« 2013年6月 | メイン | 2013年8月 »

2013年7月

2013年7月11日 (木)

ツルよ 飛んでおくれ(環境雑録;愛しきもの 生き物):これは瑞兆か?高山神社拝殿の石段に白ヘビ?が登っていた!

2013年7月11日(木)
昨日は晴れ夕方雷雨。最高気温(℃) 37.6 14:44。最低気温(℃) 25.8 03:11。ざっそう句:雷来去 万物万事 活き返る。朝飯前。コンビニコピー(CC)。P区画除草等。依頼物件処理。立ち話で、先日のWEB情報確認できたと聞く。小さな親切大きなお世話の類の話かもしれない。お互いお役所仕事を嘆く。用事外出。いくつか溜まっている用事と買い物。ついでにタウンウォッチング。ゴロゴロと雷鳴がするので帰宅。帰路やや激しい雷雨に合ってしまった。来客あり雑談。真夏日で熱帯夜(夜間の最低気温が25度以上)だった。かなり降ったと思ったがAMEDASのデータでは4㎜だ。

2013年7月10日の天気(AMEDAS)

TAVE= 29.9 NO DATA
TMAX= 36.4 最高気温(℃) 37.6 14:44 
TMIN= 25.9 最低気温(℃) 25.8 03:11 
DIFF= 10.5  
WMAX= 3.6 最大瞬間風速(m/s)(風向(16方位)) 8.6(北北西) 19:12 
SUNS= 9.3 NO DATA
RAIN= 4 NO DATA

Q
Q

ツルよ 飛んでおくれ(環境雑録;愛しきもの 生き物):これは瑞兆か?高山神社拝殿の石段に白ヘビ?が登っていた!

WIKIPEDIA「高山彦九郎。(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AB%98%E5%B1%B1%E5%BD%A6%E4%B9%9D%E9%83%8E)」によれば、「高山 彦九郎(たかやま ひこくろう、延享4年5月8日(1747年6月15日) - 寛政5年6月28日(1793年8月4日))は、江戸時代後期の尊皇思想家である。父は高山良左衛門正教、母はしげ。兄は高山正晴。妻はしも後にさき。子に高山義介ほか娘など。林子平・蒲生君平と共に、「寛政の三奇人」の1人。名は正之。」。

一口に高山彦九郎の事を記述するとWIKIPEDIAのように「尊皇思想家」と捉える事も可能かも知れないが、規定の仕方は人それぞれ、時代と共に変わっても、それでも良いのではと思う。人間、人に利用されもするが、利用もする。そういう関係をみると、どろどろしたものを感じる。自分も高山彦九郎の記事を幾つか書いた(0011_高山彦九郎 歌と生涯(目次):http://af06.kazelog.jp/itoshikimono/0011_TAKAYAMA_HIKOKUROU.html)が、地域の異才として、見捨てるには余りにも勿体ないのではないかと思う。

先日、上毛新聞に高山彦九郎の墓前祭が行われたという記事が出た。WEB上で関連記事を探すと、hik*ku*o200*氏のブログに、「高山彦九郎のささやかな墓前祭を行いました。(http://blogs.yahoo.co.jp/hikokuro2000/6144198.html))」というタイトルで、「平成24年6月28日(木)に、群馬県太田市細谷町の高山彦九郎遺髪塚に於いて、ささやかな墓前祭を執り行いました。高山彦九郎研究会の正田会長はじめ、親族代表や高山彦九郎研究会の方々で行いました。 高山彦九郎の没した日は、6月27日と伝えられているものが多いようですが、実際に没した日は、6月28日でした。それを反映するように、遺髪塚(国史跡)の左側の碑文を読みますと、6月28日となっています。」と報じられていた。

改めて、WIKIPEDIAの記事を見ると6月28日が高山彦九郎の命日であった。今では、高山彦九郎を偲ぶ人も少ないのだろうとやや寂しい思いがした。偶然であるが、当日外出の帰りに、太田の高山神社へ2回目の訪問をした。訪問者は自分一人だけ。小学生か幼稚園生位の子供が階段の中程まで登ってまた消えてしまった。

ここまで来たのだからと、デジカメで色々な角度から社殿の撮影をした。その後、気持ちだけの賽銭をあげて、ドラを鳴らし、神式で礼拝。それから、石段を降りてまた周囲を見回した。その時、石段の下部に1m以上もありそうなヘビがねそべっていて、人気を感じたのか石段を登りだした。しばらく、カメラをかかえてその様子を見続けた。今から考えると、マクロ撮影をしておけば良かったと思うがそのゆとりはなかった。

群馬県にも、数種類のヘビが棲息しているようだが、消去法で名前を推定すると、シマヘビのように思えた。白ヘビとは牽強付会に違いないが。自分の幼少時代、酒にヘビを入れた一升ビンが台所の隅にあった。当時は、何かの薬用として使われたようだが、家族が使ったのは一度も見たことがない。家族も、気味悪く思っていたようだ。既に、そのころから、昔の民間薬は市販の薬に代わっていったようだ。その、一升瓶もいつしか見あたらなくなった。ともかくシマヘビは、昔はヘビの仲間では有用で、嫌われ者ではなかったようだ。

歌人の須永義夫氏の「高山彦九郎 歌と生涯」を読むと、高山彦九郎は緑亀を見付け、瑞兆として天皇に献上したような事を書いていたと思う。思うに、これは天皇に近づく一つの儀式のようなものに思えた。瑞兆が欲しいのは、現実が手詰まりしている事の反映とも推定できる。見方によれば、自分の売り込みにも通じる。

ヘビに出会った気持ちも収まりもう一度、拝殿の後方の本殿を見るとこちらも立派な鰹木が見えた。拝殿の鰹木の先端は十字のような印章が記されている。これも一つの謎なのだが、鰹木の先端に十字マークとは、何か意味があるのだろうか。一体、これは異教の十字架と関係があるのかと一瞬気になった。

高山彦九郎の命日に、高山神社拝殿の石段に、シロヘビならぬシマヘビが登るのも、見方によれば瑞兆かもしれない。幸いな事に、それを瑞兆と騒ぐ者もおらず、高山神社周辺は静謐さが溢れていた。

時は変わり、平成中期たる現在、円安、株価上昇という瑞兆が現れたと狂喜する人も多い。そのような瑞兆は勿論、手で捕まえて見せるわけには行かない。これは、瑞兆だと予言らしく宣われても平民は何もできない。そういう意味では、高山神社のシマヘビは、瑞兆に違いないのではないか。高山彦九郎の命日に、高山神社拝殿の石段を必死に登るシマヘビはまさに高山彦九郎のお使いのように見えるのだ。

Ioi_takayamajinjya_hebi_ema_katuogi
IOI_TAKAYAMAJINJYA_HEBI_EMA_KATUOGI_7PIX.jpgをダウンロード

