333_ハトよ 鳴いておくれ

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2013年8月 2日 (金)

ハトよ 鳴いておくれ;愛しき古里:交通の要衝 北関東自動車道と上武道の交差点付近の変貌

2013年8月2日(木)
昨日は曇り時々晴れ。最高気温(℃) 31.9 15:37。ざっそう句:携帯の アンテナ立てる マル秘ワザ。オクラ、下仁田ネギ、ゴボウ区画の除草。オクラ、下仁田ネギは成長中なので鶏糞散布。湿度が高い:AMEDAS前橋の正午までの最小値が79%。葉裏から蚊が多数飛びだして攻撃してくる。今年初めてトウモロコシ数本収穫。無農薬・無肥料だがマアマアの出来。かみさんと賞味。午後携帯ショップへ。月数回しか使わない携帯をどうするか悩みの種。とりあえずショップで情報収集。今回は家電量販店で男性の係りが対応。公開されていないキーを操作すると何とまたアンテナが立った。聞くところによると最新の機種でも同じ様な症状がでる場合があるとの事。とりあえず持ち帰り様子をみる事にした。夕食後、子供屋台の練習応援。だんだん盛り上がってきているように感じる。

2013年8月1日の天気(AMEDAS)

TAVE= 26.5 NO DATA
TMAX= 30.7 最高気温(℃) 31.9 15:37
TMIN= 23.6 最低気温(℃) 23.4 06:35
DIFF= 7.1  
WMAX= 3.3 最大瞬間風速(m/s)(風向(16方位)) 7.2(東南東) 20:46
SUNS= 2.7 NO DATA
RAIN= 1 NO DATA

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ハトよ 鳴いておくれ;愛しき古里:交通の要衝 北関東自動車道と上武道の交差点付近の変貌

先日の参議院選挙の日、出かけたついでに、旧五目牛町の町名の由来と言われる牛石まで足を伸ばした。粕川には北関東自動車道と上武道の両方の橋がかかっており、両道路は粕川右岸で交差する。北関東自動車道と上武道の工事に伴い、その周辺の発掘調査が行われ報告書が発行されている。

発掘調査によれば、石器時代から今日まで文明が連続している事が分かっている。出かけたついでに、どのような地形なのか見てみようとしていたが、古代史の手がかりになるものは見つからなかった。発掘調査報告書等から辿る以外にはなさそうだ。

「残照雑記:「国定忠治終世の地大戸見学日程」の思い出(2)=一倉家の墓地(http://af06.kazelog.jp/itoshikimono/2013/06/2-511d.html)。(2013年6月27日(木))」

その代わりに、北関東自動車道と上武道の橋の部分を裏側から見ることができた。地形の高低差を吸収するため、橋の構造は河川の上だけでなく、その両側が地面に接するまで続いているのだ。

WIKIPEDIA「上武道路。(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%8A%E6%AD%A6%E9%81%93%E8%B7%AF)」によれば、「沿革[編集]:1970年度から国道50号以南22.4kmが事業化。工事開始は1975年度からである。1981年から、群馬県太田市安養寺町(当時は新田郡尾島町安養寺)の国道354号から前橋市今井町の国道50号にかけての区間が順次開通した。」

WIKIPEDIA「北関東自動車道。(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8C%97%E9%96%A2%E6%9D%B1%E8%87%AA%E5%8B%95%E8%BB%8A%E9%81%93)」

何世紀か後に、これらの巨大構築物が廃墟とならないとも限らない。その時は、昔の里山のような風景が出現するのだろうか。折しも、国道462号線も本関町区間で4車線拡幅工事中で、交通の要衝 北関東自動車道と上武道の交差点付近は、まだまだ変貌の途上にあるようだ。国道462号拡幅工事では、樹木も相当数伐採され、空が開けたような印象も受けた。 この周辺は古代史の宝庫でもあるが、現代人にとっては、古代史から何が学べるのか。
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地図はマッピング群馬から引用。

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2013年7月17日 (水)

老人の寝言;ハトよ 鳴いておくれ:伊勢崎市 市民体育館前広場のモニュメントをもっとしっかり見たい!

2013年7月17日(水)
昨日は晴れ。最高気温(℃) 31.2 13:47。ざっそう句:選挙カー 大通りだけ 駆け抜ける。参議院選挙が終盤に入ってきた。それでも何か盛り上がりが欠けているようだ。小豆の種蒔きをした。昨年より1月ほど遅い。昨年は莢の中に虫が進入し、種子被害が多かった。害虫の活動時期をずらせれば対策できるのか。ともかく、今年の種子は確保できた。今年は食べられる程度の収穫を期待したいが。品種は多分大納言。区画は昨年と同じ。

2013年7月16日の天気(AMEDAS)

TAVE= 25.7 NO DATA
TMAX= 31 最高気温(℃) 31.2 13:47
TMIN= 21.5 最低気温(℃) 21.4 05:42
DIFF= 9.5  
WMAX= 3.6 最大瞬間風速(m/s)(風向(16方位)) 7.9(東南東) 12:50
SUNS= 6.4 NO DATA
RAIN= 0 NO DATA

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老人の寝言;ハトよ 鳴いておくれ:伊勢崎市 市民体育館前広場のモニュメントをもっとしっかり見たい!

4月末頃、華蔵寺公園を一人で散歩した。遊園地から沼の堤を通ってテニスコートとプールを覗いて、市民体育館前広場まで来た。市民体育館は改修工事で閉館になっていた。伊勢崎市のホームページによると、耐震強化の改修工事で平成26年3月頃までかかりそうだ。市民体育館の前が広場になっており、そこに青少年の群像が立っている。

この群像に何か名前があるだろうと探したが、チェーンの囲いの外からでは確認できなかった。チェーンの囲いの中に入って入れば分かったかも知れないが。デジカメに写した文字は、一部しか読みとれなかった。像の数は、中央の高い塔の頂部で中心になる三体と、囲いの中の敷石上に脇役になる三体づつのが三グループあり、合計で12体である。躍動感とスポーツ賛美を象徴しているような像なので、囲いに沿って広場を一周するとたっぷりと鑑賞できる。

そうして、市民体育館の向かいに陸上競技場がある。すこしくたびれた外観だが、懐かしい思い出がある。町内対抗の子供駅伝大会で優勝したことだ。すでに半世紀以上前なので、この陸上競技場だったのかははっきり覚えていない。当時の、写真を思い出すと、頭は丸刈り、半袖シャツに白いパンツだったと思う。履き物は白足袋のような物だった。

