2009年11月10日 (火)

算数の教科書

2009/11/10

算数の教科書

小学校時代の算数の教科書について思い出そうとしたが、残念ながらほとんど思い出せな

かった。表紙は極単調で藍色であったように思う。その隅に出版社や著者名が記載されてい

た筈である。数学教育に関しては小倉金之助の著作をかじったことがある。同氏が終戦後の

教科書に関係していたか自分としてはまだ分かっていない。ともかく数学教育の在り方に関し

ては大きな影響を与えているのではないか。次ぎに思い出したのが矢野 健太郎であった。

一般の数学書でもお世話になった。自分が小学生時代の前半にあった期間で算数の教科

書検索をして、数学者として名前を識別できた方々は、辻 正次、 戸田 清、吉田 洋一、弥永

昌吉、矢野 健太郎、清水 辰次郎、末綱 恕一、丸山 儀四郎、森戸 辰男、秋月 康夫等であ

った。森戸 辰男は政治家、教育者としての活動で思い出されたようだ。奨学金制度の日本

育英会の会長であったと知った。この奨学金制度があったので何とか大学を卒業できたので

あった。社会人になってから10年かけて貸与された奨学金の返還が終わってようやく社会へ

のお返しができたと肩の荷を降ろした思いがした。 『零の発見―数学の生い立ち』吉田洋一

著岩波書店は高校時代の必読書の100冊の本の一冊であったと思う。ともかく、戦後の算数

教科書に錚々たる数学者が多数参画されていた事実は、これらの数学者が日本の教育に

大きな夢と期待をかけた事実をも示しているのではないかと思う。理工系の学問には数学の

知識は重要ではあるが、それが絶対に必要であるとも言えないであろう。ようするに何事も

論理的な思考ができるようになればよいのであろう。一般人にとっては、数学も論理的な思

考の訓練になればかなりの役割を果たした事になると思う。

2009年11月 9日 (月)

造反有理

2009/11/9

造反有理

1968年8月、中国の文化大革命に際し、毛沢東が言ったという革命無罪、造反有理という言

葉があり、それが日本でも広がったようだ。造反有理の前に革命無罪という言葉があったの

は、今知ったばかりである。中国の偉大な指導者毛沢東がかく言うのであれば、それを行動

で現しても何ら正義に背く事はなかろうと一般大衆は信じた事であろう。文化大革命の実態

にはいくつもの側面があるので、文化大革命全体の歴史的な評価には相当な期間と相当な

労力がかかるであろう。造反有理も意味の広い言葉であろう。<反>はひっくり返す事、裏

返し、こっちに対してあっち、YESに対してNOという意味だろう。<造>は意識的に作る、や

らかすという意味にとれるだろう。<有理>とは理由がある。当時の大学紛争の本当の原因

が何であったのか、自分はいまだはっきり理解できないで居るが、造反有理という言葉に関

係するのも確かだろう。自分たちがNOと言うのには理由があるのだ。しかし、何がNOなの

か。終戦後20年余も経ると社会は安定に向かった。しかし、泥水をかき回したような戦争は

社会のしがらみを分解し、人間を裸のヒトにしてしまった側面もあったと思う。そこにはまた人

間らしい自由、開放感があったと思われる。その一粒毎の泥が沈殿して新しい社会が現れ

そうになった時に、これはおかしいという意識も同時に生じたのではないか。何かはっきり見

えないが許し難い何者かが現れそうになり、それにNOを投げつけたのが当時の世界的な若

者の運動であったのではないか。当時のあの勇ましい造反有理というかけ声が完全に過去

のものになってしまったのか。

2009年11月 8日 (日)

