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2011年6月

2011年6月10日 (金)

読みかじりの記:新・日本イソップ物語 一科学者の提言 江崎玲於奈 著 (1978年 日刊工業新聞社)

2011/6/10
昨日は25℃を越えて暑かった。相変わらず草むしり。雑草対策で密植しているので手作業。熱中症が気になり、温度計を見やすいところにつるした。東京電力福島原発事故による放射能汚染水対策が難航してしているようで気になる。放射性物質も相当広範囲に拡散しているようだ。本来ならば政府は天気図のような広域の放射性物質濃度マップを作り公表すべきではないか。これを公表できない所に政府の弱腰がみえる。自分の住んでいる場所はデータが無いから安心とは妄想でしかないと思うのだが。可視化、定量化は何事をするにも重要な手法だ。その逆が隠蔽化手法で当局が最も得意な技術だ。

昨日の天気

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読みかじりの記:新・日本イソップ物語 一科学者の提言 江崎玲於奈 著 (1978年 日刊工業新聞社)

本書は副題の方が本の中身を理解しやすい。それでは、なぜ「新・日本イソップ物語」なのか。著者が例のエサキダイオードのトンネル現象の発見でノーベル賞を受賞したのが昭和48(1973)年であり、それから5年後の出版である。昭和35(1960)年に渡米しており、アメリカでの生活が長い。偶然かどうかは定かでないが、自分の卒研のテーマが、エサキダイオードを使用したDC-ACインバータの変換効率というもの。エサキダイオードにはなじみがあった。そんな訳で、運良く古書店で出会ったので手にした一冊だ。

「新・日本イソップ物語」が、開巻の最初の題であり、この部分が本書を代表していると思う。著者が引用しているのが本物のイソップ物語のオオカミ少年の話。オオカミが来たと助けを求めても、以前に同じ嘘を言った人間は信用されない。これは世界共通であろう。ところが、日本では、○○が来た、大変だ助けてくれと言うべき立場でもない人が言い、その関係者が○○という危機を追い払う事が平気でまかり通っていると著者は指摘している。それで、国内の課題が解決できたとしても、世界では通用しない。このように、欧米のグローバルスタンダードと日本のローカルスタンダードの不一致は本書全体に共通するテーマとなっている。

「新・日本イソップ物語」の一例は「日本は資源に乏しい貧しい小さな国」という固定観念。こういう固定的な強迫観念に自分たちを追い込まないと何事もできない。また、お互い腹で通じ合えて事が済めばそれで良いという日本的なメンタリティもオオカミ少年的な態度も世界では通用しない。そいう態度は国際性の無さにも通じる。本書は米国や西欧から見た日本の特異性論からもっと日本を良くしようという提言と見える。

東日本大震災は未曾有の危機である。そこで、頑張らないあきらめないというスローガンガ一定の支持を受けていたが、一斉に頑張ろう日本の大合唱になった。どうも日本人は背中にダイナマイトを背負ったような切迫感に自分たちを追い込まないと気が済まないらしい。本書には、教育、科学、技術、個性、独創性等への提言も多い。日本でも企業の研究者からノーベル賞受賞者が出てきた。

著者は科学的にはトンネル現象の発見、技術的にはトンネルダイオードの発明というように科学と技術は同じ事が異なる側面を持つゆえ、科学と技術の交流が重要だと指摘する。また、著者は日本は内部からの刺激が乏しい民族であると述べている。これを打破するには科学と技術の交流が必要だと述べている。自分なりにはこれは科学と技術の縄張りや利権が固定しているように見えてしまう。日本の科学者・技術者は自分のたこつぼにこもってしまう。このような性質は直ぐには変わらないだろうが時代の動きは早い。良い方に変わるのだろうか。若年層の理工離れが止まらないようだ。男性がダメなら女性が理工分野へ進出すべきではないか。かつて、企業の女性はお茶くみや単純作業が多かった。女性の教育レベルも向上した。女性の理工分野への進出意欲は高まっているのか。議論が保育、育児のレベルに留まっている日本はやがて衰退せざるをえないのか。

30年以上前に著者が指摘していた事の多くが現在の日本に依然あてはまっているようでもある。しかし、地球が余りにも小さくなってしまい、国際社会の中で孤立するわけには行かなくなっているのも現実だ。日本という国も国民も世界の中で自己主張が出来るアイデンティティの確立が必要なのだろう。尚、本書は日刊工業新聞社のサイトで検索したがヒットはなしで、絶版になっているかもしれない。

以下本題。

かみつけ女流歌人 雅:多羅葉樹の下

歌題=多羅葉樹の下:

■黄の花殻 下土埋めて 常暗き 多羅葉の木下は 仄明りする 82 八田 政子

調べると多羅葉樹はインド原産の高木。作者はこの木と共に生きてこの歌ができたようだ。

2011年6月 9日 (木)

読みかじりの記:(歌集)ホロンバイルの青   高橋素子著 (2008年 角川書店)

2011/6/9
昨日は雲が浮かんでいたが日射があった。数日前、頭上をジェット機が飛んだ。一瞬そのジェット機の作る陰が自分のいる畑を横切って行った。人生初めての経験だ。このような一瞬が人生の明暗を決めているのかもしれない。ハナダイコンの種を採取した。昨年、手抜き雑草対策で公共スペースにハナダイコンの苗を植えたが、今年はその場所に生えなかった。もう一度種子でチャレンジする。周辺が人家なので除草剤も刈払機も使いたくない。ヤグルマギクは咲いた。ユリは茎が伸びている。

昨日の天気

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読みかじりの記:(歌集)ホロンバイルの青   高橋素子著 (2008年 角川書店)

「ホロンバイル」という地名が目に飛び込んできて手にした歌集であった。この本も、20才台の父がノモンハンでの戦争に従事していた時の姿を想像してみるための読書の旅の一つだ。後書きに著者は、「呼倫貝爾(ホロンバイル)は、中国の内モンゴル自治区のロシアと国境を接する草原地帯のことです。海拉爾(ハイラル)市はその中心の街で、現在は呼倫貝爾(ホロンバイル)市と名前を変えています。日ソ開戦の日、私たちはこの街から脱出したのでした。近年再訪した時は夏でした。草原の上の真っ青な星空。その感動から歌集のタイトルをとりました。」と記している。当時、父が青年兵士で作者は少女という年回りであろう。何事もじっくりやるのも一つの方法。ざっと見渡して最初に目に付くものからやるのがその対極にある。本に関してはツンドクよりましだとおもう。本にも一期一会がある。(引用の歌は順不同)

■輝きて枯葉を降らす大欅無いものねだりの我を卑しむ

第一章の中の一首である。また第二章に以下の一首がある。

■惜しみなく与える者になれという落ち葉積む道ゆっくり歩む

本の中では離れているページにある歌だが、作品をつなげて読むと作者の人生に対する姿が浮かんでくる。「輝きて枯葉を降らす」という中に「惜しみなく与える」という意味を盛り込んでいる。「無いものねだり」でその意味が解けてくる。

