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2011年6月20日 (月)

読みかじりの記:21世紀はこうなる 1990年版 編集人 竹内均 1990年 株式会社 教育社)

2011/6/19
昨日は午後少し晴れ間。大体曇り。延期になっていた町内の草刈や清掃に出た。畑の隅にカタバミが咲いていた。熟した実を入れた鞘が乾いている時に指で触ると鞘が裂けて種子を放出する。子供の頃はこれで遊んだこともある。夜はおじぎそうのように葉を閉じる。父の日で家族が揃って食事。ねむの木から緑色の尺取り虫のような虫が糸を伝って降りてきた。それが、今度はくるくる回りながらその糸を伝って上に昇り始めた。これを3人で見ていたがデジカメを取りに行っている間に登り切ってしまった。そのメカニズムは解明できなかったが、回転するときに糸をダンゴのように巻き取って短くしてゆくのではないかと思った。昆虫の恐るべき能力。東京電力の放射能汚染水の処理は想定通りに進まず不安がつのる。汚染水は日々増加中だ。

昨日の天気

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読みかじりの記:21世紀はこうなる 1990年版 編集人 竹内均 1990年 株式会社 教育社)

最近、未来学とか未来はこうなるというような明るい話題が少ないように感じる。高度経済成長で物質的な要求はかなりの程度満たされてきた。一方、精神的な要求は満たされてきたかと言えば、空疎感もある。未来への信頼感が確実に出来なければ、現在の努力も色あせてしまう。精神的な要求は金だけでは実現できない。人の言いなりでも満足できない。自分自身の価値観が必要とされるのではないか、そんな、現代の様相をもう一度過去の視点から振り返って見ようとして手にした一冊が「21世紀はこうなる 1990年版」である。一般向け科学雑誌NEWTONの増刊号である。丁度20年ほど前の時代に遡って、そこを起点に現在を見てみたい。

編集者は竹内均で、NEWTONには地震関係の記事が比較的多かったと記憶している。「竹内均;url=http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AB%B9%E5%86%85%E5%9D%87;(最終更新 2011年4月20日 (水) 00:30 )」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』(http://ja.wikipedia.org/)。の記事に「竹内 均(たけうち ひとし、1920年7月2日 - 2004年4月20日)は、日本を代表する地球物理学者の第一人者で、東京大学名誉教授、理学博士、科学啓蒙家。科学雑誌『Newton』初代編集長。代々木ゼミナール札幌校元校長。」とある。その記事によると、「旧制大野中学校2年生の夏、寺田寅彦のエッセー『茶碗の湯』を読み、学者の道を目指す。」との記事も。

本書は、1=イラストで見る21世紀、2=世界の中の日本 日本の1990年代、3=21世紀のトレンドはこれだ、4=資料編 データで見る日本の未来という4部構成になっている。

「イラストで見る21世紀」の目次タイトルは大きな横文字に小さな日本語が併記されている。ざっとみると、ハイテクをバックに実現されるであろう巨大な都市やビル空港、交通機関等、まさに未来がバラ色に描かれている。最先端の科学・技術を駆使すれば、原理的には可能な未来図ではあったと思われる。それを実現するのは、国策や民間開発であるが、膨大なエネルギーとコストを必要とするという、実現可能性の点では未来の予測の多くが、結果としては狂ってしまっていたように見える。言い換えれば、今まで築いてきた、インフラの構造的な変化は起こっていないようにも見える。また、科学的・技術的に可能な予測は、経済的な条件が整えばすぐに実行され、すでにそれが当たり前のような状況になってくるという、技術の進歩は逆に注目しなければならない。それは、情報・通信分野に顕著に現れてきたのではないか。この分野は、機能と価格という面で集積回路の恩恵を最大限に享受できたと思われる。描かれた絵の中で生き残っているのは中央リニア新幹線である。20年後の現在も実現していないが、今年になって、中央リニア新幹線のルートと駅がほぼ確定した。しかし、一方ではスローライフというスピード第一と反対の意識の高まりもある。実現に向かって、現実的な議論が盛んになるのではないか。その視点は、エネルギー、コスト、利便性である。情報・通信技術の発展で、人や物が寸刻を競い動かなければならないという場面は相当少なくなった、むしろその必要性はほぼ全滅しているだろう。内閣総理大臣の福島原発の視察がその一例でもあろう。今日テレビ会議、テレビ中継は当たり前の技術だ。また、臨海開発も結論としては失敗の部類に入るだろう。東北地方太平洋沖地震で臨海開発の一部の埋め立て地で起こった大規模な液状化も記憶に新しい。科学・技術的な見直し・検証作業は原発だけでは無いだろう。東北地方太平洋沖地震規模の地震が首都圏やその近傍に起きれば、津波は無くとも、壊滅的な被害が発生するだろう。東京都は東北地方太平洋沖地震を教訓になにを対策するのか。原発と同じで、現実を直視するのが怖く、オリンピック誘致というような夢を描いているようにしか見えない。

「マッハ2の超音速旅客機によりロサンゼルスの日帰り出張が可能になる」という記事には、「2010年にはマッハ2.5の超音速旅客機が就航する。」とある。

「コンコルド;url=http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B3%E3%83%B3%E3%82%B3%E3%83%AB%E3%83%89;(最終更新 2011年6月18日 (土) 12:44 )」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』(http://ja.wikipedia.org/)。の記事に「エールフランス機
イギリスのBACとフランスのシュド・アビアシオンなどが共同で開発した超音速旅客機。初飛行は1969年3月1日。原型機4機を含め、20機が製造された。高度5万5,000~6万フィートという、通常の旅客機の飛行高度の2倍もの高度を、マッハ2.0で飛行した。定期国際運航路線をもっていた唯一の超音速民間旅客機でもあった。開発当時は、世界中から発注があったものの、ソニックブームなどの環境問題、開発の遅滞やそれに伴う価格の高騰、また大量輸送と低コスト化の流れを受けてその多くがキャンセルとなった[1]。最終的にはエールフランスとブリティッシュ・エアウェイズの2社のみによる就航に留まる。2000年7月25日に発生した墜落事故、2001年9月11日に発生したアメリカ同時多発テロによって、低迷していた航空需要下での収益性改善が望めなくなった事で、2003年5月にエールフランス、同年10月24日にブリティッシュ・エアウェイズが営業飛行を終了、2003年11月26日のヒースロー空港着陸をもって全機が退役した。超音速飛行を追求した美しいデザインや(ほぼ)唯一の超音速旅客機であったこともあり、現在でも根強い人気を持つ。」

巨大、超高速等、人類の可能性への挑戦は必ずしも、実用化という現実の社会的な要求とは合致しなかったのが歴史の教訓ではないかと思える。

第三部の「医療技術の進歩」では、「現代の難病は克服されるか」というタイトルで課題と予測が述べられている。遺伝子治療の成功が2000年と予測されている。臓器移植に関しては、そのシステムの整備と社会的コンセンサンスの必要性が述べられている。医療技術ももはや赤髭の時代ではなくなり、医療システムの中に組み込まれ、財布と算盤の時代になってしまった。生と死という倫理観という壁がまだ残っている。この壁は守るべきか崩すべきか、現在から未来にかけて直面を迫られる。「65歳は「老人」ではなくなる」というタイトルでは「2015年には高齢者人口は3000万人を超える。」という予測がある。総務省の情報(高齢者人口の現状と将来:url=http://www.stat.go.jp/data/topics/topics051.htm)によると、「65歳以上人口の割合は今後も上昇を続け、平成27年(2015年)には総人口の26.0%(3277万人)と、およそ4人に1人が65歳以上になると見込まれている。」とほぼ妥当な予想がなされている。問題は、その予想が政策に十分反映されてこなかった点だろう。

第二部の「そのとき日本こうなる」では、「労働力の流動化が企業を変える」というタイトルで、労働市場、雇用関係の変化を明るく描いている。就「社」より就「職」の時代となり、「契約社員制度」も述べている。契約社員、労働者派遣の現実は雇用側と労働側の利益の配分割合を大きく変えた。一時的な雇用の体力増加は、長期的には雇用側の体力の減少を招いているようでもある。社会の活力事態が萎えているのが現代の状況のように見える。

