地震予知:いとしきもの
2010/3/24
地震予知
リスクマネージメントという言葉も最近はかなり一般化してきて、聞く機会も多くなった。ところ
が、この言葉を日本語に直すとどうなるの心許ない。危機管理という事か。危機にも色々な
要因がある。危機管理の要諦は先ず危機の存在、発生を認識することから始まるのであろ
う。方丈記の災害関係の記述を見ると、大火災に関しては出火場所を伝えている。これを発
展させれば防災意識につながってくるのであろう。地震、竜巻に関しては天災でなす術が無
かったようだ。日本は地震大国という事で、地震対策は経験と実力があると胸を張っている
ようだ。必ず起こると予想されている東海地震にどう対応するかも色々議論されているよう
だ。かつては地震予知の研究が色々行われてきたようだ。しかし、地震は確率現象でいつど
こで起こるかは事前に予知する事は不可能であるという結論に達したようだ。現象という点で
起こることを阻止することは出来ない。それならば、起こった場合どうするか。施策の重心が
地震発生後の対策の準備に向けられるようになったようだ。これに伴い、地震予知という科
学研究への熱意が冷めていると指摘もあるようだ。建築物件の耐震強度の基準が強化さ
れ、日本の建築物の耐震性能が向上しているのは間違いないであろう。数年前には耐震強
度偽装問題が発覚して、その余波で更に規制が強化され、最近建築設計業者のぼやきを耳
にした。これは社会的偶然。石原純はその科学史の中で、日本が最も早く西洋科学を取り入
れて、先進国を凌駕するようになった科学分野に地震学があったと指摘している。その背景
に明治12年の横浜地震、明治24年の濃尾大地震(これを機会に震災予防調査会が設立さ
れた)、大正12年の関東大震災があったと記す。科学の発展にも社会的な要因が作用して
いる。東京帝国大学の地震学教授の大森房吉は震災予防調査会の第一の目的に、「地震
を予知する何らかの手段があるか否かを研究すること」と述べていると記している。第二の
目的は防災の科学である。これが、日本の地震学のDNAではないだろうか。そういう点で
は、科学的な地震予知理論を創出する事が日本に課せられた使命なのかも知れない。当
然、こういう理論はプレートテクトニクスという理論の枠組みを更に精緻にするものだろう。日
本人の得意な分野ではないか。上田 誠也氏の「地震予知研究の歴史と現状」は大変参考
になった。しかし、現実を知ると残念でもある。日の丸は一本にすると親方日の丸になってし
まう。何本か立てて切磋琢磨した方がよさそうだ。VAN法には興味を覚えた。やはり、科学
は何か分からないXを追求するところに原点があるのだろう。地震を引き起こす刺激(予知
原因)エネルギーと地震が引き起こすエネルギーの比は予想できないほど大きくなるかも知
れない。地震の種を知りたい。単純な好奇心でもある。地震も集団と見れば確率現象であろ
うが、個々に見ればそれは歴史現象になるだろう。種は外から来るのか。少しずつ成長する
のか。横綱級の地震は個別に歴史(予兆を含めた過渡現象)的に研究する価値があるだろ
う。2010年 2月27日15時34分頃(日本時間)起きた チリ中部沿岸のマグニチュード8.8の地
震では津波警報が出されたが避難状況に課題が指摘された。要は情報の発信側と受け取り
側の行動にギャップが生じた。こういう問題は科学では処理できない。しかし、津波警報は地
震予知に通じるのであろう。ところで、今回の地震に予知の手がかりとなる予兆があったの
か興味がある。