■今日限り職を退きゆく老医師の白衣の背(せな)に深く礼する

人生の一場面を読んだ歌だが、老医師の人生そのものを詠っているような印象すら受ける。

■歌になる言葉の回路ロックされ強制終了せよと声する

元回路屋なのですぐに「回路」が目に付いた。回路とは高度に抽象的な概念でもある。作者の頭のなかでぐるぐると回り続けていた言葉は何であったか。「強制終了」もフリーズしたパソコンに言うことを聞かせる最後の手段だ。作者はパソコンを使っているのかなと連想させる用語だ。

■語ること少なかりしよ苦学せし父の青春アメリカの日々
■身のうちの灯ひとつずつ消しゆくか言葉少なになりたる母は

父母や家族は歌の永遠のテーマではあるが、その心象を残す事が難しい。父の記憶の中に作者の歩んだ軌跡が投影されてくるようだ。母を詠った歌には生命の実相と母にたいする憐憫の情を感じる。

■ざわめきを分けて入り来る特急よバッタの貌して額光らせて

表現の遊び、こころのゆとりを感じさせる歌だ。平和の有り難さ。

■花束は持ちにくきものされど佳き退きゆく身とて華のある身

仕事を勤め上げ感謝され惜しまれて退けるのも人徳という以外にないだろう。有終の美は自分自身誇りにしてもよいのだ。

■麻酔なく切断する兵隊の足を持つ役たりと女学生記す

「沖縄」という歌題の中の一首。作者もそのような女学生になる年齢に近かっただろう。作者の色々な歌をつはげてみると、作者は医療関係の職場にいたようだ。そいうい目でこの歌を読み直すと単なる事実を詠っているのではないように思える。戦時中は従軍看護婦で、戦後も病院で看護婦をした人があるそうだが、その貴重な体験は何らかの形で残っているのだろうか。

■水筒はとうに空っぽ「おぶーほしい」と泣きし妹と草原逃げて

歌題「忘れてならじ」の中の一首。五木寛之だったか。敗戦で満州から引き上げるとき、軍属は現地一般日本国民には敗戦の詳細を知らせず、必ず迎えに来る冷静にして迎えを待つようにと言いつつ、率先して退却していったと怒りを込めたように述べていたのを思い出す。まさに福島原発事故の避難民も同じ事態に直面させられた。作者のホロンバイルの記憶は辛いものだたろうが、幼少時を過ごした故郷で、懐かしく愛しいものでもあったろう。戦地からの民間人の引き上げには、また多くのドラマがあった。作者は、妹をホロンバイルで亡くしたようだ。作者自身、戦争孤児になったかもしれないという歌も詠んでいる。

■王(わん)さんに貰われたかも知れなかった避難民の日の痩せた子わたし

本書には関連の歌や最近訪問した時の歌も多く収録されている。その部分は後でじっくり味わってみたい。自分の父もノモンハン事件でハイラルに入った。ひょっとすると作者と自分の父はホロンバイルの意外に近いところまで接近し、同じ草原や星空を眺めていたこともあったのかもしれない。

以下本題。

かみつけ女流歌人 雅:「娘をまた夫を」

歌題=「娘をまた夫を」:

■失ひし 命尊く 黄の蝶の 土に動かぬを 花に寄らしむ 98 漏田 サカヱ

亡くした娘と夫の尊い命を思うと、地上に動けなくなった蝶の命さえ尊と詠っている。

2011年6月 8日 (水)

読みかじりの記:大ピラミッド 新たなる謎 吉村作治 著 (1999年 講談社)

2011/6/8
昨日は曇りがちで薄曇りから晴れ間も出てきた。草むしりも一巡すると最初の部分が伸びているという草に追われる毎日。これこそ後ろ向きの姿。小さいうちに草退治できれば楽なのだが。数日前、実がなりすぎた桃の木1本だけ摘果。その先はなりゆき任せだ。昨年は、手抜きのため、無袋栽培が可能という缶詰用のモチヅキという品種の摘果をして、そろそろ食べ頃だろうと行ってみる何もない!その時の一句:食う前に桃盗まれて涙飲む。これでは手入れに気合いが入らない。モチヅキは放任。春雷という早生桃がわずかに色付き始めた。かじってみたがまだカリカリしている。味、大きさ等今ひとつという感じであるが、病虫害が出てくる前に熟す点で自分の手抜き栽培向きの品種だ。中国で育成された品種との事。畑のオアシスだ:http://af06.kazelog.jp/itoshikimono/2010/09/post-2858.html。雑草のアカザを収穫。1m程の高さになり、先端の柔らかい部分を食用とする。結構食べられる。無肥料、無農薬で贅沢といえば贅沢ではある。

昨日の天気

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asahi.comは、「原発事故対策の不備、政府認める IAEAに報告書
;url=http://www.asahi.com/politics/update/0607/TKY201106070657.html())」というタイトルで、「政府の原子力災害対策本部は7日、東京電力福島第一原子力発電所の事故報告書をまとめ、国際原子力機関(IAEA)に報告した。津波や過酷事故への対策など、これまで指摘された不備を政府としてほぼ全面的に認めて反省する内容。安全規制の責任を明確にするため、原子力安全・保安院を経済産業省から独立させる改革案にも踏み込んだ。この事故で政府が報告書を示したのは初めて。」と報じた。

この記事を読んでいくつもの疑問を感じる。原子力安全保安院のホームページを覗いたら官邸のホームページにリンクが貼られていた。「原子力安全に関するIAEA閣僚会議に対する
日本国政府の報告書 -東京電力福島原子力発電所の事故について-」というタイトルで、平成23年6月 原子力災害対策本部とある。なぜ国民に対して報告する前にIAEA閣僚会議に報告するのか。政府が初めて報告書を出すなら当然国民に向けて出すべきではないのか。相変わらず東京電力福島原発事故の被災者と国民を無視してIAEAによる政権の通知簿の採点にご配慮をと顔色を窺うようで全く本末転倒であると感じざるを得ない。

追記:上記報告書に「添付IV-2 東京電力株式会社福島第一原子力発電所の事故に係る1号機、2号機及び3号機の炉心の状態に関する評価のクロスチェック解析 」という付属書があり、この中で原子力安全保安院と東京電力の解析結果が比較されている。地震後早期にメルトダウンが起こる条件が十分整っていた事がようやく公式に明確になったが、適時適正な情報開示が行われず、歴史的な人災を招いた事を忘れてはならないと改めて痛感する。

読みかじりの記:大ピラミッド 新たなる謎 吉村作治 著 (1999年 講談社)

