2012年3月18日 (日)

心象の足跡:吉田松陰を彷彿とさせる渋川市の御蔭松と楫取素彦(1)

2012/3/18(日)
昨日は曇り一時雨。用事外出。ミニスイセン、ヒヤシンス、小梅、紅梅が一斉に咲き出していた。自分の花暦には、梅の花:2月11~15日とあった。ミニスイセンは3月6~10日であった。早咲きの梅の開花はかなり遅く、ミニスイセンも一週間以上遅れているようだ。以前一人で県道33号線を下った時、色々な歴史的な遺産にであった。そのなかで、渋川市の御蔭松は印象に残っているが、まだその謎が解けない。いつの間にか忘れてしまいそうだ。ともかく、自分の想像としてメモにしてみた。

2012/3/17(土)の天気

TAVE= 6.7
TMAX= 10.2 最高気温(℃)   10.8  15:39
TMIN= 3.6 最低気温(℃)  3.4  01:25
DIFF= 6.6
WMAX= 3.2 最大瞬間風速(m/s)   6.4(西北西)  11:45
SUNS= 0.2
RAIN= 0.5

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心象の足跡:吉田松陰を彷彿とさせる渋川市の御蔭松と楫取素彦(1)

歴史上の人物は何か見えない線で結ばれているのではないかと感じる事がある。それも、確実性より予感、希望にすぎない場合もあるだろう。人間の思考や行動も、ある人物からある人物に伝えられる何物かが影響しているのではないか。すでに過去となってしまった歴史的な事実に関して、その真偽を証明する事は非常に難しいだろう。歴史の楽しさは真偽とは別に空想や思い込みにもあるのではないか。それは一つの仮説といってよいのかも知れない。吉田松陰と高山彦九郎も深い関係がある。当地の八幡沼開鑿の指導者川端宇兵衛も、新井雀里等を介して高山彦九郎に繋がる線があるように感じている。

先日、伊香保から渋川に向かって県道33号線を下った。伊香保町から旧渋川市に入った頃か、県道南側に小さな公園があった。ゴミ出し場所のような看板とトイレらしい家屋があって、何となく通り過ぎようとしていたが、碑のような物が目に入ったのでふらりと中に入った。碑は2~3基あって、どうも「御蔭松」に関するものらしかった。よく見ると、松の大木の幹の下方だろうか、屋根のある建物の中に保存されていた。やや丸みをおびた碑の後面を見ると、何と「明治十二年 九月 群馬縣令 楫取素彦 撰並書」と刻まれていた。残念ながら、碑文の内容はよく分からない。どうも、皇太后が伊香保に向かう途中、この松の木の下で休憩をとられたことを記念している碑のようだ。WEB情報では楫取素彦を顕彰した碑は存在するようだが、楫取素彦が直接関与した碑の存在は未だ見ていない。楫取素彦はこの碑で、何を後世に残そうとしたのか。それが、謎のように頭の隅にあった。

吉田松陰と楫取素彦の関係も並々ならぬものがある。WEB情報では、楫取素彦は吉田松陰の妹を妻に迎え、義弟と述べられているが、年齢を調べてみると、楫取素彦は吉田松陰より一年長じている。昔のこと、長幼の序は、今より人間関係に重くのしかかっていたのではないか。それなのに、楫取素彦は吉田松陰に兄事しているように感じる。楫取素彦は、明治9年(1876年)の熊谷県改変に伴って新設された群馬県令となり群馬県と関係が生まれた。「御蔭松」の碑は明治12年。吉田松陰没後20年の時だ。この時、楫取素彦は50歳。吉田松陰が29歳で斬刑に処されなければ、49歳の吉田松陰が生きていたはずだ。楫取素彦は生涯、吉田松陰と心の中で深く・強く結ばれていたのではないかと思う。そうであれば、吉田松陰が私淑した高山彦九郎の戒名を引き継ぎ、自ら自分の号として「松陰」を名乗った事も、楫取素彦が高山彦九郎生誕地である群馬県の初代県令として赴任してきた事も因縁浅からぬものがあるように感じるのである。

それでは、楫取素彦と「御蔭松」の関係は? 直感的だが、「蔭松」と「松蔭」と「松陰」はその意味において、全く同じだと感じた。この碑には、楫取素彦の吉田松陰に対する思いがこめられているのではないかと思った。なぜ、「御蔭」という場所に、楫取素彦撰並書の「御蔭松」の碑があるのか。大きな謎に突き当たった。

更に、県道を下ると、庭掃きしている年輩の男性がいたので、「御蔭」という地名には何かいわれがあるのですかと尋ねた。実は、自分は何十年かここで暮らしているが、この地の生まれでないので、地元の歴史は詳しくは分からない。長老に聞けば分かるかもしれないという事だった。その男性は、渋川の歴史の本も持っているので、後で調べてみたいとも話した。いつ頃か忘れたが、昔はここから、あそこま辺までの人家の数はたった30戸程度だった話してくれて、郷土史も勉強しているようであった。軽率なことは話したくないという様子も窺えた。携帯のデジカメで碑を写したがそのデータはまだ取り出していない。今年、楫取素彦没後百年になるので、この碑の存在と由来が解明されれば意義深いと思われる。楫取素彦という人物は未だ十分評価されていないようだが、吉田松陰と重ねて見ると興味深い。

2012年3月17日 (土)

ざっそう句:墓掃除

2012/3/17(土)
昨日は晴れ。春霞がかかったようだった。墓の掃除。最近は葬儀や墓についても色々な考えが出てきている。その究極に葬儀も墓も無用という意見がある。見方を変えれば、葬儀や墓も一種のメッセージだ。それが、世代を越えて、後世に何を語りかけてくれるか。並んだ墓石を比較すると、似ているようだが、少しの違いはある。誰の墓を誰が建てたのか等、墓石を読み始めると掃除もはかどらない。同じ墓掃除に来た人と挨拶を交わす。子供の頃は、墓地には雑木が繁り、薄暗かった。土葬の土饅頭を見ると、子供には墓は怖いところだった。平成以後は墓地の様子も様変わりしてきた。外国産の石材を使いピカピカ輝いている。

2012/3/16(金)の天気

TAVE= 5.7
TMAX= 11.1 最高気温(℃)   11.9  15:091
TMIN= -0.3 最低気温(℃)  -0.7  06:09
DIFF= 11.4
WMAX= 5.4 最大瞬間風速(m/s)   9.8(北西)  08:40
SUNS= 10.7
RAIN= 0

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ざっそう句:墓掃除

昔の墓石を見ていると、どうも高級な石材を調達するのが不可能だったようだ。凹凸のある石面に刻んだ名前も風化を受けて消えているのもある。嬰児の墓は更に小さく貧相だ。でも、そのようにして、死者を弔った形見であることには変わりがない。

■墓掃除墓石と語る馬鹿な事
■いにしえの 壊れ墓石は 墓の隅
■丸石の 墓のしるしに 人の情
■人の名の 消えて墓石は ただの石
■ただの石 人の名刻む 人の恩

2012年3月16日 (金)

技術 回顧と展望:「知の信頼性」はどこへ向かうか

2012/3/16(金)
昨日は晴れ。最大瞬間風速(m/s) =18.3(北北西) /14:36と強風が吹いた。町内行事。その後は宅内。ハナダイコンの花が一本だけ咲き始めた。開花時期も、条件によりばらつきが出る。以前、花暦として、周辺の花の開花を調べた事がある。3月6~10日:ぼけ、すいせん、ほお、こぶし、ミニスイセン等が咲いていた。これらの花は、今年はまだ見ていない。暖かくなると一斉に咲き出すのではないか。

2012/3/15(木)の天気

TAVE= 4.8
TMAX= 9.5 最高気温(℃)   10.1  11:11
TMIN= 0.1 最低気温(℃)  -0.1  06:09
DIFF= 9.4
WMAX= 9.2 最大瞬間風速(m/s)   18.3(北北西)  14:36
SUNS= 10.7
RAIN= 0

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技術 回顧と展望:「知の信頼性」はどこへ向かうか

少年時代から青年時代にかけて百科事典にあこがれを持っていた。学校教育では得られない知識がそこにあると思っていた。分厚く何巻もある百科事典は値段も高く、個人で持つのも不可能だった。本を読んでいると、百科事典の事が出てくることがあり、知識欲を刺激された。日本の百科事典では、平凡社のものが有名で、その創業者である下中弥三郎に関心を持ったことがある。

「下中弥三郎;。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%8B%E4%B8%AD%E5%BC%A5%E4%B8%89%E9%83%8E。」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』。(最終更新 2011年3月23日 (水) 08:11 )(http://ja.wikipedia.org/)の一部引用=「下中 弥三郎(しもなか やさぶろう、1878年6月12日 - 1961年2月21日)は、平凡社の創業者、教員組合の創始者、また労働運動や農民運動の指導者。下中芳岳ともいう。1878年6月12日、兵庫県多紀郡今田村に生まれ、幼くして父を亡くし陶工となる。1898年、神戸市雲中小学校の代用教員となり、小学校準教員検定試験に合格。~学習権、教育委員会制度、教員組合結成の促進を要求した「教育改造の四綱領」を発表。1923年、「教育の世紀社」を創立。1924年、「児童の村小学校」の設立に協力する。その間、1914年には『ポケット顧問 や、此は便利だ』を発売するために平凡社を創設、1931年 - 1935年には『大百科事典』を出版して一躍「事典」出版社として著名になる。~敗戦後、公職追放。1951年、追放解除とともに再び平凡社社長に復帰。1955年、世界平和アピール七人委員会を結成。1955年 - 1959年、『世界大百科事典』を出版。1957年、日本書籍出版協会初代会長。晩年は平和運動や世界連邦運動を推進した。1961年2月21日没。享年82。」。

百科事典は知の集大成であり、物事の道理を理解するためには不可欠なものでもある。フランスの百科全書派:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%99%BE%E7%A7%91%E5%85%A8%E6%9B%B8%E6%B4%BEは、フランスの近代化に大きく貢献したようだ。平凡社の百科事典も、このような歴史の流れの中で発刊されたのだろう。社会人になり、何とか金の工面ができたので、平凡社の百科事典を分割払いで購入した。余り、活用した記憶はないが、必要ならいつでも調べ事ができるという安心感はあった。

asahi.comは、「ブリタニカ百科事典、書籍版244年で幕;url=http://www.asahi.com/culture/update/0315/TKY201203150137.html(2012年3月15日22時2分)」というタイトルで、「英語の代表的な百科事典で244年間にわたって出版されてきた「ブリタニカ百科事典」の書籍版が、姿を消すことになった。今後は電子版だけになる。発行会社が14日発表した。最近は電子辞書の普及や、インターネットの無料百科事典の台頭で、売れ行きが急速に落ちていた。 ブリタニカ百科事典は1768年に英国のスコットランドで発行が始まり、現在は本社を米国に移している。2010年に出版された書籍版の最新版は約4千人が執筆に加わり、全32巻。 かつては学校や図書館の必需品で、自宅で所有する人も多かったが、最新版は1395ドル(約11万7千円)という値段や約58.5キロの重量が原因で敬遠され、売れたのは約8500部。ピーク時の1990年の15分の1程度に減っていた。 」と報じた。

百科事典の書籍版が消えて行くのも時代の趨勢のようにも思う。手持ちの、カシオの電子辞書を調べるとブリタニカ百科事典が入っていた。それを使って、「ブリタニカ百科事典」を調べてみると、1768年初版:分冊形態、1871年3巻、1777~1784年第二版10巻、第三版1788~1797年18巻、第四版1810年20巻、~第十一版1910~1911年29巻、第十五版改訂版1985年32巻、1994年よりインターネット上のオンラインサービス開始とある。知識が巨大化して、電子化に向かう動きをブリタニカもとっていたようだ。数十巻の百科事典が電卓一つの中に収まってしまうのが現代だが、それを使い切れないのも現代だ。

