08B_身辺雑記(田舎老人徒然草)
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2011年3月14日 (月)

身辺雑記:東北地方太平洋沖地震から東北・関東超巨大地震へ

2011/3/14
本日から輪番(計画)停電が実施される。朝日、毎日のNETニュースでは「東日本大震災」という言葉が出現。「東北・関東超巨大地震」という呼び名も出てきた。超巨大地震地震とその余波を受けた原子力発電所の事故という重圧ものしかかっている。ガソリンもパンや牛乳等も店頭から姿を消したようだ。売り惜しみ、便乗値上げが被災地以外も直撃しそうな気配だ。耐えるしかない。

追記:朝の計画停電の対象地区になっていたので日が変わって、丑三つ時にブログをかいた。朝、いつもの通り電灯のSWを入れると点灯した。おかしいなと思いつつ、その電灯で新聞を読んだ。7時AM頃。上毛新聞のページをめくると東電の計画停電の全面広告が目に飛び込んできた。それに続いて、テレビが第一グループの計画停電の実施が見送られたと報じた。東電のホームページを開くと計画停電の告知がトップに出ていた。しかし、その内容はPDFで、自分のACROBAT READERのバージョンが6なのか、読めない。以上の経緯を見ると計画停電の実施がある程度、計画的に企画された事が窺える。しかし、計画停電は何の前触れもなく唐突に、準備のゆとりもなく実施されようとしていた。それが、一夜明けて撤回となると、その対応自体の信頼性がゆらいでしまう。東電のホームページには今朝の7時台では計画停電の中止は一切出ていない。ともかく、こういう非常事態には正確で信頼できる情報が絶対に必要である。電力各社は生活や事業のインフラを担う基幹産業であり、経費に利益を上乗せして決して赤字にならない経営が保証されていると学生時代に、送配電工学の授業で教えられた事が思い出される。それを言い直せば、電力各社は、身を切っても電力供給責任を果たさねばならないという事であろう。ところが、今回の対応はオオカミ少年になりかけてしまったようで、当局の腹のすわらない態度が透けてみえてしまったように感じる。一般市民も、正確で信頼できる情報を適時に知ることができれば正しい判断ができる筈だ。一般市民は報道を信じて、不便や危険を覚悟してまで実施当日の行動を計画した筈だ。原発の事故はいくら弁明してもその責任は当局にあるのである。それを自分の不利にならないような情報の二次的な操作で眩まそうとした低意はなかったか。疑問なのは、電力量という数値で電力の需要と供給能力は定量的に表せるのであるが、その数値が一切公表されていない事だ。この数値が公表されれば、小学生でも停電や節電の意義が判断できる事だ。思うに、計画停電の実施の予告無しの唐突な実施は、企業のエゴに基づき、二次災害を引き起こすことが明確になり、企業責任を果たせなくなると言う認識が明確になったからではないか。

昨日の天気

TAVE= 10.2
TMAX= 18.9
TMIN= 2.6
DIFF= 16.3
WMAX= 3
SUNS= 11.1
RAIN= 0

以下本題。

身辺雑記:東北地方太平洋沖地震から東北・関東超巨大地震へ

気象庁は東北地方太平洋沖地震の大きさ(マグニチュード)をM=8.8からM=9.0に上方修正した。これがどういう経緯で為されたか定かではない。ともかく、科学的データだけではなく、その被害の大きさも加味されたように感じた。本震は単発事象なのだからデータはただ1セットしかないだろう。そのデータの読み方や解釈を変えたのであろうと考えた。心理的・現象的には、地震による被害の部分は津波のによる被害の部分に覆われてしまいそうに感じる。WIKIPEDIAによるとマグニチュードの定義も色々ある。出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』(最終更新 2011年3月13日 (日) 09:13 )の「マグニチュードの大小の目安」によると、M=9.0は 超巨大地震 に分類され、エネルギー換算で2 ×10↑18(10の18乗)J、TNT換算で4億8,000万tであり、その例をMw9.0: カムチャツカ地震 (1952年)、Mj9.0 (Mw8.9): 東北地方太平洋沖地震 (2011年)、Mw9.2: アラスカ地震(1964年)、Mw9.1~9.3: スマトラ島沖地震 (2004年) と示している。東電のホームページによると福島第一原子力発電所のH21年までの累計発電電力量は9,000億kWhであり、概算するとM=9.0のエネルギーはこの累計発電電力量と同じオーダーになった。TNT換算で4億8,000万tとこれも想像を絶するエネルギー量ではある。

昨日、我が家の墓石が地震で動いたとの連絡をもらった。この巨大なエネルギーの極一部が為した仕事だが、向きを直してくれた後だったので、その様子を見ることは出来なかったが、全部西方を向いていたとの事。西方浄土という意味で西を向いたのではという話も出るほどであった。

