« 2012年2月 | メイン | 2012年4月 »

2012年3月

2012年3月11日 (日)

ざっそう句(Weedy Haiku Records):津波と老学ドナルド・キーンさん(Tsunami and an old scholar Mr. Donald Keene)

2012/3/11(日)
昨日は雨。午後の後半より曇り。用事外出。ついでに書店に立ち寄る。文庫本一冊。書店の片隅で若い男性が数人の子供達に本の読み聞かせをしていた。読み聞かせと言えば、小学生の頃、担任のO先生が給食の時間に、本を読んでくれた事を思い出す。本の内容はすっかり忘れているが、読んで貰った事の有り難さを再度かみしめている。東北地方太平洋沖地震とそれに伴う大津波と東京電力福島原発事故という同時発生した、三つの歴史的大災害・災難から、本日で1年目となる。先日、地震発生の時刻、14時46分に黙祷して下さいという回覧板がまわってきた。複雑な心境だ。外見的な黙祷が踏み絵のように形式化してしまわないか。

2012/3/10(土)の天気

TAVE= 5.2
TMAX= 7.1 最高気温(℃)   7.3  15:57
TMIN= 3.6 最低気温(℃)   3.5  02:43
DIFF= 3.5
WMAX= 2.7 最大瞬間風速(m/s)   5.0(西北西)  05:06
SUNS= 0
RAIN= 11.5

Q
Q

ざっそう句(Weedy Haiku Records):津波と老学ドナルド・キーンさん(Tsunami and an old scholar Mr. Donald Keene)

本日、東北地方太平洋沖地震から一年目を迎えた。その間、色々な事があった。その中で、日本文学研究者のドナルド・キーンさんが日本国籍をとり、日本に帰化するというニュースを聞いた時は、強い感動を覚えた。振り返って見ると、ドナルド・キーンさんのニュースを記事にしたのが2011年4月30日 (土)。技術 回顧と展望:東日本大震災の復興に際し、湾口防波堤はもっと強固にならないか。http://af06.kazelog.jp/itoshikimono/2011/04/。であった。あの津波が老学に与えた印象ははかりしれないだろう。心の支えを失った人々にとって、これ以上心強い支援はないだろと思った。その時作った句。

The spring dream
Of an old scholar
Flies across the Tsunami

老学の津波を渡る春の夢

The spring ocean
Shall gulp the Tsunami as well
Up to the heavens

春の海津波も飲めよ天高く

与謝野蕪村の句に、「春の海ひねもすのたりのたりかな」という句がある。ある席で、かみさんの印象を聞かれて、返答に困った。その時、何となく、こんな風かなとしゃべってしまった。春の海が凪いでいる時は、海は蕪村の句そのものかもしれない。当地は海無し県なので、海は憧れに近い存在だ。東北関東大震災の津波は、荒れ狂う海の姿をむき出しにした。そのような時に、夢や希望を与えるために、津波を乗りこえて日本に帰化する老学者に、こうごうしさを見たおもいがした。3月8日付けで日本国籍の取得が認めらたそうだ。漢字では、「鬼怒鳴門(きーん・どなるど)」という名前を使うとの事だ。名前については、その真意は何も語っていないようだが、心を鬼にして何かを叫んでいるような名前だとも思う。

でも、名前なので何か意味があるのではと、はっと考え直した。人間、自分を名乗るとき、その名前に強い決意を託すのではないか。現在、吉田松陰がなぜ松陰と名乗ったのかという点に興味を持っている。自分を名乗る事は自己のアイデンティティを規定するのではないか。

「吉田松陰;。WIKIPEDIA 吉田松陰http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%89%E7%94%B0%E6%9D%BE%E9%99%B0。」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』。(最終更新 2012年3月1日 (木) 20:54)(http://ja.wikipedia.org/)の一部引用=「吉田 松陰(よしだ しょういん)は、日本の武士(長州藩士)、思想家、教育者、兵学者、地域研究家である。一般的に明治維新の精神的指導者・理論者として知られる。、、名前 [編集]:幼時の名字は杉(本姓不明)。幼名は虎之助。吉田家に養子入り後、大次郎と改める。通称は寅次郎。諱は矩方(のりかた)。字は義卿、号は松陰の他、二十一回猛士。松陰の号は寛政の三奇人の一人で尊皇家の高山彦九郎のおくり名にちなんでつけられた。」。とある。

吉田松陰の通称は寅次郎との事だが、号を松陰と名乗ったようだ。まさに「号」とは歴史に名前を残すために名乗るのではないか。志の低い人間は号を名乗ろうとは思い付かないだろう。吉田寅次郎が松陰を名乗ることにより、新しい吉田松陰という人格が生まれ、それが理想や行動の源泉になって行ったのではないか。近代日本の夜明けである明治維新の種の一つは、吉田寅次郎が心の中に松陰を名乗る事を決意したときに蒔かれたのではないか。号は通称を超えて、更に心の広さと深さを内包するのだろう。見方を変えれば、その号から、さらに謙遜やユーモアもにじみ出てくるのではないか。

WIKIPEDIAによると、Donald(男の名前) Lawrence(男の名前) Keene(姓名)であった。「きーん・どなるど」となると、姓・名という順で、日本流の呼び方にならって順序を変えている。 辞書によると、Keeneは固有名詞で、姓名と地名の意味がある。更に同じ音の普通名詞と動詞のkeenがある。名詞:a wailing lament for the dead。動詞:to wail in lamentation for the dead。死者へ慟哭するという意味がある。

名と姓と言う順序を変えて、「きーん・どなるど」と名乗るのは、意識や気持の上で、日本人になった事を示しているのではないか。それでは、「きーん」が何故「鬼」か。先ず、ユーモアのセンスの産物ではないか。もう一つ「仕事・研究の鬼」という気持も込められているように感じる。並の人ではできないから、鬼の領域も超えられるのだろう。「きーん・どなるど」について、最初は「キーンが怒鳴るぞ」と安易な解釈をしていた。「怒鳴門」を分解すると「怒」+「鳴門」。「鳴門(全訳古語辞典)」=「狭い海峡で、潮の干満によって潮流が音を立てて鳴り響く所」。「怒」とは勢いが激しいこと。「怒鳴門」とは、海がゴウゴウと荒れ狂っている津波を連想させるのだ。それでは、なぜ「鬼」を「きーん」と読むのか。おそらく、英語の多義性と漢字の「鬼」、「き」という読み方と平仮名の表現全てで、ドナルド・キーンさんの日本に対する思いをここに圧縮・集中しているのではないか。自分の姓名は人生で最も多く使う言葉だろう。ドナルド・キーンさんはKeeneとkeenをいつも意識していたのではないか。keenとは「a wailing lament for the dead」と言うことであり、それを訳せば亡き人を哀れんで慟哭する事である。もう一つのkeenの意味は、鋭い、良く切れる、頭がよいという形容詞。こちらは、日本文学という学問の分野にはぴったりの意味があるだろう。

「鬼怒鳴門(きーん・どなるど)」という名前を聞くと、その中に何か運命のドラマが含まれているように感じた。そのドラマは、自分なりの空想だが、「日本の文学に触れ、その結果、仕事・研究の鬼のような生涯を過ごしてきたキーン姓の俺だが、そのキーンという言葉には、亡き人を哀れんで慟哭するという別の意味があることを常々頭の隅で考えていた。自分が研究で立ち向かった日本が、震災や津波でゴウゴウと音を立てて救いを求めているように感じる。今こそ、縁深い日本の亡き人を哀れんで慟哭してやる時ではないか。日本へ行き、名前を変え、日本に永住し、日本人になり、日本と悲しみを分かち合おう。」というかすかな声が聞こえてくるように感じた。ユーモラスな漢字名の中に慈悲の心をやんわりと盛り込んでいるようも感じる。新しい名前を名乗ることにより、新しい自己アイデンティティが可能になる。自分の名前を見直すことも、復興・再生に向かうためのもう一つの視点でもあるようだ。

先日聞いた講演で、気仙沼市の観音寺住職は、被災で亡くなった檀家さんの葬儀について報告した。葬儀に必要な物は流されて手に入らない。火葬もできないので土葬が行われたそうだ。祭壇も組立式の小さなものしかなかたった。戒名は葬儀の前に与えるとの事。亡くなられた方の生前の様子を、喪主や家族からよくお聞きして戒名を付けたとの事だ。そのように、有り難い戒名も過去のものではなく、喪主や家族にとって、亡き人を偲ぶとともに、未来への希望も与えてくれるのではないかと思う。