市販の百科事典は、その分野の多数の専門家が実名で執筆しているので信頼性が高いという説を聞いたことがある。そう言われれば、フリーのWIKIPEDIA等は執筆者は匿名である。WIKIPEDIA等でも内容の信頼性向上に努めているようだ。基本的にはボランティアが無償でそのようなプロジェクトを通して貢献している。IT技術で、情報の量とスピードは飛躍的に向上した。しかし、情報の質はどうなのか。知識は情報とも異なる。知識は単なる情報の集積ではない。それなりに、洗濯・フィルタリングしてより精度と品質を向上させ、価値を高めた情報が知識になる条件だろう。今必要なのは知識なのか情報なのか。福島原発事故後の一年を振り返ると、「知の信頼性」も気にかかる。

2012年3月15日 (木)

老人の寝言:Googleのプライバシー ポリシーの変更と利用の悩み

2012/3/15(木)
昨日は晴れ。穏やかな天気で青空が見えた。用事外出。用事が済んでタウンウォチング。@50円の本があった。投げ売りに近い値段だ。かみさんに叱られそうだが、つい買ってしまった。読書人口が減っているのか、新本も古本も売場面積は減少し、DVD、CD、更には文具、雑貨、菓子類等が、そのスペースを埋めて行く傾向があるようだ。読書は情報を主体的に入手しようという行為であり、それなりのエネルギーが必要だ。それに比べると電子メディアを通した情報入手は便利で、肉体的、精神的のエネルギーも含むエネルギーは少なくて済む。情報を受けるという感じになり、受動的になってしまう。そんな状況なので、古書店で高校生や若い人が、コミックを立ち読みしているのを見ると貴重な人間に見える。コミックといえば、自分の小学生時代も漫画本を盛んに読んでいた。学校の帰り道は、漫画本を読みながら帰った。その姿を親が見ていたのか、なんでクスクス笑っているのか、仕方がないと言われた事を思い出す。交通事故の心配もなく、のどかな時代だった。

2012/3/14(水)の天気

TAVE= 5.2
TMAX= 10.7 最高気温(℃)   11.6  15:05
TMIN= -0.2 最低気温(℃)  -0.4  06:24
DIFF= 10.9
WMAX= 3.3 最大瞬間風速(m/s)   7.0(南南東)  16:18
SUNS= 10.5
RAIN= 0

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老人の寝言:Googleのプライバシー ポリシーの変更と利用の悩み

GoogleはIT時代の申し子のようで、巨大になるとともにその影響も大きくなった。Googleの収益の源泉は広告にあるようだ。従来の広告業は新聞、テレビ、ラジオ等旧メディアを媒体として使ってきた。Googleのビジネスモデルは、インターネットをメディアとして使うものと言えるだろう。その最大の利点は、進歩しつつあるIT技術を最大限に使える事だろう。最近、Googleの検索でキーワードを入れると、それに関連したり、類似する広告が、検索の結果表示画面に出てきて、びっくりした。検索連携広告と言うものだろう。たかが、パソコン端末に表示される広告に過ぎないが、まさに、NET広告はピンポイント式に消費者を狙ってくる。

インターネットはクッキーや履歴等が使えるので便利である。最近プライバシーの問題がやかましくなっている。それに関わる問題が顕在化している。クッキーや履歴を使わなければプライバシーの保護は少しは改善されるだろうと色々設定をいじってみた。時々不便を感じる時がある。現在、Googleのホームページを開くと「Google Chromeをインストールしよう」と出てくる。これもGoogleの囲い込みかと思ったりする。

2012年3月1日以前から、Googleのプライバシー ポリシー変更の表示が出てきた。既に、このGoogleが収集した個人情報をGoogleが一元的に収集・管理・利用する事については警鐘が鳴らされ、国もGoogleに対して懸念を伝えているようだ。念のため、Googleが「プライバシー ポリシー」の変更として開示した内容を以下に引用する。かなり、長文の文書だが、Googleにどっぷり浸かると、個人情報は丸裸になり、本人はその個人情報が何に使われるのか予想もできないように思われる。

このような事態をGoogle側から見れば、まさに全てを知っている神様の気分だろう。それでは、なぜ「プライバシー ポリシー」なのか。英語版でも「Privacy Policy」となっている。Googleの利用者や顧客の全てがこの「プライバシー ポリシー」に同意している訳ではないだろう。従って、ある意味ではこれはGoogleの方針の表明に過ぎないのかも知れない。ともかく、何を為すか不明な全知全能の神の出現を歓迎する人は限られているのではないか。悩ましい問題だ。

以下Googleのプライバシー ポリシー(http://www.google.co.jp/intl/ja/policies/privacy/)最終更新日: 2012年3月1日からの一部引用。
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Google サービスは、情報の検索や共有、他のユーザーとのコミュニケーション、新しいコンテンツの作成など、さまざまな用途にご利用いただけます。Google アカウントの作成などにより、Google に情報を提供していただくと、サービスをさらに改善することができます。たとえば、関連性のより高い検索結果や広告を表示したり、他のユーザーとの交流を支援したり、他のユーザーとの共有をより迅速で簡単にしたりすることができます。Google サービスのご利用にあたり、Google がユーザー情報をどのように利用し、プライバシーをどのように保護しているかをご理解ください。

プライバシー ポリシーでは、以下の事項について説明します:

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○    その情報の利用方法
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*********************************************引用終わり

2012年3月14日 (水)

ざっそう句:蕗の薹

2012/3/14(水)
昨日は晴れ。冬型の天気で気温は余り上がらない。地面が湿っているので、カキの木の下に密生しているハナダイコンの苗を堀上げて、別の二ヶ所に移植。一輪車一台分。雑草と景観対策として道路沿いに試し植えしている。植える面積を増やすにも、苗を現地調達できると作業が楽になる。今回植えた場所を来年の前線基地として更に増やす。気長な作業だ。昨年ミカン樹の下草として植えた所は防草効果があった。以前、景観用の数種類混合種子を買って蒔いたが、残っているのはヤグルマギクと白い花を付けるキク科の花(ノースポール?)のみとなっている。アブラナ科の植物の花は白や黄色が多いようだがハナダイコンの花は薄紫。春の陽気に対してちょっと沈みがちな花色だが、観賞が主目的でないので仕方ない。菜の花も微かな香りがするが、芳香という程ではない。WIKIPEDIAによると、夕方、「非常によい香りがする」とある。こちらは、まだ未経験だ。その香りに期待。少し汗をかいた。蕗の薹が出ていたので、数個収穫したが、置き忘れた。

「ハナダイコンWIKIPEDIA(ハナダイコン);。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%83%8A%E3%83%80%E3%82%A4%E3%82%B3%E3%83%B3。」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』。(最終更新 2009年1月28日 (水) 23:03)(http://ja.wikipedia.org/)の一部引用=「ハナダイコン(花大根、学名Hesperis matronalis)は、アブラナ科の植物の一種。シベリアから西アジア・ヨーロッパにかけてが原産地で、欧米では、最も伝統のある園芸植物とされている。オオアラセイトウ (学名:Orychophragmus violaceus)もハナダイコンと呼ばれるが、別種である。~。概要 [編集]:中世から庭園などに植えられていたとされ、特に気候の寒いヨーロッパ北部のドイツ、イギリスなどではよく親しまれている。北アメリカには1600年代に観賞用植物として移入されて帰化し、北はカナダのオンタリオ州からニューファンドランド島、南はジョージア州の山間部まで分布を広げた。主に道路脇や林の外縁によく生え、一部の地域では侵略的外来種と考えられている。~。性状 [編集]:耐寒性の多年草であるが、耐暑性がないため、日本では一年草として扱われている。草丈60-90cm。葉は互生し、柄のないへら形の単葉である。花は5月頃に咲き、茎の上の方に直径2cmくらいの薄紫の花を総状花序につける。夕方になると、非常によい香りがする。」。

リンク設定メモ:以下のリンクはOK。上記「」のリンクはNG?
リンク部分のソース=「「ハナダイコン<a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/a~??a~??a~??a~??a~?^(3)a~?^(3)">WIKIPEDIA(ハナダイコン)</a>;。<a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/a~??a~??a~??a~??a~?^(3)a~?^(3)">http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%83%8A%E3%83%80%E3%82%A4%E3%82%B3%E3%83%B3</a>。」」。URLが正確にコピーされていない?FIRE FOXはURLは英数字以外もOKだが、古いVERのIEはNG?

IEのURL(url=http//ja.wikipedia.org/wiki/ハナダイコン:FIRE FOX)表示:「http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%83%8A%E3%83%80%E3%82%A4%E3%82%B3%E3%83%B3

(1)Googleによる「ハナダイコン WIKIPEDIA」の検索(http://www.google.co.jp/#hl=ja&gs_nf=1&gs_is=1&cp=7&gs_id=m&xhr=t&q=%E3%83%8F%E3%83%8A%E3%83%80%E3%82%A4%E3%82%B3%E3%83%B3%E3%80%80WIKIPEDIA)。

(2)http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%83%8A%E3%83%80%E3%82%A4%E3%82%B3%E3%83%B3

2012/3/13(火)の天気

TAVE= 4.0
TMAX= 8.6 最高気温(℃)   9.2  14:04
TMIN= 0.3 最低気温(℃)   -0.6  06:11
DIFF= 8.3
WMAX= 6.7 最大瞬間風速(m/s)   12.3(北北西)  15:57
SUNS= 11.4
RAIN= 0

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ざっそう句:蕗の薹

蕗は日本原産の山菜・野菜で太古より食べられていたようだ。その長い間に品種改良されて現在のようになったのか。

■ハナダイコン 植え場に顔出す 蕗の薹
■折角の 香りも聞けない 花粉マスク
■汗仕事 置き忘れたよ 蕗の薹
■かみさんと 蕗の話題で 飯を食う
■蕗の香や 太古の記憶 呼び覚ます

2012年3月13日 (火)

東北の海よ:ニューヨークタイムズが伝えた3.11東北三大災害

2012/3/13(火)
昨日は晴れ。風が強く寒い日だった。午前は資材加工。午後は仲間二人で修理作業。更に二人応援が来た。ともかく、寒風の中の作業だったが、人数が多いと元気が出てくる。寒くともスギ花粉は飛ぶとの事でマスク着用。昨年は花粉の飛散が特に多い年とされていたが、東京電力福島原発事故で、放射能の危険が増大した。その予防でマスク着用が多かったのか、花粉症はほとんど感じなかった。昨年の3.13のブログでは原発事故の事を書いているが。まだ、その深刻さを意識していなかったようだ。「環境雑録:巨大地震による原子力発電所の事故。http://af06.kazelog.jp/itoshikimono/2011/03/2011.html。」

2012/3/12(月)の天気

TAVE= 3.9
TMAX= 9.1 最高気温(℃)   9.5  12:47
TMIN= -0.2 最低気温(℃)   -0.6  06:11
DIFF= 9.3
WMAX= 8.5 最大瞬間風速(m/s)   17.3(西北西)  12:15
SUNS= 9.3
RAIN= 0

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東北の海よ:ニューヨークタイムズが伝えた3.11東北三大災害

3.11から一年を迎えて、世界はこれをどのように報じているのか。たまたま覗いたNY TIMESに次の記事があった。By HIROKO TABUCHIという署名記事である。かなりの長文で読むのが大変。細切れにして、Googleで翻訳した。機械翻訳なで「超訳」的な部分もあるが、英文記事が伝えようとする内容は、これを手がかりに解読する以外にない。

