春雷:いとしきもの
2010/6/10
雑草句録:春雷
■花苗よ育て春雷襲えども
句作は一行日記のつもり。季語も無くキャッチコピーのようになったりする。春雷という早生
桃を植えて実がなりはじめた。この句はピンぼけの旧句改作で文字通り春の雷を詠んだ。
2010/6/10
雑草句録:春雷
■花苗よ育て春雷襲えども
句作は一行日記のつもり。季語も無くキャッチコピーのようになったりする。春雷という早生
桃を植えて実がなりはじめた。この句はピンぼけの旧句改作で文字通り春の雷を詠んだ。
2010/6/9
既に活動を開始して、草丈も数十㎝に伸びている。素手で引き抜くのも嫌気がさすが、今年
は先手必勝で小さい時から退治を始めた。守るべき陣地は死守するという気概が必要だ。
果樹園の管理で<清耕管理>というコトバを思い出した。検索すると:「果樹園の地表面管
理には、清耕、草生、マルチ等とその折衷様式があり、リンゴ地帯や傾斜地果樹園では草生
管理が多く、平坦な落葉果樹やミカン地帯では清耕管理が主であり、各種管理法の特徴に
ついては解説等6,18,35,49〕がなされている。」という情報があった。(http://rms1.agsearch.agropedia.affrc.go.jp/contents/kaidai/kajyusaibainoteikosuto/22-2-3-4_h.html)。
蔓草を育てているようでは本当に農業万年一年生で終わりそうだ。樹木の下は日陰となり雑
草も育つまいと安易に夢想したが蔓草という手強い伏兵がいた。
愛しき雑草:カナムグラ
■カナムグラ
本当はうとましき雑草であるが、退治しきれず、仕方なくお付き合いをしているのが実状だ。
ヤエムグラのトゲは繊維にへばりつく程度だが、カナムグラのトゲはそれよりも鋭い。素手で
扱うのを牽制している。これこそトゲの役割だ。葉にも茎にもトゲがある。蔓草は背丈を伸
ばしている間は葉を余り広げない。従って蔓は、するすると樹幹や枝の間をすり抜ける。途
中につかまるものがあると、それに巻き付き樹木の頂上を目指す。ある時、実生の夏みかん
の木にカナムグラがはい上がった。見上げるほどの高さなのでついつい放置していた。冬に
なれば枯れるだろうとたかをくくっていた。ようやく冬になり時間のゆとりもできたので、脚立
に登ってその蔓を取り除いた。何とミカン樹も太枝を残してほとんど枯れていた。常緑樹にと
って日光を失うことはもう死ぬ以外にないというような判断になるようだ。蔓草は樹上を制覇
すると益々元気になり、枝分かれして茎も太くなる。そうしてはい上がった台になる樹木の光
を完全に横取りしてしまう。何年もかけて育てた大切な果樹もちょっとした手抜きで大被害を
受けてしまう。いま考えると根本の蔓を切っておけば助かっただろうと残念で仕方ない。うとま
しき雑草であるが、蔓草に注意せよと教えてくれた大先生となった。幸い、何とか枯れずに済
んだが太枝を数本失った。元の樹勢に戻せるだろうか。果樹は根や根元の管理が大切だ
が、予期せぬ失敗でその認識を新たにした。
2010/6/8
雑草句録:ツゲ
■ゆえありて生垣のツゲ改植す
生垣を維持するのは大変だが、季節の変化を楽しむ事も出来る。生垣のむこうとこちらで人
の気配も感じあえる。お互いに覗きあう。そういう本能も満たしてくれるようだ。旧句改作。
2010/6/7
アナログいろはカルタ
わ:
■ 笑う門にも不測来る
うまく行ったとにこりとしたときにも不測の事態が発生する。 いろはカルタに○割れ鍋にとじ
蓋 ○若い時は二度ない ○笑う門には福来る等があるようだ。人生笑える時も泣ける時も来
る。しかし、笑いの直後に不測の事態が発生するとその落差の大きさを痛感せざるを得な
い。笑いも泣きも根が同じであると大変である。不測は不測ではなかった事になる。起こるべ
くして起こった事を不測の事態とは言えないであろう。自分も晴れ舞台に大雨が降るような体
験を味わった。そのような事態も試練として乗り越えれば大抵取り返しはつくようだが...。
2010/6/6
雑草句録:財布
■塩漬けの財布の中は旧硬貨
