« 2015年3月 | メイン | 2015年5月 »

2015年4月

2015年4月20日 (月)

環境雑録:半端道楽:カブトムシの幼虫を動画捕獲;春草の 根っ子は頑固 見かけより。

2015年4月20日(月)
昨日は晴れ後曇り一時微雨。最高気温(℃) 19.1 13:42。最低気温(℃) 6.0 04:36。ざっそう句;春草の 根っ子は頑固 見かけより。畑で草退治と種まき。午後用事外出。ついでに買い物。昨年、自働蒔きダイコンの種子を採取した。その分、こぼれ種は少なくなる。段ボール箱にその種をしまいこんでいたのが見つかった。ダイコンの種は菜種のようにはぜないので莢から取り出すのに手間がかかる。また種子の大きさも菜種より大きい。そのためか種子の価格はダイコンの方が高い。ゴム手袋をして莢を揉み砕いて種子を抽出。莢も経時変化で割れやすくなる。フルイでゴミを除いて精選。蒔く場所は枯れ草と生育中の草で覆われている。その草を取り除くのに骨が折れた。春草は見かけは弱々しくみえるが、冬を乗り越えてきただけあって、根が強く張って意外に頑固なのだ。種子はバラ蒔き。こぼれ種で育つダイコンを自働蒔きダイコンと呼んでいる。結構良い物が出来る。手間は余りかからないが出来る場所を選べないしスペースの利用効率も良くない。今後は採種した莢ごと使わないスペースに蒔く、半自働蒔きダイコンも面白そうだ。

2015年4月19日の天気(AMEDAS)

TAVE= 13.2 NO DATA
TMAX= 18.6 最高気温(℃) 19.1 13:42 
TMIN= 6.5 最低気温(℃) 6.0 04:36 
DIFF= 12.1  
WMAX= 2.7 最大瞬間風速(m/s)(風向(16方位)) 5.0(北西)   17:42 
SUNS= 2.1 NO DATA
RAIN= 0.5  

Q
Q

環境雑録:半端道楽:カブトムシの幼虫を動画捕獲

先日、越冬のために掘った穴から種生姜を掘り出した。トロ箱やその周辺には、保温・通気確保のため、落ち葉や枯葉を敷いた。その落ち葉等を餌にして育ったのか、カブトムシの幼虫が一匹出てきた。

種生姜は、大半が腐っていて、気が滅入ってしまった。そこで、気分転換にカブトムシの幼虫をデジカメで動画撮影した。10年以上古い機種だが、動画撮影可能だあった。その場になって、初めて使った機能だが、何とか写っていた。フォーマットはAVIだ。サイズを減らそうと、画質を落として、MPEGⅡに変換したが、余り効果はなかった。

MOB_KABUTOMUSI-YOUCYUU.mpgをダウンロード

サイズ:3.06 MB (3,211,264 バイト)
時間:約22秒

昆虫の足は6本だが、この動画を見ているともっと足が多そうだ。調べて見ると幼虫の腹の部分に腹脚というのがあるらしい。成虫になると、それを捨ててしまうのか。成虫なら羽があって、飛べるのだから、腹脚を失っても余りありという事か。

ページ先頭へ飛ぶ

 

2015年4月19日 (日)

ツルよ 飛んでおくれ:ああ、八ッ場ダム(八ッ場館見学の記憶);蕨植え 庭を野にする アホな奴。

2015年4月19日(日)
昨日は晴れ。最高気温(℃) 21.6 14:29。最低気温(℃) 4.3 05:15。ざっそう句;蕨植え 庭を野にする アホな奴。昼過ぎ軒下の気温が22℃だった。農作業には絶好な天気。庭の蕨の葉が開き始めた。山野にあれば大きくならないのか。平地だとかなり伸びる。ほとんど食べないのでどんどん増える。たまたま直売所で苗を見つけて買ったが花も咲かず庭を占領するので大失敗だった。鶴嘴で蕨を堀りあげタマスダレを移植。沖縄ゴーヤと地這いキュウリをポットに蒔く。元肥は微量の鶏糞。サトイモの植え付け準備。カナムグラを掻き切り、ノビルを移植。ノビルは畑の厄介者だが、昔は良く食べた。ミカンの接ぎ木苗を移植。花芽が着いていた。畑に生えている三色スミレを見える場所に移植。蕗を移植。最後に、サニーレタス、カキ菜、ダイコンの花茎、ウドを収穫。まとまりのない仕事で一日がすぎた。

2015年4月18日の天気(AMEDAS)

TAVE= 13.6 NO DATA
TMAX= 20.9 最高気温(℃) 21.6 14:29 
TMIN= 4.7 最低気温(℃) 4.3 05:15 
DIFF= 16.2  
WMAX= 3.4 最大瞬間風速(m/s)(風向(16方位)) 7.7(東南東)   13:00 
SUNS= 11.5 NO DATA
RAIN= 0  


Q
Q

ツルよ 飛んでおくれ:ああ、八ッ場ダム(八ッ場館見学の記憶)

民主党政権の「コンクリートから人へ」というスローガンで、八ッ場ダムの工事が一時ストップした。政権が代わり、その工事が再開されている。以前、生涯学習の一貫として、やんば館や八ッ場ダムで水没する場所を見学した。
Iob_yanbakan2010 

「ツルよ 飛んでおくれ(愛しき古里):ああ、あの吾妻渓谷もダム底に消えてしまうのか?(http://af06.kazelog.jp/itoshikimono/2013/06/post-1529.html)。(2013年6月24日 (月))」

日テレニュースは、「63年を経て…群馬・八ッ場ダム正式着工。;http://www.news24.jp/articles/2015/01/22/07267713.html。(< 2015年1月22日 15:24 >))」というタイトルで、「民主党政権が一時、建設中止を決めた群馬県の八ッ場(やんば)ダムで22日から建設工事が本格的に始まった。 工事は群馬県長野原町にある八ッ場ダム建設予定地の吾妻川左岸で、水をせき止めるダム本体を建設するために爆薬で地盤を砕く作業から始まった。八ッ場ダムは、1952年、利根川の洪水対策として建設計画が持ち上がり、2009年に民主党政権に交代した際、一旦、建設が中止となったが、今回、計画から63年で正式に着工となった。」と報じた。

WIKIPEDIAによれば、「利用目的:洪水調節・不特定利水・上水道・発電 」との事だ。「不特定利水」の意味が良く分からない。河川は利根川水系の吾妻川 。「やんば館(やんばかん)は群馬県吾妻郡長野原町にかつてあった八ッ場ダムの広報センターである。2013年4月27日に営業を終了し、広報センターの機能は同日開館した道の駅「八ッ場ふるさと館」内に移転した。」との事だ。

WIKIPEDIA「八ッ場ダム。(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%AB%E3%83%83%E5%A0%B4%E3%83%80%E3%83%A0)」