「Effects of Japan’s Disaster(追記:An Anniversary of ‘Heartbreaking Grief’ in Japanに変更/2012/3/13)」というタイトルだが、3.11の地震、津波、原発事故という巨大な災害三重奏の及ぼす影響についての記事。翻訳では、それが「まだアンフォールディングしています」とちょと意味がとりにくい。「日本の巨大災害の影響ががぞくぞく明らかになる」という意味だろう。被災から一年経ち、ようやく被災直後の様子が分かってきた事が多いだろう。

この記事は、浪江町の被災者と被災者が死亡に到った原因について報告している。浪江町では、避難者は津波からの避難と原発からの避難の両方を考える必要があった。もし、原発が無かったら、助かっていた人もいたはずだ。福島原発事故で、放射能被害を怖れて、捜索や立入が禁止・断念され、遺体収容が遅れた。その後の捜索で、収容した遺体の調査をすると、津波による死亡と異なり、餓死や衰弱死が死亡の原因と判断された例があることを伝えている。

先日聞いた講演で、気仙沼市の観音寺住職は、地震・津波の時は「てんでんこ」が、被災を避けるのに重要だと話された。「てんでんこ」とは、各々自分自身でという意味。一度、自分自身は逃げることができても、親のことを思い、親の救出に向かって、被災した人が多いと話した。親よりも若い人が多数被災していると聞いて、改めて絆とは何かと思う。親子、親族という絆ほど強いものはないだろう。災害の時は、逃げるのは「てんでんこ」にして、家族が集まる場所を決めておいて、そこで再会して下さいと話す。お互いに探し合う事で、二次災害の心配もある。

NY TIMESの記事はかなり詳細に、3.11三大災害発生後の一年を伝えていると思う。放射性物質の飛散状況を当局が直ちに公表しなかったため、放射能が高い方に向かって避難した例も述べられている。また、以下の記事は、放射能が具体的にどの程度の強度かが分かっていれば、救援隊が救援に向かい、被災者は助かっていたかも知れないことを伝えている。

「Last week, the police in the Futaba-gun region of Fukushima, which includes the damaged Fukushima Daiichi Nuclear Power Station and the town of Namie, confirmed that a handful of tsunami survivors trapped in the rubble probably starved to death as rescuers fled the scene for fear of radiation. 先週、破損した福島第一原子力発電所と安室奈美恵の町が含まれています福島の双葉郡地域の警察は、救助者が使用するシーンを逃れたとして、瓦礫に閉じ込められた津波の生存者の一握りのは、おそらく餓死していることが確認放射線への恐怖。(先週、破損した福島第一原子力発電所と浪江町を含む福島県の双葉郡地域を管轄する警察は、瓦礫に閉じ込められた津波の生存者中には、救援隊が放射能の恐怖から現場を退散したので、取り残された何人かが、多分餓死したと思われる事を確認した。)」

多分、この著名なNY TIMESの記事は英語なので、世界中多数の読者がいると思う。3.11の三大災害を機会に、世界は日本に注目している。日本は世界に向けても情報発信をしてゆく責任があるのではないか。政府は3.11の三大災害対応の会議議事録の作成をしていなかったと報道されている。しかし、日本の官僚は魂を悪魔に売る程堕落はしていないと信じたい。何年か後に、その議事録の存在が明らかになれば、まさに巨大な官製隠蔽談合があった事になる。日本の3.11の三大災害対応の議事録は、世界の災害対策のバイブルにもなるのである。しっかりせよ、日本のジャーナリスト。これからが正念場ではないか。

以下は参照したNY TIMES記事とそのGoogle翻訳。機械翻訳の実力・現状を知るためにも参考になる。
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Effects of Japan’s Disaster Are Still Unfolding(Google翻訳:日本の災害の影響がまだアンフォールディングしています)
By HIROKO TABUCHI
Published: March 11, 2012
http://www.nytimes.com/2012/03/12/world/asia/a-year-later-effects-of-japans-disaster-are-still-unfolding.html

NIHONMATSU, Japan ― Nobody knows whether Hiroshi Yokoyama’s elderly parents tried to outrun the tsunami waves that engulfed their home in Namie on the Fukushima coast a year ago. But Mr. Yokoyama does know that he would have searched for them high and low, if not for a second disaster that unfolded at the nuclear power plant just a few miles away, forcing him to abandon his search.

Google翻訳(以下同様):「二本松市、日本 - 誰も横山宏の高齢者の両親が年前に福島県の海岸に安室奈美恵に彼らの家を巻き込んだ津波の波を逃れることを試みたかどうか知りません。しかし、横山氏は、彼が彼の捜索を断念することを強制、ハイとロー、そうでない場合、わずか数マイル離れた所原子力発電所で繰り広げられる二次災害のためにそれらで検索しましたことを知っています。」

As grieving families across the nation gathered Sunday to mark the one-year anniversary of Japan’s 3/11 disasters ― an earthquake and tsunami that ravaged the northeastern coast, killed almost 20,000 people and caused a huge nuclear radiation leak ― some communities are still coming to terms with the calamity’s scale, complexity and lasting effects, and painful new revelations have shed light on how some of the victims died.

北東部の沿岸を荒らし、ほぼ20,000人が死亡し、巨大な核の放射能漏れを引き起こした地震と津波 - - 全国家族を悲嘆としての日本の3月11日の災害の1周年をマークするために日曜日に集まっいくつかのコミュニティは、まだに来ている災害の規模、複雑さと持続的な効果、痛みを伴う新たな啓示との用語は、犠牲者の何人かが死亡した方法に光を当てるしています。

Last week, the police in the Futaba-gun region of Fukushima, which includes the damaged Fukushima Daiichi Nuclear Power Station and the town of Namie, confirmed that a handful of tsunami survivors trapped in the rubble probably starved to death as rescuers fled the scene for fear of radiation.

先週、破損した福島第一原子力発電所と安室奈美恵の町が含まれています福島の双葉郡地域の警察は、救助者が使用するシーンを逃れたとして、瓦礫に閉じ込められた津波の生存者の一握りのは、おそらく餓死していることが確認放射線への恐怖。(先週、破損した福島第一原子力発電所と浪江町を含む福島県の双葉郡地域の警察は、瓦礫に閉じ込められた津波の生存者中には、放射能の恐怖から救援隊が退散したので、取り残された何人かが多分餓死したと思われる事を確認した。)

A month passed before rescuers started to  venture back into the 12-mile-radius exclusion zone set up around the nuclear plant; the bodies of Mr. Yokoyama’s parents were not discovered until the summer.

救助者が原子力発電所の周囲に設置されている12マイルの半径の除外ゾーンに戻って冒険を開始する前に、月が渡され、横山氏の両親の遺体は夏まで発見されていませんでした。

“If only there was no nuclear power station, lives could have been saved,” Mr. Yokoyama said. He thinks, and hopes, that his parents were quickly overpowered by the waves, and avoided the drawn-out deaths that some around them may have suffered.

"は原子力発電所がなかっただけの場合、命が救われたかもしれない"と横山氏は述べています。彼が考え、希望、彼の両親がすぐに波に圧倒され、彼らの周りの一部が苦しんでいるかもしれない長引く死亡を回避したこと。

A year later, Mr. Yokoyama, his wife, and two young children are still unable to return to their home on the shore. They observed the anniversary in Nihonmatsu, a city about 35 miles away, where a group of Namie townspeople now live.

一年後、横山氏、彼の妻、そして2人の幼い子供は、まだ岸に自宅に戻ってすることはできません。彼らは安室奈美恵の町民のグループが今住んでいる二本松市、離れて35マイル約市で記念日を観察した

“If only there was no nuclear power station, we could all go home,” Mr. Yokoyama said.

"は原子力発電所がなかっただけならば、我々はすべての家に帰る可能性がある"と横山氏は述べています。

Across the country on Sunday, there were hundreds of memorial services like the one in Nihonmatsu. Prime Minister Yoshihiko Noda, in a nationally televised address, pledged to work for a faster recovery.

日曜日に全国で、追悼式の何百もの二本松市のものと同様であった。内閣総理大臣野田佳彦は、全国的にテレビ演説で、迅速な復旧のために働くことを誓った。

“We shall not let our memory of the disasters fade, pay attention to disaster prevention and continue our effort to make this land an even safer place to live,” he said.

"我々は、災害フェードの私たちのメモリは、防災に注意を払うと、この土地に生きるにも安全な場所にする努力を継続させることができない"と彼は言った。

Japan’s reconstruction has accomplished much in the past year. Virtually 100 percent of the tsunami zone’s roads have been fixed, and landscapes once strewn with debris now are lined with tidy plots and a growing number of restored buildings. Severed supply chains have been re-established, and many of the region’s devastated fishing ports are back in service.

日本の復興はこの一年間で多くを達成した。実質的に津波ゾーンの道路の100%が固定されている、一度破片が散らばって風景は今きちんとプロットと復元建物の増加が並んでいます。切断されたサプライチェーンを再確立し、地域の荒廃した漁港の多くは、バックサービスであるされています。

But the still-evolving story of the towns like Namie is a painful reminder that the three-pronged onslaught of earth, sea and radiation that hammered the country a year ago was no ordinary disaster.

しかし、安室奈美恵のような町の、まだ進化の物語は地球の3方面からの猛攻撃は、年前に国を打ち出し、海や放射線は普通の災害なかったという痛い思い出させてくれます。

The tsunami waves that crashed into Namie not long after the 9.0 offshore earthquake at 2:46 p.m. that day swept entire houses out to sea, witnesses said.

ない長い一日が海に出て全体の家を掃除したことが14:46で9.0沖地震後の安室奈美恵に墜落した津波は、目撃者は述べています。

By nightfall, rescuers reached some of the worst damage in the town’s Ukedo District. In the pitch blackness ― the town’s power supply had been knocked out ― they heard taps and voices, possibly survivors under the mangled debris.

日暮れによって、救助者は、町のUkedo地区の最悪の被害の一部に達した。ピッチ暗闇で - 町の電源がノックアウトされていた - 彼らはマングルされた残骸の下でタップ、おそらく声、生存者を聞いた。

But as darkness enveloped them, the rescuers decided to suspend their search until dawn.

しかし、闇に包まれ、それらのように、救助者は夜明けまで、検索を中断することを決めた。

“We told them we would be back,” Kimihisa Takano, a neighborhood firefighter. “But we never did.”

"我々は戻ってであろう彼らに言われた。"公久高野、近所の消防士。 "しかし、我々は行ったことはありません。"

Mr. Takano instead found himself helping evacuate the town, after reports of a radiation leak from the nearby nuclear plant. But the town owned only a handful of microbuses and other vehicles to get residents out. As news spread of the unfolding nuclear crisis, commercial bus companies refused to travel to Namie, slowing the evacuation.

高野ではなく、近くに原子力発電所からの放射能漏れの報告の後、自身が町を避難させる助けた。しかし、町にはマイクロバスや住民を得るために他の車両のほんの一握りを所有していた。ニュースは展開の核危機の広がりとして、商用のバス会社が避難を遅らせ、安室奈美恵に行くことを拒否した。

(Page 2 of 2)

With no guidance from Tokyo Electric Power Company, the nuclear plant’s owner, or the central government, town officials led evacuees north, believing winds were blowing the radiation south. They would later learn they had fled right into the path of the radiation plume, despite the existence of government simulations that could have pointed them to safety instead.

