2010年10月21日 (木)

雑草句録:アケビの実

2010/10/21

雑草句録:アケビの実

■アケビの実口に含んで野良仕事

ザクロと同じように種子が多い。甘みも程々だ。あけびの皮に詰め物をした東北地方の料理を夢見て、使わなくなったパイプハウスの上に蔓を這わせている。その料理も夢に終わりそうだ。実の大半は落果して、まれに食べるのは自分だけだ。でも、仕事の合間に一口、口に含んで種を吹き出すのもちょっと楽しい気分転換になる。我が結婚式の時、来賓のお茶の師匠が、「山のアケビは何見て開く、下のマツタケ見て開く」と謡ったような記憶のある俗謡だが、ふと思い出した。本当に遠くなった過去の話であるがあの女師匠さんの人徳がしのばれる。

2010年10月20日 (水)

雑草句録:野ネズミ

2010/1020

雑草句録:野ネズミ

■野ネズミの食い跡あらわサツマ掘り

野ネズミの被害もいざ作物を作ると実感する。それも、収穫時に新しい食い跡を発見するといまいましさがつのる。丁度、作物の食べ頃を狙って行動しているようにみえるのだ。野ネズミとしてはそれが最も合理的な行動なのだろうが。

2010年10月19日 (火)

歴史の転換:女流プロ棋士コンピュータに負ける

2010/10/19

歴史の転換:女流プロ棋士コンピュータに負ける

コンピュータとチェスの名人での対局でコンピュータが勝利したニュースは過去のものとなっている。今回は清水市代女流王将とコンピュータの対局で話題になった。情報処理学会は1960年4月22日に創立され、2010年には創立50周年を迎え、これを記念してこの対局が企画されたようだ。情報処理学会のホームページはその対局の速報を以下のように伝えた。

『清水市代女流王将vs.あから2010速報 平成22年10月11日の対局では、あから2010は無事終局まで指し続け、86手で清水女流王将が投了、あからの勝ちとなりました。新聞社やTV局など多数のメディアの注目を集め、立ち見がでるほどの解説会場も大いに盛り上がりました。インターネットでも多くの方々がこの対局を観戦して下さり、対戦結果は日本国内のみならず世界中に報道され、情報処理学会による情報処理技術の進歩の一端を示すことができ、50周年記念イベントとしての対局を成功裏に終えることができました。
 一回限りの勝負事ではどのような結果もあり得たところですが、今回の対局では情報処理学会の期待通りのあから2010の棋力を棋譜に残すことができたと自負しております。また、この対局を通じてプロ棋士の将棋に対する姿勢など、多くの新しい発見や感動を得られたことも大きな収穫でした。
 今回の成功は、35有余年に及ぶコンピュータ将棋開発の積み重ねとともに、広くゲーム情報学、機械学習、並列分散処理技術といった情報処理学会が長年培ってきた技術力を基礎にして得られたものです。
 コンピュータ将棋はプロ棋士の棋譜や思考といった先人の叡智に学び、ここまで進化を遂げることができました。これからも、単なる人間と冷徹な機械の戦いの場としてではなく、お互いの能力を尊重し高め合うための道標として、驕ることなくさらに研鑽を積んで参りたいと存じます。情報処理学会は、今後も様々な分野で研究開発を進め、人類に貢献していきたいと考えております。
 最後になりますが、今回の挑戦を受けていただいた日本将棋連盟、素晴らしい熱戦で応じて下さった清水市代女流王将、そして会場と計算機を提供して下さった東京大学大学院情報理工学系研究科に改めて感謝いたします。』

コンピュータの進歩にはめざましいものがある。コンピュータが人間の能力にどこまで迫れるかがコンピュータを使って行く上でも大きな研究課題であるためであろう。あから2010は、一般社団法人情報処理学会の「トッププロ棋士に勝つ将棋プロジェクト」によって開発された特製システムで、そのネーミングは、10の224乗を表わす阿伽羅(あから)が、将棋の局面数に近いことにちなんで命名されたとの事である。膨大な規模の情報処理が人間の頭脳の中で行われている事を思い起こさせる。

将棋もルールがはっきりしているのでこのような勝ち負けを決める対局という企画が成立すると思うが、俳句、和歌等をつくらせたとき、コンピュータのアウトプット結果がどのようなものであり、どのように評価すべきか。ここには、ルールも評価基準も無いのですべて人間が与える事になるのか。コンピュータはまだファジーな問題を自ら作り自ら解を探してくれるというような用途には向かないようだ。一般の人がパソコンを使える頃になっても、コンピュータに問題を出せば解いてくれるのかいと質問を受けた事があった。ファジーな問題をファジーの入力でコンピュータに解かせるのは今でも難しそうだ。自分も、自分のパソコンに今お前のどこの調子が悪いか自己診断して回答せよという問題を出したい時が度々ある。

