2008年11月18日 (火)

「の」を「も」と読み始め

2008/11/18

「の」を「も」と読み始め

文字は教えられて覚えるのか。自発的に覚えるのか。チンパンジーも文字を理解できるとの

ことである。今日ではテレビ等映像機器が発達し幼児が文字に接して文字を小さいときから

読めるようになるのではないかと思う。自分が文字を文字として読んだと記憶しているのは

幼少時に屋外の便所に入って、尻拭き用の新聞紙をじっと見ていて「の」という文字を「も」と

解読した時であった。新聞には「の」という文字が多く現れ、これも、これもという意味で「も」

と読み始めたのが文字を文字として自覚的に認識した最初の時である。結局、自分勝手の

対応付けであったので間違いであった。しかし、不思議と「の」を「も」と読み始めたのが、自

分の文字の読み始めであることを忘れずに覚えている。なぜ覚えているのだろうかと考え直

してみると、新聞上の活字を自分の知っている発音に結びつけるという一種の暗号解読のよ

うな作業をして対応付けに成功したと思ったからなのではないか。世間の正字法という対応

付けでは間違いなのであるが、ある意味の分からない記号の「の」を「も」という発音に結び

付けたということは新しい発見であり、その発見という事実が自分の成功体験として頭に残っ

たのではないか。この成功体験という意味づけは数十年前の自分の失敗を前向きに考え直

して中期高齢者になって初めて考えついた新しい発見であった。ともかく、失敗の中にも別の

意味づけによれば成功体験が含まれている。楽しく有意義な失敗をして新しい発見をしたい

ものだ。これはと思いついたことはやって見るに如かずである。結果は後からついてくる。

2008年11月17日 (月)

キンダーブック

2008/11/17

キンダーブック

幼少の時どんな本をよんだのだろうと漠然と考え事をしていると、ふっとキンダーブックという

絵本を思い出した。具体的な本の中身は思い出せないが、表題だけは思い出した。調べて

みるとフレーベル館が発行している日本で初めての保育絵本で、平成19年に創刊80年に

なったとのことである。書店は家から遠く配達区域外だったと思われるので、多分幼稚園で

希望者に購読させていたのではないかと思う。幼少の頃は遊ぶ事に、事欠かなかったので

絵本に熱中する程でもなかったかもしれない。それでも思い出したのはなぜか。自分の子供

にも買い与えたことがあったのか。ところが、自分の子供に読ませた本はあまりよく覚えてい

ない。混同しているわけでもないと思う。ともかく幼稚園のころの記憶はあいまいな事が多く、

思い出せる事も少ない。当たり前だが、自分が文字を読めたとはっきり認識出来るのは小学

一年生になってからである。国語の本の一節を暗唱するまで読んだことを覚えているので、

これは確実であった。多分月刊の保育絵本があったのだから誰かに読み聞かせをして

もらった事もあったとおもう。それが思い出せないのは申し訳がないような気がする。

2008年11月16日 (日)