本書の巻頭を飾るのが、「日本の未来を占う 21世紀テクノロジーが日本をのばす」というタイトルの経済評論家の長谷川慶太郎とNEWTON編集長の竹内均の特別対談だ。長谷川は鉄鋼歩留まりが、当時(の現在)65%台からの95%に向上した事を例に取り、石油ショックが日本産業の体力強化になった事を述べている。液化天然ガスの活用に世界に先駆けて取り組んで長期契約で安い資源を確保したとの記事もある。長谷川:「私はね、エネルギー関係は1にも2にも3にも、全部経済関係だと考えています。」経済評論家独自の視点かもしれない。現実もその通り動いた。電力料金が固定で硬直化していることに対して、曜日や時間帯で変えて、今日的視点では、ピーク需要の平準化化とエネルギーコストの低減の必要性にも言及している。その基盤となる安定な電力を供給する原子力発電も念頭にあると見られる。電力料金体系も電力事業体系も、残念ながら経済の流れから遅れて、恐竜のような末期を迎えているようにも見える。会社経営者が無担保で借金する場合に経営者が個人保証する事に対して、それは倫理でなく、「日本の経営者のモラルのレベルがアメリカやヨーロッパの経営者にくらべて高いとはいえないと思います。これはシステムなんです。」と言い切っている。日本の、特に大企業の経営者の精神が、戦後どのように変化したのかは改めて検証する必要があるように思える。この特別対談の末尾が印象に残る。竹内:日本の将来は非常に明るいんですけど、ちょっと心配なことははないですか。あるいは警告すべきこと。長谷川:警告すべきことは、たった一つしかありません。それはね、政治です。竹内:なるほど(笑い)。そうかもしれん。

自分は、集積回路の中でも電源用の集積回路の開発に従事した事があった。集積回路は電力を作る事はできないが、器機の安定動作には不可欠だ。昔は安定化電源とか電圧調整器というような言葉もあった。器機が微細化してその動作が外乱等の影響を受けるのを防止し、安定に動作させるための補助的な機能だが、主たる機能の他にその機能を発揮させる補助的な機能が統合されてシステム全体が正常に機能する。これは、全てのシステムに共通している事である。文明社会の中で、政治の役割は何か。経済評論家長谷川慶太郎は政治に何を警告したかったのだろうか。

以下本題。

かみつけ女流歌人 雅:閑日月

歌題=閑日月:

■落葉して 明るくなれる 片隅の 残菊の花に 蝶は動かず 55 須田 修子

花も蝶も季節の変化の前に、か弱き存在である事に共感しつつ、なお明るく詠んでいる。

2011年6月14日 (火)

読みかじりの記:グーグル Google 既存のビジネスを破壊する 佐々木俊尚 著 (2006年 株式会社 文藝春秋)

2011/6/14
昨日は曇り。雨は未明に降ったようだ。草むしりとミニトマトの支柱。雨が降ると草の伸びが早い。竹やぶへ行ってみるとタケノコが出ていた。マダケなのでモウソウ竹より出るのが遅い。雨後のタケノコというように、1m位伸びているのもあった。数本収穫。竹も処置に困っているが、ともかく一年一回の有り難さもある。

昨日の天気

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読みかじりの記:グーグル Google 既存のビジネスを破壊する 佐々木俊尚 著 (2006年 株式会社 文藝春秋)

文藝春秋の「藝」という漢字を入力するのに手間取る。そんな場合、NET検索をかけてそこからコピペする場合がある。確かに、NETは便利である。かつて、日本発の検索エンジンもあったようだが、現在はGoogleが一人勝ちの状況ではないか。本書によるとGoogleが生まれたのが1998年との事だ。人間で言えば今は中学生の年頃だろう。WIN98というOSを思い出す。自分がNETを本格的に使い始めたのもWIN98のころからだろう。GoogleがIT技術の成長と共に成長したように見える。本書を読んでGoogleの収益構造か広告にある事が理解できた。しかし、その広告費は最終的には広告を出す企業の広告費として、消費者等のサービスを受ける側に転化される。

本書の前半はGoogleのビジネスの分析・紹介であるが、後半はGoogleの目指すビジネスについて述べている。大抵、未来論はバラ色なのだが、最近は未来論自体が流行らず、あえて未来論になると灰色にならざるをえないような傾向が見える。Googleの計画は情報化出来るものは全て情報化して支配下に納めるという遠大なものようだ。確かに1テラバイトのHDDが1万円の時代になり、だれも拾わない1円で数メガバイトの情報を保存できる。やはり、このような技術とその動向を確実に自分の物にして行かないとビジネスとして成立しないのが現代なのかも知れない。Googleの検索技術は相当優れているという情報はあるがその実態は不明である。

ただ、コンピュータも汎用品を使い、ハードよりソフトで勝負しているようだ。ソフトで一番重要なのがコンセプト。これこれのハードとインフラがあれば、こういう仕事ができるという発想をして、それをベンチャーから立ち上げる。そういう点では、日本はまだ立ち後れているように見える。本書はライブドア事件の強制捜査を見ながら2006年に脱稿されたとあとがきにある。最近ソニーの顧客情報流出の問題があった。これもNET社会の負の一面かもしれないが、NETは単なる電力網として電力だけを通す媒体ではなく、情報を通す媒体・インフラである点が重要だ。インターネットも草の根的な善意を前提の広がってきた歴史がある。このインターネットに流れる情報に色を付けたり、情報を選択するフィルタリングや情報のゲートを設ける事は許されるのかという問題がGoogleの中国からの撤退問題で話題になった事がある。神となった巨人は表から見えない裏の帝国を支配するのか。情報の操作という未来を考えると灰色や暗いイメージが浮かんでしまう。

ともかく現在は多数の同類企業が地球上に共存できないほど地球や市場が小さくなってしまった。事実上の独占が常態になりやすい。そこに何が生じるのかはなかなか見えないが、その現実からは逃れられない。日本のヤフーがGoogleと提携しGoogleの検索エンジンに切り替えたのが今年の事だったと思う。日本は既にこの分野から撤退したのか。ともかく、色々な検索エンジンがあった方が利用する立場からは有り難い。自分が興味があるのが、コンピュータによる自動情報解析。Googleサイトは多国語に対応。翻訳等も可能だ。こうなると言葉自体も支配されそうな気配がしてしまう。Googleのサイトをて取り交わされる情報は全てGoogleのコンピュータに吸い取られるのではないか。

以下本題。

かみつけ女流歌人 雅:遺跡巡り

歌題=遺跡巡り:

■歩みこし 五十余年を 共に生きて 夢の如くに 去りしよ夫は 46 重田 よね子

夫と苦楽を共にしてきた人生を回顧し、夫の死もまだ夢の如くであると詠った。

2011年6月12日 (日)

読みかじりの記:日米コメ交渉 市場開放の真相と再交渉への展望 軽部謙介 著 (1997年 中央公論社)

2011/6/12
昨日は朝は雨で午後から晴れて気温が上がった。用事で外出。ついでに買い物。近くのたんぼをみると丁度田植えが終わった後であった。6/10の上毛新聞は第1面で、今年はゴロピカリを越えてあさひの夢の作付けがトップになったと報じていた。昨年の猛暑障害で県育成のゴロピカリで規格外米が大量に発生したのがその理由。ともかく、この季節にたんぼに苗が植わっているとなんとなく気分が休まる。立ち読みした週刊誌には、放射性物質による汚染が懸念される水田でも作付けが行われるとあった。コメは混ぜてしまえば分からないと書かれていた。未だ福島原発事故では気持が晴れない。

昨日の天気

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産経新聞は、「IAEA元事務次長「防止策、東電20年間放置 人災だ」
;url=http://sankei.jp.msn.com/world/news/110611/erp11061120200006-n1.htm(2011.6.11 20:17 (1/2ページ)
))」というタイトルで、「【ロンドン=木村正人】1993~99年に国際原子力機関(IAEA)の事務次長を務めたスイスの原子力工学専門家ブルーノ・ペロード氏が産経新聞のインタビューに応じ、福島第1原子力発電所事故について「東京電力は少なくとも20年前に電源や水源の多様化、原子炉格納容器と建屋の強化、水素爆発を防ぐための水素再結合器の設置などを助言されていたのに耳を貸さなかった」と述べ、「天災というより東電が招いた人災だ」と批判した。」と報じた。