ともかく、今回のコンピュータ側は、多数のコンピュータ部隊を親分のコンピュータが指揮をして各コンピュータが選んだ手を多数決でコンピュータ連合の手として決めてプロ棋士と対戦したようだ。各コンピュータはそれぞれ将棋ソフトを実行している。こういうシステムにすることによりいくつかのコンピュータの欠点を補い総合的に利点を拡大できたようだ。かつて見たインターネットのどこかのサイトに俳句を自動作成するものがあって、面白い結果を出していた記憶がある。ともかく将棋の局面数が10の224乗に尽きるとすると、全ての勝負決着の筋道もその中にあると言うことで、各コンピュータが選んだ手を解析してみて、棋士の思考過程まで解析できるのか興味がある。コンピュータが選んだ手は完全にホワイトボックスで、棋士の思考過程はブラックボックスの中にある筈だ。

思うに、一般的な人間レベルの能力をコンピュータに獲得させるためには相当量のコンピュータのトレーニングが必要なようだ。そのトレーニング期間もトレーニングコストも人間以上にかかりそうだ。やはり、コンピュータは得意な分野で使うべきなのかもしれない。今回のコンピュータは並列分散処理という事で一面では、コンピュータのハードとソフトを作った人々、それらを統括する多数の人々の総力と一棋士の対戦という見方も出来る。多数の人々の知的産物と一人の個人の対決では個人の勝ち目は極少ないのではないか。そういう蓄積された多数の人間能力を短い時間に集中させるのがコンピュータシステムであるとすれば一人の棋士としては善戦しているのではないか。もはや、筋力と言う点では機械と人間を比較する時代は終わっている。コンピュータと人間を比較する時代も程なく終焉するかもしれない。

情報処理学会によれば、合計208台, 658 coresのコンピュータが連結して棋士と対局したとの事である。これを一台のコンピュータとしてみた場合、どの位の能力になるのだろうか。

大雑把な計算では全体で10の12乗(1兆)個程度のトランジスタが使われているようだ。ちょっと調べたら、人体は約60兆の細胞で形成されているようだ。

INTEL CPUの概要を調べた。

Die Size of the Quad-Core Models

  Model    Process            Size          Transistors
Core i7        45 nm    263 mm2            731 M

2010年10月18日 (月)

雑草句録:ナズナ

2010/10/18

雑草句録:ナズナ

■夏草の萎えたあとよりナズナ生え

秋になり、夏草が萎えて地面に日光が当たるようになると、もう春の雑草が芽を出してくる。この時期が除草の適期だと思うが、つい気を許し大きくなってからあわてだす。冬のナズナは地べたにへばりつくように上でなく横に伸びる。太陽光と地熱を有効に使うための姿がそこにある。下手に背伸びをしないで生きよと教えてくれるようだ。

2010年10月17日 (日)

日本語耳:科学ニュースに独り言

2010/10/17

日本語耳:科学ニュースに独り言

「日本語耳」の獲得
最近の上毛新聞に、日本人の外国語下手の要因と考えられる「日本語耳」という特性が生後14ヶ月以内に獲得されているという注目すべき記事があった。詳細が分からないので検索したら理研の「外国語に母音を挿入して聞く「日本語耳」は生後14カ月から獲得-日本人乳幼児とフランス人乳幼児の子音連続の知覚は発達で変わる-」というプレスリリースがあった。言葉の深層に迫る事は脳の、ひいては言語や文化、俳句、短歌等の文学の深層に迫る事に通じるのではないかと思う。

理研脳科学総合研究センター(利根川進センター長)との共同研究との事で、人間の脳研究が言語という高等な精神領域まで及んできた恐怖を感じる。しかし、まだ実験心理学的な部分もあり、その結果が脳細胞レベルで解明されないことに一抹の楽観が許される。最近、女性プロ棋士がコンピュータに負けたというニュースがあった。コンピュータ側は相手の手を読んでどんな手を検討したか全て記録し読み出せるだろう。言語の取得がコンピュータでシミュレーションできる時代がくるのだろうか。利根川博士の「私の脳科学講義」を古本で読んだ直後であり、同書出版からほぼ十年後のこのニュースで氏が「理研脳科学総合研究センター(利根川進センター長)」で継続して研究をされている事を初めて知った。氏が「私の脳科学講義」で後続の研究者にノーベル賞を取って貰いたいと述べていた事を思い出した。脳科学が科学の最先端であり、ここにノーベル賞級の科学の鉱脈があるだろうと素人的に予想している。

このニュースに関する自分の印象等はこのWEB PAGE(09C_日本語耳)参照:http://af06.kazelog.jp/itoshikimono/09c_NIHONGO_MIMI.html

