2010年11月15日 (月)

科学ニュースに独り言:口蹄疫の大流行。101115。

2010/11/15

科学ニュースに独り言:口蹄疫の大流行

今年、宮崎県で発生した口蹄疫の大流行は現代社会の縮図のように感じた。ようやく、流行の終息が宣言されたが、今後の流行の再発に心配ないのか気になる。

以下はWIKIPEDIA記事の引用である:
WIKIPEDIA(http://ja.wikipedia.org/wiki/2010%E5%B9%B4%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AB%E3%81%8A%E3%81%91%E3%82%8B%E5%8F%A3%E8%B9%84%E7%96%AB%E3%81%AE%E6%B5%81%E8%A1%8C)「2010年日本における口蹄疫の流行」(最終更新 2010年11月7日 (日) 00:34 )によると『2010年3月頃発生し、2010年7月4日の終息確認まで、宮崎県で発生した牛、豚、水牛の口蹄疫の流行である。28万8643頭を殺処分した。畜産関連の損失は1400億円、関連損失を950億円とした[1]。宮崎大学の根岸裕孝准教授(地域経済)は年間426億円の損失で3-5年続くとしている[2]。』
尚、口蹄疫に関してはWIKIPEDIA:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A3%E8%B9%84%E7%96%AB

宮崎県のホームページには、「宮崎県における口蹄疫対策の検証に関する中間的な論点整理」が掲載され、論点整理が進められているようだ。ざっと目を通してみたが、鳥インフルエンザが人への感染が懸念され大々的に予防対策が実施されたのに対して口蹄疫は牛・豚等の家畜のみに伝染するとされ予防対策に油断があったように感じる。

独立行政法人 農業・食品産業技術総合研究機構 動物衛生研究所のホームページ情報によると「韓国における口蹄疫の発生:2010年1月7日韓国で、2002年以来の口蹄疫の発生が確認された(下図)。」「遺伝子解析により流行ウイルスは近年東南アジアおよび中国で流行しているAタイプウイルス*と近縁であると報告された3)。」と報じられている。口蹄疫の流行が世界的な現象ならば世界の現状の把握と対策も必要であったろう。

宮崎県の論点整理では感染ルートの解明に関して、ウィルスの遺伝子解析の記述は見あたらない。国レベルで解析をしていると思うが、感染ルートの推定や対策に必要であるだろう。周知が望まれる。やはり、ウィルス感染に関しては初期対策と感染ルートの封鎖が最も有効だろう。しかし、このウィルスは高速かつ複雑な人や物資の移動に乗って感染するので一度広がると広範な影響が出てしまう。ウィルス対策マニュアルを作り、ウィルスを運搬する可能性のある人や団体に徹底する必要もあるだろう。

宮崎県の論点整理の中に、第三者の視点から口蹄疫対策システムをチェックする必要性が述べられていた。確かに、総合的な対策として常にシステムが最新の状態で稼働するようにシステムを維持しないかぎり効果は期待できない。大騒ぎして、一件落着で、その後は担当者も代わって、システムもぼろぼろになって再発を迎えるのが日本の常態ではないか。今回の大流行は口蹄疫対策システム構築のために貴重な経験になるであろう。定期的なPDCAを廻すシステム監査のような体制を構築するが必要だろう。国、県だけでなく、畜産関係農家や団体にとって対策を行うチャンスかも知れない。

最近、「共生の生態学」 ( 栗原 康著、岩波新書 新赤版 (546))を拾い読みした。牛は反芻動物で、一度食べた草等の食物を反芻し消化するようルーメン胃を持つよう進化して、その中に多数の細菌や微生物が牛と共生していると知った。その細菌や微生物も親牛が子牛を舐めてやるときに親から子牛に伝わるようだと書かれていた。現代では、牛の肥育は牧草より栄養価の高い穀物・動物飼料等が中心になっていると思う。狂牛病もこのような家畜を単なる食肉・牛乳生産工場と捉えることに発生の遠因があるようだ。

それでは、狂牛病ではなく、口蹄疫の場合はどうなのであろう。昔は口蹄疫もそれほど拡大せずに終息できたのであろうか。口蹄疫のウィルスが進入しても動物側の体力や免疫力が強ければ発病に至らなかったのではないか。食肉・牛乳生産工場的な飼育方式で家畜自体の病疫に対する抵抗性は下がっていないのか。口蹄疫の発病区域で、発病しなかった固体がいたのであろうか。もし、そういう固体がいたとすれば、感染した固体とどのような差があったのだろうか。畜舎も合理的に設計されて、ウイルスもスムースに移動できるようになっていないだろうか。考えてみると疑問は色々ある。これは我々人間自体に関する問いでもあるだろう。

