2009年8月28日 (金)

ツイギー

2009/8/28

ツイギー

1967年来日してミニスカートブームを起こしたモデル。小枝のようなという形容がふさわしい

細い脚を見せたミニスカート姿の写真を新聞で見た覚えがある。なにか痛ましい病的なもの

を感じなかったと言えないでもない。TWIGGYが来たからミニスカートブームが起こったのか

定かではないが、それがきっかけとなったのであろう。ブームとは空気を一杯入れた風船の

空気吹き込み口に起こる現象に似ているようだ。戦後二十年を経て、女性の地位も向上し

た。自分の自由に使える金も増えた。しかし、まだ自由な行動を押さえる旧習が残っていた

。色々な混合ガスが風船に蓄えられていた。そんな時に、風船の吹き込み口がゆるんでしま

い、混合ガスが吹き出してしまい、口を閉めることが出来なくなってしまった。しかし、ガスの

圧力が抜けるとブームは去ってしまった。女性達は、老いも若きもこの偉大な社会実験で自

分の資質を認識したのではないか。流行は作る物、大衆は操作する物。遡ればナチの宣伝

戦略に通じるところがあったようだ。マーケッティング戦略により振り子は大きく動かされた。

しかし、その振り子は自然に止まってしまったようだ。価値の多様化である。所詮作られた偶

像と自分は別物である。大根脚でもニンジン脚でも一度出して度胸をつけた。そんな中で、

みんなと同じではダサイという風潮も定着した。流行の逆を行くのが自分を主張するには適

う。流行の規模もダウンサイジングの時代を迎えているようである。

2009年8月27日 (木)

ビートルズ

2009/8/27

ビートルズ

来日公演があったのが1966年とある。振り返ると自分が受験戦争の最中にあった時、ビート

ルズが世界を席巻しつつあった。世界を席巻した現象の前に、日本の受験戦争等はマイナ

ーな現象に過ぎなかったのか。自分の音楽的な嗜好はほとんど言うに足りない。色々な要因

が重なり、ビートルズもロックも遠い存在であった。ビートルズというグループ名が甲冑類の

昆虫を現すBEETLESであることは何となく理解できる。敬愛するバンドのクリケット(こおろ

ぎ)という名前からの連想から生まれた名前らしい。耳には同じに聞こえるが表記は

BEATLESであるとは初めて知った。音の響きのBEATという意味も込めているらしい。

BEATには心臓がどきどきとうつ拍動、どどどんと言うような太鼓(ドラム)の音の意味もあ

る。メンバーの年齢は終戦時に4~5才くらいで自分より先輩である。という事は二十代の中

頃にはすでに世界の大スターにのし上がっていたことになる。日本ではややもすれば、小中

学生の頃から受験が目先に立ちはだかる。そうして、二十代の中頃にようやく受験戦争から

解放されてほっとしたところで、組織の歯車に組み込まれる。ビートルズの幼少年時代がど

のようなものであったか気になった。ともかく、ビートルズの歌が聞こえてくると若かりし頃が

思い出される。

2009年8月26日 (水)