無線へのあこがれ

2008/11/16

無線へのあこがれ

小学生の時鉱石ラジオを作り電波の不思議にめぐりあった。中学生になって放送部か科学

部か何かに入って、ラジオを改造したような小型送信機を作り微弱な電波を出したりした。と

もかく、なにも無い空間を電波が伝わり通信ができることが分かり、もっと本格的に電波を出

したいと思うようになった。当時、地域にアマチュア無線局を開局していた人は何人かいたよ

うだが、中学生なので面識もない。アマチュア無線の知識もCQ誌という無線雑誌から得てい

たのだと思う。開局するには無線機が必要だが、その操作のためにアマチュア無線技師の

資格が無ければならない。国家試験なので受験地は東京である。東京など行ったことはな

い。ともかく無線への熱が高じてきて、友達と相談して一緒に受験しようという事になった。母

のおじさんが戦前東京で生活していたことがあったので、東京まで引率して頂いた。受験地

は東京中野の無線学校であった。初めて行った学校で勝手がわからない。ようやく受験の教

室が見つかり入室した。試験は午前の部と午後の部があった。自分たちは午後の部であっ

たが、午前の部の方に入室してしまった。試験の公正を保つため結局退室は許されず、そ

のまま午前の部を受験する事になった。電話級の試験なので学科だけであったと思う。とも

かく、受験は済んだが、さい先が悪く、良い予感がしなかった。結果もその通りになった。丁

度、高校進学を真剣に考えねばならない時期にさしかかり、父の青空大学とは別の分野へ

進もうと考えてきたので、アマチュア無線技師の国家試験の不合格を契機として受験勉強に

集中するようになった。今から思うと、大した準備もせずに国家試験を受けたのは無謀であ

ったかもしれない。しかし、オームの法則、電波法など自主的に色々な勉強をして、目的に向

かってチャレンジをするという良い経験が出来たと思う。友人も自分も結局、電気関係の道を

歩むことになった。

2008年11月15日 (土)

拾われた小犬

2008/11/15

拾われた小犬

人により、猫が好き、犬が好きと好き嫌いがあり、家で飼う動物にも違いがあるようだ。我が

家では犬を飼うより猫を飼う傾向があった。そんな時、娘が幼稚園の帰りに捨て犬を見つけ

て連れてきた。可愛いからと思ったのと可哀そうだと思ったのと両方の気持ちがあったよう

だ。うす茶色の日本種系の雑種のメスの小犬であった。娘はチャロという名前をつけて、餌を

くれたり色々世話をした。祖父はチャロのため犬小屋を作ってやった。孫の姿を見て作る気

になったのだろう。犬はすらりとした成犬となり犬小屋も小さくなった。そんなとき、二匹の小

犬を産んだ。娘がこの二匹に付けた名前は覚えていない。しかし、自分はこの二匹が体格も

性格も対照的なので鳴き豚(チョロマツ1号)と短足(チョロマツ2号)というあだ名を付けた。

(娘が付けた名前:後から確認)鳴き豚は体格も良く気性も強く良く鳴きその割には頭脳の方

は今一であった。一方、短足は足が短く気性は穏やかで余り鳴かず頭脳は賢かった。見知

らぬ人が来ても泣かないのでこの犬は馬鹿かと思ったが、そうではなかった。番犬としてのし

つけをしないだけであった。この二匹も成犬となり、三匹の成犬を飼うことになってしまった。

おかげでこれらの犬に自分も散歩させてもらった。三匹一度に散歩させる時は大変であっ

た。ある時、鳴き豚が鎖をほどき失踪してしまい、探したが見つからず、二度と戻って来なか

った。あの犬はきっと鎖に繋がれない生活が気に入っていたのであろう。鳴き豚の性格らし

い別れであった。母犬は十数年生きた。母犬が死んだときは供え物をして畑の片隅に埋葬し

た。娘は泣いていた。短足もその数年後に穏やかに死んで行った。老衰であったようだ。母

犬の近くに埋葬した。人間と同じく犬にも色々な運命があった。その犬たちと生活して、娘も

家族もかけがえもない思い出が残せたのは、あの捨てられた小犬が拾われて我が家に迷い

込んだのが縁であった。犬たちは自分たちの一生をどう思ったことだろう。ひょっとして自分

の気持ちに忠実に生き、自分の運命を選び取ったあの馬鹿な鳴き豚が一番賢かったのであ

ろうか。そう思うと、あの鳴き豚がどんな最期を迎えたかが思いやられる。

2008年11月14日 (金)

井戸がえ

2008/11/14

井戸がえ

水がないと生活は一時も成り立たない。上水道が開通して水の苦労もほとんど無くなった。

実際に自分が井戸水を使って仕事をさせられた時は手押しの井戸ポンプを使用した。その

後、その井戸に電動ポンプを付けて手押しの井戸ポンプは引退した。この自家水道は現在

も現役で働いている。手押しの井戸ポンプの前は多分つるべ式の井戸ではなかったかと思

う。幼少で井戸の口が開いていて危険なので近づけないようにさせられてたのか記憶が定か

でない。しかし、井戸替えというものがあって、近所の人たちに手伝ってもらい、井戸水をくみ

出して、ゴミや泥を清掃する行事があったのを覚えている。井戸の口が開いているので、ゴミ

や虫や埃が入り込み、放置すれば井戸が使えなくなる為に清掃をした。井戸の中では鯉等

の魚を放っていた。井戸に落ち込んだ虫等を食べさせた一種の掃除屋であったようだ。電動

ポンプ設置後は井戸の開口も閉じてしまったので井戸替えは一度も行われていない。それと

共に井戸の存在も忘れがちである。ある時、寒波で自家水道の塩ビ配管に亀裂が生じ漏水

した。何とか故障部分を見つけて自分で修理した。どんな井戸でも大地震等万が一の災害

の場合にあれば心強い。そのためには修繕しながら使い続けることも必要だ。

2008年11月13日 (木)

沼の弁天島の役割は?

