2012年3月 7日 (水)

東北の海よ:道中で出合った芭蕉句碑、句碑が叫ぶ先人達のメッセージ

2012/3/7(水)
昨日は晴れ。好天で気温も上がった。3/6は二十四節気の啓蟄で、虫が這いだして活動を始める日とされる。人間の方も何となく浮き浮きしてくる。老人モードで外出したので、帰りは一人弥次喜多道中。自分が弥次さんなら、喜多さんという連れ合いは自分の影というところだろうか。温泉街から下の駅までぶらりと歩いた。バスが通る道路なので、歩けなくなったらいつでもバスに乗れるという安心感が何よりも一人道中の支えになった。

2012/3/6(火)の天気

TAVE= 10.7
TMAX= 17.9 最高気温(℃)   18.2  14:48
TMIN= 4.4 最低気温(℃)   4.0  03:42
DIFF= 13.5
WMAX= 3.5 最大瞬間風速(m/s)   6.3(東南東)  15:57
SUNS= 6.8
RAIN= 0.5

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東北の海よ:道中で出合った芭蕉句碑、句碑が叫ぶ先人達のメッセージ

一昨日は、縁あって、「大震災のもたらしたもの 気仙沼からの報告」という、気仙沼市の観音寺住職の講演を聞かせて頂いた。あの大震災、大津波からやがて一年になり、現地で大震災への対応をされてきた僧侶による、大きな被害を受けた気仙沼からの報告は、マスコミを通じて知る事のできない切実さを感じた。そうして、震災直後と現在では支援活動のニーズも変わってきていると話された。希望と未来が描ける心の支援が今一番必要なのですと話された。

そんな、講演の事など思い出しながら、一人で県道を下った所で、「八九間 空で雨ふる 柳かな」という芭蕉の句碑に出合った。既にこの句碑に関しては、WEB上に情報がある(url=http://homepage1.nifty.com/tsoutaro/basyou/07.htm)。この記事によると、荻原井泉水の碑の再建記が碑の別面に彫られているようだ。元の碑は文化十四年(一八一七)の建立。その別面に新しい句碑が彫られているようで珍しい碑であった。そうして、句碑の中から、荻原井泉水は「其の石は存して其句亡ぶといふ理あらんや」と問いかけている。石碑は残ってもその句の精神が亡んでしまっては道理がないではないかという自省を込めているのだろう。

そんな、俳人の気持を汲んで、この句を味わってみると、「八九間」に視点がありそうだ。季節は柳が芽を吹く春。無窮の大空から雨が降っても何の風情もない。柳の若芽の薄い緑を目で辿ると柳の木の先端あたりの空から雨が降ってきたように見えるところを描写しているのだろう。大自然の摂理とともに、小さな人間の営為を捉えよと諭しているが如くである。

芭蕉が奥の細道への旅に出たとき、同行したのが、河合 曾良(かわい そら 慶安2年(1649年) - 宝永7年5月22日(1710年6月18日):WIKIPEDIA)との事だ。観音寺住職は講演で、震災の伝承も、親から子へという風に、次代の親しい者へ、口伝えのようにして伝える事の大切さを語っていた。碑は「いしぶみ」とも読まれる。まさに、建碑当時の人々が、後世のために石に書き残してくれたメッセージなのだが、そこから何を読みとるべきかは、後世の人々のありかたが決めるのだろう。また、芭蕉が奥の細道への旅に出かけられたのも、同行者という、バックアップ(支援)があったから可能になったのかも知れない。やはり、万が一の時、支援が受けられるというほど心強いことはないのではないか。駅に着いてようやく長靴の重さから解放された。

2012年3月 6日 (火)

老人の寝言:東北関東大震災で混乱した携帯や通信インフラをより強固に叩き直せ

2012/3/6(火)
昨日は雨のち曇り。用事で外出。出先では朝は雪。その後雨に変わった。平地生活に慣れきっているので、冬は車で山間部には行かない。昨日は電車とバス。バスはチェーンを装着していた。時間にユトリがあるので出先の空き時間を楽しもうとしていた。雪景色をデジカメに納めようとしたが電池が不調。携帯は充電してきたので携帯のデジカメを使った。そんな時、坂になっている脇道を下るバンと登る自家用車が、道路の真ん中でにらめっこになり両方が停車したに場面に出合ってしまった。一気に登れば、自家用車は坂道を走破できたかもしれないが、止まってしまったので車がスリップして動かなくなった。ホテルの従業員数名が雪かきやホースの水で雪流しをしていた所であった。ホテルの若い従業員一人と、その場に出くわした自分の二人で何とかしようと頑張った。下りのバンを通過させ、登りの通路を確保。タイヤの前後と走行部分をホテルの若い従業員にスコップで除雪してもらう。タイヤのグリップが確保できる状態にして二人で車を押し上げた。その時、車が坂下に滑る危険も感じた。何とか危機を脱した。車の運転手は下車して一礼して本道を下って行った。本道はスプリンクラーが動作して走行には支障がなかった。スタッドレスだから大丈夫と思っていたと運転手は話していた。ホテルの若い従業員に指揮をして使ってしまったような結果になってしまったが、お互い様で済んだ。その後の時間も充実しているように感じた。追記(20012/3/13):坂道除雪風景。
Car_slip

2012/3/5(月)の天気

TAVE= 3.9
TMAX= 7.9 最高気温(℃)   8.2  18:45
TMIN= 0.7 最低気温(℃)   0.6  03:19
DIFF= 7.2
WMAX= 4.4 最大瞬間風速(m/s)   7.8(西北西)  19:44
SUNS= 0
RAIN= 22

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老人の寝言:東北関東大震災で混乱した携帯や通信インフラをより強固に叩き直せ

東北地方太平洋沖地震が発生した直後は電話や携帯のインフラが被害にあい、安否確認ができないという問題生じた。中継局が被害にあった場合と、中継局は健在でも電源を喪失して機能が失われた場合があった。更に、利用が集中しシステム障害を起こさないようにするため通信量の制限が行われ不通状態が更に悪化した。昨年7月24日にはアナログTV放送が地デジへ移行したが、岩手・宮城・福島は移行が1年間延期された。

J-CASTニュースは、「岩手・宮城・福島で地デジ化延期;url=http://www.j-cast.com/2011/04/21093743.html(2011/4/21 12:13 )」というタイトルで、「総務省は2011年4月20日、東日本大震災で大きな被害を受けた岩手、宮城3 件、福島の3県について、7月24日に予定していた地上デジタル放送への完全移行を、最大で1年間延期3 件すると発表した。 多数の受信設備が津波の影響で流失したことなどから、当初の予定に間に合わないと判断した。7月24日の完全移行は電波法で定められており、延期3 件には法改正か特例措置が必要となる。3県を除く各都道府県では、予定通り7月24日にアナログ放送を停波する。」と報じた。

地デジ化が延期となった東北三県はこれから地デジ化の問題に直面する事になる。地デジ化でアナログTV放送で使っていた電波帯域の一部が携帯電話に解放されることになっていたようだが、ようやくその動きが出てきた。

毎日新聞は、「プラチナバンド:総務省、900メガヘルツをソフトバンクに 700メガは今夏3社へ;url=http://mainichi.jp/select/biz/news/20120301ddm008020189000c.html(毎日新聞 2012年3月1日 東京朝刊)」というタイトルで、「携帯電話の電波がつながりやすい「プラチナバンド」と呼ばれる周波数帯(700~900メガヘルツ)について、総務省は29日、900メガヘルツ帯をソフトバンクモバイルに割り当てることを決めた。ソフトバンクは基地局整備などに8207億円を投じ、通信環境を改善する。一方、地上アナログ放送の停波で空きが出る700メガヘルツ帯についても、今夏をめどに3社に各20メガヘルツを割り当てることにした。【種市房子】 総務相の諮問機関「電波監理審議会」に審査案を提示、了承された。割り当てには、NTTドコモ▽KDDI(au)▽イー・アクセスを含む4社が応募。ドコモとKDDIは既に800メガヘルツ帯を持っており、大手3社で唯一、ソフトバンクがプラチナバンドを保有していないことが決め手となった。」と報じた。

アナログTV放送が終焉し、地デジに移行した結果を受けての決定である。アナログ対応電波を追い出した跡地利用である。総務省HPには「地上デジタルテレビジョン放送は、13~52チャンネルの周波数(470~710MHz)を使用することとなっています」とある。公共の電波を私企業に使わせるためにはそれなりの、公共性を確保しなければならない。電波を使わせるために、アメリカでは周波数の入札が行われているようだが、日本は結局入札を実施しなかった。ソフトバンクの携帯はつながりにくいというWEB情報があるが、それは周波数だけでなく、中継局の数にもよる。入札ならば決定の結果の透明性が確保できるのか。ともかかく経過を見守る以外になさそうだ。一面ではアナログTV放送受像者の犠牲の上に成り立っているのだから、適正なサービスをしていただきたい。

電気店で、スマホの実物を触ってみたが、タッチパネルや文字入力で手間取った。小さな文字をにらんでいると数分で目が疲れる。どうも老人向きではないように感じた。ITデバイドの現実味を感じた。スマホは通信容量が大きいのでビジネスで課金する上では利益への期待は大きいだろう。しかし、通信インフラとして大災害の時どのように利用されるべきか。通信容量が大きいことは電池の消耗も早い。東北地方太平洋沖地震の時、携帯の充電で困った例が多い。ビジネス万能で突っ走る事が許されるのか。

無線局は電波使用に対して、国の許可が必要で、その際「電波使用料」を払う必要がある。以下はテレビの「電波使用料」の例であるが、「電波使用料」という面から、電波の価値を考えると余りにも安すぎないか。もう少し、公共の電波という意識の上に、電波の価値に相当するコンテンツの質を高めて貰いたいところだ。

NEWSポストセブン|は、「テレビ局の「電波使用料」は売上高のわずか0.14%しかない;url=http://chinshi.blog102.fc2.com/blog-entry-24.html(週刊ポスト2010年11月12日号)」というタイトルで、「【NHK】電波利用料(A):14億8700万円 事業収入(B):6644億円 Bに占めるAの割合:0.22%;【日本テレビ】電波利用料(A):3億7600万円 事業収入(B):2777億円 Bに占めるAの割合:0.14%、【テレビ朝日】電波利用料(A):3億7000万円 事業収入(B):2209億円 Bに占めるAの割合:0.17%、【TBS】電波利用料(A):3億8500万円 事業収入(B):2727億円 Bに占めるAの割合:0.14%、【テレビ東京】電波利用料(A):3億6000万円 事業収入(B):1075億円 Bに占めるAの割合:0.33%、【フジテレビ】電波利用料(A):3億5400万円 事業収入(B):1717億円 Bに占めるAの割合:0.21%、【その他、地方局計】電波利用料(A):9億1251万円 事業収入(B):1兆2525億円 Bに占めるAの割合:0.07%、【全国128局計】電波利用料(A):42億4641万円 事業収入(B):2兆9676億円 Bに占めるAの割合:0.14%」と報じた。

これで、テレビの場合の「電波使用料」が大体つかめるが、携帯各社が支払う「電波使用料」はどの程度か。ケータイ用語の基礎知識によると、「第348回:電波利用料 とは;url=http://k-tai.impress.co.jp/cda/article/keyword/37284.html(2007/11/20 12:37 )」というタイトルで、「電波利用料の8割は携帯電話関係から 国内の携帯電話の電波利用料は、携帯電話事業者がまとめて納めています。その額は1台につき年額420円です。 」とのことだ。この額は改定で更に高くなっているようだ。

「電波使用料」の用途として、アナログTV放送の地デジ移行に多額の金額が使われてきたようだが、地デジ移行が完成すれば、この費用は不要になるだろう。そもそも地デジより、BS方式にすれば難視聴対策も容易で、経費も少なくなったという説も聞く。ともかく、今後の携帯インフラは防災だけでなく、日本のIT産業の生命線でもある。国民不在の電波行政を脱却して、被災地だけでなく、日本の産業の復興をかけて頑張って貰いたい。