カフカ

2009/8/26

カフカ

短編小説の変身で知られている。薄い本ならばポッケットマネーで買える。分厚い本は金と

時間の点で手を出すのが難しかった。文芸書など尚更だ。若かりし頃の読書。実存主義など

が話題になりその流れで読んだのだろう。人間が虫になるという虚構を使っている。日本の

私小説というねちねちした小説は余り読む気がしなかった。小説も生まれたときの世間の風

潮を背負っているのかもしれない。そういう意味で私小説ももう一度読み直してみるのも良い

かも知れない。ともかく、長い小説も、短い小説も作者の表現したい事があるのであろう。そ

れを一言で言うとどうなるのかと能率論で考えてしまう。国語の作品観賞も試験問題ではワ

ンパターンであった。見る角度、読む角度で現れる表情が変わる。そういう多面的な意味を

発信している作品もあるような気もする。そのためには、具体性、可能性を削る。削ずられた

部分は想像で補う以外にない。俳句の句作に似る。要するに作品の鑑賞にはアンテナの向

きと性能、拾い上げた信号の解読能力が必要だ。別に、人まねで観賞する義務もない。とこ

ろで、変身も虫も翻訳されて原語が何に対応しているのか分からない。おそらく、変身の意味

には昆虫等の変態との連想も含まれていたのではないかとおもう。何回も挑戦したアシタバ

の苗作りに成功してそれをマルチ床に植えた。どの程度育ったのかと行ってみると葉がな

い。大きな虫がじっと葉脈だけが残った葉にしがみついている。青虫よりはるかに大きい。黄

アゲハの幼虫より大きい。芋虫より小さい。その形がなんとなく怖い。原始時代から刷り込ま

れた恐怖心か。仕方なく手でつまんで取り払った。つかむとぷりぷりと弾力がある。鱈腹食っ

たアシタバの葉がこの虫に変身した。掴まれると黄色い角をだして、エステル調の香気を放

って威嚇する。ゴム手袋でようやく実感したあの虫のぷりぷり感。世界の未開地では芋虫も

人間の栄養源であるらしい。この一見いやらしい、あわれな虫は黒アゲハの幼虫ではない

か。変身して優雅に飛び舞うあの黒アゲハ。カフカはその虫を見たか触ったか。

2009年8月25日 (火)

第二芸術論

2009/8/25

第二芸術論

桑原武夫の第二芸術論は終戦直後に出版された(『世界』1946年)。その後、二十年後頃だ

ったと思う、戦後を作った作品として雑誌に再録されたのを読んだ記憶がある。どんな作品も

それが輝く時がある。その時が去るとかすかに記憶の片隅に宿り、ついに忘れられて行く。

その作品が発表された時は俳句界だけではなく、各界に衝撃を与えたらしい。確かに、語数

という作品とは直接的に関係のない制約と季語という制約を課す文学形式でどれ程独創性

を生み出せるか単純に考えると疑問が生じる。いつしか似通った作品が出来てしまう。芸術

は独創的ではければならないという命題を信じれば第二芸術論に共感してしまう。自分も若

かりし時は俳句や短歌はつまらぬ芸事だと思っていた。しかし、いざ作品を作ってみると世間

で秀作と見なされている作品に比べれば足元にも及ばない。ともかく厳しい条件を課して間

口を広げて、多くの人により作り出された多くの作品を評価・観賞するというルールは一種の

スポーツのようで明らかに存在価値はある。猿がキーボードを叩けば俳句らしい句が生まれ

る可能性がある。世界最高のユニークさのある作品とはある作家が人間の最長寿命まで連

綿と書き綴ったただ一つの超巨大作という事になるのは明らかだ。つまらぬ単語の羅列なら

ば猿の作品に劣る確率の方が大きいかも知れない。こういう作品も原理的には何億も存在

できる。第一芸術を隅に置いて、第二芸術を論じるのは片手落ちだったのかもしれない。坂

口安吾が第二芸術論に関して論考を書いているのをネットで読んだが、こちらがまっとうなよ

うに感じた。しかし、消沈、沈滞している状況をかき回し活を入れた功績は大きいのではない

か。虚を撃っても誰ものって来なければそこで終わりである。それを盛り上げた状況が当時

の日本にあったのだろう。ともかく、第一、一等、一級、となにやらそれを自認する人が、第

二云々を論じるのは何とも頂けない気もしないではない。真の偉大さはそのような枠や束縛

を取り払ったところにあるのだろう。

2009年8月24日 (月)

