ハトよ 鳴いておくれ(愛しき古里):絣の里・円形校舎と円形交流館と四ツ葉学園
2013年5月31日(金)
昨日は曇り後雨。最高気温(℃) 21.7 13:42。ざっそう句:二度聞いて 昔に還る 三光鳥。ゴミ出しのついでと、近所のおばさんが来て長話。その後宅内閑居。ワード作業。コピー代節約のためA3袋とじを試す。今朝、トイレの小窓から三光鳥の声が聞こえた。幻聴かと耳を疑った。念のため、洗面所の窓を開けたところ、二度目の声を聞いた。数十年ぶりではないかと思う。サンコウチョウ - Wikipediaへのリンク。(WORD編集:BE下書き+WORD文書⇒保存でフォーマット不正となりHTML編集しかできない。下書きまでWORDに取り込みBEへ貼り付け:画像がコピーされない。)
2013年5月30日の天気(AMEDAS)
TAVE= |
20.0 |
NO DATA |
TMAX= |
21.6 |
最高気温(℃) 21.7 13:42 |
TMIN= |
18.6 |
最低気温(℃) 18.2 23:32 |
DIFF= |
3 |
NO DATA |
WMAX= |
4.2 |
最大瞬間風速(m/s)(風向(16方位)) 9.1(北西) 23:39 |
SUNS= |
0 |
NO DATA |
RAIN= |
17.5 |
NO DATA |
Q
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ハトよ 鳴いておくれ(愛しき古里):絣の里・円形校舎と円形交流館と四ツ葉学園
絣の里の円形校舎は、統廃合により不要になった旧伊勢崎市立女子校の校舎が市民活動の拠点として再利用されてきたものであった。ユニークな円形をした高校校舎のデザインは市民の記憶の中に残っており、取り壊すのは余りにも勿体ないというのが大方の市民の気持ちだったと思う。
その円形校舎は東北地方太平洋沖地震の影響で被害を受け、診断の結果、利用の継続は断念されたようだ。その時、どのような評価結果でその判断がなされたのか知りたいところだ。とくに、保存対策と補強による対策で継続使用するという選択枝もあったと思う。保存と新築に関してどのような議論があったのだろうか。ともかく、取り壊しになると聞いて、その姿を残しておこうとしたが、いつの間にか取り壊されていた。現代の機械力によれば、取り壊しは作業をはじめれば短期で容易に終わってしまう。コンクリートビルが林立する都会の未来を想像すると、解体撤去が唯一の選択枝ではないと思うのだが。
昔は、ビルと言えば直方体で、味気ない形が多かったが、建築技術の進歩によるのか、最近のビルは個性的な姿になってきた。それを見ながら都会で生活する人もその個性的姿が記憶の底に焼き付けられて行くのだろう。自分のデジカメ画像の中に残っている円形校舎は極少なかった。写真の背景として残っていた。思い出すのは、絣の里で行われた下記の講演会。
「三軒屋遺跡の講演会(http://af06.kazelog.jp/itoshikimono/2008/11/post-3f1a.html)。(2008/11/23)」
年々歳々、スクラップ&ビルドを繰り返しているだけではその地域の歴史の重厚さは残らない。神社・仏閣だけではライバルが多すぎて勝負にならない。これがユニークだと思う物はそれを何らかの形で残すべきではないかと思った。
先日町歩きした途中で、開館直後の新しい円形交流館に入り施設の一部の会議室等を見学した。休日で、周知不足なのか、いたのは職員のみ。振り返ると、旧円形校舎は、当時の伊勢崎市が市民の女子教育にかける意気込みを象徴的に現していたように感じる。今日、伊勢崎市は伊勢崎市立四ツ葉学園中等教育学校に力を注いでいるようだ。
伊勢崎市立四ツ葉学園中等教育学校 - Wikipedia:WIKIPEDIAへのリンク。
四ツ葉学園へようこそ!:四ツ葉学園HPへのリンク。
制度としての教育の成果が出るのは、一代では短すぎる。少なくても、世代交代が起きてからその成果がじわじわ出てくるのである。その頃、伊勢崎市立四ツ葉学園中等教育学校はどのように変化しているのか。思うに、伊勢崎市民は伊勢崎市の高等学校以上の教育に自信も誇りもないように見える。高等学校以上の教育は市外へ出て間に合わせてしまう。円形交流館へ出かけた時は、旧円形校舎や四ツ葉学園も思い出したいものだ。
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