3/13には、宮城県は死者の数は1万人を上回るだろうと言う見通しを発表した。地震発生の翌日は1000名台の死亡者数が報道されていたが、何か楽観的な死者数に見えた。その一因に、詳しい情報の収集・分析が出来ていなかった事があるようだ。その点で、気になるのが防災無線システム等が十分に機能したのかという点。結局、携帯も有線電話もその電源は商用電源が頼りになっている。商用電源が使えなくなった時に使えるバックアップ電源が十分でないので、進歩したIT技術も十分使えなかったのではないか。そういう点から見ると電力はインフラのインフラという最も重要なインフラと考えられる。ともかく、住民の安否を把握し危機管理をすべき自治体と中央の連絡がとれなくなるような事態が起こった事は今後の危機管理体制で最初に解決すべき課題のように思われる。この未曾有の緊急事態の最初の1日、2日の間に情報のブラックアウトが生じた事で、初動体制の不備という大きな損失を招来したように思われる。

ともかく携帯・インターネット等IT技術が発達しているが、今回の巨大地震の場合安否情報を確認する事も思うように出来ない人々が多かったと思われる。また原子力発電所でも同じような例が同時に発生しているので、なにか技術の盲点があるように感じられる。携帯電話の場合、基地局が停電で機能しなくなったり、通信制限で機能が発揮できない場合がある。予備のバックアップ電源を使い切って基地局が機能できなくなったとき、その基地局がカバーする範囲内にある携帯電話を小さな無線中継局に切り替えて緊急通信を行う通信路として利用できないだろうか。これは究極的な無線分散システムで、通信システム自体のインテリジェント化に相当すると思うが現在の技術でも十分可能かもしれない。持っていても機能しない携帯電話が緊急通信に役立つならばとつい夢想をしてしまった。

2011年3月12日 (土)

身辺雑記:東北地方太平洋沖巨大地震の脅威にふるえる

2011/3/12

身辺雑記:東北地方太平洋沖巨大地震の脅威にふるえる

午前中はのどかな晴天。篠刈りをして、昼食後は冊子の拾い読み。ついにうとうとしてしまったところにがたがたと大きな地震が来た。大正12年の関東大震災の時の祖母の話によると、庭の水たまりの水が跳ねたとその大きさを教えたくれた。今朝の新聞ではその地震の大きさM(マグニチュード)は7.9との事。今回の地震は最初暫定値としてM=7.9だったが、その後M=8.4と修正された。現在ではM=8.8と観測史上最大の大きさとなっている。インターネットの速報ではこのM値の異なる情報があり、気象庁が地震の大きさを定量的に評価する経過を示しているようだ。

室内にいたが、棚からビデオカセットが落下、台所のテーブルから薬缶が落下、それでもおさまりそうがないのでついに裸足で庭に飛び出した。その後、1時間以内に数回の余震があり、その余震の大きさにも脅威を感じて、玄関先まで出てしまった。この地震をどのように伝えたらよいのかとふと思った。自分の体験に結びつけると、昔のおんぼろバスが舗装をしていないデコボコ道を猛スピードで走っているときのような危険を感じる衝撃とでも言おうか。その後は、かみさんとテレビに釘付けになってしまった。やはり、こういう時は一人ではこころもとない。ラジオを付けっぱなしで寝た。朝6時の時点でNHKのニュースは死者行方不明者1000名以上と伝えた。今回の地震は大津波を伴い、その被害範囲も相当広いという特徴があるようで、阪神・淡路大震災との比較が必要と思い調べてみた。

以下、WIKIPEDIA(最終更新 2011年3月11日 (金) 07:27 )「阪神・淡路大震災」の記事の抜粋:
『発生日 1995年1月17日
発生時刻 5:46:52(JST)
震央  日本淡路島北部沖の明石海峡
北緯34度35.9分
東経135度2.1分
震源の深さ 16km
規模    M 7.3
被害
死傷者数 死者:6,434名
行方不明者:3名
負傷者:43,792名 』

この巨大地震の被害の全貌はまだ見えていない。残念だったのは、一国の総理が、この最大の国難に際して、TVに映ったのが地震発生から数時間経てからであった事。危機管理は初動の良さが後半の良さを決めるのではなかろうか。

地震予知については、2010/3/24の以下の記事に書いた。
http://af06.kazelog.jp/itoshikimono/2010/03/post-cbf0.html

地震大国である事は日本の宿命である。それならば百年ではなく千年の大計としてでも、その予知と予防に取り組むべきではないか。

我が家のアナログテレビでは『2009年7月から始まり、2010年7月5日から完全実施されている地上波アナログ放送レターボックス放送』の枠に地震関係のメッセージガ挿入されていた。

