08C_老人の寝言

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2012年8月 7日 (火)

老人の寝言:本物のクッキーならありがたいが「HTTP cookie」とは何か

2012年8月7日火曜日
昨日は午前曇り一時雨。午後曇り一時晴れ。不安定な天気だった。猛暑日から真夏日になりややしのぎやすい。ざっそう句:爺似合う ジニア咲く道 人も無く。ようやくジニアが本格的に咲き出した。朝飯前仕事で小豆の土寄せ。平行して除草。未明のわずかな雨で土が黒くなっていた。オクラを数本収穫。その後また降雨。午後雨が止んだので公共スペースの刈払。ブラウザでアクセスするサイトからクッキーが大量に送られていた。

2012年8月6日の天気

TAVE= 26.9
TMAX= 31 最高気温(℃) 31.8 15:05
TMIN= 24.7 最低気温(℃) 24.6 23:49
DIFF= 6.3
WMAX= 4.5 最大瞬間風速(m/s)(風向(16方位)) 9.9(北東) 16:55
SUNS= 1.6
RAIN= 2.5

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老人の寝言:本物のクッキーならありがたいが「HTTP cookie」とは何か

WIKIPEDIAには本物のクッキー項目と「HTTP cookie(http://ja.wikipedia.org/wiki/HTTP_cookie)」項目があった。ブラウザの設定が以前のものと異なるのか、頻繁に「cookie」を許可するか否かを聞いてくる。今まで、それを気にしなかったと言うことは、「cookie」を許可していた事と思う。

前期WIKIPEDIAによれば、「概要:HTTPは元来ハイパーテキストにおいて単にファイル転送を行うために開発されたため、同じURLへのアクセスならその状況によらず同一の資源[1]を提供することが前提となっている。動的なコンテンツ生成の仕組みとしてフォームが導入されているが、これは要求に直接対応する応答だけに影響をおよぼす。言い換えるとHTTPでは、同じ瞬間に同じ内容の要求を行っていれば、そのクライアントが以前にどのような通信を行っていても区別されない。HTTPはその意味で現在においてもステートレスなプロトコルである。」との事だ。

何かよく分からないが、「cookie」を食べさせられると、食う前と食った後の情報が判別できるという事なのか。「cookie」を許可するか否かを一つ一つ判断するとなるとかなり手間がかかる。信用できる安全なサイトを選べというのが今回の教訓らしい。

2012年8月 6日 (月)

老人の寝言:大正用水の草刈りもしんどくなった:120806。

2012年8月6日月曜日
昨日は晴れ。連日の熱帯夜・猛暑日。最高気温(℃) 36.5 15:24。雑木の歌:たそがれて 持て余し気味 大正用水 産めよ増やせの 突貫工事。大正用水の草刈り。昨年は8時現地集合。今年は6時現地集となり、熱さ対策として効果があった。帰路、近所のおばさんとその実家訪問。周辺地帯を軽くドライブ。実家周辺なので地理が明るい。昔は、実家まで2里の距離を歩いたとの事だ。おみやげにカボチャを持たされて途中で投げ捨てたいと思った事もあったとか。インターネットの距離測定でその直線距離を測ってみた。距離:7.9km ( 7856 m )、9820 歩 ( 歩幅 80 cm )、2 時間 27 分 ( 3.2 km/時 )と出た。意外だが、話と合った結果が出てきた。昔は、自転車すら貴重品であった。必要ならかなりの時間をかけて徒歩で行き来した。実家に帰る事にも苦労した。楽しみがあるから苦労も我慢できた。それが思い出として残っているのだろう。夕方、百姓先生夫婦と生徒夫婦で先生が作った大きな黒スイカを食べる。四人でも食べきれない。それから苗に灌水。

2012年8月5日の天気

TAVE= 29.9  
TMAX= 36 最高気温(℃) 36.5 15:24 
TMIN= 25.6 最低気温(℃) 25.5 04:49 
DIFF= 10.4  
WMAX= 3.8 最大瞬間風速(m/s)(風向(16方位)) 8.9(東南東) 17:00 
SUNS= 7.6  
RAIN= 0  

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追記(2018/02/23):タイトル文字を太く、日付を追加

老人の寝言:大正用水の草刈りもしんどくなった

大正用水の草刈りは、用水の水を切って一斉に行われる。地域ごとに担当の場所が決まっている。稲作農家はその仕事にかり出される。用水管理は稲作の基本中の基本。この大正用水工事は戦時中の食糧難を突破口にして突貫工事で行われたようだ。現在80才前後の当時の学徒もかりだされ、シャベルとモッコで作業をしたという話を、数人の経験者から聞いた事があった。以前の関係記事。
「食料不足http://af06.kazelog.jp/itoshikimono/2009/09/post-0090.html(2009年9月 2日 (水))」

大正用水工事の発案は「伏島近蔵」にまで遡ると「大正用水史」にあったと思う。「伏島近蔵」でGoogle検索すると約 1,690 件ヒット。

以下にWIKIPEDIA記事を全文引用する。富岡製糸場等が世界遺産登録に動き出したが、群馬県特産の蚕種や絹糸の外国輸出に関してはまだ知ることが少ない。

以下WIKIPEDIAの引用
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「伏島近蔵。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BC%8F%E5%B3%B6%E8%BF%91%E8%94%B5。(最終更新 2011年1月21日 (金) 07:29 )」『フリー百科事典ウィキペディア日本語版』(http://ja.wikipedia.org/)。の記事全文。