念のため、Googleで「伊勢崎市 市民体育館 広場 モニュメント」で画像検索して見たが、ヒット件数が余りにも少ないのにはショックだった。WEB検索に切り替えて検索すると「約 270 件 」ヒット。そのトップが『あだち充の見る伊勢崎Vol.4「H2 エイチツー」/「華蔵寺公園内(陸上競技場・市民体育館・テニスコート周辺)」(http://www.imap.ne.jp/news_detail/page/240/1241)』であった。

陸上競技場の方向に向かう群像台座の後部に「スポーツ~」と読める文字が刻まれているが残念ながらデジカメデータからは全部読みとれない。想像を加えて読むと「スポーツ都市宣言記念」かもしれない。

伊勢崎市ホームページによると、『「○スポーツ都市宣言 平成18年12月20日 告示第150号:平成18年12月20日本市議会の議決を経て、次のとおり本市がスポーツ都市であることを宣言します。; スポーツに親しみ、スポーツをとおして健康な心と体をつくり、友情とふれあいの輪を広げることは、明るく健全な社会をつくる大きな力になります。 わたくしたち伊勢崎市民は、一人ひとりが生涯を通じて健康で生きがいのある充実した生活を営み、笑顔と活力あふれるまちを築くため、ここに「スポーツ都市」を宣言します。(http://www.city.isesaki.lg.jp/reiki_int/reiki_honbun/r084RG00000822.html)』とある。

そうすると、あの群像台座は平成18年頃作られたのだろうか。あの群像がいつ頃できたのか記憶が定かではないが、平成18年では最近過ぎるようにも思われる。あだち充氏の記憶ももっと古いのかもしれない。改めて、撮影した沢山の画像を見ると、多くの人々の記憶の中に何らかの形であのモニュメントが残っているのではないかと感じた。スポーツ都市宣言と市民体育館前広場のモニュメントの関係はまだ謎のママ残っている。

モニュメントは何かの機会にそれとなく見る。そうして、また何かの機会に見たり思い出したりする。いわば、生きていた証を感じるための装置でもあるだろう。そう思うと市民体育館前広場のモニュメントはもっと活用されても良いのではないかと思った。記憶は年を経る毎に薄れて行く。立派なモニュメントがあるのだから、もう少し見やすい位置や方法で、モニュメントの名称、作者、作成年月等を表示してもらいたいと思った。市民体育館は工事中で広場の人影はまばらであったが、どうしてもチェーンをまたいで囲いの中に進入する気にはなれない。また、広場に通じる通路では、杖を持ったリハビリらしい二人が助け合ってゆっくり歩いていた。ああ、いい風景だなと思った。
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2013年7月 9日 (火)

ハトよ 鳴いておくれ(愛しき古里;環境雑録):整備が進む伊勢崎駅駅前;レールを活用した旧駅舎

2013年7月9日(火)
昨日は晴れ夕方軽く雷鳴・雷雨。最高気温(℃) 37.3 13:45。ざっそう句:重いシャツ 軽い畑土 汗仕事。朝飯前仕事でオクラに灌水。ゴボウの除草。本葉3~4枚。間違って一本引き抜いたが、まだ根が1~2㎝しか伸びていない。これでは、乾燥に耐えられない。追加でゴボウにも灌水。1時間ほどでシャツが重くなるほど汗をかいた。朝から30℃近い猛暑日になった。朝飯後、ハウス下で、久留米鶏頭と苗箱の除草。セルリ苗ポット上げ。その後退散して宅内閑居。雷雨があり、落雷対策で通信線と電源線を切断。古本の拾い読み。

2013年7月8日の天気(AMEDAS)

TAVE= 29.1 NO DATA
TMAX= 36.3 最高気温(℃) 37.3 13:45
TMIN= 25.5 最低気温(℃) 25.5 05:10
DIFF= 10.8  
WMAX= 4.5 最大瞬間風速(m/s)(風向(16方位)) 13.5(北北東) 15:32
SUNS= 9.1 NO DATA
RAIN= 1 NO DATA

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ハトよ 鳴いておくれ(愛しき古里;環境雑録):整備が進む伊勢崎駅駅前;レールを活用した旧駅舎

五月初めに町歩きをして伊勢崎駅に立ち寄った。駅前の整備も進み、新しく区画整理された場所に交番、店舗等が立ち始めていた。道路も仮設らしく、しばらく駅前の変貌が続き、その後新しい伊勢崎駅前が現れてくるのだろう。

旧駅舎を見学した時、駅舎に鉄道のレールが使われているという説明を聞いた。何年も旧伊勢崎駅を使った経験があるが、明確に気付いていなかった。多分、何となくレトロだと思いつつ漠然と駅舎の外観を見ていたのだろうが。

とりあえず、消えてしまう駅舎の記憶として駅前の目立つ位置にあったレールの柱をデジカメに収めた。同じ時、玄関のひさしの部分にあったツバメの巣や、巣を保護する板が取り付けられていたのも撮影。旧駅舎の玄関口にはツバメの巣がいくつかあり、駅員は客に糞までサービスしないように細かな配慮をしたようだ。

ツバメとしても、適度に人が往来する場所に巣を作るのが安全と知っているのだろう。新駅舎の玄関口がどうなるかは、はっきりしないが多分ツバメは入れ込めないような構造になるのではないかと思う。ツバメだけでなく、鉄道乗客以外の一般人も気軽に駅を利用できる仕掛けも大切なようだ。一日、数千から一万人程度の利用では、拡張された駅前広場は現在より閑散としてくるだろう。ゴーストステーションにならないよう願うばかりだ。

駅が、余りにも近代的・機能的になりすぎるとそれにつれて人間の方もそのペースに合わせられてしまいそうだ。もう少し、ユトリ、アソビがあっても良いのではないか。それにしても、駅の価値を決めるのは第一に駅の利用客だろう。利用者数の増大・減少が今後の駅利用の大勢を決定するだろう。WIKIPEDIAで伊勢崎駅の利用者数を調べると2000年から2011年まで、目立った増減はない。微増の傾向が出始めているようにも見えるが。その要因を分析して、早めに利用者数増大対策を実施する必要がありそうだ。おそらく、今後とも市内の利用者の増大は限定的だろう。市外からの来客を増やすには伊勢崎自体の魅力度を向上させる必要があるだろう。
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DSC(左から):周辺新築家屋、新駅舎、旧駅舎、新交番、駅前イメージ、WIKIPEDIA客数推移。
駅前イメージ図は伊勢崎市ホームページからの引用。

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2013年6月29日 (土)

