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2008年10月

2008年10月11日 (土)

パナソニックのTVが3億台達成

2008/10/11

パナソニックのTVが3億台達成

2008年10月1日、“松下電器産業株式会社”が、“パナソニック 株式会社”に社名変更して、

これを記念するように、本年10月7日に累計のTV生産台数が3億台になると発表した。

3億台の内訳は、白黒、カラーのブラウン管テレビが2億7700万台、プラズマが1300万

台、液晶が1000万台。 これは、世界のテレビメーカーで初めてとの事だ。ブラウン管テレビ

が圧倒的な比率を占め、今日でも全世界ではこの傾向は変わっていない。薄型のLCD TV、

PDPTVも普及が始まっているが、世界的規模で従来の基幹技術を完全に置き換えるまでに

は相当な期間を必要とするようである。ブラウン管テレビはアナログ技術を集大成したような

民生品であった。これを作りこなすのは日本人の特性が最適であったようだ。米国のTVメー

カーは一つ一つ消えてゆき、日本メーカーが世界の首位を占めている。

しかし、ブラウン管テレビの生産拠点は海外に移り、海外メーカーも不動の地位を占めるよう

になっている。いずれ、日本のメーカーもブラウン管テレビから撤退せざるを得ない時が来る

かもしれない。この技術的に偉大な遺産を次の技術の創造に生かさない限り、技術も産業も

衰退してしまう心配がある。意欲的な世界の国々は日本の技術に追いつき追い越すことを目

標にしているのであるから。

2008年10月10日 (金)

ノーベル化学賞と花成ホルモン

2008/10/10

ノーベル化学賞と花成ホルモン

スウェーデン王立科学アカデミーは8日、08年のノーベル化学賞を下村脩・米ボストン大名

誉教授(80) 、マーティン・チャルフィー米コロンビア大学教授(61)、ロジャー・チェン米カリ

フォルニア大学サンディエゴ校教授(56)に授与すると発表した。受賞理由は「緑色蛍光たん

ぱく質(GFP)の発見と発光機構の解明」。

連日の日本人科学者のノーベル賞受賞に元気づけられる。素粒子は極微の世界を巨大な

装置で暴くことによりその存在が実証される。人類が未知の真理を手に入れるにはそれくら

いの負担は当然であるという考えによるのであろう。間接的には色々な波及効果があるだろ

う。一方、今回のノーベル化学賞の対象は、実用面での応用範囲が広いという特徴があるよ

うだ。生体の中で働いているタンパク質のマーカーとしての応用である。

緑色に光るタンパク質を取り出すときのインスピレーションに感心する。蛍光物質を取り出す

には光らせてはならない。物質そのものが消耗してしまうからとの事だ。その解決策に酸性

にしてやるというインスピレーションがわいたようだ。やはり、あれこれ考えつくし、もう駄目か

もしれないという時の最後のインスピレーションが成功のきっかけになることは多いだろう。

人がやった事の無いことをやるのには信念と勇気がいる。無鉄砲にやっても効率が悪い。何

らかの作業仮説をたてる。いくつかの実験を行い獲物のいる範囲を定め、その範囲を狭め

て行く。そうして最後に獲物を追いつめて捕獲した時が目的を達成した成功の時なのだ。

植物の世界では、花を咲かせるには花成ホルモンという物質が形成されそれが働くことによ

り花が形成されるのであるという仮説がある。しかし、花成ホルモンは極微量で働く物質であ

りそれを特定した人はいないらしい。最近、花を作るきっかけになる遺伝子が特定されたらし

い。花成ホルモンを光らせる事ができれば、どこで働いているかが特定でき、いつでも花を

咲かせることができるようになるのではないか。果物は花がさかなければ実がならない。実を

ならせるまで数年かかる。1年で実をならせることが出来ればすばらしいことだ。現在では夢

かもしれないが、いつかは実現するかもしれない。

2008年10月 9日 (木)