追記:「鬼怒鳴門(きーん・どなるど)」さんに関する記事があった。

YOMIURI ONLINEは、「「鬼怒鳴門」と申します、よろしくお願いします;url=http://www.yomiuri.co.jp/national/culture/news/20120308-OYT1T01125.htm(2012年3月8日22時59分  読売新聞)」というタイトルで、「日本国籍の取得が認められた日本文化研究者のドナルド・キーンさん(89)が8日、居住先の東京都北区の区役所を訪問し、記者会見を行った。 キーンさんは「日本人として犯罪を起こさないことを誓います」と会見でユーモアを交えて心境を述べた。~さらに、日本人名の「キーン ドナルド」と同時に、雅号として「鬼怒(キーン・ド)鳴門(ナルド)」を使うことを表明。鬼怒川の鬼怒と四国の鳴門から漢字をあてたと由来を説明し、会見終了後、報道陣にさっそく名刺を配った。」と報じた。

やはり、ユーモアのセンスに溢れているようだ。具体的な地名が示されているが、雅号としての「鬼怒(キーン・ド)鳴門(ナルド)」さんが発したメッセージに耳を傾けたい。

追記2(2015/7/7):ドナルド・キーーン氏の「三島への戯れ 癒えぬ痛みに(http://www.tokyo-np.co.jp/article/feature/shitamachi_nikki/list/CK2014040902100015.html)。」と言う記事に、同氏は「 三島はある時から手紙に「怒鳴門鬼韻(どなるどきいん)様」と当て字で書いてきた。そこで、私は仕返しに「魅死魔幽鬼夫(みしまゆきお)様」と書いた。三島は七〇年十一月二十五日に自決した。その直後、ニューヨークで翌十一月二十六日の消印が付いた三島からの航空便を受け取った。自決直前に書き、机の上に置いてあった封書を、夫人が投函(とうかん)してくれたのだ。」と書いている。この記事から同氏が、「鬼怒鳴門」を名乗るのは、きっと三島由紀夫との交友をいつまでも忘れないようにするためだろうと感じた。(この記事へのリンク

ページ先頭へ飛ぶ

Ranking

2012年3月10日 (土)

ばんぶつるてんの詩:東北の海よ

2012/3/10(土)
昨日は雨。寒い一日。終日宅内作業。結果をプリントアウト。トナーが終わりそうで、印字品質が余り良くない。WEBで御蔭(みかげ)という地名の調べものをしたが手がかりがつかめない。伊香保よりにある渋川市内にある地名だが、先日初めてそこを歩いた。車なら何も気付かずに通り過ぎていただろう。どうも歴史的に由緒のある地名らしいのだが。「御蔭:おかげ」と言う言葉は、「おかげさまで」といつも無意識に使っている。辞書を引くと①神仏の加護、②人から受けた恩恵とある。神仏の加護も、向こうからやってくる事はないだろう。神仏に御加護を心から願い、そのために本人が何らかの行為を為した結果として授かるものだろう。「おかげさまで」云々も、よくよく考えると意味が深そうだ。

2012/3/9(金)の天気

TAVE= 6.5
TMAX= 8.8 最高気温(℃)   9.6  00:07
TMIN= 3.8 最低気温(℃)   最低気温(℃)  7.4  04:48
DIFF= 5
WMAX= 2.5 最大瞬間風速(m/s)   4.5(東)  13:54
SUNS= 0
RAIN= 20

Q
Q

本日は、東北地方太平洋沖地震とそれに伴う大津波と東京電力福島原発事故という同時発生した、三つの歴史的大災害・災難から1年目を迎える前日だ。その間、今まで気付かなかった事に関心を寄せ、考えたことがなかった事を考えた。この三つの歴史的大災害・災難からの復興、死亡者の慰霊、被災者の応援をしようと思っても何もできないでいる。余りにも理不尽な事も多く、忘れまいとしても少しずつ忘れて行く。復興の原点になるもの、それは自分が暮らす場所、故郷ではないかと、最近は特に強く故郷を意識するようになった。XP機を使うようになり、「誰も知らない赤い花」という三橋美智也が歌った歌をYouTube(http://www.youtube.com/watch?v=enqDlP-s8wc)で初めて聞いたとき何となく懐かしく、復興への希望を与えてくれるに相応しい歌だと思った。[作詞]:喜志 邦三、[作曲][編曲]:吉田矢 健治、[著者(歌)]:三橋美智也、[出版年月日]:1959-12である。三橋美智也の歌は昨年故人となった人から借りたCDをくり返して聞き、親しみを感じるようになった。「誰も知らない赤い花」という歌は、今まで聞いたことがないが、都へ出たいという希望がかなえられず、故郷に残る姿を切々と歌っているようだ。

以下歌詞の一番:

都へ出る人 朝霧に
消えゆく汽車を 見送って
細道帰れば 足もとの
草にうもれて 花一つ
誰も知らない 山かげに
だまって残る 赤い花

以下の詩は誰も知らない赤い花の歌詞の替え歌。詩の内容は、この一年、当BLOGの記事で扱ったり、触発されて読んだ本等からイメージをまとめた。

ばんぶつるてんの詩:東北の海よ

ふる里めざして のぼる鮭
熊神送る イオマンテ
栗の木育てて 実を食べて
みんなそろって 家をたて
こころ豊かな 縄文の
いのちをつなぐ 北の海

秘めたる栄華に 誘われて
芭蕉も巡る 奥の道
ふる里残して 羽ばたいて
いばら踏み分け 道ひらく
いのち限りに 生きた人
こころの海は 母の胸

地球の果てまで 耳澄ます
いずこにおわす 亡き人よ
地震と津波は 去って行く
とわに残るは 放射能
ゆるせゆるそう お互いに
世界の橋は 北の海

2012年3月 9日 (金)

読みかじりの記:「鳥の仏教」 中沢新一 著 (2011年 株式会社 新潮社)

2012/3/9(金)
昨日は曇り。平均気温は高めだが日照が無いので寒く感じる。同じ係りの人と二人で資材調達の買い物をした。その後はエクセル作業。東北関東大震災、大津波災害、福島原発事故災害の発生から一年になるので、新聞・テレビ等で色々な報道がされ、特集の企画も目立つ。東京の防災に関して、調査研究の結果、東京の直下で震度7の地震が起こる可能性が高いことも発表されている。万一、その程度の地震が起こった時の責任逃れととる向きもある。あの時、発表していたのだ。俺には責任はないという論理は通るのか。東北関東大震災の教訓は関東大震災で多大な被害が発生した東京等の大都市にあてはまる。もはや想定外は通用しなくなっている。

2012/3/8(木)

TAVE= 9.4
TMAX= 11.5 最高気温(℃)   最低気温(℃)  7.4  04:48
TMIN= 7.6 最低気温(℃)   最低気温(℃)  7.4  04:48
DIFF= 3.9
WMAX= 2.7 最大瞬間風速(m/s)   5.7(東南東)  14:12
SUNS= 0.1
RAIN= 0

Q
Q

読みかじりの記:「鳥の仏教」 中沢新一 著 (2011年 株式会社 新潮社)

本書末尾に、本書は平成20年に新潮社より刊行されたとある。比較的新しい本だ。カバーに著者は1950年、山梨県生まれの文化人類学者とある。やや薄い文庫本だが、モノクロやカラーの鳥の挿し絵が読書プラスαの楽しさを与えてくれる。「鳥の仏教」が知られるようになったのは20世紀初頭のインドであったとの事。著者はこの本を読みつつ仏教を学んだと記されており、人類にとっての精神文化の遺産ですと述べている。

「鳥の仏教」の中には、それがチベットの民衆の自然観や社会観がそれとなく流れており、チベットを理解するにも参考になりそうだ。アニミズム、輪廻観も合理主義という目的論で切り捨てることはいとも簡単だ。しかし、我々の人体を作っている物質は変転しつつ世界を巡っているのも厳然とした真理だ。放射性物質さえその循環の中にある。ただ、その全体を把握することは容易でない。動物や植物という生物に視点を移すことで、人間の認識機能を客観化し、より広く深い世界観を築いて行くことは人類が生き残って行くための課題でもあろう。人類は自然の摂理を改造する事はできない。

