05B_会社生活断面記

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2016年7月 3日 (日)

心象の足跡:会社生活断面記:大阪四天王寺にある芭蕉翁之墓訪問;週末に じんじん響く テロの報。160703。

2016年7月3日(日)
昨日は曇り。ざっそう句;週末に じんじん響く テロの報。バカだねぇ~。人が畑から上がる頃、畑に出るんだから。ともかく、定植したオクラに灌水。アスパラガス苗のポット上げを少々して、宅内閑居。ニュースによれば、バングラデシュのダッカで起きた、人質テロで日本人数人が殺害されたのが判明したようだ。詳細は不明だが、日本人が標的にされたとなれば、その影響は計り知れない。

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心象の足跡:会社生活断面記:大阪四天王寺にある芭蕉翁之墓訪問

現役時代、しばらく大阪で生活していた。当時は、関西の秋葉原に相当する日本橋で休日を過ごす事が多かった。それだけでは、勿体ないので数カ所物見遊山で回った。

最近、ローコストのスキャナーを購入して、当時のネガフィルムをスキャンしている。性能は、価格それなり。だが、ネガを見るだけではわからない情報が分かってくる。聖徳太子と四天王寺の関係が気になっていた頃で、四天王寺に行ったようだ。記憶の隅に、芭蕉の墓に行った事がうっすらと残っていた。

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今回、スキャンすると同じネガの中にあった。WEB画像と比較すると、現在の芭蕉の墓石は当時より表面の剥落が進んでいるように感じた。高層ビルも写っていたが、ビル名は分からない。ただ、現在では大阪も高層ビルが当たり前の都市になっているようだ。ネガには、写真撮影の失敗の記録も焼き込まれている。

有名人の墓という構造体は単純ではあるが長期間保存されている。現在、林立しているビルは、一種の消耗品で今後、どのような終末期を迎えるのかを想像すると、ぞっとする。

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2016年07月02日 伊勢崎(イセサキ)
TAVE= 26.5 毎正時のアメダス観測値(気温)の平均値
TMAX= 29.3 毎正時のアメダス観測値(気温)の最大値
TMIN= 23.6 毎正時のアメダス観測値(気温)の最小値
DIFF= 5.7 毎正時のアメダス観測値(気温)の最大値と最小値の差
WMAX= 2.4 毎正時のアメダス観測値(風速)の最大値
SUNS= 0.2 毎正時のアメダス観測値(日射)の合計値
RAIN= 0 毎正時のアメダス観測値(雨量)の合計値
1日の極値 データ 時刻
最低気温(℃) 23.4 4:55
最高気温(℃) 29.5 14:50
出典=気象庁 参照⇒ AMEDASへのリンク
最大瞬間風速(m/s)(風向(16方位)) 4.9(東) 1:12


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2013年9月20日 (金)

ツルよ 飛んでおくれ;会社生活断面記:太田記念病院

2013年9月20日(金) 昨日は晴れ。最高気温(℃) 28.7 14:59;最低気温(℃) 16.0 05:33。ざっそう句:夢現 本を読めども 暇潰し。宅内閑居。静養。町内行事は欠席。MS-IMMEにATOK風の設定があったのでそれに変更。ATOKになれた癖がいくらか役にたちそうだ。新聞のニュース記事等に変換ミスと思われる用語を見つける時がある。お愛嬌といえばそれまでだが、パソコンに頼りすぎるとじわじわと文章能力が低下しそうだ。その点、馬鹿な日本語変換ソフトを使っていると注意力が欠かせないので、馬鹿なほど結構とこじつけられない事もあるまい。現役時代、ワープロ専用機からパソコンに代わる頃、会社のオフィスソフトがマイクロソフトに統一された。ワードの表記ゆれチェック等のツールは役立った。HDDがクラシュして一番困ったのが学習させたATOK辞書を失った事。一時期は、日本語変換ソフトも数多くあったが生き残った物は少ない。気長に辞書登録を続けるのが日本語入力の極意かもしれない。ごろごろしながら本を読んだがさっぱり。この3日間の気温をグラフにしてみたが、綺麗な正弦波に似た曲線になった。気になったのが「夏風邪は馬鹿が引く」ということわざ。調べてみると、「夏風邪は馬鹿が引く(なつかぜはばかがひく) 1.愚鈍な者は、冬に引いた風邪を、夏になってから罹(かか)ったのだと気が付く。馬鹿はそれほど愚鈍であるということ。 類:●馬鹿は風邪を引かない ★「馬鹿は冬に引いた風邪を夏になって気が付く」から。 2.誤解から、一般に、夏風邪を引く者は愚か者であるということ。」と解説があった。

2013年9月19日の天気(AMEDAS)

TAVE= 22.2 NO DATA
TMAX= 28.3 最高気温(℃) 28.7 14:59 
TMIN= 16.5 最低気温(℃) 16.0 05:33 
DIFF= 11.8  
WMAX= 3.5 最大瞬間風速(m/s)(風向(16方位)) 7.3(南東)   15:01 
SUNS= 11.5 NO DATA
RAIN= 0 NO DATA

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ツルよ 飛んでおくれ;会社生活断面記:太田記念病院

先日、太田方面に出かけた。最近は太田も遠くなっていた。現役時代は、何かの機会に太田へ出かけた。今まで見かけない建物が目に入ったので近くに駐車して眺めた。屋上の看板から太田記念病院と分かった。

通称は、太田病院だったと思う。念のためWIKIPEDIAで調べると「富士重工業健康保険組合太田記念病院」が正式名称のようだ。「2012年 - 6月1日に群馬県太田市大島町455番1に移転して太田記念病院に名称変更する」とある。それ以前が、「富士重工業健康保険組合総合太田病院」が正式名称であり、略して「太田病院」と呼ばれていた分けだ。

