2009年11月27日 (金)

借り物の返済

2009/11/27

借り物の返済

子供の世界ではビー玉やメンコがやりとりされていた。その数は精々ズボンのポケットに入る

程度である。友達と遊んで少しポケットがふくれると何となく幸せな感じになった。ビー玉やメ

ンコは子供のコレクションでもあり、財物でもあった。大抵のゲームは手持ちの財産がゼロに

なるまでやらない内に飽きて終わってしまったと思う。ともかく相手の数と自分の数を合わせ

れば一定で不変である。ゼロサムの世界である。手持ちの財産が無くなった事を知るのは子

供がてらにゼロの発見にも通じるのだろう。手持ちの財産を全て相手に渡してしまえば倒産

と同じでその先がない。そこで相手からその財産を借りてゲームを続ける事もできる。ここ

に、新しい関係が生じる。結局借財は数字の上ではマイナスの数という概念に通じていたよ

うだ。マイナスの数を持ち込んでもゲームの世界ではゼロサムに変わりはない。しかし、現実

の人間の行為と言う点では勝ち負けという因果関係が生じてしまう。結局ゲームが終わった

時の精算が問題になる。リーマンショックも貸し借りの関係で実態以上に取引金額が膨らん

で、そのゲームのルールがどこかおかしいと気付かれたときに発生したのであろう。ゲーム

の参加者が余りにも多く、その金額も巨大であり、一人一人のゲーマーもそのゲームの構造

を理解できなかった。結局多くの人々がマイナスというジョーカー(ババ)を掴まされて、わず

かの人々が潤った。ある時、それも相当以前の事であるが、福田赳夫の幼少時代の逸話を

ラジオか何かで聞いた覚えがある。福田赳夫は少年時代ランプのほやを掃除する仕事を言

いつけられていたとの事である。ところが、福田赳夫少年はこの仕事が余り好きではなかっ

たらしい。くだんの如くビー玉やメンコで勝った時、福田赳夫少年はそれを負けた少年に分け

与えて、代わりにランプのほやを掃除させたという事であった。こうすれば、また同じ遊びが

できる。この話にはうーんと唸ってしまった。確かに並の少年を越えていたのであろう。

2009年11月26日 (木)

ビー玉(改題):寝言老人が幼少の頃:凡人の弱さ・射倖性とギャンブル依存症。091126。

2009/11/26

ビー玉(改題):寝言老人が幼少の頃:凡人の弱さ・射倖性とギャンブル依存症

直径1㎝位のガラス玉である。例外的に標準より大きいのも小さいのもあった。色つきの物や色柄入りの物もあった。従って、色々なビー玉を集める楽しさもあった。この、ビー玉のやりとりがゲームとなっていた。

ビー玉とはやや気取った外行きの言葉で、当時はハン玉と呼んでいたように思う。ビー玉のビーはガラスのビードロに由来するのだろうか。ハン玉のハンは何に由来するのか。ふっと半丁が浮かんだが...。

一番単純な遊びは、交互にビー玉を転がして相手のビー玉に当ててならばそれを自分の物にできるというルールである。これは一種のハンティングゲームのような感じがする。しかし、取り引きできる数量は余り多くはない。

変な名前であるが、丸出しというビー玉遊びがあった。これは、対戦者が地面に描いた円の中に何個かのビー玉を出し合い、自分のビー玉を当てて、円から外にはじき出した物を自分の物にできるゲームである。自分のビー玉が円内に残ってしまったら総負けけで、全部相手の物になったように記憶している。

要するにギャンブル性は大きくなり、それに連れて行き来するビー玉の数も増える。これは一種の共同事業のモデルであるようにも思われる。ようするに出資者は努力をすれば報酬がおおきくなる可能性がある。

更に進んで、売った買ったというゲームもあった。売り手は、自分のビー玉を何個か並べる。もうけるには当たりそうで当たらないように並べるコツが要る。買い手はある決められた距離からビー玉を投げて目的のビー玉に当てると並んだビー玉を総取り出来る。買い手は何人でも可能になる。外れ玉は売り手の物になる。何かパチンコゲームの様に射幸心をそそるようになる。

あるとき、自分が売り手になって買い手のビー玉を全部巻き上げてしまった事がある。買い手は後でナスから玉を貸してくれと言うので貸してやった。それも全部すってしまった。それ以来、こういうゲームは気乗りがしなくなった。ゲームの厳しさを教えてくれた。子供であったから無事済んだが。

