2009年1月19日 (月)

女性上司

2009/1/19

女性上司

冷戦の時代に共産圏の国であるポーランドに技術供与する仕事があった。自分は末端の一

担当者に過ぎなかったので、仕事の技術面の説明をさせられた。日本語とポーランド語の通

訳もいなかったので、英語でやりとりすることになった。どちらからから見ても英語は外国語

であったので、意志疎通にはかなり手間取った。時には黒板を使い筆談、身振り手振りを交

えて何とかのりきった。当時、共産圏の国では女性の職場進出が進んでいると言われてい

た。紹介されたとき、女性がマネジャーで、男性技術者が部下であった。これには内心びっり

した。女性の上司を持った男性技術者はやりにくいだろうと思った。今日、男女共同参画とか

で女性の職場進出が進められているようだが、当時でもポーランドでは女性の科学技術分

野への進出は相当進んでいたのであろう。マリー・キュウリーはポーランド生まれフランスの

女性物理学者・化学者。女性数学者ソフィア・コワレフスカヤの父方の祖父がポーランド人等

ポーランドに縁のある著名な女性学者がいる。ちなみに、日本の女性医師の割合は20%未

満。女性研究者の割合は日本11.6%、ポーランド38.1%。出典は下記ホームページ。(http://www.kunikoinoguchi.jp/katsudou/pdf/190609_shiryou.pdf

女性を人的資源と見た場合、日本はその能力活用でまだまだ後進国であるようだ。ともかく

女性の社会進出が進めば多数の男性が女性の上司を持つことになる。やりにくいというよう

な事態では無くなる。

2009年1月18日 (日)

子供駅伝大会で優勝

2009/1/18

子供駅伝大会で優勝

運動の得意でない自分が子供駅伝の選手になって優勝した体験は忘れがたい。自分以外

の駿足の選手が平均値を引き上げてくれたのははっきりしているのであるが、まさか優勝す

るとは予想していなかったのであるから嬉しさは格別であった。当時、子供会という正式の組

織があったのか不明であるが、駅伝の練習などの世話をしてきたおじさんが、今日は優勝し

たので、うまい物を食べさせてやると言って大会の帰りにそば屋に連れていってくれた。何が

出てくるかとわくわくしていたが、ネギナンであった。ともかく、ネギナンとは初めて聞いて初め

て食べた。そもそも、そば屋など入った事がなかった。駅伝の練習は世話のおじさんが自転

車で伴走してくれた。冬の夕方頃の時間である。練習が終わると近くの商店で砂糖湯を飲ま

せてくれた。寒さの中の練習で疲れ、暖かい砂糖湯を飲むのは大変なご馳走であった。こん

んな時代であったから、ネギナンはとびきりのご馳走であった。ともかく、駅伝で優勝するか

否かに関係なく、ボランティアとして子供の世話をしてくれた人がいてくれた事を有り難く思う。

2009年1月17日 (土)