IOI=IMAGES ON ITOSHIKIMONO

追記(2013/7/11):
改めて上記「hik*ku*o200*氏のブログ」の日付を見ると昨年の記事であった。今年も昨年と同様に墓前祭が行われたのだろう。念のためKW「高山彦九郎 墓前祭」でGoogle検索すると久留米でも墓前祭が行われていたようだ。

読売新聞は、「高山彦九郎の遺徳しのぶ、久留米で墓前祭。http://kyushu.yomiuri.co.jp/local/fukuoka/20130628-OYS1T00319.htm(2013年6月28日))」というタイトルで、「江戸時代中期の尊皇思想家で、久留米市で生涯を閉じた高山彦九郎(1747~93年)の墓前祭「仲縄忌(ちゅうじょうき)」が命日の27日、墓がある同市寺町の遍照院で行われた。約50人が参列し、遺徳をしのんだ。 高山は、上野国新田郡細谷村(現・群馬県太田市)の農家に生まれ、少年期に「太平記」を読み、尊皇思想に傾倒。朝廷による文治政治を説いて全国を行脚し、幕末の志士にも大きな影響を与えた。 幕府からは反体制思想家として迫害を受けた。江戸で知り合い、身を寄せた東櫛原村(現・久留米市東櫛原町)の森嘉膳(かぜん)宅で、「朽ちはてて身は土となり墓なくも心は国を守らんものを」との辞世の句を詠み、47歳で自刃した。 墓前祭は、市などでつくる顕彰会が主催。献茶や詩吟の奉納があり、読経の中、参列者らが墓前で手を合わせた。」と報じた。

高山彦九郎が憤死した久留米でも墓前祭が行われているのを知って改めて高山彦九郎の志が関係者に引き継がれているように感じる。今年が高山彦九郎没後220年になるようだ。


ページ先頭へ飛ぶ

2013年7月10日 (水)

読みかじりの記:半導体に賭けた40年 岩瀬新午著 (1995年 株式会社 工業調査会)。20130710。

2013年7月10日(水)
昨日は晴れ。最高気温(℃) 36.7 15:44。ざっそう句: 夏草や 朝露吸って 枯れ凌ぐ。通路脇草刈り。そこにジニアを移植。ジニア、マリゴ区画除草。そこのジニア追加移植。ニンジン種子採取。夕方ゴボウとオクラ区画灌水。

2013年7月8日の天気(AMEDAS)

TAVE= 30.0 NO DATA
TMAX= 35.8 最高気温(℃) 36.7 15:44
TMIN= 24.2 最低気温(℃) 24.0 05:21
DIFF= 11.6  
WMAX= 5.1 最大瞬間風速(m/s)(風向(16方位)) 9.4(東南東) 18:06
SUNS= 12.2 NO DATA
RAIN= 0 NO DATA

Q
Q

読みかじりの記:半導体に賭けた40年 岩瀬新午著 (1995年 株式会社 工業調査会)

本書を読みかじって、本書は著者一代の歴史であると共に日本の半導体の歴史でもあると感じた。半導体ビジネスは、その初期は物量と労働力が中心で軽工業的であったのに、市場が拡大するに従い装置主体の重工業のように変貌した。そのような歴史の中で、半導体の種まきから、育成、収穫までを一貫して体験した結果が本書に結実しているのであろう。

著者は、日本で最初のトランジスタ動作の確認の様子を細かく書いている。成功の基本が「運、鈍、根」にあったと述べているが、トランジスタが時代の脚光を浴びていたのも事実だろう。自分が学生の頃、モレクトロンとかいう電子部品が新聞に載った記憶がある。今後、新しい電子部品が生まれてくるのだろうと漠然と期待していた。

半導体に賭けた40年 岩瀬新午著の概要;
http://webcatplus.nii.ac.jp/webcatplus/details/book/2534696.html
Iobhandoutai_40nen_hon_iwase_s_2
「赤紙をもらって工場へ(http://af06.kazelog.jp/itoshikimono/2009/05/post-45e6.html)。(2009/5/7)」

「技術 回顧と展望:赤紙をもらって量産ラインに直行した頃(http://af06.kazelog.jp/itoshikimono/2012/06/24-b1a1.html)。(2012年6月24日日曜日)」

本書を読んで、在職中の事を思い出した。新しい事を始めると、前例のない事に直面する事が多い。また、装置や道具も既製品がないので自作する事も多い。本書を読んで、改めてそういう目先の課題を自作してでも解決する事の大切さを再認識した。

学生時代は、卒研に使う装置・道具を自作している例がかなりあった。半導体素子を研究した研究室では拡散炉も自作していた。その拡散炉でPN接合ができたと喜んでいた旧友を思い出す。自分も、エサキダイオードの特性測定に使う電源を自作した。その時は、まさか仕事でレギュレータの開発をしようとは予想もしていなかったが、学生時代の経験も役に立った。

Googleによる「岩瀬新午 三洋電機」の検索(http://www.google.com/?hl=ja#hl=ja&output=search&sclient=psy-ab&q=%E5%B2%A9%E7%80%AC%E6%96%B0%E5%8D%88%E3%80%80%E4%B8%89%E6%B4%8B%E9%9B%BB%E6%A9%9F)。

職場では、色々な勉強会もした。著者も勉強会や啓蒙活動を色々した事を本書で語っている。やはり、物作りは人作りがなければ永続しないのであろう。三洋電機の半導体部門が大きな会社に匹敵するまで成長できたのも、そこを任せられる人材がいたからではないかと思う。その三洋電機半導体部門も現在では、オンセミの傘下に入っている。世代交代が進み、自分と一緒に仕事をした同僚も少なくなっているが、まだDNAは引き継がれているのではないかと、同社の製品一覧を眺めながら思ったりしている。

著者は、業績不振で事業部長降格になった事をあっさりと述べているが、振り返ると経営的に非常に厳しい時もあった。景気の後退・需要減の時には、諸悪の根元である在庫圧縮のため、製造部門は仕事を休み自宅待機や出勤しても本来業務以外の業務を迫られた事もあった。しかし、当時は大量解雇は無かった記憶している。

半導体の景気には、五輪景気というジンクスがあり、谷があってもやがて山も巡ってくる。その時、人材を確保しておかなければ乗り切れないという読みもあったのだろうか。自分は、製造部門は詳しく知らないが、本書に登場する製造部門責任者が発行する赤紙で、たびたび工場に呼び出された記憶がある。当時は、まだICの選別は若い女子従業員が頼りであった。その後、自動テスターが導入され女子従業員の姿は工場から消え始める。