伏島近蔵
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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伏島 近蔵(ふせじま ちかぞう、1837年(天保8年) - 1901年(明治34年))は、江戸幕末から明治にかけて活躍した横浜の実業家であり、横浜商人の代表的人物の一人である。

目次
1 生涯
2 頌徳碑と銅像
3 田辺屋の屋号
4 板垣退助に心酔
5 参考文献

[編集] 生涯
伏島近蔵は上野国新田郡藪塚村(現群馬県太田市)の地主の家に生まれた。1865年(慶応元年)に、妻こうを伴い横浜にきて、当初は横浜-神奈川間の行商や、妻の蝋燭小売により生計を立てる。その後商館「アメリカ一番館」に勤務し才能を示し、商人として頭角をあらわした。1868年(慶応4年)に同館を持し独立し、唐物、蚕卵紙(さんらんし、蚕の卵をつけた紙)等を扱う商売をし財産を成したが、その後一旦帰郷し家業に従事するようになる。

帰郷後は家業に従事する一方で、渡良瀬川大間々町(現群馬県みどり市)から鳥の郷(現群馬県太田市)に至る用水路を開削し、その功績により1876年(明治9年)の明治天皇東北御巡幸の際には特に拝謁を仰せ付けられ、奈良晒二匹を下賜された。その後アメリカ一番館の日本人惣番頭の死により再び横浜に戻るが、小学校への寄付や鉱泉事業等への協力等、故郷の発展のために生涯多大な貢献を果たした。

横浜に戻って後はアメリカ一番館の大番頭となり、1877年(明治10年)の西南戦争における羅紗(ラシャ)の取引等で巨利を得るが、1878年(明治11年)には再び同館を辞し、他の有力横浜商人と共に第七十四国立銀行の設立に参加し自ら初代頭取となる。一方彼は貿易商人としての活動も続けていた。

横浜開港以来蚕卵紙の輸出の多くは外国商人により壟断(ろうだん)され、彼らはそれにより巨利を得ており、日本への利益の還元は少なかった。1880年(明治13年)に彼は蚕卵紙直輸を決意し、現地商人と交渉すべくイタリアへと渡るが、すでに横浜の外国商人と結託したイタリア商人の妨害により交渉は難航。駐伊大使鍋島直大も仲裁したが、その間蚕卵が孵化し商品とならなくなり大損害を蒙り帰国した。その間253日間に及ぶ旅行記は当時の第一級資料である。大胆豪放の一面、思慮極めて周到周密な彼の人間があらわれている。

帰国後彼は悪影響を考え、第七十四国立銀行頭取の職を同郷高崎出身の茂木惣兵衛に譲り商業活動に専念したが、折に触れ局外協力は行った。その後横浜市民への良質な飲料水の不足を見た彼は、大田初音町山に横穴を掘削し清水を得て、清水販売(飲料水販売)を実行し再び巨利を得た。彼は事業を株式会社組織とし揺光社(ようこうしゃ)をおこした。

彼は外国における港湾都市の土地値上がりを知り、不動産事業への進出を決意、揺光社の株式を売却し野毛山一体の地所を買占め、1884年(明治18年)の市による野毛山貯水池設置にあたり売却し利益を得て、その後も積極的に不動産事業を行った。

また外国における港湾都市の実見により、港都横浜の発展には陸上施設の完備が肝要であることを痛感した彼は、その後積極的にその方面での活動を行う。特に現在の大通り公園にあった新吉田川や、新富士見川の運河の開削や、隧道や橋等の整備に力を入れ、私財を擲(なげう)つことも厭わなかった。

彼の事業は順調であったが、1901年(明治34年)北海道開拓を決意し、同年官林の払い下げを受け、その実地検分のため北海道に渡ったが、札幌にて病となり、その後稚内まで達するも現地で病死した。享年64。墓地は横浜にある。

[編集] 頌徳碑と銅像
横浜お三の宮日枝神社境内と太田市に彼の功績を称える頌徳碑があり、故郷藪塚には銅像があり郷土の偉人として功績を称えている。

[編集] 田辺屋の屋号
伏島近蔵の店は田辺屋として知られていたが、屋号の由来は定かではなく彼も由来を語ることはなかった、一説には恩人の苗字と言われている。

[編集] 板垣退助に心酔
横浜は自由民権運動の盛んであった土地であり、当時の市民は商人派(立憲改進党支持)と地主派(自由党支持)に別れ鎬(しのぎ)を削っており、商人派の巨頭は原善三郎、地主派の巨頭は伏島近蔵であった。彼の北海道開拓は自由党の党勢拡大の目的もあり、実地検分では当時の自由党幹部も同行している。彼は上州気質、任侠精神が強く、板垣退助の高潔な人格に深く心酔していた。

[編集] 参考文献
横浜開港資料館報 「開港のひろば」(Number95) 2007年(平成19年)1月31日(水)発行
http://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=伏島近蔵&oldid=35977226」から取得
カテゴリ:日本の実業家横浜市の歴史群馬県出身の人物1837年生1901年没
**********************************
以上引用終わり。

最近、伊勢崎市の文化財になっている旧時報鐘楼建立の資金を寄付した小林佳助の事を調べた。小林佳助も横浜に出て成功した商人だが、その取り扱う商品が薬種、当世風に言えば、薬剤だった。生糸を扱ったかは定かではない。

明治前期に於ける生糸直輸出の位置(http://www1.tcue.ac.jp/home1/k-gakkai/ronsyuu/ronsyuukeisai/45_1/tomizawa.pdf)、高崎経済大学富沢氏の記事に「明治14年1月:伏島近蔵、イタリアに赴いて蚕種を直売、50万円余の負債を被る。」という記事がある。