青田買い

2009/11/8

青田買い

経済の高度成長期に人材の確保が企業の重要課題であった。企業の人事担当者はいかに

優秀な人材を集めるかに苦労したのではないかと思う。青田買いとは卒業前の学生を就職

予約させる事で、今日では就職内定という事であろう。昭和35年の文部省次官通達による新

卒者の採用試験の解禁日は大卒で10月1日、高卒で11月1日以降と決められたが余り守ら

れなかったようだ。昭和44年3月に大卒理工系で6月1日、文科系系で7月1日、高卒で8月1

日以降と繰り上げたが、これも空文化したとの事である。求人活動がエスカレートしていたの

である。昭和45年の高卒就職希望者の70万7000人に対して求人倍率の推計は約6倍であ

ったとある。今日の高卒就職希望者にとって夢のような時代であった。今思うと、自分もこの

ような時代に社会に巣立っていった訳である。当時は就職活動と言っても今日ほど厳しくなく

おおらかなものであったと思う。求人が掲示板に張り出されたりして、就職担当の先生と相談

して決めたように思う。企業側も求人数を学校側に通知してその企業の人事政策に従って採

用を決めたのではないかと思う。当然、企業の求人数を就職希望者数が上回われば何らか

の調整が行われることになる。自分も都市部の企業に就職希望を出したが希望者が重複し

てしまった。就職担当の先生は、君の場合はこちらの方が良いのではないかとあっさり別の

企業への就職が決まってしまった。就職では会社はある程度自分で選べるが、その後の仕

事と上司は選べない。しかし、今振り返って見ると会社も仕事も上司も何となくマッチングして

いたようでもある。

2009年11月 7日 (土)

β 対 VHS 戦争

2009/11/7

β 対 VHS 戦争

業界の方式戦争は幾つも印象に残っている。それだけ、市場での生き残りが大変な時代に

なってきた事の反映かも知れない。結局はパイの奪い合いである。生産力は市場のニーズ

を満足させるレベルに直ぐ追いついてしまう。それが世界的な規模で起こってしまうのが現在

の市場経済の冷酷さである。ビデオテープレコーダーのβ陣営 VS VHS陣営の市場戦争は

特に強い印象が残っている。ビデオテープレコーダーはテレビの録画で使われた部分が大き

かった。リアルタイムの放送のタイムシフト装置でもあった。従って、もう一台のテレビ機能が

VTRには不可欠であった。自分が開発に係わったVIF用集積回路はβにもVHSにも共通で使

えるのでTVとVTRの両方の市場で受け入れられた。ソニーのカセット型ビデオテープレコー

ダ(VTR)規格の1号機(SL-6300)は、1975年5月に発売されたとの事である。そうして、戦

争の結果ベータ方式の盟主のソニーも2002年に生産を終了し、ベータマックスは市場から

姿を消した。人間の一世代に相当する約30年の製品寿命であった。ちなみに、ソニー製ベー

タマックスVTRは日本国内で累計約400万台(全世界で累計約1,800万台)が生産されてい

るとの事である。VHS陣営の勝利が決定的になった1984年、「ベータマックスはなくなるの?」

という新聞広告を載せた。この広告だけは印象に残っていたが、TVコマーシャルか新聞広告

かはっきり思い出せなかった。自分にとっては撤退声明のようにも思われた。一方自信の表

れのようにも感じた。ともかく、盟主は機長や船長と同じように最後まで現場に留まった。

1988年、ついにソニー自身もVHSの発売に踏み切ったが、ビジネスとしてはまだVTRの市

場は捨て難かったのであろう。βに投入した人・物・金はVHSにも十分転用出来るし、そうす

べきであるという判断があったのだろう。一時代を画する魅力的な商品は簡単に生み出せな

い。市場に送り出すための助走が必要である。ともかくVTRは映像を自在に操作する手段を

与えてくれたのであり、TVという受動的なメディアを土台にして、能動的なユーザーを作った

意義は大きいであろう。

2009年11月 6日 (金)