2012年3月 5日 (月)

読みかじりの記:「新版 チェルノブイリ診療記 福島原発事故への黙示」 菅谷 昭 著 (2011年 株式会社 新潮社)

2012/3/5(月)
昨日は曇り。寒さが戻ってきた。宅内作業。水栽培のチューリップの芽が伸び始めてきた。根が出ているのは1球だけ。根は出なくても芽は出るというのも植物の戦略なのか。条件が異なる球根が5球ある。それぞれ生き方が異なるようだ。これから変化が出てくるだろう。昨日は年月日が1234と並んだ記念日。末広がり型だ。3/6は啓蟄。ジャガイモの植え付けをいつしようかと思案中。

2012/3/4(日)の天気

TAVE= 4.7
TMAX= 7.5 最高気温(℃)  最高気温(℃)  8.4  13:58
TMIN= 1.6 最低気温(℃)   1.6  24:00
DIFF= 5.9
WMAX= 3.5 最大瞬間風速(m/s)  5.9(東南東)  17:17
SUNS= 1
RAIN= 2.5

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読みかじりの記:「新版 チェルノブイリ診療記 福島原発事故への黙示」 菅谷 昭 著 (2011年 株式会社 新潮社)

本書出版日は2011年7月1日。巻末に「この作品は1998年8月晶文社より刊行された。」とある。この旧版をベースに発行された。2011/3/11の東北地方太平洋沖地震に起因して発生した福島原発事故に関する著者の緊急メッセージととれる著書だ。福島原発事故を契機にチェルノブイリ原発事故も知りたくなったが、昨年でチェルノブイリ原発事故は発生後25年を迎え、書店を探しても関連書物はほとんど見つからなかった。チェルノブイリ原発事故関連で、最初に出合ったのが本書である。

本書の「新版に寄せて」が書かれたのが原発事故発生一月後の4月と記されている。まさに、著者の緊急メッセージなのだ。チェルノブイリ原発事故で、医療支援を行った医師や医療機関も多かったと思うが、マスコミにも余り露出せず、このような個人で身を投げ出して医療支援を行っていた著者の名前を知ったのは本書を読んでからである。その体験を本にしたのも、今から見れば貴重な記録になっている。著者は甲状腺外科の専門医という事で、チェルノブイリ原発事故を通して、放射能が人体に与える影響を科学的に最も身近で把握している人であろう。福島原発事故事故に対して、当局の混乱でヨウ素剤が服用されなかった事と重ね合わせて考えると、幼児に対する放射能の影響に関しては、今からでも本書を熟読すべきではないかと思う。「新版に寄せて」で著者は「ベラルーシで幼児の甲状腺ガン患者が増加し始めたのは事故から5年後の事で、患者数がピークになったのは10年後ことだった」と述べている。

福島原発事故発生以後、「直ちに健康に影響を及ぼすものではない」というような言葉を何回聞かされた事か。著者は「まさに、自国の政府を信用できないくらい惨めなことはない。」とも述べている。また、「どんなに辛くてもチェルノブイリの話をするしかないと思っている。」とも述べている。著者、福島原発事故が起きたとき、第二のチェルノブイリ原発事故になることを危惧したとの事だ。放射能被害に関しては、5年後、10年後、更にその先何十年も不安や心配は消えない。

本書の診療に関する記事は、医と個のドラマである。問題を抱え悩むのは個人だ。個々の人が個々の問題を抱え、そこにドラマがある。最終章の「希望」に「たくましい女たち」という項がある。そこには、日本と食事の様子も描かれている。日本では福島原発事故の放射能で食事も農産物も大きく混乱し、その行く先も見通せない。

日本で活躍している、歌手・バンドゥーラ奏者のナターシャ・グジーが歌う「バンドゥーラを手にすれば」という歌を聴いたとき、切々とした望郷の念を感じた。この曲は以前風ログを覗いていたらバックから流れてきて初めて聞いた。WEBにあったプロフィールは以下の通り。

ナターシャ・グジー 公式ホームページ!は、「プロフィール;url=http://www.office-zirka.com/profile.htm」として、「プロフィール: ウクライナ生まれ。 ナターシャ6歳のとき、1986年4月26日未明に父親が勤務していたチェルノブイリ原発で爆発事故が発生し、原発からわずか3.5キロで被曝した。 その後、避難生活で各地を転々とし、キエフ市に移住する。 ウクライナの民族楽器バンドゥーラの音色に魅せられ、8歳の頃より音楽学校で専門課程に学ぶ。 1996年・98年救援団体の招きで民族音楽団のメンバーとして2度来日し、全国で救援公演を行う。 2000年より日本語学校で学びながら日本での本格的な音楽活動を開始。 その美しく透明な水晶の歌声と哀愁を帯びたバンドゥーラの可憐な響きは、日本で多くの人々を魅了している。 2005年7月、ウクライナ大統領訪日の際、首相官邸での夕食会に招待され、演奏を披露。 コンサート、ライブ活動に加え、音楽教室、学校での国際理解教室やテレビ・ラジオなど多方面で 活躍しており、その活動は高校教科書にも取り上げられている。 」と紹介している。

YouTubeで三橋美智也が歌う「あゝ故郷http://www.youtube.com/watch?v=077aFjoBmmM」という歌を聴いた。この曲にも切々たる望郷の念を感じる。人も場所も時も異なるが故郷にひかれる気持は人類本来のもので変わりがないのだと思う。

「若い生命を 埋れ木に
花の咲かない わが運命
男泣かねど 涙にうかぶ
あゝ ふるさとの 山恋し」
作詞・高橋掬太郎 作曲・吉田矢健治との事だ。昭和35年の発売だったとか。

福島原発事故で故郷から逃れる人とそこに住み続ける人がでた。去るも残るも重い決断がのしかかっている。福島原発事故は健康被害だけでなく、そこに住む人々の愛郷心も粉々に砕いてしまったのではないか。それでも、心の中に残る故郷は希望と元気を与えてくれる源なのではないか。最初に買った本書は回し読みをして貰うため手放した。いまも誰かが読んでくれているとありがたい。二回目に買った本書は保存版として残したい。

2012年3月 4日 (日)

読みかじりの記:「日本の深層 ~縄文・蝦夷文化を探る~」 梅原猛 著 (1994年 株式会社集英社)

2012/3/4(日)
昨日は穏やかな晴天。雪や雨が降り、季節が一歩進んだように感じる。久しぶりの農作業。種ジャガイモを切った。数日間切り口を乾燥させて植える。ジャガイモの本を見ると、頂部優勢なので、真ん中で輪切りにするのは良くないらしい。芽の数が均等になるよう切り口方向がまちまちになっている。次は、植え付けの畝作り。肥料は積み上げた雑草が堆肥らしくなったのを使った。多分草との戦いになるだろう。全て手作業で、発汗気味になった。量はごくわずか。ジャガイモは早植えが良いと本にある。収量が光合成をする時間に対応するようだ。

昨日は桃の節句、雛祭りであった。雛様を出さなくなり久しい。耳の日でもあった。「耳の日 ;。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%80%B3%E3%81%AE%E6%97%A5。」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』。(最終更新 2011年2月7日 (月) 21:03 )(http://ja.wikipedia.org/)の引用=「耳の日(みみのひ)とは、1955年日本聴覚医学会が創立し1956年に社団法人日本耳鼻咽喉科学会が制定した記念日。毎年3月3日。制定 [編集]:の字が耳の形に似ていることと、「み(3)み(3)」の語呂合わせから。一般の人々が耳に関心を持ち、耳の病気のことだけではなく、健康な耳を持っていることへの感謝、耳を大切にするために良い音楽を聴かせて耳を楽しませてあげるために、あるいは、耳の不自由な人々に対する社会的な関心を盛り上げるために制定された。また、3月3日は三重苦のヘレン・ケラーにアン・サリヴァンが指導を始めた日であり、電話の発明者グラハム・ベルの誕生日でもある。」。

「アレクサンダー・グラハム・ベル;。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%AC%E3%82%AF%E3%82%B5%E3%83%B3%E3%83%80%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%82%B0%E3%83%A9%E3%83%8F%E3%83%A0%E3%83%BB%E3%83%99%E3%83%AB。」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』。(最終更新 2012年2月29日 (水) 12:10 )(http://ja.wikipedia.org/)の引用=「アレクサンダー・グラハム・ベル(Alexander Graham Bell, 1847年3月3日 - 1922年8月2日)は、スコットランド生まれの学者、発明家。その生涯を通じて科学振興および聾者教育に尽力した。」。

G.ベル生誕165年だった。今日、電話無しには生活が成り立たない。WIKIPEDIAによると「父は大学教授で視話法の考案者であるアレクサンダー・メルヴィル・ベル (Alexander Melville Bell) 。」。
G.ベルは電気と音声に興味を持つとある。電話とは音声を電気に変換して遠方と通信する技術である。ここには純粋な学問と学問の実用化する技術との融合がある。G.ベルの偉大さを改めて認識した耳の日だった。

TAVE= 7.2
TMAX= 12.2 最高気温(℃)  12.5  14:09
TMIN= 4.2 最低気温(℃)   3.9  06:25
DIFF= 8
WMAX= 6.5 最大瞬間風速(m/s)  12.2(北北西)  16:39
SUNS= 9
RAIN= 0

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読みかじりの記:「日本の深層 ~縄文・蝦夷文化を探る~」 梅原猛 著 (1994年 株式会社集英社)

この本をもむきっかけは、「松岡正剛の千夜千冊」の中で、「日本の深層(http://1000ya.isis.ne.jp/1418.html)」を読んだことにある。東北関東大震災も関心を向けさせた。「東北の海よ:哲学者・梅原猛さんの思い(2011年4月 4日 (月))。http://af06.kazelog.jp/itoshikimono/2011/04/post-6834.html。」で、東北復活の自分なりのキーワードは「東北の海よ」がふさわしいと思った。著者は復興会議構想会議の特別顧問(名誉議長)に就任している。この役職も著者と東北地方の並々ならない関係の故であろう。読後の印象は、「哲学者・梅原猛さんの思い」に通じる。やはり、特異な哲学者らしく、ずばり、現象の背後に迫ろうとする姿は誰もマネが出来ないように思う。賢い哲学者なら危険地帯として入り込まない領域に足を踏み入れているのではないか。「日本の深層」の「深層」も色々深い意味を想像させる。東北地方が中央から未知であり、まさに未知・道の奥にある。距離的に遠いだけでなく縄文時代まで時間軸を引き延ばして、東北地方から中央を見直してるのだから、こういう業は著者でしかできないだろう。著者が縄文時代の縄文土器の分布、気候や蝦夷やアイヌのことまで言及して東北地方が古代文化の発祥であるように語る中に、著者の熱き思いを感じる。縄文時代は1万年以上前まで遡るようだ。山内丸山遺跡は紀元前3000年頃の遺跡(。http://sannaimaruyama.pref.aomori.jp/jomon/index.html。= 遺跡年表)らしい。栗やクルミを食べていたらし。これらは広葉樹で温暖な気候を思わせる。

特別史跡山内丸山遺跡のHP:。http://sannaimaruyama.pref.aomori.jp/about/index.html。に、「三内丸山遺跡は、今から約5500年前~4000年前の縄文時代の集落跡で、長期間にわたって定住生活が営まれていました。 平成4年からの発掘調査で、竪穴住居跡、大型竪穴住居跡、大人の墓、子どもの墓、盛土、掘立柱建物跡、大型掘立柱建物跡、貯蔵穴、粘土採掘坑、捨て場、道路跡などが見つかり、集落全体の様子や当時の自然環境などが具体的にわかりました。 また、膨大な量の縄文土器、石器、土偶、土・石の装身具、木器(掘り棒、袋状編み物、編布、漆器など)、骨角器、他の地域から運ばれたヒスイや黒曜石なども出土しています。 ヒョウタン、ゴボウ、マメなどの栽培植物が出土し、DNA分析によりクリの栽培が明らかになるなど、数多くの発見が縄文文化のイメージを大きく変えました。平成12年11月には国特別史跡に指定されました。」と紹介されている。

