06C_読みかじりの記

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2013年7月31日 (水)

読みかじりの記:食塩と健康の科学 減塩だけがよいわけではない! 伊藤敬一 著 (2001年 株式会社 講談社)

2013年7月30日(火)
昨日は晴れ。最高気温(℃) 33.1 13:35。ざっそう句:炎天下 仕事が怖い 熱中症。仲間と物件補強作業。現場確認後、ホームセンターで資材調達。切断機を借用して加工後、現場で作業。部品のサイズが合わず金鋸で現物合わせ。やや雲が厚い晴れだが、じりじりと日が照る日中の作業で熱中症が心配だった。

2013年7月30日の天気(AMEDAS)

TAVE= 27.4 NO DATA
TMAX= 32.3 最高気温(℃) 33.1 13:35 
TMIN= 23 最低気温(℃) 22.6 05:43 
DIFF= 9.3  
WMAX= 4.4 最大瞬間風速(m/s)(風向(16方位)) 7.9(東南東) 14:00 
SUNS= 7.2 NO DATA
RAIN= 0 NO DATA

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読みかじりの記:食塩と健康の科学 減塩だけがよいわけではない! 伊藤敬一 著 (2001年 株式会社 講談社)

老人力が付いて熱中症が心配で書棚から引っぱり出して再読。最初は減塩が気になり読んだ講談社ブルーバックスの中の一冊。著者は医学者という事で、食塩に関して多方面から述べている。やはり、老人力を付ける有力な要素として高血圧や癌があり、食塩との関係が疑われて食生活が心配になったのも本書を手にした理由だった。

先ず、本書を読んで、海水のミネラル種別毎の濃度割合が、人体の血清中のミネラル種別毎の濃度割合とほぼ比例している点に興味を覚えた。海水対血清ではほぼ3:1の比になっているとの事だ。人類の祖先が陸に上がってから現在まで血清の濃度が変わっていなければ、海水の濃度が上昇したか、汽水域のミネラル濃度が低い所から陸に上がったと解釈されるようだ。

WIKIPEDIA「血清。(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A1%80%E6%B8%85)」

WIKIPEDIA「地球史年表。(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9C%B0%E7%90%83%E5%8F%B2%E5%B9%B4%E8%A1%A8)」

極論すると、生物とミネラルの関係は生命発祥の頃まで遡る事になりそうだ。生体を適正に維持する機能をホメオスタシスというらしいが、生体内のミネラル濃度・組成もその基本的な部分を形成していると理解した。

本書が出版されてから既に10年以上経過して、胃ガンに関してはピロリ菌が原因とする説が有力になっている。食塩摂取量と胃ガンの発生率はあくまで疫学的な統計現象で、全ての個人の特性とはは関係しないと著者もことわっている。本書の索引にはピロリ菌は掲載されていない。ピロリ菌が広く一般に知られるようになったのは本書出版以後だと思う。

WIKIPEDIA「ヘリコバクター・ピロリ。(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%98%E3%83%AA%E3%82%B3%E3%83%90%E3%82%AF%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%83%94%E3%83%AD%E3%83%AA)」

本書は食塩に関して多方面から切り込んでいる。日常健康な人が何をどれだけ食べるかは、最終的にはあくまで本人の裁量に任される。ただ、その食習慣が長期的にどんな弊害をもたらすか、それは永久的に断言できないだろう。今日、ほとんどの人が加工食品を食べざるを得ない状況にある。その加工食品が商品である以上、売れる味付けが優先される。自分ながら、最近コンビニ食が増えたような気がする。

ところで、熱中症対策としては、水分とミネラル分の補給だけで良いのだろうか。生体が備えた熱対策が発汗作用だ。汗まみれになって仕事をして家に入ると、かみさんは汗が臭いと鼻をつまむ。神聖な汗を悪し様にけなすのは商業主義の奴隷だとかみさんに反発した事もある。

WIKIPEDIA「塩田。(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A1%A9%E7%94%B0)」

今日、塩は貴重品から日常品になってしまった。しかし、自分がかいた汗が結晶して生まれた塩をなめると、なんとなく本当の動物に還ったような気もする。動物は、自分が排出した塩分を体をなめてリサイクルしているとの事だ。

「哺乳類。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%93%BA%E4%B9%B3%E9%A1%9E。(最終更新 2013年6月14日 (金) 07:24 )」『ウィキペディア日本語版』(http://ja.wikipedia.org/)。の記事に、「乳房:授乳という哺乳類のメスが行う独特の行動に用いる器官で、乳房と乳頭内部にある乳腺と乳管で成り立つ。出産すると乳の分泌が開始されるが、イヌなどでは他の個体が産んだ子を相手に母性本能が刺激されて乳を分泌する場合もある。発生的には汗腺が分化したもので、胎生の段階では腹部に複数の対を成す乳腺堤から生じる。これがイノシシやネズミなど多産な種では多くが残る。逆にヒトやゾウのような少産種では1対のみが残り他は退化するが、稀に残存したものが過剰乳頭である[1]。」とある。

極論だが汗は乳汁の走りのようだ。人類が汗をかかなくなったら最早、ほ乳類から離脱して滅びの道に向かうのではないか。たかが食塩、されど食塩。人様の言いなりに従うだけでは、えらいことにもなりかねない。

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2013年7月14日 (日)

老人の寝言;読みかじりの記:エッ!「写真俳句」と「サラリーマン川柳」が登録商標?

2013年7月14日(日)
昨日は曇り。最高気温(℃) 31.7 15:13。ざっそう句:子バッタを 狙うカメラは 草写す。ばて気味で宅内にいると来客。最終資料を作成する事にする。大きなスイカを頂いた。接ぎ木ではなく実生・自根株に生った物との事。昔、「自根」を「白根」と勘違いしていた。横線一本で意味が大違い。味見が楽しみだ。勝手に生えたナス苗をポット上げ。これも自根だが。おまけに、昨年採取したナスの種子が出てきたので播いた。秋ナスに間に合うか。ポーチュラカ移植。先日採取したニンジンを播種。勝手に生えたスイカ苗一本移植。なぜ畑の隅に生えたのか謎。今後はスイカの種子も採取しようか。スイカの種子は意外に高いのだ。

2013年7月13日の天気(AMEDAS)

TAVE= 27.9 NO DATA
TMAX= 31.5 最高気温(℃) 31.7 15:13
TMIN= 25.1 最低気温(℃) 25.0 04:07
DIFF= 6.4  
WMAX= 2.2 最大瞬間風速(m/s)(風向(16方位)) 3.5(北西) 05:34
SUNS= 0.1 NO DATA
RAIN= 0 NO DATA

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老人の寝言;読みかじりの記:エッ!「写真俳句」と「サラリーマン川柳」が登録商標?

「写真俳句」と「サラリーマン川柳」を二つ並べても別に違和感は無いが、違いがあるのだろうか。先日、WEB情報を調べていたら、『「写真俳句」は森村誠一氏の登録商標です。』という文言に遭遇した。

「写真」も「俳句」も極一般的な用語で、その適用範囲は広大である。また、芸術や文学とも深く関係する用語でもある。それなのに、「写真」+「俳句」=「写真俳句」が登録商標になるのも不思議だが、それをある文筆家個人が登録商標にするのも不思議に思えた。

旧聞だが、「温泉県」という登録商標出願が大きな波紋を起こした。やはり、言葉というのは、社会に通用して意味があるのであり、既に通用している言葉から、法則性を使って誘導される複合語を登録商標にする事は商道徳的に如何かと思ったのが、「温泉県」騒動であった。

もし、無条件に、出願者の出願が認められれば、言語の有効性が萎縮してしまうだろう。逆に、ある新しい言葉を造語したり、それが通用していない地域で普及させるという、創意と努力に対しては全権ではない相応の権利を認めても良いように思われる。

例えば、「温泉県」を「ONSENN PREFECTURE」として外国で商標登録して外国人観光客を掘り起こすなら、その努力とアイデアに文句を付ける他の県は無いだろう。外国人観光客誘致に下手に金を使うより、このようなアイデア商法の方がスマートであるとさえ思える。

森村誠一氏は文筆家だったと思うので、オヤと思った次第だ。そこで念のため電子図書館で調べた。【登録番号】 第4998749号 。【登録番号】 第5408480号。等数件がヒットした。当初の基本出願を分割して、適用範囲を拡大しているようだ。

森村誠一氏は「写真俳句」を作成し、その普及活動もしているようで、もしや、第三者が「写真俳句」を商標登録した場合、その自由な使用が制限を受けるので、防衛的な意味で登録したのだろうか。ともかく、「写真俳句」という「標準文字」が登録商標だと知って何とも不可解な思いを味わった。

読みかじりの記:平成サラリーマン川柳 傑作選 ①一番風呂・二匹目 山藤章二+尾藤三柳+第一生命 選(2004年 株式会社 講談社)

本書には選者が、「サラリーマン川柳」が新しいジャンルを切り開いたと述べている部分がある。「平成サラリーマン川柳傑作選第一集」の出版が1991年との事で当時のサラリーマン事情を振り返る参考にもなると思う重う(バカなATOK)。

これも、念のためと電子図書館で「サラリーマンセンリュー」を検索すると、登録4053955(登録日=平成9年(1997)9月5日;先願権発生日= 平成7年(1995)6月27日 )、登録4053956、登録4080280の三件がヒットした。これにもショック。二匹目のドジョウも独り占めという趣旨ではと思わせる。

権利を取得しても、それを不当に行使しないと宣言して、実質的にその登録商標を普及するようにしないと、文化も衰退に向かうのではないか。そのような善意の権利取得も無いわけではないだろが。二匹目のドジョウどころか、安心して三匹目、四匹目を狙えるような条件が整って初めて本当の文化の盛り上がりが起きるのではないか。

