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2013年2月

2013年2月18日 (月)

愛しき古里:鯉沼の堰堤に生え育った古木が醸し出す懐かしい風景

2013年2月18日月曜日
昨日は晴れ。最低気温(℃) -3.3 04:39。最高気温(℃) 7.1 15:24 。ざっそう句:バス旅行 寒気寒風 山冴える。朝、軒下の気温は-4.5℃の寒さ。旅行。山は目的地ではないが、冴え渡った山々を見られたのも収穫だった。

2013年2月17日の天気(AMEDAS)

TAVE= 1.7
TMAX= 6.7 最高気温(℃) 7.1 15:24 
TMIN= -2 最低気温(℃) -3.3 04:39 
DIFF= 8.7
WMAX= 5.8 最大瞬間風速(m/s)(風向(16方位)) 10.4(西北西) 08:11 
SUNS= 9.9
RAIN= 0

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愛しき古里:鯉沼の堰堤に生え育った古木が醸し出す懐かしい風景

当地区の鯉沼については以下の記事を書いた。「ツルよ 飛んでおくれ(愛しき古里):旧伊勢崎市内のため池で唯一未整備の鯉沼の将来(http://af06.kazelog.jp/itoshikimono/2012/11/post-689c.html)(2012年11月23日金曜日)」この鯉沼の東側に北関東道の伊勢崎インターチェンジがあるが、この周辺には、現在でも全く別世界のような農村風景が見える。

堰堤に、二本の古木が生えている。そのルーツを辿ると、鳥が運んできた糞のなかにあった雑木の種にたどり着くようだ。誰かが意識的に植えた物ではないらしい。その二本の雑木の大きさと生えている位置が丁度、絵になる関係にあるようで、近くに出向いたときにデジカメで写真を写していた。松や杉の古木なら、夫婦松とか呼ばれても通用するだろう。雑木なので気が利いた名前が付けにくいが、これまで生き延びてきたのだから今後も住民に親しまれる資格は十分にあるだろう。

樹高は、僅かに伸びているのかもしれないが、印象ではほぼ一定の高さを保っているようだ。その理由を考えると、沼の堰堤という、日照条件は良好でも、四方八方から沼越しの風を受けるので、風の影響で樹高がきまっているように見える。頂部に伸びるより、幹の下方や根の張り方に力点があるようだ。

沼の南側の道路あたりから見ると、赤城山を借景として絵のような構図になる。この風景は智鵜息の人が無意識に楽しんでいる風景ではないかと思う。沼の北側から見ると、古木の影が水面に映り、これも素晴らしい風景を生み出している。更に、堰堤は、昔は堤町と書上町を結んだ道路であり、現在はインターが出来ているので、その道路の役割が変わっている。散歩をしたり、自動車の運転手が休憩する場所でもある。やはり、人間は、だだっ広い所で休むより、日陰が出来たりする樹木がある場所の方がくつろげるようだ。
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BOPIX_KOINUM_ENTEI_KOBOKU_4PIX.jpgをダウンロード (鯉沼堰堤の古木拡大画像)

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2013年2月17日 (日)

ハト(鳩)よ 鳴いておくれ:愛しき古里:伊勢崎市役所北門脇にひっそりと佇む「石川泰三翁寿像」は何を想う(改題):アナタに伊勢崎の未来が見えますか?130217。

2013年2月17日日曜日
昨日は晴れたり曇ったり。最低気温(℃) -1.4 23:46最高気温(℃) 4.5 13:11 。ざっそう句:隕石か 小惑星か 見えぬ空。寒い一日。宅内閑居。ソ連に巨大な隕石が落下して大きな被害が出た。時を接して、小惑星が地球に最接近した。この隕石と小惑星は別物だが、普段目にすることのできない宇宙の底深さを教えてくれた。

2013年2月16日の天気(AMEDAS)

TAVE= 0.8  
TMAX= 3.4 最高気温(℃) 4.5 13:11
TMIN= -1.3 最低気温(℃) -1.4 23:46
DIFF= 4.7  
WMAX= 8.7 最大瞬間風速(m/s)(風向(16方位)) 17.6(北西) 14:50
SUNS= 7.6  
RAIN= 0  

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読売新聞は、「小惑星、未明に無事通過…地球に最接近
http://www.yomiuri.co.jp/science/news/20130216-OYT1T00210.htm。(2013年2月16日09時05分))」というタイトルで、「【ボストン(米東部)=中島達雄】米航空宇宙局(NASA)は15日、直径約45メートルの小惑星「2012DA14」が日本時間の16日午前4時25分ごろ、地球に最接近し、インドネシアの約2万8000キロ上空を通過したと発表した。 NASAによれば、この小惑星と、ロシアに落下した隕石(いんせき)は、軌道が異なるため完全に無関係だという。」と報じた。

東京新聞は、「隕石落下、支援や復旧が本格化 重さ1万トンに修正。http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2013021601001844.html。(2013年2月16日 21時28分))」というタイトルで、「【チェリャビンスク共同】隕石落下で大きな被害を受けたロシア南部チェリャビンスク市では、一夜明けた16日、ロシア非常事態省の救援機が到着、医療支援や建物の復旧作業が本格化した。 米航空宇宙局(NASA)は16日、隕石の大気圏突入前の重さは約1万トン、直径は約17メートルと推定されると上方修正した。当初はそれぞれ約7千トン、約15メートルとしていた。」と報じた。

小惑星は観測で補足されその軌道が予測されていた。一方ロシアに落果した隕石は予測できなかった。その大きさが、直径約45メートルと直径約17メートルの差である。その比は2.65倍。その三乗は18.5。重量が直径の三乗に比例すると仮定すると小惑星の重量は大雑把に20万トン程度か。その小惑星の運動エネルギーは質量に比例するから小惑星が地球に落果するとロシアの隕石の20倍程度の威力になるのだろうか。広い宇宙ではこのような現象が頻繁に起こっているのだろうから驚きだ。


ハト(鳩)よ 鳴いておくれ:愛しき古里:伊勢崎市役所北門脇にひっそりと佇む「石川泰三翁寿像」は何を想う(改題):アナタに伊勢崎の未来が見えますか?

先日、用事で伊勢崎市役所へ行った。市役所北門のロータリー東側脇にやや高い石像が建っている。石川泰三の像だとは知っていたので、何回かデジカメで撮影したことがある。今回は、午後の西陽が当たる時間帯だったので、良い画像がとれるのではと期待して再度撮影を試みた。風が強く人影は疎らだったのでゆっくりと像に対面できた。像は西方を向いて建っているのだ。

灯台もと暗しというのか、あたりまえであえて見る必要もないのか、身近にあるものはつい見過ごしてしまう。改めて、写真を見ると、晴天で雲一つない青空を背景に、石川泰三翁が西方彼方を仰いでいる姿が写っていた。この像は、寿像で石川泰三が米寿を迎えたのを記念し、有志が顕彰のために建てたと説明板に記されている。

アイオー信用金庫のホームページに「いせさきフロンティア あなたの知らない28人の伊勢崎の偉人達(http://www.io-web.jp/info/local/PDF/frontier.pdf)」という記事がある。執筆者は「元伊勢崎市赤堀歴史民俗資料館長 板橋春夫氏」である。その記事の二番目に石川泰三が描かれている。

その記事によると、「石川 泰三 嘉永6年(1853)~昭和18年(1943):
大正時代、華蔵寺から茂呂までは見渡す限り水田と畑が広がっていた。市街地の一部を除くと貨物自動車や荷馬車などの通行に不便な道路であった。それを解消するために石川泰三(いしかわ・たいぞう)は、南北に抜ける大きな道路を造る計画を発表。大正13年(1924)に完成した通称「六間道路」である。建設当時は「無用の長物」「採取用の道路」「ぺんぺん草が生える」と陰口が言われたという。この道路は約11メートル幅で、現在国道462号の一部となっており、長く伊勢崎市内の幹線道路として重要な役目を果たしてきた。泰三の先見性を感じる事績であるが、大きな構想は時としてその時代に受け入れられないものである。」とある。