すでに、ダム本体の工事も始まっているようだ。八ッ場ダム全体の土木工事の中でも、ダムの本体工事が最大の山場であり、ダムの目的からも技術的にも最も重要に違いない。ただ、一般市民は、その技術的な内容を理解する術が無い。八ッ場館には、「一番太い鉄筋」というパネルとその一部が展示されていた。湖面二号橋の橋脚に使われているD51という呼称の鉄筋で直径が51mm、1m当たり15.9Kgの重さとある。それでは、ダム本体にはどんな鉄筋が使われているのだろうか。

関東地方整備局 河川部 は、「八ッ場ダム本体建設工事の落札決定について。;http://www.ktr.mlit.go.jp/kisha/river_00000134.html。(平成26年 08月07日))」というタイトルで、「 平成26年1月8日に入札公告を行い、一般競争入札に付した八ッ場ダム本体建設工事については、8月4日に入札を締め切り、8月6日に開札を行い、本日(8月7日)落札決定しましたのでお知らせします。 落札者及び入札価格は下記のとおりです。 なお、所定の手続きを経て、落札者と工事請負契約を締結する予定です。  記 落札者:八ッ場ダム本体建設工事清水・鉄建・IHI異工種建設工事共同企業体; 入札価格:34,250,000,000円(税抜き)」と報じた。

これからも、工事が進んで行くだろうが、八ッ場ダムの評価が定まるのは、まだまだ先になるのかも知れない。それにしても、34,250,000,000円はすぐ読めない。342億5千万か。

メモ:表の挿入で手抜きを試したが、BLOG EDが想定外の動きをして、入力段落が無くなり、ベタ入力状態になってしまい、戻すのに余計な手間がかかった。table bordercolor="#a0522d" border="1"表の枠は黒に表示された。再度、編集して保存すると茶色で正常に戻った。

ページ先頭へ飛ぶ

2015年4月18日 (土)

ハトよ 鳴いておくれ:ああ波志江沼:全国都市緑化ぐんまフェアinいせさき(2008);種生姜 腐って捨てて 元取れず。

2015年4月18日(土)
昨日は晴れ時々微雨。ざっそう句;種生姜 腐って捨てて 元取れず。先日、越冬のため穴を掘り保存した種生姜を堀り出した。水分過多で腐っていた。昨日、種として使えそうな根を選別。2~3割しか残らなかった。とりあえず、予定区画をきれいにして植え付けた。生姜栽培は一度も成功していない。晴れたと思ったら雨になり、また晴れると言うような不安定な天気だった。クスノキの新芽が出てきた。それと同時に、古い葉が落ちる。クマデでかき集めて清掃。ショウガ、サツマイモ等南方の作物で寒さに弱いようだ。なぜ、腐ったか。腐る前に細胞が死ぬか弱まり、それを低温腐敗菌がたべるので腐るのか。WEB情報によると、保湿のため濡れた新聞紙にくるんでトロ箱に密封して越冬させる例があった。今回は、トロ箱に入れて落ち葉をかけたが、酸素補給のため蓋はしなかったので、水分が侵入したようだ。やはり、一種の低温障害が腐敗の引き金になったのか。それにしても、種生姜を食べた方が効率が良いとは、トホホだ。

「日々農天気:サツマイモの低温障害(腐敗)はなぜ起こる?大仮説 二度ある事は 三度ある。(http://af06.kazelog.jp/itoshikimono/2014/12/post-d1cc.html)。(2014年12月25日 (木))」

2015年4月17日の天気(AMEDAS)

TAVE= 14.0 NO DATA
TMAX= 18.2 最高気温(℃) 19.3 13:35 
TMIN= 9.6 最低気温(℃) 9.4 23:53 
DIFF= 8.6  
WMAX= 9.6 最大瞬間風速(m/s)(風向(16方位)) 16.3(北西)   16:25 
SUNS= 5.5 NO DATA
RAIN= 0  

Q
Q

ハトよ 鳴いておくれ:ああ波志江沼:全国都市緑化ぐんまフェアinいせさき(2008)

ADSLを使っていると、画像サイズが大きいと、自分のBLOGでも送受時間がかかりすぎイライラする事がある。振り返ってみると、2008年頃はBLOGにほとんど画像を使っていない。過去の事を振り返るにしても、昔の写真を見る事はほとんど無い。

Iob_hasienumakouen2008 
昔の写真をスキャナーで読んで使おうかと考えたが、まだ実現していない。技術の進歩を振り返っても、最初にテキストありきに近いようだ。画像を扱うには、大きな技術進歩が必要だった。パソコンもDOSの時代が長く続いたが、WINDOWSになり、マルチメディアが脚光をあびた。とは言っても、CD-ROMに画像を入れる程度だった。ビデオでもダビング程度で、編集するには色々機材が必要で余り普及しなかった。BLOGで何とか画像が扱えるようになったのは、ついここ数年の事のように思う。パソコンのハードやOSの能力の向上によりそれが可能になった。今日ではスマホでほとんどの事ができてしまう。

表題の「全国都市緑化ぐんまフェアinいせさき」が開かれたのが2008年だったようだ。丁度、季候が良くなる四月下旬に、リレー式開催地の出発会場である、波志江沼環境ふれあい公園へ家族と見物に出かけた。その時の画像が残っていたので、まとめた。波志江沼環境ふれあい公園は一時、合併記念公園と呼ばれようとした事がある。あの大観覧車問題で騒然とした頃である。

早いもので、今年で合併10年を迎えて、そろそろ昔の歴史を語れる時が来たのかもしれない。合併記念公園という名称は大観覧車と共に過ぎ去ったようだ。公園としての整備も進み、今では冬の定番行事のイルミネーション等各種のイベント会場として多様に利用されるようになってきた。その先駆けとなったのが、「全国都市緑化ぐんまフェアinいせさき」だったかも知れない。公園の名称に含まれる、「環境」面を見ると、波志江沼は野鳥のサンクチャリーとしても親しまれているようだ。沼面に浮島を作って、積極的に野鳥のサンクチャリー作りをしたら面白いと思った事もあった。当時の画像を見ると園路橋に沿って、また下沼の北側では水道の給水塔を背景にして、ハンギンブバスケットならぬフローティングバスケットが写っている。

「ハトよ 鳴いておくれ(愛しき古里):あれは波志江沼の人気コンビかも(鴨)(http://af06.kazelog.jp/itoshikimono/2013/05/post-df96.html)。(2013年5月22日 (水))」

「ハトよ 鳴いておくれ(愛しき古里):あの木何の木「イセサキの木」(http://af06.kazelog.jp/itoshikimono/2013/05/post-5cac.html)。(2013年5月21日 (火))」

「波志江の民俗」によると、波志江沼(上、下)は本来は農業用の溜め池であり、地域の農業に重要な役割を果たしてきた。その基盤の上に、公園として整備され、新しい近代的な機能が付け加えられたと考えて良いだろう。環境の豊かさを示すのは、水や空気や草木と、そこに住む生物等で代表されるだろう。波志江沼環境ふれあい公園へ行くと知らず知らずの内に、環境の大切さに気付くのではないか。

ページ先頭へ飛ぶ

2015年4月17日 (金)