「富士重工業健康保険組合太田記念病院。(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AF%8C%E5%A3%AB%E9%87%8D%E5%B7%A5%E6%A5%AD%E5%81%A5%E5%BA%B7%E4%BF%9D%E9%99%BA%E7%B5%84%E5%90%88%E5%A4%AA%E7%94%B0%E8%A8%98%E5%BF%B5%E7%97%85%E9%99%A2)」

お世話になったのが、太田病院併設の人間ドック施設であった。人間ドックの日は大手を振って有休が取得できたのがなによりの楽しみだった。人間ドックは半日で終わり、食事券が出るので、それで軽食を食べる。断食をしているので格別にうまく感じたものだ。その後は、書店や買い物などを楽しんで、早めに帰宅する。人間ドックも会社の制度なので、大体のルールがある。受ける時期が誕生日を基準にしているので、年齢を考える機会にもなった。

その人間ドックからも縁が切れたが、太田病院はどの辺に移転したのか気になっていた。近くに群馬県の太田合同庁舎があり、広大な田園地帯も開けている。また、合同庁舎東という交差点があり、交通も便利なようだ。太田市の産業を支えているのが富士重工。その富士重工と共に歩んできた太田記念病院には太田の中核病院としての風格を感じた。

「太田合同庁舎のご案内(http://www.pref.gunma.jp/07/n00110009.html)。」

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2013年5月14日 (火)

会社生活断面記:伊勢崎の祭りと大阪で見た山車(だんじり)

2013年5月14日火曜日
昨日は曇り。最高気温(℃) 22.2 14:00。 ざっそう句:アマガエル 予報間違え 鳴き直し。ジニア苗床の除草。雑菜種子の刈り取り。雨除けせずに圃場に放置。乾燥させ脱粒せねば。来年、田圃に播く種子を確保する。茎は抜いてマルチに。夕方灌水。アカザを収穫?したが置き忘れた。最近日が長くなった。時間を有効に使わねば。夕方アマガエルが鳴いた。まだ、全員一致ではなく不揃いだ。

2013年5月13日の天気(AMEDAS)

TAVE= 17.7
TMAX= 21.9 最高気温(℃) 22.2 14:00 
TMIN= 13.8 最低気温(℃) 13.7 06:42 
DIFF= 8.1
WMAX= 2.3 最大瞬間風速(m/s)(風向(16方位)) 6.0(東) 12:13 
SUNS= 0.4
RAIN= 0

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会社生活断面記:伊勢崎の祭りと大阪で見た山車(だんじり)

今から十数年前大阪で単身赴任生活をした。極少ないがその当時の画像が残っている。生活の拠点は徳庵駅からほど近くの社宅。ある時、騒々しいので社宅の窓から外を覗くとお祭りの山車が通り過ぎる所であった。多分、その時の画像だろう。

当時のデジカメの解像度は低いが、提灯の文字は何とか読めた。「中地区車保存会」とかかれているようだ。当時の山車と同じ山車が見つかるかWEB検索してみた。住んでいた場所やその周辺の地名は全然分からないのだが、「http://danjirigoya.fan-site.net/dnjr2007/look12/tokuan/index3.html」サイトの稲田中町の山車に類似しているようだ。

時は十数年隔てているが、雰囲気は似ている。若い衆だけでなく、成年男子がお祭りを楽しんでいるように見える。一方、現在の伊勢崎の祭りの主役は、少女やおばさん達。明治の初期から中期頃は、当地区でも屋台が作られた男衆が屋台に熱中していたようだ。当時はお祭りも一種の神事なので男衆中心の仕事。当地区の本屋台の彫刻は、名工弥勒寺音次郎父子の作と伝えられているがそれを見られる機会も少ない。

伊勢崎市ホームページには、市指定史跡「弥勒寺音次郎・音八父子の墓。http://www.city.isesaki.lg.jp/www/contents/1355469970287/index.html。(2013年1月4日更新))」というタイトルで、「弥勒寺音次郎(1796年~1869年)は、赤城神社本殿(境平塚)、冠稲荷聖天宮(太田市細谷)などの彫刻を手がけ、息子の音八(1821年~1887年)は、父とともにこれらの造営に関わり、茨城県の笠間稲荷神社本殿の造営にも関与した。音次郎の墓は弟子が建立し、正面に法号「棟梁院立太柱宮居士」が刻まれる。その後ろに音八夫妻の墓があり、「霞松院梅翁彫聲居士」とある。」と紹介している。
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左1:子供屋台、左2~3:大阪当時、左4:現在。

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2013年3月31日 (日)

会社生活断面記:大阪駐在の頃

2013年3月31日日曜日
昨日は曇り。最高気温(℃) 10.4 00:06。ざっそう句:長く咲け 寒さに迷う 桜花。宅内閑居。自転車で用事外出。期末の仕事を片づけた。寒いが屋外で仕事をしている老人もいた。明日から新年度、新学期。やはり森羅万象浮き浮きと活力が上昇するときに物事を始めるのが良いようだ。その点、4月が年度始めというのは日本的、実に日本的で結構ではないか。どこかの大学が、海外の大学から学生を集めるという名目で、大学の入学時期を秋に持ってくるという計画を練っているようだが、落ち葉の秋では、それ自体うらわびしい。学園紛争が華やかな頃、「とめてくれるな おっかさん 背中のいちょうが 泣いている 男東大どこへ行く(http://www.digital-momonga.jp/pukiwiki/pukiwiki.php?1968%C7%AF%C5%EC%C2%E7%B6%F0%BE%EC%BA%D7%A5%DD%A5%B9%A5%BF%A1%BC)」と、かつては東大も元気だった。

MSN産経ニュース-2013/03/12=「東大が推薦入試導入へ 5年後めど、点数至上主義から脱却(http://sankei.jp.msn.com/life/news/130313/edc13031300270000-n1.htm)」