東京電力、原子力発電所の所有者、あるいは中央政府からの指導のもと、町職員が信じている風が放射線の南を吹いていた、北避難を導いた。彼らは後に、彼らが代わりに安全にそれらを指摘していることが政府のシミュレーションが存在するにもかかわらず、放射線プルームのパスを右に逃げた学びました。

All the while, residents pushed for rescuers to return to Namie to resume their search for missing loved ones. “They were telling us, ‘What are the police for?’ ” said Takashi Sato, a police officer for the Futaba-gun region and a native of Namie, who fielded some of those calls. “But there was no way we could have carried out full-blown searches with radiation so high and the plant so volatile.”

その間、住民は行方不明の愛する人のために検索を再開するには、安室奈美恵に戻るには、救助のためにプッシュされます。 "彼らは'のために警察は何ですか?"、私達に言った "佐藤隆、双葉郡地域の警察官と、それらの呼び出しのいくつかを擁立安室のネイティブは言った。 "しかし、我々は非常に高い放射線など揮発性の植物で本格的な検索を行ったかもしれない方法はありませんでした。"

When Mr. Sato and his colleagues finally entered the 12-mile exclusion zone for a search mission in April, there were no survivors. Four bodies were discovered at a still-intact hospital in Okuma, next to Namie; an elderly man was found dead on the undamaged second floor of his house, according to Mr. Sato.

佐藤氏と彼の同僚は、最終的に4月の検索ミッションのために12マイルの排他ゾーンに入ったとき、生存者はありませんでした。四体は、安室奈美恵の隣に、大隈にまだ無傷の病院で発見された、老人は、佐藤氏によると、彼の家の無傷の二階で死んで発見されました。

They are all presumed to have died of causes other than the tsunami, probably starvation, Mr. Sato said.

彼らはすべての津波は、おそらく飢餓以外の原因で死亡したものと推定され、佐藤氏は述べています。

There are signs that victims in other towns and cities around the Daiichi plant, 160 miles north of Tokyo, suffered a similar fate. Ryuzaburo Shineha, a doctor based in Minamisoma who helped examine bodies pulled from the tsunami wreckage there, deemed that five out of 34 bodies he handled had died from debilitation.

第一工場、東京の160マイル北、周りに他の町や都市で被害者が同じような運命に見舞われている兆候があります。三郎Shineha、そこに津波の残骸から引き出された遺体を調べました南相馬市に本拠を置く医師は、彼が扱わ34体のうち5人は衰弱で死亡したものとみなす。

“Their bodies were unnaturally thin, suggesting that they likely had nothing to eat or drink for a long time,” Dr. Shineha said. “We concluded that they survived for some time after the tsunami, but became debilitated.

"彼らの遺体は、彼らがそう食べるか、または長い時間何も飲まなかったことを示唆し、不自然に薄いた"と博士はShinehaは言った。 "我々は、彼らが津波後しばらくの間生き延びたことが、衰弱した。

“Radiation doesn’t kill you straight away, but these people were literally dying. The authorities should have gone in to rescue them.”

"放射線はすぐにあなたを殺しませんが、これらの人々は文字通り死んでいった。当局は彼らを救うために行っているべきです。 "

In all, 1,605 people have been confirmed dead in Fukushima, and 214 remain missing and are presumed dead.

すべてでは、1605人が福島県で死亡が確認され、214は行方不明のままで死んだと推定されてきた。

Even as the area’s evacuees awaited news of their relatives, towns and cities there splintered. The 20,000 former residents of Namie are now scattered across 620 towns and cities in Japan, according to town officials. Five other jurisdictions around the Fukusima Daiichi plant remain evacuated.

地域の避難者がが分裂し、親戚、町や都市のニュースを待っていたとしても。安室奈美恵の20,000元の住民は、現在の町の当局者によれば、620の町や日本の都市に散らばっています。福島第一発電所周辺の5つの他の管轄区域では避難のままです。

The government has acknowledged that some areas near the plant may be uninhabitable for decades.

政府が工場の近くにいくつかの地域は何十年も住めないかもしれないことを認識しています。

More recently, some residents have been allowed on several visits to their tsunami-ravaged homes. When Kazuhiro Shiba, 48, returned to his home in Namie in June, he found a ship blocking his front door.

最近では、一部の住民は、その津波で荒廃した家庭には、いくつかの訪問で許可されています。和弘芝、48年6月に安室の自宅に戻ったとき、彼はフロントドアをブロックして船を発見しました。

Mr. Shiba has no illusions about ever moving back. “We’re just lucky to be alive,” he said.

氏芝はこれまで戻っての移動に関する幻想を持っていません。 "我々は生きているだけでも幸運"と彼は言った。

At the Namie memorial service in Nihonmatsu, bereaved families lined up to lay white chrysanthemums at an elaborate altar. Two Buddhist priests chanted funeral rites.

二本松市の安室奈美恵の追悼式で、遺族は、精巧な祭壇に白い菊を築くために並んでいた。二つの仏教の僧侶は、葬儀を唱えた。

“Our search for survivors was delayed by a full month,” said Eiko Yoshida, a Namie native and a member of Fukushima’s prefectural assembly. “When I think of the suffering endured by the victims and their families, I am overcome by a heartbreaking grief.

"生存のために我々の検索は、完全な月の遅れで表示されました"と英子吉田奈美恵ネイティブと福島の県議会のメンバーは述べています。 "私は被害者やその家族が耐え苦しみを考えるとき、私は悲痛な悲しみによって克服しています。

“We experienced three disasters all at once. Never has this happened in the world.”

"我々は、一度に3災害を経験しました。これは世界で起こったことがない。"

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追記(2014/3/13):
『東北の海よ:ニューヨークタイムズが伝えた3.11東北三大災害』が当サイトのランキングに入ったのでメモしておく。この記事が読まれたのは、先日、「東北三大災害」災害発生以来3年目を迎えて、検索エンジン経由でこの記事を探したものと推測する。その日は、外出して他市の見知らぬ通りを歩いていた。東北地方太平洋沖地震が発生した時刻が近づくにつれ、黙祷のサイレンが聞こえてくるかもしれないと思った。その前に、屋外スピーカーから、「一分間の黙祷」をお願いしますという声が聞こえた来てきた。丁度、川の辺で、風も強く、スピーカの音は雑音に埋もれながら、山びこのように聞響きわたった。それをICレコーダーで録音。更に駅に向かって歩くと、何やら消防署らしい建物があった。消防車もあり、屋上には無線アンテナが立っていた。そこでICレコーダーを突き出して黙祷の時刻をまった。偶然にも、消防署の前に来ていたのだった。道路を挟んで対岸にいたので時々自動車が通っていた。フリーの音声処理ソフトで二本のファイルを加工して、最後的に一本に連結した。ICレコーダーで録音しながら黙祷した。

音の風景:
http://af06.kazelog.jp/itoshikimono/0a1_SOUNDS_FUUKEI.html

(3)東日本大震災、東北三大災害犠牲者追悼の黙祷2014年
SOB_GISEISYA_MOKUTOU_2014311_SIBUKAWA_2M41S.mp3をダウンロード
ファイルサイズ:1.84 MB (1,933,312 バイト)
時間:約2分41秒。
採録:2014年3月11日(東北地方太平洋沖地震発生時刻)。
場所:群馬県渋川市消防署前(前半:黙祷を呼びかける放送+後半:消防職員の黙祷)

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2012年3月12日 (月)

ざっそう句:一年目の3.11

2012/3/12(月)
昨日は曇り、夕方一時雨。ジャガイモを植えた。切った切り口がしなびかけていた。暴走族が一時間ほど国道を乗り回す音がやかましかった。3.11の事は忘れきっているのか。一瞬、バイクの音の間から、黙祷をしましょうと広報車から声が聞こえた。午後は用事。

2012/3/11(日)の天気

TAVE= 5.4
TMAX= 8.6 最高気温(℃)   8.9  14:30
TMIN= 2.7 最低気温(℃)   2.4  22:31
DIFF= 5.9
WMAX= 6.8 最大瞬間風速(m/s)   14.5(北西)  21:24
SUNS= 0.4
RAIN= 1

Q
Q

ざっそう句:一年目の3.11

■何でまた 暴走族の 喧噪日
■広報車 黙祷伝え 走り行く
■2:46 皆で低頭 北を向き
■水仙が 春を創るか 蕾出す
■花見れば 思考停止の 仏の座

2012年3月11日 (日)

ざっそう句(Weedy Haiku Records):津波と老学ドナルド・キーンさん(Tsunami and an old scholar Mr. Donald Keene)

2012/3/11(日)
昨日は雨。午後の後半より曇り。用事外出。ついでに書店に立ち寄る。文庫本一冊。書店の片隅で若い男性が数人の子供達に本の読み聞かせをしていた。読み聞かせと言えば、小学生の頃、担任のO先生が給食の時間に、本を読んでくれた事を思い出す。本の内容はすっかり忘れているが、読んで貰った事の有り難さを再度かみしめている。東北地方太平洋沖地震とそれに伴う大津波と東京電力福島原発事故という同時発生した、三つの歴史的大災害・災難から、本日で1年目となる。先日、地震発生の時刻、14時46分に黙祷して下さいという回覧板がまわってきた。複雑な心境だ。外見的な黙祷が踏み絵のように形式化してしまわないか。

2012/3/10(土)の天気

TAVE= 5.2
TMAX= 7.1 最高気温(℃)   7.3  15:57
TMIN= 3.6 最低気温(℃)   3.5  02:43
DIFF= 3.5
WMAX= 2.7 最大瞬間風速(m/s)   5.0(西北西)  05:06
SUNS= 0
RAIN= 11.5

Q
Q

ざっそう句(Weedy Haiku Records):津波と老学ドナルド・キーンさん(Tsunami and an old scholar Mr. Donald Keene)

本日、東北地方太平洋沖地震から一年目を迎えた。その間、色々な事があった。その中で、日本文学研究者のドナルド・キーンさんが日本国籍をとり、日本に帰化するというニュースを聞いた時は、強い感動を覚えた。振り返って見ると、ドナルド・キーンさんのニュースを記事にしたのが2011年4月30日 (土)。技術 回顧と展望:東日本大震災の復興に際し、湾口防波堤はもっと強固にならないか。http://af06.kazelog.jp/itoshikimono/2011/04/。であった。あの津波が老学に与えた印象ははかりしれないだろう。心の支えを失った人々にとって、これ以上心強い支援はないだろと思った。その時作った句。

The spring dream
Of an old scholar
Flies across the Tsunami

老学の津波を渡る春の夢

The spring ocean
Shall gulp the Tsunami as well
Up to the heavens

春の海津波も飲めよ天高く

与謝野蕪村の句に、「春の海ひねもすのたりのたりかな」という句がある。ある席で、かみさんの印象を聞かれて、返答に困った。その時、何となく、こんな風かなとしゃべってしまった。春の海が凪いでいる時は、海は蕪村の句そのものかもしれない。当地は海無し県なので、海は憧れに近い存在だ。東北関東大震災の津波は、荒れ狂う海の姿をむき出しにした。そのような時に、夢や希望を与えるために、津波を乗りこえて日本に帰化する老学者に、こうごうしさを見たおもいがした。3月8日付けで日本国籍の取得が認めらたそうだ。漢字では、「鬼怒鳴門(きーん・どなるど)」という名前を使うとの事だ。名前については、その真意は何も語っていないようだが、心を鬼にして何かを叫んでいるような名前だとも思う。

でも、名前なので何か意味があるのではと、はっと考え直した。人間、自分を名乗るとき、その名前に強い決意を託すのではないか。現在、吉田松陰がなぜ松陰と名乗ったのかという点に興味を持っている。自分を名乗る事は自己のアイデンティティを規定するのではないか。

