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2011年6月

2011年6月20日 (月)

読みかじりの記:21世紀はこうなる 1990年版 編集人 竹内均 1990年 株式会社 教育社)

2011/6/19
昨日は午後少し晴れ間。大体曇り。延期になっていた町内の草刈や清掃に出た。畑の隅にカタバミが咲いていた。熟した実を入れた鞘が乾いている時に指で触ると鞘が裂けて種子を放出する。子供の頃はこれで遊んだこともある。夜はおじぎそうのように葉を閉じる。父の日で家族が揃って食事。ねむの木から緑色の尺取り虫のような虫が糸を伝って降りてきた。それが、今度はくるくる回りながらその糸を伝って上に昇り始めた。これを3人で見ていたがデジカメを取りに行っている間に登り切ってしまった。そのメカニズムは解明できなかったが、回転するときに糸をダンゴのように巻き取って短くしてゆくのではないかと思った。昆虫の恐るべき能力。東京電力の放射能汚染水の処理は想定通りに進まず不安がつのる。汚染水は日々増加中だ。

昨日の天気

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読みかじりの記:21世紀はこうなる 1990年版 編集人 竹内均 1990年 株式会社 教育社)

最近、未来学とか未来はこうなるというような明るい話題が少ないように感じる。高度経済成長で物質的な要求はかなりの程度満たされてきた。一方、精神的な要求は満たされてきたかと言えば、空疎感もある。未来への信頼感が確実に出来なければ、現在の努力も色あせてしまう。精神的な要求は金だけでは実現できない。人の言いなりでも満足できない。自分自身の価値観が必要とされるのではないか、そんな、現代の様相をもう一度過去の視点から振り返って見ようとして手にした一冊が「21世紀はこうなる 1990年版」である。一般向け科学雑誌NEWTONの増刊号である。丁度20年ほど前の時代に遡って、そこを起点に現在を見てみたい。

編集者は竹内均で、NEWTONには地震関係の記事が比較的多かったと記憶している。「竹内均;url=http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AB%B9%E5%86%85%E5%9D%87;(最終更新 2011年4月20日 (水) 00:30 )」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』(http://ja.wikipedia.org/)。の記事に「竹内 均(たけうち ひとし、1920年7月2日 - 2004年4月20日)は、日本を代表する地球物理学者の第一人者で、東京大学名誉教授、理学博士、科学啓蒙家。科学雑誌『Newton』初代編集長。代々木ゼミナール札幌校元校長。」とある。その記事によると、「旧制大野中学校2年生の夏、寺田寅彦のエッセー『茶碗の湯』を読み、学者の道を目指す。」との記事も。

本書は、1=イラストで見る21世紀、2=世界の中の日本 日本の1990年代、3=21世紀のトレンドはこれだ、4=資料編 データで見る日本の未来という4部構成になっている。

「イラストで見る21世紀」の目次タイトルは大きな横文字に小さな日本語が併記されている。ざっとみると、ハイテクをバックに実現されるであろう巨大な都市やビル空港、交通機関等、まさに未来がバラ色に描かれている。最先端の科学・技術を駆使すれば、原理的には可能な未来図ではあったと思われる。それを実現するのは、国策や民間開発であるが、膨大なエネルギーとコストを必要とするという、実現可能性の点では未来の予測の多くが、結果としては狂ってしまっていたように見える。言い換えれば、今まで築いてきた、インフラの構造的な変化は起こっていないようにも見える。また、科学的・技術的に可能な予測は、経済的な条件が整えばすぐに実行され、すでにそれが当たり前のような状況になってくるという、技術の進歩は逆に注目しなければならない。それは、情報・通信分野に顕著に現れてきたのではないか。この分野は、機能と価格という面で集積回路の恩恵を最大限に享受できたと思われる。描かれた絵の中で生き残っているのは中央リニア新幹線である。20年後の現在も実現していないが、今年になって、中央リニア新幹線のルートと駅がほぼ確定した。しかし、一方ではスローライフというスピード第一と反対の意識の高まりもある。実現に向かって、現実的な議論が盛んになるのではないか。その視点は、エネルギー、コスト、利便性である。情報・通信技術の発展で、人や物が寸刻を競い動かなければならないという場面は相当少なくなった、むしろその必要性はほぼ全滅しているだろう。内閣総理大臣の福島原発の視察がその一例でもあろう。今日テレビ会議、テレビ中継は当たり前の技術だ。また、臨海開発も結論としては失敗の部類に入るだろう。東北地方太平洋沖地震で臨海開発の一部の埋め立て地で起こった大規模な液状化も記憶に新しい。科学・技術的な見直し・検証作業は原発だけでは無いだろう。東北地方太平洋沖地震規模の地震が首都圏やその近傍に起きれば、津波は無くとも、壊滅的な被害が発生するだろう。東京都は東北地方太平洋沖地震を教訓になにを対策するのか。原発と同じで、現実を直視するのが怖く、オリンピック誘致というような夢を描いているようにしか見えない。

「マッハ2の超音速旅客機によりロサンゼルスの日帰り出張が可能になる」という記事には、「2010年にはマッハ2.5の超音速旅客機が就航する。」とある。

「コンコルド;url=http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B3%E3%83%B3%E3%82%B3%E3%83%AB%E3%83%89;(最終更新 2011年6月18日 (土) 12:44 )」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』(http://ja.wikipedia.org/)。の記事に「エールフランス機
イギリスのBACとフランスのシュド・アビアシオンなどが共同で開発した超音速旅客機。初飛行は1969年3月1日。原型機4機を含め、20機が製造された。高度5万5,000~6万フィートという、通常の旅客機の飛行高度の2倍もの高度を、マッハ2.0で飛行した。定期国際運航路線をもっていた唯一の超音速民間旅客機でもあった。開発当時は、世界中から発注があったものの、ソニックブームなどの環境問題、開発の遅滞やそれに伴う価格の高騰、また大量輸送と低コスト化の流れを受けてその多くがキャンセルとなった[1]。最終的にはエールフランスとブリティッシュ・エアウェイズの2社のみによる就航に留まる。2000年7月25日に発生した墜落事故、2001年9月11日に発生したアメリカ同時多発テロによって、低迷していた航空需要下での収益性改善が望めなくなった事で、2003年5月にエールフランス、同年10月24日にブリティッシュ・エアウェイズが営業飛行を終了、2003年11月26日のヒースロー空港着陸をもって全機が退役した。超音速飛行を追求した美しいデザインや(ほぼ)唯一の超音速旅客機であったこともあり、現在でも根強い人気を持つ。」

巨大、超高速等、人類の可能性への挑戦は必ずしも、実用化という現実の社会的な要求とは合致しなかったのが歴史の教訓ではないかと思える。

第三部の「医療技術の進歩」では、「現代の難病は克服されるか」というタイトルで課題と予測が述べられている。遺伝子治療の成功が2000年と予測されている。臓器移植に関しては、そのシステムの整備と社会的コンセンサンスの必要性が述べられている。医療技術ももはや赤髭の時代ではなくなり、医療システムの中に組み込まれ、財布と算盤の時代になってしまった。生と死という倫理観という壁がまだ残っている。この壁は守るべきか崩すべきか、現在から未来にかけて直面を迫られる。「65歳は「老人」ではなくなる」というタイトルでは「2015年には高齢者人口は3000万人を超える。」という予測がある。総務省の情報(高齢者人口の現状と将来:url=http://www.stat.go.jp/data/topics/topics051.htm)によると、「65歳以上人口の割合は今後も上昇を続け、平成27年(2015年)には総人口の26.0%(3277万人)と、およそ4人に1人が65歳以上になると見込まれている。」とほぼ妥当な予想がなされている。問題は、その予想が政策に十分反映されてこなかった点だろう。