本書を読んで、改めて著者の交友関係の広さを感じた。「赤紙をもらって工場へ」の記事に、専務室に呼ばれた事を書いた。当時の開発部と通路を隔てた奥の方に専務室があった。詳細は分からないが、著者とタケダ理研の社長の武田博士との交流で、著者を訪問してその談話の席に呼ばれたのであろうと思った。高周波減衰器に組み込んだリレーは多分日本ハムリン製のリードリレーだったと思う。WEB検索すると日本ハムリンの設立が1968年(株式会社日本アレフ ホームページ:http://www.nippon-aleph.co.jp/cont/grou_2.html)。

当時著者は会社の経営者、会談の相手も計測機器会社の社長で、現場の一技術者が出る場面ではなかったが、上司の開発部長が部下の悩み事に耳を傾けそれが話題に上がったという次第のようだったが、これも一つの運と言えるだろう。これが丁度、1967年頃の話ではないかと思う。日本ハムリンの設立から10後の頃のようだ。

本書の中には、昔懐かしい上司の名前が現れるが、自分の現役時代は既に雲の上の人になっている方が多かった。20世紀は半導体全盛の時代であり、半導体は業績の変動が大きい業界だが、長い目で見れば成長産業だと思いつつ現役時代を過ごしてきた。21世紀に入り、その流れに変調が生じたように見える。しかし、半導体に代わる第三の電子デバイスの有力候補は当面見えないようだ。

これから、世界にでる若者にとって、半導体がどのような役割を果たすのか興味あるところだ。ともかく、若者から携帯やスマホが無くなれば、味気ない生活となってしまうだろう。夢を描き夢を実現する手段として半導体に目を付けてもらいたいものだ。今日のIT時代を半導体が支えているのも疑いのない事実だ。日本の半導体はどこへ向かうかという一抹の不安と共に半導体よ生き残れと期待したい。

追記:
たまたま、先日「NHK  電子立国 日本の自叙伝 (上)」、相田 洋著 (1991年 日本放送出版協会)を拾い読みした。本書は、専門家でない放送人がテレビ番組として作成した内容を書物にしたもので、絵にして見せるという手法にこだわったらしい。本書に岩瀬新午の「バケツ偏析装置」が再現された時の様子が述べられている。本書出版当時は、まだ半導体開発初期に活躍した人物が健在で取材に協力している。当時の様子を知ることができる貴重な一冊だろう。日本への半導体導入という歴史を、江戸時代の西洋医学の導入という歴史に重ねて見ると、日本人は、外国に何か優れた物があれば、それに熱中するようだが、問題意識を持って、基礎から始めるのは苦手なようだ。科学や技術の世界でも鶏頭となるも牛後となるべからずという警句が通じるのではないか。トランジスタの発明以前に、真空管に代わる固体デバイスの重要性を認識して研究したたりそれを促した人物が日本にいたのだろうか。

「日本半導体歴史館。(http://www.shmj.or.jp/index.html)」
「1950年 日本初トランジスタ動作確認(電気通信研究所)。(http://www.shmj.or.jp/museum2010/exhibi340.htm)」

************************
追記(2020/07/05):タイトルに投稿期日を追加。本日アクセスランキング3位。再読。まだ、当時の記憶が少し残っていた。当時の人物の名前が浮かんでくる。WEB調査。懐かしい。

ページ先頭へ飛ぶ

Ranking

今日は何の日~毎日が記念日~:このサイトへのリンク

00001_アクセスランキング記録2020-PART1

00001_アクセスランキング記録2019-PART2



ページ先頭へ飛ぶ

2013年7月 9日 (火)

ハトよ 鳴いておくれ(愛しき古里;環境雑録):整備が進む伊勢崎駅駅前;レールを活用した旧駅舎

2013年7月9日(火)
昨日は晴れ夕方軽く雷鳴・雷雨。最高気温(℃) 37.3 13:45。ざっそう句:重いシャツ 軽い畑土 汗仕事。朝飯前仕事でオクラに灌水。ゴボウの除草。本葉3~4枚。間違って一本引き抜いたが、まだ根が1~2㎝しか伸びていない。これでは、乾燥に耐えられない。追加でゴボウにも灌水。1時間ほどでシャツが重くなるほど汗をかいた。朝から30℃近い猛暑日になった。朝飯後、ハウス下で、久留米鶏頭と苗箱の除草。セルリ苗ポット上げ。その後退散して宅内閑居。雷雨があり、落雷対策で通信線と電源線を切断。古本の拾い読み。

2013年7月8日の天気(AMEDAS)

TAVE= 29.1 NO DATA
TMAX= 36.3 最高気温(℃) 37.3 13:45
TMIN= 25.5 最低気温(℃) 25.5 05:10
DIFF= 10.8  
WMAX= 4.5 最大瞬間風速(m/s)(風向(16方位)) 13.5(北北東) 15:32
SUNS= 9.1 NO DATA
RAIN= 1 NO DATA

Q
Q

ハトよ 鳴いておくれ(愛しき古里;環境雑録):整備が進む伊勢崎駅駅前;レールを活用した旧駅舎

五月初めに町歩きをして伊勢崎駅に立ち寄った。駅前の整備も進み、新しく区画整理された場所に交番、店舗等が立ち始めていた。道路も仮設らしく、しばらく駅前の変貌が続き、その後新しい伊勢崎駅前が現れてくるのだろう。

旧駅舎を見学した時、駅舎に鉄道のレールが使われているという説明を聞いた。何年も旧伊勢崎駅を使った経験があるが、明確に気付いていなかった。多分、何となくレトロだと思いつつ漠然と駅舎の外観を見ていたのだろうが。

とりあえず、消えてしまう駅舎の記憶として駅前の目立つ位置にあったレールの柱をデジカメに収めた。同じ時、玄関のひさしの部分にあったツバメの巣や、巣を保護する板が取り付けられていたのも撮影。旧駅舎の玄関口にはツバメの巣がいくつかあり、駅員は客に糞までサービスしないように細かな配慮をしたようだ。

ツバメとしても、適度に人が往来する場所に巣を作るのが安全と知っているのだろう。新駅舎の玄関口がどうなるかは、はっきりしないが多分ツバメは入れ込めないような構造になるのではないかと思う。ツバメだけでなく、鉄道乗客以外の一般人も気軽に駅を利用できる仕掛けも大切なようだ。一日、数千から一万人程度の利用では、拡張された駅前広場は現在より閑散としてくるだろう。ゴーストステーションにならないよう願うばかりだ。

駅が、余りにも近代的・機能的になりすぎるとそれにつれて人間の方もそのペースに合わせられてしまいそうだ。もう少し、ユトリ、アソビがあっても良いのではないか。それにしても、駅の価値を決めるのは第一に駅の利用客だろう。利用者数の増大・減少が今後の駅利用の大勢を決定するだろう。WIKIPEDIAで伊勢崎駅の利用者数を調べると2000年から2011年まで、目立った増減はない。微増の傾向が出始めているようにも見えるが。その要因を分析して、早めに利用者数増大対策を実施する必要がありそうだ。おそらく、今後とも市内の利用者の増大は限定的だろう。市外からの来客を増やすには伊勢崎自体の魅力度を向上させる必要があるだろう。
Ioi_isesakiekimae_ekisya_rail_etc_6
DSC(左から):周辺新築家屋、新駅舎、旧駅舎、新交番、駅前イメージ、WIKIPEDIA客数推移。
駅前イメージ図は伊勢崎市ホームページからの引用。