追記:殺処分された家畜の種類別頭数内訳の確定情報を探したはっきりしなかった。以下は宮崎県の「口蹄疫からの再生・復興方針」の中に記載された殺処分された家畜の数値である。
県全体頭数         牛               豚             その他
211,608頭        37,412頭      174,132頭         64頭

WIKIPEDIAによると、豚に感染した口蹄疫は感染力が高いとの記述もある。その豚への感染が全体の80%以上というのも考えさせられた。また、濃厚接触した場合は人にも感染するとの記述もあった。宮崎県のホームページには「口蹄疫は、牛、豚等の偶蹄類の動物の病気であり、人に感染することはありません。また、感染した牛肉や牛乳が市場に出回ることはありませんが、仮に感染した牛肉や牛乳を摂取しても人体には影響ありません。」とある。風評被害対策の意味もあると思うが、感染した可能性のある家畜を扱う立場の人間を油断させてしまうおそれがないか心配になった。

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追記(2017/11/12):記事整形、過去BLOG再読、印象・コメント等
タイトル文字の大きさと色を変更。記事の投稿期日を追加。
今年は、加計学園の獣医学部設置問題が、大きな問題になった。その中で、口蹄疫や鳥インフルエンザ対策に、獣医師が必要だという指摘もあった。伝染病は、人だけでは無く、家畜に関しても、国家や地方自治体レベルで十分対策を行う必要があるだろう。従って、一私立大学に、対策を丸投げしても解決にならないのは、火を見るより明らかではないか。

2010年11月14日 (日)

読みかじりの記:(高山)彦九郎 歌と生涯(1)

2010/11/14

読みかじりの記:(高山)彦九郎 歌と生涯(1)

高山彦九郎の事を意識的に知ったのは、会社退職の送別会が冠稲荷神社の結婚式場(ティアラグリーンパレス)で行われるので、細谷駅で下車したが、時間があったので、近くの太田市立高山彦九郎記念館にぶらりと入った時であろう。一通り見て、見学の記念にと「高山彦九郎の実像」という本を購入した。拾い読み程度で、その後は書棚の隅に潜んでいた。1993年6月3日あさを社発行のソフトカバーの冊子であった。そのサブタイトルが、前段に「没後200年 混迷の世によみがえる」、後段に「維新を呼んだ 旅の思想家」とあり、高山彦九郎没後200年の記念出版でもあったようで、編集者が末尾にやや長い出版の背景等を記録している。

二十数名の執筆者の中に、歌集「山河哀唱」の著者で歌人の須永義夫氏が「彦九郎 歌と生涯」という題名で7ページの文章を書いているのを最近みつけた。須永義夫氏の意識の中には戦前の青年時代から平成の時代まで高山彦九郎への強い関心があった事がうかがわれた。

その文の冒頭で、須永氏は「彦九郎の生涯を見ると誠実で情熱的な人間が、変革の時代の中でどんな生き方をしたかが解る。単なる二百年回顧でなく、日本人の苦悩として、高山彦九郎正之という人物に焦点を当てて考えてみる必要がある。」と述べて、詳論に入っている。

2010年11月13日 (土)

食べて生きる:伊勢崎発の地域ブランド発掘

2010/11/13

食べて生きる:伊勢崎発の地域ブランド発掘

伊勢崎はこれからどうなるのと心配している伊勢崎人が多いのではないかと思う。食べ物では、焼き饅頭やもんじゃで街興しが進められている。農産物としては、「茂呂の白菜、下植木のネギ」はどうだろうかという提案もあるようだ。伊勢崎の地域ブランドも関心ある人が先ず自分の目で発掘して行く事から成長が始まるのであろう。野菜に関しては伊勢崎市も力を入れるとしているが、これと言った決め手を欠いているのが実状のようだ。

群馬県(当然伊勢崎も)は全国有数の日照時間を誇り、野菜は健康のシンボル。太陽も自然環境のシンボル。最近は、地元の特産だけではなく、特産を生み出す風土や文化という無形の財産を売り出したらどうかと考え始めた。ちなみに、群馬国体(あかぎ国体)「風に向かって走ろう」というスローガンはmade in ISESAKIであった。当時、近所の女子学生さんがこのスローガンを作ったと聞いた記憶がある。風通しが良い風土というのも全国一と思うが、この良い点を生かす必要もあろう。