チベットに関しては、鳥葬の国、チベット死者の書、ダライラマ、チベット探検家矢島保治郎等々色々な事を思い出す。梅原猛の「日本の深層」の中に「賢治の霊力」という項があり、「なめとこ山の熊」に関して、「人間が熊を送るのではなく、熊が人間を天に送るイヨマンテなのである」と記されている。梅原猛はアニミズムの本質を見ていたのかも知れない。本書に「きこりを助けた熊の話」という記事がある。二つの話の共通性に驚く。人と熊も共存しなければ、お互いが生きて行くことはできないという教えであろう。この説話を人間の社会に投影すれば、人はお互いいがみ合うことなく共存せよとう教えでもあろう。

以下は、本書の中の一節だ。「鳥の仏教」ではカッコーが聖なる鳥との事だ。フクロウは「ウトォ(なんと哀れ)」と鳴くそうだ。西洋ではフクロウは学識ある賢者の象徴でもある。

以下、引用:
瞑想をして死の意味を知る前に死がやってきてしまうのは哀れだね、ウトォ。
戒律を守らないお坊さんは哀れだね、ウトォ。
ものごとを判断できない老僧は哀れだね、ウトォ。
威厳を持てない大臣は哀れだね、ウトォ。
軍隊がついてこない将軍は哀れだね、ウトォ。
相談相手のいない王様は哀れだね、ウトォ。
従う者のいない指導者は哀れだね、ウトォ。
行動力のない政治家は哀れだね、ウトォ。
学識のない先生は哀れだね、ウトォ。
熱心さのまるでない弟子は哀れだね、ウトォ。
信用のできない友達は哀れだね、ウトォ。
気持がバラバラな家族は哀れだね、ウトォ。
哀れなおこないがどんなものかを知って、それを避けるのが大事です。
引用終わり。

本書は薄い文庫本だが、従来の仏教書にないすがすがしさを感じた。東北関東大震災、大津波災害、福島原発事故災害では、被災者だけでなく、その家族や知人、更には日本中の人、世界中の人が大きな衝撃と悲しみを味わったと思う。その悲しみに打ちひしがれることも人類の歴史としては忘れることのできない貴重な体験ではないか。「鳥の仏教」のフクロウの鳴き声も日本の復興や自戒のために鳴いてくれているようにも感じる。

2012年3月 8日 (木)

雑木の歌:雪中参拝風景

2012/3/8(木)
昨日は晴れのち曇り。朝方は定例の仕事。2月に比べると大分作業しやすい気候となってきた。少し眼が痒くなってきた感じがする。先日のハイキングもどきで花粉を吸ったのかと、「環境省花粉観測システム(愛称:はなこさん):url=http://kafun.taiki.go.jp/GraphWeek.aspx?MstCode=51010100&AreaCode=03」で調べたが、その日のスギ花粉の飛散は少ない。3/1に2000個/m3以上と突出した飛散があった。この花粉が影響しているのか。ともかく、花粉症発症の初期は風邪と似た症状になる。要注意。免疫系も抗原が来てから反応がでるまでには時間の遅れがあるのかも知れない。2012/3/4(日)の記事に『歌手・バンドゥーラ奏者のナターシャ・グジーが歌う「バンドゥーラを手にすれば」』について書いた(http://af06.kazelog.jp/itoshikimono/2012/03/2011-33d2.html)。YouTubeにナターシャ・グジーが出演するビデオが投稿されていた(http://www.youtube.com/watch?v=qskr83JSy_g)。再生回数は「277 回再生 」であった。先日の慣れない遠足で、足の関節、筋肉、足裏まで痛み出した。道楽が出来たのは良かったのだが。

2012/3/7(水)の天気

TAVE= 11.5
TMAX= 14.6 最高気温(℃)   15.3  12:22
TMIN= 7.4 最低気温(℃)   6.9  04:53
DIFF= 7.2
WMAX= 7.9 最大瞬間風速(m/s)   13.0(西北西)  06:55
SUNS= 3.6
RAIN= 0

Q
Q

雑木の歌:雪中参拝風景

先日の雪により出先で思いがけない風景にであった。温泉街は人気が少なく山水画のような幽玄な雰囲気もあった。そんななか、若者達の印象に残る姿もあった。こういう若者がいるかぎり、まだ未来があり、希望も持てると思った。石段街休憩所、「いっぷく館」で作った歌。

○若き等は 雪投げをして はしゃぎおる 拝殿の前 二礼二拍も
○二人連れ 石段登り 神社まで 記念にどうぞと シャッターを押す
○黙々と 若者二人 雪をかく 伊香保神社の 鳥居の下で
○雪に中 古いデジカメ すぐへたる 携帯で撮る 温泉の街
○早出して 温泉街を 見歩けば 一隅守る 人々の影
○坂道で スリップ起こし 難儀する おじさん助ける 老若二人
○そそそろと 雪の階段 一人行く 街もしんしん 胸もしんしん
○参拝を 済ませて座る いっぷく館 時計の音と 雪かきの音
○一服で つま先冷える 一人卓 いざ発たんとす 次の寄り道
○一服も 寄り道も良し つかのまの 静寂の中 無心になりぬ

2012年3月 7日 (水)

東北の海よ:道中で出合った芭蕉句碑、句碑が叫ぶ先人達のメッセージ

2012/3/7(水)
昨日は晴れ。好天で気温も上がった。3/6は二十四節気の啓蟄で、虫が這いだして活動を始める日とされる。人間の方も何となく浮き浮きしてくる。老人モードで外出したので、帰りは一人弥次喜多道中。自分が弥次さんなら、喜多さんという連れ合いは自分の影というところだろうか。温泉街から下の駅までぶらりと歩いた。バスが通る道路なので、歩けなくなったらいつでもバスに乗れるという安心感が何よりも一人道中の支えになった。

2012/3/6(火)の天気

TAVE= 10.7
TMAX= 17.9 最高気温(℃)   18.2  14:48
TMIN= 4.4 最低気温(℃)   4.0  03:42
DIFF= 13.5
WMAX= 3.5 最大瞬間風速(m/s)   6.3(東南東)  15:57
SUNS= 6.8
RAIN= 0.5

Q
Q

東北の海よ:道中で出合った芭蕉句碑、句碑が叫ぶ先人達のメッセージ

一昨日は、縁あって、「大震災のもたらしたもの 気仙沼からの報告」という、気仙沼市の観音寺住職の講演を聞かせて頂いた。あの大震災、大津波からやがて一年になり、現地で大震災への対応をされてきた僧侶による、大きな被害を受けた気仙沼からの報告は、マスコミを通じて知る事のできない切実さを感じた。そうして、震災直後と現在では支援活動のニーズも変わってきていると話された。希望と未来が描ける心の支援が今一番必要なのですと話された。

そんな、講演の事など思い出しながら、一人で県道を下った所で、「八九間 空で雨ふる 柳かな」という芭蕉の句碑に出合った。既にこの句碑に関しては、WEB上に情報がある(url=http://homepage1.nifty.com/tsoutaro/basyou/07.htm)。この記事によると、荻原井泉水の碑の再建記が碑の別面に彫られているようだ。元の碑は文化十四年(一八一七)の建立。その別面に新しい句碑が彫られているようで珍しい碑であった。そうして、句碑の中から、荻原井泉水は「其の石は存して其句亡ぶといふ理あらんや」と問いかけている。石碑は残ってもその句の精神が亡んでしまっては道理がないではないかという自省を込めているのだろう。

そんな、俳人の気持を汲んで、この句を味わってみると、「八九間」に視点がありそうだ。季節は柳が芽を吹く春。無窮の大空から雨が降っても何の風情もない。柳の若芽の薄い緑を目で辿ると柳の木の先端あたりの空から雨が降ってきたように見えるところを描写しているのだろう。大自然の摂理とともに、小さな人間の営為を捉えよと諭しているが如くである。

芭蕉が奥の細道への旅に出たとき、同行したのが、河合 曾良(かわい そら 慶安2年(1649年) - 宝永7年5月22日(1710年6月18日):WIKIPEDIA)との事だ。観音寺住職は講演で、震災の伝承も、親から子へという風に、次代の親しい者へ、口伝えのようにして伝える事の大切さを語っていた。碑は「いしぶみ」とも読まれる。まさに、建碑当時の人々が、後世のために石に書き残してくれたメッセージなのだが、そこから何を読みとるべきかは、後世の人々のありかたが決めるのだろう。また、芭蕉が奥の細道への旅に出かけられたのも、同行者という、バックアップ(支援)があったから可能になったのかも知れない。やはり、万が一の時、支援が受けられるというほど心強いことはないのではないか。駅に着いてようやく長靴の重さから解放された。