発表の抜粋を以下に掲載するhttp://www.riken.go.jp/r-world/info/release/press/2010/101012/detail.htmlより:
『独立行政法人理化学研究所(野依良治理事長)は、日本人は生後14カ月までに「abna」のような子音の連続が含まれる単語と「abuna」のような子音連続が含まれない単語の音を区別して聞き取れなくなっていることを発見しました。これは、理研脳科学総合研究センター(利根川進センター長)言語発達研究チームの馬塚れい子チームリーダー、イボンヌ・カオ(Yvonne Cao)テクニカルスタッフ、フランスの国立科学研究センター(CNRS)のE・デュプー教授(Emmanuel Dupoux)、A・クリストフ教授(Anne Christophe)らの共同研究による成果です。

言語には、母音や子音の組み合わせ方や音節※1についての規則があります。日本語の音節は「ku」や「do」のように子音と母音からなるのが原則で、日本人はそれに合わない外国単語に「u」や「o」の母音を挿入して日本語の規則に合うように修正して発音したり、聞いたりしてしまいます。このような、外国語の音を母語の音の体系に合わせて発音したり知覚したりしてしまうことを「修復」といいます。例えば、ハンバーガーチェーンの名前で世界に知られている「McDonald」は、英語では3音節ですが、日本語では母音を挿入して「ma.ku.do.na.ru.do」と修復して発音するため、英語話者にこれが英語の「McDonald」と絶対に通じない単語として有名です。

研究グループは、生後約8カ月と生後約14カ月の日本人の乳幼児とフランス人の乳幼児各24人(合計96人)に「abna」、「ebzo」などの連続した子音が含まれる単語と「abuna」、「ebuzo」のように母音を挿入した単語を聞かせ、乳幼児が弁別※2して聞いているかどうかを調べる実験を行いました。その結果、生後8カ月では、どちらの乳幼児も弁別ができていたにもかかわらず、生後14カ月になると日本人の乳幼児だけが弁別できなくなっていることを突き止めました。これまで修復は、たくさんの語い(彙)を獲得したり、文字を学んだりした結果起こるものだと考えられていました。しかし今回の実験から、この修復が、実は語彙も数少なく文字も知らない乳幼児期からすでに始まっていることが分かりました。これは、個別の母音や子音だけでなく、音の並びの規則(音韻体系)についても乳幼児期からすでに獲得が進んでいることを示す重要な発見で、日本人が外国語の音をうまく聞き分けられない原因の解明にもつながる成果です。本研究成果は、米国の科学雑誌『Developmental Science』に近く掲載されます。』

2010年10月16日 (土)

雑草句録:アマランサス

2010/10/16

雑草句録:アマランサス

■あれは何アマランサスの伸びる畑

アマランサスを畑で育てた時の周囲の反応がこれであった。うまく行けば胸を張れたかもしれないが、世間の人の目は意外に厳しかったようだ。見慣れない背の高い雑草と目にうつったものと思う。

 ブログ内「農園の風景」 のページへ

追記:雑穀について<つぶつぶ.JP:http://tsubutsubu.jp/>に記事があった。あんパンの表面にトッピングとして付いているのはケシの実との事だ。アマランサスの種子も芥子粒ほどの小ささだ。試食できる程度の量は収穫したのだが、結局食べずに終わってしまった。

2010年10月15日 (金)

昭和萬葉集:巻九(戦後の風俗)

2010/10/15

昭和萬葉集:巻九(戦後の風俗)

この巻は昭和25年~昭和26年を対象としている。そのⅢ戦後の風俗の区分中の戦後の風俗の項に掲載された短歌である。自分が物心付いた頃の様子を知りたいと思い紙片を挟んで置いた部分を再読した。

■かつぎやはおほむね老いし婦にして助けあひおどけあひ汽車降りてゆく(志岐春吉)
■ばすの中の十人近き運び屋が次々何か耳うちをする(生田まきゑ)

終戦後の交通運搬網は貧弱であり、鉄道運送の比重が高かった。都会への農水産物の運搬に担ぎ屋が活躍するすき間があったのだろう。担ぎ屋は単に運搬するだけでなく、客の玄関先で販売までして、帰りには都会の物品も仕入れたりして色々な役割を兼ねていたと思う。前の一首、字余りの「助けあひおどけあひ」という句にかつぎやの老婦人が活写されている。後の一首、作者は「次々何か耳うちをする」と運び屋の会話の内容に迫ろうとしているようだ。取り上げた二首は担ぎ屋を遠巻きの視線で見ているが、終戦直後のありふれた風景のようにも見える。

汽車やバスに乗る場合は集団行動をしていたように見える。一人で行動するとなると色々な圧力がかかってくるだろうから合理的な行動だろう。当然販売するときはそれぞれ自分のお得意に向かって個別に行動したと思う。これも合理的な行動であろう。社会が安定してくると一般乗客からは担ぎ屋が時には白い眼で見られ易くなってきたという事情があったかもしれない。事実、自分が学生時代に東京へいった時も少ないながら担ぎ屋を見たことがあるが、一般客の迷惑になるのではと思ったりした記憶も残る。

