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2015年3月

2015年3月13日 (金)

心象の足跡:楫取素彦が書いた渋川市の御蔭松の碑文から何が見えるか?;うきうきと 下手なウグイス 鳴き始め。

2015年3月13日(金)
昨日は晴れ。最高気温(℃) 13.2 14:42。最低気温(℃) -0.8 05:04。ざっそう句;うきうきと 下手なウグイス 鳴き始め。昼過ぎから、男爵とメイクィーンの種ジャガイモを植え付けた。昨年より早いので霜対策でやや深植えにした。また、イモの下に空洞が出来ないよう移植ゴテでで穴底を埋めた。草ゴミが残っているようすなので無肥料。畝作りの時、ヤブガラシやカナムグラの根を掘り出した。雑草対策で少しは効果がでるかも知れない。今年は種芋以上の収穫を目指す。夕方から、二回目の麦踏み。半世紀前のリバイバル。草丈は伸びているがまだ麦踏みの効果はありそうだ。白菜とふきのとうを収穫。ふきのとうはもう花が開きそう。かみさん曰く、ふきのとうには発がん物質がある云々。ふきのとうは季節の希少品に近いので、発がんに到るほど食べたくとも食べられないだろう。菜の花が咲き始めた。いつのまにかミニスイセンやヒヤシンスも咲いている。杉花粉は昨年の同時期より多く飛散中のようだ。ユズジャム茶効果が出るか?やや風が強かったが、夕方頃静かにになった。ウグイスの初鳴きが聞こえてきたので耳を疑った。野良仕事の余禄か。

2015年3月12日の天気(AMEDAS)

TAVE= 6.8 NO DATA
TMAX= 12.7 最高気温(℃) 13.2 14:42
TMIN= -0.6 最低気温(℃) -0.8 05:04
DIFF= 13.3
WMAX= 7.7 最大瞬間風速(m/s)(風向(16方位)) 14.4(西北西) 13:23
SUNS= 11.1 NO DATA
RAIN= 0

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心象の足跡:楫取素彦が書いた渋川市の御蔭松の碑文から何が見えるか?

NHK大河ドラマ「花燃ゆ」の効果か、楫取素彦への関心は高まっているようだ。そのためか、「楫取素彦伝 耕堂楫取男爵伝記」(発行者 山口県萩市 群馬県前橋市)が平成26年3月20日に発行された。やや高価だったが、書店に並んでいたのを買った。買った日が発行日前だったので、不思議な感じがした。

その本もしばらくツンドクであった。上記、楫取素彦伝をぱらぱらめくると、当時の様子がわかりそうだが、じっくり読むのは大変そうだ。「御蔭松の碑」を解読したかったが、挫折中だった。運良く、その碑文が掲載されていた。どうも、その碑文は群馬県史 第四巻(群馬県教育会 編 昭和2出版)から転記された資料に基づいているようだ。デジカメの碑文との相違もありそうだ。ともかく、つまみ食いならぬつまみ読みした。

「御蔭松の碑」は一種の歌碑のようでもあり、碑の表側に歌が彫られ、裏側にその歌に関する由来を記しているように思われるが、歌の方は文字が崩してあり、何が書かれているか皆目分からなかった。上記伝記には、この歌がカタカナ交じりで記載されていた。

そこで、とりあえず、碑文と歌を並べてみた。碑の解釈・理解等々は歴史的背景があると思われるので、以下はすべて参考資料としての扱いに限定する。現地へ出向いてこの碑と保存されている「御蔭松の碑」に対面して貰うのが良いのでは思う。

WIKIPEDIA「楫取素彦。(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A5%AB%E5%8F%96%E7%B4%A0%E5%BD%A6)」によれば、「維新後、いったん帰国して藩に出仕、明治5年(1872年)に足柄県参事となり、明治7年(1874年)に熊谷県権令、明治9年(1876年)の熊谷県改変に伴って新設された群馬県の県令となった。」とある。

最近、高浜公園から前橋公園に移設された「前群馬縣令楫取君功徳之碑」はWEB情報によれば明治23年の建碑との事だ。「御蔭松の碑」は楫取素彦が、群馬県縣令になって数年後の明治12年の現職知事の時に建てた碑として注目できるのではないか。以下の「御蔭松の碑」に関しては、上記伝記の楫取素彦事績の項に掲載されている。

*************************

碑の表面(皇太后大夫万里小路慱房卿の歌):(楫取素彦伝より引用)          

      芝中の松のやどりに千代かけて      
      残るは君が御蔭なりけり

御蔭松の碑の碑文(句読点は自己流で付加):碑の裏面

是歳巳卯。 皇太后宮 行啓於伊香保之温泉。 七月十七日。 車駕発京。 往返由此道。 時属盛夏。 掃松下、以休車駕矣。 既而土人建石。 命松曰御蔭。 

請慱房卿之詠。 属余書題額。 慱房卿以本官従駕。 余則管地方卿。 之詠余之題皆不可辭者。 碑成矣併記其事於碑陰。 亦出土人之意云。

明治十二年 秋九月   群馬縣令  楫取素彦  撰並書

*************************

前段に、英照皇太后の伊香保行啓が述べられている。後段は、「御蔭松の碑」を建立した時の様子が述べられているようだが、主語を慱房卿にとるのか楫取素彦にとるかにより、若干解釈が変わるかもしれない。ただ、楫取素彦は縣令という地方長官として皇太后をお迎えできた事、その行幸を記念碑に残せた事を遠慮がちに喜んでいるように感じる。

この道端にある小さな碑の表の上部に「御蔭松」と彫られている。以下は、碑文解釈の参考資料としてまとめてみた。まだ全体の状況が把握できず、想像の部分もある。主語、述語、区切り方等々、しっくりしない所がある。

超訳的碑文読解(試訳)

是の歳、巳(み)卯(う)。 皇太后宮(様)は、伊香保之温泉(於)に行啓された。 (時は、)七月十七日。 車駕は京を発(おたちになり)。 往返ともに、此の道に由った。 時(節)は盛夏に属し。 松の下を掃し、以って、車駕を休(まされた)。 既而(すでに)、土人は石(いしぶみ)を建つ。 松を命じて、御蔭の(松)と曰(いう)。 

慱房卿に之(この)詠を請う。 余に題額を書くを属(しょくす)。 慱房卿を以って本官は従駕す。 余は則(すなわち)管地方卿(地方担当長官)。 之の詠、余之(の)題、皆辭す不可(べからず)。 碑成りて、併(あわせて)其の事を碑陰に(於)記す。 亦(また)土人之(の)意に出ずると。

明治十二年 秋九月   群馬縣令  楫取素彦  撰並書

「御蔭松の碑」と保存されている「御蔭松」を見ると、いろいろな感慨に浸れるだろう。碑文を彫った人の名前は不明だ。「群馬縣令  楫取素彦  撰並書」とあるので、この碑には楫取素彦の思いが込められているのではないか。それならば、御蔭松を下から読んで蔭松から松陰を連想するのは行き過ぎなのか。

尚、「御蔭松の碑」が記載されている原典は「群馬縣史 第四卷 」のようである。この資料は国立国会図書館デジタルコレクションに画像データとして掲載されている(http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1258769)。画像データでは検索が出来ないので該当部分を探すのを断念した。