確かに、モンスターのように巨大になってしまった企業はどこからも批判にさらされやすい。しかし、所詮企業はバーチャルの存在であり、万能の知恵を持ち合わせていない弱い人間の寄せ集めに過ぎない。かつては共同幻想等という言葉が流行っていた。その幻想も現実がうち砕く。そこからまた新しい一歩が始まるのではないか。

読みかじりの記:日米コメ交渉 市場開放の真相と再交渉への展望 軽部謙介 著 (1997年 中央公論社)

官邸のホームページは、総理の動きとして「FTAAP・EPAのための閣僚会合;url=http://www.kantei.go.jp/jp/kan/actions/201101/19ftaap.html(平成23年1月19日)」というタイトルで、「平成23年1月19日、菅総理は総理大臣官邸で、第2回となるFTAAP・EPAのための閣僚会合に出席しました。 菅総理は本日の議論を踏まえ、「6月を一つの目途にTPP交渉参加の是非について一つの方向性を出していただきたい。それでもぎりぎりの日程ではないかという御意見もありましたけれども、そうしたことを全てこの会が最終的に責任を持つ形で国民の皆さんにしっかりと説明ができる形を採っていただきたいとこのように思っております。
 この問題は日本のこれから10年、20年、30年後を見据えての避けて通れない課題であり、これを積極的に超えていくことで日本の将来がありうる、このように考えております。
 いずれにいたしましても、この「平成の開国」を前向きに推し進めることができるように一層の御努力を、心からお願いします。」と述べました。」と報じた。

TPPが日本の農業に及ぼす悪影響が懸念され農業者や農業団体から猛烈な反発の声が上がった。その詳細が明らかになるにつれて、それが日本の農業だけでなく、あらゆる産業に及ぶことが懸念されてきた。このような重要な国策が一国の総理のパフォーマンスとして唐突に浮上してきたことに国民の不信感が広がったのも事実である。方向性を見極める期限を迎えたが、大震災でその先行きは怪しくなっている。総理の退陣で消えてしまうのか。一国の産業を揺るがす政策があぶくのようなものであってはならないだろう。重要な基幹的な国策は、災害があれ、何があっても粛々と遂行されねばならない。その時々の暫定的な課題に影響を受けるべきではないだろう。

本書は1993年12月15日を交渉期限としたウルグァイ・ラウンドの中の「日米コメ交渉」の内幕を新聞記者の目で再構成してみせた報告書である。日米コメ交渉は、多国間の国益を調整する多国間交渉の一部にすぎないが、100カ国が関係する交渉全体がまとまるか否かを決める要因でもあった。本書では、米国、日本、欧州の三極を中心に交渉の経過がまとめられているが、農業が各国の基幹産業である、その農産物の輸出入に関する国益の追求という交渉が生々しく描かれている。しかし、外交交渉はまさにバルカン政治の一面を有し、GIVE & TAKEと駆け引きの中で行われ、それが一般に公表されることは例外にすぎない。著者は関係者へのインタビューと米国の情報公開法により入手した情報を分析して本書を仕上げている。

この交渉時、米国は民主党クリントン政権が生まれて交渉の完結に意欲を示してゆく。日本では細川内閣がこれを担当した。結果としては、コメの関税化は回避したが、ミニマムアクセスとして外国産のコメを限定的に輸入するとう約束を受け入れた。将来への懸念事項として、妥協の産物として挿入された玉虫色の付帯条項が日本をどのように拘束するか考察している。

「細川内閣;url=http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B4%B0%E5%B7%9D%E5%86%85%E9%96%A3;(最終更新 2011年5月22日 (日) 09:20 )」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』(http://ja.wikipedia.org/)。の記事に「細川内閣(ほそかわないかく)とは、細川護煕が第79代内閣総理大臣に任命され、1993年(平成5年)8月9日から1994年(平成6年)4月28日まで続いた日本の内閣である。在任期間は263日間。非自民・非共産連立政権のこの内閣の発足により、1955年(昭和30年)の結党以来38年間政権を維持し続けた自由民主党は初めて野党に転落した。」

本書によると、このコメ解放の交渉過程や妥結内容等は一般国民の知るところではなく、政府が発表した調停案からも不都合な部分が削除され物議をかもした事が述べられている。連立政権にひびが入るのをおそれた結果不透明さが増したようだ。

著者が終わりにで述べている事で印象に残った部分を幾つか以下に引用する。
○「ウソをつく政治家や官僚は米国では最も軽蔑される。交渉の途中であるとか、結論を外部に言えない時は基本的に「ノーコメントを貫きとおすのが原則だ。」
○「細川首相以下、日本政府の関係者は実は微妙な言い回しを使っている。例えば、「現時点で合意などしていない。云々~。」などという言い方だ。そしてこれらの表現はきわめて厳密に考えれば実はそのとおりなのだ。」
○「だが、官僚の論理に即したこのような修辞は、国民をミスリードする以外の何物でもなかった」

何とも現政権の現実と似た部分が多いか。最後に、著者はこの「コメ解放」という重大ニュースをスクープ出来る最前線にいたがそれを取り逃がしたという苦い経験を語っている。しかし、当局が流すニュースの後追い程度の記事を書くことに甘んじることなく、取材活動を続けその失敗を元に重大ニュースが生まれる過程を検証してレポートにまとめた著者の記者魂に脱帽する以外にない。尚、日本が主張した食料安保に関する事項も合意案にあるとの事だ。また、1993年の冷害による予期せぬコメの輸入等本書から考えさせられる事は多い。

以下本題。

かみつけ女流歌人 雅:秋の蚊

歌題=秋の蚊:

■我が名呼ぶ 声に目覚むる 幾夜重ね このやうにして 馴れゆく独りに 13 飯塚 里美

夫との死別という現実を受容するにいたる心の波動をとらえている。

2011年6月10日 (金)

読みかじりの記:新・日本イソップ物語 一科学者の提言 江崎玲於奈 著 (1978年 日刊工業新聞社)

2011/6/10
昨日は25℃を越えて暑かった。相変わらず草むしり。雑草対策で密植しているので手作業。熱中症が気になり、温度計を見やすいところにつるした。東京電力福島原発事故による放射能汚染水対策が難航してしているようで気になる。放射性物質も相当広範囲に拡散しているようだ。本来ならば政府は天気図のような広域の放射性物質濃度マップを作り公表すべきではないか。これを公表できない所に政府の弱腰がみえる。自分の住んでいる場所はデータが無いから安心とは妄想でしかないと思うのだが。可視化、定量化は何事をするにも重要な手法だ。その逆が隠蔽化手法で当局が最も得意な技術だ。

昨日の天気

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読みかじりの記:新・日本イソップ物語 一科学者の提言 江崎玲於奈 著 (1978年 日刊工業新聞社)

本書は副題の方が本の中身を理解しやすい。それでは、なぜ「新・日本イソップ物語」なのか。著者が例のエサキダイオードのトンネル現象の発見でノーベル賞を受賞したのが昭和48(1973)年であり、それから5年後の出版である。昭和35(1960)年に渡米しており、アメリカでの生活が長い。偶然かどうかは定かでないが、自分の卒研のテーマが、エサキダイオードを使用したDC-ACインバータの変換効率というもの。エサキダイオードにはなじみがあった。そんな訳で、運良く古書店で出会ったので手にした一冊だ。

「新・日本イソップ物語」が、開巻の最初の題であり、この部分が本書を代表していると思う。著者が引用しているのが本物のイソップ物語のオオカミ少年の話。オオカミが来たと助けを求めても、以前に同じ嘘を言った人間は信用されない。これは世界共通であろう。ところが、日本では、○○が来た、大変だ助けてくれと言うべき立場でもない人が言い、その関係者が○○という危機を追い払う事が平気でまかり通っていると著者は指摘している。それで、国内の課題が解決できたとしても、世界では通用しない。このように、欧米のグローバルスタンダードと日本のローカルスタンダードの不一致は本書全体に共通するテーマとなっている。

「新・日本イソップ物語」の一例は「日本は資源に乏しい貧しい小さな国」という固定観念。こういう固定的な強迫観念に自分たちを追い込まないと何事もできない。また、お互い腹で通じ合えて事が済めばそれで良いという日本的なメンタリティもオオカミ少年的な態度も世界では通用しない。そいう態度は国際性の無さにも通じる。本書は米国や西欧から見た日本の特異性論からもっと日本を良くしようという提言と見える。