第二部の「そのとき日本こうなる」では、「労働力の流動化が企業を変える」というタイトルで、労働市場、雇用関係の変化を明るく描いている。就「社」より就「職」の時代となり、「契約社員制度」も述べている。契約社員、労働者派遣の現実は雇用側と労働側の利益の配分割合を大きく変えた。一時的な雇用の体力増加は、長期的には雇用側の体力の減少を招いているようでもある。社会の活力事態が萎えているのが現代の状況のように見える。

本書の巻頭を飾るのが、「日本の未来を占う 21世紀テクノロジーが日本をのばす」というタイトルの経済評論家の長谷川慶太郎とNEWTON編集長の竹内均の特別対談だ。長谷川は鉄鋼歩留まりが、当時(の現在)65%台からの95%に向上した事を例に取り、石油ショックが日本産業の体力強化になった事を述べている。液化天然ガスの活用に世界に先駆けて取り組んで長期契約で安い資源を確保したとの記事もある。長谷川:「私はね、エネルギー関係は1にも2にも3にも、全部経済関係だと考えています。」経済評論家独自の視点かもしれない。現実もその通り動いた。電力料金が固定で硬直化していることに対して、曜日や時間帯で変えて、今日的視点では、ピーク需要の平準化化とエネルギーコストの低減の必要性にも言及している。その基盤となる安定な電力を供給する原子力発電も念頭にあると見られる。電力料金体系も電力事業体系も、残念ながら経済の流れから遅れて、恐竜のような末期を迎えているようにも見える。会社経営者が無担保で借金する場合に経営者が個人保証する事に対して、それは倫理でなく、「日本の経営者のモラルのレベルがアメリカやヨーロッパの経営者にくらべて高いとはいえないと思います。これはシステムなんです。」と言い切っている。日本の、特に大企業の経営者の精神が、戦後どのように変化したのかは改めて検証する必要があるように思える。この特別対談の末尾が印象に残る。竹内:日本の将来は非常に明るいんですけど、ちょっと心配なことははないですか。あるいは警告すべきこと。長谷川:警告すべきことは、たった一つしかありません。それはね、政治です。竹内:なるほど(笑い)。そうかもしれん。

自分は、集積回路の中でも電源用の集積回路の開発に従事した事があった。集積回路は電力を作る事はできないが、器機の安定動作には不可欠だ。昔は安定化電源とか電圧調整器というような言葉もあった。器機が微細化してその動作が外乱等の影響を受けるのを防止し、安定に動作させるための補助的な機能だが、主たる機能の他にその機能を発揮させる補助的な機能が統合されてシステム全体が正常に機能する。これは、全てのシステムに共通している事である。文明社会の中で、政治の役割は何か。経済評論家長谷川慶太郎は政治に何を警告したかったのだろうか。

以下本題。

かみつけ女流歌人 雅:閑日月

歌題=閑日月:

■落葉して 明るくなれる 片隅の 残菊の花に 蝶は動かず 55 須田 修子

花も蝶も季節の変化の前に、か弱き存在である事に共感しつつ、なお明るく詠んでいる。

2011年6月19日 (日)

老人の寝言:臥薪嘗胆して理不尽という壁を乗り越えよう

2011/6/19
昨日は曇り後夜雨。外出の帰りに何か花が咲いていないかと探したら、薄青色をしたツユクサの花が咲いていた。この時世、花でも眺めていないと気が滅入る。ツユクサはなるほど、梅雨期の花にふさわしく思えた。育ちも早い。知人が来て世間話。東電の株は今は買えない云々。

昨日の天気

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老人の寝言:臥薪嘗胆して理不尽という壁を乗り越えよう

東北地方太平洋沖地震以後100日、WEB上で読んだのはほとんどが中央紙だった。その中に、2011年3月12日付けの福島民報の号外があった。それを改めて読んでみた。この段階で、死者97人、不明490名と伝えていた。全国では死者217人、不明681名であった。東京電力福島第一原子力発電所に関しては、政府が半径10Km以内の富岡、大熊、双葉、浪江の四町の住民に対して避難指示を出した事と、東京電力にベントの命令を出した事を報じていた。東北関東大震災と福島原発事故がこれほど大規模なものだったとは報じていない。その時点では十分な情報が断たれていたのだ。しかし、人的被害すら、その報道のレベルに納まらないと誰もが内心思っていただろう。更に、福島原発事故が現在のような事態になるとは地域住民は夢にも思わなかったに違いない。

ようやく、WEB上の地方紙を読んで見ようと思った。そこで探したのが、河北新報社の河北春秋。
河北新報は宮城県、仙台市、東北のニュースを主に扱っているようだ。

河北春秋は、「1983年度に放送されたNHK連続テレビ小説「お… ;url=http://www.kahoku.co.jp/column/syunju/20110617_01.htm(2011年06月17日金曜日))」というタイトルで、「▼1995年の阪神大震災後、神戸市の観光客数が震災前の水準に回復したのは12年後だ。時間はかかるが、地域の復興計画に観光振興を組み込む必要性があろう▼台湾外交部は福島を除く東北5県への渡航自粛勧告を解除した。おしんの古里は再び活気を取り戻すだろうが、原発事故収束のめどが立たない福島の復興は容易ではない。おしん伝説は臥薪嘗胆(がしんしょうたん)の先に成功があればこそ。理不尽と闘うには希望が要る。 」と報じた。

震災後に外国人観光客の姿が途絶えた事を受けての記事である。東北にはあのおしん伝説がある。東北はその「聖地」であると述べている。そうして、その締めくくりが、「理不尽と闘うには希望が要る」という一言だ。臥薪嘗胆とは寝心地どころではない薪の上に寝て、苦い胆(きも)を舐めてさえ、その試練・苦労を忘れずに頑張る事を意味する。その苦労・試練の先に成功という希望があれば、耐えられるのだ。そこで「理不尽」とはどういう意味か。その試練・苦労の原因に自分と何らかの因果関係があれば、その試練・苦労を自分の運命としても何とか受け入れる事ができるであろう。現実は、そんな事ではなく、そこに住んでいただけで、むごい試練・苦労を強いられている。理不尽とは道理が通らないことだ。希望を跳ね返す壁だ。被災地の人々はそれを痛感しているだろう。福島県と言えば野口英世を思い出す。WIKIPEDIAの野口英世語録に「偉ぐなるのが敵討(ガタキウ)ちだ(口語)」というのがあった。「理不尽と闘う」には誰とまた何と闘うのか。高山彦九郎は地域の偉人を尊敬すべしという考えがあったとの事。高山彦九郎は江戸幕府が崩壊するさきがけを感じ取った人物だろう。東北地方を旅して飢饉の惨状を記録に残している。これらの人物に、臥薪嘗胆して理不尽という壁を乗り越えるヒントはないだろうか。野口英世の思い出:http://af06.kazelog.jp/itoshikimono/2010/01/post-3a76.html