小学校の体罰

2009/1/17

小学校の体罰

本日、阪神淡路大震災14年目を迎えた。入院中の父は関西地方の戦友の消息が気になり

母が必死に連絡をとった。ようやく無事が確認されてほっと一息ついた。その戦友は帝国大

学卒業。父は尋常小学校卒業。天と地の差である。しかし、戦場では学歴の差もなく、同じ釜

の飯を食った戦友の結びつきは強かった。とりわけ、その戦友は戦場で片足を失ったが、そ

れを苦とせず会社の社長まで上り詰めても、ずっと同じ戦友としてのつき合いをしてくれた事

に誇りを持っていた。軍隊という組織の中にあって、戦友とは同じ運命を背負った仲間であ

り、苦楽を共にした体験が戦後も固いつき合い続けた要因であったであろう。

学校の体罰に関しては色々議論がある。教育と言えども、最初は教育ができる状態を作る

必要がある。言葉で生徒を指導できればそれに越したことはないだろう。言葉だけではどうし

てもうまく進まない時に体罰が使われるのであろう。叱ると尻を叩くは教育以前のしつけの問

題かもしれない。体罰はあくまでも不適切な行動の矯正手段であろう。従って、教育の段階で

は叱ると尻を叩くから、諭すと正すという手段を中心にするのが妥当なのかもしれない。これ

を本気で実行するとなると大変根気と手間のかかる仕事になる。自分の小学生時代を振り

返ってみて、殴られたりする暴力的な体罰を受けた記憶はない。宿題を忘れたり、質問に答

えられない時は立たされた事があった。廊下でボール遊びをして窓ガラスを割って叱られた

時もあった。いたずらをした時は罰はもう少し厳しくなり、水の入ったバケツを下げて立たされ

たり、拭き掃除をさせられた。結果論からいえば、自分もなぜそうさせられたか分かったの

で、先生を恨んだり、先生に感謝することもなかった。今から思うと諭すと正すという範囲で寛

大な処置であったかもしれない。場合によれば拳骨の一つ二つはもらう可能性があった。敗

戦直後の教育環境の中で体罰への反省や抑制意識もあったかもしれない。

2009年1月16日 (金)

船流し

2009/1/16

船流し

学校通りに沿ってコンクリートの側溝があり、船流しをして遊びながら学校へ行った。小学生

の頃であった。流したのはどこにもある、木片の類である。友達数名で流れる早さを競った。

ゴミなどに阻止されて船が止まってしまうと石を投げつけて動かす。ともかく木片一つで片道

の通学時間の間遊べたのである。今日側溝はコンクリートのふたでふさがれておりそこに水

が流れているのも気付かないのではないか。最近、水利の仕事をして知ったのであるがこの

側溝は防火用水も兼ねており、灌漑用の用水路から取水して通年水を流しているとのことで

あった。

2009年1月15日 (木)

INVISIBLE MAN

20009/1/15

INVISIBLE MAN

もうじきOBAMA大統領が誕生する。アメリカの歴史が大きく変わろうとしている。アメリカとい

う大きなるつぼの中で沸々と煮えたぎっているのは何か。大学の英語の講義の教科書が

INVISIBLE MANという小説であった。タイトルは辛うじて思い出したのだが、中身の詳細は

ほとんど覚えていない。何か、暗い、陰鬱なイメージのみが残っていた。辞書にも載っていな

いスラングが多く出てきた。どうして、こんな内容の小説を教材に使うのかとも思った。しか

し、本当の文学とはこういうものかとも思った。黒人が自分の存在を訴え叫んでいることは伝

わってきた。「INVISIBLE MAN」を素直に訳せば「見えない人間」ということであろう。正式な

題名は「Invisible Man 」のようだ。タイトルに著者の思いが込められている。末尾の文献で記

憶を新たにしつつ、当時の事を振り返えった。本は薄く小さなものだった。しかし、進むのは

遅かったように思う。難解であった。最後まで終わったのかも定かでない。本が出版されて1

0数年後のことなので当時から見れば新しい現代黒人文学であったろう。先生がこの作品を

工学部の英語の講義テキストに選んだのもそれなりの判断があったのだろうと今になって思

う。それこそ、人間はパンのみに生きるにあらずという箴言に通じるところもあったろう。君た

ちがこういう作品に二度と出会うことはないかもしれない。今になって先生の気持ちを推察す

る。先生自身はこの作品の意義をもっと深いところで理解していたことでろう。「Invisible

Man 」は白人から見れば自分たちは見えない人間に過ぎないが、そのような人種差別を見

えない人間である自分を通して表現して行く作品であったようだ。今日アメリカの歴史は意外

に早く回転し始めたように感じられる。あの大きなるつぼから発酵して生み出されてくるもの

は何か。受験英語で疲れ果てお義理で受講した英語の講義であった。気合いが入っていな

かったのがよかったのか。先生も生徒に余り期待することがなかったのがよかったのか。

「Invisible Man 」に遭遇し、その記憶がよみがえった。今まさに、「Invisible Man 」が

「Visible Man 」に変身しつつあるのであろうか。

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総合政策研究(Journal of Policy Studies)No.18 総合政策学部開設10周年記念号