東スポWEBは、「東大推薦入試でやはり増える“裏口的入学”
http://www.tokyo-sports.co.jp/nonsec/social/123340/。(2013年03月19日 11時00分))」というタイトルで、「東京大学が15日、2016年の入試から一般推薦入試を導入することを発表した。1877年の創立以来、初の試みで、筆記試験での点数至上主義からの脱却を試みるが、その裏には様々な思惑が潜んでいると指摘する声が出ている。中でも最も気になるのは“赤門”を「政財界のボンボンが次々とくぐり抜けるのでは」との懸念だ。」と報じた。

やはり、制度をいじるような事態になっているのは、末期症状の現れなのだろう。その最大の現象が、一票の格差が違憲であるという司法判断が続出している選挙制度。何事も原点に戻らない限り真の解決はないだろう。

2013年3月30日の天気(AMEDAS)

TAVE= 8.0
TMAX= 10 最高気温(℃) 10.4 00:06
TMIN= 6.5 最低気温(℃) 6.4 23:57
DIFF= 3.5
WMAX= 3.9 最大瞬間風速(m/s)(風向(16方位)) 8.1(西北西) 03:00
SUNS= 0
RAIN= 0

Bopix_sugikafun_maebasi_2013

杉花粉飛散状況(データ出典:はなこさん=http://kafun.taiki.go.jp/Map.aspx?AreaCode=03)。当日、1時間当たりの最大個数をグラフ化。




会社生活断面記:大阪駐在の頃

長い人生、いつどんな風が吹いてくるのか知るのは神のみか。サラリーマンにとってその風が神風なのか暴風なのか出来れば前もって知りたい所だ。思わぬ時に、その風が自分にも吹いてきた。上司に呼び出されて駐在を命ずという命令を受け取った。子供もまだ小さく迷った。すまじきものは宮仕えと覚悟して、数日考えさせてもらって決断した。

幸い、駐在という事で、拠点は大阪の営業所に移ったが、籍は元の部署に残してもらえた。仕事もセールス活動の技術サポートという事で技術部門との関係を保てた。ともかく、赴任に当たっては歓送会を開いて貰い、花束も贈られた。ひょっとしたら、いずれ帰る席が無くなってしまうのではと心配になった。

大阪に拠点があれば、九州、四国までは日帰りの出張の活動範囲になる。当時、余りデジカメは使わなかったが、パソコンの片隅にデータが少し残っている。博多駅前の風景は、待合い時間の前に撮影した画像のようだ。訪問の目的はすっかり忘れている。駅前のホテルが現在はどうなっているのかWEBで調べてみたら、名前も外観も当時と異なるがまだ健在らしい。それにしても、サラリーマン時代の出張で、駅前の立派なホテルなどは夢だった。ちょっと外れにあるビジネスホテルでも上々であった。どうせ寝るだけだからと安い宿を使い、浮かせた金で外食する程度が精一杯だった。
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2013年3月14日 (木)

会社生活断面記:日本電産訪問の思い出

2013年3月14日木曜日
昨日は晴れたり曇ったり。最高気温(℃) 21.0 15:56。ざっそう句:知らぬ間に 春の畑は 草だらけ。用事外出。その後ワープロ作業。コンビニプリント。外出時は花粉症対策でマスク着用。目がかゆくなり、クシャミが出ている。環境省の「はなこさん(http://kafun.taiki.go.jp/)」で群馬県前橋の花粉飛散状況を調べた。花粉の飛散が多くなったのは気温の上昇に対応しているようだ。これからが花粉症本番だ。

2013年3月13日の天気(AMEDAS)

TAVE= 11.6
TMAX= 20.8 最高気温(℃) 21.0 15:56 
TMIN= 3.2 最低気温(℃) 2.5 04:07 
DIFF= 17.6
WMAX= 10.1 最大瞬間風速(m/s)(風向(16方位)) 17.5(西北西) 23:57 
SUNS= 5.4
RAIN= 0.5

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会社生活断面記:日本電産訪問の思い出

「会社生活断面記:日本電産へのホールIC売り込み(http://af06.kazelog.jp/itoshikimono/2013/01/ic-caf7.html)。(2013年1月4日金曜日)」で日本電産について書いた。

その冊子が、偶然出てきた。WEBカメラでその画像を取り込んで見た。日本電産はたった一回の訪問であったが記憶に残る企業であった。群馬県には日本サーボというモーター関連の会社があり、その後日本電産傘下に入り、現在「日本電産サーボ株式会(http://www.nidec-servo.com/jp/)」になっている。どのような名門企業でも、経営者の一瞬の油断で傾いてしまう例は枚挙に欠かない。そのホームページをみると、「日本電産グループ コーポレート・スローガン」として、「日本電産グループは、コーポレート・スローガン「All for dreams」のもと、全グループ社員が一丸となって「夢を形にする社員集団」となり、常に 「挑戦と成長と強さ」を追求するとともに、ステークホルダーの皆様の「夢」のために企業活動を展開し、企業価値の向上に努めてまいります。」とうたっている。

「1978年のNIDEC社員 ●去って欲しい社員の条件」として七箇条を掲げている。その上下各二箇条を以下に示す。

1.知恵のでない社員
2.言われなければ出来ない社員


6.すぐ不平不満を言う社員
7.良く休み良く遅れる社員

日本電産は1973年(昭和48年)の創立である。上記の日本電産の期待せざる社員像は、創業から5年後のものであるが、現在もその精神はDNAとして受け継がれているようだ。
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2013年2月25日 (月)

