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2009年12月

2009年12月31日 (木)

炭焼きじいさん

2009/12/31

炭焼きじいさん

幼少時の記憶に、小さな古墳のふもとにあばらやがあり長いあごひげのある老人が一人で

住んでいて、何か仙人のような感じがしたことがあった。その老人はいつとなくいなくなってい

た。ある機会に地域の昔話になって、そういえばあそこに炭焼きのじいさんがいたっけという

話が出てきた。終戦前後は、食糧難が続きあちこちで里山の開墾が行われたようだ。開墾で

切った樹木や掘った根をその炭焼きじいささんの所に持って行くと炭にしてくれる。じいさんは

焼いた炭の一部を手間賃としてもらいそれで生計をたてていたようだ。炭焼きに持ち込んだ

人が貰う炭の量はたいした量ではなかったらしい。しかし、雑木林もそれほどの面積はなく、

開墾で炭の原料がいつまでも出ることは無くなってしまったのでろう。確かに、自分が幼少の

頃はあちこちに雑木林が点在しており、そこにカブトムシやクワガタを捕りに行った記憶があ

る。その雑木林は今日は皆無である。あの仙人のようなおじいさんは実は炭焼きのじいさん

であった事を知ったのが自分が老境にさしかかった頃であった。今日の幼い子供達が自分

の事をあのじいさんは何をしているのだろうかと見る事があるのだろうか。平日は子供の姿

を余り見かけない。しかし、お祭りの御輿を放り出して、我が家のムクゲの木に集まるカブト

ムシを、おじさん捕って良いと聞きつつ、捕ることに興じる子供達を見ると、そのじいさんは相

好を崩すのである。どういう訳かムクゲにカブトムシが集まる事を子供達は知っているのであ

る。子供達にそれを教えられた。どうもムクゲはカブトムシが好む汁液を出すようだ。

2009年12月30日 (水)

屋根登り

2009/12/30

屋根登り

高いところに登りたくなるのは本能的な部分もあるのだろうか。最も身近な高所と言えば、木

や屋根であろう。昔は木登りと言えば子供の遊びで、登るのに丁度良い木も多かった。幼少

の頃に屋根に登った記憶はない。青年になって以後、無線のワイヤアンテナを張ったり、

UHFのアンテナを設置する為に屋根に登った記憶がある。しかし、登ったのは平屋部分だけ

であった。屋根の上で作業をするので、転落を注意しつつ登ったのは言うまでもない。家を新

築した時に上棟式をやるが、その時施主が屋根に上がって祈願をするとの事で、棟梁に二

階の屋根に登らされた。仮設的な足場しかないすけすけの高所なので、しゃがみ込んで立つ

こともできないくらい怖い経験であった。怖い物見たさのついでで、用事が済んでからちょっと

だけ遠方を眺めて直ぐに降りた。地面に降りてようやくほっとする。そんな体験をしていたが、

ある時自分の子供が友達と三人で二階屋根の天辺でしゃがんで景色を眺めているのを発見

したときはびっくりした。下から大声で叱ったら、動揺して危険な事態が想定されたので平静

を装って危ないから直ぐ降りろと声をかけた。こんな事が一、二回あったが、それ以後はなっ

かたようだ。無事に済んでほっと胸を撫で下ろした。建物の構造を良く検討したら、二回のベ

ランダから一階部分の屋根に出て、そこから二回へはい上がったようだ。二階の屋根によじ

登れるだけの高低差があったようだ。この高低差は一階の屋根に登ってから気付いたのか

もしれない。なぜ登ったのか問いつめてはいないが、好奇心、冒険心があったのであろう。三

人寄れば文殊の知恵と言われるが、こういう場合は確かに三人の情報を共有して、役割や、

上り下りの順序を決めてチームワークをしていたと思われる。従って、一人の場合より安全

性は高かったかもしれない。逆に一人だけでは二階の屋根に登ろうという気持ちも起こらな

いとも思われる。二人ならば、おれとおまえの世界であるが、三人ならば集団の世界である。

危険ではあるが、それを乗り越える体験をグループで無意識に行っていたかも知れない。

これから恒例の餅つきをする。

2009年12月29日 (火)