「伊勢崎市。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BC%8A%E5%8B%A2%E5%B4%8E%E5%B8%82#.E6.AD.B4.E5.8F.B2。(最終更新 2013年2月12日 (火) 08:17)」『ウィキペディア日本語版』(http://ja.wikipedia.org/)。の記事に、「歴史:1940年(昭和15年)9月13日 : 佐波郡伊勢崎町・殖蓮村・茂呂村が合併し、伊勢崎市が誕生。県内4番目の市になる。(人口40,004人)」とある。

大正の後半から昭和10年代は、まだ市内のほとんどが農村地帯であったようだ。丁度、この時代が母親の学生時代であった。家から学校までは畑や田圃だったと聞いた記憶がある。説明板は、石川泰三寿像の建立日を町村合併により新しい伊勢崎市制が施行された日であると記している。

光の加減で、デジカメ画像の碑文が読みやすかったので以下に読み出してみた。句読点は読みやすいように追加した。よごれのためか読めない文字もあった:「?方面委員」。正確には原文を参照。ともかく、伊勢崎市の市制が発足した翌年に、石川泰三の存命中に銅像が建てられたが、戦争のためその二年後に銅像が供出され、代わりに現在の石像が建てられた事が分かる。

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石川泰三翁寿像建設記
石川泰三翁ハ嘉永六年十二月廿六日伊勢崎ニ生ル。夙ニ教育ノ振興ニ志シ十八歳郷学責善堂肝煎、次デ赤石学校教員ヲ努メ、又回天義塾ヲ開キテ青年ヲ指導ス。明治十四年佐位郡那波郡学事委員ニ推サレ、同十六年郡書記トナリ、縣属ヲ歴テ、郡長ニ任ジ、大正二年退官ス。同四年伊勢崎町長ニ選バレ、昭和七年辞職ス。在職十八年、各種財産ノ蓄積、町役場、中学校、郵便局、水泳場ノ設置、職業紹介所、?方面委員、公益質屋等ノ社会事業施設ヲ為シ、且耕地整理事業ヲ完成シテ大都市計画ノ基礎ヲ確立シ、市制ハ本日実施セラル。曩(さき)ニ、華蔵寺沼ノ払下ヲ為サシメ現公園ノ基ヲ開ケリ。尚、南佐波郡農会長、其ノ他公私団体ノ要職ニ推サルル等。教育、産業、自治ノ発展ニ尽瘁(じんすい)スルコト前後七十余年、従五位勲四等ニ叙シ、又紺綬褒章ヲ下賜セラル。翁今茲ニ米寿ヲ迎フ。有志之ヲ欣ビ相謀リテ銅像ヲ建テ、聊カ功績ヲ顕彰シ、永ク風貌ヲ景仰セン。
昭和十五年九月十三日
寿像建設委員長 星野源左衛門 撰

附記
翁銅像は昭和十六年一月二十六日に建設されましたが、第二次世界大戦のため昭和十八年三月二十三日供出の止むなきにいたり、同年四月二十七日に石造を建てることが決定になり、同年九月十三日除幕式が挙行されました。(追記:一部入力漏れあり。2013/2/20)
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前記、板橋春夫氏の記事によると、石川泰三の銅像は、青銅製の全身立像との事で、代わって建てられたのはの石製胸像である。石川泰三は伊勢崎市制施行の昭和15年に米寿を迎え、生前に自己の銅像を見る栄誉に恵まれたが、「泰三は率先し銅像の供出を了承した」という記事を読むとその人柄が伝わってくるような印象を受ける。

「石川泰三翁寿像建設記」の末尾に「永ク風貌ヲ景仰セン」とあるが、顕彰者の気持ちを良く伝えていると感じる。改めて西方を見つめている、石川泰三の胸像を見ると、永い風雪に耐えて、時代を生き抜いてきた風格が出てきて、周囲風景に溶け込みつつも、何事かを問わず語りに語っているように感じる。

WIKIPEDIAによると、伊勢崎市の市域は、「1940年(昭和15年)9月13日 : 佐波郡伊勢崎町・殖蓮村・茂呂村が合併し、伊勢崎市が誕生。県内4番目の市になる。(人口40,004人)」と町村合併と市制移行で拡大し、その十五年後、「1955年(昭和30年) 1月10日 : 佐波郡三郷村を編入。3月25日 : 佐波郡宮郷村・名和村・豊受村を編入。」で二度目の拡大があり、更に市制移行65年後「2005年(平成17年) 1月1日 : 伊勢崎市と佐波郡境町・東村・赤堀町が合併し、伊勢崎市を新設。人口が約20万8,000人となる。旧伊勢崎市の面積は65.17km2、人口は133,175人(2004年(平成16年)3月1日)。」と平成の市町村の対等大合併で三度目の拡大があった。

まさに、伊勢崎市は、石川泰三が唱えた「大伊勢崎主義」のような流れに従って、拡大してきた。しかし、現在では、合併が進んだ結果、ほとんど市と市が接するような状況となり、市域の拡大という流れはほぼ限界に達したと想われる。むしろ、広大な市域の中のアンバランスをいかに調和させて行くかという課題に取り組む必要性が増大している時代を迎えているように感じる。

石川泰三の年譜を調べると、今年が生誕160年であり、かつ没後70年でもある。更に、2015(平成27)年には、伊勢崎市の市制施行75年と旧佐波郡赤堀町、東村、境町と旧伊勢崎市の市町村が合併した平成の大合併から10年という節目を迎える。

石川泰三の石像を見ていると、石川泰三翁は何を見て、何を語ろうとしているのだろうかと想像させる。石川泰三がほぼ百年前に考えた伊勢崎の中に、今日の伊勢崎の姿があるのも事実だろう。

市民も百年後の伊勢崎の未来を語らなければ、その未来は貧弱なもので終わってしまうのではないか。

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BOPIX_ISIKAWA-TAIZOU_JYUZOU_2PIX.jpgをダウンロード
(「石川泰三翁寿像」の拡大
画像)

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追記1(2014/12/13):本記事がいきなりランキング4位に入った。その理由が分からない。本記事のように、伊勢崎市が来年に平成の大合併で新市になり10周年を迎えるので、その点に関心を持つ人が検索してアクセスしたのか。来年は、伊勢崎町が伊勢崎市になって75周年でもあり、伊勢崎市の将来を考えるには相応しい節目の年になると思う。

伊勢崎市は20年毎程度に、記念誌を発行してきたが、最近その発行が滞ってるようだ。歴史は、その時々語り継いで行かないと、知らぬ間に消えてしまう。伊勢崎市役所はいつ現在地に移転したのか調べたが、NET情報では分からなかった。記念誌を調べたら、当時の様子を知る事ができた。

最近の10年間の変化のスピードは速い。それを、記録し後世に残す事は、後世への最大の贈り物になるのではないか。聞く所によると、定期的な記念誌の発行は、予算や人材等々色々な要因で困難らしい。そこで、新市誕生10周年に限定し、記念冊子を発行する計画はあるようだ。ぜひ、それが、次の市史発行につながる事を期待したい。

とくに、今なら合併当時の記録やそれに関わった人々も健在である。合併は市の姿を大きく変える事業である。新市誕生10周年を記念した冊子にも期待したい。市史は継続してこそ意味があるのではないか。全市民が合併して良かったと感じる時が来る事にも期待したい。そのためにも、新市誕生10周年記念冊子が市史継続の中継ぎになる事を願いたい。

追記2(2015/1/31):「愛しき古里:伊勢崎市役所北門脇にひっそりと佇む「石川泰三翁寿像」は何を想う」の記事が再度ランキング10位に入った。今年の正月前後にランク入りしていたので、「新」伊勢崎市誕生10年に関心を持った人がアクセスしたようだ。

うれしいニュースもあった。関係記事=「田舎老人徒然草:ハトよ 鳴いておくれ:石川泰三のお孫さんが書籍等を市へ寄贈!目出度くも 世間憚る 寝正月。(http://af06.kazelog.jp/itoshikimono/2015/01/post-c0d6.html)。(2015年1月 1日 (木))」

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追記(2017/11/21):記事整形、過去BLOG再読、印象・コメント等
タイトル文字サイズ、色を変更。投稿日を追加。タイトルを変更:

愛しき古里:伊勢崎市役所北門脇にひっそりと佇む「石川泰三翁寿像」は何を想う⇒
ハト(鳩)よ 鳴いておくれ:愛しき古里:伊勢崎市役所北門脇にひっそりと佇む「石川泰三翁寿像」は何を想う(改題):アナタに伊勢崎の未来が見えますか?