しかし、市民性とかの無形の財産は抽象的でとかく扱いが難しい。地域産品でアピールするのが具体的で最も合理的ではある。下植木のネギを調べて見たら、ブランド作りにも、長い年月をかけた大変な努力が必要だったようだ。高齢化が進んでブランドの維持が大変なようだが、若い農業高校生が後を引き継いで行くことを期待したいところである。http://wwww.asahi.com/food/news/TKY200811240114.html、(asahi.comへのダミーリンク:クリック後アクセスが失敗するので、wwwwをwwwとwを一つ削除(自分で入力)してアクセス)http://akagiyama1936.kazelog.jp/noramiti/2010/10/post-c621.html等参照。

伊勢崎銘仙がブランドとして確立したのも、当時の産地の乱立・競争・安売り等で品質に対する信頼感が暴落している時に、伊勢崎の業者が団結して高い品質を維持できた事に起因していると聞いたことがある。

健康志向は、女性や若者だけでなく、全年齢層にわたり共通の関心事であり、野菜ジュースには好感があると思う。そこで、伊勢崎名産に野菜ジュースを加えてみたらどうかと思った。頭の中ではニラとトマトのミックスジュースが最強な組み合わせで、ニラトマジュースという名前をつけようと考えている。ニラは定評のあるスタミナ野菜、トマトは美容・健康に相応しい健康野菜。

ニラはJA経由で出荷されているのが多く地元の消費者にも余り知名度は高くないようだが、実は伊勢崎の隠れた名産品。とりあえず、ニラジュースを試作してみた。材料のニラは、某ニラ作り名人からジュース試作用に少々分けてもらった。このニラは有力食品業者の指名買いで市場には出ない逸品との事。数本のニラを数㎝に切り、水と一緒にジューサーに入れるだけで、緑色のおいしそうなニラジュースの完成。

一口飲んでみるとネギやタマネギのような辛さを少し感じるが、ニオイは余り気にならなかった。ところが、...飲んだ後にニラのニオイが少々残った。このニオイもトマトジュースとの混合比を変えれば解決できそう。実は自分が好きなのはトマトの葉や茎の青臭い香り。これもマニア向けジュースになりそうに感じるが...。

ともかく、イベント等では見て、味わって、楽しめる事が大切。お好みに合わせてニラジュースとトマトジュース等のブレンドをジュース・バーテンダーにして注文で作って貰うのも話題作りになりそう。ニラトマジュースは未完成。余り早く完成させずに、想像の楽しさを十分味わいつつ、作る気分がじっくり熟成するのを待つことにする。

健康食品ならマズーイ青汁も人気になるのだから、後は如何に改良・味付けして物語性をもたせるかということになりそう。ニラに限らずほとんどの野菜は生食が可能なので伊勢崎名産の野菜を使ったジュースは前途有望かもしれない。当のニラ作り名人はニラジュースで伊勢崎をアピールしてくれる人には試作用のニラを提供したいと言っていた。

ともかく、ジューサーは大抵の家庭にあっても余り使われない家電製品の一つ。本来、スーパーに並ばない野菜・果物等のB級品をジュースにして飲むのがジューサーのお得な使い方。これならB級グルメにも最適だ。

2010年11月12日 (金)

雑草句録:イチョウの葉

2010/11/12

雑草句録:イチョウの葉

■イチョウの葉コロコロと舞う路上かな

イチョウの葉が色付き落葉するのは落葉樹では遅いほうに属するようだ。街路樹に何を植えるか具体的な指針や法令があるのか分からない。色々な街路樹が色々な場所にあるので、自然や四季の楽しさを体感できるのではないか。江戸時代に作られた杉並木、松並木というのもそれなりの判断で植えられたと思う。人口減少社会に向かってどのような街路樹が必要になるのか。常緑樹も古い葉を落として更新するので注意が必要だ。

追記:杉並木の杉が何を目的に植えられたのかとふと気になったので、日光の杉並木について調べた。「これは Google に保存されている http://www.doboku.shimotsuke.net/nikkousuginamikikaidou.html のキャッシュです。」より引用:『世界に誇る日光杉並木街道は、日光東照宮の造営に由来しています。徳川家康の近臣であった松平正綱によっ て、寛永2年(1625)頃から始まり20年以上の歳月をかけて、約20万本の杉が植えられ、日光東照宮に寄進されたことによって日光杉並木街道が誕生しました。
 この街道は、国際観光都市「日光」に至る日光街道・ 例幣使街道・会津西街道の三つの街道からなり、総延長37㎞ もある並木道です。古いものでは樹齢380年を超える杉の巨木が約12,500本も連なる壮大な並木で、我が国で唯一、特別史跡と特別天然記念物の二重指定を受けており、ギネスブックにも世界最長の並木道として掲載されるなど、本県が誇る貴重な文化遺産です。』とある。