痛み

2009/12/29

痛み

人間誰しも大きな痛みを体験したことがあると思う。何らかの慢性的な痛みを抱えている人も

多い。その痛みが極大に達したときにショックで気を失ったりするのであろうか。痛みが生体

の防御機構である限り、痛覚を失うと生存を脅かす方向に行動が進む。逆に、行動を矯正す

る為に痛みが利用される。刑罰、体罰はその例であろう。ところが、戦争で手足を失った人

が、その手足が痛いと訴えることがある事を本で読んだ事がある。痛みが、記憶と関係して

いることもあるようだ。卑近な例では、胃を全摘した人が、胃が痛いと言ったという話を聞い

たことがある。ともかく痛みの基本は痛みの原因になる刺激や物質があり、それを細胞が感

知し、その信号を脳に送る事により感じるというメカニズムがある。しかし、痛みのデータを定

量的に測定する事が可能なのか。採血時に注射針を刺される痛みはほとんどの人が体験し

ているであろう。この時に痛さは、自分の緊張度とか採血者の技量により変わるような印象

がある。会社に入社したての頃、スキーで転倒して肩を打ち外傷は無かった、痛みが長期間

残った。身体には大きな痛みを感じた傷跡もいくつかある。しかしその怪我をした時の状況

の記憶は薄れつつある。結局、痛みは目先の危機に対策できればその大きな目的は達した

事になるのであろう。記憶にインプットしておくのは一種の学習効果で、再発への対処を狙っ

たものなのかもしれない。もはや、その学習効果も不要になればその記憶を捨てても生体に

とっては未練はないのかもしれない。逆に痛みを感じる程度に応じて活力がある証拠ではな

いか。もう一度自分の痛みが発信しているメッセージを解読してみたい。

2009年12月28日 (月)

飼育係

2009/12/28

飼育係

小学生の通知簿には各学科の他にクラスの中の係りが記されていたように思う。総合評価も

あり、担任の先生は良い点とかもう少し努力すべき点等が手書きで書かれていた。当時に学

級人数は50~60名と多人数であったので、各生徒毎に総合評価を書くのは大変な作業であ

ったと思う。自分も親に通知簿を渡す前にその総合評価をこっそり読んで、先生は良く観察し

ているなと思った事もあった。しかし、クラスの中でどんな係りをしたのかははっきりした記憶

がない。ペットの事に考えが及び、飼育係をやった事がある事を思い出した。他に給食係、

掲示係等もやったような記憶がある。当時、小学校に数坪程度の小鳥小屋があって、そこに

セキセイインコ、ジュウシマツ等の小鳥を飼っていた。飼育係は餌の粟、ヒエ、菜類等の餌を

与え、小屋の清掃等をした。餌箱の殻を息でフーと吹き飛ばしたりしていた。ともかく生き物

を飼うためには餌を与える世話だけは欠かせない。その後、ほとんど母校に行くことはなくな

ったが、最近見たところでは小鳥小屋は取り壊しになっているようだ。確かに、学校で生物を

飼うことは色々な面で手間がかかり、その教育効果を測定し難い面がある。教職員自身とし

ても、自分が短期的に評価される仕事を優先するのは人情ではあろう。そんな事を考える

と、自分が小学生の頃、小鳥小屋があって、それを運営する学校側の体制があった事を有

り難く思うわけである。鳥の餌を買うだけでも雑用がいくつも生まれるのだから。

2009年12月27日 (日)