東日本大震災は未曾有の危機である。そこで、頑張らないあきらめないというスローガンガ一定の支持を受けていたが、一斉に頑張ろう日本の大合唱になった。どうも日本人は背中にダイナマイトを背負ったような切迫感に自分たちを追い込まないと気が済まないらしい。本書には、教育、科学、技術、個性、独創性等への提言も多い。日本でも企業の研究者からノーベル賞受賞者が出てきた。

著者は科学的にはトンネル現象の発見、技術的にはトンネルダイオードの発明というように科学と技術は同じ事が異なる側面を持つゆえ、科学と技術の交流が重要だと指摘する。また、著者は日本は内部からの刺激が乏しい民族であると述べている。これを打破するには科学と技術の交流が必要だと述べている。自分なりにはこれは科学と技術の縄張りや利権が固定しているように見えてしまう。日本の科学者・技術者は自分のたこつぼにこもってしまう。このような性質は直ぐには変わらないだろうが時代の動きは早い。良い方に変わるのだろうか。若年層の理工離れが止まらないようだ。男性がダメなら女性が理工分野へ進出すべきではないか。かつて、企業の女性はお茶くみや単純作業が多かった。女性の教育レベルも向上した。女性の理工分野への進出意欲は高まっているのか。議論が保育、育児のレベルに留まっている日本はやがて衰退せざるをえないのか。

30年以上前に著者が指摘していた事の多くが現在の日本に依然あてはまっているようでもある。しかし、地球が余りにも小さくなってしまい、国際社会の中で孤立するわけには行かなくなっているのも現実だ。日本という国も国民も世界の中で自己主張が出来るアイデンティティの確立が必要なのだろう。尚、本書は日刊工業新聞社のサイトで検索したがヒットはなしで、絶版になっているかもしれない。

以下本題。

かみつけ女流歌人 雅:多羅葉樹の下

歌題=多羅葉樹の下:

■黄の花殻 下土埋めて 常暗き 多羅葉の木下は 仄明りする 82 八田 政子

調べると多羅葉樹はインド原産の高木。作者はこの木と共に生きてこの歌ができたようだ。

2011年6月 9日 (木)

読みかじりの記:(歌集)ホロンバイルの青   高橋素子著 (2008年 角川書店)

2011/6/9
昨日は雲が浮かんでいたが日射があった。数日前、頭上をジェット機が飛んだ。一瞬そのジェット機の作る陰が自分のいる畑を横切って行った。人生初めての経験だ。このような一瞬が人生の明暗を決めているのかもしれない。ハナダイコンの種を採取した。昨年、手抜き雑草対策で公共スペースにハナダイコンの苗を植えたが、今年はその場所に生えなかった。もう一度種子でチャレンジする。周辺が人家なので除草剤も刈払機も使いたくない。ヤグルマギクは咲いた。ユリは茎が伸びている。

昨日の天気

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読みかじりの記:(歌集)ホロンバイルの青   高橋素子著 (2008年 角川書店)

「ホロンバイル」という地名が目に飛び込んできて手にした歌集であった。この本も、20才台の父がノモンハンでの戦争に従事していた時の姿を想像してみるための読書の旅の一つだ。後書きに著者は、「呼倫貝爾(ホロンバイル)は、中国の内モンゴル自治区のロシアと国境を接する草原地帯のことです。海拉爾(ハイラル)市はその中心の街で、現在は呼倫貝爾(ホロンバイル)市と名前を変えています。日ソ開戦の日、私たちはこの街から脱出したのでした。近年再訪した時は夏でした。草原の上の真っ青な星空。その感動から歌集のタイトルをとりました。」と記している。当時、父が青年兵士で作者は少女という年回りであろう。何事もじっくりやるのも一つの方法。ざっと見渡して最初に目に付くものからやるのがその対極にある。本に関してはツンドクよりましだとおもう。本にも一期一会がある。(引用の歌は順不同)

■輝きて枯葉を降らす大欅無いものねだりの我を卑しむ

第一章の中の一首である。また第二章に以下の一首がある。

■惜しみなく与える者になれという落ち葉積む道ゆっくり歩む

本の中では離れているページにある歌だが、作品をつなげて読むと作者の人生に対する姿が浮かんでくる。「輝きて枯葉を降らす」という中に「惜しみなく与える」という意味を盛り込んでいる。「無いものねだり」でその意味が解けてくる。

■今日限り職を退きゆく老医師の白衣の背(せな)に深く礼する

人生の一場面を読んだ歌だが、老医師の人生そのものを詠っているような印象すら受ける。

■歌になる言葉の回路ロックされ強制終了せよと声する

元回路屋なのですぐに「回路」が目に付いた。回路とは高度に抽象的な概念でもある。作者の頭のなかでぐるぐると回り続けていた言葉は何であったか。「強制終了」もフリーズしたパソコンに言うことを聞かせる最後の手段だ。作者はパソコンを使っているのかなと連想させる用語だ。

■語ること少なかりしよ苦学せし父の青春アメリカの日々
■身のうちの灯ひとつずつ消しゆくか言葉少なになりたる母は

父母や家族は歌の永遠のテーマではあるが、その心象を残す事が難しい。父の記憶の中に作者の歩んだ軌跡が投影されてくるようだ。母を詠った歌には生命の実相と母にたいする憐憫の情を感じる。

■ざわめきを分けて入り来る特急よバッタの貌して額光らせて

表現の遊び、こころのゆとりを感じさせる歌だ。平和の有り難さ。

■花束は持ちにくきものされど佳き退きゆく身とて華のある身

仕事を勤め上げ感謝され惜しまれて退けるのも人徳という以外にないだろう。有終の美は自分自身誇りにしてもよいのだ。

■麻酔なく切断する兵隊の足を持つ役たりと女学生記す

「沖縄」という歌題の中の一首。作者もそのような女学生になる年齢に近かっただろう。作者の色々な歌をつはげてみると、作者は医療関係の職場にいたようだ。そいうい目でこの歌を読み直すと単なる事実を詠っているのではないように思える。戦時中は従軍看護婦で、戦後も病院で看護婦をした人があるそうだが、その貴重な体験は何らかの形で残っているのだろうか。

■水筒はとうに空っぽ「おぶーほしい」と泣きし妹と草原逃げて

歌題「忘れてならじ」の中の一首。五木寛之だったか。敗戦で満州から引き上げるとき、軍属は現地一般日本国民には敗戦の詳細を知らせず、必ず迎えに来る冷静にして迎えを待つようにと言いつつ、率先して退却していったと怒りを込めたように述べていたのを思い出す。まさに福島原発事故の避難民も同じ事態に直面させられた。作者のホロンバイルの記憶は辛いものだたろうが、幼少時を過ごした故郷で、懐かしく愛しいものでもあったろう。戦地からの民間人の引き上げには、また多くのドラマがあった。作者は、妹をホロンバイルで亡くしたようだ。作者自身、戦争孤児になったかもしれないという歌も詠んでいる。

■王(わん)さんに貰われたかも知れなかった避難民の日の痩せた子わたし

本書には関連の歌や最近訪問した時の歌も多く収録されている。その部分は後でじっくり味わってみたい。自分の父もノモンハン事件でハイラルに入った。ひょっとすると作者と自分の父はホロンバイルの意外に近いところまで接近し、同じ草原や星空を眺めていたこともあったのかもしれない。

以下本題。

かみつけ女流歌人 雅:「娘をまた夫を」

歌題=「娘をまた夫を」:

■失ひし 命尊く 黄の蝶の 土に動かぬを 花に寄らしむ 98 漏田 サカヱ

亡くした娘と夫の尊い命を思うと、地上に動けなくなった蝶の命さえ尊と詠っている。

2011年6月 8日 (水)

読みかじりの記:大ピラミッド 新たなる謎 吉村作治 著 (1999年 講談社)

2011/6/8
昨日は曇りがちで薄曇りから晴れ間も出てきた。草むしりも一巡すると最初の部分が伸びているという草に追われる毎日。これこそ後ろ向きの姿。小さいうちに草退治できれば楽なのだが。数日前、実がなりすぎた桃の木1本だけ摘果。その先はなりゆき任せだ。昨年は、手抜きのため、無袋栽培が可能という缶詰用のモチヅキという品種の摘果をして、そろそろ食べ頃だろうと行ってみる何もない!その時の一句:食う前に桃盗まれて涙飲む。これでは手入れに気合いが入らない。モチヅキは放任。春雷という早生桃がわずかに色付き始めた。かじってみたがまだカリカリしている。味、大きさ等今ひとつという感じであるが、病虫害が出てくる前に熟す点で自分の手抜き栽培向きの品種だ。中国で育成された品種との事。畑のオアシスだ:http://af06.kazelog.jp/itoshikimono/2010/09/post-2858.html。雑草のアカザを収穫。1m程の高さになり、先端の柔らかい部分を食用とする。結構食べられる。無肥料、無農薬で贅沢といえば贅沢ではある。