昔のことで、街道沿いに植えておけば、必要なときに容易に切り出して使えるという利点があったと思った。しかし、日光東照宮の造営に由来しているとなるとそう簡単には切り倒せなかったであろう。それ故、今日まで残されてきたのだろうが。当時の旅を考えると、街道を往来する人馬を風雨や直射日光から守る巨大な植物アーケードの役割があったのかもしれない。杉苗も植えるときはせいぜい人の背の高さ前後であろう。杉並木として立派に見えるまでには相当の年月がかかる。そういう事業を決断実行したした人は何を思っていたことだろうか。

2010年11月11日 (木)

雑草句録:花水木

2010/11/11

雑草句録:花水木

■花水木紅葉散って幹を切る

花水木は春の花と秋の紅葉を楽しめる。しかし、観賞できる期間は限られている。我が家の畑には父が植えた花水木の株が相当数ある。

たまたま昭和52年5月5日付けの「明るい農協いせさき」を見る機会があった。その最後のページに農協の各部会のメンバーが掲載されていた。当時は植木部という部会があり、その専門部役員として父の名が庭木部のところに載っていた。これで、我が家の花水木の謎も少し解消した。植木の街といわれる安行に行った話は聞いていたので、その記事から米麦や養蚕に代わる植木の生産販売に取り組む動きがあったように見えた。

我が家の花水木も、かつては街路や公園に植栽されたようだが、もう造園業者からの声がかからなくなってから久しい。しかし、樹木は生長することを止めない。若い苗ならば移植は容易だが、幹が太くなると移植も管理も難しくなる。先々の事を考えて、断腸の思いで数本の株を残して幹を切った。秋の紅葉を見てから。

2010年11月10日 (水)

雑草句録:羅漢業

2010/11/10

雑草句録:羅漢業

■黒松や頭切られて羅漢業

川越の五百羅漢像をみて、その色々な姿に思いをはせた事があった。羅漢とは仏道修業者でまだ完全な悟りはひらいていない身分だとおもう。我が家には父の植えた黒松が何本か列植されているがその手入れが大変になった。根本から切るのもしのびないので形を作っていた頂部を切り落として樹高を下げた。この姿を見て色々な人が色々な事を言う。あわれな黒松であるが、どっこいまだ生きている。そんな姿から羅漢様を思い出すのだ。http://www.kawagoe.com/kitain/500rakan/の五百羅漢の解説によると、「川越の観光名所の中でも、ことのほか人気の高い喜多院の五百羅漢。日本三大羅漢の一つに数えられます。この五百余りの羅漢さまは、川越北田島の志誠(しじょう)の発願により、天明2年(1782)から文政8年(1825)の約50年間にわたり建立されたものです。」とある。天明2年(1782)は天明の大飢饉の起こった年。文政8年(1825)は国定忠次十五才の年。当時の社会状況を考えると五百羅漢像にも庶民の願い事が込められているのであろう。

2010年11月 9日 (火)

雑草句録:鳴き納め

2010/11/9

雑草句録:鳴き納め

■木枯らしや雨蛙等の鳴き納め

雨蛙は結構遅くまで活動して、冬が近づくと一匹だけで気まぐれに鳴いたりするが、さすがに木枯らしの吹く頃になると冬眠の準備を始めて鳴かなくなる。

追記:もう夏虫の大合唱も聞こえなくなった。早朝、耳を澄ませると何か虫の声が聞こえるような気がして真っ暗な屋外に出てみたが何も聞こえない。耳鳴りか、コウロギか、モーターのきしむ音か。句材発見、数句あり。先日のテレビをふと思い出した。俳人金子兜太氏がNHKの番組にに登場していたのでつい終わりまで見てしまった。コンクリートが嫌いな妻が作り上げた樹木豊かな庭が、生誕地秩父を再現しているように感じた。現代俳句にもこの懐かしい古里が必要なようだ。年齢91歳、生涯現役を目指し、日々鍛錬を積む姿をまぶしく思った。俳句の選者は後継者に渡さず、最後まで続けるという気迫。