日本の地上デジタルテレビ放送(出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』)の項目で地デジの場合のテレビ情報の遅れが以下のように指摘されている:「緊急地震速報の遅れ
緊急地震速報の場合、アナログテレビ放送に比べて約2秒遅れることが明らかになっている。2008年6月14日に発生した岩手・宮城内陸地震でこの問題が明るみに出た。この遅延問題の解消を目指して総務省、放送局及び電機メーカーは圧縮を施さず速報を送信するように2008年9月から見直しを検討する。緊急地震速報はデータ量が少なく、映像や音声が乱れる悪影響はないと見込んでいる[19]。」

我が家のアナログテレビでは、東北地方で揺れてからしばらくしてゆれて、地震が波として伝わってくるのを実感した。

ところで、東京スカイツリーは一局集中のテレビ塔としてそのまぶしさを喧伝されているが、巨大地震の時、そのアンテナが倒壊等で機能しなかったらどうなる事か。

一本の巨大アンテナより百本の中小アンテナを選んだのが携帯通信である。いわば、分散化はコンピュータ、インターネット、携帯、クラウドコンピュータ等でそのコストと安定性(パフォーマンス)が優れると実証されてきて必然的に今後向かうべき技術的な方向ではないのか。東京スカイツリーは日本の敗戦の原因とも言われる大巨砲主義の産物のように見えてしまう。

今回の巨大地震では停電も各地に発生している。巨大地震の時、携帯も制限される。テレビ、ラジオは一瞬も停波させてはならない情報インフラであることを再度認識したい。

東京タワーのアナログテレビ用のアンテナが傾いた写真が今朝の上毛新聞に載っていた。東京スカイツリーには一抹の不安を覚える。

昨日の天気

TAVE= 3.8
TMAX= 9.8
TMIN= -1.3
DIFF= 11.1
WMAX= 9
SUNS= 7.9
RAIN= 0

2011年3月 3日 (木)

老人の寝言:老人の妄想:身辺雑記:田舎老人徒然草:科挙;雑草句録:モグラ塚。20110303。

2011/3/3
節分。お雛様はもう何年も出していない。虫干しを兼ねて出そうかという話が出たがどうなるのか。昨日は質問サイトに試験問題を送った携帯が特定されたというニュースが流れた。名門大学のブランド価値はこれほどの努力をするだけの価値があるのか。一人の不正行為が多数への迷惑を生んでしまうのが情報化社会でもあるようだ。

追記(2019/11/02):タイトルを追加

老人の寝言:老人の妄想:身辺雑記:田舎老人徒然草:科挙

思い出したのが中国の科挙という制度。国家にとって有用な人物を差別無く登用するという趣旨で実施された、中国版高等国家公務員登用試験であったようだ。争いの絶えない時代にあって曲がりなりにも、科挙により文治が続いたのは特筆すべき事なのかもしれない。その科挙の試験に合格するために受験者は涙ぐましい努力をしたようだ。衣服の下に細かな文字で書いた文を隠す等は序の口らしい。そんな余話を読んだ記憶がある。しかし、科挙に合格しても歴史に名前を残さない人物もあり、逆に科挙の試験に落ちても歴史に名を残した人物もあるようだ。思うに山を掛けてでも一所懸命勉強すれば自然に身につくのではないか。その努力もしないでけしからんというのが大方の世間の見方であろう。しかし、ルールや常識は無視してでも、結果が良ければ全て良しという風潮も一部ではある。こういう問題は尽きる事が無いのか。

昨日の天気

TAVE= 5.3
TMAX= 10
TMIN= 0.4
DIFF= 9.6
WMAX= 8
SUNS= 6.4
RAIN= 0

以下本題。

雑草句録:モグラ塚

■啓蟄の後にもっこりモグラ塚

啓蟄を過ぎた頃からモグラが活動を始める。畑等にこんもりと新しい土山ができるのでそれと分かる。身近な野生哺乳動物というともうモグラくらいしか思い出せない。木の根本、コンクリートや石の下等がモグラのお家のようだ。雨水が入らず、保温性もある点では人間の家と同じだ。モグラ塚はその家からは離れて出来るようで、前線基地のように見える。

○初午に狐の剃りし頭哉     芭蕉

Google検索:約 332 件。検索したが土竜、鼬、狸は芭蕉句に出てこないようだ。狐は出てきた。犬、猫も多そうだ。医門に入った是橘<ぜきつ>の門出を祝した句であると解説があった。背景を知らないとこの句を理解できる人は少ないのではないかと思った。狐が人を化かすという空想さえ通じなくなったのが現代。人が人を化かしている現実。