尚、本書に述べられた十三湊遺跡も調査が進み、著者の推測が空想ではなかったことが実証されつつあるようだ。更に、東北地方で思い出すのが、旧跡時代の遺跡捏造問題だ。その背景には地域のアイデンティティを強固にしたいという強迫観念が、蔓延していたという時代背景もあったようだ。地域のアイデンティティを確かにすると言うことが、集団で何事を行うにも必要なことだろ。そう言う意味で、アイデンティティ探しも、復興の前提として不可欠ではないか。松岡正剛氏が、上記記事で「芭蕉が奥の細道を通して把えようとした意図が、日本の深層への旅だったと思えてきた。」と書いている。昨年は、芭蕉の句を前句として、それから連想した句を作っていた。東北関東大震災でそれが中断したままになっている。芭蕉は当時の江戸という中央にいたのが、なぜ奥の細道に向かったのか。芭蕉を引き寄せたものがあった筈だ。それは何か。何かを求めた覚悟の旅だったように思う。

YouTubeで三橋美智也が歌う「日本人。http://www.youtube.com/watch?v=mc3QECAUuJs。」という歌を見つけた。「土に顔当て 頬ずりすれば」~。初めて聞いた曲だが、元気を貰える歌だった。日本人の「根っ子を」歌っている。深層とは、普通の眼では見えない根っ子の部分だ。この東北地方に生まれ育った根っ子が日本文化の地下深く覆い尽くしているという逆転の発想が「日本の深層」なのかも知れない。

2012年3月 3日 (土)

東北の海よ:仙台仕込みの高崎の牛タン店でリッチな一時

2012/3/3(土)
昨日は雨。気温は上がらず終日寒い一日。宅内で過ごした。当地の屋台の彫り物を作ったという伝承が残る弥勒寺音次郎父子についてWEBで調査。群馬県文書館の「インターネット古文書講座」で「佐位郡渕名村の宮大工弥勒寺音次郎あて免許状」という古文書を解読していたのにであった(http://www.archives.pref.gunma.jp/inter-koza-1804kara/inter-koza-1804-2.htm)。
以下はその解読文。
Mirokuji_otojirou_menkyo_interkoza1
この文書によれば、弥勒寺音次郎が宮大工として免許皆伝となったのが天保14年3月である。宮大工になるのも実力を認められ、然るべき儀式を行い神祇官から免許状をもらう必要があったようだ。今から169年前である。我が家の祖先もその屋台の造営に関わったと聞いているので、ひょっとすると弥勒寺音次郎・音八と会ったことがあるのかも知れないと思うと郷土の歴史に興味を覚える。

2012/3/2(金)の天気

TAVE= 4.8
TMAX= 6.1 最高気温(℃)  13.5  14:32
TMIN= 3.3 最低気温(℃) 1.4  03:55
DIFF= 2.8
WMAX= 2.4 最大瞬間風速(m/s)  4.9(東南東)  13:29
SUNS= 0
RAIN= 10.5
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東北の海よ:仙台仕込みの高崎の牛タン店でリッチな一時

先月、用事で高崎駅口にオープンしている某家電量販店に出かけた。初めての訪問だったのでそのデカサに驚いた。時間にユトリがあったので、先ず店内ウォッチング。1~4階までが電気、5階がレストラン、更に地下一階があり、食品から貴金属まで並んでいた。現代の竜宮城で、ここに来れば一日快適に過ごす事ができそうだ。余り羽を伸ばすと浦島太郎の玉手箱から何が出てくるか分からない。このような引力に逆らい、一緒に来たかみさんと外で昼飯を食べることにした。ところが、駅前をふらついても、食事をできそうな店がみつからない。ようやく、緑提灯が下がった店を見つけたが、戸締まりしていた。緑提灯については、高校時代の同級生が上毛新聞に記事を出していたので、いつか訪問してみたいと思っていた。その記事が以下のWEBで読めた;視点 オピニオン21
「緑提灯 食料自給率を上げよう(2010.10.20)丸山 清明。(http://raijin.com/news/kikaku/opinion2010/opinion20101020.html)」。

更に探すと、そばやらしい店があった。他も探して品定めをしようと、第三の店を探したがみつからない。何とかカメラという駅前店近くまで来たので、店内を覗いた。所狭しという印象でそれなりの活気を感じた。仕方なく、戻って先の開店していた店に入った。一階が牛タンで二階が蕎麦とのこと。かみさんは牛タン、自分は蕎麦がいいなというと、牛タンは二階までお持ちしますとの事。二階は和室であった。店の名は「仙台伝承の味 梅の花」とテーブルのお品書きにあった。蕎麦は東北流か、汁に大根を使う。蕎麦は何と食べ放題だったので、3杯頂いた。牛タンも食べたいのでかみさんの皿に越境。聞くところによると、牛タンは仙台仕込みとの事。開店一年程度。その後半年ほど後から二階で蕎麦も始めたとの事。蕎麦も東北をイメージしているようだ。東北と言えば椀子蕎麦を思い出す。

半導体代理店から出張のお声が掛かり、東北地方の顧客を廻った。その会社のHPで沿革を見ると北陸営業所開設S.56年。当時、北陸地方の拡販にも呼ばれた。その担当者が東北担当になったのが、本場の椀子蕎麦を体験できた理由かもしれない。従って東北訪問はS56年以降だろう。ともかく、当時東北地方の電子産業は、関東関西から見ればまだまだ発展途上であった。しかし、社名はうろ覚えだが、アルプスモトローラとかいう半導体工場があり、その工場も訪問した。半導体の生産拠点には豊富な水が確保できる場所が選ばれる。今から思うと、一回限りのHAPPY CALLではあったが懐かしい思い出だ。その仕事が済んで、椀子蕎麦を頂いた。広辞苑によると椀子蕎麦は客をもてなす岩手県郷土料理との事だ。腹一杯、次から次と満腹になるまで蕎麦を食べさせると言う風習は、それが最高のもてなしである事を教えてくれた。極度の空腹を体験しなければその本当の意味が分からないだろう。

帰り際、一階の牛タン店を覗くと、独りの女性が椅子に掛けて本を読んでいた。遠目で見たので、何となく淑やかな美人に見えてしまった。蕎麦も東北に関係がありますかと聞くと、店員は食べ放題という背景には椀子蕎麦があるとの事だ。しかし、今時、椀子蕎麦を標榜しては持たないですよと笑った。そういう意味で、食べ放題も最高のもてなしと解釈したい。値段的にはリーズナブルでリッチな一時を過ごさせてもらった。それにしても駅周辺が、巨大店の一極集中で、生活の香りが少なく寂れてしまったような街にならないで貰いたい。自由な空間のみに、本当の人と人のコミュニケーションが生まれるのではないか。東北もこの店も元気になって貰いたい。この記事も東北関東大震災の事を思いつつ、東北地方の記憶を甦らせて書いている。後一週間ほどであの大災害から一年になる。

2012年3月 2日 (金)

老人の寝言:福島原発事故でなぜ、なぜ、なぜを繰り返すと不可解な謎がある

2012/3/2(金)
昨日は晴れ。夕方までに雪は大方消えた。用事で歩いて外出。自転車より徒歩を選んだ。雪景色を楽しみながらデジカメ撮影。赤城山を写そうとしたが電池切れ。ポケットに予備電池を入れているのだが、交換しても電池切れのマーク。とりあえず携帯のカメラで撮影。肝心な時に予備電池が役立たなかった。どうも電池切れになっても充電するのを忘れていて、予備電池があり安心だと思い違いしていたようだ。よくある失敗だが、携帯カメラも常用していないので忘れがちだ。何事も予備があれば安全だがいざと言う時に役立つよう不断のチェックが必要だ。

2012/3/1(木)の天気

TAVE= 6.9
TMAX= 13.1 最高気温(℃)  13.5  14:32
TMIN= 1.7 最低気温(℃) 1.4  03:55
DIFF= 11.4
WMAX= 3.6 最大瞬間風速(m/s)  6.0(西北西)  08:35
SUNS= 10.3
RAIN= 0

QQQ

老人の寝言:福島原発事故でなぜ、なぜ、なぜを繰り返すと不可解な謎がある

福島原発事故も予備の電源を喪失したことが原因だ。本当だろうか。事故対策は、なぜ、なぜ、なぜを繰り返せという教訓がある。福島原発事故も放射能が漏れなければ今ほど大きな問題にならなかっただろう。東北地方太平洋沖地震から原発建屋が爆発するまでの間は、原子炉は五重の壁に守られているから安全だという解説がマスメディアで流された。

「5重の壁;。http://ja.wikipedia.org/wiki/5%E9%87%8D%E3%81%AE%E5%A3%81。」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』。(最終更新 2011年5月24日 (火) 23:18)(http://ja.wikipedia.org/)の一部引用=「設けられた障壁が、「燃料ペレット」、「燃料被覆管」、「原子炉圧力容器」、「原子炉格納容器」、「原子炉建屋」の5つであるためこの名が定着したが、原子炉格納容器が設けられていない原子力発電所も存在し、VVER、RBMKなどが例として挙げられる。なお、RBMK型の原子炉は、ウクライナのチェルノブイリ原子力発電所の炉型として知られている。障壁が設けられているのは原子炉建屋だけでなく、施設内で放射能を伴う箇所全てが遮蔽されている。BWR(沸騰水型原子炉)の場合は、炉心で発生した蒸気をそのままタービンに送る為、蒸気タービンも遮蔽する必要がある。なお、PWR(加圧水型原子炉)のように二重間接熱サイクルを採用した原子炉についてはこの限りではない。」。

しかし、原子炉の五重の壁という安全神話も「原子炉建屋」の爆発と共に吹っ飛んでしまったのが現実だった。

福島原子力事故の社内調査情報(url=http://www.tepco.co.jp/nu/fukushima-np/interim/index-j.html)(平成23年12月2日 福島原子力事故調査 中間報告書の公表について)で「報告書本編で記載している事項につき、特定の論点に絞る形で詳細に記載している項目や、また本編報告書に記載はないものの、経緯として明らかにした方が良いと考えられるもの等があり、事故に係わる事実を正確にお伝えするという観点では、重要な要素であることから、別冊として、現時点(平成23年12月2日)までで整理できた事項を、抽出・記載しております。 」とその範囲を記している。

以下はその中の「現場作業の厳しさ、困難さを示す現場の状況、声(PDF 491KB) url=http://www.tepco.co.jp/nu/fukushima-np/interim/images/111202_17-j.pdf」の一部引用である。

*******************************************
【中央制御室責任者の対応】

平成23年3月11日、14時46分、巨大な地震が、福島第一原子力発電所を襲った。地震の時は、机にしがみついて、運転員に掴まるよう声をかけて我慢した。地震がおさまってすぐに、スクラムした状況は、自席からグリーンランプが見えた。非常用電源(D/G)が起動し、回っているのを確認し、中央制御室のパラメータもOKという報告を受け、このままいけると思った。

その後(津波が襲来した時刻頃)、電源のランプがフリッカし、一斉に消えていくのを目前で見た。
非常用電源が止まり、中央制御室のパネルのランプが、バタバタと消えていく状況だったが、何が起きたのか分からなかったが、津波によるものとは思わなかった。操作員が、「海水が流れ込んできている」と、中央制御室に大声で叫びながら戻ってきて、津波の襲来を知った。

津波の流入と同時に、非常用電源が使えなくなり、中央制御室の照明も、一つ非常用灯(薄暗いわずかな照明)があるのみとなった。

電源を失って、何も出来なくなったと感じた。
他の運転員は、不安そうだった。「操作もできず、手も足も出ないのに、我々がここにいる意味があるのか」と紛糾した。そこで、自分がここに残ってくれと頭を下げ、了解を得た。