群馬県出身の、伏島近蔵、小林佳助、横浜、国際貿易云々というキーワードで蚕種、生糸、日本特産品(薄荷)等の流通面の歴史が見えてきそうな気がした。小林佳助も横浜の商人。伏島近蔵と小林佳助の接点もあったように思う。大正用水は群馬県の農業を支える基礎的な基盤であるが、それを維持することが今後益々困難になるように感じる。先人たちの偉業とインフラを見直すことも日々の活動の動機付けになるのではないか。

2012年8月 1日 (水)

老人の寝言:捨てるなそのファイル

2012年8月1日水曜日
昨日は晴れ。相変わらず猛暑日&熱帯夜。最高気温(℃) 36.0 15:04 。朝飯前仕事で灌水と大根の種まき。大根の種は自家採取。五月に白い花が咲いた。XP二号機への引っ越し作業。昨年も同じような事をしていて進歩がないと感じる。今年は、引っ越しを効率的にしようとME機でファイルやソフトをDVD-RAMに詰め込んで一括でXP2で読み書きできるようにした。ファイルコピーの間に、「断捨離」やましたひでこ著を読みかじり。

2012年7月31日の天気

TAVE= 29.8
TMAX= 35 最高気温(℃) 36.0 15:04 
TMIN= 25.9 最低気温(℃) 25.7 04:37 
DIFF= 9.1
WMAX= 4.3 最大瞬間風速(m/s)(風向(16方位)) 9.0(東南東) 18:09 
SUNS= 8.4
RAIN= 0

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老人の寝言:捨てるなそのファイル

著者は「断捨離」で哲学的な事を言っている。その発想も哲学的な所にありそうだ。ガラクタからの解放。理想だ。ガラクタをこよなく好む自分にも参考になる。南極と北極の差は意外に小さい。両極端なのだが。パソコンの引っ越しでも色々なジャンクファイルの問題が浮かぶ。引っ越しで、後生大事に持ち出すのはやはり、自分が手をかけたファイルやデータだ。自分の眼、自分の身体、それはこの広い世界の中でも唯一のものだ。それだけは、「断捨離」すべきではないと思う。それが良くも悪くも。
Daikon_flwr_2012_5_16
今年5月に雑草の中で咲いた大根の花(daikon_flwr_2012_5_16.jpg)。この種子を採取して種まき。

2012年7月29日 (日)

老人の寝言:アナログTV放送終焉と地デジ完全移行後一年

2012年7月29日日曜日
昨日は晴れ。最高気温(℃) 38.2 14:12 の猛暑日。天気予報の夜の雨に期待して灌水はさぼた。地域の夏祭りと地区恒例の不動尊祭典に参加。御輿担ぎの休憩時間に子供達も不動尊に手を合わせ、各自の願い事を祈った。昔の農村地帯では、適時の降雨が死活問題になる。雨乞いや水番等は昔の話しになってしまったが、この地区恒例の祭りを説明した地区のOBや地域住民の子供達にかける期待は限りなく大きい。子供達は、願い事をしてから、「おみごく」というこわ飯を手に受けて食べた。20時の抽選会まで頑張る。雷光・雷鳴が迫り、雨が降り出す。これこそ昔なら、お祭り行事の成功の証であった筈だ。行事は落雷事故もなく万事無事終了。このお祭りの背景に雨乞いの神事があった事もほとんどの参加者は気付かないかもしれない。会場をぶらぶらと歩き、雑談。水田が家の近くの人に、今年のカエルの鳴き振りを聞いたらやはり少ないとの話だった。昨年はアナログTV放送が終焉して、地デジ放送となり今年で一年経過、東京スカイツリーもオープン。しかし、東京スカイツリーからはまだ電波が出ていないはずだ。「アナログTV放送が終焉後一年」を感慨深く振り返った。

2012年7月28日の天気

TAVE= 31.0
TMAX= 37.5 最高気温(℃) 38.2 14:12
TMIN= 25.2 最低気温(℃) 25.0 23:10
DIFF= 12.3
WMAX= 4.6 最大瞬間風速(m/s)(風向(16方位)) 13.6(東北東) 20:15
SUNS= 9.7
RAIN= 3.5

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老人の寝言:アナログTV放送終焉と地デジ完全移行後一年

昨年(2011/7/24)、東北地方の一部を除いて、アナログTV放送が終焉し、地デジ放送へ移行した。移行猶予期間も満了して、東北地方の一部も移行した筈で、日本全国が、地デジ放送へ移行した事になる。その当時の所感を「歴史の転換:アナログTV放送終焉、地デジ完全移行後に何が起こるか
(2011/7/22)http://af06.kazelog.jp/itoshikimono/2011/07/tes.html」の記事に書いた。それから、一年が過ぎて、地デジ移行は完全に過去のものになったかの感がする。マスコミもほとんど「アナログTV放送終焉と地デジ完全移行後」に付いてフォローしていないのではないか。過去になったのは本当だろうか。アナログTV放送には、日本の産業・文化を支えてきたインフラの側面が強い。それを、全体的に見渡せる経営者も少なくなった。地デジ難民も相当数生まれ、アナログTV等は大量に廃棄された事だろう。

我が家の、PCTV354はパソコンのアナログモニターとTVの兼用で、昨年まで現役であった。どういう加減か、画像の同期安定度が悪くなり引退させた。その後釜が、まだ寿命が残っているアナログTVだ。そのTVに地デジチューナーを付けて見ている。まだ使える製品が、粗大ごみとして廃棄される様子を見るにつけ、かつての技術者としては憤慨するのである。