学歴無用論

2009/11/6

学歴無用論

末は博士か大臣か。明治期の出世双六の上がりを言ったものだろうか。明治社会は武家政

治を否定したのだから、あながちこのスローガンガ的はずれでない事は確かだと思う。武力

より知力が優先したようだが、教育制度と庶民の学力の点では戦前と戦後は雲泥の差があ

ったと思う。高校、大学への進学率が戦後から上昇を辿ってきたという事実は学歴が実社会

の待遇上重要な位置を占めていた事を語っているであろう。従って、より良い待遇を求めて、

高校、大学への集中が起こる。それを乗り切るのが受験戦争であった。少子化で高校、大学

の定員割れが起こっている現在もまだ学歴社会は健在であるようだ。そんな、受験戦争が真

っ盛りの時代に、ソニーの盛田昭夫が学歴無用論を出版したので、一躍脚光を浴びた。調

べると、1966年(昭和四十一)年のことであった。しかし、今振り返ると話題性はあったが、実

際はどうであったのか気になる。確かに、学歴とは無関係に優秀な人材を見つけだし、使え

る人材に仕上げる能力があれば、企業は成長軌道に乗せられるだろう。そのためには、優

秀な人材を発掘する能力が必要な事は言うまでもない。中国の故事に「世に伯楽あり、然る

後に千里の馬あり」というのがあるが、ソニーにはその伯楽がいたと言うことなのかもしれな

い。確かに、大学の学問は四年間で終わる。その後何もしなければ四年間で元の木阿弥に

なってしまうだろう。結局、学歴無用論とはメッキより地金が重要だという人材論であったので

はないか。学歴というメッキだけを見ていては地金が見抜けない。地金にも色々ある。良い

地金を選んで叩き直せば良い仕事が出来る。実践面ではこの地金の叩き直し方にソニーの

ノウハウがあったのではないか。

2009年11月 5日 (木)

コンパクトディスク

2009/11/5

コンパクトディスク

今では完全にCDで通り、コンパクトディスクと言うとそれは何となる。1982年10月1日に ソニ

ーが民生用の CD プレイヤー CDP101 を発売し、その価格は 168,000円だったらしい。そ

の前年にソニーとフィリップスが音楽CDフォーマットを開発した。ともかく、何かの記録の為

には記録する素材と記録する文字と文字を繋げる文法と筆記具が必要になる。音楽に関し

てはレコード盤、磁気テープ、光ディスクという歴史を辿り、記録密度も向上している。CDの

読みとりには赤色レーザ光が使用されているが、最近では青色レーザダイオードの実用化で

波長の短い青色光により更に記録密度が向上している。磁気テープを使用したビデオも完

全にDVDに駆逐された。しかし、音楽用ではまだCDが健在である。売る側、使う側のメリット

がバランスしているのであろう。CDの発売から既に27年を経過したがともかくまだ健在であ

る。蓄積されたソフトの量が膨大なので当分心配は無いだろう。CDの主要部分が共通であ

るCD-ROMはパソコンの標準デバイスとして使用されている。フロッピーディスクで10枚近く

になるOSをCD-ROM一枚でインストールできるようになったのもコンピュータの普及を加速さ

せたと思われる。CDで最大の恩恵を受けたのは某ソフトメーカーであったかも知れない。

CDの裏側ではディスクを回転させたり、光ピックアップを駆動させたりするメカトロニクスが

活躍している。現役時代はこのCDドライバー用の集積回路の開発に従事していた。振り返

ってみると丁度CD、CD-ROMの成長期から成熟期であった。しかし、買ったのは専用のCD

プレーヤーではなくはCDラジカセ程度であった。デジタル化で性能の差別化が難しくなった

のも技術の進歩ではある。オーディオ機器の生産も海外へ移ったのが多かったであろう。

2009年11月 4日 (水)

アメリカの悲劇

2009/11/4

アメリカの悲劇

アメリカの持つ自由と富は日本人の羨望の的であったと思う。萩原朔太郎はふらんすへ行き

たしと思へどもふらんすはあまりに遠しせめては新しき背廣をきてきままなる旅にいでてみん

と歌ったとの事であるが、戦後の青少年にとってはアメリカほど輝かしい物はなかったと思

う。しかし、良いところだけでは無いだろうと思って手にしたのか、ドライザーのアメリカの悲劇

という小説をかじってみた。もう、中身は完全に忘れた。タイトルと著者となぜ読んだのか位し

か覚えていない。ネット検索で要約すると、貧困の中で育ってきた青年が上流社会の女性と

結婚するために自分の愛人を殺害して捕われ結局は破滅するに至るというのが筋書きであ

った。しかし、小説はこのように要約して示してくれない。読んだがそれだけで終わっていた。

自由ということは富があれえば貧があるのが当然という事かもしれない。貧を克服するのも

自由、貧に窮するのも自由。高校、大学その後の20代の頃に社会関係に興味があり、その

ころの読書であった。日本の社会も揺れていた。多分、リースマンの孤独な群衆という訳本も

手にした記憶がある。アメリカは自由の社会ではあるが、れきっとしたsocial ladder社会的

階段があるとも知った。下流社会から上流社会にはい上がるのは先ずそのsocial ladderに

ぶら下がらなければならない。日本は学歴社会だから云々と騒がれたが、アメリカでは

social ladderにぶら下った人にだけ学歴社会があったようだ。下流階層にとっては学歴どこ

ろではなかったということだろう。

2009年11月 3日 (火)

