東北の海よ:仙台仕込みの高崎の牛タン店でリッチな一時
2012/3/3(土)
昨日は雨。気温は上がらず終日寒い一日。宅内で過ごした。当地の屋台の彫り物を作ったという伝承が残る弥勒寺音次郎父子についてWEBで調査。群馬県文書館の「インターネット古文書講座」で「佐位郡渕名村の宮大工弥勒寺音次郎あて免許状」という古文書を解読していたのにであった(http://www.archives.pref.gunma.jp/inter-koza-1804kara/inter-koza-1804-2.htm)。
以下はその解読文。
この文書によれば、弥勒寺音次郎が宮大工として免許皆伝となったのが天保14年3月である。宮大工になるのも実力を認められ、然るべき儀式を行い神祇官から免許状をもらう必要があったようだ。今から169年前である。我が家の祖先もその屋台の造営に関わったと聞いているので、ひょっとすると弥勒寺音次郎・音八と会ったことがあるのかも知れないと思うと郷土の歴史に興味を覚える。
2012/3/2(金)の天気
TAVE= | 4.8 | |
TMAX= | 6.1 | 最高気温(℃) 13.5 14:32 |
TMIN= | 3.3 | 最低気温(℃) 1.4 03:55 |
DIFF= | 2.8 | |
WMAX= | 2.4 | 最大瞬間風速(m/s) 4.9(東南東) 13:29 |
SUNS= | 0 | |
RAIN= | 10.5 |
Q
東北の海よ:仙台仕込みの高崎の牛タン店でリッチな一時
先月、用事で高崎駅口にオープンしている某家電量販店に出かけた。初めての訪問だったのでそのデカサに驚いた。時間にユトリがあったので、先ず店内ウォッチング。1~4階までが電気、5階がレストラン、更に地下一階があり、食品から貴金属まで並んでいた。現代の竜宮城で、ここに来れば一日快適に過ごす事ができそうだ。余り羽を伸ばすと浦島太郎の玉手箱から何が出てくるか分からない。このような引力に逆らい、一緒に来たかみさんと外で昼飯を食べることにした。ところが、駅前をふらついても、食事をできそうな店がみつからない。ようやく、緑提灯が下がった店を見つけたが、戸締まりしていた。緑提灯については、高校時代の同級生が上毛新聞に記事を出していたので、いつか訪問してみたいと思っていた。その記事が以下のWEBで読めた;視点 オピニオン21
「緑提灯 食料自給率を上げよう(2010.10.20)丸山 清明。(http://raijin.com/news/kikaku/opinion2010/opinion20101020.html)」。
更に探すと、そばやらしい店があった。他も探して品定めをしようと、第三の店を探したがみつからない。何とかカメラという駅前店近くまで来たので、店内を覗いた。所狭しという印象でそれなりの活気を感じた。仕方なく、戻って先の開店していた店に入った。一階が牛タンで二階が蕎麦とのこと。かみさんは牛タン、自分は蕎麦がいいなというと、牛タンは二階までお持ちしますとの事。二階は和室であった。店の名は「仙台伝承の味 梅の花」とテーブルのお品書きにあった。蕎麦は東北流か、汁に大根を使う。蕎麦は何と食べ放題だったので、3杯頂いた。牛タンも食べたいのでかみさんの皿に越境。聞くところによると、牛タンは仙台仕込みとの事。開店一年程度。その後半年ほど後から二階で蕎麦も始めたとの事。蕎麦も東北をイメージしているようだ。東北と言えば椀子蕎麦を思い出す。
半導体代理店から出張のお声が掛かり、東北地方の顧客を廻った。その会社のHPで沿革を見ると北陸営業所開設S.56年。当時、北陸地方の拡販にも呼ばれた。その担当者が東北担当になったのが、本場の椀子蕎麦を体験できた理由かもしれない。従って東北訪問はS56年以降だろう。ともかく、当時東北地方の電子産業は、関東関西から見ればまだまだ発展途上であった。しかし、社名はうろ覚えだが、アルプスモトローラとかいう半導体工場があり、その工場も訪問した。半導体の生産拠点には豊富な水が確保できる場所が選ばれる。今から思うと、一回限りのHAPPY CALLではあったが懐かしい思い出だ。その仕事が済んで、椀子蕎麦を頂いた。広辞苑によると椀子蕎麦は客をもてなす岩手県郷土料理との事だ。腹一杯、次から次と満腹になるまで蕎麦を食べさせると言う風習は、それが最高のもてなしである事を教えてくれた。極度の空腹を体験しなければその本当の意味が分からないだろう。
帰り際、一階の牛タン店を覗くと、独りの女性が椅子に掛けて本を読んでいた。遠目で見たので、何となく淑やかな美人に見えてしまった。蕎麦も東北に関係がありますかと聞くと、店員は食べ放題という背景には椀子蕎麦があるとの事だ。しかし、今時、椀子蕎麦を標榜しては持たないですよと笑った。そういう意味で、食べ放題も最高のもてなしと解釈したい。値段的にはリーズナブルでリッチな一時を過ごさせてもらった。それにしても駅周辺が、巨大店の一極集中で、生活の香りが少なく寂れてしまったような街にならないで貰いたい。自由な空間のみに、本当の人と人のコミュニケーションが生まれるのではないか。東北もこの店も元気になって貰いたい。この記事も東北関東大震災の事を思いつつ、東北地方の記憶を甦らせて書いている。後一週間ほどであの大災害から一年になる。