■こんこんと髭を探して白狐

日本人は狐との付き合いに親近感があるようだ。稲作とともに付き合いが長かったようだ。犬は1万年程度前にオオカミから分化して家畜化されたようだが、狐はどうだったのか。共生関係に近い関係があったのだろう。

2010年12月31日 (金)

身辺雑記:もちつき

2010/12/31

身辺雑記:もちつき

昨日、恒例のもちつきが無事終わった。杵と臼でつくくのでどうしても屋外作業となる。過去を振り返ってみると屋内で餅つきをした記憶もない。そこで伊勢崎のアメダスのデータがある1977~2009年の恒例の餅つき日の天気を調べてみた。一回だけ1mmの雨があったが、それ以外は日照があった。この時期は冬型の天気が安定しているようだ。恒例と言っても年々状況は変わる。餅つきというイベントを通して人が集まり会話が生まれる。最近は餅つきができるのもあと何年云々と冗談とも言えない話が出てくるがそれくらいは続くと思っている。ともかく一年も無事終わり、新しい年を迎えられそうだ。感謝。

追記:一回だけの雨の日の餅つきの記録をたどって見た。大した雨ではなかったので、臼を楠の下に移して続行してその日の餅つきも無事終わっていた。こんな時も、いつもは邪魔者扱いの楠が役立っていたのだ。2010/12/30のアメダスデータが揃った。暇つぶしにアメダスのデータをグラフにしてみた。昨日は終日曇りで日照時間はゼロでこういう天気もこの特定日では珍しいようだ。気温は24Hの平均。日照が無く寒い一日であった。
Tss_utl2010

2010年12月12日 (日)

身辺雑記:生と死(LIFE AND DEATH)

2010/12/12

身辺雑記:生と死(LIFE AND DEATH)

英語では生死、生老病死等どう扱われているのか、暇つぶしで調べた。

2009/12/16に生老病死についてGoogle検索の結果を書いた。

その時のデータは次のようであった。(当時は検索に要した時間を表示していたが、最近はその表示を出していないようだ。時間表示は他社が追随していたが速さを売りとしないという姿勢の表れか。)

生 に一致する日本語のページ 約 34,800,000 件中 1 - 20 件目 (0.42 秒)
老 に一致する日本語のページ 約 3,170,000 件中 1 - 20 件目 (0.11 秒)
病 に一致する日本語のページ 約 14,300,000 件中 1 - 20 件目 (0.48 秒)
死 に一致する日本語のページ 約 15,700,000 件中 1 - 20 件目 (0.31 秒)
生 老 病 死 に一致する日本語のページ 約 501,000 件中 1 - 20 件目 (0.36 秒)
生老病死 に一致する日本語のページ 約 242,000 件中 1 - 20 件目 (0.11 秒)
生老病死苦 に一致する日本語のページ 約 14,400 件中 1 - 20 件目 (0.28 秒)

2010/11/24 6:20に英語版Google検索で人生の主要キーワードについて検索してみた。実はGoogleで最も登録件数が多いキーワードにも関心がある。「A」はアルファベットの始めだけあり150億と出た。日本語も英語も「生/LIFE;死/DEATH」、「金/MONEY」に関してはほぼ近い使い方のように思う。しかし、「老病」に関しては少し違いがあるように感じている。日本語の「老」と「病」に相当する英単語を探すところでつまずいた。Google検索日本版(*)で検索時間の表示が出ない事に気付いた。件数で大きな差があるのは「愛/LOVE」であった。ここに、言葉の使い方の集中と選択があるように見える。言葉は使いすぎるとすり切れてしまうような気もしないではない。暇つぶしをしてしまった。

MONEY:About 829,000,000 results (0.17 seconds)
*金:約 724,000,000 件
LOVE:About 1,770,000,000 results (0.13 seconds)
*愛:約 221,000,000 件
LIFE:About 1,640,000,000 results (0.18 seconds)
DEATH:About 419,000,000 results (0.12 seconds)
AGING:About 41,300,000 results (0.18 seconds)
DISEASE:About 125,000,000 results (0.05 seconds)
A:About 15,100,000,000 results (0.18 seconds)

追記:2010/11/24 6:20に英語版Google検索した時は時間が表示されていた。
念のため、本日再度「A」を検索してみた。

2010/12/12 (日)6:51
○google.co.jpで検索
ウェブ全体から検索 :約 13,910,000,000 件
日本語のページを検索:約 744,000,000 件
○Google.com in English: 17,190,000,000 results
検索時間の表示は無く、ヒット件数も差がある。日々、蓄積される情報は増大しているが、何万件と表示されている情報も全て表示されるわけではなく、ある件数で足切りされている。


追記2(2015/7/8):Googleでのヒット件数比較。「病=1」で規格化。

「病」と「死」は数値的に近い。「病」と「生」は数値的に遠い。
「老」に関して、前回との乖離が大きい。「老」に関心が集中してきているのか?

