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2015年5月

2015年5月20日 (水)

身辺雑記・田舎老人つれづれ草:小さな公園で会った勤労少年;路地裏を 気ままに巡る チャリ独り。

2015年5月20日(水)
昨日は早朝雨後曇り夕方一時晴れ。最高気温(℃) 23.4 17:07。最低気温(℃) 15.2 05:57。ざっそう句;路地裏を 気ままに巡る チャリ独り。灌水さぼり。事務メール。曇り空なので老人モードにて用事外出。用事がタウンウォッチングと兼用になってしまった。家庭菜園をしているとついつい外出が億劫になる。外出するとその分、羽を伸ばしたくなる。これと言うほどの目的もなく、ブラブラとチャリを漕いでいると色々な発見もある。帰宅すると疲れが吹き出した。

KW=茶豆(チャマメ)2015。ツルナシインゲン発芽。茶豆の種蒔き。外皮がやや茶色っぽい。大豆の一種か。多分初めて蒔く。

メモ:最初の部分に乱れ有り修正(2015/5/22)。

2015年5月19日の天気(AMEDAS)

TAVE= 19.1 NO DATA
TMAX= 23.2 最高気温(℃) 23.4 17:07 
TMIN= 15.4 最低気温(℃) 15.2 05:57 
DIFF= 7.8  
WMAX= 3.9 最大瞬間風速(m/s)(風向(16方位)) 6.9(西北西)   05:16 
SUNS= 1.4 NO DATA
RAIN= 3.5  


Q
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身辺雑記・田舎老人つれづれ草:小さな公園で会った勤労少年

先日修理した物件の様子をみるため小さな公園にチャリを止めた。あずまやで二人の少年が飲み物を飲みながら雑談していた。中学生か高校生かに見えた。まだ、平日の昼飯前の時刻で気になった。

声をかけてみると学生ではなく、勤労少年で今日が休日なのでここにいるのだと言った。先方はおじさんは何の用事で来たのかと聞くので、先日の話をした。

それなら、知っているヨ。俺も立てようとしたと言う。それじゃあついでに説明しようかと書かれている事を説明した。二人は、俺たちは土建屋だと言っていた。

倒れている物を、立て直そうとした少年たちがいたので、そりゃ立派なことだ、仲間に話しておこうと言うと、Aと言う名前を言ってもよいと話した。

物件を支えていたロープは外れていた。その様子をデジカメ撮影して、頑張れよと言って分かれた。おじさんも頑張れよと言われて、照れくさく感じた。

仕事は、きついが素直に明るく働いている少年に会ってこちらも良い気分になった。話をしなければ、茶髪で学校をサボって云々と偏見の目で少年たちを見ていたかもしれない。

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2015年5月19日 (火)

ハトよ 鳴いておくれ:旧業務スーパー跡に会社が進出?;子育ての カラスが鳴けど 知らんぷり。

2015年5月19日(火)
昨日は曇り時々晴れ。最高気温(℃) 28.2 13:01。最低気温(℃) 15.6 05:29。ざっそう句;子育ての カラスが鳴けど 知らんぷり。作物に灌水。スイカ苗は茎が黄変して伸びない。芽出しのため仮植えしていた種生姜を掘り出したが、発芽していたのは50%程度。発根は極わずか。灌水不足のようだ。定植したので発芽まで灌水をするつもり。少量の鶏糞を施肥。茶豆の種を初めて蒔いた。豆の表皮が薄茶色の大豆のようだ。蒔き溝に灌水。蚊が出てきて刺された。蚊が活動する期間がこれから約半年続く。蚊に生まれ 人の血吸うも 武勇伝。

2015年5月18日の天気(AMEDAS)

TAVE= 21.4 NO DATA
TMAX= 28.2 最高気温(℃) 28.2 13:01 
TMIN= 15.8 最低気温(℃) 15.6 05:29 
DIFF= 12.4  
WMAX= 5.4 最大瞬間風速(m/s)(風向(16方位)) 10.5(南東)   15:20 
SUNS= 4.4 NO DATA
RAIN= 0.5  

メモ:ブラウザによる表罫線の表示の差。WIN-XP+FIRE FOXでは罫線は全て一本だけ。WIN7+IEでは罫線が一本と二本の混合。罫線表示にはシステムの差が出るようだ。

Q
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ハトよ 鳴いておくれ:旧業務スーパー跡に会社が進出?

しばらく続いていた、伊勢崎市消防本部庁舎改築工事の本体部分は完了し、新庁舎で業務が始まっているようだ。その近くに立ち寄ったので様子を見た。まだ、庁舎外の工事は続行しているようだ。

Iob_kaisyanewq 
「ハトよ 鳴いておくれ:伊勢崎市消防本部庁舎改築工事進行中(http://af06.kazelog.jp/itoshikimono/2014/09/post-2247.html)。(2014年9月 1日 (月))」

市消防本部の東側に、旧業務スーパーがあったが、移転してしまい、その建物は閉鎖されていたが、先日ふと見ると、建物内部一杯が照明されていた。何か新しい店が入ったのかと、確認しようとしたが、目隠しが施されていて分からない。

英語の会社名らしい、表示が出入り口にあった。会社のようだが、WEB調査してもはっきりしない。ただ、店舗の場合かなりの広さがあったので、建物を使い切るには相当の人数が必要に思われる。

周辺を見ると、駐車場の車の数がいつもより多いように感じる。ともかく、空き店舗が再利用されれば、店舗で無くとも地域の活性化につながるのではないか。英語の会社名が気になるが。

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2015年5月18日 (月)

ハトよ 鳴いておくれ:ツルよ 飛んでおくれ:伊勢崎宮郷工業団地造成状況を見た!;白昼夢 無惨な姿 大阪都。

2015年5月18日(月)
昨日は晴れ。最高気温(℃) 29.2 13:05。最低気温(℃) 17.4 04:53。ざっそう句;白昼夢 無惨な姿 大阪都。畑の通路部の草かき。農作物に灌水。定植したきゅうりに枯れ草マルチを敷く。百均キャベツ苗を雑草の中から救出して移植。直蒔きは雑草対策上不利だ。ブロッコリーの百均種子を苗箱に蒔く。ポットのミニトマトが発芽。用土に雑草種子が多数あったようで、発芽時から雑草に負けそうな状況。ピンセットで抜いたが効率が悪い。反りのある百均の園芸はさみで切った。昨日は大阪都構想の是非を問う住民投票が行われ一万票余の差で否決された。平成時代の大阪現代史に特筆される事件になるのか。現役時代、大阪駐在をする準備で大阪学なるものを読んだ。大阪都構想崩壊事件を大阪学的に解釈するとどうなるのか。大阪の東京コンプレックスが現実として盛り上がってしまった結果なのか。大阪は東京じゃオマヘンで~。東京も大阪じゃオマヘンで~。この事件で大阪人のアイデンティティが二分してしまったのが最大の悲劇か。お笑いで融和して貰いたい。

2015年5月16日の天気(AMEDAS)(2015/5/24追記)

TAVE= 21.3 NO DATA
TMAX= 26.5 NO DATA
TMIN= 18.2 NO DATA
DIFF= 8.3  
WMAX= 4 NO DATA
SUNS= 2.8 NO DATA
RAIN= 3  

2015年5月17日の天気(AMEDAS)

TAVE= 22.5 NO DATA
TMAX= 28.4 最高気温(℃) 29.2 13:05 
TMIN= 17.5 最低気温(℃) 17.4 04:53 
DIFF= 10.9  
WMAX= 5.9 最大瞬間風速(m/s)(風向(16方位)) 10.9(北)   15:25 
SUNS= 12.6 NO DATA
RAIN= 0  


Q
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ハトよ 鳴いておくれ:ツルよ 飛んでおくれ:伊勢崎宮郷工業団地造成状況を見た!