敵がそのような、文化基盤という基本的言語(これこそ公共の無体財産だ)にただ乗りして、利益をむさぼるなら、三匹目、四匹目を狙おうとするするものは、その敵に果敢に挑戦すべきではないか。登録商標を調べてから、作品を作り創作するようでは本末転倒になりすぎるのではないか。

ともかく、登録商標として権利が成立すれば、法治国家としては、その権利行使が認められてしまう。電子図書館によれば、「オンセンケン」は「商願2012-85758 」として、大分県が「平成24年(2012)10月9日」に出願している。

ソレジャア、「写真俳句」の対抗版を公知にしておこう。「写真俳句KING」、「写真俳句キング」はではドウジャ。電子図書館で「シャシンハイキング」を検索すると「上海キング(シャンハイキング)」がヒットした。

上記、「平成サラリーマン川柳 傑作選」にも溜飲を下げる傑作が多数掲載されているが、「サラリーマンセンリュー」が登録商標と知るや一気に興ざめしてしまった。

独り占め その先どうよ 興が冷め。

「サラリーマンセンリュウ」には何で対抗するか。「サラリーMAN川柳」、「サラリマンセンリュウ」「さらりマン川柳」か。意味は後から付いてくる。

ともかく、サラリーマンが一世を風靡したのも現代史の一面。そのサラリーマンが、「アルバイト」、「派遣」、「期間社員」、「正規」、「非正規」等々に分裂し、サラリーマンの悲哀も隔世の感がする。最早、自分の身を嘆き笑い飛ばす気力も消滅寸前。創造の領域でも地下では権利の縄張り化が着々進んでいるいるようだ。金、金、金と金に明け暮れて過ごすのがしがない庶民の宿命か。


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2013年7月10日 (水)

読みかじりの記:半導体に賭けた40年 岩瀬新午著 (1995年 株式会社 工業調査会)。20130710。

2013年7月10日(水)
昨日は晴れ。最高気温(℃) 36.7 15:44。ざっそう句: 夏草や 朝露吸って 枯れ凌ぐ。通路脇草刈り。そこにジニアを移植。ジニア、マリゴ区画除草。そこのジニア追加移植。ニンジン種子採取。夕方ゴボウとオクラ区画灌水。

2013年7月8日の天気(AMEDAS)

TAVE= 30.0 NO DATA
TMAX= 35.8 最高気温(℃) 36.7 15:44
TMIN= 24.2 最低気温(℃) 24.0 05:21
DIFF= 11.6  
WMAX= 5.1 最大瞬間風速(m/s)(風向(16方位)) 9.4(東南東) 18:06
SUNS= 12.2 NO DATA
RAIN= 0 NO DATA

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読みかじりの記:半導体に賭けた40年 岩瀬新午著 (1995年 株式会社 工業調査会)

本書を読みかじって、本書は著者一代の歴史であると共に日本の半導体の歴史でもあると感じた。半導体ビジネスは、その初期は物量と労働力が中心で軽工業的であったのに、市場が拡大するに従い装置主体の重工業のように変貌した。そのような歴史の中で、半導体の種まきから、育成、収穫までを一貫して体験した結果が本書に結実しているのであろう。

著者は、日本で最初のトランジスタ動作の確認の様子を細かく書いている。成功の基本が「運、鈍、根」にあったと述べているが、トランジスタが時代の脚光を浴びていたのも事実だろう。自分が学生の頃、モレクトロンとかいう電子部品が新聞に載った記憶がある。今後、新しい電子部品が生まれてくるのだろうと漠然と期待していた。

半導体に賭けた40年 岩瀬新午著の概要;
http://webcatplus.nii.ac.jp/webcatplus/details/book/2534696.html
Iobhandoutai_40nen_hon_iwase_s_2
「赤紙をもらって工場へ(http://af06.kazelog.jp/itoshikimono/2009/05/post-45e6.html)。(2009/5/7)」

「技術 回顧と展望:赤紙をもらって量産ラインに直行した頃(http://af06.kazelog.jp/itoshikimono/2012/06/24-b1a1.html)。(2012年6月24日日曜日)」

本書を読んで、在職中の事を思い出した。新しい事を始めると、前例のない事に直面する事が多い。また、装置や道具も既製品がないので自作する事も多い。本書を読んで、改めてそういう目先の課題を自作してでも解決する事の大切さを再認識した。

学生時代は、卒研に使う装置・道具を自作している例がかなりあった。半導体素子を研究した研究室では拡散炉も自作していた。その拡散炉でPN接合ができたと喜んでいた旧友を思い出す。自分も、エサキダイオードの特性測定に使う電源を自作した。その時は、まさか仕事でレギュレータの開発をしようとは予想もしていなかったが、学生時代の経験も役に立った。

Googleによる「岩瀬新午 三洋電機」の検索(http://www.google.com/?hl=ja#hl=ja&output=search&sclient=psy-ab&q=%E5%B2%A9%E7%80%AC%E6%96%B0%E5%8D%88%E3%80%80%E4%B8%89%E6%B4%8B%E9%9B%BB%E6%A9%9F)。

職場では、色々な勉強会もした。著者も勉強会や啓蒙活動を色々した事を本書で語っている。やはり、物作りは人作りがなければ永続しないのであろう。三洋電機の半導体部門が大きな会社に匹敵するまで成長できたのも、そこを任せられる人材がいたからではないかと思う。その三洋電機半導体部門も現在では、オンセミの傘下に入っている。世代交代が進み、自分と一緒に仕事をした同僚も少なくなっているが、まだDNAは引き継がれているのではないかと、同社の製品一覧を眺めながら思ったりしている。

著者は、業績不振で事業部長降格になった事をあっさりと述べているが、振り返ると経営的に非常に厳しい時もあった。景気の後退・需要減の時には、諸悪の根元である在庫圧縮のため、製造部門は仕事を休み自宅待機や出勤しても本来業務以外の業務を迫られた事もあった。しかし、当時は大量解雇は無かった記憶している。

半導体の景気には、五輪景気というジンクスがあり、谷があってもやがて山も巡ってくる。その時、人材を確保しておかなければ乗り切れないという読みもあったのだろうか。自分は、製造部門は詳しく知らないが、本書に登場する製造部門責任者が発行する赤紙で、たびたび工場に呼び出された記憶がある。当時は、まだICの選別は若い女子従業員が頼りであった。その後、自動テスターが導入され女子従業員の姿は工場から消え始める。

本書を読んで、改めて著者の交友関係の広さを感じた。「赤紙をもらって工場へ」の記事に、専務室に呼ばれた事を書いた。当時の開発部と通路を隔てた奥の方に専務室があった。詳細は分からないが、著者とタケダ理研の社長の武田博士との交流で、著者を訪問してその談話の席に呼ばれたのであろうと思った。高周波減衰器に組み込んだリレーは多分日本ハムリン製のリードリレーだったと思う。WEB検索すると日本ハムリンの設立が1968年(株式会社日本アレフ ホームページ:http://www.nippon-aleph.co.jp/cont/grou_2.html)。

当時著者は会社の経営者、会談の相手も計測機器会社の社長で、現場の一技術者が出る場面ではなかったが、上司の開発部長が部下の悩み事に耳を傾けそれが話題に上がったという次第のようだったが、これも一つの運と言えるだろう。これが丁度、1967年頃の話ではないかと思う。日本ハムリンの設立から10後の頃のようだ。

本書の中には、昔懐かしい上司の名前が現れるが、自分の現役時代は既に雲の上の人になっている方が多かった。20世紀は半導体全盛の時代であり、半導体は業績の変動が大きい業界だが、長い目で見れば成長産業だと思いつつ現役時代を過ごしてきた。21世紀に入り、その流れに変調が生じたように見える。しかし、半導体に代わる第三の電子デバイスの有力候補は当面見えないようだ。

これから、世界にでる若者にとって、半導体がどのような役割を果たすのか興味あるところだ。ともかく、若者から携帯やスマホが無くなれば、味気ない生活となってしまうだろう。夢を描き夢を実現する手段として半導体に目を付けてもらいたいものだ。今日のIT時代を半導体が支えているのも疑いのない事実だ。日本の半導体はどこへ向かうかという一抹の不安と共に半導体よ生き残れと期待したい。

追記:
たまたま、先日「NHK  電子立国 日本の自叙伝 (上)」、相田 洋著 (1991年 日本放送出版協会)を拾い読みした。本書は、専門家でない放送人がテレビ番組として作成した内容を書物にしたもので、絵にして見せるという手法にこだわったらしい。本書に岩瀬新午の「バケツ偏析装置」が再現された時の様子が述べられている。本書出版当時は、まだ半導体開発初期に活躍した人物が健在で取材に協力している。当時の様子を知ることができる貴重な一冊だろう。日本への半導体導入という歴史を、江戸時代の西洋医学の導入という歴史に重ねて見ると、日本人は、外国に何か優れた物があれば、それに熱中するようだが、問題意識を持って、基礎から始めるのは苦手なようだ。科学や技術の世界でも鶏頭となるも牛後となるべからずという警句が通じるのではないか。トランジスタの発明以前に、真空管に代わる固体デバイスの重要性を認識して研究したたりそれを促した人物が日本にいたのだろうか。

「日本半導体歴史館。(http://www.shmj.or.jp/index.html)」
「1950年 日本初トランジスタ動作確認(電気通信研究所)。(http://www.shmj.or.jp/museum2010/exhibi340.htm)」

************************
追記(2020/07/05):タイトルに投稿期日を追加。本日アクセスランキング3位。再読。まだ、当時の記憶が少し残っていた。当時の人物の名前が浮かんでくる。WEB調査。懐かしい。

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2013年6月25日 (火)