中央制御室で放射線量が上昇したため、当直長は、チャコールフィルタ付全面マスクと防護服を装備するよう指示。放射線量の低い2号機側に寄らせ、監視等を継続した。

【ベント作業の困難さ】

ベント作業が、電源を喪失したことから、手動で弁の開放作業をせざるを得なくなった。
しかし、現場での開放作業では、高線量被ばくのおそれもあり、ベントに行ける人間を書き出して、当直長をそれぞれ割り振るように編成した。
完全装備とはいえ、放射線量が高い中を行かせるので、若い人には行かせなかった。

ベント弁の開放作業のため、現場に出かけた。その際、トーラスに近づいた際、ボコッ、ボコッという大きく、不気味な音が聞こえた。弁が、一番上の物であったので、トーラス部分に足をかけ作業をしようとしたら、黒い長靴がズルッと溶けた。
*******************************************

上記記事は、津波到来以前から、ベントの間の現場作業の一端を示していると思われる。気になるのが、「中央制御室で放射線量が上昇したため、当直長は、チャコールフィルタ付全面マスクと防護服を装備するよう指示。放射線量の低い2号機側に寄らせ、監視等を継続した。」という部分。「中央制御室」はまさに核シェルターと同じで、作業者にとっては最も安全で最後の砦ではないだろうか。それなのに、「中央制御室で放射線量が上昇した」というのはどうしてなのかという「なぜ」がでてくる。常識的には、既に津波ではなく、地震の一撃で、5重の壁かべの「原子炉格納容器」又はそれに連結する配管系に破損が生じて放射能が漏れだしたという状況証拠を示しているのではないか。

それでは原子炉建屋の水素爆発はどうか。当然、水素は冷却が止まった原子炉内の高温反応で生成されている。その水素を逃がさなければ原子炉の爆発につながる。それを防止する対策がベントだろう。一般的には「ガス抜き」と同じだろうが、それを知られては困るのか専門用語を自己防衛の壁に使っているのが実態だろう。水素爆発はなぜ起こったか。当然、原子炉から漏れたと考える以外にない。そうすると、又も5重の壁かべの「原子炉格納容器」の破損無しには考えられない。既に、「原子炉圧力容器」の破損も判明している。「燃料ペレット」、「燃料被覆管」も高温で溶融したようだ。結局、安全神話の5重の壁は全て破られてしまったのが福島原発事故の実態ではないか。問題は地震の一撃で放射能を放出した原子炉の信頼性だ。原子炉を作る物質も強い放射線を連続して長期間あびると劣化が進む。これは自然の法則でもある。行き着く先ははっきりしている。原子炉を使い続けようとしても、いずれ稼働時間よりメンテナンス時間が多くなり、最終的にはコストも合わなくなる。福島原発事故の調査も色々なレベルで行われているが、老朽化した原発の脆弱性は避けて通るべきではないだろう。

以上専門家から見れば当たり前かもしれない。当たり前の知識を一般人に分かりやすく説明するのも専門家の責任ではないか。本当の事を言うと社会的な混乱が起こるという意見もある。本当だろうか。

昨年、「老人の寝言:放射線量の自主測定はどんどんやれ;http://af06.kazelog.jp/itoshikimono/2011/06/post-2bd3.html(2011/6/17)」と書いた事を思い出した。この一年の間に、放射線量の自主測定はめざましく普及したように思われる。やはり、物事に関心を持ち、データを握り、監視をする人の存在は当局の態度も変えてゆく。東北関東大震災も福島原発事故も風化する前にしっかり調査・記録して、その教訓を後々まで生かす必要があるだろう。

2012年3月 1日 (木)

ざっそう句:牡丹雪

2012/3/1(木)
昨日は雪。4年に一度の閏日と重なり思い出深い日となった。朝起きると一面の銀世界。牡丹雪が昼過ぎまで降り続いた。朝の気温は1℃だった。雪が降り止むと共に雪解けが始まった。今朝の庭は樹木に雪は無いが、地面はまだ一面白い。障子越しに雪景色を楽しみながら宅内作業。東京電力のホームページを覗くと、「自主的避難等に係る損害に対する賠償金のお支払いの開始について(平成24年2月28日)」という記事がトップページに出ている。余りにも遅すぎる。事故から1年も経過すると記憶もレシート等の書類も散逸してしまう。そこが狙いなのかも知れないが余りにもセコ過ぎないか。それなのに、金は国に負んぶに抱っこ。国の経営支配は認めず、言いたい放題とは何事かと思わざるを得ない。まさに倫理崩壊したような企業態度ではないか。

2012/2/29(水)の天気

TAVE= 1.6
TMAX= 2.8 最高気温(℃)  3.2  14:58
TMIN= 0.1 最低気温(℃)  0.0  07:21
DIFF= 2.7
WMAX= 1.9 最大瞬間風速(m/s)  4.0(北北西)  03:58
SUNS= 0
RAIN= 10.5

ざっそう句:牡丹雪

■牡丹雪 ロマンも消える 放射能
■幼き日 雪も食べたり 好奇心
■立ち枯れの 苗を生かせよ 牡丹雪
■雪の戸を 老母が開く 見舞客
■ストーブの 横に妻あり 朝の雪

2012年2月29日 (水)

技術 回顧と展望:日本の産業劣化に経営者の品質劣化は無関係か?

2012/2/29(水)
昨日は晴れ。用事で外出。本日は4年に一度の閏年の日。いとしき人の命日でもある。冥福を祈る。用事が済んでからタウンウォチング。電気店のカタログで最近のテレビの待機電力を調べると0.1W程度であった。待機電力の低減はかなり進んでいるようだ。表示がブラウン管から液晶に代わり、SW投入から画像が出るまでの時間が短縮しているのも関係しているだろう。テレビの価格も低下している。テレビ自体のデジタル化が進み、基本機能が中心の普及機は、自作パソコン感覚で部品の寄せ集めで作れるようになり、参入障壁が下がって、価格競争が熾烈になっているのも価格低下の一因らしい。週刊誌を立ち読み。日本の家電メーカーの業績が悪化しているが、復活に関しては厳しい見方をしていた。数日前、エルピーダメモリーが会社更生法適用申請というニュースを上毛新聞で読んだ。半導体は産業のコメ、ネジ、釘と言われてきたが、ついに来る物が来たと感じた。日本の産業は土台から揺らいでいるのではないか。経営者がその土台を正視せず後ろ向きな対応をしてきた付けが今になって現れてきたように感じる。

2012/2/28(火)の天気

TAVE= 2.2
TMAX= 6.9 最高気温(℃)  7.1  13:30
TMIN= -1.9 最低気温(℃)  -2.5  06:33
DIFF= 8.8
WMAX= 4.1 最大瞬間風速(m/s)  8.5(西南西)  04:25
SUNS= 9.3
RAIN= 0

技術 回顧と展望:日本の産業劣化に経営者の品質劣化は無関係か?

日本の半導体業界で飯を食ってきて、日欧の半導体業界では、体質の違いがある事を思い出した。日本では、半導体事業は、企業の部品供給源として、企業の中で生み育てられてきた。いわば企業内事業が中心で、半導体専門企業は極少ない。一方、欧米では、特に米国では、半導体のみで生きるという明確な目的を持った半導体専門企業が多数を占める。米国の総合企業も、色々な事情で、半導体事業を、売却、分社化等で体内から切り離している例が多い。いずれにしろ、米国では半導体事業が経営戦略という面で、市場、業界や企業経営に密着していた。技術進歩が早いだけではなく、経済の動きに即応する経営力がもとめられたのである。いわば、半導体事業は常在戦場が現実であるリスクもリターンも大きなビジネスであったと思う。

ロイター日本は、「エルピーダが会社更生法の適用申請へ、「日の丸半導体」が破たん;url=http://jp.reuters.com/article/topNews/idJPTYE81Q03W20120227(2012年 02月 27日 17:19 JST)」というタイトルで、「[東京 27日 ロイター] 経営再建中のエルピーダメモリ(6665.T: 株価, ニュース, レポート)は27日に会社更生法の適用を申請する方針を固めた。同社幹部など複数の関係者がロイターに語った。 同社の坂本幸雄社長が午後6時半に記者会見する予定。東京商工リサーチによると、同社の2011年末の連結ベースの負債総額は約4818億円。日本の半導体事業の復活をかけて国の全面支援を受けた「日の丸半導体」会社は生き残りの道を描ききれなかった。
 半導体メモリーのDRAM市場で世界3位のエルピーダは、リーマン・ショックで経営が悪化した2009年6月に産業活力再生特別措置法(産活法)の適用第1号となり、日本政策投資銀行を通じて優先株による300億円の公的資金の出資を受けた。しかし、半導体市況の低迷に伴う価格下落、急激な円高で業績が再び悪化。11年4―12月期の連結純損益が989億円の赤字(前年同期は102億円の黒字)となるなど、財務体質が一段と悪化していた。 産活法適用の期限が3月末に迫る中、再認定を得るための条件の1つとされた他社との業務提携を結ぶため、DRAM世界4位の米マイクロン・テクノロジー(MU.O: 株価, 企業情報, レポート)との資本・業務提携も模索していたが、結実する見通しが立たないことから、法的整理の元での再生を決断したとみられる。」と報じた。

上記ロイターの記事で『「日の丸半導体」が破たん』という象徴的タイトルは、ロイターだから書けたようにも見える。その背後には米国半導体の生き残りがあるだろう。記事末尾にには:(ロイターニュース 白木真紀 布施太郎;編集 山川薫)とクレジットがある。

「 IT用語辞典バイナリ > IT企業家列伝 >
坂本幸雄とは」は、「坂本幸雄;url=http://biography.sophia-it.com/content_jp_venture/%E5%9D%82%E6%9C%AC%E5%B9%B8%E9%9B%84」というタイトルで、「坂本幸雄
読み方:さかもとゆきお

坂本幸雄とは、エルピーダメモリ株式会社の代表取締役社長・最高経営責任者(CEO)である。半導体産業界で経営難にあえぐ数社の再建を成功させ、その手腕から「半導体業界の救世主」とあだ名される人物である。1947年9月3日生、群馬県前橋市生まれ。 1970年に日本体育大学体育学部を卒業した坂本幸雄は、半導体メーカーの日本テキサス・インスツルメンツ(TI)社へ入社した。体育会系で、半導体に関する知識もなく、倉庫係として資材の出入庫を始めたという。しかし20年の勤務を経たころには、坂本幸雄は取締役を務めるまでになっていた。その陰には、在庫を把握する能力や、持ち前の体力、判断の決定に至るまでの迅速さといった坂本幸雄の特長がある。坂本幸雄はTIで副社長までを歴任した後、神戸製鋼所に移って半導体本部長に就任した。そして2000年には日本ファウンドリー(現・UMC Japan)社長へと就任している。」と紹介されている。

日本の半導体事業、特に電子機器のねじ、釘に相当するメモリーやデジタル半導体が斜陽化する中で、エルピーダメモリ社長の活躍に注目していた。自分が現役時代では、半導体業界では、どちらかと言えば無名だったように感じる。エルピーダメモリの社長になるのも、あえて火中の栗を拾うという気持があったのではないか。世界における熾烈な半導体戦争で、日本の最終戦争を指揮する武将の姿を同氏に重ねた人が多かったのではないか。言い換えれば、同氏以外日本の最終戦争を指揮する経営者がいなかったのではないか。日本の経営者はお家の大将で満足だったのか。