何十年も開いた事のない財布の中はやっぱり同じであった。不思議な事に使い慣れた小物
は良く使うが、使わなくなるとついつい関心がなくなる。何事も同じ傾向だ。旧句改作。
2010/6/5
雑草句録:ゴミ始末
■ゴミ当番なって知るなりゴミ始末
お互い仕事を分担してゴミ処理が成り立っている。しかし、他人が出したゴミを自分が始末す
るという不条理感が常に消えない。始末にはゴミに関する行動哲学も含まれる。旧句改作。
2010/6/4
アナログいろはカルタ:部下
お :
■老いては部下に従う
当世の管理職は部下と張り合うのが宿命か。いろはカルタには○ 老いては子に従う ○鬼の
女房に鬼神 ○鬼も十八等があるようだ。高齢化社会到来で再雇用された上司がかつての
部下の下で働くことも現実になってきた。 老いては子に従うという定理の根拠に知力、体力、
財力が関係している事は言うまでもないだろう。最近論語の素読に関心が集まっている。六
十而耳順:六十にして耳したがうとは良く言ったものだ。管理関係では部下上司ではあるが、
人間関係では師弟ということも悪くはないであろう。
2010/6/3
昨日は民主党の臨時両院議員総会のTV中継に見入っていた。鳩山首相は予想外に首相
辞任を表明した。今朝の毎日新聞のNETNEWSは次期総選挙へ出馬せずを伝えていた。
相変わらず日本人の頭脳は玉砕の美学に支配されているのか。テレビを去って、畑に出ると
どこからとなく忍冬の薫りが漂ってきた。人間誰しも志を忘れず厳しい冬を乗り切る覚悟が必
要だと語っているようでもある。このスイカズラも何度か退治されようとしたがついに残った。
愛しき雑草:スイカズラ(忍冬)
■スイカズラ(忍冬)
このつる草を見て名前を言える人は少ない。しかし、その花の薫りと幼いときに、その花を取
って花弁の下の方にある蜜を吸った記憶のある人は多い。やはり、なつかしさを懐かせる雑
草ではある。小さい頃は蔓草と思うが、大きな樹木に登り始めると蔓も太くなり木質化する。
この頃になりようやく花を咲かせるようだ。最近はこのスイカズラの花を見かける事も少なくな
った。葉は常緑で、落葉樹が葉を落としてもスイカズラの葉はそのまま残る。そんな、蔓草の
生態を反映したのか、忍冬と呼ばれているようだ。忍冬と呼んだ方が文学的な感じを受け
る。年々、手入れを怠った金木犀にスイカズラがはい上がって、遂に頂上を制覇してしまっ
た。その結果、スイカズラの薫りは周辺に良く漂っている。厳しい冬を、葉を枯らさずに耐え
て、春に白い小さな花を咲かせ、心地よい薫りを漂わせる。金大中元韓国大統領がこの忍
冬が好きであったというような事をふと思い出した。調べてみると、金大中元韓国大統領はニ
ックネームとして忍冬草という異名を賜っていたようだ。それは韓国国民から見ても、韓国の
歴史、金大中元韓国大統領の立場や思い、その他諸々の情感を象徴するのに忍冬草が最
適であった事を示しているようにも感じる。今年の五月末、我が家の金木犀の樹上の忍冬は
まだ白い花を咲かせている。その花には黄色味を帯びるのもある。花期が終わろうとしてい
るのであろうか。これだけ大きくなると、この忍冬を処分するのもいとおしくなる。忍冬がはい
上がった金木犀は、父が植えた花木で、本来これを大切に管理すべきであるという意識も働
く。しかし、金木犀はそれなりにポピュラーだ。それよりも、あまり知られずに咲きつつも、自
己の存在をそれとなく告げている忍冬も良い物だと思う。とりあえず残そう。将来のことは成
り行きに任せる以外になさそうだ。
2010/6/2
雑草句録:シルバーカー
■背に合わぬシルバーカーを調整す
なんとなくぎこちなさそうな様子。ちょっと調整するだけで使い勝手が良くなる。老人はどうした
らよいか分からない。一時小さな親切が話題になった。お節介もTPOによる。旧句改作。
2010/6/1
雑草句録:珍し野菜
■とりあえず珍し野菜の種をまく
まわりには野菜作りの名人が多い。それならば、自分は珍しい野菜でも作ろうとする。そして
ほとんどが失敗に終わってしまう。冬瓜はやや収穫できたが、だれも手を付けない。