半端道楽(会社生活断面記):8センチCDが飛び出してびっくり

2013年2月25日月曜日
昨日は晴れ。最低気温(℃) -2.3 03:56。最高気温(℃) 5.4 10:46。最大瞬間風速(m/s)(風向(16方位)) 18.6(西) 10:35。ざっそう句:月氷り 風が身を刺す 散歩かな。宅内閑居。パソコン仕事。その結果を持って用事外出。運動不足解消のため歩きで出かけた。不在だったので別コースで帰る。身に応える寒さだった。幸い満月に近い月を眺められた。その時刻のAMEDASデータ=19時、気温:-0.9、北西の風:4.5m/s。昨日は風も強かった。AMEDASデータ:10時、気温:4.6、西北西の風:8.1m/s、日照時間:0.6H。10時AMで比較すると最大瞬間風速/平均風速=18.6/8.1=2.296。経験的に最大瞬間風速は平均風速の二倍程度になるようだ。

2013年2月24日の天気(AMEDAS)

TAVE= 0.9
TMAX= 4.6 最高気温(℃) 5.4 10:46
TMIN= -2.1 最低気温(℃) -2.3 03:56
DIFF= 6.7
WMAX= 10.1 最大瞬間風速(m/s)(風向(16方位)) 18.6(西) 10:35
SUNS= 7.6
RAIN= 0

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半端道楽(会社生活断面記):8センチCDが飛び出してびっくり

先日、WEBカメラのインストールをしたが画像が出なかった。ドライバーがなかったので、WEB上で探した。あやしそうなサイトが多かったが、ようやくWEBカメラのメーカーのサイトにたどり着き、ドライバーを入手。それでもうまく行かなかった。

幸い、捜し物をしていると、WEBカメラに付属していたミニサイズのCDが出てきた。デスクトップパソコンのCDに入れて、トレーを閉めると、しばらくしてトレーが勝手に開いて、CDが飛び出してきた。一瞬、何か悪いことをしたかと不安になった。

現役時代、CADで集積回路の設計をしていた。単調な作業だ。計算時間が長い時や、うまく行かずボ~としている時がある。ついウトウトしてしまう場合もある。そんな時、素子のパラメーターに非現実的な値を入れて計算させた記憶がある。大型コンピュータがどのように反応するかそのスリルで、眠気さましをするようなものだった。例えば、通常抵抗値は正の値であるが、そこに負の値を入れて計算させる。数ボルトで動作させる電圧を数十ボルトや数百ボルトにして遊ぶ事もあった。その結果が出てくるまで、ドキドキする。目の前のCRTが爆発するのではないかと思った事もある。

コンピュータが返す回答は、時にはエラーであったり、何食わぬ顔で、それらしい回答を出すこともある。デバイスモデルにブレークダウン電圧を入れなければ電圧をいくいら上げてもまともな結果が出てくる。今朝、エクセルをいじると、日数計算で途方もない数字が出てきた。エクセルの誤動作を見たのは初めてだ。これにはびっくりした。ともかく、コンピュータが出す回答は使う人がチェックして妥当性を確認する必要がある。

なぜ、CDが飛び出して来たのか分からない。そこで、小型のCDの事例を調べようとしたが、その名前が分からない。色々、検索して「8センチCD」というらしいと分かった。

「8センチCD。http://ja.wikipedia.org/wiki/8%E3%82%BB%E3%83%B3%E3%83%81CD。(最終更新 2013年1月2日 (水) 15:22 )」『ウィキペディア日本語版』(http://ja.wikipedia.org/)。の記事に、「8センチCD (8 cm CD) は、コンパクトディスク (CD) のサイズの規格の一つ。通常CDの直径12cmに対し、直径が8cmの小型CDである。」とある。

DESK TOP PCに搭載されているCD-ROMにも、「8センチCD」を入れる溝らしい物が付いている。それで、安心して試してみた結果が、ディスクの飛び出し。飛び出した原因を更に調べると、縦置きになっているのが原因らしい。それなら、ノートパソコンで間に合うだろうと思いついた。よくよく調べると、そのノートパソコンにはWEBカメラが埋め込まれているようだ。ともかく、手がかりはありそうだ。

コンピュータシミュレーションで思い出すのは、計算結果が出ても、その適否の判断ができない場合が多かった。例えば、集積回路で消費電力が数ワットや数十ワットになると、現物をさわればやけどをする位の熱さになる場合がある。コンピュータは何食わぬ顔でそういう結果を出してくる。適否の判断までコンピュータに任せる事も可能なようだが、そうなると人間は益々考えなくなりそうだ。「会社生活断面記:試行錯誤の実験でも作業仮説の有無で結果が大違い(http://af06.kazelog.jp/itoshikimono/2012/11/post-b5c8.html)。(2012年11月14日水曜)」


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2013年2月19日 (火)

会社生活断面記:団体旅行

2013年2月19日火曜日
昨日は曇り夜から雨。最低気温(℃) -1.2 02:31。最高気温(℃) 7.9 21:27 。ざっそう句:旅の空 雨で釣りバカ 見て過ごす。昨日は旅先の現地は雨。主目的の桜は所々咲き始めている程度だった。天気は一昨日の晴天から一転し、うらめしい雨。予定コースをパスしたり、変更したり。バスの窓は結露し、景色をみるのもままならない。食べて、飲み、おみやげを買って、道中は、DVDの釣りバカ日誌を見て、予定より1時間ほど早く無事帰着。本日のGoogleDoodleは「ニコラウス コペルニクス 生誕 540 周年」で、クリックするとそのキーワードで検索され、そのトップにWIKIPEDIA「ニコラウス・コペルニクス。(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8B%E3%82%B3%E3%83%A9%E3%82%A6%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%82%B3%E3%83%9A%E3%83%AB%E3%83%8B%E3%82%AF%E3%82%B9)」が表示された。

2013年2月18日の天気(AMEDAS)

TAVE= 3.4
TMAX= 7.7 最高気温(℃) 7.9 21:27
TMIN= -0.7 最低気温(℃) -1.2 02:31
DIFF= 8.4
WMAX= 7.5 最大瞬間風速(m/s)(風向(16方位)) 14.9(西北西) 21:29
SUNS= 0
RAIN= 3.5