昨日の天気

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asahi.comは、「原発事故対策の不備、政府認める IAEAに報告書
;url=http://www.asahi.com/politics/update/0607/TKY201106070657.html())」というタイトルで、「政府の原子力災害対策本部は7日、東京電力福島第一原子力発電所の事故報告書をまとめ、国際原子力機関(IAEA)に報告した。津波や過酷事故への対策など、これまで指摘された不備を政府としてほぼ全面的に認めて反省する内容。安全規制の責任を明確にするため、原子力安全・保安院を経済産業省から独立させる改革案にも踏み込んだ。この事故で政府が報告書を示したのは初めて。」と報じた。

この記事を読んでいくつもの疑問を感じる。原子力安全保安院のホームページを覗いたら官邸のホームページにリンクが貼られていた。「原子力安全に関するIAEA閣僚会議に対する
日本国政府の報告書 -東京電力福島原子力発電所の事故について-」というタイトルで、平成23年6月 原子力災害対策本部とある。なぜ国民に対して報告する前にIAEA閣僚会議に報告するのか。政府が初めて報告書を出すなら当然国民に向けて出すべきではないのか。相変わらず東京電力福島原発事故の被災者と国民を無視してIAEAによる政権の通知簿の採点にご配慮をと顔色を窺うようで全く本末転倒であると感じざるを得ない。

追記:上記報告書に「添付IV-2 東京電力株式会社福島第一原子力発電所の事故に係る1号機、2号機及び3号機の炉心の状態に関する評価のクロスチェック解析 」という付属書があり、この中で原子力安全保安院と東京電力の解析結果が比較されている。地震後早期にメルトダウンが起こる条件が十分整っていた事がようやく公式に明確になったが、適時適正な情報開示が行われず、歴史的な人災を招いた事を忘れてはならないと改めて痛感する。

読みかじりの記:大ピラミッド 新たなる謎 吉村作治 著 (1999年 講談社)

本書は1994年刊の『ピラミッドの謎をハイテクで探る』を改題、加筆修正、再編集して文庫版に収録したと奥付にある。プロローグによると電磁波地中レーダーを使用した調査が行われたのが1987年。既に20年以上前である。一読すると、その調査は大成功であった。最近、新田郡衙遺跡でも電磁波地中レーダーによるが行われ、正倉の存在も判明したと上毛新聞記事が伝えていた。三軒屋遺跡の調査にも電磁波地中レーダーが使用され、電磁波地中レーダーは完全に実用化している事が分かる。大ピラミッドの大きな謎は、いつ、だれが、なんのため、どうして作ったかという4つの謎に集約されると著者は述べる。そうして、多くの人々がその謎解きに挑戦し、いつ、だれがはほぼ確定したと言う。どうしてとしては、直線型斜路以外なかろうとの事。その遺跡も発見されているとの事だ。斜面を利用すると長い距離が必要だが小さな力で重い石を高く上げられる。道具としてはソリとテコが使われたようだ。そうして、最後になんのために作ったかという謎が残る。以前、松本清張が大古墳を作るとき、そこで働く労働者の食料を確保するため、古墳の周辺を開拓して食料を生産しながら古墳を作ったのだろうという仮説を書いていたと思う。松本清張の視点は並の考古学者では考えが及ばないと思った。大ピラミッドの周辺にも労働者が暮らした遺跡が発掘されているとの事だ。大ピラミッド建設は奴隷の力で為されたという説があるが、著者は奴隷説ではなく平民説のようだ。強制労働ではなく、大ピラミッド建設への労働者の自発的な参加があったようだ。そうすると、なんのために作ったかという謎解きは更に難しくなりそうだ。単なる墓ではないとして、空墓(からばか)の概念の説明もされている。一度、文字さえも読める人がいなくなった文明が、世界中の関心を集め、ついに文字が解読されて、エジプトの歴史が詳しく分かるようになった。さらに、大ピラミッドを計画したクフ王はどういう人物であったかも謎らしい。更に大きな謎はクフ王の宰相で大ピラミッドの建築を指揮したヘムオンという人物。エジプトはつい最近、政権が崩壊して、新しい時代の波が押し寄せている。大ピラミッド建造以来4500年という長いエジプトの歴史は一面人類の歴史を解読する宝庫でもあろう。日本の古墳の歴史はエジプトに比較すれば極短い。ハイテクの電磁波地中レーダーで未発掘の古墳の調査をすれば多くの驚くべき歴史が見えてくる可能性もあるのではないか。著者は、「未来を語るとき、大部分の人が、現状分析の中から語る。現状分析は必要であるが、現在というのは刻一刻と変化する通過点に過ぎない。かなり見識のある人が分析しても、現在はなかなかとらえどころがない。それに対し、過去すなわち歴史の中には、かなり現在と近似した現象があるはずだ。それを探し出すことがまず第一歩ではないだろうか。」と述べている。一国の考古学は民族のアイデンティティをより確かにしてくれるだろう。日本は外国にまで出て考古学の研究をしているが、外国人が日本の古墳発掘等の研究をする例は聞いたことがない。余りにも局地的な状況に埋没していないか。外国の研究者も招いて足元の研究をしてもらったらどうか。一層のこと著者にそれをやってもらえないか。日本の古墳も謎だらけなのだから。

以下本題。

かみつけ女流歌人 雅:養蚕

歌題=養蚕:

■晩秋も 飼えへるかなおと 桑積みて 帰路の車に 夫のつぶやく 2 相原 健子

養蚕も夫婦共働きが基本。桑とりは夫の仕事。どこにもあった養蚕の風景を貴重な歌に残した。

2011年6月 6日 (月)

読みかじりの記:指揮官 -人間掌握の秘訣- 源田実 著 (時事新書 1968年)

2011/6/6
昨日は薄日がさしたが、蒸し暑さを感じた。夕方、雨蛙が鳴いた。直近の雨蛙の鳴き声もも天気予報に役立つが、外れる事もある。鳴き出す条件は、気圧か湿度か。アメダス(前橋)のデータでは、湿度60%、気圧990hPa程度であった。総理大臣の早期退陣が現実的になって、政界が色めき立ってきた。節操のない行為...漢文で習った「手を翻せば~」まで思い出したが、それ以上は出てこない。WEBで探すと貧交行に出てくると分かった。それを以下に引用。

杜甫の雑言古詩「貧交の行」

  翻手作雲覆手雨    手を翻せば雲と作(な)り手を覆せば雨と作(な)る 
  紛紛輕薄何須數    紛紛たる輕薄 何ぞ數ふるを須(もち)ひん
  君不見管鮑貧時交  君見ずや 管鮑貧時の交
  此道今人棄如土    此の道 今人棄てて土の如し

まさに、昨日は政敵に内閣不信任案を投げつけた敵が、今日はお互いに友となり手を結び大連立政権を作ろうというその節操の無さに、杜甫もびっくり仰天するのではないか。事は人と人というレベルの問題ではない。公約を掲げて政権運用を使命とする公党間の問題だ。与党も野党もまさに個人商店のレベルでしかない。紛紛たる輕薄を率先する指揮官に日本の将来が託せるのか。

昨日の天気

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読みかじりの記:指揮官 -人間掌握の秘訣- 源田実 著 (時事新書 1968年)

この本も福島原発事故を契機に本棚から探し出した一冊。出版時期は丁度自分が社会人になるころ。いつ読んだか不明だ。「源田実;url=http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%BA%90%E7%94%B0%E5%AE%9F;(最終更新 2011年6月3日 (金) 10:19 )」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』(http://ja.wikipedia.org/)。の記事に「源田 実(げんだ みのる、源田 實、1904年(明治37年)8月16日 - 1989年(平成元年)8月15日)は日本の広島県山県郡出身の大日本帝国海軍軍人、航空自衛官、政治家である。海軍における最終階級は大佐、航空参謀を務めたこともある。神風特別攻撃隊の考案者の一人。戦後は初代航空総隊司令、第3代航空幕僚長、参議院議員等を務める。」とある。著者の全貌を知るにはWIKIPEDIAの記事等を参考にする必要がある。

