2009年5月25日 (月)

最初の片思い

2009/5/25

最初の片思い

片思いと恋愛感情は似ている所があるがどこか違っている。それは字の通りワンウウェイで

あるということなのだろう。どうも自分というのがある程度客観的に認識可能になって片思い

らしい感情が生じるようだ。その最初の片思いらしい感情が生まれたのが小学一年生の時

であった。自分はみすぼらしい百姓のせがれ。片思いの相手は高貴な家庭のお嬢さん。勝

手な想像と思いこみがそういう感情の元になったのかも知れない。たまたま、近くの席になっ

た女の子だっただけなのかも知れない。高貴な家庭のお嬢さんはそれに相応しいおぼっちゃ

んと仲良しでどうも百姓風情ではない。今思うと自分が百姓のせがれであるという事にかなり

コンプレックスを感じていただけなのかも知れない。しかし、このコンプレックスは人生の相当

期間つきまっとっていた。晴れて、世間の言う会社員という身分になったが、逆にすまじきも

のは宮仕えという気分から解放される事は余りなかった。俗に言う会社員とは雇われ人に過

ぎなかった。その点百姓は一国一城の主であった。思えば肩で風を切って得意になっている

ように見えても元を正せば雇われ人というのが今日の大方の事情なのではないだろうか。最

近、世襲の是非が話題に上るがなかなか難しい問題がつきまとう。いくら世襲と言っても適材

適所から大きくはずれれば生き残って行く可能性は狭まるのが社会の掟なのかも知れない。

最近ある人から、この本を読んで感銘したと五木寛之の「人間の覚悟」という本を頂いた。戦

後50年は躁の時代であったが、今や鬱の時代に入った。格差はいつの時代にもあるがそ

れが固定してしまうことが問題だと述べている。振り返ると色々なところに色々な格差があ

る。躁の時代の中流意識も一時期の幻想であったのか。ともかく差を認識する事は個を認識

する事でもある。レーニンが一個の電子といえども汲み尽くす事は出来ないと言ったという事

を何かの本で読んだように思う。確かに全く同じ性質を持つ電子も色々な現象を引き起こし

ている。思えばコンプレックスとは未分化のiPS細胞のようなもので色々なものを生み出す原

基なのかもしれない。

2009年5月23日 (土)

先生の笑いの理由

2009/5/23

先生の笑いの理由

高校に入るといろいろユニークな先生に出会った。そのユニークさに応じてニックネームを貰

っていた先生も多かった。ぼっちゃんの世界でもあった。ともかく先生をニックネームで呼べ

るのはそれだけ自由の雰囲気があったからであろう。ニックネームは教師と生徒という関係

を密接にして距離を縮める効果があったようだ。ある先生は、時々はっはっはと笑った。その

先生があるときふともらした。私がこのように笑うのは常に人生を前向きにとらえようとしてい

るからだよというような意味であったと思う。その裏にはつらい事もあったのだろうか。要する

に、いつも苦虫をかみつぶしたような顔をしているより無理してでも笑った方が良いのだと自

分なりに理解した。確かにその先生はいつも穏やかな笑みをたたえていた。今思うと仏像の

顔を連想してしまう。そうして笑うときは高笑いではなくゆっくりとはっはっはと笑った。今ふっ

と、浪越徳治郎の「指圧の心は母心、押せば命の泉湧く」と言う台詞を思い出した。

WIKIPEDIAによると指圧の原点は浪越が「多発性関節リウマチの母の痛みを和らげたいと

いう一心から揉んだり擦ったりするうち、指で押すことで痛みが和らぐことを発見する。」事に

あったようだ。この人の笑いも有名であったようだ。浪越の指圧が母の痛みを和らげるため

に始められたとは知らなかった。ともかく笑いを一つの行として捉えるとそこに人生の深い意

味が込められているように感じる。先生の笑いの真の動機を知る由もないが、諸君くよくよす

るな、笑えば気持ちのゆとりが生まれる。先ず笑おうと呼びかけているようであった。

2009年5月22日 (金)