IOI_ISESAKIEKIMAE_EKISYA_RAIL_ETC_6PIX.jpgをダウンロード

IOI=IMAGES ON ITOSHIKIMONO

ページ先頭へ飛ぶ

2013年7月 8日 (月)

残照雑記:「国定忠治終世の地大戸見学日程」の思い出(9)=沼田の「?林寺」

2013年7月8日(月)
昨日は曇り時々晴れ。最高気温(℃) 33.9 14:26。ざっそう句:噴く汗が 鼻梁を伝い ポタリンコ。オクラ苗に灌水。マリゴ区画除草。除草で出来た隙間にジニアを移植。雑草にとって空白地帯は楽園。雑草の後釜を植えればやり甲斐もある。ともかく作物も雑草も夏が勝負時だ。逆転の発想だが、雑草並に作物が勝手に生えてくれれば良いのだが。それには大量の種子を生産すれば良い筈だ。雑草と作物のバトルでは雑草の方が強いという難題が付きまとう。

201377日の天気(AMEDAS

TAVE= 28.5 NO DATA
TMAX= 33.1 最高気温(℃) 33.9 14:26
TMIN= 24.5 最低気温(℃) 24.1 04:44
DIFF= 8.6  
WMAX= 2.7 最大瞬間風速(m/s)(風向(16方位)) 6.9(南東) 20:11
SUNS= 3.7 NO DATA
RAIN= 0 NO DATA

Q
Q

残照雑記:「国定忠治終世の地大戸見学日程」の思い出(9)=沼田の「?林寺」

日程の第10番目は沼田の「?林寺」であり、大久保一家の碑大型と書かれていた。途中まで向かったが、日暮れになり訪問を断念した。資料は手書きで、寺の名前の一字が読みとれない。WEB検索すると、「じよりんじ舒林寺」があったが、舒林寺には、いろいろな碑があるらしく、それらしいのはヒットしなかった。

ここまで、デジカメ画像で追ってきて、貰った資料は見なかったが、資料の二ページには、「日本侠客の祖草分は上州の大久保一家也」と毛筆で表題が書かれて、初代から九代まで表にまとめられている。この資料によると九代目であとはないと記されている。また、大記念碑は沼田の「じよりんじ舒林寺」にあると補足されていた。

ともかく、貰った資料も、デジカメ画像も放置したらやがて散逸して消えてしまうだろう。振り返ると、おもとさんの墓については、Aさんの塔婆に書かれた内容を読んで始めてイメージが湧いてきた。墓巡りは余り好きではないが、おもとさんの墓巡りは印象に残った。色々興味も湧くが、深入りすると迷宮にさまようことになりそうだ。

以上の記事は、Aさん、Bさん、Cさんとの巡り合わせという不思議な縁があって実現したが、Aさん、Cさんは既に故人となられた。このような機会を与えて頂いた事に感謝すると共に、ご冥福をお祈りしたい。
Ioioodonoseki_kengaku_6pix_gb_s


ページ先頭へ飛ぶ

2013年7月 7日 (日)

残照雑記:「国定忠治終世の地大戸見学日程」の思い出(8)=おもとさんの墓

2013年7月7日(日)
昨日は曇り時々晴れ。最高気温(℃) 35.6 14:25。今年の夏初の猛暑日。ざっそう句:梅雨明けだ 猛暑なれども オクラ植え。ポットに4粒位播いたオクラの双葉から本葉が出始めている。根はポットに巻き始めている。根鉢を崩し細根を切らないように株を分離して植えた。畑土は乾燥しているので鶏糞液を植え穴に撒いてから定植。気温はどんどん上がり軒下で38℃。植え終わって退散。本日は七夕。小暑。暑い日が続きそうだ。tenki.jpは、「関東甲信梅雨明け、過去4番目に早い。http://tenki.jp/forecaster/diary/detail-6128.html(2013年7月6日 11時10分)」」と報じた。

2013年7月6日の天気(AMEDAS)

TAVE= 28.2 NO DATA
TMAX= 35.2 最高気温(℃) 35.6 14:25 
TMIN= 22.7 最低気温(℃) 22.5 02:19 
DIFF= 12.5  
WMAX= 1.7 最大瞬間風速(m/s)(風向(16方位)) 4.9(西北西) 04:35 
SUNS= 2.8 NO DATA
RAIN= 0 NO DATA

Q
Q

残照雑記:「国定忠治終世の地大戸見学日程」の思い出(8)=おもとさんの墓

日程の第9番目には、高山村の忠治最後の妾おもとさんの墓とある。地図もカーナビも無く、Aさんの指示に従って運転し、ようやくおもとさんの墓に到着した。Aさんが示した塔婆には、「寺尾根堂守尼僧藤澤もと明治二十三年四月二十三日信州の生家の寺で没(平成十九年建)」と記されている画像が残っていた。これが塔婆の裏面らしい。

改めて、当時の写真を整理してみると、現代の墓の裏側にぽつりと一つだけ墓があり、その左手に、石像が二体立っている。その石像も素朴で苔むしており、刻まれた文字も判読できないほどである。その墓の脇に「国定忠治之愛妾 藤澤素貞尼百十七回忌」と書かれた塔婆が立っている。その塔婆にもAさんの名前があった。墓の地際を見れば、誰か花を供えたようだ。現代の墓にも花が供えられているので、その関係者が供えたのだろうか。

忠治の処刑が嘉永3年(1850年)。素貞尼の没年明治23(1890)年。忠治の死後40年尼僧として生きたという事なのだろうか。素貞尼の墓が高山村にあるのも何か理由があったのだろう。二体の石像については何も聞かなかったが墓碑建立以後なのか。石像にも刻字があるが写真からは判読できない。図章的には千手観音のように見える。向かって右の合掌している方は、手の数が多く裳裾がスネまでしかなく顔も男性らしく見える。別の方は合掌せず、手の数が少なく数珠を持っており、裳裾は足の甲まで降りており顔はふっくらとして女性らしく見える。

そうすると、この二体の石像は男女を現しているように見えてくる。そうであれば、その石像を建てた人は、そこに忠治と素貞尼の姿を見たのだろうかと想像したくなる。菊池徳が忠治の墓を建てたのも史実だろう。素貞尼の墓と二体の石像を誰かが建てたのも史実だろう。菊池徳が死亡したのは、明治22(1889)年。菊池徳と素貞尼の生きた時代と没年があまりにも近いのでびっくりした。