ハト(鳩)よ 鳴いておくれのカテゴリーに入っていたがタイトルに入っていなかったのでカテゴリー名もタイトルに追加。今後この記事と次のシンボル画像の関係がイメージしやすくなる筈。現在ランキング10位。読者に感謝。

カテゴリーのシンボル画像:「ハト(鳩)よ 鳴いておくれ」

Googleにてキーワード「石川泰三」で本サイト内を検索

追記(2023/03/06):一昔前の伊勢崎市のイメージ。県内主要市と検索ヒット数を比較した表があった。現在、この記事のランキングは3位で古い記事ながら読者がいるようだ。読者に感謝。

Photo_2 原ファイル名=「伊勢崎市のイメージ(ネット調査).jpg」
平成22年は2010年。

追記(2024/03/16)石川泰三は大伊勢崎を提唱してその実現に邁進したようで、その構想が華蔵寺公園の「都市建設礎業」という記念碑に残されている。その記事にリンクを設定した。

「ハトよ 鳴いておくれ(愛しき古里):華蔵寺公園にある「伊勢崎耕地整理事業完成記念(都市建設礎業)碑」は何を語るか。20130506。(http://af06.kazelog.jp/itoshikimono/2013/05/2013-a2f4-1.html)。(2013年5月 7日 (火))」で、「群馬県の都市の市制移行順位をまとめると、前橋市:1892年(明治25年)、高崎市:1900年(明治33年)、桐生市:1921年(大正10年)、伊勢崎市:1940年(昭和15年)、太田市:1948年(昭和23年)であった。本碑には、何も書かれていないが、市制移行というのが石川泰三の大きな野望であったように見えてくる。」と書いた。

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2013年2月16日 (土)

日々農天気(愛しきもの 植物):センダンの年輪

2013年2月16日土曜日
昨日は曇り昼過ぎ雨。最高気温(℃) 5.6 10:51。最低気温(℃) 1.6 02:28 。ざっそう句:もじもじと 咲き時探る 雨水かな。宅内閑居。小物の整理。USBのWEBカメラが出てきた。使うにはメッセンジャーやスカイプ等のソフトをインストールする必要があるようだ。スカイプは無料で使えるが、使用契約を前提にした無料で、引き替えに収集される個人情報が気になった。下記に引用した「Skypeプライバシーポリシー」に「(d) 銀行口座および支払情報(クレジットカード情報、口座番号など)」も含まれこりゃやばいと思った。色々調べたら、カメラ本体がNGらしい。

2013年2月15日の天気(AMEDAS)

「雨水。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9B%A8%E6%B0%B4。(最終更新 2013年1月4日 (金) 17:58 )」『ウィキペディア日本語版』(http://ja.wikipedia.org/)。の記事に、「季節 [編集]空から降るものが雪から雨に変わり、雪が溶け始めるころ。『暦便覧』には「陽気地上に発し、雪氷とけて雨水となればなり」と記されている。それゆえ、この時節から寒さも峠を越え、衰退し始めると見ることもできる。 春一番が吹き、鶯の鳴き声が聞こえ始める地域もある。 昔から農耕の準備を始める目安とされてきた。」とある。
今年の雨水=2013年 2月18日12:01

「Skypeプライバシーポリシー(http://www.skype.com/ja/legal/privacy/#collectedInformation)」の説明の一部=「1. Skypeはどのような情報を収集および使用しますか?
; Skypeは以下のカテゴリーのお客様情報を収集して使用します(ただしカテゴリーはこれらに限定されるものではありません)。 (a) 個人確認のための情報(氏名、ユーザ名、住所、電話番号、携帯番号、メールアドレスなど) (b) プロフィール情報(年齢、性別、居住国、ご利用の言語、その他お客様自身の選択によりSkypeユーザプロフィールの一部として他のユーザによる閲覧を可能とした全情報。ユーザプロフィールについての詳細は第6条を参照) (c) コンピュータの個人情報(IPアドレス、Cookieなど) (d) 銀行口座および支払情報(クレジットカード情報、口座番号など) (e) 通話品質とアンケート結果: (f) Skypeのソフトウェア、製品、Webサイトの使用とインタラクションに関する情報(コンピュータ、プラットフォーム、デバイスおよび接続情報、クライアントパフォーマンス情報、エラーレポート、デバイスの機能、帯域幅、ページビューの統計、SkypeのWebサイトを対象としたトラフィック、ブラウザの種類、Skype WiFi対応ホットスポットの検出および使用統計など) (g) 製品の注文および納品情報」

日々農天気(愛しきもの 植物):センダンの年輪

先日、センダンの太枝を切ったが、その切り口をデジカメに収めてあった。材が柔らかいというのは成長が早いという特長にも通じる。数年でかなり太くなる。年輪が伸びる方向にも偏りが大きい。条件が良い方に伸びられる時に伸びてしまおうという作戦のようだ。KW=センダン+年輪。KW=センダン。KW=年輪。
Nenrin_sendan_l320

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2013年2月15日 (金)

日々農天気(花と実を楽しむ):庭のサンシュユ(山茱萸)の記憶。20130215。

2013年2月15日金曜日
昨日は晴れ。最高気温(℃) 11.2 15:09 。ざっそう句:義理チョコか すするお茶にも ほろ苦さ。用事外出。お茶請けを買って帰る。想定外でワイン色のリボンが付いたチョコが出てきた。チョコにワインが入っているのが売りなのか、豪華な包装に簡素・少量の中身。これも茶飲み話にはなった。塩抜きした貰い物のタクアンがうまかった。さる人から伝授されたタクアンの漬け方に従って浸けたようだ。そのレシピでは塩分過多なので塩抜きが必要。夫婦でタクアンの漬け方を競っていたらしい。タクアンの漬け方で夫婦喧嘩とはなごやかなものだ。もう故人となった人の昔話だ。2007年の花暦では2月11~15日に梅の花と記されている。まだ、梅も蝋梅も開花していない。今年の開花は遅れているようだ。AMEDASのデータで累積温度を比較した。単純に外挿すると梅は3月6日頃の開花か?(本当の開花予測は花芽分化時点から推測するのが正しいと思うが)

2013年2月14日の天気(AMEDAS)

TAVE= 4.8  
TMAX= 10.7 最高気温(℃) 11.2 15:09 
TMIN= 0.1 最低気温(℃) -0.3 06:04 
DIFF= 10.6  
WMAX= 3.7 最大瞬間風速(m/s)(風向(16方位)) 7.4(西) 01:10 
SUNS= 8  
RAIN= 0  

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日々農天気(花と実を楽しむ):庭のサンシュユ(山茱萸)の記憶

「庭のさんしゅの~」という民謡がある。「稗搗節」の冒頭。我が家の庭にもサンシュユの木があったが台風で倒れたのを放置して枯らしてしまった。自分が植えた花木ではないので未練はなかったが、いざその場所を占めていた常連の樹木が無いと何となく寂しさも感じる。

改めて、倒れる前の写真を見ると幹の上部に枝が伸びており、上部に風圧を受けるのが分かった。丁度テコの原理で、根の部分に大きな力がかかる。ところが、フェンスに接近して植えられており、フェンスのコンクリートがある方角には根が張れていなかった。風がフェンスの向こう側から吹いたので、フェンスが支えにもならず、元々弱い根に風圧が全部掛かったので倒れたようだ。枝を短く剪定しておけば倒れなかったと思われるが、高所作業になるので放置していた。最初から樹高を高くしないのが正解だったろう。