一方、キーワード「群馬縣史 第4卷 」でGoogle検索すると、「Full text of "Gumma-ken shi" - Internet Archive(https://www.google.co.jp/webhp?tab=ww#q=%E7%BE%A4%E9%A6%AC%E7%B8%A3%E5%8F%B2+%E7%AC%AC4%E5%8D%B7+&btnK=Google+%E6%A4%9C%E7%B4%A2)」がヒットした。何と、こちらでは、原本をスキャンして日本語認識によりテキストに変換されているのだ。漢字の「御蔭」で検索をかけると歌の部分がヒットする。こちらは、ひらがな交じりである。スキャンが正確で無く行が入れ替わっているが。

この事実から、まさに黒船到来のような衝撃を受けた。吉田松陰や楫取素彦がこれを知ったら、さぞびっくりするのではないか。

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2015年3月12日 (木)

ツルよ 飛んでおくれ:ローカルは元気か/鉄道広告が変わったか?;復興の 裏には見えぬ 立ち遅れ。

2015年3月12日(木)
昨日は晴れ。最高気温(℃) 10.7 12:46。最低気温(℃) -1.7 05:42。ざっそう句;復興の 裏には見えぬ 立ち遅れ。用事外出。3.11から4年目。時刻に追われあたふたと家を出る。忘れ物防止のため持ち物チェックをしたのだが、筆記用具を忘れた。メモを書いても読み返す事は少ない。だが、記憶の底に入力する効果はある。あの地震発生時刻にはどこにいたのか。多分買い物中だったようだ。帰宅して黙祷の話が出た。黙祷をすっかり忘れていた。当時の事を振り返り記憶を更新し黙祷に代えよう。当時はガソリン不足が生活に大きな影響を与えた。トラクターから軽油を抜いて使った人もいたようだ。生活物資にも買い占めが続出した。マスクも売り切れで入荷時期不明であった。この時、ガソリンのセルフ店に初めて入った。店員に給油の仕方を教えてもらった。最近はほとんどセルフ店になっている。スーパーにもセルフレジが出現している。絆・キヅナの大切さが叫ばれたが、人間関係は希薄化が進む一方のようだ。大都市で大地震が起こると、すべてのレジが停止するかも知れない。商品があっても買えないとなるとそれだけでもパニックになるのではないか。スーパーの壁を見たらトイレットペーパーは一月分のストックをというような張り紙があった。

「かみつけ女流歌人 雅:百歳の姑逝けり(http://af06.kazelog.jp/itoshikimono/2011/03/post-9085.html)。(2011年3月29日 (火))」

2015年3月11日の天気(AMEDAS)

TAVE= 4.5 NO DATA
TMAX= 10.1 最高気温(℃) 10.7 12:46
TMIN= -0.8 最低気温(℃) -1.7 05:42
DIFF= 10.9
WMAX= 7.9 最大瞬間風速(m/s)(風向(16方位)) 13.5(西) 16:56
SUNS= 6 NO DATA
RAIN= 0

Q
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ツルよ 飛んでおくれ:ローカルは元気か/鉄道広告が変わったか?

広告の媒体には色々あるが、最近はインターネット広告の地位が高まっているようだ。そういう観点から見れば、新聞、雑誌、放送というような巨大メディアも安心できる状況ではなさそうだ。

最近、あるサイトで商品を探したら、その後訪問したサイト先に、同じ商品の広告が追いかけて来るようになった。ストーカー広告だ。従来の広告はこのようなえげつない手法は不可能だったろう。IT技術を使えば、かなり過激な広告も可能になってしまうのが現代かもしれない。

一時は、電車内の広告も、結構あり、その広告を見ていると、暇つぶしができた。さらに、目のやり場としても広告があれば、乗客同士じろじろと視線を合わせずに済む。

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最近、電車の車内を見ていると、スマホを覗いている人が多い。そういう人は何もしないでいる事に不安を感じるのではないかと思ったりする。やはり、目のやり場に困っているのかも知れない。

昔は、電車内の週刊誌の広告を見て、少しは得した気分になったが、最近は週刊誌が出る頃は、話題が消えそうになっていたりで、週刊誌もスピードの点ではインターネットに遅れをとる時代になってしまった。

先日、電車に乗り、車内の広告がかなり減っているのに気づいた。車内広告の端境期かもしれないが、目のやり場が無いのも困る。電車に乗るのはまれな位だから、外の景色を見て十分時間つぶしは出来る。また、乗客の観察も面白い。高校生はスマホで何をしているか、横目で見たらゲームのようだった。

帰宅時にホームに並んだら、向かい側の壁に出された広告も意外に少なかった。広告を取れる設備は出来ているのだが、その部分の広告が埋まっていないのだ。今なら、良い場所が取れると思うが、そういう客がいないのだろう。広告が景気のバロメーターになっているだけでなく、もっと深い所で変化が起きているのかもしれない。地方は色々な広告からも見放されていると考えると一抹の侘しさを感じる。

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2015年3月11日 (水)

ツルよ 飛んでおくれ:前橋駅と市街地の往来の障害となっていた横断歩道橋が廃墟になりそう?!;刮目し みヨひとひとヨ この国土。

2015年3月11日(水)
昨日は曇り一時晴れ。最高気温(℃) 10.5 09:43。最低気温(℃) 0.5 24:00。ざっそう句;刮目し みヨひとひとヨ この国土。寒波到来。宅内閑居。あの3.11から4年目になった。当時の天気も寒く、被災地の事が思いやられた。当局が政権維持のため復興・復興と叫ぶようでは復興は遅らせた方が良いという低意を疑いたくなる。夕方首相の記者会見があった。美辞麗句と美談を並べた立て板に水の如き発言が流れたがまさに少なし仁と写った。オレのヒガミか。思うに、オレの記憶力から類推すると、プロンプター画面に流れる文字を名優気取りで読んだだけに見えた。質問も、質問者が間違わぬかと心配しているようなぎこちなさだったように感じた。質問も申し合わせた文言を読んだだけではないかと勘ぐりたくなった。真相は不明だが。当時はあちこちでやらせが横行した。そのやらせも次第に巧妙になるのだろうか。最後には阿吽の域に達するだろう。広辞苑によると刮目とは目をこすって注意深く見る事とある。

2015年3月10日の天気(AMEDAS)

TAVE= 6.1 NO DATA
TMAX= 10 最高気温(℃) 10.5 09:43
TMIN= 0.5 最低気温(℃) 0.5 24:00
DIFF= 9.5
WMAX= 8.7 最大瞬間風速(m/s)(風向(16方位)) 16.4(北北西) 11:58
SUNS= 3.6 NO DATA
RAIN= 1.5

Q
Q

ツルよ 飛んでおくれ:前橋駅と市街地の往来の障害となっていた横断歩道橋が廃墟になりそう?!