マーク N. ベル Mark N. Bell
関西学院大学 総合政策学部 外国人常勤講師 (2004年11月1日現在)
Associate Lecturer of English, School of Policy Studies, Kwansei Gakuin University (as of November 1, 2004)

Title Racism and Redemption(解放): Wisdom from Invisible Man 
Abstract

Invisible Man (1952), by the African-American writer Ralph Ellison (1914-1994), is one of the most remarkable novels of the twentieth century. Ellison, by giving us an aesthetic (審美的な)vision of America’s misadventure (不運、災難)in race relations, opens us up to see it in a new way and perhaps to consider more deeply some of its more difficult realities, the wholesale (大規模)subjugation(征服) of an entire group who arrived with some of the first settlers to Jamestown, Virginia (early seventeenth century). Through Ellison’s aesthetic we can also see more clearly some of the sources of racism.

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2009年1月14日 (水)

牛の鼻取り。20090114。

2009/1/14

牛の鼻取り

農業の世界に動力機が入ってきたのは革命的な進歩であったと思う。それ以前はすべて人

力か家畜の力に頼っていた。稲作の田植えの前には田を耕す必要がある。この作業を

いう農具を牛にひかせる事により行った。牛の鼻には10㎝位の真鍮製の輪がはめられてお

り、この輪に麻の綱を結び、更に竹の棒を取り付ける。この綱と棒を使って牛を耕したい方

向に誘導するのである。これは、主として子供の仕事であり、牛の鼻取りと言った。が通る

と土が片側に寄せられるので、牛の向きが逆転するときに鍬の刃の向きを変更する必要が

ある。これは牛の鼻取りよりも技術と体力が必要であった。最初の頃は父が鍬の運転、自分

が鼻取りという組み合わせであった。大きくなってからは、弟が鼻取り、自分が鍬の運転とい

う組み合わせになった。その後は耕耘機が入り、畜力による耕耘もなくなった。農耕用の牛

は黒の和牛であった。農家は牛も飼っていたのだが、機械化になり牛もいなくなった。馬力で

表すと人間は0.25馬力位、小型耕耘機で数馬力、トラクターで10~数十馬力程度。持続

可能な農業を考えると動力機は化石燃料を消費続けるので、家畜の有用性はある筈だ。し

かし、総合的な評価は不明である。価値観を変えない限り元には戻らないだろう。

追記(2020/05/17):タイトルに投稿期日を挿入。アクセスランキング二位入った。10年以上前の記事を読んでくれる人がいたのだ。読者に感謝。読者の年齢層を想像する。それも記事を書いたおまけのようで楽しい。先日、我が家の田んぼを見ると綺麗に耕耘されていた。跡取り息子がサラリーマンになり農業をしなかったので、父は稲作を諦め田んぼの耕作をトラクターを所有している農家に委託した。それが正解だったと思うが、どこか寂しげであった。牛の鼻取りをしたのは小学生の頃だったろう。田植えはまさに人海戦術であった。毎年、新潟地方の人が出稼ぎで田植えを応援してくれた。その応援部隊が来る前に田植えの準備を済ませておく必要があった。この記事では鋤(すき)と鍬(くわ)を混同している。牛の鼻取り、鋤の運転、歩行型の耕耘機の運転までは何とかこなせた。将来必要になるだろうと中古の旧型トラクターを買ったが一度も使った事が無い。馬力のある農機事故で死ぬ人がいるのだ。水田に水を引かず耕起してから田植え前に水を引き、もう一度代掻きという作業を行う。農具は鋤から鉄の刃が付いた大きな櫛のような物に変える。名前は忘れた。調べたら馬鍬(まぐわ・まんが)というらし。代掻きが終わると、植え易いように束ねた苗を田んぼに散らした。これも子供の仕事だった。当地区では6月頃から田植えが始まる。これは水利と気候との関係があるようだ。溜池、用水路の管理も必要だ。昔の用水路は土の堀だったので大変だった。現在は三面コンクリートになって楽になったが、共同作業で後継者がいない農家は生涯現役を想定せざるを得ない。2020年5月17日(日)のアクセスランキングを以下に貼り付けておく。