2008/11/13

沼の弁天島の役割は?

稲作は地形と気候という条件を克服しつつ広がっていった。稲作の歴史は日本の社会発展

の歴史でもあったようだ。稲作の水が不足する地域では沼を掘り、用水路を造り水を田に導

く。旧伊勢崎市北部に位置する殖蓮地区は水田に適する低地部と畑作に適する丘陵部が適

度に混在する地域であり、水田開発のためいくつかの沼がある。その沼の中に弁天島という

人工島が作られている。最近市の農地関係の仕事をしていた人からその弁天島の役割につ

いて非常に興味がある話を聞いた。波志江沼環境ふれあい公園の中核を成す波志江沼は

灌漑用の沼として開発された。沼の中に弁天島がある。公園整備に伴い弁天島の修復を行

ったとき、その弁天島は土を何層にも突き固めて非常に強固に作られていたのが分かった

そうである。いわゆる版築という築造方法が使われていたようである。これは弁天島が波に

浸食されないためである。それでは弁天島の本当の役割は何であったか。水や農業の守り

神である神を祭ってある。波志江沼の弁天島には鳥居が立っている。実はもう一つ重要な役

割がある。沼は広く、障害物が無ければ風が吹くと勢い良く突き抜けて沼の表面に波が立

ち、その波が沼堤にあたり堤を浸食する。堤が崩れれば沼の機能は維持できない。即ち弁

天島は風切り、風を和らげ、風の造波作用を弱め、最終的に護岸作用をさせる機能を持っ

ていたのだとの事だ。昔の人の知恵は本当に偉大であったと語っていた。

自分もその話を聞いて先人達の知恵に脱帽した次第である。

尚、殖蓮地区の八幡沼の弁天島は下記を参照。この弁天島には松もはえている。

鯉沼にも終戦後の自分が幼少であったころ浸食されかけた弁天島があったという記憶が

残っている。しかし、現在は跡形もなく無くなっている。大正用水から水が豊富に供給される

ようになり、灌漑用のため池としての役割が相対的に低下して沼への関心が無くなってきた

ためであろうか。残念ではある。

八幡(新)沼の風景

2008年11月12日 (水)