サルスベリ

2009/8/24

サルスベリ

十年くらい前に邪魔になるサルスベリを移植した。樹齢は定かではないが成木の太さであっ

た。活着するか心配であったが、何とか活着した。それから更に十年以上の樹齢を重ねた訳

である。しかし、日当たりが悪いので花の咲きが良くない。日当たりを良くする必要がある。

だが、最早移植する気にもなれない。他の樹木を縮伐する以外にない。混植の庭をいつも満

足できるように維持する事は大変である。全体の計画が無く思いつくままに植え込まれてい

る。というより、庭を造ろうとした本人のコンセプトが残っていない、伝わっていない、聞かな

かったと言うべきか。手が回らないうちに大きくなる樹木はどんどん大きくなる。樹齢を重ね

た庭木には色々な記憶がまといついている。それを引き継いだ当主は自分も自分なりに植

えて見たいという思いもある。そんなわけで、雑然とした庭が出現する。最近母が残した短歌

を読み直したところ色々な植木が歌われていた。いまでは邪魔になるような庭木も歌の題材

になっていた。ともかく手入れさえしっかりすれば植木の寿命は永い。結局、現状と妥協しつ

つ改善する以外にない。これは庭だけでなく何事にも通じる難問だ。最近、車で外出したとき

にサルスベリらしい街路樹が列植されて華やかな雰囲気を味わった。サルスベリは百日紅と

も言われ花が咲く期間が長い。サルスベリを街路樹に選んだのは気の利いたアイデアだと思

った。

2009年8月23日 (日)

リヤカー引き

2009/8/23

リヤカー引き

幼少時にした仕事にリヤカー引きがあった。刈り取った麦、稲等の作物を束ねてリヤカーに

積んで運んでくる。何とか子供にも出来る仕事であった。今日では刈り取りと脱穀を現地でコ

ンバインを使って同時に行うので、こういう運搬のみの仕事は不要になった。人力の徒歩で

引くのは大変なので、やや大きくなってからは自転車や原付二輪車で引いたこともある。昔

は、動力を発生するエンジン部分も自分の身体を使ったのだから農業は体力的にきつい仕

事であった。さすがに、物の運搬に牛馬をつかう事はなかった。しかし、耕耘には牛馬を使っ

た。すきかけけや代かきである。その後、牛馬に代わり耕耘機が使われるようになった。そ

の頃は学生時代でほとんど農業の手伝いはしなかった。耕耘機の運転を覚えたのは父が亡

くなってからである。トラックが普及する前にはこの耕耘機に運搬車を連結して運搬用にも使

った。これに野菜等を積んで遠方の市場まで運んだそうである。農機か機械化することによ

り、労働のきつさは改善されたが、機械化のコストは上昇する一方である。

2009年8月22日 (土)

方向指示器

2009/8/22

方向指示器

車の進行方向を示すのに方向指示器は必須の装置である。その方向指示器も昔は手動で

あった。実際に使った記憶は無いが、機械式の操作で左右にある方向指示棒がぴょこんと

横に出るようになっていたようだ。自動車の教習所では手で進行方向を示す方法が教えられ

た。これは方向指示器が故障した時の対処法であった。交通信号機もまだ設置台数が少な

く、交通整理もお巡りさんが手動で行っていた。その後は、ランプを自動点滅させて方向を示

す方式が普及した。ランプの自動点滅にはリレースイッチが使われていた。ある時、左右の

点滅時間が一致せず狂ってしまった事があった。リレースイッチの開閉速度が変わるという

完全な故障の一歩手前の故障であった。まだ、リレー式の方向指示器は多く現役で使われ

ているようだ。品質、コスト的に安定しているのだろう。

2009年8月21日 (金)

消防自動車

2009/8/21

消防自動車

戦時中の消火訓練と言えば防火頭巾をかぶりバケツリレーで水をかける様子が思い出され

る。実際にその訓練を見た記憶はない。写真や絵を見た記憶が残っているのであろう。その

訓練がどのくらい役だったのか気になる。消防自動車が登場する前は手押しポンプを積んだ

車を人力でひっぱたようだ。小学生の頃にようやく消防自動車を消防団の車庫で見るように

なった。まだエンジンをかけるのはスターターが着いていないので、エンジン始動用の棒状の

クランクを手で回して行っていたと思う。思うに性能がよいバッテリーが普及していなかったか

らであろう。昔、消防団にいた人の話では、消防自動車で水をかいだして魚獲りをした事が

あったらしい。とった魚で一杯やった。何事ものどかでおおらかな時代があったようだ。

2009年8月20日 (木)