ツルよ 飛んでおくれ:前橋最善寺にある松野自得の句碑;助っ人に 振り回されて 草むしり。150417。

2015年4月17日(金)
昨日は晴れ。最高気温(℃) 23.2 13:36。最低気温(℃) 5.5 05:44。ざっそう句;助っ人に 振り回されて 草むしり。ようやく野良仕事に適した天気になった。通路に生えているタマスダレを掘り上げて、目立つ場所に移植。前触れも無くお手伝いがやってきた。キャベツ区画の除草をして貰った。普段農作業をしていないのでそのコツを教えるのが大変だ。ともかく昼前から夕方頃まで頑張ってもらった。自分は雑菜を除去し次の作業の準備。ジャガイモ区画の除草。ジャガイモの生育状況はかなりバラツキが大きい。早い物では軸が伸びて大きな葉になっているが、遅い物はまだ小さな芽が出た程度。初期成長の時に除草をしないと、草に負けてしまう。草に勝てる頃になったら手抜きをしたい所だ。カナムグラが多数発芽して育ち始めている。今年は、カナムグラの被害を受けないよう小まめに駆除をしよう。

2015年4月16日の天気(AMEDAS)

TAVE= 14.8 NO DATA
TMAX= 22 最高気温(℃) 23.2 13:36 
TMIN= 6.3 最低気温(℃) 5.5 05:44 
DIFF= 15.7  
WMAX= 3 最大瞬間風速(m/s)(風向(16方位)) 5.9(南東)   12:02 
SUNS= 8.2 NO DATA
RAIN= 0  

Q
Q

ツルよ 飛んでおくれ:前橋最善寺にある松野自得の句碑

以前、前橋の大室公園であるイベントがあった。ついでだから、勧昌寺があれば見ようと途中にある寺を訪問した。実は、「国定忠治を男にした女侠 菊地徳の一生」(高橋敏 著)に、菊地徳の旧居が勧昌寺へ移築されていると書かれていたので、運が良ければ見られるかもしれないと思ったのだ。

「国定忠治生誕200年(http://af06.kazelog.jp/itoshikimono/2008/10/post-a263.html)。(2008年10月18日 (土))」

Iob_kuhimatunojitoku 
勧昌寺の場所を調べた訳でも無く、お寺を探して境内を回っただけで、その寺の名前も忘れてしまった。最近、リフレシュのため古いデジカメ画像を眺めていて、「御仏は大地におわす八重桜 自得」と書かれている大きな句碑の画像を見付けた。この句は、新聞や郷土史の冊子でも出会った。調べて見て、ようやく松野自得が最善寺の住職で画家・俳人であると知り、なんとなく全体が見えてきた。立ち寄ったのは、勧昌寺ではなく最善寺だったようだ。

最善寺の境内には、俳句を刻んだ石の観音像がいくつもありその画像も残っているが、スケールから言えば、御仏は~の句碑は大きさや表現力の点で、他の観音像を圧倒しているように見える。

Googleでキーワード「松野自得」を検索(https://www.google.co.jp/webhp?tab=ww#q=%E6%9D%BE%E9%87%8E%E8%87%AA%E5%BE%97%E3%80%80&btnK=Google+%E6%A4%9C%E7%B4%A2)。

さて、「御仏は 大地におわす 八重桜」という句を読む人はこの句からどんなメッセージやイメージを受け取るのだろう。ヒマに任せて、電子辞書の歳時記を読む事があるが、高浜 虚子(たかはま きょし、旧字体:高濱 ?子、1874年(明治7年)2月22日 - 1959年(昭和34年)4月8日)の例句が多い。この句は、虚子の句とちょっと視点や表現が異なるように感じた。やはり、寺の住職をどこかで意識しているのか。

WIKIPEDIA「高浜 虚子(明治23年(1890年)~昭和50年(1975年))。(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AB%98%E6%B5%9C%E8%99%9A%E5%AD%90)」

松野自得(明治23年(1890年)~昭和50年(1975年))は、WEB情報によれば、「ホトトギス所属後、昭和3年に俳句雑誌『さいかち』を創刊し、その主幹となる。「古趣創生」を標榜。句集『自得俳句集』『第二自得俳句集』追悼句集『虹の座』。他に『自得随筆集』あり。代表句「風吹けば風から生れ赤とんぼ」」との事だ。

この句碑を見ていると、松野自得の集大成のように感じてくる。その句碑の裏側には古木がそびえているように見える。今度は、この古木も見たくなった。何とこの句碑は、大きな石を画布のように自由に使い切っている。さすがに画家だ。それよりも、周囲の風景や見えない心の風景までこの句に描き切っているようにも感じるのだ。

*************************

追記(2018/06/13):ランキング6位に入り再読。タイトルに記事の日付を追加。古い記事は検索で読まれるようだ。自分も検索しなければこの記事にたどり着けない。調べると、ブログ記事 3732 • ウェブページ 136 とあった。この記事を書いたのも国定忠治がその発端にあったようだ。菊地徳の旧居は現在の五目牛町にあった。

「勧昌寺について」(同寺ホームページへのリンク)

Googleにてキーワード「国定忠次OR国定忠治」で本サイト内を検索

*************************

ページ先頭へ飛ぶ

Ranking

00001_アクセスランキング記録2018-PART1

2015年4月16日 (木)

心象の足跡:琵琶湖疎水見学の思い出(京都のベンチャー精神の源泉はどこにあるのか?);腕試し ちょっと暴れる 春の雷。

2015年4月16日(木)
昨日は晴れ後雷雨。最高気温(℃) 20.7 11:13。最低気温(℃) 10.3 24:00。ざっそう句;腕試し ちょっと暴れる 春の雷。午前中は晴れた。百均のキャベツの種を蒔いた。下仁田ネギの苗床は猫のトイレになり荒らされた。露を払って花が咲きそうなかき菜を収穫。タマネギを初収穫。玉はらっきょう程度でネギの代用。貰い物の種生姜を掘り出した。トタン板をかけたがかなり水浸しになり腐りかけが多い。腐った部分を除去して植え付ける積もりだ。空が曇り雷鳴がしてきたので屋内へ退去。落雷が心配でモデムのコネクターを外した。雷が去りコネクタを挿入したが電話は通じない。調べたら遊んでいるコネクタを刺していた。再度外に出て、残っていた台木と穂木を使いミカンを接ぎ木。圃場に仮植え。不安定な天気であった。畑の桜は葉桜になった。ふと見るとカラタチの白い花が咲いている(P=S)。

2015年4月15日の天気(AMEDAS)

TAVE= 14.0 NO DATA
TMAX= 20.5 最高気温(℃) 20.7 11:13 
TMIN= 10.4 最低気温(℃) 10.3 24:00 
DIFF= 10.1  
WMAX= 7.9 最大瞬間風速(m/s)(風向(16方位)) 16.4(西)   14:57 
SUNS= 5.7 NO DATA
RAIN= 3.5  

Q
Q

心象の足跡:琵琶湖疎水見学の思い出(京都のベンチャー精神の源泉はどこにあるのか?)