以下本題。

かみつけ女流歌人 雅:秀子

歌題=秀子:

■三ヶ月 勤務休みて 看とりせる 吾子の切なき 朝な夕なよ 104 吉井 千代子

最愛なるものが去って、そこに歌が生まれる。歌は心の空白を埋めて新しい出発のさきがけになる。

2011年6月18日 (土)

歴史の転換:がんばれ ふくしま! 脱原発

2011/6/18
昨日は雨後曇り。ミニプランターの苗移植。雨でミニプランターに雨水が溜まって水浸し。プランターの底に、灌水の手抜きのため栓をしていたのが原因。サンショウの緑枝差しは失敗しそうだ。下の方から枯れてきている。緑枝差しの季節なので他品種を挿し木してみた。ラジオで国会中継を聞くが、相変わらずほとんどがすれ違い。

昨日の天気

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歴史の転換:がんばれ ふくしま! 脱原発

東京電力福島原発事故は、日本中に、更には世界中に、あの東北地方太平洋沖地震とそれに起因する大津波以上に大きな衝撃を与えているのではなか。そこには、見える物と見えない物に対する恐怖の違いがある。苦しみも、過ぎてしまった事といつ終わるか分からないという事という苦しみの感じ方と総量の違いがある。いつ終わるか分からないという事はまさに地獄の責め苦と同じで、その苦しみから容易に逃れられないという未来に対する苦しみも生まれる。人生を前向きに考えれば考えるほどその苦しみは大きくなるだろう。そういう苦しみが善良な人々を自殺にまで追い込んでいる。その自殺は人間不信への無言の抗議ではなかろうか。人間が信頼できれば、生きる勇気も、希望も断たれることはなかったのではないか。東北地方太平洋沖地震発生以来100日近くになるが、被災地だけでなく日本中が濃霧に覆われているようで、苦しみや不安が去らない。もはや、日本には神風は吹かない。自分から霧を取り払う。自立への一歩を踏み出す時なのかもしれない。自立とは先ず精神の自立から始まるのではないか。

福島民友ニュースは、「福島県 脱原発宣言;url=http://www.minyu-net.com/news/news/0616/news8.html(2011年6月16日 福島民友ニュース)」というタイトルで、「県の復興ビジョン検討委員会が15日、打ち出した「脱原発」の意思表示。東京電力福島第1原発事故で避難生活を強いられたり、風評被害など大きな影響を受けているだけに、県民からは評価する声が聞かれる。その一方で約40年にわたり“共存”してきた原発との「決別宣言」に複雑な思いを吐露する県民もいる。」と報じた。

福島県のホームページを探すと、震災・原発事故関係の暫定版と公式ホームページの二本立てになっていた。そこにあったのが、「がんばろう ふくしま!」というロゴマーク。さっそく、そのロゴマークを我がブログに張り付けた。その気持は、「がんばれ ふくしま!」である。

ところで、広辞苑によると、「頑張る」の本義は「我に張る」との事だ。「我を張る」という言葉は良く聞くが、余り良い印象を受けない。というのは、「我を張る」という場面には、その相手がいて、その相手に対して自己主張をすると言う意味なので、なあなあ社会では抵抗分子で、嫌われるという事なのだろう。一方、「我に張る」という言葉は今まで、聞いたことも使った事もなかった。「がんばれ」という言葉は相手にプレッシャーを与えるから無闇に使うなと大方の心優しい人々はおっしゃる。確かに、そういう側面はあるだろう。しかし、言動を通していい子になろうとする人々は多い。逆にそういう風潮に乗っていれば間違いないと便宜主義の人もいるだろう。ところで「我に張る」の「に」は方向を表す助詞で「我に」とは「自分の方に」という事だろう。「張」を漢字辞典で調べると、弦を長く張るという意味だそうだ。そうすることにより、弦はまさに緊張する。エネルギーを蓄えて、矢が飛び出す状態にするというのが「張る」の意味だろう。蓄えたエネルギーを外に向けるのか中に向けるのか。外に向ける時が「我を張る」ではないか。「我に張る」とは蓄えたエネルギーを自分に向ける事か。確かに、「頑張る」とは回りの事は気にせず、自分本位という意味が強い。和英で「頑張る」を引くと、「踏ん張る」hold out、hang onと出てきた。何か事を為すに、エネルギーを溜め、自分を緊張状態に追い込むというのが「我に張る」と解釈できる。「我に」⇒「頑」への転化は「我に張る」を更に「頑(かたくなに)」という漢字に置き換えて意味を強化したものだろう。そう、考えると「頑張る」という言葉には罪はないと思われる。自分から頑張ると言い出すことにより、目標がはっきりして、その課題に対する緊張感が高まり、物事を達成できる心理的な心構えができるのだ。

「がんばろう ふくしま!」という言葉は、やはり「我に張る」という意味で、自分の足元を見つめ、緊張感を持って課題に取り組むという福島県・福島県民の意思表明なのであろう。

以下本題。

かみつけ女流歌人 雅:私の心の散歩

歌題=私の心の散歩:

■おだやかな 水面に淡き 色残し 形かえつつ 花筏ながる 73 手塚 光子

ゆったりと流れる花筏とそれをじっと見つめる作者、動中静ありの心境を感じる。

2011年6月17日 (金)

老人の寝言:放射線量の自主測定はどんどんやれ

2011/6/17
昨日も曇り。タマリュウの植え替えは終了した。この時期、咲く花があまり見あたらない。ミニトマトの花。アジサイの一種だが、名前の分からないものが咲いている。昨日から今朝にかけてのNHKニュースが東京電力福島原発の放射能汚染水の処理が予定通り進んでいないと報じていた。いくつかの設備を連結して全体の動作をさせたら水漏れが生じているらしい。このようなロス時間の間にも、原子炉への注水は続いており、汚染水の容器も満杯が迫っているとの事だ。万一、今後再び放射能汚染水を海に放流するような事があれば、近隣諸国から非難を浴び、日本の信頼性を更に下げてしまうおそれが多い。そんな事態は絶対に阻止してもらいたい。

昨日の天気

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老人の寝言:放射線量の自主測定はどんどんやれ

最近、放射線量の自主測定が注目を集めている。その背景には、自分が生活している環境や食物が放射性物質に汚染されていないかという心配がある。単独の測定値は余り意味がない。測定自体がデータを比較しあうという操作であると言っても良いだろう。それを具体的に示すのが測定のトレーサビリティだ。トレーサビリティとは測定の信頼性を確保する体系でもある。民間人が放射線量の自主測定をする事に対して、色々な意見がでている。それを、要約すれば必要十分な放射線量のデータがないからである。民間人以外の国や地方公共団体等が必要十分な放射線量データを提供してくれればあえて民間人は高価な放射線量測定器を購入して、放射線量を計る必要はないだろう。産業技術総合研究所のホームページに「 放射線計測の信頼性について(url=http://www.aist.go.jp/aist_j/rad-accur/confidence/index.html) 」という記事があり、「放射線計測器の校正には、標準線源を用います。放射能強度をあらかじめ測定した標準線源を用いて、計測現場で使われる放射線計測器の校正を行います。図3は、放射能計測のトレーサビリティ体系です。日本国内の体系では、(財)日本分析センターや(社)日本アイソトープ協会の標準器が産総研NMIJの国家標準に対してトレーサブルになっています。」とトレーサビリティの体系図を示している。このようなトレーサビリティを通すと、正しいデータの比較が可能になる。