「吉田松陰;。WIKIPEDIA 吉田松陰http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%89%E7%94%B0%E6%9D%BE%E9%99%B0。」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』。(最終更新 2012年3月1日 (木) 20:54)(http://ja.wikipedia.org/)の一部引用=「吉田 松陰(よしだ しょういん)は、日本の武士(長州藩士)、思想家、教育者、兵学者、地域研究家である。一般的に明治維新の精神的指導者・理論者として知られる。、、名前 [編集]:幼時の名字は杉(本姓不明)。幼名は虎之助。吉田家に養子入り後、大次郎と改める。通称は寅次郎。諱は矩方(のりかた)。字は義卿、号は松陰の他、二十一回猛士。松陰の号は寛政の三奇人の一人で尊皇家の高山彦九郎のおくり名にちなんでつけられた。」。とある。

吉田松陰の通称は寅次郎との事だが、号を松陰と名乗ったようだ。まさに「号」とは歴史に名前を残すために名乗るのではないか。志の低い人間は号を名乗ろうとは思い付かないだろう。吉田寅次郎が松陰を名乗ることにより、新しい吉田松陰という人格が生まれ、それが理想や行動の源泉になって行ったのではないか。近代日本の夜明けである明治維新の種の一つは、吉田寅次郎が心の中に松陰を名乗る事を決意したときに蒔かれたのではないか。号は通称を超えて、更に心の広さと深さを内包するのだろう。見方を変えれば、その号から、さらに謙遜やユーモアもにじみ出てくるのではないか。

WIKIPEDIAによると、Donald(男の名前) Lawrence(男の名前) Keene(姓名)であった。「きーん・どなるど」となると、姓・名という順で、日本流の呼び方にならって順序を変えている。 辞書によると、Keeneは固有名詞で、姓名と地名の意味がある。更に同じ音の普通名詞と動詞のkeenがある。名詞:a wailing lament for the dead。動詞:to wail in lamentation for the dead。死者へ慟哭するという意味がある。

名と姓と言う順序を変えて、「きーん・どなるど」と名乗るのは、意識や気持の上で、日本人になった事を示しているのではないか。それでは、「きーん」が何故「鬼」か。先ず、ユーモアのセンスの産物ではないか。もう一つ「仕事・研究の鬼」という気持も込められているように感じる。並の人ではできないから、鬼の領域も超えられるのだろう。「きーん・どなるど」について、最初は「キーンが怒鳴るぞ」と安易な解釈をしていた。「怒鳴門」を分解すると「怒」+「鳴門」。「鳴門(全訳古語辞典)」=「狭い海峡で、潮の干満によって潮流が音を立てて鳴り響く所」。「怒」とは勢いが激しいこと。「怒鳴門」とは、海がゴウゴウと荒れ狂っている津波を連想させるのだ。それでは、なぜ「鬼」を「きーん」と読むのか。おそらく、英語の多義性と漢字の「鬼」、「き」という読み方と平仮名の表現全てで、ドナルド・キーンさんの日本に対する思いをここに圧縮・集中しているのではないか。自分の姓名は人生で最も多く使う言葉だろう。ドナルド・キーンさんはKeeneとkeenをいつも意識していたのではないか。keenとは「a wailing lament for the dead」と言うことであり、それを訳せば亡き人を哀れんで慟哭する事である。もう一つのkeenの意味は、鋭い、良く切れる、頭がよいという形容詞。こちらは、日本文学という学問の分野にはぴったりの意味があるだろう。

「鬼怒鳴門(きーん・どなるど)」という名前を聞くと、その中に何か運命のドラマが含まれているように感じた。そのドラマは、自分なりの空想だが、「日本の文学に触れ、その結果、仕事・研究の鬼のような生涯を過ごしてきたキーン姓の俺だが、そのキーンという言葉には、亡き人を哀れんで慟哭するという別の意味があることを常々頭の隅で考えていた。自分が研究で立ち向かった日本が、震災や津波でゴウゴウと音を立てて救いを求めているように感じる。今こそ、縁深い日本の亡き人を哀れんで慟哭してやる時ではないか。日本へ行き、名前を変え、日本に永住し、日本人になり、日本と悲しみを分かち合おう。」というかすかな声が聞こえてくるように感じた。ユーモラスな漢字名の中に慈悲の心をやんわりと盛り込んでいるようも感じる。新しい名前を名乗ることにより、新しい自己アイデンティティが可能になる。自分の名前を見直すことも、復興・再生に向かうためのもう一つの視点でもあるようだ。

先日聞いた講演で、気仙沼市の観音寺住職は、被災で亡くなった檀家さんの葬儀について報告した。葬儀に必要な物は流されて手に入らない。火葬もできないので土葬が行われたそうだ。祭壇も組立式の小さなものしかなかたった。戒名は葬儀の前に与えるとの事。亡くなられた方の生前の様子を、喪主や家族からよくお聞きして戒名を付けたとの事だ。そのように、有り難い戒名も過去のものではなく、喪主や家族にとって、亡き人を偲ぶとともに、未来への希望も与えてくれるのではないかと思う。

追記:「鬼怒鳴門(きーん・どなるど)」さんに関する記事があった。

YOMIURI ONLINEは、「「鬼怒鳴門」と申します、よろしくお願いします;url=http://www.yomiuri.co.jp/national/culture/news/20120308-OYT1T01125.htm(2012年3月8日22時59分  読売新聞)」というタイトルで、「日本国籍の取得が認められた日本文化研究者のドナルド・キーンさん(89)が8日、居住先の東京都北区の区役所を訪問し、記者会見を行った。 キーンさんは「日本人として犯罪を起こさないことを誓います」と会見でユーモアを交えて心境を述べた。~さらに、日本人名の「キーン ドナルド」と同時に、雅号として「鬼怒(キーン・ド)鳴門(ナルド)」を使うことを表明。鬼怒川の鬼怒と四国の鳴門から漢字をあてたと由来を説明し、会見終了後、報道陣にさっそく名刺を配った。」と報じた。

やはり、ユーモアのセンスに溢れているようだ。具体的な地名が示されているが、雅号としての「鬼怒(キーン・ド)鳴門(ナルド)」さんが発したメッセージに耳を傾けたい。

追記2(2015/7/7):ドナルド・キーーン氏の「三島への戯れ 癒えぬ痛みに(http://www.tokyo-np.co.jp/article/feature/shitamachi_nikki/list/CK2014040902100015.html)。」と言う記事に、同氏は「 三島はある時から手紙に「怒鳴門鬼韻(どなるどきいん)様」と当て字で書いてきた。そこで、私は仕返しに「魅死魔幽鬼夫(みしまゆきお)様」と書いた。三島は七〇年十一月二十五日に自決した。その直後、ニューヨークで翌十一月二十六日の消印が付いた三島からの航空便を受け取った。自決直前に書き、机の上に置いてあった封書を、夫人が投函(とうかん)してくれたのだ。」と書いている。この記事から同氏が、「鬼怒鳴門」を名乗るのは、きっと三島由紀夫との交友をいつまでも忘れないようにするためだろうと感じた。(この記事へのリンク

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Ranking

2012年3月10日 (土)

ばんぶつるてんの詩:東北の海よ

2012/3/10(土)
昨日は雨。寒い一日。終日宅内作業。結果をプリントアウト。トナーが終わりそうで、印字品質が余り良くない。WEBで御蔭(みかげ)という地名の調べものをしたが手がかりがつかめない。伊香保よりにある渋川市内にある地名だが、先日初めてそこを歩いた。車なら何も気付かずに通り過ぎていただろう。どうも歴史的に由緒のある地名らしいのだが。「御蔭:おかげ」と言う言葉は、「おかげさまで」といつも無意識に使っている。辞書を引くと①神仏の加護、②人から受けた恩恵とある。神仏の加護も、向こうからやってくる事はないだろう。神仏に御加護を心から願い、そのために本人が何らかの行為を為した結果として授かるものだろう。「おかげさまで」云々も、よくよく考えると意味が深そうだ。

2012/3/9(金)の天気

TAVE= 6.5
TMAX= 8.8 最高気温(℃)   9.6  00:07
TMIN= 3.8 最低気温(℃)   最低気温(℃)  7.4  04:48
DIFF= 5
WMAX= 2.5 最大瞬間風速(m/s)   4.5(東)  13:54
SUNS= 0
RAIN= 20

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本日は、東北地方太平洋沖地震とそれに伴う大津波と東京電力福島原発事故という同時発生した、三つの歴史的大災害・災難から1年目を迎える前日だ。その間、今まで気付かなかった事に関心を寄せ、考えたことがなかった事を考えた。この三つの歴史的大災害・災難からの復興、死亡者の慰霊、被災者の応援をしようと思っても何もできないでいる。余りにも理不尽な事も多く、忘れまいとしても少しずつ忘れて行く。復興の原点になるもの、それは自分が暮らす場所、故郷ではないかと、最近は特に強く故郷を意識するようになった。XP機を使うようになり、「誰も知らない赤い花」という三橋美智也が歌った歌をYouTube(http://www.youtube.com/watch?v=enqDlP-s8wc)で初めて聞いたとき何となく懐かしく、復興への希望を与えてくれるに相応しい歌だと思った。[作詞]:喜志 邦三、[作曲][編曲]:吉田矢 健治、[著者(歌)]:三橋美智也、[出版年月日]:1959-12である。三橋美智也の歌は昨年故人となった人から借りたCDをくり返して聞き、親しみを感じるようになった。「誰も知らない赤い花」という歌は、今まで聞いたことがないが、都へ出たいという希望がかなえられず、故郷に残る姿を切々と歌っているようだ。

以下歌詞の一番:

都へ出る人 朝霧に
消えゆく汽車を 見送って
細道帰れば 足もとの
草にうもれて 花一つ
誰も知らない 山かげに
だまって残る 赤い花

以下の詩は誰も知らない赤い花の歌詞の替え歌。詩の内容は、この一年、当BLOGの記事で扱ったり、触発されて読んだ本等からイメージをまとめた。

ばんぶつるてんの詩:東北の海よ

ふる里めざして のぼる鮭
熊神送る イオマンテ
栗の木育てて 実を食べて
みんなそろって 家をたて
こころ豊かな 縄文の
いのちをつなぐ 北の海

秘めたる栄華に 誘われて
芭蕉も巡る 奥の道
ふる里残して 羽ばたいて
いばら踏み分け 道ひらく
いのち限りに 生きた人
こころの海は 母の胸

地球の果てまで 耳澄ます
いずこにおわす 亡き人よ
地震と津波は 去って行く
とわに残るは 放射能
ゆるせゆるそう お互いに
世界の橋は 北の海

2012年3月 9日 (金)

読みかじりの記:「鳥の仏教」 中沢新一 著 (2011年 株式会社 新潮社)

2012/3/9(金)
昨日は曇り。平均気温は高めだが日照が無いので寒く感じる。同じ係りの人と二人で資材調達の買い物をした。その後はエクセル作業。東北関東大震災、大津波災害、福島原発事故災害の発生から一年になるので、新聞・テレビ等で色々な報道がされ、特集の企画も目立つ。東京の防災に関して、調査研究の結果、東京の直下で震度7の地震が起こる可能性が高いことも発表されている。万一、その程度の地震が起こった時の責任逃れととる向きもある。あの時、発表していたのだ。俺には責任はないという論理は通るのか。東北関東大震災の教訓は関東大震災で多大な被害が発生した東京等の大都市にあてはまる。もはや想定外は通用しなくなっている。

2012/3/8(木)