技術の究極にあった黒電話

2008/11/12

技術の究極にあった黒電話

今日、一人一台と言って良いほど携帯電話が普及している。電話の歴史をたどると、たゆま

ぬ進化があったようだ。一般の家庭に電話が入る前には、呼びと言って電話のある家の電

話を使わせて貰うことも行われていた。その後に、有線放送という地域の組織ができて、地

域内の一斉放送と、放送時間帯以外の通話の兼用が行われた時代があった。地域に専用

のコンクリート柱が立てられ有線が張り巡らされていた。しかし、一般の電話の普及で有線放

送も使命を終えて消えていった。電話機といえば、両親はあの重たいが存在感のある黒電

話を使い通した。頑丈で音質も良く扱いに不自由がない単純さ。まさに電話以外でない電話

そのものであった。電子式の電話機は軽く多機能であるが、電源が必要、落雷に弱いという

問題もあった。半導体が電話の世界にも大量に使われるようになった結果でもある。一度電

子式に変更してみたが結局黒電話に戻った。その電話機の型番は定かでないが、使い始め

た年代から600形と思われる。WIKIPEDIAによると「600形電話機は、1963年(昭和38

年)、日本電信電話公社によって制式化され、提供が開始された電話機。アナログ回線によ

る単機能電話機としては、これ以上の根本的な性能向上は望めない水準で、完成された電

話機と言われる。」とある。局側も端末側もアナログレベルでは究極の状態に達していたので

ある。アナログをデジタルで置き換える事により、各種の機能、サービスが可能となり普及が

加速されてくる。その結果が一人一台の携帯電話の時代といえるだろう。携帯電話では電波

技術と移動する電話を追跡して電波をつなぐ技術が活躍している。

我が家の黒電話も当主がダイアルを回すことが徐々に少なくなり退役を迎える事になった。

実に見事な働きぶりであったと思う。このような名器が現役を去るのは残念ではあるが、これ

も時代の流れで仕方がない。電話は社会のインフラである。光電話は便利であるが停電の

時に使えなくなるという。また、万一の場合のバックアップ電池の販売もしていないとのことで

あった。光電話の採用を検討したときの回答であった。この事実は広告や説明書では小さな

文字で説明されているに過ぎない。社会のインフラとして周知すべきであると要請したことも

ある。災害、事故等万一の場合の命綱で黒電話がまだどこかで健在であるかもしれない。黒

電話を今まで残しておいたのは万一の場合の命綱を確保しておく目的もあった。

2008年11月11日 (火)

防災訓練と活断層

2008/11/11

防災訓練と活断層

昨日地域の防災訓練が小学校の校庭で行われて初めて参加した。四年ごとに行われる行

事で事故もなく無事終了。主催者側の講評の中で群馬県地域は従来地震の心配はあまりさ

れて来なかったが、近くに断層が走っているので油断はならないという話があった。

調べてみると県の資料によると次の主な断層があった。

(1)群馬県内には、フォッサマグナの東縁とされる「柏崎-銚子構造線」が県土を南北に貫いている。

(2)県内には活動度が高く規模の大きな活断層として、埼玉県から群馬県にまたがる「関
東平野北西縁断層帯」があり、この断層帯は「関東平野北西縁断層帯主部」と「平井―櫛
挽断層帯」からなり、関東平野北西縁断層帯主部では、今後30 年以内にM8程度の地震が発ることも想定されている。

従って、自然というスケールの長い時計で計ればいつ大地震に見回れても不思議ではないこ

とになる。大きな災害というと先ず関東大震災が思い出される。

関東大震災の大きさは、祖母からの伝え聞きでは、「庭の水がピシャピシャゆれた位地面が

ゆれた(多分雨による溜まり水)」とのことであった。相当な揺れであったことには間違いな

い。父が小学校に入学する頃の事だ。「庭の水がピシャピシャ」云々と気になったので、当時

雨天で水たまりが出来ていたのか調べてみたがまだはっきり分からない。

鹿島建設株式会社のホームページに下記の記載があった。

http://www.kajima.co.jp/news/digest/sep_2003/tokushu/toku01.htmより引用。

警告されていた大火災
 1923年9月1日,土曜日。前夜からの風雨が収まって陽射しも出はじめ,まもなく正午になろうとしていた。11時58分32秒。神奈川県西部から相模湾,さらには千葉県の房総半島の先端にかけての地下で断層が動きはじめた。関東地震のはじまりである。
 東京中心部が揺れはじめたのは11時58分44秒ごろ。昼食時の火の使用と重なって,倒れた家屋から各地で出火し,東京と横浜は大火災に見舞われることになる。」

大地震前夜に風雨があったのは事実のようで、聞き伝えも大筋で正しいようだ。同上の資料

で「能登半島近くに弱い台風があり,地震発生時刻には関東地方でも相当の強風が吹いて

いたのである」とも述べられている。地震の二次災害である火災も強風という気象条件で一

挙に拡大する。前橋気象台ホームページの記事にも群馬県の関東大震災の被害データがま

とめられている。幸い祖母の話も地震の大きさを伝えるだけの昔話ですんだ。調べてみて足

下に潜んでいる自然の猛威についてはあまりにも無知で無関心であったようだ。

2008年11月10日 (月)