エルピーダメモリ株式会社は、「会社更生手続開始の申立てに関するお知らせ;url=http://www.elpida.com/pdfs/pr/2012-02-27j.pdf(平成24年2月27日)」というタイトルで、「当社は、平成24年2月27日開催の取締役会において、会社更生手続開始の申立てを行うことを決議し、東京地方裁判所にその申立てを行いました。同申立ては、同日受理され、直ちに、同裁判所より弁済禁止等の保全処分命令、強制執行等に係る包括的禁止命令、及び監督命令兼調査命令が発令されましたので、下記のとおりお知らせいたします。なお、同時に連結子会社である秋田エルピーダメモリ株式会社についても、会社更生手続開始の申立てを行っておりますが、こちらにつきましては、別途「当社子会社の会社更生手続開始申立てに関するお知らせ及び債権の回収不能に関するお知らせ」をご参照ください。
本件申立てによって、債権者の皆様をはじめ、これまでご支援とご協力を頂きました関係各位に多大なるご迷惑をお掛けする事態となりましたことにつき、誠に申し訳なく、心よりお詫び申し上げます。
今後は、東京地方裁判所及び同裁判所から監督委員兼調査委員に選任された土岐敦司弁護士の監督の下、役職員一丸となって会社の事業の再建に尽力して参る所存ですので、何卒ご理解とご支援を賜りますようお願い申し上げます。」と報じた。

エルピーダメモリの末路は、まさに「刀折れ矢尽きる」の状況のように思われるが、法令に従った会社更正が行われるという点では公正な処置ではないかと思う。債務超過に対する処置も、国家のルールが定めているのである。新しい体制で、国の産業の基礎を担う企業として復活する事を願うばかりだ。

「エルピーダメモリ;。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%AB%E3%83%94%E3%83%BC%E3%83%80%E3%83%A1%E3%83%A2%E3%83%AA。」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』。(最終更新 2012年2月28日 (火) 13:41)(http://ja.wikipedia.org/)の一部引用=「シェア推移 [編集]:
1999年(平成11年)6月の日立製作所と日本電気による合弁会社設立発表当時、DRAM世界市場でのシェアは日本電気が約11%、日立製作所が約6%であった。その後業績低迷が続き、現社長が就任した2002年(平成14年)には4%代まで落ち込むことになる。東証一部に上場した2004年(平成16年)には6%まで上昇し、2006年(平成18年)は10.2%と合併以前の日本電気の水準まで持ち直してきている。 2008年(平成20年)になると、韓国・サムスン電子、ハイニックス半導体に次ぐ14.2%(ガートナー調べ)のシェアを占めている[5]。 2009年(平成21年)の第3四半期はサムスン電子(35.6%)、ハイニックス半導体(21.6%)に次ぐ16.8%のシェアであったが、第4四半期には、サムスン電子(31.7%)、ハイニックス半導体(21.6%)に次ぐ19.4%とシェアを上げた[6]。」。

韓国では半導体産業を国策として優遇している。上記ロイター記事は「日の丸半導体」と述べているが、日本国、日本の産業界はエルピーダメモリの事態をどのように見ているのだろう。もう少し、産業の土台部分を正視する必要はないだろうか。

2012年2月28日 (火)

雑木の歌:時の流れに身を任せ

2012/2/28(火)
昨日は晴れ。寒さが戻ってきた。今朝5時のAMEDAS伊勢崎の気温は-1.8℃。室温は3.9℃だ。昨日も宅内作業。思うように仕事が進まない。久しぶりにME機を使う。大昔のLBPを使うためだ。電源プラグを挿すと待機状態になっているので、パソコンと同じ集合SWで、使うときだけ電源を入れている。待機電力の節電のためだが、東京電力福島原発事故の影響で始めた節電だ。WEBで調べると類似機種のスタンバイ時電力は平均約 3Wとあった。試しに計算すると年間で26280Wの電力になる。馬鹿に出来ない量だ。梅の蕾がふくらんできた。父が玄関先に置いた盆栽鉢から根を地面に下ろして逞しく生きている。その梅の木に数年前に枝垂れ梅と紅梅を接木した。台木と合わせて3種類の花が咲く。枝が混んでいたのでかなり強く剪定した。枝垂れ梅は原木を枯らしてしまった。その子孫が別の親木に居候して細々と生きているのだから何となくいじらしさを感じる。

2012/2/27(月)の天気

TAVE= 2.3
TMAX= 6.1 最高気温(℃)  7.0  12:45
TMIN= -0.4 最低気温(℃)  -0.6  22:51
DIFF= 6.5
WMAX= 8.3 最大瞬間風速(m/s)  16.2(北北西)  16:24
SUNS= 10.7
RAIN= 0

雑木の歌:時の流れに身を任せ

○如月の 午後の日向は 心地よく 蟻も群がる 段ボール箱
○大地震 起こる前兆 見てみたい あの日の前の ブログを開く
○あの世でも 時計の向きは 同じ向き 嘘も本当も この世と同じ
○迷走の 時もそのまま 過ぎて行く 水に流すな 不埒な言葉
○万物の 命愛おし 生きしもの 預かる命 しかと伝えよ

2012年2月27日 (月)

愛しき古里:地域の小字名「火生石」の意味と由来は?20120227。

2012/2/27(月)
昨日は曇り。日ざしが無く寒い日だった。やはり寒暖の変化が身体にこたえる。昨日の農事会合は無事終了したようだ。そろそろ、スギ花粉が飛ぶ季節だ。「環境省花粉観測システム(愛称:はなこさん):url=http://kafun.taiki.go.jp/GraphWeek.aspx?MstCode=51010100&AreaCode=03」によると群馬県の飛散は未だ少ない。今年は飛散量が少な目ということなので何も対策していない。アレルギー体質も加齢で変わる事があるのか。WEBで「火生石」について調べた。夜、知人が来宅雑談。

2012/2/26(日)の天気

TAVE= 4.1  
TMAX= 8.5 最高気温(℃)  8.9  12:19
TMIN= 1.9 最低気温(℃)  1.7  03:41
DIFF= 6.6  
WMAX= 8.4 最大瞬間風速(m/s)  15.5(西北西)  20:19
SUNS= 0.8  
RAIN= 0  


愛しき古里:地域の小字名「火生石」の意味と由来は?

ある時、郷土史家の星野正明氏から、地域の小字名「火生石」を調査しているという話を聞いた。地名の中に、地域の歴史が刻まれている。そういう歴史家の関心から、地域の小字名「火生石」の調査を続けているが、まだ決定的な結論に到っていないようだ。自分も、その話が頭の隅に残っていた。たまたま、ある地域の歴史の本のコピーを拾い読みしていたら、「火生石」という漢字に「へっけし」とふりがながついているのに遭遇した。先日、その話を同氏に話したら、それは新発見だが、その書名は分かるかと聞かれた。記事のみ分かれば良いと書誌関係の記事はコピーしていなかった。

昨日は、寒さがぶり返し寒かったので、宅内で「火生石」のWEB情報を調べた。そうすると同氏が書いている殖蓮歴史散歩(殖蓮公民館だより)に出合った。「殖蓮公民館だより」には、「殖蓮歴史散歩;http://www.city.isesaki.lg.jp/data/kouminkan/uehasu-k/h23/0801.pdf(発 行 日 平成23年8月1日)」というタイトルで、「東側の土地を舞台、西の土地を光仙坊と呼び、両側が台地でその間の少し低くなっている傾斜地形を利用した七基の須恵器を焼く登り窯跡が発掘されました。平坦地にこの種の遺跡は珍しく、貴重な発見でした。また、この清水の湧く低地域は小字名を火生石(ひいきいし)と呼んでいるのですが意味は不明です。同じ字を用いて同じように呼ばれている場所が新潟県柏崎市と渋川市の樽地区にあることが分かりました。実際に現地を訪ねてみたところ、そちらでもわからないという状況です。さて、どんな結論に達するのでしょうか。とても興味深い話題です。さて、火生石ですが、ひいけいし(火埋石)、ひっけいし(引返し)、ひけしいし(火消石)など似ている言葉を探してみては、その名の由来を考えています。何か意見がある方は教えてください。」と報じた。

「火生石(へっけし)」が書かれていた本の見出しは「大正13年旱害のこと」とあり、その記事の中に「植付不能の土地は『「火生石(へっけし)」』の5反6畝19歩。」とある。
「NOSAIデータバンク(大正2年~15年(1913-1926)) - NOSAIぐんま ....。http://www.nosai-gunma.or.jp/databank/sai-2.htm。」によれば、「大正13年:6~8月 ;干害;利根郡および平坦部において、植付不能田1,000町、用水不足田2,000町、34万石の減収(上毛新聞)」とあり、旱害の事実は本の記事と一致する。従って、「火生石(へっけし)」という田圃の名前が大正13年までは確定していたと考えられる。

ところが、「火生石」が何を意味しているかも難解である。WEB上に、「火生石集落地名;url=http://blog.goo.ne.jp/isao-takabatake/e/21cb2306c9bb279b0ceb3129d19966e6(2007-05-21 22:32:52 |)」というタイトルで、「寺泊郷本~島崎方面に向かう途中、火生石の集落の標識。そのまま読むと、火が生れる石もしかすると火打ち石でも出るのか。図書館の資料で調べてみよう。もし名前の由来等お分かりの方是非教えてください」という記事があった。やはり珍しい地名は関心がある人の目を引くようだ。更に調査を進めると「新潟県三島郡寺泊町大字田頭字火生石という地名も見つけた。古い地名は合併等で消えているのだろう。

「火生石」について、「富奥郷土史http://tiikijiten.jp/~digibook/tomioku_kyoudo/」の「第十七章 村人の生活」の中に、「火熱、電熱 食生活上不可欠の火は、その発火用具が昔は火打ち石と火打ち金だったので容易でなかった。だから火種は毎日絶やすことが出来ず、夜寝る時、いろりの真ん中にもみ殻と堅木の木片を埋め、その上に火生石(ひけしな)という平らな石をのせ、その上に火ばしを交差して置いた。また、たくまいのたくもんば(薪置場)に引火するのを防ぐために、たくまいむしろをかけて置いた。翌朝一番先に起きた嫁は、この埋ずみ火の火種で火をおこし、ご飯やおかずを炊いた。ぼんやりしていて火種を切らすと大変、箱(マスを用いた)に灰を入れて隣へ火種をもらいに行かなければならない。たびたび続くと「間ぬけな嫁」として姑の茶話の好材料になった。
 明治中頃、つけ木と称する長さ十㌢に幅五㌢ほどの薄い板の先に、硫黄を塗ったものが使われた。これは縦に細く割って火種につけると、燃えた硫黄から板に移り、たき木に火がつけられた。マッチが出来たのはそのあとで、はやつけんと呼ばれたのは早いつけ木の意である。これで種火の用はなくなり大助かりだった。当村は平地で山林はなくたき木はほとんど使われず、燃料はわらが主であった。」と記されている。明治の頃の火の大切さを良く伝えている記録だと思う。

「だから火種は毎日絶やすことが出来ず、夜寝る時、いろりの真ん中にもみ殻と堅木の木片を埋め、その上に火生石(ひけしな)という平らな石をのせ、その上に火ばしを交差して置いた。」という部分は「火生石」を解明する手がかりになる。

因みに、富奥郷土史でその地域を、「わが村「とみおく」は、加賀百万石の城下町金沢市の南西約三・五㌔、松任市より東南約一㌔鶴来町より北に約二・五㌔の地点に位置し、現在の石川郡平担地
の中で最も東よりにある。南東の空に霊峰白山の雄姿、その東方に舟岡山から獅子吼高原のなだらかな山なみ、丸い盆を伏せたような倉ヶ嶽、高尾山、大乗寺の小高い山を望み、その真ん中にひときわ高い医王山の麗姿を見る静かなたたずまいの純農村地帯である。」と記述している。