ZD運動

ZD運動

社会人になった時、工場現場のZD運動というのを知って、何か新鮮さを感じた。社団法人

日本能率協会のホームページによると、1965年4月~1966年3月  ZD(欠陥ゼロ)運動の普

及・啓蒙開始 とある。昭和40年であり不良品をゼロにする(Zero Defect)事が生産性を高

め、経済の高度成長を支えた運動の一つであったと頷かせる。地方の中卒、高卒の人材が

金の卵と言われ、昭和39年の流行語となった。物を作れば直ぐに売れる時代で、極度の労

働力不足の時代には賃金の安い未成年労働力はまさに金の卵であったように見える。当時

の半導体生産はほとんど手作業に頼っていたので、精度の高い仕事には若い労働力が必

要とされていた。工場では若い白衣の工員が不良率を調べて、グラフに表示したりして運動

を盛り上げていた。たまたま、工場に出かけてZD運動の様子を見ると頑張っているなという

印象を受けた。各部署から優秀な成果を挙げたグループが選ばれ、他部署とその成果を競

い、上位のグループは表彰される栄誉もあった。自分は生産現場とは直接関係が無かった

ので、現場のZD運動の詳細は知らないが、長年この運動が続くといつしかマンネリの傾向

が出てきたようで、徐々に終息していったのではないかと思う。ともかく、このようなZD運動等

により生産現場の人材育成や生産技術、管理技術の向上・継承が行われ、日本の製造技

術の基礎が作られたのであろう。

2009年11月 2日 (月)

ゼネラリスト

2009/11/2

ゼネラリスト

今日はスペシャリスト・専門家全盛の時代となっている。これを裏返せば分業の時代で、餅は

餅屋に任せれば良いと言うことだろう。長いいくつもの工程が必要な仕事も分割すれば色々

な利点が生じる。自動車等の工業は分業のメリットが最大に発揮されている。しかし、これを

設計、試作、生産等の工程を単独でやるとなると大変である。単独事業の場合は、関連する

膨大な知識や技術が無いと一つのまとまった事ができない。従って何か事業をやろうとする

とスペシャリストをかき集めるのが手っ取り早いという事になる。ゼネラリストが必要だと叫ば

れた事もあるがゼネラリストが居座る場所がほとんど無いのが実状だろう。ところが、スペシ

ャリストの分野が余りにも狭くなるとその専門性が時代の流れから外れてしまう。結局、仕事

や能力はある程度の幅が必要になるようであもある。逆に、専門性を突き詰めてゆくとある

種の一般性に遭遇するのも事実だろう。所詮、人間のやる事は人間という存在を介してやる

以外にない。人体こそ究極の汎用を秘めた機械かも知れない。ゼネラリストとして人に仕え

る必要はない。しかし、スペシャリストは何らかの意味で人に仕える面がある。単なる他人に

使われるスペシャリストに留まる事無く、自分の意志に基づき分野の境界を越えて自分の仕

事や使命を追及する中にゼネラリストとしての要素があるのかもしれない。スペシャリストも

ゼネラリストも横文字だから迷ってしまう。仕事の分類からは一般職と専門職と言えば良い

のかもしれない。一般職は潰しが効くが専門職は潰しが効かない云々。結局、専門馬鹿は自

戒する必要があるが、仕事や職業の分類は便宜的なものでそれにこだわる必要はなかろ

う。

2009年11月 1日 (日)