父が幼少の頃電灯が点いた

2008/11/10

父が幼少の頃電灯が点いた

父が幼少の時電灯が点いたらしい。これも正式な記録がないので聞き伝えだけである。父は

電灯が点いたとき、「ぱっとついた。ぱっとついた。」小躍りして喜んだとのことである。父にそ

の幼い頃の記憶はなかったとすると、これは父の母の記憶であったに違いない。WIKIPEDIA

によると、「利根発電株式会社は創業当時は上毛水力電気株式会社と名乗り1907年(明治

40年)5月に上毛水電(資本金60万円)で政友会の代議士大岡育三らにより発起し翌1908

年(明治41年)12月、東京市京橋区で創立された。」とある。推測だが、市部では明治の終

わりから大正の始めにかけて電灯が普及し始めたようだ。それ以外の村部では5~10年位

遅れて普及したのではないかと推測される。ともかく行灯から電灯への変化は相当大きな変

化であったに違いない。その変化がいかに大きくてもいつしかそれがあたりまえになってしま

うと歴史の変化を見失ってしまうような気がする。どんなに小さな歴史でも記しておくことには

意義があるであろう。

2008年11月 9日 (日)

ヨイトマケの記憶

2008/11/9

ヨイトマケの記憶

ヨイトマケという言葉をいままでほとんど意識しなかった。家を建てるとき地固めの為に行う基

礎工事である。母によれば、自分が3~4才位の幼児の頃の話らしい。おじさんの家が建つ

ので丁度、地固工事が行われており、その工事のかけ声をまねて遊んでいたという。そのま

ね声が「えーんじゃら」とかだったようだ。数人の作業者が滑車のついた綱を一斉に引っ張っ

て大きな重い槌をドスンと地面に落として地固めをする。母もその作業者の一人だったかもし

れない。その後しばらくはこの工法が使われたが、徐々に姿を消した。そうして、子供の世界

でも、何かかけ声をかける時「かーちゃんのためなら、えーんやこら」というかけ声が使われ

ていた。さて、このような工法は何というのかを調べるうちに、美輪明宏の「ヨイトマケの唄」に

行き当たった。その冒頭の歌詞は、

父ちゃんのためなら エンヤコラ
母ちゃんのためなら エンヤコラ
もひとつおまけに  エンヤコラ

である。多分このかけ声はヨイトマケの唄が出る前よりあったのだろう。実は美輪明宏の「ヨ

イトマケの唄」も聞いた記憶がない。土方という言葉がけしからぬと不遇な扱いを受けた歌だ

ったらしい。当時は失業対策事業で道路整備の仕事をする労務者がニコヨンと呼ばれてい

た。日給が二百四十円だったからのようだ。こういう言葉も経済の高度成長とともに消えてし

まった。自分が過ごした学生時代は丁度こういう経済発展にさしかかった時期であった。自

分のヨイトマケの記憶は母がいなければなかったのかもしれない。ひょっとすると、工事現場

まで遊びに連れていったのは曾祖母であったのかもしれない。祖母はまだまだ現役で誰にも

負けずに頑張っていた。孫の子守をする役は無かった。母の記憶を通して当時の記憶を再

体験しているのだろうか。「かーちゃん、太陽は火かい、月は水かい。」と聞いたのはヨイトマ

ケの記憶よりもう少し後で好奇心が盛んになった就学前頃であったろう。

2008年11月 8日 (土)

記憶はどこまでたどれるか

2008/11/8

記憶はどこまでたどれるか

誰でも幼い頃の大方の記憶は漠然としているのではないか。その中で強烈な印象を受けた

記憶は比較的鮮明に思い出せるようだ。自分が覚えていることではなく、後から他人から聞

かされた事を記憶していることもある。母が自分が幼いとき、「かーちゃん、太陽は火かい、

月は水かい。」と質問したよと大きくなってから母から聞いたことがある。それだから、こう答

えたという次の話も覚えていない。自然の物事に関心と疑問を持ち始めた頃のことであろ

う。自分もそんな時があったのかと思う程度であり、そういう話を聞くと恥ずかしい気もした。

多分、母親は科学的に教えてくれなかった思う。大きくなってから勉強しなと言われていたか

もしれない。いまから思うと、これはこうだ、あれはどうだとすべて親が教えてしまったら、自

分から学んで行くという習慣が身につかなくなるのではないかという気もする。当時の母親は

仕事に子育てに多忙であった。自分が母に聞いた光景をプレーバックしてみると、一瞬母が

仕事から解放された時を見計らって母にぶら下がりにいったのではないかとも思われる。

質問の答えはどうでもよかったのであろう。

2008年11月 7日 (金)