先日、国道50号始点と看板が立っていたあたりから歩いて駅に向かった。50号北側から50号南側へ横断歩道を渡った。両手に荷物を提げていたので、あの本町二丁目五差路の歩道橋を渡るのが大変だと考えながら歩いた。その歩道橋が最大の鬼門で老人・子供をだまって虐めているのである。前橋市街地と前橋駅をつなぐケヤキ通り周辺は前橋の代表的景観地域ともいえるだろう。歩行者にとって巨大な要塞兼障害物である。車はスイスイ歩道橋の下を走り、老人・子供は階段を休み休み上り下りする。五差路の上に架かっている歩道橋は巨大であるが、利用者は多いとは言えない。歩行者が少ないのだから当然か。

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お出かけの帰路、駅前ケヤキ通りへ向かう歩道橋を渡ろうとしたら、その脇に横断歩道と信号機があった。丁度信号が青になり急いで渡った。前回来た時は、横断歩道は無く、横断歩道橋を渡ったのだ。とすると、最近できたのだろうか。いろいろWEB情報を調べたが、いつからそうなったのかはっきりしなかった。

もう、暗くなっていたが、荷物を下に置いて、その信号と歩道橋をデジカメ撮影した。写りが良くなかったのでソフトで画像が分かるよう加工した。GoogleMapを見ると、横断歩道の塗装と横断歩道橋が写っていたので、夢を見ていた分けではなさそうだ。前橋市の市街地活性化や都市計画で、歩道橋問題が色々議論された成果が、この風景だったようだ。

WIKIPEDIA「横断歩道橋。(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A8%AA%E6%96%AD%E6%AD%A9%E9%81%93%E6%A9%8B)」

横断歩道橋を設置すれば、車道と歩道は立体交差するので、原理的には車と歩行者の間で生じる交通事故は起こらないか激減できるという考えがあったと思う。しかし、横断歩道橋を使う歩行者は、歩道橋への登りと下りだけ常に余分な時間・労力を課せられ、車が動力源を持つという点からも、公民としての負担と利用の公平性は乏しいと言わざるを得ないだろう。見方によれば、弱い者いじめともとれる。老人や子供、学生は生産や経済に直接寄与しない。それなら車を優先して、歩行者・自転車は後回しという高度成長時代の発想があったのかもしれない。ともかく歩道橋はあっという間に全国に広まり、あっという間に見捨てられてしまったというのが歴史の皮肉なのではないか。歩道の平坦性を確保し、車道を跨道橋・立体車道橋にする事も可能だが、工事コストは歩道橋よりずっと多くかかるだろう。歩道橋が、それを利用する歩行者の不便になるようでは、もともと歩道橋建築のコンセプトに十分な妥当性がなかったと言いうるのかもしれない。

「ツルよ 飛んでおくれ;前橋ウォッチング:本町2丁目の大歩道橋(http://af06.kazelog.jp/itoshikimono/2013/11/2-9b8e.html)。(2013年11月 9日 (土))」

前橋駅と市街地の往来の障害となっていた従来の横断歩道橋と並列接続になる横断歩道ができたので、前橋駅と中心街を徒歩や自転車で往来する人にとっては、楽になったと思う。という事は、従来の歩道橋の役割は更に低下して益々廃墟化が進みそうに感じる。願わくば、自動車を運転するだけで余り歩かない人たちが、ここへ来て、廃墟のような歩道橋に登って、都市や車の流れを観察して貰いたいものだ。まだまだ、都市見物塔としては役立つはずだ。

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2015年3月10日 (火)

ハトよ 鳴いておくれ:波志江町の「薬師如来(間山の薬師様)」を訪問;春眠や 瞼と体 平和惚け。

2015年3月9日(火)
昨日は曇り後雨。最高気温(℃) 12.2 13:47。最低気温(℃) 7.9 06:26。ざっそう句;春眠や 瞼と体 平和惚け。ジャガイモ、男爵とメイクウィーンの種イモ切り。植え付けのため畝作り2回目。陰干しは切り口から雑菌が入らぬよう切り口にカルスを形成させ発芽を促すため。既に、芽が出かけている。芽が伸びてしまうと欠けやすくなり発根にエネルギーが回らなくなるのかも知れない。昨年は見事に失敗した。今年は少し深植えにして霜対策にしよう。ドイツの首相が来日というニュースがあった。ドイツは戦争責任を国家として総括したようだ。その結果、ナチスの再来を阻止し、ヨーロッパ諸国と協調しつつ域内の指導的国家になる事を国是としてきたようだ。青年の頃、アイヒマンの逮捕と裁判という大きなニュースがあったのを思い出す。日本が逆さネジを回すのか世界が注目していると思う。日本はアジアの中でどのような立ち位置を目指すのか。日本がアジアの中心だとまだ大時代的天動説のような盲信が支配していないか。

朝日新聞は、「メルケル首相「過去総括、和解の前提」 安倍首相と会談。;http://www.asahi.com/articles/ASH395GXXH39UTFK00H.html?iref=comtop_list_pol_n04。(鯨岡仁:2015年3月9日21時31分))」というタイトルで、「 安倍晋三首相は9日、首相官邸で来日中のドイツのアンゲラ・メルケル首相(60)と会談した。両首脳は混迷するウクライナ情勢への対応で連携することを確認したほか、両国経済の関係強化を目指すことでも一致した。メルケル首相は歴史認識についても触れ、会談後の記者会見では「過去の総括は和解のための前提になっている」と語った。」と報じた。

政治家が、どんなに美しい未来を語っても、そのほとんどが画餅に帰してきたのが歴史の真実なのだろう。さすが、リケジョのドイツ首相の政治認識はその緻密な頭脳構造故か。

2015年3月9日の天気(AMEDAS)

TAVE= 9.2 NO DATA
TMAX= 11.9 最高気温(℃) 12.2 13:47
TMIN= 8.1 最低気温(℃) 7.9 06:26
DIFF= 3.8
WMAX= 5 最大瞬間風速(m/s)(風向(16方位)) 10.3(西北西) 23:46
SUNS= 0 NO DATA
RAIN= 13

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ハトよ 鳴いておくれ:波志江町の「薬師如来(間山の薬師様)」を訪問

旧伊勢崎市の五目牛、波志江、上植木地区は古墳が多い地区であった。粕川の西・右岸に五目牛と波志江があり、粕川の東・左岸に上植木があった。今でも、波志江と上植木をつなぐ間山橋、五目牛と上植木をつなぐ五目牛橋が健在である。

先日、地蔵山周辺を漫歩した。一時は、間山橋の西側ではソバの栽培が行われていた。この周辺は農村地帯の風景が開けている。古墳らしい小山が幾つか見える。この風景を見つつ、古代へ夢を馳せるのも良かろうと思いつつ散策した。

粕川の二ノ堰の西側に、こんもりした里山のような物が見えて、一度行ってみた。神社のように思っていた。先日、二回目の訪問した。気分的にユトリがあったので、少し多目にデジカメ写真を撮った。だが石碑類の文字を解読するには画素数不足だったようだ。裏側から見ると小山のように見える。小山とは古墳の名残を示しているのだろう。表側から見ると神社のように見えた。参道のように良く整備された道は無く、墓の北側に小石が敷いてあっただけだ。

Iob_ainoyamayakusi 
最初に目に付くのが、赤い鳥居。その額に「薬師如来」と書かれている。鳥居は神社で、如来はお寺(仏)ではないかと思ったが、昔は神仏も一体的に祭られていたと考えれば良いのだろうと勝手に思う。だが、長い歴史の中で神社らしくなったのは比較的最近のように感じた。