先日、用事外出のついでに、気になっていた伊勢崎宮郷工業団地の造成状況を見るため、車のコースを変更した。前回見たのは2013年4月頃だったか。当時、宮郷地区の水田を見て、以下の記事を書いていた。

Iob_kougyoudanchi
この写真へのリンク

「ハトよ 鳴いておくれ(愛しき古里):伊勢崎市有数の水田地帯が消滅中(http://af06.kazelog.jp/itoshikimono/2013/04/post-a78f.html)。(2013年4月26日 (金))」

二年前の水田は、後作の麦が育っており、工業団地というイメージは全く感じられない風景が残っていた。撮影したのは、県道104号線の東側にあった、「いせさき野郷」という看板が出ている農産物直売所の近く。この看板は、今も残っているが、農産物直売所は閉店したらしく、「株式会社 北斗サービス OFFICE」という看板に変わっていた。同社のホームページによれば、「ダイレクトメールやアッセンブリ・ピッキング・保管管理・梱包・発送作業を扱う会社」のようだ。伊勢崎宮郷工業団地の近くの、農産物直売所が姿を消し、このような会社が進出するのも何か、時代の変化を感じる。

訪問当日は、風が強く、既に工業団地造成工事が始まっていたので、砂埃が舞っていた。まだ、基盤工事途上のようで、工場建設が可能な段階のように見えない。群馬県ホームページによると「平成27年1月6日から予約分譲の受付を行っています」~「土地の引き渡しは平成28年の3月を予定していますが、団地の早期分譲を図るため、第一期造成分の予約分譲を行うものです。」との事である。

従って、工場の建設が始まり、工業団地としての姿が現れるのは、もうしばらく先になるようだ。伊勢崎宮郷工業団地の南部に伊勢崎市の清掃リサイクルセンター(ゴミ焼却場)があり、その高い煙突がランドマークになっている。群馬県庁の展望台からも、清掃リサイクルセンターが見え、東京スカイツリーを見るのにも、この清掃リサイクルセンターが目印になっているようだ。

群馬県ホームページによると、既に群馬県は株式会社ワークマン、白十字株式会社と予約分譲契約を締結したようだ。気になるのは、これからの経済状況ではないか。これだけ広い貴重な用地が、塩漬けにならないように願うばかりだ。

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2015年5月16日 (土)

日々農天気:半端道楽:らっきょうを植えたゾ;オレ猿か らっきょう植えて 苦笑い。

2015年5月16日(土)
昨日は晴れ。最高気温(℃) 29.3 13:46。最低気温(℃) 15.9 04:48。ざっそう句;オレ猿か らっきょう植えて 苦笑い。昨日も真夏日に近い暑さ。先日の雨の恵みも長続きせず、畑土はサラサラ。灌水も疲れてきた。昨年、水道ホースを刈払機で切ってしまった。修理してホースで灌水しようか。メダカを飼い始めたベビーバスの水の減りが早い。蒸発かと思ったが、かみさん曰く、水漏れだろうと。畑でらっきょうを植えているところに来客。暑いので半袖シャツで汗をかきながら作業。風が吹くと心地よい。体の方も水不足で熱中症に要注意だ。

KW=らっきょう・ラッキョウ2015

2015年5月15日の天気(AMEDAS)

TAVE= 23.3 NO DATA
TMAX= 29.1 最高気温(℃) 29.3 13:46 
TMIN= 16.4 最低気温(℃) 15.9 04:48 
DIFF= 12.7  
WMAX= 3.7 最大瞬間風速(m/s)(風向(16方位)) 7.8(東)   14:13 
SUNS= 9.3 NO DATA
RAIN= 0  


Q
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日々農天気:半端道楽:らっきょうを植えたゾ

かみさんが時々らっきょうの漬け物を買ってくる。体に良いと言われているためだろうか。また、畑のノビルを採って、味噌味の油炒めにして出してくれた事もある。素朴な味でこれも結構だ。

先日、スーパーに生らっきょうが並んでいた。根は切ってあったが、芽が出ている。これは、苗として使えそうだと思い購入して昨日植え付けた。

実は、雑草扱いの畑のノビルを掘り集めて植え始めた。ノビルを植えるより、らっきょうの方がましだろう。調べてみると、らっきょうは地質を選ばず、栽培も容易そうだ。球根植物だから手抜きもできそうだと期待する。

ノビルも、雑草と考えると根絶しがたい悪者なのだ。らっきょうなら、かみさんが上手に使ってくれるかと淡い期待もある。どういう結果になるか分からないが。

Iob_rakkyou2015
追記(2015/5/18):覆土する前の様子。ラッキョウは洗い済みのもの。その後、別の店で、値段がやや安い泥付きのラッキョウを見付けた。この季節には店に生ラッキョウが並ぶようだ。

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2015年5月15日 (金)

半端道楽:果樹を楽しむ:環境雑録:花粉症2015年(ユズジャム茶は効果あり?);木犀を 乗っ取り香る スイカズラ。

2015年5月15日(金)
昨日は晴れ。最高気温(℃) 32.4 12:49。最低気温(℃) 12.6 04:37。ざっそう句;木犀を 乗っ取り香る スイカズラ。野菜類に灌水。枝豆の種を蒔く。今回は、蒔き溝に灌水してから種まき。その上に覆土。再度灌水。午後用事外出。仲間で老朽物件修理の部材買い物。それを使い修理。夕方頃完成。真夏日の暑い日になったが無事終了した。スイカズラの香りがただよい始めた。我が家のスイカズラは木犀に這い上がっている。木犀の香りも捨てがたいが、なぜか郷愁を誘うスイカズラを優先している。スイカズラは常緑蔓性植物で木犀にとっては生存を脅かす憎むべき存在だ。木犀とスイカズラが半々で共生してくれれば有り難いが、予断はできない。

KW=枝豆(エダマメ)2015

2015年5月14日の天気(AMEDAS)

TAVE= 23.6 NO DATA
TMAX= 31.3 最高気温(℃) 32.4 12:49 
TMIN= 13.3 最低気温(℃) 12.6 04:37 
DIFF= 18  
WMAX= 4.3 最大瞬間風速(m/s)(風向(16方位)) 9.5(東)   13:49 
SUNS= 12.1 NO DATA
RAIN= 0  

Q
Q

半端道楽:果樹を楽しむ:環境雑録:花粉症2015年(ユズジャム茶は効果あり?)

