中三の学級担任
2009/5/22
中三の学級担任
中学三年生の頃は進路で頭を悩ます頃でもある。家が農家であり、長男は農家の後を継ぐ
というのが当時では普通であった。受験向きの学習塾はもちろん、そろばん塾や習字の塾と
も無縁であった。父は息子が青空大学に来ると期待していた。父子ともに自分の期待に対す
る葛藤があった。しかし、学級担任の先生はこの事情をよく理解してくれて、自分の希望する
進路に進めるよう側面から支援してくれた。今考えると、当事者同士では客観的な事が見え
ない。しかし、学級担任としての立場からはいろいろな事が客観的に見えたのであろう。父は
青空大学はあきらめた。その学級担任の先生は、今日では惜しいほど若くして亡くなられ
た。自分の社会人としての進路の方向を決めたのが中学三年の時の学級担任の先生であ
った。教師という職業は一種の天職のようでもある。丁度人間が自己を形成する大事な時に
その自己形成に必要な作用を及ぼす人である。かけがえのない教師に巡り会えた事を有り
難く思う。ともかく、このときは農業から離れた所に自分の理想を描いていたわけである。戦
後の高度成長期は農業の構造変化の時期でもあったようだ。若い人は農業から離れていっ
た。周辺をみると自分の先輩は専業農家が多かったが後輩は農業農家は極少なくなってい
る。時代の流れであった。戦後の高度成長を支えたのは第一次産業から流出した人材であ
ったのかもしれない。