無用の用

2009/12/27

無用の用

人生に上り坂と下り坂があるのは当たり前。それ以外に「まさか」という坂があるという話を聞

いて納得した。それは不用意に不意を突いて自分の前に立ちはだかる坂の事を言うのであ

ろう。不用意に不意を突いてという事は予測できない、想定外の出来事である。従って、自分

はどうすればよいかも一瞬考えを失ってしまう。それが高じると思考停止や自信喪失に陥

る。しかし、よく考えればそういう態度に陥るのが最も正常な対応なのではないか。登山だけ

でなく、見知らぬ町中を歩いて、一瞬方角を見失った時も同じ様な状況であろう。そこで、不

用意にあちこち歩き回ったら遭難の憂き目に会う可能性は更に大きくなるのではないか。自

分なりにプライドを持っている人が自信喪失に陥るのもまさかの坂の出来事であろう。まさか

の坂は場合により自分のプライドをへし折ってしまう。そんな時、自分はそれほど有用な人間

であるのかと軽く自問できれば心理的な負担はぐっと軽減する。自分はそこにいるだけで価

値があるのだ。使用価値ではなく存在価値である。夏大きくなったウドの木はほとんど利用

価値が無くウドの大木とけなされている。しかし、そんな他人の評価とは全く関係なく、ウドの

大木は養分を根に蓄えている。冬にその大木も、邪魔な大きな茎殻を残して枯れて枯れてし

まう。時には足手まといな存在ですらある。これは、あくまで人間の見方だ。春にウドの大木

から出た芽を人間は旨いと有り難がって食べる。勝手なものだ。そんなことを考えると、雑草

である夏草も一本一本名前を持っており、自分が根を張っている場所で精一杯生きているの

に気付く。あの雑草と自分も同じではないか。精一杯生きている事が全ての根源である。

今、会社生活を振り返ると無用な用に助けられたような事もあったように思う。自分がいなけ

れば仕事が進まない、他の人に迷惑がかかると何度思ったか。有休をとるのもはばかった。

しかし、現実はどうだったか。周辺の人から見れば、事情は逆だったかもしれない。上司が

休めば、部下は鬼の居ない間に精神の洗濯ができ、自分で判断するようになり、部下も育

つ。休み明けに、いざ出勤してみると全ての仕事は滞り無く進んでいる。これにショックを受

ける必要はない。おれの部下も成長したものだとでも思えばそれまでだ。逆境や閑職や、時

には差別すら、好ましくない状況に耐えることは根をしっかり張り生き残ることに通じる。逆に

そういう圧力が無くなると、我慢していた時に蓄えたエネルギーが噴出してくる。ともかく噴出

するエネルギーは自分が日々蓄えなければならない。バネは縮むときにエネルギーを蓄え

る。これは種子と同じである。種子は限られた空間に可能な限りエネルギーを詰め込んで、

発芽の時期をじっと待っている。関心のない人には無用な存在だが、これほど有用なものも

ないであろう。

2009年12月26日 (土)

百科事典

2009/12/26

百科事典

知識に対するあこがれ、餓えをかなえてくれるのに百科事典があるであろう。今日、情報が

多様化して、その入手手段も入手コストも一昔のように苦労しなくなった。従って、書物として

の百科事典等が商業的に生き残る事が困難になっているようである。かつては、百科事典

が欲しかったがそれを買うユトリもなかった。その後、思い切って、買ったのが平凡社の世界

大百科事典であった。下中弥三郎が平凡社を起こし、百科事典を手がけたという事を知り、

下中弥三郎の事も読んだ記憶がある。平凡社の百科事典を選んだのもそのようなDNAに期

待したからでもあった。自分が買ったのは何年版か定かではないが、その当時は仕事に忙

殺され、知識にたいするあこがれは遠のいていた。従って、今日までページをほとんど開い

たこともなく過ぎている。WIKIPEDIAによると、世界大百科事典の2007年改定新版は 加藤

周一 編集長、編集顧問17名、執筆者数7,000名、全35巻との事である。WIKIPEDIAはNET

上の大百科事典であるが、執筆者は匿名である。NETの性格上、新刊、増補、改訂、削除

のスピードは他を寄せ付けないだろう。一方、執筆者を公開した百科事典は執筆者名からさ

らなる検索が可能になり、記事の信頼性等も安心できるようだ。アメリカでIT技術を利用して

知識の集約を試みた企てにPROJECT GUTENBERGがある。これを知ったのは、DOS/V

のPUBLIC DOMAIN SOFTWAREを扱っていたWALNUT CREEKのCD-ROM等を通してで

あった。これは日本の青空文庫と同様に著作権の切れた書物をNET上に集めて公開する試

みである。青空文庫はときたまお世話になる。WIKIPEDIAは自分の記憶の確認等でしばし

ばお世話になっている。PROJECT GUTENBERGも思い立ってそのサイトを訪問してみた。

ともかく、必要なときにどこに行ったら良いかを知っておく事は大切だ。追記:念のために戻っ

て、PROJECT GUTENBERGで岡倉天心/Okakura, Kakuzoを検索してみたらThe Book of

Tea が登録されていた!おまけにMP3のデータまであった。WINDOWS MEDIA PLAYERで

綺麗な男性音声の朗読が聞ける。ボランティアがこういう色々なサービスを提供している事に

頭が下がる。

2009年12月25日 (金)