サンシュユはヒコバエが良く生えたので、それを移植したのでその子孫が数株残っている。やはり、古木の方が風格はある。我が花暦の記録では2月16~20日の所にサンシュウユが記されていた。

その後、枯れたサンシュユの幹と枝を使って記念オブジェを作ろうかと思ったことがある。枝を人の腕に見立てて、幹の上部に頭を付けて麦わら帽子を被せる。それを立てて楽しむ。試しに、幹を持ち上げて立たせて見たが、重すぎてフラフラして危険を感じて沙汰止みになった。

サンシュユも背丈が高くなると、赤い実がなっても意識的に見上げて鑑賞する事は余りなかった。しかし、花も実も何となく見ているので、邪魔にもならなかった。そういう点では、個性や主張が強い花木ではない。庭の片隅で、時々の自分と姿を重ねて、それとなく鑑賞する庭木としてはふさわしいだろう。そういうことは、歳を重ねて分かってくる。

枯れた幹にキノコ等が生えてきた。以下は時々のサンシュユの画像を記念のためにまとめたもの。これで、サンシュユの枯れ木も処分できるだろう。

Sansyuyu_hana_mi_miki_5pix

サンシュウユの花はうす黄色だが、赤色を少し強調してある。

追記(2019/11/15):サンシュユ(山茱萸)では検索キーワードが思い付かない。山茱萸のキーワードや日付等追加。タイトル文字変更。

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2013年2月14日 (木)

日々農天気(縮伐カット&トライ):縮伐後に枯れた多行松は松枯れ病(マツ材線虫病(マツざいせんちゅうびょう))だったのか

2013年2月14日木曜日
昨日は晴れ。最低気温(℃) 0.1 03:09 。最大瞬間風速(m/s)(風向(16方位)) 19.2(西北西) 11:59 。帽子が飛ばされる程の強風。ざっそう句:外に出りゃ あちこち目立つ 白マスク。用事外出。朝、起きてみると一面の雪。ただ、コンクリート等には積もっていない。徒然に対向車を見ていると、マスクを着用している運転手が目立った。気になったのがマスク着用の理由。杉花粉、インフルエンザ、PM2.5等々色々考えられる。PM2.5に関しては最近突如としてマスコミに登場したような印象を受ける。中国憎し、中国叩きの雰囲気に乗って飛び交っている情報なのか。杉花粉、インフルエンザには実体がある。「読みかじりの記:花粉症 こんな撃退法があったのか(1991年 坂本吉朗 、増田 豊、越智 康仁 著)(http://af06.kazelog.jp/itoshikimono/2011/02/1991-800e.html)(2011/3/22)」。杉花粉の大きさが30ミクロン程度で、PM2.5はその1/10程度。インフルエンザウィルスの大きさは0.1ミクロン程度。PM2.5は2.5ミクロン以下なので、インフルエンザウィルスの大きさもPM2.5の範疇に入る。インフルエンザウィルスの大きさと同程度から1~2桁小さい粒子がナノ粒子。こちらも、当然目に見えないが健康への影響が懸念されている。先日、枯れた多行松の枝きりをした結果をまとめた。この記事に検索キーワードを付けてみる。KW=多行松+松枯れ+縮伐。

2013年2月13日の天気(AMEDAS)

TAVE= 4.9
TMAX= 10.3 最高気温(℃) 10.8 13:07 
TMIN= 0.1 最低気温(℃) 0.1 03:09 
DIFF= 10.2
WMAX= 10.1 最大瞬間風速(m/s)(風向(16方位)) 19.2(西北西) 11:59 
SUNS= 9.6
RAIN= 0.5

Tenkizu_13021312_kyoufuu

「浮遊粒子状物質。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B5%AE%E9%81%8A%E7%B2%92%E5%AD%90%E7%8A%B6%E7%89%A9%E8%B3%AA。(最終更新 2013年2月9日 (土) 04:31 )」『ウィキペディア日本語版』(http://ja.wikipedia.org/)。の記事に、「浮遊粒子状物質(ふゆうりゅうしじょうぶっしつ、略称:SPM, Suspended Particulate Matter)は、大気中に浮遊している粒子状物質(PM)のことである。代表的な「大気汚染物質」のひとつ。~微小粒子状物質 [編集]:浮遊粒子状物質のなかで、粒径2.5μm以下の小さなものを微小粒子状物質(PM2.5)と呼んでいる。 微小粒子状物質は粒径がより小さくなることから、肺の奥深くまで入りやすく健康への影響も大きいと考えられている。 日本においては、欧米における対策に比べ長らく規制が遅れていたが、東京大気汚染公害訴訟における和解において対策に言及されたことを受け、中央環境審議会において検討が進められた。その答申を踏まえ、年平均値15μg/m3以下かつ1日平均値35μg/m3以下とする環境基準が2009年9月9日に定められた。[2]」とある。

「ナノ粒子。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8A%E3%83%8E%E7%B2%92%E5%AD%90url=。(最終更新 2011年3月24日 (木) 01:57 )」『ウィキペディア日本語版』(http://ja.wikipedia.org/)。の記事に、「ナノ粒子(ナノりゅうし)は、物質をナノメートルのオーダー(1-100ナノメートル)の粒子にしたものである。 比表面積が極めて大きいこと、量子サイズ効果によって特有の物性を示すことなど、一般的な大きさの固体(バルク)の材料とは異なることから、様々な分野で研究・利用が進められている。」とある。

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日々農天気(縮伐カット&トライ):縮伐後に枯れた多行松は松枯れ病(マツ材線虫病(マツざいせんちゅうびょう))だったのか

枯れるのは覚悟で多行松の縮伐実験をした。まだ。兄弟分が残っているので少し気分が楽であった。その時の様子を以下に書いた。「日々農天気(縮伐カット&トライ):縮伐後に2012年の猛暑で枯れた多行松。(http://af06.kazelog.jp/itoshikimono/2012/10/2012-a857.html)。(2012年10月28日 (日))」。

枯れ木を放置しては見苦しいので引き倒し用の幹を残して切った。掘るのが大変なので根が腐るまで待つ。前回の記事では、枯れた原因を猛暑の影響と推定した。今回、幹に虫穴が多数あるのに気付いた。松食い虫が原因か。

「マツ材線虫病。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%84%E6%9D%90%E7%B7%9A%E8%99%AB%E7%97%85。(最終更新 2012年12月27日 (木) 10:20 )」『ウィキペディア日本語版』(http://ja.wikipedia.org/)。の記事に、「発病に影響する因子 [編集]マツ枯れの主因は線虫だが、様々な要素が誘因となって発病を促進したり、また緩和要素となって発病を抑制したりする。 代表的な誘因は高温と乾燥によりもたらされる水ストレスである。マツ枯れは萎凋病であり、最終的には材の通導阻害によって枯死に至るため、水ストレスは発病を促進する。逆に1993年のように夏が低温で雨が多いと、これが緩和要素となって枯死にまでは至らない個体が増加する。」とある。

前記多行松の松枯れでは、「代表的な誘因は高温と乾燥」との事で2012年は誘引が存在した事は確かだ。樹皮を見ると、食害の跡が多数残っているのでカミキリムシ(幼虫)が食害していたと想像できる。

WIKIPEDIA「感染サイクル [編集]:線虫の侵入すなわち感染は、線虫を保持したカミキリの後食の際に起きる。後食とは、羽化後の性成熟していない若いカミキリによる、6-7月頃にマツの若い枝の樹皮を摂食する行動である。後食による傷口から樹体内に侵入した線虫は、主に樹脂道を通って速やかに樹体内に分散し、柔細胞と材内に少量存在する菌類を摂食しつつ増殖する。7-8月頃には、感染したマツの外見には異常はないものの、樹脂滲出が停止し穿孔性昆虫に対する防御力が弱まる。後食によって性成熟したカミキリはそのようなマツに誘引されて飛来し、産卵する。8-10月には全身の針葉が褐変して枯死するが、柔細胞を摂食していた線虫は餌を材内に蔓延する青変菌に切り替えて増殖を続ける。カミキリの幼虫は樹皮下の組織を摂食して成長し、材内に蛹室を作って越冬する。」