そもそも、国が買い換えを促し、メーカーを側面支援するような生ぬるい政策対応を繰り返してきたのが、日本の産業衰退の原因になったのではないか。TVのエコポイントも、口径が大きく高価なほどポイントが高い。全体のエネルギー消費削減を無視し、金持ち優遇という全く、不条理な逆立ち政策がまかり通っている。昨年はTVメーカーも地デジ特需で沸き返ったが、それが虚像だった事が今年になってはっきりした。日本のTVメーカーも、昔は、TVは事業の屋台骨だからという意識と各社の創意工夫でその地位を築いて来た筈だが、そういう経営者も淘汰してしまった。総合的に衰退の道を歩んできた。その原因は、TVを総合的に適正に評価位置付けが出来ていなかった事だろう。それに輪をかけたのが、NHKの怠慢、利権体質化ではなかろうか。現実を正視せず、未来も夢見なかった。技術開発やデファクトスタンダードの推進を怠り、技術の種まきを忘れ、目先の不始末の尻拭いに忙殺されてきた。

アップルのS.Jobsは夢のTVを語ったそうだ。「いつでも、どこでも、だれでも」という、時間、空間、や人種や社会の枠をも乗り越える事が出来るメディアの実現を夢見る才能がS.Jobsにはあたのだろう。「いつでも、どこでも、だれでも」という音声版が携帯電話であるが、その映像版が夢のTVではないか。その実現のためには、公共の電波利用が大前提だ。総務省はアナログTV放送を追い出した、電波の空き地となっている一等地を国民の為に最大限に活用する責任がある。そのプラチナバンドは一部の携帯電話サービス業者だけに開放しては、日本の活力を更に低下させる最大の政策ミスにならないか。

最近のスマートフォンの普及は目覚ましい。若者は、あの小さな携帯画面を凝視しつつ相当な金と時間をスマートフォンに投入している。それが、創造的な用途に応用されれば、スマートフォンの経済・社会面での普及効果は大きくなると考えられるが、つまらないTVの延長に過ぎなければ、その末路はTVと同じになってしまうのではないか。昔、「書を捨てよ町に出よう」というフレーズが新鮮に映った時がある。「TVと携帯を捨て畑に出ようっと」。

2012年7月25日 (水)

老人の寝言:切らさず貯めよアドレナリン(院長の独り言:東電を辞めた理由(1)・・格納容器)を読む

2012年7月25日水曜日
昨日は曇り。少しだけ日射があた。トウモロコシ数本収穫。草むしり。用事外出。たまに寄るスタンドがセルフ方式に変わっていた。店員が操作を教えてくれた。直ぐに忘れそうだ。その時は言って下さいとにこにこ対応してくれたが、人員削減があったろうと思うと時代の変化を感じる。トウモロコシの品種は黄色に白が混じるもの。最近の甘い品種の種子価格は高いので、極一般の品種。栽培が下手で、ほぼ無肥料なので、背丈も実も小さいが、圃場で生食をしてみた。甘いサラダのようだ!農薬を使っていないので安心して、虫になった気分で食べた。若いヤングコーンの実が膨らんだ程度のものは、ぼそぼそするだけで甘みはない。熟す寸前のトウモロコシを虫が狙うのも納得だ。最近、福島原発事故の検証の産物である、事故報告書がいくつか出てきた。民間調査で出版されたのもある。振り返ると、事故発生当日が金曜日。東京電力TOW TOPは揃って物見遊山(金曜日にゆっくり帰り土日はゆっくり休むというレジャー感覚の計画に見える)?で司令官が総司令本部(本社)に不在だった。初動体制は国も東電もむちゃくちゃに見えた。週刊誌の記事の方がよっぽど読み応えがあった。

2012年7月24日の天気

TAVE= 26.6
TMAX= 30.7 最高気温(℃) 29.8 14:34
TMIN= 22.9 最低気温(℃) 20.3 04:35
DIFF= 7.8
WMAX= 2 最大瞬間風速(m/s)(風向(16方位)) 6.2(南東) 16:20
SUNS= 0.9
RAIN= 0

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老人の寝言:切らさず貯めよアドレナリン(院長の独り言:東電を辞めた理由(1)・・格納容器)を読む

最近は福島原発事故も気になりつつも、遠くなった感じがしている。読んでみて印象に残ったサイトはBLOG TOPページにものぐさ検索できるようにしている。Googleにおんぶにだっこ。久しぶりに「Google検索:小野・出来田内科医院 院長の独り言」をクリック。「http://onodekita.sblo.jp/article/46922174.html。2011年07月23日東電を辞めた理由(1)・・格納容器」に出合った。

最近、福島原発事故の幾つかの調査報告書が出つつあるが、「作文」に見える部分やら、意識的に言及していない部分やらで、調査報告書事態も身元調査をしないと信用できないような感じがする。「調査報告書」自体が、一連の福島原発事故の中の一事象に過ぎなくなっているのではないか。後世の人々は、眉につばを付けて、表裏、縦横斜めから読まないと、福島原発事故の全貌は把握できなくなるのではないか。