本書の背景としては、戦前が軍人が跋扈した時代なら、戦後は経営者が軍人に代わって世間をリードしたという人物観の切り替わりがあったと思う。本書は始末記物の本の次ぎに書かれている。参謀としては優秀な人物なのかも知れないが、参謀と指揮官という関係についての記述は余り印象に残らなかった。孫子の兵法の解釈に関しては軍人らしい読み方をしているように感じた。歴史に学べという教訓は遅きに失したと思う。著者が大本営参謀だったときの年齢が40才前頃だろうか。本当の仕事をするときに歴史が役だって欲しい所だ。将は参謀をいかに使うべきかを参謀が論じるのも難しい立場に違いない。戦争とは一面政治の特殊形態という説もある。著者は戦争を遂行した参謀という立場の人物なので、その現場の見聞は余人に代えられないだろう。

いわば、平時以外の緊急事態を取り仕切る指導者像はどうあるべきかという問題を、平成23年3月11日の東北地方太平洋沖地震のTV報道に釘付けになりつつ漠然と感じていた。何故か。東北地方太平洋沖地震発生:2011年(平成23年)3月11日14時46分18秒。その一時間以内に東北地方東岸各地に津波が到来している。それをほとんどの国民が注視しているなか、日本の最高指揮官の動きが全く見えなかった。総理大臣がTVに現れたのは17時頃ではないかと記憶している。これでは、いかにも遅すぎる。原稿など不要。大至急、一言だけでも国民に対する緊急アピールをすべきではないかと感じた。

本書では、第3章 将の人格構造で、将たる者の内面の問題について論じている。非常に興味ある事項であるが、脳内の事なので総理大臣の内面にまで迫る事は至難な業だ。しかし、結果からみると内面の乱れや葛藤が緊急事態対応の遅れを招いたと感じる人が多いのではないか。それを示す最大の総理大臣の行動が福島原発の唐突な視察である。見方によれば、功をあせり、時間を空費した。戦時においては、権謀術数、正奇虚実の諸方策は当然だが、平時においては信に基づくべしと著者は本書で述べている。傾聴に値する事であろう。第4章 近代組織における統率の章では、近代では、しっかりした目的を持った組織が出来上がっているのだから、それを有効に活用すべきだと述べている。将は参謀と兵を使いこなして目的を達成する責任がある。将が統括する組織数は、多くて5組織で、2組織が望ましいという事も述べている。この指摘も、雨後の竹の子のように新規に林立した各種対策本部等を見ると、東日本大震災震災対策の組織論としては傾聴に値するだろう。

ともかく、各界で将たらんと欲する人物は日頃から自己研鑽に励まなくては人生一回だけの大勝負に臨めないということなのだろう。本書は大本営参謀の失敗学の成果なのか。功は求めなくても向こうからやってくる。功を求めると離れて行く。そんなパラドックスも見えなくもない。陸軍参謀辻正信の名前やその讃え難い功績は聞いたが覚えがあるが、海軍参謀源田実は今まであまり馴染みではなかった。軍とはモデル化しやすい組織である。その軍さえ統率が非常に難しい。まして、国家を率いる事の困難さは筆舌に尽きないだろう。将たらんとする者には参考になる一書だろう。

追記:本書の奥付には、初版6000冊、9刷までで8000冊とある。

以下本題。

かみつけ女流歌人 雅:秋虫のこゑ

歌題=秋虫のこゑ:

■うかららの 集いて祝ふ 吾が米寿 ピアノひく曾孫に 眼のうるむ 101 柳澤 文子

元気で、曾孫がピアノを弾いてくれた米寿祝いを歌に出来るほどの幸せは他にないだろう。

2011年6月 4日 (土)

読みかじりの記:原子の人工転換 ジャン・ティボー 著 村岡敬造 訳 定価一円八十銭(昭和17年8月25日 発行 白水社)

2011/6/4
昨日は晴天。地面が湿っているので苗の移植をした。雑草除去等の前準備に手間がかかる。カラスムギだろうか、かなり多く生えて実をとりそうだ。来年は少なくなるか。気温が上がると仕事で汗をかいた。それが誘因誘引か、蚊が出てきた。内閣不信任案否決後に、またまた混乱が生じている。東日本大震災の被災者や国民などに目もくれずに茶番劇を演じている。曖昧な国日本を通り越して混沌の国日本になってしまった。政治家は一斉に波に乗ろうと動き出した。サーファー政治家である。波がなければ動けないようでは悲しい。

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読みかじりの記:原子の人工転換 ジャン・ティボー 著 村岡敬造 訳 定価一円八十銭(昭和17年8月25日 発行 白水社)

この古本も「松永安左エ門に学ぶ」と一緒に本棚から見つけてきた一冊だ。発行日を見ると、終戦の3年前。5000部と発行部数が印刷されている。出文協承認の承認番号があり、出版統制の中で出版されたものだろうが、自分が日本は終戦前は科学技術が未熟と思いこんでいたのが必ずしも事実でないことを教えてくれた一書だ。5000部を売り切るだけの読者層があったのか。戦争は始まっていても敗戦という暗黒の終末はまだ具体的に見えていなかった時期なのかもしれない。古本として買ったのは20~30年前だろう。やや乱雑に青鉛筆の線が引かれている部分があり、一度目を通したかもしれないが何も記憶はない。

今回、拾い読みしたのは福島原発の事故がきっかけである。日本も基礎物理学の分野では大きな貢献がある。「原子の人工転換」とうタイトルは原子核物理学の一面をとらえた物であろう。本書は一般書と専門書の中間の位置にあると訳者は述べている。訳者がフランス留学中に書店で見つけたと訳者序にある。昭和16年8月 京都帝大 物理学教室にてとあり、著者の状況も窺える。走り読みして、原子炉の内部で何が起こっているのかがおぼろげながら分かった。戦前の原子の人工転換という研究が直ちに原子爆弾の開発というアイデアにつながったのも事実であった。

本書の中で原子力発電に関して、「将来に於いて、学者や技術家物質の崩壊を自由に制御し得る様になる時、この原子勢力(エネルギー)の小さな貯蔵庫は、水力や火力発電所に代わつて用いられるかもしれない。この場合、分子間の化学反応(何噸もの石炭を燃焼させて)の代わりに、原子核反応(数瓦の原子を壊滅すること)」が用ひられるであらう。」する記述がある。核物理に関しては、近年ニュートリノの存在が証明されたが、それに関しては、「実際、それにもかかはらず、少なくとも中性微子は、自分自身で中性子ほど核転換を起こさせるものでないので、その存在を実験によってはっきりとさせるのは、困難の様に考へられる。然しこの事は決して不可能と云ふわけではない。」という記述がある。

物理学は真理を追究する学問であるが、工学は科学に基づく真理を応用して実利を求める学問である。残念だが、工学の中から、安全や信頼性という学問が生まれたのは多くの失敗に促された結果であるように思う。理工離れという問題が指摘されて久しい。今日、原子力発電に従事している技術者も、原子力発電が実用化した頃は輝かしい将来性のある仕事と考えたと思う。教育、学問は最終的には教えらっるものではないだろう。今日、世間で流通する製品やサービスの真偽、信頼性すら見抜くのは難しい。そんな時代だからこそ、国民の科学水準を維持向上させることは今日でも不可欠である。残念ながら、安全工学という分野に関しては全くというほど縁がなかった。自分の仕事で安全に関した製品はウオッチドックタイマー用IC等であった。製造物責任法がらみでその体制造りで骨を折ったのを思い出した。

