06C_読みかじりの記

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2011年5月14日 (土)

読みかじりの記:会社人間だった父と偽装請負だった僕 赤澤 竜也 著 (ダイヤモンド社 2009年)

2011/5/14
地面が湿っているので苗を定植。堀上げた苗から土が落ちにくいので、灌水無しで活着すると思う。これも手抜き手法の一つ。一昨夜の夜8時頃、カラスが泣き叫んだ。翌朝、庭にカラスの死骸があった。鳥インフルかと思って届けをしようと後で見たら姿がない。40~50m離れたところにカラスの翼があり、蟻が群がっていた。野良犬か猫の仕業か。これは埋葬。もう一羽子カラスを保護した。こちらは、今朝野鳥保護施設に引き取ってもらった。東京電力の損害賠償を補う政府の原発事故補償の支援策が決定されと報道されている。最終的には原発事故の損害事故に対して何の責任もない電気利用者に尻拭いさせる図式である。電気利用者には税金と同じように総額で多分数兆円単位の追加負担が生じるだろう。こんな理不尽な事はない。東電社長は参議院予算委員会の参考人として従業員の年金には手を着けないと証言している。東電幹部役員の責任も明確にされていない段階でなぜ、気前よく支援策なのか。結局利権の先取りにすぎないのか。上毛新聞によると追加徴収額も10年間では10~20万円程度になりそうだ。これほどの額をただ取りするのか。対価として株式を交付する事等を考えるべきではないか。

昨日の天気

TAVE= 19.3
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RAIN= 0

読みかじりの記:会社人間だった父と偽装請負だった僕 赤澤 竜也 著 (ダイヤモンド社 2009年)

この本のタイトルの見出しには「さようならニッポン株式会社」と書かれている。自分をとらえたのは「会社人間だった父」と「さようならニッポン株式会社」であった。この部分に自分の社会人であった時期が重なるためだ。男にとって父を乗り越える作業は困難であり、そう簡単に済ませる事は不可能だ。そんな事を通読して改めて感じる。父も息子も時代も刻々と変わる。お互いに本当の姿を見せ合うのは両者の人生の一瞬にすぎないのかもしれない。そんな事はもともと無理なのかもしれない。父も息子もその生まれた時代の宿命を背負う。更に、家庭と社会における役割も背負う。現代においては、ほとんどの父が自分の仕事や働きぶりを息子に見せられるような仕組みがない。本書は著者の父が倒れるところから始まる。これは著者にとって人生を振り返るビッグバンのような位置付けになるようだ。そうして、父を理解するためには祖父も知らねばならない。三代を振り返ることによりようやく自分の位置が定まる。時代が時代ならばとつい甘えてしまい勝ちだが、その時代の変化の影響を受ける程度も人さまざまではあろう。著者も父に反発して出奔するが、父と同じような職業にも就いた。父を理解する事は自分を理解する事でもあろう。そのような気持がつのる頃には父はいない場合が多い。この本は、著者の家族のありさまを通して時代に迫ろうとするノンフィクション作品であると思う。そこには、心理的ハードルだけではく、克服しなければならない多くのハードルがあったようだ。そのような流れから、後半の「偽装請負だった僕」に繋がってくる。この部分は一種の潜入レポートのように感じる。時代の歯車に巻き込まれていないように感じたのは幸せだったかもしれない。むしろその冷酷さに迫ろうとした様子が窺われる。「二〇〇五年夏、僕はトラック運転手に転職した。どうしても肉体労働をしたかった。」ここでは、実態は派遣だが扱いは請負とされて、過酷な条件がトラック運転手に課せられている様子を自分の体験を通して描いている。「会社人間だった父」と「偽装請負だった僕」は社会体制や価値観でも断絶している。社会体制や価値観さえゆらいでいるのが現代社会ではある。「さようならニッポン株式会社」の後に情報化社会が到来している。甘い言葉で財布の紐はこじ開けられ、中身は知らぬ間に吸い取られる。報道は正社員、派遣社員、パート社員、アルバイト等身分差別的用語を堂々と使っている。流動化は金どころか文化や価値観や人格にまで及んでいるようではある。アイデンティティ、自己同一性を喪失するなかれと教えてくれる一書ではないかと感じた。父に逆らい、世に逆らうのも自己同一性確立の第一歩ではなかろうか。

以下本題。

かみつけ女流歌人 雅:石榴花コース

歌題=石榴花コース:

■手をつなぎ 二歳の孫も 登りゆく 初秋の風の 清し白根山 50 島田 みより

二歳の孫と手をつないで白根山を登った様子がリズム感よく詠われている。

2011年5月11日 (水)

読みかじりの記:リンゴが教えてくれたこと 木村秋則 著(日本経済新聞社 2009年)

2011/5/11
昨日午後に天気予報通り降雨があった。雨量は少なかったが苗には良いお湿りとなった。首相が記者会見をして原発を進めた国にも責任があるから原発事故対策に目処が立つまで首相歳費を返上すると発表したようだ。首相が個人として責任をとるというものも何か違和感を感じる。政府は東京電力の損害賠償責任は一義的には東京電力にあると言っているのと矛盾するのではないか。原発事故の初動対応の不手際にすり替えてしまったように見えて後味が良くない感じがする。

昨日の天気

TAVE= 20.4
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SUNS= 1.4
RAIN= 1.5

読みかじりの記:リンゴが教えてくれたこと 木村秋則 著(日本経済新聞社 2009年)