そもそも、「調査」の「調」という漢字には、「しらべる」の他に「ととのえる:バランスをとる」という意味がある。また、「調査」の「査」という漢字には、「しらべる」の他に「探り出してあきらかにする」という意味がある。このように、類語を二重に重ねているのは何を意味しているか。疑問、疑惑を全て拾い上げ、事故の原因、発生の論理、歴史的・時系列的事実を矛盾なく、バランスさせて徹底に調べる事を意味するのではないか。調査報告書が、事実を隠蔽し、事件の幕引きの手段に成り下がっては、福島原発事故の被害者だけでなく、国民、ひいては、これからも同じ事故が起こらないと言えない状況にあって、世界の人々、人類に対する不誠実・冒涜であり、日本国民の愚劣さを世界に示す結果にもなるのではないか。これが、日本という国の悲しい現実。言ったものは有るが、言わないものは無い。正に、幼児や未開人の論理がまかり通っている。

上記の「東電を辞めた理由(1)・・格納容器」という記事は、今だから言わねばならないと言う、作者の真情が伝わってくる。また、作者記事に対するコメントも印象に残る。福島原発事故調査報告書は、福島原発事故に関して、そこで働き、現場の過去から事故当時までの様子を見てきた人々の情報に耳を傾けるべきではないか。

希望を持って入社した東電を何かの理由で去る。そこには大きな失望や自分の信条に反する重大な何かがあった事だろう。一人一人の個人でみれば、善良で、優秀なのだろうが。あの福島原発事故により、悲惨な事態が招来された。言うか言うまいか、天秤は揺れ続きついに言うべきに傾いた結果だろう。あれだけの放射性物質が漏れても、当局は事故の初期に格納容器は健全だと言い続けただけ。出口がない密閉空間から物が漏れるなら、どこかに漏れ口があると見るのが健全な常識ではなかろうか。当局は、自分が危険圏内にいるときは、責任逃れに、事実の発表先延ばしし、断片化し、ポツリポツリと発表するだけ。国民不在・唯我独尊の態度。その後は黙りを続けており、その間に事態の風化が進む。

量子力学ではトンネル現象でバリアーを超えて電子が飛び出ることはあろうが、今回の、福島原発事故発生後の問題は、量子力学という微視的なレベルではなく、古典力学レベルの問題だろう。「調査報告書」は、原子炉内で核分裂によって生まれた放射性原子が鉄壁を超えて飛び出し、格納容器をはるかに超えて、ひいては、世界中に浮遊・飛散している事実をまず、合理的に分析・解明しなければならない。放射性物質が格納容器以外で高濃度に観測されるのは、普通の物理学と因果律が正しいと前提にする限り、格納容器が破損したか格納容器から何らかの経路を経て外界に漏れたと言うべきではないか。格納容器系に欠陥が生じたと断定すべきだ。それを隠さんがため、そんなことはあり得ない、お前の言い分を証明せよと言う輩は、たとえ、格納容器が健全であっても、福島原発事故による放射性物質の格納容器外への高度の拡散は、物理の因果律に反しない事を証明すべきではないか。それが、証明できれば、まさに世紀の大発見であり、ノーベル賞を幾つももらえるだろう。

原発事故の「格納容器」は、諸悪の根元である放射性物質を封印するパンドラの箱であった。その「パンドラの箱」は、余りにも無力であった。それが現実ではないか。「パンドラの箱」を正視できているのか。そんな事を考えると、日本の調査意識・動機、調査力は幼児レベル以下。世界の笑い物のなるのも間近い。

それにしても、上記「2011年07月23日東電を辞めた理由(1)・・格納容器」の記事に淡々とかかれている著者の気持ちは多くの人に知ってもらいたいと思った。アドレナリンも切らさずじっくり貯めこまないと精神的なパワーにならないのだろう。丁度1年前の記事であった。

2012年7月17日 (火)

老人の寝言:関西電力は東京電力のとばっちりを受けた被害者か

2012年7月17日火曜日
昨日は晴れ。朝から高温注意報が流れた。最低気温(℃) 25.0 04:03 で熱帯夜。最高気温(℃) 36.3 14:59 で猛暑日となった。まだ、梅雨明け宣言はない、小豆の移植を朝飯前仕事として少しだけして、その後は宅内。宅内の室温も33℃と暑い。海の日だからというわけではないが、海水浴スタイルで暑さをしのぐ。梅酢にクエン酸を入れて熱中症対策ドリンクにした。知人からキムチ等の差し入れ。デスクトップパソコンのFANは回りっぱなし。この暑さで、電力消費量が気になった。東京電力と関西電力のホームページを覗く。一昨年(2010年)東京電力の夏の最大電力は、5,999万kWを記録(7月23日)。東京電力の昨年の電力データから、毎日の最大電力をグラフにしてみた。

2012年7月16日の天気

TAVE= 30.0
TMAX= 35.8 最高気温(℃) 36.3 14:59 
TMIN= 25.1 最低気温(℃) 25.0 04:03 
DIFF= 10.7
WMAX= 3.2 最大瞬間風速(m/s)(風向(16方位)) 6.4(東南東) 14:23 
SUNS= 10.7
RAIN= 0

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老人の寝言:関西電力は東京電力のとばっちりを受けた被害者か

昨年は、東京電力福島第一原子力発電所の事故で、東京電力管内の電力利用者は、節電を強いられた。いま振り返るとあの、強引・無計画な計画停電は原発事故隠しの隠れ蓑そのものに見える。まさに、国民の死活に関係するエネルギーを握っている連中が悪魔のささやきに負けた結果を示しただけにすぎなかったようにみえる。東京電力平成23度報告書によると、個別支給額は開示されていないが、取締役21名で総額179百万、平均8.52百万円/人の報酬を受けていると記されている。この平成23度報告書は、事故の責任としての損害賠償と経営責任としての電力料金増加分も利用者にツケ回して、ちゃっかりこれだけの報酬を受け取とったと当世風経営者倫理のありさまを、永久に後世に伝える記念すべき役割を負っているかのように見える。東電の株主は太っ腹なのか。