酔雲庵―侠客国定忠次一代記 創作ノート(http://www.suwiun.net/newpage136.html)によれば、忠治をとりまく女性として、「6.お鶴・お町・お徳・お篠・お貞の略歴」を紹介している。忠治研究一筋に60年のAさんは「高山村の忠治最後の妾おもとさん」と資料に書いているが、もっと詳しいことを知っていたのだろう。あらためて、Aさんまでも虜にしてしまった国定忠治の魅力は何だったのかと思う。
Bopix_fujisawamoto_bohi_6pix


ページ先頭へ飛ぶ

2013年7月 6日 (土)

残照雑記:「国定忠治終世の地大戸見学日程」の思い出(7)=大戸の忠治地蔵と一場商店

2013年7月6日(土)
昨日は曇り一時微雨。最高気温(℃) 27.8 16:06。ざっそう句:旧型の パソコンいじり 迷宮へ。不安定な天気で宅内閑居。XP機に16GのUSBメモリー追加。そこへ満杯に近いUSBメモリーからデータをコピー。意外にも90分もかかった。その間、本の拾い読み。MTSファイルのデータ入手。動画らしいのでフリーソフトで再生。画面が安定せずフリーズしてしまう。来年WIN-XPのサポートが切れるので、練習の積もりでマウス無しで、WIN7ノートPCで再生。MEDIAPLAYERの初期化で手間取った。マウスを付けたらあっさり再生できた。WIN7ではMTSに対応しているようだ。10年前のパソコンの非力さを感じる。MTSは高画質動画ファイルのようだ。いくら綺麗でも人工画像は仮想現実でウソ・偽りが付きまとう。その点、目先に起こる現象こそ真実・現実なのだ。WIKIPEDIA「4K解像度。(http://ja.wikipedia.org/wiki/4K%E8%A7%A3%E5%83%8F%E5%BA%A6)」。高画質になればなるほど、画像は現実に近づくが、ウソがばれやすく、コストは増大するというパラドックスがある。中身の乏しいコンテンツを高画質で見るほど寒々しい思いがする。

2013年7月5日の天気(AMEDAS)

TAVE= 25.1 NO DATA
TMAX= 27.6 最高気温(℃) 27.8 16:06
TMIN= 23.2 最低気温(℃) 23.0 07:39
DIFF= 4.4  
WMAX= 1.5 最大瞬間風速(m/s)(風向(16方位)) 4.1(西南西) 13:20
SUNS= 0.2 NO DATA
RAIN= 1 NO DATA

Q
Q

残照雑記:「国定忠治終世の地大戸見学日程」の思い出(7)=大戸の忠治地蔵と一場商店

日程の第8番目には、大戸の忠治地蔵と一場商店とある。Aさんの案内で忠治地蔵まで来るとその周辺には幾つかの記念碑が建立されていた。また、小さな売店があり、そこで休憩した。この売店の関係者が何代かに渡って忠治地蔵の管理をしているとの事であった。

また、この忠治地蔵の後方に建てられた塔婆を見ると、Aさんの名で講演出張60回記念と書かれていたのでAさんが奉納したものと分かった。あの立派な石の記念碑には比べようはないが、Aさんの資料に書かれたAさんの気持ちが伝わってくるような感じがした。

忠治地蔵の周辺が処刑の場だったか、埋葬の場であったか聞くゆとりはなかった。Cさんも忠治地蔵の関係者とのつき合いがあり、忠治の遺骸埋葬の様子に関して何かしら聞いた事があったらしい。又聞きで、今となってははっきり思い出せないが、処刑後の遺骸は手厚く葬られていたらしいとのことであり、忠治地蔵を見てほっとした。それにしても、初めてみた忠治地蔵の、三度笠に合羽、草鞋を首にかけた姿は、余りにも哀れな姿に感じた。デジカメ画像を再度見てもその印象に変わりはない。

忠治との関わりは人それぞれ。虚像を見ているのか実像を見ているのか判然としない時もあるだろう。極論すると凡人はほとんど虚像しか見ることができないのかも知れない。それは理性の世界のこと。四人は忠治地蔵に線香を手向けて次の目標に向かった。
Bopix_cyuujijizou_baiten_4pix_m


ページ先頭へ飛ぶ

2013年7月 5日 (金)

残照雑記:「国定忠治終世の地大戸見学日程」の思い出(6)=女石と関所の抜け道

2013年7月5日(金)
昨日は曇り。最高気温(℃) 28.5 16:41。ざっそう句:牡丹杏 幼き頃の 拾い食い。圃場整理。ヤブガラシの根掘り。果樹に這い上がった蔓を辿り根本を掘れば必ず掘れるのだがそれを怠ると年々根茎が太って行く。その根茎が地下を這い回っているが、直接見えない。見ようとすれば、心眼で見る以外にない。スモモが落果していたので、拾い食いした。完熟なのでうまい。子供の頃余所の家のスモモを拾って食べたのを思い出した。当時牡丹杏と呼んでいたと思う。広辞苑によると「スモモの一品種」とある。なんじゃこりゃ。

201374日の天気(AMEDAS

TAVE= 24.5 NO DATA
TMAX= 28.1 最高気温(℃) 28.5 16:41
TMIN= 20.7 最低気温(℃) 20.5 04:58
DIFF= 7.4  
WMAX= 2.8 最大瞬間風速(m/s)(風向(16方位)) 4.7(東南東) 19:06
SUNS= 1.5 NO DATA
RAIN= 0.5 NO DATA

デジタル大辞泉の解説=「ハタンキョウの別名。」。
大辞林 第三版の解説=「植物の,スモモの栽培品種。 [季] 夏。」。
goo辞書=「はたん‐きょう〔‐キヤウ〕【×巴旦×杏】
:1 スモモの一品種。実は大形で先がとがる。とがりすもも。牡丹杏(ぼたんきょう)。《季 花=春 実=夏》「ひと籃(かご)の暑さ照りけり―/竜之介」
2 アーモンドの別名。」

調べるほど分からなくなった。漢字源で「杏」=「あんず」。すももの漢字は「李」。昔のスモモはアンズより小さかった?品種改良で大きな実が生るスモモを実が大きいアンズに例え、更に牡丹(花が大きい)という美称を付けて呼びなおしたものか。「牡丹李」では呼びにくい。バーバンクがスモモの品種改良をしたのを思い出した。

WIKIPEDIA「ルーサー・バーバンク。(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%82%B5%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%83%90%E3%83%BC%E3%83%90%E3%83%B3%E3%82%AF)」
日本語版WIKIPEDIAにはスモモの記述無し。