本書は1994年刊の『ピラミッドの謎をハイテクで探る』を改題、加筆修正、再編集して文庫版に収録したと奥付にある。プロローグによると電磁波地中レーダーを使用した調査が行われたのが1987年。既に20年以上前である。一読すると、その調査は大成功であった。最近、新田郡衙遺跡でも電磁波地中レーダーによるが行われ、正倉の存在も判明したと上毛新聞記事が伝えていた。三軒屋遺跡の調査にも電磁波地中レーダーが使用され、電磁波地中レーダーは完全に実用化している事が分かる。大ピラミッドの大きな謎は、いつ、だれが、なんのため、どうして作ったかという4つの謎に集約されると著者は述べる。そうして、多くの人々がその謎解きに挑戦し、いつ、だれがはほぼ確定したと言う。どうしてとしては、直線型斜路以外なかろうとの事。その遺跡も発見されているとの事だ。斜面を利用すると長い距離が必要だが小さな力で重い石を高く上げられる。道具としてはソリとテコが使われたようだ。そうして、最後になんのために作ったかという謎が残る。以前、松本清張が大古墳を作るとき、そこで働く労働者の食料を確保するため、古墳の周辺を開拓して食料を生産しながら古墳を作ったのだろうという仮説を書いていたと思う。松本清張の視点は並の考古学者では考えが及ばないと思った。大ピラミッドの周辺にも労働者が暮らした遺跡が発掘されているとの事だ。大ピラミッド建設は奴隷の力で為されたという説があるが、著者は奴隷説ではなく平民説のようだ。強制労働ではなく、大ピラミッド建設への労働者の自発的な参加があったようだ。そうすると、なんのために作ったかという謎解きは更に難しくなりそうだ。単なる墓ではないとして、空墓(からばか)の概念の説明もされている。一度、文字さえも読める人がいなくなった文明が、世界中の関心を集め、ついに文字が解読されて、エジプトの歴史が詳しく分かるようになった。さらに、大ピラミッドを計画したクフ王はどういう人物であったかも謎らしい。更に大きな謎はクフ王の宰相で大ピラミッドの建築を指揮したヘムオンという人物。エジプトはつい最近、政権が崩壊して、新しい時代の波が押し寄せている。大ピラミッド建造以来4500年という長いエジプトの歴史は一面人類の歴史を解読する宝庫でもあろう。日本の古墳の歴史はエジプトに比較すれば極短い。ハイテクの電磁波地中レーダーで未発掘の古墳の調査をすれば多くの驚くべき歴史が見えてくる可能性もあるのではないか。著者は、「未来を語るとき、大部分の人が、現状分析の中から語る。現状分析は必要であるが、現在というのは刻一刻と変化する通過点に過ぎない。かなり見識のある人が分析しても、現在はなかなかとらえどころがない。それに対し、過去すなわち歴史の中には、かなり現在と近似した現象があるはずだ。それを探し出すことがまず第一歩ではないだろうか。」と述べている。一国の考古学は民族のアイデンティティをより確かにしてくれるだろう。日本は外国にまで出て考古学の研究をしているが、外国人が日本の古墳発掘等の研究をする例は聞いたことがない。余りにも局地的な状況に埋没していないか。外国の研究者も招いて足元の研究をしてもらったらどうか。一層のこと著者にそれをやってもらえないか。日本の古墳も謎だらけなのだから。

以下本題。

かみつけ女流歌人 雅:養蚕

歌題=養蚕:

■晩秋も 飼えへるかなおと 桑積みて 帰路の車に 夫のつぶやく 2 相原 健子

養蚕も夫婦共働きが基本。桑とりは夫の仕事。どこにもあった養蚕の風景を貴重な歌に残した。

2011年6月 7日 (火)

読みかじりの記:The BUG  すずきひろのぶ、かとうみつあき 共著 (1995年 オーム社)

2011/6/7
昨日は30℃近くまで気温が上昇した。軒下の寒暖計は15時頃35℃を指していた。西洋石竹の移植。5葉程度。日陰的な場所においているのでなよなよしている。ポット苗の手入れ。デジカメで撮影しようとしたらメモリーカードが無いと警告がでた。なにかちぐはぐが起こると気分が良くない。シモツケが咲き出している。ヘソ下程度の低木でピンクの小さな花が集合している。買ったときは小さなポット苗だったので、まあまあのできばえだ。

昨日の天気

TAVE= 23.4
TMAX= 29.6
TMIN= 16.5
DIFF= 13.1
WMAX= 3.3
SUNS= 12.4
RAIN= 0

読みかじりの記:The BUG  すずきひろのぶ、かとうみつあき 共著 (1995年 オーム社)

この本を手にしたのは失敗から来るイメージとの連想である。福島原発事故との関連もある。「指揮官」の中の作戦計画の部分で源田実はプランニングとプログラミングの区別をしていた。設計論から言えば、プランニングは包括的でより上位の工程であり、プログラミングは限定的なより下位の工程のように思われる。今日のハードとソフトという切り分けも、コンピュータが実用化してから多用されてきたように思う。そして、バグという用語もプログラムソフト屋さんの業界用語という印象が強い。プログラミングには言語と文法があるので、たいした問題は起こらないように思われるが、この本を拾い読みすると色々な問題が生じている事が分かる。それはなぜか。プログラミングもより大きなシステムのサブシステムとしてあるからなのだろう。軍学で言えば、個別作戦計画の上に統合作戦計画があるわけで、上位の目的の妨害になるのがバグということなのだろう。バグを人的エラーや文法ミス等と言わないのはいかにも業界用語らしい。バグはプログラマーの責任問題という見方もあるが、大抵プログラマーはお雇いの技術者なので、プログラムのバグ対策コストはそのプログラマーの雇い主の負担とみて、バグと突き放して言えるのだろうか。ともかく、本書ではバグの発生要因やバグの種々相は見えるが、責任問題については、本書を読めば何となく分かるだろうというような印象を受けたのみ。読者対象は現場のプログラマーが主だろう。本書が出版された年に丁度WINDOWS95が発売になった筈だ。自分がWIN95に手を出したのがその数年後。パソコンは遊びの延長。業務上のパソコンやコンピュータは専門の担当者任せというスタンスであった。当時はパソコンマニアが業務の半分程度を社内のパソコン導入等に費やしていた時代でもあった。また、IBMの大型コンピュータ上のSPICEで回路シミュレーションをした時は、陰でちょとした悪戯をしてみた事があった。回路常数にあり得ない負数を入れたり、極端な数値を入れたりしてどのような結果がでるか試してみた。大型コンピュータをハングアップさせるのではと胸がどきどきするような思いもしたが、何も起こらなかった。ソフトの方はあくまで数値計算しかしていないのだと納得した。逆に、過渡解析等では収束しないという問題がかなり発生した。これは、適当に初期値を与えたり、ダミーパラメータ(素子)を付加したりして、無理やりコンピュータに計算させた。CAD技術者と意見交換しながらなら何とかツールとしてSPICEが実用になりかけた頃の話である。プログラムがコンピュータに与える指示ならば、回路技術者がパターン設計技術者に与える指示も一種のプログラムとみなせる。勝手な事は出来ないと言う点では原発運転マニュアルも一種のプログラムとみなせるだろう。その指示書の中や実際の操作にも時々ミスが入り込む。CADの場合は、システムが巨大になると、検証用のプログラムも使われるようになった。集積回路のパターン設計CADも最初の頃は目視でパターン図面の検証をした。ともかく、技術が高度化すると、システム全体が巨大になりバーチャル化して、何が実際に起こっているのか、具体的に・感覚的に把握するのが大変困難になった。コンピュータのプログラミングがそのれいだろうが、自分が現役の頃の回路設計もそのような傾向が顕著になりつつあった。当然原子力発電所の運転も同じ様な状況だと思う。動作している原子炉は直接内部を見たり触ったり出来ない。すべて遠隔的・間接的に制御しているだろう。本書の最初の部分に、放射線治療のソフトウェアのインストール時のデータ設定ミスにより規定以上の放射線を癌患者に照射するという事故の例が述べられている。設定ミスは10年間気付かれずに治療が続行され多数の死者が出たとある。WEBを調べると、このような、過大・過小照射事故は現在でも起きている。弁護士中坊公平が住専問題で着目したのが買い取り債権の瑕疵。そもそも瑕疵とは当事者が予想する完全性が欠けている事を示す法律用語との事。隠れた欠陥のこと。現代社会にあっては、小さな欠陥が限りなく大きな損害の原因になる。トヨタ自動車は車の急加速問題で、その制御系のソフトとハードを丸裸になる位詳細に調査された。広義のプログラム(巨大システムの運用指示書・マニュアル等も含む)の中に潜むバグ、欠陥を避けることは、システムが巨大・複雑化するほど困難になる。当然、バグに対処するためには、そのプログラミング中に過去の失敗も組み込まなければ再発の危機は常につきまとうだろう。