読みかじりの記(ツルよ 飛んでおくれ):青空文庫で萩原朔太郎「氷島」を読む。20130625。

2013年6月25日(火)
昨日は曇り時々晴れ。最高気温(℃) 28.9 15:12。ざっそう句:青葉には 青い衣の 子カマキリ。ミカン苗区画除草。自働蒔きダイコン区画の除草。買い置きのポーチュラカを改植。昨年、自家採種したダイコンの莢から種子を抽出。夕方頃にわか雨がパラパラと降る。自家採種ダイコンの種を播いて終了。

2013624日の天気(AMEDAS

TAVE= 23.4 NO DATA
TMAX= 28.5 最高気温(℃) 28.9 15:12
TMIN= 20 最低気温(℃) 19.6 01:37
DIFF= 8.5  
WMAX= 3.4 最大瞬間風速(m/s)(風向(16方位)) 7.6(東南東) 14:47
SUNS= 4 NO DATA
RAIN= 0 NO DATA


読みかじりの記(ツルよ 飛んでおくれ):青空文庫で萩原朔太郎「氷島」を読む

萩原朔太郎は昭和九年二月と記された自序の末尾に、「因に、集中の「郷土望景詩」五篇は、中「監獄裏の林」の一篇を除く外、すべて既刊の集に發表した舊作である。此所にそれを再録したのは、詩のスタイルを同一にし、且つ内容に於ても、本書の詩篇と一脈の通ずる精神があるからである。換言すればこの詩集は、或る意味に於て「郷土望景詩」の續篇であるかも知れない。著者は東京に住んで居ながら、故郷上州の平野の空を、いつも心の上に感じ、烈しく詩情を敍べるのである。それ故にこそ、すべての詩篇は「朗吟」であり、朗吟の情感で歌はれて居る。讀者は聲に出して讀むべきであり、決して默讀すべきではない。これは「歌ふための詩(うた)」なのである。」と述べている。

そうして、自序の冒頭には、「近代の抒情詩、概ね皆感覺に偏重し、イマヂズムに走り、或は理智の意匠的構成に耽つて、詩的情熱の單一な原質的表現を忘れて居る。却つてこの種の詩は、今日の批判で素朴的なものに考へられ、詩の原始形態の部に範疇づけられて居る。しかしながら思ふに、多彩の極致は單色であり、複雜の極致は素朴であり、そしてあらゆる進化した技巧の極致は、無技巧の自然的單一に歸するのである。藝術としての詩が、すべての歴史的發展の最後に於て、究極するところのイデアは、所詮ポエヂイの最も單純なる原質的實體、即ち詩的情熱の素朴純粹なる詠嘆に存するのである。(この意味に於て、著者は日本の和歌や俳句を、近代詩のイデアする未來的形態だと考へて居る。)
 かうした理窟はとにかく、この詩集に收めた少數の詩は、すくなくとも著者にとつては、純粹にパッショネートな詠嘆詩であり、詩的情熱の最も純一の興奮だけを、素朴直截に表出した。換言すれば著者は、すべての藝術的意圖と藝術的野心を廢棄し、單に「心のまま」に、自然の感動に任せて書いたのである。したがつて著者は、決して自ら、この詩集の價値を世に問はうと思つて居ない。この詩集の正しい批判は、おそらく藝術品であるよりも、著者の實生活の記録であり、切實に書かれた心の日記であるのだらう。」と記している。

さらに、「讀者よろしく、卷尾の小解と參照して讀まれたい。」とも述べている。いわば、文学という技巧をかなぐり捨てて、自分の素直な心情記録・日記として「氷島」を出したのだと宣言している。そうして、読んでみたいと思って検索したキーワードは「忠治」だった。「國定忠治の墓」の墓がヒットした。Googleの検索式:<「忠治」 site:http://www.aozora.gr.jp/cards/000067/>で二件ヒットした。

「國定忠治の墓」こそ、自分が探した目標だったので、やった!という感じだ。なぜ忠治なのか。先日書いた、「残照雑記:「国定忠治終世の地大戸見学日程」の思い出」(

残照雑記:「国定忠治終世の地大戸見学日程」の思い出(1)=大久保一家の墓地

)とも通じるが、「国定忠治」も、すでに、原像が放つ白色光は消失し、それを見たり・読んだり・感じたりした結果として、スペクトルに分解された光しか見ることができないのだ。

萩原朔太郎は本書で、「しかしながら思ふに、多彩の極致は單色であり、複雜の極致は素朴であり、そしてあらゆる進化した技巧の極致は、無技巧の自然的單一に歸するのである。」と述べている。この「國定忠治の墓」の背景には、萩原朔太郎の世界が見えるのではないか。

この詩の小解を先ず引用する。
「 國定忠治の墓  昭和五年の冬、父の病を看護して故郷にあり。人事みな落魄して、心烈しき飢餓に耐へず。ひそかに家を脱して自轉車に乘り、烈風の砂礫を突いて國定村に至る。忠治の墓は、荒寥たる寒村の路傍にあり。一塊の土塚、暗き竹藪の影にふるへて、冬の日の天日暗く、無頼の悲しき生涯を忍ぶに耐へたり。我れ此所を低徊して、始めて更らに上州の蕭殺たる自然を知れり。路傍に倨して詩を作る。」

この数行を読むと、「國定忠治の墓」ができた背景が真に迫ってくる。WIKIPEDIA「萩原朔太郎。(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%90%A9%E5%8E%9F%E6%9C%94%E5%A4%AA%E9%83%8E)」によれば、「萩原 朔太郎(はぎわら さくたろう、1886年(明治19年)11月1日 - 1942年(昭和17年)5月11日)は、日本の詩人。大正時代に近代詩の新しい地平を拓き「日本近代詩の父」と称される。1942年5月11日(満55歳没)」。この詩を作った時、41才になろうか。上記検索式でKW=「父」をGoogle検索すると「約 126 件」と出た。この件数は青空文庫の萩原朔太郎の項では上位に属する。父の存在が萩原朔太郎に与えている影響を反映していると考えられる。

ともかく、人間関係も、季節も、生活も厳しく絶望の淵にある時の作品だ。国定忠治の墓が、こんな萩原朔太郎を招いたのだろうか。ともかく、この作品を作ることにより、萩原朔太郎は危機を脱したかに感じたのである。

國定忠治の墓

わがこの村に來りし時
上州の蠶すでに終りて
農家みな冬の閾(しきみ)を閉したり。

「いき【×閾】:刺激の強さを連続的に変化させたときの、生体に反応をひき起こすか起こさないかの限界。生理学・心理学の用語。」「閾(しきみ)」:門戸の境界とする横木。
「蠶」:かいこ

太陽は埃(ほこり)に暗く
悽而(せいじ)たる竹藪の影
人生の貧しき慘苦を感ずるなり。

COM:
埃:ほこり
国定村は畑作地帯:空っ風で砂埃が飛び太陽がかすんだ?

見よ 此處に無用の石
路傍の笹の風に吹かれて
無頼(ぶらい)の眠りたる墓は立てり。

COM:
無用の石=無頼(ぶらい)の眠りたる墓?

ああ我れ故郷に低徊して
此所に思へることは寂しきかな。

久遠に輪廻*を斷絶するも
ああかの荒寥たる平野の中
日月我れを投げうつて去り
意志するものを亡び盡せり。

COM:
「久遠に輪廻*を斷絶するも」:意味難解。
「久遠に輪を斷絶するも」⇒「意志するものを亡び盡せり」と続く?
輪廻*≒本文では「廻」の旧字?使用。

?自分を含め、忠治も生きとし生けるモノだが、
永久にグルグルと転生極まりない運命を断ち切って
意志する人間と生まれてきても、日月(自然の摂理)は
自分を投げ捨てて去り、
自分(も忠治も生きとし生けるモノ)を
全て滅ぼしてしまう。?

いかんぞ殘生を新たにするも
冬の蕭條たる墓石の下に
汝はその認識をも無用とせむ。

「汝はその認識をも無用とせむ」:難解。
「殘生を新たにする」:輪廻転生で生まれ変わる?
「汝」=「国定忠治」?
「汝」と「我」という対比で、萩原朔太郎は国定忠治と
対話をしているようだ。
既に、国定忠治の墓は上州の荒寥たる自然の中に
投げ出されている路傍の石に過ぎないが。

――上州國定村にて――

上州國定村はその後、合併で佐波郡東村となり、佐波郡東村は平成の大合併で更に伊勢崎市となっている。青空文庫では「国」の旧字体「國」を使っている。萩原朔太郎は国定忠治の墓を訪問し、自分の人生と国定忠治の人生を重ねてみて、自分を相対化しているようだ。国定忠治の人生は、その生き様を通して、色々なメッセージを発信しているようだ。それを、うまく受信できない人もいるだろう。見方によれば、萩原朔太郎は国定忠治の墓を訪問し、生きる意欲を取り戻しているのではないか。

**********************************
萩原朔太郎に従って音読してみよう。

國定忠治の墓

わがこの村に來りし時
上州の蠶すでに終りて
農家みな冬の閾(しきみ)を閉したり。
太陽は埃に暗く
悽而(せいじ)たる竹藪の影
人生の貧しき慘苦を感ずるなり。
見よ 此處に無用の石
路傍の笹の風に吹かれて
無頼(ぶらい)の眠りたる墓は立てり。
ああ我れ故郷に低徊して
此所に思へることは寂しきかな。
久遠に輪廻*を斷絶するも
ああかの荒寥たる平野の中
日月我れを投げうつて去り
意志するものを亡び盡せり。
いかんぞ殘生を新たにするも
冬の蕭條たる墓石の下に
汝はその認識をも無用とせむ。