パスカル

2009/11/1

パスカル

WIKIPEDIAで調べてみたら圧力の単位として説明されていた。パスカルと言えば「人間は考

える葦である」という言葉を第一に思い出す。パンセの一節である。パンセは古典として少し

かじったがとうてい読み通せなかったようだ。今日ではパスカルで検索をかけるとコンピュー

タ言語とかが上位に現れてくる。物理ではパスカルの原理を習ったと思う。名前は何かと更

に検索してようやく、WIKIPEDIAのブレーズ・パスカル(Blaise Pascal、1623年6月19日 -

1662年8月19日)にたどりつく。フランスの数学者、物理学者、哲学者、思想家、宗教家とあ

る。今日の職種・職業名で示すとまさにマルチタレント。逆に今日では専門が余りにも分化し

すぎてしまっているとも見える。専門化は飯を食うために他人より秀でる手段に過ぎないのか

もしれない。パスカルは神と人間の関係も追求したようだ。パスカルの信仰の基礎にはキリ

スト教があるようだがキリスト教も一枚岩ではない。絶対的な摂理である神と相対的な存在に

過ぎない人間。神と真剣に真摯に対峙した結果色々な成果が生まれたのかもしれない。パス

カルは機械式計算機の構想・設計・製作もしたので技術者でもあった。パスカルは「パスカリ

ーヌ」と名付けた計算機を53台制作したが、信頼性が低く一台も売れなかったらしい。しか

し、これはパスカルが当時のベンチャー企業家の一面も持っていた事も示す。今日のコンピ

ュータにパスカルが現れても不思議はなかった。圧力の単位もパスカルの名前を永く留める

ために定められたのであろう。歴史にもしは禁句であろうが、今日パスカルが生きていれば

何をしたろうか。

2009年10月31日 (土)

幸福論

2009/10/31

幸福論

幸福論にはいろいろな人のものがある。人生論的な書物は幸福論的な色彩を持つ。高校時

代以後に出合ったのがB.ラッセル(1872年5月18日 - 1970年2月2日)の幸福論であった。

教科書か副読本にその一部があったと思う。中身は完全に忘れている。しかし、若いときに

人生とは何か、幸福とは何かという事を考えるのは意義がある事であろう。外国人にの幸福

論は比較的多く見かけるが、日本人が書いた幸福論を思い出そうとすると直ぐに出てこな

い。ラッセルは論理学者、数学者、哲学者であるそうだ。幸福論は哲学の範疇にあるのかも

しれない。日本人は幸福とは何かと大上段に構えて論じるのを憚る傾向があるのだろうか。

ラッセルの幸福論の原著:The Conquest of Happiness, 1930が出版された時がラッセルが

60代前。既に自分はその年齢を越えてしまっている。1950年 ノーベル文学賞 。湯川 秀樹

が日本人として初めてのノーベル賞を受賞したのが1949年。核廃絶に関するラッセル=アイ

ンシュタイン宣言(湯川秀樹も共同宣言者として名を連ねている)を発表し、これがパグウォッ

シュ会議の開催へと発展していったそうである。21世紀初頭になりようやく核廃絶が世界政

治に再登場してきた。核兵器は世界平和の対極にある。核兵器廃絶は人類共通最大の幸

福かもしれない。ラッセルの幸福論のタイトルThe Conquest of Happinessは幸福の征服と

読める。幸福とは勝ち取るものなのだろう。

2009年10月30日 (金)

イタチ

2009/10/30

イタチ

昔は農家には小さな鶏舎があり、鶏を飼っていた。時には放し飼いをして、庭にこぼれた米

や麦をついばんでいた姿を思い出す。この鶏舎が破られて鶏が食べられてしまう事があっ

た。犯人はイタチであると言われていた。イヌ、ネコも放し飼いの鶏なら狙う可能性がある

が、鶏舎を破る事は少ないようだ。イタチは野生動物でその姿を直接見せる事は少ない。し

かし、かつては田舎の人家周辺にも棲息していた。自分もその姿を何度か見た。現在、身近

に棲息している野生ほ乳類はモグラとネズミ位ではないかと思う。聞いた話ではまだタヌキも

いるらしいが。幼少時にはキツネやタヌキが出てくる昔話をよく聞かされた。キツネやタヌキも

身近な存在であった。農作業ではモグラの被害が大きい。マルチを張ったその下をモグラが

這い回る。作物の育ちが悪いと探って見るとその下にモグラのトンネルが走っている。餌にな

るミミズ等が多いのも事実だが、モグラは招かざる客である。

2009年10月29日 (木)