以下本題。

かみつけ女流歌人 雅:紫紺の彩

歌題=紫紺の彩:

■嫁ぎ来て 姑より継ぎし 養蚕を 伝える事なく 灯を消さむとす 74 都丸 真佐子

養蚕という家業を継ぐ事ができない無念さはあるが、それを歌で残してくれた。

2011年6月 6日 (月)

読みかじりの記:指揮官 -人間掌握の秘訣- 源田実 著 (時事新書 1968年)

2011/6/6
昨日は薄日がさしたが、蒸し暑さを感じた。夕方、雨蛙が鳴いた。直近の雨蛙の鳴き声もも天気予報に役立つが、外れる事もある。鳴き出す条件は、気圧か湿度か。アメダス(前橋)のデータでは、湿度60%、気圧990hPa程度であった。総理大臣の早期退陣が現実的になって、政界が色めき立ってきた。節操のない行為...漢文で習った「手を翻せば~」まで思い出したが、それ以上は出てこない。WEBで探すと貧交行に出てくると分かった。それを以下に引用。

杜甫の雑言古詩「貧交の行」

  翻手作雲覆手雨    手を翻せば雲と作(な)り手を覆せば雨と作(な)る 
  紛紛輕薄何須數    紛紛たる輕薄 何ぞ數ふるを須(もち)ひん
  君不見管鮑貧時交  君見ずや 管鮑貧時の交
  此道今人棄如土    此の道 今人棄てて土の如し

まさに、昨日は政敵に内閣不信任案を投げつけた敵が、今日はお互いに友となり手を結び大連立政権を作ろうというその節操の無さに、杜甫もびっくり仰天するのではないか。事は人と人というレベルの問題ではない。公約を掲げて政権運用を使命とする公党間の問題だ。与党も野党もまさに個人商店のレベルでしかない。紛紛たる輕薄を率先する指揮官に日本の将来が託せるのか。

昨日の天気

TAVE= 21.6
TMAX= 25.9
TMIN= 17.4
DIFF= 8.5
WMAX= 3.6
SUNS= 2.6
RAIN= 0.5

読みかじりの記:指揮官 -人間掌握の秘訣- 源田実 著 (時事新書 1968年)

この本も福島原発事故を契機に本棚から探し出した一冊。出版時期は丁度自分が社会人になるころ。いつ読んだか不明だ。「源田実;url=http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%BA%90%E7%94%B0%E5%AE%9F;(最終更新 2011年6月3日 (金) 10:19 )」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』(http://ja.wikipedia.org/)。の記事に「源田 実(げんだ みのる、源田 實、1904年(明治37年)8月16日 - 1989年(平成元年)8月15日)は日本の広島県山県郡出身の大日本帝国海軍軍人、航空自衛官、政治家である。海軍における最終階級は大佐、航空参謀を務めたこともある。神風特別攻撃隊の考案者の一人。戦後は初代航空総隊司令、第3代航空幕僚長、参議院議員等を務める。」とある。著者の全貌を知るにはWIKIPEDIAの記事等を参考にする必要がある。

本書の背景としては、戦前が軍人が跋扈した時代なら、戦後は経営者が軍人に代わって世間をリードしたという人物観の切り替わりがあったと思う。本書は始末記物の本の次ぎに書かれている。参謀としては優秀な人物なのかも知れないが、参謀と指揮官という関係についての記述は余り印象に残らなかった。孫子の兵法の解釈に関しては軍人らしい読み方をしているように感じた。歴史に学べという教訓は遅きに失したと思う。著者が大本営参謀だったときの年齢が40才前頃だろうか。本当の仕事をするときに歴史が役だって欲しい所だ。将は参謀をいかに使うべきかを参謀が論じるのも難しい立場に違いない。戦争とは一面政治の特殊形態という説もある。著者は戦争を遂行した参謀という立場の人物なので、その現場の見聞は余人に代えられないだろう。

いわば、平時以外の緊急事態を取り仕切る指導者像はどうあるべきかという問題を、平成23年3月11日の東北地方太平洋沖地震のTV報道に釘付けになりつつ漠然と感じていた。何故か。東北地方太平洋沖地震発生:2011年(平成23年)3月11日14時46分18秒。その一時間以内に東北地方東岸各地に津波が到来している。それをほとんどの国民が注視しているなか、日本の最高指揮官の動きが全く見えなかった。総理大臣がTVに現れたのは17時頃ではないかと記憶している。これでは、いかにも遅すぎる。原稿など不要。大至急、一言だけでも国民に対する緊急アピールをすべきではないかと感じた。

本書では、第3章 将の人格構造で、将たる者の内面の問題について論じている。非常に興味ある事項であるが、脳内の事なので総理大臣の内面にまで迫る事は至難な業だ。しかし、結果からみると内面の乱れや葛藤が緊急事態対応の遅れを招いたと感じる人が多いのではないか。それを示す最大の総理大臣の行動が福島原発の唐突な視察である。見方によれば、功をあせり、時間を空費した。戦時においては、権謀術数、正奇虚実の諸方策は当然だが、平時においては信に基づくべしと著者は本書で述べている。傾聴に値する事であろう。第4章 近代組織における統率の章では、近代では、しっかりした目的を持った組織が出来上がっているのだから、それを有効に活用すべきだと述べている。将は参謀と兵を使いこなして目的を達成する責任がある。将が統括する組織数は、多くて5組織で、2組織が望ましいという事も述べている。この指摘も、雨後の竹の子のように新規に林立した各種対策本部等を見ると、東日本大震災震災対策の組織論としては傾聴に値するだろう。