しかし、いま考えると担ぎ屋が多かったという事実の裏には担ぎ屋のサービスを受け入れた人や状況があった筈だ。いま担ぎ屋がいるのかいないのか定かではないが、公共の乗り物は誰もが乗れるという基本が重要だと思う。サラリーマンが通勤のため乗るのと担ぎ屋が商売でのるのも生活のためと言う点では全く同じであろう。

■代燃車の煙に赤くネオン映ゆ夜深くして寒き街角(籏町美嘉)
■並びたる木炭バスが朝日さす街の片側に煙りあげおり(笠原清一郎)

残念ながらガソリンの代用燃料を使う木炭車が動くのを見たことはない。しかし、戦後のある期間、都会の中心街に木炭車が走っていた事をこの歌で改めて知った。

WIKIPEDIA(最終更新 2010年9月5日 (日) 13:40 )によると、「木炭バス(もくたんバス)とは、バスに積載した木炭ガス発生装置による一酸化炭素とわずかに発生する水素(水性ガス)を動力として走るバス。日本では燃料用の原油が不足した第二次世界大戦中の1940年代に使用された。このような機関は日本のみに見られた特殊事例ではなく、ドイツなどの枢軸国側の国家のみならず、フランスやイギリスなどの連合国側の国家でも石油事情が逼迫した際には用いられた事があった。」とあり、石油の代替えとして木炭自動車は広く使われたようだ。

「木炭ガス発生装置」は自動車メーカーが作ったのか気になるところだが、化石燃料を使わなければ環境対策にもなるだろう。安価で便利な石油を多用したつけが地球温暖化の原因といわれるCO2という目に見えないガスなのだが。現在、電気自動車の開発が盛んに行われているが、エネルギーを電池に蓄えモーターを回すのでガソリン自動車と完全に方式が変わるが、早さと馬力は捨てないだろう。誰にも車の運転で高速な移動が可能になったが、この早さと馬力で失った物が非常に大きいように感じる。ゆったりした移動が人間の病んだ精神の回復に必要なようだ。

2010年10月14日 (木)

雑木歌録:ねじれ国会

2010/10/14

雑木歌録:ねじれ国会

■票が化け ねじれ国会 弥次郎兵衛 国民行司 出番待ち

国政が劇場に例えられ、悲しく国民はもその悲喜劇を観賞せざるを得なかった。そんな状況を受けてか、前回自公政権下にねじれ国会が生じた。その最大の原因は与党にも野党にも真の国政を託せなかったからではないか。与党も野党もお互いにたたき合っていれば、それ以上悪いことをするゆとりもあるまいと国民は弥次郎兵衛を見る如くに感じているのではないか。これがねじれ国会の一側面ではないか。今、かつての与野党が立場を代えて同じ状況になっている。諸外国は日本人がバラバラの方向を見てまとまらない事に内心安堵しているのではないか。そのことを思うと国民も眠りこけているわけにはいかないのであろう。

2010年10月13日 (水)

雑草句録:裏年の柿

2010/10/13

雑草句録:裏年の柿

■ヒヨドリや裏年の柿奪い合う

柿は隔年結果が顕著な果樹のようだ。年により当たりと外れがある。一本だけが繰り返すのではなく、他の柿も同じ傾向があるので、果樹単独の個性というより、集団的な特性のようだ。販売用の柿栽培は毎年平均して収量を安定化ささせる必要がある。庭先果樹としての柿栽培はほとんど放任に近いので生り具合は柿木と天気次第になるのだろうか。今年の柿は裏年のようだ。

新潟大学の隔年結果の資料によると、「(イ)隔年結果 柿は栽培管理が悪いと隔年結果を示し、成り年と不成り年が1年おきに現れる。隔年結果の原因は、樹体のバランスが崩れ、新梢の葉芽が栄養不良のため、花芽の分化、発達が十分に行われないためである。隔年結果を引き起こす最も大きな要因は、結果過多である。この他、隔年結果を引き起こす原因としては施肥、せん定などがあり、枝が多すぎ樹冠内部への光の透過不足も、花芽を持たない枝を作り、隔年結果を助長することになる。隔年結果を起こさせない為には、冬季のせん定時に弱った側枝の更新をはかり、常に充実した枝を維持するようにする。」とある。

これは、栽培管理であるが、前年に果実を付けすぎると体力を消耗しすぎて翌年の結果に響くようだ。という事は、柿樹としては一年勝負で生らせられるだけ生らせてしまうということなのか。果樹が来年の事を考えることは無いだろう。それを考えるのは人間の方だ。

ある農家が販売用に柿の栽培をしたが、思うように売れないので撤退したという話を聞いた。その要因を分析すれば色々あるだろうが、一番の要因は売る努力なのだろうか。柿に対抗する果物は多い。消費者は見栄えが良く、美味しく、手間のかからない物を選ぶ。果物を食べるにも心のゆとりが無くなった。色々な果物をじっくり味わうという気分が広がれば柿も選択枝の一つになるのであろう。