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2009/11/26

ビー玉

直径1㎝位のガラス玉である。例外的に標準より大きいのも小さいのもあった。色つきの物

や色柄入りの物もあった。従って、色々なビー玉を集める楽しさもあった。この、ビー玉のや

りとりがゲームとなっていた。ビー玉とはやや気取った外行きの言葉で、当時はハン玉と呼ん

でいたように思う。ビー玉のビーはガラスのビードロに由来するのだろうか。ハン玉のハンは

何に由来するのか。ふっと半丁が浮かんだが...。一番単純な遊びは、交互にビー玉を転

がして相手のビー玉に当ててならばそれを自分の物にできるというルールである。これは一

種のハンティングゲームのような感じがする。しかし、取り引きできる数量は余り多くはない。

変な名前であるが、丸出しというビー玉遊びがあった。これは、対戦者が地面に描いた円の

中に何個かのビー玉を出し合い、自分のビー玉を当てて、円から外にはじき出した物を自分

の物にできるゲームである。自分のビー玉が円内に残ってしまったら総負けけで、全部相手

の物になったように記憶している。要するにギャンブル性は大きくなり、それに連れて行き来

するビー玉の数も増える。これは一種の共同事業のモデルであるようにも思われる。ようす

るに出資者は努力をすれば報酬がおおきくなる可能性がある。更に進んで、売った買ったと

いうゲームもあった。売り手は、自分のビー玉を何個か並べる。もうけるには当たりそうで当

たらないように並べるコツが要る。買い手はある決められた距離からビー玉を投げて目的の

ビー玉に当てると並んだビー玉を総取り出来る。買い手は何人でも可能になる。外れ玉は

売り手の物になる。何かパチンコゲームの様に射幸心をそそるようになる。あるとき、自分が

売り手になって買い手のビー玉を全部巻き上げてしまった事がある。買い手は後でナスから

玉を貸してくれと言うので貸してやった。それも全部すってしまった。それ以来、こういうゲー

ムは気乗りがしなくなった。ゲームの厳しさを教えてくれた。子供であったから無事済んだ

が。

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追記(2017/11/21):記事整形、過去BLOG再読、印象・コメント等
文字サイズ・色・タイトル名を変更。
この記事を再読して、メンコやビー玉で遊んだのは何歳頃だったか気になった。多分小学生中学年前後だったような記憶がある。教えられてした遊びでは無い。物をやりとりする遊びは経済活動のシミュレーションという効果があったのだろうか。メンコやビー玉を大量に買って小遣いが不足したという記憶も無い。昔の遊びは、ゲーム器のように高価では無く、DIYが原点だった。

現代のトレカの遊び方や景品も気になるが、昔の遊びとの関係はあるのか。Pokemon GOというゲームは2016年頃社会的な話題になったが既に山を越えて下火になったのか。消費者がゲームメーカーの餌食になって終わりか。


2009年11月25日 (水)

メンコ

2009/11/25

メンコ

面子(めんつ)が一般読みだが、これをメンコとも読むようだ。当て字なのか何か関係がある

のか分からない。子供の頃の遊びだったが、面子をブツケと呼んでいた。このゲームの原型

は江戸末期から明治初期に遡るらしい。ボール紙に絵や写真を印刷した紙を貼った名刺よ

りやや長めの紙のおもちゃであった。これを二枚地面に置いて、ゲームの相手と交互に自分

のブツケを地面にたたきつけて相手のブツケを裏表反転させると勝ちになり、相手のブツケ

を自分のものにできた。これは一種のギャンブルの様であったが、技量や工夫を必要とした

ので単なるギャンブルとも違うように感じる。ともかく、ひっくり返す為には、相手のブツケの近

くに足を置いて、ブツケを叩きつける時の風圧を利用するような工夫をした。逆に、ひっくり返

されない様にブツケの下側に空気が入らないようブツケの四辺を軽く折り曲げたりした。要す

るに、相手の物を取るために駆け引きや技術も覚えるのだ。絵柄には大衆の人気があった

役者者等があったように思う。映画や演劇は見た事はないが、片岡知恵蔵、ゲリークーパー

の絵柄にあった様に思う。何人かでやったような記憶がある。ともかく一人ゲームではなく対

戦が必要なゲームである。こういうゲームを通して対人関係や物のやり取りのルールを知ら

ず知らずのうちに学んだのではないかと思う。小学生に小~中学年頃の遊びだったと思う。

今、このようなゲームはあるのだろうか。

2009年11月24日 (火)