ペット

2009/12/25

ペット

幼少年時代に動物と親しむことは子供の成長に多くの影響を与える。幼少年にとって人間の

生死に直面する機会も少なくその意義を知ることは非常に困難である。しかし、身近な動物

の生死に遭遇することは多いだろう。寿命が比較的に短いペットはとくにそうであろう。自分

の幼少時代は、幸い身近な所に色々な動物がいた。従って、今日のペットの類にはあまり縁

がなかった。当時の大人には野鳥を捕獲して飼ったり、カナリヤを飼っている人がいた。ま

た、ハツカネズミを飼っている人もいた。ハツカネズミが運動用の車をくるくると回しているの

をうらやましく見たこともあった。当時、自分が飼っていたのは、ひょうたん型をしたコンクリー

トの池に川で捕ってきた鮒などであった。この池もいつしか取り壊しになってしまった。社会人

になってがむしゃらに働いている自分の姿をあのハツカネズミが車を回している姿に重ねて

見た事もあった。結局、手間の掛かる家畜類はいなくなり、かろうじて雑種の猫を飼うくらであ

った。子供に買い与えた最初のペットはハムスターであった。飼育箱は金網を張って自作し

た。その後、息子達は自分なりに熱帯魚に凝っていた。娘は野良犬を拾ってきた飼った。そ

の中で、動物を飼う気持ちを起こし、いくつかのペットの生死を体験してきた。最近、厚生省

官僚OBが殺される事件が起きた。動機については必ずしも明確ではないようだ。幼少年は

大抵、ペットのような動物でも殺してはいけない。まして人間は絶対殺してならないとさとされ

るのが普通であるだろう。野放しにされたペット類が捕獲され殺される事にはやはり何らかの

矛盾を感じるのも普通人の感覚であろう。人も社会も病んでいるので殺人が起こるのではな

いかとふと思う。人間に危害を加える存在を撲滅すればその憂いは永久に無くなる。しかし、

そんな事が現実に可能なのか。NET上に以下の犬猫の殺処分数のデータがあった。

平成19年度
          犬猫合計殺処分数    犬殺処分数     猫殺処分数
  全国    310,457                100,963          209,494

最近、九州大学生体解剖事件というのを知った。これは、戦時下に死刑を宣告された米兵

捕虜を生体解剖した事件であるという。大義名分は戦争医学に寄与する事であったようだ。

この事件は戦時下の特殊な状況で起きた。今日の犬猫の殺処分はガス室で密かに行われ

ているようだ。犬猫の殺生マシーンが確実に稼働しているのだろう。無機的にガス室に送ら

れる犬猫を小中学校に回し、給食の残飯で飼って、動物教育の一環としてはどうか。新規に

送り込まれた犬猫で飼育能力が満杯になったら、ガス室に送るか生かす方法を皆で考えさ

せる。きれい事でない生命教育が可能になるのではないか。ガス室に送り込まれる運命の

犬猫も犬死にせずに済む。

2009年12月24日 (木)