WIKIPEDIA「Luther Burbank。(http://en.wikipedia.org/wiki/Luther_Burbank)」
果樹の品種改良では「113 plums and prunes」の新品種を育成して筆頭。「Burbank's most successful strains and varieties include the Shasta daisy, the Fire poppy, the July Elberta peach, the Santa Rosa plum, the Flaming Gold nectarine, the Wickson plum, the Freestone peach, and the white blackberry. 」スモモのサンタ・ローザもバーバンクの育成品種。

Q
Q

残照雑記:「国定忠治終世の地大戸見学日程」の思い出(6)=女石と関所の抜け道

日程の第7番目には、女石→関所の抜け道の入り口とある。女石とは女性のシンボルの形をした石らしい。写真を探したが普通の石にしか見えないが石が写った画像があった。昔は、それが抜け道(近道)の目印だったのかもしれない。すでに、廃道になっているのか道の存在は想像できなかった。さらに水牢の跡と言う場所も説明して貰った記憶があるが。確か、水牢は罪人を自白させたりする目的で使われたとか。多分、WEB情報では、東吾妻町 指定文化財一覧(http://www1.town.higashiagatsuma.gunma.jp/www/contents/1346140548768/index.html)の中の「池の薬師水牢の跡」の事と思われる。

Bopix_onnaisi_q_2pix


ページ先頭へ飛ぶ

2013年7月 4日 (木)

半端道楽(愛しきもの 植物):ワラビの中で頑張るスカシユリ

2013年7月4日(木)
昨日は曇り。最高気温(℃) 25.1 15:29。ざっそう句:ネジレこそ 耐震補強の つっかい棒。朝方は定例の仕事。走り雨があったが、無事終了。休憩後畑のツル退治・除草。ヤブガラシの根を堀上げる。桃が色付き始めている。色づきの良い実にはシンクイムシが入っていた。本日参議院議員選挙の告示日とか。ネジレが諸悪の根元のように言われているが、果たして本当か。国民一票・一票の投票の結果なのだ。政治はその現実を冷静に受け止めて行うべきではないか。政界が思惑と迎合で動き出したら、液状化を起こしてあらぬ方向へ突っ走る。既にその前触れも起こった。戦前のドイツ・イタリア・日本は熱狂の余り常軌を逸してしまった。その背後に社会不安がある。本日、7月4日はアメリカの独立記念日。1776年の独立以来237年目。中学時代、英語教科書:「Jack and Betty」でアメリカの独立記念日を学んだ記憶がある。日本ヨ、アメリカよどこへ向かうのか。

2013年7月2日の天気(AMEDAS)

TAVE= 22.8 NO DATA
TMAX= 24.6 最高気温(℃) 25.1 15:29 
TMIN= 21.3 最低気温(℃) 21.1 09:22 
DIFF= 3.3  
WMAX= 2.4 最大瞬間風速(m/s)(風向(16方位)) 5.8(東北東) 01:02 
SUNS= 0 NO DATA
RAIN= 0.5 NO DATA

WIKIPEDIA「アメリカ合衆国。(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%A1%E3%83%AA%E3%82%AB%E5%90%88%E8%A1%86%E5%9B%BD)」によれば、「アメリカ合衆国(アメリカがっしゅうこく、英語: United States of America)、通称アメリカ、米国(べいこく)は、北アメリカ大陸および北太平洋に位置する連邦共和国である。 イギリスの北米植民地が1776年7月4日に独立を宣言して成立した国家で[5]、独立宣言において全ての人民の権利と平等をうたい政府をその保障手段と明確に位置づけ、建国時から1964年までは奴隷制のような矛盾を抱えつつも、ロックらの人権思想を理念的基盤として歩んできた歴史を有する。少数のネイティブ・アメリカンと呼ばれる先住民以外の国民は、主にユーラシア大陸からの移民もしくはアフリカ大陸から奴隷貿易によって強制連行された者の子孫である。そのため、その母体になった国々や、その他多くの国家の特徴を経済的、政治的、軍事的、そして文化的にも合わせ持っている。政治的な統治形態としての民主主義、自由主義、共和制、議会の二院制、行政府の大統領制、立法・行政・司法の三権分立制、経済制度としての資本主義を採用している連邦国家の1つである。 国土は、北アメリカ大陸中央部の大西洋と太平洋に挟まれた本土(48州と連邦政府直轄地である首都ワシントンD.C.)、大陸北西部のアラスカとアリューシャン列島(アラスカ州)、太平洋のハワイ諸島(ハワイ州)。さらに本国の他に、プエルトリコやグアム島などの海外領土を領有する。アラスカとハワイを除く本土は、北はカナダ、南はメキシコと隣接。アラスカ州はベーリング海峡を挟んでロシアと接する。」。

人口総計(2012年) 3億1038万[3]人(3位) ;人口密度 33.7人/km2

WIKIPEDIA「ベニート・ムッソリーニ。(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%99%E3%83%8B%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%BB%E3%83%A0%E3%83%83%E3%82%BD%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%8B)」

WIKIPEDIA「アドルフ・ヒトラー。(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%89%E3%83%AB%E3%83%95%E3%83%BB%E3%83%92%E3%83%88%E3%83%A9%E3%83%BC)」

WIKIPEDIA「大政翼賛会。(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E6%94%BF%E7%BF%BC%E8%B3%9B%E4%BC%9A)」

開隆堂ホームページは、「会社案内。http://www.kairyudo.co.jp/contents/07_company/index.htm())」で、「開隆堂は大正15年(1926年)に創立し、昭和21年(1946年)に開隆堂出版株式会社として設立されました。以来、検定教科書(英語、図画工作、美術、家庭、情報)と学習教材、一般書等を創り続けています。     初の民間会社だからこそ、“教育”にかける情熱があります 昭和23年(1948年)、それまで国定だった教科書制度は検定制度へと移行しました。 開隆堂は民間教科書会社の第一号として、そのときから本格的に教科書出版に取り組み始めました。 まず最初に発行した教科書が、英語教科書「Jack & Betty」です。 みなさんの中にもご存知の方がいらっしゃるでしょう。この「Jack & Betty」は、その後20年以上にわたって親しまれ、おかげさまで発行部数4,000万部を超える教科書のベストセラーとなりました。「Jack and Betty」がこれほどまでに受け入れられたのには、理由がありました。」と報じた。


半端道楽(愛しきもの 植物):ワラビの中で頑張るスカシユリ

庭にワラビを植えたら予想外に増殖。草丈も1m位になり大失敗。WIKIPEDIAによるとワラビは酸性土を好むらしいので、庭はかなり酸性に傾いているのかもしれない。

WIKIPEDIA「ワラビ。(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AF%E3%83%A9%E3%83%93#.E9.A3.9F.E7.94.A8)」によれば、「ワラビ(蕨、学名:Pteridium aquilinum)はシダ植物の1種。コバノイシカグマ科であるが、かつてはイノモトソウ科に分類されていた。草原、谷地、原野などの日当たりのよいところに群生している。酸性土壌を好む。山菜のひとつに数えられている。 春から初夏にまだ葉の開いてない若芽(葉)を採取しスプラウトとして食用にするほか、根茎から取れるデンプンを「ワラビ粉」として利用する。ただし、毒性があるため生のままでは食用にできない。伝統的な調理方法、熱湯(特に木灰、重曹を含む熱湯)を使いあく抜きしたワラビや塩漬けでは無毒化される。」。