――上州國定村にて――

**********************************
以上、萩原朔太郎の作品は青空文庫から引用させていただきました。
ありがとうございます。

追記(2023/02/21):タイトルの末尾に投稿年月日を20130625を追記。ほぼ10年前の投稿である。青空文庫の推進者に富田倫生がいる。「富田倫生 - Wikipediahttps://ja.wikipedia.org/wiki/富田倫生: 富田 倫生(とみた みちお、1952年(昭和27年)4月20日 - 2013年(平成25年)8月16日)は、日本の著作家・編集者。 電子図書館 サイト 『 青空文庫 』の主宰者で、同サイトの「呼びかけ人」のひとり。」10年一昔と言うが古い記事を読んでくれる人がおり感謝。青空文庫は、まさに文化の金鉱だ。

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2013年6月15日 (土)

読みかじりの記:BLOG「挑戦せよ!」の記事:「天空の仏教都市、高野山を訪ねる。」を読む。

2013年6月15日(土)
昨日は午前曇り午後時々晴れ。最高気温(℃) 31.5 15:27。ざっそう句:太白の 畝を起こして 玉の汗。朝方は定例の仕事。その後、乾燥イモ用のサツマ苗(太白)のツルを植える。数日水挿ししていたので軽く発根している。前作業で雑菜・雑草の除去と耕起。雲が切れて、所々空が見える程度の天気だったが真夏日。湿度が高く発汗も多い。意識的に水分補給。苗は珍しくワラで結束されていた。ワラなら圃場に放置しても腐るので環境的には良いだろう。

2013614日の天気(AMEDAS

TAVE= 24.9 NO DATA
TMAX= 30.1 最高気温(℃) 31.5 15:27
TMIN= 20.7 最低気温(℃) 20.6 02:54
DIFF= 9.4 NO DATA
WMAX= 3.9 最大瞬間風速(m/s)(風向(16方位)) 7.0(南東) 20:45
SUNS= 2.1 NO DATA
RAIN= 0 NO DATA

追記(2013/6/16):BLOG-EDで中段にエクセルの表を貼り付けて保存すると末尾に表示されている。エクセル、ワードのC&Pはサポート外か。相性が余り良くないようだ。表を削除するにはHTML編集しかないのか。とりあえず、末尾の表も残しておく。

Q
Q

読みかじりの記:BLOG「挑戦せよ!」の記事:「天空の仏教都市、高野山を訪ねる。」を読む

一人一人の人が、人生の軌跡を描き、人生のある期間ある人と軌跡が接近し、また遠ざかって行くことを振り返ると、人生の不思議さを感じる。「挑戦せよ!」のサイトの運営者とは、自分が若い頃挑戦をしかけてきた人物だ。

無論、それも何かの風の吹き回しと言うことだったようだが。要するに、別に氏名を指定してその仕事を投げかけてきたわけではない。多分、アメリカから、実績もつき合いもない会社の仕事を引き受けてくれと、開発部署に泣きついても、店晒しにされて終わりになる事が多かったと思われる。

たまたま、人事異動で民生用・テレビ用の集積回路の開発部署から、別のそれ以外の部署に異動した頃であった。当時の開発部門は、大きく分けて、音響、映像、産機という部門に分けられていた。産機とは、当時主流の音響、映像部門以外の第三の分野という位置づけであった。

その当時の振り返って、「会社生活断面記:「挑戦せよ!平強氏最新ブログ」を読む。若者よ世界に目を向けよ。(http://af06.kazelog.jp/itoshikimono/2011/09/02/)。(2011/9/2)」という記事を書いた。このBLOG著者は、技術者からベンチャー起業家に転じてベンチャーの育成を応援している。ベンチャーが成功するにも色々な人材が総合力を発揮しないと、まとまった成果が出るまで長続きしないようだ。

今回の記事「天空の仏教都市、高野山を訪ねる。(http://tsuyoshitaira.com/?p=704)。(13/06/07 金曜日1:14:10)」は、経験に富んだベンチャー起業家の視点から、仏教都市高野山と真言宗の開祖空海(弘法大使)を見直したように見えて、実に貴重な内容が溢れている。

WIKIPEDIA「真言宗。(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9C%9F%E8%A8%80%E5%AE%97)」によれば、「真言宗(しんごんしゅう)は、空海(弘法大師)によって9世紀(平安時代)初頭に開かれた、日本の仏教の宗派。真言陀羅尼宗(しんごんだらにしゅう)、曼荼羅宗(まんだらしゅう)、秘密宗(ひみつしゅう)とも称する。空海が中国(唐時代)の長安に渡り、青龍寺で恵果から学んだ密教を基盤としている。」とある。

空海(弘法大使)と同時代の仏教界には天台宗の最澄(伝教大師)がいる。

WIKIPEDIA「天台宗。(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A9%E5%8F%B0%E5%AE%97)」によれば、「天台宗(てんだいしゅう)は大乗仏教の宗派のひとつである。妙法蓮華経(法華経)を根本経典とする天台教学に基づく。天台教学は中国に発祥し、入唐した最澄(伝教大師)によって平安時代初期に日本に伝えられた。」。とある。

WIKIPEDIA「空海。(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A9%BA%E6%B5%B7)」
WIKIPEDIA「最澄。(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%80%E6%BE%84)」

空海と最澄は同時代人として対比してみるとその性格や歴史の中の存在が際立って見えるようだ。当時は、仏教自体外国思想でそれを日本では完全に消化できていなかっただけに色々ダイナミックな動きをする可能性があったのではないか。

上記BLOG著者の視点は、当時の宗教指導者が、一般大衆から寄進という形で出資してもらい、大きな事業を遂行するという今日の起業家に通用するモデルを見ている点でユニークではないかと思う。勿論、昔も今も、寄進や出資に関しては何らかのGIVE&TEKEがあるのも事実だろうが、やはりお互い信じ合い・共感できる何かが無いとそれは不可能であろう。

最近の新聞を見ていると、職務発明の特許権は企業に属すというような決定を政府がしたと言う風な記事がでていた。企業というバーチャルな存在が発明をするという妄想を国家を担う指導者が抱いているようで、日本の将来が真っ暗になる思いがした。大小を問わず、発明をするのはあくまで個人の頭脳だけだ。その頭脳の産物から甘い汁を吸うアブラムシのような企業がいつまでも生き残るはずはない。企業は従業員にどんどん発明をしてもらい、従業員から優先的にその特許を使わせてもらうだけで十分ではないか。飼い殺しになっているような従業員が特許を生むはずはない。

ところで、宗教も特許もその革新性で、多くの人々の心を捕らえる。それがうまく回れば、色々波及効果が出てくる。苦しくとも、その先に希望や光が見えたり、成功の果実が約束されている限りにおいて、凡人は苦しみに耐え、努力をするのだろう。その成果を独り占めにしたら、後が続かない。上記BLOG著者の視点から空回りしないお金の使い方も見えてくるように感じた。

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以下はCEEK.JPでのKW「職務発明」の検索結果(2013年6月14日)。

検索結果
8 件の記事の 1 件目 ~ 8 件目 (重複1件は非表示です)
特許権「職務発明」を従業員から企業に 知財政策方... (電脳) 10日 08:43 ITmedia
政府が知財方針を閣議決定 特許権、企業に帰属を検討 (政治) 07日 19:49 産経新聞
「職務発明」の特許権を企業へ 知財政策の基... (地方・地域) 07日 12:36 北海道新聞
知財政策の基本方針を閣議決定 職務発明の訴訟リスク軽減 (経済) 07日 10:05 日本経済新聞
社員の発明、会社に特許権 知財戦略案に帰属先変更方針 (経済) 07日 05:37 朝日新聞
韓国 雇用創出目指す「創造経済実現計画」を発表 (中国・朝鮮) 05日 17:02 聯合ニュース
経産省・特許庁、職務発明制度見直し−作業1年前倒し (経済) 03日 05:45 日刊工業新聞
8 件の記事の 1 件目 ~ 8 件目 (重複1件は非表示です)
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TAVE= 24.9 NO DATA
TMAX= 30.1 最高気温(℃) 31.5 15:27
TMIN= 20.7 最低気温(℃) 20.6 02:54
DIFF= 9.4 NO DATA
WMAX= 3.9 最大瞬間風速(m/s)(風向(16方位)) 7.0(南東) 20:45
SUNS= 2.1 NO DATA
RAIN= 0 NO DATA

2013年4月19日 (金)

読みかじりの記(ハトよ 鳴いておくれ;愛しき古里):華蔵寺公園にあった小畠武堯(おばたけ たけたか)頌徳碑。130419。

2013年4月19日金曜日
昨日は晴れ。最高気温(℃) 25.7 15:34。ざっそう句:惚れて聞く 鶯の声 一万両。AM町内行事。PM用事外出。タウンウォッチング。本体価格と税込み価格を大きく併記している量販店があった。人間の心理としてどうしても安い本体価格の方に目が向いてしまう。この方式は消費税が上がると更に普及するのではないか。百均店で25W二個入りの白熱電球を買った。最近このクラスの物が少ない。センサーライト用。ナス苗を1本買った。ケンケンとキジが鳴いているようだ。まだ遠くの声で自信は無いが。「身辺雑記(愛しきもの 生き物):片足でけなげに生きていたキジ(http://af06.kazelog.jp/itoshikimono/2012/05/24/)。(2012/5/24(木))」。昨年は4~5月頃キジが近くに来ていた。いつの間にかいなくなっていたが、また来たのか。先日はコジュケイが4~5mの近さで鳴いてびっくりした。縄張り宣言をしているようだが、鳥の本音は分からない。

2013年4月18日の天気(AMEDAS)