Googleでキーワード「代掻き 農具 牛馬」を画像検索(https://www.google.co.jp/search?q=%E4%BB%A3%E6%8E%BB%E3%81%8D%E3%80%80%E8%BE%B2%E5%85%B7%E3%80%80%E7%89%9B%E9%A6%AC&hl=ja&source=lnms&tbm=isch&sa=X&ved=)。

2020年5月17日(日)

2009年1月13日 (火)

「赤土への執念」を読んで

2009/1/13

「赤土への執念」を読んで

2008年大晦日に古本市で出会った本が、相沢忠洋(1926年6月21日 - 1989年5月22日)

著「赤土への執念」であった。早速読ませて頂いた。遠い過去の遺物が何を語っているの

か。それを語ってくれるものを必死に求めた。その思いを「赤土への執念」という本のタイトル

に込めたのであろう。同時に次ぎに何を探求するかを示している。旧石器時代の人骨。残る

可能性は極めて小さいがゼロではない。発見されることを待っている旧石器時代の人骨がど

こかに眠っているかもしれない。ともかく、夢をみるのも個性である。その夢を語ってようやく

現実的な意識の対象になる。石器はそれを使った人類がいたという間接的な証拠である。石

器と人骨が揃って出土すればそれこそ大発見であろう。考古学の世界に捏造事件が発覚し

て考古学の氷河期が来た。捏造は他の世界にも及んだ。功をあせる必要はない。遠い古代

の姿を想像し胸をときめかせるのは誰にも自由なのである。科学が進んだ現在人骨に代わ

る証拠を探す可能性は皆無なのであろうか。ともかく不確かな過去の事を考え始めると際限

が無くなる。今年は相沢忠洋氏没後20年となるようだ。同氏の夢を誰かがかなえる時は皆

無ではないだろう。情熱と執念がそれを可能にするのであろう。

2009年1月12日 (月)

とっかん屋

2009/1/12

とっかん屋

幼少の頃、ポップコーンを作るとっかん屋が回ってきた。どうして、ポップコーンができるのか

不思議なのだが、ドカンーという音がするのでとっかん屋と呼んだようだ。鋼鉄のがっちりした

円筒形の容器にトウモロコシの実をいれて容器を回転しながら火であぶる。ポップコーンにな

る頃を見計らって、容器の出口を金網の筒に向けて一気に開くときにドカンーという音ととも

にポップコーンが飛び出してくる。容器はハンドルを持って回転させるのだが、ポップコーン

がもらえるので子供達が手伝った。とっかん屋はポップコーンの加工賃をもらう商売であった

ようだが、商売という点に関しては何の記憶もない。米でも同じような加工をしたらしい。甘み

は人工甘味料のサッカリンを使ったのではないかと思う。砂糖も菓子も高価で、自宅にある

材料を加工してもらった方が割安だったので、このような商売が成り立ったのであろう。生活

が豊かになるととっかん屋も来なくなった。

2009年1月11日 (日)