現役時代、大阪に単身赴任していた。居住していたのが、男子用の社宅であった。大阪にいたので、休日には観光ができた筈だと今になって振り返るが、休日に合わせて帰宅して元の職場に出張するような変則的な生活をしていたので、観光はほとんどしなかった。情報収集や買い物を兼ねて大阪の電気街は比較的良く通った。

一度だけだが、南紀や比叡山を巡った。比叡山から見た琵琶湖のデジタル画像が残っている。当時の画像データには、詳しい撮影データは付与されていなかったようだ。JEIDA-49-2-1998(カメラファイルシステム規格)VER1.0以降にに普及したのだろう。退職後は、京都方面の団体旅行に出かけた事があった。その時撮影した、琵琶湖疎水の画像があった。この画像は、SANYOのSX112で撮影したようだ。琵琶湖疎水の事は、旅行で見たので、うすうす覚えている。

Iob_biwakososui 
サイト内でキーワード「八坂用水」を検索(https://www.google.co.jp/webhp?tab=ww#q=%E5%85%AB%E5%9D%82%E7%94%A8%E6%B0%B4%E3%80%80site:http:%2F%2Faf06.kazelog.jp%2F)。色々な縁で、農業用水、溜め池等の歴史を調べてきて、琵琶湖疎水の歴史にも興味を覚えた。調べて見るとこの琵琶湖疎水は南禅寺の見学のついでに見たものらしい。哲学の道も近くにあるらしい。

京都市ホームページ:「琵琶湖疏水のご紹介(http://www.city.kyoto.lg.jp/suido/page/0000007153.html)。」

琵琶湖の写真は、比叡山の山頂近くのバス亭から、山が開けた方角を見た時に写したような記憶が残っている。画像検索して、同じような画像を探した。遠方に橋がかかっている画像があった。よく見ると残っていた画像にもうっすらとそれが写っていた。琵琶湖大橋らしい。

京都市HPの琵琶湖疎水の歴史によれば、明治18年起工、明治23年竣工との事だ。日本で最初にコンクリートの焼成に成功したのが1875年(明治8年)との事で、当時の橋の素材としてはまだ煉瓦が主役だったように見える。両毛線の全線開通が1889年(明治22年)でほぼ、琵琶湖疎水の工事時期と重なる。当地の両毛線にも、レンガをアーチ状に積んだ鉄道橋が現役で使われているが、南禅寺水路閣から見れば比較にならない。

水路に水を流すには、必ず勾配を確保する必要があり、水路を交差させる方法が重要になる。八坂用水の場合は、水路橋やサイフォンが利用されてきた。尚、南禅寺のレンガ水路は、寺院という周辺環境・景観に合わせて、南禅寺水路閣として設計され、平成8(1996)年に国の史跡に指定されたとの事だ。そのような視点で見ると、確かにそういう配慮が無ければ、もっと貧弱な構造物になっていただろうと思われる。

京都市ホームページによると、明治維新により、明治2年に都が東京に移り、「産業も急激に衰退し,人口も急減」して、京都の復興、産業の振興を目的に疎水事業が計画されたとの事だ。明治24年,蹴上に日本最初の商業用水力発電所が稼働した。琵琶湖疎水は、多目的水利用水として今日の京都市にインフラになっているわけだ。また、「当時,市の年間予算の十数倍という膨大な費用を投入した大事業の主任技師として北垣知事に選ばれたのが,工部大学校(現在の東京大学)を卒業したばかりの青年技師田邉朔郎(採用当時は満21才)でした。」との事だ。

八坂用水の開削も、天水場と言われ、十分な水利が得られない地域に利根川の水を導き、安定した稲作地域に改良するという当時の藩が計画した大事業であり、その推進者として小畠武堯が任命された。事業のスケールや時代は少し異なるが、八坂用水も琵琶湖疎水も都市や地域の発展に先駆的な取り組みが成功した例といえるのだろう。

開発品の売り込みで訪問した京都に本社がある企業には、オムロン、村田製作所、日本電産等があった。また、集積回路を共同開発したベンチャー企業も京都にあった。

「会社生活断面記:日本電産へのホールIC売り込み(http://af06.kazelog.jp/itoshikimono/2013/01/ic-caf7.html)。(2013年1月 4日 (金))」

「会社生活断面記:日本電産訪問の思い出(http://af06.kazelog.jp/itoshikimono/2013/03/post-53dd.html)。(2013年3月14日 (木))」

京都には比類の無い歴史の長さがある。一方、新しい事へ挑戦する気風でも有名だ。ノーベル賞受賞者に京大の研究者が多いのもその例になるのだろう。電子産業分野で新しい事業を開拓したキョウセラや上記の電子部品メーカーもその例かもしれない。その歴史を遡ると、市民が一体となって立ち向かった明治初期の琵琶湖疎水事業もそのような土壌作りに大きく影響しているように見えてくるのも不思議だ。

ページ先頭へ飛ぶ 

2015年4月15日 (水)

ハトよ 鳴いておくれ:出だしが好調な「伊勢崎駅前インフォメーションセンター」;花燃えず 冷たく落ちる 視聴率。

2015年4月15日(水)
昨日は雨。最高気温(℃) 13.5 14:50。最低気温(℃) 8.7 00:04。ざっそう句;花燃えず 冷たく落ちる 視聴率。宅内閑居。相変わらず雨で寒い。4月12日は県議選の日だった。その影響を受けてNHKの大河ドラマは時刻をくりあげて放映されたようだ。WEB情報によると視聴率が同ドラマでの最低を記録したらしい。投票率も低下の一方。選挙も大河ドラマも、若者や女性が支持すれば盛り上がるのかも知れないが、見放されている状況ではないか。見方によれば、若者や女性は実に素直に現実社会の裏を読んで改善の見込みが無い事に失望しているのかも知れない。イケメンで視聴者を釣ろうとするような魂胆はすぐ見抜きイヤラシイと軽蔑の態度を示すのではないか。いくら前向きに努力しても現実は改善しない。それは政治にも通じるから選挙とも関係する。外見の良さだけを競い本音が出せない現実を改善する方法はあるのか(P=SかL:設定変更が反映される条件が分からない)。

Googleでキーワード「大河ドラマ 視聴率」を検索(https://www.google.co.jp/webhp?tab=ww#q=%E5%A4%A7%E6%B2%B3%E3%83%89%E3%83%A9%E3%83%9E%E3%80%80%E8%A6%96%E8%81%B4%E7%8E%87)。


2015年4月14日の天気(AMEDAS)

TAVE= 11.5 NO DATA
TMAX= 13.2 最高気温(℃) 13.5 14:50 
TMIN= 8.9 最低気温(℃) 8.7 00:04 
DIFF= 4.3  
WMAX= 1.9 最大瞬間風速(m/s)(風向(16方位)) 3.5(西北西)   00:13 
SUNS= 0 NO DATA
RAIN= 13  