空爆

2009/8/20

空爆

敗戦、終戦どちらの言葉を使うか迷う。戦争を体験した人々にとっては敗戦という実感が強

かったのではないか。最近いくつか当時の話を聞いた。B29が空爆をした時、機上から油を

まいたので火の回りが早かったとの事だ。また、空爆を終わって帰るときに鉄道周辺の田ん

ぼに爆弾を落としていったとの事である。米軍は戦争が終わるのを知っていたのだろうという

話であった。不要になった爆弾を投棄したという説である。市街の空襲後、余った爆弾でつい

でに、鉄道まで破壊しようとしたが爆弾が外れたという説もあるという。その爆弾が落ちた場

所で出来る米は黒ずんでいたという話も聞いた。逃げ迷う母子が空爆を受けて母親は死ん

だが、しっかり抱きかかえられた赤子は奇跡的に生き残った。母親が余りにも強く抱きかか

えていたので赤子を助け出すのが大変であったという実話もあったと聞いた。痛ましいが、母

子の絆の強さを物語る話であった。

2009年8月19日 (水)

防空壕

2009/8/19

防空壕

竹藪の片隅に小さなくぼみがあった。あれが防空壕の跡だと教えられた。防空壕の意味を知

ってからの事で戦後十年前後の事であろう。その防空壕はすでに何十年も前に完全に消失

している。空爆を受けることが現実味を持ってから突貫工事で掘ったものかも知れない。そう

して終戦の直前にそれが現実になった。飛行機で空が暗くなった。焼夷弾が炸裂して怖かっ

た。母親が何かの折りに話した記憶が断片的に残っているだけである。自分は空襲を体験し

ていないが、爆撃機が頭上間近に飛来する夢をみて逃げる事も出来ず声も出ず金縛りの状

態になった事がある。爆撃機が爆音を立てて低空飛行するだけで大きな恐怖を受ける。その

爆撃機が数十機編隊を組んで飛来し焼夷弾を落とす。幸い、人家のまばらな農村部で空爆

の被害を免れた。母は千人針を縫ったり、兵隊さん送りに駅まで行った事等もよく話した。赤

紙で呼び出され、千人針を贈られ、万歳で送り出された兵隊さんの気持ちは察するだけでも

偲びがたい。

2009年8月18日 (火)

東京裁判

2009/8/18

東京裁判

極東国際軍事裁判(きょくとうこくさいぐんじさいばん The International Military Tribunal for

the Far East)というらしい。終戦の翌年に行われたのでその当時の様子は直接知る由はな

い。戦勝国が敗戦国の戦争犯罪者を裁いた。評価は色々あるようだ。インドのパール博士

が判事でただ一人全員の無罪を主張した事を思い出す。勝てば官軍負ければ賊軍という言

葉があり、この言葉を聞くとなんとなく嫌悪感を感じた。しかし、日本人のメンタリティに根ざし

た言葉ではあるようだ。何らの権力も正義も無く人が人を裁くことは出来ないとするのは近代

的な考えによるものなのだろう。従って、何かの名によって、正当性を確保して裁判を行う。

しかし、やはり裁判には強者の論理が見え隠れする。ドイツでは戦犯に指名したアイヒマンを

根気よく追跡して...と書き始めて調べてみる。アイヒマンの名前をふと思い出したのがきっ

かけだ。調べてみるとアイヒマンが南米で逮捕されたのが1960年。イスラエルが逮捕して処

刑した。歴史の怨念とは深く永いと感じた。それにしては、日本人は戦争責任を自ら裁けた

のかどうか気になる。パール博士は東京裁判の判事の中でただ一人国際法の専門家であっ

たようだ。国家も歴史の中では浮沈が激しい。インドの独立の父ガンジー、カースト制と戦っ

たアンベードカル、そして東京裁判のパールは三者とも弁護士であったとの事である。弁護

士として弱者の側に立ったのだろうか。法も現実世界では万全ではないが、法による支配・

統治は必要なようだ。実際に戦争を体験した人が少なくなる中、戦争を客観的に理解するべ

き時になってきたように思う。

2009年8月17日 (月)