栗の木とシラガダユウ

2008/11/7

栗の木とシラガダユウ

収穫の秋で思い出すのは栗拾いである。台風で栗の木がゆすられると栗の実がたくさん落

ちる。子供が多かったので台風が去った後に子供達が一斉に裏庭に飛び出して栗拾いをし

た。今年は台風が上陸しない年になりそうだ。台風の影響を受けやすい農業にとっては良い

年であった。昨年の台風は強力で倉の壁が落ちたりして我が家も相当な被害を受けた。

台風で栗の実も落ちるが、大きな白い毛のシラガダユウ(白髪太夫)という毛虫も一緒に落ち

ている。栗は良いが、毛虫は怖い。この毛虫がかなり栗の木にいたから今でも思い出すので

ある。シラガダイダイと呼んでいた。この栗の木も家を建て直す時だったか、いつ切り倒され

たか定かでないが今は無い。しかし、自分が畑に植えた栗の木はまだ残っている。不思議な

ことにこれらの栗の木にシラガダユウがいないようなのである。シラガダユウがいると地表に

点々と糞が落ちるが、その糞が見当たらないのである。もっとも、子供の頃の程真剣に栗の

実を探しているわけでもないので見逃しているのかも知れないが。このシラガダユウもどこか

に追いつめられていったのだろうか。

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追記(2014/6/11):「栗の木とシラガダユウ(2008年11月 7日 (金))。」の記事がランキング10位に入った。多分、KW=「栗」からこの記事に来たのではないかと思う。Googleでキーワード「栗」を検索しても50位以下のようだ。「栗 シラガダユウ」で2/約 100 件 。この記事の栗は祖先が植えた物。自分も叔父さんが苗を買うのでついでに買ってもらい数株植えた事がある。クリタマバチが寄生したのを覚えている。最近は管理もお手上げ。おまけに実生の栗が数本育ってしまった。トゲ無し栗を接ぎ木しようと育成したがそちらは失敗。トゲ無しグリもポロタンとか苗を購入したがその結果は?現在、実生の栗が一番元気だ。屋根より高くなり、どこまで育つか心配だ。栗が落ちても拾うものなし。でも、手入れも不要でよくなる果樹は柿・栗程度か。

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2008年11月 6日 (木)

地域の歴史と公共事業

2008/11/6

地域の歴史と公共事業

人生の後半にさしかかると、しきりに来し方行く末に関心がわいてくる。地域の歴史に興

味を覚えるのも、自己の存在をその歴史の中で確認しようとする希求心があるからだろう。

鮭は自分の生まれた川に遡上すると言われている。生物が生まれた時の環境を自分の生き

られる環境として記憶の深層に取り込むためかもしれない。破滅する場所に向かったら、

生物の種はそこで絶えてしまう。人間も生まれ育った環境が安全で心地よいものと思う

本能のような習性があるのだろう。昨日、地域の川の氾濫被害対策として作成する調整池

の利用・活用に関する検討会が開かれ出席させて頂いた。調整池は氾濫する河川の流水を

一時溜めて置いて徐々に放水して氾濫被害を低減させる施設である。巨視的にみると自然

の猛威を人間がうまく飼い慣らす試みである。調整池が機能するのは多雨期の夏場の年に

数回だけである。従って、本来の機能が働く必要が無い時の利用・管理が重要な課題に

なる。地域の地形が地域の歴史を育む。当地は日本に旧石器時代が存在していたと言うこ

とを初めて証明した遺跡や八角正倉の遺跡もある。このような歴史をふまえ、環境に配慮し

た、地域住民、特に子供達が安心して有効に利用できる施設作りが真剣に検討された。自

分も魚取りの出来る池、湧水の復元、子供達が稲作体験が出来る水田の設置を提案させて

頂いた。従来の計画のように決定してから住民に知らせる方式ではなく、計画の策定の中に

住民の意見を取り入れて行くという新しい公共事業方式の第一号であるとの事だ。今後、ど

のような案がまとまるか楽しみである。

2008年11月 5日 (水)