Q
Q

ハトよ 鳴いておくれ:出だしが好調な「伊勢崎駅前インフォメーションセンター」

先日、二回目のベイシア駅前店訪問時に、その駅寄りの一角に開設されている、「伊勢崎駅前インフォメーションセンター」を覗いてみた。丁度、展示物を撤去して、県会議員選挙の期日前投票場への衣替えの最中であった。

Iob_isesakiinfc 

すでに、投票日の4月12日が間近に迫っている。上毛新聞の記事によると、この期日前投票場の利用は好調のようだ。伊勢崎市区は5つの議席に対して8名が立候補している県下有数の激戦区だ。

一人でも、投票して意思表明すれば、政治は動く可能性がある。だが、若者の政治不信は相当深い物がありそうだ。オレが投票しても何の役にも立たないと、投票すら軽蔑されているような事はないか。

そのような若者の気持ちを受け止める政治家もいない。一層の事、供託金は、年齢勾配制にして、選挙資格を得た時は供託金はゼロ円からスタートするのはどうか。

ページ先頭へ飛ぶ

 

2015年4月14日 (火)

技術 回顧と展望:東北の海よ:廃炉の先兵・ヘビ型ロボットが立ち往生;厚着すりゃ 何故か治まる 花粉症。

2015年4月14日(火)
昨日は雨。最高気温(℃) 10.2 09:27。最低気温(℃) 7.8 02:04。ざっそう句;厚着すりゃ 何故か治まる 花粉症。宅内閑居。ここ数日、冬に戻ったような寒さが断続している。この天気で花粉の飛散は少なそうだ。昨日は鼻水が止まらなかった。花粉症と身体が勝手に解釈しているのか。身体が花粉でなく寒さに応答しているのか。厳冬の頃に着た重いコートを羽織ってマフラーで頬かむりをしたら鼻水が止まった(P=S)。

2015年4月13日の天気(AMEDAS)

TAVE= 8.9 NO DATA
TMAX= 10 最高気温(℃) 10.2 09:27 
TMIN= 7.9 最低気温(℃) 7.8 02:04 
DIFF= 2.1  
WMAX= 3.1 最大瞬間風速(m/s)(風向(16方位)) 5.2(西北西)   14:26 
SUNS= 0 NO DATA
RAIN= 15.5  

Q
Q

技術 回顧と展望:東北の海よ:廃炉の先兵・ヘビ型ロボットが立ち往生

WEBニュースを見ていると、福島原発事故で大破した原発格納容器内部のを状態を調べるため、格納容器内部へ初めてヘビ型ロボットが投入されたとの事だ。実際の形は、三両連結のトレーラーのような細長い形状で、二つの結節点でコの字型まで曲がれる構造のようだ。この構造の片端にケーブルが接続されている。内視鏡に足が生えたような構造にもとれる。足と言っても戦車のキャタピラのようなものだ。

NHKは、「ロボットが格納容器内で動作不能に。;http://www3.nhk.or.jp/news/html/20150410/k10010044281000.html。(4月10日 20時52分))」というタイトルで、「東京電力福島第一原子力発電所で、溶け落ちた核燃料の取り出しに向けて、原子炉を取り囲む格納容器にロボットを入れて、極めて強い放射線が飛び交う内部の状況を調べる初めての調査が始まりましたが、ロボットはコースの途中で動かすことができなくなり、東京電力で対応を検討しています。 今回の調査は、1号機の格納容器の内部に遠隔操作のロボットを入れ、これまで見ることができなかった損傷の状況を搭載したカメラで撮影したり、放射線量などを測定したりするのがねらいです。ロボットは長さ60センチのヘビのような細長い型をしていて、東京電力によりますと、午前9時半ごろ、格納容器につながる配管からロボットを投入する作業が始まりました。 ところが、東京電力によりますと、格納容器の壁沿いにある足場で「コ」の字型に変形して障害物をよけながら走行していたところ、午後2時すぎ、およそ10数メートル進んだところで動かすことができなくなりました。ロボット自体は操作に反応しているということで、東京電力は、遠隔操作のためのケーブルが障害物に引っかかったか、走行用のベルトが故障した可能性があるとみて原因を調べています。」と報じた。

事故当時、当局は、格納容器の健全性は保たれていると宣伝したが、放射能は漏れるし、冷却のため注入している水も漏れ続けており、今では当局の宣伝は大嘘だった事がバレている。現在の格納容器は、例えてみれば、ひび割れしたカメのような物だろう。圧力容器も底が抜けて、核燃料も格納容器内部に飛散している。格納容器が健全なら、廃炉の計画も設計図による原子炉建設の逆行程を辿るような手順が想定できるだろう。

ところが、大破した原発の設計図は無いのだ。従って、廃炉の最初に、大破した原発の状況把握が必要になる。その先兵として投入されたのが、ヘビ型ロボットだったようだ。大きな開口部を作れば、放射能の飛散や亀裂の発生等々のリスクが増大するのだろう。従って、割れガメのような格納容器の壁に直径10センチ程度の穴を開けてロボットを容器内に入れるには細長くする必要があるのだろう。かくて、レールに沿って走行させたり、格納容器内に張られている金属網の上をCCDカメラで監視ししつつ走行し、放射線強度、距離、温度を計測するヘビ型ロボットの投入になったようだ。ロボットは10数メートル走行後動かなくなったようだ。搭載した機能は正常なようで、ケーブルが障害物にひっかかったかもしれないとの事だ。

デモ走行の画像には某H社の名前が入っていた。廃炉作業は格納容器内に飛散した核燃料の無害・安全な取り出しが最大の山場となる。いろいろな新技術の開発・蓄積の機会かもしれない。

サイト内でキーワード「ロボット」を検索(https://www.google.co.jp/search?q=site:http:%2F%2Faf06.kazelog.jp%2F&ei=yFMsVbC7L-SMmwXjkoDoDA#q=%E3%83%AD%E3%83%9C%E3%83%83%E3%83%88%E3%80%80site:http:%2F%2Faf06.kazelog.jp%2F)。

「技術 回顧と展望:日本のロボットのルーツはからくり人形?(http://af06.kazelog.jp/itoshikimono/2012/10/post-9ace.html)。(2012年10月17日 (水))」

核燃料は溶融して、圧力容器から落下して、格納容器の下部に飛散していると推定されている。格納容器の下部は冷却水が貯まり、更に冷却水は注入が続いているらしいので、核燃料を取り出すのにどのようなロボットが登場するか予想もつかない。注水を止めれば再臨界が起きて危険になるのか。冷却水の注入が唯一、再臨界の防止にあるとすれば、再臨界が起きないように、最初に核燃料を決められた大きさまで裁断分離する必要があるのだろうか。その作業をするロボットは水陸両用のような物になるのか。