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会社生活断面記:団体旅行

ガイドさんによれば、道中で見た、DVDの「釣りバカ日誌」は第19作との事だった。「釣りバカ日誌」はバス旅行のつれずれをいやす定番作品の一つだったようだ。他に、「男はつらいよ」もバス旅行で見た記憶がある。

「釣りバカ日誌。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%A3%E3%82%8A%E3%83%90%E3%82%AB%E6%97%A5%E8%AA%8C。(最終更新 2013年2月13日 (水) 08:59 )」『ウィキペディア日本語版』(http://ja.wikipedia.org/)。の記事に、「『釣りバカ日誌』(つりバカにっし)は、作・やまさき十三、画・北見けんいちの釣り漫画で、1979年から小学館『ビッグコミックオリジナル』で連載されている漫画作品、及びその映画化、アニメ化作品である。略称は「釣りバカ」。~映画版 [編集]1988年(昭和63年)12月24日より松竹系にて公開、以降ほぼ毎年1本新作が公開されていた。『男はつらいよ』シリーズと並び松竹を代表する国民的映画シリーズでもある。1995年と1999年は制作されていない(1994年と1998年に2本作ったため)。1995年に公開されなかったのは『男はつらいよ』の最終作を単独公開させたいとの配慮のため。「釣りバカ日誌イレブン」は2000年2月公開だが撮影時期は1999年である。本稿では1作目と全体について記述し、シリーズ各作品については該当の項を参照のこと。」とある。

WIKIPEDIA記事により、「釣りバカ日誌」のルーツが漫画にあると知った。漫画や映画では、この作品を見たことがない。やはり、ビデオやDVDで見られるようになったので、余り関心がない人にも見る機会が生まれたのだろう。時代の変化を感じる。

現役時代、昭和40~50年代に会社が提供した娯楽に、映画鑑賞会と団体旅行があった。会社構内には大きなホールか体育館があったので、映画鑑賞会が行われていたが、いつしかなくなってしまった。「野外映画会:いとしきもの(http://af06.kazelog.jp/itoshikimono/2010/02/post-5185.html)(2010/2/18)」。映画の題名等は忘れているが、一般の映画館で上映されたタイトルがあったように記憶している。会社主催の団体旅行の場合は相当台数が多かった。親睦会等より小さな組織主催の場合は、一台から数台。ともかく、数十人から数百人の団体旅行が行われていた。

「釣りバカ日誌19 ようこそ!鈴木建設御一行様。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%A3%E3%82%8A%E3%83%90%E3%82%AB%E6%97%A5%E8%AA%8C19_%E3%82%88%E3%81%86%E3%81%93%E3%81%9D!%E9%88%B4%E6%9C%A8%E5%BB%BA%E8%A8%AD%E5%BE%A1%E4%B8%80%E8%A1%8C%E6%A7%98。(最終更新 2013年2月6日 (水) 06:29 )」『ウィキペディア日本語版』(http://ja.wikipedia.org/)。の記事に、「『釣りバカ日誌19 ようこそ!鈴木建設御一行様』(つりバカにっしじゅうく ようこそすずきけんせつごいっこうさま)は、2008年10月25日公開(ロケ地の大分県内では2008年10月18日から先行公開)の日本映画。」とある。

WIKIPEDIA「釣りバカ日誌20 ファイナル。(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%A3%E3%82%8A%E3%83%90%E3%82%AB%E6%97%A5%E8%AA%8C20_%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%8A%E3%83%AB)」が最終作との事だ。

「釣りバカ日誌19 ようこそ!鈴木建設御一行様(松竹株式会社:全作品データベース。http://www.tsuribaka-movie.jp/database/number_21.html)」に紹介記事があった。この「釣りバカ日誌19作」は、会社の団体(社員)旅行が下敷きにある。昔の団体旅行がバスや汽車なら、最近は航空機。

ツァーで参加者が見知らぬ人が大部分となると映画の筋書き作りも難しいと感じた。終わり近くで、はまちゃ(浜崎 伝助 - 西田敏行)の予想外の演技に思わずほろりとした。
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2013年2月13日 (水)

会社生活断面記(目に留まった風景):昔のデジタル画像を調べる

2013年2月13日水曜日
昨日は晴れ。最低気温(℃) -2.5 07:00。最高気温(℃) 6.9 14:36 。ざっそう句:日の丸も 万歳すらも 要らぬ国。寒さが身にしみる。宅内閑居。昨日、北朝鮮が核実験をしたというニュースが流れた。核分裂自体は自然現象だ。ウラン、プルトニウム等の核物質は自然崩壊し、中性子を出す。その中性子が更に核を分裂させてねずみ算式に核分裂が起こる。核分裂を核爆発に到らないように制御すると原子炉が出来る。核分裂を終局までさせるのが核爆発。核兵器は核爆発を使う。そのような現象が起きる限界重量があり、それだけの核物質を集めると核(物質)保有国。日本も核(物質)保有国だ。核物質を武器に転用すると核兵器になる。国家でなくてもテロ集団でも核兵器が持てる現実がある。核分裂は自然現象なので、その現象自体に善悪はない。善悪はそれを何に使うかという人間の目的意識の中にある。核兵器保有国がいくら北朝鮮を非難しても同じ穴のムジナだ。そこに核兵器保有国の本当の弱さがある。一昨日は「建国記念の日」だった。十数年前、たまたたま京都のどこかで撮影したある天皇陵のデジカメ画像がパソコンの隅に眠っていた。歴史を遡ると国家の原像が浮かび上がるだろうか。

2013年2月12日の天気(AMEDAS)

TAVE= 2.3
TMAX= 6.1 最高気温(℃) 6.9 14:36 
TMIN= -2.4 最低気温(℃) -2.5 07:00 
DIFF= 8.5
WMAX= 7.4 最大瞬間風速(m/s)(風向(16方位)) 12.4(西北西) 01:01 
SUNS= 8.8
RAIN= 0