2012年3月 6日 (火)

老人の寝言:東北関東大震災で混乱した携帯や通信インフラをより強固に叩き直せ

2012/3/6(火)
昨日は雨のち曇り。用事で外出。出先では朝は雪。その後雨に変わった。平地生活に慣れきっているので、冬は車で山間部には行かない。昨日は電車とバス。バスはチェーンを装着していた。時間にユトリがあるので出先の空き時間を楽しもうとしていた。雪景色をデジカメに納めようとしたが電池が不調。携帯は充電してきたので携帯のデジカメを使った。そんな時、坂になっている脇道を下るバンと登る自家用車が、道路の真ん中でにらめっこになり両方が停車したに場面に出合ってしまった。一気に登れば、自家用車は坂道を走破できたかもしれないが、止まってしまったので車がスリップして動かなくなった。ホテルの従業員数名が雪かきやホースの水で雪流しをしていた所であった。ホテルの若い従業員一人と、その場に出くわした自分の二人で何とかしようと頑張った。下りのバンを通過させ、登りの通路を確保。タイヤの前後と走行部分をホテルの若い従業員にスコップで除雪してもらう。タイヤのグリップが確保できる状態にして二人で車を押し上げた。その時、車が坂下に滑る危険も感じた。何とか危機を脱した。車の運転手は下車して一礼して本道を下って行った。本道はスプリンクラーが動作して走行には支障がなかった。スタッドレスだから大丈夫と思っていたと運転手は話していた。ホテルの若い従業員に指揮をして使ってしまったような結果になってしまったが、お互い様で済んだ。その後の時間も充実しているように感じた。追記(20012/3/13):坂道除雪風景。
Car_slip

2012/3/5(月)の天気

TAVE= 3.9
TMAX= 7.9 最高気温(℃)   8.2  18:45
TMIN= 0.7 最低気温(℃)   0.6  03:19
DIFF= 7.2
WMAX= 4.4 最大瞬間風速(m/s)   7.8(西北西)  19:44
SUNS= 0
RAIN= 22

Q
Q

老人の寝言:東北関東大震災で混乱した携帯や通信インフラをより強固に叩き直せ

東北地方太平洋沖地震が発生した直後は電話や携帯のインフラが被害にあい、安否確認ができないという問題生じた。中継局が被害にあった場合と、中継局は健在でも電源を喪失して機能が失われた場合があった。更に、利用が集中しシステム障害を起こさないようにするため通信量の制限が行われ不通状態が更に悪化した。昨年7月24日にはアナログTV放送が地デジへ移行したが、岩手・宮城・福島は移行が1年間延期された。

J-CASTニュースは、「岩手・宮城・福島で地デジ化延期;url=http://www.j-cast.com/2011/04/21093743.html(2011/4/21 12:13 )」というタイトルで、「総務省は2011年4月20日、東日本大震災で大きな被害を受けた岩手、宮城3 件、福島の3県について、7月24日に予定していた地上デジタル放送への完全移行を、最大で1年間延期3 件すると発表した。 多数の受信設備が津波の影響で流失したことなどから、当初の予定に間に合わないと判断した。7月24日の完全移行は電波法で定められており、延期3 件には法改正か特例措置が必要となる。3県を除く各都道府県では、予定通り7月24日にアナログ放送を停波する。」と報じた。

地デジ化が延期となった東北三県はこれから地デジ化の問題に直面する事になる。地デジ化でアナログTV放送で使っていた電波帯域の一部が携帯電話に解放されることになっていたようだが、ようやくその動きが出てきた。

毎日新聞は、「プラチナバンド:総務省、900メガヘルツをソフトバンクに 700メガは今夏3社へ;url=http://mainichi.jp/select/biz/news/20120301ddm008020189000c.html(毎日新聞 2012年3月1日 東京朝刊)」というタイトルで、「携帯電話の電波がつながりやすい「プラチナバンド」と呼ばれる周波数帯(700~900メガヘルツ)について、総務省は29日、900メガヘルツ帯をソフトバンクモバイルに割り当てることを決めた。ソフトバンクは基地局整備などに8207億円を投じ、通信環境を改善する。一方、地上アナログ放送の停波で空きが出る700メガヘルツ帯についても、今夏をめどに3社に各20メガヘルツを割り当てることにした。【種市房子】 総務相の諮問機関「電波監理審議会」に審査案を提示、了承された。割り当てには、NTTドコモ▽KDDI(au)▽イー・アクセスを含む4社が応募。ドコモとKDDIは既に800メガヘルツ帯を持っており、大手3社で唯一、ソフトバンクがプラチナバンドを保有していないことが決め手となった。」と報じた。

アナログTV放送が終焉し、地デジに移行した結果を受けての決定である。アナログ対応電波を追い出した跡地利用である。総務省HPには「地上デジタルテレビジョン放送は、13~52チャンネルの周波数(470~710MHz)を使用することとなっています」とある。公共の電波を私企業に使わせるためにはそれなりの、公共性を確保しなければならない。電波を使わせるために、アメリカでは周波数の入札が行われているようだが、日本は結局入札を実施しなかった。ソフトバンクの携帯はつながりにくいというWEB情報があるが、それは周波数だけでなく、中継局の数にもよる。入札ならば決定の結果の透明性が確保できるのか。ともかかく経過を見守る以外になさそうだ。一面ではアナログTV放送受像者の犠牲の上に成り立っているのだから、適正なサービスをしていただきたい。

電気店で、スマホの実物を触ってみたが、タッチパネルや文字入力で手間取った。小さな文字をにらんでいると数分で目が疲れる。どうも老人向きではないように感じた。ITデバイドの現実味を感じた。スマホは通信容量が大きいのでビジネスで課金する上では利益への期待は大きいだろう。しかし、通信インフラとして大災害の時どのように利用されるべきか。通信容量が大きいことは電池の消耗も早い。東北地方太平洋沖地震の時、携帯の充電で困った例が多い。ビジネス万能で突っ走る事が許されるのか。

無線局は電波使用に対して、国の許可が必要で、その際「電波使用料」を払う必要がある。以下はテレビの「電波使用料」の例であるが、「電波使用料」という面から、電波の価値を考えると余りにも安すぎないか。もう少し、公共の電波という意識の上に、電波の価値に相当するコンテンツの質を高めて貰いたいところだ。

NEWSポストセブン|は、「テレビ局の「電波使用料」は売上高のわずか0.14%しかない;url=http://chinshi.blog102.fc2.com/blog-entry-24.html(週刊ポスト2010年11月12日号)」というタイトルで、「【NHK】電波利用料(A):14億8700万円 事業収入(B):6644億円 Bに占めるAの割合:0.22%;【日本テレビ】電波利用料(A):3億7600万円 事業収入(B):2777億円 Bに占めるAの割合:0.14%、【テレビ朝日】電波利用料(A):3億7000万円 事業収入(B):2209億円 Bに占めるAの割合:0.17%、【TBS】電波利用料(A):3億8500万円 事業収入(B):2727億円 Bに占めるAの割合:0.14%、【テレビ東京】電波利用料(A):3億6000万円 事業収入(B):1075億円 Bに占めるAの割合:0.33%、【フジテレビ】電波利用料(A):3億5400万円 事業収入(B):1717億円 Bに占めるAの割合:0.21%、【その他、地方局計】電波利用料(A):9億1251万円 事業収入(B):1兆2525億円 Bに占めるAの割合:0.07%、【全国128局計】電波利用料(A):42億4641万円 事業収入(B):2兆9676億円 Bに占めるAの割合:0.14%」と報じた。

これで、テレビの場合の「電波使用料」が大体つかめるが、携帯各社が支払う「電波使用料」はどの程度か。ケータイ用語の基礎知識によると、「第348回:電波利用料 とは;url=http://k-tai.impress.co.jp/cda/article/keyword/37284.html(2007/11/20 12:37 )」というタイトルで、「電波利用料の8割は携帯電話関係から 国内の携帯電話の電波利用料は、携帯電話事業者がまとめて納めています。その額は1台につき年額420円です。 」とのことだ。この額は改定で更に高くなっているようだ。