今回、ロボットの操作方式に関する発表はなかったようだが、このニュースは劣悪な環境で信頼性の高い力仕事をさせるロボットの難しさを明らかにしたともとれるように感じた。遠隔操作と言っても、尻尾のような長いケーブルが付いていれば行動の制約になる。究極的格納容器内作業ロボットは自立自走式インテリジェント型にしないと作業は進まないだろう。当然、微妙な操作は熟練オペレーターが行う事になるだろう。ともかく、廃炉が完成するまで、税金が何の役にも立たずに汚染水に化け続けているの見ると、もはやこんな愚行は永久に止めねばならないのではないかと思う。今回のロボットは、早急にそのような無駄な浪費の根を絶たねばならない使命を負ったロボットの一号機ではないかと期待した。当局は衆知を集めて廃炉期間を短縮すべきだ。同じロボットを開発するのなら、高度な医療用手術ロボットを開発した方がどれほど人類の役に立つことだろうか。

ページ先頭へ飛ぶ

2015年4月13日 (月)

ツルよ 飛んでおくれ:前橋散策:前橋公園・臨江閣を見学;配り物 口が滑れば 選挙戦。

2015年4月13日(月)
昨日は晴れ。最高気温(℃) 18.1 15:15。最低気温(℃) 5.9 05:47。ざっそう句;配り物 口が滑れば 選挙戦。老人モードで野暮用周り。ものぐさをしたツケで自転車で転倒して擦り傷。ちゃんとスタンドを使えば良かった。盆栽の手入れについて講釈を聞く。真柏(しんぱく)。WEBで調べたらミヤマビャクシンの事らしい。ビャクシン類は梨の病原菌が寄生するとの記憶もある。皮をはげば赤い色が出て水をかけるとさらにきれいになるとか。枯れ葉は綺麗に除去する。杉の葉のような葉も出るのでそれも除去。枝はアルミ線で幹に食い込まないように曲げる。50年以上育てているとか。好きじゃないと続かない。我が家の庭にもビャクシンがある。今、梨の花が咲いているが実は期待していない。昼前から恒例行事。県会議員選挙の開票結果をTVで見る。マウスの調子が悪い。ボタンを押した時とその帰りにも応答してしまう。クリックを早くすればOKか(P=S)?

2015年4月12日の天気(AMEDAS)

TAVE= 12.0 NO DATA
TMAX= 17.4 最高気温(℃) 18.1 15:15 
TMIN= 6.1 最低気温(℃) 5.9 05:47 
DIFF= 11.3  
WMAX= 3.9 最大瞬間風速(m/s)(風向(16方位)) 7.8(南東)   17:41 
SUNS= 9.9 NO DATA
RAIN= 0  

Q
Q

ツルよ 飛んでおくれ:前橋散策:前橋公園・臨江閣を見学

先日、ぶらりと前橋公園周辺を散策した。県庁の展望台から見ると、さちの池の右上方の樹木が多い区画に臨江閣がある。臨江閣は最近話題になる事が多いが、まだ見た事はなかった。初めて一人で出かけたので、そこまでたどり着けるか不安であった。

Iob_rinkoukakumaebasi
臨江閣見学のメリットは、見学料が無料だった事だ。大抵、入場料を聞いてから、それだけ払うかどうか態度を決めるのだから、どんな施設でも入場料は重要な要因だと思う。最近、富岡製糸場の入場料の値上げ、荒船風穴の入場料徴収開始が伝えられているが、どういう考えでそうなったのか不思議に思う。やはり、国の史跡・文化財等は可能な限り多くの人々に開かれている必要があるだろう。見学者が直接の受益者だから見学者から見学料を取れるうちに取れるだけ取るという動きのように見えて、先行きが心配だ。

Googleトレンドでキーワード「富岡製糸場(人気度)」を検索(http://www.google.com/trends/explore#q=%E5%AF%8C%E5%B2%A1%E8%A3%BD%E7%B3%B8%E5%A0%B4)

やはり、有料施設の場合、一回見れば良いや~という事になって、本当の良さを理解できるまで繰り返して見学する人の足を引っ張るのではないか。その点、臨江閣の見学は無料なのだから、二回目は、友人や子供を連れてきて、蘊蓄を傾ける事も可能だ。売店もあり、コーヒーも飲めるようで、時間にゆとりがあり歴史に興味がある人にはお勧めかもしれない。資料の展示コーナーも備わっている。前橋市の歴史情報発信基地にもなっていると思う。

前橋るなぱーく(http://www.lunapark-maebashi.com/)によると、「前橋市中央児童遊園「るなぱあく」は、平成27年4月1日より、指定管理者がオリエンタル群馬に変わります。」とあった。乗り物料金は大きい乗り物@50円、小さい乗り物@10円とある。

伊勢崎市華蔵寺公園遊園地(http://www8.wind.ne.jp/kezouji/)の場合、入園料無料、乗り物券は@70円から。

当然、これらの施設は受益者負担に重点を置かずに、自治体の施設運営ポリシーに基づいて料金を決めている事だろう。長期的な視野で、かけたコスト以上の効果が出れば成功と捉える事もその施設の性格により許容されると思われる。

売店の人に、臨江閣の名前の由来を聞いたら、利根川に近いからだろうと返事があった。作られた当時は、迎賓館のような目的で使われたようなので、当時の庶民には近寄りがたい施設だったと思う。それが、無料で使えるのだから、時代の変化や地域の歴史を学ぶ甲斐は十分あるだろう。

見学した時は丁度ひな祭り(http://www.city.maebashi.gunma.jp/653/654/p014315.html)の頃で、大広間で古い雛が展示されていた。親子連れの見学者も多かった。じっくり見ている余裕もないので、珍しい雛をデジカメに納めた。説明資料も掲示されていたが、それは撮影していなかった。江戸末期頃のお偉い方(大名か藩主だったか?)の贈り物だったので頂いた方が大切に保存してきたようだ。

説明板によると、大広間があるのは臨江閣別館で、明治43(1930)年に共進会の貴賓館として建てられ、戦後は市役所、中央公民館として使われた後、現在は社会教育施設として使われているとの事だ。

上記、前橋市のホームページによると、「休館日:無休(H28年1月31日まで。その後閉館し、改修工事予定。)」との事だ。

ページ先頭へ飛ぶ

2015年4月12日 (日)

キジよ 飛んでおくれ:戦後70年、前橋の東照宮で見た記念碑は...;さらば武器 さらば雑草 さらば敵。

2015年4月12日(日)
昨日は雨後曇り。最高気温(℃) 18.1 13:10。最低気温(℃) 8.5 04:35。ざっそう句;さらば武器 さらば雑草 さらば敵。畑を見たら、なぎ倒した大型雑草が生き返りそうな状況。まるでゾンビだ。雨が降り曇っているので枯れないのだ。仕方なくクマデでかきだした。昨年採取した下仁田ネギの種子を物置の隅で発見。種子表面はシワクチャで充実しておらず発芽するか心配だが、苗床を作り蒔いた。ミカンの穂木が残っているので、発芽を始めた台木を堀りあげて接ぎ木。以前接ぎ木して活着した貧弱な枝だが一本あった。再チャレンジだ。満開の雑菜を除去してそこへ接ぎ木苗を植え付けた。サビか出ているシャベルを使ったので土や根が切りにくい。かき菜を収穫。寒い日が続いているので収穫期間が伸びている(P=S)。

Iob_smnegi20150424 画像追加2015/5/4。

2015年4月11日の天気(AMEDAS)

TAVE= 12.3 NO DATA
TMAX= 17.4 最高気温(℃) 18.1 13:10 
TMIN= 8.6 最低気温(℃) 8.5 04:35 
DIFF= 8.8  
WMAX= 7.2 最大瞬間風速(m/s)(風向(16方位)) 11.4(北西)   15:20 
SUNS= 0.6 NO DATA
RAIN= 5  

Q
Q


キジよ 飛んでおくれ:戦後70年、前橋の東照宮で見た記念碑は...