■耳の奥何か鳴いてる朝寒し
■朝寒やバイクの音も遅れ気味
■耳鳴りや炬燵ブログの友となり

2010年11月 8日 (月)

雑草句録:霜焼け

2010/7/8

雑草句録:霜焼け

■霜焼けの足のかゆさで齢を知る

子供の頃は栄養状態が良くなかったのか霜焼けができた。還暦をすぎる頃にその霜焼けに再会することになった。早めに対策した方が良いと思うが。

追記;WIKIPEDIAでしもやけをしらべた。以下を参照:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%97%E3%82%82%E3%82%84%E3%81%91
それによると、「しもやけは、寒さのために血行が悪くなり生じる炎症のことであり、手、指、足に発症しやすい。また、肌が外気に露出している頬や鼻先や耳たぶもしもやけになりやすい部位である。」とある。また、その要因として、「体質や遺伝も関係するが、しもやけになる大きな要因は一日の気温差と、皮膚表面の温度だといわれている。総じて、気温が5℃前後で昼夜の気温差が大きい時期にしもやけになりやすい。」とある。

そこで、アメダスで今年の10~11月の気温差を調べてみた。(エクセルで最高気温と最低気温の差を求めてグラフにする。)平均気温差は7.8℃。気温差は雨や曇りの日は少ない。逆に晴天の日は気温差が大きくなる。丁度11月に入り晴天で天気が安定してきて、気温差が大きい日が続いてかゆみがでてきたのか。気温が低くなれば、体温も下がろうとして血液の流れも悪くなるのだろが、サラサラ血液に体質改善すればよいのかも知れない。季節の変わり目で、大きな気温変化に身体が馴れるにも若さが必要。老人は老人なりの対策が必要なようだ。年寄りの冷や水というにはそれなりの理由があるようだ。免疫学者の安保徹氏の本によると、低体温になると免疫機能が低下するとの事だ。これも身体が環境変化に追随できなくなる現象なのだろう。

Kionsa

検索で出てきた免疫学者の安保徹氏のホームページ:
http://www.abo-toru.com/
後で覗いてみたい。

2010年11月 7日 (日)

雑草句録:イチジク

2010/11/7

雑草句録:イチジク

■イチジクを食わんとすれば鳥が食い

果樹を狙っているのは病原菌、虫類だけでなく、より高等な動物もいる。動物類は知能が優れているのか人間に先手を打って熟期になって、いざ収穫という時に食べてしまう。仕方なく防鳥ネットで覆う。防鳥ネットをかけても油断できない。場所によるとハクビシンが夜中に防鳥ネットの中に進入して荒らすとの事だ。我が家でイチジクにとって一番怖いのがカミキリムシ。放置すると果樹がやられてしまう。

2010年11月 6日 (土)

雑草句録:変装

2010/11/6

雑草句録:変装

■雨蛙落ち葉の如く変装す

雨蛙が周囲の色に合わせて皮膚の色を変えるのを見ると不思議に思う。そのメカニズムをいつかどこかで読んだように思うが完全に忘れている。もう一度調べてみる。

WIKIPEDIAのニホンアマガエルの項:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8B%E3%83%9B%E3%83%B3%E3%82%A2%E3%83%9E%E3%82%AC%E3%82%A8%E3%83%AB:によると「体色は腹側が白色で、背中側が黄緑色だが、背中側は黒っぽいまだらもようの灰褐色にも変えることができ、保護色の一例としてよく知られる。この色の変化は、まわりの環境、温度、湿度、明るさなどに応じてホルモンを分泌し、皮膚の色素細胞を拡張・伸縮させることによる。」とある。

BIGLOBEなんでも相談室 によると、「カエルの体色変化は,内分泌学では神経内分泌反射といいます。目からの視覚情報(神経)により,脳下垂体中葉からインテルメジン(MSH)等のホルモン(内分泌)が分泌され,黒色素胞等がそれらに反応しまして体色変化を起こします。反射ですから,我々の瞳孔が光の強さで開いたり閉じたりするのと同じです。」とある。

周囲の環境に合わせて自動的に体色が変化するような性質を進化の中で獲得してきたのであろう。ある古老の話では、捕ってきたウシガエルかヒキガエルか忘れたが大型のカエルをバケツに入れた蓋をしておいて、しばらく後で見たら色が変わっていたのでびっくりしたとの事だ。アマガエルだけでなく他のカエルも体色を変えるようだ。