「軌跡のリンゴ(2008/07) 」は幻冬舎より出版され 、当時かなり話題になっていたと思う。本書はその続編に類するものかもしれない。自分は全くの果樹の素人で、花の美しさ、果実のうまさだけで果樹を育てようとしてきた。我が家の畑にもリンゴの苗を植えているがまだ満足な果実を収穫できていない。著者が何十年か続けてきたリンゴの無肥料無農薬と同じ事をする時間的な余裕は全くない。苗が2~3年育つ頃にはカミキリムシの被害でリンゴ樹を枯らしているのが実状だ。果樹にしろ野菜にしろ適地適作があると知ったのは会社退職後であった。農業をするのにも、後何年というタイムリミットが常に付きまとっている。そんな訳で著者の本は読みたいが読みたくもない本であった。ともかく、失敗をおそれず挑戦を続け成功したので本書が世に出たという事であろう。挑戦したが失敗しましただけの内容では面白みがない。その点本書は著者の色々な体験が詰まっている本である。読者は一般の人を対象としているようで、本書から具体的な技術内容やノウハウは得る事は困難だが、著者が実践した事や観察した事は興味深く参考になった。「りんご大学の『日本のりんごの歴史 』(url=http://www.ringodaigaku.com/study/history/history.html)」を見ると、青森県のリンゴ栽培は明治の初期に始まった事が分かる。『日本のりんごの歴史 』の年表と著者の足取りを重ねると著者の業績の位置付けが見えてくるのではないか。リンゴ産地がリンゴの病害虫や市場対応に苦労している点が見える。「りんご大学」は「青森りんごTS導入協議会」が運営している。「TS」はトレーサビリティの意味のようだ。青森りんごTS導入協議会は生産者団体、青果物卸売市場等がメンバーになっている。トレーサビリティとは生産物の履歴管理システムの意味であろう。生産物の履歴管理には食の安心安全のための防除(農薬使用)履歴も当然含まれているだろう。自然農法、無肥料無農薬栽培は究極的なで理想の農業のように受け取ってしまうが、それを実現できる農家は極少なく、無肥料無農薬栽培生産物が全体に占める比率はそれほど高くなく市場の要求を満たせないのが現実のようだ。言い換えれば、自然農法、無肥料無農薬栽培による農産物はブランド化して、高値で取り引きされる可能性も大きいだろう。ともかく、ある作物をある水準の品質でつくる方法は無数にあるように見える。自然農法、無肥料無農薬栽培が唯一絶対の技術でもないのではないかとも思うが、まだ第二、第三の有力な技術が見つけれた訳でもないようだ。ともかく、リンゴ栽培にも膨大な技術の積み重ねがある。そのような技術体系の中で、自然農法、無肥料無農薬栽培がどのような位置を占め、今後それが主流技術になるのかは興味のある所だ。ともかく、マクロ的に見ると果樹栽培農業は多大な労力を必要としている。一方市場の要求は限りなく厳しくなりつつある。人口の減少と農業離れが進む中で、生産物の品質の向上と省力化とコストダウンは相反する。このジレンマを解決する方法はあるのか。尚、農文協サイトの記事「自然栽培「奇跡のリンゴ」に学んだ畑はどうなった(url=http://www.ruralnet.or.jp/gn/201008/kant.htm)」も参考になった。一般のリンゴ栽培農家が無肥料無農薬栽培を行う場合、相当の収量低減が避けられないのが現実のようだ。

以下本題。

かみつけ女流歌人 雅: 窓

歌題=窓:

■増える白髪を いとほしみつつ 櫻(はな)冷えに 爪きる音の はぎれよき朝 1 相川 公美子

幾つかの情感が重畳的に表現されて、作者の人生と生活の確からしさを偲ばせる。

2011年5月 9日 (月)

読みかじりの記:雑草のごとく 谷口浩美 著 月刊陸上競技 編集(出版芸術社 1992年)

2011/5/9
昨日は母の日。夏のような暑さであった。サンショウの挿し木をした。1本でも2本でも発根すれば良いだろうと思いつつ。母の残した一首を思い出した。ともかく、百パーセントの発根は夢のようである。
■夫の趣味は 密閉挿しにて 山査子と椿 それぞれ 百パーセント
父の「密閉挿し」の様子は見たことがないが、乾燥防止のために挿し床を密閉したのではないかと思う。それにならって、鉢には板ガラスを乗せて乾燥防止をした。

昨日の天気

TAVE= 20.5
TMAX= 28.9
TMIN= 13.5
DIFF= 15.4
WMAX= 7.4
SUNS= 10.4
RAIN= 0

asahi.comの記事「1号機原子炉建屋内、計13人が作業 換気用管を設置(2011年5月5日20時4分)」によれば、「東京電力は5日、福島第一原子力発電所の1号機(福島県大熊町)で、3月12日に原子炉建屋で水素爆発が起きて以来初めて、建屋内に作業員が入ったと発表した。午前11時32分に東電社員2人が放射線量を確認するために建屋に入った後、午後3時8分までに作業員が建屋の換気用の管を設置した。」との事だ。原発事故対策でようやく原発本体に迫る第一歩であると思う。福島原発の各原子炉の破損状態はそれぞれ異なるようだ。1号機は水棺として巡回冷却システムを稼働させる計画のようだが、今後も気が抜けない作業が必要だろう。なんとかやりとげてもらいたい。他の2~4号機はどうなるのか。こちらも気になる。

読みかじりの記:雑草のごとく 谷口浩美 著 月刊陸上競技 編集(出版芸術社 1992年)

「雑草のごとく」というタイトルが最初に目に付いた。自分にとって雑草とは避けて通れない代物だ。雑草との付き合いは終わる事はないだろう。雑草を敵と見るより味方としてつき合って行こうと思っている。本書の腰巻きと表紙の写真からマラソンの谷口選手の著書と分かった。腰巻きには『’91世界陸上マラソン金メダルの」谷口浩美選手が、バルセロナ五輪で「こけちゃいましたよ」の一言で全国民を感動の渦に巻き込んだ。飾らず、おごらず、常に自然体。不器用だが、真正面に精一杯頑張り抜いたマラソン人生を自らつづる。』とある。

本書により谷口選手は駅伝からマラソンにはいった事が分かる。駅伝はチーム競技だがマラソンは個人競技だ。個人競技は個人競技の奥行きの深さを感じる。小学校から、高校、大学社会人と競技人生も興味深く読んだ。競技は結果が全てであるが、その最高の結果である優勝に至るまでには多数のハードルがある。「マラソンは本当に性格そのものだと思う。」とマラソンという競技をさらりと述べている。「私はマラソンというのは要領の悪い人でないと走れないと思っている。」という言葉にも感心する。社会人マラソン選手になって、「そのころから私も心理学に興味を持った。」と書いている。なぜか。別のページでどういう人がマラソンに適しているかについて書いている。「私は、自分を客観的にみつめられる人、それとあきらめない人、の二点をあげたい。」と述べている。マラソンという競技も最終的には自分との戦いになるようだ。自分を冷静客観的に見て自分を制御するそのためには心理学も生理学も必要なのだろう。それから、性格も根本的には変えられないが、ある部分は変えられると書いている部分には共感を受けた。自分も幼少時は内向的と言われ自分もそう思い悩んでいた時もあった。その傾向は今も変わらないが、それも気にならなくなった。性格と言っても頑固な習慣みたいなものでその部分は意識的に矯正すれば変わる事ではないか。いわば望ましいイメージを作ってそれに向かって努力することがあらゆる仕事や競技にも通用するのではないか。この部分は参考になった。

そもそも、自分も体操と音楽は苦手と思っていた。それは一面正しいのかもしれない。ただ、小学生の時、子供駅伝で優勝した経験は今も記憶に残っている(「子供駅伝大会で優勝」:http://af06.kazelog.jp/itoshikimono/2009/01/post-d713.html)。やはり、一度でもトップに立つという経験は人生でも重要に違いない。子供駅伝では早かったのは自分以外の選手で、自分はたすきをつなげただけという気持はあった。それはそれで良かったのだと思う。