TAVE= 18.3  
TMAX= 25.3 最高気温(℃) 25.7 15:34 
TMIN= 12.2 最低気温(℃) 11.3 05:27 
DIFF= 13.1  
WMAX= 3.8 最大瞬間風速(m/s)(風向(16方位)) 9.1(東) 16:02 
SUNS= 8.4  
RAIN= 0  

Q
Q

読みかじりの記(ハトよ 鳴いておくれ;愛しき古里):華蔵寺公園にあった小畠武堯(おばたけ たけたか)頌徳碑

先日、老人モードで外出して、粕川の堤防から華蔵寺公園まで来てしまった。既に桜は散って、八重桜らしい桜がちらほら咲いていた。

ふと見ると、遊園地の南側に二つの記念碑が建っていた。説明板はすでに文字がかすんでいる。記念碑の名前を記す篆額は篆書体という古い書体で読めない。何とか分かる文字を拾った。大きい方が石川泰三が推進した当時の伊勢崎の耕地整理?、今日風に言えば、土地開発事業に関するものらしかった。こちらの碑は大きく、碑文も長い。植木の陰になって読みにくさもあるのでデジカメ撮影も篆額だけ。

もう一つはやや小ぶりの記念碑。中に関重嶷とかの名前が出てくる。とりあえず、10年前の性能がいまいちのデジカメで、文字が読める程度に細切れにして撮影した画像の解読を始めた。篆額もたった三文字だが読めない。「碑」だけはなんとか想像が付いた。次ぎに、部首から想像して右の文字は「頌」らしいと想像した。そうなると真ん中は、「頌徳碑」を想定すると「徳」ではないかと思ったが、「真」にも「直」にも見える。漢和辞典にあたると、「徳」の異字体が合うようだった。

そんな、謎解きのような作業をして、何が書かれているか推測してみた。幸い、WEB上には幾つかの参考になる資料があった。「小畠武堯の墓(http://www.city.isesaki.lg.jp/www/contents/1355294252248/index.html)。(2013年2月13日更新)」は伊勢崎市の史跡に指定されている。碑の本文には、「小畠武堯頌徳碑」と碑名が付けられている。碑文の中には「明治43年10月」と書かれている。関重嶷の時代からは遅れているのだが、明治43年になってようやく先人の偉業を讃える余裕が出てきたように感じる。

水土里ネット群馬のホームページの記事(http://www.kakasi.or.jp/tonesuik/Acrobat_Data/Vol_04.pdf)の、「利根川 VOL4」に、「八坂堰土地改良区」に関して、「八坂堰土地改良区:八坂用水は、利根川支流、桃の木川(現在、前橋市笂井町)から分水し、かんがいを行っています。宝年3年(1705年)伊勢崎藩の奉行、小畠武堯により用水開発がなされ、当時他藩領の上増田、下増田、二之宮町地域の通水路開発には、想像以上の苦労と努力を重ね、神沢川に八坂樋を架け、三郷、伊勢崎へ通水に成功、水源開発への第一歩を記したことは歴史的に由緒ある貴重な遺産といえます。その後、大正13年新田郡下の要請により、采女、木崎、境、世良田、尾島地区まで延長し、広大な農地への通水は極めて重要な用水路となっています。当土地改良区は、明治42年3月19日付、水利組合法により、伊勢崎市、三郷村、茂呂村の区域をもって、八坂堰普通水利組合として県知事認可、昭和27年3月に維持管理を主な目的として、八坂堰土地改良区が設立認可となりました。 以後、昭和49年に桃の木川河川改修に伴う、附帯工事として現在の自動堰に改修されました。又、地域の重要な農業用水路として、農業の発展と安定的な農業経営を目指すために、県営八坂佐波新田かんがい排水事業として、昭和59年に着工し、平成5年に完了となりました。」と紹介している。

この記事によると、「明治42年3月19日付」で八坂堰普通水利組合として県知事認可となっており、「明治43年10月」の「小畠武堯頌徳碑」も時代の動きを反映したものかも知れない。尚、記念碑の末尾に「井上澹泉 刻」とある。当地区の「八幡沼の碑」も「井上澹泉 刻」であり、「井上澹泉」という人物にも興味がある。

WIKIPEDIA「華蔵寺公園。(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8F%AF%E8%94%B5%E5%AF%BA%E5%85%AC%E5%9C%92)」によると、華蔵寺公園は「1893年(明治26年)着工、1911年(明治44年)完成。当初は伊勢崎公園としてスタートし、現在に至る。」との事であり、「小畠武堯頌徳碑」は華蔵寺公園の完成以来伊勢崎の発展を見守ってきているのではないか。

たまたま、水利の役員当番が回ってきて、それを機会に八坂用水も見学した。用水の脇には幾つか記念碑が建っている。そこにのっている人名はほとんど分からないが、一二名名前が分かる人が居た。八坂用水はサイフォンで粕川を横切り、更に下流の伊勢崎東部を潤し、早川を横断して新田町へ通じている。治水、利水は政治の基本である。伊勢崎市はやがて市制施行75年を迎える。華蔵寺公園公園には、伊勢崎の歴史を伝える重要な記念碑が幾つもある。残念だが、説明板等は文字が消えて読みにくくなっており、周辺の樹木の陰になって近づきにくいものもある。是非整備をお願いしたいところだ。関連画像を連結して一枚にまとめた。碑面には、漢詩らしい物も刻まれているが、とりあえず本文を読みかじった。その内容をMEMOとしてWEB DISKに残しておく。
Bopix_obataketaketaka_yasakayousu_3
BOPIX_OBATAKE-TAKETAKA_YASAKAYOUSUI_6PIX.jpgをダウンロード
OBATAKE-TAKETAKA_KOUSYOUHI_MEMO_130417_L.pdfをダウンロード

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追記1(2015/1/30):「読みかじりの記(ハトよ 鳴いておくれ;愛しき古里):華蔵寺公園にあった小畠武堯(おばたけ たけたか)頌徳碑
」の記事がランキング6位に入った。最近、Go!伊勢崎の掲示板で八坂用水等の議論が盛り上がっているようだ。昨日の講演会の時、伊勢崎城の掘りの水の水源が話題になった。以前、粕川から水を引いたと殖蓮史談会会長から聞いた事があった。まさに、城下町を作る時等々、水をどうするかという、インフラ整備から都市計画は始まるようだ。八坂大樋の付近にはメガソーラーが建設されているようだ。「ハトよ 鳴いておくれ:あれが地域有数のメガソーラーか!;狼が 羊に化けりゃ 尾が目立つ。(http://af06.kazelog.jp/itoshikimono/2015/01/post-6098.html)。(2015年1月25日 (日))」

追記2(2015/4/6):本記事が再度ランキング6位に入った。このような記事を読んでくれる人がいるだけでもありがたいような思いがする。捨てる神もあれば、拾う神もいるという例え話があるが、今日では、御利益の無い神等捨てるに躊躇しないのかも知れない。今まで、水利の関係で地域の古老との付き合いがあり、色々な話を聞いた。だが、現在では農家の後継者もいないのが実情で、そのような話や農家の苦労等は自然に消滅しそうな感じがしている。しかし、極論すれば、今日の日本の繁栄も、農家・農民が流した血と汗の賜物ともとれるのではないか。日本中の農村には、水利や開墾に関する歴史があるのだろう。少しでも記録に残せれば、だれかそれを拾ってくれるのではと思う事がある。

「ハトよ 鳴いておくれ:八幡沼(川端宇兵衛)開削150周年と八坂用水(小畠武堯);安物を 買って気になる カゴの中。(http://af06.kazelog.jp/itoshikimono/2015/02/150-f523.html)。(2015年2月17日 (火))」

八幡沼と八坂用水も、江戸時代の大土木工事により作られたものだが、今日では、その事業を指導した人物の名前も忘れられようとしている。幸い、その事業の恩恵を受けてきた先人達は、それを碑(記念碑)として残してくれた。ただ、このような巨大な人造施設でも、どのように企画され、建設され、運営されてきたかについては余り知られていない。以下の資料「波志江の民俗」:「水利の組織と慣行(P67)」に波志江の例が記述されている。

昨年末、伊勢崎市史・民俗調査報告書第三集というシリーズ物で、「波志江の民俗(伊勢崎市 昭和59年4月1日発行)」を入手して、ページをめくっていると、八坂用水に関しても水利関係の項目に記述が見られる。「三和町の民俗」がその第一集である。これらの報告書には、信頼できる調査者によりなされた、高度経済成長時代以前の時代を生き抜いてきた地域の調査協力者に対して面接調査した結果が、まとめられている。その地域を歴史的・全体的に捉える事ができる貴重な資料であろう。「波志江の民俗」には、水利関係の記述が比較的多いが、「三和町の民俗」には、記述が少ない。これは、地域の水田面積や田畑率等ウェイトの違いかもしれない。波志江と三和の中間にある本関町に関しては、「本関町の民俗」は発行されなかったようだ。

「02A5_三軒屋遺跡シンポジウム2011/11/13(http://af06.kazelog.jp/itoshikimono/02a5_S_ISEKI_SIMP_20111113.html)。」の記事に、「~今年亡くなったある人が言った。一緒に歴史話をした人だ。八幡沼の碑のような立派な碑を作っても、百姓はそんな碑を読むことも出来ず、汗水垂らして働くだけだ。その人は百姓。自分も百姓のせがれだ。~」と書いた事を思い出す。

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追記(2017/11/14):記事整形、過去BLOG再読、印象・コメント等
タイトルの文字サイズ、文字色変更。投稿時期を追加。ランキング10位。