「電波使用料」の用途として、アナログTV放送の地デジ移行に多額の金額が使われてきたようだが、地デジ移行が完成すれば、この費用は不要になるだろう。そもそも地デジより、BS方式にすれば難視聴対策も容易で、経費も少なくなったという説も聞く。ともかく、今後の携帯インフラは防災だけでなく、日本のIT産業の生命線でもある。国民不在の電波行政を脱却して、被災地だけでなく、日本の産業の復興をかけて頑張って貰いたい。

2012年3月 5日 (月)

読みかじりの記:「新版 チェルノブイリ診療記 福島原発事故への黙示」 菅谷 昭 著 (2011年 株式会社 新潮社)

2012/3/5(月)
昨日は曇り。寒さが戻ってきた。宅内作業。水栽培のチューリップの芽が伸び始めてきた。根が出ているのは1球だけ。根は出なくても芽は出るというのも植物の戦略なのか。条件が異なる球根が5球ある。それぞれ生き方が異なるようだ。これから変化が出てくるだろう。昨日は年月日が1234と並んだ記念日。末広がり型だ。3/6は啓蟄。ジャガイモの植え付けをいつしようかと思案中。

2012/3/4(日)の天気

TAVE= 4.7
TMAX= 7.5 最高気温(℃)  最高気温(℃)  8.4  13:58
TMIN= 1.6 最低気温(℃)   1.6  24:00
DIFF= 5.9
WMAX= 3.5 最大瞬間風速(m/s)  5.9(東南東)  17:17
SUNS= 1
RAIN= 2.5

Q
Q

読みかじりの記:「新版 チェルノブイリ診療記 福島原発事故への黙示」 菅谷 昭 著 (2011年 株式会社 新潮社)

本書出版日は2011年7月1日。巻末に「この作品は1998年8月晶文社より刊行された。」とある。この旧版をベースに発行された。2011/3/11の東北地方太平洋沖地震に起因して発生した福島原発事故に関する著者の緊急メッセージととれる著書だ。福島原発事故を契機にチェルノブイリ原発事故も知りたくなったが、昨年でチェルノブイリ原発事故は発生後25年を迎え、書店を探しても関連書物はほとんど見つからなかった。チェルノブイリ原発事故関連で、最初に出合ったのが本書である。

本書の「新版に寄せて」が書かれたのが原発事故発生一月後の4月と記されている。まさに、著者の緊急メッセージなのだ。チェルノブイリ原発事故で、医療支援を行った医師や医療機関も多かったと思うが、マスコミにも余り露出せず、このような個人で身を投げ出して医療支援を行っていた著者の名前を知ったのは本書を読んでからである。その体験を本にしたのも、今から見れば貴重な記録になっている。著者は甲状腺外科の専門医という事で、チェルノブイリ原発事故を通して、放射能が人体に与える影響を科学的に最も身近で把握している人であろう。福島原発事故事故に対して、当局の混乱でヨウ素剤が服用されなかった事と重ね合わせて考えると、幼児に対する放射能の影響に関しては、今からでも本書を熟読すべきではないかと思う。「新版に寄せて」で著者は「ベラルーシで幼児の甲状腺ガン患者が増加し始めたのは事故から5年後の事で、患者数がピークになったのは10年後ことだった」と述べている。

福島原発事故発生以後、「直ちに健康に影響を及ぼすものではない」というような言葉を何回聞かされた事か。著者は「まさに、自国の政府を信用できないくらい惨めなことはない。」とも述べている。また、「どんなに辛くてもチェルノブイリの話をするしかないと思っている。」とも述べている。著者、福島原発事故が起きたとき、第二のチェルノブイリ原発事故になることを危惧したとの事だ。放射能被害に関しては、5年後、10年後、更にその先何十年も不安や心配は消えない。

本書の診療に関する記事は、医と個のドラマである。問題を抱え悩むのは個人だ。個々の人が個々の問題を抱え、そこにドラマがある。最終章の「希望」に「たくましい女たち」という項がある。そこには、日本と食事の様子も描かれている。日本では福島原発事故の放射能で食事も農産物も大きく混乱し、その行く先も見通せない。

日本で活躍している、歌手・バンドゥーラ奏者のナターシャ・グジーが歌う「バンドゥーラを手にすれば」という歌を聴いたとき、切々とした望郷の念を感じた。この曲は以前風ログを覗いていたらバックから流れてきて初めて聞いた。WEBにあったプロフィールは以下の通り。

ナターシャ・グジー 公式ホームページ!は、「プロフィール;url=http://www.office-zirka.com/profile.htm」として、「プロフィール: ウクライナ生まれ。 ナターシャ6歳のとき、1986年4月26日未明に父親が勤務していたチェルノブイリ原発で爆発事故が発生し、原発からわずか3.5キロで被曝した。 その後、避難生活で各地を転々とし、キエフ市に移住する。 ウクライナの民族楽器バンドゥーラの音色に魅せられ、8歳の頃より音楽学校で専門課程に学ぶ。 1996年・98年救援団体の招きで民族音楽団のメンバーとして2度来日し、全国で救援公演を行う。 2000年より日本語学校で学びながら日本での本格的な音楽活動を開始。 その美しく透明な水晶の歌声と哀愁を帯びたバンドゥーラの可憐な響きは、日本で多くの人々を魅了している。 2005年7月、ウクライナ大統領訪日の際、首相官邸での夕食会に招待され、演奏を披露。 コンサート、ライブ活動に加え、音楽教室、学校での国際理解教室やテレビ・ラジオなど多方面で 活躍しており、その活動は高校教科書にも取り上げられている。 」と紹介している。

YouTubeで三橋美智也が歌う「あゝ故郷http://www.youtube.com/watch?v=077aFjoBmmM」という歌を聴いた。この曲にも切々たる望郷の念を感じる。人も場所も時も異なるが故郷にひかれる気持は人類本来のもので変わりがないのだと思う。

「若い生命を 埋れ木に
花の咲かない わが運命
男泣かねど 涙にうかぶ
あゝ ふるさとの 山恋し」
作詞・高橋掬太郎 作曲・吉田矢健治との事だ。昭和35年の発売だったとか。

福島原発事故で故郷から逃れる人とそこに住み続ける人がでた。去るも残るも重い決断がのしかかっている。福島原発事故は健康被害だけでなく、そこに住む人々の愛郷心も粉々に砕いてしまったのではないか。それでも、心の中に残る故郷は希望と元気を与えてくれる源なのではないか。最初に買った本書は回し読みをして貰うため手放した。いまも誰かが読んでくれているとありがたい。二回目に買った本書は保存版として残したい。

2012年3月 4日 (日)

読みかじりの記:「日本の深層 ~縄文・蝦夷文化を探る~」 梅原猛 著 (1994年 株式会社集英社)

2012/3/4(日)
昨日は穏やかな晴天。雪や雨が降り、季節が一歩進んだように感じる。久しぶりの農作業。種ジャガイモを切った。数日間切り口を乾燥させて植える。ジャガイモの本を見ると、頂部優勢なので、真ん中で輪切りにするのは良くないらしい。芽の数が均等になるよう切り口方向がまちまちになっている。次は、植え付けの畝作り。肥料は積み上げた雑草が堆肥らしくなったのを使った。多分草との戦いになるだろう。全て手作業で、発汗気味になった。量はごくわずか。ジャガイモは早植えが良いと本にある。収量が光合成をする時間に対応するようだ。

昨日は桃の節句、雛祭りであった。雛様を出さなくなり久しい。耳の日でもあった。「耳の日 ;。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%80%B3%E3%81%AE%E6%97%A5。」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』。(最終更新 2011年2月7日 (月) 21:03 )(http://ja.wikipedia.org/)の引用=「耳の日(みみのひ)とは、1955年日本聴覚医学会が創立し1956年に社団法人日本耳鼻咽喉科学会が制定した記念日。毎年3月3日。制定 [編集]:の字が耳の形に似ていることと、「み(3)み(3)」の語呂合わせから。一般の人々が耳に関心を持ち、耳の病気のことだけではなく、健康な耳を持っていることへの感謝、耳を大切にするために良い音楽を聴かせて耳を楽しませてあげるために、あるいは、耳の不自由な人々に対する社会的な関心を盛り上げるために制定された。また、3月3日は三重苦のヘレン・ケラーにアン・サリヴァンが指導を始めた日であり、電話の発明者グラハム・ベルの誕生日でもある。」。