「日々農天気(愛しき雑草):ワラビの生えた庭はジュラシックパーク?(http://af06.kazelog.jp/itoshikimono/2013/04/post-7acf.html)。(2013年4月16日火曜日)」

最近、この強敵のワラビの中で以前植えたスカシユリが咲き出した。ユリは、背丈より低い雑草なら押しのけて咲くようだが、サスガに背丈以上の相手にはかなわない。少し日光を当ててやらないと先々衰弱しそうだ。いつか株の周辺のワラビを刈らなくては。ともかく日陰のような環境で咲いているだけ鮮やかに感じる。
Ioi_sukasiyuri_130620_2pix
ioi_sukasiyuri_130620_2pix.jpg
IOI=IMAGES ON ITOSHIKIMONO


ページ先頭へ飛ぶ

2013年7月 3日 (水)

残照雑記:「国定忠治終世の地大戸見学日程」の思い出(5)=加部安大尽の屋敷跡

201373()
昨日は曇り時々晴れ。最高気温() 29.5 13:37。ざっそう句:ヒラリヒラ オハグロトンボ 飛んでった。二回目に播いたトウモロコシ区画除草。下仁田ネギ区画除草。トウモロコシ施肥。鉄砲ユリ、ニンジン区画除草。ジニア移植。雑草との格闘は終わることがない。その雑草の中に、トマトやナスが発芽している!夕方買い物。

201372日の天気(AMEDAS

TAVE= 24.3 NO DATA
TMAX= 28.8 最高気温(℃) 29.5 13:37 
TMIN= 21.2 最低気温(℃) 21.1 05:22 
DIFF= 7.6  
WMAX= 4.3 最大瞬間風速(m/s)(風向(16方位)) 8.3(東南東) 14:11 
SUNS= 3.3 NO DATA
RAIN= 0 NO DATA

Q
Q

残照雑記:「国定忠治終世の地大戸見学日程」の思い出(5)=加部安大尽の屋敷跡

日程の第6番目には、加部安大尽の屋敷跡とある。その一部が資料館になっているようだ。屋敷の頑強さを示すのがその石垣。当時、武家以外の石垣は丸石積みしか許されなかったそうだ。ところが、加部安屋敷の石垣は切石がその要所に使われている。

加部安左衛門は代々襲名されたようで、Aさんの説明では、加部安左衛門は明治の頃横浜に事業の中心を移して、地元の家業は疎かになったとの事だ。WEB情報では生糸商を営んだようだ。最近、富岡製糸場と絹産業遺産群がユネスコの歴史的産業遺産登録で脚光を浴びているが、富岡製糸場は官業の二次産業の部分を受け持っている。残りの三遺産がいわば民営の一次産業の部分だろう。絹産業の第三次産業部門が通商関係だが、その部分にどんな遺産が残っているのか。ともかく、絹産業の通商分野も注目する必要があるだろう。

明治の国力を支えた絹の国際的通商という点で、加部安左衛門がどのような活動をしたのか興味があるところだ。更に俳句にも傾注したとの事(琴堂:きんどう・加部かべ、名主/俳人)。もう一人、自分が注目している群馬県出身の人物で通商で成功した人物に伏島近蔵がいる。横浜の発展に大きく貢献した事より、群馬県より横浜の恩人として横浜での知名度が高いのではないか。

大正用水史によると、伏島近蔵は大正用水の開鑿アイデアも持っていたとの事だ。

WIKIPEDIA「伏島近蔵。(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BC%8F%E5%B3%B6%E8%BF%91%E8%94%B5#.E9.A0.8C.E5.BE.B3.E7.A2.91.E3.81.A8.E9.8A.85.E5.83.8F)」

「加部琴堂 とは - コトバンク(http://kotobank.jp/word/%E5%8A%A0%E9%83%A8%E7%90%B4%E5%A0%82)」に、「加部琴堂 かべ-きんどう:1829-1894 幕末-明治時代の豪商,俳人。
文政12年生まれ。上野(こうずけ)(群馬県)大戸村の人。加部安左衛門12代目。俳諧(はいかい)を志倉西馬(さいば)に,国学を橘守部(たちばな-もりべ)に,儒学を亀田綾瀬(りょうらい)にまなぶ。安政5年(1858)横浜開港に際し,横浜に出店し生糸・麻などをあきなった。のち高崎に移住。明治27年5月9日死去。66歳。名は嘉重。別号に一籟居,屏山桜。句集に「穂長集」。」とある。

実業人から、さらに文化人への転身というのは、群馬では珍しいのではないか。それほど群馬県は文化のレベルが低いのだろうか。そういう点では、加部安左衛門も群馬文化のパイオニアとして注目に値するだろう。
Bopix_kabeyasu_yasikiato_3pix_2 


ページ先頭へ飛ぶ

2013年7月 2日 (火)

残照雑記:「国定忠治終世の地大戸見学日程」の思い出(4)=道しるべ石と大戸の関所跡

201372()
昨日は曇り。最高気温() 28.9 15:22。ざっそう句:本命が ダメでその他が 盛り上がる。自由外出。案内のハガキを貰ったので出かけた。コースを間違えば、道を覚える。本命がだめなら、その穴埋めを考える。まさに自由外出。さて、昨日の暦(六輝)を見ると「先負」であった。その解は、午前凶、午後吉。何事も結果論は面白くない。実は、密かに練っていた次の一手が奏功した。

201371日の天気(AMEDAS

TAVE= 23.9 NO DATA
TMAX= 27.4 最高気温(℃) 28.9 15:22
TMIN= 21.5 最低気温(℃) 21.5 06:27
DIFF= 5.9  
WMAX= 3.7 最大瞬間風速(m/s)(風向(16方位)) 7.3(東) 19:22
SUNS= 0.9 NO DATA
RAIN= 0 NO DATA

Q
Q

残照雑記:「国定忠治終世の地大戸見学日程」の思い出(4)=道しるべ石と大戸の関所跡

日程の第4番目には、文化八年の道しるべ石、抜け道の入り口北とある。東吾妻町 指定文化財一覧(http://www1.town.higashiagatsuma.gunma.jp/www/contents/1346140548768/index.html)によると、「矢竹・塩ノ平の道標(東吾妻町須賀尾・大戸)」に相当するものかもしれない。これも画像は残っていない。と思っていたが、日程とルートは一致していないのでややデータの並び場所が異なっていた。
Bopix_michisirube_2pix