「伊勢崎市の街づくり応援サイト・Go!伊勢崎」に関連情報あり。

Googleにてキーワード「八坂用水」でGo!伊勢崎のサイト内を検索

Googleにてキーワード「八坂用水」で本サイト内を検索

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2013年2月22日 (金)

読みかじりの記(老人モード):「老年と人生(萩原朔太郎著)」を青空文庫で読む。

2013年2月22日金曜日
昨日は晴れ。最低気温(℃) -2.3 04:01。最高気温(℃) 6.7 12:53。ざっそう句:ダイエット 甘くはないぞ 甘酒が。町内行事。その後現場確認。かみさんと雑談していたら、幼子を亡くした人がいて、どのような対応をするのが良いか迷ったとの事。その子を思い出す時はいつも幼い時に戻れのではないかと言ったら、少し気に入ったようだ。

2013年2月21日の天気(AMEDAS)

TAVE= 1.8
TMAX= 6 最高気温(℃) 6.7 12:53 
TMIN= -2.1 最低気温(℃) -2.3 04:01 
DIFF= 8.1
WMAX= 6.6 最大瞬間風速(m/s)(風向(16方位)) 13.2(北北西) 15:09 
SUNS= 8.3
RAIN= 0

Q
Q

読みかじりの記(老人モード):「老年と人生(萩原朔太郎著)」を青空文庫で読む。

この作品の冒頭、老醜や生きる事への未練を書いている。特に、芸術家や作家が老醜を恐れる傾向があるのも何となくそう思う。読み進めると、「だが老いということも、実際にはそれほど悲しいものではない。むしろ若い時よりは、或る意味で遥(はる)かに楽しいものだということを、僕はこの頃経験によって初めて知った。僕の過去を顧みても、若い時の記憶の中に、真に楽しかったと思ったことは殆んどない。http://www.aozora.gr.jp/cards/000067/files/1773.html」と、老年期を肯定的に捉えている部分に遭遇した。

萩原朔太郎は詩人と一面的な見方をしていたが、この作品を読むと、萩原朔太郎は常識人、評論家、哲学者でもあるように感じる。ともかく、老年になって初めて、自分の幼年期、青年期、成人期、老年期と一連の経験を振り返ることが出来るのである。まさに、老年期まで生きながらえてきた余録なのかも知れない。と思ったが...。

この作品の最後は、「して見れば僕のような人間、初老の年を既に過ぎて、馬鹿げた妄想や情熱から、未練に執着を脱しきれないような男は、日本人としては少しケタ外(はず)れで、修業の足りない低能児であるかも知れない。とにかく老年を楽しむために、まだまだ僕は修業が不足で、充分の心境に達していないことを自覚している。」と結ばれている。

その前段には、「しかし日本人という人種は、こうした仏教の根本原理を、遺伝的によく体得しているように思われる。彼らは『徒然草(つれづれぐさ)』の兼好(けんこう)法師に説かれないでも、僕位の年齢に達するまでには、出家悟道の大事を知って修業し、いつのまにか悟りを啓(ひら)いて、あきらめの好い人間に変ってしまう。」と書いている。

よく読むと、老いが楽しみでもあるというのが逆説になっているようにも感じる。まだ、詩人をやめる積もりはないというように感じさせられた作品だ。

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2013年1月23日 (水)

読みかじりの記(歴史の転換):「The Meaning of the Showa Era  昭和を貫く 一本の糸(日本語訳)」 元駐日アメリカ大使 エドウィン・O・ライシャワー 著。(1989年1月15日 Vol4 No3(通巻150号)ニューズウィーク日本版-臨時増刊号 発行所 株式会社ティービーエス・ブリタニカ)

2013年1月23日水曜日
昨日は雨後一時晴れ。その後また曇り。最大瞬間風速(m/s)(風向(16方位)) 15.8(北西) 15:45 。風がゴウゴウと吹く不安定な天気。ざっそう句:物置の 隅に潜んだ 宝物。物置の整理。一時的に仮置きしたものがそのままになっている。整理すれば収納量が増大する。紙袋に入っている本を段ボール箱に詰め替える。内容でなく大きさをそろえる。偶然、記念にとておこうとした週刊誌が出てきた。

2013年1月22日の天気(AMEDAS)

TAVE= 5.5
TMAX= 11.7 最高気温(℃) 12.0 14:49
TMIN= 2.6 最低気温(℃) 2.5 01:59
DIFF= 9.1
WMAX= 8.9 最大瞬間風速(m/s)(風向(16方位)) 15.8(北西) 15:45
SUNS= 2.1
RAIN= 1.5

Q
Q

読みかじりの記(歴史の転換):「The Meaning of the Showa Era  昭和を貫く 一本の糸(日本語訳)」 元駐日アメリカ大使 エドウィン・O・ライシャワー 著。(1989年1月15日 Vol4 No3(通巻150号)ニューズウィーク日本版-臨時増刊号 発行所 株式会社ティービーエス・ブリタニカ)

臨時増刊号のタイトルが「昭和が終わった 天皇崩御」である。巻末にニューズウィークの住所等が記載されている。

Published by Newsweek,Inc.
444 Madison Avenue,New York,N.Y.10022

The Washington Post Campany
Katharine Graham,Chairman of the Board
Richard D.Simmon,President

平成になって今年で25年。昭和天皇崩御から四半世紀が過ぎた事になる。紙媒体のニューズウィークは廃刊され、WEB板へ移行すると報道されていたのを思い出し、改めてこの四半世紀の変化の大きさを痛感していた。、

「ニューズウィーク。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8B%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%82%BA%E3%82%A6%E3%82%A3%E3%83%BC%E3%82%AF。(最終更新 2012年12月8日 (土) 08:55 )」『ウィキペディア日本語版』(http://ja.wikipedia.org/)。の記事に、「『ニューズウィーク』 (Newsweek) は、主に政治や社会情勢などを扱うアメリカの週刊誌。ニューヨークに本社がある。~2012年10月18日の発表によると、印刷版として提供される Newsweek は米国では2012年12月31日に発行されるものが最終号となり、以降は 「Newsweek Global」としてデジタル版のみの発行となる。
~日本版 [編集] :概要 [編集]日本版は1986年1月23日に創刊され、TBSブリタニカより発行したが、同社が2003年に阪急電鉄に事業を譲渡したため、現在は阪急阪神東宝グループの阪急コミュニケーションズより発行している。
価格:税込み450円
発売日:毎週水曜日
言語:日本語
編集長:横田孝」とある。

ちなみに、通巻150号の定価は350円となっており、当時はまだ消費税が無かったようだ。臨時増刊号に元駐日アメリカ大使 エドウィン・O・ライシャワーの特別寄稿「The Meaning of the Showa Era 昭和を貫く 一本の糸」が掲載されている。

著者は本寄稿を昭和天皇の在位が60年以上と長かった事から、本寄稿を始めている。その長い期間の間に、大きな歴史の変化があった。

「戦争と荒廃の暗い時代」の項で、「明治時代には共通の目標と理想の下に一つにまとまっていた日本の指導層は、政治家、官僚、軍人、知識人など、おのおのが独自の理念と目標を掲げ対立し合うエリート集団に分裂していった。」と記している。著者は「大正デモクラシー」の時代に天皇が人格形成を終え摂政に就任した事に注目している。

「復興日本の新しい悩み」の項で、日本は終戦後、経済・社会の面で大きな発展を遂げ、世界から日本がリーダーシップを取ることを期待されているが、「しかし今や、日本が世界的な責任を回避していられる時代ではない」と、それに対応できていないと指摘している。

「発展の基礎は明治期に」の項で、著者は日本の発展の基礎は明治期に作られ、その流れを歴史的に展望すれば、大正、昭和の時代にも連続していると指摘している。「日本の経済的成功を土台のところで支えたのがこの国の教育制度の発展である。」と述べている。一方、「軍部が社会の進歩を妨げ、その仕組みを前近代的な鋳型にはめ込もうとした時期もあったが、社会全体としては教育と同様めざましい進展がみられた。実際のところ、軍部が日本にもたらした戦争と混乱は、旧態依然たる共同体的連携と画一性を打破し、はるかに開放的で自由な生活様式への道を開く上で、計り知れない貢献をしたのかもしれない。その一例が昭和時代における女性の地位である。」と女性の社会進出を歴史家らしく前向きに評価している。この指摘は、ややもすれば否定的な見方をする人々がいるかもしれないが、今日でも女性の社会進出が遅れている現状を見るに付け、注目すべき見解だろう。

「世界の指導者の立場へ」の項で、著者は「昭和という時代は、明治時代に始まった変革が自然に花開いた時代であったが、変革のなかには毒を生み出したものもあった。~しかし、その他の成果はおおむね良好なものだった。」と日本が明治以来進めてきた政治、社会、教育等々の変革を歴史的な視点から肯定的にとらえているように感じる。「日本は今まぎれもなく、かつてまったく経験したことのない新しい時代に突入しようとしている。国際協調を進め、世界の指導者として以前とは比較にならない大きな役割を果たすことが求められる時代である。」と日本が世界の指導者として振る舞う事への期待感を述べている。

「自由主義者 、天皇の「心」」の項で、著者は「天皇は、昭和時代を一つに束ね、更にその前の時代と後に続く時代を結びつける最も重要な糸の一本であった――私にはそんなふうにおもわれるのである。」と述べる。

最後に、「日本国民を支えたもの」の項で、著者は「天皇はまず、継続性を体現する一本の糸としての役割を果たした。」とのべ、「~。また日本が安定した民主主義国家として大きな成功をおさめることができたのはなぜか――その秘密を解くカギの一つは、天皇その人の姿勢にある。」と結んでいる。