Zライト

2009/11/24

Zライト

机に長時間向かうときには照明が必要になる。自分の幼少時代の机は食卓であったり、リン

ゴ箱であったりで専用のものはなかった。従って、照明も部屋の照明で勉強した事になる。本

格的に勉強が必要になって買って貰ったのが木製の机と椅子であった。結局社会人になっ

て中古のスチールデスクを買うまでこれを使い通した。これに合わせて買って貰ったのが15

W程度の卓上蛍光灯であった。蛍光灯は交流点灯でわずかでも光がちかちかするのが気に

なり出すと集中できなくなる。この蛍光灯を使わなくなり、代わりに買ったのがZライトであっ

た。「山田照明は、1970年代半ばにテレビCMを打っている。」(後記サイトの記事)とあり、自

分もこのCMをみたのかもしれない。メーカーは忘れていたが、商品名は覚えていた。調べて

みると、山田照明のホームページに1954年の発売以来、愛され続けている山田照明『Z-

LIGHT』とあり、山田照明のものとわかった。薄い青色のガラスを使った白熱電球が使われ

ていた。アームと照明部分が可動式になって光の向きや強度が調整できた。まだZライトは

健在で、同社の新商品にはLED方式の物もあった。類似品を余り見かけないのでひょっとす

ると特許があるのではないかと調べてみると次ぎのサイト名「COMZINE」の記事がヒットし

た。特許も取得されている。『Z-LIGHT』の始まりは作業灯にあり、それを家庭・民生用に売り

込むときに付けた名前が『Z-LIGHT』であったようだ。Zは『Z-LIGHT』の形状を現している。そ

んな『Z-LIGHT』に高校生頃に出合っていたわけである。参考:「COMZINE」のニッポン・ロン

グセラー考VOL.40、Zライト。

http://www.nttcom.co.jp/comzine/no040/long_seller/index.html

2009年11月23日 (月)

テスター

2009/11/23

テスター

電気工作をする時、先ず必要になるのがラジオペンチと半田ごてであろう。小学生時代に鉱

石ラジオを作ったので当時もこういう道具は持っていたと思う。次ぎに欲しくなるのがテスター

である。テスターは数千円するので買ったのは多分大学生になってからであろう。大学時代

はアルバイト等で少しゆとりが出来てきた。高校時代は電気工作をする精神的なゆとりがな

かった。最初に買ったのは日置というメーカーのものであった。社会人になってから買ったの

が三和の物であった。これは大切に使おうと思って、ついにいしまい忘れて行方不明になっ

ている。日常使っているテスターは千円程度の物が数台あり、あちこち使う場所に置いてあ

る。電圧のチェックと導通の確認程度ならばこれで十分なのである。安価なテスターが店に

あるとついつい買ってしまう。要はちょっとテスターが必要な時その場に無いと貴重な時間を

失ってしまうような気持ちになるのだ。それならば安物でも数が多い方が良い。そんな工具に

ドライバーがある。これも100円ショップでついつい買ってしまう。それなりに便利である。最

近ではDIY店で1000円程度のデジタルテスターが売られている。いつか買ってみようと思

う。ともかく、この価格で採算がとれるとすると、使っているA/D変換器等の電子部品の価格

も相当下がっているのだなと感慨を新たにする。

2009年11月22日 (日)

星の一筆書き

2009/11/22

星の一筆書き

子供の頃はほんとに良く遊んだ。暗くなると夜空の星をみて遊んだ。しかし、有名な星座以外

はあまり覚えなかった。それよりも、あの星とあの星とあの星をつなげると何々になると言う

風に夜空の星で一筆書きのような遊びをしていた。友達も同じようにして星の一筆書きを作

って教え合った。単純な遊びであったが、星がきらきら輝いていたのもその神秘さの秘密で

あったと思う。確かに最近は天の川をはっきり見た事がない。目の性能も落ちている。見え

にくい環境になった。それよりも、夜空を見上げるゆとりも無くなったのか。最近の子供も流

星を見たり、プラネタリウムに行ったりすると思う。こういう経験ができる子供は幸せであろ

う。しかし、誰からも教えられたりせずに、極自然に夜空を見上げて感動する機会は少なくな

っているのかもしれない。ともかく、時には夜空を見上げてみたい気持ちになった。

2009年11月21日 (土)