Obama大統領誕生

2008/11/5

Obama大統領誕生

アメリカは普通の国に向かうか。長い歴史的なスケールで見ることは大切だ。

しかし、いざObama大統領がが誕生するとなると感動を覚える。

それは、ほぼ半世紀前にアメリカで盛り上がった公民権運動を思い出すからである。

アメリカ南部では黒人と白人の差別がまだまだ、残っていた。

当時は通学バスも黒人用と白人用が分けられていた。至る所に人種差別が存在していた。

この公民権運動を象徴するのが、マーティン・ルーサー・キング Jr牧師が、

1963年8月28日、リンカーン記念堂へ向かうワシントン大行進で演説したI Have a Dreama

という演説であった。この演説から今年で丁度45年目になるわけだ。

これを、朝日ソノラマという、薄っぺらなレコードのようなもので聞いた。

中身は忘れたが、タイトルは時々思い出す。

その演説のハイライトが以下の部分である。                

“I have a dream.That one day on the red hills of Georgia. the sons of former slaves and

the sons of former slave-owners will be able to sit down together at the table of

brotherhood.(私には夢がある。いつの日か、嘗ての奴隷の子達と、嘗ての奴隷の所有者達

の子達が、席を並べられる事を)”(WIKIPEDIAより引用)

キング牧師が黒人の宗教指導者であり、Obama大統領がアメリカ合衆国の初めての黒人

大統領になるという歴史的事実を受けてもう一度上記の演説を直訳的に訳し直してみた。

「私には夢がある。いつの日か、嘗ての奴隷の子孫達と、嘗ての奴隷の所有者の子孫達

が、このジョージア州の赤い丘のうえで、兄弟という絆に結ばれて一緒の席に着く事ができる

という夢が。」

キング牧師は黒人と白人の地位が平等になるという夢を熱く語ったのである。

ちなみに、ジョージア州はアメリカ独立戦争に参加した13州のひとつで、1861年の南北戦争

では連合国(奴隷制度存続を主張)に加盟した。最初の英国移民団が1733年2月12日に到

着したのがジョージア州のサバンナであった。歴史的に意義のある州である。

ジョージア州の人種的な構成(WIKIPEDIA)は:

62.6% ヒスパニック以外の白人
28.7% アフリカ系
5.3% ヒスパニック
2.1% アジア
0.3% 先住民
1.4% 混血

今、アメリカの新しい歴史が始まろうとしている。

この半世紀でアメリカの社会も大きく変わったのであろう。

ともかく変われるといことは希望が持てるということでもある。                                          

2008年11月 4日 (火)

初めての植物育て

2008/11/4

初めての植物育て

本日、アメリカの大統領選挙が行われる。アメリカの何が変わり何が変わらないのか。

長い歴史というスケールで見た場合、太平洋戦争から半世紀、圧倒的な軍事力・経済力を持

つ戦勝国として世界をリードしてきた。しかし、サブプライムローンというアメリカ発の難病に

侵され、世界の支援を受ける国になってしまった。結局、アメリカは普通の国に向かって行か

ざるを得なくなるのではないか。

子供が小さいとき、どこから掘ったか知れないが数十センチの木を庭先に植えた。何の木か

分からぬまま、大きくなるに任せておいた。そうして遂に、紫色の花を咲かせた。色々調べた

結果、センダンという木であると分かった。野生の木なので育ちが早い。枝を切っても一年で

同じ状態になってしまう。切り倒そうと思うが、もう少し残そうというまだ切れずにいる。自分の

幼い時を思い出すと、子供と同じような事をしていたようだ。植えた後速く大きくなれと、石鹸

水をかけていて父に笑われた。これが植物の育成の事始めであった。残念だが、何を植え

たか完全に忘れている。石鹸水をかけたので程なく枯れてしっまったかもしれない。それ以

来、花の種をまいたり、球根をうえたり細々とそういう趣味を続けていた。高校の時は園芸部

に入った。菖蒲だったか、株分けをした事位しか記憶がない。植木、花木等は父が残してい

っただけで手一杯となり、結局それ以外のものが中心となった。どうも最近の自分の関心

は、種を蒔き苗を育てたり、挿木、取り木、接ぎ木など植物を増やす方向に向かっているよう

だ。ところが、うまくゆかないといつの間にかあきらめて別なことをやっているという癖がつき

困っている。一つでも余計にうまくゆくように頑張って、出来なかったらまたやってみようと割り

切る以外にない。

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やさしい科学・SCIENCE

  • 日経サイエンスのウェブページ
    「日経サイエンス」とは:「日経サイエンス誌は,1845年に創刊された長い歴史と伝統を持つ米国の科学雑誌「SCIENTIFIC AMERICAN」の日本版で,世界の最先端の科学技術動向を日本の読者に届けています。」
  • SCIENCE IS FUN in the Lab of Shakhashiri
    University of Wisconsin-Madison Chemistry Professor Bassam Z. Shakhashiri のサイト