最近、気になっているのは、放射線量の自主測定は混乱を招くといいうような、自主測定を牽制するような発言が目立つ事だ。それも、当局に近い筋やその分野のプロなのだから、意外に感じるのだ。このような発言には、一言、自衛というだけで十分だ。ともかく、なんらかの現象を数値で把握することは、その現象を把握するための第一歩になるのだ。どしどし測定をすべきである。当局やプロは、民間人が測定器などを使いこなしたら、失職の危機に直面するのではないかという不安を抱くのではないかと妄想せざるを得ない。民間人だって、むしろ民間人の方がまともな感覚を持っているのではないか。全く、本末転倒が当たり前のような実態があるから、民間人もその本質に迫ろうとするのである。民間人が放射線量を測定して公表したら、当局から公表を中止させられたというような情報がWEBに散見する。これは、思想統制以上の暴挙ではないか。放射線量データを公表されたら困る人物がいること自体、相当平常心が揺らいでいるように見える。測定値は、同じ場所で継続的に測定したり、場所を変えて測定したり等々色々な測定法が可能だ。当然、測定法、データ処理等訓練は必要だろうが、民間人が放射線量を測定すべきではないなどと誰にもいう権限はない。ともかく、測定は科学への第一歩でもあるのだ。測定データを解釈する事で、その背後に潜む物が見えてくるのだ。

また、出荷されている農産物は放射線量は規定値以下で安全だから放射線量の測定は不要だという意見もある。こういう意見も、科学的な見地からは、何段階かの前提が正しくなければ言えないことだが、当局を元気付ける助っ人に過ぎないようだ。その前提は、言うまでもなく、放射線量濃度の空間分布と、測定サンプル数と測定期間であろう。出荷されている農産物は全て規定値以下だと断定するには、詰まるところ全数測定以外にないのが常識だろう。全数検査が現実的には不可能なのだから、生産場所も生産物数も測定期間もサンプリングしているのが実状だろう。しかし、雨水が集中するような場所には放射能のホットスポットも生じていると言われている。従って、万一、民間人がそのようなホットスポットや高濃度放射線汚染農産物を発見してしまうと当局の言った事がひっくり返る可能性が出てくる。これも当局が民間人の放射線量の自主測定を歓迎しない理由の一つだろう。

放射線量の自主測定が関心を集めているのは、それが現実的な問題になっているからであり、それは当局への不信感の表れでもある。当局等が言っている事は、体温計は医者でないと使いこなせないというような事を放射線量計について言っているようで、いずれ民間人の放射線量計は民間人の体温計程度の所に落ち着くだろう。なぜなら、当局の言っていることは、体温計が危険だというような幼稚なレベルに過ぎないからだ。

以下本題。

かみつけ女流歌人 雅:夫とかたみに

歌題=夫とかたみに:

■近頃は 夢の中でも 捜し物 給食かたへに ない書類がない 94 峰村 恵美子

物忘れが良くなり夢の中でも捜し物をしていると嘆くがそれを笑い飛ばしているようでもある。

2011年6月16日 (木)

老人の寝言:強引な地デジ移行は第二次人災を引き起こす懸念がある

2011/6/16
昨日は曇り。タマリュウの植え込みの中にドクダミが密生してしまった。ドクダミは根を良く張るが、引き抜くと切れてしまい完全に駆除するのが大変。タマリュウを堀上げて植え直しをした。庭の片隅にはスカシユリが咲いている。雑草の中だが花は花。それなりに綺麗で目立つ。上毛新聞1面は県知事選の告示について。

昨日の天気

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老人の寝言:強引な地デジ移行は第二次人災を引き起こす懸念がある

北海道新聞社は、「首都圏で「地デジ難民」続出懸念 UHF受信工事遅れ;url=http://www.hokkaido-np.co.jp/news/topic/298281.html(06/10 13:22)」というタイトルで、「テレビ放送の大改革となる地上放送のデジタル化。その完全移行が迫り、受信のための準備も最終段階を迎えている。だが、ここに来て心配されているのが首都圏での対応の遅れだ。受信に必要なアンテナの切り替えやお年寄りへの周知が間に合わず、7月24日の地上アナログ放送終了とともにテレビが見られなくなる「地デジ難民」の発生が懸念されている。(東京メディア委員 山口恭司)
」と報じた。

地デジ移行期限が刻々と迫っている。上記の記事は、地デジ移行など問題ではなかろうという首都圏の問題を指摘している。テレビは全ての情報が流れる総合情報インフラである。現行のアナログテレビは戦後の日本を作ってきたと極論してもあながち異論も無いと思われる。2001年の電波法の改定でチャンネルプランが変更されこれに伴い、10年後にアナログTV放送が停波して、地デジに移行するものとされている。これも、マクロな国策的現象とすると、アナログTV放送に使われているVHF帯からTVをUHF帯に追い出して、その空いた電波帯を通信業者等に使わせるという事らしい。移行の費用は、追い出されるアナログTVの視聴者にかぶせられる。しかし、この議論にはTVが果たしている情報インフラという重要性からの視点が完全に欠落しているようにみえる。電波も放射線も物理的には全く同じ物だ。見えない物なら、馬鹿な国民を騙すのは、赤子の腕をねじるのと同じように楽だと官僚どもは考えたのだろう。十年前にこの国策をこね上げた官僚はすでにどこかに天下りして左うちわかも知れない。電波利権が原発利権と同じ構造を持っても不思議ではない。

ITpro は、「東京電力が計画停電の原則不実施を発表、夏場のピークは供給増と節電などで対処 ;url=http://itpro.nikkeibp.co.jp/article/NEWS/20110408/359263/(2011/04/08
))」というタイトルで、「問題は夏場、特にピーク時の需要をまかなえるかどうかだが、東京電力ではこれについても「原則不実施」を継続するとしている。同社によれば、現時点において夏場の需給状況は、必要となる最大電力が5500万kW(参考:2010年夏の最大電力は7月23日に記録した5999万kW)なのに対して、供給力が4650万kWと大幅に不足する見通しであるという。
」と報じた。

この記事は計画停電実施前後のものと思うが、最近、東京電力がは以下のような記事をホームページのトップに掲載している。

「< 万が一に備えた計画停電の運用について
 今後の計画停電につきましては、「原則不実施」を継続できるよう、皆さまに節電のご協力をいただきながら、追加供給力の確保などに努めております。 しかしながら、万が一計画停電を実施させていただく場合に備え、計画停電対象地域のお客さまへ、平成23年6月20日(月)より適用となる計画停電グループをお知らせしております。何卒ご理解、ご協力のほど宜しくお願いいたします。(url=http://www.tepco.co.jp/index-j.html:平成23年6月15日現在)」

ただし、「※万が一計画停電を実施する際には、ホームページや7月1日から開設予定の「計画停電自動音声ご案内ダイヤル(0120-925-433)」等において、お客さまのグループ毎の計画停電実施時間帯をお知らせいたします。」とあるが、一般への公知手順が不明確である。ニュース等では、実施の2時間前までにホームページ等で伝えると聞いているが、これでは余りにも遅すぎる。東京電力は電気供給約款によれば、契約者に停電を十分周知する責任があるのであり、万一その責任を果たさない場合は責任問題が生じるだろう。