雑木歌録:便利さ

■便利さの 背中合わせに 危険有り 車、携帯  チン食品     笑葉

正岡子規は35歳で亡くなったそうだが、あの柿食えばの句には老成した人間のイメージがある。子規の好物が柿であったとどこかで読んだ記憶がある。そこで子規の老成した人間のイメージも述べられていたような気もする。柿という果物も日本の風土の中になじみすぎて老成してしまったのか。秋の夕刻に、自分の好物の柿を味わっていると法隆寺の鐘の音が聞こえてくる。時も夕刻(自分の推測)で風情があって良し。大好物の柿を食べられるのも幸せ。おまけに、そこに法隆寺の鐘の音。トリプルラッキーの感傷にひたる。病弱な子規が詠んだあの句は単なる自然の描写に留まらないだろう。子規が一瞬の幸福感に浸っている姿があるようだ。自分の短命を予期するときに物事の見え方表現法も変わるのかもしれない。

ついでに、自分の好みは「熟(う)み柿」。ATOKも一発で変換してくれない。子供のころはうんだらがきと言った。過熟で中身がべちゃべちゃしている。当然商品にはならず店頭には並ばないだろう。それをちゅるちゅるとすする。絵にも句にもならないが、鳥の気分にはなれそうだ。

2010年10月12日 (火)

雑木歌録:雨蛙

2010/10/12

雑木歌録:雨蛙

■枯葉着て ぽんと跳ね出る 雨蛙 冬着脱ぎ捨て 生きよ我が友      夢野照葉
■青葉上 座禅の如き 雨蛙 雨近づけば 鳴きて友呼べ
■色付きぬ 畑で跳ねる 雨蛙 食いて太れよ 秋風が吹く
■霜降りし 落ち葉の下の 雨蛙 姿見えねど そこにおるらん
■野良仕事 不意に出くわす 雨蛙 一緒に生きよう この地尽くまで    

野良仕事をしていると春夏秋冬、どこかで雨蛙に出合う。季節に合わせて色が変わるのが面白い。馴染み深く愛すべき存在である。数年前の五首連作である。

追記:当ブログの先頭にハウス用の鉄パイプに入り外を眺めているアマガエルの姿を載せた。これも偶然の発見であったが、野良仕事をしていても、このようなアマガエルの姿に出会えると気分もなごむ。

 ブログ内「いとしきもの」 のページのアマガエルの写真へ

2010年10月11日 (月)

雑草句録:はさみ研ぎ

2010/10/11

雑草句録:はさみ研ぎ

■はさみ研ぎ切れ味鈍る秋の暮れ

刃物は石器時代からあるので刃物の歴史は人類の道具を作る歴史と共に始まった位長いようだ。刃物の原型は一枚刃であるが、何故切れるのか、切れ味は何が決めているのか良く分からない。刃物の本によれば極微の面積の刃先に力が集中して素材の粒子に滑りが生じてその不可逆変形の結果が切断になるようだ。簡単に言えば力を集中させる道具だ。接木をするのに刃が薄ければ良い結果がでるのではないかと思い安全カミソリの刃を使ってみたが使い勝手が悪く失敗であった。刃の食い込みは良いが削ぎ落とすとき方向の制御ができない。軟らかい果菜類の苗なら適すると思うが、樹木の接ぎ木には相手が固すぎて不適なようだ。

はさみは二枚の刃を組み合わせた刃物で研ぎ方が難しい。単に平の刃を交差するのではなく、刃の全体に反りと捻れを入れているという事を最近本で知った。更に小刃が付いている。この三つの関係を頭に入れて研ぎと調整をしないと切れ味は良くならないのだろうと気付いた。この句作時は期待に反して切れ味は研ぐ前より鈍ってしまった。研いだはさみは古いラシャはさみで布切り用だ。裁縫という言葉が古語になるほどの時代でほとんど出番が無くなっていた。紙なら何とか切れたが、ビニールを切ろうとしたのも研いだ動機であったが、ビニールは刃に挟まって伸びただけであった。ビニールが切れれば鋏研ぎも一人前かもしれない。いつかまた挑戦してみたい。

追記:ビニール切り用のはさみもあるらしい。普段、よく使う刃物は包丁やひげそり程度であろう。包丁がない家庭が話題になった事もあったようだ。刃物研ぎは男の仕事として、切れなくなった包丁にイライラして研ぐこともある。製造業の基礎となる工作機械や医療の手術等も刃物無しでは考えられない。WIKIPEDIA(最終更新 2010年6月13日 (日) 06:23 )で刃物が最も進化したマシニングセンタを調べたので以下に抜粋する:

