になる。参考:url=http://www.noguchi.co.jp/(野口悠紀雄 ONLINE)
  • 小池洋男 編著: 09_果樹の接ぎ木・さし木・とり木(農文協:2007/3/31第1刷)
    やや専門的であるが、実務専門化が分担執筆しており、その場で役に立つ一冊。
  • ノーバート・ウィーナー(鎮目恭夫訳): 08_サイバネティックスはいかにして生まれたか(みすず書房1956)
    情報と通信という現代社会に不可欠の基礎的な学問を作った著者の自伝とそれを通した科学史
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    2010/8/4:MEMO等の表示に使える。 農作業で気になる自戒の言葉 ■畑の石ころはいつまで経ってもても石ころ(早く拾って片づけよという意味か)。 ■同じ石を二度拾うな(やってみると難しい)。 ■手ぶらで歩くな。 ■三つ先のことを読め。 ■適当な観察。 ■空を見よ(気分転換、休憩、天気を読む、腰曲がり防止)