ハトよ 鳴いておくれ(愛しき古里):お富士山古墳の石棺を見て広がるイメージ

2013年6月29日(土)
昨日は朝雨後晴れ。最高気温(℃) 25.4 16:29。ざっそう句:あの店の 看板いつか 外国語。朝飯前にタマリュウの改植続行。まだ終わらない。朝飯後に定例の仕事。ついでにP区画の除草。背が高くなるヒメジョオン等を抜く。それから用事外出。用事の前後に買い物やタウンウォッチング。昔馴染みの店に入ったらブラジル食品店に衣替えしていた。外国送金を手伝う窓口があった。BANKかと聞いたが言葉が通じない。ブラジルはポルトガル語。ペルーはスペイン語との事。ペルーと言えば日本人の大統領がいたっけと聞くと、フジモリさんネ、病気で刑務所らしいとの事。時代の流れを感じた一時。無料の外国語新聞や雑誌を貰う。おみやげに原産国ブラジルと記された乾パンのような物を買った。ワードが暴走。安定度が良くない。再入力。WZエディターは一度も暴走していない。
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Q:ダミースペース(画像に文字が回り込む)
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Q:ダミースペース(画像に文字が回り込む)
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2013年6月28日の天気(AMEDAS)

TAVE= 21.7 NO DATA
TMAX= 25 最高気温(℃) 25.4 16:29 
TMIN= 18 最低気温(℃) 18.0 05:01 
DIFF= 7  
WMAX= 2.9 最大瞬間風速(m/s)(風向(16方位)) 6.5(東南東) 00:46 
SUNS= 0 NO DATA
RAIN= 0 NO DATA

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ハトよ 鳴いておくれ(愛しき古里):お富士山古墳の石棺を見て広がるイメージ

先日、富士山と美保の松原がユネスコの文化遺産に登録された。富士は日本一の山と親しまれ、昔の銭湯には決まって富士山が描かれていたようだ。まさに、銭湯に入って富士山を眺めいい気分になるのが庶民の楽しみだったのかもしれない。

古墳を見ると、色々なイメージが湧いてくる。WIKIPEDIA「古墳。(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E5%A2%B3)」によれば、「古墳(こふん)とは、一般に日本史上、3世紀後半から7世紀前半に築造された墳丘を持つ古い墓である。古代の東洋では位の高い者や権力者の墓として盛んに築造された。 日本史では、墳丘を持つ墓は墳丘墓と呼んでいるが、この内、3世紀後半から7世紀前半に築造されたものを特に「古墳」と呼んで区別している。」。

古墳が築造された時代が、丁度日本という国が形を持ち始めた時期に重なるため、日本、日本の歴史とも関係して多くの人の関心を集めるのではないかと思う。そういう点で、古墳の見方感じ方は時代と共に変わっているのだろう。

「ざっそう句:古代へのロマン 伊勢崎の古墳群(http://af06.kazelog.jp/itoshikimono/2012/02/post-930a.html)。(2012/2/12(日))」

古墳の謎の多くは、それを文字で記録した証拠が無いことによるのだろう。その記録も、色々な人が色々な観点から記録していれば、それだけ記録の精度は向上する。しかし、古墳築造の時代は、まだ漢字も十分普及していなかった時代のようで、古墳を読み解くには古墳に聞く以外に方法が無いのが現実のようだ。

今年の春、殖蓮史談会の史跡巡りで、「埼玉県立さきたま史跡の博物館 (http://www.sakitama-muse.spec.ed.jp/)」を見学した。お目当ては、「埼玉の国宝の1つ「金錯銘鉄剣(きんさくめいてっけん)」」であった。出土した鉄剣から古墳の被葬者が特定された極めて珍しい例がここに展示されている。早速、説明員にその古墳が出来た頃はまだ漢字が伝わっていなかったのではないかと聞くと、その刀剣を作った人の中に漢字が分かる渡来人がいたのだろうという回答をしてくれた。

パソコンに蓄積してあるデジカメ画像も徐々に記憶が薄れてどのような機会に撮影したのかはっきりしなくなる。残っていたお富士山古墳の写真はたった3枚。2009/11/9のタイムスタンプがあった。同じ日付の八坂用水の画像もあるので、八坂用水を見てから、偶然お富士山古墳へ回ったようだ。古墳の周辺は畑や水田であった。いわば低地にぽつんとある古墳である。水田開発は比較的新しく、昔は里山の風景があったのだろうかと想像した。そうすると、お富士山古墳の周辺には小さな古墳があったかもしれないと想像が膨らむ。

伊勢崎市ホームページには、「お富士山古墳。http://www.city.isesaki.lg.jp/www/contents/1355363671957/index.html(2013年1月4日更新))」というタイトルで、「お富士山古墳は全長125メートルの5世紀中頃の前方後円墳である。両毛線により前方部の一部が切断されているが、前方後円墳の形状をよくとどめている。昭和38年(1963年)群馬大学の学術調査で、墳丘は3段築造され、葺石が巡り、大型円筒埴輪の配列が確認された。後円部頂上の富士神社そばに砂岩製で縄掛突起をもつ県指定重要文化財の長持形石棺がある。」と紹介している。

更に同市は、「お富士山古墳所在長持形石棺http://www.city.isesaki.lg.jp/www/contents/1354006355686/index.html(2013年2月5日更新))」というタイトルで、「長持形石棺は古墳の後円部に置かれる。砂岩製で、全長285センチメートル、幅121センチメートル、重さ6.8トン。長持形石棺は5世紀に畿内の大型前方後円墳にみられ、県内ではお富士山古墳と太田市の天神山古墳で確認されているだけである。形態や制作技法が畿内の石棺と共通し、畿内の工人が東国へ派遣されて製作したと考えられている。」と紹介している。

そこで、国土地理院のウォッチズでその周辺の地形を調べた。その一部をお富士山古墳の石棺写真と連結して引用しておく。ウォッチズは表示した画面にリンク情報(http://watchizu.gsi.go.jp/watchizu.html?longitude=139.17184963728&latitude=36.336920281549)が示されるので、そのリンクから閲覧した方が便利だろう。

その地図をみると、オートレース場の北側で広瀬川と神沢川が合流する地点の数百m北東にあるのが分かる。市の説明に「墳丘は3段築造され、葺石が巡り」とあり、広瀬川の川原石を使うのには最適な場所のようだ。地図の等高線からみるとかなりの平坦地である。平坦地に山が一つだけ見えるという構図はまさに富士山が醸し出す風景に重なるのである。説明板によると、お富士山には富士神社があると記されている。