田舎のアインシュタインとノーベル賞

2008/10/9

田舎のアインシュタインとノーベル賞

2008年10月7日、国会予算委員会の審議のラジオ中継で国民新党の亀井静氏が麻生総理

に語りかけるような口調で論戦を挑み他の質疑と一風異なる印象を受けていた。

日本という国はこれからどうなるのかという一抹の不安を抱きつつ聞いていた。

その晩、 スウェーデンの王立科学アカデミーは7日、小林誠氏、益川敏英氏、南部陽一郎氏

の3氏に今年のノーベル物理学賞を授与するというニュースが走った。

明るいニュースである。

湯川秀樹博士の日本で初めてのノーベル受賞が終戦後の暗い気分を追い払い国民に自信

を与えてくれた事が思い出される。

ともかく、基礎物理の素粒子の世界は我々百姓とは別の世界ではある。

しかし、だれにとっても極微の世界と極大の宇宙は何となくロマンチックではある。

ある時、近所の百姓のおじさんがアインシュタインの相対性理論とはどういう物かと話にきた。

まったく、予想もしていない出来事でありびっくりした。

でも考えることは自由なのだ。

おじさんは田舎のアインシュタインであった。

いろいろな事に関心があり、勉強もしていたようだ。

しばらく、とりとめのない話をした。

偉大な真理はただ一つしかなく、ただ一度発見されるだけである。

極微のニュートリノに質量があることが分かった。

この発見もノーベル賞で報いられた。

重力が生じる理由、物質の生成と消滅など今後基本的な真理が解明されてくるのであろう。

一度真理が発見されれば、田舎のアインシュタインでもそれが理解できるようになる。

今回のノーベル賞に触発されて田舎のアインシュタインになってみるの良かろう。

この科学上の真理は全ての利害を超えて人類共有のものである点で無用の用がある。

ひょっとすると我々の見ている事の中に誰も気づかないでいる真理があるのかもしれない。

しかし、真理の女神が究極的に微笑んでくれるのは真理の探究に尽くした大勢の人々の中の

極少数の人だけでなのである。

ともかく、ノーベル賞のニュースは多くの国民にときめきを与えてくれた。

受賞者のみなさん、ありがとう。そして、おめでとうございます。

2008年10月 8日 (水)

計算尺

2008/10/8

計算尺

電卓が普及する以前の技術計算には計算尺が使われていた。

精度の高い計算には数値表を使用する事もあった。

計算尺はアナログ技術に属すだろう。

アナログ技術は直感的で理解しやすく実用的でもある。

自分もアナログ集積回路の開発に従事した経験があり、アナログ技術には愛着を感じる。

計算尺の基本は物差しを二本(固定尺と移動尺)使って計算をすることにある。

一本でも操作手数を増やせばできる。

足し算ならば、足す数を固定尺に置き、移動尺の原点をそこに合わせる。

次ぎに足される数を移動尺に置く。

その下の目盛りが足し算の結果になる。

この操作を移動尺を固定尺の上で滑らせてに行うことにより、計算を作業に置き換えるとい

うメリットがある。

頭を使わずに手を使えば良い。

要するに二つの数を物の長さに代えて、その長さを加えた結果を計る

操作により加えるという計算操作を置き換える。

計算を長さの測定に置き換えるのである。

これがアナログ技術の神髄である。

かけ算の場合は均等目盛りの尺の代わりに対数目盛の尺を使う。

対数の世界ではかけ算が足し算に、わり算が引き算に対応していることを利用する。

そうするとかけ算も長さの測定に置き換わる。

技術計算用の計算尺は色々な関数の目盛りも付いていて相当高価であり

大切に使用していた記憶がある。

その計算尺も最近では電卓に置き換わってほとんど見ない。

なんとなく気になり、ヘンミというブランドであったので調べてみた。

すると、ヘンミ計算尺株式会社として現在も存続していた。

計算尺は一部だが、従来の竹を使用しない特殊用途の物を生産しているようだ。

創業の原点を忘れまいと大事に守っている製品のようだ。

しかし、現在は主力をプリント回路基板、流体制御機器、半導体製造装置等の製品の開発・

設計・製造とする精密工業製品の会社に変貌していた。

計算には精度が大切である。

精度の高い計算尺を作るには高度の技術が要る。

これを国産の孟宗竹を素材にして実現したことには頭が下がる。

2008年10月 7日 (火)

かんちょうとり

2008/10/7

かんちょうとり

かっての子供の遊びであった。

もうルールはほとんど忘れている。

かんちょう、きかん、すいへいという役があり

2つのチームが対戦する屋外の遊びである。

艦長、機関兵、水兵という文字があてはまるので、今風に言えば

海軍のロールプレーイングシュミレーションゲームともいえるだろう。

終戦後の少年時代に暗くなるまでこの遊びをしたことを覚えている。

数名から十名近くが参加するので年齢もまちまちだ。

そのおかげでいまでも近所の同世代の遊び仲間の事は良く覚えている。

今思うとこういう遊びの中で縦横の人間関係、役割関係を

知らず知らずの内に学習していたようである。

走って身体を使ったり、作戦を練ったり色々な要素を含んだ遊びであった。

教えられることもなく自然にこういう遊びをしてきたのは

今から思い返すと不思議でもある。

2008年10月 6日 (月)