本書出版時32歳の著者は「引退より自然消滅の道」と述べている。ここで、この本のカバー範囲は終わっている。その後はどうしたのか。「谷口浩美url=http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B0%B7%E5%8F%A3%E6%B5%A9%E7%BE%8E;最終更新 2011年3月22日 (火) 15:42 」:『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』(http://ja.wikipedia.org/)。によれば、「2008年4月より、東京電力 長距離・駅伝チーム監督に就任。2009年には同チームを全日本実業団対抗駅伝競走大会(ニューイヤー駅伝)初出場に導いた。2010年9月末をもって、同チームの監督を退任した[2]。現在は講演の傍ら、指導などで全国を回っている。」とある。

人生はマラソンに例えれる事も多い。それがレースとなると必ず順位がつきまとう。順位はレース参加者をある基準で一次元座標に投影して並べたものに過ぎないかもしれない。参加者には参加者なりの基準があっても良いであろう。参加者の持つ、ハンディ、経験、能力等々の色々な特性を考慮するとその順位の向こうに色々な物が見えてくるだろう。いわば、レースの敗者は雑草のような存在に見えるが、それをはねのけて努力の末に、誰も見ようともしない小さな実を付ける事ができるだけでも上々ではないか。雑草のような生き方は好まれないかもしれない。だが、それを避けることも出来ないのが現実だ。足元をしっかり見て、地面に根を張ることが勝負のスタートかもしれない。

以下本題。

かみつけ女流歌人 雅:永久の思ひ出

歌題=永久の思ひ出:

■温泉を 好みし夫と 折折に 旅に行きしは 永久の思い出 86 福島 春江

夫唱婦随で折々の温泉旅行をした思い出が甦ってくるような歌だ。

2011年5月 8日 (日)

読みかじりの記:野戦の指揮官 中坊公平 (著者:NHK「住専」プロジェクト 発行:日本放送出版協会 1997年11月30日 第1刷発行)

2011/5/8
アサクラサンショウの枝を貰った。棘がない。香りが良いので挿し木にしてくれと言われた。サンショウはミカンと同じ種類との事だが、ミカンの挿し木は難しいのは失敗続きで実証済み。緑枝挿しになるので挑戦することにして下準備中。

東日本大震災の被災者に何かしてやりたいと大抵の人は思っているだろう。その中で最も一般的なのが寄付、義援金を託すという事だろう。その物や額や方法も多様であって良いと思う。そんな事を思っていると貧者の一灯という言葉が浮かんできた。調べてみると「阿闇世王(あじゃせおう)受決経」、「賢愚経」がその出典のようだ。さらに「長者の万灯より貧者の一灯」ということばがあった。広辞苑によると、「貧者の真心によるわずかな寄進は虚栄による多くの寄進よりもまさっている。物の多少よりもまごころが大切である。」と解説している。更に検索するとurl=http://www.kannon-in.or.jp/kanji/bu-dangi/bu0405.htmに参考になる記事があった。経とは一種の説話である。非常に具体的でもある。和英で「貧者の一灯」をあたると「the widows' mite」と出てきた。意訳すると未亡人の小銭と言うことで、金にも事欠く未亡人が喜捨する小銭を意味するようだ。東日本大震災では長者の万灯に類する寄付もあったようだ。しかし、自分には貧者の一灯の方が何となくしっくりする。喜捨する人の気持ちは分かる。被災地に向けられた衣類等は必要以上が集まり、廃棄されたり被災者以外(リサイクル業者)に引き取られる例が出ているようだ。保存スペースがなければ仕方ないのかもしれないが、送った人々の気持ちはどうなるのか気になる。

昨日の天気

TAVE= 15.9
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読みかじりの記:野戦の指揮官 中坊公平 (著者:NHK「住専」プロジェクト 発行:日本放送出版協会 1997年11月30日 第1刷発行)

この本は、NHKが放送した番組の反響を受けて、ドキュメンタリー番組を補完する形で、新たな取材を加味して記したものである。本の腰巻きには、『正義と信頼。こんな弁護士がいたか!奮戦奮闘する「野戦指揮官。」森永砒素ミルク事件、豊田商事事件、豊島住民訴訟、住専6兆8000億円の債権回収の先頭に立つ姿に肉薄。』とある。異色または正義派弁護士中坊公平の「森永砒素ミルク事件、豊田商事事件、豊島住民訴訟」における活躍は既に神話の領域に近づいていた。自分も何冊か関連書籍を読んだ記憶がある。弁護士業をビジネスと見るならば、当然中坊公平が弁護士として扱った「森永砒素ミルク事件、豊田商事事件、豊島住民訴訟」事件はビジネスの側面を持つだろう。
従って、そこには被告・原告とその代理人である弁護士という構造関係が想像できる。従って、中坊公平にとって、戦場は自分の専門領域であったろう。しかし、「住専6兆8000億円の債権回収の先頭に立つ姿」の部分は、「株式会社住宅金融債権管理機構(住菅機構)」の社長としての活動であり、戦場が違うのである。「野戦の指揮官」というタイトルは住菅機構での活躍に相応しいのではないかと思った。功なり名遂げた老弁護士(「第6章 野戦の第一線に立つ」に68歳の大将とある)がなぜこの戦場に身を投じる事になったのか。当初、中坊公平は名誉職的な住菅機構の会長就任を打診されていたらしい。住専問題は護送船団方式の金融界ひいては日本の経済の屋台骨を揺るがす大事件であった。問題がここまで大きくなると野戦と言えども本当の敵が見えなくなってしまう。
ここで思い出されるのがリーマンショック。「リーマン・ショック(url=http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%9E%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%83%E3%82%AF);最終更新 2011年4月19日 (火) 03:51 」:『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』(http://ja.wikipedia.org/)。によると、「概要
2007年のサブプライムローン(サブプライム住宅ローン危機)問題に端を発した米国住宅バブル崩壊を切っ掛けに多分野の資産価格の暴落が起こっていた。リーマン・ブラザーズも例外ではなく多大な損失を抱えており、2008年9月15日 リーマン・ブラザーズは連邦破産法第11章の適用を連邦裁判所に申請するに至る。これを切っ掛けにリーマン・ブラザーズが発行している社債や投信を保有している企業への影響、取引先への波及と連鎖などの恐れから、アメリカ経済に対する不安が広がり、世界的な金融危機へと連鎖した。日経平均株価も大暴落を起こし6000円台にまで下落した。」また「負債総額、約64兆円という史上最大の倒産劇へと至り、リーマンショックとして世界的な金融危機を招いた。」とある。

中坊公平が晩年にさしかかり、住菅機構として、債権回収のために残された時間はわずかしかないという緊迫感が「第6章 野戦の第一線に立つ」から伝わってくる。その中坊公平をかりたてたのが「弱きを助け、強きをくじく」という正義感のようである。
「中坊公平(url=http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E5%9D%8A%E5%85%AC%E5%B9%B3;最終更新 2011年2月24日 (木) 21:32 )」:『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』(http://ja.wikipedia.org/)。によると、「中坊 公平(なかぼう こうへい、1929年8月2日 - )は、日本の元弁護士(廃業前は大阪弁護士会に所属)。元日弁連会長。新しい日本をつくる国民会議(21世紀臨調)特別顧問。 「平成の鬼平」と呼ばれたが、住宅金融債権管理機構の債権回収で不適切な回収が行われたことが公になり、この責任をとる形で弁護士を廃業。」とある。