尚、群馬県埋蔵文化財調査事業団ホームページには、「群馬の遺跡・出土品群馬の遺跡案内 中毛地区お富士山古墳。http://www.gunmaibun.org/remain/guide/tyumo/ohujiyama.html())」というタイトルで、「もっと知りたい!の項で、お富士山古墳のある周辺は、本古墳を中心に市内でも有数の古墳群を形成していました。しかし、現在では開墾されてしまい確認できません。 1981年に国立歴史民俗博物館で石棺のレプリカ制作に伴う型取り作業に際して調査を行い、古墳が作られた年代と、石棺の年代がほぼ一致することから、お富士山の石棺である可能性が極めて高いと報告されています。」と紹介している。

文化庁は「「富士山」の世界遺産一覧表への記載決定について(PDF形式(260KB))(http://www.bunka.go.jp/ima/press_release/)(2013年6月22日)」として、報道発表している。ユネスコに評価されたのは「富士山-信仰の対象と芸術の源泉」という側面もあると思うが、信教の自由という観点か、「信仰の対象」は余り脚光を浴びていないように感じる。

多分、お富士山古墳と日本一の富士山も何かの関係があるのかもしれないと思った。その接点に信仰があったのではないか。古墳自体、仏教という外来思想が広まる前後の日本人の精神世界を現しているのかも知れない。それにしても、石棺に埋葬された被葬者は、自分の墓が暴かれ、遺骸を収容した黄泉の国に通じる頑強な石棺が、展示物件になってされているのを見たらびくり仰天するのではないか。
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2013年6月 7日 (金)

ハトよ 鳴いておくれ(愛しき古里):小さな発見大きな感動:伊勢崎市の旧時報鐘楼の足下にある物は何?

2013年6月7日(金)
昨日はくもり。最高気温(℃) 26.5 15:25。ざっそう句:空梅雨や 週間予報も 雨がない。道路沿いの刈りゴミを撤去。枝切りで残した黒松の新枝を下方に誘引。枝垂れ松らしいので実験。種を播いたホウセンカが数本育ったので移植。夕方M区画草むしり。サクランボの枯れ木を圃場より撤去。数本植えたが全滅。

2013年6月6日の天気(AMEDAS)。

TAVE= 21.9 NO DATA
TMAX= 25.5 最高気温(℃) 26.5 15:25
TMIN= 18.6 最低気温(℃) 18.2 04:38
DIFF= 6.9 NO DATA
WMAX= 2.8 最大瞬間風速(m/s)(風向(16方位)) 6.5(東北東) 16:28
SUNS= 0 NO DATA
RAIN= 0 NO DATA

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ハトよ 鳴いておくれ(愛しき古里):小さな発見大きな感動:伊勢崎市の旧時報鐘楼の足下にある物は何?

伊勢崎市指定文化財となっている旧時報鐘楼は赤石楽舎の敷地内にある。また、赤石楽舎は伊勢崎市立北小学校に隣接している。北小学校は明治初期に学制が始まった時、赤石学校として発足した。北小学校西側で広瀬川東岸に伊勢崎市立図書館があり、この地域全体が歴史のある文教地区と言えるだろう。

赤石楽舎は地域交流センターという位置づけらしい。たまたま、先日行ったときは既に閉門時刻を過ぎていたようで、人影はまばらであった。おかげで、旧時報鐘楼をじっくり見ることができた。

この、旧時報鐘楼は戦争の爪痕も残しているとの事で、それを念頭に煉瓦の色を見ると戦火で焼けて煤で黒ずんだ煉瓦があるのが分かった。もう一つ、時報鐘楼なのに、なぜ鐘が無いのかという謎がある。

殖蓮史談会会長の話によれば、その鐘は戦争用の金属資源として供出させられ、鋳潰されてしまったとの事だ。そこで、同会長氏は、鐘(英語でBELL)が無いという史実をもっと積極的に活用しよう。例えば、旧時報鐘楼がある通りを、ノーベル(英語でNO BELL STREETか)通りと命名して云々と夢を描いている。この飛躍のある発想がユニークだ。

鐘がないなら、今日のシミュレーション技術で、鐘の音を合成してみるのも面白そうだと調査した事があった。既に日本の梵鐘を有限要素法で研究している研究者がいるのが分かった。ともかく、文化財も、その歴史や背景を追求すると多様な活用方法がある事に気付く。

ところで、旧時報鐘楼をぐるりと回って色々な角度から見て、ふと足元を見ると絵入りのタイルがはめ込まれていた。その絵に相当する英語も入っている。小学生から英語教育が行われるという時勢を先取りしている快挙に見えた。更に、円周率の数字を並べたブロックもあった。

田舎老人が小さな発見大きな感動と言っても余り面白みはないだろうが、子供にそれとなく発見の喜びを与える仕掛けというのはあちこちにあっても邪魔にはならないと思う。殖蓮史談会会長は、あのノーベル通りで思索した子供達の中からノーベル賞受賞者がでる可能性もあるのだからともう一つ大きな夢を語った。

ところで、不完全なデジカメ画像が数枚あった。古いデジカメで不調なのかもしれない。一枚だけ真っ黒な画像があった。その画像は何だったか。それを見付けるのは次回の楽しみにしたい。
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2013年6月 1日 (土)

ハトよ 鳴いておくれ(愛しきもの 生き物):波志江沼の怪鳥?

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昨日は晴れ。最高気温() 29.5 14:36。ざっそう句:ペット茶の 差し入れ飲んで 苗植える。昨日のサンコウチョウは三度・四度とほぼ一日鳴いていたが今朝はその声がしない。AMP区画にジニアのポット苗を植えた。真夏日に近いのでたっぷり昼休み。夕方頃からT区画の除草。

平成25531日の天気(AMEDAS

TAVE= 22.6 NO DATA
TMAX= 28.7 最高気温(℃) 29.5 14:36
TMIN= 17.6 最低気温(℃) 16.8 05:23
DIFF= 11.1 NO DATA
WMAX= 4.1 最大瞬間風速(m/s)(風向(16方位)) 8.5(東南東) 12:27
SUNS= 13.2 NO DATA
RAIN= 0 NO DATA