WZ EDITOR

2009/11/21

WZ EDITOR

DOS/Vの時代から文書入力はVZ Editorを使ってきた。FEPはMSIMEには馴染めず、

ATOKを常用している。風ログのブロガーさん達は絵文字あり、写真ありでブログ発信を楽し

んでおられるようである。ともかく、約束:規則のある物事に新しく取り組むのは大変である。

VZではファイラーという機能があり、ファイル操作が容易に出来たのでこの機能をつかった。

会社の仕事を自宅でする場合、VZで入力し会社の一太郎で印刷するようなパターンであっ

た。WINDOWSの時代になってVZのWINDOWS版のWZが発売になった。発売後しばらくた

ってからWZを購入した。今Verを調べてみたら3.0である。一度V-Upした記憶がある。Vの次

がW だからWZ EDITOR だったのかと今更思う。そこでWIKIPEDIAでWZ EDITORについて

べてみた。「1988年発売のMS-DOS用テキストエディタ「VZ Editor」から2003年10月発売の

WZ EDITOR 5.0」までを販売してきた株式会社ビレッジセンターは、2008年4月に株式会社

ソフトウェアに対して「WZ EDITOR」関連事業を移譲し、2008年11月末に会社を解散した。」

(最終更新 2009年7月29日 (水) 13:24 )時代は変わり、その主役も変わったのであろう。し

かし、WZ EDITOR関連事業の移譲を受けた会社名にWZという文字が残り、VZやWZの

DNAが引き継がれているものと思う。現在、WZ EDITORで背景をグリーンに設定している。

この設定で入力時のストレスが和らげられているように感じる。WZ EDITORとのつき合いは

まだ当分続きそうだ。

2009年11月20日 (金)

おもちゃのプリズム

おもちゃのプリズム

理科の工作で万華鏡を作った記憶がある。この装置は前方の入光口から入った光が筒の

中間の物体の影響を受けつつ鏡に反射して後方の出光口から出てくるのを見る装置だ。鏡

の長板を使ったのだろうか。透明ガラスに紙を貼って鏡の代用にしたような気もするが定か

でない。普段見慣れない規則的な画像を見ると感動を覚えた。はっきり覚えていないがその

万華鏡の改造なのか、プリズムも作ったような記憶がある。そこで、Googleで検索:「板ガラ

ス 水 三角 プリズム 作り方 子供 実験 工作 虹 色 おもちゃ 感動 昔」に一致する

日本語のページ 7 件中 1 - 7 件目 (0.07 秒) 。期待する情報はヒットしなかった。

入れたキーワードをコピペして残して、再利用。透明な長方形の板ガラスを三角に組んでそ

の中に水を満たしておもちゃのプリズムを子供の頃作ったような記憶がある。作り方は誰

何かの本からか学んだものと思う。プリズムは胴体の側面から光を入れて別の面から出てく

る光を観察する装置である。現象的には光の屈析であるが、おもちゃのプリズムによる簡単

実験でも、虹色を作る事ができた。やはり、自分で工作したおもちゃがちゃんと動いたときは

動する。そんな昔の遊びを思い出した。しかし、自然の光が色々な成分から成り立っていると

いう事は理解できるが、このような現象の本質は何かという追求心がそこで停滞してしまい、

大方の子供は理科から物理という領域にまで進まないで終わるのであろう。自分も光の分光

解析が物理の最先端の量子力学等の基礎になっていたという事を知ったのは高校、大学頃

になってからであった。子供のころ夜空を眺めていると叔父さんがあの星々はお互いに引っ

張り合っているのだよと教えてもらった事を覚えている。万有引力の事であった。これも物理

の基本的な問題であった。先生はどこにでもいるのかもしれない。

追記(2014/1/14):
サイト内でキーワード「寝言老人が幼少の頃」を検索(https://www.google.com/?hl=ja#hl=ja&q=%E5%AF%9D%E8%A8%80%E8%80%81%E4%BA%BA%E3%81%8C%E5%B9%BC%E5%B0%91%E3%81%AE%E9%A0%83%E3%80%80site:http:%2F%2Faf06.kazelog.jp%2Fitoshikimono%2F)。


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2009年11月19日 (木)