アオダイショウ

2009/10/29

アオダイショウ

かつては、米は俵にいれたままで保管されていた。その後は麻袋か紙袋か定かでない。とも

かく、米を倉庫等で保管しているとネズミがそれを狙って倉庫に入り込む。そのネズミを狙っ

て倉庫や米倉にアオダイショウが住み着く。昔の農家は米を食い荒らすネズミを食べるアオ

ダイショウを大切にしていた。ヘビと人間はかなり特殊な関係がありそうだ。校章ににヘビを

あしらったものも見たような気がする。気味が悪い。子供の頃はヘビを見つけると逃げるか

退治するかどちらかであったと思う。当時は、色々なヘビ類がいた。アオダイショウ、赤ヘビ、

シマヘビ、ジモグリ、ヤマカガシ、トカゲ、カナヘビは実際に見た記憶がある。赤ヘビとヤマカ

ガシは同じなのか。ともかくじっくりみる気力がなかった。一月前頃、アオダイショウにに出合

った。1m以上ありそうだったが直ぐに引き下がってしまった。サツマイモには野鼠に食われ

た跡が残っているのを見ると、まだ我が家の周辺には野鼠も棲息しているようだ。しかし、カ

ナヘビは時々見るが、大型は虫類であるヘビを見る機会は減っている。本格的に農業をして

殺虫剤等を多用するとヘビ類は更に住み難くなりそうだ。

2009年10月28日 (水)

味見

味見

料理の味付けでうまさが変わるのは事実である。しかし、味は料理だけに役立つわけでも無

いだろう。料理は生物的な生存という観点からは餌が非常に恵まれた条件にある時にしか

成立しない。生物的な味の感覚が味覚ということになるだろう。狩猟や採取という原始的な食

餌状況では味は素材に主に含まれて、味を加工することは少なかったかもしれない。味覚は

舌にある味覚細胞というセンサーを使って検知される。その基本的な役割は、物が食べられ

るか食べられないかの判定にあるようだ。食品・食材は食べられることが前提で、通常我々

は食品・食材を食べているという事は、食べられないものかという判断はほとんど行っていな

い事になるのであろう。子供の頃は、色々な物を口に入れた。これは食べられないと感じると

直ぐ吐き出した。甘いと思ってかぶりついた柿が渋いとき等はその例である。逆に栗の実等

は指の爪で渋皮を削って多少渋くても生でかりかり食べた事を思い出す。甘味、酸味、塩

味、苦味、うま味の5つが味覚細胞により感知される基本味だそうだ。辛み、渋みの検知は

別種の感覚だそうだ。ともかく舌はいろいろなセンサーを兼ねている。電池の電極に指をあ

てて他の電極を舐めると独特な味のような感じを受ける。味も電気・化学的な現象をセンサ

ーで検出しているので味付けという点ではまだ色々な可能性があるのかもしれない。ゴーヤ

の苦み等は最近一般化した味覚であろう。甘味、酸味、塩味は基本調味料が昔からあった。

うま味の調味料は化学調味料として実現している。苦みについては基本調味料として単品で

売られて商品は見たことがない。食品添加物として間接的に食べているようだ。苦みについ

ては目薬が喉に降りてきて気になっている。苦みは甘みの対極にあるのであろう。しかし、苦

みの無い世界は味気無い世界になってしまいそうだ。ブレーキの無い車のようだ。酸味、苦

味、渋味をじっくり味わってみたい。

2009年10月27日 (火)

オートメーション

2009/10/27

オートメーション

二十年間つとめし後にきたりしものオートメーション化と停年    角谷桐松

昭和万葉集巻11 昭和30年~31年に採録された短歌の一つ。終戦十年後頃の作品であ

る。既にこの頃からオートメーション化が始まっていたのであろう。まだ小学生の頃でオートメ

ーションについては何も知らなかった。オートメーションの普及は技術の進歩とともに範囲が

広がっていった。肉体的な労働から知的労働までが対象になっていった。オートメーションも

立場により色々な見方ができるだろう。仕事を追われた人、新しい仕事に転身した人。さまざ

まであろう。初期のオートメーションは製造・加工業のベルトコンベアー方式の自動化が多か

ったのではないだろうか。まだ、製造システムの中には機械と連動する労働力は必要とされ

ていただろう。しかし、機械の方が高度になるとシステムの中の作業者自身が作業精度や速

度等の点でじゃまになってしまう。もはや、直接的な労働には人力が不要になってしまう。半

導体チップの測定や組立では位置合わせ等の高度な作業もほとんど自動で行われる。人間

の眼の代用はCDDセンサー等で行う。機械がの動きがコンピュータの活用でどんどん高度

になってゆく。今日オートメーションは当たり前の技術になっているが侮れない部分が多いと

思われる。デザインオートメーションで設計作業もコンピュータに大幅に依存する時代となり、

オートメーションという概念自体がすでに古くなってしまったのかもしれない。

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やさしい科学・SCIENCE

  • 日経サイエンスのウェブページ
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  • SCIENCE IS FUN in the Lab of Shakhashiri
    University of Wisconsin-Madison Chemistry Professor Bassam Z. Shakhashiri のサイト