まだ、はながムズムズしている。今年は、花粉もズルズルと飛散しているようだ。
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読売新聞は、「スカイツリー送信移行、7664件が対策必要
http://www.yomiuri.co.jp/entertainment/news/20130531-OYT1T01123.htm。(2013年5月31日23時23分))」というタイトルで、「NHKと在京民放キー局5社の関東地方のテレビ電波の送信元が31日午前9時に東京タワーから東京スカイツリーへ切り替わった後、受信障害などにより東京スカイツリー受信相談コールセンターへ寄せられた問い合わせは、同日午後10時までに1万7792件に上った。 うち7664件は対策が必要とされる。 コールセンター(0570・01・5150)は切り替え後も当面、受信障害などの相談を受け付ける。対策に要する工事費等は放送事業者側が負担する。」と報じた。

東京スカイツリーの最大の機能は電波塔としての機能であり、平成25年5月31日9時に電波発射が東京タワーから東京スカイツリーに切り替えられた。「放送開始は2013年1月頃に一夜切替えとある。」という晴天スケジュールから大幅に狂った。更にその対策に大金を投じる事態になっている。「老人の寝言:東京スカイツリーからの電波発射開始に伴うトラブルへの不安(http://af06.kazelog.jp/itoshikimono/2012/11/post-6473.html)。(2012年11月5日月曜日)」。まれにしかTVを見ない視聴者も多いと思われる。今後の推移に注目したい。


Q
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ハトよ 鳴いておくれ(愛しきもの 生き物):波志江沼の怪鳥?

先日、波志江沼へ行った時、沼の水鳥をデジカメに収めようとした。水門の上で羽を広げたまましばらくジッとしている黒っぽい鳥がいた。そんな格好をなぜ続けているのかよく分からない。

カワウ - Wikipediaへのリンク

大型の鳥だが、沼の中央付近なのでよく見えない。古いカメラの性能も期待できないが、ともかく写してみた。大型の鳥は、やはり大きさに比例した体重があるので、機敏な動作が難しいのか、安全地帯を確保しているようにみえる。

一方、水中の生物を餌にするためには、出来るだけ水辺に近くが有利だ。そういう条件を付けてゆくと、活動範囲は狭まってしまいそうだ。羽を開いているのは、濡れたは重いので、水分を乾燥させて重量の低減中なのか。

カワウ等は、水中で泳いで餌を捕るような行動より、水面に現れる魚類等を見付けた時だけ、餌に突進する行動をとるのだろう。その現場を見たことはないが、見かける位置を考えるとそんな風に見える。

波志江沼環境ふれあい公園は、その名の通り、環境に配慮された公園であって欲しいと思う。そのためには、多種多数の鳥類が集まると、それを見る人も増えるのではないか。八幡沼の弁天島や岸壁には多数の大型の水鳥がいるのを見た。やはり、安全に集まれて、休憩しながら餌を探せて、みつけたら直ぐに飛び込める場所をあちこちに作ってやれば集まりやすいのかもしれない。

波志江沼の弁天島の周囲の高さは、その点で高すぎるように見える。大型の水鳥用のダイビングポストを作ってみるのも面白そうだ。嫌われ者のカワウを保護するのはけしからんという声がでそうだが。

冬の渡り鳥は多数飛来するようだ。何が餌になっているのか。小さな魚類等か。WIKIPEDIA「カワウ。(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%AF%E3%82%A6)」を読むと、カワウに関して知らないことが意外に多いと気付く。その記事に、「餌となるのはほとんど魚類で、潜水して捕食する。捕獲する際には時に1分以上、水深10m近くまで潜水することもある。魚種の選択性はない。近縁種のウミウも同様に巧みな捕食者で、鵜飼いにも利用されるのはよく知られている。」とある。

(画像がコピーされないので追加。)
Bopix_kawau_q_hasienuma_hachimannum


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以上IBM HPBで編集。

2013年5月31日 (金)

ハトよ 鳴いておくれ(愛しき古里):絣の里・円形校舎と円形交流館と四ツ葉学園

2013531()

昨日は曇り後雨。最高気温() 21.7 13:42。ざっそう句:二度聞いて 昔に還る 三光鳥。ゴミ出しのついでと、近所のおばさんが来て長話。その後宅内閑居。ワード作業。コピー代節約のためA3袋とじを試す。今朝、トイレの小窓から三光鳥の声が聞こえた。幻聴かと耳を疑った。念のため、洗面所の窓を開けたところ、二度目の声を聞いた。数十年ぶりではないかと思う。サンコウチョウ - Wikipediaへのリンク。WORD編集:BE下書き+WORD文書⇒保存でフォーマット不正となりHTML編集しかできない。下書きまでWORDに取り込みBEへ貼り付け:画像がコピーされない。)

2013
530日の天気(AMEDAS

TAVE=

20.0

NO DATA

TMAX=

21.6

最高気温(℃) 21.7 13:42

TMIN=

18.6

最低気温(℃) 18.2 23:32

DIFF=

3

NO DATA

WMAX=

4.2

最大瞬間風速(m/s)(風向(16方位)) 9.1(北西) 23:39

SUNS=

0

NO DATA

RAIN=

17.5

NO DATA

Q
Q

ハトよ 鳴いておくれ(愛しき古里):絣の里・円形校舎と円形交流館と四ツ葉学園

絣の里の円形校舎は、統廃合により不要になった旧伊勢崎市立女子校の校舎が市民活動の拠点として再利用されてきたものであった。ユニークな円形をした高校校舎のデザインは市民の記憶の中に残っており、取り壊すのは余りにも勿体ないというのが大方の市民の気持ちだったと思う。

その円形校舎は東北地方太平洋沖地震の影響で被害を受け、診断の結果、利用の継続は断念されたようだ。その時、どのような評価結果でその判断がなされたのか知りたいところだ。とくに、保存対策と補強による対策で継続使用するという選択枝もあったと思う。保存と新築に関してどのような議論があったのだろうか。ともかく、取り壊しになると聞いて、その姿を残しておこうとしたが、いつの間にか取り壊されていた。現代の機械力によれば、取り壊しは作業をはじめれば短期で容易に終わってしまう。コンクリートビルが林立する都会の未来を想像すると、解体撤去が唯一の選択枝ではないと思うのだが。

昔は、ビルと言えば直方体で、味気ない形が多かったが、建築技術の進歩によるのか、最近のビルは個性的な姿になってきた。それを見ながら都会で生活する人もその個性的姿が記憶の底に焼き付けられて行くのだろう。自分のデジカメ画像の中に残っている円形校舎は極少なかった。写真の背景として残っていた。思い出すのは、絣の里で行われた下記の講演会。

「三軒屋遺跡の講演会(http://af06.kazelog.jp/itoshikimono/2008/11/post-3f1a.html)。(2008/11/23)」