また、「ふらり道草―南丹今昔―(ブログ)」は、「「12月の寛ぎ」 〈3〉;url=http://blog.livedoor.jp/michikusa2007/archives/2011-12.html#20111219(2011年12月19日)」というタイトルで、「来し方を思ひて独り故郷の人住まぬ家(や)に囲炉裏火を焚く    北原由夫
 それでも、囲炉裏の火を囲み、四方山話に興じて暖を取る家族の輪がありました。それぞれの顔を白い火影がゆらゆらと照らします。 面が白くなる愉しさ。それが互いの存在を喜び合う顔であることから、「面白い」と言う言葉が生まれたそうです。 かつての日本中の団欒の火であった囲炉裏。炊事・暖房・照明など火の持つ機能を全て備えた家族の中心であり、「炉を囲む所」と言う意味があります。 火床(ひどこ・ほど)・火城(ひじろ・)・地炉(じろ・ゆるり)などとも呼びます。北陸では居中(いんなか)・家中(えんなか)、九州では居城・火所の他に居端(いばた)とも呼ぶとか。
 厳密に言えば、囲炉裏には土間囲炉裏と座敷囲炉裏がありますが、どちらにも火口箱(ほくちばこ)・付木(つけぎ)・火箸・火吹竹などが置いてありました。 五徳(もしくは三徳)も置いてありました。横座(主人の場所)・嬶座(かかざ・主婦の場所)・客座などがあって、子供は空いている場所に座ったものです。 自在鉤に吊るされた鉄鍋(または鉄瓶)が一日中ことこと音を立て、粗朶(そだ)の燃える煙がゆるやかに梁(はり)を伝わって屋根裏の煙出(けむだ)しへ、と昇って行きました。
  寝る前には、翌朝の火種にする火生木(ひいけぎ)を灰に埋めるのは主婦の役目でした。囲炉裏は、まさに火床だったのです。 今では廃れてしまった囲炉裏。都会住まいや若い方など、囲炉裏を知らない方も居られるでしょう。 口丹波の京北町では、1軒だけ保存している旧家があるとか。その内に訪れたい、と思っているのですが・・・。」と報じた。

上記ブログ記事は、「囲炉裏火」を入口に、火の大切なことを書いている。この記事で「翌朝の火種にする火生木(ひいけぎ)」が「火生」を理解する参考になると思った。

火生石(ひけしな)は、火を消すなという意味もありそうだ。それを逆の方角から見れば、火を生かす、火種を保存する事と同義になるだろう。「火生石」も「火生木」も火種を保存する手段となる資材・原料だろう。

以上をまとめると、火種を保存するには材料に「もみ殻と堅木の木片」を使い、その上に平たい石を乗せたという方法が浮かんでくる。「もみ殻と堅木の木片」はやや燃えにくい燃料だ。やはり、燃料の燃焼が早いと前日の火は翌日までもたないで消えてしまう。その燃料の上に平たい石を乗せるのは、燃料に空気が入りすぎるのを制限する・即ち燃焼のスピードを遅くするための方法だろう。燃料を燃え尽きさせて火を消しても、石を強く押しつけて火を消しても火種は保存できない。火種を保存する方法にもコツがあったというのが、引用した記事から結論できるだろう。

それでは、「火生石」という名前の田圃と小字名の結びつきはあるのか。「火生石」という名前の田圃の場所は特定できていないが、粕川流域に近いと推定している。河床を探せば「火生石」に使えそうな石が採取できた場所かも知れない。ともかく、昔は毎日火を使っているのだから、一家に一個以上の「火生石」は不可欠だったろう。「火生石」という地名も当たり前に現地では通用していたのだろう。「火生石」という地名の呼び方は、「ひいきいし⇒ひいけいし⇒へっけし」となまったものと推定できる。今後、同好の仲間と更に調査検討するのも面白いと思う。

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追記(2015/2/27):「愛しき古里:地域の小字名「火生石」の意味と由来は?」の記事がランキング10位に入った。ランキング入りは初めてだと思う。奇しくもこの記事を書いた日付が2012年2月27日 (月)だった。Googleでキーワード「火生石」を検索すると、約 182,000 件 (0.22 秒) と表示されるが、最後に「288 件」と表示された。"火生石"とフレーズ検索すると、約 1,300 件 (0.14 秒) と出る。WEB上の"火生石"に関する情報もそれほど多くない。三年前は、推論として書いたが、その後の進展はない。昔は、田畑に名前が付いていたようで、地域の人は名前で大体の場所は分かったようだ。農業をしている2~3人の古老に"火生石"という名前の田畑について聞いたが、記憶にないようだ。

WIKIPEDIA「小字。(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%8F%E5%AD%97)」

"火生石"という小字の西隣が光仙房、東隣が舞台という小字名である。この周辺は、上武道、北関東自動車道、工業団地等の開発のため発掘が行われている。その結果によると、この周辺は石器時代から今日まで人が住んだ証拠となる遺物や遺跡が発掘されている。自分の記憶では、発掘に興味を持つまで、これらの小字名は知らなかった。多分、その地域の人々の記憶からも小字名は消えていったのではないか。

追記(2019/08/05):タイトルに投稿期日を追加。
ランキング=6位

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2012年2月26日 (日)

愛しき古里:萩原朔太郎が見た故郷の風景は?20120226。

2012/2/26(日)
昨日はAM昼前は雨。その後曇り。農事会合を欠席してかみさんと電車で外出。振り返ると、かみさんと電車に乗った記憶は余り無い。自動車の生活にどっぷりつかってきた。自動車だと、どうしても運転手と同乗者の会話も断片的になり、想像力も働かない。かみさんは車窓から上州の山川を眺めて喜んでいた。

2012/2/25(土)の天気

TAVE= 6.2  
TMAX= 9 最高気温(℃)  9.1  15:10
TMIN= 2.8 最低気温(℃)  2.4  09:20
DIFF= 6.2  
WMAX= 6.9 最大瞬間風速(m/s)  12.9(北西)  22:29
SUNS= 0  
RAIN= 7.5  



愛しき古里:萩原朔太郎が見た故郷の風景は?20120226。

上り列車で、右手に見えていた赤城山は前橋を過ぎるとやがて左手に見えてきた。かみさんが赤城山が見えるというので一瞬方向感覚を疑った。確かに赤城山だ。前橋から高崎までの間で線路が急カーブしているのは地図では理解しているつもりだが電車の車窓からそれを眺めるのも新しい発見だ。そういえば、萩原朔太郎が郷里前橋に帰る時も同じような風景を見たのだろうとかみさんと話した。「わが故郷に歸れる日」という詩の断片は二人とも覚えていた。依然読みかじった印象から、あの詩は故郷に帰りたいという気持と帰りたくない気持の葛藤が、前橋に近づくにつれて高まってようだと言った。もう一度「帰郷」という詩を読み直した。

以下は青空文庫からの引用:
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青空文庫の「氷島 萩原朔太郎」
http://www.aozora.gr.jp/cards/000067/files/4869_14066.htmlにある「帰郷」。

歸郷

昭和四年の冬、妻と離別し二兒を抱へて故郷に歸る

わが故郷に歸れる日
汽車は烈風の中を突き行けり。
ひとり車窓に目醒むれば
汽笛は闇に吠え叫び
火焔(ほのほ)は平野を明るくせり。
まだ上州の山は見えずや。
夜汽車の仄暗き車燈の影に
母なき子供等は眠り泣き
ひそかに皆わが憂愁を探(さぐ)れるなり。
鳴呼また都を逃れ來て
何所(いづこ)の家郷に行かむとするぞ。
過去は寂寥の谷に連なり
未來は絶望の岸に向へり。
砂礫(されき)のごとき人生かな!
われ既に勇氣おとろへ
暗憺として長(とこし)なへに生きるに倦みたり。
いかんぞ故郷に獨り歸り
さびしくまた利根川の岸に立たんや。
汽車は曠野を走り行き
自然の荒寥たる意志の彼岸に
人の憤怒(いきどほり)を烈しくせり。

「詩篇小解」に「歸郷  昭和四年。妻は二兒を殘して家を去り、杳として行方を知らず。我れ獨り後に殘り、蹌踉として父の居る上州の故郷に歸る。上野發七時十分、小山行高崎※(「廴+囘」、第4水準2-12-11≒廻)り。夜汽車の暗爾たる車燈の影に、長女は疲れて眠り、次女は醒めて夢に歔欷す。聲最も悲しく、わが心すべて斷腸せり。既にして家に歸れば、父の病とみに重く、萬景悉く蕭條たり。」とある。

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今回、青空文庫で「詩篇小解」を読んだが、詩と現実の間を理解する参考になると思った。萩原朔太郎が「まだ上州の山は見えずや。」と詠み込んだのは赤城山だろう。上野發七時十分、小山行高崎廻の汽車に乗ったのだから、前橋に近づいた頃は、もう陽は完全に落ちて暗いだろう。また烈風と言えば上州の冬の空っ風を連想する。昭和四年頃は鉄道沿線の人家も少なく、冬枯れの関東平野が広がっていただろう。「まだ上州の山は見えずや。」とは、すでにこころの中には故郷の山川のイメージが浮かび上がっているのだろう。この詩は故郷の山川や夜汽車に詩人の真情を託している。現実は帰らざるを得ない故郷。希望は故郷からの逃避。そこにはエンジンの気化させたガソリンの圧縮・爆発という工程が連想される。その炸裂を受け止めたエンジンのシリンダーーが故郷の風景だろう。萩原朔太郎の心に刻まれた故郷の風景がなければこの詩は生まれなかったに違いない。

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追記(2014/4/18): 「愛しき古里:萩原朔太郎が見た故郷の風景は?(2012/2/26(日))。」がランキング10位に入った。人間、古里に向かいたいという求心力とそこから脱出したいという遠心力の二つが常に働いているのではないか。

サイト内でキーワード「萩原朔太郎 俳句」を検索(https://www.google.com/?hl=ja#hl=ja&q=%E8%90%A9%E5%8E%9F%E6%9C%94%E5%A4%AA%E9%83%8E%E3%80%80%E4%BF%B3%E5%8F%A5%E3%80%80site:http:%2F%2Faf06.kazelog.jp%2Fitoshikimono%2F)。

「読みかじりの記(ツルよ 飛んでおくれ):青空文庫で萩原朔太郎「氷島」を読む(http://af06.kazelog.jp/itoshikimono/2013/06/post-32cf.html)。(2013年6月25日(火))」

WIKIPEDIA「萩原朔太郎。(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%90%A9%E5%8E%9F%E6%9C%94%E5%A4%AA%E9%83%8E)」

「読みかじりの記(老人モード):「老年と人生(萩原朔太郎著)」を青空文庫で読む。(http://af06.kazelog.jp/itoshikimono/2013/02/post-fd68.html)。(2013年2月22日 (金))」

今日、青空文庫で萩原朔太郎の作品を自由に読める。余り有名で無い作品の中にも面白い作品がある。

サイト内でキーワード「富田倫生」を検索(https://www.google.com/?hl=ja#hl=ja&q=%E5%AF%8C%E7%94%B0%E5%80%AB%E7%94%9F%E3%80%80site:http:%2F%2Faf06.kazelog.jp%2Fitoshikimono%2F)。

青空文庫で著作権が切れた作品や著作権を主張しない作品が読めるようになったのは、その推進者富田倫生氏(昨年死去)の貢献も大きいと思う。

WIKIPEDIA「富田倫生。(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AF%8C%E7%94%B0%E5%80%AB%E7%94%9F)」

TPP交渉でアメリカは著作権の有効期間延長を主張しているとの事だ。余りにも著作権が長い場合、後続の著作物が生まれる可能性がどんどん少なくなるのではないか。ともかく青空文庫で萩原朔太郎を読めるのはありがたい事だ。

追記(2014/4/29):
現在この記事がランキング6位に入った。本日の記事「半端道楽:写真で俳句る:華蔵寺公園遊園地のメリーゴーラウンド(この遊具 長寿の訳は どこにある。)(http://af06.kazelog.jp/itoshikimono/2014/04/post-69c6.html)。(2014年4月29日(火) )」が、萩原朔太郎の詩に飛ぶ。「大東京の雜鬧」の「雜鬧」は何と読む?音読みでは「鬧(どう)」。Googleでキーワード「雜鬧 意味」を検索(https://www.google.com/?hl=ja#hl=ja&q=%E9%9B%9C%E9%AC%A7+%E6%84%8F%E5%91%B3)。。どうやら、「ざっ‐とう〔‐タフ|‐タウ〕【雑踏/雑×沓/雑×鬧】」らしい。