追記:昨日畑の草を片づけているときに出てきた雨蛙は枯れ草色に変わっていた。まだ、完全冬眠はしていないようで、のこのこと動き出してどこかへ消えた。「BIGLOBEなんでも相談室」では、「目からの視覚情報(神経)により」と書いているが、雨蛙が草むらに潜り込んでいる時や冬眠中は眼を開いているのだろうか。ともかく、外界の刺激⇒ホルモン分泌⇒体色細胞⇒体色変化という流れで体色が変わるようだ。体色は、雨蛙が考えて変わるのではなく、生体システムにの機能で自動的に作動するようだ。

2010年11月 5日 (金)

読みかじりの記:二宮尊徳の仕法と仕分

2010/11/5

読みかじりの記:二宮尊徳の仕法と仕分

二宮尊徳という名前にはあまり馴染みがない。二宮金次郎という名前にはあの薪を背負いながら本を読んでいる像と共に馴染みは残る。しかし、戦前とは異なり、二宮金次郎について事細かに教えられたりした記憶もあまりない。学校の校庭の隅に立っていた、二宮金次郎少年の像もいつしか無くなり、台座だけになっていたと思っていたら、いつの間にかその台座の上に二宮金次郎少年の像がまた立っていた。書肆いいだやで閉店直前に買った古本の「二宮尊徳」(岩波新書:奈良本辰也著)を最近拾い読みした。

著者があとがきで尊徳には敬遠したい気持があると書いているが、世間一般もそう思っているように感じる。あの勤勉には勝てないという気持が誰にもあるのだろう。著者は歴史家としてもう一度、二宮尊徳の実像に迫ろうとして本書の執筆をしたようだ。著者は明治期の国定教科書に二宮尊徳を加えた理由として井上哲次郎のことばを引用している。それによれば、二宮尊徳が国民の手本となるモデルとして最も無難であったからである。また、国策として国家に反発することなく、国家的事業を率先して行った手本を示すという面もあったようだ。見方にもよるが、それこそ二宮尊徳の偉大さのたまものだったのかもしれない。国家の教育理念として、農民上がりの一実際家二宮尊徳を中心に据えること自体が当時の日本の実状を示していて痛快に思われる。吉田松陰を候補に上げる人もいたが結局それは実現しなかったとも紹介されている。

著者は二宮尊徳が、祖父、父等と金次郎の関係を歴史的にたどり、二宮尊徳という人間像が形成されるまでを解明して興味深い。なぜ二宮尊徳が多くの農民から慕われるようになったのかという点に関しては、当時の封建社会の知られざる秘密を掴んだからその矛盾の解決ができたのだろうとのべている。その秘密とは自然の法則と人間社会の法則。著者は二宮尊徳に近代社会の萌芽を読みとろうとしているようだ。当時の状況は社会的には江戸幕府も長年の積弊で制度崩壊寸前で、自然面では干魃、浅間山の噴火等の天変地異で農業の不振が続いた。このような大きな問題を解決する方法論を二宮尊徳は実践の中で鍛え上げてきた。これを二宮尊徳は仕法とよんでいたようだ。

今日的に言えば、二宮尊徳の仕法とは社会や財政や民生の再生プログラムであり、巨大な社会プロジェクトであった。二宮尊徳がその仕法を研究したのが今日風には社会再生プロジェクト企画書で、その作成に数年かけている。そのプロジェクトの実際の期間は十年から二、三十年かかるという見積もりの巨大プロジェクトである。このようなプロジェクトに一生をかけた二宮尊徳の姿はあの二宮金次郎少年の像からは想像もできないことであった。

ところが、今日も状況は二宮尊徳が生きた時代に似て、財政だけではなく、社会の基盤となる制度そのものがぎくしゃくして、国民の不信感が募り、目先の問題を処理する為か、パフォーマンスの為か、国を筆頭にあちこちで仕分けが行われている。二宮尊徳が仕法の最初に行うのが人心の安定と人作り。プロジェクトの意義と重要性を理解できなければ誰も従わない。せいぜい面従腹誹で物事はうまく進まない。言葉は似ていても、仕分けは最終的には単に予算という水道栓を出口の前で調整するだけに等しい。井戸を掘り、水路を拓くという再生に必須だが地味な仕事は誰もしようとしない。ここで悲観していても未来はないだろうが...。あの少年二宮金次郎は今でさえ日本中あちこちにいるだろう。彼らは仕法と仕分けのどちらを選ぶだろうか。そんな事を考えるゆとりはないのであろうか。今こそ、第二、第三の二宮尊徳が現れる事を願わざるを得ない。