前回数値比較:
生 に一致する日本語のページ 約 34,800,000 =2.433566433566434
老 に一致する日本語のページ 約 3,170,000 =0.2216783216783217
病 に一致する日本語のページ 約 14,300,000 =1
死 に一致する日本語のページ 約 15,700,000=1.097902097902098

2015年7月8日水曜日:今回検索結果
生:約 403,000,000 件 (0.23 秒) 。2.343023255813953
老:約 293,000,000 件 (0.27 秒) 。1.703488372093023
病:約 172,000,000 件 (0.22 秒) 。=1
死:約 213,000,000 件 (0.21 秒) 。1.238372093023256
生 老 病 死:約 1,810,000 件 (0.26 秒) 。
"生老病死":約 792,000 件 (0.19 秒) 。
生老病死苦:約 455,000 件 (0.24 秒) 。

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2010年4月 2日 (金)

桑園:いとしきもの:昭和万葉集:身辺雑記:田舎老人徒然草:老人の寝言:嘘ニュース作って苦笑四月馬鹿。100402。

2010/4/2

昭和万葉集:身辺雑記:田舎老人徒然草:老人の寝言:嘘ニュース作って苦笑四月馬鹿

昨日は四月馬鹿であったが、余り話題がない。お茶友がいた。それならばと、その場で重大ニュースを作って皆で発表し合った。あの人が本当の事を語りました。この嘘ニュースは受けなかった。古狸に女がいました。この嘘ニュースはやや受け。ある人が化かしたのは女かいと突っ込みをいれて笑いを取った。お茶は終わっても、気持ちは最近の天気のように冷たくさえない。いとしきものというタイトルでブログを書いているが、古語辞典をたどると「厭う」という動詞にたどり着いた。いやだ、うとましいという心情を行動等に現わすことであろう。一面憂き世では子供・老人は厭うべき存在であった。しかし、その弱さに気付くと可哀相だという心情も生まれる。「いとほし」という、かわいそうだ、気の毒だ、ふびんだという関連語がある。言葉も時と共に移ろうようだ。きらきらと、明るく輝く言葉。「いとし」に「愛」を当てるのは最近のことなのか。「いとし」にも古い尻尾が付いていたようだ。ともかく、この世から姿をけしてゆくものには憐憫の情が湧いてくる。桑園もその一つであろう。

桑園

桑園に資本の威力おもはせてレイヨン大工場またたくまに建つ

昭和萬葉集3巻。華麗な都市文明 発展と変貌の区分にあった短歌である。

養蚕は農家の主要な収入源であった。しかし、絹が発展途上国から安価に輸入されるように

なり、採算は合わなくなった。絹がブラジルから入ってくるようになったほどだから、もう蚕もだ

めだなと父がつぶやいたのを忘れない。移民でブラジルに住んでいる友人が日本で自動車

関係の仕事についており、我が家を訪問した頃の記憶である。この自動車産業も栄枯盛衰

の流れにあるようにさえ思われてしまう。戦後、一時的に養蚕が好況の時があったがその後

は衰退の一途をたどった。既に産業遺産という段階になってしまった。今でも蚕屋があちこち

残っているが物置程度にしか使われていない場合が多いと思われる。しかし、既に昭和10年

代には化学繊維が大量生産され始めた事をこの歌は教えてくれる。荒れ野にレイヨン大工

場がたつのならまだしも、同じ繊維の絹を生産する原料を供給する桑園が取り崩されてゆく

光景に資本の威力以上の感慨も受けるのである。父は桑の木を掘り上げて、その後に花水

木を植えた。一時は公園や街路樹として、花水木の需要はあったが、今それを持て余してい

る。春になると遠くからもその花がみえる。せめてものなぐさめか。レイヨンは辞書に無かっ

た。レーヨンで引くと人造絹糸と出てきた。rayon。WIKIPEDIAによると「レーヨン (rayon) は

に似せて作った再生繊維であり、昔は人絹(じんけん、人造絹糸)、ステープル・ファイバーか

らスフとも呼ばれていた。レーヨンは光沢(仏:luster)と綿 (cotton) を組み合わせた言葉であ

る。(英語版:Rayon is a manufactured regenerated cellulose fiber. Because it is

produced from naturally occurring polymers, it is neither a truly synthetic fiber nor a natural

fiber; it is a semi-synthetic fiber.[1] Rayon is known by the names viscose rayon and art

silk in the textile industry. It usually has a high lustre quality giving it a bright sheen.)」