TAVE= 9.4
TMAX= 11.5 最高気温(℃)   最低気温(℃)  7.4  04:48
TMIN= 7.6 最低気温(℃)   最低気温(℃)  7.4  04:48
DIFF= 3.9
WMAX= 2.7 最大瞬間風速(m/s)   5.7(東南東)  14:12
SUNS= 0.1
RAIN= 0

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読みかじりの記:「鳥の仏教」 中沢新一 著 (2011年 株式会社 新潮社)

本書末尾に、本書は平成20年に新潮社より刊行されたとある。比較的新しい本だ。カバーに著者は1950年、山梨県生まれの文化人類学者とある。やや薄い文庫本だが、モノクロやカラーの鳥の挿し絵が読書プラスαの楽しさを与えてくれる。「鳥の仏教」が知られるようになったのは20世紀初頭のインドであったとの事。著者はこの本を読みつつ仏教を学んだと記されており、人類にとっての精神文化の遺産ですと述べている。

「鳥の仏教」の中には、それがチベットの民衆の自然観や社会観がそれとなく流れており、チベットを理解するにも参考になりそうだ。アニミズム、輪廻観も合理主義という目的論で切り捨てることはいとも簡単だ。しかし、我々の人体を作っている物質は変転しつつ世界を巡っているのも厳然とした真理だ。放射性物質さえその循環の中にある。ただ、その全体を把握することは容易でない。動物や植物という生物に視点を移すことで、人間の認識機能を客観化し、より広く深い世界観を築いて行くことは人類が生き残って行くための課題でもあろう。人類は自然の摂理を改造する事はできない。

チベットに関しては、鳥葬の国、チベット死者の書、ダライラマ、チベット探検家矢島保治郎等々色々な事を思い出す。梅原猛の「日本の深層」の中に「賢治の霊力」という項があり、「なめとこ山の熊」に関して、「人間が熊を送るのではなく、熊が人間を天に送るイヨマンテなのである」と記されている。梅原猛はアニミズムの本質を見ていたのかも知れない。本書に「きこりを助けた熊の話」という記事がある。二つの話の共通性に驚く。人と熊も共存しなければ、お互いが生きて行くことはできないという教えであろう。この説話を人間の社会に投影すれば、人はお互いいがみ合うことなく共存せよとう教えでもあろう。

以下は、本書の中の一節だ。「鳥の仏教」ではカッコーが聖なる鳥との事だ。フクロウは「ウトォ(なんと哀れ)」と鳴くそうだ。西洋ではフクロウは学識ある賢者の象徴でもある。

以下、引用:
瞑想をして死の意味を知る前に死がやってきてしまうのは哀れだね、ウトォ。
戒律を守らないお坊さんは哀れだね、ウトォ。
ものごとを判断できない老僧は哀れだね、ウトォ。
威厳を持てない大臣は哀れだね、ウトォ。
軍隊がついてこない将軍は哀れだね、ウトォ。
相談相手のいない王様は哀れだね、ウトォ。
従う者のいない指導者は哀れだね、ウトォ。
行動力のない政治家は哀れだね、ウトォ。
学識のない先生は哀れだね、ウトォ。
熱心さのまるでない弟子は哀れだね、ウトォ。
信用のできない友達は哀れだね、ウトォ。
気持がバラバラな家族は哀れだね、ウトォ。
哀れなおこないがどんなものかを知って、それを避けるのが大事です。
引用終わり。

本書は薄い文庫本だが、従来の仏教書にないすがすがしさを感じた。東北関東大震災、大津波災害、福島原発事故災害では、被災者だけでなく、その家族や知人、更には日本中の人、世界中の人が大きな衝撃と悲しみを味わったと思う。その悲しみに打ちひしがれることも人類の歴史としては忘れることのできない貴重な体験ではないか。「鳥の仏教」のフクロウの鳴き声も日本の復興や自戒のために鳴いてくれているようにも感じる。

2012年3月 8日 (木)

雑木の歌:雪中参拝風景

2012/3/8(木)
昨日は晴れのち曇り。朝方は定例の仕事。2月に比べると大分作業しやすい気候となってきた。少し眼が痒くなってきた感じがする。先日のハイキングもどきで花粉を吸ったのかと、「環境省花粉観測システム(愛称:はなこさん):url=http://kafun.taiki.go.jp/GraphWeek.aspx?MstCode=51010100&AreaCode=03」で調べたが、その日のスギ花粉の飛散は少ない。3/1に2000個/m3以上と突出した飛散があった。この花粉が影響しているのか。ともかく、花粉症発症の初期は風邪と似た症状になる。要注意。免疫系も抗原が来てから反応がでるまでには時間の遅れがあるのかも知れない。2012/3/4(日)の記事に『歌手・バンドゥーラ奏者のナターシャ・グジーが歌う「バンドゥーラを手にすれば」』について書いた(http://af06.kazelog.jp/itoshikimono/2012/03/2011-33d2.html)。YouTubeにナターシャ・グジーが出演するビデオが投稿されていた(http://www.youtube.com/watch?v=qskr83JSy_g)。再生回数は「277 回再生 」であった。先日の慣れない遠足で、足の関節、筋肉、足裏まで痛み出した。道楽が出来たのは良かったのだが。

2012/3/7(水)の天気

TAVE= 11.5
TMAX= 14.6 最高気温(℃)   15.3  12:22
TMIN= 7.4 最低気温(℃)   6.9  04:53
DIFF= 7.2
WMAX= 7.9 最大瞬間風速(m/s)   13.0(西北西)  06:55
SUNS= 3.6
RAIN= 0

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雑木の歌:雪中参拝風景

先日の雪により出先で思いがけない風景にであった。温泉街は人気が少なく山水画のような幽玄な雰囲気もあった。そんななか、若者達の印象に残る姿もあった。こういう若者がいるかぎり、まだ未来があり、希望も持てると思った。石段街休憩所、「いっぷく館」で作った歌。

○若き等は 雪投げをして はしゃぎおる 拝殿の前 二礼二拍も
○二人連れ 石段登り 神社まで 記念にどうぞと シャッターを押す
○黙々と 若者二人 雪をかく 伊香保神社の 鳥居の下で
○雪に中 古いデジカメ すぐへたる 携帯で撮る 温泉の街
○早出して 温泉街を 見歩けば 一隅守る 人々の影
○坂道で スリップ起こし 難儀する おじさん助ける 老若二人
○そそそろと 雪の階段 一人行く 街もしんしん 胸もしんしん
○参拝を 済ませて座る いっぷく館 時計の音と 雪かきの音
○一服で つま先冷える 一人卓 いざ発たんとす 次の寄り道
○一服も 寄り道も良し つかのまの 静寂の中 無心になりぬ

2012年3月 7日 (水)

東北の海よ:道中で出合った芭蕉句碑、句碑が叫ぶ先人達のメッセージ

2012/3/7(水)
昨日は晴れ。好天で気温も上がった。3/6は二十四節気の啓蟄で、虫が這いだして活動を始める日とされる。人間の方も何となく浮き浮きしてくる。老人モードで外出したので、帰りは一人弥次喜多道中。自分が弥次さんなら、喜多さんという連れ合いは自分の影というところだろうか。温泉街から下の駅までぶらりと歩いた。バスが通る道路なので、歩けなくなったらいつでもバスに乗れるという安心感が何よりも一人道中の支えになった。

2012/3/6(火)の天気

TAVE= 10.7
TMAX= 17.9 最高気温(℃)   18.2  14:48
TMIN= 4.4 最低気温(℃)   4.0  03:42
DIFF= 13.5
WMAX= 3.5 最大瞬間風速(m/s)   6.3(東南東)  15:57
SUNS= 6.8
RAIN= 0.5

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東北の海よ:道中で出合った芭蕉句碑、句碑が叫ぶ先人達のメッセージ

一昨日は、縁あって、「大震災のもたらしたもの 気仙沼からの報告」という、気仙沼市の観音寺住職の講演を聞かせて頂いた。あの大震災、大津波からやがて一年になり、現地で大震災への対応をされてきた僧侶による、大きな被害を受けた気仙沼からの報告は、マスコミを通じて知る事のできない切実さを感じた。そうして、震災直後と現在では支援活動のニーズも変わってきていると話された。希望と未来が描ける心の支援が今一番必要なのですと話された。

そんな、講演の事など思い出しながら、一人で県道を下った所で、「八九間 空で雨ふる 柳かな」という芭蕉の句碑に出合った。既にこの句碑に関しては、WEB上に情報がある(url=http://homepage1.nifty.com/tsoutaro/basyou/07.htm)。この記事によると、荻原井泉水の碑の再建記が碑の別面に彫られているようだ。元の碑は文化十四年(一八一七)の建立。その別面に新しい句碑が彫られているようで珍しい碑であった。そうして、句碑の中から、荻原井泉水は「其の石は存して其句亡ぶといふ理あらんや」と問いかけている。石碑は残ってもその句の精神が亡んでしまっては道理がないではないかという自省を込めているのだろう。

そんな、俳人の気持を汲んで、この句を味わってみると、「八九間」に視点がありそうだ。季節は柳が芽を吹く春。無窮の大空から雨が降っても何の風情もない。柳の若芽の薄い緑を目で辿ると柳の木の先端あたりの空から雨が降ってきたように見えるところを描写しているのだろう。大自然の摂理とともに、小さな人間の営為を捉えよと諭しているが如くである。

芭蕉が奥の細道への旅に出たとき、同行したのが、河合 曾良(かわい そら 慶安2年(1649年) - 宝永7年5月22日(1710年6月18日):WIKIPEDIA)との事だ。観音寺住職は講演で、震災の伝承も、親から子へという風に、次代の親しい者へ、口伝えのようにして伝える事の大切さを語っていた。碑は「いしぶみ」とも読まれる。まさに、建碑当時の人々が、後世のために石に書き残してくれたメッセージなのだが、そこから何を読みとるべきかは、後世の人々のありかたが決めるのだろう。また、芭蕉が奥の細道への旅に出かけられたのも、同行者という、バックアップ(支援)があったから可能になったのかも知れない。やはり、万が一の時、支援が受けられるというほど心強いことはないのではないか。駅に着いてようやく長靴の重さから解放された。

2012年3月 6日 (火)

老人の寝言:東北関東大震災で混乱した携帯や通信インフラをより強固に叩き直せ

2012/3/6(火)
昨日は雨のち曇り。用事で外出。出先では朝は雪。その後雨に変わった。平地生活に慣れきっているので、冬は車で山間部には行かない。昨日は電車とバス。バスはチェーンを装着していた。時間にユトリがあるので出先の空き時間を楽しもうとしていた。雪景色をデジカメに納めようとしたが電池が不調。携帯は充電してきたので携帯のデジカメを使った。そんな時、坂になっている脇道を下るバンと登る自家用車が、道路の真ん中でにらめっこになり両方が停車したに場面に出合ってしまった。一気に登れば、自家用車は坂道を走破できたかもしれないが、止まってしまったので車がスリップして動かなくなった。ホテルの従業員数名が雪かきやホースの水で雪流しをしていた所であった。ホテルの若い従業員一人と、その場に出くわした自分の二人で何とかしようと頑張った。下りのバンを通過させ、登りの通路を確保。タイヤの前後と走行部分をホテルの若い従業員にスコップで除雪してもらう。タイヤのグリップが確保できる状態にして二人で車を押し上げた。その時、車が坂下に滑る危険も感じた。何とか危機を脱した。車の運転手は下車して一礼して本道を下って行った。本道はスプリンクラーが動作して走行には支障がなかった。スタッドレスだから大丈夫と思っていたと運転手は話していた。ホテルの若い従業員に指揮をして使ってしまったような結果になってしまったが、お互い様で済んだ。その後の時間も充実しているように感じた。追記(20012/3/13):坂道除雪風景。
Car_slip