昨年は、東は大変、西は安心という雰囲気があったが、原発の稼働停止が現実になり、電力事情は西と東が逆転した。原発がなければ、電力は不足するという、原発稼働への強迫観念が未だに電力業界を支配しているようだ。従って、供給可能電力の根拠や明細は具体的に示されない。国民が見せられているのは、その時々の数値だけで、その裏付けは皆目分からない。ともかく、万一、関西電力側に、何らかのトラブルが発生すると今後は更に問題が複雑化するのではないか。そんな事を考えつつ、猛暑の中データをまとめてみた。ざっと見ると、東京電力は関西電力の約二倍の電力規模。相撲で言えば、東の横綱が死に体。西の横綱が頑張らなきゃ。データは東京電力と関西電力のホームページに掲載されたものである。電力事情が逼迫するのが、7月と8月だが、何が起こってもおかしくないのがこの世の常。東京電力の2011年の最大電力:2011/8/18 4922KW。

Tepco_and_kepco_power_2012_07_16

2012年7月 8日 (日)

老人の寝言:浮き草はなぜ沈まないか

2012年7月8日日曜日
昨日は終日断続的に雨。夕方は雷鳴あり。不安定な天気でやや肌寒い。C400MのPCでPDFを作ったが、VER=1.2でコンビニプリントNG。別のPCで何とかVER=1.3のPDFを作った。本になるワードファイルを作るにも手間取る。パソコンライフもプリンタレスが理想なのだが、どこかでハードコピーが必要になってしまう。逆に、電子ファイルも、ハードの寿命しかないと考えると余り頼りにならない。メダカの容器を覗いたら、ホテイアオイの株が増えていた。最初は見えなかった小さな浮き草の数が、数点になり、やがて、水面を覆うくらいにまで増えた。どこから来たのか気になった。越冬芽が風に飛ばされて来たのか。

2012年7月7日の天気

TAVE= 22.3
TMAX= 24.3 最高気温(℃) 24.6 14:14 
TMIN= 20.4 最低気温(℃) 20.3 23:09 
DIFF= 3.9
WMAX= 3.2 最大瞬間風速(m/s)(風向(16方位)) 10.1(西南西) 17:51 
SUNS= 0
RAIN= 36

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老人の寝言:浮き草はなぜ沈まないか

ホテイアオイと浮き草が一緒に浮かんでいる容器をみると、その大きさの違いが良く分かる。ともかく、このメダカ容器の水は変えていないので、富栄養化が進んでいるようだ。ホテイアオイも浮き草も育ちが早いように感じる。水や風任せの動きをしている
「浮き草」を根のある植物と良く比較していたが、「浮き草」にも根があると気づくと思いこみから抜け出す困難さを感じる。
「ウキクサ。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A6%E3%82%AD%E3%82%AF%E3%82%B5。(最終更新 2012年5月14日 (月) 11:22 )」『フリー百科事典ウィキペディア日本語版』(http://ja.wikipedia.org/)。の記事に「ウキクサ(浮草、Spirodela polyrhiza[1])は、ウキクサ科ウキクサ属の植物である。あるいはウキクサ科の植物すべてを指す場合もある。特徴 [編集]:日本全土に分布し、水面を浮遊する一年草で葉と茎の融合した葉状体と裏面から出す5~11本の根を持つ。葉状体は長さが5~10mm程度、幅が4~8mm程度の卵球形で表面は緑色、裏面は赤茶色[2]。生息場所は水田や小川、ため池などの淡水。水流があると流されてしまうため、水流のない、またはほとんどないところに生育する。通常は生長点から娘葉状体が出芽のようにできて無性的に増殖するが、夏にかけてまれに雌しべ1本、雄しべ1~2本の目立たない花を着ける。秋になると越冬芽をつくり水底に沈んで冬を越す。」とある。

界 : 植物界 Plantae
門 : 被子植物門 Magnoliophyta
綱 : 単子葉植物綱 Liliopsida
目 : オモダカ目 Alismatales
科 : サトイモ科 Araceae
亜科 : ウキクサ亜科 Lemnoideae
属 : ウキクサ属 Spirodela
種 : ウキクサ S. polyrhiza

「ウキクサ」は分類的には、かなり孤独な種のように感じる。「浮き草」は植物学的意味ではなく、単に経験や表層的な観察の結果に従っている用語だったようだ。ホテイアオイの方は、空気層を含む球状の葉による浮力で浮かぶと想像できるが、「ウキクサ」が浮くメカニズムは?空気層による浮力か表面張力の様な力が働くのか。WIKIPEDIAの水草(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B0%B4%E8%8D%89#.E6.B5.AE.E8.91.89.E6.80.A7.E3.81.AE.E6.B0.B4.E8.8D.89)の記事も面白い。
Hoteiaoi_ukikusa

2012年7月 3日 (火)