「マシニングセンタ(machining center)は、自動工具交換機能をもち、目的に合わせてフライス加工・中ぐり加工・ねじ立てなどの異種の加工を1台で行うことができる工作機械。工具マガジンには多数の切削工具を格納し、コンピュータ数値制御(CNC)の指令によって自動的に加工を行う。

旋盤との大きな違いは、旋盤が「ワークを回転させて削る」のに対し、マシニングセンタ(フライス盤)は「刃物を回転させてテーブルに固定してあるワークを削る」点である。NCフライス盤との違いは、ATC(Automatic Tool Changer、工具自動交換装置)の有無である。

マシニングセンタの特徴

マシニングセンタは、ドリル、エンドミル、フェイスミルなどの「刃物を回転させて」テーブルに固定されているワークを削る。この点で、ワークを回転させて、刃物をあてる旋盤とは異なる。 また、NCフライス盤と違い、ATC(自動工具交換装置)を備え、自動で工具を交換することができるのも特徴である。 そして、これらのことをNC及びCNC装置を使って自動で行うことも、マシニングセンタの特徴である。」

ついでに超微細な切削をおこなうミクロトームについてWIKIPEDIA(最終更新 2010年8月8日 (日) 14:00 )で調べた。以下その抜粋:

「存在意義と必要条件 [編集]
生物学・医学・鉱物学などで顕微鏡を用いて組織を観察する際、通常プレパラートを作成して行う。このプレパラートを作成する際には、観察を確実かつ容易にするために試料を均一かつ薄く切り出す必要がある。特に高倍率での観察の際には顕著に被写界深度が浅く(ピントのあう範囲が狭く)なる。さらに、透過型電子顕微鏡(TEM)での観察の場合は、電子線を透過させる結像原理から超極薄の試料が要求される。カミソリを用いて試料を手動で切り出すなどの方法では精度に限界があるため、ミクロトームが必要とされる。ミクロトームを用いた場合、マイクロメートルのオーダーから数十ナノメートルに至る薄さでの均質な切り出しを確実に行うことができる。特に、TEM観察用の極薄切片の切り出しが可能なものをウルトラミクロトームと呼ぶ。」

「マイクロメートルのオーダーから数十ナノメートルに至る薄さ」に物を切断する技術にも興味が湧く。実は接ぎ木した穂木と台木の細胞がどのようにしてつながっているのかが知りたいのだがまだその写真等を見たことがない。これは植物の話だが、動物の場合は臓器移植の例に該当するだろう。想像では植物も動物も異なる組織が接合した場合、その境界の細胞を肉眼(顕微鏡レベル)で区別しにくいのではないかと思う。お互いに細胞が相手の領域に進出して混じり合っているのではないか。

2010年10月10日 (日)

雑草句録:こぼれ種

2010/10/10

10月8日のブログ記事に2010年のノーベル化学賞について書いた。授賞を発表したスウェーデンの王立科学アカデミーの以下のサイトに詳細が報じられていた。

http://www.kva.se/en/pressroom/Press-releases-2010/The-Nobel-Prize-in-Chemistry-2010/

このサイトから、更にPurdue大学の根岸博士のサイトに次のリンクが貼られていた。

http://www.chem.purdue.edu/negishi/index.htm

このサイトで研究メンバーが紹介されているが日本人らしい名前が見あたらない。根岸博士は日本人研究者はもっと海外に出るべきだと述べられているが、日本の若者の理工系離れが本当に現実になっているのかとうかがわれる。理工系は真理に対するハングリー精神が必要な面もある。衣食が有り余ってハングリー精神を忘れたのか。理工より魅力のある分野が多すぎるのか。日本の現状を見ると、理工ではメシを食えないという厳しい現実があるのかもしれない。ともかく自分の切り開いた道を更に押し進める自国後継者がいないのはわびしいことだろう。日本の若者が夢を持てたのも過去のことだったとなると未来を憂えるべきなのか。日本は明治以来和魂洋才という形で危機感を持って科学技術の振興をしてきたと思う。政治や教育等精神の貧困が日本のあるべき姿を見失わせてしまったのではないか。若者だけではこの現実は変えられないだろう。

以下本題。

雑草句録:こぼれ種

■こぼれ種毎年変わる菜の姿

野菜の種子の原産地を見ると、意外に国内が少ないのに気付いた。大きな種苗会社は一代雑種F1を扱う場合が多い。ある在来の特定の品種を維持するためには他の品種と交配しないよう採種する必要がある。従来は類縁種を栽培していない山間地の農家等が固定種の採種をしていたようだが、それが出来なくなったので海外に種子の生産を委託しているのも、原産地が海外である一因でもあるようだ。

特定品種の種子即ちDNAは遺伝資源としても重要であり、海外に流出したら大変な事になる可能性もある。下植木ネギもブランド品として品種系統の維持には配慮しているようだ。その点、我が家にこぼれ種で生える菜は勝手に交雑を繰り返した雑種のようだ。

2010年10月 9日 (土)