この神域の入り口に墓の列があった。また、庚申塔や庚申供養の記念碑?のようなもの、如意輪観音像もあった。また、玉垣の中には双体仏・双体道祖神らしい石像が安置されている。

波志江の民俗(伊勢崎市発行)にもこの石像の事が記述されているが、仏教民俗の項にあり、当時の信仰面を述べて歴史面の記述は少ない。「間山の薬師様」と言われ、眼病等の病に御利益が多く、縁日には参拝者が多いと記されている。また、昭和56年に鳥居を修理し玉垣を改修したと記されている。デジカメ画像を見ると玉垣の石材に相違が見られる。歴史記述では「石灯籠に安永六年(1777)の年号が刻まれている」とある。

ご神体らしい、双体像の二体の内、向かって右側の像の首から上が欠損している。風化が激しく、詳細は不明だが、画像処理して推測すると持ち物が異なり、左が頭部の様子から男子像、右が帯や袂の様子から女子像のようにみえる。一つの石から掘り出した道祖神のようにもみえる。墓石のようにも見えるが、置かれている場所が墓域とは異なるので道祖神的特長が強いのか。

また、玉垣の向かって左側の石柱には辛うじて、文久三(西暦 1863)年の文字が刻まれているように見える。庚申供養の記念碑?のような石碑には辛うじて、延宝六( 西暦1678)年の文字が刻まれているように見える。画像ソフトで文字を見やすくしたが限界がある。

WIKIPEDIA「庚申信仰。(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BA%9A%E7%94%B3%E4%BF%A1%E4%BB%B0#.E6.AD.B4.E5.8F.B2)」によれば、庚申信仰は8世紀頃から始まるとの事で、相当古い風習であろう。また、近くにあった上植木廃寺は7世紀後半ごろに建てられたとの事で、仏教の普及とも関係があるだろう。

石に刻まれた年号は風化により判読が非常に難しいが、この神域にある石碑類はかなり長い年月にわたっているようだ。WEB情報によると、この「間山の薬師様」は古墳の上に祭られているとの事だ。いわば、間山の薬師様周辺が、古来からの信仰の山として地域の共有財産になっていた事により、今日まで守られて来たのかもしれない。

「愛しき古里(大木の移植):鹿島町にあった「疣(いぼ)薬師とカヤの大木」(http://af06.kazelog.jp/itoshikimono/2013/01/post-fab9.html)。(2013年1月 9日 (水))」

粕川左岸には「疣(いぼ)薬師」があり、それは現在ではカヤの大木と共に、伊勢崎聖苑近くの公園に移設されている。また、上植木北部にも、薬師様があり、縁日には賑わっていたという話を聞いた記憶がある。その薬師様のご神体は、現在三和町にある共同墓地の一角に立てられた地蔵堂の中に、地蔵尊(念仏供養:寛政12庚申年:西暦1800年年)の隣に安置されている(地蔵尊の記事は「三和町の民俗」:伊勢崎市発行)。

薬師如来の真言は「オンコロコロ センダリマトウギ ソワカ」であるとの立て札も立っている。如意輪観音と思われる石仏もある。建立年代は未確認だ。

WIKIPEDIA「如意輪観音。(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A6%82%E6%84%8F%E8%BC%AA%E8%A6%B3%E9%9F%B3)」 WIKIPEDIAによれば、「如意とは如意宝珠(チンターマニ)、輪とは法輪(チャクラ)の略で、如意宝珠の三昧(定)に住して意のままに説法し、六道の衆生の苦を抜き、世間・出世間の利益を与えることを本意とする。」との事で、病気を治す薬師様と相補い、庶民のご利益を与えてくれる仏様のようだ。

振り返ると、このような身近な地域の中にあった小さな薬師様の記憶はほとんど無い。厄除けで思い出すのは、厄除大師 蓮花院、反町薬師など大きな寺院だ。神社も合祀により、地域の祠は激減したようだ。

間山の薬師のご神体らしい、双体石像の片方の頭部が欠損している理由ははっきりしているのだろうか。一枚の石材から陽刻のように掘り出した像の頭部が綺麗に自然落下するとは考えにくい。折れ跡は像が掘り出されている背部まで及んでいる。大きな力で打ち壊したように見えてしまうのだ。

WIKIPEDIA「廃仏毀釈。(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BB%83%E4%BB%8F%E6%AF%80%E9%87%88)」

郷土史家の橋田友治氏が、伊勢崎市史かどこかで、伊勢崎の廃仏毀釈を論じていたのを思い出した。廃仏毀釈が、このような小さな祠にも及んだ可能性があるのだろうか。

「ツルよ 飛んでおくれ;歴史の転換;田舎老人徒然草:藤岡の七興山古墳で見た光景(http://af06.kazelog.jp/itoshikimono/2013/08/post-1814.html)。(2013年8月20日 (火))」

終戦後、まだ暮らしの中に病気や健康に関する迷信が多く残っていた。薬も生薬、民間薬と今日から見れば正体も薬効も定かで無い物もあった。その時代には地域の薬師様も頼みの綱だったのかも知れない。その後の、化学、薬品、医療の進歩は目覚ましい。昔風な神頼りはそれほど重視されず、徐々に忘れられても不思議ではない。だが、病への不安と治癒への願望は今も昔も変わらないのだろう。

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2015年3月 9日 (月)

日々農天気:環境雑録:啓蟄の前日に跳び出してきた雨蛙;冒険で 歩いて見れば 春景色。

2015年3月9日(月)
昨日は曇り。最高気温(℃) 13.0 15:54。最低気温(℃) 5.8 05:20。ざっそう句;冒険で 歩いて見れば 春景色。老人モードで用事外出。移動手段は、チャリ、電車、徒歩。朝方は軽い霧雨。AMEDASでは雲マーク。かみさんが駅まで送ると言ったが、いずれ直面する脱車の予行演習をする事に決定。いつもながら道路の凸凹に閉口する。車道は多少の凸凹があっても車の馬力で克服できる。歩道・輪道での通行は人間の能力に頼る。老人・子供は当然だが健常の成人でも危険が伴っている。どうも車道の方が平坦性が良いのは移動弱者軽視だと憤慨する。駅に着く頃には尻が痛くなる。ズボンが少し濡れて重たくなった感じ。高架下の駐輪場に入ると、係りのおっさんが、シルバーですねとシルバー席に案内してくれた。さすがご同輩、気持ちは通じるものだ。親子三人乗りやシルバー向けに出入り口近くに特別区画ができていた。駐輪台数を聞くと、休日は少ないがざっと1000台程ではなかろうかとの事。売店で食料確保。電車内の広告量が相当減っているように感じた。乗客は部活の高校生が大半のようだった。行きは良い良いだったが、帰りはばて気味で怖かった。

2015年3月8日の天気(AMEDAS)

TAVE= 8.8 NO DATA
TMAX= 12.6 最高気温(℃) 13.0 15:54
TMIN= 5.8 最低気温(℃) 5.8 05:20
DIFF= 6.8
WMAX= 3.2 最大瞬間風速(m/s)(風向(16方位)) 5.9(西北西) 13:16
SUNS= 1 NO DATA
RAIN= 0.5