元駐日アメリカ大使 エドウィン・O・ライシャワーの特別寄稿を読んで、日本の歴史は、自らが選び取ってきたものであり、その中には成功も失敗もあるが、世界史的な広い視野からその失敗と成功を見直すことにより、日本は世界の指導者として、世界と共存できる継続的な発展が可能であるという、日本国民へのメッセージのように感じた。

WIKIPEDIA「エドウィン・O・ライシャワー。(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%89%E3%82%A6%E3%82%A3%E3%83%B3%E3%83%BBO%E3%83%BB%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%82%B7%E3%83%A3%E3%83%AF%E3%83%BC)。」
Syouwatennou_hougyo_newsweek

2013年1月15日 (火)

読みかじりの記:防災意識にあふれた中谷宇吉郎の著作を青空文庫で読む。20130115。

2013年1月15日火曜日
昨日は雪。一時強風が吹いた。最高気温(℃) 6.5 04:18。最大瞬間風速(m/s)(風向(16方位)) 18.3(北西) 19:34 。ざっそう句:初雪だ コンコンと来る 別世界。宅内閑居。デジカメ予備機の動作確認。大型低気圧の北上で広範囲で天気が荒れたようだ。成人式は繰り上げて13日開催が多かったので幸運だったろう。雪国文化を代表する作品に鈴木牧之著「北越雪譜」がある。鈴木牧之は地域興しの原点にもなっているようだ。鈴木牧之記念館の一隅に句碑と言うより句標のような物があり、「そっと置くものに音あり夜の雪」(牧之)と記されていたのを思い出す。硯の墨が凍るような雪の降る深夜に、学問という夜なべをしていたのではないかと想像する。

2013年1月14日の天気(AMEDAS)

TAVE= 3.5  
TMAX= 6.3 最高気温(℃) 6.5 04:18 
TMIN= 0.5 最低気温(℃) 0.4 10:57 
DIFF= 5.8  
WMAX= 7.9 最大瞬間風速(m/s)(風向(16方位)) 18.3(北西) 19:34 
SUNS= 0  
RAIN= 28  

Q
Q

読みかじりの記:防災意識にあふれた中谷宇吉郎の著作を青空文庫で読む

「北越雪譜」という本の名前は聞いたことがあるが、その著者が鈴木牧之という人物であると知る人は少ないのではないか。「雪の結晶のスケッチ」をするにも、肉眼だけでなく虫眼鏡も使っていたとの事で、対象に迫ろうとする気迫を感じる。江戸後期に虫眼鏡を手に入れるのも大変だったろう。

鈴木牧之記念館ホームページに、「よみがえる北越雪譜の世界。http://park11.wakwak.com/~imahaku/sub/bokushi/bokushi.html。」というタイトルで、「『北越雪譜』の著者、鈴木牧之(すずきぼくし)は明和7年(1770)塩沢に生れました。幼名:弥太郎、元服後:儀三治牧之の家は、代々縮みの仲買商を稼業とし、父の影響を受け幼い頃から学問や文芸の道に励みました。 牧之の交友は広く、作家では山東京伝や弟の山東京山、十返舎一九、滝沢馬琴など、その他、画家や書家、俳人、役者など200人余りにのぼっています。 学問や文芸にたけ几帳面であった牧之が遺した資料から、当時の文人や画家などの様子を知ることができます。」とある。

「北越雪譜。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8C%97%E8%B6%8A%E9%9B%AA%E8%AD%9C#.E5.87.BA.E7.89.88.E3.81.BE.E3.81.A7.E3.81.AE.E7.B5.8C.E7.B7.AF。(最終更新 2012年12月23日 (日) 10:00 )」『ウィキペディア日本語版』(http://ja.wikipedia.org/)。の記事に、「北越雪譜(ほくえつせっぷ)は、江戸後期における越後魚沼の雪国の生活を活写した書籍。初編3巻、二編4巻の計2編7巻。雪の結晶のスケッチから雪国の風俗・暮らし・方言・産業・奇譚まで雪国の諸相が、豊富な挿絵も交えて多角的かつ詳細に記されており、雪国百科事典ともいうべき資料的価値を持つ。著者は、魚沼郡塩沢で縮仲買商・質屋を営んだ鈴木牧之。1837年(天保8)に江戸で出版されると当時のベストセラーとなった。」とある。

「松岡正剛の千夜千冊(http://1000ya.isis.ne.jp/0001.html)」の第一話が、「雪 中谷宇吉郎 著」である。千夜千冊の第一番にこの本を持ってきただけに、色々な事を教えてくれる。一種の自伝でもあり、長い人生を経ることにより、新しく見えてくる物もあるようだ。ここまで、書いてあれ、同じ事を考えているのかと思った。松岡氏によれば「雪」の中に中谷宇吉郎の人生に向かう態度を見ているようだ。

幸いなことに、現在では「雪 中谷宇吉郎 著(http://www.aozora.gr.jp/cards/001569/files/52468_49669.html)」を青空文庫で読める。自分としては、本書の背景を語る「序」と「第一 雪と人生」の部分に関心を持った。雪が少ない地方に住む人には、想像もできない苦労と損害を受容しつつ生活しなければならないのである。科学的に雪の素性を解明できれば、雪害対策の手段も明らかになるだろうが、即効性は少ないだろう。科学と言えども現実の生活を支える知恵と労力とのバランスが必要になるだろう。著者は「北海道における研究の外に、この数年来、私は新庄(しんじょう)にある農林省の積雪地方農村経済調査所の仕事に少しばかり関係が出来て、其処(そこ)で雪害の実状を見聞している中(うち)に、雪と人生との間の深い交渉に驚かされたのである。そして色々気の付いたことを第一話「雪と人生」の中に述べることにした。しかしこの方は結晶の話とちがって私の本当の専門ではないので、大抵は受売りの話である。」と謙遜して書いているが、科学者として雪害対策の調査研究をしている事を語っていると思う。

『第二 「雪の結晶」雑話』、『第三 北海道における雪の研究の話』、『第四 雪を作る話』が本題であるが、読みかじりをパスして「附記」を読んだ。

そこに、著者は、「それから雪の正体を的確に掴むためには、どうしてもその生成条件を知る必要があるために、人工で雪華を作り、そしてその生成の条件を知ろうとしたのである。雪の出来る条件は、私が今まで述べただけで定まるものではないと思うし、また例えば説明もいまだ十分尽したとはいえない。しかし読者は自然科学の研究というものが大体、どんなものであるかということを理解して下さればよいのである。」と書いている。今日的に言えば、「人工で雪華を作る」ということは、シミュレーションにも通じるだろう。福島原発事故では、スピーディ(SPEEDI)による放射性物質の飛散予測が行われたが、それが被災対策に生かされなかった。

更に著者は、「しかし、自然の色々な現象の正体を究めようとする人にとっては、雪という我国にとって重大な意義をもつ自然現象の一つを、過去何千年かの間の人々と同じような見方で、何時(いつ)までも見ていることは余り望ましいことではない。もっとも誰もが雪の研究の専門家になっては困るということはいうまでもない。しかしわれわれが日常眼前に普通に見る事象の悉(ことごと)くが、究めれば必ず深く尋ねるに値するものであり、究めて初めてそのものを十分に利用することも出来、またもし災害を与えるものであればその災害を防ぐことも出来るのである。それ故に出来るだけ多くの人が、まず自分の周囲に起っている自然現象に関心を持ち、そしてそこから一歩でもその真実の姿を見るために努力をすることは無益な事ではない。すべての事柄について一般的の知識の向上は、必ず後日そこから優れた成果が出て来る土台となるものである。このことは繰返し言ってよいことであろう。」と書いている。著者が本書を出版した背景に、科学の防災への活用という明確な意図があったと分かるだろう。

著者は、「附記 第十一刷に際して」で、「人工雪の研究は、この書に述べたところは、ほんの初期の研究結果だけである。この十年の間に、主として花島政人博士の手によって、人工雪の研究は、著しい進歩をした。現在では、全種類の結晶型が、再現可能の状態で、容易に製作されるようになった。結晶形と外界の気象条件との関係という、一番困難な問題も、一応の解決を見た。
 それでは、雪の結晶の人工製作という大問題も、一応片付いたかというに、まだそうとは言い切れない。というのは、本書の読者が既に知られたように、私たちは、兎の毛の一点上に、極微の氷晶を作り、その氷晶から、雪の結晶を発達させている。その点は、現在でも十年前の方法をそのまま用いている。それでわれわれは、雪の結晶の最初期の状態、いわば雪の起源については、まだ何も言うことが出来ない状態にある。 ところが、この数年来、その方面の研究が、主としてアメリカで急激に進歩した。それはGEの研究所で、ラングミュア博士とシェファー博士とが、この氷晶を人工的に作る研究に成功したからである。冬の空にある雨雲は、もちろん零度以下にあるが、ほとんど全部過冷却の微水滴から成っている。この過冷却の水滴群の中に、ドライアイスの粒をまくと、水滴が氷晶にかわることを発見した。また沃化銀の非常に細(こまか)い粒子を添加してやっても、やはり氷晶が得られることが分った。 理論は略するが、これで氷晶の成因は一応分った。このアメリカでの近年の研究と、私たちの実験とを併せると、雪の結晶の人工製作の問題が、初めて首尾一貫して解けたことになる。」と書いている。あらゆる形状の人工雪を作ることにより、自然の雪がどのようにして出来るかという謎が解明され、さらなる謎の解明に進んでいる事が述べられている。

現役時代は、集積回路の設計でCADというツールを使った。これも一種のシミュレーションである。今日のスーパーコンピュータ「京」もその延長上にあるだろう。ただし、著者が行ったシミュレーションは、人工的に本物の雪の類似物を作るというハードウェアシミュレーションであるが、ソフトェアシミュレーションとも発想は同じである。