クリスマスプレゼント

2009/12/24

クリスマスプレゼント

アメリカではクリスマスシーズンが商戦が最も盛り上がるシーズンでもあるようだ。そこで動く

のがプレゼントという商品である。プレゼントを贈る人と貰う人の中を取り持つのがサンタクロ

ース。ところがサンタクロースを手配するのも大変である。従って、サンタクロースは夜子供

達が眠っている間に来る。煙突から入る。靴下にプレゼントを入れる等々子供達の疑問に答

える答案が出来ている。そうして、このような仕掛けが通用しなくなると子供達も大人の世界

を覗き始める。極幼少時にクリスマスプレゼントをもらった記憶は無いが、薄々サンタクロー

スの正体に気が付き始める頃、枕元に靴下を置いて寝たような記憶は残っている。何をもら

ったかは全く覚えていない。ワラ屋根の家を改築した直後はまだ、風呂もかまども薪等を使

っていたので煙突は当時あったように思う。その後風呂は太陽温水器から深夜電力温水器

に変わった。かまどは電気釜、LPガスレンジに変わった。それ以後は煙突とも無縁になって

いる。暖房はこたつだけであったが、練炭から電気に変わった。灯油を使ったのはヒータの

みであった。冬の衣類は重ね着、ももひき、足袋、綿入りはんてん程度。えりまき、手袋はや

や贅沢品であったように思う。当時は靴下より足袋を多用していたように思う。足袋や下駄は

修繕してとことん使い切った。当時は靴より下駄を良く使ったのかもしれない。下駄より靴が

高価であったと思う。ともかく今日では足袋と下駄はほとんど死語になり、高度成長期を境に

靴下と靴の生活が主流になったのかもしれない。下駄履きでは車に乗れないという制限も下

駄を駆逐した要因であろう。自分の子供達に与えたクリスマスプレゼントも残念ながらはっき

り覚えていない。しかし、後から振り返って人並みにもらった覚えがあればそれで十分なのか

も知れない。手間をかけない便利さは向上したが、そのツケが今日の環境問題の元凶でも

ある。化石燃料を使わない煙突の復活があるのか。これは環境意識とも関係するだろう。便

利さ、快適さが安い化石燃料に依存していたのがこれまでの半世紀であった。環境問題は

根が深い。第3回締約国会議 (COP3) 1997年 12/01 - 12/10 日本の京都 で開催。

温室効果ガスの削減目標を定める「京都議定書」を採択。これは世界の環境問題に対する

 指針を与えた。先日の 第15回締約国会議 (COP15)は2009年 12/07 - 12/18 

デンマークのコペンハーゲンで開催。 全参加国の合意が成立することなく閉幕した。将来を

背負う世界の子供達に残してやる本当のクリスマスプレゼントは何であろうか。

2009年12月23日 (水)

くすのき

2009/12/23

くすのき

くすのきには色々な思い出がある。自分にとってクスとは多くの事を連想させるキーワードな

のかもしれない。自分が幼少時に育ったワラ屋根の家の北側に父が植えた。どこかにクスノ

キのある家を知っており、それにあやかって自分でも植えたらしい。幼少時代には既にかな

りの大木になっており、その下で遊んだこともあった。夏は日陰を作り涼しさをもたらした。ワ

ラ屋根の古屋も当時ですでに築百数十年になっていたと思われる。雨漏り、すきま風に悩ま

され、古屋の材木と自宅周辺の杉の木を切って新たに家を造った。昔の家は余り釘などを使

わないのでプラモデルと同じようにばらして再利用できる部分は再利用したようだ。こういう方

式も昭和30年代我が家の新築の頃で終わったようだ。自分が会社の持屋制度で家を建てた

ときは全部新材を使った。余り使わない裏庭/バックヤードがあったのでその家は後方に退い

て造られた。従って、クスノキが家の前部に位置してしまった。夏場は涼しさをもたらしたが、

冬の日陰には困った。母は切ろうと言っていたが、父が生存中はとうとう切らなかった。その

後、決心の末か、業者を頼んで切ってもらうことにした。当日、自分は出勤で切る現場にいな

かった。どんな様子になっているかと思いつつ帰宅した。クレーンを入れて切ったので根本か

ら切られていると思った。しかし、枝を払って、上部の半分位を切り取って幹は残っていた。

どういう経緯でそういなったのか。母に聞くと業者が残したようだ。当然母はそれに同意した

ことであろう。ともかく、そのクスノキは何とか生き延びた。すでに、その時からまた十年程経

過した。枝は元と同じくらい伸びてしまっている。しかし、上部を切ったのが原因か、樹幹が横

に太って、ゴツゴツが目立つようになった感じがする。要するに木は上に伸びられないならば

横に伸びようとするらしい。樹木は木の太さに応じて栄養分を蓄えているようだ。枝や幹の上

部を切られたら、蓄えた養分の行き場所がない。樹幹からも芽が出て枝をのばそうとした。

十年ほどでようやくそれも安定したようだ。今後はこのクスノキとどうつき合うべきか。切り取

られたクスノキの一部は彫刻の材料として使ってくれた人がいた。何かの役に立つこともある

だろう。

2009年12月22日 (火)