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会社生活断面記(目に留まった風景):昔のデジタル画像を調べる

WIKIPEDIA「建国記念日(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BB%BA%E5%9B%BD%E8%A8%98%E5%BF%B5%E6%97%A5)」=「この項目では、世界各国の建国記念日について記述しています。」
WIKIPEDIA「建国記念の日(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BB%BA%E5%9B%BD%E8%A8%98%E5%BF%B5%E3%81%AE%E6%97%A5)」=「建国記念の日(けんこくきねんのひ)は、日本の国民の祝日の一つ。日付は2月11日。」

日本という国の歴史がどこまで遡れるか定かではないが、小さな集団の多数の部族がより大きな幾つかの集団に統合される中で、その諸集団を統治する王が生まれ、諸王の王として天皇が生まれてきたようだ。2月11日の建国記念日に、特別に報道されるような大きな記念行事はなかったようだ。日本の来し方行く末を考えると建国記念の日も有意義であるように感じる。

パソコンの中にある昔のデジカメ画像で、少しだけ手がかりはあるが、それ以外は忘れているものがある。写真は、大阪駐在時に京都方面を旅したときに、京都のどこかで撮影した天皇陵である事は覚えている。標識も写っているが解像度不足で読みとれない。

そこで、検索エンジンの画像検索「天皇陵 京都」で、似ている画像を探した。墓陵の囲いや鳥居の形から似ているのを探し、その名前を推定した。多分、仁明天皇陵だろうと推定し、次に「仁明天皇深草陵」で検索した(http://www.google.co.jp/search?hl=ja&lr=lang_ja&site=imghp&tbs=lr%3Alang_1ja&tbm=isch&source=hp&biw=792&bih=400&q=%E4%BB%81%E6%98%8E%E5%A4%A9%E7%9A%87%E6%B7%B1%E8%8D%89%E9%99%B5)。更に、地図検索で、その位置を調べた(京都府京都市伏見区深草東伊達町 仁明天皇深草陵)。伏見区へ行った記憶が思い出せない。手元にある画像も、タイムスタンプが狂っている可能性がある。ただ、当時自分がそこにいたとすると年代は1997年頃になる。調べると、1996年3月にエプソンが CP-100(35万画素)を発売している。このデジカメを使ったような記憶がある。35万画素。画像情報,640 x 480 ドット  24 ビットと出る。

WEB画像と比較して、気になるのが内部の松の木と鳥居の色と高さが異なるようだ。囲いと門、内部の灯籠は同じように見えるが、鳥居は銅製の背丈が低い物をコンクリート製の背丈がやや高い物に立て替えたとすると説明が付くように感じるが、あえて結論は出す必要はないだろう。全く別物かも知れない。ともかく10数年前に写真のような天皇陵があったというだけで思い出は成り立つだろう。パソコンの隅に残っていた気になる画像だった。

WIKIPEDIA「仁明天皇(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BB%81%E6%98%8E%E5%A4%A9%E7%9A%87)(最終更新 2012年8月3日 (金) 05:47)」の記事=「仁明天皇(にんみょうてんのう、弘仁元年(810年) - 嘉祥3年3月21日(850年5月6日)、在位:天長10年3月6日(833年3月30日) - 嘉祥3年3月19日(850年5月4日))は、平安時代初期の第54代天皇。諱は正良(まさら)。」
Tennouryou_kyouto_1997
左手に建物らしい物。右手に松らしい樹木。

Tennouryou_hikaku_gazou_4pix
左二枚:古い画像、右二枚:仁明天皇深草陵(WEB画像)。中央:鳥居と門の拡大。

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2013年2月 3日 (日)

技術 回顧と展望(会社生活断面記):ついに見付けた幻のタイピン

2013年2月3日日曜日
昨日は晴れ。最高気温(℃) 18.3 15:52。この季節、最高気温は高くても10℃前後なので、それより8℃も高い。仕事中汗が滲んだ。ざっそう句:落ち葉着て 雛の如咲く 福寿草。山東菜を収穫。半結球だが、結球まで進んでいない。境界木のツバキを縮伐。蕾があめ玉ほどに膨らんでいた。ナツミカンを収穫、剪定。枯れて、果樹等を覆っている蔓草を除去。夏の手抜きを冬に挽回している格好だ。蝋梅は蕾が膨らんだママ。咲き時を考えているようだ。生け垣のアオキに赤い実が付いていた。辛夷(こぶし)の蕾も膨らんでいる。この「辛夷(こぶし)」という名前がパット出てこない。春になると、我が家では日当たりの良い場所にあるホウの白い花が目立ってしまい、生け垣の
辛夷(こぶし)には気付かない。「技術 回顧と展望:「知の信頼性」はどこへ向かうか(http://af06.kazelog.jp/itoshikimono/2012/03/16/)。(2012/3/16(金))」に花暦を作っていたとある程度。開花は3/中頃か。「白樺 青空 南風 こぶし咲くあの丘 北国の ああ 北国の春」と「北国の春」を連想するようにしよう。今日が節分。明日立春。

2013年2月2日の天気(AMEDAS)

TAVE= 10.0
TMAX= 18 最高気温(℃) 18.3 15:52
TMIN= 2.9 最低気温(℃) 2.6 06:16
DIFF= 15.1
WMAX= 9.2 最大瞬間風速(m/s)(風向(16方位)) 16.0(西北西) 22:35
SUNS= 8.1
RAIN= 0

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技術 回顧と展望(会社生活断面記):ついに見付けた幻のタイピン

ビジネスマンにとって背広とネクタイは手放せない。ネクタイの小道具としてタイピンがある。自分も一度だけ、記念品としてタイピンをもらった事がある。そのタイピンはやや長く、何かの拍子で曲がってしまい、やがてジャンク箱に入り紛失してしまった。