「アレクサンダー・グラハム・ベル;。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%AC%E3%82%AF%E3%82%B5%E3%83%B3%E3%83%80%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%82%B0%E3%83%A9%E3%83%8F%E3%83%A0%E3%83%BB%E3%83%99%E3%83%AB。」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』。(最終更新 2012年2月29日 (水) 12:10 )(http://ja.wikipedia.org/)の引用=「アレクサンダー・グラハム・ベル(Alexander Graham Bell, 1847年3月3日 - 1922年8月2日)は、スコットランド生まれの学者、発明家。その生涯を通じて科学振興および聾者教育に尽力した。」。

G.ベル生誕165年だった。今日、電話無しには生活が成り立たない。WIKIPEDIAによると「父は大学教授で視話法の考案者であるアレクサンダー・メルヴィル・ベル (Alexander Melville Bell) 。」。
G.ベルは電気と音声に興味を持つとある。電話とは音声を電気に変換して遠方と通信する技術である。ここには純粋な学問と学問の実用化する技術との融合がある。G.ベルの偉大さを改めて認識した耳の日だった。

TAVE= 7.2
TMAX= 12.2 最高気温(℃)  12.5  14:09
TMIN= 4.2 最低気温(℃)   3.9  06:25
DIFF= 8
WMAX= 6.5 最大瞬間風速(m/s)  12.2(北北西)  16:39
SUNS= 9
RAIN= 0

Q
Q

読みかじりの記:「日本の深層 ~縄文・蝦夷文化を探る~」 梅原猛 著 (1994年 株式会社集英社)

この本をもむきっかけは、「松岡正剛の千夜千冊」の中で、「日本の深層(http://1000ya.isis.ne.jp/1418.html)」を読んだことにある。東北関東大震災も関心を向けさせた。「東北の海よ:哲学者・梅原猛さんの思い(2011年4月 4日 (月))。http://af06.kazelog.jp/itoshikimono/2011/04/post-6834.html。」で、東北復活の自分なりのキーワードは「東北の海よ」がふさわしいと思った。著者は復興会議構想会議の特別顧問(名誉議長)に就任している。この役職も著者と東北地方の並々ならない関係の故であろう。読後の印象は、「哲学者・梅原猛さんの思い」に通じる。やはり、特異な哲学者らしく、ずばり、現象の背後に迫ろうとする姿は誰もマネが出来ないように思う。賢い哲学者なら危険地帯として入り込まない領域に足を踏み入れているのではないか。「日本の深層」の「深層」も色々深い意味を想像させる。東北地方が中央から未知であり、まさに未知・道の奥にある。距離的に遠いだけでなく縄文時代まで時間軸を引き延ばして、東北地方から中央を見直してるのだから、こういう業は著者でしかできないだろう。著者が縄文時代の縄文土器の分布、気候や蝦夷やアイヌのことまで言及して東北地方が古代文化の発祥であるように語る中に、著者の熱き思いを感じる。縄文時代は1万年以上前まで遡るようだ。山内丸山遺跡は紀元前3000年頃の遺跡(。http://sannaimaruyama.pref.aomori.jp/jomon/index.html。= 遺跡年表)らしい。栗やクルミを食べていたらし。これらは広葉樹で温暖な気候を思わせる。

特別史跡山内丸山遺跡のHP:。http://sannaimaruyama.pref.aomori.jp/about/index.html。に、「三内丸山遺跡は、今から約5500年前~4000年前の縄文時代の集落跡で、長期間にわたって定住生活が営まれていました。 平成4年からの発掘調査で、竪穴住居跡、大型竪穴住居跡、大人の墓、子どもの墓、盛土、掘立柱建物跡、大型掘立柱建物跡、貯蔵穴、粘土採掘坑、捨て場、道路跡などが見つかり、集落全体の様子や当時の自然環境などが具体的にわかりました。 また、膨大な量の縄文土器、石器、土偶、土・石の装身具、木器(掘り棒、袋状編み物、編布、漆器など)、骨角器、他の地域から運ばれたヒスイや黒曜石なども出土しています。 ヒョウタン、ゴボウ、マメなどの栽培植物が出土し、DNA分析によりクリの栽培が明らかになるなど、数多くの発見が縄文文化のイメージを大きく変えました。平成12年11月には国特別史跡に指定されました。」と紹介されている。

尚、本書に述べられた十三湊遺跡も調査が進み、著者の推測が空想ではなかったことが実証されつつあるようだ。更に、東北地方で思い出すのが、旧跡時代の遺跡捏造問題だ。その背景には地域のアイデンティティを強固にしたいという強迫観念が、蔓延していたという時代背景もあったようだ。地域のアイデンティティを確かにすると言うことが、集団で何事を行うにも必要なことだろ。そう言う意味で、アイデンティティ探しも、復興の前提として不可欠ではないか。松岡正剛氏が、上記記事で「芭蕉が奥の細道を通して把えようとした意図が、日本の深層への旅だったと思えてきた。」と書いている。昨年は、芭蕉の句を前句として、それから連想した句を作っていた。東北関東大震災でそれが中断したままになっている。芭蕉は当時の江戸という中央にいたのが、なぜ奥の細道に向かったのか。芭蕉を引き寄せたものがあった筈だ。それは何か。何かを求めた覚悟の旅だったように思う。

YouTubeで三橋美智也が歌う「日本人。http://www.youtube.com/watch?v=mc3QECAUuJs。」という歌を見つけた。「土に顔当て 頬ずりすれば」~。初めて聞いた曲だが、元気を貰える歌だった。日本人の「根っ子を」歌っている。深層とは、普通の眼では見えない根っ子の部分だ。この東北地方に生まれ育った根っ子が日本文化の地下深く覆い尽くしているという逆転の発想が「日本の深層」なのかも知れない。

2012年3月 3日 (土)

東北の海よ:仙台仕込みの高崎の牛タン店でリッチな一時

2012/3/3(土)
昨日は雨。気温は上がらず終日寒い一日。宅内で過ごした。当地の屋台の彫り物を作ったという伝承が残る弥勒寺音次郎父子についてWEBで調査。群馬県文書館の「インターネット古文書講座」で「佐位郡渕名村の宮大工弥勒寺音次郎あて免許状」という古文書を解読していたのにであった(http://www.archives.pref.gunma.jp/inter-koza-1804kara/inter-koza-1804-2.htm)。
以下はその解読文。
Mirokuji_otojirou_menkyo_interkoza1
この文書によれば、弥勒寺音次郎が宮大工として免許皆伝となったのが天保14年3月である。宮大工になるのも実力を認められ、然るべき儀式を行い神祇官から免許状をもらう必要があったようだ。今から169年前である。我が家の祖先もその屋台の造営に関わったと聞いているので、ひょっとすると弥勒寺音次郎・音八と会ったことがあるのかも知れないと思うと郷土の歴史に興味を覚える。

2012/3/2(金)の天気

TAVE= 4.8
TMAX= 6.1 最高気温(℃)  13.5  14:32
TMIN= 3.3 最低気温(℃) 1.4  03:55
DIFF= 2.8
WMAX= 2.4 最大瞬間風速(m/s)  4.9(東南東)  13:29
SUNS= 0
RAIN= 10.5
Q
Q

東北の海よ:仙台仕込みの高崎の牛タン店でリッチな一時

先月、用事で高崎駅口にオープンしている某家電量販店に出かけた。初めての訪問だったのでそのデカサに驚いた。時間にユトリがあったので、先ず店内ウォッチング。1~4階までが電気、5階がレストラン、更に地下一階があり、食品から貴金属まで並んでいた。現代の竜宮城で、ここに来れば一日快適に過ごす事ができそうだ。余り羽を伸ばすと浦島太郎の玉手箱から何が出てくるか分からない。このような引力に逆らい、一緒に来たかみさんと外で昼飯を食べることにした。ところが、駅前をふらついても、食事をできそうな店がみつからない。ようやく、緑提灯が下がった店を見つけたが、戸締まりしていた。緑提灯については、高校時代の同級生が上毛新聞に記事を出していたので、いつか訪問してみたいと思っていた。その記事が以下のWEBで読めた;視点 オピニオン21
「緑提灯 食料自給率を上げよう(2010.10.20)丸山 清明。(http://raijin.com/news/kikaku/opinion2010/opinion20101020.html)」。