黒竹

2009/12/22

黒竹

園芸店に並んでいる黒竹を見ると風情があり欲しくなる。ところが、結構な値段が付いており

手が出なかった。相当前の事であるが、黒竹が繁茂して手の付けられないな畑があり、通路

にも進出しているのを見つけた。通路際に生えていた数株を失敬して鉢植えにして楽しんで

いた。竹の子の皮が落ちた頃はまだ竹竿の色は普通の緑色をしていた。それが徐々に黒み

を帯びてくる。ほとんど手入れをしなかったので株が混み始めて、根も盛り上がってきた。い

つしか、外にはみ出した根が地面を捉えていた。そうして鉢のそとのあちこちに竹の子が出

てきた。時は経て、我が家の黒竹があった畑も通路も消えている。ところが、我が家の庭が

かつての畑になり始めている。鉢に閉じこめていれば大きさも余り気にならない位である。し

かし、根が自由にはびこれると結構な高さになる。色々利用はできそうだ。余りはびこらない

よう対処して黒竹とも共生してゆくのも一考かもしれない。ネットで調べたら黒竹の竹の子も

食べられるとの事だ。別の楽しみが生まれるかもしれない。

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みかん栽培関係情報

ISESAKI  有情2

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嗚呼 伊勢崎 非情

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  • 橋本 英文: 刃物雑学事典 図解・刃物のすべて(1986年 株式会社 講談社 ブルーバックス B-659)
    刃物という視点で多くの事例が取り上げられている。刃のある道具の理解にも役立つ。類書が少なく貴重な一冊。「すべり変形が切断の原理」という考え方で説明している。
  • 沼田 真   : 植物たちの生( 1972年 岩波新書(青版 833))
    「ご要望にお応えしてアンコール復刊(1988年岩波新書50年記念復刊) 地球生態系の中で自然を見直す」(腰巻きのフレーズ)。植物の知恵と戦略に人類は勝てるのか。
  • 出町 誠: 14_NHK趣味の園芸:よく分かる栽培12ヶ月  カキ(NHK出版2007年)
    初心者向け柿栽培参考書(新版)。旧版と比較すると楽しい。
  • 中村三夫: 13_NHK趣味の園芸:作業12ヶ月  カキ(NHK出版1996年)
    初心者向け柿栽培参考書(旧版)。新版と比較すると楽しい。
  • 山科正平: 12_細胞を読む   電子顕微鏡で見る生命の姿
    細胞はどんな部品からできているのか。そんな疑問に答えてくれる一冊。何事も形を見るのが第一歩。μからÅオーダーの世界で、細胞をメスで解剖するように、電子顕微鏡というメスで解剖して見せてくれるので興味が尽きない。
  • 柳田充弘: 11_細胞から生命が見える
    著者の専門は分子生物学、細胞生物学。普段生物を考えても細胞レベルで止まってしまう。その細胞の中で色々な分子が働いている。細胞こそ生命の基礎だが、その細胞の中の動きを知るのに最適な一冊。疑問の発端はなぜ発根剤が効くのかということ。薬剤が細胞膜を通過して細胞内で分子と分子が作用するイメージができた。本書でできた細胞のイメージは小さな無数の穴が空いた水分が充満したヨーヨーのようなもの。そのヨーヨーの中に分子部品が詰まっている。細胞自体もタライの中のヨーヨーのように浮かんでいる。細胞図面の空白部は真空でなく水分だ。細胞の内外に水がないと細胞は生きられない。水が生命のゆりかごだ!
  • 野口悠紀雄: 10_ホームページにオフィスを作る(2001年 光文社)
    ITが輝いた時代の作品。HPの活用法は参考になる。参考:url=http://www.noguchi.co.jp/(野口悠紀雄 ONLINE)
  • 小池洋男 編著: 09_果樹の接ぎ木・さし木・とり木(農文協:2007/3/31第1刷)
    やや専門的であるが、実務専門化が分担執筆しており、その場で役に立つ一冊。
  • ノーバート・ウィーナー(鎮目恭夫訳): 08_サイバネティックスはいかにして生まれたか(みすず書房1956)
    情報と通信という現代社会に不可欠の基礎的な学問を作った著者の自伝とそれを通した科学史
  • 沼田 真(編): 07_雑草の科学(研成社1979)
    雑草を多面的に解説し防除の基礎も述べる

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    2010/8/4:MEMO等の表示に使える。 農作業で気になる自戒の言葉 ■畑の石ころはいつまで経ってもても石ころ(早く拾って片づけよという意味か)。 ■同じ石を二度拾うな(やってみると難しい)。 ■手ぶらで歩くな。 ■三つ先のことを読め。 ■適当な観察。 ■空を見よ(気分転換、休憩、天気を読む、腰曲がり防止)