花粉症は病気と考えるべきなのか。症状が非常に重く、生活に大きな影響が出るようなら一種の病気扱いが出来るのだろうか。ともかくある症状が出て、どんな対処をするかは基本的にはその症状を持つ本人の考え方次第なのかもしれない。

Iob_kafungunma2015

自分も花粉症らしい症状が出るが、何とか我慢できるていどなので、その症状に合わせて生活しているような状況だ。マスクも、うがいも基本的にはしたくない。免疫系も過保護になると、応答過敏になるのではないかという考え方もある。ともかく、自分の体質にうまく付き合って行くのが対処療法としてよさそうに感じている。

キーワード「花粉症」でGoogleサイト内検索(https://www.google.co.jp/webhp?tab=ww#q=%E8%8A%B1%E7%B2%89%E7%97%87%E3%80%80site:http:%2F%2Faf06.kazelog.jp%2F)。

我が花粉症はマクロ的に見れば、何時しか症状が出て、あれこれ対処している内に何となくシーズンが終わっているようなパターンを繰り返している。昨年の秋頃、畑のカナムグラを叩いたら、多量の花粉が飛び散り、それで花粉症らしい症状が出た。花粉症、花粉症と気にしていると、それにより心理的な影響が出たのか。

今年は、落果したユズを多く収穫して、ユズジャムを作り、それにお湯を注いで、ユズジャム茶?にして飲んだ。ひょっとすると花粉症に効果があるかもしれないという期待と単なる嗜好だけだが。

「日々農天気:田舎老人徒然草:ユズジャムに挑戦!;味香り それで十分 柚子の馬鹿。(http://af06.kazelog.jp/itoshikimono/2015/01/post-8be8.html)。(2015年1月14日 (水))」

ともかく、かなりの量を一人で消化した。結果は何とも言えない。花粉症シーズンにはユズジャム茶の事はすっかり忘れていた。最近、乾燥続きで、畑仕事をして埃を吸っていると思うが、花粉症らしい症状は出ていない。環境省の花粉情報システムのはなこさんで、群馬県衛生環境研究所の花粉飛散状況を見たら、まだ結構飛んでいる。ただ、杉花粉は4月、ヒノキ花粉は5月頃まで飛んでいるとの事で、ヒノキ花粉の量が表示されているのか。地域性もあるだろう。

ともかく、現在は花粉症からは解放されている。ユズジャム茶を飲んで、花粉症の症状が軽くなったか、定量的なデータは無いので何とも言えない。ただ、プラシーボ効果はあるかも知れない。今年は、樹上のユズの実が落果したり、棒でたたき落とした実を使った。来年はもっと早く収穫して、鮮度の良いユズの実でユズジャムを作ろうか。

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2015年5月14日 (木)

日々農天気:ジャガイモ栽培2015(ぼちぼち開花);久々に 畑土黒く 草元気。

2015年5月14日(木)
昨日は晴れ。最高気温(℃) 30.0 13:38。最低気温(℃) 15.2 00:03。ざっそう句;久々に 畑土黒く 草元気。期待した程の雨量では無かったが、有り難いお湿りだった。灌水は休み。用事外出。その後ある老朽物件の現地調査。関係者数人で対策を練る。昼食をして解散。その足でタウンウォッチング。買い物。ホムセンで修理部材の下見。依頼された殺草剤を購入。

2015年5月13日の天気(AMEDAS)

TAVE= 23.2 NO DATA
TMAX= 29.6 最高気温(℃) 30.0 13:38 
TMIN= 16.2 最低気温(℃) 15.2 00:03 
DIFF= 13.4  
WMAX= 9 最大瞬間風速(m/s)(風向(16方位))   17.4(西南西) 12:45 
SUNS= 12.1 NO DATA
RAIN= 0  


Q
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日々農天気:ジャガイモ栽培2015(ぼちぼち開花)

昨年はジャガイモを作ったが収穫ゼロ。今年は気合いを入れてつくろうと頑張った。降霜が心配だったが、芽の先端が少し凍害を受けたが、その後順調に育っている。

Iob_poteto2015
昨年、雑草、特にカナムグラが多く生えていた区画なので、カナムグラは目の敵にして引き抜いた。元肥無し。ダイコンや雑菜が育ってきた。雑菜は雑草扱い。ダイコンは間引いて野菜として食べた。

畝間に雑草が育ってきたので、除草を兼ねて土寄せをした。現在、ツボミが出て花が咲き始めている。雑草が多い区画だったので、今後は雑草管理が重要だろう。芽かきを行うというWEB情報もあるが、大きさを揃える必要もないので芽かき手抜き。収穫の目安が約100日と言う事で、様子を見ながら早めの収穫をしよう。

追記(2015/5/16):。
ジャガイモの画像を追加。花には小さなアブラムシが付着していた。

Iob_poteflwr 
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2015年5月13日 (水)

ハトよ 鳴いておくれ(愛しき古里):2015年憲法記念日の華蔵寺公園遊園地;青虫の 糞ポロポロと 古キャベツ。

2015年5月13日(水)
昨日は曇り夜雨。最高気温(℃) 20.6 13:27。最低気温(℃) 12.6 01:39。雨量は8mm。ざっそう句;青虫の 糞ポロポロと 古キャベツ。曇りだが野菜苗等に灌水。人参はようやく本葉1~2枚。集中灌水をしていた二列目のコーンが発芽を始めている。灌水をしない列の発芽は見えない。昼過ぎ老人モードで用事外出。宿題モドキ。チャリで移動するので曇天を選んだ。用事が終わる頃、雨がポツポツと降り出した。少し濡れたが肌まで濡れる程ではなかった。気象庁の「雨の強さに関する用語」=小雨 :数時間続いても雨量が1mmに達しないくらいの雨。帰宅後宅内閑居。資料整理。菜園の作物で今何とか食べられるのが、サニーレタス、タマネギ、キャベツ。キャベツには青虫が付き始めた。

2015年5月12日の天気(AMEDAS)

TAVE= 17.0 NO DATA
TMAX= 20.5 最高気温(℃) 20.6 13:27 
TMIN= 13.2 最低気温(℃) 12.6 01:39 
DIFF= 7.3  
WMAX= 2.8 最大瞬間風速(m/s)(風向(16方位)) 8.4(西)   22:35 
SUNS= 0.9 NO DATA
RAIN= 8  


Q
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ハトよ 鳴いておくれ(愛しき古里):2015年憲法記念日の華蔵寺公園遊園地

今年は、終戦後70年目の節目の年に当たる。それだけで無く、我が愛しき古里伊勢崎が、市制施行75年と旧佐波郡赤堀町、東村、境町と旧伊勢崎市の市町村が合併した平成の大合併から10年という節目を迎えた年でもある。

先日、華蔵寺公園遊園地へいったのが丁度、憲法記念日であった。だが、毎日が日曜日の身分になって、つい憲法記念日の事を忘れていた。仮に、日本が憲法を変えて、その後の日本がどんな日本になるか考えると、やはり日本は戦争から得た教訓と平和を最優先する国で有り続けて貰いたいと思うのである。

Iob_kezoujip2015
当日はまさに五月晴れで、華蔵寺公園遊園地は大勢の来客で満員であった。これも、日本が平和だからだ。もし、日本が平和憲法を改悪して、徴兵制ができたら、俺たちの孫子の世代は、この平和を堪能できるのだろうかとふと不安が横切る。

華蔵寺公園には、幾つもの記念碑がある。遊園地の南側の木立に隠れるように立っているのが、「伊勢崎耕地整理事業完成記念碑」である。碑の上部に「都市建設礎業」と大きく刻まれている。

「ハトよ 鳴いておくれ(愛しき古里):華蔵寺公園にある「伊勢崎耕地整理事業完成記念碑」は何を語るか (http://af06.kazelog.jp/itoshikimono/2013/05/2013-a2f4-1.html)。(2013年5月 7日 (火))」

「愛しき古里:伊勢崎市役所北門脇にひっそりと佇む「石川泰三翁寿像」は何を想う(http://af06.kazelog.jp/itoshikimono/2013/02/post-4500.html)。(2013年2月17日 (日))」