丁度、アナログTVが停波となるのが今年の7月24日で、昨年の東京電力の最大電力が7月23日に記録されたとなると、色々心配な事が重なって見えてしまう。地デジタルへの移行が済んでいない世帯は高齢者世帯だけでなく一般の世帯も相当数あると見積もられている。例え、1台だけ地デジ対応しても、一人に一台程度の普及率となっている現代では、日本中にはまだ地デジ化されていない現用のアナログTVが相当数あるのではないか。これらの人々に計画停電の情報は確実に流れるのだろうか。いかに迅速に正確に真夏の計画停電にかんする情報を流すかという問題は、場合により、地デジへの移行期限と計画停電の実施可能性が最大になる時期が重なってしまことにより、大きな社会的な混乱を招いてしまうおそれがあるのである。当初、計画停電は東京電力管内と考えられていたが、浜岡原発の稼働中止等で、電力事情の不安定は日本中に波及しつつある。更に、辞任を表明した内閣総理大臣も、この時期までは居座るだろう。総務省は、東日本大震災による甚大な津波被害を受けた岩手・宮城・福島3県におけるアナログTV停波を最長で1年間延期すると報道されているが、現在の難局や、地デジ未対応対応のアナログTVが多数ある事から、予定通り強行に地デジ移行を行うと第二次的な人災を引き起こす可能性が十分あるのではないか。いくらローテクでも確実に機能している情報インフラを危機的状況の中で安易に放棄する必要はないだろう。東京スカイツリーは、2012年5月22日に開業予定との事であるが、アナログTVの地デジ移行は東京スカイツリーが安定に稼働してからで良いのではないか。首都圏では、今地デジに移行すると、VHFアンテナからUHFアンテナへの変更が必要な上、東京スカイツリーが開業後は更に、UHFアンテナの調整が必要になり、二重の負担を迫られる。地デジ移行が出来ていない視聴者にそのようなゆとりはないだろう。

ITMEDIAは、「3600万台が地デジ未対応? 「地デジ難民」に現実味;url=http://www.itmedia.co.jp/news/articles/1105/24/news038.html(2011年05月24日 12時12分 更新
))」というタイトルで、「地上デジタル放送への完全移行まであと2カ月。政府は東日本大震災の被災地3県を除く全都道府県で7月24日にアナログ放送を停止し、地デジへの切り替えを目指す。しかし電機メーカーの業界団体統計と内閣府などの調査データに基づいて試算すると、テレビの国内普及総数の約32%は地デジに未対応となることが23日、分かった。総務省が示す地デジの世帯普及率約95%とは大きく食い違う上、この普及率には、録画機も台数に含むなど調査方法の不備も浮上しており、アナログ放送停止による「地デジ難民」が現実味を帯びてきた。
」と報じた。

アメリカではデジタルTVへの移行計画を強行せず、現実に合わせて延期した経緯がある。おそらく、日本の当局には、アメリカではデジタル化の計画を延期したが、日本は計画通りやったと胸を張りたいというさもしい根性がなくはないか。それをやったのがオレだ。オレ、オレという自己顕示欲にとりつかれて、福島原発事故の二の舞を繰り返すユトリはないのである。地デジ化未対応は、高齢者や貧困世帯が多いという。中小企業では不況で地デジ対応の金も工面できず、天気予報の情報等はラジオでとらざるを得ないというWEB情報もあった。現に、福島原発事故による「放射能難民」は多数発生している。それに加えて、「地デジ難民」が生まれる現実性が強まった。世界中にはTVデジタル化未実施の国も多い。それらの国は先行事例を詳細に研究するだろう。電波政策の日米比較や世界の事例比較で、日本は再度、福島原発事故のような歴史に汚点を残すような愚挙を世界にさらすことにならないか。政治には大局観が不可欠なのである。

以下本題。

かみつけ女流歌人 雅:塩の道

歌題=塩の道:

■四季折々に 峰を峠を 越えにけむ 塩売り歩荷も 遠き世の人 107 渡邊 文子

古来塩は貴重品であったが、塩の歴史や塩売り歩荷に眼を向けさせる一首。

2011年6月15日 (水)

かみつけ女流歌人 雅89

2011/6/15
昨日は昼間は晴れた。自転車で外出。たんぼの麦は黄金色に色付き、麦秋を迎えていた。田植えも、水が巡ってくる上流から始まるようだ。たんぼの位置や種々の条件により、田植えの時期も色々変化があるようだ。家の周辺ではどくだみの白い花が咲いている。

昨日の天気

TAVE= 22.0
TMAX= 25.7
TMIN= 18.4
DIFF= 7.3
WMAX= 4.3
SUNS= 5
RAIN= 3

ざっそう句:麦秋

■麦秋の海にさまようヒバリの子

毎日新聞は、「福島第1原発:作業員内部被ばく100ミリシーベルト限度;url=http://mainichi.jp/select/jiken/news/20110614k0000e040069000c.html(毎日新聞 2011年6月14日 13時06分(最終更新 6月14日 14時20分)

))」というタイトルで、「東京電力福島第1原発の緊急作業で、被ばく線量が限度の250ミリシーベルトを超えた東電社員が新たに6人判明し、計8人となった問題で、細川律夫厚生労働相は14日、内部被ばくで100ミリシーベルトを超える作業員を作業から外すよう東電に指示した。」、「同省によると、原発事故を収束させる緊急作業には、震災以降これまでに計約7800人が従事。東電は、このうち線量が高いとみられる震災直後から従事していた3726人について暫定的な被ばく線量の確定を急いでいる。しかし、震災発生から3カ月が経過した13日の時点でも報告は2367人どまりだ。」と報じた。

この記事で、新たな東電社員の被曝が6名だと分かるが、原発事故現場で作業した作業員は約7800人とある。放射線量の多い過酷な環境では、多数の東電社員以外の下請け企業や臨時雇いの作業員働いているとの情報もある。これらの作業員の被曝はどうなのかさっぱりわからない。これらの作業員の被曝量を測定もしないで使い捨てにされるとなるといったいどうなっているのかと思わざるを得ない。

相変わらず、気になるのが東京電力の動向。東京電力の保有する尾瀬の土地は売却の対象にはなっていない様子だ。県も売却しないよう要請している。東京電力の今年の株価の変動は、年初来高 2,197(2011/02/23) 、年初来安 148(2011/06/09) とのことだ。その山と谷の比は15倍弱になる。

東京電力ホームページの株主・投資家のみなさまというページに平成23年6月28日に第87回(平成22年度)定時株主総会が開催されるとのアナウンスがある。この総会の3号議案に株主402名から提出された定款の一部変更があり、原子力発電からの撤退案が提出されているのが分かった。この株主総会でどのような審議が行われるか注目される。経営陣の株主に対する経営責任はどうなるのか。この点も注目すべき点だろう。優良株が、紙切れ同然になろうとしているのに経営責任の議論が全く聞こえないのも不思議だ。報道各社も株主から「原子力発電からの撤退案が提出されている」というような内容を報道しても良いのではないか。報道各社が東京電力の広告費という麻酔薬に呪縛されているのか。報道力の弱体化も日本の弱体化に通じる。