生む・生まれる・生ませる

2008/10/6

生む・生まれる・生ませる

誕生・生誕とは人間にしろ動物にしろ不思議で厳粛な現象である。

生む・生まれる・生ませるという言葉に生命が伝えられる様式が見える。

というより、その言葉を使う人の意識や意志が言葉に反映されているようだ。

生むとは正に母親の行為である。

どうも「生む」だけの自動詞的用法は漠然としてしまう。

生み出す目的語である対象を想定している言葉のようだ。

○○を生むという表現から目的語を伴う他動詞が原義であるようだ。

それでは、「生まれる」とは自動詞なのだろうか「生む」の受動態なのだろうか。

私は平成○年○月○日に生まれました。

この表現は親子関係を想定しているので受動態に近いだろう。

行為としての意志の強さは断然「生まれる」より「生む」に軍配があがるだろう。

然からば、「生ませる」はどうか。

父親の行為でもあるようだ。

「生む」よりさらに強い意志の支配を感じないでもない。

○は△に□をして×を生ませた。

しかし、自分は×に生ませられたとなると自虐的になりすぎる。

誕生・生誕という不思議で厳粛な現象もその意識や意志の点でなんとなく

あいまいな部分がある。

なぜだろう。

やはり、成人の意志や意識でもってしても、誕生・生誕という現象には、

人間が完全に制御しがたい自然の摂理が働いているからであろうか。

話は植物の世界に飛ぶ。

植物体が成熟すると花を咲かせ、受精して、実が熟す。

それが、ぽとりと地面に落ちる。

母体からのTAKE OFF離別である。

この瞬間種子(子供)は母体の庇護もなくなり、厳しい環境に耐えてゆく運命にさらされる。

母体に比べれば圧倒的に劣悪な環境から出発する。

植物の意志や意識はどこにあるのだろうか。

もう一度人間の世界にもどる。

人間、挫折し、難局に遭遇したりすると、こんな事なら「生まれなければよかった。」と

思うことがよくある。

親子の口論もこの類が多い。

お母さんが自分を生んだのが悪い等々際限が無い。

○(?)は△(母)に□(父)をして×(自分)を生ませた。

こういう、発想の転換はできないだろうか。

即ち、出生の主体に自己を置くのである。

「○(?)=自分」とすればよい。

自分は自分の意志でこの世に出生したのだと再認識するのだ。

父も母も自分の出生に身体を貸してくれただけだ。

生命誕生のドラマもこれが誤りではないと感じる。

子供にとって精神と生活の独立宣言でもある。

自己の出生を動物の世界、植物の世界、自然の摂理等から客観的に位置づけることに

より自己の存在が確実なものになるのではなかろうか。

それでは、本当の「○(?)は」とは何か。

生まれていない自分がなぜそんな事ができるの?

自分が生まれる前に自分が生まれる準備は進んでいる。

植物で言えば授粉の瞬間に次の生命のバトンタッチが始まっているのだ。

生命の誕生と進化のドラマが普段見えないところで展開しており、

凡人に容易に見られないがのが勿体ない感じがしないでもない。

2008年10月 5日 (日)