WIKIPEDIA「カミキリムシ(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%9F%E3%82%AD%E3%83%AA%E3%83%A0%E3%82%B7)」ではマツノマダラカミキリの外形は分からなかった。「鹿児島県森林技術総合センターのホームページに「松くい虫Q&A(http://www.kpftc-pref-kagoshima.jp/info/Q&A/MATUKUI/MATUKUI.htm)」」という詳しい記事がある。WIKIPEDIA記事によると「マツノザイセンチュウ(以下線虫)が感受性マツに侵入すると、まず樹脂滲出が停止し、次いで仮道管の閉塞によって材の通水阻害が生じ、最終的に萎凋枯死に至る。これに媒介者となるマツノマダラカミキリ(以下カミキリ)と Ophiostoma属などの青変菌が関与した感染サイクルによって大流行が生じた」とある。大胆な縮伐により、樹体は大きなストレスを受けた。樹脂(松ヤニ)も多く出る。他の松は枯れていないので、今回枯れた多行松は、松枯れ病としても、枯れやすい要因が多かったのは事実だろう。庭木の手入れで、松ヤニは厄介者だが、樹体保護に大きな役割をしていると再認識した。

仮に、枯れた原因がマツ材線虫病(マツざいせんちゅうびょう)とすると、我が家の周辺に、カミキリムシやセンチュウが潜んでいる事になる。大切な松は余りいじめすぎないようにすべきかもしれない。
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2013年2月13日 (水)

会社生活断面記(目に留まった風景):昔のデジタル画像を調べる

2013年2月13日水曜日
昨日は晴れ。最低気温(℃) -2.5 07:00。最高気温(℃) 6.9 14:36 。ざっそう句:日の丸も 万歳すらも 要らぬ国。寒さが身にしみる。宅内閑居。昨日、北朝鮮が核実験をしたというニュースが流れた。核分裂自体は自然現象だ。ウラン、プルトニウム等の核物質は自然崩壊し、中性子を出す。その中性子が更に核を分裂させてねずみ算式に核分裂が起こる。核分裂を核爆発に到らないように制御すると原子炉が出来る。核分裂を終局までさせるのが核爆発。核兵器は核爆発を使う。そのような現象が起きる限界重量があり、それだけの核物質を集めると核(物質)保有国。日本も核(物質)保有国だ。核物質を武器に転用すると核兵器になる。国家でなくてもテロ集団でも核兵器が持てる現実がある。核分裂は自然現象なので、その現象自体に善悪はない。善悪はそれを何に使うかという人間の目的意識の中にある。核兵器保有国がいくら北朝鮮を非難しても同じ穴のムジナだ。そこに核兵器保有国の本当の弱さがある。一昨日は「建国記念の日」だった。十数年前、たまたたま京都のどこかで撮影したある天皇陵のデジカメ画像がパソコンの隅に眠っていた。歴史を遡ると国家の原像が浮かび上がるだろうか。

2013年2月12日の天気(AMEDAS)

TAVE= 2.3
TMAX= 6.1 最高気温(℃) 6.9 14:36 
TMIN= -2.4 最低気温(℃) -2.5 07:00 
DIFF= 8.5
WMAX= 7.4 最大瞬間風速(m/s)(風向(16方位)) 12.4(西北西) 01:01 
SUNS= 8.8
RAIN= 0

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会社生活断面記(目に留まった風景):昔のデジタル画像を調べる

WIKIPEDIA「建国記念日(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BB%BA%E5%9B%BD%E8%A8%98%E5%BF%B5%E6%97%A5)」=「この項目では、世界各国の建国記念日について記述しています。」
WIKIPEDIA「建国記念の日(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BB%BA%E5%9B%BD%E8%A8%98%E5%BF%B5%E3%81%AE%E6%97%A5)」=「建国記念の日(けんこくきねんのひ)は、日本の国民の祝日の一つ。日付は2月11日。」

日本という国の歴史がどこまで遡れるか定かではないが、小さな集団の多数の部族がより大きな幾つかの集団に統合される中で、その諸集団を統治する王が生まれ、諸王の王として天皇が生まれてきたようだ。2月11日の建国記念日に、特別に報道されるような大きな記念行事はなかったようだ。日本の来し方行く末を考えると建国記念の日も有意義であるように感じる。

パソコンの中にある昔のデジカメ画像で、少しだけ手がかりはあるが、それ以外は忘れているものがある。写真は、大阪駐在時に京都方面を旅したときに、京都のどこかで撮影した天皇陵である事は覚えている。標識も写っているが解像度不足で読みとれない。

そこで、検索エンジンの画像検索「天皇陵 京都」で、似ている画像を探した。墓陵の囲いや鳥居の形から似ているのを探し、その名前を推定した。多分、仁明天皇陵だろうと推定し、次に「仁明天皇深草陵」で検索した(http://www.google.co.jp/search?hl=ja&lr=lang_ja&site=imghp&tbs=lr%3Alang_1ja&tbm=isch&source=hp&biw=792&bih=400&q=%E4%BB%81%E6%98%8E%E5%A4%A9%E7%9A%87%E6%B7%B1%E8%8D%89%E9%99%B5)。更に、地図検索で、その位置を調べた(京都府京都市伏見区深草東伊達町 仁明天皇深草陵)。伏見区へ行った記憶が思い出せない。手元にある画像も、タイムスタンプが狂っている可能性がある。ただ、当時自分がそこにいたとすると年代は1997年頃になる。調べると、1996年3月にエプソンが CP-100(35万画素)を発売している。このデジカメを使ったような記憶がある。35万画素。画像情報,640 x 480 ドット  24 ビットと出る。

WEB画像と比較して、気になるのが内部の松の木と鳥居の色と高さが異なるようだ。囲いと門、内部の灯籠は同じように見えるが、鳥居は銅製の背丈が低い物をコンクリート製の背丈がやや高い物に立て替えたとすると説明が付くように感じるが、あえて結論は出す必要はないだろう。全く別物かも知れない。ともかく10数年前に写真のような天皇陵があったというだけで思い出は成り立つだろう。パソコンの隅に残っていた気になる画像だった。

WIKIPEDIA「仁明天皇(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BB%81%E6%98%8E%E5%A4%A9%E7%9A%87)(最終更新 2012年8月3日 (金) 05:47)」の記事=「仁明天皇(にんみょうてんのう、弘仁元年(810年) - 嘉祥3年3月21日(850年5月6日)、在位:天長10年3月6日(833年3月30日) - 嘉祥3年3月19日(850年5月4日))は、平安時代初期の第54代天皇。諱は正良(まさら)。」
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左手に建物らしい物。右手に松らしい樹木。

Tennouryou_hikaku_gazou_4pix
左二枚:古い画像、右二枚:仁明天皇深草陵(WEB画像)。中央:鳥居と門の拡大。

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2013年2月12日 (火)

老人の寝言:航空機のトラブルとブラックボックス

2013年2月12日火曜日
昨日は晴れ。最低気温(℃) -1.4 01:29 。最高気温(℃) 6.6 13:00。最大瞬間風速(m/s)(風向(16方位)) 15.8(北西) 13:20 。強風が吹き寒い日。ざっそう句:烈風の 底で奏でる もがり笛。宅内閑居。パソコンはWIN XPの二代目を使っている。ブラウザはIE8。しきりにUP DATEの画面が出る。その都度キャンセルしている。UP DATEで動きが重たくなると困る。IEのお気に入りは、検索エンジンを使うようになってからほとんど使わない。たまたま、「お気に入りバー」の存在に気付いた。ここに、検索エンジンやアクセスの多いサイトを登録すると便利に使えると分かった。暇つぶしの効用か。