日程の第5番目には、大戸の関所跡とある。ここが、見学の目玉である。残念ながら、国定忠治の処刑された地点がどこなのか聞くのを忘れた。また、処刑された国定忠治の遺骸の行方も諸説あるようだ。

かつて、高橋敏著「国定忠治」(岩波新書)を読んでその処刑の場面を思い浮かべた記憶がある。大戸は国定忠治処刑の地であり、慰霊の地でもあるようだ。国定忠治処刑の罪名が関所破りであるので、大戸が処刑地に選ばれたという説もあるようだが、真相はどうなのだろうか。当時既に、関所を通らなくても済む近道もあったらしい。関所も通関すべき者はその理由を示して通らねばならないという掟を守らせる手段であったが、影響力の乏しい平民は、近道を使っても目をつむっていたのだろうか。
Bopix_oodonoseki_3pix_2


ページ先頭へ飛ぶ

検索サイト

NANDA?⇒物臭検索

  • ラベル(タイトル):最初は何も分からない
    なんだこりゃ?作成当時の記憶

エネルギー関係

ウェブページ

更新ブログ

PHOTO2(写真集)

  • Iob_fujijyuukouentotu
    たまたま出会ったもの2

PHOTO4(写真集)

  • Iob_minitomatodaruma
    果樹・野菜・花等

PHOTO5(写真集)

  • Iob_senteihasami_funsitu_sabi
    現在使われなくなった機器、農具、ガラクタ等。

PHOTO6(樹木等)

  • Iob_sendan_kiru_2013
    樹木の縮伐カット&トライetc

PHOTO7(写真集)

  • Iob_kaiko_ga_gazou
    BLOG関連写真2
フォトアルバム

MIKAN KUN

  • 赤城連山MAP
  • Fight_Fukushima
  • ISESAKI_PIGEON
  • MIKANKUN

Copyrighit

  • © Copyright 2006-2024  af06.kazelog.jp  All rights reserved.

健康関係:リンク&検索等

Favorites2

Favorites

Favorites3

Favorites4

やさしい科学・SCIENCE

  • 日経サイエンスのウェブページ
    「日経サイエンス」とは:「日経サイエンス誌は,1845年に創刊された長い歴史と伝統を持つ米国の科学雑誌「SCIENTIFIC AMERICAN」の日本版で,世界の最先端の科学技術動向を日本の読者に届けています。」
  • SCIENCE IS FUN in the Lab of Shakhashiri
    University of Wisconsin-Madison Chemistry Professor Bassam Z. Shakhashiri のサイト

みかん栽培関係情報

ISESAKI  有情2

ISESAKI  有情1

嗚呼 伊勢崎 非情

BOOKS

  • 橋本 英文: 刃物雑学事典 図解・刃物のすべて(1986年 株式会社 講談社 ブルーバックス B-659)
    刃物という視点で多くの事例が取り上げられている。刃のある道具の理解にも役立つ。類書が少なく貴重な一冊。「すべり変形が切断の原理」という考え方で説明している。
  • 沼田 真   : 植物たちの生( 1972年 岩波新書(青版 833))
    「ご要望にお応えしてアンコール復刊(1988年岩波新書50年記念復刊) 地球生態系の中で自然を見直す」(腰巻きのフレーズ)。植物の知恵と戦略に人類は勝てるのか。
  • 出町 誠: 14_NHK趣味の園芸:よく分かる栽培12ヶ月  カキ(NHK出版2007年)
    初心者向け柿栽培参考書(新版)。旧版と比較すると楽しい。
  • 中村三夫: 13_NHK趣味の園芸:作業12ヶ月  カキ(NHK出版1996年)
    初心者向け柿栽培参考書(旧版)。新版と比較すると楽しい。
  • 山科正平: 12_細胞を読む   電子顕微鏡で見る生命の姿
    細胞はどんな部品からできているのか。そんな疑問に答えてくれる一冊。何事も形を見るのが第一歩。μからÅオーダーの世界で、細胞をメスで解剖するように、電子顕微鏡というメスで解剖して見せてくれるので興味が尽きない。
  • 柳田充弘: 11_細胞から生命が見える
    著者の専門は分子生物学、細胞生物学。普段生物を考えても細胞レベルで止まってしまう。その細胞の中で色々な分子が働いている。細胞こそ生命の基礎だが、その細胞の中の動きを知るのに最適な一冊。疑問の発端はなぜ発根剤が効くのかということ。薬剤が細胞膜を通過して細胞内で分子と分子が作用するイメージができた。本書でできた細胞のイメージは小さな無数の穴が空いた水分が充満したヨーヨーのようなもの。そのヨーヨーの中に分子部品が詰まっている。細胞自体もタライの中のヨーヨーのように浮かんでいる。細胞図面の空白部は真空でなく水分だ。細胞の内外に水がないと細胞は生きられない。水が生命のゆりかごだ!
  • 野口悠紀雄: 10_ホームページにオフィスを作る(2001年 光文社)
    ITが輝いた時代の作品。HPの活用法は参考になる。参考:url=http://www.noguchi.co.jp/(野口悠紀雄 ONLINE)
  • 小池洋男 編著: 09_果樹の接ぎ木・さし木・とり木(農文協:2007/3/31第1刷)
    やや専門的であるが、実務専門化が分担執筆しており、その場で役に立つ一冊。
  • ノーバート・ウィーナー(鎮目恭夫訳): 08_サイバネティックスはいかにして生まれたか(みすず書房1956)
    情報と通信という現代社会に不可欠の基礎的な学問を作った著者の自伝とそれを通した科学史
  • 沼田 真(編): 07_雑草の科学(研成社1979)
    雑草を多面的に解説し防除の基礎も述べる

外国の博物館・美術館 外国語・国際関係(リンク)

TOOLS

地域産業・機関

地域興し関連情報

MEMO_TL_TEST

  • TOP PAGEの 「アクセスランキング(2015/6/8より表示再開)」へ飛ぶためのラベル
  • TEST END
    TEST_H23/10

アクセスランキング

リンク:ページ先頭へ飛ぶ

写真集へのリンク

MEMO 海外の博物館・美術館

  • https://www.artic.edu/collection?place_ids=Japan&page=6
  • 項目のタイトル2
    POST IT :ブログ画面への張り紙に使える。
  • TYPE LIST事始め
    2010/8/4:MEMO等の表示に使える。 農作業で気になる自戒の言葉 ■畑の石ころはいつまで経ってもても石ころ(早く拾って片づけよという意味か)。 ■同じ石を二度拾うな(やってみると難しい)。 ■手ぶらで歩くな。 ■三つ先のことを読め。 ■適当な観察。 ■空を見よ(気分転換、休憩、天気を読む、腰曲がり防止)