以下本題。

かみつけ女流歌人 雅:あさがお

歌題=あさがお:

■山の夜は 明けの近きか 冷え来たり 夫の温みに ひそとより添う 89 本多 うめ子

寄り集まって寒さをしのぐのは動物の習性のようだが、それを歌に高めるのは至難の業。

2011年6月14日 (火)

読みかじりの記:グーグル Google 既存のビジネスを破壊する 佐々木俊尚 著 (2006年 株式会社 文藝春秋)

2011/6/14
昨日は曇り。雨は未明に降ったようだ。草むしりとミニトマトの支柱。雨が降ると草の伸びが早い。竹やぶへ行ってみるとタケノコが出ていた。マダケなのでモウソウ竹より出るのが遅い。雨後のタケノコというように、1m位伸びているのもあった。数本収穫。竹も処置に困っているが、ともかく一年一回の有り難さもある。

昨日の天気

TAVE= 22.8
TMAX= 26.7
TMIN= 19.5
DIFF= 7.2
WMAX= 3.5
SUNS= 2.3
RAIN= 6.5

読みかじりの記:グーグル Google 既存のビジネスを破壊する 佐々木俊尚 著 (2006年 株式会社 文藝春秋)

文藝春秋の「藝」という漢字を入力するのに手間取る。そんな場合、NET検索をかけてそこからコピペする場合がある。確かに、NETは便利である。かつて、日本発の検索エンジンもあったようだが、現在はGoogleが一人勝ちの状況ではないか。本書によるとGoogleが生まれたのが1998年との事だ。人間で言えば今は中学生の年頃だろう。WIN98というOSを思い出す。自分がNETを本格的に使い始めたのもWIN98のころからだろう。GoogleがIT技術の成長と共に成長したように見える。本書を読んでGoogleの収益構造か広告にある事が理解できた。しかし、その広告費は最終的には広告を出す企業の広告費として、消費者等のサービスを受ける側に転化される。

本書の前半はGoogleのビジネスの分析・紹介であるが、後半はGoogleの目指すビジネスについて述べている。大抵、未来論はバラ色なのだが、最近は未来論自体が流行らず、あえて未来論になると灰色にならざるをえないような傾向が見える。Googleの計画は情報化出来るものは全て情報化して支配下に納めるという遠大なものようだ。確かに1テラバイトのHDDが1万円の時代になり、だれも拾わない1円で数メガバイトの情報を保存できる。やはり、このような技術とその動向を確実に自分の物にして行かないとビジネスとして成立しないのが現代なのかも知れない。Googleの検索技術は相当優れているという情報はあるがその実態は不明である。

ただ、コンピュータも汎用品を使い、ハードよりソフトで勝負しているようだ。ソフトで一番重要なのがコンセプト。これこれのハードとインフラがあれば、こういう仕事ができるという発想をして、それをベンチャーから立ち上げる。そういう点では、日本はまだ立ち後れているように見える。本書はライブドア事件の強制捜査を見ながら2006年に脱稿されたとあとがきにある。最近ソニーの顧客情報流出の問題があった。これもNET社会の負の一面かもしれないが、NETは単なる電力網として電力だけを通す媒体ではなく、情報を通す媒体・インフラである点が重要だ。インターネットも草の根的な善意を前提の広がってきた歴史がある。このインターネットに流れる情報に色を付けたり、情報を選択するフィルタリングや情報のゲートを設ける事は許されるのかという問題がGoogleの中国からの撤退問題で話題になった事がある。神となった巨人は表から見えない裏の帝国を支配するのか。情報の操作という未来を考えると灰色や暗いイメージが浮かんでしまう。

ともかく現在は多数の同類企業が地球上に共存できないほど地球や市場が小さくなってしまった。事実上の独占が常態になりやすい。そこに何が生じるのかはなかなか見えないが、その現実からは逃れられない。日本のヤフーがGoogleと提携しGoogleの検索エンジンに切り替えたのが今年の事だったと思う。日本は既にこの分野から撤退したのか。ともかく、色々な検索エンジンがあった方が利用する立場からは有り難い。自分が興味があるのが、コンピュータによる自動情報解析。Googleサイトは多国語に対応。翻訳等も可能だ。こうなると言葉自体も支配されそうな気配がしてしまう。Googleのサイトをて取り交わされる情報は全てGoogleのコンピュータに吸い取られるのではないか。

以下本題。

かみつけ女流歌人 雅:遺跡巡り

歌題=遺跡巡り:

■歩みこし 五十余年を 共に生きて 夢の如くに 去りしよ夫は 46 重田 よね子

夫と苦楽を共にしてきた人生を回顧し、夫の死もまだ夢の如くであると詠った。

2011年6月13日 (月)

かみつけ女流歌人 雅70

2011/6/13
昨日は曇りで農作業には最適な天気。しかし、パソコンの子守のような仕事で終わった。近所の人が紙に書いたメモ程度の通知を持ってきて配った。手書きだったが、パソコンよりこっちの方が数段上ではないかと反省。先日、通路に雨で垂れ下がったザクロの枝を切った。ザクロの花が咲いていた。花の数が少なく気付かなかった。この石榴の木は太い親株が枯れた株元から生えてきたヒコバエを育てたので2代目になる。親株はその周辺をテリトリーとしていたので、死後にそのテリトリーを2代目に渡すように見えて、植物の知恵も人間の知恵とさほど変わっていないように感じる。

昨日の天気

TAVE= 22.9
TMAX= 26.8
TMIN= 19.2
DIFF= 7.6
WMAX= 3.5
SUNS= 0.4
RAIN= 0.5

asahi.comは、「全中、「強い農業」取り下げ TPP先送りで改革しぼむ
;url=http://www.asahi.com/business/update/0610/TKY201106100697.html(2011年6月11日14時27分))」というタイトルで、「今春、国内農業の体質強化に向け、改革路線を打ち出したはずの全国農業協同組合中央会(全中)が、改革案に盛り込んでいた「強い農業」という表現を削除したことが分かった。東日本大震災をきっかけに、貿易自由化論が下火になるなかで、農業の改革機運も急速にしぼんできた。」と報じた。

強い農業とは農業の経営規模を拡大するということらしいが、日本の農業は中規模・零細農家が下支えしているのが現実だ。そこに、票がある。その票を目当ての政策変更は何となく鬱陶しい。

かみつけ女流歌人 雅:五十一年夫と共に

歌題=五十一年夫と共に:

■連れ添ひて 詣でし寺の この石は 初めて逢ひし日 座りたる処 70 津久井 米子

連れ添って座った寺の石が夫婦の人生五十有余年の座標の原点のように感じる歌。

2011年6月12日 (日)

読みかじりの記:日米コメ交渉 市場開放の真相と再交渉への展望 軽部謙介 著 (1997年 中央公論社)