2013年2月11日の天気(AMEDAS)

TAVE= 2.7
TMAX= 6.1 最高気温(℃) 6.6 13:00 
TMIN= -0.7 最低気温(℃) -1.4 01:29 
DIFF= 6.8
WMAX= 7.8 最大瞬間風速(m/s)(風向(16方位)) 15.8(北西) 13:20 
SUNS= 7.6
RAIN= 0

Q
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老人の寝言:航空機のトラブルとブラックボックス

最新鋭のボーイング787旅客機にトラブルが続出しており、現在当局から営業運行を停止されている。あのような巨大な物体が空中を飛ぶこと自体驚異だが、それを安全に飛ばすためには多くの条件が満足される必要がある。離陸から飛行着陸までのシステムに欠陥があれば事故につながる。従って、大事故につながるトラブルは原因を究明して対策を施し安全が確実になってから運行されるべきであろう。

読売新聞は、「B787、運航停止後初の試験飛行。http://www.yomiuri.co.jp/atmoney/news/20130211-OYT1T00495.htm?from=ylist。(2013年2月11日20時59分))」というタイトルで、「【ニューヨーク=越前谷知子】米航空機大手ボーイングは9日、トラブルが相次いでいる787型機について、運航停止になってから初の試験飛行を行った。 同社によると、試験飛行では13人が搭乗し、米ワシントン州を離陸、2時間超の飛行を終えた。バッテリーの状況などをチェックしたとみられ、飛行中に問題はおきなかったという。」と報じた。

この記事では、何を対策して何を試験するための試験飛行かを伝えていない。「バッテリーの状況などをチェックしたとみられ」とあるが、試験に使った機体で問題は起こらなくても、他の機体で問題が起こらないことまでは確認できないだろう。運行停止期間が長くなるのを恐れて、運行再開の反応を見る試験のように感じた。

「技術 回顧と展望(会社生活断面記):理想の高密度リチウムイオン電池と安全技術
http://af06.kazelog.jp/itoshikimono/2013/01/18/)(2013年1月18日金曜日)」

WEB情報によるとエアバス等ではニカド電池が使われているようだった。ニカド電池は電池材料のカドミウムの毒性が強いので民生用としてはすでにほとんど使われなくなっていると思う。逆に、航空機にリチウムイオン電池を使うのは新しい技術的判断であったとおもう。新しいものを使うのか古い物を使うのかそこに技術の判断が入る。トラブルの原因は電池にあるとの報道も流れているが、やはり設計の原点まで戻って検討する必要があるだろう。

かつて、日本がアメリカの軍用機を国産化する頃だったか、重要な部品は秘密扱いで、生産だけでなく修理すら出来なかったという記憶がある。まさに、ブラックボックスに相当する。その一つが、「慣性航法装置」だったと思う。この装置は最初は軍用だったが、民間機にも使われ、現在ではGPS方式に代わっているようだ。

「慣性航法装置(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%85%A3%E6%80%A7%E8%AA%98%E5%B0%8E%E8%A3%85%E7%BD%AE)」

最新鋭の旅客機に技術上の秘密情報が多く含まれるとは予想できるが、今回のトラブルを見て、証拠品となるリチウムイオン電池は米国の当局の手元に渡っているようだ。ボーイング787旅客機のトラブルで巨大な損失が生じるのは目に見えている。だれがどのようにして責任をとるのか。心配なのは、秘密情報という煙幕で真相が隠されないかと言うことだ。

国際裁判になったらどうするのか。電池メーカーと航空機メーカーにはどのような契約があるのか。現役時代の経験では、国内の契約書はせいぜい数ページから10ページ程度に対して、外国との契約書は数十ページに及ぶ物があった。そこには、大きな活字で長々と免責事項も書かれていた。英文なので、辞書を片手に読みかじりクレームをつけた。契約交渉が主たる目的ではないので、お互い灰色に読める内容で妥協した。当然法務の目と技術の目は付け所が違う。複眼的に見ていたのだ。

「法務(http://af06.kazelog.jp/itoshikimono/2010/02/post-cf89.html)(2010/2/1)」に記事を書いた。

リチウムイオン電池を使いこなすのは充放電を管理する電池管理システムが重要だ。WEB情報によると、リチウムイオン電池を組み込んだ電源システムはフランスメーカーが担当しているようだ。場合によれば、日、仏、米の三カ国がからんだ問題になりかねない。万一の場合に備え、設計責任、製造責任を明らかにするためにも、記録や証拠を整えておくことの重要性を改めて感じた。

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2013年2月11日 (月)

老人の寝言:「鉄は国家なり」はどこまで正しいか

2013年2月11日月曜日
昨日は晴れ。最低気温(℃) -3.1 06:56。最高気温(℃) 11.5 14:32 。同じ頃、屋外軒下のポンコツ温度計の気温は-6.7℃。局所的な気候の差があるのか。ざっそう句:老描の 歳を数えて 我おもう。宅内閑居。かみさんは、オールドミスの猫の歳を数えてもうお婆さんと、最近は扱いに変化が出てきた。柱で爪研ぎをしていたが、それもしなくなって爪が伸びだしたと言う。現役時代には、ドッグイヤーという言葉がはやった。当時の業界は犬の時間に相当する早いスピードで変化しているので、モタモタしていたら時代に遅れるという危機意識も反映されていた。人間の1年は、犬の7年に相当するそうだ。主観的な時間の進み方の印象は状況によりさまざまだ。時計の秒針も止まっているように感じる事もある。本日は東北地方太平洋沖地震より23ヶ月目。パソコンデータから当地の状況を示すデジカメ画像を探した。KW=TOUROUで検索できた。

2013年2月10日の天気(AMEDAS)

TAVE= 3.4
TMAX= 10.4 最高気温(℃) 11.5 14:32 
TMIN= -2.9 最低気温(℃) -3.1 06:56 
DIFF= 13.3
WMAX= 3.5 最大瞬間風速(m/s)(風向(16方位)) 8.1(北) 15:33 
SUNS= 9.7
RAIN= 0

Tourou_tentou_110311

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老人の寝言:「鉄は国家なり」はどこまで正しいか

昨日、電力消費量の推移について記事を書いた。電力も国民生活に不可欠だが鉄も同様だろう。終戦後の日本の復興に果たした役割は大きい。

東北地方太平洋沖地震の津波で大きな被害を受けた釜石から、かつて、新日鉄釜石ラグビーチームが活躍したのを思い出した。WIKIPEDIA「釜石シーウェイブス(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%9C%E7%9F%B3%E3%82%B7%E3%83%BC%E3%82%A6%E3%82%A7%E3%82%A4%E3%83%96%E3%82%B9)」

「かみつけ女流歌人 雅:陶の鉢(身辺雑記:リフレシュ休暇の東北旅行(http://af06.kazelog.jp/itoshikimono/2011/03/post-970a.html))(2011/3/23)」。旅行当時のアルバムを見ると、釜石港の奥に巨大なクレーンのような構造物があった。それが、鉄鉱石や鉄材等の船積み用の設備だったのか定かではなかった。また、その後その構造物がどうなったかも分からない。ただ、自分の記憶の一部に残っている。

bingで「釜石港 クレーン」を検索(http://www.bing.com/images/search?q=%E9%87%9C%E7%9F%B3%E6%B8%AF%E3%80%80%E3%82%AF%E3%83%AC%E3%83%BC%E3%83%B3&qs=n&form=QBIR&pq=%E9%87%9C%E7%9F%B3%E6%B8%AF%E3%80%80%E3%82%AF%E3%83%AC%E3%83%BC%E3%83%B3&sc=0-5&sp=-1&sk=)。

「新日鐵住金釜石製鐵所(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%B0%E6%97%A5%E6%9C%AC%E8%A3%BD%E9%90%B5%E9%87%9C%E7%9F%B3%E8%A3%BD%E9%90%B5%E6%89%80)」この記事より、明治時代から釜石が製鉄と深い関係があったのを知ることが出来た。