ともかく、各界で将たらんと欲する人物は日頃から自己研鑽に励まなくては人生一回だけの大勝負に臨めないということなのだろう。本書は大本営参謀の失敗学の成果なのか。功は求めなくても向こうからやってくる。功を求めると離れて行く。そんなパラドックスも見えなくもない。陸軍参謀辻正信の名前やその讃え難い功績は聞いたが覚えがあるが、海軍参謀源田実は今まであまり馴染みではなかった。軍とはモデル化しやすい組織である。その軍さえ統率が非常に難しい。まして、国家を率いる事の困難さは筆舌に尽きないだろう。将たらんとする者には参考になる一書だろう。

追記:本書の奥付には、初版6000冊、9刷までで8000冊とある。

以下本題。

かみつけ女流歌人 雅:秋虫のこゑ

歌題=秋虫のこゑ:

■うかららの 集いて祝ふ 吾が米寿 ピアノひく曾孫に 眼のうるむ 101 柳澤 文子

元気で、曾孫がピアノを弾いてくれた米寿祝いを歌に出来るほどの幸せは他にないだろう。

2011年6月 5日 (日)

老人の寝言:原発事故根本収束破綻の危機は時間の二乗で迫っている

2011/6/5
昨日は半袖になりたいほどの暑さ。苗の周辺の草刈をした。刈払機は使用せず鎌で刈る。それでも苗を傷める。百円ショップの鎌だが、研ぐと普通に使える。気兼ねなく使えるのが良い。ムクドリが声をひそめてがやがやとささやくように鳴いていた。桑の実が丁度食べ時になっており、それを集団で食べているようだ。食用桑(マルベリー)苗は県や種苗会社から2006年頃購入。結構な値段がした。県の資料には樹高を高くしない整姿と防鳥対策が必要と書かれていたと思う。その通りの結果になってしまった。草むらの足元から鳥が飛び立ってびっくりした。そこには...。まったく予期しないものを見てしまった。その後しばらくすると、離れた二羽の鳥が、カツ、カツと交互に鳴いている。何か交信している。そうか、ギリギリの状況になって足元から飛び去ったは外敵の関心をそらすためだったのか。

昨日の天気

TAVE= 22.3
TMAX= 28.6
TMIN= 14.8
DIFF= 13.8
WMAX= 3.3
SUNS= 11.9
RAIN= 0

老人の寝言:原発事故根本収束破綻の危機は時間の二乗で迫っている

YOMIURI ONLINEは、「東電社員の被ばく、最大で580ミリシーベルト;url=http://www.yomiuri.co.jp/feature/20110316-866921/news/20110603-OYT1T00778.htm((2011年6月3日21時22分  読売新聞)))」というタイトルで、「国が緊急措置として引き上げた被曝(ひばく)量限度の250ミリ・シーベルトを超えた可能性があるとして、精密検査を受けていた福島第一原子力発電所の男性運転員2人について、東京電力は3日、少なくとも300ミリ・シーベルト近い被曝を確認したと発表した。被曝量の大半は、体内に取り込んだ放射性ヨウ素によるもので、今後50年間で最大約650ミリ・シーベルトに達する。限度を超える被曝の確認は初めてで、原子炉等規制法や労働安全衛生法に違反する可能性が高い。」と報じた。

ついに来るべき事態になってしまった。二ヶ月間もメルトダウンを隠蔽し、社員の放射線被曝総量も杜撰な管理しかせずに、放射線の蔓延する事故現場で働かせた事実により東京電力に、重大な故意又は過失と疑われる得る責任がある事が判明した事にならないか。このような事態がさらに明確になれば東京電力は刑法等にも抵触する疑いも濃厚になるだろう。適切な情報を与えず従業員を虫けらの如く扱った東京電力の非情さは歴史に残る犯罪になる可能性と紙一重のところまで来ていないか。問題は、東京電力が保有する、原発に関する知識と経験がある原発事故対応可能総労働力が、かかる労働者の現場離脱により刻々と減少するではなかろうか。それに反して、原発事故対応必要総労働力は刻々と増大してくるのである。当局は、この時間の二乗のスピードで迫ってきている原発事故根本収束破綻の危機を厳重に認識し適切な対応をする責任がある。

以下本題。

かみつけ女流歌人 雅:伊勢崎市

歌題=伊勢崎市:

■わが生きる 支えなりしか 雪白き 谷川岳は 祖父の山なり 57 関 まち子

白雪の谷川岳に古里と生活の厳しさを重ねそれを更に祖父の山と詠んだところに支えの強さを感じる。

2011年6月 4日 (土)

読みかじりの記:原子の人工転換 ジャン・ティボー 著 村岡敬造 訳 定価一円八十銭(昭和17年8月25日 発行 白水社)

2011/6/4
昨日は晴天。地面が湿っているので苗の移植をした。雑草除去等の前準備に手間がかかる。カラスムギだろうか、かなり多く生えて実をとりそうだ。来年は少なくなるか。気温が上がると仕事で汗をかいた。それが誘因誘引か、蚊が出てきた。内閣不信任案否決後に、またまた混乱が生じている。東日本大震災の被災者や国民などに目もくれずに茶番劇を演じている。曖昧な国日本を通り越して混沌の国日本になってしまった。政治家は一斉に波に乗ろうと動き出した。サーファー政治家である。波がなければ動けないようでは悲しい。

昨日の天気

TAVE= 20.4
TMAX= 26.3
TMIN= 14.2
DIFF= 12.1
WMAX= 3.4
SUNS= 10.8
RAIN= 0

読みかじりの記:原子の人工転換 ジャン・ティボー 著 村岡敬造 訳 定価一円八十銭(昭和17年8月25日 発行 白水社)

この古本も「松永安左エ門に学ぶ」と一緒に本棚から見つけてきた一冊だ。発行日を見ると、終戦の3年前。5000部と発行部数が印刷されている。出文協承認の承認番号があり、出版統制の中で出版されたものだろうが、自分が日本は終戦前は科学技術が未熟と思いこんでいたのが必ずしも事実でないことを教えてくれた一書だ。5000部を売り切るだけの読者層があったのか。戦争は始まっていても敗戦という暗黒の終末はまだ具体的に見えていなかった時期なのかもしれない。古本として買ったのは20~30年前だろう。やや乱雑に青鉛筆の線が引かれている部分があり、一度目を通したかもしれないが何も記憶はない。

今回、拾い読みしたのは福島原発の事故がきっかけである。日本も基礎物理学の分野では大きな貢献がある。「原子の人工転換」とうタイトルは原子核物理学の一面をとらえた物であろう。本書は一般書と専門書の中間の位置にあると訳者は述べている。訳者がフランス留学中に書店で見つけたと訳者序にある。昭和16年8月 京都帝大 物理学教室にてとあり、著者の状況も窺える。走り読みして、原子炉の内部で何が起こっているのかがおぼろげながら分かった。戦前の原子の人工転換という研究が直ちに原子爆弾の開発というアイデアにつながったのも事実であった。