雑草句録:水切り

2010/10/9

雑草句録:水切り

■稲穂垂れ用水堰の水を切る

水利の水当番もこれで一年の仕事は終わったように感じる時である。各水田毎に、取り入れる水を調整する小さな堰があり、これは各農家が管理する。水利当番は上位の水路から取水する個人では利害が相反する堰の管理をする。いわば、各農家の調整弁という役柄でもある。

このような取水経路を全体的に眺めると、利根川⇒大正用水⇒各支流用水⇒更にその支流⇒⇒各水田というようにネットワークが成り立っている。主要な水田は主に平坦地にあるので、水を流す勾配は小さい。各水田に水を導くだけでも相当の努力と技術が要る。小さな水路でも数百mから1km程度上流から延々と水を導いている例もある。稲作をする水田に最適に水を配分するだけでも相当な基盤整備が必要であると感じた。

この水田のための水の循環は丁度人間の血液循環器系の動脈部に相当し、自然界の水の循環だけではなく、緑のダムとして雨水を蓄え、洪水の防止にも一役買っているのである。こういう事も水利当番をして改めて知った事であった。

2010年10月 8日 (金)

雑草句録:十五夜

2010/10/8

10月6日の晩にテレビの画面にテロップが流れて、何か事件等かと思ったが、日本人のノーベル賞受賞が報じられた。明るいニュースである。しかし、その明るさと言えば終戦直後の湯川秀樹博士のノーベル賞受賞ほど日本人に夢と自信を与えてくれたものはなかったもしれない。湯川秀樹博士の研究も戦前の厳しい時期にに行われていた。今回のノーベル化学賞も日本が沈滞している時だけにうれしい。鈴木博士についてはWIKIPEDIAに記事があったhttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%88%B4%E6%9C%A8%E7%AB%A0。応用化学は日本が得意としている分野である。まだ、多くの隠れたノーベル賞候補者がいるのではないか。

asahi.comは以下のように伝えた。
「ノーベル化学賞、根岸英一氏・鈴木章氏ら3人に
2010年10月6日(水)23:11
 スウェーデンの王立科学アカデミーは6日、今年のノーベル化学賞を、根岸英一・米パデュー大特別教授(75)、鈴木章・北海道大名誉教授(80)、リチャード・ヘック・米デラウェア大名誉教授(79)に贈ると発表した。3人は金属のパラジウムを触媒として、炭素同士を効率よくつなげる画期的な合成法を編み出し、プラスチックや医薬品といった様々な有機化合物の製造を可能にした。

 日本のノーベル賞受賞は17、18人目となる。化学賞は6、7人目。」

その後、クロスカップリング反応が受賞の対象であると詳細報道があったが良く分からない。Googleでクロスカップリング反応を検索すると、すでに3氏のノーベル賞の記述が加えられていた。最終更新 2010年10月7日 (木) 11:38 とあった。その記事によると、クロスカップリングとは結合しにくい異なる有機化合物AとBを触媒を利用して結合させる技術のようだ。自力で発光し表示装置として有望視されている有機ELの製造にもこの技術が使われているようだ。

鈴木博士は特許はとらなかったようだ。結果としてその優れた技術が無償で公開されたことにより、応用が広まったようだ。特許が成立していれば特許料を支払って使うか、その特許を回避して別な方法を使わざるを得ない。発明当時に特許を取得していたとしても現在では有効期間は切れていただろう。無償で使えるとなると有難味を余り感じないがそれを金額に換算すると巨額になるようだ。ともかく、この世界は見方を変えるとほとんど全ての物が化合物で成り立っている。まだ、未知の現象も多く残っているだろう。若い人にも是非チャレンジしてもらいた。

以下本日の本題

雑草句録:十五夜

■畑仕事十五夜の月背に灯す

昔はススキの穂を飾り、饅頭を供え十五夜を祝った。供えたのが団子だったか饅頭であったかはっきりしない。もう、この行事をしなくなってから相当の時が過ぎた。饅頭だけは、まだ近所の馴染みの店が毎年届けてくれる。昔は生活の中に旧暦の行事等が残っており、お月様が色々な場面で生きていた。最後の切り上げ仕事の時は月明かりで仕事をする事もあった。目が月明かりに慣れると意外に物が見えてくる。

ちなみに、明るさは照度として測るらしい。照度=単位面積1平方メートルに入射する光束(lm/面積)という定義である。以下は大体の明るさを定量的に把握する参考になる。人間の眼のダイナミックレンジは約100万倍で対数的には120dbとなる。

晴れた日中の直射光→100000ルクス
日中の木陰(影の輪郭線から1m内側)→10000ルクス
室内の窓から1m内側→3000~5000ルクス
室内の北窓の中央→100~200ルクス
満月の月あかり→0.2ルクス

こちらも、参考になる。月も星も無い夜でも、相当遠方に街路灯等があったりすると本当の闇夜にならない。

高照度VS低照度
単位:lx(ルクス)