中坊公平が弁護士資格まで投げ捨てざるを得なかった野戦とは何であったか。この本で中坊公平は、「15年もたったら、事件そのものが風化してしまうでしょう。この回収は時との戦い。」と言っている。確かに住専問題は既に記憶のかなたに消えようとしている。しかし、同じような構造の問題が既に生まれている。東京電力の東日本大震災を発端とする原発事故の損害賠償による経営危機の問題がやがて大きな姿を現してくる。場合によれば、損害賠償訴訟の多発の可能性もある。責任をあいまいにして国が東京電力に資金を注入する事の是非等の問題もやがて出てくるだろう。東京電力も建前では日本の一私企業にすぎない。一度破綻処理してから再建すべきであるという意見も出ている。「野戦の指揮官 中坊公平」は、中坊公平が弁護士としての豊富な経験を生かして国・国民のために戦ったドキュメンタリー作品だ。住専の不良債権回収と東京電力の原発事故の損害賠償がどうしても重なって見えてしまう。今後、中坊公平のような人物が出て来るのだろうか。

尚、WIKIPEDIAで調べてみると、
「整理回収機構(url=http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%95%B4%E7%90%86%E5%9B%9E%E5%8F%8E%E6%A9%9F%E6%A7%8B;最終更新 2010年11月14日 (日) 01:19 )」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』(http://ja.wikipedia.org/)。によれば、「機構の問題点
名弁護士として知られた中坊公平を社長に迎え、マスメディアを中心に「正義の味方」扱いされた整理回収機構だが、中小企業に対して過酷な債権回収を行っていることが批判された。また、中坊は破綻した朝日住建の債権回収の際にその債権者を騙して15億円を詐取した件を朝日住建子会社の元社長増田修造から内部告発され、2002年10月に東京地検特捜部へ詐欺罪で告発された。起訴の可能性が極めて高いとされたが、中坊が弁護士を廃業すると約束した事で情状され、起訴猶予処分となった。
整理回収銀行勘定の不良債権の多くは中小企業に対する債権である一方、住専勘定の債権は暴力団が入り込んだ先やすでに先順位の担保がついた回収が難しい債権が多い。帳尻を合わせるために、中小企業向けの債権を強引に回収しているという実態についてはマスコミ各社が報道を行なっている。その一方で、一部の債権回収においては、回収できる債権を裏取引により放棄したとの疑惑を持たれたものもある。」とある。

中坊公平は現場主義を貫いたと本書に書かれていたが、債権回収の現場はそれこそ、戦場であったようだ。そこには、知略や合法・非合法すれすれの危うさもあるようだ。庶民は常に、「弱きを助け、強きをくじく」という正義の味方を待ち望んでいるのだが。

以下本題。

かみつけ女流歌人 雅:花の風韻

歌題=花の風韻:

■太ぶとと 山鳩啼けり 朝霧に こゑこもりゐて 霧晴るるまで 59 高橋 あぐり

耳をそばだて朝霧の中に啼く山鳩をとらえ、よどみない的確な歌調で詠んでいる。

2011年5月 5日 (木)

読みかじりの記:「良い指揮官 良くない指揮官」(吉田俊雄著、光人社NF文庫 1999年)

2011/4/5
苗床の小さな雑草を手で除去している。かなり前からツバメの鳴く声を聞いているのだが、まだその姿を見ていない。しばらくぶりに東京電力のホームページを開いてみると、かなり原発事故の写真が公開されている。原発建屋の爆発の凄さが鮮明に撮影されていた。撮影時点でこれらの映像が公開されていれば、避難の理由も一目瞭然であろう。これを今まで隠してきたのだから、何を今更という感じもする。隠し通せない現実がある。その現実が当局の不誠実さを証明している。

昨日の天気

TAVE= 17.5
TMAX= 24.3
TMIN= 11.5
DIFF= 12.8
WMAX= 7
SUNS= 10.2
RAIN= 0.5

読みかじりの記:「良い指揮官 良くない指揮官」(吉田俊雄著、光人社NF文庫 1999年)

東日本大震災への当局の対応がはかばかしくないのを気にしつつ書店で本探しをしていた時に出会った一冊であった。著者吉田俊雄氏は元大本営海軍参謀と表紙に記されていた。表題のキャッチフレーズには「14人の海軍トップを斬る!」とある。著者は明治42年佐世保生まれ。海軍兵学校に入り、生粋の海軍軍人で、終戦時は大佐であったと経歴が内表紙に記されている。単行本は平成8年に出版されている。著者も後期高齢者と言おうか、人生の四住期の遊行期に入って書かれた本ではないかと思った。海軍に所属してその上官である指揮者を評価する事は非常な困難を伴うだろう。しかし、その困難があっても、この年齢となり自分でなければそんな仕事はできまいという責任感がこの本の出版の動機ではなかったかと推測させる。後世に書き残した貴重な一冊という意識もあったのではないか。執筆の動機と結論は序章と終章に要約されていると思う。序章で指揮官の職務は「むごい職務」であると述べている。「要するに、指揮官は、下級者の上にいて、「指図」をしなければならぬ職務である。だから、前提として、いつも、「もっとも正しい判断」をしなければならない。その点からすれば、もっとも正しい判断ができ、「目的を達成すること」の出来る指揮官が「良い指揮官」であり、それができない指揮官は、「良くない指揮官」ということになる。」と書かれている。目的を達成するためのあらゆる要素が評価の対象になりそこにむごさの本質があるようだ。著者は「心の問題」という節で昭和2年から軍学校のカリキュラムが変わり、「精神科学が加わり、論理学、心理学、哲学、倫理学、軍隊教育学、統率学を勉強した。」と記している。残念だが、これらの人材育成を受けた軍人が軍の要職に着ける年齢に達しない内に日本は敗戦に至ってしまった。軍も国家も企業も詰まるところその組織は人材の優劣で勝負が決まるのではないか。そこには科学的な組織論も必要になる。しかし、あまり組織が完全になりすぎると人材の活力がそがれてしまう。日本はどんな状況にあるのか。時代で言えば戦国時代のような混沌とした時代を抜け出せていないように感じてしまう。著者が掲げた評価の基準は、
(1)目的達成度:満足度
(2)コスト:失ったもの、所用兵力、所要時間、味方被害
(3)手際:リーダーシップ、情の統率、時代認識など
(4)成果:獲たもの
(5)心の問題:自分の仕事に普遍的意義、価値を見いだし育てているかどうか
である。この評価基準はかなり近代的な基準に見える。
文庫版のあとがきではJCOの臨界事故、談合問題等当時の世相にさらりと触れている。自分がこの本を手にしたのは、国難に直面したときの指導力の問題についてなにか参考になる手がかりはないかとおもったからである。東日本大震災は国難だと大合唱になっているが、一向に事態は改善していないようにもみえる。もはや、信頼のできない一部の自称リーダーに頼っている時代は過ぎたのかもしれない。意識しているか否かは定かではないが、被災民も国民も自分が自分自身のリーダーであるという感覚がありそれが成長しているから、日本は崩壊せずに耐えているのではないか。東日本大震災の初動に関して、上からの号令が届かなくても現場は少ない情報を頼りにできるだけの事をしてきたのではないか。それだけに、迅速的確な情報が欠けていたことの問題点は今後厳密に検証される必要があるのでなかろうか。それは、国、自治体、企業等々の組織に共通することであろう。ともかく、軍という組織はその目的が明快である。軍と他の組織の相違を見ることも参考になると思う。