アナログTV放送の中止

2008/9/5

アナログTV放送の中止

2011年7月24日にアナログTV放送からディジタルTV放送に移行するらしい。

既に多くの問題が指摘されている。

最大の問題は各世帯に数台あるといわれるアナログ受像器の処置であろう。

日本全国では1億台を下らないだろう。

一台数万円の価値があるとすると総額で数兆円の価値がアナログ受像器にある筈だ。

環境の時代といわれる今日、これをいきなり粗大ゴミにする事は許されないだろう。

白黒TVからカラーTVに移行するときには巧妙な方式がとられた。

白黒信号を運ぶ列車の上にカラー信号を載せるコンテナを積むような方式を採用したのだ。

これをNTSC方式のカラーTVと言い、現在のアナログTV放送である。

即ち、政府(米国)は白黒TVとカラーTVの両立生を確保するための方式の開発に、当時可

能であった最大限の技術を投入したのである。

国(米国)がこのような目標を掲げたことにより、白黒TVしか持たない人でもカラーTVを白黒

で見られるようなったのである。

社会的には、普及した白黒TVという社会財の延命・有効活用を可能にした点と白黒TVの保

有者に余分な経済的負担を強いないという点、経済的に余裕のある人にはカラーTVへの移

行を同時に可能にした点に意義あった。

TVという情報媒体は電波の性質により即時に隈無く情報を届けるという機能がある。

これは情報化社会にあっては基本的人権・知る権利に匹敵する国民の権利であろう。

この権利をディジタルTVを持つ人しか享受出来なくなるのでは問題であろう。

現在のアナログTVの機能・性能で十分満足している人も多いだろう。

国民が信頼してきたシステムを、代替えシステムを用意せずにいきなり変更されては

納得ができまい。

鉄道システムでは在来線を撤廃して新幹線一本にするようなものであろう。

これが、国民の行動(手足)の自由に関係するのは自明である。

当然、在来線を廃止するのならば代替え手段であるバス路線を確保する位の処置は

常識であろう。

TV(目、耳)についても同様であろう。

2008年10月 4日 (土)

イシミカワとママコノシリヌグイ。20080904。

2008/9/4

イシミカワとママコノシリヌグイ

小さな棘を葉や茎につける蔓草である。

イシミカワとママコノシリヌグイはそっくりさんで漫然と見ているだけでは

区別がつかない。

母がこれはママコノシリヌグイだと教えてくれたことがある。

小さな棘とママコノシリヌグイという名前が強烈な連想で結びつく。

しかし、秋に紫色の実をつけるとなんとなく愛らしい。

植物図鑑を見ているとそっくりさんにイシミカワというのがあった。

どうも、いつも見ているのはイシミカワであるようだ。

イシミカワは小さな托葉が茎の全周を取り巻くとのこと。

ママコノシリヌグイはその名前で損をしているのだと思ったりもする。

蔓草なので周辺に樹木等があるとそれにはい上がってくる。

小さな果樹苗などが樹冠を制覇されると衰弱したり、枯れたりする。

油断をすると大敵に変身する。

ともかく、敵の名前を知るのも対策作戦の第一歩であるに違いない。

************************
追記(2019/06/25):タイトルに日付を挿入。10年以上前の記事だが、検索で読まれたらしい。実は、これがママコノシリヌグイだと実物を見た記憶が無い。畑に育っているのが、イシミカワだ。それが伸びて樹冠を制すると素手で引き下ろすのが大変だ。秋に、ツルを引っ張ると青い実がボロボロと落ちる。これには腹が立つ。実は綺麗なのだが...。

2008年10月 3日 (金)

マニュアル

2008/10/3

マニュアル

手順書とでもいうのであろうか。

運転免許の更新をすると運転の教則本をくれる。

これも一種のマニュアルであろう。

大抵読まないでどこかに埋もれて行く。

しかし、読んで見ると普段気にしていない基本的な事も書いてあると気付く。

マニュアル人間などとけなすことがあるが、とんでもないと思う。

正しい手順には基本的な合理性がある。

基本的な理屈が分かれば、その上に応用がきくのである。

かって、開発業務マニュアルというものを作成したことがある。

企業の開発業務は息の長い仕事である。

市場調査から始まり、可能性の検討、企画、設計、試作、評価、信頼性試験、

生産、合理化コストダウン、クレーム処理と一連の仕事が続き、開発が成功すれば

次の開発が始まる。決して同じ事を繰り返す訳にはいかない。

機能や性能を高め、コストを下げ、更に品質を向上させ、開発期間の短縮も要求される。

連続した螺旋スパイラルのように一周毎に前進と進歩が要求される。

これが新しく開発されるアイテム毎に繰り返されるのである。

どこかに手抜きや不具合があれば双六と同じで何歩か後戻りしないと修正できない。

企業の開発競争は駅伝競技に例えられる。

開発工程の一つの不具合はレースのスタートラインに戻るというペナルティでもある。

これが何度も続けば駅伝チームは最早レースから脱落せざるを得なくなる。

大抵の企業は分業体制(チームワーク)をとっているから、その部門毎にマニュアルがある。

従って、その企業の体力は総合的なマニュアル体系が合理的であり、

迅速的確に運用されることによって維持発展できると言って良いだろう。

そうして、最強のマニュアルとは自分が作って自分が実行するマニュアルである。

宮本武蔵 五輪書もその類であろう。

2008年10月 1日 (水)