ブール代数

2009/11/19

ブール代数

大学から入社数年間の頃に学んだ事があった。コンピュータやデジタル回路は単純な論理

回路を積み上げて構成されている。論理回路も記号論理学の論理式で表す事ができる。そ

んな訳で、自分の仕事はアナログ電子回路が中心であったが、デジタル回路を専門にする

若手社員と一緒にブール代数等の勉強会をした事があった。厚い本を買ったが、その導入

部が終わった頃に勉強会も終わってしまった。しかし、テキストが手元にありその導入部を時

間を掛けて勉強しておけば、必要な部分は後からでも何とか手がかりが得られるものであ

る。ロジック用の集積回路を使って何とか生産用の測定器を作る事が出来たのもこういう勉

強が基礎になっていたのかもしれない。当時のロジック用集積回路はTTLという方式であり、

製造プロセスはバイポーラであり、アナログICと同じであり、内部回路も何とか理解できた。

ロジック回路のウエイトが高くなった時に採用したのがBi-CMOSであった。アナログ部がバイ

ポーラプロセス、デジタル部がCMOSプロセスであった。このデジタル部の設計はほとんど

CADで行われるのであったが、当時はBi-CMOSプロセスに対応するCADの能力が不十分

であった。従って、CMOS部門のCADからデータ等を移転してもらって全体設計をした。丁度

その時に自分のグループにCMOSを担当していた技術者がいたのでそれらの人には仕事を

の枠を越えて協力して頂いた。ともかく、初めての仕事をする場合は色々なお膳立てが必要

である。それに続く人々にはその辛さもそれを克服した嬉しさも少なくなるのだろう。現在は

畑の土いじり等をしているのだが、現役時代にはよくあんな事ができたなと思ったりする。

2009年11月18日 (水)

パンドラの箱

2009/11/18

パンドラの箱

小学校頃の国語の教科書の教材であったと思う。これを劇にして、箱から色々な悪役が飛び

出したような記憶がある。WIKIPEDIAによると、ギリシャ神話の一つであるようだ。パンドーラ

は人類に災いをもたらす為に、神が作らせた女性。女性が災いの本であるとは皮肉な神話

ではある。パンドラの箱とはその災いの象徴のように思われる。神々は開いてはいけないと

と因縁を含めて、中身の分からない箱をパンドーラに与えたのである。これは人間の心理の

裏をつき興味をそそる設定ではある。鶴の恩返しの昔話を思い出す。見てはいけないと言わ

れるとつい見たくなる。開けてはならぬと言われれば開けたくなるのが人情だ。禁止はするが

箱の中身は教えない。結局、誘惑に負けて箱を開けてしまう。リンゴを食べてしまう。障子を

開けてしまう。ブスを舐めてしまう。同じようなパターンかもしれない。その箱からでてきたの

が色々な災い。劇から考えると箱の大きさは人間が入れるこおり程の大きさと思っていた

が、女性の持つ手箱程度の大きさのように描かれていた。災いは抽象的なもので箱も正体

を隠すシンボルに過ぎないのだから大きさにこだわる事もないだろう。箱を開けたら災いが

外に逃げ出してしまった。その事に気づいて蓋を閉めたら既に手遅れで、箱の中に残ったの

は希望であった。希望が災いであるならば開けるなという趣旨と矛盾するように思う。箱の中

に希望を幽閉したというのも納得できない。最後に箱の中に残った一片は何かという議論に

は興味がある。しかし、それが何かを詮索するよりも、災いのもとになる多くの要因が人間世

界に氾濫して、それが人間を誘惑しているという事であろうか。ギリシャ神話は本来現世肯定

的であり、教条的な解釈が加わったのは後世になってからであるという見方があったように

思う。希望が手箱の中に残っているから安心しなさいという説話ととるか開けてはならないと

言うからには中には何か好ましいことがあるぞという想像話ととるか。結果は箱を開けてしま

った。神話から現実の人間世界の話に戻ったのである。希望という妄想に捕らわれるな。現

実を直視し、災いはいたる所にあるがそれを避けて現実を享受せよという見方も成り立つ。

一方、災いの為に遣わされたパンドーラ、そのパンドーラに与えられた災いの予感の詰まっ

た箱の中の一片を残して飛び去ったという事はパンドーラに残された災いは最後の一片だけ

という見方もできる。即ち、パンドーラは箱を開いた事により、娑婆世界には多くの災いがあ

るが、心(箱)の中から見れば大方の災いから解放されたととれないか。この最後の一片と

は希望なのか絶望なのか興味が湧く。ともかく、箱は開けるためにある。謎は箱を完全に開

ければ解ける。しかし、一度開かれた箱は既に閉じられている。最後の一片は人間に残され

た謎かもしれない。

2009年11月17日 (火)