砂漠は生きている

2009/1/11

砂漠は生きている

自分が見た最初の映画は何であったろうかと振り返った事がっあた。屋外に

スクリーンを張って、チカチカとフィルムの傷が目立った白黒の映画を見たよう

な気もする。夏の夜の映画鑑賞会であったかもしれない。小学校で初めて見

た映画「砂漠は生きている」という記録映画であったように思う。調べてみると

W.ディズニーのカラー記録映画で日本初公開は1955年1月とあった。市内に

は映画館が数軒あって、その中の外国映画を扱っていた映画館へ授業の一

環とし出かけたものと思う。確かに、サボテンの花が開く様子をスローモーショ

ンで見せたり、自然の驚異を色々教えてくれたようだ。映画のタイトルだけは

忘れずに覚えていた。しかし、W.ディズニーの作品であったとは初めて知っ

た。W.ディズニーというと作品のキャラクターを最大限に利用した映画会社と

いう印象があったが、この「砂漠は生きている」という映画はW.ディズニーとい

う映画会社のなかでどのような位置づけであったのだろうか。

2009年1月10日 (土)

赤点のトランジスタの講義

2009/1/10

赤点のトランジスタの講義

電気製品を作るとき色々な部品を使う。その中で、電気が通る部品を特に電気部品という。

ところが、電気現象が電子の動きによる事が分かって来たので究極的には電子の動きから

電気現象が説明されることになる。電子が動き回って色々な仕事をするわけだ。その動き回

る道路網が電子回路ということになる。電流、電圧、電界、磁界というような概念で構成され

るような学問の分野が電気工学であり、電子の動きをうまく使っていこうとする学問が電子工

学である。自分が工学の中で、電気工学科を選んだのは、電気に興味があったことに加え

て、これなら飯を食っていけるのではないかという期待もあった。ところが、戦後になって世の

中が大きく動いた。情報化時代の到来と言って良いであろう。これを支えたのが、電気部品

ならぬ、電子部品のトランジスタであったのである。この講義を担当されたのがA教授という

ユニークな先生であった。講義の本題以外にも色々な話をしてくれた。ついつい、自分も本題

以外の方に関心が移り、トランジスタの講義の成績が芳しくなく、追試を受けるはめになって

しまった。自分としては、就職した場合は、モーターや冷蔵庫の類の、即ち専攻の電気工学

が対象とする分野の仕事をすることになるだろうと漠然と考えていた。ところが、就職して配

属されたのがトランジスタ等の部品を製造する半導体部門であった。電気工学科を卒業した

が、卒業研究はエサキダイオードの応用に関するものであり、この研究室は後の電子工学

科の前身となった。エサキダイオードはトンネルダイオードとも言われ、量子物理学のトンネ

ル現象の存在を直接証明した電子デバイスであり、発明者の江崎玲於奈博士はノーベル物

理学賞を受けた。エサキダイオードは電子の動きがトンネル現象に従って起こるという当時

の常識では説明できない不思議な特性をもっていた。いわゆる、駱駝のコブという負性抵抗

をもつ特性曲線も卒研で自分で測定した。しかし、その特性は完全に理論的に説明された製

品の特性であった。問題は玉石混交の実験室の現場で本物を発見する事である。江崎博士

は試作したダイオードの特性を助手にさせたのだが、「もしや?!」というひらめきが無かっ

たらノーベル賞と無縁であったかもしれない。ともかく、当時の最先端の電子デバイスに関す

る研究ができたのは幸いであった。そうして、辛うじて単位をとったトランジスタで飯を食えた

というのも良き師、仕事、時代に巡り会えた縁であったかもしれない。

2009年1月 9日 (金)