年々歳々、スクラップ&ビルドを繰り返しているだけではその地域の歴史の重厚さは残らない。神社・仏閣だけではライバルが多すぎて勝負にならない。これがユニークだと思う物はそれを何らかの形で残すべきではないかと思った。

先日町歩きした途中で、開館直後の新しい円形交流館に入り施設の一部の会議室等を見学した。休日で、周知不足なのか、いたのは職員のみ。振り返ると、旧円形校舎は、当時の伊勢崎市が市民の女子教育にかける意気込みを象徴的に現していたように感じる。今日、伊勢崎市は伊勢崎市立四ツ葉学園中等教育学校に力を注いでいるようだ。

伊勢崎市立四ツ葉学園中等教育学校 - Wikipedia
WIKIPEDIAへのリンク。
四ツ葉学園へようこそ!
:四ツ葉学園HPへのリンク。

制度としての教育の成果が出るのは、一代では短すぎる。少なくても、世代交代が起きてからその成果がじわじわ出てくるのである。その頃、伊勢崎市立四ツ葉学園中等教育学校はどのように変化しているのか。思うに、伊勢崎市民は伊勢崎市の高等学校以上の教育に自信も誇りもないように見える。高等学校以上の教育は市外へ出て間に合わせてしまう。円形交流館へ出かけた時は、旧円形校舎や四ツ葉学園も思い出したいものだ。
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2013年5月22日 (水)

ハトよ 鳴いておくれ(愛しき古里):あれは波志江沼の人気コンビかも(鴨)

2013年5月22日水曜日
昨日は晴れ。最高気温(℃) 30.2 12:52。真夏日になった。ざっそう句:小満や 枯れ梅掘って 汗流す。移植したジニアに灌水。圃場の整理をしながら移植スペース作成。ジニアの残り苗は直に移植。枯らさないよう管理が必要。枯れた梅をツルハシで堀上げた。汗をかく。真夏日なので水分補給に注意。暦には
小満 - WikipediaWIKIPEDIAへリンク):陽気盛ん、万物ほぼ満足云々と書かれていた。夏型の生活パターンに改造する必要がある。

2013年5月21日の天気(AMEDAS)

TAVE= 23.6
TMAX= 29 最高気温(℃) 30.2 12:52
TMIN= 18.7 最低気温(℃) 18.4 03:49
DIFF= 10.3
WMAX= 5.5 最大瞬間風速(m/s)(風向(16方位)) 9.6(東南東) 16:25
SUNS= 9.1
RAIN= 0

Q
Q

ハトよ 鳴いておくれ(愛しき古里):あれは波志江沼の人気コンビかも(鴨)

先日、かみさん等三人で波志江沼周辺を散歩した。大きな犬を散歩させているおじさんと立ち話になった。大きいが利口な犬で人に吠えたりしないと自慢していた。それでも、万一の場合もあるので、ヒモは短くしているとのこと。ふと目を小川と沼の間の堤に移すと二羽の鴨らしい鳥が羽を梳っていた。おじさん曰く、「夫婦なのかいつも一緒だよ」との事。

コンビ鴨は、逃げる様子もなく悠然としていた。こんどは、そこへおばさんらしい女性がやってきて、ビニール袋に入っているペットフードらしい物を小川に投げ込んだ。それを感知した、コンビ鴨はやおら、小川に一匹ずつ飛び込んだ。どちらが先に飛び降りたか、そこまで観察していなかった。流れる餌を、よちよち泳いで追いかけて食べた。そうして、ついに沼まで泳いでいった。

他愛もない事かも知れないが、気楽な気持ちで見ているには面白い風景だ。ところで、コンビ鴨はどんな気持ちで人間を見ているのか気になった。餌付けされているようで、もう人間に慣れきっているかと言えば、そうでもなさそうだ。なぜなら、前方に小川、後方に沼があり、その中間の堤で休憩しているのだが、そこは安全地帯になっている。当然、それを知って、道路側には来ないと思う。我が家の周辺には数匹の野良猫が棲息しているが、やはり安全上人間との必要距離を確保して生活している。

「ガチョウ。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AC%E3%83%81%E3%83%A7%E3%82%A6)。(最終更新 2013年3月26日 (火) 11:19 )」『ウィキペディア日本語版』(http://ja.wikipedia.org/)。の記事に、「概要 [編集]野生の雁(ガン・かり)を飼いならして家禽化したもので、家禽としてはニワトリに並ぶ歴史を有しており、古代エジプトにおいてすでに家禽化されていた記録がある。
」とある。

「アヒル。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%92%E3%83%AB。(最終更新 2013年3月25日 (月) 11:23 )」『ウィキペディア日本語版』(http://ja.wikipedia.org/)。の記事に、「アヒル(鶩、または家鴨)は、水鳥のカモ科のマガモを原種とする家禽で、生物学的にはマガモと同種である。ヨーロッパや中国などで飼育が始まり、飼育が容易なこともあり、世界中で幅広く飼育されている。~」とある。

波志江沼は色々な水鳥が飛来しているようだ。水面近くに頭部を出している水門らしい所に大きな黒い鳥が二羽とまって羽を広げていた。ウとかサギのような大型の鳥だと思う。デジカメで写してみたが、絵にならなかった。小形の水鳥ではカイツブリがいた。こちらは鳴き声に特長があるにで聞き分けができる。かみさんも、目の前であの鳥を見て印象に残ったらしく、あの鳥は「鴨かも」とかオバンギャグを発した。
Bopix_kamox2_hasienuma_5pix_s

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2013年5月21日 (火)

ハトよ 鳴いておくれ(愛しき古里):あの木何の木「イセサキの木」

2013年5月21日火曜日
昨日は晴れ時々曇り。最高気温(℃) 25.3 14:15。ざっそう句:スイカズラ 香りの中に 極楽浄土。圃場整理。花が終わった雑菜を抜いて、そこにジニアの苗を植えた。スモモの枝切り。剪定は冬行うべきだが葉を見て作業。昨年ジニアを植えた場所の除草。こぼれ種が発芽していた。
シークヮーサーWIKIPEDIAへのリンク)も満開。ミツバチもクマバチも集まっていた。スイカズラはついにキンモクセイの木を乗っ取った。キンモクセイも生かしておきたいが。

2013年5月20日の天気(AMEDAS)

TAVE= 20.1
TMAX= 24.1 最高気温(℃) 25.3 14:15
TMIN= 15.7 最低気温(℃) 15.6 04:50
DIFF= 8.4
WMAX= 3.9 最大瞬間風速(m/s)(風向(16方位)) 7.0(南東) 14:40
SUNS= 4.4
RAIN= 0