本書の中で原子力発電に関して、「将来に於いて、学者や技術家物質の崩壊を自由に制御し得る様になる時、この原子勢力(エネルギー)の小さな貯蔵庫は、水力や火力発電所に代わつて用いられるかもしれない。この場合、分子間の化学反応(何噸もの石炭を燃焼させて)の代わりに、原子核反応(数瓦の原子を壊滅すること)」が用ひられるであらう。」する記述がある。核物理に関しては、近年ニュートリノの存在が証明されたが、それに関しては、「実際、それにもかかはらず、少なくとも中性微子は、自分自身で中性子ほど核転換を起こさせるものでないので、その存在を実験によってはっきりとさせるのは、困難の様に考へられる。然しこの事は決して不可能と云ふわけではない。」という記述がある。

物理学は真理を追究する学問であるが、工学は科学に基づく真理を応用して実利を求める学問である。残念だが、工学の中から、安全や信頼性という学問が生まれたのは多くの失敗に促された結果であるように思う。理工離れという問題が指摘されて久しい。今日、原子力発電に従事している技術者も、原子力発電が実用化した頃は輝かしい将来性のある仕事と考えたと思う。教育、学問は最終的には教えらっるものではないだろう。今日、世間で流通する製品やサービスの真偽、信頼性すら見抜くのは難しい。そんな時代だからこそ、国民の科学水準を維持向上させることは今日でも不可欠である。残念ながら、安全工学という分野に関しては全くというほど縁がなかった。自分の仕事で安全に関した製品はウオッチドックタイマー用IC等であった。製造物責任法がらみでその体制造りで骨を折ったのを思い出した。

人間が日々必要とするエネルギーを安価に安全に安定して確保する事は非常に重要な課題である。東京電力福島第一原子力発電所の事故を契機に青少年が真剣にその解決策を考えるようになってくれることを望まざるを得ない。当然そのエネルギーには食料も含まれる。まさに、物質さえ転々と姿を変えて移ろうのが世界の真相であるが、エネルギーは保存されて一定なのである。そのエネルギーを世界が調和する形に制御するのは単に工学的な手法では不可能だろう。新しい世界観が必要になるだろう。未来のエネルギーとしては核融合が期待されていたが、これも巨大な人工物で長い歴史的な使用に耐えるのか不明だ。電気技術者であった自分から見ると、植物の葉っぱは太陽光を集めるアンテナのように見える。ところが、植物の葉は雨が降れば雨も集める集雨器も兼ねている。光が来る方角に自分から向きを変える。そんな植物の機能を横取りできないかと不遜な考えをする事もある。ともかくエネルギーはこの世界を循環する物の元なのだ。よくよく考えるとその物を環境に廃棄する事自体がエネルギーの浪費ではないか。エネルギーは分散して至る所にあるのだ。いわば、エネルギーはエントロピーを増大させながらこの世界を巡っている。エネルギーは至る所にあるのだ。無いのはそれを使いこなす知恵だ。

以下本題。

かみつけ女流歌人 雅:合歓の花

歌題=合歓の花:

■草の実も 虫も眠るか 掃きよせし 楓落ち葉の 日の温もりに 27 小川 つね子

落ち葉の山に潜む草の実や虫までも思う気持ちはなななか歌にできない。

2011年6月 3日 (金)

読みかじりの記:電力の鬼・人生の鬼 松永安左エ門に学ぶ 宇佐美省吾 著 (1981年 実業之日本社)

2011/6/3
昨日は肌寒い天気。梅雨らしい雨。政界も梅雨の雨と同じような鬱陶しさだった。野党が提出した内閣不信任案が否決された。空々しい結果を国民は醒めた目で見るだけだったように感じる。結局、政界全体が保身にまわって、被災者や国民は置き去りにされてしまったのだ。総理大臣が引退をほのめかしただけで、このような結果になったのか。現総理と前総理が密談して大芝居を打ったのか。そうでもないだろう。政界全体が活力を失っているのだ。議決後の与党首脳の発言の不一致も政治家への信頼を失うだけだ。政治が根無し草になってしまった。結局、東日本大震災版の内閣不信任案議決騒動も、貴重な時間を空費して、国民の政治への信頼を更に低下させ、国際的には日本人の馬鹿さ加減を見せつけて何の効用ももたらさずに大失敗に終わったのである。政治家の無気力と自己保身が東日本大震災の二次被害を加速させているのである。今こそ政界は国民に対して総懺悔して、政界自体を復興させなければならない時ではないか。

昨日の天気

TAVE= 14.3
TMAX= 15.2
TMIN= 12.8
DIFF= 2.4
WMAX= 1.4
SUNS= 0
RAIN= 5

読みかじりの記:電力の鬼・人生の鬼 松永安左エ門に学ぶ 宇佐美省吾 著 (1981年 実業之日本社)

東京電力福島原発の事故をうけて、日本のエネルギー問題の見直しが迫られている。エネルギーとはまさに、労力・動力そのもので、抽象的には物体の運動、更には電磁界力、核力と物理学の本質部分に関する概念でもある。電気エネルギーの利用は物理や化学の進歩が工学という実用学の進歩を促す中で進んできたといえるのではないか。本書が出版された頃、自分はやっと一人前の技術者となったばかりであった。入社したら、モーター関係の仕事をさせられると思っていたが、配属先は半導体であった。予想は外れた。当時の電気工学系の就職先で、安定株といえば電電公社や東電や日立・東芝・三菱等の重電であった。そんな中で、ツンドク状態でほこりまみれの書棚の奥に潜んでいたのが本書であった。著者は父とほぼ同年配の大正5年生まれ。松永安左エ門は明治8年生まれで、慶應義塾に学び、福沢諭吉からも、直接教えを受けていると本書にある。

松永安左エ門は既に戦前に電力業界で地歩を固めたが、電力の国家統制には反対して、60才で現役を引退して、茶の世界に遊んだようだ。これは、東北電力会長を務めた白州次郎にも通じる所があるように思えた。また墓や戒名にもこだわらなかったという点では、両者とも合理的精神では共通していたように見える。本書の著者は昭和10年、20才台で電気業界紙のオーナー兼記者とあり、その後も電気業界を見てきたようで、松永安左エ門の側近のような立場にいたようで、本書の書きぶりからもそんな印象を受けた。松永安左エ門の現役引退から終戦直後までの期間は、再起を胸に秘めた充電期間に見えてしまう。茶の世界は単なる遊びの世界ではなく、世情や市場や世界の動向を探る期間でもあったと見た。松永安左エ門は政商に変身したのか。なぜ電力再編を進めたのか。事業と信念をかけた見果てぬ夢があったのか。電力の鬼・人生の鬼とは松永安左エ門の見えざる部分を暗示しているように感じる。