2011/6/12
昨日は朝は雨で午後から晴れて気温が上がった。用事で外出。ついでに買い物。近くのたんぼをみると丁度田植えが終わった後であった。6/10の上毛新聞は第1面で、今年はゴロピカリを越えてあさひの夢の作付けがトップになったと報じていた。昨年の猛暑障害で県育成のゴロピカリで規格外米が大量に発生したのがその理由。ともかく、この季節にたんぼに苗が植わっているとなんとなく気分が休まる。立ち読みした週刊誌には、放射性物質による汚染が懸念される水田でも作付けが行われるとあった。コメは混ぜてしまえば分からないと書かれていた。未だ福島原発事故では気持が晴れない。

昨日の天気

TAVE= 23.5
TMAX= 27.6
TMIN= 19.8
DIFF= 7.8
WMAX= 4.3
SUNS= 2.5
RAIN= 20.5

産経新聞は、「IAEA元事務次長「防止策、東電20年間放置 人災だ」
;url=http://sankei.jp.msn.com/world/news/110611/erp11061120200006-n1.htm(2011.6.11 20:17 (1/2ページ)
))」というタイトルで、「【ロンドン=木村正人】1993~99年に国際原子力機関(IAEA)の事務次長を務めたスイスの原子力工学専門家ブルーノ・ペロード氏が産経新聞のインタビューに応じ、福島第1原子力発電所事故について「東京電力は少なくとも20年前に電源や水源の多様化、原子炉格納容器と建屋の強化、水素爆発を防ぐための水素再結合器の設置などを助言されていたのに耳を貸さなかった」と述べ、「天災というより東電が招いた人災だ」と批判した。」と報じた。

確かに、モンスターのように巨大になってしまった企業はどこからも批判にさらされやすい。しかし、所詮企業はバーチャルの存在であり、万能の知恵を持ち合わせていない弱い人間の寄せ集めに過ぎない。かつては共同幻想等という言葉が流行っていた。その幻想も現実がうち砕く。そこからまた新しい一歩が始まるのではないか。

読みかじりの記:日米コメ交渉 市場開放の真相と再交渉への展望 軽部謙介 著 (1997年 中央公論社)

官邸のホームページは、総理の動きとして「FTAAP・EPAのための閣僚会合;url=http://www.kantei.go.jp/jp/kan/actions/201101/19ftaap.html(平成23年1月19日)」というタイトルで、「平成23年1月19日、菅総理は総理大臣官邸で、第2回となるFTAAP・EPAのための閣僚会合に出席しました。 菅総理は本日の議論を踏まえ、「6月を一つの目途にTPP交渉参加の是非について一つの方向性を出していただきたい。それでもぎりぎりの日程ではないかという御意見もありましたけれども、そうしたことを全てこの会が最終的に責任を持つ形で国民の皆さんにしっかりと説明ができる形を採っていただきたいとこのように思っております。
 この問題は日本のこれから10年、20年、30年後を見据えての避けて通れない課題であり、これを積極的に超えていくことで日本の将来がありうる、このように考えております。
 いずれにいたしましても、この「平成の開国」を前向きに推し進めることができるように一層の御努力を、心からお願いします。」と述べました。」と報じた。

TPPが日本の農業に及ぼす悪影響が懸念され農業者や農業団体から猛烈な反発の声が上がった。その詳細が明らかになるにつれて、それが日本の農業だけでなく、あらゆる産業に及ぶことが懸念されてきた。このような重要な国策が一国の総理のパフォーマンスとして唐突に浮上してきたことに国民の不信感が広がったのも事実である。方向性を見極める期限を迎えたが、大震災でその先行きは怪しくなっている。総理の退陣で消えてしまうのか。一国の産業を揺るがす政策があぶくのようなものであってはならないだろう。重要な基幹的な国策は、災害があれ、何があっても粛々と遂行されねばならない。その時々の暫定的な課題に影響を受けるべきではないだろう。

本書は1993年12月15日を交渉期限としたウルグァイ・ラウンドの中の「日米コメ交渉」の内幕を新聞記者の目で再構成してみせた報告書である。日米コメ交渉は、多国間の国益を調整する多国間交渉の一部にすぎないが、100カ国が関係する交渉全体がまとまるか否かを決める要因でもあった。本書では、米国、日本、欧州の三極を中心に交渉の経過がまとめられているが、農業が各国の基幹産業である、その農産物の輸出入に関する国益の追求という交渉が生々しく描かれている。しかし、外交交渉はまさにバルカン政治の一面を有し、GIVE & TAKEと駆け引きの中で行われ、それが一般に公表されることは例外にすぎない。著者は関係者へのインタビューと米国の情報公開法により入手した情報を分析して本書を仕上げている。

この交渉時、米国は民主党クリントン政権が生まれて交渉の完結に意欲を示してゆく。日本では細川内閣がこれを担当した。結果としては、コメの関税化は回避したが、ミニマムアクセスとして外国産のコメを限定的に輸入するとう約束を受け入れた。将来への懸念事項として、妥協の産物として挿入された玉虫色の付帯条項が日本をどのように拘束するか考察している。

「細川内閣;url=http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B4%B0%E5%B7%9D%E5%86%85%E9%96%A3;(最終更新 2011年5月22日 (日) 09:20 )」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』(http://ja.wikipedia.org/)。の記事に「細川内閣(ほそかわないかく)とは、細川護煕が第79代内閣総理大臣に任命され、1993年(平成5年)8月9日から1994年(平成6年)4月28日まで続いた日本の内閣である。在任期間は263日間。非自民・非共産連立政権のこの内閣の発足により、1955年(昭和30年)の結党以来38年間政権を維持し続けた自由民主党は初めて野党に転落した。」

本書によると、このコメ解放の交渉過程や妥結内容等は一般国民の知るところではなく、政府が発表した調停案からも不都合な部分が削除され物議をかもした事が述べられている。連立政権にひびが入るのをおそれた結果不透明さが増したようだ。

著者が終わりにで述べている事で印象に残った部分を幾つか以下に引用する。
○「ウソをつく政治家や官僚は米国では最も軽蔑される。交渉の途中であるとか、結論を外部に言えない時は基本的に「ノーコメントを貫きとおすのが原則だ。」
○「細川首相以下、日本政府の関係者は実は微妙な言い回しを使っている。例えば、「現時点で合意などしていない。云々~。」などという言い方だ。そしてこれらの表現はきわめて厳密に考えれば実はそのとおりなのだ。」
○「だが、官僚の論理に即したこのような修辞は、国民をミスリードする以外の何物でもなかった」

何とも現政権の現実と似た部分が多いか。最後に、著者はこの「コメ解放」という重大ニュースをスクープ出来る最前線にいたがそれを取り逃がしたという苦い経験を語っている。しかし、当局が流すニュースの後追い程度の記事を書くことに甘んじることなく、取材活動を続けその失敗を元に重大ニュースが生まれる過程を検証してレポートにまとめた著者の記者魂に脱帽する以外にない。尚、日本が主張した食料安保に関する事項も合意案にあるとの事だ。また、1993年の冷害による予期せぬコメの輸入等本書から考えさせられる事は多い。

以下本題。

かみつけ女流歌人 雅:秋の蚊

歌題=秋の蚊:

■我が名呼ぶ 声に目覚むる 幾夜重ね このやうにして 馴れゆく独りに 13 飯塚 里美

夫との死別という現実を受容するにいたる心の波動をとらえている。

2011年6月11日 (土)