追記(2014/6/16):
本記事は依然ランキング5位に入っている。最近、読んだ地域誌によると、かつてJR国定駅前に、国定忠治の碑を作る動きがあり、萩原朔太郎の詩の引用を検討したが、同意がえられず、小野忠孝(詩人。児童文学者)の詩が採用されたと知った。

WIKIPEDIA「おのちゅうこう(小野忠孝)。(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%8A%E3%81%AE%E3%81%A1%E3%82%85%E3%81%86%E3%81%93%E3%81%86)」

以下にその画像を示す。

Iob_kunisadacyuujinohionocyuukou_20
青空文庫の萩原朔太郎作品収録サイト内のキーワード検索をするには、<>の中にキーワードを入れてクリック。

Googleによる「青空文庫内にある萩原朔太郎作品のキーワード(一例:<俳句 蕪村>)」検索。

Google検索は、全文検索で、複数のキーワードで検索できるメリットがある。萩原朔太郎が見た情景を知る手がかりになると思う。<国定忠治>ではヒットしない。旧字の<國定忠治>ならヒットする。<國定>でもヒットする。

YOUTUBEでキーワード「富田倫生」を検索(https://www.youtube.com/results?search_query=%E5%AF%8C%E7%94%B0%E5%80%AB%E7%94%9F)。

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追記(2023/03/23):タイトルの後に投稿年月日を追加。本日のランキングは8位。10年以上前の記事だがまだ読者がいるようだ。読者に感謝。

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2012年2月25日 (土)

技術 回顧と展望:WIN XPは永遠に不滅?

2012/2/25(土)
昨日は晴れ。天気も良く気温も上がり屋外活動もやりやすくなった。残念だが、宅内で資料整理やパソコン作業をした。色々なファイルを開いて、エクセル操作をしているとフリーズしてしまった。ME機ではフリーズが日常的に起こったので、XP機ではかなり安定している。再起動すると正常に立ち上がり作業を続行できた。

2012/2/24(金)の天気

TAVE= 9.8
TMAX= 14.7 最高気温(℃)  14.8  15:00
TMIN= 6.7 最低気温(℃)  6.7  05:02
DIFF= 8
WMAX= 7.5 最大瞬間風速(m/s)  15.6(北西)  20:40
SUNS= 10
RAIN= 0

技術 回顧と展望:WIN XPは永遠に不滅?

マイクロソフトは、「Windows(R) XP Home Editionのサポート提供期間を2014年4月まで延長 ~ユーザーからの要望や市場の状況を考慮し、延長を決定~;url=http://www.microsoft.com/japan/presspass/detail.aspx?newsid=2947(2007 年 1 月 25 日 (Japan))」というタイトルで、「マイクロソフト株式会社(本社:東京都渋谷区)は、マイクロソフト製品のサポート提供期間や内容をまとめた「マイクロソフト サポートライフサイクルポリシー」( http://support.microsoft.com/lifecycle/ )に基づくMicrosoft(R) Windows XP Home EditionならびにWindows XP Media Center Editionのサポート(注)の提供期間について、ユーザーからの要望や市場の状況を考慮し、今般2014年4月までサポートを提供することを決定しました。 日本市場では、Windows XP Home Editionのユーザー数が非常に多いことから、サポート提供期間の延長に対する要望が高まっていました。今般、マイクロソフトでは、このユーザーからの要望を重視し、当初の予定に加え、さらに5年間の延長サポートを提供することを決定しました。同時に、同じくコンシューマ向けWindows XPのエディションであるWindows XP Media Center Editionに対しても同期間延長サポートを提供します。」と報じている。

マイクロソフトが「サポート提供期間の延長に対する要望」に対応した姿勢は評価できるだろう。その裏にはWIN XPを切れない事情があったとは思うが。とりあえず、我が家のXP機も2014年4月は何とかもたせたい。昔、会社時代に時代の動きの速さをDOG YEARでたとえた事を思い出した。パソコンの寿命は更に短い。それなのに、OSのWIN XPが10年以上生き延びるのは驚異的なのかも知れない。WIN XPが消えた後の世界に何が来るのか。マイクロソフトは予定調和的にばっさりと切り捨てるのか。マイクロソフトは常にアップルを意識しているだろう。良きライバルであったS.Jobsは黄泉の国へ行った。パソコンの姿も変わりつつある。一層のことWIN XPをフリーソフトにしてくれると有り難い。そうすれば、サードパーティがサポートを続行するだろう。マイクロソフトは次なるビジネスモデルに専念する。WIN XPをフリーソフトにするだけでマイクロソフトは膨大なビジネスチャンスを開拓出来るのではないか。その先はWIN とLINUXのファイナルバトルになるのか。

WINとLINUXが接近すると、今度はLINUXにしようと考えたりもしている。ともかく、われわれ老人達が、呆け防止と趣味と実益を求めて活動するときにパソコンも大切な機材だ。聞くところによれば、そのパソコンのテキストに百均本を使うとの事だ。老人の安全運転には旧型パソコンで十分だ。数千円で旧型パソコンが使えればその意義は大きい。シャープがパソコンのソースコード等を公開したという記憶もある。WINパソコンのソフトとハードの遺産は膨大である。それらが継続して使えれば、マイクロソフトの名前も永遠に残るのではないか。

2012年2月24日 (金)

文化と文明雑感:心の古里華蔵寺公園

2012/2/24(金)
昨日は雨後、午後の後半より晴れ。夜は風が強くゴウゴウと音がした。用事で外出。しばし、華蔵寺公園を散策。北側の子供広場には大きな、クワガタやカブトムシをかたどった遊具が出来ていた。これら昆虫の実物の大きさが数センチ。遊具の大きさは数メートル。ざっと百倍のスケール変換を体験できるのだ。子供達はこのような風景を記憶に刷り込んで行くのだろうか。夜会議。農事の件で数軒まわる。TPPどころか足元が揺らいでいる。農事組合も終戦後地域農民相互の助け合いの必要から生まれている。昔は地域住民は、仕事や地域生活の面でも、隣近所、親戚、友人等々色々な関係を通して人々は結ばれていた。それがまさに人間の絆であった。人間の絆の中には、どろどろしたもの、不条理、理不尽な面もある。そいう面は、村八分等という言葉に残っていたのだろう。火事、葬式等の必要最小限の付き合いは絶たなかった。今は、火事も葬式も業者任せ。それと共にあの忌まわしい人間の絆も白々しいものになってしまったように感じる。

2012/2/23(木)の天気

TAVE= 7.8
TMAX= 12.4 最高気温(℃)  12.9  16:40
TMIN= 4.6 最低気温(℃)  4.5  09:45
DIFF= 7.8
WMAX= 7 最大瞬間風速(m/s)  15.6(北西)  20:40
SUNS= 1.9
RAIN= 9.5

文化と文明雑感:心の古里華蔵寺公園

春は名のみの季節だが、雨が降り公園の樹木も一息ついたように見えた。落葉樹が葉を落としているので公園にある色々な碑等も、探しやすい。小高い丘を登る途中には点々と石碑が並んでいる。聞くところによれば、華蔵寺の山腹に並べられた石碑は聖地霊場巡礼コースを模したものだとか。小高い丘の頂上は滑り台の発進場所だ。それにもかかわらず、三橋美智也が歌った、「松風さわぐ 丘の上 古城よ独り 何偲ぶ~」という歌(高橋掬太郎 作詞、細川潤一 作曲)の風景が思い出される。ここは、華蔵寺裏山古墳の頂上のようだ。古墳とはまさに古代人が永遠の眠りのために建立した墳墓だ。古墳の頂上から四方八方を見ると地域の山河が手に取るように見渡せる。これは古墳造営時点の空想だが、今は視界を遮る物が多く、太古の景観を眺める事は不可能だ。しかし、観覧車に乗るとそれが可能になる。群馬県は古墳の宝庫だ。とくに伊勢崎には古墳が多いようだ。その古墳時代まで含めて、東国日本というイメージにのせて群馬県を発信しようという動きがあるようだ。大変結構な事だ。そのためには、自分たちがその価値を知らなければならない。
華蔵寺裏山古墳はほとんど無名だが今こそ、市民が知ってもらいたい古墳の一つだろう。公園としての整備は進んでいるが、歴史的な文化財としての整備も必要ではないか。せめて、華蔵寺裏山古墳を解説した看板程度は欲しい。更に、南面にまわると、色々な碑や銅像がある。ここは、その碑や銅像を建てた人々の思いが、風化して、まさに古城の風景そのままだ。心の支えを失ったような光景だ。そこでひときわ目立つのが「金井 烏洲」の碑だ。それを書いたのが渋沢栄一。碑文の内容をぜひ知りたく思った。

2012年2月23日 (木)

技術 回顧と展望:Googleのトップ画面に「ハインリヒ ヘルツ 生誕 155 周年」と出た!

2012/2/23(木)
昨日は晴れ。暖かい天気だった。宅内で整理。庭に出てみると万年青の赤い実が無い!。実は落ちていないが、実が付いていた跡が残っていた。鳥が食べてしまったようだ。秋から冬、春へと、鳥は柿⇒ピラカンサ⇒ミカン等と食べ進んでいるようだ。ナンテンの実は遅くまで残っている。いよいよ食べ物が無くなると野菜を食べ始める。食べる場所は止まって羽を休める枝等を選ぶようだ。

2012/2/22(水)の天気

TAVE= 7.0
TMAX= 11.5 最高気温(℃)  12.1  14:32
TMIN= 2.1 最低気温(℃)  1.3  06:29
DIFF= 9.4
WMAX= 4.6 最大瞬間風速(m/s)  9.4(東南東)  16:06
SUNS= 9.3
RAIN= 0

技術 回顧と展望:Googleのトップ画面に「ハインリヒ ヘルツ 生誕 155 周年」と出た!

Googleのトップ画面は簡潔だ。その時々に合わせた画像が表示されている。2012/2/22(水)の画面にはオシロスコープの疑似正弦波のような画像が流れていた。そこにカーソルを合わせると「ハインリヒ ヘルツ 生誕 155 周年」と表示された。ついでに、その画面をクリックするとGoogleで「ハインリヒ ヘルツ」を検索し、WIKIPEDIAの「ハインリヒ・ヘルツ - Wikipedia」が第一位に検索された。遊び心があるニクイ仕掛けである。何と誕生日その日の事だ。

「ハインリヒ・ヘルツ;。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%AA%E3%83%92%E3%83%BB%E3%83%98%E3%83%AB%E3%83%84。(最終更新 2012年2月22日 (水) 09:08 )」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』(http://ja.wikipedia.org/)。の記事に「ハインリヒ・ルドルフ・ヘルツ(Heinrich Rudolf Hertz, 1857年2月22日 - 1894年1月1日)は、ドイツの物理学者。マックスウェルの電磁気理論をさらに明確化し発展させた。1888年に電磁波の放射の存在を、それを生成・検出する機械の構築によって初めて実証した。」とある。

WIKIPEDIAの「前半生 [編集]:ドイツのハンブルクで、裕福な文化的階級の家に生まれた。父は弁護士としてハンブルクの顧問を歴任し、後に政治家となった。母は医者の娘だった。3歳年下の弟と妹がいた[1]。 学校においては、アラビア語とサンスクリット語の語学と同じように、科学への適性も見せた。ドイツのドレスデン、ミュンヘン、ベルリン市で科学と工学を学んだ。キルヒホッフとヘルムホルツの指導学生として、1880年にベルリン大学にて博士号を取得。その後もヘルムホルツの下に研究生として残った。 1883年、キール大学(ドイツ語版)の理論物理の講師となった。1885年には、カールスルーエ大学の教授となり、そこで電磁波を発見した。」にも興味がある。