我が父は昭和14年にノモンハン事件に従事、「都市建設礎業」記念碑が建てられた昭和15年の翌年に一時召集解除となるも、再度昭和18年臨時召集を受け、そのご終戦までほとんど軍隊生活を送った。それも貴重な青春時代なのだから、平和のありがたさは身にしみて感じていたと思う。

華蔵寺公園遊園地では、平和で長閑な風景の中を、多数の家族連れ等々が休日を楽しんでいた。70年前、華蔵寺公園でこのような風景が見られたのだろうか。

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2015年5月12日 (火)

東北の海よ:がんばれ! ふくしま:Googleキーワード動向2015年05月;ばったりと 会って話せば ドンピシャリ。

2015年5月12日(火)
昨日は晴れ。最高気温(℃) 24.8 14:28。最低気温(℃) 9.5 05:50。ざっそう句;ばったりと 会って話せば ドンピシャリ。野菜苗等に灌水。接ぎ木苗に枯れ草マルチを敷く。ツル無しインゲンを少し蒔いた。畑土は乾燥しているので灌水。蒔いてから灌水、覆土という順で、種子間隔が、水で狂ってしまった。灌水、種まき、覆土、灌水という手順の方が良かったろう。午後、用事外出。ようやく、AMEDAS予報に雨マークが出てきた。だが、現在は日本各地に乾燥注意報が出ている。台風6号が日本に向かっている。関東地方を通過する可能性もあるようだ。ついでに寄ったベイシア駅前店の駐車場の発券機が稼働していた。ばったり話の後買い物。

2015年5月11日の天気(AMEDAS)

TAVE= 17.1 NO DATA
TMAX= 24.1 最高気温(℃) 24.8 14:28 
TMIN= 10.1 最低気温(℃) 9.5 05:50 
DIFF= 14  
WMAX= 5.3 最大瞬間風速(m/s)(風向(16方位)) 13.0(北西)   00:04 
SUNS= 11.5 NO DATA
RAIN= 0  


Q
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東北の海よ:がんばれ! ふくしま:Googleキーワード動向2015年05月

東日本大震災発生後、その関連キーワードヒット数をGoogle検索で断片的に調べている。発災から4年2ヶ月になる2015年05月11日に調べた(発災後1522日)。その中で、現在でも影響が残っている「福島原発 放射能」というキーワードの時系列データをグラフにしてみた。

Iob_gkw150511

そもそも、Google検索のヒット数が何を意味するかはっきりしない。ただ、Googleのビジネスモデルの基本である検索結果をその情報があるリンクで返す内容に不適切な問題があれば、ビジネスモデルが成立しなくなるように考えられる。従って、検索キーワードに対応する情報が掲載されているサイトは実在するのであろう。

そのような、検索の信頼性を保持するためには、リンク情報を継続的に確認して、存在しないリンク先を除外しないと、Googleユーザは目的のサイトを開けなくなり、検索で広告収入を得るという広告依頼者の要求に応じられなくなるだろう。検索ヒット数の増減の意味もはっきりしない。キーワードによると、相当大きな変動が起きる場合もある。その理由も分からない。

一方、GoogleはGoogleトレンドという時系列傾向調査サービスを提供している。この機能で「福島原発 放射能」を表示すると、多少の増減を伴うが、マクロ的には一種のインパルス応答のような減衰曲線になっている。比較のため、Googleトレンドでキーワード「安倍晋三」を検索すると、そのピークの出方に政治の流れが反映されているようにも感じる。

直線目盛りと対数目盛では、印象が大きく異なるが、「福島原発 放射能」というキーワードのヒット件数はまだ約681000と多いので、今後も急激に下がりそうでもない。一般市民の「福島原発 放射能」と言うキーワードに対する関心が低下しても、その影響を受ける被災者は減らないのである。特に、福島原発事故周辺の町村の避難者は、いつ帰還できるかも分からず、避難先に永住をせざるを得ないと考えている住民も多くなる傾向があるようだ。このような現実の中で、避難者の苦痛は計り知れないが、一般の関心は時と共に低下するとなると、原発事故の非人間性を恨んでも恨みきれないように感じる。

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2015年5月11日 (月)

ハトよ 鳴いておくれ:日々農天気:旧境町の蕗(フキ)畑を拝見!;大風が 吹いて母の日 何も無し。

2015年5月11日(月)
昨日は晴れ。最高気温(℃) 23.3 14:09。最低気温(℃) 12.5 23:28。最大瞬間風速(m/s)(風向(16方位)) 20.0(北北西) 17:02。ざっそう句;大風が 吹いて母の日 何も無し。相変わらずの晴天。午後強風(アメダス天気図参照)。灌水。灌水が大変なので、乾燥防止のため果樹苗の根本に枯れた雑草等を敷いた。柿の接ぎ木苗は発芽の気配無し。柿の根はゴボウ根で細根が少ないので水分吸収能力が低いのか。台芽の発生も少ない。ゴボウ区画の草むしり。雑草の中に埋もれてしまった。ゴボウは根が深いだろうと灌水をサボっていたので生育が遅い。今年は母の日も代替わりしそうだ。

2015年5月10日の天気(AMEDAS)

TAVE= 17.5 NO DATA
TMAX= 23 最高気温(℃) 23.3 14:09 
TMIN= 12.6 最低気温(℃) 12.5 23:28 
DIFF= 10.4  
WMAX= 10.2 最大瞬間風速(m/s)(風向(16方位))   20.0(北北西) 17:02 
SUNS= 11.7 NO DATA
RAIN= 0  

Iob_tenkizu15051018 
Q
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ハトよ 鳴いておくれ:日々農天気:旧境町の蕗(フキ)畑を拝見!

我が家のフキは、畑の隅に放任されている。食材として、ほとんど見捨てられているに近い。年に数回、季節の山菜のように味わうだけだ。年を取ると、その何とも言えない風味が嬉しくなる。季節感を味わう山菜に近いだろう。

Iob_fukihatake 
先日、旧境町の畑の中を走行中、立派なフキの畑に出会って、ついカメラを向けてしまった。綺麗に手入れされ、すくすく育っている様子から、野菜の優等生のような印象を受けた。

多分、フキは、根茎から増やすのだと思うが、種子から増やす方法もあるのか。ともかく、一種の宿根草のようなので、その栽培方法に興味を持った。

それよりも、あれだけ大量に作ったら、販売はどうするのかも気になった。市場に出荷するのか、独自に出荷ルートを持っているのか。フキノトウで売るのか、葉柄を束ねて売るのかも気になる。ともかく、面白い食材を生産している農家もいるのを知って元気づけられた。

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2015年5月10日 (日)

読みかじりの記:ES細胞 万能細胞への夢と禁忌   大朏博善 著 (2000年 株式会社 文藝春秋);メダカ飼い 夏を楽しも ベビーバス。

2015年5月109日(日
昨日は曇り。最高気温(℃) 21.5 13:55。最低気温(℃) 16.1 22:35。ざっそう句;メダカ飼い 夏を楽しも ベビーバス。パラパラと期待の雨と思ったが雨量にならない程度。P区画のタマリュウ等に灌水。本葉一枚程度の這キュウリの苗を定植。百均のミニトマトとナスの種子をポットと苗箱に蒔いた。用土は腐葉土に微量の鶏糞を混合した物。直播きだと雑草対策と苗の管理が大変なので集中管理にする。ミカンの接ぎ木苗は発芽を始めている。ミカンの若葉にはエカキ虫/ミカンハモグリガが入り被害を受ける。様子を見ながら対策を考えたい。台芽も同時に出る。台芽除去をしないと間借りの穂木の方へ養分が回らなくなるので台芽除去も不可欠。メダカを飼うベビーバスにはスイレンも入れた。以前、もらったメダカを手入れ不足で全滅させてしまった。