みかん栽培関係情報

公開資料

ISESAKI  有情1

嗚呼 伊勢崎 非情

BOOKS

  • 橋本 英文: 刃物雑学事典 図解・刃物のすべて(1986年 株式会社 講談社 ブルーバックス B-659)
    刃物という視点で多くの事例が取り上げられている。刃のある道具の理解にも役立つ。類書が少なく貴重な一冊。「すべり変形が切断の原理」という考え方で説明している。
  • 沼田 真   : 植物たちの生( 1972年 岩波新書(青版 833))
    「ご要望にお応えしてアンコール復刊(1988年岩波新書50年記念復刊) 地球生態系の中で自然を見直す」(腰巻きのフレーズ)。植物の知恵と戦略に人類は勝てるのか。
  • 出町 誠: 14_NHK趣味の園芸:よく分かる栽培12ヶ月  カキ(NHK出版2007年)
    初心者向け柿栽培参考書(新版)。旧版と比較すると楽しい。
  • 中村三夫: 13_NHK趣味の園芸:作業12ヶ月  カキ(NHK出版1996年)
    初心者向け柿栽培参考書(旧版)。新版と比較すると楽しい。
  • 山科正平: 12_細胞を読む   電子顕微鏡で見る生命の姿
    細胞はどんな部品からできているのか。そんな疑問に答えてくれる一冊。何事も形を見るのが第一歩。μからÅオーダーの世界で、細胞をメスで解剖するように、電子顕微鏡というメスで解剖して見せてくれるので興味が尽きない。
  • 柳田充弘: 11_細胞から生命が見える
    著者の専門は分子生物学、細胞生物学。普段生物を考えても細胞レベルで止まってしまう。その細胞の中で色々な分子が働いている。細胞こそ生命の基礎だが、その細胞の中の動きを知るのに最適な一冊。疑問の発端はなぜ発根剤が効くのかということ。薬剤が細胞膜を通過して細胞内で分子と分子が作用するイメージができた。本書でできた細胞のイメージは小さな無数の穴が空いた水分が充満したヨーヨーのようなもの。そのヨーヨーの中に分子部品が詰まっている。細胞自体もタライの中のヨーヨーのように浮かんでいる。細胞図面の空白部は真空でなく水分だ。細胞の内外に水がないと細胞は生きられない。水が生命のゆりかごだ!
  • 野口悠紀雄: 10_ホームページにオフィスを作る(2001年 光文社)
    ITが輝いた時代の作品。HPの活用法は参考になる。参考:url=http://www.noguchi.co.jp/(野口悠紀雄 ONLINE)
  • 小池洋男 編著: 09_果樹の接ぎ木・さし木・とり木(農文協:2007/3/31第1刷)
    やや専門的であるが、実務専門化が分担執筆しており、その場で役に立つ一冊。
  • ノーバート・ウィーナー(鎮目恭夫訳): 08_サイバネティックスはいかにして生まれたか(みすず書房1956)
    情報と通信という現代社会に不可欠の基礎的な学問を作った著者の自伝とそれを通した科学史
  • 沼田 真(編): 07_雑草の科学(研成社1979)
    雑草を多面的に解説し防除の基礎も述べる

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MEMO 海外の博物館・美術館

  • https://www.artic.edu/collection?place_ids=Japan&page=6
  • 項目のタイトル2
    POST IT :ブログ画面への張り紙に使える。
  • TYPE LIST事始め
    2010/8/4:MEMO等の表示に使える。 農作業で気になる自戒の言葉 ■畑の石ころはいつまで経ってもても石ころ(早く拾って片づけよという意味か)。 ■同じ石を二度拾うな(やってみると難しい)。 ■手ぶらで歩くな。 ■三つ先のことを読め。 ■適当な観察。 ■空を見よ(気分転換、休憩、天気を読む、腰曲がり防止)