人間が日々必要とするエネルギーを安価に安全に安定して確保する事は非常に重要な課題である。東京電力福島第一原子力発電所の事故を契機に青少年が真剣にその解決策を考えるようになってくれることを望まざるを得ない。当然そのエネルギーには食料も含まれる。まさに、物質さえ転々と姿を変えて移ろうのが世界の真相であるが、エネルギーは保存されて一定なのである。そのエネルギーを世界が調和する形に制御するのは単に工学的な手法では不可能だろう。新しい世界観が必要になるだろう。未来のエネルギーとしては核融合が期待されていたが、これも巨大な人工物で長い歴史的な使用に耐えるのか不明だ。電気技術者であった自分から見ると、植物の葉っぱは太陽光を集めるアンテナのように見える。ところが、植物の葉は雨が降れば雨も集める集雨器も兼ねている。光が来る方角に自分から向きを変える。そんな植物の機能を横取りできないかと不遜な考えをする事もある。ともかくエネルギーはこの世界を循環する物の元なのだ。よくよく考えるとその物を環境に廃棄する事自体がエネルギーの浪費ではないか。エネルギーは分散して至る所にあるのだ。いわば、エネルギーはエントロピーを増大させながらこの世界を巡っている。エネルギーは至る所にあるのだ。無いのはそれを使いこなす知恵だ。

以下本題。

かみつけ女流歌人 雅:合歓の花

歌題=合歓の花:

■草の実も 虫も眠るか 掃きよせし 楓落ち葉の 日の温もりに 27 小川 つね子

落ち葉の山に潜む草の実や虫までも思う気持ちはなななか歌にできない。

2011年6月 3日 (金)

読みかじりの記:電力の鬼・人生の鬼 松永安左エ門に学ぶ 宇佐美省吾 著 (1981年 実業之日本社)

2011/6/3
昨日は肌寒い天気。梅雨らしい雨。政界も梅雨の雨と同じような鬱陶しさだった。野党が提出した内閣不信任案が否決された。空々しい結果を国民は醒めた目で見るだけだったように感じる。結局、政界全体が保身にまわって、被災者や国民は置き去りにされてしまったのだ。総理大臣が引退をほのめかしただけで、このような結果になったのか。現総理と前総理が密談して大芝居を打ったのか。そうでもないだろう。政界全体が活力を失っているのだ。議決後の与党首脳の発言の不一致も政治家への信頼を失うだけだ。政治が根無し草になってしまった。結局、東日本大震災版の内閣不信任案議決騒動も、貴重な時間を空費して、国民の政治への信頼を更に低下させ、国際的には日本人の馬鹿さ加減を見せつけて何の効用ももたらさずに大失敗に終わったのである。政治家の無気力と自己保身が東日本大震災の二次被害を加速させているのである。今こそ政界は国民に対して総懺悔して、政界自体を復興させなければならない時ではないか。

昨日の天気

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読みかじりの記:電力の鬼・人生の鬼 松永安左エ門に学ぶ 宇佐美省吾 著 (1981年 実業之日本社)

東京電力福島原発の事故をうけて、日本のエネルギー問題の見直しが迫られている。エネルギーとはまさに、労力・動力そのもので、抽象的には物体の運動、更には電磁界力、核力と物理学の本質部分に関する概念でもある。電気エネルギーの利用は物理や化学の進歩が工学という実用学の進歩を促す中で進んできたといえるのではないか。本書が出版された頃、自分はやっと一人前の技術者となったばかりであった。入社したら、モーター関係の仕事をさせられると思っていたが、配属先は半導体であった。予想は外れた。当時の電気工学系の就職先で、安定株といえば電電公社や東電や日立・東芝・三菱等の重電であった。そんな中で、ツンドク状態でほこりまみれの書棚の奥に潜んでいたのが本書であった。著者は父とほぼ同年配の大正5年生まれ。松永安左エ門は明治8年生まれで、慶應義塾に学び、福沢諭吉からも、直接教えを受けていると本書にある。

松永安左エ門は既に戦前に電力業界で地歩を固めたが、電力の国家統制には反対して、60才で現役を引退して、茶の世界に遊んだようだ。これは、東北電力会長を務めた白州次郎にも通じる所があるように思えた。また墓や戒名にもこだわらなかったという点では、両者とも合理的精神では共通していたように見える。本書の著者は昭和10年、20才台で電気業界紙のオーナー兼記者とあり、その後も電気業界を見てきたようで、松永安左エ門の側近のような立場にいたようで、本書の書きぶりからもそんな印象を受けた。松永安左エ門の現役引退から終戦直後までの期間は、再起を胸に秘めた充電期間に見えてしまう。茶の世界は単なる遊びの世界ではなく、世情や市場や世界の動向を探る期間でもあったと見た。松永安左エ門は政商に変身したのか。なぜ電力再編を進めたのか。事業と信念をかけた見果てぬ夢があったのか。電力の鬼・人生の鬼とは松永安左エ門の見えざる部分を暗示しているように感じる。

著者は戦後の電力再編の動きを松永安左エ門を中心に据えて人物中心に描き出す。本書は電力再編劇人物列伝のようで、電力再編にどのような人物がどのような動きをしたかがあざやかに描かれている。また、業界を見てきた著者らしく、技術的な流れも出てくる。松永安左エ門の構想は一方の電力国営化に反して、電力分割民営化の九社体制であった。ここに、福沢諭吉の自由・平等というDNAを受け継いでいるのか。終戦直後は、電力再編劇も国、その上に君臨したGHQ、電力経営者、官僚等々と幅広い分野から役者が出ている。見方を変えれば多くの人物が利権の争奪戦に関与していた。一方ではこのような再編劇で、新しい体制が生まれて、新しい人材が生まれ今日に至っている。本書では、東京電力発足初期の社長名が登場し、輝いているようにも見えた。本書にはその役者の人物評論が随所に見えて本書の読みどころだろう。今日、一部方面より発電と送電の分割議論が起きているが、先ずは戦前の電力統制から終戦後の電力再編までの歴史をレビューし直すのが良いと思う。その時、必ず国家と電力企業と産業と国民の関係をどうすべきかという問題が浮かび出てくるだろう。そのためには本書が大変役立つのではないか。既に出版後30年を経ているが、実業之日本社のサイトで検索したが、ヒットしなかったので絶版になっているようだ。一方、同社の福澤諭吉:松永安左エ門 著;  書籍 2008/04/18 1,050円がヒットした。「彼が「生涯の恩師」として最大の尊敬の情を捧げた福澤諭吉の人間味あふれる逸話を通じて、福澤イズムの真髄に迫った痛快人物伝。昭和39年に刊行された本書を慶応義塾創立150年にあたり復刊!」と案内があった。福島原発事故を背景に電力事業のありかたを考え直したい人には本書が参考になるだろう。復刊すれば、それ相当の読者はありそうだ。しかし、時代は変わってしまった。本書には、「”女道楽”道に見る鬼の側面」という怖そうな一編がある。事業も人生も鬼で通した松永安左エ門という異色な実業家であって初めて可能であったのかもしれない。復刊する場合はこの一編は削除できないであろう。当世の軟弱な識者・先生達はこの鬼の側面を幾ら指弾しても、松永安左エ門を超越することは出来ないと思われる。松永安左エ門は長寿を全うし、昭和46年に96歳で永眠した。今、松永安左エ門に学ぶとすれば、こちら側から鬼の声に耳を傾けねばならない。

追記:松永安左エ門は鉄が国家なりから、電力は国家なりという産業の構造変化を見通しができたから成功できたように見える。家電が台頭して家庭の電力消費量が増大するのは松永安左エ門の没後ではないか。その点、民生部門の電力消費を松永安左エ門がどうみていたか興味がある。本書の中でも電力の民間消費者の姿ははっきり見えない。原子力発電もごく僅かしか記されていない。当時としては火力・水力発電が主力であり、エネルギーの変遷も歴史的な評価が必要だ。安価なエネルギーを求めて火力も石油が主流になる(巨大タンカー船の建造)等の記述も参考になった。

以下本題。

かみつけ女流歌人 雅:菊花展

歌題=菊花展:

■医者通いに 明け暮れし夫が 久しぶりに 菊花展を見る 嫁に伴はれ 100 柳澤 はま

老夫婦嫁に伴い菊花展へと家族健常時のお揃いの楽しい外出を詠った。

2011年5月27日 (金)