更に探すと、そばやらしい店があった。他も探して品定めをしようと、第三の店を探したがみつからない。何とかカメラという駅前店近くまで来たので、店内を覗いた。所狭しという印象でそれなりの活気を感じた。仕方なく、戻って先の開店していた店に入った。一階が牛タンで二階が蕎麦とのこと。かみさんは牛タン、自分は蕎麦がいいなというと、牛タンは二階までお持ちしますとの事。二階は和室であった。店の名は「仙台伝承の味 梅の花」とテーブルのお品書きにあった。蕎麦は東北流か、汁に大根を使う。蕎麦は何と食べ放題だったので、3杯頂いた。牛タンも食べたいのでかみさんの皿に越境。聞くところによると、牛タンは仙台仕込みとの事。開店一年程度。その後半年ほど後から二階で蕎麦も始めたとの事。蕎麦も東北をイメージしているようだ。東北と言えば椀子蕎麦を思い出す。

半導体代理店から出張のお声が掛かり、東北地方の顧客を廻った。その会社のHPで沿革を見ると北陸営業所開設S.56年。当時、北陸地方の拡販にも呼ばれた。その担当者が東北担当になったのが、本場の椀子蕎麦を体験できた理由かもしれない。従って東北訪問はS56年以降だろう。ともかく、当時東北地方の電子産業は、関東関西から見ればまだまだ発展途上であった。しかし、社名はうろ覚えだが、アルプスモトローラとかいう半導体工場があり、その工場も訪問した。半導体の生産拠点には豊富な水が確保できる場所が選ばれる。今から思うと、一回限りのHAPPY CALLではあったが懐かしい思い出だ。その仕事が済んで、椀子蕎麦を頂いた。広辞苑によると椀子蕎麦は客をもてなす岩手県郷土料理との事だ。腹一杯、次から次と満腹になるまで蕎麦を食べさせると言う風習は、それが最高のもてなしである事を教えてくれた。極度の空腹を体験しなければその本当の意味が分からないだろう。

帰り際、一階の牛タン店を覗くと、独りの女性が椅子に掛けて本を読んでいた。遠目で見たので、何となく淑やかな美人に見えてしまった。蕎麦も東北に関係がありますかと聞くと、店員は食べ放題という背景には椀子蕎麦があるとの事だ。しかし、今時、椀子蕎麦を標榜しては持たないですよと笑った。そういう意味で、食べ放題も最高のもてなしと解釈したい。値段的にはリーズナブルでリッチな一時を過ごさせてもらった。それにしても駅周辺が、巨大店の一極集中で、生活の香りが少なく寂れてしまったような街にならないで貰いたい。自由な空間のみに、本当の人と人のコミュニケーションが生まれるのではないか。東北もこの店も元気になって貰いたい。この記事も東北関東大震災の事を思いつつ、東北地方の記憶を甦らせて書いている。後一週間ほどであの大災害から一年になる。

2012年3月 2日 (金)

老人の寝言:福島原発事故でなぜ、なぜ、なぜを繰り返すと不可解な謎がある

2012/3/2(金)
昨日は晴れ。夕方までに雪は大方消えた。用事で歩いて外出。自転車より徒歩を選んだ。雪景色を楽しみながらデジカメ撮影。赤城山を写そうとしたが電池切れ。ポケットに予備電池を入れているのだが、交換しても電池切れのマーク。とりあえず携帯のカメラで撮影。肝心な時に予備電池が役立たなかった。どうも電池切れになっても充電するのを忘れていて、予備電池があり安心だと思い違いしていたようだ。よくある失敗だが、携帯カメラも常用していないので忘れがちだ。何事も予備があれば安全だがいざと言う時に役立つよう不断のチェックが必要だ。

2012/3/1(木)の天気

TAVE= 6.9
TMAX= 13.1 最高気温(℃)  13.5  14:32
TMIN= 1.7 最低気温(℃) 1.4  03:55
DIFF= 11.4
WMAX= 3.6 最大瞬間風速(m/s)  6.0(西北西)  08:35
SUNS= 10.3
RAIN= 0

QQQ

老人の寝言:福島原発事故でなぜ、なぜ、なぜを繰り返すと不可解な謎がある

福島原発事故も予備の電源を喪失したことが原因だ。本当だろうか。事故対策は、なぜ、なぜ、なぜを繰り返せという教訓がある。福島原発事故も放射能が漏れなければ今ほど大きな問題にならなかっただろう。東北地方太平洋沖地震から原発建屋が爆発するまでの間は、原子炉は五重の壁に守られているから安全だという解説がマスメディアで流された。

「5重の壁;。http://ja.wikipedia.org/wiki/5%E9%87%8D%E3%81%AE%E5%A3%81。」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』。(最終更新 2011年5月24日 (火) 23:18)(http://ja.wikipedia.org/)の一部引用=「設けられた障壁が、「燃料ペレット」、「燃料被覆管」、「原子炉圧力容器」、「原子炉格納容器」、「原子炉建屋」の5つであるためこの名が定着したが、原子炉格納容器が設けられていない原子力発電所も存在し、VVER、RBMKなどが例として挙げられる。なお、RBMK型の原子炉は、ウクライナのチェルノブイリ原子力発電所の炉型として知られている。障壁が設けられているのは原子炉建屋だけでなく、施設内で放射能を伴う箇所全てが遮蔽されている。BWR(沸騰水型原子炉)の場合は、炉心で発生した蒸気をそのままタービンに送る為、蒸気タービンも遮蔽する必要がある。なお、PWR(加圧水型原子炉)のように二重間接熱サイクルを採用した原子炉についてはこの限りではない。」。

しかし、原子炉の五重の壁という安全神話も「原子炉建屋」の爆発と共に吹っ飛んでしまったのが現実だった。

福島原子力事故の社内調査情報(url=http://www.tepco.co.jp/nu/fukushima-np/interim/index-j.html)(平成23年12月2日 福島原子力事故調査 中間報告書の公表について)で「報告書本編で記載している事項につき、特定の論点に絞る形で詳細に記載している項目や、また本編報告書に記載はないものの、経緯として明らかにした方が良いと考えられるもの等があり、事故に係わる事実を正確にお伝えするという観点では、重要な要素であることから、別冊として、現時点(平成23年12月2日)までで整理できた事項を、抽出・記載しております。 」とその範囲を記している。

以下はその中の「現場作業の厳しさ、困難さを示す現場の状況、声(PDF 491KB) url=http://www.tepco.co.jp/nu/fukushima-np/interim/images/111202_17-j.pdf」の一部引用である。

*******************************************
【中央制御室責任者の対応】

平成23年3月11日、14時46分、巨大な地震が、福島第一原子力発電所を襲った。地震の時は、机にしがみついて、運転員に掴まるよう声をかけて我慢した。地震がおさまってすぐに、スクラムした状況は、自席からグリーンランプが見えた。非常用電源(D/G)が起動し、回っているのを確認し、中央制御室のパラメータもOKという報告を受け、このままいけると思った。

その後(津波が襲来した時刻頃)、電源のランプがフリッカし、一斉に消えていくのを目前で見た。
非常用電源が止まり、中央制御室のパネルのランプが、バタバタと消えていく状況だったが、何が起きたのか分からなかったが、津波によるものとは思わなかった。操作員が、「海水が流れ込んできている」と、中央制御室に大声で叫びながら戻ってきて、津波の襲来を知った。

津波の流入と同時に、非常用電源が使えなくなり、中央制御室の照明も、一つ非常用灯(薄暗いわずかな照明)があるのみとなった。

電源を失って、何も出来なくなったと感じた。
他の運転員は、不安そうだった。「操作もできず、手も足も出ないのに、我々がここにいる意味があるのか」と紛糾した。そこで、自分がここに残ってくれと頭を下げ、了解を得た。

中央制御室で放射線量が上昇したため、当直長は、チャコールフィルタ付全面マスクと防護服を装備するよう指示。放射線量の低い2号機側に寄らせ、監視等を継続した。

【ベント作業の困難さ】

ベント作業が、電源を喪失したことから、手動で弁の開放作業をせざるを得なくなった。
しかし、現場での開放作業では、高線量被ばくのおそれもあり、ベントに行ける人間を書き出して、当直長をそれぞれ割り振るように編成した。
完全装備とはいえ、放射線量が高い中を行かせるので、若い人には行かせなかった。

ベント弁の開放作業のため、現場に出かけた。その際、トーラスに近づいた際、ボコッ、ボコッという大きく、不気味な音が聞こえた。弁が、一番上の物であったので、トーラス部分に足をかけ作業をしようとしたら、黒い長靴がズルッと溶けた。
*******************************************