老人の寝言:原発も人間も信頼性回復が復興の原点だ

2011/6/11
昨日は大体曇り。伊勢崎市の気温:最高気温(℃) =26.8 at13:50 (AMEDAS)。蒸し暑く感じた。前橋市の湿度は50%台。爽やかな天気だった6日は30%台。最近湿度が気になりだした。梅雨で仕方ないのか。AMEDASの伊勢崎市データには湿度項目が無いので前橋市のデータを参照。雨という予報に期待して苗移植。実生の栗の花が咲いている。花は見ずにニオイだけで分かる。桃栗三年と成長が早い。直ぐに大木になりそうで要注意。最近、皮のむきやすいポロタンと白栗という品種を植えた。棘無し栗も植えている。これらの栗はまだ実を付けていない。栗は管理の手間は余りかからないが、飽食の時代で人気は今ひとつ。

昨日の天気

TAVE= 22.6
TMAX= 25.6
TMIN= 18.5
DIFF= 7.1
WMAX= 2
SUNS= 0.2
RAIN= 0.5

老人の寝言:原発も人間も信頼性回復が復興の原点だ

本日で東北地方太平洋沖地震発生後3ヶ月となった。振り返ると、地震、津波、福島原発事故の三重苦に風評被害、政界混迷、人災等の二次災害を加えた4重苦となり、収束の目処が依然立っていないように見える。

YOMIURI ONLINEは、「東電社員被曝、2人が600ミリ・シーベルト超
;url=(http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20110610-OYT1T00895.htm))」というタイトルで、「東京電力福島第一原子力発電所の30代と40代の男性社員2人が緊急作業時に認められる被曝(ひばく)量の上限250ミリ・シーベルトを超えた問題で、東電は10日、さらに50代の男性社員1人について上限を超えた恐れが高いと発表した。
30代と40代社員の被曝量は、それぞれ678ミリ・シーベルトと643ミリ・シーベルトに確定した。 厚生労働省は同日、労働安全衛生法違反で同社に是正勧告した。今後、限度を超えて被曝した作業員が出た場合、書類送検も検討するとしている。」と報じた。

悪い情報は、事後の忘れた頃、最早為すべき処置なしの頃に、小出しにされるだけだ。復興基本法案は10日衆議院で可決されたが、震災後既に3ヶ月が過ぎている。「会議は踊る、されど進まず」という言葉があるが、まともな会議があったのか。色々な意見が出るのは結構だが、それをまとめてゆくのがリーダーシップだろう。大多数のリーダー達がアドバルーンのように意見をぶちあげて、その反応を見て行動を決めるような行動パターンを取っている。これは、一種のフィードバック系であり、応答に遅れが生じ外乱に影響されてしまうのである。従って、リーダーと自認している者の言葉が日々コロコロと変わってしまう。リーダー達の言動に信頼感が無くなっている。内閣総理大臣は責任を全うするまで辞任はしないと国会で答弁している。仲間内からペテン師云々という誹謗が飛び出した後でもそんな状況だ。言う方も言われる方もリーダー失格ではないか。言ったことが全てなら分かりやすい。しかし、言わないことに本音がある。全く腹芸の世界そのものが依然まかり通っているのが日本の現状だ。震災後既に3ヶ月が過ぎたが、根本的な事態は動いていない。東北地方は飢饉、冷害、地震、津波等の自然災害を乗り越えてきた。自然災害なら仕方ない、また出直ししようという希望もある。しかし、リーダー達の不作為は失望以外の何者でもない。自然は時には厳しいが、自然に身を任せ最善を尽くせば嘘をつかずに答えてくれるという信頼感がある。このような自然を前にして、現代日本のリーダー達の信頼性の乏しさと器量の矮小さは嘆かざるを得ないのではないか。

以下本題。

かみつけ女流歌人 雅:里の小道

歌題=里の小道:

■わが裡に  秘むる思い出 湧く日あり 窓赤く灼く 今日の夕映え 62 多賀谷 トク

裡は内外の内。秘めたる思い出が自分心身のうちから湧き出すような躍動感を味わうべき歌。

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    刃物という視点で多くの事例が取り上げられている。刃のある道具の理解にも役立つ。類書が少なく貴重な一冊。「すべり変形が切断の原理」という考え方で説明している。
  • 沼田 真   : 植物たちの生( 1972年 岩波新書(青版 833))
    「ご要望にお応えしてアンコール復刊(1988年岩波新書50年記念復刊) 地球生態系の中で自然を見直す」(腰巻きのフレーズ)。植物の知恵と戦略に人類は勝てるのか。
  • 出町 誠: 14_NHK趣味の園芸:よく分かる栽培12ヶ月  カキ(NHK出版2007年)
    初心者向け柿栽培参考書(新版)。旧版と比較すると楽しい。
  • 中村三夫: 13_NHK趣味の園芸:作業12ヶ月  カキ(NHK出版1996年)
    初心者向け柿栽培参考書(旧版)。新版と比較すると楽しい。
  • 山科正平: 12_細胞を読む   電子顕微鏡で見る生命の姿
    細胞はどんな部品からできているのか。そんな疑問に答えてくれる一冊。何事も形を見るのが第一歩。μからÅオーダーの世界で、細胞をメスで解剖するように、電子顕微鏡というメスで解剖して見せてくれるので興味が尽きない。
  • 柳田充弘: 11_細胞から生命が見える
    著者の専門は分子生物学、細胞生物学。普段生物を考えても細胞レベルで止まってしまう。その細胞の中で色々な分子が働いている。細胞こそ生命の基礎だが、その細胞の中の動きを知るのに最適な一冊。疑問の発端はなぜ発根剤が効くのかということ。薬剤が細胞膜を通過して細胞内で分子と分子が作用するイメージができた。本書でできた細胞のイメージは小さな無数の穴が空いた水分が充満したヨーヨーのようなもの。そのヨーヨーの中に分子部品が詰まっている。細胞自体もタライの中のヨーヨーのように浮かんでいる。細胞図面の空白部は真空でなく水分だ。細胞の内外に水がないと細胞は生きられない。水が生命のゆりかごだ!
  • 野口悠紀雄: 10_ホームページにオフィスを作る(2001年 光文社)
    ITが輝いた時代の作品。HPの活用法は参考になる。参考:url=http://www.noguchi.co.jp/(野口悠紀雄 ONLINE)
  • 小池洋男 編著: 09_果樹の接ぎ木・さし木・とり木(農文協:2007/3/31第1刷)
    やや専門的であるが、実務専門化が分担執筆しており、その場で役に立つ一冊。
  • ノーバート・ウィーナー(鎮目恭夫訳): 08_サイバネティックスはいかにして生まれたか(みすず書房1956)
    情報と通信という現代社会に不可欠の基礎的な学問を作った著者の自伝とそれを通した科学史
  • 沼田 真(編): 07_雑草の科学(研成社1979)
    雑草を多面的に解説し防除の基礎も述べる

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    POST IT :ブログ画面への張り紙に使える。
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    2010/8/4:MEMO等の表示に使える。 農作業で気になる自戒の言葉 ■畑の石ころはいつまで経ってもても石ころ(早く拾って片づけよという意味か)。 ■同じ石を二度拾うな(やってみると難しい)。 ■手ぶらで歩くな。 ■三つ先のことを読め。 ■適当な観察。 ■空を見よ(気分転換、休憩、天気を読む、腰曲がり防止)