Q
Q

ハトよ 鳴いておくれ(愛しき古里):あの木何の木「イセサキの木」

樹木で樹種名は分からないが印象に残る木がある。それは記念樹であったり、シンボルツリーであったり様々だが、やはり、その木がある場所や歴史や出来事等と関係していることから記憶に残るのであろう。

「ツルよ 飛んでおくれ(愛しきもの 花と実):この木何の木古墳の木(http://af06.kazelog.jp/itoshikimono/2012/10/post-c6d8.html)。」この記事に書いた古墳の頂上に一本だけ植えられている木は印象深い。樹木に詳しくないので樹種も分からない。当然、知っている人はいるのだろうが、それ相当の価値があるのに広く知られないというのも勿体ないと思う。

先日、花見で波志江沼環境ふれあい公園へ行った。かみさんが幼少の頃、実家へお客に行く時、波志江沼の脇の道を通ったとの事だ。当時の波志江沼は現在ほど整備されていなかったので沼はじっくり見たことはなかったようだ。先日、沼の辺のアズマヤで、コンビニのおむすびをたべながら、沼のさざ波を見たら、日光を反射してキラキラと輝き、実に優雅な風景を楽しめた。

沼にかかる園路橋を西岸から東岸に渡るとき、正面に見える大木がある。その大木の周辺が広場になっており、「みんなの広場」と呼ばれているようだ。もう一つ「けやき広場」というのがあって、こちらはシンボルツリーとしてケヤキが植えられている。それでは、「みんなの広場」のシンボルツリーは何か。その樹種は?今まで、ケヤキだと思い込んでいたが、近づいてみてその樹皮を見るとケヤキとは違っているようだ。葉は高すぎてよく分からない。結局、自分にとって謎となった。

当然、波志江沼環境ふれあい公園の管理部署はご存じの筈なのだろうが。公園を散策すると、現物と違うと思われる品種が書かれたプレートが設置されている例があるようだ。これは、教育的配慮から見ると首を傾げる現象だが、逆に、この「みんなの広場」のシンボルツリーに何の説明プレートも設置されていないのもまた別の謎なのだ。

伊勢崎市のホームページは、「波志江沼環境ふれあい公園。http://www.city.isesaki.lg.jp/www/contents/1000000693000/index.html。(2013年2月15日更新))」というタイトルで、「波志江沼環境ふれあい公園は、市内最大のため池である波志江沼の良好な景観に親しんでもらうため沼の周辺を公園として整備し、約150本の桜が咲く桜の名所として人気がある公園です。沼を周回できる園路はウォーキングを楽しむ人たちでにぎわっています。」と紹介している。それにしても、そっけなさすぎる。「波志江沼環境ふれあい公園」の情報を求めてアクセスするのだから、それなりの情報を提供する義務があるのではないだろうか。

波志江沼環境ふれあい公園は、かつては「合併記念の公園」という名目で整備され、そこに大観覧車を建てる計画が進んだが、市民の反対等で挫折した。その時の、大観覧車の配置位置が丁度園路橋を渡った正面の広場の中央であったように思う。そうすると、あの広場の大木は、大観覧車の身代わりに立っているのだと自分ながら勝手に考えてしまうのだ。結果論としてはそれでよかったと思う。樹木は適した環境では、数百年から千年以上の寿命がある。大観覧車なら長くても100年以上後には寿命が来るだろう。その点、樹木は毎年少しずつだが成長を続ける。その木を見ながら人も成長し、世代交代をしてゆく。

「市の木・花(http://www.city.isesaki.lg.jp/www/contents/1000000561000/files/treeandflower.pdf)」によると、伊勢崎市の「市の木」は『アカマツ・クロマツを含む総称としての「マツ」』が選ばれている。並ではあるが松竹梅は冬の寒さに耐える縁起の良い植物。波志江沼環境ふれあい公園のシンボルツリーを見て、あの木何の木「イセサキの木」と呼んだが、自分にはまだ本当の樹種名が分からない。松でないのはハッキリしている。ケヤキでもなさそうだ。もう少し足繁く通って、どんな花が咲くのか等々観察すれば少しずつ謎が解けてくるのかもしれない。それまで、「イセサキの木」で我慢しよう。
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2013年5月11日 (土)

ハトよ 鳴いておくれ(愛しき古里):八坂用水と粕川サイフォン

2013年5月11日土曜日
昨日は昼晴れ。朝晩曇り。最高気温(℃) 29.4 13:41。ざっそう句:よれよれの 麦わら帽子 出番来る。朝方は定例の仕事。昼間暑くなったので古い麦わら帽子を今年初めて着用。圃場整理。ミカン苗に這い上がった枯れた蔓草等を除去。もう新しい蔓草が育ちはじめている。一年の手抜きが三年以上の生育遅れになる。ジニア苗の除草。メヒシバや雑菜も同時に育っている。本葉2~3葉になった。スイカ等の種を播いたが全滅が多い。スモモに高接ぎしたハリウッドが実を付けていた。同居させて貰っているスモモの方に実を付けさせて欲しいのだが。コンビニプリント用にDSCデータを加工。

2013年5月10日の天気(AMEDAS)

TAVE= 20.8
TMAX= 28.5 最高気温(℃) 29.4 13:41
TMIN= 13 最低気温(℃) 12.2 03:29
DIFF= 15.5
WMAX= 4.7 最大瞬間風速(m/s)(風向(16方位)) 10.6(東南東) 15:41
SUNS= 6.3
RAIN= 0

Q
Q

ハトよ 鳴いておくれ(愛しき古里):八坂用水と粕川サイフォン

偶然、華蔵寺公園で小畠武堯の頌徳碑に遭遇し、八坂用水の事が頭の隅に残っていた。神澤川を横切って樋(とい)で水路を延長した史実には感動する。その八坂用水は東流して粕川に突き当たるのである。その部分はどうなっているのか。

「読みかじりの記(ハトよ 鳴いておくれ;愛しき古里):華蔵寺公園にあった小畠武堯(おばたけ たけたか)頌徳碑(http://af06.kazelog.jp/itoshikimono/2013/04/post-7415.html)。(2013年4月19日金曜日)」

先日、外出したついでに、改めて八坂用水の粕川サイフォンを見た。外見は単なる堰にしか見えない。堰とは水流を分けたり方向を変えたり水量を調整したりする水利施設だ。この粕川サイフォンでは、八坂用水が粕川の下をトンネルのようにくぐっているのだが、想像力を働かせないとそれが見えてこないのだ。