追記:戦後、破綻した会社を招かれて再生させた名経営者も何人か思い出す。再建を任された経営者にはやはり、何かのオーラがある。そのオーラの源は何か。きっと人を動かす力なのだろうと思うが、力という言葉も抽象概念で、心眼を通さないとその本質は見えない。かつて農民は縄ない、俵編みをいやと言うほどやって来た。二宮金次郎の偉大さはこのような平凡な農民を超えて、人生後半に疲弊した社会・組織の再生を成し遂げた事にあったと今更ながら理解したところだ。また、二宮尊徳の考えに共鳴した多くの後継者・実践者がいることも知った。これが、二宮尊徳という人物が歴史の中で孤立せず、社会的に評価されている点でもあるようだ。

2010年11月 4日 (木)

会社生活断面記:うっとこ

2010/11/4

会社生活断面記:うっとこ

大阪駐在中の勤務先は京橋営業所。別の部門から大阪駐在になり、この営業所で面識を得た技術者がいた。彼氏がよく使う言葉に、「うっとこ」という言葉があり、頻繁に口から出てきた。話の流れから大体の意味は分かるのだが、改めてその意味を聞くのも気が引けてついつい今日まで至ってしまった。

インターネットで調べると、京ことばで「私のところ、わたしの家、*うちとこ=うっとこ」という意味だそうだ。和歌山弁でも「私の家、組織」という意味だそうだ。関東ではわざわざ「とこ」を付けずに「うち」で通じる。それが「うちのとこ」というような言い回しになると、どうもマダルッコイ感じになってしまうので、それはどういう意味かと思ってしまう。彼氏は大阪人のようなので、近畿地方では「うっとこ」は大体通用しているようだ。

関東と関西では語法に微妙な違いがあるようだ。関東ではずばり言いたいことを言ってしまう傾向が強いように感じる。ところで日本語の「うち」には「家」と「内」の両方の意味があるようで、自分の所属している組織を「うち」という場合も多い。日本人同士ならばこの「うち」は何とか通じるが、欧米人との意志疎通では自分の家と自分の所属する組織は別々の表現にしないと通用しないのではないかと思った。

追記1:日本人は組織への帰属意識が強いのだろうか。その組織の最も基本的な原型が家族だろう。そこでは「家」と「内」は同じような物。「うち」にいれば、気心が知れているので気ままが許され、くつろげる。「そと」に出れば何かと制約等が多い。現役を引退して不便に感じるのが、名刺に記入するような肩書きが無いこと。肩書きは所属意識を代弁してくれる便利なツールだ。日本人は名刺好きのようであるが、ビジネスで会った外国人も名刺は必携でのようだが、外国人の組織への帰属意識はどうなのだろうか。欧米では、有能な技術者は、より待遇の良い条件を求めて転職するのが一般的。職場以外のコミュニティがしっかりしているのだろうか。

追記2:アメリカの中間選挙の結果が判明した。下院は共和党が過半数の議席を奪還。上院は辛うじて民主党が過半数を維持した。今回の中間選挙は歴史的な与党の大敗となるようだ。上下院で与野党が相対するのは日本と同じねじれ現象。ここまで接近するのはやはり、二大勢力共に決め手がないのが原因なのか。経済、国力の低下がそのマグマとしてあるのだろう。今後、世界はどのように動くのか。

2010年11月 3日 (水)

会社生活断面記:大阪の心(不思議地蔵)

2010/11/3

会社生活断面記:大阪の心(不思議地蔵)

大阪駐在を命じられて、泥縄式に<大阪学>に飛びついたような記憶がある。もう十数年前の事なのだが、その流れを汲んだのか群馬県でも県立女子大が<群馬学>の研究に乗り出そうとしているようだ。地域学というのは地域の特異性だけでは説明がつかないで、やはり歴史に踏み込む必要があるようだ。

駐在中に気になっていた駅前の祠のことがふと思い出された。大阪の会社の工場敷地内にも赤い鳥居がありお稲荷さんか何かが祀ってあるのには驚いた。確か、1986年に竣工された大阪ツインタワーの周辺施設にも赤い鳥居があったような記憶がある。この大阪ツインタワーで出張の待合いの時間に見たと思う。民家の屋敷内部にも小さな祠があるのを見た。そこに灯明が点っているので、やはり神仏が大阪人の生活の中にあるような感じがした。