大義無く保身の為に馬謖切る;読みかじりの記:ノモンハン戦争 田中克彦 著 (岩波新書 2009年)。20110527。

2011/5/27
昨日は曇り。AM雨の予報なので、ポリマルチ床を作りサツマ苗(ベニアズマ)を植えた。PMは休耕田の草刈。セイタカアワダチソウが群生始めた。多年草で根が残るのでこれは手で抜いた。例年ナタネの種を播いたり、こぼれ種でナタネが咲いたが今年は雑草ばかり。水路脇のリュウノヒゲを改植。はびこったチガヤ等の雑草の根を除去。ついでに水路の底のごみ浚い。伊勢崎の汚泥からセシウムが検出されたとのNHKニュースが流れた。放射能被害も風向きだけで変わる。原発事故被災地はこれから梅雨、夏の気候、台風等と予測できない自然の猛威の可能性もある。戦場と同じだ。きっと生き残って欲しい。

asahi.comは、「福島第一の海水注入中断せず 東電所長、本社に無断;url=http://www.asahi.com/national/update/0526/TKY201105260339.html(2011年5月27日0時16分))」というタイトルで、「東京電力福島第一原発1号機の海水注入問題で、東電は26日、一時中断したと説明してきた海水注入を、実際には中断せずに継続していたと発表した。東電本社と発電所の協議では、海水注入をめぐる検討が官邸で続いていたことから中断を決めたが、福島第一原発の吉田昌郎所長の判断で継続していた。国会でも追及された問題が根底から百八十度くつがえされた。」と報じた。

ざっそう句:大義
■大義無く保身の為に馬謖切る

ネット上では福島第一原子力発電所所長の処分を行うべきでないという意見が噴出している。当然だろう。本来、割腹すべき役柄の人物が義人の首をお上に差し出すような事があってはならないというのが世間の目であろう。歴史にはそのような愚挙が多発している。思うに現場を任された指揮官が、ぎりぎりの場面でどのような采配を振るかは命がけの判断を要求する。これは指揮官の階級とは無関係だ。指揮官の覚悟が結果を決める。

馬謖は諸葛亮に重用された指揮官。命令に違反して戦略を誤り魏軍に大敗と広辞苑にある。諸葛亮は自分が重用した指揮官と言えども人情に流されずに規律を選んだのだ。諸葛亮は「泣いて馬謖を切る」事により、大義を世に示したのである。

インパール作戦で大本営の命令に反して自軍を退却させた佐藤幸徳中将も戦場で決死の判断をした司令官であった。軍法会議で死刑は確実であったのである。

父は戦争の事を多くは語らなかったが、上官の佐藤中将は偉かったといつも語っていた。この未曾有の難局に臨んで、誰でも大義にかなった歴史に恥じない判断と行動をすべきではないか。

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読みかじりの記:ノモンハン戦争 田中克彦 著 (岩波新書 2009年)

追記(2019/08/15):記事整形、過去BLOG再読、印象・コメント等

本書のあとがきに著者の所に司馬遼太郎の使いの人が来たことが記されている。WIKIPEDIAによると、「1942年(昭和17年)4月に旧制大阪外国語学校(新制大阪外国語大学の前身、現在は大阪大学外国語学部)蒙古語学科に入学。」とある。著者は司馬遼太郎の使者の取材は即座に断ったと記しているが、司馬さんならすばらしい『ノモンハン』を書いてくれたのではないかとも記している。

自分は、父が20才代でノモンハン事件に従事し、そこで仕えた上官が後にインパール作戦の抗命で知られる佐藤幸徳少将(当時)という事でノモンハン事件に関心があった。

日本人は心のどこかで蒙古に惹かれる要素があるようだ。広辞苑によると日本人幼児の99.5%に臀部に蒙古斑が出るとある。著者は冒頭で従来のノモンハン事件をなぜノモンハン戦争と記述するかを述べる。

WIKIPEDIAによれば、著者は1957年東京外国語大学外国語学部第六部第二類(モンゴル語学)卒業。本書の内容もモンゴル語の理解を通して書かれている部分が多い。ノモンハンはソ連・モンゴル人民共和国、中華民国、満洲国に挟まれた辺境の地である。

本書は複雑な国境地帯の少数民族は、生存のために多くの犠牲を払うこともあえてせざるを得ないと教えている。国境紛争が起こるべきして起こったような地理的な位置にノモンハンはある。かつて、アジアからヨーロッパまでの広範な版図を誇った蒙古帝国はどうなったのかと思ってしまう。大国の狭間にある小国・少数民族の苦難とソ連の計画的領土・支配地域拡大のための周到的活動を改めて感じるた。

このような、領土紛争は陸続きの地帯では常態に近いのかもしれない。父が馬賊と言っていたのはノモンハン周辺の現地民族だったのか。

父の足跡を辿ると、昭和13年1月:臨時召集ニヨリ高崎歩兵第十五連隊補充隊に応召。昭和13年3月23日:ハイラル着ハイラル付近の警備。昭和13年5月13日:ハイラルニ在リテ第一次「ノモンハン」事件勤務二従事とある。

「ノモンハン戦争」のP10によると『[5月29日]十八時過ぎ、ソ蒙軍の第一線は既に陣地二重米(メートル)に近接し、東中佐以下二十数名は勇躍突撃に移り、全員、「護国の神」と化した(防衛庁454)』と記している。また、「この戦闘に、日本軍は二〇八二人が参加し、二九〇名が死傷、生死不明、特に捜索隊の消耗率は六三パーセントだと牛島氏は記録している(80)」とある。

父の足跡と本書による戦史とを重ね合わせると、一兵卒としては何の記録も残していないが、生死を分ける戦場にいたことようやく実感をもって理解できた。自分はノモンハンを何もない砂漠地帯と思っていたが、本書によるとノモンハンという地名は「ノモンハーニー(ノモンハンの)・ブルド・オボー」という塚(オボー)に由来するの事だ。砂漠ではなくオアシスのような地帯らしい。このオボーというのも遊牧民族にとっては一種のランドマークであり宗教的な施設でもあったようだ。

ハイラルをWIKIPEDIAで調べると現在では20万の人口がある。ロシアの娘さんはきれいだったという、父らしくない冗談は、本書によれば本当だったように思える。迫害を逃れて満洲(著者はサンズイの洲にこだわる)国きた白系ロシア人もいたと記している。ノモンハン地帯も国際的な歴史の中で大きく揺れていた事は本書で理解できた。

昭和14年8月29日~:「モホレヒネーオボ」付近の警備とあるが、Google検索で「モホレヒネーオボ」を入力しても、何も返ってこなかった。これが当時の地名だからなのか。ノモンハン事件に関しては戦史的な書物は多いようだが、自分がなぜノモンハンに関心を持つのか漠然としている。日本が敗戦に突き進んだトリガーポイントがノモンハン事件(戦争)だったからなのか。

以下本題。

かみつけ女流歌人 雅:裾の秋色

歌題=裾の秋色:

■赤城嶺の 紅葉前線 下りきて 広き裾野も 秋色となる 77 富田 京子

見慣れた風景も歌にして気付くことがある。赤城の裾野の秋色もその一つ。

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  • 山科正平: 12_細胞を読む   電子顕微鏡で見る生命の姿
    細胞はどんな部品からできているのか。そんな疑問に答えてくれる一冊。何事も形を見るのが第一歩。μからÅオーダーの世界で、細胞をメスで解剖するように、電子顕微鏡というメスで解剖して見せてくれるので興味が尽きない。
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    著者の専門は分子生物学、細胞生物学。普段生物を考えても細胞レベルで止まってしまう。その細胞の中で色々な分子が働いている。細胞こそ生命の基礎だが、その細胞の中の動きを知るのに最適な一冊。疑問の発端はなぜ発根剤が効くのかということ。薬剤が細胞膜を通過して細胞内で分子と分子が作用するイメージができた。本書でできた細胞のイメージは小さな無数の穴が空いた水分が充満したヨーヨーのようなもの。そのヨーヨーの中に分子部品が詰まっている。細胞自体もタライの中のヨーヨーのように浮かんでいる。細胞図面の空白部は真空でなく水分だ。細胞の内外に水がないと細胞は生きられない。水が生命のゆりかごだ!
  • 野口悠紀雄: 10_ホームページにオフィスを作る(2001年 光文社)
    ITが輝いた時代の作品。HPの活用法は参考になる。参考:url=http://www.noguchi.co.jp/(野口悠紀雄 ONLINE)
  • 小池洋男 編著: 09_果樹の接ぎ木・さし木・とり木(農文協:2007/3/31第1刷)
    やや専門的であるが、実務専門化が分担執筆しており、その場で役に立つ一冊。
  • ノーバート・ウィーナー(鎮目恭夫訳): 08_サイバネティックスはいかにして生まれたか(みすず書房1956)
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