盆棚

2009/8/17

盆棚

お盆という国民的な風習についても詳しいことは余り知らない。祖霊を祭る行事には違いな

い。仏壇から位牌を出して盆棚に並べる。霊は寺に迎えに行く。幼少時にはお盆迎えの仕事

をした。今は息子の役目である。盆棚を作るのは父の役割であった。それを今自分がやって

いる。父は養蚕の桑くれ台に、半畳の戸板を乗せ、その上にござをしいて盆棚とした。新盆

の時は新霊と旧霊のために別々の盆棚を作るとの事で大工さんに組立式の盆棚を作っても

らった。この棚の上部をチガヤの縄で囲む。時にはこの縄に赤いホオズキ等をつるした事が

あった。四隅には青竹を立てた。一つ一つ何らかの意味があるのだろう。お盆に帰るとされ

る祖霊の居場所を決めるのが盆棚のようだ。その居場所を少しきれいにしてやろうとホオズ

キや萩の花等を飾る。ともかく、伝統的な事は可能な限り残そうとチガヤの縄はまだ自分で

なっている。田んぼの畦にチガヤが残っている部分がある。お盆の数日前にその部分の草

刈りをして適量のチガヤを持ち帰る。少し乾燥した所で縄になう。結構手間がかかるが一種

の修行のようでもある。最近、近所の長老と立ち話をした時、仏事や神事の時の縄のないか

たは逆方向にするのだと聞いた。振り返ってみると、葬儀や祭儀に使う物も身辺にあるもの

を使っていたようだ。それらの小物さえ入手が困難になりつつある。また、それらの細工の仕

方もおぼろげになっている。生きている人間の気持ちが表せれば何でも結構ではないかとも

思う。

2009年8月16日 (日)

作戦要務令

2009/8/16

作戦要務令

終戦64年目を迎えて、そこはかとなく考えを巡らせていると思い出したのが作戦要務令であ

った。自分としては、会社の経営層の人が何かの折に話して、それがきっかけで関係の本を

買ったような気がする。戦前の軍務指令書といった内容だったと思う。軍隊と会社を対応させ

たとき、士官層が経営層に対応するのだろう。作戦という見地からは軍隊も会社も共通する

ところがある。従って、経営層が作戦要務令に関心が向かう理由はあったのだろう。まだ、戦

争を体験した経営者層がいた頃なので、軍隊のシステムに関心が向いても不思議はない。

経営者層にも色々なブームが生まれるが、その後作戦要務令が注目されたことはなかった

と思う。精神主義や強引な命令で大きな組織を引っ張ることは難しい。しかし、会社が軍隊組

織のように運営できれば経営者はその組織論に飛びつきたくなるのも無理はない。作戦要

務令が、その後余り脚光を浴びなくなったのは、企業経営組織がそれなりに進歩してきたか

らであろうか。経営者自身もそのような近代的な企業組織から生み出されるようになると、

益々作戦要務令的な手段は必要なくなるのであろう。何事も戦略と戦術はバランスが必要

だ。物量だけでも、精神力だけでも成功はありえない。

2009年8月15日 (土)

芋で育った話

2009/8/15

芋で育った話

自分が生まれ育ったのが終戦直後のこと。食料事情は非常に悪かった。赤子の頃の記憶は

無いが、物心が付いてからの記憶は残っている。母親は子供達は芋とかぼちゃで育ったとよ

く話した。里芋はゆではしょう油を付けて食べた。ジャガイモはふかして塩を付けて食べた。

自分はすべる芋と言って、ゆでた里芋が好きであったようだ。かぼちゃは里芋やジャガイモ

のような記憶がない。お盆の時は里芋の葉を香炉の下に敷いたような記憶がある。これは線

香の火に注意した防火対策であったようだ。里芋の葉は雨の時の雨除けにもなった。丸裸に

近い状態で遊んでいたので雨除けなど不要に近い。一種の遊びだったと思う。芋がらは乾燥

して煮物にした。サツマイモは甘みがあるのでふかしてそのまま食べた。ふかしたサツマイモ

をかつ糸で薄くスライスして乾燥芋にした。これは祖母の仕事であった。乾燥芋にすれば冬

の保存食になった。これをかじりながら遊んだ。家が農家で何とか食べる物は確保できたよ

うだ。たき火の中で焼いたジャガイモは香ばしくなつかしく感じる。

2009年8月14日 (金)