2015年5月9日の天気(AMEDAS)

TAVE= 18.4 NO DATA
TMAX= 21.2 最高気温(℃) 21.5 13:55 
TMIN= 16.3 最低気温(℃) 16.1 22:35 
DIFF= 4.9  
WMAX= 3.2 最大瞬間風速(m/s)(風向(16方位)) 6.2(南)   14:21 
SUNS= 0 NO DATA
RAIN= 0  


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読みかじりの記:ES細胞 万能細胞への夢と禁忌   大朏博善 著 (2000年 株式会社 文藝春秋)

昨年の一月に、一躍脚光をあびてマスコミを賑わしたSTAP細胞が、予想もつかない方向へ暴走を始めた。先ず、STAP細胞のデビューが本書のタイトルに含まれる「夢」を庶民に与えたからでもあろう。更に、リケジョという言葉が夢・バブルのように膨らみ、ついにバブルのように崩壊してしまった。本書を手にした理由は、STAP細胞事件の背景にあるES細胞を理解して、再度STAP細胞事件を振り返えって見ようと思ったからである。

本書が書かれた時点では、まだiPS細胞も作られておらず、まさに、人間の不老長寿、四苦八苦からの解放等々の夢が、ES細胞で実現されるだろうという願望が高まった時だったかも知れない。STAP細胞事件の現場が、まさに新しくつくられた理化学研究所CDBであったのが、何か因縁のように感じられる。

本書でも、まえがきで、二十一世紀がライフサイエンスの時代、遺伝子革命の時代であると述べているが、庶民が最新の科学技術の実態を正確に知る事は非常に困難だ。理化学研究所としても、最近は、この分野が研究の主力に育っているのだろう。以下に、本書の各章のタイトルを記すと、本書の内容がイメージできるだろう。

第一章 ES細胞の前史---ひっぱりだこの胎児細胞
第二章 ES細胞の発見---あらゆる器官をつくる始原細胞
第三章 ES細胞の利用---トランスジェニック・マウス
第四章 ヒトES細胞の発見---競争・規制・促進
第五章 事業化への発想---クローン動物とES細胞技術
第六章 人工臓器---器官のオーダーメイド承ります 
第七章 ヒトゲノム計画の展開ES細胞---悪夢か福音か
終章 危機感と倫理観と---あとがきにかえて

「理研精神八十八年(2005年3月20日発行)」のPDF版が理化学研究所のホームページに掲載されている。

理化学研究所は、WIKIPEDIA「理化学研究所。(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%90%86%E5%8C%96%E5%AD%A6%E7%A0%94%E7%A9%B6%E6%89%80)」によれば、「財団法人 理化学研究所[編集]:大正期の理化学研究所1917年(大正6年)に渋沢栄一を設立者総代として皇室・政府からの補助金、民間からの寄付金を基に「財団法人理化学研究所」を東京都文京区駒込に設立。伏見宮貞愛親王が総裁、菊池大麓が所長に就任。」とあり、二年後に理研創設から100年になるが、その輝かしい伝統をSTAP細胞事件が真っ黒に塗りつぶしてしまったように感じる。

上記、「理研精神八十八年」には、「理研に白羽の矢(P352):国の政策遂行の研究機関として、理研に白羽の矢が立てられ、2000年4月、理研は「横浜研究所」を開設し、1998年10月に設置していたゲノム科学総合研究センター(GSC)に加え、新たに植物科学研究センター(PSC)と遺伝子多型研究センター(SRC)を設置する。2000年4月に設置した発生・再生科学総合研究センター(CDB)は、その2年後(2002年4月)に開設した「神戸研究所」の所属となる。また2000年4月には、それまでのライフサイエンス筑波研究センターを「筑波研究所」と改称し、そこに2001年1月、バイオリソースセンター(BRC)を設置した。その後、横浜研究所には、2001年7月に免疫・アレルギー科学総合研究センター(RCAI)が加わり、4研究センター体制となった。」と誇らしげに記述されている。

STAP細胞事件を正確に理解するためには、ES細胞の理解が不可欠だ。理化学研究所が大々的に打ち上げたSTAP細胞が実はES細胞だったと確定した現在、STAP細胞事件はまさに世紀の大捏造事件になったのではないか。本書を読んで、ES細胞も倫理的観点から、種々の問題を抱えていた事が良く分かった。当然、そのような背景があってこそ、iPS細胞の作成が科学上の業績として一層輝くのだ。

昨年(2014年1月)、そのES細胞以上に画期的なSTAP細胞が作られたと発表され、早くもノーベル賞候補と持て囃された。だが、時代は高度に情報通信技術が発達して、誰でもが、その原論文にアクセスできるようになっていた。当然、価値ある情報ほど厳格に評価されるべきなのだ。それを、組織的に行ってきたのが、官報や特許公報ではないか。発表されたSTAP細胞論文の不具合点が続々指摘され、ついに理化学研究所がその問題に介入を始めた。これを言い換えれば、STAP細胞論文は理化学研究所の利害を反映していたのではないかと思われるのだ。

科学雑誌ネイチャーに掲載されたSTAP細胞論文の著者の内、理化学研究所関係者は論文筆頭著者を含めて4名であった。論文筆頭著者を除いた3名の科学者が、理化学研究所でES細胞の研究に従事していたという点が、事件解明の途中ほとんど注目を集めなかったのは、今となっても怪訝に思われるのだ。

理化学研究所の理事長の辞任、論文不正の調査、再発防止と形式的な手順を踏んで、当局は、本事件の終息を宣言し、マスコミ、ジャーナリズムの動きも見えなくなっている。だが、このSTAP細胞事件は、一時的に動きが収まったように見えているだけで、いつマグマが吹き出るか誰も予想できない状況にあるように見える。

この事件で、一番怖いと思ったのは、科学者の倫理意識のありかたであった。素人見には、共著者全員が、一堂に集まって共同記者会見をすれば、矛盾点もはっきりすると思った。だが、STAP細胞が事件の様相を示し始めると、共著者はお互い敵の如く振る舞い、科学という崇高な目的を忘れているかのように振る舞った姿を見るにつけ、科学者の危なさを意識させられたのである。極論すれば、自分の利益の為に科学の精神も売ってしまわないかという疑問だ。

本書でも、多くの需要があり、供給が極めて限られるので、病気の治療の為の臓器売買は必要悪として、行われてきた例が述べられている。タテマエでは人の命は平等だと言われるが、平等になるまでの道のりは遠いのが実状だろう。ES細胞の研究者が、iPS細胞の出現で、研究の傍流に立たされたという見方も、本書によれば、ある程度納得できる仮説かも知れない。

キーワード「STAP細胞」でGoogleサイト内検索(https://www.google.co.jp/webhp?tab=ww#q=STAP%E7%B4%B0%E8%83%9E%E3%80%80site:http:%2F%2Faf06.kazelog.jp%2F)。