柱時計

2009/11/17

柱時計

チクタク、チクタク、ボーン、ボーン。柱時計の記憶は年輩者の誰にもあるであろう。自分も我

が家の柱時計のゼンマイ巻きの当番をした事がある。所が、そのゼンマイの固定部分のビ

スが緩んで、ゼンマイが巻けないようになりその時計が引退した。捨てるのは忍びないので

どこかに保管してあると思う。ゼンマイの代わりに電磁石でエネルギーを供給する電気時計

への改造記事を何かの雑誌で見た記憶もある。柱時計の身代わりに何がなったかはっきり

覚えていない。多分、ゼンマイ式の目覚まし時計であったろう。これは分解して壊した記憶が

ある。その次の時計は電気時計であったと思う。家庭に来ている交流の周波数を計測して時

刻表示をさせた物である。モーター式と電子式があったようだ。電子式は専用集積回路があ

り、ロングセラーICでもあった。時計の精度は電力会社の提供する交流の周波数精度で制

限される。水晶の圧電効果を使用したクォーツ時計の出現で時計の精度は大幅に向上し

た。1958年にセイコーがクォーツを使った放送局用時計の商品化に成功し、これを小型化し

たクォーツ時計が1964年の東京オリンピックのマラソンの走行タイムの計測に使われたとの

事である。クォーツ時計の普及が進んだのは東京オリンピック以降となろう。今日ではそのク

ォーツ時計が1000円程度で買える日用品になってしまった。更に実用上ほとんど誤差のな

い電波時計もクォーツクロック並になりつつある。電波時計用の集積回路は一種のラジオ受

信機である。その動作が極微量の電流で可能になっているのも驚異である。自分がテレビ以

外の集積回路の分野に転進したのが腕時計にラジオを詰め込むようなアプリケーションの仕

事であった。そうして、現役を離れて退職前に電波時計用の集積回路の販売のサポートの

仕事に従事した。今日でもパソコンにはリアルタイムクロックという時計用の集積回路が搭載

されている。ところが、この時計の精度は余り良くない。インターネット経由で標準時刻に合

わせる事は可能であるが、パソコンのリアルタイムクロックの代わりに電波時計用ICは使え

ないかと置きみやげをしてきた。余り正確すぎるとファイルのタイムスタンプ等が気になり出

す心配も生じるかもしれない。

2009年11月15日 (日)

シリコンサイクル

2009/11/15

シリコンサイクル

景気に山と谷があるがそれを人為的に適正にコントロールする事にはまだ人類は成功して

いないようだ。朝鮮特需は、神武景気、岩戸景気、オリンピック景気、いざなぎ景気、列島改

造景気などと次々に起こった好景気の序章となったと言われるが、そのころ自分は小学生の

頃で好景気の有り難さを余り実感できなかった。特需のあった1950~1955年を振り返ると

確かにこの前半の生活では継ぎの当たった衣類を着た写真が残っているので生活が豊かで

ないことがはっきりしている。後半の生活では豊という実感は無かったがそこそこの生活がで

きていたのではないかと思う。オリンピック景気は、日本における1963年から1964年にかけ

ての好景気をいうらしいが、社会のムードは確かに明るい雰囲気があったように思う。オリン

ピックの招致が国力を反映していると考えれば、日本も国際的な一流国家になったという自

信が持てたのかも知れない。しかし、これも一過性のものであった。一方、半導体業界には

シリコンサイクルという好況が、オリンピックの開催年の四年毎に巡ってくると言われていた。

確かにそのような傾向が何年も続いた。従って、半導体の生産計画を立てるときはシリコン

サイクルの動向を見通して建てていた。当然、オリンピックは毎回開催国が変わるのである

から、半導体の需給がオリンピックに同期して世界的規模で変動した事を示していたと思わ

れる。即ち、当時の日本は世界の半導体需要をまかなう実力のある国であったと思われる。

しかし、半導体の生産能力を有する国が海外にも増加し、供給量が増大するとシリコンサイ

クルの重要性も余り言われなくなってしまったようだ。今日、21世紀の情報化社会を支えてい

るコンピュータ業界にほとんどのCPUを供給しているのがインテル一社になっているのも特

異な事実である。インテルの市場占有率が約80%、ライバルのAMDが約20%。結局アメリカ

勢がほぼ100%のシェアを押さえている。今日では半導体業界はシリコンサイクルとは無縁

になってしまったようだ。これは、一面では半導体の用途が非常に広くなり国際的な大型のイ

ベントに伴う需要さえも全体の需要の極一部に過ぎなくなったという事であろう。これは更に

経済の好況・不況の波の直撃を受けやすくなったという事でもあろう。

2009年11月13日 (金)