著者は戦後の電力再編の動きを松永安左エ門を中心に据えて人物中心に描き出す。本書は電力再編劇人物列伝のようで、電力再編にどのような人物がどのような動きをしたかがあざやかに描かれている。また、業界を見てきた著者らしく、技術的な流れも出てくる。松永安左エ門の構想は一方の電力国営化に反して、電力分割民営化の九社体制であった。ここに、福沢諭吉の自由・平等というDNAを受け継いでいるのか。終戦直後は、電力再編劇も国、その上に君臨したGHQ、電力経営者、官僚等々と幅広い分野から役者が出ている。見方を変えれば多くの人物が利権の争奪戦に関与していた。一方ではこのような再編劇で、新しい体制が生まれて、新しい人材が生まれ今日に至っている。本書では、東京電力発足初期の社長名が登場し、輝いているようにも見えた。本書にはその役者の人物評論が随所に見えて本書の読みどころだろう。今日、一部方面より発電と送電の分割議論が起きているが、先ずは戦前の電力統制から終戦後の電力再編までの歴史をレビューし直すのが良いと思う。その時、必ず国家と電力企業と産業と国民の関係をどうすべきかという問題が浮かび出てくるだろう。そのためには本書が大変役立つのではないか。既に出版後30年を経ているが、実業之日本社のサイトで検索したが、ヒットしなかったので絶版になっているようだ。一方、同社の福澤諭吉:松永安左エ門 著;  書籍 2008/04/18 1,050円がヒットした。「彼が「生涯の恩師」として最大の尊敬の情を捧げた福澤諭吉の人間味あふれる逸話を通じて、福澤イズムの真髄に迫った痛快人物伝。昭和39年に刊行された本書を慶応義塾創立150年にあたり復刊!」と案内があった。福島原発事故を背景に電力事業のありかたを考え直したい人には本書が参考になるだろう。復刊すれば、それ相当の読者はありそうだ。しかし、時代は変わってしまった。本書には、「”女道楽”道に見る鬼の側面」という怖そうな一編がある。事業も人生も鬼で通した松永安左エ門という異色な実業家であって初めて可能であったのかもしれない。復刊する場合はこの一編は削除できないであろう。当世の軟弱な識者・先生達はこの鬼の側面を幾ら指弾しても、松永安左エ門を超越することは出来ないと思われる。松永安左エ門は長寿を全うし、昭和46年に96歳で永眠した。今、松永安左エ門に学ぶとすれば、こちら側から鬼の声に耳を傾けねばならない。

追記:松永安左エ門は鉄が国家なりから、電力は国家なりという産業の構造変化を見通しができたから成功できたように見える。家電が台頭して家庭の電力消費量が増大するのは松永安左エ門の没後ではないか。その点、民生部門の電力消費を松永安左エ門がどうみていたか興味がある。本書の中でも電力の民間消費者の姿ははっきり見えない。原子力発電もごく僅かしか記されていない。当時としては火力・水力発電が主力であり、エネルギーの変遷も歴史的な評価が必要だ。安価なエネルギーを求めて火力も石油が主流になる(巨大タンカー船の建造)等の記述も参考になった。

以下本題。

かみつけ女流歌人 雅:菊花展

歌題=菊花展:

■医者通いに 明け暮れし夫が 久しぶりに 菊花展を見る 嫁に伴はれ 100 柳澤 はま

老夫婦嫁に伴い菊花展へと家族健常時のお揃いの楽しい外出を詠った。

2011年6月 2日 (木)

かみつけ女流歌人 雅:長の娘

2011/6/2
昨日は早朝から資源ごみ回収。6月は子供会が回収に参加。昔は子供がリヤカーを引いて各家庭を回り、資源ごみを集めて子供会活動の足しにした。今は、子供会役員が回収に参加している。ゴミ一つにも世相の時代変化が見える。地元新県議が議会質問デビューするとの事で、初めてインターネットで傍聴した。群馬県のホームページから県議会のページにアクセスすると、WINDOWSメディアプレーヤーが起動してurl=http://www.gunma-pref.stream.jfit.co.jp/に接続した。新県議の質問は最後であったが、基本的な調査を元に、環境を中心に据えて県に質問し、県もその努力に応えるような回答をしており、実りある議論となったのではないかと思った。

昨日の天気

TAVE= 13.6
TMAX= 15.5
TMIN= 11.9
DIFF= 3.6
WMAX= 2.4
SUNS= 0
RAIN= 1


夕方、野党が内閣不信任案を提出し、与党前代表鳩山氏もそれに賛成の意向とのニュースが流れた。これに対する代表紙の社説のタイトルは、毎日:「社説:不信任決議案提出 やはり大義は見えない」、朝日:「不信任案提出―無責任にもほどがある」、読売:「菅内閣不信任案 救国連立模索なら理解できる」と主張が分かれた。

東京電力福島第一原子力発電所の事故は、原発周辺の住民を悲劇のどん底に突き落としただけでなく、地域の農業、漁業、更には工業まで壊滅的な被害をもたらした。そうして、ついにその影響は政界を揺する地震にまで発展してしまった。首相の言行に唐突さが目立ったが、内閣不信任案もまた唐突に感じる。政治の流れも、一種のダイナミックな力学が決めているに違いない。被災者や国民はこの原発政界大地震の波に議員等がどのように乗るのか冷ややかな目で見るであろう。中央政治には何も期待する事はない。今回の不信任案提出は自力更生が必要だと気付かせてくれる原発政界大地震になるのではなかろうか。それにしても、この国難という大混乱を更にかきまわして、自分の利を図る構図は見苦しい。これがローカルスタンダードを地でいく日本政界の現実か。世界がどのように見ているのか。国際社会における日本株の暴落を憂えざるを得ない。

以下本題。

かみつけ女流歌人 雅:長の娘

歌題=長の娘:

■地蔵の 抱く子に供へある 無花果が  頬に触れゐつ 乳房のごとく 75 鳥羽 とみ子

子を産み育て、孫の顔を見る頃、ようやくこのような歌が詠めるようになるようだ。

2011年6月 1日 (水)

老人の寝言:時間切れという最悪の玉砕シナリオに突き進む愚挙を避けよ

2011/6/1
昨日は晴れ間があり、ラジオで国会中継を危機ながら外で仕事。福島原発事故の原因解明も今ひとつ迫力に欠ける感じだ。忍冬の香りがしてきた。蚊も出てきた。