日本経済新聞は、「STAP、謎残し幕引き 理研は特許取り下げへ 。;http://www.nikkei.com/article/DGXLASGG26H4D_W4A221C1EA1000/。(2014/12/27 1:33 ))」というタイトルで、「 理化学研究所の調査委員会は26日、STAP細胞の存在を否定する報告書をまとめた。別の万能細胞である胚性幹細胞(ES細胞)が混入した可能性が高いと結論づけた。小保方晴子氏ら関係者への聞き取りはしたものの、なぜ混入を見抜けないまま論文が発表されたのか真相は解明できなかった。1年近く続いたSTAP騒動は、多くの謎が残されたまま幕引きとなった。」と報じた。

本書には、バイオテクノロジーに関する特許等の知的所有権は膨大な利益を生む事を述べている。従って、バイオテクノロジーの特許は国家戦略と言えるだろう。TPP交渉で知的所有権の問題がどのように扱われているのか詳細が報じられていない。iPS細胞細胞に関する特許では、日本は優位性を保っているようだ。尚、特許電子図書館はサービスが終了し、新しい「特許情報プラットフォームサービス」が開始されている。そのサービスにより、「ES細胞」を検索すると「ヒット件数 529件」と表示された。尚、ES細胞AND理化学研究所では「ヒット件数 36件」と表示された。(ヒット件数はデータベース遡及制限があるので少なくても、ヒット件数以上のデータがある場合もあり得るだろう。)

キーワード「iPS細胞 特許」でGoogleサイト内検索(https://www.google.co.jp/webhp?tab=ww#q=iPS%E7%B4%B0%E8%83%9E%E3%80%80%E7%89%B9%E8%A8%B1%E3%80%80site:http://af06.kazelog.jp/&start=0)。

STAP細胞に関しては、国際特許が出願されているが、ネイチャー誌のSTAP細胞論文が取り下げられ、STAP細胞が存在しないと確定した現在、その価値は無いに等しいだろう。ただ、いかなる目的で、国際特許が出願されたかの解明は今後の課題であろう。たった一度だけ、STAP細胞から作られたキメラマウスが生まれたとという事が真実という前提で出願されたのか。

ただ、現在はSTAP細胞から作られたキメラマウスが実は、ES細胞から作られていたとするのが真実であると理化学研究所が公表している以上、最早STAP細胞問題は、捏造事件として扱うべき段階だろう。複雑な科学的操作をしなければ、キメラマウスを作る事は不可能なのだから、それを作った人も必ずいる筈だ。ただ、作った人が、意識して作ったのか、故意で作ったのか、知らずに出来てしまったのか、それとも、誰かES細胞を混入させて実験責任者が気付かぬように操作して、実験責任者はそれを知らずに、キメラマウスが出来てしまったのか、手元を見ない限り神すら分からないのが人間の世界だ。

本来、なぜES細胞の混入が起きたのか、誰がその混入をさせたのかを特定しない限り、真相は明らかにならないのだ。だが、実験室へ入室できる人が制限されていなかったとい後付けの理由で、理化学研究所はその解明責任を放棄してしまった。この禍根は永久に残るだろう。ただ、理化学研究所のような施設に、よそ者が入る事は不可能に近いのではないか。実験室にアクセスできる可能性がある人物は星の数ほどいる筈は無い。要するに、それを解明すると理化学研究所に不都合になるだけで取りやめたと考える人が多いのではないか。

STAP細胞事件が理化学研究所の研究者にどのような影響を与えたかに関しては、具体的な報道が少なくはっきりしない。ただ、CDBは改組され、「発生・再生科学総合研究センター(2000~2014年)は2014年11月の改組に伴い、センター名を「多細胞システム形成研究センター」に変更すると共に、研究組織を再編しました。(http://www.cdb.riken.jp/aboutthis.html)」とある。

「CDBは2014年11月の改組に伴い、研究室の編成と組織を再編しました。運営機能を強化すると共に、研究組織としては4つのプログラム、「細胞環境応答研究プログラム」、「器官創生研究プログラム」、「幹細胞臓器再生研究プログラム」、「発生・数理科学研究プログラム」と、これらのプログラムから得られる成果を臨床研究に展開し、新しい医療技術の創出に導く「網膜再生医療研究開発プロジェクト」を設置しています。(http://www.cdb.riken.jp/about/organization.html)」

組織の単純・軽量化、人材の流出・分散、予算の減少等々で、日本のバイオテクノロジーの総本山の地位は低下したのだろうか。この分野には、ピペット奴隷という言葉もあるようだ。研究所が軍隊のように整備されると、研究の自由も保障されず、研究者も自分が全体の中で何を受け持っているか分からなくなる恐れもあるだろう。

バイオテクノロジー研究機関も一歩間違えば、旧陸軍の731部隊になり下がる危険が皆無とは言えないだろう。ES細胞の研究は、まさに神の領域に人間が手を付ける事に通じる。

WIKIPEDIA「731部隊。(http://ja.wikipedia.org/wiki/731%E9%83%A8%E9%9A%8A)」

STAP細胞事件は、日本の科学界が、危機一髪の所で、壊滅する段階まで到達した、記録すべき事件のように見える。今となっては、理化学研究所100年を大々的に祝える状況にはないのかも知れない。ただ、今回のSTAP細胞事件が、理化学研究所が次の百年の歩みを始めるための試金石になるのは確実ではないか。是非、そうなって貰いたいものだ。

本書を読んで、ES細胞の持つ意味と、その研究の意味もおぼろげながら分かりかけてきた。iPS細胞が作られたのも、ES細胞の長期間の研究が背景にあった筈だ。

「巨人の肩に乗った小人(http://af06.kazelog.jp/itoshikimono/2008/12/post-69ad.html)。(2008年12月 9日 (火))」の事を思い出す。

本書を読みかじったのと、特許情報プラットフォームサービスが開始され、そのシステムを初めて使ってみようととして、ネイチャー誌STAP細胞論文の理化学研究所関係著者が関係する特許を調べて見た。故笹井芳樹前CDB副センター長を筆頭に理化学研究所でのES細胞の研究成果が特許という形で具体的に浮かび上がってきた。一方、STAP細胞論文筆頭著者のES細胞に関する特許はヒットしなかった。

STAP細胞を作るにも、一般の人には伝えにくいコツがあると言われてきた。STAP細胞事件の初期には、STAP細胞は明らかにできたとして、それを再現するプロトコルも作られた。今から振り返ると、このプロトコルも捏造だったのではないか。STAP細胞研究の専門家である論文筆頭著者が、何度も実験してもSTAP細胞が出来なかったのも謎めいている。それほど難しいなら、ES細胞をSTAP細胞と偽ってキメラマウスを作るのも相当難しいのではないか。従って、キメラマウスができたという事実の裏側には相当技術レベルの高い謎の人物がいなければならないと素人は予想することしかできないのではないか。

ES細胞とiPS細胞は、STAP細胞事件発生時点で、既に科学・技術的に確立されていたのであり、STAP細胞事件は、それらの基礎の上で演じられた訳である。ここで、思い出すのは、古代史の発掘(旧石器)捏造事件である。

WIKIPEDIA「旧石器捏造事件。(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A7%E7%9F%B3%E5%99%A8%E6%8D%8F%E9%80%A0%E4%BA%8B%E4%BB%B6)」

Googleでキーワード「旧石器捏造事件」を検索(https://www.google.co.jp/webhp?tab=ww#q=%E6%97%A7%E7%9F%B3%E5%99%A8%E6%8D%8F%E9%80%A0%E4%BA%8B%E4%BB%B6)。