追記:「吉田俊雄」:『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』(http://ja.wikipedia.org/;最終更新 2011年3月23日 (水) 11:35 )によると「戦後は防衛庁事務官、小松製作所勤務のほか、旧日本海軍に関して数々の著作を残す。長寿を保ち晩年まで健筆を誇ったが、100歳を目前にして2006年に死去。享年97。
その著作は軍令部に長く勤務し、永野らの側近に仕えた吉田ならではの着眼と達意の文章で広く親しまれた。」とある。
遊行期云々と書いたが、長寿で多数の著作を残している事が分かった。なお、WIKIPEDIAの記事には「良い指揮官 良くない指揮官」という本は記載されていなかった。

以下本題。

かみつけ女流歌人 雅:姑逝く

歌題=姑逝く:

■朝なさな 鳩のくぐもる 声に覚め 姑に呼ばるる 思いしじなり 19 稲葉 明子

近しい人が死んだ時、誰しも、何事につけてもまだ生きているような思いがする。

2011年4月26日 (火)

読みかじりの記:2020年電力9社崩壊の日 藤田幸雄著((株)イーストプレス:1993/5/1第2刷)

2011/4/26
メイポールというミニリンゴの木にピンクの花が咲いていた。このリンゴ樹は枝が短い性質があるので省スペースである。値段が高いが苗を買って植えてみた。雑草は元気に育っている。雑草を追っていてはパニックになる。雑草とは共存しよう。そんな事を思いつつ草退治が続く。

「今ごろ?…放射性物質の飛散予測を公表(url=http://www.yomiuri.co.jp/science/news/20110425-OYT1T00953.htm?from=main5;(2011年4月26日01時31分  読売新聞))」という記事は「内閣府原子力安全委員会は25日、東京電力福島第一原子力発電所から大気中に放出された放射性物質のコンピューターによる拡散予測を公表した。」大金をかけて開発した放射能拡散予測システムで、大量のシミュレーション結果が得られているが、公表されたのは2件だけだった。それに追加して公表されたようだ。外国ではいち早くシミュレーション結果を公表している。情報力でも日本は外国に遅れをとった。ともかく大失態を弁明できない事態になってようやく公表に踏み切ったのが実状ではないか。福島原発事故は依然放射能の拡散を完全に抑えきっていない。今公表せず、今後最悪の事態になったら袋叩きになるという外圧を予想して渋々公表に踏み切ったように感じられてならない。原発事故被災地の人々の気持など完全に無視した態度ではないか。さらに、公金の無駄使い、役人の無駄仕事云々と際限がない。

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読みかじりの記:2020年電力9社崩壊の日 藤田幸雄著((株)イーストプレス:1993/5/1第2刷)

東北電力会長をした白州次郎から日本の電力再編の歴史に関心が移った。電力もそれを生産する発電の部分では色々な形態のエネルギーを使用している。終戦後は水力発電が主力であったろう。東京電力は尾瀬ヶ原を揚水式発電所に使用する計画を進めた。しかし、尾瀬の自然を守れという運動も大きくなり、ついに東京電力の計画は撤回された。電力という利便性と人間に不可欠な環境という選択が迫られたとき、東京電力も国民も環境を残すことを選択したのである。東京電力は「尾瀬が「ラムサール条約湿地」に登録」というタイトルで、「当社が約7割の土地を所有する尾瀬が、本日、ウガンダ共和国で開催中の「第9回ラムサール条約(注1)締約国会議」(注2)において、「ラムサール条約湿地」に登録されました。」と発表している(url=http://www.tepco.co.jp/cc/press/05110803-j.html;平成17年11月8日)。東京電力が国から原発事故の損害賠償の肩代わりを受けようとするなら、先ず潔く東京電力が尾瀬に保有する土地を国に売却して、尾瀬を本当に永遠の自然保護区にする程度の見識を示してもらいたい。

「2020年電力9社崩壊の日」が出版されたのが1993年で、いわば出版当時では30年先の予言の書であり、現在残りの10年にさしかかっているがの本書理解の枠組みだ。東京電力の福島原発事故の激震は他の電力9社にも走っているのが現実ではないか。銀行等の護送船団方式は既に崩壊したが、電力9社体制は依然護送船団方式として残っている。

著者の藤田氏は高圧送電線が走る土地の地権者として電力会社に補償を求める行動(訴訟等)を起こす中で、電力事業という基幹産業の奥に隠れる国家権力にまで遭遇してしまった。高圧送電線が走る土地の地権者全てが正当な補償を要求すれば、その補償だけで電力会社はパンクしてしまう。この小さな蟻の一匹だけが巨大な電力会社に噛みついても電力会社は何の痛みも感じないであろう。著者は補償を求めるという個人的な利害を超越して、自分の行動が将来の日本を動かす呼び水になると考えてこの本の出版に立ち向かったように感じる。色々な分野を学んだ様子がこの本からうかがえる。

後書きでは色々な利点を列挙して電力の自給自足(コジェネレーション)を挙げている。そうして、後書きの最後の言葉が印象に残る。「これが、一不動産業者である私にできる最善の策(*注)だ。この国と私たち、そして子孫のために、私たちができることから始めたい。」*注として最善の策とは「電気の父・ファラデーが「ロウソクの科学」で一本のロウソクから色々な科学の法則を説明したように、私は一本の送電線から日本を説明したいと思う。この本が20世紀日本の「ロウソクの科学」となろう。」とコメントしている。著者は蟻の一穴の譬えで、小さな風穴を与えれば事態は簡単に動くとは思ってもいないだろう。地権者としての権利の主張は既に20年ほど前に始まっている。これに何人追従したろうか。