屋外・快晴
100,000
満月の夜
0.2
屋外・曇天
30,000
星明かりのみの夜
0.02
手術台
20,000
闇夜
0.007

昔、リモコン用受光ICの開発をした事があるので、照度の測定について調べてみた。昔は、工業技術院に測定標準(原器)を扱う部署があったように思う。現在は産業技術総合研究所となっている。そのホームページに、日本の明るさ標準を作ろうというページがあったので参考になる。独立行政法人産業技術総合研究所ホームページ:http://www.aist.go.jp/aist_j/science_town/standard/standard_03/standard_03_01.html
標準比視感度曲線で555nmの波長のピーク感度を1としている。555はGO GO GOというマジックナンバーなので覚えておきたい。

2010年10月 7日 (木)

食業:いとしきもの

2010/10/7

雑草句録:食業

■食業のパイの争奪胃は一つ

農業も食品産業も生産能力は消費量を上回っているであろう。人口減少社会に向かって食物の総需要も減少に向かうだろう。会社を退職して、いざ親の家業の農業をしてみようと思っても、消費者の胃袋を狙える物ができない。自動車関連産業に直接または間接に従事する人々は約500万人、日本の全就業人口の8.4% との事である。人間の足の延長部分であるがその業種は考えが及ばない位多いのではと思う。

それでは、人間の胃袋の部分に関係する農業や食品産業に従事する就業人口はどの位あるか興味があるが、良く分からない。自動車関連産業以上の従業者数と思うが、余りにも底辺が広すぎて把握が難しいのか。ともかく、農業従事者の減少と高齢化は長期的に進んできている。周辺でも日本の農業はあと何年もつのかと嘆き声が聞こえる。国土交通省の資料(http://www.mlit.go.jp/kokudokeikaku/monitoring/system/contents/07/7-7-1.pdf)の一部を抜粋でしめす。土地利用の動向として、農業従事者の推移と高齢化率を示している。

farmer_populations_trend.jpgをダウンロード

このグラフを見ると、日本の農業人口の約40%が65才以上だと分かる。今後、戦後のベビーブに生まれた世代が続々とこの仲間に加わる。

追記:最近しばらくぶりにスーパーをまわり、野菜の値段をみたら、相変わらず平年より高値のようであった。これが高温という一過性のものなら良いが。高齢化が進むと、スーパーに並ぶ野菜も大量生産される定番品種が多くなり、かつ値段も下がらなくなるのではないかとふと思った。そうなると、野菜も外国から輸入する時代になるのだろうか。消費者も高齢化すると老後の蓄えのため出費を抑えようとするだろう。負のスパイラルが身近な野菜にも及んでくると心配だ。

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    初心者向け柿栽培参考書(旧版)。新版と比較すると楽しい。
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    細胞はどんな部品からできているのか。そんな疑問に答えてくれる一冊。何事も形を見るのが第一歩。μからÅオーダーの世界で、細胞をメスで解剖するように、電子顕微鏡というメスで解剖して見せてくれるので興味が尽きない。
  • 柳田充弘: 11_細胞から生命が見える
    著者の専門は分子生物学、細胞生物学。普段生物を考えても細胞レベルで止まってしまう。その細胞の中で色々な分子が働いている。細胞こそ生命の基礎だが、その細胞の中の動きを知るのに最適な一冊。疑問の発端はなぜ発根剤が効くのかということ。薬剤が細胞膜を通過して細胞内で分子と分子が作用するイメージができた。本書でできた細胞のイメージは小さな無数の穴が空いた水分が充満したヨーヨーのようなもの。そのヨーヨーの中に分子部品が詰まっている。細胞自体もタライの中のヨーヨーのように浮かんでいる。細胞図面の空白部は真空でなく水分だ。細胞の内外に水がないと細胞は生きられない。水が生命のゆりかごだ!
  • 野口悠紀雄: 10_ホームページにオフィスを作る(2001年 光文社)
    ITが輝いた時代の作品。HPの活用法は参考になる。参考:url=http://www.noguchi.co.jp/(野口悠紀雄 ONLINE)
  • 小池洋男 編著: 09_果樹の接ぎ木・さし木・とり木(農文協:2007/3/31第1刷)
    やや専門的であるが、実務専門化が分担執筆しており、その場で役に立つ一冊。
  • ノーバート・ウィーナー(鎮目恭夫訳): 08_サイバネティックスはいかにして生まれたか(みすず書房1956)
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    2010/8/4:MEMO等の表示に使える。 農作業で気になる自戒の言葉 ■畑の石ころはいつまで経ってもても石ころ(早く拾って片づけよという意味か)。 ■同じ石を二度拾うな(やってみると難しい)。 ■手ぶらで歩くな。 ■三つ先のことを読め。 ■適当な観察。 ■空を見よ(気分転換、休憩、天気を読む、腰曲がり防止)