集積回路はチップサイズが大きいと、その中に含まれる欠陥が多くなり、不良品となる。技術者はその不良率を下げてコストダウンをするのが常套手段であった。最終製品まで組み上げてから歩留まりが低いと採算が合わなくなる。従って、不良品は出来るだけ前の工程で除去するのが普通である。そのため、一般的にはウェーハ段階で各種の試験が行われるようになった。

大抵、そのようなウェーハ上の不良品には赤色インク等でマーキングをして組立から除外した。中には、ウェーハ全部が不良の場合がある。そんなウェーハを見て、技術者達は何か使い道はないかと考えるのが一般的だ。冗談に、そいつをネクタイピンにしたら売れるかも知れないと慰め合う事もあった。このような話は、日本だけではなく、外国の技術者との会話でもあった。歩留まりは、どこでも頭が痛む問題であった。

しかし、半導体メーカーは自社のチップが外部に流出する事は、技術情報やノウハウが流出する原因になるのでチップを出したがらない。まして、不良チップを世の中に出すのは気まづずい思いがするだろう。在職中はその冗談が実現した例を一度も見たことがなかった。先日、リサイクルショップで、装飾品コーナーを覗いた。最早、背広を着て、ネクタイを締めるような事はほとんどないだろうと思っていたが、なにかの拍子で、ネクタイピンに手が向いた。

最初に取り上げたのが、やや特長があるデザインのもの。その近くに、四角の形が見えたごく普通のタイピンがあった。もしや、と思いつまみ上げてみるとどうもLSIチップが入っているようだった。おまけに、某半導体メーカーのイニシアルが入っていた。これこそ、その会社の何かの記念品ではないかと思った。勿論、関心の無い人にとってはほとんど価値がないだろう。それ相当の値段だったので、購入して珍品コレクションに加えた。ともかく、面白そうだと考えただけでなく、それが実行されていたのは驚きだ。
Lsi_chip_tie_pin_130129

2013年1月19日 (土)

技術 回顧と展望(会社生活断面記):CCD デジタルカメラ

2013年1月19日土曜日
昨日は晴れ。最高気温(℃) 5.0 13:28 。ざっそう句:山の神 食おうともせぬ 我が痩せ菜。久しぶりに木工DIY。用事外出。DIYも資材と道具が揃っているとやろうとする気持ちになる。また、一度始めると面白くなるようだ。もと会社の同僚は趣味で自宅のリフォームをしていると年賀状にあった。

2013年1月18日の天気(AMEDAS)

TAVE= 1.3
TMAX= 4.5 最高気温(℃) 5.0 13:28 
TMIN= -1.5 最低気温(℃) -2.0 05:33 
DIFF= 6
WMAX= 9.9 最大瞬間風速(m/s)(風向(16方位)) 16.1(北西) 13:57 
SUNS= 9.2
RAIN= 0

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技術 回顧と展望(会社生活断面記):CCD デジタルカメラ

先日、雪が降った翌日の畑の様子を予備のデジカメで撮影した。記録メディアがCFメモリーだったので、手持ちのメモリーリダーでは読めなかった。仕方なく、リーダーを購入してデータをパソコンに取り込んだ。デジカメ本体が約11年前の物。画質云々と言う前に、よぼよぼなデジカメで撮影できただけでも感動物だ。

自分が、現役時代にCCD デジタルカメラと接点が出来たのも偶然のたまものかもしれない。TV関係の集積回路の次に、ドライバーアレーやレギュレータ関係の仕事をする事になった。ドライバーアレーは、初期の頃はワイヤドットプリンターの駆動等に使われていた。いわば、メカトロニクスの領域で、駆動スピードは遅かった。当時、研究所でCCDの開発をしていたが、CCDを駆動するドライバーを開発するユトリがないので、開発して欲しいという要望があった。CCDのクロックドライバーという物であった。CCDには垂直と水平の2組のドライバーが必要になる。最高スピードは10Mを下らない。その性能を出せるプロセスもなかった。研究所から若い技術者を派遣して貰い、自部署の技術者と一緒に開発させる事になった。試行錯誤はあったが、CCDと組み合わせて目的の性能が出せた。当時はまだデジカメという程のデジカメは市場に出ていなかった。CCDは監視用のモニター等に使われていた程度であった。その後、CCDムービー等に使われるようになった。

「デジタルカメラ。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%87%E3%82%B8%E3%82%BF%E3%83%AB%E3%82%AB%E3%83%A1%E3%83%A9#.E6.AD.B4.E5.8F.B2。(最終更新 2013年1月7日 (月) 13:57 )」『ウィキペディア日本語版』(http://ja.wikipedia.org/)。の記事に、「デジタルカメラ (digital camera) とは、撮像素子で撮影した画像をデジタルデータとして記録するカメラである。世界で初めてコダックが開発した。 一般に「デジタルカメラ」といえば静止画を撮影する「デジタルスチルカメラ」を指し、動画を撮影する「デジタルビデオカメラ」は含めない。現在では静止画撮影が可能なデジタルビデオカメラや、動画撮影が可能なデジタルスチルカメラが一般的になっており、双方の性能の向上もあってその境界線が徐々になくなりつつあるが、デジタルカメラはその中でも静止画の撮影に重点を置いたモデルを指す。 通常「デジカメ」と略称されるが、「デジカメ」は、日本国内では三洋電機や、他業種各社の登録商標である(2010年4月現在)[1]。三洋は「『デジカメ』単体での使用は不問だが、『XXのデジカメ』(XXはメーカー名)のような記述は認めない」、と表明している[要出典]。 本項で特にことわらない限りは、一眼レフカメラはデジタル一眼レフカメラを、コンパクトカメラはデジタルコンパクトカメラを指す。」とある。