2012/3/5(月)の天気

TAVE= 3.9
TMAX= 7.9 最高気温(℃)   8.2  18:45
TMIN= 0.7 最低気温(℃)   0.6  03:19
DIFF= 7.2
WMAX= 4.4 最大瞬間風速(m/s)   7.8(西北西)  19:44
SUNS= 0
RAIN= 22

Q
Q

老人の寝言:東北関東大震災で混乱した携帯や通信インフラをより強固に叩き直せ

東北地方太平洋沖地震が発生した直後は電話や携帯のインフラが被害にあい、安否確認ができないという問題生じた。中継局が被害にあった場合と、中継局は健在でも電源を喪失して機能が失われた場合があった。更に、利用が集中しシステム障害を起こさないようにするため通信量の制限が行われ不通状態が更に悪化した。昨年7月24日にはアナログTV放送が地デジへ移行したが、岩手・宮城・福島は移行が1年間延期された。

J-CASTニュースは、「岩手・宮城・福島で地デジ化延期;url=http://www.j-cast.com/2011/04/21093743.html(2011/4/21 12:13 )」というタイトルで、「総務省は2011年4月20日、東日本大震災で大きな被害を受けた岩手、宮城3 件、福島の3県について、7月24日に予定していた地上デジタル放送への完全移行を、最大で1年間延期3 件すると発表した。 多数の受信設備が津波の影響で流失したことなどから、当初の予定に間に合わないと判断した。7月24日の完全移行は電波法で定められており、延期3 件には法改正か特例措置が必要となる。3県を除く各都道府県では、予定通り7月24日にアナログ放送を停波する。」と報じた。

地デジ化が延期となった東北三県はこれから地デジ化の問題に直面する事になる。地デジ化でアナログTV放送で使っていた電波帯域の一部が携帯電話に解放されることになっていたようだが、ようやくその動きが出てきた。

毎日新聞は、「プラチナバンド:総務省、900メガヘルツをソフトバンクに 700メガは今夏3社へ;url=http://mainichi.jp/select/biz/news/20120301ddm008020189000c.html(毎日新聞 2012年3月1日 東京朝刊)」というタイトルで、「携帯電話の電波がつながりやすい「プラチナバンド」と呼ばれる周波数帯(700~900メガヘルツ)について、総務省は29日、900メガヘルツ帯をソフトバンクモバイルに割り当てることを決めた。ソフトバンクは基地局整備などに8207億円を投じ、通信環境を改善する。一方、地上アナログ放送の停波で空きが出る700メガヘルツ帯についても、今夏をめどに3社に各20メガヘルツを割り当てることにした。【種市房子】 総務相の諮問機関「電波監理審議会」に審査案を提示、了承された。割り当てには、NTTドコモ▽KDDI(au)▽イー・アクセスを含む4社が応募。ドコモとKDDIは既に800メガヘルツ帯を持っており、大手3社で唯一、ソフトバンクがプラチナバンドを保有していないことが決め手となった。」と報じた。

アナログTV放送が終焉し、地デジに移行した結果を受けての決定である。アナログ対応電波を追い出した跡地利用である。総務省HPには「地上デジタルテレビジョン放送は、13~52チャンネルの周波数(470~710MHz)を使用することとなっています」とある。公共の電波を私企業に使わせるためにはそれなりの、公共性を確保しなければならない。電波を使わせるために、アメリカでは周波数の入札が行われているようだが、日本は結局入札を実施しなかった。ソフトバンクの携帯はつながりにくいというWEB情報があるが、それは周波数だけでなく、中継局の数にもよる。入札ならば決定の結果の透明性が確保できるのか。ともかかく経過を見守る以外になさそうだ。一面ではアナログTV放送受像者の犠牲の上に成り立っているのだから、適正なサービスをしていただきたい。

電気店で、スマホの実物を触ってみたが、タッチパネルや文字入力で手間取った。小さな文字をにらんでいると数分で目が疲れる。どうも老人向きではないように感じた。ITデバイドの現実味を感じた。スマホは通信容量が大きいのでビジネスで課金する上では利益への期待は大きいだろう。しかし、通信インフラとして大災害の時どのように利用されるべきか。通信容量が大きいことは電池の消耗も早い。東北地方太平洋沖地震の時、携帯の充電で困った例が多い。ビジネス万能で突っ走る事が許されるのか。

無線局は電波使用に対して、国の許可が必要で、その際「電波使用料」を払う必要がある。以下はテレビの「電波使用料」の例であるが、「電波使用料」という面から、電波の価値を考えると余りにも安すぎないか。もう少し、公共の電波という意識の上に、電波の価値に相当するコンテンツの質を高めて貰いたいところだ。

NEWSポストセブン|は、「テレビ局の「電波使用料」は売上高のわずか0.14%しかない;url=http://chinshi.blog102.fc2.com/blog-entry-24.html(週刊ポスト2010年11月12日号)」というタイトルで、「【NHK】電波利用料(A):14億8700万円 事業収入(B):6644億円 Bに占めるAの割合:0.22%;【日本テレビ】電波利用料(A):3億7600万円 事業収入(B):2777億円 Bに占めるAの割合:0.14%、【テレビ朝日】電波利用料(A):3億7000万円 事業収入(B):2209億円 Bに占めるAの割合:0.17%、【TBS】電波利用料(A):3億8500万円 事業収入(B):2727億円 Bに占めるAの割合:0.14%、【テレビ東京】電波利用料(A):3億6000万円 事業収入(B):1075億円 Bに占めるAの割合:0.33%、【フジテレビ】電波利用料(A):3億5400万円 事業収入(B):1717億円 Bに占めるAの割合:0.21%、【その他、地方局計】電波利用料(A):9億1251万円 事業収入(B):1兆2525億円 Bに占めるAの割合:0.07%、【全国128局計】電波利用料(A):42億4641万円 事業収入(B):2兆9676億円 Bに占めるAの割合:0.14%」と報じた。

これで、テレビの場合の「電波使用料」が大体つかめるが、携帯各社が支払う「電波使用料」はどの程度か。ケータイ用語の基礎知識によると、「第348回:電波利用料 とは;url=http://k-tai.impress.co.jp/cda/article/keyword/37284.html(2007/11/20 12:37 )」というタイトルで、「電波利用料の8割は携帯電話関係から 国内の携帯電話の電波利用料は、携帯電話事業者がまとめて納めています。その額は1台につき年額420円です。 」とのことだ。この額は改定で更に高くなっているようだ。

「電波使用料」の用途として、アナログTV放送の地デジ移行に多額の金額が使われてきたようだが、地デジ移行が完成すれば、この費用は不要になるだろう。そもそも地デジより、BS方式にすれば難視聴対策も容易で、経費も少なくなったという説も聞く。ともかく、今後の携帯インフラは防災だけでなく、日本のIT産業の生命線でもある。国民不在の電波行政を脱却して、被災地だけでなく、日本の産業の復興をかけて頑張って貰いたい。

2012年3月 5日 (月)

読みかじりの記:「新版 チェルノブイリ診療記 福島原発事故への黙示」 菅谷 昭 著 (2011年 株式会社 新潮社)

2012/3/5(月)
昨日は曇り。寒さが戻ってきた。宅内作業。水栽培のチューリップの芽が伸び始めてきた。根が出ているのは1球だけ。根は出なくても芽は出るというのも植物の戦略なのか。条件が異なる球根が5球ある。それぞれ生き方が異なるようだ。これから変化が出てくるだろう。昨日は年月日が1234と並んだ記念日。末広がり型だ。3/6は啓蟄。ジャガイモの植え付けをいつしようかと思案中。

2012/3/4(日)の天気

TAVE= 4.7
TMAX= 7.5 最高気温(℃)  最高気温(℃)  8.4  13:58
TMIN= 1.6 最低気温(℃)   1.6  24:00
DIFF= 5.9
WMAX= 3.5 最大瞬間風速(m/s)  5.9(東南東)  17:17
SUNS= 1
RAIN= 2.5

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読みかじりの記:「新版 チェルノブイリ診療記 福島原発事故への黙示」 菅谷 昭 著 (2011年 株式会社 新潮社)

本書出版日は2011年7月1日。巻末に「この作品は1998年8月晶文社より刊行された。」とある。この旧版をベースに発行された。2011/3/11の東北地方太平洋沖地震に起因して発生した福島原発事故に関する著者の緊急メッセージととれる著書だ。福島原発事故を契機にチェルノブイリ原発事故も知りたくなったが、昨年でチェルノブイリ原発事故は発生後25年を迎え、書店を探しても関連書物はほとんど見つからなかった。チェルノブイリ原発事故関連で、最初に出合ったのが本書である。

本書の「新版に寄せて」が書かれたのが原発事故発生一月後の4月と記されている。まさに、著者の緊急メッセージなのだ。チェルノブイリ原発事故で、医療支援を行った医師や医療機関も多かったと思うが、マスコミにも余り露出せず、このような個人で身を投げ出して医療支援を行っていた著者の名前を知ったのは本書を読んでからである。その体験を本にしたのも、今から見れば貴重な記録になっている。著者は甲状腺外科の専門医という事で、チェルノブイリ原発事故を通して、放射能が人体に与える影響を科学的に最も身近で把握している人であろう。福島原発事故事故に対して、当局の混乱でヨウ素剤が服用されなかった事と重ね合わせて考えると、幼児に対する放射能の影響に関しては、今からでも本書を熟読すべきではないかと思う。「新版に寄せて」で著者は「ベラルーシで幼児の甲状腺ガン患者が増加し始めたのは事故から5年後の事で、患者数がピークになったのは10年後ことだった」と述べている。

福島原発事故発生以後、「直ちに健康に影響を及ぼすものではない」というような言葉を何回聞かされた事か。著者は「まさに、自国の政府を信用できないくらい惨めなことはない。」とも述べている。また、「どんなに辛くてもチェルノブイリの話をするしかないと思っている。」とも述べている。著者、福島原発事故が起きたとき、第二のチェルノブイリ原発事故になることを危惧したとの事だ。放射能被害に関しては、5年後、10年後、更にその先何十年も不安や心配は消えない。

本書の診療に関する記事は、医と個のドラマである。問題を抱え悩むのは個人だ。個々の人が個々の問題を抱え、そこにドラマがある。最終章の「希望」に「たくましい女たち」という項がある。そこには、日本と食事の様子も描かれている。日本では福島原発事故の放射能で食事も農産物も大きく混乱し、その行く先も見通せない。

日本で活躍している、歌手・バンドゥーラ奏者のナターシャ・グジーが歌う「バンドゥーラを手にすれば」という歌を聴いたとき、切々とした望郷の念を感じた。この曲は以前風ログを覗いていたらバックから流れてきて初めて聞いた。WEBにあったプロフィールは以下の通り。

ナターシャ・グジー 公式ホームページ!は、「プロフィール;url=http://www.office-zirka.com/profile.htm」として、「プロフィール: ウクライナ生まれ。 ナターシャ6歳のとき、1986年4月26日未明に父親が勤務していたチェルノブイリ原発で爆発事故が発生し、原発からわずか3.5キロで被曝した。 その後、避難生活で各地を転々とし、キエフ市に移住する。 ウクライナの民族楽器バンドゥーラの音色に魅せられ、8歳の頃より音楽学校で専門課程に学ぶ。 1996年・98年救援団体の招きで民族音楽団のメンバーとして2度来日し、全国で救援公演を行う。 2000年より日本語学校で学びながら日本での本格的な音楽活動を開始。 その美しく透明な水晶の歌声と哀愁を帯びたバンドゥーラの可憐な響きは、日本で多くの人々を魅了している。 2005年7月、ウクライナ大統領訪日の際、首相官邸での夕食会に招待され、演奏を披露。 コンサート、ライブ活動に加え、音楽教室、学校での国際理解教室やテレビ・ラジオなど多方面で 活躍しており、その活動は高校教科書にも取り上げられている。 」と紹介している。