先日、前橋公園周辺を散策した。たまたま、前橋の東照宮境内に入ると、色々な記念碑に出会った。その中で最大の物は、忠霊塔のように見えた。ただ、そこに記された漢字が読めなかったのでデジカメで撮影して、ソフトで拡大して解読した。どうも、文字が大きいので、加工した文字ブロックを塔に金具で固定して文字を形成した構造のようであった。

Iob_maebasisyouinohi_2  
デジカメには固定した金具の穴らしい物が残っており、その部分の文字ブロックは幾つか落下してしまったようだ。それで文字が不完全になっているようだ。この塔を見ていると時代の変化を感じるだけでなく、何とも言いがたい無常観や侘しさを感じた。塔の頂上には羽を広げた大鷲のような鳥の像が据えられているが、その鳥をみるのも更なる哀れさを感じさせられるのであった。

その鳥の哀れさで、片足で生き延びていたキジの事を思い出した。

「身辺雑記(愛しきもの 生き物):片足でけなげに生きていたキジ(http://af06.kazelog.jp/itoshikimono/2012/05/post-9a2e.html)。(2012年5月24日 (木))」

キーワード「キジ」でGoogleサイト内検索(https://www.google.co.jp/webhp?tab=ww#q=%E3%82%AD%E3%82%B8%E3%80%80site:http:%2F%2Faf06.kazelog.jp%2F)。

その塔の隣には「傷痍之碑」という碑が建っていた。終戦直後に生まれた世代は、傷痍軍人という人や言葉に良く遭遇した。それも忘れかけているのではないか。今年は戦後70年の節目の年を迎える。戦争による傷害という苦しみを肉体で受け止めたのが傷痍軍人ではなかったか。軍人だけでなく、民間人も、大きな苦しみを味わったのだ。比較的新しい碑なので、碑文を書き出してみた。

*************************
傷痍之碑        前橋市長 藤井精一 謹書

我等は過ぐる大戦 事変に際し
戦場において傷痍を受け 或は
疾病にかかるなど身をもって現
実に戦争の悲惨さを体験し そ
の後苦難の生涯を続けてきた
更に不幸にして戦没した戦友も
多く 我等はその霊に対して心
から哀悼の意を表するとともに
再び戦禍の起らないことをこい
ねがい ひたすら世界恒久の平
和を祈念するものである

  昭和五十四年十一月二十三日

    前橋傷痍軍人会
*************************

尚、忠霊塔のような大きな塔にはめ込まれた銘板によれば、塔の頂上にあるのは「とび」の鋳物のようだ。また、「昭和三十七年三月 前橋市彰忠碑建設委員会」という文字が記されている。従って、塔に記された文字は「彰忠碑」のようである。

Googleでキーワード「前橋東照宮 彰忠碑」を検索(https://www.google.co.jp/webhp?tab=ww#q=%E5%89%8D%E6%A9%8B%E6%9D%B1%E7%85%A7%E5%AE%AE+%E5%BD%B0%E5%BF%A0%E7%A2%91)。

Googleでキーワード「金鵄OR金鵄勲章」を検索(https://www.google.co.jp/webhp?tab=ww#q=%e9%87%91%e9%b5%84or%e9%87%91%e9%b5%84%e5%8b%b2%e7%ab%a0)。

調べてみると、「雉(きじ)」が日本の国鳥との事だ。尚、昨年撮影した世良田の東照宮・長楽寺の近くにあった、忠霊塔の画像が残っていたので、最右端に追加した。

WIKIPEDIA「忠霊塔。(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BF%A0%E9%9C%8A%E5%A1%94)」


ページ先頭へ飛ぶ

2015年4月11日 (土)

半端道楽:環境雑録:これはハナダイコンかオオアラセイトウ?;雨降れど チャリの学童 傘も無し。

2015年4月11日(土)
昨日は曇り後雨。最高気温(℃) 12.0 14:41。最低気温(℃) 2.1 05:43。ざっそう句;雨降れど チャリの学童 傘も無し。用事外出。その後、買い物等。最近はセルフレジが目に付くようになった。数年前にセルフスタンドに入りタジタジだったが、今やガソリンスタンドはセルフが多数派になった。今後は、セルフレジが増大してゆくのか。困るのがバーコードが付いてない商品の例外処理。写真が出てきたが、もうどちらをカゴにいれたか忘れている。今後、セルフレジがどのような傾向をたどるか興味がある。もう詳細はほとんど忘れているが、昔の万屋風の店には、値札があったけ。商品数がそれほど多くなかったので、価格表は店主の頭の中にあったのか。親に小銭を渡され、買い物のお使いをさせられたが、内緒だよと言っておまけを貰っう事もあった。お金が無い時は、ツケで買い物をしていたようだ。村の店は、情報センターでもあった。買い物や注文で、客先の様子も分かったのだろう。店員と馬鹿話ができるのも買い物の楽しみの一つかも知れない。まだ、セルフレジに店員が張り付いていた。今なら、馬鹿な質問をするチャンスかもしれない(P=小)。

2015年4月10日の天気(AMEDAS)

TAVE= 7.8 NO DATA
TMAX= 11.7 最高気温(℃) 12.0 14:41 
TMIN= 2.4 最低気温(℃) 2.1 05:43 
DIFF= 9.3  
WMAX= 2.7 最大瞬間風速(m/s)(風向(16方位)) 4.7(西)   22:51 
SUNS= 0.2 NO DATA
RAIN= 6  

Q
Q

半端道楽:環境雑録:これはハナダイコンかオオアラセイトウ?