レーヨンの原材料の繊維自体は自然物であるようだ。それを化学工業的に繊維する。科学

の進歩と資本主義の利潤の追求という論理から当然の方向であったようだ。桑園を潰すのも

早いが、大工場もまたたくまに建つ。資本の威力にひれ伏す以外にない。それと共に、天然

繊維の絹は滅び、その代用となる人造絹糸が栄える。同じ様なパターンが幾つもある。

*************************

追記(2018/08/09):タイトル変更。嘘ニュースの記事に引用する為。

2010年2月21日 (日)

甘えの構造:いとしきもの

2010/2/21

甘えの構造

日本人が日本人論に沸くのは何か不思議な思いがする。一時期、甘えの構造という本が話

題を集めた事があったと思う。甘えの逆の意味を現す単語を思い浮かべたが直ぐに出てき

ない。シソーラス辞典では幼稚、自分勝手、狎れる・甘える、他力、世話になるという意味が

ある。ふと思い出した、というより、秋霜という片言からたぐりよせたのが秋霜烈日という言

葉。夏に青々としていた里芋の葉などは一回の秋霜で完全に萎えてしまう。夏の厳しい猛暑

の時も同じようになる。ネットで調べると秋霜烈日―検事総長の回想という本があった。たし

か、読んだ記憶もある。ロッキード事件で捜査を指揮した伊藤栄樹東京地方検察庁検事(の

ち検事総長)の著書であった。当時は連日公聴会の証人尋問等の様子がテレビ中継され、

自分もテレビの前に釘付けにされた事を思い出す。確かに、甘えるという社会現象は全く無

意味ではなかろう。甘える人と人の間に介在する物と関係の在り方が問題だったのかもしれ

ない。要するに、甘えはあいまいな中間の存在を許す。その重心は色々な力関係で決まる。

その力関係には時の雰囲気も作用する。日本の契約には本契約に定めのない事案は誠意

をもって協議により解決するというような条項がある場合が多い。一方、西洋では神との契約

が文化の基礎にあるためなのか、合意した契約は厳しく履行することを求められる。最近の

風潮では政治公約をマニュフェストと言い換えて国民との契約であると流布されている。自分

は縦の物を横にしただけというものに胡散臭さを感じる質かもしれない。公約のほうがずっと

すきりしていると思っている。逆に公約といったら嘘がばれると心配しているのかかんぐりたく

もなる。公も約も字義通り解釈すれば嘘も押し通せないであろう。ともかく、日本は甘えて、

狎れるあえる余力すらなくなったのだろうか。まだ、至る所甘えの構造が沈潜しているのか。

2010年2月16日 (火)