昨日の天気

TAVE= 16.7
TMAX= 20.6
TMIN= 12.3
DIFF= 8.3
WMAX= 5.7
SUNS= 5.8
RAIN= 0

老人の寝言:時間切れという最悪の玉砕シナリオに突き進む愚挙を避けよ

電卓にプログラム機能を付けるとその用途が格段に広がる。特に、計算尺を使ってきた技術者としてはプログラム機能付き関数電卓は羨望の的であった。とうとうhp社の磁気カードメモリーが使えるきのプログラム機能付き関数電卓を買った。その磁気カードに宇宙船ゲームのようなものが入っていて、そのゲームで遊んでいた事を思い出した。宇宙船は有限の燃料しか運べないので、その燃料が尽きない内にミッションを遂行しなければならない。そんな状況をゲームに仕立てたので、かなり具体的なイメージを描けた。要するに、無駄に燃料を使わずにという条件で、ミッションを果たし、地球に帰還しなければならない。そんな、場面を想像すると、当時のLED表示の電卓でも意外な現実感を味わえた。そのような宇宙船ゲームと同じような構造を持つのが福島原発事故の収束というミッションではないか。当然、福島原発事故の収束というミッションにも宇宙船ゲームの船長に相当する指揮官がいるはずだ。しかし、それが霧の中で見えない。船長がミッションを忘れて、別の目標を追求しているのではないかと疑うような状況が見えかくれしてしまう。その行き着く先はタイムオーバーという玉砕ではないか。

毎日JPは、「東日本大震災:東電2社員・250ミリシーベルト超 甘い対策、現場悲鳴;url=http://mainichi.jp/select/weathernews/news/20110531ddm041040136000c.html(毎日新聞 2011年5月31日 東京朝刊))」というタイトルで、「東京電力福島第1原子力発電所で復旧作業にあたっている東電社員2人が、緊急時の上限250ミリシーベルトを超える被ばくをしていた疑いが強まった。しかも、放射性物質を体内に取り込む「内部被ばく」が大半とされる。取材に応じた作業員らの証言からは、現場の汚染がひどく、対策が追いついていない実態が浮かぶ。労災問題の専門家は「このままでは健康被害が深刻化する」と警告している。」と報じた。

福島原発事故で、地震発生からベントの実施までの放射能強度データが意識的に隠蔽されていたのではないかという疑惑を感じる人が多いのではないか。しかし、福島原発事故現場は放射能というカーテンで隠されている。原子炉が五重の壁で守られているというのが原子炉の安全性を一般人を納得させるための口上であったが、メルトダウンが公になってからその口上が聞かれない。原子力発電所の煙突は何の役割をするのか常々疑問であったが、ベントを実施した時に放射能を含んだ高圧蒸気を逃がすための装置なのだろうと最近思っている。東京電力のホームページを見ると「ふくいちライブカメラ」がその煙突を写している。ライブカメラの映像は余り変わっていないように見えるが、原発内部で何が進んでいるのか。

原子力発電所で働いていた大量の内部被曝を受けた作業員はマスクの着用をしていなかったと言われている。放射能が放出されるベント後はマスク着用は当然であろう。ベント以前に内部被曝を受けていたとすると、既に地震で五重の壁が破られ、放射能がプラント内に拡散していた事にならないか。地震だけで、津波は無くても放射能漏れを起こす危険を無視できない。このような条件は全ての原発に共通する事だが、全原発への飛び火を怖れてか、問題として浮上していないのが気になる。

原子力発電所で一人前の仕事が出来るまでには、10年程度の経験が必要であるようだ。福島原発事故現場で働く要員には、被曝の上限がある。その上限を越えて、現場の作業を続行させる事は人道上も出来ない。事故の収束作業に手間取ると、技術や経験を持つ要員が次々に欠けてくる。そうなれば、仕事の精度もスピードも落ちてくる。その行き着く先は、要員不足による玉砕にならないか。同時に、濃度の高い放射能汚染水も、その循環処理がや収容設備がうまく進まないと時間切れとなる。原発事故の収束にはいくつものクリティカルパスがある。何が最短のクリティカルパスか不明であるが、最短のクリティカルパスから、事態は急変するだろう。やはり、原発事故の収束には、全体が見える司令官が必要なのではないか。

以下本題。

かみつけ女流歌人 雅:夫逝きて

歌題=夫逝きて:

■入彼岸に 迷ひ来し猫は 他界より 夫の送れる 遣ひなるらむ 95 宮澤 奈加枝

生死は分かち難く、迷い猫さえ何かの縁でつながっているようだ。

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  • 橋本 英文: 刃物雑学事典 図解・刃物のすべて(1986年 株式会社 講談社 ブルーバックス B-659)
    刃物という視点で多くの事例が取り上げられている。刃のある道具の理解にも役立つ。類書が少なく貴重な一冊。「すべり変形が切断の原理」という考え方で説明している。
  • 沼田 真   : 植物たちの生( 1972年 岩波新書(青版 833))
    「ご要望にお応えしてアンコール復刊(1988年岩波新書50年記念復刊) 地球生態系の中で自然を見直す」(腰巻きのフレーズ)。植物の知恵と戦略に人類は勝てるのか。
  • 出町 誠: 14_NHK趣味の園芸:よく分かる栽培12ヶ月  カキ(NHK出版2007年)
    初心者向け柿栽培参考書(新版)。旧版と比較すると楽しい。
  • 中村三夫: 13_NHK趣味の園芸:作業12ヶ月  カキ(NHK出版1996年)
    初心者向け柿栽培参考書(旧版)。新版と比較すると楽しい。
  • 山科正平: 12_細胞を読む   電子顕微鏡で見る生命の姿
    細胞はどんな部品からできているのか。そんな疑問に答えてくれる一冊。何事も形を見るのが第一歩。μからÅオーダーの世界で、細胞をメスで解剖するように、電子顕微鏡というメスで解剖して見せてくれるので興味が尽きない。
  • 柳田充弘: 11_細胞から生命が見える
    著者の専門は分子生物学、細胞生物学。普段生物を考えても細胞レベルで止まってしまう。その細胞の中で色々な分子が働いている。細胞こそ生命の基礎だが、その細胞の中の動きを知るのに最適な一冊。疑問の発端はなぜ発根剤が効くのかということ。薬剤が細胞膜を通過して細胞内で分子と分子が作用するイメージができた。本書でできた細胞のイメージは小さな無数の穴が空いた水分が充満したヨーヨーのようなもの。そのヨーヨーの中に分子部品が詰まっている。細胞自体もタライの中のヨーヨーのように浮かんでいる。細胞図面の空白部は真空でなく水分だ。細胞の内外に水がないと細胞は生きられない。水が生命のゆりかごだ!
  • 野口悠紀雄: 10_ホームページにオフィスを作る(2001年 光文社)
    ITが輝いた時代の作品。HPの活用法は参考になる。参考:url=http://www.noguchi.co.jp/(野口悠紀雄 ONLINE)
  • 小池洋男 編著: 09_果樹の接ぎ木・さし木・とり木(農文協:2007/3/31第1刷)
    やや専門的であるが、実務専門化が分担執筆しており、その場で役に立つ一冊。
  • ノーバート・ウィーナー(鎮目恭夫訳): 08_サイバネティックスはいかにして生まれたか(みすず書房1956)
    情報と通信という現代社会に不可欠の基礎的な学問を作った著者の自伝とそれを通した科学史
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