さらに、中谷宇吉郎の著作に「天災は忘れた頃来る(http://www.aozora.gr.jp/cards/001569/files/53217_49675.html)」がある。「天災は忘れた頃来る」という言葉は、寺田寅彦が語った言葉とされるが、それを証明する書物はないと本書で書いている。ただ、「天災は忘れた頃来る」という言葉自体は、寺田寅彦のものだと述べている。著者中谷宇吉郎が防災に強い関心を抱いていた事を示す書物であろう。中谷宇吉郎は、寺田寅彦の陰になっているが、防災意識にあふれた科学者だったと思う。小さな発見だ。

************************
追記(2020/05/11):この記事がランキング2位に初めて入った。外部アクセスだろう。読者に感謝。タイトルに投稿日を付記。雪の季節でも無いので、新型コロナウイルス感染症・COVID-19大流行の影響か。新型コロナウイルスは一部人造説もあるが、野性の鳥獣の中に自然に存在するウイルスが突然変異した可能性が大きいと思われる。多分、このようなウイルスの宿主は抗体を持ちウイルスと共生できているのかも知れない。野性ウイルスが原因なら、一種の自然災害で不可抗力と考えられるが、国や地方自治体が対応を誤れば人災にもなり得るだろう。

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2013年1月10日 (木)

読みかじりの記(ツルよ 飛んでおくれ):「風景  山村暮鳥 著」(青空文庫 底本の親本:「聖三稜玻璃」人魚詩社。20130110。

2013年1月10日木曜日
昨日は晴れ。最高気温(℃) 11.3 14:26 。ざっそう句:初春や 庭の万年青に 赤い実が。庭の手入れ。ザクロ、サルスベリ、ウメモドキの縮伐。落葉樹なので冬が作業適期。思い切って太枝を切り全体の樹形を小さくする。サルスベリは樹皮がツルツル。その太枝から芽が出るのか心配だが。旨く行かないときの保険に、全部の枝を切らず半分程度残す。ウメモドキは雌雄異株だったか。実は白と赤の物がある。樹高が高くなりすぎてその実を鑑賞した記憶がない。こちらも樹皮がなめらか。木蓮の蕾が膨らみ始めている。

2013年1月9日の天気(AMEDAS)

TAVE= 5.1  
TMAX= 10.4 最高気温(℃) 11.3 14:26
TMIN= 1.5 最低気温(℃) 1.4 02:05
DIFF= 8.9  
WMAX= 5.4 最大瞬間風速(m/s)(風向(16方位)) 10.0(北西) 23:57
SUNS= 6.9  
RAIN= 0  


Q
Q

読みかじりの記(ツルよ 飛んでおくれ):「風景  山村暮鳥 著」(青空文庫 底本の親本:「聖三稜玻璃」人魚詩社
   1915(大正4)年12月10日発行)

昨年10月、上毛野はにわの里公園で行われた古代東国文化サミットに出かけた。公園の一角に歌碑や詩碑があった。そこにあった、山村暮鳥の詩碑がデジカメに残っていた。暮鳥という名前は知っているが、作品は何も知らない。この公園の北の方には土屋文明記念文学館がある。こちらは、国定忠次関係のイベントで一度だけ訪問した記憶がある。この公園にも土屋文明の歌碑があったが、「いちめんのなのはな」とひらがなで書かれた詩碑の方に目が移った。文明という大木の下で、いじらしくいきている雑木の風情を感じるが、「いちめんのなのはな」という言葉から、明るい春の景色を連想した。実は、その一連のムードのなかに銀色の世界がちりばめられているようだ。

「山村暮鳥。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E6%9D%91%E6%9A%AE%E9%B3%A5。(最終更新 2012年9月14日 (金) 11:58 )」、『ウィキペディア日本語版』(http://ja.wikipedia.org/)。の記事に、「山村 暮鳥(やまむら ぼちょう、1884年(明治17年)1月10日 - 1924年(大正13年)12月8日)は、明治・大正期の詩人、児童文学者である。本名、土田八九十(つちだ はくじゅう)、旧姓は志村。」とある。

明治の文学者なら青空文庫に作品があるだろうと調べた。
『聖三稜玻璃(http://www.aozora.gr.jp/cards/000136/files/731.html#32)』の「風景
純銀もざいく」という題名である。菜の花の色とその明るさが、「金」なら、「銀」とは何か。一連の「いちめんのなのはな」という句行の中に、一行だけ異なる句行をちりばめている。「かすかなるむぎぶえ」懐かしい響きを連想する。「ひばりのおしやべり」楽しそうな場面だ。「やめるはひるのつき」分からない。「ひるのつき」は「昼の月」だろうか。それでは「やめる」とは何か。ここで、細部に踏み込むと詩情を損ねてしまいそうだ。その謎を解くカギが「純銀もざいく」なのだろうか。

「聖三稜玻璃」とはどんな意味か。「三稜」から三角柱を連想する。さらに踏み込むと、プリズムを思い出す。物理のプリズムは太陽光を七色の光に分解する。玻璃とは、仏教では七宝の一つの水晶。また、ガラスの意味もある。神聖でガラスのような三角プリズムは、言葉で言葉をスペクトルに分析する。

「 FUTUR」という、散文詩のような作品の中に、「何といふ痛める風景だ。何時(いつ)うまれた。どこから來た。粘土の音(ね)と金屬の色とのいづれのかなしき樣式にでも舟の如く泛ぶわたしの神聖な泥溝(どぶ)のなかなる火の祈祷。盲目の翫賞家。自己禮拜。わたしのぴあの[#「ぴあの」に傍点]は裂け、時雨はとほり過ぎてしまつたけれど執着の果實はまだまだ青い。」という部分がある。「やめるはひるのつき」と「何といふ痛める風景だ。」とは繋がっているのか。

「いちめんのなのはな」の中に、1/9だけ純銀の渋さと落ち着きをちりばめた作品のようにも見える。計算したら1/9=0.11111111~と無限小数になる。全27行の最後の一行は1/27=0.037037037037037037037037037037037とこちらは無限循環小数となった。偶然の一致だろうが、一つの詩が発生するスペクトルは無限に多いように見える。
Ichimennonanohana_shihi_121020
Q
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追記(2020/04/25):ランキング8位に入ったが、自分のサイトからのアクセスをカウントしているようだ。この記事の詩碑を改作して「いちめんのますくだ」の記事を書いた。

老人の寝言:老人の妄想:身辺雑記:田舎老人徒然草:マスクって何だ?ズバリ仮面だ;いざ進め コロナが流行る 激戦地。20200423。

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    刃物という視点で多くの事例が取り上げられている。刃のある道具の理解にも役立つ。類書が少なく貴重な一冊。「すべり変形が切断の原理」という考え方で説明している。
  • 沼田 真   : 植物たちの生( 1972年 岩波新書(青版 833))
    「ご要望にお応えしてアンコール復刊(1988年岩波新書50年記念復刊) 地球生態系の中で自然を見直す」(腰巻きのフレーズ)。植物の知恵と戦略に人類は勝てるのか。
  • 出町 誠: 14_NHK趣味の園芸:よく分かる栽培12ヶ月  カキ(NHK出版2007年)
    初心者向け柿栽培参考書(新版)。旧版と比較すると楽しい。
  • 中村三夫: 13_NHK趣味の園芸:作業12ヶ月  カキ(NHK出版1996年)
    初心者向け柿栽培参考書(旧版)。新版と比較すると楽しい。
  • 山科正平: 12_細胞を読む   電子顕微鏡で見る生命の姿
    細胞はどんな部品からできているのか。そんな疑問に答えてくれる一冊。何事も形を見るのが第一歩。μからÅオーダーの世界で、細胞をメスで解剖するように、電子顕微鏡というメスで解剖して見せてくれるので興味が尽きない。
  • 柳田充弘: 11_細胞から生命が見える
    著者の専門は分子生物学、細胞生物学。普段生物を考えても細胞レベルで止まってしまう。その細胞の中で色々な分子が働いている。細胞こそ生命の基礎だが、その細胞の中の動きを知るのに最適な一冊。疑問の発端はなぜ発根剤が効くのかということ。薬剤が細胞膜を通過して細胞内で分子と分子が作用するイメージができた。本書でできた細胞のイメージは小さな無数の穴が空いた水分が充満したヨーヨーのようなもの。そのヨーヨーの中に分子部品が詰まっている。細胞自体もタライの中のヨーヨーのように浮かんでいる。細胞図面の空白部は真空でなく水分だ。細胞の内外に水がないと細胞は生きられない。水が生命のゆりかごだ!
  • 野口悠紀雄: 10_ホームページにオフィスを作る(2001年 光文社)
    ITが輝いた時代の作品。HPの活用法は参考になる。参考:url=http://www.noguchi.co.jp/(野口悠紀雄 ONLINE)
  • 小池洋男 編著: 09_果樹の接ぎ木・さし木・とり木(農文協:2007/3/31第1刷)
    やや専門的であるが、実務専門化が分担執筆しており、その場で役に立つ一冊。
  • ノーバート・ウィーナー(鎮目恭夫訳): 08_サイバネティックスはいかにして生まれたか(みすず書房1956)
    情報と通信という現代社会に不可欠の基礎的な学問を作った著者の自伝とそれを通した科学史
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    2010/8/4:MEMO等の表示に使える。 農作業で気になる自戒の言葉 ■畑の石ころはいつまで経ってもても石ころ(早く拾って片づけよという意味か)。 ■同じ石を二度拾うな(やってみると難しい)。 ■手ぶらで歩くな。 ■三つ先のことを読め。 ■適当な観察。 ■空を見よ(気分転換、休憩、天気を読む、腰曲がり防止)