クレペリンテスト

2010/2/16

クレペリンテスト

人間色々なテストを受ける。評価を受けるのもそのテストを通してなされる場合が多い。従っ

て、評価されたければそのテストを受容しなければならない。そんな事を、幼少時代から延々

と老後まで続けるとテスト絶対感が完全に身に付いてしまう。ともかく、テストはテストの結果

がテストにかけたコスト・時間以下で収まるというテスト実施者側の都合が支配する。幼少の

頃、ひよこの雄と雌を選別する仕事がいい金になると聞いた事がある。養鶏用に生まれたひ

よこは雄であっても雌であってもどちらが幸せか分からない。雄雌の選別は幼鶏業者の都合

なのである。従って、現代社会でテストを受けようとする者も先刻実施者の低意を見抜く必要

があるのかもしれない。テストなど手段に過ぎないと。テストが必要悪になってしまう。かつ

て、小中学校の頃の市販の試験用紙の裏などに試験の目的などが印刷されていた事があっ

た。時間が残っている時はこれを読んでチェックした記憶がある。実際に試験問題を作り、実

施する人間は合格者を使う側でもなく、お雇いの人間がそれなりの意気込みでつくるのかも

しれないが、ときにはうんざりする場合もあるのではないかと思う。クレペリンテストという名前

を思い出した。多分人生の一時期に受けさせられたのではないか。はっきりした記憶は無

い。知能検査といってIQ値がもてはやされた時期もあったと思う。テスト偏重と市販テスト業

者との癒着等の反省から市販テストは禁止されたと記憶しているが、現在はどうなっている

のだろうか。ともかく、テストというとペーパーテストを思い浮かべてしまうが、実技、論文、創

作等ある人間の能力を評価する方法は無限にある。ペーパーテストの序列だけで人生の大

半が決まってしまうような社会には未来が無いのではないか。教育が資格という階段の登り

口である事に異論はないであろう。一度の人生において、誰にでも、希望するどのような職種

にも就ける機会を保証するような多様な資格制度が必要であろう。それも、鵜飼いの鵜が吐

き出した獲物を一回で評価するようでは当たりはずれが大きい。弁護士、医師等のあらゆる

資格は進級制にする。看護師から医師への職業経路も作る。そうすれば意欲がある人材は

看護師という資格から医師を目指すことが出来る。要は資格は絶対的ではない。資格者団

体は互いに棲み分けしているが、もはやそれだけでは社会は硬直化してしまうのではない

か。当然、資格審査は定期的・公的・公正に行う。各級の滞在上限期間も定める。医師不足

も弁護士過剰も制度設計が現状に合っていないのが一因であろう。人口が減少に向かう長

寿社会において、生涯学習・人材の流動性の確保とマルチタレント化は不可欠であろう。例

えば、医療過誤事件においては一級弁護士より、四級弁護士兼四級医師の方が良い仕事

ができるのではないか。自分の人生に意義のあるテストならば前向きに立ち向かうだろう。

専門家万能の時代になってしまったが、専門家がカバーできない部分に死角が出来てしま

う。裁判員制度はそういう制度的なほころびのつぎあての意味があるだろう。本来ならば、民

事事件を優先して実施すべきであったのではないか。裁判の究極的目的は事件の発生防止

ではなかろうか。民事事件は社会人の常識力が最も発揮できるだろう。当然、民事事件が減

れば刑事事件も減るだろう。ちなみに平成19年の新受訴訟件数は民事2256千件、刑事

1342千件とある。http://www.stat.go.jp/data/nenkan/zuhyou/y2512000.xls

2010年1月27日 (水)

ランキング

20101/27

ランキング

何事も数を確保すればビジネスになる。その典型がランキング。そこには需要と供給というビ

ジネス原理が働いているようにも見える。検索エンジンも色々なものがあるがついつい巨人

の足元にひざまづいてしまう。いくつかのキーワードで絞り込めばマイナーな情報も探す事が

出来るのであろうが、そこまで気合いが入らない場合が多い。ネット上に何十万、何百万の

情報があっても大抵は上位の10~20件でお手上げになる。一般論として検索には昇順と

降順がある。数十年前、ボーリングが隆盛であった時期があった。そこでも得点という序列

がゲームの大半を支配してしまう。たまたま、ブービー賞と言うのをもらって、こういう賞もあっ

たのかと思った。トップが脚光をあびるのは当然なのかもしれないが、ゲームの参加者として

はその逆順も同じだけ価値があるのではないか。ラストが一つ一つ欠落してゆくとトップもなく

なってしまう。かつては、<春うららタケが乗っても負け続け>という句を作った。いまでは、

<春うららタケが乗っても春うらら>の方が愛しく思う。検索もアクセスの少ない順から表示し

てくれればと思うことがある。これでは、利用者の大部分が不満を持つだろうから、オプション

でそういう検索を提供してくれると有り難い。更に言えば、検索オプションはランダム検索、ア

クセス頻度や更新頻度等は数段階設けて頂くと痒い所に手が届くようになるかもしれない。と

ころが、気まぐれに検索していたら、<検索下位1000位からの逆ランキング表示するサーチ

エンジン「1000.sc」>というのがあった。これは1000位から降順に並べるのか。ともかく、本

体のサーチエンジンと連携したサービスのようで、サーチエンジンを選ぶようだ。使えないサ

ーチエンジンが表示されていて、しきりに試したがダメであった。これはどういう意味があるの

だろうか。ともかく、逆転の発想に興味を覚える。

2010年1月23日 (土)