都電最後の路面電車

2009/1/9

都電最後の路面電車

東京に行くようになったのは大学の専門課程に入ってからである。目的地は神田と秋葉原で

あった。神田は書店街、秋葉原は電気街を足早に巡った。ともかく、時間と金はほとんどなか

った。一日で両方の商店街を回るのでじっくり物色するゆとりもない。丁度、井戸の中の蛙が

、井戸を抜け出してあたりをキョロキョロ見回しているような姿であったようだ。しかし、このパ

ターンは結局現在も変わっていない。当時は秋葉原の中央通りには路面電車が走ってい

た。WIKIPEDIAによると1972年までには都電の路面電車はほとんど廃止されている。自分

が見ていた路面電車もまさに消え去ろうとしていたのであった。残念であったが都電の路面

電車には乗り損なった。世界不況で自動車産業も大きな打撃を受けている。車が売れないと

いう事は末端の利用者が車を買っていない事である。家を買っても金が払えない、その余波

が車にも及んでいる。環境とスローライフの哲学が21世紀のライフスタイルになった場合、

車の位置づけはどうなるのであろうか。路面電車の復活の時はあるのか。ともかく、ガソリン

自動車が走っている限り、化石燃料が発生するCO2は増加し続ける。

2009年1月 8日 (木)

最初の日米間テレビ衛星中継:090108。

最初の日米間テレビ衛星中継(改題):技術 回顧と展望:老人の寝言:フェイクとファクトの情報戦争;勝負年 勝ち栗貰い 運任せ。180109。=再編集記事へのリンク

追記(2018/01/17):タイトルに日付追加

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2009年1月 8日 (木)
2009/1/8

最初の日米間テレビ衛星中継

ケネディ大統領は1963年11月22日に暗殺された。その暗殺のニュースは、日米間の初の

人工衛星によるテレビの中継実験を通して伝えられた。全く予想されていなかった大事件が

テレビ画像で瞬時に報道された事に衝撃を受けたのであった。このニュースの中継にあたっ

たのがKDD茨城宇宙通信実験所で、1963年(昭和38年)11月20日に開設された。実験が

即実用ということになり、あの巨大なパラボラアンテナの存在意義が実証された。ところが、

当時はなぜあのように巨大なパラボラアンテナが必要なのかは自分には理解出来なかっ

た。大学生になり、無線通信工学等を学び、技術者としてテレビ用の用集積回路の開発に従

事してから、S/N比という概念に親しむようになってようやく理解できた。即ちS/N比とは画像

の質の善し悪しを計る尺度であった。商用の通信は画像の質を保証する必要があるのであ

る。当然、市販されるテレビもある水準の画質を保証する必要があり、そのためにはより性

能の高い集積回路が要求されたのであった。S/N比が低い時、即ちN:ノイズが大きい時の

画像にはちらちらと見苦しい点々がが現れて、ついには画像はノイズにかき消されてしまう。

ケネディ大統領暗殺の真相は未だに謎である。S/N比で考えるとS(信号)が少ないと言える

のか。封印されたと言われる情報に興味が湧く。技術分野では信号の質の尺度としてノイズ

の外に歪み(DISTORTION)というものもある。雑音も歪みも自然に発生したり、意識的に加

除修正されたりするので問題が複雑になる。雑音や歪みの混じる信号から本物の信号を選

び出すのが大変な時代になった。

2009年1月 6日 (火)