フロッピーディスク

2009/11/13

フロッピーディスク

最近では3.5インチ用のフロッピーディスクも影が薄くなった。店頭で探すのも大変になってい

る。他の記録メディアに駆逐されてしまった。コンピュータの記録メディアとして最初の頃に使

われたのがパンチカードであった。このパンチカードは入社直後に使った記憶がある。その

後は8インチのフロッピードライブが、1970年IBMにより開発された。容量は128キロバイトで

あった。最初はパンチカードの代わりに大型コンピュータへのデータ入力用メディアとして利

用され、その後は初期の8ビットや16ビットパソコン用としても1980年代後半まで使われてい

たようだ。会社でも製造や管理のデータ保管用に使っていた。一般の人がフロッピーディスク

を使うようになったのはPC9800やその互換機でFDが使えるようになってからであろう。5.25

インチサイズで雑誌の付録でソフトの配布が行われるようになった。DOS/Vの3.5インチの

FD/FDDの標準化に関してはソニーの貢献が大きかった。ソニーにとって3.5インチの

FD/FDDの標準化の推進は事業としても成功であったと思う。βの教訓が生かされたのであ

ろうか。記録密度はDVDで更に向上し、次世代DVDの規格戦争ではブルーレイ(BD)陣営

対HD-DVD陣営が戦った。結果はソニーと松下が担ぐブルーレイ陣営が勝利し、東芝が同

分野から撤退を発表した。東芝はHD DVD事業の終息についてという2008年2月19日付け

のニュースリリースで、当社は、これまでHD DVD規格に基づいたプレーヤー及びレコーダ

ーのグローバルな事業を展開してまいりましたが、本年初頭の大幅な事業環境の変化に際

し、今後の事業戦略を総合的に検討した結果、同事業を終息することを決定いたしましたと

発表した。戦争の傷跡が余りに深く広汎に及ばない時期における撤退という判断にはそれな

りの意義はあるだろう。デファクトであろうとなかろうと規格は争って決めるべきなのか協調し

て決めるべきなのか。競争が無くなれば技術の進歩も無くなるのか。まだまだ、考えさせられ

る事が多い。

2009年11月12日 (木)

高原学校

2009/11/12

高原学校

小学生か中学生の頃か定かでない記憶である。学校行事で榛名高原学校での合宿訓練が

あり、榛名湖でカッターボートを漕いだことを覚えている。何人乗りボートか覚えていないがか

なりの人数が乗れたと思う。広い海や湖に出た経験はほとんど無かったのでこの訓練の記

憶は今でも残っているのだと思う。広さは開放感を与えるが、なんとなく不安も与える。やは

り、船の転覆等で水中に投げ出された時の事をそれとなく心配することも一因である。当時、

湖に漕ぎだしたとき救命胴衣を付けていたのか全く思い出せない。飛行機に乗る時も同じよ

うな不安を味わう。飛行機の場合は乗務員が救命胴衣の使用法等を説明するので尚更危

機感を覚える。自動車のシートベルトの着用も全く同じ目的で着用するのであるがこちらはま

ったく習慣ボケをしているようだ。危険の確率は海や空より陸の方がはるかに高い。級友と

の宿泊も初めての経験であった。皆が寝付く前に枕投げ遊びをして先生にお目玉をくらっ

た。榛名高原学校は集団行動の良き訓練であったのであろう。榛名高原学校を検索してみ

たら「こちら榛名山の榛名湖畔西側には群馬県内の小中学生は必ず一度は学校で「高原学

校」として合宿訓練に連れてこられる「榛名高原学校」こと財団法人榛名高原体育センターが

あります。群馬県教育委員会が指導する教育施設で、児童生徒の合宿・宿泊訓練・研修活

動に使われています。」と紹介されていた。現在も小中学生の課外訓練に使われているよう

だ。そうすると、県民のほとんどがこの訓練を体験しているのではないかと思われる。数十年

の見えざる輝かしい実績を持つ教育企画ではあると思う。どのような契機でこのような企画

が生まれたのか興味が湧いた。

2009年11月11日 (水)