果樹苗

2008/10/1

果樹苗

秋は収穫の季節。

果樹苗業者も春から夏にかけて育成した苗を発売するシーズンになる。

果樹苗のカタログは当年の秋から来年の春までのが一般のようだ。

何回かカタログをもらって分かってきた。

この分野も毎年新品種が投入されてくる。

カタログを見ているとあれもこれも欲しくなる。

しかし、果実の生産者は品種を選ぶのは慎重であるようだ。

一度植えた果樹は数年後にようやく実が付き始める。

その後、10年、20年とその果樹を育てながら収穫する。

息の長い仕事である。

従って、うっかり流行に乗っても、流行に乗り遅れても良くない。

突っ走りすぎず、遅れすぎず、流れにうまく乗るのが大切なようだ。

現実には、そんなにうまいこともなかろう。

一つの産地が形成されるのには数十年はかかるのだろうから。

リンゴならフジ、サクランボなら佐藤錦とその分野には横綱が控えている

やはり、その分野の基本品種は続々登場する新品種を寄せ付けない実力を

もっているのであろうか。

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    刃物という視点で多くの事例が取り上げられている。刃のある道具の理解にも役立つ。類書が少なく貴重な一冊。「すべり変形が切断の原理」という考え方で説明している。
  • 沼田 真   : 植物たちの生( 1972年 岩波新書(青版 833))
    「ご要望にお応えしてアンコール復刊(1988年岩波新書50年記念復刊) 地球生態系の中で自然を見直す」(腰巻きのフレーズ)。植物の知恵と戦略に人類は勝てるのか。
  • 出町 誠: 14_NHK趣味の園芸:よく分かる栽培12ヶ月  カキ(NHK出版2007年)
    初心者向け柿栽培参考書(新版)。旧版と比較すると楽しい。
  • 中村三夫: 13_NHK趣味の園芸:作業12ヶ月  カキ(NHK出版1996年)
    初心者向け柿栽培参考書(旧版)。新版と比較すると楽しい。
  • 山科正平: 12_細胞を読む   電子顕微鏡で見る生命の姿
    細胞はどんな部品からできているのか。そんな疑問に答えてくれる一冊。何事も形を見るのが第一歩。μからÅオーダーの世界で、細胞をメスで解剖するように、電子顕微鏡というメスで解剖して見せてくれるので興味が尽きない。
  • 柳田充弘: 11_細胞から生命が見える
    著者の専門は分子生物学、細胞生物学。普段生物を考えても細胞レベルで止まってしまう。その細胞の中で色々な分子が働いている。細胞こそ生命の基礎だが、その細胞の中の動きを知るのに最適な一冊。疑問の発端はなぜ発根剤が効くのかということ。薬剤が細胞膜を通過して細胞内で分子と分子が作用するイメージができた。本書でできた細胞のイメージは小さな無数の穴が空いた水分が充満したヨーヨーのようなもの。そのヨーヨーの中に分子部品が詰まっている。細胞自体もタライの中のヨーヨーのように浮かんでいる。細胞図面の空白部は真空でなく水分だ。細胞の内外に水がないと細胞は生きられない。水が生命のゆりかごだ!
  • 野口悠紀雄: 10_ホームページにオフィスを作る(2001年 光文社)
    ITが輝いた時代の作品。HPの活用法は参考になる。参考:url=http://www.noguchi.co.jp/(野口悠紀雄 ONLINE)
  • 小池洋男 編著: 09_果樹の接ぎ木・さし木・とり木(農文協:2007/3/31第1刷)
    やや専門的であるが、実務専門化が分担執筆しており、その場で役に立つ一冊。
  • ノーバート・ウィーナー(鎮目恭夫訳): 08_サイバネティックスはいかにして生まれたか(みすず書房1956)
    情報と通信という現代社会に不可欠の基礎的な学問を作った著者の自伝とそれを通した科学史
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    2010/8/4:MEMO等の表示に使える。 農作業で気になる自戒の言葉 ■畑の石ころはいつまで経ってもても石ころ(早く拾って片づけよという意味か)。 ■同じ石を二度拾うな(やってみると難しい)。 ■手ぶらで歩くな。 ■三つ先のことを読め。 ■適当な観察。 ■空を見よ(気分転換、休憩、天気を読む、腰曲がり防止)