中三の学級担任

2009/5/22

中三の学級担任

中学三年生の頃は進路で頭を悩ます頃でもある。家が農家であり、長男は農家の後を継ぐ

というのが当時では普通であった。受験向きの学習塾はもちろん、そろばん塾や習字の塾と

も無縁であった。父は息子が青空大学に来ると期待していた。父子ともに自分の期待に対す

る葛藤があった。しかし、学級担任の先生はこの事情をよく理解してくれて、自分の希望する

進路に進めるよう側面から支援してくれた。今考えると、当事者同士では客観的な事が見え

ない。しかし、学級担任としての立場からはいろいろな事が客観的に見えたのであろう。父は

青空大学はあきらめた。その学級担任の先生は、今日では惜しいほど若くして亡くなられ

た。自分の社会人としての進路の方向を決めたのが中学三年の時の学級担任の先生であ

った。教師という職業は一種の天職のようでもある。丁度人間が自己を形成する大事な時に

その自己形成に必要な作用を及ぼす人である。かけがえのない教師に巡り会えた事を有り

難く思う。ともかく、このときは農業から離れた所に自分の理想を描いていたわけである。戦

後の高度成長期は農業の構造変化の時期でもあったようだ。若い人は農業から離れていっ

た。周辺をみると自分の先輩は専業農家が多かったが後輩は農業農家は極少なくなってい

る。時代の流れであった。戦後の高度成長を支えたのは第一次産業から流出した人材であ

ったのかもしれない。

2009年5月21日 (木)

技術者ファーマー

2009/5/21

技術者ファーマー

半導体業界でばりばり仕事をしていた人がその仕事からきっぱりと分かれて就農した。たま

たまその人のホームページを拝見して啓発させてもらっていた。しかし、そのホームページも

閉鎖されてしまった。やはり、その時々で自分が求めるライフスタイルを追求するのが本当

の生き甲斐になるのかもしれない。その人はぶどうを中心に観光果樹園をやっているよう

だ。自分も同じ業界で飯を食ってきた。一時、日米で半導体貿易摩擦という問題があって、

日本は米国の半導体の買い付けを余儀なくされた。その業務にも少し関与した事があった。

ひょっとしたら、外資系の会社にいたかの技術者ファーマーと見えない接点があったかもしれ

ない。自分もぼちぼちぼち畑に果樹を植えているが、実が生るまで数年かかる。今年は桃の

木に実が生ったので摘果をした。何か、もったいないという気持ちが先行して摘果のブレーキ

になっている。ともかく、自分で作って自分で食べてみるのが第一歩だと思って気長にやって

いる。まだまだ自家用も不十分だ。それにしても、各社の半導体部門が巨額の赤字の元凶

になり経営の足を引っ張っているという現象は未だに理解できない。設備投資は巨大である

が利益を出す構造が自転車操業にあると言うことなのであろうか。

2009年5月20日 (水)

春蘭

2009/5/20

春蘭

モミジの木の株本に黄緑色の小さな花が咲いていた。余り目立つような花ではない。しかし、

気付いてみると捨てがたい花でもあった。自生してる花だと早とちりして植え替えてしまった。

ところが、それは父がそこに植えた物だと分かり再度植え戻した。その花は春蘭であった

が、由来は聞き忘れた。趣味と言うほどでもなく道楽で植えた物のようだ。小さな道楽でも生

活に潤いを与えればそれでよいだろう。ともかく少しずつ株が増えているようである。当面は

手を加えずに自然に任せようと思っている。

2009年5月19日 (火)