Q
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日々農天気:環境雑録:啓蟄の前日に跳び出してきた雨蛙

畑の枯れ草を刈り、耕起中に雨蛙が跳びだしてきた。まだ、餌になる昆虫類の活動が盛んでないので、冬眠中を邪魔されて仕方なく跳びだしたのかもしれない。

Iob_amagaeru201503 
活発な活動をしなければ、体力・エネルギーの消耗も少ないので、生きて行けるのではないか。

WIKIPEDIA「両生類。(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%A1%E7%94%9F%E9%A1%9E)」

WIKIPEDIAによれば、「両生類は、約4億年前に陸上においての生活も始めたと考えられており、これが脊椎動物の中では初めて陸上生活が可能となった事例だと考えられている。」との事だ。

WIKIPEDIA「哺乳類。(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%93%BA%E4%B9%B3%E9%A1%9E)」

WIKIPEDIAによれば、「哺乳類の起源は古く、既に三畳紀後期の2億2500万年前には、最初の哺乳類といわれるアデロバシレウスが生息していた。」

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2015年3月 8日 (日)

日々農天気:環境雑録:早春の畑に咲く小さな青い花は?;モゾモゾと 動かば動け ヘマな虫。

2015年3月8日(日)
昨日は曇り。最高気温(℃) 7.1 15:11。最低気温(℃) 4.0 06:39。ざっそう句;モゾモゾと 動かば動け ヘマな虫。啓蟄は過ぎたがまだ畑の虫は少ない。新しいモグラ穴ができるのは啓蟄よりも早い。餌を捕る準備が始まるのか。梅の花は満開に近いが、ミツバチは飛んでいるのか。気温が上がった時だけ飛ぶ程度で受粉が可能なのか。ちょっとした疑問だが気になる。

2015年3月7日の天気(AMEDAS)

TAVE= 5.8 NO DATA
TMAX= 6.9 最高気温(℃) 7.1 15:11
TMIN= 4.2 最低気温(℃) 4.0 06:39
DIFF= 2.7
WMAX= 2.3 最大瞬間風速(m/s)(風向(16方位)) 4.0(東南東) 01:50
SUNS= 0 NO DATA
RAIN= 0

Q
Q

日々農天気:環境雑録:早春の畑に咲く小さな青い花は?

春の畑で咲く雑草は、ナズナ、ホトケノザ、オオイヌノフグリ等。WEBで調べると、「オオイヌノフグリ」の命名者は牧野富太郎博士との事だ。

キーワード「オオイヌノフグリ」でGoogleサイト内検索(https://www.google.co.jp/webhp?tab=ww#q=%E3%82%AA%E3%82%AA%E3%82%A4%E3%83%8C%E3%83%8E%E3%83%95%E3%82%B0%E3%83%AA%E3%80%80site:http:%2F%2Faf06.kazelog.jp%2F)。

マクロ撮影で、花の形状が少し分かりやすくなった。

Iob_ooinunofuguri 
学問をして、新発見をした人はそれに名前を付ける権利があるのだろうか。それが新しい物であると示すには相当の事を知っていなければ不可能だろう。

WIKIPEDIA「オオイヌノフグリ。(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%82%AA%E3%82%A4%E3%83%8C%E3%83%8E%E3%83%95%E3%82%B0%E3%83%AA)」

「オオイヌノフグリ」の学名は「Veronica persica」とか。

WIKIPEDIA(英語版)「Veronica persica。(http://en.wikibooks.org/wiki/Horticulture/Veronica_persica)」には種子に関して、「The fruits are heart-shaped and hairy.」と記述している。

「persica(http://en.wiktionary.org/wiki/persica#Latin)」⇒二つ意味があるようだ。

WIKIPEDIA「Veronica (plant)。(http://en.wikipedia.org/wiki/Veronica_(plant))」:植物のヴェロニカ属の事らしい。

WIKIPEDIA「クワガタソウ属。(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF%E3%83%AF%E3%82%AC%E3%82%BF%E3%82%BD%E3%82%A6%E5%B1%9E)」

命名(ラテン語か)の由来、語源がはっきりしない。日本語名では、種子の形状から来ているようだが。

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2015年3月 7日 (土)

日々農天気:環境雑録:鳥が食べた残したハッサクが傑作?;子育てを 知らぬ御仁の お節介。

2015年3月7日(土)
昨日は晴れ。最高気温(℃) 11.9 13:58。最低気温(℃) 2.9 06:53。ざっそう句;子育てを 知らぬ御仁の お節介。用事外出。出かけたついでに近場を漫歩。ヒバリが鳴き、ホトケノザが咲き、春らしくなった。昼飯時になったので、駅近くの書店の跡に入ったドラッグストアで食料確保。最近この系列の店舗をよく見かける。WEB情報によれば、その総店舗数は1000に迫るようだがコンビニ大手より一桁少なそうだ。店員に聞くと2/19開店だったとか。店舗内をザット一巡。高齢者向きの商品が多く扱われているように感じた。帰宅するとかみさんからびっくりするニュースがあると告げられた。テレビニュースではなく卑近な口コミだった。テレビでは相変わらず少年犯罪のニュースが流れている。かつて日本は貧乏でも老人と子供を大切にした。今の日本はどうなのか。老人と子供が自分の居場所を失うようでは本当の豊かさを実感できないだろう。

2015年3月6日の天気(AMEDAS)

TAVE= 7.1 NO DATA
TMAX= 11.7 最高気温(℃) 11.9 13:58
TMIN= 3.2 最低気温(℃) 2.9 06:53
DIFF= 8.5
WMAX= 4.3 最大瞬間風速(m/s)(風向(16方位)) 8.9(北西) 00:12
SUNS= 9.2 NO DATA
RAIN= 0

Q
Q

日々農天気:環境雑録:鳥が食べた残したハッサクが傑作?

先日、赤松の幹を切り倒した。ついでにハッサクも芯抜きをした。その前に実をたたき落として収穫。

Iob_jinmenhassaku 
その中に、鳥が食べた跡が残っている実があった。ハッサクやナツミカンは食べないだろうと想像していたが見事に裏切られた。

数から言えば、我慢できるが、やはり鳥の餌が少なくなるまで樹上に置くと、鳥は食べて下さいと解釈するのかもしれない。

結構深くまで食べ進んでいる。そこで、食べ穴が残っているのだが、その配置が人面のように見えてきた。

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2015年3月 6日 (金)

ツルよ 飛んでおくれ:県庁探訪記:展望台から見える直線水路は何か?;啓蟄や 枯葉まとった 雨蛙。

2015年3月6日(金)
昨日は晴れ。最高気温(℃) 12.2 13:40。最低気温(℃) 4.8 06:26。ざっそう句;啓蟄や 枯葉まとった 雨蛙。満天雲一つ無い晴天。風も無く穏やかだ。いざ、農作業。麦が青々と育っている。やるべき事は無数にある。ダイダイが豊作だ。ぽつりぽつりと実が落ちている。今年の実と昨年の実が同居する目出度い果樹だ。出番は正月のお飾り程度。ダイダイを救うため使わぬ実を採る。次はジャガイモ植えだ。昨年繁茂した雑草を片付ける。昨年の怠慢のツケだ。へとへとになって枯れ草を刈る。やっと綺麗になってからいざ耕起。テンガを振っている所に褐色の雨蛙が飛び出す。ほっとする瞬間だ。ポケットからポンコツデジカメを出して雨蛙を追いかける。やっと撮れたぞ。今度は雨蛙を捕らえて枯れ草の山に放つ。あの無人機のように、ステルス機のようにモズが獲物を狙っている。モズも宮本武蔵も群れたがらないようだ。夕方、シタケ(東風)が吹く。そろそろ切り上げようか。畝作りで終わりにした。お土産は、白菜と大根だ。洗う水も心なしか温かい。今朝、カレンダーを見たら啓蟄だった。