老人の寝言(愛しきもの 道具達):貧困なる精神

2012年7月3日火曜日
昨日は晴れ。雨後で、気温も湿度も上がった。真夏日。前橋のAMEDAS湿度は51~95%。熱中症要注意だ。雨後なのでセルリ、モロヘイアの残り苗を植えようかとしていた。片づけものをしていたら、レジ袋に入った小豆が出てきた。昨年の貰い物が残っていたようだ。かみさんにどうすると聞くと、播いたらとつれない返事が帰ってきた。期待外れ。一袋、数十粒ではなく種子としてはかなりの量だ。幸い手伝いが草かきしてくれたスペースがあった。そこに蒔き始めたところに来客。来客氏曰く、もう遅いんじゃネン。食用にもらったモノなので収穫時期や発芽能力は不明。ダメモトさ。節分の豆まきのようにばらまきにしようとも考えたが、発芽を考慮して大きめのゴミを除去してスジ蒔きにして少し覆土。一日晴れると畑はかなり乾燥する。野鳥対策からも覆土が良いだろう。作物も大きくなり深く根を張っていれば乾燥に強い。小さな苗は根が浅いので乾燥に注意が必要。苗の灌水には水加減を調整しやすいジョウロが適している。その如雨露のハスノミが不調なのでペットボトルで代用品を作ってみた。政界は相変わらず国民不在の茶番劇を見るような状況が続いている。

2012年7月2日の天気

TAVE= 23.8
TMAX= 29.9 最高気温(℃) 30.1 15:47
TMIN= 19.4 最低気温(℃) 19.3 00:41
DIFF= 10.5
WMAX= 4.2 最大瞬間風速(m/s)(風向(16方位)) 9.4(東南東) 19:03
SUNS= 7.8
RAIN= 0

Q
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老人の寝言(愛しきもの 道具達):貧困なる精神

如雨露のハスノミ部分が不調になり水がジャジャもれするようになった。ハスノミの値段を店頭で調べたら意外に良い値段だ。安い如雨露ならもう少し金を出せば買える位の値段。それなら、ポンコツになった如雨露のものと交換しようと試したが太さが合わなかった。ハスノミの穴の大きさも用途により何種類かあれば便利だ。自分が使う如雨露もプラスティック製の安物が多かったが、耐久性が悪い。屋外に出して紫外線を受けるとすぐボロボロになる。短期間で買いなおさせる仕様のように思ってしまう。末端の利用者としてはハスノミのサイズ等を標準化してくれると有り難いが、現実は脱標準化・脱互換性なのか。ともかく、本体がまだ使えるのだからと、ペットボトルの口を如雨露にさしたらぴったり合った。そこでペットボトルの底に錐で穴を開けてハスノミの代用品を作ってみた。穴が大きいので、大雑把な灌水には何とか使える。小さな穴が開けられれば更に使い勝手の良いモノができそうだ。昔、万年筆はスポイト式でどこのインクも使用できた。それが、カートリッジ式になり、本体を買うと、カートリッジが選べなくなった。まさに、貧困なる精神の見本に見えて、それ以来万年筆は使わなくなった。
Jyouro_pet_btl

2012年6月23日 (土)

老人の寝言:自分好みの味⇒「アランチューリング生誕100年」

2012年6月23日土曜日
昨日は早朝雨。その後は曇り時々晴れ。朝方の定例の仕事は休み。宅内作業をしていると応援が声をかける。タケノコ取りと草むしりをしてもらう。一度教えた仕事なので今度は一人でしてもらった。その間、ミニトマトの支柱を竹で立て直し。応援とミニトマトを一個ずつ、ピーマンとナスは半分ずつ取り立てを丸かじり。でも、ピーマンとナスの丸かじりは押し売りの感じがした。新鮮な食物は下手な味付けは止めた方がよいとかみさんに申し上げたら、本当にミソも醤油も使わない野菜汁が出てきた。出し用の昆布が入っているので野菜本来の味や香りが楽しめる。もちろん減塩にもなる。薄味も慣れればそれが当たり前になるのだろう。

2012年6月22日の天気

TAVE= 22.4
TMAX= 26 最高気温(℃) 26.6 16:39 
TMIN= 18.8 最低気温(℃) 18.7 06:12 
DIFF= 7.2
WMAX= 3 最大瞬間風速(m/s)(風向(16方位)) 7.1(東南東) 04:50 
SUNS= 2.9
RAIN= 34.5

Q
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老人の寝言:自分好みの味⇒「アランチューリング生誕100年」

食べ物、食べ方の話になると、「蓼食う虫も好き好き」という言葉を思い出した。もう少し調べようとGoogle検索の画面に移ったら、TOP PAGEのGoogle文字がいつもと変わっている。それをポイントすると「アランチューリング生誕100年」と現れた。自分好みの味云々は、出てくるモノは拒まずの一言で済むので、「アランチューリング生誕100年」のリンク先の「アランチューリング」の検索結果のTOP「アラン・チューリング - Wikipedia」に飛んだ。WIKIPEDIA(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%81%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%83%AA%E3%83%B3%E3%82%B0):「アラン・チューリング:アラン・チューリング(Alan Mathison Turing, 1912年6月23日 - 1954年6月7日)はイギリスの数学者、論理学者、暗号解読者、計算機科学者。」今日のコンピュータ科学の基礎となっているチューリングマシン等を研究。WIKIPEDIAの記事を読むと今まで知らなかった側面に出会う。死没 1954年6月7日(41歳)との事で、戦後のコンピュータの発展がいかに早かったかと再認識した。コンピュータも暗号解読という軍事技術として発達した事は余り教えられないが。これは原発も同じだろう。

2012年6月19日 (火)

老人の寝言(半端道楽):WIN MEのディスクスペースの埋蔵金ならぬ埋蔵容量を掘り出す

2012年6月19日火曜日
昨日は晴れ。一昨日に続いて30℃を超えた。台風4号が日本に接近中。ミニトマトの手入れ。ナス3個収穫。草かき。昼下がりはポンコツパソコンME機とお付き合い。思うように動いてくれないが、昔のパソコンライフを思い出させてくれる点では気心が知れている。6/21は夏至。