桑つみ

2009/5/19

桑つみ

群馬県の養蚕という産業も過去の遺産となりつつある。蚕が小さいときは桑の葉を小さく刻

んだ物を餌として与えた。やや大きくなると桑の葉を摘んだ物を与えた。繭になる前の段階で

は枝に葉が付いたままで与えていたようだ。要するに蚕が成長する段階により食べる量も多

くなり、食べる能力も大きくなる。大人だけでは桑の葉つみが間に合わなくなると桑畑での桑

つみにかり出された。両手の人差し指に桑つみ用の小さな刃の付いた指ぬきのような小道

具をはめて、これで桑の葉柄を切って葉を竹かごの中に詰め込む。ぎっしりとかごがいっぱ

いになるまでが一区切りの仕事になり、みんなが競争でつんだ。あまり愚痴も言わずに桑つ

みの仕事をした。なぜなら、家に帰ってつんだ重さを秤で量って自分のした仕事量に応じてお

金をもらえたからである。たいていの農家の子供はこのような経験をしたのではなかろうか。

知らず知らずのうちに自分の仕事の意味と価値を理解したのではなかろうか。年令が違って

も、負けるものかと頑張る根性も身に付いた。残念だが稚蚕のはきたてから繭の出荷までの

一連の作業を全部行う事はなかった。要するに農業者としてではなくお手伝いの範囲の仕事

しかしなかった。これは自分の体験した全ての農作業に共通する。自分の親や祖父母が農

業にかけた情熱は日毎に疎くなっている。湿球が割れた養蚕用の乾湿計を単なる温度計と

して使っているが、よく見るとその数値表に蚕の適湿が記入されていた。祖母は次ぎにやる

べき仕事が見えないようではだめだと常日頃子供達を叱咤していた。決して優しいおばあち

ゃんのようではなかった。早くに夫を亡くした祖母の両肩に家族を支える養蚕の仕事の重さ

がずっしりとのしかかっていたのであろうと今となって思う。

2009年5月18日 (月)

針立て試験

2009/5/18

針立て試験

集積回路の開発では設計通りに動かない場合がある。対象が肉眼では見えない。顕微鏡下

で不具合の部分を突き止める必要がある。これなら動くというのが設計図である。現実は設

計図通りにできない。設計図はあくまで理想な姿を現した抽象的なものなのである。動かな

い状況は回路の症状として現れる。この隠れた不具合点をあぶり出すのが色々な試験であ

る。最初に顕微鏡下に集積回路の配線を見たとき、自分にこんな仕事ができるだろうかと思

った。幸いパターンを作成する仕事はパターン設計の専門技術者が行った。回路が動かな

いとなると回路設計技術者とパターン設計の技術者が両者の立場から協力して検討しなけ

れば効率的に解決できない。二人三脚と同じようにこの技術者とは長いつきあいになった。

回路に接続する針を立てる装置をマニピュレータと呼んでいた。X-Y方向に針を微妙に動か

す装置である。針の一端にはテスターやオシロ等の測定器の探針をつなげる。場合によって

はこの針で配線を切ったりつないだりする。最初にマニピュレータを使った頃は顕微鏡の倍

率もマニピュレータの精度も低かった。汗をかきながら根性で操作した。肉眼では見えにくい

針先がまるで丸太のように感じられてくる。集積度が上がってくるとマニピュレータも顕微鏡も

高精度になった。立てる針も増えた。今となっては、こういう細かなかつ泥臭い仕事に耐えら

れるかと思ったりする。しかし、最近接木をしているとその接合面がどうなっているのか顕微

鏡でしきりに見たくなる。ともかく肉眼で見えないことも顕微鏡で見える。顕微鏡がなくても一

度その操作を習えば、肉眼で見える限界の下に別な世界がある事を実感できる。技術の世

界ではこのような強引な物理的な手段が使える。裁判員制度が間近にスタートする。裁判の

対象となる現象を特定することには多くの困難が伴う。その現象は完全に特定でき、動機と

原因と結果を完全に解明する事は可能なのか。裁判員は裁く側に属する。裁かれる側に裁

判員は不要なのか。人間の世界の問題は一挙に複雑系の様相を呈する。そんな中、本日一

つの結論が出る。因果関係を特定するだけで大仕事であるのに、その刑罰を決めることは

更に心理的な負担の大きな仕事であろう。罪を贖うべきべき人もおり、救済を受けるべき人

もいる。ここに第三者が割り込むのだ。その第三者になる可能性が自分にもある。ともかく、

ある人が裁判員になるのは百年に一度くらいという社会の到来を願う。

2009年5月17日 (日)

たった一個の良品

2009/5/17

たった一個の良品

集積回路の試作品が出来る時は丁度子供がうまれる時のような思いがする。一枚のウェー

ハの上に数百個程度形成される。それを切り出して組み立てる。それから一つ一つ動作を

確認する。ダメ、ダメ、ダメ、...全滅だ。目先が真っ暗になった。念のためと最後に取り上

げたICが予想に反して動いた!しかし、たった一個しか良品が無いとはどういうことか。まっ

たく理由が分からない。限りなく歩留まりがゼロに近いのだ。仕方なく顕微鏡を覗き配線を追

いかけた。なんという事か、本来切れてはならない配線が切れているという配線ミスがあっ

た。本来ならばダメ、ダメ、ダメ、...というところがOK、OK、OKになるべきであったのだ。

そうして、動いた!と叫んだICが不良となるべきであった。問題の配線部分を調べてみると、

そこに欠陥があり配線がつながっていたのである。このような事は全く偶然の仕業であるが、

そのトリックを解明できてなんとなく浮き浮きした一瞬であった。マニュピュレータで切れたア

ルミ配線をつないで、動かないICが動くことを確認して最後のだめ押しも無事に済んだ。今で

は遠くなったが、ミクロの世界の仕事もやってきたのだなと感慨深い。

2009年5月16日 (土)