竹スキー

2009/11/11

竹スキー

運動の好き嫌いに個人差がある。この個人差の原因も色々ある。結局、突き詰めれば有限

な人生の時間の配分の問題になってしまうのかも知れない。好きなことにはそこに金や時間

もより多くを投入する。嫌いな事はその逆である。子供の頃は降雪量も結構多かった。竹藪

の竹が雪で曲がり、ついにその竹が雪の重さに絶えられなくなり音を立てて割れた事もあっ

たように思う。従って雪遊びもいろいろやった。その一つが竹スキー。青だけを二つに割り、

スキーもどきの遊具を作ってそれで滑った。そのスキー作りは父親がしてくれたのか、手伝っ

てくれるかしたように思う。場所が平坦地なのでスポーツスキーのような滑り方はできない。

単なる雪遊びに近かったと思う。本当のスキーをはいたのは、高校生になってからである。ス

キー用具を買った記憶は無いので、スキーに行くときはレンタルで間に合わせた。このよう

な、自分のスキー体験を思い出すと、成り行き任せでどちらかと言うとスキー嫌いに属するの

か。子供達にそんな思いをさせたくないと家族でスキー場に行った事もあった。リフトに乗る

までもなく傾斜がゆるい場所ですべっただけだったが何とか一日を楽しめたと思う。ある人に

子供をスキー好きにさせる方法を聞いたことがある。天気の良い日に連れて行き楽しい体験

をさせる事が大事だそうだ。そうすれば、スキーは楽しい物だと思いもう一度行きたくなる。そ

れが重なれば自然にスキーが好きになり、技術も上達するようになるとのことだ。天気が悪

いとそれだけでうんざりで嫌いになってしまう。習い事を始める時の初期条件の重要性を教

えてくれた。これは、スキー以外の事にも通用すると思う。高齢になってからスキーを始めた

人もいるようだ。スキーにこだわることも無いだろうが、60の手習いで新しい事にチャレンジ

する事にも意義があると思う。

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    刃物という視点で多くの事例が取り上げられている。刃のある道具の理解にも役立つ。類書が少なく貴重な一冊。「すべり変形が切断の原理」という考え方で説明している。
  • 沼田 真   : 植物たちの生( 1972年 岩波新書(青版 833))
    「ご要望にお応えしてアンコール復刊(1988年岩波新書50年記念復刊) 地球生態系の中で自然を見直す」(腰巻きのフレーズ)。植物の知恵と戦略に人類は勝てるのか。
  • 出町 誠: 14_NHK趣味の園芸:よく分かる栽培12ヶ月  カキ(NHK出版2007年)
    初心者向け柿栽培参考書(新版)。旧版と比較すると楽しい。
  • 中村三夫: 13_NHK趣味の園芸:作業12ヶ月  カキ(NHK出版1996年)
    初心者向け柿栽培参考書(旧版)。新版と比較すると楽しい。
  • 山科正平: 12_細胞を読む   電子顕微鏡で見る生命の姿
    細胞はどんな部品からできているのか。そんな疑問に答えてくれる一冊。何事も形を見るのが第一歩。μからÅオーダーの世界で、細胞をメスで解剖するように、電子顕微鏡というメスで解剖して見せてくれるので興味が尽きない。
  • 柳田充弘: 11_細胞から生命が見える
    著者の専門は分子生物学、細胞生物学。普段生物を考えても細胞レベルで止まってしまう。その細胞の中で色々な分子が働いている。細胞こそ生命の基礎だが、その細胞の中の動きを知るのに最適な一冊。疑問の発端はなぜ発根剤が効くのかということ。薬剤が細胞膜を通過して細胞内で分子と分子が作用するイメージができた。本書でできた細胞のイメージは小さな無数の穴が空いた水分が充満したヨーヨーのようなもの。そのヨーヨーの中に分子部品が詰まっている。細胞自体もタライの中のヨーヨーのように浮かんでいる。細胞図面の空白部は真空でなく水分だ。細胞の内外に水がないと細胞は生きられない。水が生命のゆりかごだ!
  • 野口悠紀雄: 10_ホームページにオフィスを作る(2001年 光文社)
    ITが輝いた時代の作品。HPの活用法は参考になる。参考:url=http://www.noguchi.co.jp/(野口悠紀雄 ONLINE)
  • 小池洋男 編著: 09_果樹の接ぎ木・さし木・とり木(農文協:2007/3/31第1刷)
    やや専門的であるが、実務専門化が分担執筆しており、その場で役に立つ一冊。
  • ノーバート・ウィーナー(鎮目恭夫訳): 08_サイバネティックスはいかにして生まれたか(みすず書房1956)
    情報と通信という現代社会に不可欠の基礎的な学問を作った著者の自伝とそれを通した科学史
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    POST IT :ブログ画面への張り紙に使える。
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    2010/8/4:MEMO等の表示に使える。 農作業で気になる自戒の言葉 ■畑の石ころはいつまで経ってもても石ころ(早く拾って片づけよという意味か)。 ■同じ石を二度拾うな(やってみると難しい)。 ■手ぶらで歩くな。 ■三つ先のことを読め。 ■適当な観察。 ■空を見よ(気分転換、休憩、天気を読む、腰曲がり防止)