中江藤樹の母

2009/1/6

中江藤樹の母

多分、絵本で読んだのだろう。雪の降る中、若き藤樹は母を思い家に帰る。しかし、藤樹の

母は、一度学問を志し家を出たのだから、その志を遂げるまで家に帰ってはならぬと藤樹を

泣く泣く押し返したという話を絵にしたものだったようだ。孟母三遷のたとえも同じような意義

があるだろう。母が子供の成長にあたえる影響である。こういう逸話は結果が先に生まれて

から生まれてきたのかもしれない。さすが、立派な人物の母は立派であった、いや立派でな

ければならなかったいうべきか。自分の志がくじけそうになった時こういう話を思い出すと励

みになるかもしれない。記憶の片隅にこの絵本の事が残っているのは、それなりの意義があ

ったのだろう。しかし、かなうことならば藤樹や孟子に自分の母の事を語ってもらいたい気も

する。ついでに藤樹や孟子の母に自分の息子の事を語ってもらいたい。子供の動機付けに

関して母親の影響は相当に大きいことに昔も今も変わりはないであろうが。歴史には不案内

であるが、中江藤樹は陽明学者で私塾藤樹書院を開いた民間の教育者であった。また、幕

末の尊皇攘夷運動は陽明学に影響を受けているとのことである。江戸幕府が終焉して、明

治維新を迎え、近代化社会として今日に至っているわけであるが、その流れの源流にこうい

う人がいたのであろう。高等学校 学習指導要領 社会科編 昭和31年度改訂版によると、高

校の社会科は社会・日本史・世界史・人文地理の4科目をもって再構成された。社会を含め

全員に3科目履修させた。今、振り返ると自分は高校の日本史を選択から外していた訳であ

る。日本史は、その気になればいつでも出来るであろうという意識もあった。しかし、社会に

出て学生という身分がいかに貴重であったかに気付くわけだ。目先のことしかできない。よう

やく、時間的なゆとりがとれるようになり、やり残した空白を埋めてみたい思いがする。

2009年1月 5日 (月)

最初のフィクション

2009/1/5

最初のフィクション

読み書きの勉強は小学校に入学してから始まった。授業の中に作文があり、鉄砲撃ちの後

について行った時の事を作文に書いた。鉄砲撃ちは近所のお兄さんで空気銃を持っており

電線にとまっているスズメなどを打ち落としていた。作文では自分が騒いでそのスズメを逃が

してやったことにした。この作文の事を覚えているのは事実と異なる最初のフィクションであ

り、ちょっと気になる事でもあったからである。作り事を書いてしまったからである。しかし、こ

の作り事がなければ、平凡なつまらない作文で終わったかも知れない。小学1~2年生頃の

記憶である。こういう、作り事を書いてしまったことを覚えているのは、嘘をいうと閻魔様にべ

ろを抜かれるよと教えられており、うらめしい気持ちがあったからだろう。今思うと、嘘と言う

より、最初のフィクションと言ってよいのかも知れない。郷土史の研究家に、あることの歴史

はその中心より、その周辺により正確に残っている場合が多いと聞いた事がある。偏りとい

うのは必ずつきまとうものなのであろう。100%正しいことはないかもしれないが、数%正しい

ことでも歴史を知ろうとする時は大切だ。その数%が次の行動の手がかりになる。

2009年1月 4日 (日)

家庭教師の体験

2009/1/4

家庭教師の体験

学生になると、講義の選択等により少し時間的な余裕ができた。友達の紹介、地縁等でアル

バイトの家庭教師を行った。自分は学習塾にも通えず、家庭教師を付けて貰うことなどは全く

の夢であった。家庭教師という仕事が自分の境遇から見るとなんとなくしっくりしなかったが、

これも一つの縁と思い引き受けた。受験前の数人の生徒に教えたのは学習塾に近かったよ

うだ。学習塾に行っていなかった生徒も受験直前は対策が必要だ。そういう家庭から頼まれ

た。もう誰を教えたか等細かい事は覚えていない。教え子の親からその節はお世話になりま

したと言われて頭を掻いたこともある。ともかく人間にとって学ぶ事は一生の仕事である。

ある人の前には色々な人が通り過ぎて行くであろう。教育という場は丁度、ある人の人生

と他の人の人生が交わる交差点のようなものであるかもしれない。教育の場では必然的に

質問と回答が飛び交う。単なる暗記と受験技術では収まらない。教育とは何か。結論は唯一

ではなさそうだ。まともな判断力が身につけば良いとも思われる。そう思うと家庭教師の体

験も見えないところで自分の役に立っていると感じる。それにしても、松下村塾の事等を思う

と学ぶことの本当の意味がわかるような気がする。学ぶことも、教えることも外から押しつけ

れるものではない。そのような、自分が自分の意志で学ぶ、教えるという確固たる自覚があ

れば自ずから成果が出てくるのではないか。

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やさしい科学・SCIENCE

  • 日経サイエンスのウェブページ
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  • SCIENCE IS FUN in the Lab of Shakhashiri
    University of Wisconsin-Madison Chemistry Professor Bassam Z. Shakhashiri のサイト