白丁花

2009/5/16

白丁花

一発で漢字変換ができた。しかし、あの花は何という花かと思い出すのに苦労する花であ

る。かって、我が家の坪山の生け垣になっていた。そこに赤い鮮やかな霧島ツツジが咲い

た。その坪山は今は無くなったが、当時の白丁花と霧島ツツジと思われる株が今日まで健在

である。樹高1メートル足らずだが、樹齢は50年以上となっていると思われる。大きくなること

もなく小さくなることもなく、何とか毎年花を付ける。植木としては理想的な状態である。しか

し、その存在感が余り感じられない。時に名前を思い出し、時に忘れるのもそのためであろ

う。庭木の古参格であるのには間違いない。ともかく、そこのそれがあるから何かを思い出す

手がかりとなるのである。人間忘れたくない事も忘れるのが常であり、その逆に早く忘れたい

ことはなかなか忘れられない。毎年、あまり馴染みはないが知らないこともない小さな花が庭

先に咲くのは小さなぜいたくなのかもしれない。

2009年5月14日 (木)

戦後の共同風呂

2009/5/14

戦後の共同風呂

終戦後の一時期、町内の数カ所に共同風呂があった。どういう経緯で作られたのか改めて

調べたわけでもない。その周辺を遊び場にしていた。終戦後で、物資が乏しく農村地帯で仕

事後に風呂を沸かして入るのも大変なので外風呂があれば便利だという事になったのだろう

と推量する。その風呂に入った事は覚えていない。自宅の風呂当番で水くみをした事も覚え

ているので共同風呂が利用された期間は余り長くはなかったようだ。結局無いよりましだとい

う判断で作られたのだろう。若いご婦人方は恥ずかしい思いをしたらしい。その後内風呂が

普及して共同風呂の必要性も無くなったのだろう。当時、水道も無かったので井戸を掘った

のであろうか。湯を沸かしたのは電力であったのだろうか。いくつか知りたいことが出てくる。

ともかく、町内や隣組は何らかの協力が必要だ。生活や経済が豊でなければその協力も有

難味が大きくなる。従って、共同風呂があったという事は地域の人々が生活水準の向上のた

めに協力したという歴史を示していることになる。既に施設そのものは跡形もなくなっている。

ひょっとするとこういう施設をつくるのに行政の指導や補助があったのかもしれない。

2009年5月13日 (水)

ラジオ講座

2009/5/13

ラジオ講座

ラジオ講座には断続的にお世話になった。学習塾に通うゆとりがなかったのでラジオに頼っ

たわけである。講座の開始時に流れる音楽も、もはや頭の中で完全に鳴り響かない。しか

し、この音楽に励まされて眠気を払って耳を傾けた同世代の人も多かったと思う。受験講座

は試験が終わればそこで終わりになる。その点、語学講座は比較的長く続いた。しかし、具

体的な目的がないので余り身につかなかった。会社でTOEICの試験を受けさせられてヒアリ

ングが全く手に負えないことを痛感した。読み書きは何とか並の点はとれた。要するに語学

は文字を介する理解が中心で、音声を介するコミュニケーションに重点が置かれなかったよ

うだ。かって終戦後は米兵があちこち巡回していた。米兵に「オータ」と聞かれたので「太田は

あっちだ」と太田の方角を指差したが、その兵士は井戸の方に向かい水を飲んだという話を

聞いたことがある。「オータ」ではなく「ウォーター」だった訳だ。ともかく毎日少しでも駒を進め

ることは怠惰を寄せ付けないための最良の方法のようである。

2009年5月12日 (火)