キーワード「オタマジャクシ」でGoogleサイト内検索(https://www.google.co.jp/webhp?tab=ww#q=%E3%82%AA%E3%82%BF%E3%83%9E%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%82%AF%E3%82%B7%E3%80%80site:http:%2F%2Faf06.kazelog.jp%2F)。

キーワード「宮本武蔵」でGoogleサイト内検索(https://www.google.co.jp/webhp?tab=ww#q=%E5%AE%AE%E6%9C%AC%E6%AD%A6%E8%94%B5%E3%80%80site:http:%2F%2Faf06.kazelog.jp%2F)。

キーワード「啓蟄」でGoogleサイト内検索(https://www.google.co.jp/webhp?tab=ww#q=%E5%95%93%E8%9F%84%E3%80%80site:http:%2F%2Faf06.kazelog.jp%2F)。

2015年3月5日の天気(AMEDAS)

TAVE= 7.4 NO DATA
TMAX= 11.3 最高気温(℃) 12.2 13:40
TMIN= 5 最低気温(℃) 4.8 06:26
DIFF= 6.3
WMAX= 8.5 最大瞬間風速(m/s)(風向(16方位)) 14.5(北北西) 15:11
SUNS= 10.8 NO DATA
RAIN= 0

Q
Q

ツルよ 飛んでおくれ:県庁探訪記:展望台から見える直線水路は何か?

先日、やんごとなき用事で県庁を訪問した。某○燃~ドラマ館が見たい言うのが一つの理由。県庁が観光スポットになっているようで、ぐぐっと群馬の観光PRに絶好の企画か。こう言う機会はできるだけ利用した方がよさそうだ。

先ず、昼休みが終わる頃を狙って、地下食堂で腹ごしらえ。今日は、豪華に行こうと特別セットメニュウを注文。普通のランチセットのようだが、場所が場所だ。客も減ってゆったりと食べる。これだけで、豪華さ満点。次に、壁面を飾っている絵画を見る。竹下夢二等の絵も展示され、これも無料で見られる。何とそれには値札が付いていた。大きな油絵もあった。これは高額な値札が付いていた。

さあ、次は展望台だ。その前にトイレだ。省エネのため、トイレは消灯。トイレに飛び込んだが、電源スイッチが見つからない。手探りで探したが見つからず、頭をゴツンと壁にぶつけた。そこへ、職員らしい人がSWを押し電灯を付けて、歯ブラシをくわえて入って来た。助かった~。偉く親切な人がいるもんだ。普通、省エネはセンサーライト程度までだろう。センサーライトを付ける工事をすれば金が掛かる。手があるんだから手を使えという発想だろうか。すばらしい、さすがにグンマけんらしいサービスだ。トイレが済んで、スイッチの位置を確認したら、トイレの入り口とは思えない廊下寄りに付いていた。

さあ、次は展望台だ。エレベータホールでぶらぶら考えて、高階まで直通のエレベータに乗ったが、展望台に行けそうがないので、下まで降りてもう一度展望台行きに乗り直した。この展望台は、さすがに無料。展望レストランは一生何回使えるやら。そん事は、考えずに先ず見物。案内係の人が居たので、ここからスカイツリーは見えるか聞いたら、条件が良ければ見えると、見える場所を示しつつ説明してくれた。光の反射と地平線の関係で、地上の見通しが良く、西から日が当たる晴れた日の午後が最適との事だ。

Iob_hirosegawabunryuu 
当日、撮影したデジカメ画像を見直した。利根川や幸の池、グリンドームが写っている。今回はその中間にある直線水路に目が向いた。この水路を国土地理院の地図で遡ると、水力発電所の記号があり、その先が広瀬川本流につながっていた。

Googleでキーワード「群馬県 広瀬川 発電所」を画像検索(https://www.google.co.jp/search?hl=ja&site=imghp&tbm=isch&source=hp&biw=846&bih=445&q=%E7%BE%A4%E9%A6%AC%E7%9C%8C%E3%80%80%E5%BA%83%E7%80%AC%E5%B7%9D%E3%80%80%E7%99%BA%E9%9B%BB%E6%89%80&oq=%E7%BE%A4%E9%A6%AC%E7%9C%8C%E3%80%80%E5%BA%83%E7%80%AC%E5%B7%9D%E3%80%80%E7%99%BA%E9%9B%BB%E6%89%80)。

前橋市ホームページ内でGoogleでキーワード「広瀬川」を検索(https://www.google.co.jp/search?q=%E5%BA%83%E7%80%AC%E5%B7%9D&ie=utf8&oe=utf8&hl=ja&domains=www.city.maebashi.gunma.jp&sitesearch=www.city.maebashi.gunma.jp&x=33&y=22&gws_rd=ssl)。

「ハトよ 鳴いておくれ:愛しき古里:目に留まった風景:広瀬川のせせらぎに新生伊勢崎市10周年の産声を聞く(http://af06.kazelog.jp/itoshikimono/2014/01/10-3b49.html)。(2014年1月29日 (水))」

萩原朔太郎作品中のキーワード「廣瀬川」をGoogleで青空文庫サイト内検索(https://www.google.com/webhp?hl=ja&gws_rd=ssl#safe=off&hl=ja&q=%E5%BB%A3%E7%80%AC%E5%B7%9D%E3%80%80site:http:%2F%2Fwww.aozora.gr.jp%2Fcards%2F000067%2F)。

「宿命(http://www.aozora.gr.jp/cards/000067/files/1790.html)」の中の一節、「久しぶりで故郷へ歸り、廣瀬川の河畔を逍遙しながら、私はさびしくこの詩を誦した。 物みなは歳日(としひ)と共に亡び行く――郷土望景詩に歌つたすべての古蹟が、殆んど皆跡方もなく廢滅して、再度(ふたたび)また若かつた日の記憶を、郷土に見ることができないので、心寂寞の情にさしぐんだのである。   全く何もかも變つてしまつた。昔ながらに變らぬものは、廣瀬川の白い流れと、利根川の速い川瀬と、昔、國定忠治が立て籠つた、赤城山とがあるばかりだ。」   萩原朔太郎作品中にも旧字を使った「廣瀬川」は出てくるが、青空文庫では「広瀬川」はヒットしなかった。萩原朔太郎にとっても、広瀬川は記憶の底に残る古里の風景だったようだ。当然、昭和初期は今の高層建築の群馬県庁もなく、前橋の風景も都市と農村が共存していたのであろう。萩原朔太郎が現在の展望台に登ったと仮定するとどんな印象を持ったろうか。また、広瀬川が農業と密接に関係していると知っていたらどんな詩を作ったかと興味を持つ。   群馬県庁展望台からは、「 鶴舞う形の群馬県」を表す幸の池、「理想の電化に 電源群馬」と関係が深い広瀬川分流、「利根は坂東一の川」の利根川等々上毛かるたの読み札の関係句を幾つも見る事ができる。写真中央のに見える直線水路は、広瀬川の水を分流し、低落差発電をした後の水を西側の利根川に流す水路のようだ。