その代表例が、大阪のあるJR駅前の小さなスペースに祭られていた祠であり、いつも線香の煙が漂っていたことも懐かしく思い出した。駐在の社宅の行き来に使う駅なのでその光景は何回も見ていたのだが、ついに手を合わせることは無かった。最近、インターネットで調べると、それが不思議地蔵と呼ばれて、地元の人に親しまれている事が分かった。

その紹介文は「不思議地蔵とは、何でも願い事が叶うところから名づけられたらしい。由来記によると、昭和二十七年に地元の女性の熱意で、天王寺の六大院から分身の付与をうけてこの地に奉られたとある。」と伝えている。確かに、それ程古いとは言えないかも知れないが、それが毎日大勢の人が通行する駅の一角にあるのだから上州人には不思議な光景に見えてしまったのである。「何でも願い事が叶うところから」といっても、いきなり大きな願い事ではなく、日々の小さな願い事が叶うように願っているから生活の中にそれが生きてくるのであろうか。大阪は商人の町であり、お上を信じるより、神仏を信じた方が合理的であったのだろうか。上州では神仏が生活のなかにあるのだろうかとふと思った。

2010年11月 2日 (火)

雑草句録:夕焼

2010/11/2

雑草句録:夕焼

■夕焼けてアマランサスの種子を吹く

アマランサスもいよいよ精製段階に入った時の句。大方、荒っぽいごみを除いた後で細かな軽いごみを息をかけて吹き飛ばしている光景で、超原始的である。これを人生夕焼け頃のおじさんが一所懸命にやっていると我ながら滑稽に思ってしまう。

2010年11月 1日 (月)

雑草句録:立冬

2010/11/1

雑草句録:風

■立冬やバケツコロコロ風が吹く

季節風が強く吹着始める頃の句。日常の光景かも知れない。しかし、その日常の一こまを句に切り取ることは意外に難しい。どうでも良いこととして頭脳は記憶しようとしないのではないか。

追記:WIKIPEDIAによれば、「立冬(りっとう)は、二十四節気の1つ。または、この日から小雪までの期間。一般的な定気法では、太陽黄経が225度のときで11月7日ごろ。恒気法では、冬至から319日目で11月6日ごろ。」とある。年月がめぐり、もうじき今年の立冬がやってくる。自分としては、初霜がいつ降りるかが関心の的。十一月の初旬から中旬にかけて初霜があり、これで青葉が枯れる物が多く、秋から冬の景色に変わって行く。作物も越冬の準備が必要になる。

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    初心者向け柿栽培参考書(旧版)。新版と比較すると楽しい。
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    細胞はどんな部品からできているのか。そんな疑問に答えてくれる一冊。何事も形を見るのが第一歩。μからÅオーダーの世界で、細胞をメスで解剖するように、電子顕微鏡というメスで解剖して見せてくれるので興味が尽きない。
  • 柳田充弘: 11_細胞から生命が見える
    著者の専門は分子生物学、細胞生物学。普段生物を考えても細胞レベルで止まってしまう。その細胞の中で色々な分子が働いている。細胞こそ生命の基礎だが、その細胞の中の動きを知るのに最適な一冊。疑問の発端はなぜ発根剤が効くのかということ。薬剤が細胞膜を通過して細胞内で分子と分子が作用するイメージができた。本書でできた細胞のイメージは小さな無数の穴が空いた水分が充満したヨーヨーのようなもの。そのヨーヨーの中に分子部品が詰まっている。細胞自体もタライの中のヨーヨーのように浮かんでいる。細胞図面の空白部は真空でなく水分だ。細胞の内外に水がないと細胞は生きられない。水が生命のゆりかごだ!
  • 野口悠紀雄: 10_ホームページにオフィスを作る(2001年 光文社)
    ITが輝いた時代の作品。HPの活用法は参考になる。参考:url=http://www.noguchi.co.jp/(野口悠紀雄 ONLINE)
  • 小池洋男 編著: 09_果樹の接ぎ木・さし木・とり木(農文協:2007/3/31第1刷)
    やや専門的であるが、実務専門化が分担執筆しており、その場で役に立つ一冊。
  • ノーバート・ウィーナー(鎮目恭夫訳): 08_サイバネティックスはいかにして生まれたか(みすず書房1956)
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    2010/8/4:MEMO等の表示に使える。 農作業で気になる自戒の言葉 ■畑の石ころはいつまで経ってもても石ころ(早く拾って片づけよという意味か)。 ■同じ石を二度拾うな(やってみると難しい)。 ■手ぶらで歩くな。 ■三つ先のことを読め。 ■適当な観察。 ■空を見よ(気分転換、休憩、天気を読む、腰曲がり防止)