YouTubeで三橋美智也が歌う「あゝ故郷http://www.youtube.com/watch?v=077aFjoBmmM」という歌を聴いた。この曲にも切々たる望郷の念を感じる。人も場所も時も異なるが故郷にひかれる気持は人類本来のもので変わりがないのだと思う。

「若い生命を 埋れ木に
花の咲かない わが運命
男泣かねど 涙にうかぶ
あゝ ふるさとの 山恋し」
作詞・高橋掬太郎 作曲・吉田矢健治との事だ。昭和35年の発売だったとか。

福島原発事故で故郷から逃れる人とそこに住み続ける人がでた。去るも残るも重い決断がのしかかっている。福島原発事故は健康被害だけでなく、そこに住む人々の愛郷心も粉々に砕いてしまったのではないか。それでも、心の中に残る故郷は希望と元気を与えてくれる源なのではないか。最初に買った本書は回し読みをして貰うため手放した。いまも誰かが読んでくれているとありがたい。二回目に買った本書は保存版として残したい。

2012年3月 4日 (日)

読みかじりの記:「日本の深層 ~縄文・蝦夷文化を探る~」 梅原猛 著 (1994年 株式会社集英社)

2012/3/4(日)
昨日は穏やかな晴天。雪や雨が降り、季節が一歩進んだように感じる。久しぶりの農作業。種ジャガイモを切った。数日間切り口を乾燥させて植える。ジャガイモの本を見ると、頂部優勢なので、真ん中で輪切りにするのは良くないらしい。芽の数が均等になるよう切り口方向がまちまちになっている。次は、植え付けの畝作り。肥料は積み上げた雑草が堆肥らしくなったのを使った。多分草との戦いになるだろう。全て手作業で、発汗気味になった。量はごくわずか。ジャガイモは早植えが良いと本にある。収量が光合成をする時間に対応するようだ。

昨日は桃の節句、雛祭りであった。雛様を出さなくなり久しい。耳の日でもあった。「耳の日 ;。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%80%B3%E3%81%AE%E6%97%A5。」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』。(最終更新 2011年2月7日 (月) 21:03 )(http://ja.wikipedia.org/)の引用=「耳の日(みみのひ)とは、1955年日本聴覚医学会が創立し1956年に社団法人日本耳鼻咽喉科学会が制定した記念日。毎年3月3日。制定 [編集]:の字が耳の形に似ていることと、「み(3)み(3)」の語呂合わせから。一般の人々が耳に関心を持ち、耳の病気のことだけではなく、健康な耳を持っていることへの感謝、耳を大切にするために良い音楽を聴かせて耳を楽しませてあげるために、あるいは、耳の不自由な人々に対する社会的な関心を盛り上げるために制定された。また、3月3日は三重苦のヘレン・ケラーにアン・サリヴァンが指導を始めた日であり、電話の発明者グラハム・ベルの誕生日でもある。」。

「アレクサンダー・グラハム・ベル;。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%AC%E3%82%AF%E3%82%B5%E3%83%B3%E3%83%80%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%82%B0%E3%83%A9%E3%83%8F%E3%83%A0%E3%83%BB%E3%83%99%E3%83%AB。」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』。(最終更新 2012年2月29日 (水) 12:10 )(http://ja.wikipedia.org/)の引用=「アレクサンダー・グラハム・ベル(Alexander Graham Bell, 1847年3月3日 - 1922年8月2日)は、スコットランド生まれの学者、発明家。その生涯を通じて科学振興および聾者教育に尽力した。」。

G.ベル生誕165年だった。今日、電話無しには生活が成り立たない。WIKIPEDIAによると「父は大学教授で視話法の考案者であるアレクサンダー・メルヴィル・ベル (Alexander Melville Bell) 。」。
G.ベルは電気と音声に興味を持つとある。電話とは音声を電気に変換して遠方と通信する技術である。ここには純粋な学問と学問の実用化する技術との融合がある。G.ベルの偉大さを改めて認識した耳の日だった。

TAVE= 7.2
TMAX= 12.2 最高気温(℃)  12.5  14:09
TMIN= 4.2 最低気温(℃)   3.9  06:25
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読みかじりの記:「日本の深層 ~縄文・蝦夷文化を探る~」 梅原猛 著 (1994年 株式会社集英社)

この本をもむきっかけは、「松岡正剛の千夜千冊」の中で、「日本の深層(http://1000ya.isis.ne.jp/1418.html)」を読んだことにある。東北関東大震災も関心を向けさせた。「東北の海よ:哲学者・梅原猛さんの思い(2011年4月 4日 (月))。http://af06.kazelog.jp/itoshikimono/2011/04/post-6834.html。」で、東北復活の自分なりのキーワードは「東北の海よ」がふさわしいと思った。著者は復興会議構想会議の特別顧問(名誉議長)に就任している。この役職も著者と東北地方の並々ならない関係の故であろう。読後の印象は、「哲学者・梅原猛さんの思い」に通じる。やはり、特異な哲学者らしく、ずばり、現象の背後に迫ろうとする姿は誰もマネが出来ないように思う。賢い哲学者なら危険地帯として入り込まない領域に足を踏み入れているのではないか。「日本の深層」の「深層」も色々深い意味を想像させる。東北地方が中央から未知であり、まさに未知・道の奥にある。距離的に遠いだけでなく縄文時代まで時間軸を引き延ばして、東北地方から中央を見直してるのだから、こういう業は著者でしかできないだろう。著者が縄文時代の縄文土器の分布、気候や蝦夷やアイヌのことまで言及して東北地方が古代文化の発祥であるように語る中に、著者の熱き思いを感じる。縄文時代は1万年以上前まで遡るようだ。山内丸山遺跡は紀元前3000年頃の遺跡(。http://sannaimaruyama.pref.aomori.jp/jomon/index.html。= 遺跡年表)らしい。栗やクルミを食べていたらし。これらは広葉樹で温暖な気候を思わせる。

特別史跡山内丸山遺跡のHP:。http://sannaimaruyama.pref.aomori.jp/about/index.html。に、「三内丸山遺跡は、今から約5500年前~4000年前の縄文時代の集落跡で、長期間にわたって定住生活が営まれていました。 平成4年からの発掘調査で、竪穴住居跡、大型竪穴住居跡、大人の墓、子どもの墓、盛土、掘立柱建物跡、大型掘立柱建物跡、貯蔵穴、粘土採掘坑、捨て場、道路跡などが見つかり、集落全体の様子や当時の自然環境などが具体的にわかりました。 また、膨大な量の縄文土器、石器、土偶、土・石の装身具、木器(掘り棒、袋状編み物、編布、漆器など)、骨角器、他の地域から運ばれたヒスイや黒曜石なども出土しています。 ヒョウタン、ゴボウ、マメなどの栽培植物が出土し、DNA分析によりクリの栽培が明らかになるなど、数多くの発見が縄文文化のイメージを大きく変えました。平成12年11月には国特別史跡に指定されました。」と紹介されている。

尚、本書に述べられた十三湊遺跡も調査が進み、著者の推測が空想ではなかったことが実証されつつあるようだ。更に、東北地方で思い出すのが、旧跡時代の遺跡捏造問題だ。その背景には地域のアイデンティティを強固にしたいという強迫観念が、蔓延していたという時代背景もあったようだ。地域のアイデンティティを確かにすると言うことが、集団で何事を行うにも必要なことだろ。そう言う意味で、アイデンティティ探しも、復興の前提として不可欠ではないか。松岡正剛氏が、上記記事で「芭蕉が奥の細道を通して把えようとした意図が、日本の深層への旅だったと思えてきた。」と書いている。昨年は、芭蕉の句を前句として、それから連想した句を作っていた。東北関東大震災でそれが中断したままになっている。芭蕉は当時の江戸という中央にいたのが、なぜ奥の細道に向かったのか。芭蕉を引き寄せたものがあった筈だ。それは何か。何かを求めた覚悟の旅だったように思う。

YouTubeで三橋美智也が歌う「日本人。http://www.youtube.com/watch?v=mc3QECAUuJs。」という歌を見つけた。「土に顔当て 頬ずりすれば」~。初めて聞いた曲だが、元気を貰える歌だった。日本人の「根っ子を」歌っている。深層とは、普通の眼では見えない根っ子の部分だ。この東北地方に生まれ育った根っ子が日本文化の地下深く覆い尽くしているという逆転の発想が「日本の深層」なのかも知れない。

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  • 出町 誠: 14_NHK趣味の園芸:よく分かる栽培12ヶ月  カキ(NHK出版2007年)
    初心者向け柿栽培参考書(新版)。旧版と比較すると楽しい。
  • 中村三夫: 13_NHK趣味の園芸:作業12ヶ月  カキ(NHK出版1996年)
    初心者向け柿栽培参考書(旧版)。新版と比較すると楽しい。
  • 山科正平: 12_細胞を読む   電子顕微鏡で見る生命の姿
    細胞はどんな部品からできているのか。そんな疑問に答えてくれる一冊。何事も形を見るのが第一歩。μからÅオーダーの世界で、細胞をメスで解剖するように、電子顕微鏡というメスで解剖して見せてくれるので興味が尽きない。
  • 柳田充弘: 11_細胞から生命が見える
    著者の専門は分子生物学、細胞生物学。普段生物を考えても細胞レベルで止まってしまう。その細胞の中で色々な分子が働いている。細胞こそ生命の基礎だが、その細胞の中の動きを知るのに最適な一冊。疑問の発端はなぜ発根剤が効くのかということ。薬剤が細胞膜を通過して細胞内で分子と分子が作用するイメージができた。本書でできた細胞のイメージは小さな無数の穴が空いた水分が充満したヨーヨーのようなもの。そのヨーヨーの中に分子部品が詰まっている。細胞自体もタライの中のヨーヨーのように浮かんでいる。細胞図面の空白部は真空でなく水分だ。細胞の内外に水がないと細胞は生きられない。水が生命のゆりかごだ!
  • 野口悠紀雄: 10_ホームページにオフィスを作る(2001年 光文社)
    ITが輝いた時代の作品。HPの活用法は参考になる。参考:url=http://www.noguchi.co.jp/(野口悠紀雄 ONLINE)
  • 小池洋男 編著: 09_果樹の接ぎ木・さし木・とり木(農文協:2007/3/31第1刷)
    やや専門的であるが、実務専門化が分担執筆しており、その場で役に立つ一冊。
  • ノーバート・ウィーナー(鎮目恭夫訳): 08_サイバネティックスはいかにして生まれたか(みすず書房1956)
    情報と通信という現代社会に不可欠の基礎的な学問を作った著者の自伝とそれを通した科学史
  • 沼田 真(編): 07_雑草の科学(研成社1979)
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    2010/8/4:MEMO等の表示に使える。 農作業で気になる自戒の言葉 ■畑の石ころはいつまで経ってもても石ころ(早く拾って片づけよという意味か)。 ■同じ石を二度拾うな(やってみると難しい)。 ■手ぶらで歩くな。 ■三つ先のことを読め。 ■適当な観察。 ■空を見よ(気分転換、休憩、天気を読む、腰曲がり防止)