上記記事は、津波到来以前から、ベントの間の現場作業の一端を示していると思われる。気になるのが、「中央制御室で放射線量が上昇したため、当直長は、チャコールフィルタ付全面マスクと防護服を装備するよう指示。放射線量の低い2号機側に寄らせ、監視等を継続した。」という部分。「中央制御室」はまさに核シェルターと同じで、作業者にとっては最も安全で最後の砦ではないだろうか。それなのに、「中央制御室で放射線量が上昇した」というのはどうしてなのかという「なぜ」がでてくる。常識的には、既に津波ではなく、地震の一撃で、5重の壁かべの「原子炉格納容器」又はそれに連結する配管系に破損が生じて放射能が漏れだしたという状況証拠を示しているのではないか。

それでは原子炉建屋の水素爆発はどうか。当然、水素は冷却が止まった原子炉内の高温反応で生成されている。その水素を逃がさなければ原子炉の爆発につながる。それを防止する対策がベントだろう。一般的には「ガス抜き」と同じだろうが、それを知られては困るのか専門用語を自己防衛の壁に使っているのが実態だろう。水素爆発はなぜ起こったか。当然、原子炉から漏れたと考える以外にない。そうすると、又も5重の壁かべの「原子炉格納容器」の破損無しには考えられない。既に、「原子炉圧力容器」の破損も判明している。「燃料ペレット」、「燃料被覆管」も高温で溶融したようだ。結局、安全神話の5重の壁は全て破られてしまったのが福島原発事故の実態ではないか。問題は地震の一撃で放射能を放出した原子炉の信頼性だ。原子炉を作る物質も強い放射線を連続して長期間あびると劣化が進む。これは自然の法則でもある。行き着く先ははっきりしている。原子炉を使い続けようとしても、いずれ稼働時間よりメンテナンス時間が多くなり、最終的にはコストも合わなくなる。福島原発事故の調査も色々なレベルで行われているが、老朽化した原発の脆弱性は避けて通るべきではないだろう。

以上専門家から見れば当たり前かもしれない。当たり前の知識を一般人に分かりやすく説明するのも専門家の責任ではないか。本当の事を言うと社会的な混乱が起こるという意見もある。本当だろうか。

昨年、「老人の寝言:放射線量の自主測定はどんどんやれ;http://af06.kazelog.jp/itoshikimono/2011/06/post-2bd3.html(2011/6/17)」と書いた事を思い出した。この一年の間に、放射線量の自主測定はめざましく普及したように思われる。やはり、物事に関心を持ち、データを握り、監視をする人の存在は当局の態度も変えてゆく。東北関東大震災も福島原発事故も風化する前にしっかり調査・記録して、その教訓を後々まで生かす必要があるだろう。

検索サイト

NANDA?⇒物臭検索

  • ラベル(タイトル):最初は何も分からない
    なんだこりゃ?作成当時の記憶

エネルギー関係

ウェブページ

更新ブログ

PHOTO2(写真集)

  • Iob_fujijyuukouentotu
    たまたま出会ったもの2

PHOTO4(写真集)

  • Iob_minitomatodaruma
    果樹・野菜・花等

PHOTO5(写真集)

  • Iob_senteihasami_funsitu_sabi
    現在使われなくなった機器、農具、ガラクタ等。

PHOTO6(樹木等)

  • Iob_sendan_kiru_2013
    樹木の縮伐カット&トライetc

PHOTO7(写真集)

  • Iob_kaiko_ga_gazou
    BLOG関連写真2
フォトアルバム

MIKAN KUN

  • 赤城連山MAP
  • Fight_Fukushima
  • ISESAKI_PIGEON
  • MIKANKUN

Copyrighit

  • © Copyright 2006-2024  af06.kazelog.jp  All rights reserved.

健康関係:リンク&検索等

Favorites2

Favorites

Favorites3

Favorites4

やさしい科学・SCIENCE

  • 日経サイエンスのウェブページ
    「日経サイエンス」とは:「日経サイエンス誌は,1845年に創刊された長い歴史と伝統を持つ米国の科学雑誌「SCIENTIFIC AMERICAN」の日本版で,世界の最先端の科学技術動向を日本の読者に届けています。」
  • SCIENCE IS FUN in the Lab of Shakhashiri
    University of Wisconsin-Madison Chemistry Professor Bassam Z. Shakhashiri のサイト

みかん栽培関係情報

ISESAKI  有情2

ISESAKI  有情1

嗚呼 伊勢崎 非情

BOOKS

  • 橋本 英文: 刃物雑学事典 図解・刃物のすべて(1986年 株式会社 講談社 ブルーバックス B-659)
    刃物という視点で多くの事例が取り上げられている。刃のある道具の理解にも役立つ。類書が少なく貴重な一冊。「すべり変形が切断の原理」という考え方で説明している。
  • 沼田 真   : 植物たちの生( 1972年 岩波新書(青版 833))
    「ご要望にお応えしてアンコール復刊(1988年岩波新書50年記念復刊) 地球生態系の中で自然を見直す」(腰巻きのフレーズ)。植物の知恵と戦略に人類は勝てるのか。
  • 出町 誠: 14_NHK趣味の園芸:よく分かる栽培12ヶ月  カキ(NHK出版2007年)
    初心者向け柿栽培参考書(新版)。旧版と比較すると楽しい。
  • 中村三夫: 13_NHK趣味の園芸:作業12ヶ月  カキ(NHK出版1996年)
    初心者向け柿栽培参考書(旧版)。新版と比較すると楽しい。
  • 山科正平: 12_細胞を読む   電子顕微鏡で見る生命の姿
    細胞はどんな部品からできているのか。そんな疑問に答えてくれる一冊。何事も形を見るのが第一歩。μからÅオーダーの世界で、細胞をメスで解剖するように、電子顕微鏡というメスで解剖して見せてくれるので興味が尽きない。
  • 柳田充弘: 11_細胞から生命が見える
    著者の専門は分子生物学、細胞生物学。普段生物を考えても細胞レベルで止まってしまう。その細胞の中で色々な分子が働いている。細胞こそ生命の基礎だが、その細胞の中の動きを知るのに最適な一冊。疑問の発端はなぜ発根剤が効くのかということ。薬剤が細胞膜を通過して細胞内で分子と分子が作用するイメージができた。本書でできた細胞のイメージは小さな無数の穴が空いた水分が充満したヨーヨーのようなもの。そのヨーヨーの中に分子部品が詰まっている。細胞自体もタライの中のヨーヨーのように浮かんでいる。細胞図面の空白部は真空でなく水分だ。細胞の内外に水がないと細胞は生きられない。水が生命のゆりかごだ!
  • 野口悠紀雄: 10_ホームページにオフィスを作る(2001年 光文社)
    ITが輝いた時代の作品。HPの活用法は参考になる。参考:url=http://www.noguchi.co.jp/(野口悠紀雄 ONLINE)
  • 小池洋男 編著: 09_果樹の接ぎ木・さし木・とり木(農文協:2007/3/31第1刷)
    やや専門的であるが、実務専門化が分担執筆しており、その場で役に立つ一冊。
  • ノーバート・ウィーナー(鎮目恭夫訳): 08_サイバネティックスはいかにして生まれたか(みすず書房1956)
    情報と通信という現代社会に不可欠の基礎的な学問を作った著者の自伝とそれを通した科学史
  • 沼田 真(編): 07_雑草の科学(研成社1979)
    雑草を多面的に解説し防除の基礎も述べる

外国の博物館・美術館 外国語・国際関係(リンク)

TOOLS

地域産業・機関

地域興し関連情報

MEMO_TL_TEST

  • TOP PAGEの 「アクセスランキング(2015/6/8より表示再開)」へ飛ぶためのラベル
  • TEST END
    TEST_H23/10

アクセスランキング

リンク:ページ先頭へ飛ぶ

写真集へのリンク

MEMO 海外の博物館・美術館

  • https://www.artic.edu/collection?place_ids=Japan&page=6
  • 項目のタイトル2
    POST IT :ブログ画面への張り紙に使える。
  • TYPE LIST事始め
    2010/8/4:MEMO等の表示に使える。 農作業で気になる自戒の言葉 ■畑の石ころはいつまで経ってもても石ころ(早く拾って片づけよという意味か)。 ■同じ石を二度拾うな(やってみると難しい)。 ■手ぶらで歩くな。 ■三つ先のことを読め。 ■適当な観察。 ■空を見よ(気分転換、休憩、天気を読む、腰曲がり防止)