横井庄一さん

2009/8/14

横井庄一さん

グァム島で発見され1972年に帰国した。グアム派遣から約28年後との事である。帰国したと

きの言葉が、恥ずかしながら...として当時の話題になった。戦争の是非は別として、横井

さんの単身のサバイバル生活は自分としても大変興味があった。確か、本も出されてそれを

読んだ記憶がある。その中で特に立派だと記憶に残っているのは、暦を正確に管理していた

事である。その日、その日の危険な生活に追われて数十年過ごしたら、暦どころではないと

思う。自分の年が何歳か、今日が何月何日かも忘れてしまうのではないかと思う。人は一人

では生きられないと良く言われる事は確かである。しかし、一人でも生きなくてはならない、生

き残ってやるぞという意欲も大切なようだ。横井さんはこれを自然体でやってきたようだ。

色々なところで生活の知恵を発揮している。自分たちも子供の頃はナイフ一つで色々な遊び

をした。肥後守ナイフと言われていたようだ。ヒゴモリと呼んでいたと思うが、正確にはヒゴノ

カミという登録商標であった。ともかく横井さんがジャングルで単身生き延びることが出来た

のは青少年時代の豊かな生活体験が役立ってのことであろう。

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ISESAKI  有情1

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  • 橋本 英文: 刃物雑学事典 図解・刃物のすべて(1986年 株式会社 講談社 ブルーバックス B-659)
    刃物という視点で多くの事例が取り上げられている。刃のある道具の理解にも役立つ。類書が少なく貴重な一冊。「すべり変形が切断の原理」という考え方で説明している。
  • 沼田 真   : 植物たちの生( 1972年 岩波新書(青版 833))
    「ご要望にお応えしてアンコール復刊(1988年岩波新書50年記念復刊) 地球生態系の中で自然を見直す」(腰巻きのフレーズ)。植物の知恵と戦略に人類は勝てるのか。
  • 出町 誠: 14_NHK趣味の園芸:よく分かる栽培12ヶ月  カキ(NHK出版2007年)
    初心者向け柿栽培参考書(新版)。旧版と比較すると楽しい。
  • 中村三夫: 13_NHK趣味の園芸:作業12ヶ月  カキ(NHK出版1996年)
    初心者向け柿栽培参考書(旧版)。新版と比較すると楽しい。
  • 山科正平: 12_細胞を読む   電子顕微鏡で見る生命の姿
    細胞はどんな部品からできているのか。そんな疑問に答えてくれる一冊。何事も形を見るのが第一歩。μからÅオーダーの世界で、細胞をメスで解剖するように、電子顕微鏡というメスで解剖して見せてくれるので興味が尽きない。
  • 柳田充弘: 11_細胞から生命が見える
    著者の専門は分子生物学、細胞生物学。普段生物を考えても細胞レベルで止まってしまう。その細胞の中で色々な分子が働いている。細胞こそ生命の基礎だが、その細胞の中の動きを知るのに最適な一冊。疑問の発端はなぜ発根剤が効くのかということ。薬剤が細胞膜を通過して細胞内で分子と分子が作用するイメージができた。本書でできた細胞のイメージは小さな無数の穴が空いた水分が充満したヨーヨーのようなもの。そのヨーヨーの中に分子部品が詰まっている。細胞自体もタライの中のヨーヨーのように浮かんでいる。細胞図面の空白部は真空でなく水分だ。細胞の内外に水がないと細胞は生きられない。水が生命のゆりかごだ!
  • 野口悠紀雄: 10_ホームページにオフィスを作る(2001年 光文社)
    ITが輝いた時代の作品。HPの活用法は参考になる。参考:url=http://www.noguchi.co.jp/(野口悠紀雄 ONLINE)
  • 小池洋男 編著: 09_果樹の接ぎ木・さし木・とり木(農文協:2007/3/31第1刷)
    やや専門的であるが、実務専門化が分担執筆しており、その場で役に立つ一冊。
  • ノーバート・ウィーナー(鎮目恭夫訳): 08_サイバネティックスはいかにして生まれたか(みすず書房1956)
    情報と通信という現代社会に不可欠の基礎的な学問を作った著者の自伝とそれを通した科学史
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    2010/8/4:MEMO等の表示に使える。 農作業で気になる自戒の言葉 ■畑の石ころはいつまで経ってもても石ころ(早く拾って片づけよという意味か)。 ■同じ石を二度拾うな(やってみると難しい)。 ■手ぶらで歩くな。 ■三つ先のことを読め。 ■適当な観察。 ■空を見よ(気分転換、休憩、天気を読む、腰曲がり防止)