群馬県ホームページ=「坂東発電事務所管内(1)(http://www.pref.gunma.jp/06/q1310006.html)。」の「柳原発電所(【最大出力】7,500kW)」がその水路の先にあるのだろう。

最近、農業用水の事が気になってきた。水田がある所には必ず水路がある。瑞穂の国日本で水田や稲作については、その重要性は誰でも認識しているだろう。だが、農業用水は忘れられやすい。

WIKIPEDIA「広瀬川 (群馬県)。(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BA%83%E7%80%AC%E5%B7%9D_(%E7%BE%A4%E9%A6%AC%E7%9C%8C))」

はっきりした年代は不明のようだが、江戸時代以前の利根川は、現在の広瀬川と桃木川の流域を流れていたと言われ、利根川が流路を変えてから、広瀬川と桃木川は農業用水としても活用されるようになってきたと言われている。江戸時代に入り、大規模な土木工事、水田開発、が行われるようになったようだ。広瀬川を見ると、普通の自然河川のようにみえるが、古来農業用水としての重要な役割を持っていたようだ。

「ハトよ 鳴いておくれ:宮子公園(いせさきオートレース場近く)に立つ「題名の無い」記念碑は何を語る?;花粉症 ミニ変身の マスク顔。(http://af06.kazelog.jp/itoshikimono/2015/03/post-0c34.html)。(2015年3月 3日 (火))」

農業用水は、都市が開発されれば生活用水に転用され、工場ができれば工業用水にもなる。最近は、過度の都市化により、その水路が三面コンクリート化されるだけでなく、さらにその上がコンクリートで蓋をされ、そこに水路があると 実感できないと思われる例が多くなっているようだ。見慣れた広瀬川だが、色々な事を教えてくれる。

その点、前橋市の「緑の基本計画」で「水と緑の前橋らしさの継承と創造(http://www.city.maebashi.gunma.jp/kurashi/143/177/186/p002823_d/fil/gaiyouban.pdf)。」というキャッチフレーズを県庁展望台からも色々感じる事ができる。その『「水のまち」を育んできた豊かな水環境』という項目の中で、「前橋の代表的な河川である利根川・広瀬川、赤城山麓の田畑を潤しながら流れる桃ノ木川・赤城白川・粕川・荒砥川、歴史的な農業用水である天狗岩用水・五千石用水・大正用水等、前橋市には豊かな水環境があります。」と述べられている。河川の水に関しては伊勢崎市も上流の前橋市のお世話になっているのを改めて感じた。

最後が、当日の主たるお目当ての展示会。入館料500円。えっ、タダジャナカッタ?当日は、平日で入館者が少なかったようで、説明員を独り占めできそうな状態で、充実した見学ができて満足だった。だが、館内の写真撮影は禁止のようす。一つだけ、楫取素彦の執務室は館内撮影ができた。何と、シルクハット?をかぶり、椅子に座わった姿を自分のデジカメに納めてくれるサービスのようだ。これじゃ、XXに自信と度胸が無い人は遠慮してしまいそうだ。館外でも良いから、あれを見たよ言えるような、自由に記念撮影ができるスポットが欲しいと思った人もいるのではないか。

明治時代の前橋の絵地図の拡大展示は圧巻だった。その絵地図の複製を入館者に安価に頒布すれば、お土産にもなるし、前橋の宣伝にもなるのではないかと思った。周辺がざわざわしてきたと思ったら、もう閉館間近だった。

*************************
追記(2015/3/9):広瀬川の分流を発電に使った後、再度利根川に合流する部分の画像を撮影したので追加する。利根川と比較しても合流地点での広瀬川の水量はかなり多いように見える。

Iob_hirosegawabunryuu2

追記2(2015/7/11):蛙と言えば、草野心平を思い出す。WIKIPEDIA(上毛新聞)によれば、草野心平は上毛新聞のOBとの事だ。福島県出身。本日で東北三大災害より4年と四ヶ月目となる。Googleで「がんばれ! ふくしま」を検索すると、最近はヒット件数が減少しているように感じる。暇なとき、読む本で、お薦めはあるかと聞かれて、草野心平の詩集はどうかねと話した。ケロケロ、コロコロ、グェコグェコ、下戸下戸。まだ蛙語には馴染めていないようだ。

WIKIPEDIA「草野心平。(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8D%89%E9%87%8E%E5%BF%83%E5%B9%B3)」(この記事へのリンク)

01BC_愛しきもの 雨蛙 コレクション(http://af06.kazelog.jp/itoshikimono/01BC_AMAHAERU_CLCTN.html)(この記事へのリンク)
 

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2015年3月 5日 (木)

半端道楽:日々農天気:白菜の中に生息していたイモムシのような虫を発見。;献金の 疑惑は白と 諸大臣。

2015年3月5日(木)
昨日は晴れ。最高気温(℃) 18.8 14:06。最低気温(℃) 1.8 03:44。ざっそう句;献金の 疑惑は白と 諸大臣。宅内閑居。議席数をバックに無謀なやりたい放題を繰り返してきた安倍内閣が政治献金疑惑のオンパレードになっている。大儀無き解散を強行し、ほとんどの閣僚を留任させて組閣したが、その閣僚の中から献金疑惑が噴出し、総理自らからも発覚、更に官房長官にまで飛び火している体たらくになっている。アベノミクスは腰折れ。国内では居心地が悪いので外交で株を上げようとして、外国訪問で内政をないがしろにして、国の借金なぞ気にせず、外国支援という美名のもと札ビラを切り歓心を買い、挙げ句の果てに藪蛇を招く大失敗。国会審議では一国の代表たる資質を疑わせるヤジを飛ばす無節操さ。景気は一向に良くならず物価高が国民生活を圧迫している。こんな状況では国が持たないのではないか。すでに内閣の信用は崩壊寸前ではないか。夕方、久しぶりの来客。雑談に花が咲く。マスコミが連日報道している少年殺人事件は煽りすぎではないかという話がでた。マスコミの怠慢で不都合な事実を報道しないため時間枠を持て余していると穿った見方がある。嗚呼、日本よ何処へ逝く。それにしては国民は辛抱強い。

2015年3月4日の天気(AMEDAS)

TAVE= 10.0 NO DATA
TMAX= 18.4 最高気温(℃) 18.8 14:06
TMIN= 1.9 最低気温(℃) 1.8 03:44
DIFF= 16.5
WMAX= 9.2 最大瞬間風速(m/s)(風向(16方位)) 17.7(西) 13:38
SUNS= 9.7 NO DATA
RAIN= 4