東京新聞は、「節電逆行 再生エネ 賦課金 大消費の鉄鋼業 減免厚く。http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2013021090071442.html。(2013年2月10日 07時14分))」というタイトルで、「再生可能エネルギーを電力会社が買い取るため電気料金に上乗せされる賦課金について、電気を大量に使う企業は大幅に減免される制度があり、これを利用した二〇一二年度の減免見込み額が計六十三億円に上ることが、本紙の集計でわかった。広く節電が求められているにもかかわらず、使用量が多いほど賦課金が減免されるいびつな制度。しかも上位十一社のうち七社までを鉄鋼会社が占め、特定業界に恩恵が集中していた。 減免制度は、昨年七月、再生可能エネルギーの全量買い取り制度がスタートしたのに合わせ、全業種を対象に始まった。一般家庭は賦課金は上乗せされるが、減免はされない(被災地は今年四月分まで減免対象となる)。 企業が減免を受けるためには、経済産業省資源エネルギー庁の認定を受ける。一二年度では約八百五十社が認定されている。製造業の場合だと、業界の平均電気使用量の八倍の電気を使うことが減免の条件で、賦課金は五分の一にまで減る。」と報じた。

一時は、鉄鋼業も斜陽産業のように思われたが、品質の高い鉄材は品質の高い工業製品に不可欠だろう。ただ、政治力だけで金が回ってくるという体質になった場合、企業に競争力、特に国際競争力が付くのだろうかとも思う。仮に、鉄鋼業がTPPの対象になったら、外国の大鉄鋼会社に太刀打ちできるのだろうか。

WIKIPEDIA「世界の鉄鋼メーカーの粗鋼生産量順一覧(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B2%97%E9%8B%BC%E7%94%9F%E7%94%A3%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%82%AD%E3%83%B3%E3%82%B0)」。なんと、上位10社の中に中国企業が6社(上位40社中では中国が18社)で過半数を占めている。日本は、6位=新日本製鐵 、9位=JFEスチール、27位=住友金属工業 。アメリカは、13位=USスチール、15位=ニューコア。中国はまさに、「鉄は国家なり」の路線に見える。

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2013年2月10日 (日)

文化と文明雑感(老人の寝言):国内生産が減るのにエネルギー・電力需要は右肩上がりに伸びるのか

2013年2月10日日曜日
昨日は晴れ。最低気温(℃) -1.6 07:01 。最高気温(℃) 6.9 13:42 。ざっそう句:床凍みて 貧乏揺すり 駄句一つ。宅内閑居。デジカメ画像の「再利用化」検討。検索エンジンの画像検索を試してみたら見慣れた画像が出てきた。一体、この画像はどこにあるのか?我がBLOGのトップ画像のアドレスは「url=http://t2.gstatic.com/images?q=tbn:ANd9GcR1EmSKsc85U6K896tL_Hc9v4GyOxMTWr6wLgBO8D1u05soBgQO」となっていた。BLOG上では「http://af06.kazelog.jp/4P-1.jpg」。ともかく、「再利用」は使えば使うほどコスト(かけた時間・費用/使用回数)は下がる。デジタル画像は何度使っても減らない・劣化しない。これは新発見だ。

2013年2月9日の天気(AMEDAS)

TAVE= 1.9
TMAX= 6.3 最高気温(℃) 6.9 13:42 
TMIN= -1.5 最低気温(℃) -1.6 07:01 
DIFF= 7.8
WMAX= 7.3 最大瞬間風速(m/s)(風向(16方位)) 14.4(北北西) 12:15 
SUNS= 8.6
RAIN= 0

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文化と文明雑感(老人の寝言):国内生産が減るのにエネルギー・電力需要は右肩上がりに伸びるのか

民主党政権から自民・公明連立政権に移り、現在政権運営も試運転・仮免のような状態に見える。将来の原発の扱いに関しても、自公はまだ呉越同舟というように見える。安いエネルギーをタダ同然で使えれば政治上の大きな問題は生まれなくなるだろう。エネルギーの資源としての価値は地球人口が増大している中で、今後も増大してゆくだろう。日本が戦争に踏み込んだのもエネルギーの争奪という面があった。

今後、日本は少子高齢化社会になると言われている。そこで、気になるのが「エネルギー・電力需要は右肩上がりに伸びるのか」という問題。電気事業連合会のサイト(http://www.fepc.or.jp/library/data/tokei/index.html)に統計資料があった。長い期間の傾向を見れば将来の予測がある程度可能なことは否定できない。そこで、連続データがあり、統計上も区分がしっかりしていると思われる、従量電灯A・Bと大口電力の動向を調べてみた。従量電灯A・Bはほぼ人口の動向に類似しており、増加から飽和へ、その先はまだ見えないが減少の気配が感じられる。

一方、大口電力の方は1990年頃までは増大率が高かったが、それ以後は増大率が低下して、更に2000年頃以降は減少に転じたように見える。これが社会現象とどのように関係しているのか。

「失われた10年。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%B1%E3%82%8F%E3%82%8C%E3%81%9F10%E5%B9%B4。(最終更新 2013年2月7日 (木) 05:18 )」『ウィキペディア日本語版』(http://ja.wikipedia.org/)。の記事に、「失われた10年(うしなわれたじゅうねん)は、ある国、あるいは地域の経済低迷が約10年以上の長期にわたる期間を指す語である。~日本では1991年3月から2002年1月までの約11年間。本項で述べる。--------------------------------------------------------------------------------日本における失われた10年は安定成長期終焉後の1990年代前半から2000年代前半にわたる経済低迷の期間を指す語である。」とある。

「空洞化。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A9%BA%E6%B4%9E%E5%8C%96。(最終更新 2013年1月10日 (木) 08:54 )」『ウィキペディア日本語版』(http://ja.wikipedia.org/)。の記事に、「空洞化出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 空洞化(くうどうか)は、構成していたものが消滅、移転等することによってそこが空き、「空洞」になる状態。以下では、経済・産業分野において議論されてきた「空洞化」について述べる。~日本の空洞化問題 [編集]:日本では、大きく4つのタイミングで空洞化議論が起きている[1]。

1.1980年代後半、プラザ合意による円高を背景とした国内工場移転
2.1990年代中頃、円高を背景とした国内工場移転[1]
3.2000年代、コスト削減のためにWTO加盟を契機に「世界の工場」として急速に台頭する中国など、グローバル化による新興国への国内工場移転
4.2010年代、世界同時不況において世界各国の中央銀行が大規模な量的金融緩和を行っているのに対し、日本銀行による量的金融緩和が相対的に不足しているために起こっている円高を背景とした空洞化議論。
海外生産比率:
内閣府の調査によると、日本の製造業の海外生産比率は、1985年度に3.0%であったが、1990年度は6.4%に達し、2009年度は17.8%となっている。特に、これまで日本の輸出の大勢を占めてきた自動車等の輸送用機械や電気機器の海外生産比率は、他の産業と比べて高い。一方、諸外国と比較するとまたまだまだ上昇する余地はあるとの見方もある。」とある。

日本の製造業も経済のグローバル化が進むに連れ、製品の開発・設計やスタッフ部門は国内に残して、生産工場は人件費が安い海外に移転する例が多かった思う。このグローバル化とITC技術は平行して進んだので、国内のエネルギー使用量は相対的に低く抑えられたのではないか。また、海外事業で利益がでれば、その効果は国内需要を生むので、家庭が使う電灯電力は緩やかに伸びていたと考えられるのではないか。

問題は、これからのエネルギー政策と国内の各種政策のマッチングになる。既に、日本のメーカーが海外移転した国の技術レベルが向上し、日本の商品の優位性も下がりつつある。そうなると、海外生産の意味が薄れてくる。国際収支としては、各企業だけではなく、国家間の収支も問題になる。円安になれば、輸出には有利に作用するだろうが、エネルギー等の買い物には不利になる。エネルギー価格の上昇は当然製品価格を押し上げるので、国際競争力は低下する。