高校の美術

2009/5/12

高校の美術

今となっては遠い世界のようではある。美術の授業で石膏像のデッサンをしたのを思い出

す。大きな白い画用紙に木炭で石膏像を描く。美術の基本中の基本。あの石膏像は一体誰

であったのか。調べてみたらどうもブルータスだったらしい。ともかく、西洋の美術も音楽も定

番の初歩の教育法が確立しているようである。ところが、日本の美術や音楽を高校で余り教

えられなかったように思う。先生が洋式の教育を受けたからなのか。日本の芸術の価値が低

いのか。思うに日本の芸術は「芸」に重きがあり、西洋の芸術は「術」に重きがあるように感じ

る。あのオーケストラの方式を見ると指揮者と奏者が一団を為している。これは軍隊の指揮

官と兵士の関係のようだ。楽器は兵器という相関。指揮者は指揮者として奏者は奏者として

の教育と訓練を受ける。一団として最大の効果を出すシステムだ。これでぐんぐん押し掛けて

くる。残念だが「芸」だけでこれを押し返す力はでない。個人の力量を越えない。楽器も良い

音、でかい音が出るよう優秀な科学者が研究した。楽器の技術的な研究だ。音響学は西洋

で生まれ育った。これは音楽兵器の基礎理論だ。和魂洋才と言うが日本の芸術が復活する

のはいつのことか。ピアノは高い金を出して買うが大抵物にならずに放置される。外国に出

かけても恥ずかしく人前でピアノやバイオリンを演奏できる人は少ないであろう。それなら、琴

や三味線を下手で間違いながらでも弾けば受けるだろう。国際親善にもなるだろう。芸事を

習うには金がかかる。それなら日本芸術を義務教育で教えたらどうか。ともかく、漫画が世界

に普及して胸を張る政治家はいるようだがそれを日本の芸術まで拡大する必要性を主張す

る政治家は少ないようだ。相変わらず日本の芸術も縮み志向なのか。

2009年5月11日 (月)

初めて出会った用語

2009/5/11

初めて出会った用語

高校の生物の授業で習ったのがミトコンドリア。細胞の中の器官である。細胞がさらに小さな

構造を持つことを習った。生物のエネルギーの生産工場であるらしい。この言葉とともにあの

ほっそりとした生物の先生を思い出す。最近挿し木を初めて細胞のことが気になり始めた。

挿し木に根が出ることは生物学的にどういうことなのか。発根しにくい植物の挿し木はどうす

ればうまくゆくか。もう一人、化学の先生が紹介した「アニリン」という小説。化学染料と関係

するようだ。まだその本を読んだこともない。しかし、厚いめがねをかけて語りかけた姿が思

い出される。要は化学式だけではなく化学全体の事も勉強せよと教えていたのかも知れな

い。色素も我々の生活に彩りを与えてくれるが合成色素が多く使われているのであろう。とも

かく初めて出会った用語が頭の片隅に残っていればそれを頼りに芋蔓式に情報はたぐり寄

せることが出来る。染料だからインディゴかもしれないとネット検索をかけたが、うろ覚えの記

憶と結びつかなかった。やっと「アニリン」にたどりついた。

2009年5月10日 (日)

山歩き

2009/5/10

山歩き

出不精で運動嫌いなので、山歩きの経験は極少ない。精々、赤城、榛名に車で行く程度であ

った。大学のゼミの連中と行ったのが秩父の雲取山であった。天気には恵まれず、霧が巻き

怖い思いをした。グループ行動の場合、どうしてもグループの荷物になってしまうのではない

かという不安がつきまとう。これが、グループ行動の好き嫌いにも通じるようだ。ともかく、グ

ループのさしたる荷物にならずに済んだ事により山歩きの楽しい思い出を残すことができ

た。飯盒の飯と水ががうまかった。物事の好き嫌いが生まれるのは最初の体験の良否によ

ることが多いようだ。最初は楽しく安全に、その後は少しずつチャレンジして行く。こういう好

循環のパターンは何事にも通じるようだ。

2009年5月 9日 (土)