コピペ

2010/1/23

コピペ

Google検索: コピペ検出ソフト に一致する日本語のページ 約 164,000 件中 1 - 100 件目 (0.38 秒) 。

最近はコピペの弊害が指摘されており、それを検出するソフトも開発されているようだ。しか

し、複製・それに準ずる現象をこの世から抹消したら何も残らないようにも思われる。技術が

コピペを容易にしたので弊害が目立つようになったのだろう。自分にとって広義のコピーとい

うのは非常に重要に思える。「ぺ:PASTE」というという行為も新しいものを生み出す行為の

一つのように思われる。文章を作るには総合的な力量が必要とされる。国語に関する授業

は学校教育の要である。しかし、文章表現の訓練は意外に少なかったように思う。試験も文

章を作成させる問題は少ない。テーマを具体的に限定せずに作成者に任せる問題になると

更に少ないだろう。そのようになるのは採点や評価の都合なのだろうか。コピペが問題にな

るのは、コピペが使える環境にある人間に課したレポートの作成等であろう。コピペも情報操

作能力の一つではある。問題は人物の何を評価しようとするかという評価者の意図であろ

う。インターネット上の情報を利用できる事も能力の一つではあろう。レポート作成も別の能

力の一つであろう。文章をパソコンで作成するのもまた別の能力である。学生等のレポート

作成において、インターネットからのコピペを嘆くなら、インターネットが利用出来る部屋に缶

詰にしてインターネットの使用は許すが、文章作成は別のインターネットに接続していないパ

ソコンでさせれば良いのではないか。しかし、識者のグチはくせ者で自分を引き立てるために

言っている可能性もあるので要注意だ。マッチポンプの場合もある。自分にその作品を評価

できる能力があればコピペも見破れるだろうし、コピペがあってもその作品の評価を落とす

使い方ではなくその逆の場合もある。最終的には作者と作品を対応づけて評価する事が重

要だろう。基本的にはこういう部分が軽視されるから学生のレポート等にコピペもがはやるの

ではないか。作者と面接して作品を評価すると宣言すればコピペは半減するかもしれない。

要は評価側も評価される側も手間とコストを掛けたくないと言う本音があり、なれあいになり

やすいと思われる。ところで、Googleは第三者のホームページ情報を丸ごとコピーしてそれ

をキャッシュとして公開している例がある。本家の情報は削除されているが、ここにコピーが

残っていて便利な場合がある。しかし、情報の表現者が問題を意識して削除した場合、それ

がキャッシュとして第三者により公開され続けるとしたら不都合を感じるのではないか。これ

は著作権の侵害にならないのだろうか。

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  • 橋本 英文: 刃物雑学事典 図解・刃物のすべて(1986年 株式会社 講談社 ブルーバックス B-659)
    刃物という視点で多くの事例が取り上げられている。刃のある道具の理解にも役立つ。類書が少なく貴重な一冊。「すべり変形が切断の原理」という考え方で説明している。
  • 沼田 真   : 植物たちの生( 1972年 岩波新書(青版 833))
    「ご要望にお応えしてアンコール復刊(1988年岩波新書50年記念復刊) 地球生態系の中で自然を見直す」(腰巻きのフレーズ)。植物の知恵と戦略に人類は勝てるのか。
  • 出町 誠: 14_NHK趣味の園芸:よく分かる栽培12ヶ月  カキ(NHK出版2007年)
    初心者向け柿栽培参考書(新版)。旧版と比較すると楽しい。
  • 中村三夫: 13_NHK趣味の園芸:作業12ヶ月  カキ(NHK出版1996年)
    初心者向け柿栽培参考書(旧版)。新版と比較すると楽しい。
  • 山科正平: 12_細胞を読む   電子顕微鏡で見る生命の姿
    細胞はどんな部品からできているのか。そんな疑問に答えてくれる一冊。何事も形を見るのが第一歩。μからÅオーダーの世界で、細胞をメスで解剖するように、電子顕微鏡というメスで解剖して見せてくれるので興味が尽きない。
  • 柳田充弘: 11_細胞から生命が見える
    著者の専門は分子生物学、細胞生物学。普段生物を考えても細胞レベルで止まってしまう。その細胞の中で色々な分子が働いている。細胞こそ生命の基礎だが、その細胞の中の動きを知るのに最適な一冊。疑問の発端はなぜ発根剤が効くのかということ。薬剤が細胞膜を通過して細胞内で分子と分子が作用するイメージができた。本書でできた細胞のイメージは小さな無数の穴が空いた水分が充満したヨーヨーのようなもの。そのヨーヨーの中に分子部品が詰まっている。細胞自体もタライの中のヨーヨーのように浮かんでいる。細胞図面の空白部は真空でなく水分だ。細胞の内外に水がないと細胞は生きられない。水が生命のゆりかごだ!
  • 野口悠紀雄: 10_ホームページにオフィスを作る(2001年 光文社)
    ITが輝いた時代の作品。HPの活用法は参考になる。参考:url=http://www.noguchi.co.jp/(野口悠紀雄 ONLINE)
  • 小池洋男 編著: 09_果樹の接ぎ木・さし木・とり木(農文協:2007/3/31第1刷)
    やや専門的であるが、実務専門化が分担執筆しており、その場で役に立つ一冊。
  • ノーバート・ウィーナー(鎮目恭夫訳): 08_サイバネティックスはいかにして生まれたか(みすず書房1956)
    情報と通信という現代社会に不可欠の基礎的な学問を作った著者の自伝とそれを通した科学史
  • 沼田 真(編): 07_雑草の科学(研成社1979)
    雑草を多面的に解説し防除の基礎も述べる

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MEMO 海外の博物館・美術館

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  • 項目のタイトル2
    POST IT :ブログ画面への張り紙に使える。
  • TYPE LIST事始め
    2010/8/4:MEMO等の表示に使える。 農作業で気になる自戒の言葉 ■畑の石ころはいつまで経ってもても石ころ(早く拾って片づけよという意味か)。 ■同じ石を二度拾うな(やってみると難しい)。 ■手ぶらで歩くな。 ■三つ先のことを読め。 ■適当な観察。 ■空を見よ(気分転換、休憩、天気を読む、腰曲がり防止)