WIKIPEDIA「サイフォン。(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%82%A4%E3%83%95%E3%82%A9%E3%83%B3%E3%81%AE%E5%8E%9F%E7%90%86)」。この記事にあるサイフォンの始動に関する部分は参考になった。

粕川サイフォンの入り口、出口は安全対策の金網等があり、直接見ることが困難であった。改めて「八坂樋と伊勢崎の掘と川(長谷川 龍雄 著)」(昭和63年7月21発行)を開くと、写真集として出版当時の上流から下流までの八坂用水の写真が多数掲載されていた。参考にその中の、粕川サイフォンを引用しておく。粕川の河床下を横切って、東岸の出口の部分が佐波・新田用水の起点になっているようだ。

同書の「(五)八坂用水の開発と小畠武堯の功績」という段にある、小畠武堯の逸話も水利事業を遂行する指導者の責任を語るものであろう。当地区の八幡沼開鑿の指導者川端宇兵衛翁は江戸末期にだが、旱魃対策のため池開鑿に成功した。八幡沼は2014年に竣工150年を迎える。振り返ると、川端宇兵衛翁は小畠武堯の事業も研究していたように感じる。川端宇兵衛翁はいわば民間の人物だが、その水利事業を成功させた。伊勢崎藩に請願書を出して工事の許可を得ている。国定忠次と沼浚いをした西野目宇右衛門は切腹の刑。国定忠次は磔の刑に処せられた。お上の領分であった水利事業を無断で断行?したお咎めという見方もできるかもしれない。それでは、失敗に終わった女堀の開鑿指導者は~と色々想像してしまう。

同書で、著者は、「新水路に水を揚げる当日には、武堯は麻衿の白装束を着用して、菩提寺の善応寺本堂に端座し、刻々と報じられる通水状況に、耳をそばだてていたのであった。漸くにして領界の神沢川に架した八坂樋を、無事通水したとの報に接し、武尭は思わずニッコリと笑って立ち上り、古謡一曲を舞い歓びの言葉をかわしたと伝えられている。白装束で通水状況を待っていたのは、万一通水に失敗した時は、全責任をとって即座に切腹し、工事の不備を上下にお詫びする覚悟であったと、言われている。この八坂通水の大功労者小畠武堯小島武尭は、享保十八年(一七三六)病没し、善応寺の墓地に眠っておられるが、大正七年、生前の功績によって、従五位を追贈されている。生前苦労の多かった武尭も、地下に於いて此のはからざる聖恩に感泣したことであろう。」と記している。

小畠武堯は、いわばお上(官)の側の人物だが、その責任に対する覚悟は同書で余すところ無く語られているだろう。
Bopix_yasakyousui_kasukawa_saifon_6
左3枚:粕川東岸、その右2枚:粕川西岸、最右端(昭和の頃:本文参照)

*************************
追記(2015/1/7):「ハトよ 鳴いておくれ(愛しき古里):八坂用水と粕川サイフォン。」の記事がランキング10位に入った。「ハトよ 鳴いておくれ(愛しき古里):八坂用水と粕川サイフォン(http://af06.kazelog.jp/itoshikimono/2013/04/post-7415.html)(現在ランキング2位)」と関係があるのかも知れない。以前、波志江町の郷土史研究家が八坂用水だったか、水利関係の古文書を研究して発表したと上毛新聞の記事にあったのを辛うじて思い出した。先日、鯉沼の南西隅にあったコンクリート堰に、堰建設時の記録らしい文字が記されていたのでデジカメ撮影した。工事中で危険だったので後日しっかり撮影しようとした。いくつかの文字が辛うじて読める程度だった。その後、行くとその旧堰はきれいに撤去され、新しい堰ができつつあった。残念!現代文明の機械力は歴史の破壊力に通じる事を身近に感じた事だった。
*************************

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    刃物という視点で多くの事例が取り上げられている。刃のある道具の理解にも役立つ。類書が少なく貴重な一冊。「すべり変形が切断の原理」という考え方で説明している。
  • 沼田 真   : 植物たちの生( 1972年 岩波新書(青版 833))
    「ご要望にお応えしてアンコール復刊(1988年岩波新書50年記念復刊) 地球生態系の中で自然を見直す」(腰巻きのフレーズ)。植物の知恵と戦略に人類は勝てるのか。
  • 出町 誠: 14_NHK趣味の園芸:よく分かる栽培12ヶ月  カキ(NHK出版2007年)
    初心者向け柿栽培参考書(新版)。旧版と比較すると楽しい。
  • 中村三夫: 13_NHK趣味の園芸:作業12ヶ月  カキ(NHK出版1996年)
    初心者向け柿栽培参考書(旧版)。新版と比較すると楽しい。
  • 山科正平: 12_細胞を読む   電子顕微鏡で見る生命の姿
    細胞はどんな部品からできているのか。そんな疑問に答えてくれる一冊。何事も形を見るのが第一歩。μからÅオーダーの世界で、細胞をメスで解剖するように、電子顕微鏡というメスで解剖して見せてくれるので興味が尽きない。
  • 柳田充弘: 11_細胞から生命が見える
    著者の専門は分子生物学、細胞生物学。普段生物を考えても細胞レベルで止まってしまう。その細胞の中で色々な分子が働いている。細胞こそ生命の基礎だが、その細胞の中の動きを知るのに最適な一冊。疑問の発端はなぜ発根剤が効くのかということ。薬剤が細胞膜を通過して細胞内で分子と分子が作用するイメージができた。本書でできた細胞のイメージは小さな無数の穴が空いた水分が充満したヨーヨーのようなもの。そのヨーヨーの中に分子部品が詰まっている。細胞自体もタライの中のヨーヨーのように浮かんでいる。細胞図面の空白部は真空でなく水分だ。細胞の内外に水がないと細胞は生きられない。水が生命のゆりかごだ!
  • 野口悠紀雄: 10_ホームページにオフィスを作る(2001年 光文社)
    ITが輝いた時代の作品。HPの活用法は参考になる。参考:url=http://www.noguchi.co.jp/(野口悠紀雄 ONLINE)
  • 小池洋男 編著: 09_果樹の接ぎ木・さし木・とり木(農文協:2007/3/31第1刷)
    やや専門的であるが、実務専門化が分担執筆しており、その場で役に立つ一冊。
  • ノーバート・ウィーナー(鎮目恭夫訳): 08_サイバネティックスはいかにして生まれたか(みすず書房1956)
    情報と通信という現代社会に不可欠の基礎的な学問を作った著者の自伝とそれを通した科学史
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