勝手に増えて、それほど増えすぎもせず、そこそこ綺麗で、雑草退治に役立つ雑草。ものぐさには有難い雑草だ。その候補が、ハナダイコンだと思って、昔桑畑であった畑の一角に咲いていた株を庭に植えた。

Iob_hanadaikon 
それを、雑草が生えやすい場所に少しずつ移植した。ある程度は、除草する手抜きは可能になる。色が薄紫で、ちょっとわびしい感じとかみさんの弁だ。

WIKIPEDIA「ハナダイコン。(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%83%8A%E3%83%80%E3%82%A4%E3%82%B3%E3%83%B3)」

WIKIPEDIA「オオアラセイトウ。(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%82%AA%E3%82%A2%E3%83%A9%E3%82%BB%E3%82%A4%E3%83%88%E3%82%A6)」

たまたま、庭の片隅に咲くハナダイコンをデジカメで写していた。日陰で水分が少ない場所は大きくならずに花を付ける。しかし、生育条件が良いと、大きな株になる。「一面の菜の花」、「一面のラベンダー」は絵になる風景のようだ。

Googleでキーワード「一面のハナダイコン」を検索(https://www.google.co.jp/search?hl=ja&site=imghp&tbm=isch&source=hp&biw=1138&bih=436&q=%E4%B8%80%E9%9D%A2%E3%81%AE%E3%83%8F%E3%83%8A%E3%83%80%E3%82%A4%E3%82%B3%E3%83%B3&oq=%E4%B8%80%E9%9D%A2%E3%81%AE%E3%83%8F%E3%83%8A%E3%83%80%E3%82%A4%E3%82%B3%E3%83%B3)。

「使ふなき 桑園はあらくさ 茂る中に あらせいとうの 花の群がる 」

調べている内に、「ハナダイコン」と「オオアラセイトウ」が混乱して使われている事に気付いた。混乱してもほとんど生活には支障が出ないのだろう。

ページ先頭へ飛ぶ

 

検索サイト

NANDA?⇒物臭検索

  • ラベル(タイトル):最初は何も分からない
    なんだこりゃ?作成当時の記憶

エネルギー関係

ウェブページ

更新ブログ

PHOTO2(写真集)

  • Iob_fujijyuukouentotu
    たまたま出会ったもの2

PHOTO4(写真集)

  • Iob_minitomatodaruma
    果樹・野菜・花等

PHOTO5(写真集)

  • Iob_senteihasami_funsitu_sabi
    現在使われなくなった機器、農具、ガラクタ等。

PHOTO6(樹木等)

  • Iob_sendan_kiru_2013
    樹木の縮伐カット&トライetc

PHOTO7(写真集)

  • Iob_kaiko_ga_gazou
    BLOG関連写真2
フォトアルバム

MIKAN KUN

  • 赤城連山MAP
  • Fight_Fukushima
  • ISESAKI_PIGEON
  • MIKANKUN

Copyrighit

  • © Copyright 2006-2023  af06.kazelog.jp  All rights reserved.

健康関係:リンク&検索等

Favorites2

Favorites

Favorites3

Favorites4

やさしい科学・SCIENCE

  • 日経サイエンスのウェブページ
    「日経サイエンス」とは:「日経サイエンス誌は,1845年に創刊された長い歴史と伝統を持つ米国の科学雑誌「SCIENTIFIC AMERICAN」の日本版で,世界の最先端の科学技術動向を日本の読者に届けています。」
  • SCIENCE IS FUN in the Lab of Shakhashiri
    University of Wisconsin-Madison Chemistry Professor Bassam Z. Shakhashiri のサイト

みかん栽培関係情報

ISESAKI  有情2

ISESAKI  有情1

嗚呼 伊勢崎 非情

BOOKS

  • 橋本 英文: 刃物雑学事典 図解・刃物のすべて(1986年 株式会社 講談社 ブルーバックス B-659)
    刃物という視点で多くの事例が取り上げられている。刃のある道具の理解にも役立つ。類書が少なく貴重な一冊。「すべり変形が切断の原理」という考え方で説明している。
  • 沼田 真   : 植物たちの生( 1972年 岩波新書(青版 833))
    「ご要望にお応えしてアンコール復刊(1988年岩波新書50年記念復刊) 地球生態系の中で自然を見直す」(腰巻きのフレーズ)。植物の知恵と戦略に人類は勝てるのか。
  • 出町 誠: 14_NHK趣味の園芸:よく分かる栽培12ヶ月  カキ(NHK出版2007年)
    初心者向け柿栽培参考書(新版)。旧版と比較すると楽しい。
  • 中村三夫: 13_NHK趣味の園芸:作業12ヶ月  カキ(NHK出版1996年)
    初心者向け柿栽培参考書(旧版)。新版と比較すると楽しい。
  • 山科正平: 12_細胞を読む   電子顕微鏡で見る生命の姿
    細胞はどんな部品からできているのか。そんな疑問に答えてくれる一冊。何事も形を見るのが第一歩。μからÅオーダーの世界で、細胞をメスで解剖するように、電子顕微鏡というメスで解剖して見せてくれるので興味が尽きない。
  • 柳田充弘: 11_細胞から生命が見える
    著者の専門は分子生物学、細胞生物学。普段生物を考えても細胞レベルで止まってしまう。その細胞の中で色々な分子が働いている。細胞こそ生命の基礎だが、その細胞の中の動きを知るのに最適な一冊。疑問の発端はなぜ発根剤が効くのかということ。薬剤が細胞膜を通過して細胞内で分子と分子が作用するイメージができた。本書でできた細胞のイメージは小さな無数の穴が空いた水分が充満したヨーヨーのようなもの。そのヨーヨーの中に分子部品が詰まっている。細胞自体もタライの中のヨーヨーのように浮かんでいる。細胞図面の空白部は真空でなく水分だ。細胞の内外に水がないと細胞は生きられない。水が生命のゆりかごだ!
  • 野口悠紀雄: 10_ホームページにオフィスを作る(2001年 光文社)
    ITが輝いた時代の作品。HPの活用法は参考になる。参考:url=http://www.noguchi.co.jp/(野口悠紀雄 ONLINE)
  • 小池洋男 編著: 09_果樹の接ぎ木・さし木・とり木(農文協:2007/3/31第1刷)
    やや専門的であるが、実務専門化が分担執筆しており、その場で役に立つ一冊。
  • ノーバート・ウィーナー(鎮目恭夫訳): 08_サイバネティックスはいかにして生まれたか(みすず書房1956)
    情報と通信という現代社会に不可欠の基礎的な学問を作った著者の自伝とそれを通した科学史
  • 沼田 真(編): 07_雑草の科学(研成社1979)
    雑草を多面的に解説し防除の基礎も述べる

外国の博物館・美術館 外国語・国際関係(リンク)

TOOLS

地域産業・機関

地域興し関連情報

MEMO_TL_TEST

  • TOP PAGEの 「アクセスランキング(2015/6/8より表示再開)」へ飛ぶためのラベル
  • TEST END
    TEST_H23/10

アクセスランキング

リンク:ページ先頭へ飛ぶ

写真集へのリンク

MEMO 海外の博物館・美術館

  • https://www.artic.edu/collection?place_ids=Japan&page=6
  • 項目のタイトル2
    POST IT :ブログ画面への張り紙に使える。
  • TYPE LIST事始め
    2010/8/4:MEMO等の表示に使える。 農作業で気になる自戒の言葉 ■畑の石ころはいつまで経ってもても石ころ(早く拾って片づけよという意味か)。 ■同じ石を二度拾うな(やってみると難しい)。 ■手ぶらで歩くな。 ■三つ先のことを読め。 ■適当な観察。 ■空を見よ(気分転換、休憩、天気を読む、腰曲がり防止)