みかん栽培関係情報

公開資料

ISESAKI  有情1

嗚呼 伊勢崎 非情

BOOKS

  • 橋本 英文: 刃物雑学事典 図解・刃物のすべて(1986年 株式会社 講談社 ブルーバックス B-659)
    刃物という視点で多くの事例が取り上げられている。刃のある道具の理解にも役立つ。類書が少なく貴重な一冊。「すべり変形が切断の原理」という考え方で説明している。
  • 沼田 真   : 植物たちの生( 1972年 岩波新書(青版 833))
    「ご要望にお応えしてアンコール復刊(1988年岩波新書50年記念復刊) 地球生態系の中で自然を見直す」(腰巻きのフレーズ)。植物の知恵と戦略に人類は勝てるのか。
  • 出町 誠: 14_NHK趣味の園芸:よく分かる栽培12ヶ月  カキ(NHK出版2007年)
    初心者向け柿栽培参考書(新版)。旧版と比較すると楽しい。
  • 中村三夫: 13_NHK趣味の園芸:作業12ヶ月  カキ(NHK出版1996年)
    初心者向け柿栽培参考書(旧版)。新版と比較すると楽しい。
  • 山科正平: 12_細胞を読む   電子顕微鏡で見る生命の姿
    細胞はどんな部品からできているのか。そんな疑問に答えてくれる一冊。何事も形を見るのが第一歩。μからÅオーダーの世界で、細胞をメスで解剖するように、電子顕微鏡というメスで解剖して見せてくれるので興味が尽きない。
  • 柳田充弘: 11_細胞から生命が見える
    著者の専門は分子生物学、細胞生物学。普段生物を考えても細胞レベルで止まってしまう。その細胞の中で色々な分子が働いている。細胞こそ生命の基礎だが、その細胞の中の動きを知るのに最適な一冊。疑問の発端はなぜ発根剤が効くのかということ。薬剤が細胞膜を通過して細胞内で分子と分子が作用するイメージができた。本書でできた細胞のイメージは小さな無数の穴が空いた水分が充満したヨーヨーのようなもの。そのヨーヨーの中に分子部品が詰まっている。細胞自体もタライの中のヨーヨーのように浮かんでいる。細胞図面の空白部は真空でなく水分だ。細胞の内外に水がないと細胞は生きられない。水が生命のゆりかごだ!
  • 野口悠紀雄: 10_ホームページにオフィスを作る(2001年 光文社)
    ITが輝いた時代の作品。HPの活用法は参考になる。参考:url=http://www.noguchi.co.jp/(野口悠紀雄 ONLINE)
  • 小池洋男 編著: 09_果樹の接ぎ木・さし木・とり木(農文協:2007/3/31第1刷)
    やや専門的であるが、実務専門化が分担執筆しており、その場で役に立つ一冊。
  • ノーバート・ウィーナー(鎮目恭夫訳): 08_サイバネティックスはいかにして生まれたか(みすず書房1956)
    情報と通信という現代社会に不可欠の基礎的な学問を作った著者の自伝とそれを通した科学史
  • 沼田 真(編): 07_雑草の科学(研成社1979)
    雑草を多面的に解説し防除の基礎も述べる

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    POST IT :ブログ画面への張り紙に使える。
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    2010/8/4:MEMO等の表示に使える。 農作業で気になる自戒の言葉 ■畑の石ころはいつまで経ってもても石ころ(早く拾って片づけよという意味か)。 ■同じ石を二度拾うな(やってみると難しい)。 ■手ぶらで歩くな。 ■三つ先のことを読め。 ■適当な観察。 ■空を見よ(気分転換、休憩、天気を読む、腰曲がり防止)