2012年6月18日の天気

TAVE= 24.5
TMAX= 29.6 最高気温(℃) 30.3 15:23 
TMIN= 18 最低気温(℃) 17.7 04:52 
DIFF= 11.6
WMAX= 4.4 最大瞬間風速(m/s)(風向(16方位)) 8.1(南東) 15:10 
SUNS= 10.2
RAIN= 0

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老人の寝言(半端道楽):WIN MEのディスクスペースの埋蔵金ならぬ埋蔵容量を掘り出す

WIN MEには仕事がたてこむとフリーズするという性格がある。かなり、人間的な性格だが、そのような性格とうまくつき合うにはどうしたら良いかと考えている。インターネットでデータをDLしていると良くフリーズ状態になる。インターネット一時ファイルを削除すると少しその症状が軽減する。前回、インターネット一時ファイルを全部削除しても、ディスクスペースの埋蔵金のような埋蔵容量があることに気付いた。埋蔵容量はジャンクファイルのようだ。インターネットツールの中を覗くと、一時ファイルを入れるディスクが変更できそうであった。

ひょとしたら、その埋蔵容量を掘り出せるかもしれないと思った。パソコン本体はUSB1であるが、USB2カードが動き出したので、そこにUSBメモリーを挿して、インターネット一時ファイル専用ディスクとしたらどうか。頻繁にフリーズするのでダメモトで試した。その効果を調べるには、対策前後のデータをとっておく必要がある。インターネット一時ファイルディスク変更の場合、パソコンとしては、本体の一時ファイルを変更先ディスクに移し、一度終了再起動し、再起動後に、本体のインターネット一時ファイルの削除をするようだ。この削除に要する時間は、分単位ではなく時間単位の長さを要した。

ともかく、ファイルシステム上では数十Mが本体HDDからUSBめメモリーに移っただけであった。しかし、本体HDDの使用領域は2G程減って、空き容量は2G程増えた。従って、ほぼ2G程度の埋蔵容量が掘り出されたのではないかと思う。ブラウザを使ってみると少し動きが軽くなった気もする。このようなメカニズムはやや手が込んでいるが、最終的にはシステムの問題になるのだろう。見方によれば二重帳簿のようにも見える。表の帳簿では消しても、裏帳簿に残っている。ともかく、一時ファイルフォルダというのは、高価でふんだんに使えないメモリー資源を有効に使うために設置された苦肉の策ではないかと思うが、使わないジャンクファイルをためこんでそれがシステムを圧迫してくるのは皮肉に見える。人間のメタボ症状のようにも見える。

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  • 橋本 英文: 刃物雑学事典 図解・刃物のすべて(1986年 株式会社 講談社 ブルーバックス B-659)
    刃物という視点で多くの事例が取り上げられている。刃のある道具の理解にも役立つ。類書が少なく貴重な一冊。「すべり変形が切断の原理」という考え方で説明している。
  • 沼田 真   : 植物たちの生( 1972年 岩波新書(青版 833))
    「ご要望にお応えしてアンコール復刊(1988年岩波新書50年記念復刊) 地球生態系の中で自然を見直す」(腰巻きのフレーズ)。植物の知恵と戦略に人類は勝てるのか。
  • 出町 誠: 14_NHK趣味の園芸:よく分かる栽培12ヶ月  カキ(NHK出版2007年)
    初心者向け柿栽培参考書(新版)。旧版と比較すると楽しい。
  • 中村三夫: 13_NHK趣味の園芸:作業12ヶ月  カキ(NHK出版1996年)
    初心者向け柿栽培参考書(旧版)。新版と比較すると楽しい。
  • 山科正平: 12_細胞を読む   電子顕微鏡で見る生命の姿
    細胞はどんな部品からできているのか。そんな疑問に答えてくれる一冊。何事も形を見るのが第一歩。μからÅオーダーの世界で、細胞をメスで解剖するように、電子顕微鏡というメスで解剖して見せてくれるので興味が尽きない。
  • 柳田充弘: 11_細胞から生命が見える
    著者の専門は分子生物学、細胞生物学。普段生物を考えても細胞レベルで止まってしまう。その細胞の中で色々な分子が働いている。細胞こそ生命の基礎だが、その細胞の中の動きを知るのに最適な一冊。疑問の発端はなぜ発根剤が効くのかということ。薬剤が細胞膜を通過して細胞内で分子と分子が作用するイメージができた。本書でできた細胞のイメージは小さな無数の穴が空いた水分が充満したヨーヨーのようなもの。そのヨーヨーの中に分子部品が詰まっている。細胞自体もタライの中のヨーヨーのように浮かんでいる。細胞図面の空白部は真空でなく水分だ。細胞の内外に水がないと細胞は生きられない。水が生命のゆりかごだ!
  • 野口悠紀雄: 10_ホームページにオフィスを作る(2001年 光文社)
    ITが輝いた時代の作品。HPの活用法は参考になる。参考:url=http://www.noguchi.co.jp/(野口悠紀雄 ONLINE)
  • 小池洋男 編著: 09_果樹の接ぎ木・さし木・とり木(農文協:2007/3/31第1刷)
    やや専門的であるが、実務専門化が分担執筆しており、その場で役に立つ一冊。
  • ノーバート・ウィーナー(鎮目恭夫訳): 08_サイバネティックスはいかにして生まれたか(みすず書房1956)
    情報と通信という現代社会に不可欠の基礎的な学問を作った著者の自伝とそれを通した科学史
  • 沼田 真(編): 07_雑草の科学(研成社1979)
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