現役時代は、まだアメリカの製造業は元気だった。日本のカラーテレビの生産規模は微々たるものだった。日本のカラーテレビの集積回路化では、最初はアメリカ製を使ったが、やがて国内メーカー製に代わった。その後、アメリカのカラーテレビメーカーは日本製の集積回路を日本で調達して、シンガポール等で生産するようになった。アメリカでは製造業の海外移転は日本より四半世紀ほど早く起こった。その後、仕事を離れたが、カラーテレビ用の半導体集積回路の売り先は韓国や中国になったようだ。まだアナログテレビの時代だった。一般社団法人 電子情報技術産業協会
JEITAのホームページ(http://www.jeita.or.jp/)に「2011年地上デジタルテレビ放送受信機国内出荷実績 」という記事があり、「※2011年7月度実績をもってデータの更新を終了いたします。」とあった。

今後、製造業や家庭のエネルギー消費量が確実に伸びるという想定にどれほどの信頼性があるのか、疑問を起こさせてくれたのが電気事業連合会の統計資料であった。当然、電力事業が一般のビジネスと異なるのは事実だが、経済原理が機能しない事業はやがて破綻せざるを得ないだろう。電気料は企業や家庭を直撃するのだ。エネルギー価格は長期的には今後も上昇を続けるだろう。その対策としては、電気を作り送電する、人体でいえば、心臓・動脈血管系の強化だけでは現実的ではなさそうだ。むしろ、毛細管、静脈の部分(経済社会云々のシステム全体)まで徹底的に見直しして、システムの効率化で対応すべきではないか。
BOPIX_TEPCO_DENTOU_OOKUCHI_4PIX_M.jpgをダウンロード (東京電力の従量電灯A・B電力及び大口電力の推移グラフ:1963~2011年)

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2013年2月 9日 (土)

日々食べて生きる(環境雑録):鳥がナツミカンを食べた形跡

2013年2月9日土曜日
昨日は晴れ。最高気温(℃) 5.4 15:14 。最大瞬間風速(m/s)(風向(16方位)) 18.8(西北西) 12:14 。ざっそう句:寒アヤメ 一本咲いて 仏前に。朝方は定例の仕事。墓参。玄関に収穫したままの筆柿をバケツに入れたまま放置していたが、ほとんど姿が無くなった。鳥が食べたようだ。甘みの多い食物、糖分は生物の燃料だ。冬は生物にとって試練の時だろう。人間が36℃程度の体温を保のも生物の進化の歴史を背負っているのではないか。

2013年2月8日の天気(AMEDAS)

TAVE= 2.3
TMAX= 5.1 最高気温(℃) 5.4 15:14 
TMIN= -0.7 最低気温(℃) -0.8 23:41 
DIFF= 5.8
WMAX= 8.4 最大瞬間風速(m/s)(風向(16方位)) 18.8(西北西) 12:14 
SUNS= 9.5
RAIN= 0

Q
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日々食べて生きる(環境雑録):鳥がナツミカンを食べた形跡

進化上鳥が恐竜の末裔と言われると何となく見る目が変わってくる。中国では、羽毛を持った恐竜のような生物の化石が色々発見されている。我々戦後世代が親しんだのは、恐竜というより恐獣の方が多かったとおもう。自分の子供はガンダムとかのプラモデルで遊んだ。映画ではジュラシックパークを一緒に見た。この映画には、科学の進歩も反映されていたと思う。恐竜の時代から肉食系と草食系がいたとの事だが、そのDNAは現在まで続いているのだろうか。

ともかく、動物は恒温性を獲得して気候の寒冷化に耐えたのだろう。その分エネルギー=食料=餌の確保が必要になった。餌を探すのにもエネルギーが必要なのだから、身近にある物を食べるのが最も安心安全安価ということなのだろう。

先日、仕事中に、鳥が食べたらしい落果したナツミカンを発見した。ナツミカンは皮が厚いので鳥はたべないだろうと思っていた。樹上のナツミカンを食べるには相当のエネルギーが要る。落果して皮が軟化すれば何とか食べられると食べ始めたのかもしれない。まだ、樹上にはミカンがあった。なぜそれを食べないのか。鳥が樹上の果物を食べるのにもしっかりしたとまる枝が必要だ。そう考えると、落果したナツミカンの方が樹上の食べにくい枝のミカンより良かったのかと推測した。

ともかく、まだ探せば鳥の食べ物があるので、そこに鳥がいるのではないか。冬場は野鳥が水を飲むのも困るようだ。ミカン類は果汁も多いので鳥にとっては貴重な食料なのかもしれない。それにしても、鳥がナツミカンを食べた形跡を見たのは初めての事だった。
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    刃物という視点で多くの事例が取り上げられている。刃のある道具の理解にも役立つ。類書が少なく貴重な一冊。「すべり変形が切断の原理」という考え方で説明している。
  • 沼田 真   : 植物たちの生( 1972年 岩波新書(青版 833))
    「ご要望にお応えしてアンコール復刊(1988年岩波新書50年記念復刊) 地球生態系の中で自然を見直す」(腰巻きのフレーズ)。植物の知恵と戦略に人類は勝てるのか。
  • 出町 誠: 14_NHK趣味の園芸:よく分かる栽培12ヶ月  カキ(NHK出版2007年)
    初心者向け柿栽培参考書(新版)。旧版と比較すると楽しい。
  • 中村三夫: 13_NHK趣味の園芸:作業12ヶ月  カキ(NHK出版1996年)
    初心者向け柿栽培参考書(旧版)。新版と比較すると楽しい。
  • 山科正平: 12_細胞を読む   電子顕微鏡で見る生命の姿
    細胞はどんな部品からできているのか。そんな疑問に答えてくれる一冊。何事も形を見るのが第一歩。μからÅオーダーの世界で、細胞をメスで解剖するように、電子顕微鏡というメスで解剖して見せてくれるので興味が尽きない。
  • 柳田充弘: 11_細胞から生命が見える
    著者の専門は分子生物学、細胞生物学。普段生物を考えても細胞レベルで止まってしまう。その細胞の中で色々な分子が働いている。細胞こそ生命の基礎だが、その細胞の中の動きを知るのに最適な一冊。疑問の発端はなぜ発根剤が効くのかということ。薬剤が細胞膜を通過して細胞内で分子と分子が作用するイメージができた。本書でできた細胞のイメージは小さな無数の穴が空いた水分が充満したヨーヨーのようなもの。そのヨーヨーの中に分子部品が詰まっている。細胞自体もタライの中のヨーヨーのように浮かんでいる。細胞図面の空白部は真空でなく水分だ。細胞の内外に水がないと細胞は生きられない。水が生命のゆりかごだ!
  • 野口悠紀雄: 10_ホームページにオフィスを作る(2001年 光文社)
    ITが輝いた時代の作品。HPの活用法は参考になる。参考:url=http://www.noguchi.co.jp/(野口悠紀雄 ONLINE)
  • 小池洋男 編著: 09_果樹の接ぎ木・さし木・とり木(農文協:2007/3/31第1刷)
    やや専門的であるが、実務専門化が分担執筆しており、その場で役に立つ一冊。
  • ノーバート・ウィーナー(鎮目恭夫訳): 08_サイバネティックスはいかにして生まれたか(みすず書房1956)
    情報と通信という現代社会に不可欠の基礎的な学問を作った著者の自伝とそれを通した科学史
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    2010/8/4:MEMO等の表示に使える。 農作業で気になる自戒の言葉 ■畑の石ころはいつまで経ってもても石ころ(早く拾って片づけよという意味か)。 ■同じ石を二度拾うな(やってみると難しい)。 ■手ぶらで歩くな。 ■三つ先のことを読め。 ■適当な観察。 ■空を見よ(気分転換、休憩、天気を読む、腰曲がり防止)