みかん栽培関係情報

公開資料

ISESAKI  有情1

嗚呼 伊勢崎 非情

BOOKS

  • 橋本 英文: 刃物雑学事典 図解・刃物のすべて(1986年 株式会社 講談社 ブルーバックス B-659)
    刃物という視点で多くの事例が取り上げられている。刃のある道具の理解にも役立つ。類書が少なく貴重な一冊。「すべり変形が切断の原理」という考え方で説明している。
  • 沼田 真   : 植物たちの生( 1972年 岩波新書(青版 833))
    「ご要望にお応えしてアンコール復刊(1988年岩波新書50年記念復刊) 地球生態系の中で自然を見直す」(腰巻きのフレーズ)。植物の知恵と戦略に人類は勝てるのか。
  • 出町 誠: 14_NHK趣味の園芸:よく分かる栽培12ヶ月  カキ(NHK出版2007年)
    初心者向け柿栽培参考書(新版)。旧版と比較すると楽しい。
  • 中村三夫: 13_NHK趣味の園芸:作業12ヶ月  カキ(NHK出版1996年)
    初心者向け柿栽培参考書(旧版)。新版と比較すると楽しい。
  • 山科正平: 12_細胞を読む   電子顕微鏡で見る生命の姿
    細胞はどんな部品からできているのか。そんな疑問に答えてくれる一冊。何事も形を見るのが第一歩。μからÅオーダーの世界で、細胞をメスで解剖するように、電子顕微鏡というメスで解剖して見せてくれるので興味が尽きない。
  • 柳田充弘: 11_細胞から生命が見える
    著者の専門は分子生物学、細胞生物学。普段生物を考えても細胞レベルで止まってしまう。その細胞の中で色々な分子が働いている。細胞こそ生命の基礎だが、その細胞の中の動きを知るのに最適な一冊。疑問の発端はなぜ発根剤が効くのかということ。薬剤が細胞膜を通過して細胞内で分子と分子が作用するイメージができた。本書でできた細胞のイメージは小さな無数の穴が空いた水分が充満したヨーヨーのようなもの。そのヨーヨーの中に分子部品が詰まっている。細胞自体もタライの中のヨーヨーのように浮かんでいる。細胞図面の空白部は真空でなく水分だ。細胞の内外に水がないと細胞は生きられない。水が生命のゆりかごだ!
  • 野口悠紀雄: 10_ホームページにオフィスを作る(2001年 光文社)
    ITが輝いた時代の作品。HPの活用法は参考になる。参考:url=http://www.noguchi.co.jp/(野口悠紀雄 ONLINE)
  • 小池洋男 編著: 09_果樹の接ぎ木・さし木・とり木(農文協:2007/3/31第1刷)
    やや専門的であるが、実務専門化が分担執筆しており、その場で役に立つ一冊。
  • ノーバート・ウィーナー(鎮目恭夫訳): 08_サイバネティックスはいかにして生まれたか(みすず書房1956)
    情報と通信という現代社会に不可欠の基礎的な学問を作った著者の自伝とそれを通した科学史
  • 沼田 真(編): 07_雑草の科学(研成社1979)
    雑草を多面的に解説し防除の基礎も述べる

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MEMO 海外の博物館・美術館

  • https://www.artic.edu/collection?place_ids=Japan&page=6
  • 項目のタイトル2
    POST IT :ブログ画面への張り紙に使える。
  • TYPE LIST事始め
    2010/8/4:MEMO等の表示に使える。 農作業で気になる自戒の言葉 ■畑の石ころはいつまで経ってもても石ころ(早く拾って片づけよという意味か)。 ■同じ石を二度拾うな(やってみると難しい)。 ■手ぶらで歩くな。 ■三つ先のことを読め。 ■適当な観察。 ■空を見よ(気分転換、休憩、天気を読む、腰曲がり防止)