しかし、環境に対する危機意識はこの20年で非常に高まった。東京電力福島原発事故は更に環境意識を先鋭化するかもしれない。「一不動産業者」である著者の見識は、そんな肩書きとは無縁で、今日でも注目に値する。電力は非常に便利なエネルギー形態だ。しかし、そのエネルギー密度を上げて行くと色々な危険が増える。高電圧送電もその一つ。自然は熱力学の法則でエネルギーを分散させる方向に動く。各家庭がエネルギーを自給自足出来る時代は直ぐには来ないだろうが、今後はエネルギーリスク対策も家庭にまで広がるだろう。集中巨大から小規模自立分散が21世紀の文明の流れになるのではないか。既に自動車という交通手段は、問題も多いが自立・分散レベルに達している。広く、色々な形態で分散するエネルギーを安く集めて使うのが今後の社会や技術の課題であろう。スマートグリッドもその流れの中にある。電力会社が独占的な業者としての地位を占める事には今後批判が集まり、売電一筋の事業形態は変容を迫られるであろう。すでに太陽光発電の買電も始まっている。この場合は電力会社は電力の仕入れと販売をおこなう商人だ。家庭も小さな発電所になっている。今後、電力会社がどのような形で生き残るのか。電気料が高くなり、安価で安全・安心な代替えエネルギーの出現がそのカギになるだろう。

追記:コジェネレーション等では廃熱を捨てずに使うことにより総合的なエネルギー利用効率が高まる。著者はその点も述べてる。しかし、今日の大都市はエネルギー的(食料等も含めて)等あらゆる面で自立不能である。ともかく、東北関東大震災が今日の文明の弱点をさらけ出したのも事実であろう。それから何を学ぶべきか。

尚、本書は昨年から営業を始めた煥乎堂の古書部門で買い求めた。煥乎堂が古書を扱うとは思わなかったが、これも時代の流れではあろう。煥乎堂訪問も久しぶりで、そこで古書を買ったのも初めてだった。

以下本題。

かみつけ女流歌人 雅:母と百人一首

歌題=母と百人一首:

■楽しみも 無く伏す母との 歌合わせ こゑ出す母の 生き生きとして 54 杉戸 紀和子

楽しみもなく伏す身となっても、母は母なりに歌合わせに生き生きとした喜びを感じているさまを詠んだ。

2011年3月31日 (木)

かみつけ女流歌人 雅:竹似草咲くみち

2011/3/31
昼は晴天。苗を植えた。ランニング中のオジサンが話しかけてきた。道路沿いの水仙が良く咲いているが、うちのは丈だけ伸びて咲かないと言う。肥料が多すぎて成長モードに入り花芽がつかないのでは等話が始まる。見知らぬ人だが長話になった。マスターの中距離選手だという。夜になり雷鳴がしたが雨はわずか。降雨に期待した苗植だったが残念。今朝、早朝のNHKニュースで福島第一原子力発電所の現場体制が変わると報じられた。WEB検索をしたら、以下のようなニュースがあった。

「東電 作業員の環境改善進める(NHK NEWS)
3月30日 21時52分 
福島第一原子力発電所の復旧作業に当たっている作業員が厳しい環境に置かれていることについて、東京電力は、これまでおよそ600人が寝泊りしていた態勢から、200人ほどに絞り込んで、第二原発などに移動させ、環境の改善を進めていると説明しました。」

このニュースを聞いてふと疑問がわいた。「復旧作業に当たっている作業員が厳しい環境に置かれている」のは今分かった事ではないだろう。実際は600人どころでもないのではないか。今まで、何の気遣いもなく多くの作業員を酷使してきたことを言い直すとこういう美辞麗句になるのだろうか。政府、東京電力は外国や各種機関の支援を受け入れつつある。当然、表向きは支援というミッションを持っての入国、原発現場入りとなるだろう。支援を受ける立場からは、特別な理由が無い限り、視察や調査に条件を付ける事は難しいだろ。結局、福島第一原子力発電所は丸裸になり調査される。そうして、政府、東京電力が言ってきた事の虚実をしっかり掴んでしまう。それは当然、外交やビジネスにフィードバックされて行く。太平洋戦争時に大本営が撤退を転進と称したことが思い出される。「600人が寝泊りしていた態勢から、200人ほどに絞り込んで」という事は撤退ではないのか。今更嘘を言っても通らなくなる。WEB記事には、原発を石棺に入れるという、コンクリート詰め対策も出初めている。東北の地に何十年、何百年も立入の出来ない廃墟を作ろうとするのか。もしそうなれば、百年後にはまた大地震、大津波が発生する可能性も大きい。その時、この廃墟が崩壊して再び放射能を吐き出し、その放射能は地球規模で拡散する危険が残る。日本は、世界の孤児どころか、世界一の危険国になってしまう。

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読みかじりの記:証言・私の昭和史 ②戦争への道 きき手・三國一朗 テレビ東京編(文春文庫)

自分にとって未だしっくり理解できない事がある。日本はなぜ無謀な戦争に突入し、悲惨な破局に至ったかという疑問であり、問いかけである。この本は、敗戦30年余後に、その戦争や戦争に至る現場にいた人々の証言をラジオ放送の録音から編集して出版された物である。この本を読んで、歴史の歯車は着実に戦争に向かって回転してしまったように感じた。記事の中に「斎藤隆夫の反戦演説」という項がある。昭和15年の第75帝国議会の民生党斎藤隆夫の代表質問に関する記事だ。当時の社会情勢から言いたくも言いにくい事を、勇気を持ってずばりと直言した2時間ほどの大演説で、その反響も大きかった。しかし、歴史は戦争へと回転を続ける。「ノモンハン敗戦の真実 - 一連隊長の証言 -」の項は父の従軍体験と重ねて読んだ。詳細は本書に譲るが、ノモンハン敗戦と同じパターを太平洋戦争全体で繰り返して、日本の敗戦という終局を迎えた。今、真相を振り返る事ができるなら、軍人も政治家も国民も何か足らない物があったのではないかと思える。その何かとは何か。島国という人為的な危機の少ない環境で、未だ比較的大きな変化に対応するという訓練・習性が育っていないのか。ともかく日本では大事を為すに船頭が多すぎる。責任は分散どころか霧散してしまう。日本軍は転進という名目でじりじりと戦場から追いつめられてきた。最後は玉砕だと叫ぶが、誰が戦争責任をとったのだろうか。「人間近衛文麿 - その登場と死 -」の項では自決にいたる経緯が述べられている。戦争への道は容易に突き進んでしまう。本当に難しいのは名誉ある撤退であろう。

以下本題。

かみつけ女流歌人 雅:竹似草咲くみち

歌題=竹似草咲くみち:

■新緑の 山へ行きたし 木の芽摘み 足萎え我を 山が誘ふ  25 岡田 艶子

体力は低下しても、気力と春の生命力を感じさせる一首。

2011年3月25日 (金)