STAP細胞事件も発掘(旧石器)捏造事件とどこか類似の構造を持つように感じるが、STAP細胞事件の方は、科学的事実で検証が可能であった事や情報化時代という動きの速さにより、急速にフィードバックがかかり、事態の深化・拡大が防止出来たのは不幸中のが幸いだったのかも知れない。

 参考年表(WIKIPEDIA等から引用)

ネン 記事キジ
1865年 メンデルが遺伝の法則を発見(オーストリア)
1953年 ワトソンとクリックがDNA二重らせん構造を解明(米国)
1973年 コーエンとボイヤーが大腸菌を使った初の遺伝子組み換えに成功(米国)
1956 (昭和31)ネン 日本初の腎臓移植
1964 (昭和39)年 日本初の肝臓移植
1962年 ジョン・ガードンは、1962年に分化した体細胞は胚性の状態にリプログラムすることができることを、オタマジャクシの腸上皮細胞を徐核したカエルの卵に移植することで実証した。この業績により、2012年にノーベル賞を受賞した。
1968 (昭和43)年 日本初の心臓移植(和田心臓移植)
1981年 マウスES細胞は1981年に樹立。
1989年 山中ヤマナカ伸弥シンヤ:1989年(平成元年)に大阪市立大学大学院に入学。山本研二郎が教授を務めていた薬理学教室で、三浦克之講師の指導の下、研究を開始。
1981年 1981年、胚性幹細胞(ES細胞)が、マウスの胚から2つの研究グループによって独立に樹立された。ケンブリッジ大学遺伝学部門のマーティン・エヴァンズおよびマシュー・カウフマンが7月に初めて報告し、子宮内のマウス胚を培養し、ES細胞を樹立する新たな技術を明らかにした[3]。カリフォルニア大学サンフランシスコ校解剖学部門のゲイル・R・マーティンは12月に論文を発表し、「胚性幹細胞」という用語を作った[4]。彼女は、胚がin   vitroで培養できること、これらの胚からES細胞を樹立できることを示した。
1990年 ヒトゲノム計画:このプロジェクトは1990年に米国のエネルギー省と厚生省によって30億ドルの予算が組まれて発足し、15年間での完了が計画されていた。
1997年 ドリー(Dolly、1996年7月5日   -   2003年2月14日)は、世界初の哺乳類の体細胞クローンである雌羊。スコットランドのロスリン研究所で生まれ育ち、6歳で亡くなる。ドリーの誕生は1997年2月22日に発表された。
1998年 1998年、ウィスコンシン大学マディソン校のジェームズ・トムソン(英語版)によって率いられた研究者らが、ヒト胚性幹細胞を単離・培養する技術を初めて開発した[5]。
2000年 発足後、プロジェクト(ヒトゲノム計画)は国際的協力の拡大と、ゲノム科学の進歩(特に配列解析技術)、及びコンピュータ関連技術の大幅な進歩により、ゲノムの下書き版(ドラフトとも呼ばれる)を2000年に完成した。
2001年 米国ブッシュ政権が2001年8月に公的研究費による新たなヒトES細胞の樹立を禁止
2002年 理化学研究所:神戸研究所に発生・再生科学総合研究センターが移設
  (2002年4月)
2003年 ヒトゲノム計画:完全・高品質なゲノムの完成に向けて作業が継続されて、2003年4月14日には完成版が公開された。
2006ネン 2006年(平成18年)、山中伸弥率いる京都大学の研究グループによってマウスの線維芽細胞(皮膚細胞)から初めて作られた。
2006ネン 2006年にAdvanced   Cell Technology社のRobert   Lanzaらのグループは、マウス[7]およびヒト[8][9]において、胚盤胞期以前の卵割期の胚の単一割球のみを用いて、胚の発生能を損なうことなく、ES細胞を樹立することに成功した。この技術開発により受精卵を破壊せずにES細胞の樹立を行うことが可能になった。   同年、ニューキャッスル大学のMiodrag   Stojkovicらのグループが、発生停止したヒトの胚からES細胞を樹立することに成功した[10]。これにより、不妊治療において廃棄されていた過剰な卵を用いることが可能になった。
2008ネン 国内で唯一3株のヒトES細胞株樹立に成功している京都大学再生医科学研究所において、これまで樹立を行ってきた末盛博文准教授が、今回新たに2株の樹立に成功した。これらの細胞株はKhES-4,   KhES-5と呼ぶことにする。樹立日は2008年12月とする。これによって、合計5株のヒトES細胞株が樹立されたことになり、新規2株も今後使用機関に分配される。(http://www.kyoto-u.ac.jp/static/ja/news_data/h/h1/news6/2008/081205_1.htm)
2012ネン 「成熟細胞が初期化され多能性をもつことの発見」により2012年のノーベル生理学・医学賞を受賞した[1][2]。
2013ネン STAP細胞国際特許出願日20131031(https://patentscope.wipo.int/search/docservicepdf_pct/id00000022883817.pdf)
2014年 2014年1月に小保方晴子(理化学研究所)らが、チャールズ・バカンティ(ハーバード・メディカルスクール)や若山照彦(山梨大学)と共同で発見したとして、論文2本をネイチャー(1月30日付)に発表した[9][10]。
2014ネン 2014年8月5日   ... 弊所 発生・再生科学総合研究センター(CDB)の笹井芳樹副センタ―長(52歳)は、5日 11時03分に死去いたしました。   謹んでお悔やみ申し上げます。 (http://www.riken.jp/pr/topics/2014/20140805_1/)
2014ネン 2014年9月12日、理化学研究所発生・再生科学総合研究センターと先端医療センター病院がiPS細胞から作った網膜の細胞を、「加齢黄斑変性」の患者に移植する臨床研究の手術を行ったと発表[45][46][47]。