当時は、まだ白黒の時代であった、CCDにも幾つか方式があり、当時としては性能的に他方式より優れていたので、NASAのスペースシャトルに採用されたという話を聞いた記憶がある。当初、ドライバーはバイポーラプロセスが使われたが、CMOSの性能が向上して、バイポーラのCCDドライバーは一代だけで終わってしまった。

上記WIKIPEDIA「デジカメ」項に、デジカメが本格的に普及を初めた頃の様子が以下のように記述されている。デジカメがパソコンと相性が良く、Windows95ブームにうまく乗れた事によりデジカメの時代が到来した。同時に銀塩カメラは没落して行く。

「1994年発表1995年3月発売のカシオ計算機のデジタルカメラ「QV-10」は、デジタルカメラの存在と利便性を広く一般に認知させた製品である。外部記録装置なしで96枚撮影ができ、本体定価6万5,000円を実現して好評だった。一番のメリットは、液晶パネルを搭載し、撮影画像をその場で確認できることである。また当時はWindows95ブームで一般家庭にパソコンが普及し始めた時期であったため、パソコンに画像を取り込むことが広く認知された。この機種はNHKの番組「プロジェクトX?挑戦者たち?」090回「男たちの復活戦 デジタルカメラに賭ける」において、あたかも世界初のデジタルカメラのように紹介された。 QV-10の成功を皮切りに多くの電機企業が一般消費者向けデジタルカメラの開発・製造を始めた。QV-10発売の2か月後にリコーから発売されたDC-1にはカメラとしては初めての動画記録機能がある。その記録方法としてJPEGの連続画像(後にMotion JPEGと呼ばれる方式)を採用した。 この頃の製品はまだ画質も電池寿命もそれほど良くなく、存在が認知されたとは言え購入層もその使われ方も限定的で、性能もしばらくフィルムカメラを追い越すことはないと思われていた。1997年末頃から始まった高画素数化競争や小型化競争など、市場拡大を伴った熾烈な競争により性能は上昇、価格も下がり利便性も受けて、2005年頃にはフィルムカメラとデジタルカメラの販売台数が逆転、フィルムカメラからデジタルカメラへと市場が置き換わった。」と。

WIKIPEDIA「コダック(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%83%BC%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%9E%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%B3%E3%83%80%E3%83%83%E3%82%AF#.E6.AD.B4.E5.8F.B2)」によれば、フィルムの名門企業も「2012年(平成24年)1月19日 - 連邦破産法第11章の適用をニューヨークの裁判所に申請[3]。」し、経営破綻してしまった。

先日、家電量販店へ行ってデジカメ売場を見たが、デジカメとムービーのメーカーがまだ相当数ある、各メーカー毎に得意な分野があるので生き残っているのだと思うが、その得意分野が何なのか分からなかった。ムービーも手頃になってきた。最新のムービーも使ってみたいが、気がかりなのは昔のフィルムネガやムービーテープ資産を活用することだ。
Yukigesiki_yasai_130115

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  • 橋本 英文: 刃物雑学事典 図解・刃物のすべて(1986年 株式会社 講談社 ブルーバックス B-659)
    刃物という視点で多くの事例が取り上げられている。刃のある道具の理解にも役立つ。類書が少なく貴重な一冊。「すべり変形が切断の原理」という考え方で説明している。
  • 沼田 真   : 植物たちの生( 1972年 岩波新書(青版 833))
    「ご要望にお応えしてアンコール復刊(1988年岩波新書50年記念復刊) 地球生態系の中で自然を見直す」(腰巻きのフレーズ)。植物の知恵と戦略に人類は勝てるのか。
  • 出町 誠: 14_NHK趣味の園芸:よく分かる栽培12ヶ月  カキ(NHK出版2007年)
    初心者向け柿栽培参考書(新版)。旧版と比較すると楽しい。
  • 中村三夫: 13_NHK趣味の園芸:作業12ヶ月  カキ(NHK出版1996年)
    初心者向け柿栽培参考書(旧版)。新版と比較すると楽しい。
  • 山科正平: 12_細胞を読む   電子顕微鏡で見る生命の姿
    細胞はどんな部品からできているのか。そんな疑問に答えてくれる一冊。何事も形を見るのが第一歩。μからÅオーダーの世界で、細胞をメスで解剖するように、電子顕微鏡というメスで解剖して見せてくれるので興味が尽きない。
  • 柳田充弘: 11_細胞から生命が見える
    著者の専門は分子生物学、細胞生物学。普段生物を考えても細胞レベルで止まってしまう。その細胞の中で色々な分子が働いている。細胞こそ生命の基礎だが、その細胞の中の動きを知るのに最適な一冊。疑問の発端はなぜ発根剤が効くのかということ。薬剤が細胞膜を通過して細胞内で分子と分子が作用するイメージができた。本書でできた細胞のイメージは小さな無数の穴が空いた水分が充満したヨーヨーのようなもの。そのヨーヨーの中に分子部品が詰まっている。細胞自体もタライの中のヨーヨーのように浮かんでいる。細胞図面の空白部は真空でなく水分だ。細胞の内外に水がないと細胞は生きられない。水が生命のゆりかごだ!
  • 野口悠紀雄: 10_ホームページにオフィスを作る(2001年 光文社)
    ITが輝いた時代の作品。HPの活用法は参考になる。参考:url=http://www.noguchi.co.jp/(野口悠紀雄 ONLINE)
  • 小池洋男 編著: 09_果樹の接ぎ木・さし木・とり木(農文協:2007/3/31第1刷)
    やや専門的であるが、実務専門化が分担執筆しており、その場で役に立つ一冊。
  • ノーバート・ウィーナー(鎮目恭夫訳): 08_サイバネティックスはいかにして生まれたか(みすず書房1956)
    情報と通信という現代社会に不可欠の基礎的な学問を作った著者の自伝とそれを通した科学史
  • 沼田 真(編): 07_雑草の科学(研成社1979)
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