かみつけ女流歌人 雅:生活の中から

2011/3/25
昨日は所用で外出。東北関東大地震以前に給油した残り少ないガソリンでマイカーの軽トラを走らせた。用事が終わり、書店で週刊誌の立ち読み。在職中原発の設計に関与した元技術者の話等が実名で出ていた。そういう話は墓場まで持って行くのではと思っていたので予想外にうれしかった。文庫本1冊。退職後、元の職場や仕事の不具合や、自分の職歴や失敗談を話すのは大変勇気の要る事だ。そういう行為は、東北関東大地震が自分が関与した原発開発の歴史や設計上の問題点を是非多くの人に伝えるべき唯一の機会ではないかという悲壮感も込めたメッセージでもあるように感じた。原発は本当の所は専門でなければ分からない事がほとんどだ。新しい技術は専門さえ分からない部分が多い。そういう事を考えると元技術者には頭が下がる。自分の失敗談も具体的には話し難いので、アナログいろはカルタ等という形で書いている程度である。これは、自分の退職を機会に何かの役にたつかも知れないとまとめてみた。電気店、DIY店も廻ってみた。電池の棚は、特殊な物を除いて大方空であった。行きつけのGS店も閉店で給油できず。しかし、朝のラッシュ時は平常と同じ程度の車の数。夕方は少し少ない感じ。計画停電で5PM頃閉店した店があった。

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AMEDASで最高最低値も出るようになっていた。このデータは瞬間値のようだ。

                 データ        時刻
最低気温(℃)    -0.7          05:57
最高気温(℃)     9.9          14:27
最大瞬間風速(m/s)(風向(16方位))
                 9.4(北西)    00:15

読みかじりの記:法窓夜話(穂積陳重 著 岩波文庫)

本の表カバーに、「日本近代法の制定にあずかった著者(1855-1926)の、人生が無味乾燥でないならその大法則である法律の話とて無味乾燥であるはずがない、それを人々に伝えたい、という熱意からまとめられた100話。」とある。

母は何かの時か、技術者になっても良いところは法律家が持って行くというような事を言っていた。要は理工系は下働き、組織の上層は法文系が占めているというような意味で言っていたのではないかと思っていた。事実、法律がどんなものか理工系の人間は余り興味を示さない。しかし、この法窓夜話を拾い読みするとそのカバーする範囲が広く、現代ではこのような本を書ける法学者は少なそうだと勝手に思ってしまう。法律も専門化しすぎてよそ見していたら埋没の危機に陥る。でも人間や社会を理解できなければ法も空しい物になってしまうだろう。著者自身がこのような本を出そうと心がけて話題を集めたようでもあり、興味研究の幅がそれだけ広かったようでもある。WEB資料によると東京電力の現社長以前の社長は東大法経が3名、東北大工1名で、現社長は私大経であった。現内閣総理大臣は国立大理工で、東京電力も政府もそのトップは異例のようだ。そう言う意味では、学閥・学歴にとらわれない流れも生まれてきているのか。その点では、頑張ってとも言いたくなる。

興味を覚えたのは、明治維新以後西洋の法律体系を日本に導入しようとした先人達の努力に付いてであった。医学に関しては解体新書等でおぼろげな姿は教えられるが、法律に関しては一般人は余り縁が無いだろう。西洋の法律用語を日本語に移すだけでも大変だったようだ。以前、和魂洋才について考えてみたが、どうも法律分野でも西洋学問の輸入という部分があったようだ。原発も同じで米国から日本に導入する初期の頃は教えてもらえないブラックボックスがあったようだ。自分が開発担当をしたTV用の集積回路も米国メーカー品のデッドコピー、よく言えばリバースエンジニアリング技術で開発した。試行錯誤の勉強の時期があった。法律も一つの論理体系と見ると曖昧さを排して整合性を求めて進化するのではないか。思うに、日本で法律を徹底できる物心両面で十分な素地が出来ているのかという疑問がある。時と場合で、俺が言った事が法律だというような場面があるのではないか。

東北関東大地震が未曾有の国難であるという認識は国民に共通だと思う。災害対策基本法に「災害緊急事態の布告」という条項があり、内閣総理大臣はこれを布告することなく、事態の対応を行っている。災害対策基本法が何のためにあるのか疑問になってしまう。というより、国民が法律として内閣総理大臣に委任した法の執行を内閣総理大臣が無視した事に対して法治国家の威厳が保てるのか不安になる。NET上には「災害緊急事態の布告」すべしという意見も多く見られる。何故ならば、災害対策基本法なので、この法律に基づき執行すれば、関連法規が整備されているので事後の対策をスムーズに行えるためだろう。現内閣総理大臣は理工系出身だから、原発は俺に任せろというのは筋違いではなかろうか。

以下災害対策基本法の一部:「第八章 災害緊急事態
(災害緊急事態の布告)
第百五条  非常災害が発生し、かつ、当該災害が国の経済及び公共の福祉に重大な影響を及ぼすべき異常かつ激甚なものである場合において、当該災害に係る災害応急対策を推進するため特別の必要があると認めるときは、内閣総理大臣は、閣議にかけて、関係地域の全部又は一部について災害緊急事態の布告を発することができる。
 2  前項の布告には、その区域、布告を必要とする事態の概要及び布告の効力を発する日時を明示しなければならない。」

以下本題。

かみつけ女流歌人 雅:生活の中から

歌題=生活の中から:

■戦中に 松根堀りにし  松山が ログハウス村に 変わりてゐたり 58 瀬沼 仁子

戦時中航空機燃料の代用にした松の根と戦後のログハウスとなった松を対比して歴史の変化を教えてくれる歌。

2011年2月26日 (土)

読みかじりの記:風の男 白州次郎(2000年 青柳 恵介 著)

2011/2/26
気象庁は関東地方に春一番が吹いたと発表。昼間は気温が上がったが、夜は強い北西の風が吹いた。

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以下本題。

読みかじりの記:風の男 白州次郎(2000年 青柳 恵介 著)
最初は私家本として平成2年に出版された白州次郎の伝記のような本である。白州正子の「名人は危うきに遊ぶ」という新潮社の文庫本と一緒に買った。白州次郎という人物には余り馴染みがなかったが、白州正子の名前に惹かれてまとめ買いした。一読して、印象に残った部分は『次郎はトムソンの試験を受ける際、十分に勉強してのぞんだが、返ってきた答案の点数は低く、「きみの答案には、君自身の考えが一つもない。」と記してあった。そこで、次ぎの試験の際には存分に自分の意見を書いたら、評価が高かったという。』この部分は徳川家康の直系の子孫で白州次郎と交流のあった徳川家広からの伝聞らしい。ここで、トムソンとはイギリスのケンブリッジ大学教授で物理学者のJ.J.トムソンの事。白州次郎がケンブリッジ大学に留学したときの一こまである。J.J.トムソンは電子というものが存在することを証明してノーベル賞を受賞した。20世紀は電子技術が広範囲に実用化した時代でもあった。白州次郎がイギリスでJ.J.トムソンから講義を受けていたと知っただけでも白州次郎を理解しようとする興味を覚えた。自分独自のしっかりした考えを持つ、ケンブリッジ大学を卒業した紳士としての誇りを持つというような青年期の体験がその後の白州次郎のバックボーンになっているように感じた一節であった。白州次郎が活躍した終戦前後の場面に登場する人物も多彩であり、戦前・戦後にわたる昭和という時代を具体的にイメージするにも本書は参考になった。特に、日本国憲法の成立過程でGHQと日本政府の交渉の間で活動した白州次郎も歴史の理解で参考になった。この本は当時の上流階級についても記されているが、白州次郎はその上流階級のノブレス・オブリージュという側面を意識して行動できた人物なのかもしれない。