以下は、特許情報プラットフォームサービスを使用した研究者別特許検索結果である。

特許情報プラットフォームサービスにより検索ケンサクしたネイチャーSTAP細胞論文ロンブン理研リケン関係カンケイ著者チョシャ特許トッキョ        
 
項番
文献番号 発明の名称 筆頭出願人 発行日 出願番号 出願日 筆頭IPC
  (登録公報・US和抄は権利者を表示)
笹井芳樹
1
特開2013-128477 網膜層特異的神経細胞を製造する方法 住友化学株式会社 他 2013年7月4日 特願2012-043083 2012年2月29日 C12N 5/0797
  2 特開2013-128476 眼杯様構造体の製造方法 住友化学株式会社 他 2013年7月4日 特願2012-043082 2012年2月29日 C12N   5/071
  3 特開2013-128475 網膜組織の製造方法 住友化学株式会社 他 2013年7月4日 特願2012-043081 2012年2月29日 C12N   5/071
  4 特開2013-128474 網膜色素上皮細胞の製造方法 住友化学株式会社 他 2013年7月4日 特願2012-043080 2012年2月29日 C12N   5/071
  5 特開2013-110988 多能性幹細胞由来の組織の凍結保存方法 住友化学株式会社 他 2013年6月10日 特願2011-258208 2011年11月25日 C12N   1/04
  6 特開2013-099345 幹細胞の培地及び培養方法 独立行政法人理化学研究所 2013年5月23日 特願2013-004088 2013年1月11日 C12N   5/0735
  7 特開2012-245007 無血清浮遊培養による胚性幹細胞の神経分化誘導法 独立行政法人理化学研究所 2012年12月13日 特願2012-183508 2012年8月22日 C12N   5/079
  8 特開2010-166901 卵膜由来細胞の細胞外マトリクスを用いた多能性幹細胞の培養方法 独立行政法人理化学研究所 他 2010年8月5日 特願2009-197239 2009年8月27日 C12N   5/07
  9 特開2008-099662 幹細胞の培養方法 独立行政法人理化学研究所 2008年5月1日 特願2007-118183 2007年4月27日 C12N   5/06
  10 特開2005-333904 羊膜由来因子による胚性幹細胞の培養方法 独立行政法人理化学研究所 他 2005年12月8日 特願2004-158421 2004年5月27日 C12N   5/06
  11 特開2004-298108 水晶体細胞の作製方法、およびこの方法によって得られる水晶体細胞 独立行政法人 科学技術振興機構 2004年10月28日 特願2003-096002 2003年3月31日 C12N   5/06
  12 特表2013-509859 幹細胞の分化誘導方法 独立行政法人理化学研究所 2013年3月21日 特願2012-521401   C12N   5/0735
  13 特表2010-504090 幹細胞の培地及び培養方法 独立行政法人理化学研究所 2010年2月12日 特願2009-528790   C12N   5/07
  14 再表2013/065763 幹細胞の培養方法 独立行政法人理化学研究所 2015年4月2日 特願2013-541830   C12N   5/0735
  15 再表2009/148170 幹細胞の培養方法 独立行政法人理化学研究所 2011年11月4日 特願2010-515950   C12N   5/0797
  16 再表2006/004149 神経細胞の製造方法 協和醗酵工業株式会社 他 2008年4月24日 特願2006-528933   C12N   5/06
  17 再表2005/123902 無血清浮遊培養による胚性幹細胞の神経分化誘導法 独立行政法人理化学研究所 2008年4月10日 特願2006-514858   C12N   5/06
  18 再表03/042384 胚性幹細胞から外胚葉系細胞への分化誘導剤、その取得方法及びその用途 協和醗酵工業株式会社 他 2005年3月10日 特願2003-544199   C12N   15/09
  19 再表01/088100 胚性幹細胞の外胚葉系細胞への新規な分化誘導法及びその用途 協和醗酵工業株式会社 他 2003年8月5日 特願2001-585308   C12N   5/06
                 
若山ワカヤマ照彦テルヒコ
1
特開2013-134491 顕微鏡および光透過ユニット 独立行政法人理化学研究所 他 2013年7月8日 特願2011-286996 2011年12月27日 G02B 21/06
  2 特開2009-268423 動物組織からクローン動物ならびにntES細胞を作成するための新規方法 独立行政法人理化学研究所 2009年11月19日 特願2008-123133 2008年5月9日 C12N   5/10
  3 特開2009-159878 非ヒトES動物の新規作成方法 独立行政法人理化学研究所 2009年7月23日 特願2008-000089 2008年1月4日 A01K   67/027
  4 特開2009-005651 精子細胞の保存方法 独立行政法人理化学研究所 2009年1月15日 特願2007-171788 2007年6月29日 C12N   5/06
  5 特開2008-263815 キレート剤を用いた卵子の活性化 独立行政法人理化学研究所 2008年11月6日 特願2007-109238 2007年4月18日 C12N   1/00
  6 特開2007-244271 ES細胞の分化能の改善方法 独立行政法人理化学研究所 2007年9月27日 特願2006-071193 2006年3月15日 C12N   5/10
  7 特開2007-117081 核移植卵子の作製方法 独立行政法人理化学研究所 2007年5月17日 特願2006-208565 2006年7月31日 C12N   5/10
  8 特開2006-223220 トランスジェニック非ヒト動物の作成方法 独立行政法人理化学研究所 2006年8月31日 特願2005-042661 2005年2月18日 A01K   67/027
                 
丹羽ニワ仁史ヒトシ 1 再表2004/039965 多能性幹細胞培養用の組成物とその使用 独立行政法人理化学研究所 他 2006年3月2日 特願2004-548105    
小保方晴子 0              

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  • 橋本 英文: 刃物雑学事典 図解・刃物のすべて(1986年 株式会社 講談社 ブルーバックス B-659)
    刃物という視点で多くの事例が取り上げられている。刃のある道具の理解にも役立つ。類書が少なく貴重な一冊。「すべり変形が切断の原理」という考え方で説明している。
  • 沼田 真   : 植物たちの生( 1972年 岩波新書(青版 833))
    「ご要望にお応えしてアンコール復刊(1988年岩波新書50年記念復刊) 地球生態系の中で自然を見直す」(腰巻きのフレーズ)。植物の知恵と戦略に人類は勝てるのか。
  • 出町 誠: 14_NHK趣味の園芸:よく分かる栽培12ヶ月  カキ(NHK出版2007年)
    初心者向け柿栽培参考書(新版)。旧版と比較すると楽しい。
  • 中村三夫: 13_NHK趣味の園芸:作業12ヶ月  カキ(NHK出版1996年)
    初心者向け柿栽培参考書(旧版)。新版と比較すると楽しい。
  • 山科正平: 12_細胞を読む   電子顕微鏡で見る生命の姿
    細胞はどんな部品からできているのか。そんな疑問に答えてくれる一冊。何事も形を見るのが第一歩。μからÅオーダーの世界で、細胞をメスで解剖するように、電子顕微鏡というメスで解剖して見せてくれるので興味が尽きない。
  • 柳田充弘: 11_細胞から生命が見える
    著者の専門は分子生物学、細胞生物学。普段生物を考えても細胞レベルで止まってしまう。その細胞の中で色々な分子が働いている。細胞こそ生命の基礎だが、その細胞の中の動きを知るのに最適な一冊。疑問の発端はなぜ発根剤が効くのかということ。薬剤が細胞膜を通過して細胞内で分子と分子が作用するイメージができた。本書でできた細胞のイメージは小さな無数の穴が空いた水分が充満したヨーヨーのようなもの。そのヨーヨーの中に分子部品が詰まっている。細胞自体もタライの中のヨーヨーのように浮かんでいる。細胞図面の空白部は真空でなく水分だ。細胞の内外に水がないと細胞は生きられない。水が生命のゆりかごだ!
  • 野口悠紀雄: 10_ホームページにオフィスを作る(2001年 光文社)
    ITが輝いた時代の作品。HPの活用法は参考になる。参考:url=http://www.noguchi.co.jp/(野口悠紀雄 ONLINE)
  • 小池洋男 編著: 09_果樹の接ぎ木・さし木・とり木(農文協:2007/3/31第1刷)
    やや専門的であるが、実務専門化が分担執筆しており、その場で役に立つ一冊。
  • ノーバート・ウィーナー(鎮目恭夫訳): 08_サイバネティックスはいかにして生まれたか(みすず書房1956)
    情報と通信という現代社会に不可欠の基礎的な学問を作った著者の自伝とそれを通した科学史
  • 沼田 真(編): 07_雑草の科学(研成社1979)
    雑草を多面的に解説し防除の基礎も述べる

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    POST IT :ブログ画面への張り紙に使える。
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    2010/8/4:MEMO等の表示に使える。 農作業で気になる自戒の言葉 ■畑の石ころはいつまで経ってもても石ころ(早く拾って片づけよという意味か)。 ■同じ石を二度拾うな(やってみると難しい)。 ■手ぶらで歩くな。 ■三つ先のことを読め。 ■適当な観察。 ■空を見よ(気分転換、休憩、天気を読む、腰曲がり防止)