「キルヒホッフ」の法則は電気回路の基礎方程式としてお世話になった。マックスウェルの方程式は有名だったが理解できなかった。それを導くときには色々梯子があったが、最終的にはその梯子を外して美しい方程式にしたと講義の中での話を思い出す。ヘルツはマックスウェルの予言を実証したわけだが、WIKIPEDIAの記事のように、今日ほど電磁波が使われるとは予想できなかったのは無理もないだろう。しかし、昔のラジオ少年が鉱石ラジオを作り、理工学に目覚めた例は多いだろう。自分にとってもヘルツは恩人だ。

ヘルツに名をとった周波数の単位はWIKIPEDIAによれば、「サイクル毎秒(サイクル)は、1960年に国際度量衡総会が制定したSIには採用されず、同じ量を表すヘルツ (Hz) を使うようになった。 日本の計量法では、1995年9月30日まで使用が認められていた。単位名は「サイクル又はサイクル毎秒」、単位記号は「c、?又はc/s」だった。 サイクル毎分 (c/min, cpm)、サイクル毎時 (c/h, cph) も使われる。SIに対応する単位はなく、換算が必要である。文脈によってはこれらも単にサイクルと呼ばれることもある。」とある。

青少年時代は周波数の単位はサイクルを使い、社会人になってからはヘルツを使った。所で、今から155年前は、安政(あんせい)4年(西暦1857年)になる。日本で電気と言えばエレキテル。「エレキテル;。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%AC%E3%82%AD%E3%83%86%E3%83%AB。(最終更新 2012年1月20日 (金) 10:00)」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』(http://ja.wikipedia.org/)。の記事に「概要 [編集]:オランダで発明され、宮廷での見世物や医療器具として用いられていた。日本へは江戸時代に持ち込まれ、1751年(宝暦1)ごろオランダ人が幕府に献上したとの文献がある。後の1765年(明和2)に後藤利春の『紅毛談(おらんだばなし)』で紹介され、それを読んだ平賀源内が長崎滞在中の1770年(明和7)に破損したエレキテルを古道具屋、あるいはオランダ通詞の西善三郎から入手し、工人の弥七らとともに1776年(安永5)に江戸で模造製作に成功した。」とある。日本にエレキテルが伝わった頃からほぼ100年後にヘルツが生まれた訳だ。

当地では1864年元治元年に八幡沼開鑿が完工している。国定忠次が処刑されたのが1850年、嘉永3年である。江戸末期の日本の科学水準と当時の西洋科学の水準の差を考えてしまう。八幡沼開鑿にどのような技術が使われたかほとんど分かっていないらしい。ともかく日本にも、平賀源内のような変人?がいたから、科学への関心が途切れなかったのではないかと思う。

Googleのトップ画面の「ハインリヒ ヘルツ 生誕 155 周年」から色々な連想ができた。とりあえず、この画面の作者に拍手。遂に日本の稼働中の原発は2基のみとなった。関西の交流電力周波数60ヘルツと関東の50ヘルツの壁は依然険しい。交流発電機関西1888年、関東1893年導入。何と120年ほどこの周波数の壁は続いている。脱原発を進めるためには、日本中の発電機を連結した巨大なスマートグリッドを実現し、システムの安定化、効率化、電力の低価格化を進める必要がある。その第一歩は周波数の壁の突破だだろう。

2012年2月22日 (水)

老人の寝言:東京大学の秋入学は議論は結構、実行は尚結構だが実現性は?

2012/2/22(水)
昨日は晴れ。穏やかな晴天。春の兆しを感じた。苗灌水。ブラブラと散策。あちこちに福寿草が咲き出した。小さな株が多いのでやがて雑草の陰になってしまうだろう。株分けで増やしたいと思うが。ネコヤナギの蕾が衣を脱ぎ捨ててほぼ全部銀白になっていた。親株は枯れて、挿し木した子株が畑の隅で生き延びている。まだ開花はしていない。新しいモグラ塚が数個できていた。柿を入れていた段ボール箱に蟻が群がっていた。いよいよ生物も春モードの活動を開始。

2012/2/21(火)の天気

TAVE= 6.5
TMAX= 13.6 最高気温(℃)  14.2  15:05
TMIN= -0.8 最低気温(℃)  -1.6  01:55
DIFF= 14.4
WMAX= 4.6 最大瞬間風速(m/s)  8.3(北西)  16:33
SUNS= 9.9
RAIN= 0



老人の寝言:東京大学の秋入学は議論は結構、実行は尚結構だが実現性は?

もう、大学の事などどうでも良い年齢になった。東京大学といえば学園紛争を思い出す。更に、「とめてくれるなおっかさん 背中の銀杏が泣いている 男東大どこへ行く」というコピーも思い出した。東京大学の総長も戦後の昭和時代の終わり頃までは、社会に向けて何らかの発言をしていたように記憶している。なにか、総長としての見識や東京大学の存在意義の認識がそういう行動の深層にあったのだろうと思う。平成の時代に入って東京大学の姿がかすんで見えるように感じる。

「東京大学の秋入学議論」が盛んだが、何か唐突の感じも受ける。あの学園紛争時代ならインパクトがあったろう。「やっておくれよおとっつぁん  背中の銀杏を青くする  男東大まっしぐら」。東京大学も、はや半世紀近く前から黄葉期を迎えていたのではないか。学園紛争もその反動だったかもしれないが、背中の銀杏を背負って今まできてしまったのではないのか。背中の銀杏の黄葉を青葉にするのは大賛成だ。

「東京大学の秋入学議論」の根拠は、海外からの優秀な人材を集めるため、海外と入学時期を同じにすることらしい。不思議なのは、東京大学にはそれ以外の魅力が無いのだろうかという事。魅力があれば障害を排してでも人が集まるのが人間社会の公理ではないか。それは東京大学の入学競争率にも如実に現れているのではないか。小手先より中味の充実が最初ではないか。

東京大学資料(url=http://www.u-tokyo.ac.jp/stu04/e08_02_j.html)によると、学部、大学院、研究所研究生の総数は、28,798人。内、外国人留学生数は2,913人である。大まかに10%が外国人留学生数になる。秋入学にして外国人留学生数が倍増しても国内学生数に比べれば微々たる比率ではなかろうか。それよりも、東京大学が現在の外国人留学生数を倍増させる程度のコンテンツを提供できる実力があるのか。留学を可能にするのはコンテンツだけではない。世界有数の高い生活費、為替交換レートの高さ、日本語という世界ではマイナーな言語等々現実的な障害は多々ある。

よくよく考えると、「東京大学の秋入学議論」も平成のショック療法で終わるのではないか。すでに、有数の外国の大学ではインターネットの講義もあるようだ。当然テキストもコミュニケーションも英語。主力をインターネットで、残りは現地の大学で短期間の集中講義を受ければ単位が取れるようだと負けるのは目に見えているだろう。外国の留学生候補から見れば、東京大学にとって、これらの有数の外国の大学がライバルになるのだろうが、議論は内向き過ぎるように見える。やるからにはもっと革新的な手法があるのではないか。

大学院生は総数14,386名、内、外国人は2,655人。それに対して学部の外国人留学生数は246人に過ぎない。圧倒的多数の外国留学生は大学院生なのだ。先ず、国内の影響を緩和するためには、大学院だけを秋入学にする方法もあるだろう。大学院生の外国留学生比率は18%だ。本気で秋入学をやる気なら大学院から始めれば良いのだろう。極論すれば、東京大学は大学院大学のみとして、優秀な講師陣を世界から集めれば門前市をなして、世界から優秀な学生が集まるだろう。唐突に始まった「秋入学議論」は冬の花火、島国日本のコップの中の議論で終わりそうだが、日本にそんな空論を労する時間はあるのだろうか。

「400 Free Online Courses from Top Universities =。http://www.openculture.com/freeonlinecourses

このサイトはGoogleによる「STANFORD UNIVERSITY INTERNET LECTURE」の英文検索で第2位のヒット。欧米の有名大学が名前を連ねている。「STANFORD」に「UC Berkeley」等を入れると更に続々と情報が出てくる。YouTubeを使った講義も実現している。

CNETは、「UC Berkeley first to post full lectures to YouTube;Read more: http://news.cnet.com/8301-10784_3-9790452-7.html#ixzz1n3af7j1b
;url=http://news.cnet.com/8301-10784_3-9790452-7.html(October 3, 2007 10:18 AM PDT)」というタイトルで、「YouTube is now an important teaching tool at UC Berkeley. The school announced on Wednesday that it has begun posting entire course lectures on the Web's No.1 video-sharing site. Berkeley officials claimed in a statement that the university is the first to make full course lectures available on YouTube. The school said that over 300 hours of videotaped courses will be available at youtube.com/ucberkeley. Berkeley said it will continue to expand the offering. The topics of study found on YouTube included chemistry, physics, biology and even a lecture on search-engine technology given in 2005 by Google cofounder Sergey Brin. "UC Berkeley on YouTube will provide a public window into university life, academics, events and athletics, which will build on our rich tradition of open educational content for the larger community," said Christina Maslach, UC Berkeley's vice provost for undergraduate education in a statement.Read more: http://news.cnet.com/8301-10784_3-9790452-7.html#ixzz1n3b9mhjj」と報じている。

この記事には目から鱗であった。この記事は大学の使命にも言及している。大学の使命は知の独占なのか開かれた知の普及なのか。

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    初心者向け柿栽培参考書(新版)。旧版と比較すると楽しい。
  • 中村三夫: 13_NHK趣味の園芸:作業12ヶ月  カキ(NHK出版1996年)
    初心者向け柿栽培参考書(旧版)。新版と比較すると楽しい。
  • 山科正平: 12_細胞を読む   電子顕微鏡で見る生命の姿
    細胞はどんな部品からできているのか。そんな疑問に答えてくれる一冊。何事も形を見るのが第一歩。μからÅオーダーの世界で、細胞をメスで解剖するように、電子顕微鏡というメスで解剖して見せてくれるので興味が尽きない。
  • 柳田充弘: 11_細胞から生命が見える
    著者の専門は分子生物学、細胞生物学。普段生物を考えても細胞レベルで止まってしまう。その細胞の中で色々な分子が働いている。細胞こそ生命の基礎だが、その細胞の中の動きを知るのに最適な一冊。疑問の発端はなぜ発根剤が効くのかということ。薬剤が細胞膜を通過して細胞内で分子と分子が作用するイメージができた。本書でできた細胞のイメージは小さな無数の穴が空いた水分が充満したヨーヨーのようなもの。そのヨーヨーの中に分子部品が詰まっている。細胞自体もタライの中のヨーヨーのように浮かんでいる。細胞図面の空白部は真空でなく水分だ。細胞の内外に水がないと細胞は生きられない。水が生命のゆりかごだ!
  • 野口悠紀雄: 10_ホームページにオフィスを作る(2001年 光文社)
    ITが輝いた時代の作品。HPの活用法は参考になる。参考:url=http://www.noguchi.co.jp/(野口悠紀雄 ONLINE)
  • 小池洋男 編著: 09_果樹の接ぎ木・さし木・とり木(農文協:2007/3/31第1刷)
    やや専門的であるが、実務専門化が分担執筆しており、その場で役に立つ一冊。
  • ノーバート・ウィーナー(鎮目恭夫訳): 08_サイバネティックスはいかにして生まれたか(みすず書房1956)
    情報と通信という現代社会に不可欠の基礎的な学問を作った著者の自伝とそれを通した科学史
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    2010/8/4:MEMO等の表示に使える。 農作業で気になる自戒の言葉 ■畑の石ころはいつまで経ってもても石ころ(早く拾って片づけよという意味か)。 ■同じ石を二度拾うな(やってみると難しい)。 ■手ぶらで歩くな。 ■三つ先のことを読め。 ■適当な観察。 ■空を見よ(気分転換、休憩、天気を読む、腰曲がり防止)