尾瀬へのハイキング

2009/5/9

尾瀬へのハイキング

高度成長時代は仕事だけではなくレジャーも盛んになった。会社も社員の慰安旅行でバスを

仕立てた。職場にもいろいろなグループが生まれた。そんな中、隣の職場の先輩から尾瀬へ

のハイキングに誘われた。それを機会にキャラバンシューズを買って、初めて尾瀬を歩い

た。若い女性も参加して楽しいハイキングであった。尾瀬と言えば、自分が学生当時に発電

工学の講義を担当していた教授が尾瀬ヶ原を巨大な貯水池にして揚水式の発電に使うとい

う計画があったと教えてくれたのを覚えている。電力は蓄えることが出来ない。今使っている

電力は今作られているという事である。しかし、電力需要には山と谷がある。需要がピークに

なるときに必要な電力を供給することが安定な電力供給に不可欠になる。そのために、電力

エネルギーを位置エネルギーに変換して蓄えるのが揚水式発電である。要するに需要が少

ない時期に発電した電気で下流の水を汲み上げて上流の貯水池に溜めて、需要があるとき

に溜めた水を流して発電する方式である。ともかく、多くの人々のこの計画に対する反対で

尾瀬ヶ原が水没することを免れたのである。

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みかん栽培関係情報

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ISESAKI  有情1

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BOOKS

  • 橋本 英文: 刃物雑学事典 図解・刃物のすべて(1986年 株式会社 講談社 ブルーバックス B-659)
    刃物という視点で多くの事例が取り上げられている。刃のある道具の理解にも役立つ。類書が少なく貴重な一冊。「すべり変形が切断の原理」という考え方で説明している。
  • 沼田 真   : 植物たちの生( 1972年 岩波新書(青版 833))
    「ご要望にお応えしてアンコール復刊(1988年岩波新書50年記念復刊) 地球生態系の中で自然を見直す」(腰巻きのフレーズ)。植物の知恵と戦略に人類は勝てるのか。
  • 出町 誠: 14_NHK趣味の園芸:よく分かる栽培12ヶ月  カキ(NHK出版2007年)
    初心者向け柿栽培参考書(新版)。旧版と比較すると楽しい。
  • 中村三夫: 13_NHK趣味の園芸:作業12ヶ月  カキ(NHK出版1996年)
    初心者向け柿栽培参考書(旧版)。新版と比較すると楽しい。
  • 山科正平: 12_細胞を読む   電子顕微鏡で見る生命の姿
    細胞はどんな部品からできているのか。そんな疑問に答えてくれる一冊。何事も形を見るのが第一歩。μからÅオーダーの世界で、細胞をメスで解剖するように、電子顕微鏡というメスで解剖して見せてくれるので興味が尽きない。
  • 柳田充弘: 11_細胞から生命が見える
    著者の専門は分子生物学、細胞生物学。普段生物を考えても細胞レベルで止まってしまう。その細胞の中で色々な分子が働いている。細胞こそ生命の基礎だが、その細胞の中の動きを知るのに最適な一冊。疑問の発端はなぜ発根剤が効くのかということ。薬剤が細胞膜を通過して細胞内で分子と分子が作用するイメージができた。本書でできた細胞のイメージは小さな無数の穴が空いた水分が充満したヨーヨーのようなもの。そのヨーヨーの中に分子部品が詰まっている。細胞自体もタライの中のヨーヨーのように浮かんでいる。細胞図面の空白部は真空でなく水分だ。細胞の内外に水がないと細胞は生きられない。水が生命のゆりかごだ!
  • 野口悠紀雄: 10_ホームページにオフィスを作る(2001年 光文社)
    ITが輝いた時代の作品。HPの活用法は参考になる。参考:url=http://www.noguchi.co.jp/(野口悠紀雄 ONLINE)
  • 小池洋男 編著: 09_果樹の接ぎ木・さし木・とり木(農文協:2007/3/31第1刷)
    やや専門的であるが、実務専門化が分担執筆しており、その場で役に立つ一冊。
  • ノーバート・ウィーナー(鎮目恭夫訳): 08_サイバネティックスはいかにして生まれたか(みすず書房1956)
    情報と通信という現代社会に不可欠の基礎的な学問を作った著者の自伝とそれを通した科学史
  • 沼田 真(編): 07_雑草の科学(研成社1979)
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    2010/8/4:MEMO等の表示に使える。 農作業で気になる自戒の言葉 ■畑の石ころはいつまで経ってもても石ころ(早く拾って片づけよという意味か)。 ■同じ石を二度拾うな(やってみると難しい)。 ■手ぶらで歩くな。 ■三つ先のことを読め。 ■適当な観察。 ■空を見よ(気分転換、休憩、天気を読む、腰曲がり防止)