ジョゼフ・ジョン・トムソン:出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』(最終更新 2011年2月13日 (日) 08:09 )によると「サー・ジョゼフ・ジョン・トムソン(Sir Joseph John Thomson, 1856年12月18日-1940年8月30日)は、イギリスの物理学者。しばしばJ.J.トムソンと呼ばれる。電子と同位体の発見者であり、質量分析器の発明者である。1906年に電子の発見と気体の電気伝導に関する研究でノーベル物理学賞を受賞した。」

2011年2月22日 (火)

読みかじりの記:花粉症 こんな撃退法があったのか(1991年 坂本吉朗 、増田 豊、越智 康仁 著)

2011/3/22
午前中は両毛三山も霞がかかったようで、春のようなうららかさが感じられた。

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以下本題。

読みかじりの記:花粉症 こんな撃退法があったのか(1991年 坂本吉朗 、増田 豊、越智 康仁 著)

いつか読もうかと買った古本のようだ。読まない本を書棚に返すときに目についてしまった。自分自身、花粉症の症状を持っているが、医者にも行かず、薬も飲まず専らその季節が過ぎるのをやり過ごしている。いわば、日和見対処法でその場をしのいでいる。本書では、三名の著者の医師が独自の方式を本書で紹介しているが、そんな方式もあるのかと感じた程度であった。再読して、花粉症に関する情報を拾い出して、自分の花粉症の理解の参考としたい。

裏表紙に、「スギ花粉でアレルギーを起こすことがわかったのは1964年でした。」とある。この年代にも色々な意味がありそうだ。プロローグには参考になる情報がある。昭和50年以降、輸入材が増加して、国産スギ材離れ即ちスギ林の手入れされなくなり、スギ花粉が産生増大した。花粉を盛んに振りまく樹齢が20~30年と丁度、スギ花粉症の増大と位相があう。人工杉林の樹齢分布から、「スギ花粉の飛散は今後15年間はつづくのではないかとみられています。」と述べている。スギも青年・成人期を過ぎれば花粉産生量が減少するという想定であったようだ。東京都のスギ花粉のデータが掲載されている。
S55:799、S56:534、S57:4565、S58:350、S59:1665、S60:2028、S61:1602、S62:499、S63:2560、H1:112、H2:1812。昭和57の飛散量が特に多かったようだ。何年か前にも、スギ花粉症は国民病に近いのだから、対策推進をすると格好の良い発言をした政治家もいたような記憶がある。スギ花粉の少ないスギの品種の育成も進んでいるようだ。スギ花粉症も一種の心身症にまでなると対処が複雑になる。

スギ花粉は30ミクロン程度の球体との事である。人の肉眼の分解能は0.1mmが限界との事なのでスギ花粉はとうてい肉眼では見えない。この30ミクロン程度のスギ花粉を完全に除去する事も体内に進入させない事も現実的には難しい。ともかく、病気の症状はその人の心身の状況を外部に示すシグナルでもある。花粉症が会話やコミュニケーションの媒体になったり、花粉症に逃げ込むのも社会心理学的現象の一つなのかもしれない。スギ花粉も外部から来るストレス要因の一つに過ぎない。この本の最後に「まず強靱な体力と精神力を磨け」という項目があり、ストレスに耐えられる心身を作る必要があるというのが結論でもあるようだ。花粉症は対処療法が基本療法になるのだが、負けてたまるかと前向きな心構えと対策が先ず必要であると感じた。

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    刃物という視点で多くの事例が取り上げられている。刃のある道具の理解にも役立つ。類書が少なく貴重な一冊。「すべり変形が切断の原理」という考え方で説明している。
  • 沼田 真   : 植物たちの生( 1972年 岩波新書(青版 833))
    「ご要望にお応えしてアンコール復刊(1988年岩波新書50年記念復刊) 地球生態系の中で自然を見直す」(腰巻きのフレーズ)。植物の知恵と戦略に人類は勝てるのか。
  • 出町 誠: 14_NHK趣味の園芸:よく分かる栽培12ヶ月  カキ(NHK出版2007年)
    初心者向け柿栽培参考書(新版)。旧版と比較すると楽しい。
  • 中村三夫: 13_NHK趣味の園芸:作業12ヶ月  カキ(NHK出版1996年)
    初心者向け柿栽培参考書(旧版)。新版と比較すると楽しい。
  • 山科正平: 12_細胞を読む   電子顕微鏡で見る生命の姿
    細胞はどんな部品からできているのか。そんな疑問に答えてくれる一冊。何事も形を見るのが第一歩。μからÅオーダーの世界で、細胞をメスで解剖するように、電子顕微鏡というメスで解剖して見せてくれるので興味が尽きない。
  • 柳田充弘: 11_細胞から生命が見える
    著者の専門は分子生物学、細胞生物学。普段生物を考えても細胞レベルで止まってしまう。その細胞の中で色々な分子が働いている。細胞こそ生命の基礎だが、その細胞の中の動きを知るのに最適な一冊。疑問の発端はなぜ発根剤が効くのかということ。薬剤が細胞膜を通過して細胞内で分子と分子が作用するイメージができた。本書でできた細胞のイメージは小さな無数の穴が空いた水分が充満したヨーヨーのようなもの。そのヨーヨーの中に分子部品が詰まっている。細胞自体もタライの中のヨーヨーのように浮かんでいる。細胞図面の空白部は真空でなく水分だ。細胞の内外に水がないと細胞は生きられない。水が生命のゆりかごだ!
  • 野口悠紀雄: 10_ホームページにオフィスを作る(2001年 光文社)
    ITが輝いた時代の作品。HPの活用法は参考になる。参考:url=http://www.noguchi.co.jp/(野口悠紀雄 ONLINE)
  • 小池洋男 編著: 09_果樹の接ぎ木・さし木・とり木(農文協:2007/3/31第1刷)
    やや専門的であるが、実務専門化が分担執筆しており、その場で役に立つ一冊。
  • ノーバート・ウィーナー(鎮目恭夫訳): 08_サイバネティックスはいかにして生まれたか(みすず書房1956)
    情報と通信という現代社会に不可欠の基礎的な学問を作った著者の自伝とそれを通した科学史
  • 沼田 真(編): 07_雑草の科学(研成社1979)
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    2010/8/4:MEMO等の表示に使える。 農作業で気になる自戒の言葉 ■畑の石ころはいつまで経ってもても石ころ(早く拾って片づけよという意味か)。 ■同じ石を二度拾うな(やってみると難しい)。 ■手ぶらで歩くな。 ■三つ先のことを読め。 ■適当な観察。 ■空を見よ(気分転換、休憩、天気を読む、腰曲がり防止)