Q
Q

半端道楽:日々農天気:白菜の中に生息していたイモムシのような虫を発見。

先日白菜を収穫し、枯葉を除去すると中に、イモムシのような虫を発見した。このような虫は、サナギや卵のような形態で越冬すると思っていた。

Iob_hakusaiimomusiq 
かなり、食痕があったので、冬も幼虫として白菜を食害しながら成長していたのではないかと思う。

きれいな白菜を食べて、育っているので、そのまま食べても食べられるかも知れない。人類の歴史では、イモムシ類を食べていた時期もあると言われる。

未開民族もイモムシ類を食べる例があるようだ。我が兄弟も、幼少でハイハイをしている頃、親の目が届かない時に、カイコをしゃぶってしまったと母から聞いた記憶がある。自分も、薪の中からほじりだした、カミキリムシの幼虫を焼いて食べたような記憶が微かに残っている。

食習慣は、最初の動機付けでや体験で形成されるのかもしれない。そう思うと、百年後はびっくりするような物を食べている事も想像できる。

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2015年3月 4日 (水)

半端道楽:縮伐カット&トライ(植木の寸詰め):キャラボクの寸詰め;貧乏性 心乱れる 半値市。

2015年3月4日(水)
昨日は曇り。最高気温(℃) 6.7 15:16。最低気温(℃) -1.3 05:33。ざっそう句;貧乏性 心乱れる 半値市。野暮用で用事外出。預かり物配布。野暮用は一区切り。ついでに買い物等。完全閉店の某電気量販店を覗く。めぼしい物は売り切れていた。さて、何を買おうか。最大5割引き。使うかも知れない3割引きの小物を買った。売れ残った商品を見ると、需要が少なそうのもの、需要があるが値引き率が1~2割の小物が多いようだ。その理由を考えた。量販店は店頭在庫しか持たない。閉店セール期間は約一月。顧客に案内状も出しているらしいので、セール期間前に売り切れ御免でも申し訳ないと言うことで、小物商品の値引き率を低く設定したのではないかと思った。売れ残っても、売り切れで追加発注するにも小物なら在庫リスクを最小にでき、顧客にも来店メリットを与えたいという作戦のように見えた。一方、衣料品の冬物一掃5割引バーゲンにも出会った。こちらは、返品不可。二回試着して身体にあう物を探した。色が黒で喪服のように感じ気が引けた。そこで店員に同じサイズの色違いを探して貰った。一点見つかった。結構、気力・体力が必要だった。これも老人力の賜か。

2015年3月3日の天気(AMEDAS)

TAVE= 3.9 NO DATA
TMAX= 6.3 最高気温(℃) 6.7 15:16
TMIN= -0.1 最低気温(℃) -1.3 05:33
DIFF= 6.4
WMAX= 2.5 最大瞬間風速(m/s)(風向(16方位)) 5.4(西北西) 00:07
SUNS= 0 NO DATA
RAIN= 0

Q
Q

半端道楽:縮伐カット&トライ(植木の寸詰め):キャラボクの寸詰め

庭の奥の方にあるロウバイが匂わない。切ろうと思ったが、近づいてみるとそこそこ匂っているようだ。色々な雑木が植えてあり、その影響で、匂いが遮断されている可能性がある。

Iob_kyarabokusyukubatu 
そこで、余り存在感が無く、手入れの手間が掛かるキャラボクの寸詰めをした。支柱を立てたり、枝を曲げたり、樹皮を剥いだりといじられた残骸が残っていた。今では、ほとんど無用の長物になりかけている。根元に福寿草が咲いているので、福寿草を守る役はしている。

そこで、クニャリとUターンしたように曲がっている枝を切り落とした。もう一本、皮を剥いだ枝もあったが、これも見える位置にないので切り落とした。

切り口の年輪を数えようとしたが、ノコギリの刃が切れないようで、綺麗に年輪が現れない。20~30年程度の樹齢だろう。樹木が無くなれば、今度は雑草との戦いになる。困った物だ。

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    刃物という視点で多くの事例が取り上げられている。刃のある道具の理解にも役立つ。類書が少なく貴重な一冊。「すべり変形が切断の原理」という考え方で説明している。
  • 沼田 真   : 植物たちの生( 1972年 岩波新書(青版 833))
    「ご要望にお応えしてアンコール復刊(1988年岩波新書50年記念復刊) 地球生態系の中で自然を見直す」(腰巻きのフレーズ)。植物の知恵と戦略に人類は勝てるのか。
  • 出町 誠: 14_NHK趣味の園芸:よく分かる栽培12ヶ月  カキ(NHK出版2007年)
    初心者向け柿栽培参考書(新版)。旧版と比較すると楽しい。
  • 中村三夫: 13_NHK趣味の園芸:作業12ヶ月  カキ(NHK出版1996年)
    初心者向け柿栽培参考書(旧版)。新版と比較すると楽しい。
  • 山科正平: 12_細胞を読む   電子顕微鏡で見る生命の姿
    細胞はどんな部品からできているのか。そんな疑問に答えてくれる一冊。何事も形を見るのが第一歩。μからÅオーダーの世界で、細胞をメスで解剖するように、電子顕微鏡というメスで解剖して見せてくれるので興味が尽きない。
  • 柳田充弘: 11_細胞から生命が見える
    著者の専門は分子生物学、細胞生物学。普段生物を考えても細胞レベルで止まってしまう。その細胞の中で色々な分子が働いている。細胞こそ生命の基礎だが、その細胞の中の動きを知るのに最適な一冊。疑問の発端はなぜ発根剤が効くのかということ。薬剤が細胞膜を通過して細胞内で分子と分子が作用するイメージができた。本書でできた細胞のイメージは小さな無数の穴が空いた水分が充満したヨーヨーのようなもの。そのヨーヨーの中に分子部品が詰まっている。細胞自体もタライの中のヨーヨーのように浮かんでいる。細胞図面の空白部は真空でなく水分だ。細胞の内外に水がないと細胞は生きられない。水が生命のゆりかごだ!
  • 野口悠紀雄: 10_ホームページにオフィスを作る(2001年 光文社)
    ITが輝いた時代の作品。HPの活用法は参考になる。参考:url=http://www.noguchi.co.jp/(野口悠紀雄 ONLINE)
  • 小池洋男 編著: 09_果樹の接ぎ木・さし木・とり木(農文協:2007/3/31第1刷)
    やや専門的であるが、実務専門化が分担執筆しており、その場で役に立つ一冊。
  • ノーバート・ウィーナー(鎮目恭夫訳): 08_サイバネティックスはいかにして生まれたか(みすず書房1956)
    情報と通信という現代社会に不可欠の基礎的な学問を作った著者の自伝とそれを通した科学史
  • 沼田 真(編): 07_雑草の科学(研成社1979)
    雑草を多面的に解説し防除の基礎も述べる

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    POST IT :ブログ画面への張り紙に使える。
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    2010/8/4:MEMO等の表示に使える。 農作業で気になる自戒の言葉 ■畑の石ころはいつまで経ってもても石ころ(早く拾って片づけよという意味か)。 ■同じ石を二度拾うな(やってみると難しい)。 ■手ぶらで歩くな。 ■三つ先のことを読め。 ■適当な観察。 ■空を見よ(気分転換、休憩、天気を読む、腰曲がり防止)