β 対 VHS 戦争
2009/11/7
β 対 VHS 戦争
業界の方式戦争は幾つも印象に残っている。それだけ、市場での生き残りが大変な時代に
なってきた事の反映かも知れない。結局はパイの奪い合いである。生産力は市場のニーズ
を満足させるレベルに直ぐ追いついてしまう。それが世界的な規模で起こってしまうのが現在
の市場経済の冷酷さである。ビデオテープレコーダーのβ陣営 VS VHS陣営の市場戦争は
特に強い印象が残っている。ビデオテープレコーダーはテレビの録画で使われた部分が大き
かった。リアルタイムの放送のタイムシフト装置でもあった。従って、もう一台のテレビ機能が
VTRには不可欠であった。自分が開発に係わったVIF用集積回路はβにもVHSにも共通で使
えるのでTVとVTRの両方の市場で受け入れられた。ソニーのカセット型ビデオテープレコー
ダ(VTR)規格の1号機(SL-6300)は、1975年5月に発売されたとの事である。そうして、戦
争の結果ベータ方式の盟主のソニーも2002年に生産を終了し、ベータマックスは市場から
姿を消した。人間の一世代に相当する約30年の製品寿命であった。ちなみに、ソニー製ベー
タマックスVTRは日本国内で累計約400万台(全世界で累計約1,800万台)が生産されてい
るとの事である。VHS陣営の勝利が決定的になった1984年、「ベータマックスはなくなるの?」
という新聞広告を載せた。この広告だけは印象に残っていたが、TVコマーシャルか新聞広告
かはっきり思い出せなかった。自分にとっては撤退声明のようにも思われた。一方自信の表
れのようにも感じた。ともかく、盟主は機長や船長と同じように最後まで現場に留まった。
1988年、ついにソニー自身もVHSの発売に踏み切ったが、ビジネスとしてはまだVTRの市
場は捨て難かったのであろう。βに投入した人・物・金はVHSにも十分転用出来るし、そうす
べきであるという判断があったのだろう。一時代を画する魅力的な商品は簡単に生み出せな
い。市場に送り出すための助走が必要である。ともかくVTRは映像を自在に操作する手段を
与えてくれたのであり、TVという受動的なメディアを土台にして、能動的なユーザーを作った
意義は大きいであろう。